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・「南の虹のルーシー」のエンディング
「フローネの夢」 作詞/作曲・井上かつお 編曲・青木望 歌・藩恵子

 実は私にとってはあの印象的なオープニングとは裏腹に、全く記憶に残っていなかったエンディングである。今回の再視聴で「そういえばこんなエンディングだったっけ?」とやっと思い出した。
 あの派手なオープニングや明るい物語と比べるとちょっと寂しい曲調ではあるが、この物語のもうひとつの一面をうまく表現している曲だと思った。それは劇中ではあまり語られなかったもう帰ることの出来ないふるさとへの思い、人間社会へ戻りたいという欲望、何よりも無人島に閉じ込められて寂しいという一家の本心。これらを上手く表現していると思う。
 つまりオープニングとエンディングで、無人島での漂流生活の「明」と「暗」を上手く表現し分けているのだ。「暗」の方も生活の辛さなどの方向性ではなく、あくまでも人間社会への未練や故郷への思いという方向性を強調し、物語の悲惨さは全て本編に回すことで印象が悪くなることを抑えていると思う。
 そしてこの曲がエンディングとして相応しくなるために、1話でフローネのベルンでの友人達をキチンと印象付けておいたのはよう効果だったと思う。フローネにも残していた友がいるということをこのエンディングで忘れさせないようにし、物語の悲壮感をも高めていたのだ。

・「ふしぎな島のフローネ」の総評
・物語について
 物語は大きく3編に分けられるとして良いだろう。この3つに分けて物語の総評を語りたい。
 まず最初は物語が始まってから一家が遭難して島に落ち着くまでの物語で、1話から10話前半までがこれに相当する。ここでは一家が何故オーストラリアへ行くことになったのかから始まり、海難事故を経て島にたどり着くまでの軌跡が大きな流れとして描かれているのだ。ここでは嵐に遭遇するまでの船旅を楽しく描くこと、対して嵐のシーンでは船旅の辛さや大自然の現実を迫力を持って描き、そこから助かるまで…つまり無人島に上陸するまでの過程は決して簡単ではないという現実を描いた。こうして物語に緩急が付いたことで視聴者にとって分かり易い物語になっただけではなく、楽しさと迫力が両方あることで視聴者を強力に物語に惹き付けたことであろう。この「楽しさ」と「厳しい現実」を極端に描くのはこの物語全体を通じての特徴である。また島に上陸する過程も決して平坦な道のりでなく、だからこそ物語が進めば逆に「島からは簡単に出られない」と感じられるように出来ているのも良い。この部分では登場人物も比較的多く、今後の展開が信じられないほど賑やかに物語が進むのも特徴だ。
 続いては無人島生活前半、10話後半から32話までで一区切りできる。ここでは島の実像がひとつずつ解り、これに一家がひたすら対処して行くという展開を取り、「ふしぎな島のフローネ」の主体をなす部分であり多くの視聴経験者がイメージする展開でもあるだろう。ここでも物語の緩急がハッキリしており、船を発見して合図を送るも見過ごされたり、ジャックが重病に罹ったり、脱出船を作るも流されたりという絶望的な展開もあれば、兄妹喧嘩があったり、両親の結婚祝いをしたり、フローネの誕生祝いをしたりという楽しい展開もある。楽しいことにしろ絶望的なことにしろ一致しているのは、一家は常に団結しておりその団結力でもって様々な困難に諦めずに対処するという展開だ。この部分では物語全体としての流れよりも1話ごとに緩急を付ける事に重点が置かれ、1話ごとにテーマを決めた「一話完結」のスタイルが多いのが特徴だ。
 そして島の生活後半から脱出までは物語の展開はガラリと変わる。まずは一家が明らかな「他人」の痕跡を「白骨死体発見」という形で見つけ出し、この新展開の衝撃も覚めないうちに今度は生きた「他人」の気配を見つけるという展開に回る。この「他人」は程なく他の漂流者モートンとタムタムという形で現れるのだが、この遭遇から島の脱出までを絶望的事件や大きなピンチに頼ることなく(脱出船上は除く)大きな流れとして描いて一連の物語としてきたのはこれまでとは大きく違うだろう。一家が遭遇する問題も最初は「雨季」という島の自然だったが、これが途中でモートンやタムタムとの人間関係というこれまでに無かった問題に変化する。その中で一家に不協和音が生じ、この不協和音のさなかで島の自然が異変を見せるようになって「脱出」という最も一致団結しなければならない展開へと一家を放り出すという緊張の展開を迎えるのだ。その不協和音をなんとか乗り越えたからこそ脱出の計画が上手く進み、動物の処遇という問題を孕みつつも皆は島からの脱出にこぎ着け、さらに脱出船上で苦難を味わった上でようやく島から抜け出す。この脱出船上の苦難もここまでの団結があったからこそ乗り越えられた事を上手く示唆しており、また脱出時に島での思い出を時間をかけて振り返ることで無人島生活を通じて深まった「絆」を鮮明にするという素晴らしい展開であった。
 これに物語のオチとして50話が付くという感じだ。この最後では「一家が失った物」を明確化して、その上で「時間」と「未来」というテーマをキチンと置いて物語を終える。
 1編目と3編目は物語全体が大きな流れとして描かれているのに対し、2編目は1話(ものによって2話や3話にまたがる)ずつ描かれているという大きな違いはあるが、これらの繋がりは自然でどちらの展開も物語に緩急があって見ている側を飽きさせない。この緩急こそが多くの視聴者の記憶に残った最大の理由であると考える。
 全体のテーマとして「家族の絆」を視聴者に訴え続けているのは誰にでも理解できるが、途中では人間が生きて行く意味や社会との関わりという難しいテーマも付加し、最後になってこれに「時間」と「未来」というテーマを付加する。これほど多くのことを視聴者に考えさせるアニメは他にないだろう、これもこの物語が多くの視聴者に記憶されている理由であろう。


・登場人物
 概要で語った通り、この物語の半分以上は一家5人以外の登場人物が全くないまま進むので、出てくる人が極端に少ないのが特徴だ。後半になってモートンやタムタムという漂流者が物語に合流するまでは、複雑な人間関係など描かれることはないので物語が単純化しているというのは概要に書いた通りだ。
 一家5人の役割が明確化しているのも、物語を単純にして分かり易くしている理由のひとつだ。
 父エルンストは頭が良く何でも出来るという印象が強い人が多いようだが、物語をよく見ていると決してそうではないというのがよく解る。エルンストは「失敗の人」であり、実にたくさんの失敗をしているのが今回の再視聴で気付いた点だ。だがこの男の凄いところはその失敗にめげず、失敗から教訓を得て最後には必ず成し遂げるというバイタリティある人として描かれている。このエルンストの描かれ方から「完全無欠の人」として印象に残った人が多いのだろう。ただエルンストでも脱出作戦だけは自分の力だけではどうにもならず、モートンの助けがあったからこそだったのも誰もが認めるところだろう。
 アンナは成長する大人として描かれた。臆病で気弱というこの母の性格は、この次作となる「南の虹のルーシー」の母役であるアーニーと正反対である。最初は何事もおっかなびっくりだった母は、この過酷な自然の中で子供達を守るために自分が怖がっている場合ではないと目覚める。そして自分の知恵を総動員して畑を作り、動物に畑を荒らされても挫けずに対策を立ててしまいには完成させる。人間関係においてもモートンと衝突してばかりだったが、時間をかけてモートンの人となりを知ることでこれを乗り越えて成長するのだ。
 フランツは多面性を持つ役回りとなっている。この多面性とは常に「他のキャラとの比較」であり、エルンストやアンナに対してはまだ子供だという面を見せ、フローネやジャックに対しては大人を演じるというある意味使いやすいキャラだ。それと貧乏くじを引くのもたいていはフランツの役割である。嵐では海に投げ出され、毒虫に目を潰されたり、足を怪我して動けなくなったり、つい口を滑らせてフローネを傷つけたりとその「貧乏くじ」的中率は他のキャラに比べて高いと言わざるを得ない。そして彼が貧乏くじを引いたときこそ彼の本領発揮の場で、無人島生活に対するマイナス面を強調させて常に「乗り越えるべき壁」を明確にするのが彼の役割でもあっただろう。
 フローネは主人公とされ物語を牽引する役割を持つが、それ以外に彼女にはトラブルメーカーという役割が与えられている。彼女が事件を起こしそれ自体が問題になったり、それによって新たな問題が引き起こされたり、それが今後の展開の伏線であったりと彼女が引き起こすトラブルは物語の中核をなすと言っても過言ではないだろう。だがフローネのトラブルメーカーという役割はモートンが出てくると変化するが、これは後述したい。
 ジャックは幼児というキャラクター性を存分に活かし、難しい無人島生活で単純な「思い」を暴露する存在でもある。ただ特に無人島生活の初期において、ジャックの「幼児」といいうキャラクター性が上手く利用されていなかったのは否めない。そんな時のジャックは、ただ画面内のマスコットとして物語に参加させられているだけだったのだ。
 モートンは無人島からの脱出という物語の結末への使者というだけでなく、一家の役割関係を変化させるという役割も持っていた。特にモートンの登場はエルンストとフローネのそれまでの役割を奪い取る結果となった。エルンストからは島の地勢を見極めて島の皆が次にどうするべきかを指さす役割を奪っているし、フローネからはトラブルメーカーという役割を奪い取っている。結果エルンストはこれまでアンナが担っていた「一家のまとめ役」という立場に移動し、アンナはモートンを毛嫌いして不協和音の原因という地位に押し出される。フローネは母や兄が嫌がっているモートンを慕って不協和音の一端を担う立場に変化し、それぞれアンナとモートンの和解後はアンナは急激に影が薄くなり、フローネは動物問題でモートンに反抗する中心として役割が変わる。モートンというのはその登場と途中の役割の変化で、一家のキャラクター性までも変えてしまったキーマンでもあったのだ。彼がどれだけ重要なキャラだったかは、名台詞欄への登場頻度の高さから見ても一目瞭然だろう(頻度では彼がトップ)。
 タムタムは常にモートンというキーマンと一家を結ぶ重要なパイプとして機能していた。物語への露出度は高かったが純粋な脇役だった訳で、無口な性格も相まって印象に残らなかった人が多いことだろう。制作者側がこのタムタムというキャラクターを上手く使い切れなかったと見る事も出来る。
 キャラクター面で総合的に考えると、それぞれのキャラが特定の役割を持っていて、それを視聴者に印象付けたところでモートンという新キャラによってその役割を変えられてしまうという展開であった。これも視聴者を飽きさせない要素であるといえよう。

 最後に名台詞の数である。まず名台詞欄に上がった名前が50話あって9人しかいないというのは、登場人物の少ないこの物語らしいといえるだろう。もちろん上位は物語の半分が他の登場人物がないという理由でロビンソン一家が独占しているのだが、この間にモートンが割り込んできているのがこの物語の登場人物における特性をよく示していると思う。名台詞の上でもモートンはエルンストやフローネが占めていた部分を奪っているのだ。初登場が37話で登場回数13話(42話は未登場)なので名台詞登場頻度は5/13となり、1〜2シーンのためだけに用意されたキャラクターを除けば登場回数ベースで最も頻度が高いであろう。
 一家の中でも主人公のフローネが1位とはいえぶっちぎりという訳ではなく、フローネとナレーターを別人と定義すれば両親と並んでしまう。一家の中でジャックの順位が低いのは、物語を設計する際に彼の「幼児」というキャラを上手く使えなかったからだと思われる。これは物語によく出ているのに名台詞に恵まれなかったタムタムにも同じ事がいえるだろう。
 そして一発屋のキャサリンが出てくることや、最初と最後しか出てこないエミリーが2度も出ている事は特筆されるべきことだろう。

名台詞登場頻度
順位 名前 回数 コメント
フローネ 11 やはり主人公だが、名台詞の数では僅差である。特に主人公一家以外殆ど出てこない物語でこの数とは予想外だった。
30話の名台詞は彼女のユーモアだけでなく、その成長をも見せてくれて印象に残った。1回は物語の解説としての台詞。
エルンスト 10 物語を強烈に牽引したのはこの父だろう。多くの失敗をしているが、それにも挫けない姿勢は見習いたい。
32話の名台詞は「生きる事の意味」を視聴者に投げかけていて印象に残った。
アンナ 10 「南の虹のルーシー」のように夫婦揃って同率順位。臆病で気弱な女性が日に日に成長して行く姿を見せつけてくれた。
12話の名台詞は迫力がある演技で視聴者を魅了すると共に、子を思う親の気持ちが良く出ていただろう。
フランツ 主人公の兄、「ガンダム」のアムロとダブる役回りだが、名台詞としてもそんな面が強調されているものは多かった。
24話の失言は印象的だが、これに反省して妹を思う姿は「兄」のあるべき姿だろう。
モートン 名台詞欄に登場したキャラクターの中で、唯一家族の順位の中に割り込んできた。40話代ではエルンストの役割が彼に持って行かれてしまった。
45話と48話の名台詞は、一家が置かれている現実を包み隠さず話、彼らが厳しい環境にいることを思い起こさせてくれたのが印象的。
ジャック 幼児という役回りなので、名台詞登場頻度が低いのはやむを得ない。だが彼も「島民の一人」として健気に頑張っていたのを忘れてはならない。
37話の名台詞は、モートンの本性を引き出す重要な台詞だったので印象深い。
エミリー 物語冒頭で同じ船に乗り合わせた船客として登場、そして奇跡の生還を果たして最終回で満を持しての再登場。
印象に残らないキャラではあるが、50話の名台詞では一家が失ったものを思い出させてくれると同時に、物語をうまく大団円に導いてくれた。
キャサリン 4話で貴重な教訓を視聴者に置いて行く。このような単発キャラが極端に少なかったのがこの物語の特徴だ。
タムタム モートンと共に島に来た少年だが、無口な性格であることもあって名台詞に恵まれず。
唯一の名台詞は彼が初めて師匠であるモートンに逆らったものだろう。

・はいじま的「ふしぎな島のフローネ」解釈
・「ふしぎな島のフローネ・完結編」
 2000年に制作されて放映された「ふしぎな島のフローネ」の総集編。

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