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第11話 「パパは中年ライダー」 |
名台詞 |
「まぁいいじゃないか。男は船、女は港。港の数は沢山あるが、安らぎのある港はママのところだけだ。」
(哲夫) |
名台詞度
★★★ |
優の両親が目玉焼きの焼き方が原因で夫婦喧嘩をし、哲夫が家出をするという今話の展開の「締め」の言葉。
中学生時代の本放映時に見た時も、高校時代の再放送時に見た時も、この台詞を聞いて「いつか自分にもこう思える相手が現れるんだろうか?」なんて考えたもんだ。それがどうだい、本放送から27年、再放送から23年経ってもう40が目前だというのに、気が付けばバツイチ独身。しかも目前には恐怖の40代独身男という事実。この台詞を聞いて当時持った希望は何処へやら。
ちなみに私も今から何年も前に、目玉焼きで夫婦喧嘩したことあるなぁ。それだけだ、この物語の通りになったの。以後目玉焼きは自分で作る事にしたよ。 |
名場面 |
夫婦喧嘩 |
名場面度
★★★ |
今話の冒頭は何でもないいつも通りの森沢家の朝から始まる。だがひとつだけいつもと違うことがあった、それは娘は魔女だった…じゃなくて、優のベッドに聞こえるようななつめの怒号が聞こえたことだ。その理由は哲夫に出された目玉焼きの黄身が崩れていたのである。哲夫は「目玉焼きはまん丸に作ってくれ」と苦情を言うと「崩れると足がどう変わるというの、てっちゃん」となつめは口答え。それに対し哲夫は「まぁるいまぁるい目玉焼きが食べたい」と振り付けまで付けて訴えると、なつめは「もうこんな時に!」と怒りに燃えて食器を投げ始める。この攻撃で食器棚が破壊されると、哲夫は「もう我慢できない、僕はこの家の主人だぞ」と威勢良く怒鳴る。さらに「君!この家から…」と哲夫が続けると、なつめが「出ていけっていうの?」と強気の返答を返す。すると哲夫が「…僕が出て行きます」と呟く。このやり取りを見たポジが優の部屋に駆け込んで「大変よ、パパさんとママさんが…」と言いかけると、「喧嘩でしょ?
たまにあるのよ」と優は平気な顔をしてる。ネガも「刺激を求めてるんだろ?仲か良すぎるからね」と何ともないように言う。優によると夫婦喧嘩は7回目とのこと。
いやぁ、この手の物語の「夫婦喧嘩」のツボを全部押さえている「おやくそくシーン」と言っていいだろう。今回はこの場面を名場面として、この手の物語における「夫婦喧嘩」というものを考察したい。
ポイント1、夫婦喧嘩の理由がバカバカしいこと。この二人の夫婦喧嘩の原因は「目玉焼きの黄身が崩れた」というとんでもない理由である。そういえば「クレヨンしんちゃん」原作漫画でも、組長園長夫妻が「妻が納豆に入れるネギを切らした」という理由で喧嘩していた。この第三者から見ればどーでもいーよーな事で喧嘩するからこそ、夫婦喧嘩という深刻な事態なのに終わってみれば笑って流せる安心した展開となるのだ。
ポイント2、それは喧嘩を仕掛けた側と原因を作った側の関係。喧嘩の第一原因はなつめの料理の腕であるが、哲夫もこれに対して大人げない。この喧嘩を仕掛ける方が大人げないからこそ喧嘩が起こるという「場面の自然さ」が場を盛り上げる。また喧嘩がエスカレートしてキレるのは原因を作った方、つまり自分の不徳を自覚してこれを追求されたことで腹を立てる。この構図もこのようなシーンを盛り上げるスパイスである。もちろん原因が妻で喧嘩を仕掛けるのが夫というのも、妻が家事の多くを分担している過程を描いているならば話を作りやすくて、作り手にも都合が良い。
ポイント3、夫婦に子供がいる場合、その子供は平然としていること。「ああ、いつものことか」と視聴者に最も近い存在が語ることで、その子供の一家離散という恐怖が見ている側からかき消される。だからこそ喧嘩が滑稽に見えて笑えるのだ。今回もそうだが、多くの物語で問題が夫婦喧嘩そのものよりも「今回は特別仲直りに時間が掛かる」ことだったりする。
このようにホームドラマが入るアニメでは、こういう形で「夫婦喧嘩」が描かれることが「おやくそく」なのは、何よりも「楽しく見られる」ことがポイントである。本当に夫婦が離婚して一家離散しそうな深刻な展開だと、面白いシーンがあっても笑うに笑えない。だから喧嘩が終われば笑って流せる程度の喧嘩を、面白おかしく描くことがこの手の物語における「夫婦喧嘩」のポイントだ。このシーンではそのセオリーに従い、楽しい夫婦喧嘩として描かれているのだ。 |
感想 |
今話もハッキリ覚えている。冒頭の夫婦喧嘩がばかばかしくて面白くて、そのノリのまま物語が矢のように流れて行く痛快さを感じた。今話ではどうでもいい存在のはずの立花や木所もネタシーンとして上手く挿入されており、邪魔とは感じずむしろ存在が面白くてよかった。今回は起承転結がハッキリしているのが大きな特徴、夫婦喧嘩が「起」、なかなか仲直りしないので「マミ」を餌に哲夫をおびき寄せるまでが「承」、マミが哲夫のバイクで連れ去られてからチキンレースで謎の女が出てくるまでが「転」、残りが「結」となる。
そして優の両親の過去も同時に分かる。二人とも元々は暴走族のメンバーで、これがきっかけで知り合ったとのことだ。よく優がグレずに真っ直ぐ育っているもんだって、それは偏見か。これで8話で出てきた「なつめは車のハンドルを握ると性格が変わる(スピード狂)」という設定についての謎も解けるだろう。
しかし暴走族がカッコイイ時代だったんだから、さすが80年代前半のアニメだと思った。でもいくら「あんまり無茶しないし他人には迷惑を掛けない良い子の暴走族」という設定でも、やっぱ暴走族は暴走族、迷惑な存在だと思うぞ。あれだけの人数がバイクで横一列に拡がっていれば迷惑だ。
今話では優の着替えシーンがあって、優が胸を露わにする。まあ当時の10歳と言えばまだぺったんこで、どちらかというと男の子のような胸板の厚い身体が描かれていて期待していた人はがっかりだっただろう。でもこれは今じゃ放送できないなぁ。それと今回の優→マミへの変身シーンも、原色の点滅が小刻みに続くので「ポケモンショック再発防止」の観点からやっぱもう放送できないだろう。今話は今後テレビで「クリーミィマミ」を放映することがあった場合、お蔵入りになってしまいそうだ。
逆のマミ→優への変身では、姿形が変わる様子が初めて描かれた。これまでは魔法の光の中でいつの間にかに変身していたが、今回はバイクの後部座席でマミが見る見る優に変わるシーンとして描かれたのである。これも興味深いけどなぁ。
(本来なら「暴走族」ではなく「珍走団」という用語を使うべきだが、ここではアニメ放映時にまだそのような言葉が存在しなかったのと、劇中での雰囲気を壊さないようにするため、劇中と同じ「暴走族」という言葉を敢えて使うことにした。) |
研究 |
・
。 |
第12話 「スタジオは大停電!」 |
名台詞 |
「なるほど、台風になるわけだ。だっていつもはギリギリに来るのに、今日に限って時間より早いじゃない。」
(木所) |
名台詞度
★★ |
台風接近の風雨が強い日も、マミにはCM撮影という仕事があった。だがいつもはギリギリだったり、時間に間に合わなかったりして立花と木所をヤキモキさせるマミが、今日に限って時間よりも早くスタジオにやってきた。そのマミにマネージャーの木所が掛けた言葉がこの台詞。
この台詞はマミが時間通りにやってきた驚きと、いつもヤキモキさせられることに対する皮肉を込めたつもりだろう。だが当のマミがそれを皮肉と受け取らず、「台風で学校が…」と言いかけてしまうのが面白い。これはマミがボケたと見るべきではなく、この木所のキャラクター性が現れていると見るべきだ。つまり何処か抜けていて普段とぼけているからこそ、その人から痛烈な皮肉の言葉が出てくるわけはないという彼のキャラクター性だ。
だからこそマミも普段皮肉を言わない人からこう言われても皮肉と受け取らなかった。木所の素直な言葉だと感じて、マミは優としての返答を返してしまったというところだろう。本来ならばマミは冗談交じりに対応すべきだったはずだ。 |
名場面 |
幽霊登場 |
名場面度
★ |
めぐみとスネークジョーはマミに一泡吹かせようと、電気室に入り込み非常電源を無効にした上でスタジオのブレーカーを落とすのだが。作戦通りスタジオを停電させたところで、幽霊さん登場。この幽霊があまりにも前時代的で、中年太りがあって愛嬌があるのに笑った。
しかも、出てきたときの効果音が「ヒュードロドロ」だし。
この面白い幽霊の登場は、ここまでホラームードを漂わせてきた展開を一気に「お笑い路線」へと変えてしまう。9話名場面欄シーンと逆の効果を持っているのだ。 |
感想 |
今回は9話と逆の展開、9話は前半で楽しいハイキングを予感させておきながら後半はホラームードへと逆転させる展開だった。だが今回は前半をホラームードで視聴者を不安がらせ、後半に「幽霊」の正体がユニークな幽霊であることが分かると一気にお笑い路線に変わるという展開だ。以前見た時は幽霊話になったところで、また9話みたいな展開になると思っていたのだけど、全くの逆パターンで驚いた。
また今回は木所と立場なのかけあいも見どころである。木所の幽霊話に立花が怖がるという構図だが、普段はマミとの連絡が取れなくてボケる木所とそれにツッコミを入れる立花という関係だが、今回はちょっと構図が違って立花の「ネタキャラ」としての面が大きくなっている。
優がフェザースターの魔法を使うのは「他の人には内緒」という条件なのに、相手が幽霊なら問題が無いという事は今回判明した。また今回は優が魔法を使って宙に浮くという離れ業を見せてくれる。それだけではなく自動車の中で優からマミへ変身するシーンでは、スティックを小さく回して小さなト音記号を描くという独特のシーンとなった。このようにこの回では他では見られない魔法が見られる。それにしても、幽霊の前での魔法の使用をネガやポジが見たらどう反応したんだろう?
ちなみにテレビ収録中に停電と言えばこの放映の翌年の1984年6月16日に、人気お笑い番組「8時だョ!全員集合」で生放送中の停電騒動があった。この停電の原因は、この公開放送観覧の抽選に漏れた者が腹いせにブレーカーを落としたというものであった。この停電騒動を私もリアルタイムで視聴したわけだが、後日原因が分かったときに「クリィミーマミ」のこのエピソードを思い出した。ひょっとして犯人は「クリィミーマミ」の今話をヒントにこのような犯行に及んだのではないか、と今でも思っている。 |
研究 |
・
。 |
第13話「鏡の向こうのマミ」 |
名台詞 |
「当然よ、他人が私の存在を認めてくれたの初めてなんだもん。この気持ち、あなたには分かりっこないわ。」
(黒マミ) |
名台詞度
★★★ |
鏡から出てきたマミは(以後「黒マミ」と略)芸能界でやりたい放題の末、サイン会の席でファンの一人である俊夫にニセモノだと見破られて逃亡する。逃亡した黒マミをマミが追いかけ、ビルの屋上に追い詰める。黒マミはマミに「陽の当たるところへ出して欲しい」と訴え、「あなたは自分の事しか考えない」と非難し、「私を消せるものなら消してみなさいよ」と煽る。するとマミは「あなた楽しかった?」と黒マミに問う、その返答がこれだ。
どんな人にも自分が他人に決して見せない側面のいうものがある。もしそんな部分に人格があったら、自分に対して強くこう訴えてくるだろう。普段出さない側面も自分の性格として認めて欲しい、そんな部分も自分の一部として大事にして欲しいと。もちろん人間である以上、「裏表」というのは消すことは出来ない、だけど「裏」があるからこそ表の人格が成立するのも確かだ。たとえて言えばある男がきれいな女の人と初対面して会話するとしよう、表の人物像は誠実で真面目な人であっても、多くの場合裏にはスケベ心があったりする。もちろんそのスケベ心という「裏」を消せば、その「表」である誠実で真面目な性格も全部ではないが消えてしまうことだろう。
今回の話はこんな人間の「裏表」を考えさせる内容で、この台詞がこの展開の中核を成していると言ってもいいだろう。 |
名場面 |
ミラーハウス |
名場面度
★★★ |
俊夫やみどりと一緒に遊園地に来た優に、マミに変身して仕事の時間が訪れる。だが遊園地という場所柄、人目につかない場所なんてそうある訳ではない。そこで見つけたのは工事中で立ち入り禁止のミラーハウス。優はこの中でマミに変身するのだが…。
このシーンの面白いところはまず「ミラーハウス」という建物がいかに面白い場所であるかということをちゃんと描いている点だろう。鏡に挟まれた空間で自分の姿が無限に映し出される様子をきっちり描いている。現在はテーマパークというリアルさ満点の遊園地がもてはやされる時代、ただ鏡が大量に並べてあるだけのアトラクションなんていうのは流行らないが、このアニメが放映されていた当時となれば話は別だ。リアルタイムでこのアニメを見た人たちはミラーハウスへ行った記憶を思い起こされただろうし、行ったこと無い人はどんなところが興味が持てるように作ってある。私も豊島園のミラーハウスで遊んだ記憶を思い出したことだ。
そしてもう一点は、優がマミに変身した後の「間」である。いつもの「クリィミーマミ」ならば、マミが登場すればすぐにシーンはパルテノン・プロなりテレビ撮影などに切り替わる。だが今回はマミが変身した場を立ち去っても、画面はそのまま変わらない。こうして視聴者に「何かが起こる」という事を示唆しておきながら、すぐに何が起きているかを描画しないというもどかしさで視聴者を引き込んで置いてから、唐突に鏡にいなくなったはずのマミが映ったままの画面を大写しする。こうして「何が起こるか」を先に示唆してから、鏡の間を光が飛び交うシーンとなって、鏡の中のマミが実体化するという回りくどい手法をとった。これは「起きてはならない事態」が起きてしまったことをも上手く示唆しており、多くの視聴者がこの鏡から出てきたマミは友になるのでなく敵になるのだと察することが出来ただろう。最後に鏡から出てきたマミの鋭い目つきを見せたところで、この予感は確定だ。
このシーンは本放映時に見た記憶がハッキリ残っている。物語の展開に不安と不気味さを感じて、子供の頃は背筋に冷たいものがはしったものだ。今、大人の目線で見直してみると子供が怖がるように計算され尽くしているなぁと感心した。 |
感想 |
いかん、今回はいかん。黒マミのセミヌード写真集のシーンは子供には刺激がきつすぎるぞ。いや、マジで本放映時は刺激がきつかった。なんか手加減無しって感じで派手にやっちゃったという感じだ。子供の頃と行っても私にとっては中学生時代の話だ、あのシーンはすごい刺激になって印象にこびりついた。だからこそ当時はこの物語に引き込まれた、作る側に手加減があったらこの話はこうも面白い話にはならなかったはずだ。
今回は見事に「光と影」というテーマで一貫している。つまりマミが「クリィミーマミ」として活動している姿は彼女の「光」であり、その「光」の裏には当然見えない影があると言うことを示唆しているのだ。そして黒マミが取った行動、つまり芸能界に恋愛スキャンダルを巻き起こしたり、セミヌード写真を雑誌に載せたりという行為は、実は優が持っている子供基準で見れば「いけない願望」である。もちろん正体である優が子供である以上、セミヌードになるということはどういう事なのかと言うことは理解していないだろうし、大人に対して告白してしまったらどういう結果になるかなんて考えてもいないだろう。だが彼女の何処かにある「大人になったら目立って金持ちになりたい」という「影」の欲望が具現化したものなのだ。
もちろん、子供の頃はここまで深く考えることはなかったけど。
しかし、森沢家の店で売っているクレープに「数の子クレープ」とか「うにクレープ」ってあるようだが、どんな味なのか想像しただけで「うげーっ」となりそうだ。「おかかクレープ」「お新香クレープ」も然り。それとこの物語に出てくる遊園地、素朴でいーよなー。私が子供の頃の遊園地はみんなあんな感じだった、素朴で気軽に行けて…よそ行き気分でないと行けないどっかのテーマパークとはえらい違いだ(どっちも好きだけどね)。ここに「時代」が見え隠れしているのも、これまた面白い点だ。 |
研究 |
・なぜニセモノが…
今回、鏡の中から出てきたニセモノのマミ、通称「黒マミ」がマミになりすませて騒動を起こす。マミのニセモノと行っても外見上の違いはなく、利き手が逆な事くらいしか変わりはない。ただ性格的にはマミとは全く正反対、声が違うのは…担当声優が違うからで劇中世界ではマミと同じ声に聞こえていると解釈すべきだ。
この黒マミがテレビ番組で「恋人がいる」と勝手に発言したり、写真週刊誌のグラビアにセミヌードで登場したりとやりたい放題だ。この動きをパルテノン・プロは把握していなかったのか? だとしたらとてもいい加減なプロダクションだと思うのだがどうだろう。
問題はパルテノン・プロとマミがどのような契約を交わしているかである。例えば専属的な契約で「パルテノン・プロ以外のプロダクションを経由しての芸能活動を禁ずる」というように一文がある契約なら、これは大問題だろう。もしパルテノン・プロが現実界におけるジャニーズのように力のある事務所であれば、テレビ局や雑誌社はタレント個人の側からの要望だとしても怖くてそれをそのまま垂れ流すようなことは出来ないだろう。問題が無いかどうかプロダクション側に問い合わせ、そこでストップがかかるはずだ。つまりこの事実から見るとパルテノン・プロという会社は芸能プロの中でもとりわけマスコミへの影響力が強いわけではなさそうだ。
ただマミとパルテノン・プロの契約は専属的でない可能性は高い。それはマミが正体を明らかにしていない…つまりパルテノン・プロ側がマミの連絡先を知らない以上は、マミの行動を拘束することが出来ないからだ。専属契約であれば他の仕事に勝手に行かないよう、仕事がない時間についてまで取り決めされるだろう。つまりマミとパルテノン・プロの契約は、仕事の都度交わされている可能性が高い。従ってマミは他のプロダクション経由の仕事も出来るし、何よりも個人的に自分を売り込んで勝手に仕事することも出来る。だから契約的に黒マミの行為は問題にならなかったに違いない。
こうして見方を変えると、いろいろ見えてくるんだなー。 |
第14話「私のMr.ドリーム」 |
名台詞 |
「ミス・優、例え忘れてしまっても夢を信じている限り、今夜の出来事はいつまでもあなたの胸の中に残っているのです。私のこともね。その印に、あなたの枕元にプレゼントをお届けしておきましょう。ではさようなら、プリンセス。」
(Mr.ドリーム) |
名台詞度
★★★★ |
組長園長先生キターーーーーーーーーーーー!!!!!!って、これは「風の少女エミリー」の時にやったか。今回のもう一つの主役、Mr.ドリームを演じるのは聞き間違えることのない納谷六朗さん。
それはともかく、「ドリームコメット」の秘密のパーティに出席した優は、ドリームコメットのMr.ドリームから自分達と一緒に来ないかと誘われる。だが優には俊夫がいるからそれは出来ない事が分かると、Mr.ドリームは今夜のことは翌朝になれば全て忘れてしまうと優に説く。それを聞いた優が「忘れたくない」と泣いて抱き付いたとき、Mr.ドリームは優にこう言い聞かせる。
今回のテーマは10話の「夢」というテーマからさらに一歩踏み込んでいる。それは「大人になって行く」ことと「夢を見る」事の関係だ。優の年齢は10歳、そろそろ現実が見え始めてきて夢を失い始める年頃だ。私の娘も10歳だが、言われてみるとサンタクロースの存在について疑問を呈するようになってきている。だからこそ「夢を信じる」というのが大事な年頃でもあると思うのだ。夢を信じないと夢を見ることすら出来ない、この作品の制作者はこのメッセージをこの台詞に込めたと思う。
そしてこの台詞は、優が体験した不思議な出来事と「(劇中世界の)現実」を結びつける役割をしている。翌朝、優の枕元には優にとって心当たりが無い物が置かれることになるのだが、それがまさしくこの夜の不思議な体験の張本人が残してものであることをしっかりと印象付け、物語を「オチ」に導く役割を持っているのだ。 |
名場面 |
翌朝 |
名場面度
★★★ |
優が不思議な体験をした夜が明ける。優の部屋に響く母が起こす声、これに反応して飛び起きる優、その優の背後から朝の挨拶をするポジと「あと5分(寝かせて)…」というネガの声。どう見てもごくごく平凡な優の部屋の朝だ。だが優は枕元に今まで部屋になかったある物が置かれていることに気付く、それは光り輝くガラスの靴であった。優がこれを取り上げると、ポジが「どうしてのそれ?」と問うが、優は「わからない、でもなんだか見たことあるみたい」と答える。俊夫の来訪を告げる母、その声に応えて着替えて外へ出て行く優。俊夫は優に幼い頃一緒に遊んだ公園へ行こうと誘い、二人は手を繋いで街の中を走る。
名台詞欄の台詞に引き続き、物語は「優の不思議な体験」から「(劇中世界の)現実」へと戻ったシーンである。ここでガラスの靴が登場したことにより、名台詞欄の台詞が本当だっただけでなく、昨夜の不思議な出来事も事実だっったことが示唆される。と同時にMr.ドリームが告げた通り、優が昨夜の出来事を全て忘れてしまった事も描かれている。このシーンに見ていた子供達は「あれは本当だった」と喜び、「優が全部忘れてしまった」ことで悲しむ。このように優と一緒に一喜一憂できるシーンでもあろう。
同時に昨夜のことを忘れてしまったのが優だけでなく、夜中に街に出て行った優を追いかけていた俊夫も同じであることが示唆される。だが面白いのは、俊夫もこの出来事から何らかの影響を受けた点である。優のことを子供扱いしてろくに相手にしなかったのに、ここへ来て幼い日の優と共に見た夢を思い出したに違いない、優を幼い日の思い出に誘うのだ。私はこれもMr.ドリームからの贈り物の一つだと解釈している。
いずれにしろあのような不思議な体験の後で、いつもの日常を描きつつも「何か」が変わっているというのは、この手の物語の定番であろう。これを上手く表現し、優の体験をウソにすることもなく処理したと感心した。 |
感想 |
10話に引き続き「夢」がテーマで、今回はさらに踏み込んでこのテーマを描いたと思う。10話では「夢は物に頼るのでなく自分で見る」というテーマを置き、今回は「夢を信じることで見続けることが出来る」というテーマであったと考えて良いだろう。
最初は物語と関係なさそうな、哲夫が優の幼い日に語ったおとぎ話で始まり、続いて物語を無理矢理そっちの方向へ引きずり込んだときはちょっと不安だった。Mr.ドリームはどう見ても怪しいし、普通の人間からも見える存在のようだからあれはどう見ても人さらいだぞ。そんな心配を余所に物語は展開する。Mr.ドリームが優が持っているのと同じコンパクトを持っていた点は物語の伏線として序盤でさりげなく描き、それは二人の別れでMr.ドリームの正体がはっきりする際に回収される。これを筆頭に短い話で単発的な伏線とその回収が頻繁な物語だった、その際たる物は優にシンデレラを演じさせたことだろう。
しかし、今回の物語内容的にはともかく、展開的には最も「クリィミーマミ」らしくないものだったかも知れない。まずパルテノン・プロの人たちに出番がなかったのは、1話以来だったと思う。続いて優がマミに変身しなかったのは初だろう、魔法は使ったがお馴染みの「パンプルピンプル…」の呪文もなかったし。でも物足りなさを感じない素晴らしい回だったと私は思う。 |
研究 |
・ドリームコメット
物語の冒頭で、幼い日の優に哲夫が聞かせた話として「ドリームコメット」という彗星の話題が出る。これは次のシーンでテレビニュースとして流れるので、劇中世界では現実に存在する彗星なのだろう。ここにはMr.ドリームという人物がいて、宇宙中の子供達に夢を配って歩いているのだという。地球への接近周期は10年、宇宙全体を回るには地球に来る回数が多すぎる気はしないでもないがここは気にしない方針で。
これを天文学的に眺めてみると、前述した通り彗星なのは間違いないだろう。劇中の設定から見ると10年周期で定期的にやってくるようなので、周期彗星であるのは確かだ。周期彗星と言えば最も有名なのはハレー彗星の76年周期で、これは「クリィミーマミ」ではTVアニメ版完結後のOVAで取り上げられる。短い物ではエンケ彗星の3.3年周期のと言うのがあり、10年周期の彗星があるのは科学的におかしくない。
実際に調べてみると、10.8年周期のバイサラ第一彗星とクレモラ彗星、10.7年周期のネウイミン第三彗星、9.5年周期のカーンズ・クェー彗星…まだまだ探せばいろいろ出てくる。とにかく10年周期の彗星というのは珍しい物ではないので、この彗星は見た目が凄く大きくて目立つから劇中世界のマスコミに取り上げられたと見るべきだろう。 |
第15話「虹色の天使」 |
名台詞 |
「そうだね、犯人はこの二匹じゃない。正直な子は目を見ただけで分かるんだよ。お嬢ちゃんはたまには嘘を吐くね、それもパパとママに。でも悪いことをして嘘を吐いてるんじゃないな、誰にも言えない秘密を持っている、そのためについ嘘を言ってしまう。」
(吉野のおじ様) |
名台詞度
★★★ |
クレープ大好きの「吉野のおじ様」のために特別に用意したジャムが、何者かによってつまみ食いされてしまった。優はこのお詫びに変わりのクレープを持って謝罪にいき、なつめが疑うようにネガとポジの犯行ではないと訴えに行く。その訴えを聞いた吉野のおじ様がネガとポジをじーっと睨んだ後、こう言うのだ。
この台詞の役割はただひとつ、視聴者にこのおじ様がただ者ではないと言うことを示唆する物である。そのためにネガとポジの潔白を証明するだけでなく、優の日常生活まで言い当ててしまう。これによって前述の通り視聴者はこのおっさんがただのおっさんではないと理解し、物語の展開が気になり出す。率直に言えば「こいつ、何者だ?」という思いだ。
この台詞を聞いたネガとポジですらこのおっさんがただ者ではないと感じ気味悪がるのだが、これは視聴者の思いを代弁していると見て良いだろう。そして物語が展開して行くとこのおっさんは確かにただのおっさんで無いことが判明する。
吉野のおじ様の担当声優は、このサイトで最も登場回数の多い声優さんの一人である村松康雄さん。ホント、この人色んな作品に出てくるなー。 |
名場面 |
ビーノVSマミ |
名場面度
★ |
なんでこのシーンで優はマミに変身する必要があったんだ? 説明して貰おうじゃないか、肝付さんよぉ。
(ツッコミどころはそこじゃないだろー) |
感想 |
この話も昔見た記憶がない。「虹色の天使」っていうサブタイトルは記憶にあったから見たのは間違いないのだろうけど。
冒頭で夜空から何かか落ちてきたときは、宇宙ネタ2連発かとも思ったが、話はあらぬ方向に進んでいって意外な展開を見せたのは良かった。だけどその「意外」を強調しようとして物語の本題やテーマというのがおざなりになってしまった感がある。名台詞欄の台詞は印象に残ったが、この回では印象に残るシーンというのが無かったのが何よりだろう。優がマミに変身してビーノとの戦いに勝ち、結果ビーノが優の友達になったのは良い、だけどこれで優が何かを得たのかというとそういう訳でもないし、経験値が上がったとも思えない。前話がとても良い話だっただけに今話は普段は見えないようなボロまで見えてしまうのは残念だ。
ただ今回、ひとつ特筆する点があったとすれば優とビーノとの戦いの中でみどりが優に協力する点だ。今まで彼は目立つ役ではあったが、積極的に物語に絡むことはなかった。しかも上手く行かないだけでなく敵に知られてはいけない情報を漏らしてしまうという使い方をする辺り、彼のキャラクター性をうまく利用したと考えて良いだろう。 |
研究 |
・ウーフニックとは?
今回は「吉野のおじ様」を巡っての物語だ。この「吉野のおじ様」というのは優とどのような関係にあるのかよく分からないが、いずれにしろ大金持ちでクレープが大好きという設定から、森沢家がこの人にクレープを献上するという関係なのだろう。
そして彼は「存在するだけで地球を平和にする妖精」である「ウーフニック」であることが分かる。ネガの台詞によるとウーフニックは地球上に37人存在し、前述の通り存在するだけで世の中の平和が保たれるのだという。ウーフニックは姿形が人間と全く同じだから、本人に自分がウーフニックであるという自覚はないのだという。その事実を知らされた瞬間、ウーフニックであった人物は死んでしまうと言う。
こののウーフニックの生命を狙うのがビーノだ。ビーノは悪の妖精なのだろう、ウーフニックを一人消すと「悪魔の手先」に、短期間に二人消せれば「悪魔そのもの」に成長することが出来るという。つまりビーノの一族は自分の出世のために、ウーフニックの生命を狙っているのだ。
もしウーフニックだった人物が死ねば、そらから虹色の光線が降りてきて、これに触れた人が代わりに新たなウーフニックになるようだ。恐らくウーフニックになった人は、この光線に触れた瞬間にこの光線のことは忘れてしまうのだろう。でないと優のように「光線に当たればウーフニックにされる」と既に知っている場合、もし光線に当たった場合「自分がウーフニックになった」と自覚していることになりウーフニックになった瞬間死んでしまうことになる。それではいつまで経ってもウーフニックの数を増やすことが出来ず、非効率だ。
ビーノ一族が虹色の光線に当たるとどうなるのか? マミとビーノの戦いはこうして幕を閉じるが、画面を見ている限りビーノからは悪の心が消えたようにしか見えない。つまり虹色の光線には邪悪な心を消してしまう作用がたるのだと考えることが出来る。 |
第16話「海に消えたメモリー」 |
名台詞 |
「あれは海に沈んだ方がよかったんだ。」
(あゆみ) |
名台詞度
★★★★ |
う〜、切ない。あゆみが幼い日に難破船に隠した宝物は、優によって発見されたが難破船が沈むときの騒動で紛失してしまう。それを優があゆみに打ち明けると、あゆみはこのように返答する。
その宝物とは金色に輝くイルカの形の置物で、歩によって「ユウちゃん好き」と彫り込まれていた。彼の届かぬ優への思いが込められているもので、実はあゆみひとりにとっての宝物であり、どうしても優に見つけて欲しかった物だ。
だが難破船が沈むときの騒動で、優が助けを求めたのは自分ではなく俊夫だったという事実を見せつけられ、また彼の立場上のこともあって優が自分の手に届かない存在だと思い知った。そしてこの台詞と共に、あゆみは幼き日の優へのおもいをも見に沈めることになったのだ。う〜ん、切ない。
あゆみちゃんの声、どっかで聞いた声だと思ってよく聞いたら、ポップル家の長男じゃん。 |
名場面 |
難破船の沈没 |
名場面度
★★★ |
難破船の船底から優はあゆみの言う「宝物」を見つける。優は何かが彫られていることに気付くが、すぐに船室に浸水が始まって一同は水に流される。優はせっかく見つけた宝物を落としてしまうがそれどころでない。優に一番近いところにいたあゆみが優を助けようとするが…その瞬間に優が助けを求めたのは俊夫であった。優が俊夫の名を叫ぶと、俊夫も優のところに泳ぎ優を助ける。あゆみは何も言えずにこれを眺めるしかできなかった。
あゆみといいう今回限りの登場人物にしては、積極的に優の手を取るなどちょっと馴れ馴れしすぎるぞとここまで多くの人が思っていたことだろう。同時に多くの人は気付いたはずだ、あゆみも優が好きに違いないと。この推察が的中することと、同時にあゆみの失恋が描かれたのはまさにこのシーンと言ってもいいだろう。あゆみは日常の生活から抜け出し、優に告白するためにこの「宝探し」を仕組んでいたのだ。「ユウちゃん好き」と彫った宝物を優に発見させ、自分の思いを伝えようとした。ところが優のピンチで優が求めているのは目の前にいた俊夫であるとハッキリ見せつけられる。う〜ん、切ない。
こうしてあゆみくんの小さな恋の物語は名台詞欄シーンを通じて終わるのだが、このシーンを通じてひとつハッキリしているのは、優の俊夫に対する想いも実は片思いではないという点だ。ピンチの時にはしっかりと優を見ていて、優の安全を第一に俊夫が行動していた事は、このシーンを見れば明らかだろう。 |
感想 |
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/´  ̄`ヽ,
/ 〃 _,ァ---‐一ヘヽ
i /´ リ}
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| | ‐ー くー |
ヤヽリ ´゚ ,r "_,,>、 ゚'}
ヽ_」 ト‐=‐ァ' !
ゝ i、 ` `二´' 丿
r|、` '' ー--‐f´
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皇太子様が「魔法の天使 クリィミーマミ」に御興味を持たれたようです。
(なんで今話の感想にこのAAなのかどうしても知りたい方は、「クリィミーマミ」のDVDを買うなり借りるなりして実際に今話をご覧下さい) |
研究 |
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第17話「時のねむる森」 |
名台詞 |
「美也ちゃんはどうしてこの世界にこだわるのかしら?」
(ポジ) |
名台詞度
★★ |
名場面欄を見て視聴者に生じる疑問を、ポジが代弁してくれる。美也は不思議な世界に閉じ込められているという状況だが、ここから逃げ出すのでなくここにいなければならないと強く感じているようだ。この世界の親玉であるユニコーンが登場としたところでのネガとポジの掛け合いの中から出てきた台詞だが、この台詞に同意してさらに物語にのめり込んだ七曜社は多いことだろう。
そして物語はこの疑問を解く形で進んで行くことになる。なぜ美也がこの世界から出られないのか、本人もこだわるのかがこの台詞から先の主展開となるからだ。 |
名場面 |
マミの気絶 |
名場面度
★★★ |
優は不思議な世界に閉じ込められた美也を救うべく、マミに変身して魔法を使おうとする。その瞬間、美也に毒の花を鼻にあてがわれてマミは気絶する。これを見て驚くネガとポジ…唐突に訪れた美也の裏切りシーンに、視聴者は驚くしかなかっただろう。
だがこのシーンの裏には美也がこの世界から出られないこと、そして美也本人もそれを知っていることが示されている。それは美也がこの世界を司るユニコーンの指示ではなく、自分の力で優を捕らえるべき裏切りを実行した事による。美也は自分がこの世界から出られないのだから、せめて優をこの世界に閉じ込めようと考えてしまったに違いない。
そしてもうひとつの要素、それは優が魔法でマミに変身する瞬間を美也に目撃されたこと。だが目撃によって何も起きなかったことから、美也については魔法を見られても問題ない…つまり美也はこの世界に閉じ込められているだけでなく、既に妖精の一人となっている可能性が示唆されたこと…端的に言えば美也は既にこの世の人ではないということだ。
短いシーンでこれだけの情報量をくれるのだから、今回の推理小説のように「謎がひとつずつ解けて行く」展開では非常に重要なシーンだ。ここをきっかけに物語は、美也の探索から謎解きへと大きく舵を切ることになるのだから。 |
感想 |
そうそう、あったあった。ユニコーンと画家の少女の物語。物語終盤で美也が不思議な世界から出られない理由がハッキリすると、たまらなく切ない思いをしたのは覚えている。今回はもっとホラームードを漂わせても良いんじゃないかと思ったが、出会うことになる画家の少女が悪い人物とは思えないのでそう描かなかったのは正解かも知れない。ユニコーンだってマミが言うことを理解しないから厳しい態度を取らざるを得なかったのであり、本来は優しい人物に違いない。だから本来は怖くなんか無いのだ。
それにしても、優一行がその「森」へ行くのに利用した電車は…どう見てもかつての西武鉄道の名列車である特急「レッドアロー号」だったぞ。なんかすごく懐かしかった。てことはあの森は秩父か奥武蔵であることは間違いない。うんうん、そうだ。
ちなみに14話からずっとパルテノン・プロを中心とした芸能界とは無関係の話ばかり続いていて、「クリィミーマミ」らしくない展開が続いていたが、いよいよ次話から元のノリに戻るようだ。 |
研究 |
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第18話「ざしきわらしの冒険」 |
名台詞 |
「おめえ、オラの仲間みたいな気がする。」
(ざしきわらし) |
名台詞度
★★ |
まぁ、考えようによっちゃ「魔法少女」はざしきわらしみたいなもんだな。 |
名場面 |
ざしきわらしの回想 |
名場面度
★★★★ |
歌番組の収録スタジオに潜り込んだざしきわらしは、遂にマミが歌う場面にまでもスタジオに居座ることになる。そしてマミが歌い始めると…魔法によってざしきわらしは大量のオモチャなどで遊んでいる妄想を見る事になるのだが、同時に故郷で一緒に遊んだ子供達のことを思い出す。
この時の回想シーンが、「夕焼け小焼け」のメロディに乗せてとても美しく描かれているのだ。子供達の笑顔と、日本の里山の風景…このような「日本の田舎」の素朴さをキチンと描いているアニメって多いようで少ない。なぜなら多くのアニメでは「日本の田舎」の素朴さを再現できずにいるからだ。そして子供達が夕方になって帰るときの、ざしきわらしの寂しさ。彼は人間でないからこそ子供達が帰ってしまった時の孤独を知っており、そのざしきわらしの悲しみをうまく画面の中に縫い込んだと感心する。だけど、その世界こそが彼が帰るべき場所だと言うこともうまく示唆している。
このシーンの深さ、昔見た時には全く気付かなかったなぁ。今だからこそこんなシーンに胸を打たれるのだろう。 |
感想 |
ざしきわらしの「わらしちゃん」が巻き起こす、テレビ局内でのドタバタ劇を根幹としたこの物語は、少年時代に見た記憶がハッキリと残っているほどの印象深い物だ。ドタバタ劇にどのようなオチをつけるのかと思っていたら、マミの魔法によって唐突に故郷を想起させられるという手法をとった。名場面欄にも書いたがこの回想シーンにおける風景描画か美しく、だからこそ強く印象に残ったというのもあっただろう。
そしてざしきわらしという存在がもし実在したら…こんな悲しみを背負っているんだろうなという想像力もかき立てられる内容だ。そんな存在と仲良くなりたいという優もこれまた立派だと思うし、何よりもざしきわらしが突然テレビ局に現れたらこうなるという物語を作ってしまった辺り、とても凄いと思う。
そして最後にコッソリと付加した今回のテーマは、ざしきわらしと魔法少女の共通性だろう。魔法少女というのは様々な魔法で人々に幸運をもたらせており、この「クリィミーマミ」でもマミの魔法で多くの人が幸せになっている。「家に住み着くと富を得ることが出来る」という伝説もあるざしきわらしを、マミを対比させることによって「魔法少女」という存在が現代のざしきわらしであることを明確に示唆していると思う。そう、じつはこのざしきわらしは鏡に映ったもう一つの優の姿でもあったのだ。 |
研究 |
・ざしきわらしについて 今回のゲストキャラはざしきわらしの「わらしちゃん」である。劇中では俊夫が「家に住み着いて幸運を呼ぶ守り神」と説明し、優も「神」として座敷童を迎える。彼がざしきわらしであることは自らそう名乗ることによって判明し、ざしきわらし本人が自分は「奥羽地方から来た」としている。では実際に伝説として伝わるざしきわらしと比較してみよう。
ざしきわらしは主に岩手県を中心に広がる伝説で、座敷や蔵に住む神だとされている。家や蔵に住み着いて家人に悪戯をするが、ざしきわらしが住み着いた家には富がもたらされ、ざしきわらしの姿を目撃した者は幸運になるともされている。
姿形は子供の格好とされているが、性別や年齢は伝承によってバラバラで、男の子の場合は黒っぽい着物を、女の子の場合は赤いちゃんちゃんこを着用している場合が多いという。これは劇中に出てくるざしきわらしは男の子のようなので、一致しているのは確かだ。
地域によっては、子供には見えるが大人には見えないという伝承されているところもあるという。だが劇中で出てきたざしきわらしは、大人達に発見されていたのでその種の者ではないだろう。
伝承地域は岩手県を中心に、秋田県や青森県に拡がっているという。劇中でざしきわらし本人が「奥羽地方から来た」と発言しているため、それは秋田県や青森県津軽地方を指していると考えられる。こうしてみるとざしきわらしは人間に対して攻撃的な「妖怪」の類ではなく、幸運を呼ぶ神や精霊といっった存在なのは確かだろう。欧米風に言えば、これこそ「妖精」に当てはまると思う。 |
第19話「マミの一番長い日」 |
名台詞 |
「見損なわないでね!」
(めぐみ) |
名台詞度
★★★ |
いよいよマミの到着時刻がハッキリするが、どう考えてもインサートイベントの開始時刻に間に合わない。ここでめぐみが「いい考えがある!」と思い付くが、立花はめぐみが「マミに替わって歌う」と言うのではないかと茶化す、これに対してめぐみは立花に平手打ちを食らわせながらこう叫ぶ。
この展開において誰が一番落ち着いていて、誰が一番落ち着きを失っているのかがよく分かる台詞だ。勿論落ち着きを失っているのは立花だ、マネージャー木所の手違いにより予定が大狂いになり、社運をかけたイベントの遂行すら怪しくなっている。立花が立場的に最も落ち着きを失うのは当然だろう。
対して最も落ち着いているのがめぐみ、めぐみというキャラは単に「主人公のライバル」という位置にいるのではなく、自分の立場をわきまえた大人としての側面も同時に描かれるキャラだ。ここはマミのピンチではあるがめぐみのチャンスではない、マミを追い落として自分が上へ行ける場面ではないとめぐみはキチンと理解しているのだ。つまり今回のステージの場にいなきゃならないのはマミなのであって、イベントの内容的に他の誰かが代役を取って済む話ではないのだ。これをキチンと理解しているから、立花と一緒に心からマミを心配し、今日のステージが上手く行くよう真剣に考える。つまり彼女は「パルテノン・プロの所属歌手」として当然の行動を取っているまで。
で、こんな心配しているのに社長から疑われるのだから、やはりめぐみも怒りが爆発して「ちゃんと場をわきまえている」とこの台詞で主張したのだ。たんなる立花とめぐみの掛け合いだけでなく、二人のこんな関係が見えてくる面白い台詞だと思った。 |
名場面 |
新曲披露 |
名場面度
★★★★ |
球場の特設ステージは、マミの新曲披露イベントの開始予定時刻である18時を迎える。だがマミの姿はどこにもない、立花が「間に合わなかった…」と肩を落とし、ボロボロになった木所がステージ裏に現れて立花に怒鳴られ、観客はマミの姿がないのにブーイングを上げる。だが球場のスクリーンにはマミが歌う姿が映し出されたかと思うと…特設ステージをぶら下げたヘリが球場に降りてくる。その中でマミは新曲「BIN-KANルージュ」を初めて歌うのだ。
これは今回のハラハラドキドキの長い物語が無事に終わったというだけのシーンではない。実はこれだけの大騒動はこの「新曲発表」のために用意されたと考えて良いだろう。このような壮大(?)な物語の果てに聞かされた新曲は、多くの視聴者の印象に深く残っただろう。私もそのうちの一人だ。 |
感想 |
とにかく長い話だった。放映時間は他の物語と変わらないはずだが、良い意味で長いと感じるように上手く作られた。最初の手違いをきっかけに次から次へと起きるアクシデント、遠ざかるステージ、「間に合わない」とヤキモキしながら待つ関係者。まさに「マミの一番長い日」というサブタイトルに相応しい話である。今回ばかりはネガとポジもトラブルメーカーとして存在しているし、名台詞欄に書いた通りめぐみはマミのライバルではなく協力者となる。さらに前半はマミと木所の掛け合いを中心に進め、これに飽きたところで容赦なく木所を捨てるというつくりは、視聴者を飽きさせないポイントのひとつであっただろう。そらに捨てられた木所を捨てっぱなしにせず、ちゃんと最後の方で再登場させてオチをひとつ演じさせる作りは正直感心した。つまり今回は木所の使い方が非常に上手かったと思う。
また今回は珍しく、優よりもマミの方が登場時間が長いという展開でもあった。これまでは優の姿が標準で、マミの姿がイレギュラーという展開が多かったが、今回は完全に優とマミの関係が逆転。しかも本格的な魔法を使うのは優の姿の時なんだから、ややこしいったらありゃしない。でもこの意外性がこの物語を面白くした一因であるのは確かだ。
この話、本放送、再放送と過去に2回見たのはハッキリ覚えている。物語がテンポ良く進む上で、「長さ」まで感じさせられたと言う感想は今も昔も同じだ。では研究欄は当然のことながら、今回のマミの行程について研究だ。 |
研究 |
・マミの一番長い日 今回の物語は、マネージャーの木所がマミのスケジュールを間違えてマミと一緒に「あたら島」という南の島へ行ったしまった事から始まる。この日はこの島での予定など無く、それどころか都心の球場(後楽園球場と思われる)で18時からマミの新曲披露イベントが開かれることになっている。要はこの南の島で孤立したマミが、この18時のイベントに間に合うかどうかというのが今回の展開の訳だ。木所とマミを島へ運んだ飛行機は既に離陸し、二人が島に取り残されて途方に暮れるのは、冒頭の立花出社シーンから想定すると朝8時40分頃と考えられる。パルテノン・プロは二人を帰京させるべくすぐチャーター機を手配しようとするが、これが上手く行かない。
その頃、マミと木所は本土へ帰る自家用飛行機を見つけ便乗する。だがこの自家用機は大阪へ飛んでしまうが、それでも時間的には余裕があるだろう。この島が伊豆諸島だと仮定すると、大阪国際空港(当時は関西空港も神戸空港も存在しない)まで片道2時間程度の飛行時間と思われる。9時に離陸すれば11時に大阪空港に着陸だ。
ここで木所は羽田へ飛ぼうとしたようだが、席が取れずにやむを得ず新幹線で東京へ向かう。この時の劇中の台詞に「この調子ならば東京駅に開演2時間前に着く」という内容の台詞があるので、当時の「ひかり」号の所要時間から逆算すれば13時より少し前に新大阪駅を出発したことになる。この辺りの行程に時刻的な破綻はなく、またこの通りならマミは十分に開演に間に合うはずだ。
だが不運というのはあるもので、東海道新幹線が架線トラブルで不通になってしまう。マミと木所を乗せた「ひかり」は静岡で足止め、この時刻は15時前後と見て良いだろう(ただ劇中では静岡駅の時計は13時20分頃をさしているが)。ここでパルテノン・プロの他の歌手がステージカーで静岡に来ていることが判明、マミと木所はこれに乗り換えて東名高速道路を西へ向かう。これで熱海へ向かい再び新幹線に乗るつもりだったようだが、木所が他のトラックとトラブルを起こしたことで高速から出てしまう。恐らく、御殿場インターだろう。ここから箱根山中に迷い込み、ステージカーを事故で失いつつ二人がやってきたのは元箱根の遊覧船乗り場…う〜ん、この時点で17時になっちゃいそうだな。
ここでネガが誤って遊覧船に乗ってしまい、これを追いかけたマミも遊覧船の客に。マミの魔法で遊覧船は芦ノ湖を暴走して桃源台の港へ、もう時刻はどうでもいいや。とにかくここで東京へ向かう小学生の遠足一行を見つけたマミは、優の姿になってこの団体に紛れ込み、箱根ロープウェイ→ケーブルカー→箱根登山鉄道→小田急ロマンスカーと乗り継いで、新宿着17時47分ということになる。
さて、何処で時刻がおかしくなっただろう。勿論答えはひとつ、13時少し前に新大阪駅を出て16時頃に東京駅に着くはずの「ひかり」が、13時20分に静岡駅に着いてしまったところからおかしくなっているのだ。この新幹線の動きは劇中の台詞から導き出したもので、私の勝手な想像ではない。新大阪から静岡まで30分、リニアモーターカーも真っ青。ヤボな事を調べてしまった…。 |
第20話「危険なおくりもの!」 |
名台詞 |
「そんな事言ったって、あんたが僕ならやっぱり泣きますよ。」
(木所) |
名台詞度
★★ |
今回の話では、立花は名場面欄シーンと木所が追っ手に追われるシーン以外では、ほとんどのシーンで二枚目に徹している。そして科学的な手段を講じても指輪が外れず、「泣くな、男だろう」と慰める立花に、木所はこう言い返した。
もちろん、この台詞では言うまでもなく立花のネタキャラとしての側面を示唆しているものだ。たまたま指輪をはめて取れなくなったのが木所だったから、木所が泣き役になっているだけの話で、木所が言うまでもなくこれが立花だったら間違いなく立花が泣き役となっいただろう。その場合、勿論「泣かないで下さい」と慰めるのは木所の役回りとなる。この二人は性格がダブっているのでなく、立花は二枚目、木所は不器用な男という本来のキャラクター性を軸に、いつでもネタキャラに出来る味付けがされている。これが二人ともおっちょこちょいだったり、臆病だったりという共通点ではあるが、二人が掛け合いをすれば多くのシーンで木所がボケで立花がツッコミになるというキャラクター性の違いがある。その中の二人の共通点を際だたせる役割を、この台詞が持っているのは確かだろう。 |
名場面 |
考古学者の研究所 |
名場面度
★★ |
マミへのプレゼントとして送られてきた指輪を、木所がはめると抜けなくなってしまう。それどころかそれが理由で何者かに木所が襲われる事態を受け、立花は知り合いの考古学者に指輪の鑑定を依頼する。その席で考古学者が「そのトンガリ王国という本を取ってくれ」と立花に言う、立花が「これですか?」と本を取ると…その本がバカでかいというギャグシーンに切り替わる。
今話は各所で面白いギャグが散りばめられているが、これはその最たるものだろう。もちろん何気なく本棚から本を取ったら、これがバカでかい本だというギャグは多い。だがこのシーンにおいては視聴者もギャグがなくなって真面目なシーンに切り替わると油断したところでこの古典的なギャグを見せられて、大したギャグでもないのに思わず吹いてしまうシーンとして完成されている。またこのギャグシーンで「巨大な本」として出てきたこの本を、この後のシーンでもちゃんと「巨大な本」として徹底的に描く辺りも、このギャグシーンの余韻をうまく使っていて非常に面白かった。
これともう一つ面白かったのは、パルテノン・プロ→考古学者の研究所→金属材料の研究所と移動する車の中での、マミとめぐみの会話だ。この二人の会話も「同じオチ」へ向かう会話として、それを面白おかしく聞かせるという点で完成していると思う。 |
感想 |
この話はノリだけである。もちろんトンガリ王国の面々という、終盤へ向けての重要なキャラが初登場しているわけだが、この展開を見る限り最初はこのトンガリ王国の人たちは今回だけの一発屋だったのだと推測される。だから彼らの登場が特に印象に残るように作られていないし、今話そのものがトンガリ王国の話なんかどうでもよく、木所がはめた指輪が取れなくなったという主展開だけで残りをノリだけで進めてしまっているわけだ。そしてノリとテンポをよくするために、これまでの回以上に多くのギャグが取り入れられているのが特徴的である。
そのギャグも多くがテレビアニメとして「古典的」なものが多い、名場面欄に挙げたものもそうだし、また金属材料の研究所のシーンもそうだ。この古典的なギャグを次から次へと見せることで、「木所の指輪が取れなくなった」というだけの物語に恐ろしい程のスピード感が乗って、本当に面白いのは木所が悩んでいるシーンであってギャグはたいして面白くないのに、面白おかしい1話が出来てしまったから不思議だ。
その秘訣は、ギャグを繰り出す「間」が計算され尽くされているからだろう。おやじギャグだって適度の「間」と適度のタイミングが揃えば、アホみたいに笑えるギャグになる。今回はその辺りを計算尽くして作った1話だということがよく分かる。 |
研究 |
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