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・「ドラえもん(劇場版) のび太の恐竜」総評

・物語
 この映画の特徴は、全編で90分の映画が見事に30分ごとの3つの展開として等分されていることにある。30分ごとに物語に山がきて次の物語へと進んで行く、そんな展開を取る。

 最初の30分は言うまでもない、物語が幕を開けてからのび太がピー助を白亜紀の海に返すまでの展開であり、最初期の原作短編漫画時代の展開である。ここは通常の「ドラえもん」という物語の醍醐味である、「小学生の日常生活」をベースに物語が進んでいく。スネ夫の家の応接間で、スネ夫が家にある裕福ならではの「何か」を自慢するところから始まる物語は、「ドラえもん」の王道パターンの1つと言っても過言ではないはずだ。こんな形でいつも通りの「ドラえもん」として物語は幕を開き、「いつも通りのドラえもん」として進んで行く。
 最初の30分でこのような展開としたのは、シリーズ処女作だからこそ重要だ。劇場版「ドラえもん」の多くの作品では、序盤でのび太達の日常が描かれるが物語の3分の1もこれで引っ張るのは「のび太の恐竜」くらいの物だと思う。観覧者に「いつものドラえもん」を見せることで、「これまでと違うドラえもん」にせざるを得ない劇場版にも人が入りやすくなったと感じる。
 またこの物語の特徴は、これは短編漫画時代からの物だが、のび太がドラえもんに頼り切るのでなく自分で何とかしようとする物語が描かれる。何か問題があるとすぐ「ドラえも〜ん!」ののび太ではなく、ドラえもんと口論の挙げ句「いい、僕一人でやる」と立ち上がるのび太を見て、良い意味で「いつもののび太じゃない」と感じた人は多いだろう。そののび太の言動こそが、物語が進むとピー助にはまり込んで愛情を注ぐ原動力となるよう違和感なく描かれ、最初のヤマ場であるのび太とピー助の最初の別れが感動シーンとして盛り上がることになる。

 続いての30分は「冒険」の導入部分であり、序盤の「小学生の日常」ベースの物語と、物語の終盤の「悪役との闘い」という「小学生の日常」と掛け離れた物語を上手く繋げる役割がある。もちろん最初の30分の中にも「悪役との闘い」へ向けた伏線は多く張られているが、その伏線だけでは物語はこうも見事に切り替わらないものだ。
 その物語の切り替え狼煙を上げるのは、前半でのび太が苦し紛れに宣言した「鼻でスパゲティ」が鍵となる。短編時代は「オチ」に使われたに過ぎなかったこの伏線は、物語を「小学生の日常」を平凡に生きるしずか・ジャイアン・スネ夫の3人を上手く白亜紀へと導いて行く面白い展開だ。「鼻でスパゲティ」はいつの間にかのび太が皆に「白亜紀に返したピー助」を見せざるを得ない状況に追い込み、その見てみた結果が早急に白亜紀へ行ってピー助を救わなきゃならないという物語へと自然に流れる。そして無理矢理皆がついてきてタイムマシンが暴走故障、平凡な小学生が白亜紀に放り出されるまで僅か5分で再現される。この流れが自然で無理がない。
 そしてピー助と再会さえしてしまえば、後は一同の白亜紀での生活を主軸に物語を進めればいい。皆の楽しい白亜紀での海水浴、ティラノサウルス襲撃、タイムマシン故障の発覚、それに伴う旅の方法の議論と、旅本体。終盤への伏線を張りつつこの展開を忠実に進めることで、「悪役との闘い」への入り口へと話をのんびりと進めて行く。次の「悪役との闘い」が皆が白亜紀に来ていきなりでは白けてしまうため、ここで「時間」を感じさせる役割があることも明記しておこう。
 だが一番退屈しやすいのもこの展開だ。順序立てた物語を進めて行くだけなので、物語の緩急の付け方が最も重要な点になってくる。もちろんしずかに着せる水着を間違えたり、しずかのシャワーシーンなど「目を引くシーン」はここに集中投入だし、ジャイアンリサイタルといった名物シーンもここに入れ込んでくる。間延びしがちな「旅」のシーンはダイジェストで描くのみとし、詳細に描くのは旅先での事件等に絞っている。その中でもブロントサウルスが現れる火口湖のシーンは何度見ても圧巻だ。
 こうして一同を白亜紀に定着させ、この後の命懸けの冒険譚に上手く話が流れるようになっている。

 そして最後の30分は何度も言っているように「悪役との闘い」という、命懸けの冒険譚である。この要素はそれまでの「ドラえもん」にはなかったものであり、序盤の「小学生の日常」としっかりと距離を置いた上で演じられるのは秀逸だ。
 その最初のシーンは「単に旅の続き」をしているようにしか見えない。だがそれが瞬時に、彼らが旅の移動手段に使用している『タケコプター』の不調と、「翼竜に襲撃される」という一同の大ピンチへと変化して行く。このピンチで観覧者の不安を大きく煽ってから、満を持して「悪役」である「黒い男」が姿を現す。これで物語は単なる「冒険旅行」から「悪役との闘い」へ、僅か3分で様相を変化させるのだ。そして「悪役」が餌をちらつかせながらピー助を入手しようと企み、その「餌」の存在でもってこれまで一枚岩だった仲間達に亀裂が生じる。だがその亀裂の修復に時間を掛けないのがこれまた痛快で良い、本作では仲間割れとその修復は本題ではなく、あくまでも目の前の敵に立ち向かうことが本題だからだ。
 同時に敵の「親玉」であるドルマンスタインが登場し、いよいよ主人公らと悪役の闘いが幕を切って落とされる。ピンチかと思ったら実は陽動作戦、という展開でスタートし、その後はどう考えても主人公側が不利な闘いとして描かれる。この闘いでは一貫してのび太達に特殊な力を持たせず、ドラえもんの道具に頼る展開も最小限に抑えられているのが見どころだ。
 だからこそしずか・ジャイアン・スネ夫の3人が敵の手に落ちる展開は説得力があるし、その上での競技場での闘いというクライマックスへ自然に物語が流れるので大いに盛り上がる。競技場までは悪役にとって圧倒的有利な展開であるが、ここで中盤に張られた伏線によって形勢が逆転し、「タイムパトロール」という正義のチームが登場して闘いは終わる。
 この闘いは一貫して勧善懲悪という訳ではない。確かに「黒い男」もドルマンスタインもどうしようもない悪役だが、それに対して主人公側も「敵の基地に乗り込んでタイムマシンを乗っ取る」という大胆な計画を立てている。相手が犯罪者とはいえこれは泥棒とも取れる行為であり、生きるために主人公らが選んだ苦渋の選択でもあるのだ。こういう敵味方の構図も、この作品の特徴だ。
 そしてこの闘いの最後にのび太とピー助の別れが大々的に演じられる。ここまでの物語を通じて二人の「絆」を強く見せつけてきたからこそ、この別れは感動シーンとして説得力があり多少大袈裟にやっても白けることはない。こうして「ドラえもん」史上に残る名場面として多くの人の記憶に残ったシーンになったのは言うまでもないだろう。
 最後は夕暮れの街を背景に「オチ」が描かれる。ここでやっと本作のテーマに迫ってきたと考えて良いだろう。

 物語全体は自然に上手く緩急を付けて流れており、90分の映画とは思えない程の「長さ」も感じる。かといって退屈な内容ではなく、「映画館」というスペースで存分に「非日常」を味わえる作品として完成していると思う。
 この物語が強く訴えてくることは「絆」というテーマだろう。のび太とピー助の絆だけでなく、協力して死線を乗り越えてきた仲間の「絆」というものが、嫌味が無く自然に描かれている。去年の震災以降、マスコミが「絆」という言葉を軽く使いがちだが、この映画を通じて見せつけられる「絆」はそんな簡単な物ではないことは理解出来るだろう。
 のび太とピー助というのは、育て育てられという「絆」がキチンと再現され、その中でその「絆」のために主人公のび太がどれだけ力を出したかという面はしっかり描かれている。この部分は本作よりもリメイク版の「2006」の方ではさらに協力に描かれていて、本作品の主軸となっている部分でもある。時には言うこと聞かないピー助だが、のび太はこれをキチンと制御し、ピー助の幸せである「いるべき場所に返してやる」という目標に直向きになるのだ。
 そしてしずか・ジャイアン・スネ夫の3人を含んだ仲間の「絆」というのも注目点だ。特に中盤以降、彼らは帰れないと知ってドラえもんに文句言ったり、帰る手段を思い付いても様々な理由で無理と解ればまた声を荒げるといった我が儘ぶりを見せる。だがそこを起点に一致団結し、白亜紀という人とは隔離された世界を自力で生きたという「絆」で結ばれるのだ。そして敵が現れたときは一度は仲間割れを起こすが、これも「早く帰りたい」という子供心を考えれば当然だ。その上で闘いで1つになるという展開は、「絆」を本当に嫌味無く演じていると思う。ラストシーンのスネ夫の台詞は、本作のこの部分を皆に気付かせるために存在したといっていいだろう。

 総合的にはとても良い映画であり、今の子供達には是非とも見てもらいたい作品の1つだ。ドラえもんの最新作も良いけど、たまには原点に返って「のび太の恐竜」もキチンと見て欲しい。そして震災以降マスコミなどがいう軽い流行語としてではなく、本当の「絆」というものを子供達にキチンと見て欲しいと思う作品だ。

・登場人物
 登場人物に付いては、「ドラえもん」をよく知っている方も多いと思うので改めて説明する必要は無いかも知れない。だが映画版には映画版の独自のキャラクター性があり、この「のび太の恐竜」ではそれが出し切れている部分とそうでない部分がある。

 主人公であるのび太は、この作品において「劇場版ののび太」というキャラクター性を確固たるものにしたと言っても過言でないと思う。「ドラえもん」という物語はのび太中心に描かれていると私が解釈しているが、そうは思ってなくて「ドラえもんが主人公」と感じている人は多いことだろう。だが本作品ではタイトルを「のび太の恐竜」とすることで、明確にのび太を主役に据えたと言って思う。
 「のび太の恐竜」ののび太は、「ドラえもん」他作品には見られない主体性を持っているのが特徴である。基本的にのび太がドラえもんに泣きつき、それによってドラえもんが「ひみつ道具」を出すというのが「ドラえもん」の展開であるが、本作ではそのパターンを裏切ってのび太が自分の力で「何とかしよう」とする点は特筆だ。こういう構図は他の長編作でもなかなか見られず、「のび太の恐竜」独自の展開かも知れない。この点が初出の原作短編漫画の時点で出ていたこともあり、のび太のこの行動こそが本作が長編作に描き直され、映画版の処女作に選ばれた理由かも知れない。
 のび太は前半ではピー助を見つけて育てるという行為を自主的に行い、中盤では前半の「日常」から終盤の「冒険」へと上手く話を転がす牽引役となり、後半では登場人物達による「冒険譚」を先頭を切って進める、まさに主人公として満点の活躍をしている。特に「冒険」を先頭で引っ張るという要素については、観覧者を「非日常」へ誘わねばならない映画版では必要な要素なのは確かだ。こうしてのび太の主人公としての立場が大きくなり、映画版の主人公として使えるようになったというところだ。
 だが、のび太は最初から最後までずっとこのような格好良さがある訳ではない。冒頭では悔し紛れに出来もしないことを言ってしまう癖が出ているし、特に序盤ではジャイアンやスネ夫にバカにされっぱなしという「いつもののび太」もキチンと演じている。中盤では大口を叩いたが為に誰にも信用してもらえないという役回りも来るし、旅には入れは仲間も中で最も体力がないという設定も変わっていない。そして終盤の「黒い男」との基地での闘いでは、一番肝心なところでドラえもんがのび太を押しのけて主役に立ってしまう。だがそれを差し引いても本作ののび太の活躍はめざましいものがあり、本作では多くの人が「ドラえもんよりのび太の方が印象的」だったことだろう。

 ドラえもんは普段の短編作ではのび太と一緒に物語を動かす役であるが、「のび太の恐竜」では完全にのび太のサポートに回っている。とはいえドラえもんの役割はとても重要で、のび太には理解出来ない難解な話や作戦立案などの「頭脳」の面での活躍が目立つ。同時に物語を進めるために「ひみつ道具」を出すという役割もあり、ドラえもんが無くては物語が進まないのは否めない事実。
 だが「のび太=主人公として物語を牽引」「ドラえもん=主人公の特に能力面でのサポート」という分担は、本作をきっかけに劇場版での基本となったキャラクターの力関係である。テーマに沿った物語をとにかくのび太に引っ張ってもらい、ドラえもんはそののび太ではどうにもならないところで「ひみつ道具」や「頭脳」で出番という訳だ。本作でも一貫してこの構図で描かれている、序盤のピー助が生まれるまでの展開はそれが如実に表れている。
 本作の特に中盤では、ドラえもんを意図的に画面から遠ざけようとしているのではないかという点も見受けられる。特にタイムマシンが暴走した直後、ピー助との再会からしばらくがそれに該当する。だが終盤の「黒い男」の基地に乗り込んでの闘いの中でも特に反撃シーンは、ドラえもんは主役ののび太を差し置いて先頭で闘ってしまう。
 だが本作でドラえもんの劇場版での立場が確定し、映画館でのドラえもんは徹底的にのび太のサポート役になって行く。それは映画のタイトルがみんな「のび太の〜」「のび太と〜」なのが証明していることだ。

 仲間達の紅一点、しずかは本作ではかなり活躍が大きかった。序盤でこそは特に理由も無く他の仲間達と一緒にいるだけだったが、中盤では名台詞欄で上げて台詞により物語を白亜紀へと回すきっかけを作る。そして白亜紀へ行ってしまえば彼女は良い意味でも悪い意味でも「女の子」を武器に物語の前面に出てくるのだ。『着せ替えカメラ』での「おやくそく」や、名物のシャワーシーンもさることながら、ブロントサウルスの子供を見つけて可愛がったり、のび太がダウンしそうなときに優しくするなどの「役割」は今後の劇場版にも受け継がれて行くことになる。
 スネ夫は物語のきっかけを作る重要な役回りであるが、本作では意外に肝心な台詞を彼がさりげなく吐いたりしているので目立つところも多い。特にラストシーンでは本作のもう一つのテーマである「仲間達の絆」というものに深く入り込んだ台詞を吐く。また『着せ替えカメラ』の服のデザインや、電池は休ませながら使うと意外に持つなどの知識面も、影ながらの功労者として印象に残る働きをしている。

 本作で最も不遇だったのはジャイアンだと思う。本作も含め劇場版のジャイアンの役どころは、紆余曲折があるにせよ主人公のび太の協力者として描かれ、その立場で力技というのび太に不向きな面を補う役割があったはずだ。その役割から「映画版ではジャイアンはいい奴」という印象は強い。
 「のび太の恐竜」では原作長編ではそう描かれている。谷川で翼竜に襲われた際、ジャイアンがタケコプターを落として墜落したのをのび太が助けたことをきっかけに、ジャイアンはのび太と共に悪役を倒し日本へ歩いてでも帰ると決意する。そしてのび太とがっちり握手をして、スネ夫を説得(というか脅迫)するのだ。
 だがそんな面はカットされてしまった。件のシーンではジャイアンとスネ夫と共に反対意見を言う側に回り、理由付けのないまま最終的に皆と行動を共にするだけである。本作ではジャイアンの力業が活きるシーンも皆無で、しずかやスネ夫と一緒に簡単に的の手に落ちてしまう。序盤でものび太をぶっ飛ばすのでなく、スネ夫と一緒にいやみったらしくのび太に対応するだけだ。彼が唯一彼らしかったシーンは、中盤の「ジャイアンリサイタル」だけだ。
 これは本文で述べたことだが、劇場版ではジャイアンを「いい奴」にしておかないと彼の出番がないということを、「ドラえもん」長編に作り慣れていない制作者側が理解していなかったのだと思う。原作長編でのび太とジャイアンががっちり握手したりするのに馴染めなかったのは、それまでそういうシーンが無かったのだから無理もないことだろう。だが原作長編の段階でジャイアンをあのように描き直した作者のセンスは凄いと思う。二作目以降のジャイアンは、紆余曲折の末にのび太に協力して大活躍する立場に変わる。だが彼が「いい奴」になるのはまだ先のことだ。

 ピー助はとても愛らしく描かれている。首長竜が人間の言葉を聞き分けられるかどうか科学的には解らないが、ここはアニメらしくピー助がのび太の言葉を理解していたように描かれた事は歓迎したい。首長竜なのに寂しがりやという設定は、のび太とのコンビで考えれば正解だろう。お互いに似ているところを感じたから惹かれ合っている、そう取ることも出来るのだ。

 「黒い男」やドルマンスタインと言った悪役達もとても印象的だ。彼らは相手が子供であっても、決してそう割り切った対処しなかったのは秀逸である。特にこのように作ったのは見ているのが子供が主体と言うことを考えれば、大正解であったと思う。子供達はああいう悪役が自分達と同じ子供に手加減無しで挑んでいくからこそ、まさにこの映画を「手に汗握って」見ていた事だろう。昔の私がそうだった。そして最後は子供を見せ物のように扱うという非道を見せた上で、ちゃんと正義のチームに捕まるというオチを見せたことは、子供向けとして正解だ。

 最後に名台詞欄登場回数である。劇場版「ドラえもん」は一作当たりのキャラ数が決して多くないが、本作でもその少ない方の部類に当たると思う。だから当欄への登場はみんな最小限だし、テレビアニメや短編作では重要な立場ののび太の両親などは出てくる隙間もない。結局当欄に名が上がったのは、後半でも出てきたキャラに限られることを明記しておこう。

名台詞登場頻度
順位 名前 回数 コメント
のび太 本作では物語を協力に引っ張る主人公、映画版での「格好良さ」も本作では見せている。印象に残ったのはやはりピー助名付け時の台詞、まるで子供をあやす母親のようなドロンジョ様の声は何度聴いても良い。
ドラえもん 物語タイトルキャラ、だがのび太の頭脳面でのサポートもあるので名台詞は多い。その中でも序盤の「温かい目で見守ってあげるからね」とのび太を見守る台詞は、ドラえもんの父性があって好きな台詞だ。
スネ夫 物語の始まりというきっかけを作ったのもスネ夫だが、物語の終わりに「仲間達との絆」というテーマでオチを付けた点も忘れてはならない。そのラストシーンでの名台詞は好印象だ。
ピー助 赤ん坊に続く当欄での「言葉を喋らないキャラ」の登場、そのピー助が最初にのび太と別れたシーンでの鳴き声はずっと忘れずに胸に残っている名シーンだ。本作ではひたすら「ピューイ」と泣き続けたよこざわけい子さんの演技が光る。
しずか 本作での紅一点だけあって、色んな意味で便利に使われたキャラでもある。そんな中で中盤ののび太を批判する台詞は「ごもっとも」な台詞でとても印象深い。ただしのび太が嘘をついていなかったので正論にはならなかった、という点でも印象深い。
ジャイアン 本作で一番不遇を買ったキャラでもあろう。たてかべ和也さんの声で「俺、歩いてもいいぜ、日本まで」ってきいてみたかったなー。彼の名台詞は原作長編漫画ではスネ夫の台詞。
黒い男 子供に対しても決して手加減しない相手として印象に残る。リメイク版の「のび太の恐竜2006」ではさらに怖い顔になって子供達をビビらせた。その名台詞は彼の極悪な面が上手く描かれている、「人間狩り」とは良い台詞を選んだものだ。
ドルマンスタイン 彼はいわば黒幕と言っていいだろう。特にこれと言った特徴がないだけに、そんな人物が主人公達に銃口を向けるのは本当に怖い。「のび太の恐竜2006」では少しユーモラス。名台詞では「のび太達は死ぬしかないのか」とマジで不安にさせられた。

・追加考察
「のび太の恐竜2006」について(新作)
 2006年、声優陣と作画が一新された「わさびドラえもん」のキャストでリメイクされた作品。新キャストで始めて作る劇場版「ドラえもん」に敢えてこの作品を選んで人々を驚かせた。このリメイク作品を、本作や原作漫画との比較で中心に語っていきたい。

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