第42話 「恐ろしい地震」 |
名台詞 |
「あなた、私たち何とかして早くこの島を出ましょう。また夕べのような地震がいつ起こるか知れませんわ。いいえ、今度はもっと大きなのが襲ってくるかも知れないわ。そしたら…私たちはこの家から振り落とされて死ぬか、屋根の下敷きになって死ぬか、外に逃げることが出来たとしても大きな地割れに吸い込まれてしまうか、山が崩れてきて生き埋めになるか、それも何とか逃れられたとしても火山が噴火して…この島は火山島なんでしょ?
それじゃそこら中真っ赤な溶岩が流れるとか、灰が降るとかして、島には人間はおろか虫一匹住めなくなるかも知れないわ。」
(アンナ) |
名台詞度
★★★★ |
大地震の翌朝、アンナがなんだか辛そうな顔で座っている。そのアンナにエルンストが声を掛けると、このアンナの独演が始まる。アンナは思い付く限りのこの島で起こりうる最悪の状況を思い付き、最後は涙声になっているのだ。
この台詞は前夜の大地震という出来事を経て、アンナが一家だけでなく視聴者にも「早急にこの島から脱出せねばならない理由」を突き付ける。あの大地震はこの物語に出ている者と、見ている者に恐怖感を植え付けるのに十分であったが、アンナのこの台詞はそれに油を注ぐ役割を持っている。つまりこれからここで起こりうる最悪の事態を並べることによって、自然の大きさを誇示すると共にここでの生活自体が死と隣り合わせだという現実を突き付けるのだ。
このアンナの悲観的な台詞は30年近い年月を超えてハッキリ覚えていた。物語はこの台詞をきっかけに再度「島からの脱出」という方向に梶を取り直し、物語が大きく動いた瞬間でもあるのだ。
この台詞に対しフランツは楽天的に「悲観的すぎる」「取り越し苦労」と指摘するが、エルンストはこのアンナの台詞を「常に最悪の場合を考慮し、事前にそのような事態を避けよう」としていると受け取った。その上で「この島に長居は無用だと言う事はハッキリしている」「脱出の方法をもう一度考える」とするのだ。
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名場面 |
大地震。 |
名場面度
★★★★ |
この夜、一家は二度にわたり地震に襲われる。1度目は大したことなかったようでフローネも目が覚めない程だったが、2度目はかなり大きな地震で一家は椅子に座っていられないほどの揺れを体験する。そしてここまでの劇中に描かれた島の景色が大きく揺れ、椰子の木は倒れ、地面に地割れが走り、洞窟は崩壊し、崖は崩れるといった光景が流れて行く。
この地震も迫力たっぷりに描かれた。いや、この大地震を大迫力で描かないことには「一家は島から早急に脱出せねばならない」という説に説得力が生まれないからだろう。6話の嵐ほど印象には残らないが、地震によって無情にもここまで描かれた島の自然が壊されていく様を見て、視聴者は大きなショックを受けたに違いない。またここまではエリックの遺体を発見したりモートン・タムタムと出会ったりという「人」との物語が続いていたが、それでも一家は自然と闘っているという現実は変わっていないという点を視聴者に強く突き付けてくる。
この地震についての考察は研究欄に回そう。
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感想 |
会社の同僚に出張先で震度6の大地震があって大騒ぎになっていたのにそれに気付かず寝ていたという猛者がいるのだが、その話を聞いたときに真っ先に思い出したのが「ふしぎな島のフローネ」の今話だ。最初の地震で一家とタムタムが大騒ぎしているのに気付かず寝ていたフローネと、その同僚の話が重なるところがあったのだ。だが研究欄に詳しく書くが、フローネよりこの同僚の方が上を行っている。
物語は前話を引きずり、モートンがいなくなったことでタムタムが落ち込んでいるというストーリーを主軸に進む。だが気が付くとこの島の自然の変化が主軸になっていて、タムタムの話が脇に追いやられているという構図に変化している。その変化も決して不自然ではなく、自然にうまく流れているのだ。完全に流れが「自然」の方に変わりきったところで大地震となり、これを受けて名台詞シーンとなって物語は「島からの脱出」という結末へ向けての方向転換が終わる。この方向転換は33話からゆっくりと進めていたと言っても過言ではないだろう。
今回、タムタムがモートンを慕っていた理由がハッキリした。つまり船乗りになろうとタムタムは船に乗り込んだが、そこでやはり奴隷同様の扱いを受けていたのだろう。そんな中で普通に接した最初の人間がモートンだったわけだ。モートンらが乗った船が難破したとき、モートンとタムタムは共に行動したから助かったに違いない。というかタムタムがモートンを助けたという想像も容易だろう。
こうして物語は「島からの脱出」一色に変わり、一家の方向性がこう変わったところでモートンが帰ってくる。この物語の様相が変わる瞬間にモートンだけが不在というのは、今考えるとよく考えたと思う。 |
研究 |
・大地震
サブタイトル通り今回、一家はこれまで体験したことの無いような大地震を経験する。今回は当然のことながら、この大地震について研究しよう。
まずは今回の地震の震度を推定してみる。最初の地震では特に被害は出ていないようなので、震度3か震度4といったところだろう。震度5ならばこの時点で家の中のカレンダーが落ちたりしていると思われるからだ。だから考察は2度目の大地震の方が中心になる。劇中に描かれた地震により、「椅子に座っていられない一家の様子」「テーブルから蝋燭が台ごと落ちる」「崖崩れ」「地割れ」「地殻変動」「椰子の木倒壊」「洞窟の崩壊」という出来事が起きている。これを現在の気象庁震度階級に合わせると、震度7ということになる(ちなみに1996年以前の基準と照らし合わせると「家屋の倒壊」が認められないので震度6となる)。これは日本で言えば阪神大震災クラスの大地震ということになり、よくぞこの木上の家が壊れなかったもんだと感心する。
劇中の描写を見ていると、大きな揺れの前の小さな揺れ、つまり初期微動が無いことが分かる。つまりこの地震はこの無人島の直下で起きているのは確かで、震源も浅いことが想像できる。また震度から言っても火山性地震とは思われない。つまり前述の阪神大震災のような活断層型の地震と思われる、つまりこの島の何処かに活発な活断層があってここが動いたと思われるのだ。一般的に火山性地震は規模が小さいと言われている(やっと有感地震になる程度が多い)が、桜島や三宅島では大きな火山性地震を経験し多数の犠牲者も出ている。だがこのような火山性地震では該当の火山は直後に噴火するため、この地震が火山性地震であるという選択肢は外してもいいだろう。
こういう視線で見るとここまでに劇中で言われている「この島は噴火が近い」という説は考え直さなきゃならない。実はモートンが発見した災害の予兆は、火山の噴火でなくこの地震の予兆だったのではないかというのが私が考えている説だ。例えば劇中に描かれた「地下水温の上昇」は過去の大地震の前に確認されている現象である。また動物の異常行動も後に起きると思われる火山の噴火でなく、この地震に合わせて起きているようにも解釈できる。さらに言うとこのまま物語が進んでも、火山が噴火する様子もないしさらに大きな地震が起きた様子もない(余震と思われる小さな地震は発生するが)。つまり今回のこの大地震を頂点にして、変動は収まっているのだ。こう考えると劇中の描写が説明できたりするのだ。じゃ、何も無理して島を抜け出す必要は…いかん、それでは物語が進まなくなる。
ちなみに地震の前兆として挙げた「地下水温の上昇」「動物の異常行動」は宏観異常現象と呼ばれ、大地震前によく見られる現象でありながら科学的な裏付けがされていない現象である。さらに劇中の描写をよく見ていると、前話では夕焼けの色がとても濃かったり、今回も夜のシーンで空が少し明るく描かれているなど、宏観異常現象としてよく報告される事例と同じ描写がされているのは偶然ではないだろう。 |