「あにめの記憶」9
世界名作劇場「家族ロビンソン漂流記ふしぎな島のフローネ」
・「世界名作劇場」異色作
「あにめの記憶」過去作品考察は「ガンダム」「しんちゃん」と取り上げてしばらく「世界名作劇場」シリーズから離れていたが、ここいらで久々に「世界名作劇場」に戻ってみようと思う。「ガンダム」は戦記であり、劇場版「クレヨンしんちゃん」は冒険譚であり、当サイトで取り上げてきた「世界名作劇場」シリーズとはまた違う世界を味わうことが出来ただろう。
「世界名作劇場」シリーズ作品の多くが海外の児童文学作品をアニメ化しているということもあり、登場人物達の日常生活を通じてその中に少年少女の成長、家族の絆、友情という物語を紡いでいる。それに次ぐのはいわゆる「旅もの」で、主人公の少年少女が生き別れた肉親と再会するために旅に出て、その旅程の中で人々との出会いや別れを通じて主人公の成長を描く物語だ。「世界名作劇場」シリーズの作品を分類すると、殆どの作品がこのどちらかに当てはまる。当サイトで取り上げた中でも「南の虹のルーシー」「愛の若草物語」「わたしのアンネット」「赤毛のアン」「ポリアンナ物語」「こんにちはアン」は前者に分類できるし、「ポルフィの長い旅」は後者に分類できる。
しかし僅かではあるが、このどちらにも分類できない異色作品が存在する。例えば「小公女セーラ」は主人公セーラの日常を追っているわけではなく、彼女が非日常の生活を長期間味わうことによって成長する物語である。使用人に落ちた富豪の娘セーラが、最終的に富豪の娘という地位を取り戻すことで使用人時代の出来事が「非日常」としての思い出になるためこういう構図になってしまうのだ。あるサイトで「小公女セーラ」は旅をしていない「旅もの」だという論を見たことがあるが、それはまさしくこのような物語の構図によると思う。
そして「世界名作劇場」シリーズでもうひとつの異色作…つまり上記のどちらにも当てはまらない作品のもうひとつが、今回取り上げる「家族ロビンソン漂流記 ふしぎな島のフローネ」(以下「ふしぎな島のフローネ」と表記する)である。
この物語は基本的には旅行中の出来事なので「旅もの」に分類する方もあるだろうが、この物語の構図として面白いのはその「旅」がある出来事によって日常と化してしまうという展開である。つまり旅先での出来事で物語を描いているのではなく、「旅行途中に発生した日常」が描かれているという状況なのだ。これは「母をたずねて三千里」「ポルフィの長い旅」のような旅行記的な物語とは一線を画している。
そしてその「旅行」にしても主人公一家全員で旅行している点、「世界名作劇場」の「旅もの」では主人公が肉親を求めて一人旅をしているケースが多く、家族と旅行というと「ペリーヌものがたり」のペリーヌが一部行程で母親と一緒だった程度であろう。だから「世界名作劇場」の旅行に付き物の「家族の別れ」が全く描かれておらず、旅をしつつも主人公の家族全員が全話通して出てくるという異例の展開となっているのだ。
さらに言うと全50話中、第7話の船長が身を挺してフランツを助けたシーンから、第36話でフローネが洞窟の中で人影らしいものを見るまでの29話に渡り主人公一家5人以外の登場人物は出てこない(回想シーンや遺体は除く)。「赤毛のアン」ではアン・マシュウ・マリラの3人だけしか出てこない回が何回かあったが、それも数回に過ぎずナレーターの解説が別なので実質家族外が一人という解釈も出来る。だが「ふしぎな島のフローネ」では全ストーリーの60%をこの一家だけで進行、さらにはナレーターはフローネが兼ねているために完全にこの家族だけで物語が進むことになる。このキャラクターの少なさも「世界名作劇場」シリーズでは異例の事態であろう。
原作はヨハン・ダビッド・ウィースが著した「スイスのロビンソン(Der Schweizerische Robinson)」とされているが、アニメ化にあたり設定や物語の展開が大きく書き換えられてしまって原形を留めていない。「漂流記」というテーマと一部のキャラクターを使った以外は、完全にオリジナルの作品と見て良いだろう。従って原作との比較研究をする意味を感じないので、今回もアニメ作品としての研究のみとすることにする(いずれにしろ和訳本が「南の虹」と同じ位入手困難らしい)。原作本を紹介しているサイトを複数見てみたが、アニメでは子供向けの作品として完成させるべく家族構成を変更した(特に一家の子供達の年齢層や男女比率に配慮)のが一番目立つが、私としては設定をよりリアルにするのが主目的であったと考える。原作に出てくる無人島は目茶苦茶で、無人島にいるとは思えない動物がたくさん出てくる。ちなみにこの原作には主人公フローネは存在しない。
・「ふしぎな島のフローネ」と私
この物語は私が小学4年生だった時の正月に始まり、5年生の頃の年末に終わったことになる。「世界名作劇場」シリーズの中で私の印象に強く残っている5作品(「ふしぎな島のフローネ」「南の虹のルーシー」「わたしのアンネット」「小公女セーラ」「愛の若草物語」)の最初である。この作品以前も「世界名作劇場」シリーズを見ていたのは確かだが、断片的にしか記憶が残っておらず本放送時にリアルタイムで見た記憶もあまり残っていない。だがこの「ふしぎな島のフローネ」からは本放送を毎回見ていた記憶、その日曜の夜にキチンと物語を理解して次を楽しみにしていた記憶、登場人物の声もハッキリ覚えていたし、オープニングテーマやエンディングテーマも記憶に残っていた。実はこの前の「トム・ソーヤーの冒険」や前々回の「赤毛のアン」のエンディングは記憶に無く、これらは本放送である日曜の夜に物語を理解して見ていた記憶もない(1話単位で覚えているものはあるが)。
この物語が頭に入りやすかったのは、登場人物の少なさや人間関係の単純さと、物語の分かりやすさがあるだろう(この対極を行くのが「世界名作劇場」では「ポリアンナ物語」なのだが)。家族が海難事故に遭って漂流生活を余儀なくされるという単純かつ強烈なストーリーと、問題が張られた伏線に沿ってやってくるのではなく唐突に降って湧いてそれにひたすら対処して行くという分かり易い展開。それに物語の殆どが家族5人だけで展開されるのだから、人間関係を考える必要がない。これらの単純な物語の中に無人島でのサバイバル生活という緊張感溢れるストーリーを展開しており、私だけではなく一緒に見ていた兄妹も夢中になってみていた記憶がある。特に序盤の海難事故のシーンと、終盤の無人島からの脱出ではハラハラドキドキし通しだった。
この物語は何度も再放送された記憶もある。平日の朝、学校へ行く前に毎日見ていた記憶もあるし、外から遊びに帰った夕刻に再放送を見た記憶もある。その都度この単純な物語にはまり、何度見ても楽しめた記憶がある。
物語が単純と何度も書いたが、あくまでも単純なのは物語の構造や展開であって、アニメ作品としての仕上がりや完成度のことを言っているわけではないことは明記しておく。単純な物語だからこそ迫力あるシーンを上手く挟んで盛り上げないことには視聴者に逃げられてしまうのは確かだ。制作陣はこの単純な物語に見せ場を多く作って多くの視聴者の印象に残すことに成功し、現在でも特にアニメに詳しいわけでない同世代の人々と「世界名作劇場」の話題が出てくれば、必ず一度は話題に上るのが「ふしぎな島のフローネ」の話題である。タイトルが出てこなくても「一家が無人島に漂流する話」の事は「あったよね?」って感じで話が出てくる。そういう人たちにとって「赤毛のアン」「あらいぐまラスカル」については、原作を読んでない限りは「タイトルは覚えているが内容は思い出せない」程度の記憶に留まっている。「トム・ソーヤー」はディズニーランドに関連のアトラクションがあるから…って人の方が圧倒多数だもんなぁ。話題にすら上らないのが「ルーシー」「アンネット」「カトリ」といった辺りだ。
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