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・「クレヨンしんちゃん(劇場版) 嵐を呼ぶアッパレ!戦国大合戦」総評

・物語
 物語は大きく3編に分けられる。最初は物語が始まってからしんのすけが戦国自体に落ち着くまでであり、本作の「出だし」といえる部分である。
 ここでは物語の予兆を出したかと思うと、ほぼ寄り道せずに現代人である主人公を戦国時代に放り込み、その中での設定構築やキャラクターの確立という展開を取り始める。寄り道をしたのは序盤のようち園でのチャンバラごっこのシーンだけであり、これも中盤で戦国時代の「かすかべ防衛隊」に似た面々を出す伏線という役割を持ったシーンである。
 そしてこの最初の部分は、後の物語に時間を割くためかかなり短い時間でまとめているのが特徴だ。その部分はオープニングテーマ部分を含めて僅か25分でしかないが、それでまとめるためにかなり強引な手法を取っているのも事実である。その中でも「しんのすけのタイムスリップ」は時間旅行ものに付き物の「タイムスリップの論理」という要素を一切省き問答無用でタイムスリップさせた点は、物語の本筋に集中出来るので評価出来る点だ。
 その「短くまとめる」という中でも、「クレヨンしんちゃん」の定番とも言えるギャグを省いていないのも見どころである。ひろしが夢に出てきた廉姫を思い出し鼻の下を伸ばすことや、それに対するみさえの反応、いつもの野原家の朝のドタバタ劇、ようち園でのしんのすけと「かすかべ防衛隊」面々とのお遊びシーンは、テレビアニメが野原家とその周辺の日常で成り立っていることを忘れず、「いつものクレヨンしんちゃん」らしい空気が醸しだしている。
 そしてしんのすけがタイムスリップしてしまうと物語はゼロから作らねばならないが、ここでもしんのすけが「いつもの勢い」を失っていないのは高評価だ。その上で又兵衛をギャグのないまともな人間として登場させ、そのギャグを仁右衛門に担わせながら又兵衛の周囲の場面設定を淡々とこなして行く。その中で廉姫を登場させ、又兵衛が台詞の中で言う理由も無いのにわざわざ「廉姫と幼なじみ」を強調することで本筋の「予感」をちゃんと人々に植え付けるのだから恐れ入った内容だ。

 続いて物語は、しんのすけが行方不明になった事を心配する両親の様子から30分間で一区切り付けられる。ここはしんのすけに続いてひろしとみさえが戦国時代にタイムスリップしてくる過程と、戦国時代にタイムスリップしたしんのすけが又兵衛と廉姫の恋物語を動かし始める事を並立してゆく。しんのすけにとっては本題に入っているが、ひろしとみさえにとってはまだ本筋に入っていないという複雑な二元中継で物語が進むのである。
 そしてここから本作の本筋である又兵衛と廉姫の物語が転がり出すが、これがハッキリ「ここから」と言えるような始まり方ではなく、いつの間にかにそうなっているのだからこれまた面白い。
 ここでは物語のきっかけは、野原家の庭から発掘されたしんのすけの手紙の謎が解けることである。しんのすけが手紙を書いて自分がタイムスリップしてきた場所に埋めるという行動を中心に据え、又兵衛がしんのすけに廉姫への想いを吐露させられたり、「おおまさ一家」と出会ったり、野伏に襲われたり、廉姫が想いを打ち明ける行動に出たり…とい忙しく物語が進んで行く。そしてしんのすけが手紙を埋めたところでひろしとみさえがタイムスリップしてくるという展開は、面白いだけでなくしんのすけや家族のタイムスリップや、それと手紙の存在というものを上手く使っていてよくできていると感心する。
 そして立て続けに、ひろしとみさえが又兵衛の元に現れた理由もハッキリする。物語の構図を良く思い返してみると判るのだが、春日と大蔵井の合戦となった原因はこのひろしとみさえが握っていたのだ。二人が戦国時代から見て未来の歴史や日本について語った事が、康綱が娘の嫁入りを断る理由となり戦のきっかけとなるのである。ここまでの構図をキチンと書いて、いよいよ本作のクライマックスに突入する。

 そして残り37分は「戦」を通じて又兵衛と廉姫の「想い」を描き、同時に又兵衛だけでなく野原家がこの戦に巻き込まれ、結果敵を倒すが又兵衛も生命を失うという物語を紡いで行く。その上で物語にオチを付け、物語を終わらせるまで一気に突き進む。
 ここでは戦での戦闘シーンにかなり時間を割いているが、この戦のシーンの激しさをしっかりと強調することで、又兵衛が誰のために戦っているのか、廉姫がどんな思いでまっっているのかは無言のうちに伝わってくるだろう。この「何のために戦うか」「何を信じて待つか」という当時の男らしさと女らしさを描き、それをキッチリ見ている者に伝えるのは本作のテーマのひとつだろう。この男女の関係こそが、二人の恋物語を通じて描き出したいことであったと感じる。
 そして戦の中で野原家一家が春日側に荷担するが、そこでひろしも「男らしく生きるにはどうあるべきか」をキッチリ演じていると思う。最初はいきなり戦国時代に飛ばされてしまった自分達を暖かく迎えた者達への儀として、続いて一緒にいる家族を守るためにひろしも戦うのである。同時にひろしが「自動車」を上手く使うことで戦局を一変させた事には不自然さを感じさせず、むしろ「こういうのもあり」と見ている者に思わせるようになっている。この戦でひろしが叫ぶ台詞が、いちいち面白いのもこのシーンが印象に残る理由の1つだろう。
 そして高虎と野原家の対面では、多少あり得ない展開でもしんのすけに花を持たせるためにはこれしかないという物語を見ている者に押しつけてくる。結果野原家は勝利し、又兵衛が高虎の首を取ろうとしたときにしんのすけが現代人感覚で物語を進め、又兵衛が言い負かされるという展開まで来れば、しんのすけの大勝利として多少不自然でも受け入れられる物語として成立する。
 こうして激しい戦が終わり、その安堵を劇中のキャラクターと視聴者が一体となって感じているそのタイミングで、又兵衛を殺してしまうのだから凄い映画だ。又兵衛が生命を失うきっかけの銃弾の音のタイミングが見事としか言いようがない。そして又兵衛がしんのすけに、人や国を守ることの大事さを訴えて生命を失うが、これもこの映画のテーマの1つだろう。
 そして最後に上手くオチが付く、廉姫が遠慮することなく又兵衛への想いを打ち明け、それを聞き届けたところで野原家は現代に戻って来るのだ。そして最後は「死者はいつも自分達を見守っている」という事を印象付けて、物語は幕を閉じる。

 全体的に通して見ると、本作では「戦」と「死」を見せないと伝わらないことを上手く伝えてきているのは確かだ。普段の「クレヨンしんちゃん」では「死」というものは全く無く、全員が生きている上での物語とメッセージを伝えてきていた。だがこれでは限界があったのは確かで、本作ではこの限界に挑戦したと見る事が出来る。
 そのテーマは前述したように、「何のために戦うか」「何を信じて待つか」という「戦」を通じて又兵衛と廉姫が演じたメッセージであり、ひろしは「男らしく生きる、男らしく戦う」ことについてキチンと見せてくれる。そして又兵衛の死を通じて、しんのすけは「これまで一緒にいた人が死ぬということ」だけでなく、又兵衛の最後の言葉から「世のため人のために戦う」事の尊さを学んだはずだ。
 そして又兵衛の死はラストシーンで観客に「死者は自分達を見守っている」というメッセージを伝えるが、このメッセージは劇中で又兵衛が自分や仁右衛門、そして廉姫までもが家族を失っていることを強調したことでもさりげなく訴えたことである。
 このようなテーマを通じて、「男らしさ」「女らしさ」そして「生命」というテーマを、本作は見る者に強く訴えているのだ。

・登場人物
 本作では他作品にあるような「かすかべ防衛隊」の出番は殆ど無く、野原一家と戦国時代のキャラクターだけで物語を進めている点は大きな特徴だろう。しかもゲストキャラである又兵衛や廉姫は主役級で演じられており、劇場版「クレヨンしんちゃん」ではかなり印象深いキャラクターだ。

 又兵衛は「戦では強い」という設定と「恥ずかしがり屋」という性格を上手く描いたと思う。その上でギャグのないキャラのはずなのに、しんのすけに釣られてついついギャグになってしまったところは多く、ノリが悪いわけでは無いことは明確に描かれている。「クレヨンしんちゃん」ではどんなキャラでも「ノリ」が良くなきゃやってられないと言うことだ。特に廉姫の話題が出るとすぐに顔が赤くなると言う点は、彼が正直で嘘をつけないという事も明確に示しており、これらの要素が序盤の短い時間でキッチリ描かれた事と、その後の物語の展開で性格や設定がブレなかったことでとても印象深いキャラになったと思う人は多いだろう。

 廉姫は「ギャグはやらないがノリは良い」という又兵衛との共通点を上手く描いている。その上で見方によっては廉姫が又兵衛を好いた理由について「似たもの同士だから」と見る事が出来るのは面白い。ただ廉姫は「恥ずかしがり屋」ではなく、ここ一番になれば自分の想いをキチンと表に出してアピールする。中盤ではこれが又兵衛にとっては「立場の違う恋」であり苦悩の種であったが、終盤では又兵衛もそれを受け止めつつあったことだろう。そしてその「強さ」は終盤での名台詞になっていることは間違いない。

 今回のしんのすけは、戦国時代という舞台設定に当たってその中でしっかり「現代っ子」を演じているのが特徴である。劇場版「クレヨンしんちゃん」には様々な場面設定が用意されるが、どれもしんのすけはその世界に染まりきることはない。だが本作ではその場面設定の中で真面目な物語が演じられているだけに、このしんのすけの「染まらなさ」が目立つし、それを良くも悪くも上手に使っている面があるのは確かだろう。特にしんのすけが廉姫の前で両親のモノマネをするシーンでは、これによって廉姫がバカ笑いすることで場の空気が和むだけでなく、しんのすけを起点として物語を転がりやすくしたのも事実だ。他にも又兵衛が櫓の上で自分の想いを吐露させられるシーンや、高虎を討ち取った直後のシーンなどでそれは存分に利用されている。

 「染まらなさ」では野原家の他の面々も同じだ。染まりようのない赤ん坊のひまわりと飼い犬のシロは別にして、ひろしとみさえが「戦国時代」という舞台設定で演じたのは、あくまでも「現代人の夫婦」だった。戦国時代のしきたりなどにまどわされず、戦国時代にレトルト食品やビールを持ち込むその姿はまさに現代を生きる夫婦の姿であろう。その現代の夫婦が戦国時代の戦に巻き込まれ、どのような変化があるかというのを見事演じている。これは又兵衛と廉姫の恋という本筋以外で、最も追ってみて面白い点だと思う。

 最後に名台詞欄一覧である。今回は上手くバラけたのが特徴と言えば特徴だろう。
 冒頭のタイムスリップ前ではひろしが「息子を思う父」を上手く演じるから印象深い台詞が多いし、戦国時代では又兵衛と廉が物語の主軸であるためにどうしても目立つ台詞が多い。その合間でしんのすけが物語を主導したり、主軸となる人物の深層を突いたりという活躍をする構図だ。
 この中で仁右衛門、康綱、吉乃の3人が名台詞欄に上がっているのは面白い。仁右衛門は本作が何であるかを忘れさせないという重要な役割があるし、康綱は歴史を知る者として興味深い台詞である。吉乃の台詞はしんのすけの役割と同じ又兵衛の深層を突く台詞であった。以下、ランクを上げると下記のような感じになった。

名台詞登場頻度
順位 名前 回数 コメント
しんのすけ やはり主人公、いつも通り圧倒的なパワーで物語を牽引している。この作品では思ったより名台詞に恵まれなかった感はあるものの、高虎を討ったときの台詞は良くも悪くも現代っ子らしくて印象深い。
又兵衛 戦国時代側のキャラでは廉と共に主役であり、存在感はしんのすけより強かった。そんな彼は名台詞にも恵まれたが、戦の直前の「今日は晴れそうだ」は物語に直接影響なくても、彼のキャラクター性を決定づけるとても印象深い台詞だ。
又兵衛と共に戦国側の主役で、やはり名台詞には恵まれている。彼女の台詞で印象的なのは戦の直後、「こんなに人を好きになることは二度とない」と言い切った事で、それだけの恋心とはどんなものかとつい思案を巡らせてしまう。
ひろし 本作では野原家の面々は名台詞に恵まれなかったものの、ひろしだけは当欄に二度登場。その中でも息子がいない世界に未練はないと言い切るあの台詞はとても印象的で、「しんのすけの父」としての存在感を強烈に印象付けた。
仁右衛門 戦国側の主役である又兵衛のよき兄貴役として、そしてよき戦友として目立った訳だったが、名台詞には恵まれなかった。彼の名台詞は、戦国自体へタイムスリップしてもやはり「クレヨンしんちゃん」だと安堵させる内容であった。
康綱 本作に出てくる戦国大名だが、その名台詞は「未来を知ってしまった戦国大名」がいたらどんな思いになるかを上手く再現したと思う。康綱の声は「赤毛のアン」で数々の名解説を残した羽佐間道夫さんだ。
吉乃 廉姫に仕える彼女も、要所でさりげなく目立つ活躍をしている。その中で印象深い彼女の台詞は、廉姫へ掛けた言葉でなく又兵衛へ掛けた言葉であった。彼女の台詞こそが又兵衛の戦に掛ける真意をあぶり出したのかも知れない。

・追加考察
・「BALLAD 名もなき恋の歌」について
 2009年秋、本作を原案とした実写映画が作られた。一部登場人物の設定を変更するなどの改変はあるものの、本作の世界観をほぼ忠実に実写映画として再現していると言っても過言ではない。ここでは本作との比較考察を行いたい。

・おまけ
・「クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶアッパレ!戦国大合戦」予告編について
 「誰も知らない戦があった」「密かに消えゆく想いがあった」という名ナレーションで幕を開けるこの予告編も、劇場版「クレヨンしんちゃん」の予告編として名作と言っていいだろう。このナレーションをした大塚周夫さんの声がとても渋くて良い、そのままの口調で「歴史を変えるおバカ参上!」「戦ってちょんまげ」というアホなナレーションに突入して行くのもとても印象深い。映画の内容に関わらず「見たい」と思わせてくれるだけの迫力が、このナレーションにはある。
 そして最初のナレーションで予告編が幕を開いたとき、この予告を映画館で見た人はこれが何の映画の予告編か全く想像出来ないだろう。しばらくして草原の中に一人立つしんのすけが出てくるが、その背中の雰囲気にこれもしんのすけだと気付いた人は少ないかも知れない。そのしんのすけが振り向くと、予告している映画のタイトルが出てくるというかたちだ。
 そして予告編は物語を忠実になぞる。冒頭の朝の野原家のシーン、そびえる春日城、そして又兵衛と廉姫。その中で廉姫がしんのすけに、未来ではどのように恋をするかを訪ねるシーンを入れることで、この予告編を見ていた人は物語が又兵衛と廉姫の悲恋であることを察知するはずた。その中で「クレヨンしんちゃん」という素材を知っている人は、果たしてどんな物語展開なのか気になるよう上手く作ってある。
 そして合戦シーンを中心にした本作ハイライトのダイジェスト。その合間に出てくるしんのすけとシロが掘り当てた文箱の存在。合戦シーンでは本編で使用されなかった「しんのすけが敵兵と直接戦うシーン」や「ひろしが車の屋根に乗ってボディーブレードで戦うシーン」が描かれる。最後はどう決めるかと思ったら、しんのすけが敵兵に突進するとともに「歴史を変えるおバカ参上!」のナレーション。もちろんその後のシーンはしんのすけが「らしい」やり方で敵兵を倒す。これらのシーンは本編にはない。
 そして最後は公開日とともに「戦ってちょんまげ」のナレーションで、皆ズッこけた事だろう。
 この予告編は本当にとても印象に残るので、皆さんこれを目当てに是非DVDを買うなり借りるなりして頂きたい。

・注意
 当考察では、一部の表現を臼井儀人作品の世界観に合わせるべく独特の言葉遣いを使用した。
 例えばしんのすけの台詞の語尾をカタカナの「ゾ」にする(原作表記に従ったがアニメ公式設定も同様、ただし日本語の使い方としてはどうかと思う)、しんのすけが両親を呼ぶときの表記を漢字と平仮名で「父ちゃん・母ちゃん」とする(アニメ公式では「とーちゃん・かーちゃん」らしいがここは原作設定に従った)、「幼稚園」を漢字ではなく「ようち園」と表記する(原作ではほぼこの表記に統一されている)等。
 なおしんのすけが通う幼稚園名、今回名称が出てくることはなかったがひろしが勤務する会社名は、今後「クレヨンしんちゃん」を取り上げる場合にはアニメの設定に従いそれぞれ「ふたばようち園」「双葉商事」に統一するつもりである(原作では「アクションようち園」「アクション商事」)。

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