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…翌朝、増蔵がテレビに出演し、自らタミコと風間の婚約を発表する。
名台詞 「あっ、チョコビ…オラ、行かないと。タミさんにまだチョコビ買ってもらってない。タミさんに逢いに行かなきゃ。」
(しんのすけ)
名台詞度
★★
 しんのすけや「かすかべ防衛隊」が野原家で朝食を食べていると、テレビに増蔵が出てくる。彼がテレビで発表したのは「タミコと風間の結婚」。最初は同姓同名かと思うが、相手はやっぱり風間だった。マサオがしんのすけに「どうするの?」と問い、ネネが「タミコさんはしんちゃん一筋だったはず、どうして風間君なんかと結婚するの? 無理矢理結婚させられるのかも?」と問う。ひろしがそのネネの言葉に「金有増蔵ならやりかねん」と言うと、しんのすけは静かにこう返す。
 しんのすけのこの台詞は、物語が後半戦に突入したことを宣言する重要な台詞であるが、何処まで本気で何処までそうでないのかが解らない言い方なのが好きだ。しんのすけが「タミコに会う」と決意するきっかけは、「チョコビをまだ買ってもらってない」ということ。これにはふたつの意味があり、ひとつは子供らしく「チョコビを食べたい」という願望、もうひとつは「チョコビを買ってもらうという約束でここに来た」という現実。いずれにしろ彼の中で「チョコビ」について解決しないとタミコとは別れられないわけで、その思いをここで吐露したのだ。
 増蔵がタミコと風間に結婚を命じた時点で、物語は後半戦に舵を切っているが、この台詞ではその二人の元に主人公が乗り込むという事が明確となり、物語の方向性が示唆されているのは言うまでも無いだろう。しんのすけがタミコに会うことは、かたちはどうあれタミコを「奪還」すると言うことだからだ。
名場面 タミコVS増蔵 名場面度
★★★
 タミコと風間の結婚披露が行われるスタジアムの控え室で、花嫁衣装を着たタミコは一人で窓の外を見ていた。そこに増蔵が入って来る。入場料収入や祝儀による「儲け」を計算して、「また儲かってしまう」と高笑いするとタミコに「ありがとうよ」と言ったと思うと、「折角の晴れ姿を野原しんのすけにも祝ってもらわないとな」と続ける。その言葉に「あっ」と言葉を上げるタミコ、「きっと奴も見たがっているだろう」と笑う父にタミコは「あなたはどれだけ…」と怒りの声を上げるが、「野原しんのすけがどうなってもいいなら、勝手にするんだな」余裕たっぷりの表情で告げる。そこへ風間が二人を迎えに来るが、増蔵は「行くぞ、タミコ」と声を掛けて出て行くが、タミコは微動だにしない。
 増蔵の腹黒さ、それに対するタミコの怒りがよく見えるシーンだ。このシーンでは増蔵は娘の後ろ姿を見れる位置ながらも娘に目を向けず、タミコはずっと父に後ろ姿を見せるだけで父の方を向こうともしない。ここに増蔵にとっての娘の扱い方、タミコにとっての父の存在というのがうまく演じられていると思う。増蔵にとっては娘とはいえ利益を出すための「道具」であり、タミコにとっては自分をそんな扱いをする「怒りの対象」でしかないというこの父子の構図が上手く描かれているのだ。
 だがこのシーンでは、多くのカットで増蔵とタミコが同時に画面に入るように描かれているのも面白い。しかし増蔵が「折角の晴れ姿を野原しんのすけにも祝ってもらわないとな」と語るカットだけは、タミコ一人の描写になっているのは面白い。この台詞をどんな顔で増蔵が言っているのかは考えたくないし、かつそれを想像するのも面白いという独特のシーンだからだろうか? いずれにしても父の娘の対立というのを上手く描いていると思う。
 そしてこのシーンもそうだし、前回部分もそうだが、増蔵がタミコの弱点を知っていてこれを使って徹底的にぶちのめす。「野原しんのすけ」はここでのタミコを黙らせる唯一かつ最大の手段で、タミコとの対立をリードするのに最高のものである。このような構図をもしっかり描くことで、増蔵が「悪役」として完成したと言って良いだろう。もちろん、この悪役が更生するような展開があり得ないのはここで想像が付くだろう。
研究 ・ 
 

…金有電機のスタジアムでは、タミコの風間の結婚ショーに多くの人が集まる。そこへ「かすかべ防衛隊」が野原夫妻とともに乗り込む。
名台詞 「はっ…いやーん。」
(未来のみさえ)
名台詞度
★★
 名場面欄に記した戦いの途中、みさえは自分の姿を見せつけながら「晴れの日のために作っておいたボディスーツ、これがあれば30歳は若返るのよ〜!」と目を輝かせる。「花嫁(希望)軍団」の一人が「笑わせるな、かりそめのナイスバディが何の役に立つ? 本物にはかなわんのだ!」とみさえを殴りに掛かるが、みさえが「きゃーっ!」と悲鳴を上げると「デビルマン」の変身シーンのようにみさえのボディスーツが破れて元の体型に戻ってしまう。その自分の姿に気付いたみさえの第一声がこれだ。
 このシーンはみさえの反応がこの台詞だから面白い。みさえがもっと違う言葉で恥ずかしがったりしたら、面白くなかっただろう。この「いやーん」が本作での「未来のみさえ」の演技で語られている点がポイントだ。本当はある程度歳を取っているという設定だから、みさえは若干低音気味で演じられているが、この演じ方と「いやーん」の声が見事に合致していると言わざるを得ない。
 ここではみさえの体型が元に戻る(未来の姿)と同時に、みさえが「地に戻る」が面白いのだ。本来ならボディスーツで無理矢理痩せているみさえも歳を取っているのだから歳を取った声になるはずだが、ここを若い声にしたことで「変身」を上手く演じている。だからこそ体型が戻ってすぐのこの台詞で切り替えが上手く行ったことで、ここのみさえは数倍面白くなったと思うのだ。
 また、みさえが元の体型にも取ったときに、お腹の贅肉がしばらく揺れている描写も面白い。これで体型が元に戻ってからこの台詞までの「間」がうまく埋まっている点も、この台詞が面白く聞こえたポイントだ。
名場面 戦い 名場面度
★★★
 「かすかべ防衛隊」と野原夫妻は、スタジアムの警備に立つ「花嫁(希望)軍団」の監視をかわすべく、まずは風間を連れ出して「風間さんの子供だ」と言い張る。「花嫁(希望)軍団」は「風間が×1でも問題は無い、どうせ他人の物になるんだから」と納得し掛かるが、ここで「かすかべ防衛隊」の面々が出たところで怪しい者とされ、ひろしはカツラをかぶることで、みさえはピチピチのボディスーツを着ることで若さと自信を取り戻し、「花嫁(希望)軍団」に応戦する。「花嫁(希望)軍団」にその姿をさんざんバカにされつつも、夫妻は子供達を先に逃がそうとする。しんのすけ以外は「花嫁(希望)軍団」に捕獲されるが、夫妻は必死の応戦だ。だがひろしのカツラが取れ、みさえのボディースーツが破れる(名台詞欄)と、「若さと自信」を失った夫婦は敗北したかに見えた。だがここでよろけたひろしのハゲ頭に照明の光が反射して、「花嫁(希望)軍団」は余りの眩しさに苦しむ。ひろしが「何だかわかんないけど、それー」と再度ハゲ頭を皆に向けると、みさえが「あなたカッコイイ〜! 私も行っちゃうわ!」と言ったと思うとその大重量ボディで辺りを転がり始め、「花嫁(希望)軍団」だけでなくハゲ頭攻撃で気をよくしているひろしまで倒してしまう。目を回しながらも「みんな、先へ行って!」と叫ぶみさえの声に従い、「かすかべ防衛隊」の子供達はスタジアムの中へ入って行く。
 劇場版「クレヨンしんちゃん」に欠かせないもの、それは「敵」との戦いだ。それもただの戦いではない、「タイムボカンシリーズ」における戦闘のようにギャグを織り込んだしょうもない戦いというのもひとつの見どころであるだろう。そういう戦いは普段は主人公しんのすけが行うが、本作ではしんのすけ不在で野原夫妻の主導で進んでしまう。その「定番」から外れた戦いになるが、これがまたなかなか面白い。
 さらに言うと戦う相手もまだ「敵」の本丸ではなく、その前衛部隊でしかない。なのにこんなに面白くなったのは、それは未来の野原夫妻というキャラの存在そのものがギャグとして完成しているからだと思う。歳と共に二人とも老いたのだが、ひろしはハゲ頭、みさえはデブと変化するが、二人ともこれを苦にしているのでなく楽しんでいるところが何処かにある。そしてそれらの「老い」を消すと「若いとき同様に戦えるつもり」という設定は面白い。もちろん本当に強くなるのでなく、「つもり」で終わっているからギャグとして完成しているのだ。
 さらにこの戦いの決着として、夫妻が「若いときと同様に戦ったつもり」で勝つのではなく、結局は本来の老いた姿…ハゲ頭とデブを武器にして勝つのだから面白い。どちらも「花嫁(希望)軍団」の誰かの一言ではないが「昭和っぽい」古くさい攻撃方法だ。だからこそこの戦いは面白おかしく、今後の本当の戦いよりも印象に残っている人は多かろう。
研究 ・結婚ショー
 ここから物語の終盤まで、物語の舞台は金有電機のスタジアムで開かれているタミコと風間の結婚ショーとなる。金有電機の社長である増蔵が、なんと自分の娘の結婚式というプライベートを一般公開するというとんでもないイベントだ。
 これが開かれる場所は増蔵は金有電機大ホールと言っていたが、どう見てもホールと言うよりドームという方が正しい。開閉式のドームを備えたスタジアムというべき施設であり、本サイトでは本作のイメージを出すために「スタジアム」と表現する事にした。
 劇中における増蔵の台詞から、このスタジアムの収容人数は5万人であることはわかる。そして凄いのは、社長の娘という「私人」の結婚式に5万人も動員したことだ。さらに言えばこのショーの告知は当日の朝に行われており、長く見積もってもたった半日で5万枚のチケットを売り切ったことになる。これはアイドルコンサート以上の動員数で、プロスポーツのチケットでは「催行当日に告知およびチケット発売」を前提にすればここまで観客は集められることは出来ないだろう。
 ここから見えてくることは、金有電機の社長の娘というのはアイドル以上に顔と名が知れた存在なのだろう。それはネオトキオという街の最大の有力者だから…と思う方もあるかも知れないが、「誰かの娘」というだけでそこまで有名で人々を動員出来る人って現実世界にはいないだろう。有名なだけなら皇室の娘さん方がこれに該当するかも知れないが、「彼女の結婚式を今日の夕方にやりますから皆さん来て下さい」と当日の朝に告知しても、5万人を集めるのは難しいだろう。
 だからタミコは、ネオトキオでは皇室の娘さん方以上の知名度があり、人気があると言うことはわかる。恐らく増蔵の娘と言うだけでマスコミが追いかけてその成長記録を流していたのだろう、確かにそんなならグレたくもなるだろうなぁ。
 それほどのイベントをぶちこわしに来たのだから、本来はつまみ出されても文句言えないと思うぞ…。

…スタジアムではタミコと風間の結婚ショーが大々的に始まっていた。会場の方々に、何故か様々なポーズをした「アクション仮面」の銅像が建つ。その観客席にまず、しんのすけが一人で立つ。
名台詞 「来ないで! 私は風間さんと結婚します。だからもう放っておいて下さい!」
(タミコ)
名台詞度
★★★
 しんのすけは観客席の最後部で大きく手を振りながら「タミさーん」とタミコを呼ぶ。タミコはこれに反応して「しんちゃん!」と嬉しそうに叫ぶ。「今そこに行くゾ!」…しんのすけが叫ぶとタミコは目を潤ませながらこれを見つめるが、彼女の脳裏に「野原しんのすけがどうなってもいいなら勝手にするんだな」という増蔵の言葉が過ぎる。そんなタミコが一瞬悩んだ後、しんのすけに向かってこう叫ぶのだ。
 多くの人が、この結婚ショーにしんのすけが乱入したことでこのまま真っ直ぐにしんのすけらと増蔵らによるタミコ争奪の戦いが幕を開くと感じただろう。だがこの台詞はそうはさせずに、物語に少し寄り道をさせるものである。この台詞を吐いたタミコは風間の元に歩き、笑顔で微笑みかけて風間の腕を取って観客に笑顔を見せるという行為に出る。これにより一時は増蔵の思い通りに事が運んでしまうという方針に向かう。
 この回り道はしんのすけの本音を引き出し、今後の戦いにおいてタミコと5歳のしんのすけが手を取り合うという方向性に説得力を持たせるのに必要なだけでなく、物語を平坦にせず緩急をつけて見る者を引き込む効果があるはずだ。その回り道の発端となるこの台詞は、展開的には予想外のものであることも手伝って多くの人の印象に残っていることだろう。
 何よりも、この台詞のまま何も起きなければ物語はタミコと風間のハッピーエンドで終わってしまう。未来のしんのすけが助けられる事も、5歳のしんのすけや「かすかべ防衛隊」の仲間達が現代に帰れる事もなく…。そういう意味ではピンチであるということも、この台詞に含まれている要素なのだ。
名場面 タミさんのお婿さんはオラだ! 名場面度
★★★★
 名台詞欄シーンを受けて笑顔で観客に微笑むタミコと風間を、しんのすけは目が点になりながら眺めていた。我に返ったしんのすけは「なんで…なんでなのタミさん…」と呟いた後、「タミさんのお婿さんはオラだ!」と叫ぶ。この叫びにタミコも風間も、観客達も皆がしんのすけの方を見る。驚いて声が出ないタミコには、観客のざわめきも、隣で風間がしんのすけに向かって怒って叫んでいることも、特別席の増蔵が怒り狂って何か叫んでいることも何も聞こえない。ただ彼女が呟いた一言は「しんちゃん…」だけであった。そしてしんのすけがステージに向かって進み出す。
 短いがとても印象的なシーンだ。しんのすけはこれまで、まるで「チョコビ」を餌に動いているような言動を取っていたが、ここで遂に本音を出す。未来の自分の婚約者、これを守り自分のお嫁さんになって欲しいという本音だ。これが本音だからこそ人々の心に響き、多くの人が突き動かされるところをちゃんと描いている。観客達がしんのすけに注目し、大人の風間や増蔵が「ぶち壊された」ことで怒り出す点を描くことで、しんのすけのこの一言が本心であるという点を描いている。
 だがこのシーンの印象的な所はそこではない、これらの動きをタミコの心境に沿って描いたことだ。タミコはしんのすけの叫びで、5歳当時という過去の姿でもそれが自分が愛した男性だと言うことを認識し、自分が誰と共になければならないかをハッキリと自覚したのだ。その自分の想いの深さと、思わずそれに反した行動を取ってしまった自分の双方に驚いてタミコはフリーズするのだが、その時のタミコにこの状況がどう写ったかという視線でこのシーンを描いているのだ。実際にはタミコは動いてないだろうが、彼女は風間の表情を見るために、続いて増蔵の表情を見るために動いたと描かれている。そして風間や増蔵は口パクするばかりで、何を言っているかわからない。タミコの目にはこの状況がそう見えたはずで、まさにそれを場面として描いたのだ。
 そして彼女の呟き、「しんちゃん…」も恐らく実際には彼女は口にしていない呟きだろう。彼女が心の中で呟いたのである。彼女の目にはしんのすけが飛び上がってこっちに向かってくることしか見えない、つまりこのシーン中はずっとタミコはフリーズしていて、フリーズしている人の目線というのを上手く描いたのだ。
研究 ・ 
 

…結婚ショーに乱入したしんのすけを、増蔵は捕まえてつまみ出すよう「花嫁(希望)軍団」に命じる。さらに「かすかべ防衛隊」がこれに加わり、スタジアムは大混乱の様相となる。
名台詞 「タミさん、楽しいの? 違うよね? オラは今…とっても悲しいゾ〜っ! タミさ〜んっ!」
(しんのすけ)
名台詞度
★★★
 「花嫁(希望)軍団」の一人が、「ブーケット・ボンバー」という火薬入りの武器を(大リーグボール1号のパクりで)使用する。これによって会場は大混乱、しんのすけもついに捕まってしまう。しんのすけはタミコを呼ぶが、タミコは増蔵によって連れ去られそうになる。その後ろ姿に、しんのすけはこう叫ぶ。
 いよいよしんのすけの「本音」だ。しんのすけもタミコといた時間が楽しく、しかもこの相手が未来の自分の婚約者だからという理由で「守りたい」という本心があったことだ。これまでチョコビを言い訳にするばかりで素直でなかったしんのすけが、ギリギリの場面で吐露した本音は「タミコが変わってしまって悲しい」という気持ちと、「そんな事していて楽しいはずがない」という疑問である。
 そしてこの本音はタミコの心にしっかり届くという点が上手く描かれている。この台詞を突き付けられたタミコは、「5歳のオラが必要だ」と叫んだ大人のしんのすけを思い出して立ち止まる。そして会場に並べられたアクション仮面の像から、大人のしんのすけを見つけ出すのだ。しんのすけにどれが大人のしんのすけか指し示したと思うと、連れ去ろうとした増蔵の手を振り払い、ウェディングヴェールを叩きつけ、それでも増蔵がドレスの裾を踏みつけて制止しようとしたためこれを破り、しんのすけと手を取り合って大人のしんのすけが立つところへ向けて走り出す。
 この本音、つまり心からの気持ちが何よりも強いということをこの台詞を中心としたシーンでは見せつけられる点であり、多くの子供達にしっかり見て欲しいと思ったシーンだ。
名場面 風間と風間 名場面度
★★★★
 「花嫁(希望)軍団」としんのすけや「かすかべ防衛隊」の戦いが始まる。「かすかべ防衛隊」は一度は捕らえられたしんのすけを助けるが、その後も「花嫁(希望)軍団」はしんのすけを追い回す。それを食い止めようと風間は「花嫁(希望)軍団」の一人のウェディングヴェールにしがみつくが、そのまま引きずられてしまう。その引きずられたままでステージの前を横断する形になった風間は、そのステージ上に大人になった自分が立っているのに気付く。大人の風間も悪戦苦闘する子供時代の自分を見つめている。子供の風間は手を離して立ち上がり、大人の風間に向き直って軽く会釈をしてから「花嫁(希望)軍団」を追う。
 このシーンはとても印象に残っている。物語の本筋とは関係の薄いシーンではあるが、これを見て「風間らしい」と思ったのは私だけでないだろう。彼の生真面目な性格は、大人の自分に出会って何か挨拶しなければならないと思ったのだろう。声を掛けたりするのは彼のキャラクターではない、立ち上がって大人の自分の方を向き無言で会釈をする。とても風間らしいではないか。
 もちろん、ここでは彼は大人の自分に対していい印象を持っていない。「大会社の重役」に出世してはいたものの、名誉のために友を裏切りその友の婚約者と結婚してしまう。子供の風間の目には大人の自分がそんな悪役に見えたことだろう。だから普段なら礼儀正しく挨拶しそうな彼が、「軽く会釈だけ」という行為に説得力が出るのだ。
 これを大人の風間はどう受け取ったか。もちろん子供の自分に嫌われていることは即座に理解したことだろう。このシーンの最後に彼が顔をしかめるのは、そんな理由だろう。
 このシーンだけはこれまでの勇壮なBGMが止まる事もあって、とても印象に残りやすいように作ってあるのも見逃せないだろう。こんな形で風間同志の対面を描いた点は、とても面白かった。
研究 ・ネオトキオの人々
 本作に登場するネオトキオの人々の多くは、マントのようなものを身につけていることが特徴である。これはネオトキオの大都市側に住んでいる人達のみの特徴であり、スラム側に住んでいる人達にはない特徴であるだろう。
 この服装はタミコも着用している。タミコは実に様々な使い方をしており、まずはボタンひとつで自動的に収納したり着用状態にできるのが印象的だ。この使用法はラストに近いシーンでは通りすがりの女性も演じている。そしてこのマントを広げる事で、グライダーのように空を滑空することも可能で、さらに羽ばたくことにより超低空ではあるが飛行も可能のようだ。
 この服は強靱かつ薄くてしなやかな素材で出来ていることは確かだ。その条件が揃わないとボタンひとつで収納した際に、劇中シーンのように何処にあるかわからないほど小さく畳むことは出来ないはずだ。もし畳むことが出来たとしても重さは変わらないので、「軽い」という要素はどうしても必要だ。強靱である理由は滑空や飛行に必要で、そのマントだけで人間の重量を支えられるばかりでなく、高速で滑空する空気抵抗にも耐えねばならない。
 そしてもう一つ必要な機能は防温性だ。ラストの方で通りすがりの女性二人がこのマントを畳むシーンでは、寒いからこれを着用していたという設定が示唆されている。つまりこれはネオトキオにおける防寒具なのだ。このようなマントで全身を覆うことで、「衝突の冬」の寒さに耐えているのだろう。
 このマントを、ネオトキオでは男女や年齢問わず多くの人が着用している。例外は増蔵と風間位のものだろう。物語が進むと大人になったひまわりがこれを着用しているシーンも出てくる。このマントには様々な模様があるが、これはネオトキオのファッションと見て良いだろう。未来世界ではあんなのが流行るのか…。

タミコはしんのすけと手を取り合って、スタンド上のしんのすけの元へ走る。「かすかべ防衛隊」もこれを追いかけ、「花嫁(希望)軍団」はこれを阻止すべく後を追うが、その前に野原夫妻が立ちはだかる。
名台詞 「全てタミコ、お前が選んだことだ。お前がこうなることを望んだんだ。」
(増蔵)
名台詞度
★★★★★
 名台詞欄で大人しんのすけが爆破され、ショックによる沈黙がしばらく描かれる。だがその沈黙を破る最初の台詞が、この増蔵が娘に吐き捨てる一言だ。
 増蔵はこの台詞をとても冷静な口調で語っていて、ここにこのキャラクターが「悪役」として完成したと言って良いだろう。「大人になった主人公」を亡き者にしただけでなく、この上さらに「自分には責任はない、お前が望んだことだ」と、自分の行為を棚上げして居直ることで、この増蔵というキャラクターの印象度は最悪となった事だろう。
 この台詞を担当の内海賢二さんは本当に上手く演じたと思う。「開き直り」ではなく「居直り」の口調を選ぶことで、この悪役の責任感の欠如というものが否応なしに再現されているし、口調が冷静なことで「これで全てが終わった」という彼の気持ちも演じられている。氏の演技の中でもとても印象に残っている台詞で、この作品でも下記名場面欄に書いた「ならばこうだ。お前のせいで野原しんのすけは…死ぬ。」とともにとても印象的な台詞だ。こちらの台詞では台詞とボタンを押す「間」というものがとても良いのだ。
名場面 しんのすけ爆破 名場面度
★★★★★
 スタンド上の大人しんのすけの元に走るタミコの後ろ姿を見て、増蔵は怒りに震える。「タミコ…本当にお前は不良品だな。お前には、生まれたときからありとあらゆる投資をしてきたというのに。おまけに、あの野原しんのすけと…」と語る増蔵の脳裏に、大人しんのすけが自分に逆らった日のことがよみがえる。それで怒りが増幅した増蔵は「タぁミぃコぉ〜っ! 何故私に逆らう!? お前は私の娘だ、私はお前の父親なのだ。私に従え、逆らうなーっ!」と叫ぶが、タミコは一瞬の迷いもなく「嫌です」と答え走り続ける。一瞬驚いた増蔵だったが、「ならばこうだ。お前のせいで野原しんのすけは…死ぬ。」と呟いてリモコンのボタンを押すと、大人のしんのすけがバイオコーティングされた姿であるアクション仮面の像が爆破炎上される。立ち止まるしんのすけとタミコと「かすかべ防衛隊」、タミコはがっくりと膝を落として涙を流す。「うそ…」とネネが言ったかと思うと言葉が続かない「かすかべ防衛隊」、みさえはショックで倒れ、「花嫁(希望)軍団」も互いに見つめ合ってバツが悪そうに立っている。
 本作の最初のヤマ場であるというるシーンだ。この主人公を呼び寄せた大人のしんのすけという、タミコと並ぶメインゲストキャラが爆破されるというショッキングなシーンは、劇場版「クレヨンしんちゃん」で最もショッキングなシーンのひとつであろう。このショッキングなシーンを、とても印象的に描いたと思う。
 まずは爆破前は「増蔵の怒り」を中心に据えて書くことで、このようなショッキングな光景に行き当たる説得力を植え付ける。ここまでの増蔵の言動では大人しんのすけの殺害をも否定しないものがあったが、ここで「自分の思い通りに動かない娘への怒り」「自分の思い通りにならなかったしんのすけへの怒り」の双方をキチンと描いたのは正解だろう。こうして増蔵の怒りを頂点に持って行ったところで、爆破スイッチの登場だ。この爆破スイッチを押すときの増蔵の台詞にも迫力があり、正直どちらを★×5の名台詞にするか悩んだほどだ。
 そして爆破、爆破そのものはありきたりだが、角度を変えて5回繰り返したのは賛否が分かれるところだろう。私としては似たような角度で5回ではなく、最初が増蔵目線であり、最後がスタジアム場外からのシーンだったことでこれは「しつこい」とは感じなかった。
 そして爆破後は増蔵と大人風間以外の面々の動きを中心としたシーンに、即座に切り替えている。彼らはほぼ無言で、この爆破がどれだけ衝撃的だったかを見る者に突き付けてくる。この無言の時の「間」がとても良く、この衝撃的な爆破シーンに彩りを添えている。
 こうして爆破の前後で上手く緩急をつけたことで、このシーンはとても迫力のある印象的なシーンに仕上がったと思う。そしてこのシーンが、見る者を「これからどうなってしまうんだろう?」と感じさせて物語に引き込む重要な要素になる。正直、「大人になった主人公」が死ぬなんてあり得ないからだ。
 ついでに言うと、この映画の面白いところはここからである。
研究 ・ 
 

「私に逆らった償いをさせてやる」と泣き崩れたタミコの元へ歩く増蔵に、大人の風間は「落ち着いて下さい」と反論してクビを告げられる。そして、しんのすけは「死んでない!」と反論する。
名台詞 「オラは死なない! 死んでない!」
(しんのすけ)
名台詞度
★★★★
 大人しんのすけを爆破した増蔵の暴走は留まることを知らない。彼の次の標的は過去から来た5歳のしんのすけであった。彼に大人のしんのすけを爆破したことで「お前に未来はない」と言い切るだけでなく、「家電ロボX」という巨大ロボでしんのすけを捕獲しようする。その巨大ロボの攻撃をかいくぐり、5歳のしんのすけは増蔵にこう宣言する。
 「大人の自分が爆破されて殺される」という結末を見せられたしんのすけだが、彼は大人の自分が死んでも自分が生きているというアピールをしただけでない。大人のしんのすけの死を信じず最後まで諦めないというメッセージを、当面の敵である増蔵に宣言したのがこの台詞だ。人は死んだら全てが終わる、その「死」を見せられてもなお一発逆転を信じて大人のしんのすけを救おうという彼の姿勢は、この映画を見ている子供達にこのような「諦めない気持ち」をメッセージとして伝えるという役割もあり、本作のしんのすけによるとても象徴的な台詞であると言って良いだろう。
 もちろん、今後の物語展開が進めば大人のしんのすけがこの爆破をかいくぐって生きていることが判明するのだが、そんな一発逆転の展開を知らぬ視聴者にとってはこの宣言は「大人のしんのすけが死んでいるはずがない」と感じる台詞ともなるだろう。彼がどのような形で生き、どのような逆転劇へと物語が進むのか、見る者が引き込まれる台詞でもあると言えよう。
名場面 大人のボーちゃん登場! 名場面度
★★
 大人のボーちゃん、あのロン毛がたまらないなー。
 名台詞欄シーンで示唆された一発逆転、これを運んでくるのが大人のボーちゃんなのだが、、その登場シーンは名台詞を受けて増蔵が怒りが爆発する直前というとても良い「間」で出てきたのが印象的だ。大人のボーちゃんが白衣を着ていて、見るからに科学者みたいな風情なのは解るのだが、何を研究している人なのか…「OBAKAパワー」って、どう考えてもまともな研究じゃないぞ。
研究 ・家電ロボX
 ここから増蔵が5歳のしんのすけらを襲う兵器として、「家電ロボX」が登場する。劇中シーンを良く見ると、その身長はタミコの身長の4倍で描かれている。タミコが特別小柄とか大柄という設定ではないので、一般的な日本人女性の身長として160cmであるとすれば、「家電ロボX」の身長は6.4メートルとなる。
 外見はその名の通り、家電製品を模したデザインになっていて、胸部のテレビに模した部分は搭乗者から外部への伝達手段として使えるようだ。それだけではなく武装もされていて、手は火炎放射器になっていて、頭部にはロケット弾が設備されている。
 そんな性能的なことよりも、なんで増蔵がこんな「兵器」を持っているかだ。どう考えてもこのロボットはホンダの「アシモ」のように、二足歩行等の研究や人型ロボットの実用化というテスト体には見えない。火焔放射やロケット弾などという装備を考えれば、これは「武器」として使用するために作られて、そのために増蔵が自由に使える状態で保管してあるという事だろう。
 これを解釈するとなると、この時代の日本政府は現在と全く違う憲法から始まって、様々な部分で現在と違うということだろう。その詳細は語ると長いので割愛して結論を述べるが、ネオトキオを牛耳る金有電機が日本やネオトキオの防衛のためとして軍隊を有しているということだ。
 軍隊が必要な理由は、「衝突の冬」を迎えて寒冷化したことによって食糧事情が極端に悪くなったと思われるからだ。食糧の多くを輸入に頼っている日本でも例外となるはずがなく、世界的な凶作で食べ物の輸入が困難になって多くの人に食糧が回らなくなったのだろう。飢えた人々が暴徒化するのは想像に難くないことだ。
 僅かな食糧を暴徒から守り、国をコントロールするには武力は必要不可欠になったに違いない。ネオトキオでも他地方から多くの人々が食糧を求めてやってきたはずで、これを鎮圧するために街の有力者である金有電機が自ら自衛軍隊を作ったと言うことだろう。もちろん、これには法だけでなく憲法も変える必要があるがそれは長くなるのでカット。
 このために金有電機には軍事研究部門もあるに違いない。ここで作られた試作機のようなものが、増蔵に「警護」を理由に渡されたのだろう。これに対抗する「ボーちゃん28号」も同じような理由で大人ボーちゃんが研究していたのかも知れない、スポンサーは金有電機のライバル企業なんだろうな…。

…大人のしんのすけが間一髪のところで生きていた事が大人のボーちゃんによって明らかにされ、一行はこれを追いかけるためにスタジアムを出ようとする。だが増蔵がこれを認めるはずもなく、「家電ロボX」に自ら乗り込み一行を襲う。
名台詞 「いいこと? 大人の生活ってえのは、リアルおままごとより悲惨よ。それだけは覚えといて!」
(大人ネネ)
名台詞度
★★★
 大人マサオとともに、ふたばようち園の送迎バスでスタジアムに駆けつけてきた大人のネネ。彼女は「またしんちゃんが何かやらかしたのね?」と皆に聞いた後、5歳の自分を見つけるとこのように言い聞かせる。
 この台詞は「大人になったかすかべ防衛隊キャラ」が、子供に自分に向かって吐いた台詞の中では最も印象に残った台詞だ。「クレヨンしんちゃん」におけるネネは、その設定をリアルにしてテレビドラマのような生活感を出そうとする「リアルおままごと」を趣味にしている。この「おままごと」には台本まで存在する場合もあり、この遊びに興じるためにはその役になりきらないとネネが怒り狂うという定番のギャグだ。もちろん極端な性格のネネだ、「おままごと」の設定も極端で結果的には全くリアルでなくなるのだが…その「リアルおままごと」の主役は常にネネ自身であり、そこにネネが夢見る大人になった自分の将来像を見る事が出来よう。
 そんなネネが大人になったらどうなるのか、これは「クレヨンしんちゃん」を見ている人にとってはかなり興味深い点でもあったはずだ。そして大人になったネネが自らが子供時代に行っていた「リアルおままごと」をどう感じるか、というのもこれまた興味深い。その興味深い部分の答えがここに出ていると言えよう。
 本作で出てくる大人のネネは、そんな子供のネネが持つ「自分の将来像」とは全く違う生活をしていた。だからこそ子供のネネに一言言いたかったのがこの台詞に違いない、この台詞にはネネが夢見るような世界に行くには、「リアルおままごと」で夢見るだけではダメなんだ、努力しないと…という事が込められていると思う。想像世界と現実は違うのだと。
 しかし大人ネネ、面白いのは「クレヨンしんちゃん」の名物キャラの一人で、臼井儀人キャラらしい登場人物の一人であるネネちゃんママに似せて描いたのはとても面白い。いや、想像力がかき立てられるというものだ。つまりこの大人ネネがぬいぐるみを振り回してストレス発散したりという光景を想像するだけで、とても笑えてくるのが面白いのだ。
名場面 大人ひまわり登場 名場面度
★★★★
 増蔵が乗り込んだ「家電ロボX」が暴れる中、一行は何とかスタジアムの外に出る。「家電ロボX」のミサイルはスタジアム各施設だけでなく、近くにある遊園地の設備まで壊してしまう。そんな中を逃げる野原夫妻だったが、みさえが転倒してしまうと同時に、そこへ「家電ロボX」によって破壊されたスタジアム施設の破片が墜ちてくる。夫妻に迫る破片、ひろしがみさえを庇うが万事休す…と思った瞬間、どこからともなく光線が飛んできてこの破片が破壊される。野原夫妻が助かって立ち上がると、街の方から一台のバイクが走ってくる。バイクに乗っているのは仮面を被った女性のようだ。バイクが野原夫妻の前に停止すると、女性が派手なアクションで下車して、マントと仮面を外し振り返る。「パパ、ママ、大丈夫?」と語るその女性は、大人になったひまわりだった。驚く「かすかべ防衛隊」の一同をよそに、大人ひまわりの凛々しい姿が映し出される。
 この大人ひまわり登場シーンはとても鮮烈だ。ここまで劇中で野原夫妻にはピンチらしいピンチが描かれていなかった。だがその野原夫妻に生死がかかった大ピンチを描かせ、これを間一髪で救うという強烈な形で大人のひまわりを出す。これは本作で出てくる「大人キャラ」の中で最も印象的な登場だったと言って良いだろう。
 また大人のひまわりは美しいというよりカッコ良く描かれているのも印象的だ。「クレヨンしんちゃん」では喃語しか声がないこおろぎさとみさんがここぞとばかりにこの「カッコイイ女性」を印象的に演じているのも見どころだ。同時にしんのすけが声を掛ければ、その凛々しいままの姿でしんのすけ独特の笑い(顔を見せずに頬を赤らめてデレデレと笑う)を演じるギャップも見ていて面白い。「大人キャラ」で最も印象的なのはこの大人のひまわりだ。
 ただこの鮮烈なシーンも、続いてマサオと大人マサオ・大人ネネの間でもう一度同じように演じられてしまう。ここは何かの差別点が欲しかったなー。
研究 ・ 
 

…「家電ロボX」による増蔵の攻撃は留まることを知らない。そこへ大人ボーちゃんが自ら開発した巨大ロボット、「ボーちゃん28号」が現れる。だが大人しんのすけの身体はバイオコーティングされたまま、何故かジェットコースターに乗っていた。しかもそのレールは途中で途切れている。
名台詞 「自分の子供でもか!? 自分の子供にくたばれって言う親が何処にいる!? 親は子供に生き抜けって言うもんだろが!!」
(未来のひろし)
名台詞度
★★★★
 名場面欄の直後、ボーちゃんがしんのすけらが乗ったジェットコースターがレールが途切れている直前まで来ていることを知る。増蔵もこれに気付き、高笑いしながら「どいつもこいつもくたばるがいい!」と叫ぶ。その増蔵に対し、彼が乗る「家電ロボX」のコックピットの画面を通じてひろしが叫ぶ台詞がこれだ。ひろしはこう叫ぶと「ボーちゃん28号」を自ら操縦し、「家電ロボX」を倒す。
 この台詞はとても深い、その深さは自分が親の立場になれば解る。親は子供に生きていて欲しいものであり、どんなことがあっても「くたばれ」とは思わないものなのは言うまでも無い。なぜならそこには親から子に対する「愛」というものがあるからだ。
 もちろんこの台詞はその親から子に向けての「愛」を示すものだが、同時に自分の娘に対し平気で「くたばれ」という増蔵にはそれが欠落していることを示唆している。増蔵が娘に与えたものは「愛」などではなく、自分の思い通りに動いて利益を出すという「物」に対する情でしかない。ひろしの叫びからはそんな増蔵に対しての「結論」というものが見えてくるのだ。そしてその「結論」と同時に、増蔵は倒される。
 この台詞は本作ではかなり印象的な台詞であった。
名場面 大人しんのすけの目覚め 名場面度
★★★★★
 大人しんのすけの身体が乗っているジェットコースターに何とか飛び乗ったしんのすけとタミコだが、様々な手を尽くしても大人しんのすけは目を覚まさない。万策尽きたタミコは間もなくジェットコースターの再上昇点が近いことを悟り、「しんちゃん、もうすぐジェットコースターが下り始める。そしたらもう降りられなくなるわ…ごめんなさい、しんちゃん」としんのすけに語りかけるとしんのすけをジェットコースターから落とす。その瞬間、二人だけが残ったジェットコースターは下降を開始。タミコは大人しんのすけの身体に抱き付いて「いつまでも、一緒よ」と呟き、そっと口づけをする。直後「タミさん」とどこからともなく聞こえる声、タミコは大人しんのすけが目を覚ましたと思うが、「オラこっちだゾ」の声に振り向くと落としたはずのしんのすけがコースターにしがみついている。「ひどいゾ、オラ、オラを助けるまで一緒にいる」としんのすけが叫ぶが、しんのすけは胸の鼓動が聞こえるのに気付く。しんのすけはそれが自分のではないと気付くと、「ボーちゃん28号」の中では大人ボーちゃんが「OBAKAパワー」が急上昇していることに気付く。シーンがコースターに戻ると、大人しんのすけの身体からコーティングの色が抜け、彼は遂に目を覚まし「タミコ…」と声を上げる。大人しんのすけとタミコはコースターの座席に並んで座り抱き合い、しんのすけは気を使って姿を消す。
 本作の最大のヤマ場と言うべきシーンはここだ。増蔵に捕まり動けなくされた大人しんのすけが遂に目を覚ます。その過程は途中までは5歳のしんのすけとタミコの二人で「辿り付く」というものとして描かれたが、最後は大人しんのすけとタミコの二人きりのシーンとして描いた。こうすることで二人の間にある絆が強調されるだけでなく、一時的にも画面からしんのすけを退場させるために展開に緩急が付き、単調になりがちな大人の男女二人だけのシーンを子供が見ても飽きないように上手く描いた。
 もしあそこでタミコがしんのすけをコースターから落としてなければ、二人のキスシーンは「二人だけの世界」にならずにタミコがその行為をする説得力がない。だがしんのすけが落とされたままで画面に再び現れなければ、大人しんのすけが目を覚ますシーンでの感動は薄らいだはずだ。このしんのすけを「画面から消す」というこの設定に多少の無理はあれど、そこを上手くギャグで打ち消した瞬間もあり、ここは本当に印象的なシーンに仕上がったと思う。
 このシーンでは「語りどころ」は沢山あるのだが、それを全部語れば本コーナーが終わらなくなってしまう。もう一つだけ言うなら、しんのすけをコースターから落とした瞬間のタミコが、ちゃんと目を逸らしているところが秀逸だ。コースターの再上昇点から人が転落したら、どうなってしまうか説明するまでもないだろう。しんのすけが何処にどうしがみついていたかは、考えてはならない。
感想 ・金有ランド
 本作の終盤での舞台は、ネオトキオの中にある遊園地「金有ランド」である。その名前からして金有電機の系列企業が運営していて、オーナーが金有増蔵であることは明白だ。
 この遊園地は基本的には室内型のようで、「衝突の冬」によって失われた青空とそこに浮かぶ白い雲が再現されているというのは興味深い。つまりこの遊園地は遊園地としての役割だけでなく、「衝突の冬」前の世界を再現することで人々に安らぎを与えるというものもあるのだろう。青空とそこに浮かぶ白い雲というものは、人々の気持ちを明るくする作用があるはずだ。
 だがこの遊園地の絶叫マシーンであるジェットコースターは、天井の青空を突き破って屋外を走行する。そのコースは凄まじく、高層ビルほどの高さまで登るだけでなく、都市内を走る鉄道路線の高架をくぐるなどのまさに絶叫コースを走るのだ。これは乗ってみたいゾ。
 ただ問題は、それだけのコースを走るのにコースターにはシートベルトの類が付いていないこと。あのコースをシートベルトなしで走るのであればまさに命懸け、それこそ絶叫マシーンの名に偽りなしだ。不思議なのは普通のジェットコースターは再上昇点より高いところへは上がれないはずなのに、このコースターでは再上昇点の後に最も高い塔の最上段まで登ることだ。だがこれがブースター付きで、コースの途中にも加速する設備があるコースターであれば話は別であるのでそう解釈すべきだ。つまり「登り坂で加速する」という予想外の動きをする、本当に恐ろしいコースターなのである。
 それほど怖いコースターから、小さな子供達が「わー」と笑顔ではしゃぎながら降りてくるのだからこれも凄い。あれほどのコースを走るなら子供達のうち一人くらいは泣きそうな顔をしていてもいいと思うが…、隕石衝突を経験したネオトキオ住民はジェットコースター位じゃ怖くないのかも知れない。

…「ボーちゃん28号」が「家電ロボX」を倒すと共に、ジェットコースターがレールから外れて転落したしんのすけ・タミコ・大人しんのすけも助ける。大人しんのすけが「仕上げだ」と5歳のしんのすけに語りかける。そして二人のしんのすけの「OBAKAパワー」により、隕石衝突によって青空を覆っていた厚い雲が晴れ渡る。
名台詞 「あっ、5歳の野原しんのすけ。お前の未来は、お前のもんだぞ。好きなように生きろ! じゃあな!」
(大人しんのすけ)
名台詞度
★★★★★
 「青空を取り戻してくれた人」として街行く女性に囲まれてモテモテの大人しんのすけに、タミコが「悪い事したらグリグリの刑」だと叱りつける。その言葉に女性に囲まれている状況から退却し、逃げ出す前に最後にしんのすけの方に向き直って語った台詞がこれだ。
 物語が「大人しんのすけと5歳のしんのすけの力で、未来世界に青空が取り戻される」という結論が出た。だがこのままではしんのすけの未来がこれで固定されてしまう。しんのすけの未来は不定であり、しんのすけ自身が切り開かねばならないというオチが本作に必要で、本作は最終局面でこちらへと舵を大きく切るのだが、そのオチへと物語を切り替える最初の台詞がこれ。
 この大人しんのすけ自らが5歳の自分に言い聞かせるのがこの台詞は、まだ5歳であるしんのすけの未来が無限であることを示唆しており、「未来は自分で切り開け」というメッセージを伝えているのだ。このメッセージは劇中のしんのすけへのメッセージだけではなく、映画を見ている子供達へのメッセージでもあると思う。もし唐突に未来の自分に出会っても、それが自分の本当の未来の姿とは限らないと言うことだ。
 その方向に結論を持って行く最初の台詞であり、これを主人公の未来の姿の登場人物が語るという点でとても印象的だ。そして物語は、本考察最後の名場面欄へとコマを進め、この未来物語は完全に「なかったこと」にされて幕を閉じるのだ。
(次点)「金有増蔵さん、誘拐や汚職、賄賂脅迫、色んな罪で逮捕します。私、こう見えて、国際警察の者なんです。」(大人ひまわり)
…世界に青空が取り戻され愕然とする増蔵の前に大人ひまわりが立ち、「こんなに明るくなったら、電気の売り上げが減って大赤字ね」と語る。「わしはこのままおめおめと負けはしないぞ」と返す増蔵に突き付ける台詞がこれ。この台詞は物語の結末が出た後に、「悪人が懲らしめられる」という要素を作って見る者を安心させる重要な台詞だ。劇中であれだけ無敵で暴れ回った敵がたった一言で負けてしまうのだが、これは本作の本筋ではないのでこの程度で良いだろう。「負けた」とズッこける内海賢二さんの演技も素敵。
名場面 タミコとの別れ 名場面度
★★★★
 名台詞欄シーンを受けて、タミコも大人しんのすけを追ってその場を去ろうとする。だがタミコも5歳のしんのすけの前で「そうだ」と振り返り、「しんちゃん、最後のお願い。しんのすけさん以上の良い男になってね」と告げる。そして「ありがと」と語りながら5歳のしんのすけにそっとキスをしたと思うと、大人しんのすけを追って走り去ってしまう。頬を赤らめてその姿を見送るしんのすけは、「かすかべ防衛隊」の面々に「決めたゾ。オラ、とっとと大人になろうっと。大人の方が絶対に面白そうだゾ!」と宣言する。そして顔を見せずに笑う。
 これは未来世界でのラストシーンとなる。「大人になったら何になるか」という事を考えてもいなかったしんのすけが、理由はどうあれ「早く大人になりたい」という決心を持って未来世界での物語を終える。しんのすけが未来というものに対して「希望」というものをハッキリ感じ取ったことで、見る者の多くも未来は希望が一杯だと悟ることになるだろう。
 またここまで物語を牽引してきたタミコのラストシーンもここである。主役と同等の強い個性で物語を引っ張ってきたからこそ、彼女に必要なのは「印象的なラスト」である。タミコが画面から消える事自体は出てきて時と逆で非常にあっさりしていたが、その最後の台詞としんのすけへの口づけはとても印象的で、タミコもこの幼児が早く大人になって自分と出会うことを希望しているということが印象付けられる。こうしてタミコというキャラクターが強烈に印象に残った人は多いだろう。
 こうして未来世界での物語は終わり、物語そのものにも結論は得られたが、本作ではオチをつけるだけでなくもう一つ重要なことが残っているので、まだ物語は続く。
感想 ・ネオトキオと金有電機
 今回部分で、ひろしが未来世界で何が起きたかを解説する。この台詞を抜粋しよう。

「隕石の衝突で世界は変わっちまった、春日部もな。一日中真っ暗闇、薄ら寒くてな…。もう一度這い上がるためには、金有電機の力が必要だった。しかし、社長の金有増蔵は自分に従わない者、自分の儲けにならない者は、次々取りつぶしていった。父ちゃんが勤めていた双葉商事もな…。」

 また、この台詞の前にはひろしが「ネオトキオを仕切っているのは金有増蔵」と言ったりしている。この辺りからネオトキオと金有電機の関係を考察してみたい。
 まず金有電機が何を扱っている会社かだ。劇中ではこの会社は家電製造・販売を扱っているように見える。だが隕石衝突による「衝突の冬」が起きている事、それとこのひろしの解説から考えると、金有電機という会社はそれだけではないと考えられる。発電や送電設備などの重電関係なども幅広く扱う総合電機産業であることは間違いないだろう。
 この「衝突の冬」に金有電機がどう対処したか、答えは簡単で彼らは太陽光が遮られている状態で効率的な発電システムを作り上げることに成功したのだろう。隕石衝突でCO2濃度はかなり上がっているはずだ、つまり火力発電などで石油を燃やすことは許されないだろう。となると再生可能エネルギーだが、太陽光は言うまでも無く発電に使えないし、水力は天変地異でダムが破壊されたりしてアウトだろう。風力は海辺が壊滅状態であれば多くの発電所が被災して使えない。こういう時の原発だが、これも海辺にあることが多く隕石衝突の津波と天変地異で破壊されたことだろう。
 だから効率的な発電システムをいち早く作り、それを特許で囲ってしまえばこの世界の主導権を握れる。これに成功したのが金有電機ということだ。どんな発電システムを作ったのかは解らないが、この世界では昼も夜も同じ暗さなので電力使用量は現代と比較にならないほどおおきいはず。
 その暗くて寒い世界は、現代の「石油」と同じ地位に「電力」を追いやったと思う。つまり「電力」を制する者は世界を制するというわけだ。そんな世界で指折りの大企業の本社があるネオトキオは、その世界的大企業金有電機が落として行く税金で潤っているはずだ。ネオトキオだけでない、日本全体がそうであるはず。するとネオトキオの地番が「金有○丁目」だったりすることも頷けるし、増蔵に総理大臣が金をせびりにくるのも頷ける。増蔵はネオトキオどころか、この時代の日本…いや世界を牛耳っているのだ。

…しんのすけらは未来に向かった時と同じタイムマシンで現代に戻ってくる。そして「かすかべ防衛隊」一行と別れ、しんのすけは一人で帰宅する。
名台詞 「うーん。ちょっと、未来まで。」
(しんのすけ)
名台詞度
★★★★
 しんのすけが帰宅すると、彼は両親が元の両親に戻っていることに安堵する。その意味が解らないみさえが、「こんな時間まで何処行ってたの?」と問うたしんのすけの返事が、これだ。
 これはしんのすけにとっては、正直に「今日何処へ行っていたか?」かを答えたものだ。だがこの台詞は本気に聞こえない、ひろしもみさえもこの台詞を別の話題で流すという形で無視する。それほどまでにこの台詞は「事情を知らない者」から見ればふざけた台詞である点が上手く再現され、それ相応の扱いしか受けないことがとてもリアルである。
 だがしんのすけにとっては重大だ、ハゲ頭の父親、太ってしまった母親、そして未来の自分や婚約者と会ってきたという「体験」が、この短い台詞に込められている。そしてこの時のしんのすけはお決まりの「顔を見せずに笑う」ポーズを取ることが、本当なら「普段と違う」と思って良いはずだ。この笑い方の使い方がいつもと違うからだ。
 だがそのしんのすけが行ってきた「未来」は、この次のシーンで「なかったこと」になってしまうからこそ、この台詞がとても印象的になるのである。結局彼が行ってきた場所は未来などではなく、言うなれば「別世界」ということになってしまうからだ。こんなに「有効期間」の短い台詞はないという意味でとても印象的だ。
名場面 ラストシーン 名場面度
★★★★★
 名台詞欄を受けて、みさえはしんのすけの「ちょっと、未来まで」という言葉を無視して「さっきまで大変だったんだから…」と語る。続けてひろしが「巨大隕石群が地球に衝突しそうだって速報が出てな…ま、天文学者が計算したら、ギリギリで回避出来るらしい」と起きていた出来事を語る。それを聞きながらしんのすけは「隕石?」と驚くが、すぐに目を閉じて手に握っていたタイムマシンを見る。だが手に握られていたはずのタイムマシンがない! 「あれ?」と驚くがそのタイムマシンはひまわりが奪っていてなめていた。「ダメだよひま〜、タイムマシンが…」と追いかけるしんのすけ、部屋中を逃げるひまわり、それを制止しようとするひろしとみさえの声…こんないつもの野原家の賑やかさを演じると画面は外に切り替わる、犬小屋のシロが空を見上げると
、夕暮れの空に幾筋もの流れ星が流れて物語は幕を閉じる。
 正直言って素晴らしいラストシーンだと思った。このシーンではふたつのことが描かれている、ひとつはしんのすけが見てきた「未来」がなかったことになること。そして徹底的に野原家のいつもの空気を演じる事である。
 子供が主役で子供向けの映画で「未来」を描く場合、それが特に明るい未来でない場合に重要な事は、「どうやってその未来が実現可能性が低いことであるか」という事を見せつける必要がある点だ。子供がこんな暗い未来を信じて自暴自棄になったりしてはならない、子供達には未来に希望を持たせなきゃならない。だから本作では「衝突の冬」で人々が苦しむ未来を「なヵったこと」にする必要があるのだ。これは同時に未来は決まったものでなく、自分達で作る物だという大事な事を子供達に伝える事になる。本作ではこの点を実に印象的にこのラストシーンで描いたと思う。先ほどまで演じられていた「未来」の発端となった「隕石衝突」を描き、同時にこれが紙一重で違う未来となるという点は「やっぱりアレが起きるのだ」という不安と、そうはならなかった安堵がキチンと描かれている。しんのすけらが見てきた未来の「発端」が、すぐそこにあったことも驚きの点だろう。
 その上でその大事が回避され野原家が「いつもの日常」に戻ったことは、本作がテレビシリーズや原作漫画と同じ世界観の上にあることを上手く訴えている。この手法は多くの劇場版「クレヨンしんちゃん」で描かれるが、本作では特にその点に力を込めたように見える。本筋とは無関係な蛇足な部分であるが、これはとても重要だと思うのは私だけだろうか?
 さらに言えば、しんのすけの手からタイムマシンが消えているシーンも重要だ。このタイミングは「未来」がなかったことになった直後であり、見ている者はしんのすけの手からタイムマシンが消えたときに「あの未来も本当になくなってしまったのか?」と感じる事だろう。そんなむごいエンディングを一瞬だけ想像出来るように描いているのもこれまた興味深い。だがそれは一瞬ですぐにひまわりがタイムマシンを奪っている光景を出すことで、「いつもの野原家」に戻るのだ。どーでもいーが、もしひまわりがタイムマシンを奪ったときに始動ボタン(「みらい」「いま」「むかし」のボタン)を押してしまっていたらどうなったのだろう? それを考えると怖くて夜も眠れない…。
感想 ・隕石衝突回避
 ラストシーンで明らかになるのは、しんのすけが見た未来とは違い「隕石衝突」という一大事がほんの僅かなところで回避されることだ。
 もっとも、劇中に描かれたような大災害を引き起こすような隕石は早期発見され、その動きは監視されている。それでも地球にはそのクラスの隕石の大接近は頻繁に起こり、劇中に描かれたような災害とは紙一重の状況だと言う。本作ではそんな監視下にあり地球大接近が予測された隕石が、何らかの理由で地球に軌道計算よりもかなり接近することが解ったのだと解釈すべきだ。そしてタミコがいた未来に繋がる世界では、その隕石が地球に衝突するコースを取ってしまい、しんのすけがいる現代ではその隕石は地球をギリギリで掠めていったというところだろう。もちろん何らかの理由で隕石が軌道計算コースを外れたときには、スペースガード協会やNASAがこれを発表して大騒ぎになり、慌てて軌道計算をし直したという所なのだろう。
 それよりもこの衝突で未来のタミコや増蔵がどうなってしまったかだ。現代設定でしんのすけが観るテレビ番組のスポンサーに「金有電機」の名があると言うことは、金有増蔵は現代設定でも存在するのだろう。恐らくタミコも3〜5歳位の幼児として存在しているはずだ。ただ隕石衝突が無くなることで「金有電機」は「衝突の冬」を快適に暮らす製品によって経営状態が良くなるという経験をしないはずだ。よって金有電機は日本を牛耳ることはなく、単なる電機メーカーとして成長することだろう。タミコもその流れの中でしんのすけと出会う機会を失い、未来が確実に変わるということだ。
 もうひとつ考えられることがある。それは冒頭でしんのすけがいた現代と、ラストでしんのすけがいた現代が別世界ではないかという問題だ。タイムスリップを繰り返すうちにしんのすけらが「違う過去」に帰った可能性だが、これはもうSFの話なので本作を見た人それぞれの解釈に拠るしかないだろう。個人的にはしんのすけらが行ってきた未来こそが、別世界だと思いたいが。

・「クレヨンしんちゃん 超時空! 嵐を呼ぶオラの花嫁」の主題歌
オメデトウ」 作詞・hiroko/mitsuyuki miyake/Hidemi Ino 作曲・mitsuyuki miyake 歌・mihimaru GT
 とてもノリのよいヒップホップ系の曲だが、その歌詞の内容も含め驚くほどこの映画にマッチしている。曲調はあくまでも爽やかでかつ重厚感も感じるメロディライン、そして詩の内容は長い旅路の果てにゴールインした人に贈る言葉「オメデトウ」。もちろんその内容は結婚を意識した内容のものであり、「花嫁」がテーマの本作に上手くマッチしていると言って良いだろう。
 そしてその背景画像は、青空が戻った明るいネオトキオの街並みである。ただ機械的にその画を流すのでなく、「大人しんのすけとタミコ」「かすかべ防衛隊」「花嫁(希望)軍団」「5歳のしんのすけとタミコ」「未来のひろし・みさえ・ひまわりとシロたち」「未来の団羅座也」「未来のしんのすけと5歳のしんのすけとタミコ」「大人のかすかべ防衛隊」を配している。またそれらのキャラクターとは別に、画面内のディスプレイには本作のダイジェストが流されているという芸の細かさだ。そして最後はネオトキオ郊外の農耕地帯から街を眺める大人しんのすけとタミコ。二人が緑の中に続く道を歩き去って行き、画面が青空へ切り替わる。そこに「臼井儀人先生に感謝を込めて」という文字が浮かぶと、曲も終わって本作も幕を閉じるというものだ。
 本作の最後の方で、「青空を取り戻すため」に大人しんのすけらが活躍し、それが現実になる展開を迎える頃から「青空」を意識的に描いていたのは多くの人が気付いていたことだろう。そしてその青空にいるのは、「クレヨンしんちゃん」に思い入れのある者にとっては原作者の臼井儀人さんだ。氏が不慮の事故で他界してから最初の劇場版だからこそ「青空」を意識して、そこに原作者への追悼メッセージを入れるという手法だ。このつくりには臼井儀人作品を20年以上読んできた私としてはとても感動的で、制作者の氏への想いが伝わってきたこともあって劇場で見た時は思わず涙してしまった。
 この色んな意味で好印象のエンディングは、私にとって劇場版「クレヨンしんちゃん」のエンディングでは最も気に入ったものになった。ただ私が一番好きな漫画家への追悼メッセージという事実は、見ていると辛いのだけど…。

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