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…物語が始まると、森の中で一人の女性が意味ありげに佇んでいる。その姿からして戦国時代の姫らしい。
名台詞 「もっかい見ようっと…。」
(しんのすけ)
名台詞度
★★
 名場面欄シーンで目を覚ましたしんのすけは、夢の中に出てきた姫を思い出して顔を赤らめる。だが寝息を立てる両親の姿を見回すと、こう呟いて再び眠りにつく。
 「おねいさん好き」のしんのすけにとっては、きれいな姫が出てきたこの日の夢はとても幸せであったはずだ。しかもその女性が自分をあやすわけでもなく、寂しそうな顔で佇んでいるだけである。夢とはいえしんのすけはなんか頼られているような錯覚にも陥っただろう。きれいな女性に頼られるのはしんのすけに限らず、男の本望だ。
 だがそんな夢から突然目覚めさせられてしまった、だがこの日のしんのすけはそれに腹を立てる訳でもなく、悔しがるわけでもない。ただこう呟いてもう一度寝るだけだ。そのしんのすけの態度と、この台詞から「夢」が必然であり目を閉じればもう一度同じ夢が見られるという確信を、視聴者に上手く与えてしまうのだから恐れ入ったシーンだ。この確信を視聴者に与えるという点では、この台詞は言葉を上手く選ばれていると思う。いつものしんのすけが普通に使う言葉、大袈裟でもなく小さすぎもしない。たってそれだけだ。
 そしてその確信はオープニングの後に現実であったことが確定する。このように冒頭で伏線張りをして、視聴者を物語に引き込むよううまく作られているのだ。
名場面 名場面度
★★★
 本作の冒頭では、美しい姫が一人で落ち着かずに過ごすシーンから始まるが、何故こんなシーンが描かれたかハッキリするのは姫の姿が光に消えた直後である。布団の中で目を覚ますしんのすけ、常夜灯が灯る野原家の寝室、時を刻む目覚まし時計の音に、一家が立てる寝息。この幼い日に多くの子供が夜中にふと目を覚まして見て聞いた世界が、忠実に再現されていることにちょっとした驚きを感じさせるシーンだ。
 特に最初は目を覚ましたしんのすけの目に映ったままを描いたのであろう、常夜灯が灯る電灯とそこから伸びる引き紐スイッチ。これによって冒頭の姫のシーンが「しんのすけの夢」であり、この姫のシーンとこの寝室シーンがしんのすけにとっては連続したシーンであることが上手く表現されている秀逸なシーンである。
 アニメにおいて「夢から覚める」というシーンは簡単なようで難しい。もちろん夢が恐怖などを示しているのであれば、ありがちな「がばっ」と起きる描き方でハズレはないだろう。だがここではしんのすけが見た夢は、あくまでも穏やかで殆ど動きがないものだ。この状況で夢を見ている人物を起こさせるのはとても難しい。それを上手くまとめたシーンとして、この冒頭のシーンはとても印象に残っている。
 特に、このシーンの間中流れている時計の音は、「夜中の寝室の再現」としてとてもリアルだと思う。
研究 ・ 
 

・「クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶアッパレ!戦国大合戦」のオープニング
「ダメダメのうた」 作詞/作曲・LADY Q 編曲・森 俊也 歌・LADY Q/野原しんのすけ/野原みさえ
 このオープニングについては、以前「オトナ帝国の逆襲」で考察しているので、曲自体については今回は考察しない。
 背景画像であるが、本作が「戦国時代」というチャンネルを使っているのでこれに合わせた粘土アニメとなっている。メインはひまわりが人質に取られ、これを助けるべくしんのすけがぶりぶりざえもんと戦うという内容だが、これが本作とマッチしてなくてとても面白い。むしろ、オチも含めてこちらの方が本当の「クレヨンしんちゃん」らしさが出ていると見ることも出来るだろう。
 しかし劇場版「クレヨンしんちゃん」オープニングの粘土アニメは、何度見ても迫力があって好きだ。本作でもしんのすけが巨大なピーマンとニンジンに追われるところは、本当に大迫力だと感心して見てしまった。

…朝、一家は皆で同じ女性の夢を見ていたと知る。
名台詞 「ま、言えることはひとつだな。俺たちは同じ夢を同じ時間に見る位、一心同体だってこと。」
(ひろし)
名台詞度
★★
 夜が明けて朝食の食卓を囲みながら、野原家の一同は夜に見た同じ夢について語り合う。時代劇に出てきそうな女性、寂しそうに佇むその姿…みさえが何故皆が一種に同じ夢を見たか?という疑問を発すれば、しんのすけが「オラと結婚したいというメッセージ」とボケた後に、ひろしがこう力を込めて言う。
 多くの「クレヨンしんちゃん」劇場版作品では、物語を通じて「家族の絆」を訴えているが、本作ではこの台詞が出た瞬間にそれが「前提」に変化してしまった。普段なら物語進行によって発揮されるべきこの「家族の絆」は、本作では「既に備わっている」のが前提であり、これを前面に出しながら物語前半を進めるが、そのきっかけとなる台詞はひろしのこの台詞だろう。
 もちろん、劇中のひろしはそんな台詞で吐いているわけではないし、この物語を始めて見る人もそんな重要な台詞だとは思わないだろう。「クレヨンしんちゃん」劇場版作品を見慣れている人だけが、多少違和感を感じる位だと思う。
 また、こういう台詞をサラリと言ってしまう野原ひろしというのは凄い父親だと思うし、この台詞をサラリと言われても大袈裟と指摘しないみさえも凄い母親だ。この両親の設定がしっかりしているからこそ、「クレヨンしんちゃん」というのが名シナリオとして様々な作品へと拡がったのだと感じさせる台詞と、登場人物の対応でもあるのだ。
名場面 チャンバラごっこ 名場面度
★★
 ようち園での今日のお遊びは、風間を城主としたチャンバラごっこだ。ネネは風間の妻役、ボーちゃんは家臣、しんのすけはただの通りすがりの通行人、マサオは気の弱い草履取り。この中に城主の風間の生命を狙う忍びが混じっているという設定で始まる。もちろん最初はマサオが疑われる「おやくそく」を経て、「ただの通りすがりの通行人」であるしんのすけが謀反を起こすというストーリーだ。
 このチャンバラごっこシーンは、臼井儀人作品らしいノリが存分に活かされていて好きだ。特に「誰かが主人の生命を狙う」という設定において、それがバレバレという当初設定からして笑わせてくれる。そしてしんのすけはしんのすけらしく存分に「尻芸」を見せてくれるし、最後は風間がコケにされて終わるという展開が実に軽快に、気持ちよく描かれている。さらにこの「チャンバラごっこ」自体に、風間が主人公の台本があるという設定が面白い。
 同時にこれで物語の方向性、つまりチャンネルが「戦国時代」で固定されたと言って良いだろう。このようち園シーンまでは本作の「前置き」であり、次からいきなり「本題」へと流れ出す。風間・ネネ・マサオ・ボーちゃんといった「かすかべ防衛隊」の面々の活躍は、今回はここだけである。
研究 ・ 
 

…しんのすけがようち園から戻ると、シロがまるで何かに取り憑かれたかのように庭に穴を掘っている。
名台詞 「へっ、岩月の奴ら相変わらず逃げ足が早いのう。うちの旦那がいる限り、何度来ても同じことじゃ。尻でも食らえい。」
(仁右衛門)
名台詞度
★★★
 突然に戦国時代にタイムスリップしたしんのすけは、春日の国と隣国岩月の国との合戦に巻き込まれる。ここでしんのすけは春日の武士である又兵衛の生命を救い、合戦も岩月の軍勢が敗走し春日税の勝利に終わる。この勝利宣言として又兵衛の相棒、仁右衛門が尻を叩きながら語るのがこの台詞だ。
 名場面欄シーン以来、「クレヨンしんちゃん」らしからぬシーンが続いていた。特に合戦シーンではNHK大河ドラマにも引けを取らないリアルな合戦が演じられている。物語を見ていた多くの人が「いつものクレヨンしんちゃんじゃない!」と叫びたい心境だっただろう。
 そこへ来てこの台詞は、物語が「クレヨンしんちゃん」であったことを思い出させ、合戦シーンの傍らにしんのすけの姿があることを思い出させてくれる重要な台詞だ。この重要な台詞をしんのすけや野原家の面々が吐くのでなく、ここまで真面目な合戦シーンを演じていた戦国時代のキャラが吐くのが非常に興味深い点だ。
 つまりこの台詞を仁右衛門が吐くことで、舞台が変わってもやはり「クレヨンしんちゃん」だと誇示するだけでなく、何よりもここから先の物語で戦国時代側のキャラも「クレヨンしんちゃん」らしいキャラが出てくるのだと見ている者に感じさせる。つまり人々が安心して物語を見られるようになる。
 戦国時代側のキャラによるこの手の台詞はとても重要であり、無くてはならないものだ。この台詞があるかどうかで見る者の「気構え」が変わってしまうからである。仁右衛門のこの台詞は慣れない展開に緊張している視聴者をリラックスさせる、そんな役割があるのだ。
 仁右衛門の声は「宇宙戦艦ヤマト」のアナライザーでお馴染みの緒方賢一さんだ。聞き慣れた声だが、当サイト考察作品では「機動戦士ガンダム」以来久々の登場だ。
名場面 タイムスリップ 名場面度
★★★★
 しんのすけが幼稚園から帰宅すると、庭に大きな穴を掘った事でシロがみさえに叱られていた。みさえはしんのすけがシロの飼い主だとし、しんのすけに穴を埋めるように命じる。しんのすけは穴を埋めようとするが、これに対しシロが必死の抵抗。このやり取りが非常に面白い。あまりのシロの強情さにしんのすけは「いつもとキャラが違うゾ」とシロに言うが、シロは構わずさらに穴を掘り拡げ始める。これを見たしんのすけは「花咲じいさん」を思い出し、「大判小判がざーくざく」と叫んでシロと一緒に穴を掘り始める。すると文箱が発掘され、開けてみてみると「オラてんしょうにねんにいる」「おねいさんはちょーびじん」と書かれた手紙が入っていた。しかも「ぶりぶりざえもん」のイラスト入りで、誰がどう見てもしんのすけが書いた手紙である。
 しんのすけは「おねいさんはちょーびじん」で昨夜見た夢を思い出し、夢に出てきた女性を想いながら目を閉じる。そして再び目を開くと…そこは野原家の庭ではなく、見ず知らずの森の中であった。
 物語は唐突に戦国時代と接点を持ち、かと思ったらあっという間にしんのすけが戦国時代にタイムスリップさせられるという怒濤の展開だ。前回部分のようち園のシーンまでは物語に全く「動き」はなかったが、それを過ぎると容赦なく物語は急展開を見せるのである。
 そして謎の手紙の発掘という「謎」を抱えるが、多くの人はこのまますぐにしんのすけがタイムスリップさせられるとは思ってもいないだろう。タイムスリップの要素が物語の何処にもなく、タイムマシンや時間旅行の話題を一切無しにして冷酷に主人公をタイムスリップさせるこの物語は、タイムスリップはするが「時間旅行もの」ではないという点でこれまでのSFとは完全に一線を画している。目を閉じただけでタイムスリップ完了なんて乱暴なSFが、これまで何処の世界にあっただろうか?
 タイムスリップの緊張感も、醍醐味もないままにしんのすけは戦国時代へとタイムスリップさせられ、物語は現代と戦国時代の二元中継で流れるようになる。このきっかけとなったこのシーンは間違いなく本作の名場面の1つだ。
研究 ・天正二年
 本作の舞台は現代の埼玉県春日部市ではなく、天正二年の「春日の国」とされている。この「春日の国」については架空なので細かく追求しないが、「天正二年」は実在の年号なので無視するわけにはいかない。そこでまず最初に、しんのすけがタイムスリップした時代について研究しよう。
 天正二年は西暦で言うところの1574年、今から438年前のことである。これではわかりにくいか。
 この前年に当時力を付けつつあった織田信長による朝廷への働きかけによって、元亀から改元されたという。以降天正20年に文禄に改元されるまでの20年が天正年間という事になる。天正元年は一乗谷城の戦いや、小谷城の戦いが信長がさらに力をつけ、天正三年には徳川家康が長篠の戦いで武田勢を追い落とす。天正年間と言えば10年の「本能寺の変」を思い付く方は多いことだろう。関ヶ原の戦いまであと25年という時代である。
 世界史に目を向ければ、ヨーロッパでは宗教改革やルネサンスの時代である天動説から地動説へと天文学の考えが大きく変わり、ユリウス暦からグレゴリオ暦へと暦が変わった時代であって「科学の時代」の入り口であった。インカ文明、アステカ文明が滅び、マヤ文明も衰退して、「大航海時代」が「冒険」から「支配」へとその質を変化させたのもこの時代である。
 つまり簡単に言えば、恐竜時代までタイムスリップしたドラえもんを別とすると、本サイト考察作品でぶっちぎりで時代設定が古いということだ。考えて見れば「世界名作劇場」なんかもせいぜい19世紀前半なので、戦国時代に比べたらよっぽと最近なんだな。

…行き場に困ったしんのすけは、又兵衛によって春日の城下に連れて行かれる。そして殿と面会すると同時に、廉姫と出会う。
名台詞 「こう見えても、俺と姫様は幼なじみなのだぞ。父上が昔、殿のおそば近く仕えておってな、俺もよく連れられて行っては、姫様の遊び相手をさせられたものだ。いや、遊んだと言うより、手荒くこき使われたのだが…。俺も15の時からは戦に出るようになったのでお逢いすることも少なくなったが…いやぁ、本当に美しくなられた。他国の殿が何人も嫁に欲しいと言ってきておるが、なかなかお気に召す話がないようでな。いや、まったく我が儘な姫だ。」
(又兵衛)
名台詞度
★★★★
 しんのすけが春日の殿と対面した後、次に出逢ったのは殿の娘である廉姫だった。名場面欄シーンで廉姫と出逢ったしんのすけは耳まで真っ赤にして、又兵衛から廉姫についていろいろ聞き出そうとするが、又兵衛はしんのすけに聞かれてもいないのに、頬を赤らめながら自分と廉姫のことについて語り出す。この台詞がこれだ。
 しんのすけが廉姫について聞き出そうとしたのは、せいぜい独身かどうか程度であって、又兵衛との関係なんか全く聞いていないのである。その聞いてない話を一方的に始めるこの又兵衛の姿をみれば、多くの人が「惚れているね?」と感じるところであろう。こうして物語が本格的に回り出す前に、又兵衛が廉姫に惚れているという伏線を上手く張ったのがこの台詞であろう。
 惚れてなければ聞かれてもいないのに「幼なじみなんだ」とわざわざ言う必要は無いし、子供の頃によく遊ばれてやった話なんかする必要は無いのだ。その上で「きれいになった」を強調するあたりでもう「確定」ってところだろう。又兵衛はこの廉姫に対する想いを、無意識ではあるが誰かに言いたくてこの台詞を口にしたはずだ。それが視聴者に解るように台詞が上手くできている。
 そして本音では誰かに聞いて欲しいこの台詞の途中で、この台詞を横で聞いていたはずのしんのすけが姿を消している辺りも面白い。この辺りは「ギャグアニメ」の定番として動いている面もあるだろう。
 この台詞で持って、本作の主軸は又兵衛と廉姫の物語であることが浮かび上がってくる。物語が本題に入ったのはこの台詞からだという見方もできるだろう。
 又兵衛を担当するのは屋良有作さん。「小公女セーラ」でカーマイケル弁護士をやっていたあの人だ。本サイトで最も最近に出てきたのは「魔法の天使クリィミーマミ」の幽霊役だ。
名場面 出会い 名場面度
★★★★
 しんのすけが殿と対面した後、しんのすけを預かるように命じられて気が沈む又兵衛に「おい、青空侍」と女性の声が飛んでくる。画面が変わるとそこにいるのは美しい姫であり、視聴者は冒頭の夢シーンで出てきた女性だとすぐに理解するところだろう。「これは姫様…」と頭を下げる又兵衛と「姫?どこどこ?」と騒ぎ出すしんのすけ。台詞を続ける廉姫に、しどろもどろになって対応する又兵衛を無視するかのようにしんのすけは「おねいさーん、オラだよ、やっと会えたゾ」と声を挙げる。「廉姫様を知っているのか?」と問う又兵衛に「廉ちゃんっていうの?」としんのすけは現代っ子モード爆発だ。「姫、この者をご存じで?」と又兵衛が問えば、廉姫は「そのような可愛いお尻、始めて見たが」と返し、これにしんのすけが「オラ、お嫁に行けない」とお約束の反応をする。「そなたは未来から来たと聞いている、私といつ何処で会った?」と廉姫がしんのすけに直接問えば、しんのすけは頬を赤らめて「夢で…」と答える。廉姫は一瞬驚いた後、「面白い、明日改めて話を聞かせてもらおう」と言い残して立ち去る。
 本作のもう一人の主役、廉姫としんのすけの運命的な出会いシーンではあるが、このシーンに敢えてそのような緊張感を持たせず、いつもの「クレヨンしんちゃん」のワンシーンとして描いたのがとてもポイントが高い。夢に見た「きれいなおねいさん」を見て興奮するしんのすけの様子もいつも通りで、一国の姫と対面しているという緊張感は丸でない。これはこの直前シーンの殿との対面でも言えることだ。そしてしんのすけが尻丸出しで廉姫と初対面という状況を上手く使って、「お嫁に行けない」「尻を出すのが好きだと勘違いされる」といった「普段通りのギャグ」で場面を展開するのだから、「クレヨンしんちゃん」のファンにはたまらないシーンでもあろう。
 直前の殿との面会も含めて、ここでしんのすけに「現代っ子」を演じさせることはとても重要だと思う。又兵衛ら戦国時代キャラとの間にある差というものを明確にするという点で避けては通れない要素だろう。しんのすけが殿の前で尻を丸出しにしたり、廉姫を「廉ちゃん」と呼んでしまうといった「戦国時代シーンとして考えられない要素」が入ることで、しんのすけがその時代の人間とは違う事を明確にして物語を進めるのだ。
研究 ・春日の国とは
 今回は戦国時代での舞台となる「春日の国」について考察してみよう。本来、戦国時代に「春日」と呼ばれていた城は信濃国伊那(現在の長野県伊那市)、信濃国佐久(現在の長野県佐久市)、下野国(現在の栃木県佐野市)の3つであり、埼玉県春日部市とは無関係である。本作では「クレヨンしんちゃん」の舞台が春日部市であることを踏まえ、その地に架空の戦国大名と城を設定したと考えるべきである。
 天正年間の関東地方は、現在の神奈川県小田原市にある相模国小田原城を居城とする後北条氏によって支配されていた。春日の国を治める春日和泉守康綱は後北条氏支配下で、現在の埼玉県春日部市一帯を任されていたというのが正しいところだろう。劇中から石高などの経済状態を伺える描写はないが、そこそこ潤っているのではないかと推測される。
 この前の戦いで出来た岩月氏や、本作のメインの戦となる大蔵井氏などは、この春日の国と境界を接する国を治めていて、境界線などで頻繁に小競り合いが起きているのだろう。前回部分で描かれた戦いはそんな小競り合いのうちの1つと考えられる。恐らく岩月氏とは軍事力や経済力は拮抗しているか春日の国の方が少し高い程度であり、大蔵井氏は春日の国より高いと考えられる。大蔵井氏は廉姫の嫁入りの話が断られた事で「小国にバカにされた」と受け取ることからも、間違いないであろう。
 これらの国の今後だが、恐らく、織田信長や徳川家康による武田家征伐にも出兵しているであろうし、後に小田原城の戦いでも出兵して敗戦の憂き目を見ることになるのだろう。この時に岩月氏や大蔵井氏などと共に、領地を召し上げられて力を失ったと考えられる。いずれにしろ彼らは国の規模などから言って、戦国時代も末期に差し掛かりつつこの時代を考えればもう歴史に名が残る段階ではなかったのだ。

しんのすけは又兵衛の元に引き取られる。一方、現代ではしんのすけが行方不明になり、ひろしとみさえが探し回る。そしてひろしが置いてあった手紙を元に天正二年の地元の歴史を調べ、そこにしんのすけの名を発見する。
名台詞 「しんのすけのいない世界に未練なんてあるか? みさえが嫌だったら、俺一人でも行く。」
(ひろし)
名台詞度
★★★★★
 消えたしんのすけと引き替えに発見された手紙にあった「天正二年」の文字、郷土史を調べれば合戦の際に「野原信之助とその一族が奮戦」の記述。これを知ったひろしは「しんのすけが戦国時代にタイムスリップした」「続いて自分達もタイムスリップすることになる」ことを悟る。そして旅支度をしながらそれをみさえに語るが、みさえはまだ信じられない。「過去に行ったとしてどうやってどうやって返ってくるの?」とみさえが聞くと、ひろしは「知らん」とキッパリ言った後に、みさえにこう突き付ける。
 これは世の中の子供を持つ親を唸らせた台詞だろう。子供への愛情をこうもキッパリと言えるというのは凄いことだ。だけどこの時のひろしとみさえのように、大事な子供が何の手がかりも残さずに行方不明になっていたら…やはり親としてはこう言うしかないだろう。もちろん私もこれはとてもよく理解出来る。愛する息子が、娘が突然自分の目の前から姿を消し、ここに戻ることはないという条件でなら会えると言われれば、何の未練もなくその術を取ることだろう。それが親の子に対する「愛情」というものだ。
 だからひろしは、例え戻れなくなるとしても戦国時代へしんのすけを追う事を選ぶのである。このひろしの台詞は何度聞いても頷いてしまう。
 これに対するみさえは…次点欄へ。
(次点)「わかったわよ、私も行くわよ。しんのすけに会えるなら、戦国時代でも何処へでも行ってやろうじゃないの!」(みさえ)
…上記のひろしの台詞に、みさえはこう答えた。これまで「戦国時代にタイムスリップ」説に懐疑的だったみさえは考えを改める。そして唯一のしんのすけの手がかり「戦国時代」に、夫と共に賭けてみようと決意した瞬間である。彼女の台詞にも「息子を捜し出したい母」としての気持ちが十分に込められており、言い方を変えれば「戦国時代」という唯一の手がかりにすがろうとしているのかも知れない。いずれにしても名台詞をどっちにするか悩んだ場所だ。
名場面 しんのすけvs又兵衛 名場面度
★★★
 又兵衛の家に着いたしんのすけは、「何かがらんとしているね」と又兵衛に言う。「俺と仁右衛門達だけだからな」と言いながら腰を下ろす又兵衛に、「他の家族は?」としんのすけが問う。「皆死んだ」として母が病気で、他の家族は戦で生命を落としたことを語る。逆に又兵衛が「お前の家族は?」と問うと、しんのすけは「みんなお元気だよ」と元気よく答える。続いてしんのすけが「お嫁さんはいないの?」と又兵衛は威厳を持って「妻や子がいればこの世に未練が生まれ、戦場でよい働きが出来ない」と説くが、しんのすけは何を勘違いしたか「男が好きなの?」と問い、狼狽する又兵衛に「おなごが好きなら早く嫁をもらったらよい」と仁右衛門の声が飛んでくる。「戦場では鬼と恐れられているが、おなごが相手だとどうしようもない臆病者なんだ」と仁右衛門がしんのすけに語り、又兵衛には「もっともらしいことを言っても井尻の家名が途絶えてはどうしようもないぞ」と説く。と思ったら仁右衛門は妻に耳を引っ張られて退場するが、それを見て「昔も女房が強かったんだね」と又兵衛に言うと、又兵衛は静かに「あの夫婦も、せがれを戦で亡くしているのだ」と語る。
 このシーンのしんのすけと又兵衛の掛け合いにおける、しんのすけの言動は臼井儀人作品らしくてとても好きだが、このシーンにおいてのみどころはそこではない。その冗談シーンも含めたしんのすけと又兵衛のやり取りから、現代とは違う日常生活にまで入り込んだ「死の気配」を感じる事である。家族が全部揃っていないのが普通の又兵衛や仁右衛門、家族みんなで幸せな日常を過ごすしんのすけ、これを対比させることでしんのすけの日常が「幸せ」であることを認識させるのがこのシーンであり、また又兵衛や仁右衛門に現代人にはない「重み」を感じさせるシーンでもあるだろう。
 こうして見ると、又兵衛より仁右衛門の方がその「死の気配」にとらわれているようにも感じる。やはり亡くしたのが息子で、しかもそれを悲しむ肉親が夫婦という形で二人揃っているのが大きいのかも知れない。だからこそこの悲しみを乗り越えて笑う仁右衛門夫婦の姿も、このシーンでは強烈に印象に残ったりするのだ。
研究 ・ひろしが「春日合戦」について調べるシーンから
 今回、ひろしはしんのすけが残した手紙を元に、「天正二年」の郷土史を調べることになる。そこには春日康綱と大蔵井高虎による「春日合戦」の記事があり、ここに「野原信之助のその一族」の名が出てくることを発見する。
 ここには春日康綱に対し、大蔵井高虎が「春日征伐」の名の下に二万の軍勢で春日状に攻め込んだ事が記されている。画面上に出てくる文献には、この合戦や春日城について「春日文書」という古文書に記されていることが明記されている。この文献は画面上に全文が写り込むわけではないのでハッキリしたことは解らないが、大蔵井が「千殺し」や「兵藤攻め」といった包囲網作戦を得意としていること、にも関わらずこの戦いでは長期包囲をせずに一気に攻め込んだ事、これに対し春日側が苦戦し、僅かな望みを賭けて少数で大蔵井の本陣ほ攻め込む作戦を採ったこと、この作戦に「野原信之助とその一族」が奮戦したこと、野原一族の働きにより大蔵井兵の大軍は動揺し本陣への切り込みに成功したこと、この野原一族が奇妙な武具を使用したがその資料が残されていないこと等が書かれていることが解る。
 またこの文献には「春日城」の城趾も写真入りで紹介されている。このことから解ってくることは、劇中の「春日部市」では本来フィクションであり実在しない「春日城」や「春日合戦」についての史料を保存し、研究していることは確かだろう。春日城趾は史跡などに指定されていると考えられる。
 しかし、ここに出てくる「春日城趾」の写真では、城下すぐのところに川が流れているが、戦国時代の春日城にはこの川は出てこない。これは思うに、明治期以降の治水対策で川の流れが変える工事がなされたのだと推測される。そうなればその治水工事の折に、この場所から「春日合戦」の爪痕が数多く発掘されたに違いない。しかし、このシーンから主人公達の舞台の明治期以降の歴史まで見えてくるとはなぁ。

…翌日、しんのすけと又兵衛は廉姫の元を訪れる。
名台詞 「しんのすけ、私は是非聞きたいことがある。そなた達の世界の男女は、どのように恋をする?」
(廉)
名台詞度
★★★★
 しんのすけは又兵衛に連れられ、廉姫の元を訪れて21世紀世界の話をすることになる。その中でひろしとみさえのモノマネをして廉姫をさんざん笑わせ、廉姫の気遣いでしんのすけは物語冒頭に出てきた手紙を書くことになる。それらが済んだ後、廉姫は急にかしこまってしんのすけにこう聞くのだ。
 もちろん、この台詞が出てきたからには廉姫にも想う人がいることが確定するというものであろう。そしてその想い人は廉姫から見ても相手から見ても当時の「身分」と「立場」のせいで、決して結ばれることのないであろう相手。さらに言えばその相手と相思相愛であることを、廉姫自身が見抜いていることまで、この台詞が示唆していることは多くの人が理解することだろう。
 当時の「姫」という身分では、好きな人に自由に恋をすることなど叶うはずもない。この台詞の後に又兵衛も言う通り、姫の嫁入りというのは家と家、国と国を繋ぐ重要なものであり、その国の情勢でもって決まるものである。つまり姫というものは「外交」の切り札であり、「外交」の道具なのだ。このような立場で「恋愛の自由」を奪われている廉姫にとって、異世界から来たしんのすけから是非聞いてみたいのは違う世界にも自分のように「ある人が好きだ」という想いを封じ込まれている人がいるという期待だったかも知れない。だがしんのすけは現代一般人の恋愛に、身分や立場の差別がないことをさらりと言ってのける。しんのすけのこの台詞に対する回答は、廉姫の「好きな人に好きという想いをぶつけたい」という気持ちの背中を押し、ここからの物語を大いに盛り上げることになる。そういう意味ではとても重要な台詞であろう。
(次点)「俺は…俺は一介の家臣に過ぎん。それなのに、一国の姫に対し、そのような大それた想いを…。」(又兵衛)
…廉姫の元を訪れた後、物見櫓の上で又兵衛はしんのすけから「廉姫のことが好きなのか?」と追求を受ける。又兵衛は違うと言い張り、続いてこの世界には身分というものがある説くが、「身分がなかったらどうするの? 廉ちゃんに好きって言う?」としんのすけに訊かれるとこの台詞で持って廉姫への想いを認め、物見櫓の柱に頭を打ち付ける。この台詞と又兵衛の行動に「口にしてはならぬ事を口にしてしまった」という想いが上手く表れていて印象深い台詞だ。そしてここで又兵衛が自分の想いを正直に述べたことも、物語が転がり始めるきっかけとなる。
名場面 金打 名場面度
★★★★★
 名台詞次点欄のような過程で、物見櫓の上で自分の廉姫への想いを白状させられた又兵衛は、しんのすけに固く口止めするように言うだけでなく、「男同士の誓いをせよ」としんのすけに迫る。しんのすけは「自分達の世界での男同士の誓い」として、腕を「くいっ」と上に上げるポーズを取って又兵衛にこれをやらせる。これに対し不思議がる又兵衛が、しんのすけに「男同士の誓い」として金打をするよう提案する。
 しんのすけが「緊張」と勘違いするおやくそくを挟んで、又兵衛はしんのすけに小太刀を渡すと共に、自分の刀を用いて金打の作法を説明する。その上で「行為は簡単だがこれは重い誓いの作法なのだ。武士が金打しその約束を破れば、それはもう武士ではない、心せよ」と付け加える。そしてしんのすけと又兵衛が向き合って、金打をする。
 このシーンでしんのすけと又兵衛の関係が変わる。これまで二人の関係は「どこからともなく現れた幼児」と「その世話をすることになった大人」の関係でしかなかったが、この物見櫓のシーンからは、又兵衛の秘密を共有する関係となる。この象徴こそがこの金打であり、序盤から中盤へと移行しようとしているこの部分で最も印象的なシーンだろう。
 ここでは又兵衛がとんのすけにのせられて、腕を「くいっ」と上げる仕草をやらされると同時に、しんのすけが真剣に金打を行うことで、この現代人しんのすけと、戦国人の又兵衛の時を越えた絆というものが描かれる。このような要素でひろしやみさえが演じる「しんのすけに対する家族の絆」を前提条件にまでして演じられる「本題」要素が、ここにおいて完成すると言って良いだろう。
研究 ・金打
 この部分で最も印象的で、しんのすけと又兵衛の関係を印象付ける行為は、しんのすけが又兵衛の廉姫への想いを知ってしまった事を二人だけの秘密にすべく行った「金打」である。
 本シーンではしんのすけが又兵衛の小太刀持ち、又兵衛が自分の刀を持ち、互いに向き合ってつかを持ち少し抜いて戻すという行為であった。
 「金打」とは劇中で又兵衛が説明したように、互いに約束を違えぬという誓いの印である。この誓いとして互いに金属を打ち合わせることで、誓いの証としたことから「金打」と言われる。武士の場合は劇中で演じられたように刀を少し抜いて元に戻すなどの行為で、女性同士ならば互いの鏡を打ち合わせることで、僧侶ならば鉦を打ち合わせることで、それぞれ約束を守るという証にしたのだ。
 この「金打」という風習がいつ頃からあるのか、調べてみたらなんと江戸時代の風習だそうで…これでは戦国時代が舞台の本作に出てくるのはおかしいかも知れないが、印象深いシーンなのでここは深く突っ込まないことにしよう。「金打」が出てくる物語として有名なのはなんと言っても「忠臣蔵」だが、こちらでは「約束を守る」というより「武運長久」を願う意味で「金打」が使われている。約束の誓いという意味だけではないようだ。
 この「金打」についていろいろ調べてみたが、検索すると引っかかるサイトの多くは「クレヨンしんちゃん」関係だったりするのでビックリ。

…しんのすけは、城下の子供達が結成する「おおまさ一家」に出会い、彼らの「ひみつの場所」へ向かう。そこはしんのすけがタイムスリップしたときに現れた泉の場所。そこに廉姫が現れ、その後を野伏が付けていた。
名台詞 「待て、お前達。大して無いが、これを持って行け。お前達も以前は何処かの家中に仕えておったのだろう。侍になりたかったのであろう。もう一度、仕官してやり直せ。」
(又兵衛)
名台詞度
★★★
 「おおまさ一家」が秘密の場所としている泉、ここに廉姫が現れる。悲しそうな顔をして緑の草に飛び込む廉姫に、5人の野伏が襲いかかる。これを見たしんのすけと「おおまさ一家」の面々は咄嗟に飛び出して廉姫を救おうとするが、逆に捕まってしまう。そこへ又兵衛が登場し、あっという間に野伏を全員倒す。又兵衛に一方的にやられて意気消沈している野伏に、又兵衛は少ない手持ちの金子を投げ渡しながらこう言う。
 いやーっ、この前後では又兵衛カッコ良すぎ。廉姫のピンチにどこからとも無くさっそうと登場し、見事な立ち回りで野伏を倒して姫を救うだけでもカッコイイのに、この台詞でビシッと決める。この5人が何故野伏となって人々に危害を加えるかを見抜き、その当人達に「このような生活を続けては何の得にはならない」という事を直接説くのでなく、おおらかな心でもって黙って彼らに「やり直す」機会を与える。それもただ「やり直せ」と言うのでなく、彼らがやり直すための道に乗れるまでの資金的支援がなければ、結局彼らが同じ行為を繰り返すより他に道がないことも解りきっている。「金」と「言葉」で説得力を得るという行為である。
 この言動は野伏一味の不満を取り除くことになる。彼らが略奪行為をするのは、武士になりきれなかった彼らにとって今日を生きていくために必要であり、かといって武士の落ちこぼれであり野伏に身を落とした彼らを武士として使ってくれる家も無いであろう。そんな者達に言葉だけでなく僅かながらの金と一緒に来た暖かい言葉は、彼らを「又兵衛についていく」と決意させるだけのものがあったはずである。
 この後のシーンで野伏の中の二人、彦蔵と儀助は又兵衛の家来になることを決意し、又兵衛に頭を下げて仕えさせてくれと懇願する。この二人の変化に対し、説得力を持たせるとても印象的な台詞だ。「クレヨンしんちゃん」らしい台詞ではないが。
名場面 又兵衛と廉姫 名場面度
★★★★★
 名台詞シーンの後、又兵衛と廉姫がこの地での思い出話を語る。又兵衛が少女時代の廉姫がこの場所が好きだったことを思い出し、「今でもよくいらっしゃるので?」と訊けば「ああ、来てはお前が戦で死なぬよう祈っている」と廉姫は答える。「ご冗談を、姫様も人が悪い」と顔を真っ赤にして照れる又兵衛。また二人は過去の二人と現在の二人について語るが、廉姫は又兵衛の手から血が出ているのを見つける。「葦の葉で切ったのでしょう」と語る又兵衛の手を取り、自分の手ぬぐいで止血する廉姫。顔を真っ赤にして「そんな大袈裟な、かすり傷です、つばでもつけておけば…」と又兵衛が訴えるのにも構わず、廉姫は又兵衛の手に手ぬぐいを巻く。「お前は、昔も私の我が儘のせいでよく傷を作っていたな」…廉姫が静かに語る。そして無言で向かい合う二人、11秒の沈黙を置いて廉姫は又兵衛の胸の中に飛び込む。顔を真っ赤にして意気が上がる又兵衛、頬を仄かに赤く染めて又兵衛の胸の中に頬を埋める廉姫…今度はそのまま18秒間の時が流れる。又兵衛はやっとの思いで廉姫を自分の身体から引き離し「どうか…どうか…」と言ったと思うと、後ずさりして土下座し「お戯れが過ぎます…」と言うのが精一杯だが、又兵衛の表情が少し笑顔になる。この状況を見てしんのすけは目が点になり、おおまさ一家の面々はそのままフリーズする。固まっているしんのすけに又兵衛が声を掛けると、しんのすけは小走りで又兵衛の元へ行ってその足を蹴る。「おじさんの嘘つき」…しんのすけが言い残すと又兵衛は「嘘ではない」と言うが、しんのすけは納得しない。
 長いシーン説明になったが、このシーンは本作で私が一番好きなシーンの1つである。これまでの様々な場面で又兵衛が廉姫に惚れていることは確定し、また廉姫にも誰か好きな人がいることは示唆されている。そしてその廉姫の想い人が又兵衛かも知れない程度の描かれ方はされており、また廉姫は相思相愛であることも知っているようにも見える。それらの「点」が全て繋がるのがこのシーンだ。廉姫は様々な言葉で又兵衛に接近し、続けて又兵衛の手の傷を自分で処置するという段を踏み、遂に廉姫は自分の想いを胸に秘めておくことに耐えられなくなる。その結果、彼女は大胆にも「相手の胸に飛び込む」という手段でその想いを伝える。
 そして又兵衛の反応が面白い。彼にとってこの廉姫の行動は全く想定外だったはずだ。自分の思いが叶うという彼の正直な想いと、春日家に仕える武士としての身分や立場の板挟みに合っている彼の気持ちがよく出ていると思う。彼は一度は廉姫を受け入れ、その想いから緊張し、緊張から身分を思い出して廉姫を引き離して「身分」を考慮した場合に自分が取れねばならぬ行動を忠実に行う。だがその後の彼の軽い笑顔は、自分の思いが叶うという安堵が込められているはずだ。
 さらにここで重要な点、しんのすけと一緒にいるおおまさ一家が描き忘れられていない点だ。目が点になるしんのすけだけでなく、この前に出てきた画のままでフリーズしているおおまさ一家の様子は、廉姫の大胆な行動を見ている者に印象付けるだけのものがある。こうして二人が相思相愛であることをハッキリさせ、物語は二人の恋物語を軸とした展開へと突き進むことになるのだ。
研究 ・ 
 

…この泉がしんのすけがタイムスリップして現れた場所と知ると、皆は穴を掘って文箱を埋める。それを脇で見ていた廉姫が物音に気付いて振り返ると、そこにはひろしが運転する野原家の自動車の姿があった。
名台詞 「空しいのう…。戦に明け暮れ国を守っておるが、いずれは消え去る運命か…。どこぞの大国に飲み込まれるのやも知れぬのう。(中略)この乱世に春日のような小国が生き残るには、大国と手を結ぶしかない。じゃが、そんな大国のどれもこれもがこの者達の時代には、きれいさっぱり滅び去っているという…。(中略)決めた! 廉、此度の大蔵井家からの申し入れ、断る事にする。よいよい、大蔵井と同盟を結んだところで対等の立場にはなれん。それに大蔵井高虎という男、なかなかのやり手らしいが、どうも非情なところがあってわしは好きになれん。」
(康綱)
名台詞度
★★★
 天正二年にタイムスリップしてきた野原家の面々は、廉姫の助言もあってひとまず春日城へ行くことになる。そして康綱にカレーライスを献上すると共に、康綱と面会してひろし21世紀の情勢や、それまでの歴史について語ったのであろう。それを知った康綱はこう語って、大蔵井家から廉姫を嫁入りするよう申し入れがあった件について断る事を決意する。
 歴史に名を残すことになる大大名や名武将ならともかく、今日国を守るのに必死な小国の殿が戦国時代から見た未来の話を聞けばショックを受けるのは当然であろう。自分達が歴史にに名が残らないだけならともかく、同盟を組もうとしたちょっと近くの格上の大名ですら歴史に名が残らない。さらに大蔵井のすぐ上についている大名ですら歴史に残っていないのだろう。歴史に残っていないということは、将来は何処かで敗北して滅びることに他ならず、自分達がどんなにがんばっても永遠の繁栄がないことを知ってしまったのだ。
 それだけでない、彼らが生きている社会システムそのものが消え去ることも、康綱は知ることになる。武士や侍が国を守って戦う時代は終わると共に、彼らが守っている国や社会システムが崩壊して行く。これらも含めて康綱は空しさを感じたのであろう。
 だからといって希望をなくしてしまうようでは、戦国大名など務まるはずもない。彼が取った道は、ならば力のある国と同盟を結んで国を好き勝手にされる事ではなく、自分達が存在している間だけでも独立を守り抜き、自分達らしく生きていこうという道である。力のある大蔵井と組めば「対等ではない」だけでは済まないことを康綱だけは知っているのであろう。たとえ戦になって滅びる運命にあるにしても、独立を守り自分達の存在を守ろうとしたのだ。
 そして、この決意が本作後半の物語を形作る「戦」に繋がるきっかけとなる。これまでのんびりと戦国時代の風俗を描いていた物語が、「戦国大合戦」らしい展開へ回り出すきっかけが、この台詞であるのだ。
名場面 野原家タイムスリップ 名場面度
★★
 又兵衛は、しんのすけからここに将来しんのすけの家が建つと聞き、おおまさ一家の子供達と共に城でしんのすけが両親に宛てて書いた手紙を埋めることにする。それを傍らで眺める廉姫が「この泉も、いずれ涸れるのだな」と呟くと、しんのすけは前名場面シーンの怒りを引きずっていてあからさまに不機嫌な声で「うん、たぶん」と返す。これを聞いた又兵衛は緊張した表情で皆に文箱を埋めるよう促す。文箱を埋めて皆が手を洗いに泉に走ると、傍らの廉姫が「音」に気付いて振り返る。その「音」は戦国時代に似つかわしくない、自動車のエンジン音だと見ている者は気付くであろう。廉姫が驚いて振り返ると、そこには緑色の自動車が止まっていた。振り返った廉姫に気付いて車内のひろしが大声を上げると、これに気付いた又兵衛が廉姫を守るべく刀に手を掛ける。しんのすけが「父ちゃん、母ちゃん!」と叫んだと思えば小声で「いくら何でも早すぎるゾ」と呟き、ひろしが自動車から下車してしんのすけを抱き上げる頃には又兵衛も構えを解いている。「父ちゃん、廉ちゃんとおまたのおじさんだよ」としんのすけが紹介すると、ひろしは「どうも」と頭を下げたと思うとしんのすけを抱いたまま自動車に飛び込み、みさえと共に「もどれ、もどれ、もどれ」と繰り返し呟く。だがひろしもみさえも戻れるはずがない。
 映画が始まって既に50分、全編の半分を越えたところでやっと本作で必要なメンバーが全員揃ったと言えるシーンだ。そしてこのひろし、みさえ、ひまわり、シロという他の野原家の面々のタイムスリップは、しんのすけのタイムスリップ以上に唐突なシーンとして描いた。いや、正しくは21分も前に、ひろしが皆でタイムスリップをすべくシロが掘ってしんのすけからの「手紙」を発掘した後に車で突入するシーンは描かれているが、その後に色々あって多くの人がそんなシーンがあったことを忘れかけている頃合いである。そんな絶妙なタイミングを狙ってひろしたちがタイムスリップしてくるのは、とても面白いと感じた部分である。
 そしてしんのすけのタイムスリップと同様に、タイムマシンや時間旅行という概念無しに、容赦なくタイムスリップをさせられるというある意味冒険的に描かれているのも面白い。理屈抜きのタイムスリップだからこそ、しんのすけのケースもひろしとみさえのケースもとても印象深いのかも知れない。タイムスリップに原理や仕掛けをくどくどと説明するより、このようにあっさりとタイムスリップしてしまう本作は、「タイムスリップもの」の新境地を開いたと私は思う。
感想 ・ひろしが康綱に何を語ったか
 タイムスリップしてきたひろしやみさえは、廉姫の助言もあってひとまず春日城へ行くことになり、「カレーライス」を献上すると共に春日康綱との対面を果たす。この行間としてひろしは康綱に現代社会についてや歴史に着いた語ったと思うが、その内容がどんな物であるかをここでは推測してみたい。
 まずひろしが語った事は、21世紀初頭の時代の社会情勢についてであろう。現代の日本には武士などはおらず、民主主義によって庶民の代表者を決めて政治を行っていることや、その前提として日本列島が政治的に統一されている事も語ったであろう。京の都とは別に江戸が大都市として整備され東京となり、天皇もこちらにいることを語ったに違いない。そして戦はなく平和な社会であることや、平和の脅威が日本の外の国にあることも語ったであろう。
 それと歴史についても語っていると思われる。だがひろしは特別歴史に詳しいわけではなさそうなので、学校の歴史の授業で一般的に習う流れで話をしたはずだろう。織田信長が全国を統一して戦国の世を終わらせようとしていること、その織田信長の野望は数年後に裏切りによって潰えること、代わりに信長の下で働いている豊臣秀吉が天下統一を成し遂げること、だが秀吉が死ぬと今度は徳川家康が天下を取って江戸に幕府を置くこと、この徳川幕府の成立により戦国の世が終わり、200年以上に渡って徳川家支配の世の中が続くこと、その後は天皇中心の民主主義近代国家へ移行して武士の世の中が終わること…。
 こんなこの先の話を聞かされた戦国人、しかも小国の大名であれば名台詞欄で紹介したような反応をするのは不自然ではないと思う。遠かれ近かれ自分達が国を守る時代は終わるのであり、また武士が世を守る時代も未来には消えている。戦国を生きる武士にとって、それは空しいことであろう。
 ただ、ひろしは自身が図書館で調べた春日康綱の近い将来の話…つまりこの作品中で勃発することになる「春日合戦」や、その勝敗の行方については語っていないと考えられる。また春日康綱がこの戦を乗り越えてどうなるかは知らないであろう。
 また康綱もその辺りを知ろうとしなかったに違いない。康綱は敢えて日本の歴史については全体的な流れを聞いただけで、その中で自分がどうなるのかについてはひろしも語らなかったし聞き出そうとしなかっただろう。ただ解っているのは、信長や秀吉による全国統一の過程で自分達が消えるであろう事だけだ。信長や秀吉という存在は知っていて、それが自分達の上位にいる大大名とは敵対している事も知っているのであろう。
 康綱がこの物語の後どうなったかについては、後の方で考察してみたい。

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