…野原一家が大蔵井高虎を討ち取ったと勝ちどきを挙げた又兵衛は、しんのすけ一緒の馬に乗せてに城へ戻る。廉姫は又兵衛の無事を知り、又兵衛の姿が見えると櫓の上から大きく手を振る。 |
名台詞 |
「うん、こんなに人を好きになることは、もう二度とないと思う。だから、私はこれから先、誰にも嫁がない。」
(廉) |
名台詞度
★★★★ |
又兵衛の死の後、野原家一家は元の世界に戻るべくあの泉のところへやってくる。見送りに来た廉姫はしんのすけと並んで腰を掛け、「又兵衛が戦で生命を落とすことを、私は判っていたのかも知れない。多分、又兵衛自身も。私の願いが届いたせいで、しんのすけには辛い思いをさせてしまったな」と語り出す。これに対ししんのすけは「廉ちゃんはおまたのおじさんと結婚したかった?」と問うと、廉姫は遠くを見つめてハッキリとこう答える。
私はこの台詞で本作が「又兵衛と廉姫の恋物語」として完成したと思う。又兵衛は死の間際に廉姫への想いを語りかけ、それに対するアンサーとして廉姫のこの台詞があるのだと思う。その廉姫は又兵衛への想いが一点の曇りのない確かなものであったことをこの台詞を通じて見る者に訴える。二人が想い合い、そして片方が生命を落とし、遺された者はこのように想いを継いで生きて行く、こうして「恋物語」が完成したのである。
この台詞に対してしんのすけは「本当はおじさんも廉ちゃんのことを…」と言いかけるが、廉姫は「もうよい!…もうよいのだ、しんのすけ」と涙を流してその言葉を遮る。これは廉姫に又兵衛の思いも通じていたことを示唆していて、廉姫は又兵衛を失った後でその想いを改めて知らされるのが辛かったのである。しんのすけは危なく又兵衛の気持ちを喋ってしまいそうになった事を反省し、ここで又兵衛の形見の小太刀で「金打」をする。
こうして物語が上手く成立したところで、戦国時代での物語は幕を閉じる。 |
(次点)「しんのすけ、お前が何故俺の元へやってきたか、今わかった。俺はお前と始めて会ったあの時、撃たれて死ぬはずだったのだ。だが、お前は俺の生命を救い、大切な国と人を守る働きをさせてくれた。お前は、その日々を俺にくれるためにやってきたのだ。お前の役目も終わった、きっと元の時代へ帰れるだろう。馬鹿、泣くな、帰れるのだぞ。そら、これをやろう。お前の言う通り、最後にそれを使わないでよかった。きっと姫様も同じことを…」(又兵衛)
…又兵衛の最後の台詞である。又兵衛は生命と引き替えにしんのすけ達が何で自分のところに来たのか、それによって自分に何が出来たのかを知ることになる。彼は「大切な国と人を守る」と言っていたが、それが両方とも廉姫に掛かっているのは言うまでもない。そしてしんのすけに感謝するのはそんな働きをさせてくれたことだけではない、前回部分の名台詞欄で語ったように戦とはいえ、廉姫がむやみに人を殺すことを願っている訳ではないことを知っている。敵の首を取ることではなく、自分が無事に帰ることが廉姫にとって一番大切であり、それを気付かせてくれた事にも感謝しているのだ。そのしんのすけへの感謝が上手く表現されている台詞だ。 |
名場面 |
又兵衛の死 |
名場面度
★★★★★ |
戦を終えた又兵衛達が城へ戻ってくる、その又兵衛達の姿を櫓の上で廉姫が見下ろしていた。廉姫は大きく手を振ると、しんのすけが「あれ廉ちゃんじゃない?」と又兵衛に声を掛ける。大きく手を振る廉姫を見て、又兵衛は頬を赤らめて見上げる。そして安堵のため息を付く廉姫…その戦の後ののんびりした光景を打ち崩したのは、一発の銃声だった。
画面が「何?今の音?」と言うしんのすけに変わる、すると又兵衛は力無く落馬するのだ。「おじさん? どうしたの?」しんのすけは落馬した又兵衛の元に走る。「撃たれたらしい…」力無く言う又兵衛の声に、しんのすけだけでなく仁右衛門達にも動揺が広がる。そして名台詞次点欄の長い台詞を吐く。この台詞が終わると、又兵衛はそのまま絶命する。しんのすけは又兵衛からもらった小太刀を手にして、大粒の涙を流して泣く。その涙が小太刀を伝って流れる様と、倒れた又兵衛の青地に白い雲の旗印。「誰じゃ、誰がやった!?」叫ぶ仁右衛門、「おのれか?」「出てこい!」と敵兵に刀を向ける儀助と彦蔵、そしてその迫力に鉄砲を捨てて退散する大蔵井の武士達。櫓の中で静かに泣く廉姫…。
戦に勝って国を守った又兵衛が、突如倒れる。そしてそのまま又兵衛が死ぬシーンはこの映画最大のヤマ場であり、感動シーンであると行っても良いだろう。しんのすけは目の前で信用していた大人の、廉姫はこれまで想い続けた人の、仁右衛門達は尊敬する主人の、それぞれの死を目の当たりにし、それに対する反応を見せる。
さらに又兵衛はしんのすけに、しんのすけに欲しいと言われた際に「父の形見」だとして断った小太刀を渡す。これは名台詞次点欄の内容の通り、又兵衛のしんのすけに対する感謝の気持ちだ。そしてしんのすけはその感謝の気持ちを、幼いながらもしっかり受け取った。だからしんのすけは他作品では見られないような大粒の涙を流すことに説得力が出るし、その大袈裟な泣き方で白けることもない。しんのすけと又兵衛の間に確かな友情が生まれていたことがハッキリして、このシーンで涙した人も多いことだろう。
そして仁右衛門達の気迫は彼らがどれだけ又兵衛を信頼していたかがわかる、特に儀助や彦蔵は明確に又兵衛に助けられたシーンが描かれていることもあり、これまた彼らの言動も説得力があるものとなっている。
そして廉姫は画面に顔を向けず静かに泣くシーンが数秒間映るだけだ。だが廉姫についてはこれだけで十分その想いが伝わってくる。彼女が面と向かって泣きじゃくるようでは大いに白けてしまう。この廉姫の静かな泣き姿こそが、名台詞欄のシーンに説得力を持たせたと言って良いだろう。 |
研究 |
・誰が又兵衛を殺したか? 「又兵衛の死」は本作では避けて通れないエピソードである。又兵衛の死を通じてしんのすけと又兵衛の間にしっかりした友情が生まれると共に、しんのすけは又兵衛から男としての生き方を教わったことを知り、同時に「死」というものの悲しさを知る。
ではこの物語を作るために、又兵衛は誰に殺されたのかという問題に迫ってみよう。
そのヒントは又兵衛が撃たれて馬から落ちたシーンにある。又兵衛は胸に銃創があり、急所を一撃されたことがわかる状況だ。又兵衛の身体を撃ち抜いた弾丸は、馬に乗っていた又兵衛の姿勢などを考えると人の背丈より少し高いところを抜けていったように考えられる。つまり銃を撃った相手も馬に乗っていない限り、地面に近いところから斜め上へ向かう銃弾に撃たれたと言うことはわかる。
一般的に銃創というのは、弾が身体に入る方はきれいな形で、出て行く方は乱れた形になってることが多いという。又兵衛の胸の銃創はきれいな丸なので、銃弾は又兵衛の胸から背中に抜けたと考えたいが、この説を採ると大問題が発生する。それは又兵衛としんのすけが馬に乗っていた姿勢を考慮すると、同時にしんのすけは頭を打ち抜かれて死んでしまうことになってしまうのだ。しんのすけが無事でいるためには又兵衛は背中の低い位置から撃たれ、貫通した弾は心臓付近の胸から出て行ったと考えたい。そうすれば弾丸はしんのすけの頭上を通過するはずだ。そうだ、又兵衛の胸の穴はあくまでも鎧に開いた穴で、銃創ではない、そう解釈すべきだ。
すると一番怪しいのは又兵衛の後ろに続いていた春日の軍勢である。彼らの誰かが持っていた鉄砲が暴発したのだろう。だが城へ帰る春日の軍勢の隊列を見ていると、前の方にいるのは槍を持っている武士だけで鉄砲隊はいない。つまり春日側の鉄砲隊に、上述の形で又兵衛を撃てる位置にいた武士はいない事になる。
又兵衛が死んだ直後、仁右衛門らが大蔵井側の鉄砲隊に「誰がやった?」と叫んでいた。つまり又兵衛が落馬した付近に敵の鉄砲隊がいたのは事実のようだ。この中の負け戦が信じられない誰かが又兵衛を狙って引き金を引いたか、あるいは銃が暴発したかのどちらかであろう。もし故意であればこの状況だとすぐに返り討ちに遭う事は明らかなので、草陰に隠れてコッソリ撃ち、すぐ逃げたに違いない。
個人的な解釈としては、しんのすけが戦国自体にタイムスリップして最初に出てきた岩月の武士ではないかと思う。彼らは戦の時に敵陣に潜伏し、敵の大将を撃つのを専門にしているゲリラ部隊なのだろう。その彼らが大蔵井の命を受けてコッソリと又兵衛に近付き、撃ったと私は解釈している。野原一家が高虎を討ち取った瞬間に停戦となり、彼らにも引き上げの指示が出ていたに違いないが、その前述シーンに続いて二度も又兵衛を逃がすことを由とせず、引き揚げ命令に逆らって又兵衛を撃った…と私は考えているのだ。 |