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「機動戦士ガンダムT」
 ガンダムシリーズ劇場版の最初の作品。オリジナルのテレビアニメと比較すると一部のストーリーが削られてはいるものの、話の改変はほぼないと言っていい。ただし主人公アムロの生まれ故郷など設定が一部変えられている。この作品では物語の始まりから、ホワイトベースがガルマ・ザビを討ち、ランバ・ラル部隊が地球に降りてくるところまでが描かれている。最後の仕上げから言ってもしこの映画が失敗しても、この作品で終われるようにうまく仕上げているのもポイント。

名台詞 「人類が増えすぎた人口を宇宙に移民させるようになって、既に半世紀。地球の周りには巨大なスペース・コロニーが数百基浮かび、人々はその円筒の内壁を人口の大地とした。その人類の第二の故郷で、人々は子を産み、育て、そして死んでいった。宇宙世紀0079、地球から最も遠い宇宙都市サイド3はジオン公国を名乗り、地球連邦政府に独立戦争を挑んできた。この一ヶ月あまりの戦いで、ジオン公国と連邦軍は総人口の半分を死に至らしめた。人々は自らの行為に恐怖した。戦争は膠着状態に入り、8ヶ月あまりが過ぎた。」
(ナレーター)
名台詞度
★★★★
 「ガンダム」シリーズを知っている人なら誰でも知っているオープニングのナレーション、この「機動戦士ガンダム」物語の舞台の説明と、描かれることになる戦争のここまでの戦局を一気に語る。このナレーションの背景画としてスペース・コロニーが雄大に印象深く描かれ、それがこのナレーションの中盤から突然火を噴いて戦場に変わる。飛び交う光線、四散する戦艦、さらに攻撃中の艦隊の画がこれに加わるシーンは男の子の心を強く揺さぶるだろう。そしてスペース・コロニーのひとつが地球に墜落して都市が消えるシーンを描くことで、この戦争で多くの民間人の生命が奪われていることを示唆し、視聴者の「正義感」を呼び覚ます。そこでナレーションの内容を振り返ると、独立戦争を仕掛けた「ジオン公国」という名前に行き着くようになっていて、物語を進める前から子供風に言うところの「いいもん」と「わるもん」、大人風に言えば主人公勢力と敵対勢力を明確にしてしまう。つまりこのナレーションで既に物語は始まっているのだ。
 ナレーターは「サザエさん」の波平でお馴染みの永井一郎さん、彼は色んなアニメで色んな役を演じているが、私がこの人の演技の中で一番印象に残っているのは実はこのナレーションだったりする。この強印象の解説から「ガンダム」シリーズの全てが始まったのだ。
名場面 サイド7潜入 名場面度
★★
 上記の解説が終わり、タイトルが流れるといきなり現れるのは3機の「モビルスーツ」。この3機が自分達の勢力圏でないスペース・コロニーに潜入を試みているのは一目瞭然だと思う。ハッチを開けてエアロック部分とおぼしきエリアを通過し、二度目のハッチを開くと、デニム曹長の「スレンダー、お前はここに残れ」という記念すべき「ガンダム」シリーズ最初の台詞となる(う、今聞いてみると「ポリアンナ物語」のトムの声だ)。1機をハッチ付近に残して2機がスペース・コロニーの内部へと侵入、着地すると望遠鏡で偵察を開始する。
 このシーンにはこれまでのSFアニメと一線を画する斬新な要素が多い。まずデニム曹長の命令で残ったスレンダーの台詞に軍の階級である「曹長」と言う言葉が入っている事。これは敵側も組織で戦う人間であることを明確に示しており、これまでのこじつけの「悪役」では無いことを示唆している(これは敵方の組織について重役以上を除いては曖昧にしていた「宇宙戦艦ヤマト」とも違う)。次に3機の敵機のうち1機が見張りに残る点、多くのSFアニメがこういうシーンでいくなり「総力戦」をやってしまうのに対し、このシーンでは隠密行動のための見張り役とともに万一の場合に全滅を防ぐという名目で1機は残っている点が見逃せない点なのだ。むろん、子供の時は「なんで3機で行かないんだろう?」と疑問に思っていた私だったが。
 さらにここで出てくる敵方のロボット…モビルスーツ「ザク」は量産されている物であることも読み取れる。3機が3機、全く同じ機体と言ってもいいほど同じなのだ。
 こうしてこの3機の「ザク」が隠密行動を始めるところから、この「機動戦士ガンダム」という物語は始まるのだ。この3機のザクと主人公がどのように繋がるのか、ガンダムとは何なのか、子供たちは機体に胸を膨らませて次へとはやるシーンでもあるだろう。
研究 ・ガンダムの時代と舞台
 「ガンダム」という物語が動きだした。時代は「宇宙世紀」、場所は広大な宇宙。宇宙と言っても「宇宙戦艦ヤマト」のように何万光年も離れるのではなく、地球の周辺、せいぜい月のちょっと先までがガンダムの舞台だ。まずはこの物語の「舞台」を研究することから始めたい。
 まず「宇宙世紀」という時代がいつ頃なのか、という事だがこれについては制作側も明確にはしていない。つまり我々視聴者の想像力に任されているわけだ。最初のナレーションで語られる年は「宇宙世紀0079」というもので、これは劇中設定によると地球人がスペース・コロニーを作って宇宙に移民を始めてから79年という事のようだ。つまり最短でも現在から79年以上未来の物語と見ることが出来る。
 恐らく「宇宙世紀」が始まるまでの間に政治や経済、そして文化のグローバル化がかなり進んだのだろう。その中で「増えすぎた人口」を的確にコントロールするためには、「国境」というものがだんだん邪魔になってきたのは想像に難くない。そして宇宙移民という人類の生活構造の大変化を機会に各国政府の統一化は必要不可欠となり、そこで登場した機関が「地球連邦」なのだと私は解釈している。この「地球連邦」が出来そうな気配は現在の地球にはまだないし、現在の宇宙開発の現状(やっと訓練された特定の人が宇宙に長期滞在できるようになった程度)を見ていると「宇宙世紀」に入るまで100年はかかるに違いないと私は思う。
 「宇宙世紀」に入ると宇宙に移民した勢力が「地球連邦」から独立しようと考えるのも想像に難くない。なにせ地球連邦は地球に本拠を置き、そこから宇宙に浮かぶスペース・コロニーをも運営していたのだから、「地球を終われた」と思っていた移民者が立ち上がるのは無理のない話なのだ。地球連邦はジオン公国のような敵対組織を作りたくなかったら、何処かのスペース・コロニーに本拠を構えるべきだった。うん、そうに違いない。
 冒頭のシーンにあるように、スペース・コロニーには山や川まで用意されていたようだ。物語が進むと雨まで降るようになっているのが分かるし、さらに観光と牧畜のコロニーなんて言うのまで登場する。宇宙に移民というのはやっぱ「南の虹のルーシー」みたいに持てるもんは全部持って、一家で移民船みたいのに乗ったのだろう。長くても数日の船旅とは思うが、人々は到着したスペース・コロニーの大地を踏みしめて「ここが一生暮らす土地だ」なんて感慨に耽ったに違いない。スペース・コロニーに行けば土地が手に入り好きなだけ農業ができる、なんて言われたスペース・コロニーに行き、土地が手に入らず苦労した一家なんていうのもあったんだろうなぁ。

…サイド7でガンダムの取扱説明書を拾ったアムロが潜入した2機のザクを倒すが、その戦闘の影響によってサイド7は居住不能になってしまい民間人は連邦の最新鋭戦艦「ホワイトベース」で避難することになる。だが当のホワイトベースもこの戦闘で正規乗員の殆どを失い、民間人と生き残った軍人が一致団結してなんとか出航した。だがそこにシャア・アズナブル率いる敵モビルスーツが襲いかかる。
名台詞 「でも、このスピードで迫れるザクなんてありはしませんよ。通常の3倍のスピードで接近します。」
(オスカ)
名台詞度
★★★★
 「赤く塗ったら通常の3倍のスピードで動ける」…「機動戦士ガンダム」によって生まれたひとつの「おやくそく」の元となった台詞だ。シャアの赤い「ザク」が普通の「ザク」の3倍の速度で動いていることが明確に語られる台詞はこれだけだが、「機動戦士ガンダム」をリアルタイムで見た世代に「赤いマシン=3倍の速度」という公式を植え付けることになる。
 この台詞はサイド7を出航したばかりの「ホワイトベース」のブリッジで、レーダー手のマーカーがミサイルに続いて「モビルスーツのよう」な物体が接近している事を告げ、ブライトが「ザクか?」と問い直したときにもう一人のレーダー手であるオスカが怒鳴るように言う台詞だ。2人の頭上のレーダーモニターには赤い機影が近付くのが映し出されている。その速度が「普通のザクより3倍」早かったのだろう。だが待てよ、今見直すとシャアと一緒に出撃したスレンダーの「ザク」(もちろん一般型)の機影も同じ速度で迫ってるぞ、ありゃりゃ?
 この台詞にパロオ艦長はすぐ反応する。「赤い彗星だ…」と呟き、シャアのかつての戦歴を語って「逃げろ」と叫ぶのだ。それも当然、今回「ホワイトベース」は艦隊行動を取っているのではなく単独行動だ、連邦の宇宙拠点「ルナ2」が近いとはいえ援軍が来るには時間が掛かる。それになによりもいまこの艦を動かしているのは戦死した兵士の代わりの民間人である、ここは逃げる以外には手はなかったのだ。
名場面 アムロとシャアの最初の戦い 名場面度
★★★
 「機動戦士ガンダム」主人公のアムロ・レイとジオン公国少佐シャア・アズナブル(階級はこの時点)。二人は「機動戦士ガンダム」だけでなく後に続くガンダムシリーズにおいて、あるときは敵同士として戦い、あるときは同士として手を組み、「機動戦士ガンダム・逆襲のシャア」で相討ちして果てるまでの劇中時間で14年にわたる物語を紡いで行くことになる。そしてこの二人の最初の戦いがサイド7のすぐ外で行われたこの戦いだ。アムロは「ガンダムの使い方を理解している」という理由でパロオ艦長に「ガンダム」を任され、「ホワイトベース」の護衛任務に就いていた。一方のシャアは身体一つでサイド7に潜入、連邦の新兵器の写真撮影(カメラを打ち抜かれ失敗)を行った足で、「ムサイ」から射出された自分の「ザク」に乗り込み部下スレンダーと共に「ホワイトベース」に襲いかかった。
 ブライトはアムロにはシャアとの戦いは無理だと止めるが、アムロはそれを振り切ってシャアとの戦いに挑む。ものすごい勢いで「ホワイトベース」に迫る赤い「ザク」の迫力に視聴者もちょっと腰が引けてしまうだろう。接近する赤い「ザク」にビームライフルを撃ち込むが、シャアはこれを上手く交わす(光線なんだから見えた瞬間に当たってるはずというツッコミはなしだ)。シャア機がアムロの視界から消えたかと思うと、「ガンダム」に衝撃が…シャアが放った「ザク」のマシンガンの弾が当たったのだ。たが「ガンダム」にはこれは効かず、シャアも「馬鹿な、直撃のはずだ」と狼狽える。その一方でアムロは「ザク」との戦いに震えながらも、シャアに対してさらにビームライフルを放つ。無論これもシャアにうまく交わされるのだ。そうこうしていると遅れてきたスレンダー機が登場、だがスレンダーは「ガンダム」のビームライフルを見て「武器が違います」と狼狽える。シャアは「当たらなければどうと言うことはない」と言い切って援護を命じる。スレンダーの援護射撃にアムロが怯んだ一瞬を見逃さず、「ガンダム」に突っ込んでくるシャアだが、アムロは「ガンダム」による肉弾戦でこれに対抗しようとするがシャアが何とかこれを交わす。アムロが振り返ってシャアを打とうとするが、やはりシャアはアムロの動きを見て上手くよける。そうしているとアムロにもリュウの「コアファイター」が援護についたその瞬間、「ガンダム」を背後から撃とうとしたスレンダーの「ザク」をアムロは撃破する。しかもたった一発のビームライフルで…これを見たアムロもシャアも「ガンダム」のあまりの威力に狼狽え、その威力十分の「ガンダム」と「コアファイター」を相手に士官用の高性能形とはいえ「ザク」1機では形勢不利と見たのか、シャアは母艦に引き揚げる。一方の「ガンダム」もビームライフルの使いすぎでエネルギーが僅かとなっており、アムロも引き返すことを余儀なくなっていた。
 まずここでのシャアの「ザク」の迫力がすんごい、ここまで劇中に現れた「ザク」はみんな緑色だったが、シャアの赤い「ザク」が迫り来るシーンはそれだけで「すごい敵が来た」と思わされた。このシャアの登場はこれまでのロボットアニメのように毎回変わる相手と戦うのでなく、特定の相手と切磋琢磨しながら戦うストーリーである事を予感させてくれる。一方の「ガンダム」も強い、特にパロオ艦長の狼狽えのあとにシャア相手に互角に戦うのだから見ている方も感心だ。その上、この戦いシーンではアムロが戦いに慣れてなくてメカの性能に頼ってしまうという戦い方になっていることを明確に描いている。エネルギー残量を気にせずにビームライフルを撃ちまくり、「ザク」のマシンガンの弾を避けるのでなく、これを受け付けない装甲を頼って「当たるに任せる」のである。こんな子供が見てもわかる「下手っぴ」な戦い方でアムロの幼さを印象付けると共に、「ガンダムの性能」を視聴者に印象付けるシーンでもあるのだ。
 この戦いの冒頭でシャアが「見せてもらおうか、連邦のモビルスーツの性能とやらを!」と叫ぶが、これは視聴者も同じ気持ちで見なければならないシーンであるのだ。この台詞の改変で「見せてもらおうか、高速道路1000円乗り放題の経済効果とやらを!」とブログで叫んだのは何処の誰でしたっけ?
研究 ・「シャア専用」について
 このシーンで一番印象に残るのは、「ガンダム」よりも敵であるシャアが乗る「ザク」だろう。何度も言うが赤く塗られていて「通常の3倍の早さ」で動くのだ。これを私なりに解釈したい(ただしこれは私の「個人的な解釈」であり公式設定は多少無視していることを宣言しておく)。
 シャア専用の赤い「ザク」が「通常の3倍」なのは劇中で明確に語られるのはレーダー画面に映った「速度」だけである。インターネット上での意見を拾うと「シャア専用ザク」は性能が3倍と思われている方も多いようだが、私の解釈ではあくまでも「移動速度が3倍」である。つまり「ホワイトベース」艦橋のレーダー画面に映った速度が「普通のザクの3倍」だったということが明確になっているだけで、他の動きにおいて普通の「ザク」の3倍だったと明確に分かるシーンはない。「ガンダム」のビームライフルを避けた時の動きも、比較対象となる一般型「ザク」との比較が出来ないのだ。無論「ガンダム」の肉弾戦を避けた時も同様である。これについても距離は短いながらも「移動」なのだから、3倍(またはそれに近い)になっているという解釈はできる。
 シャアの「ザク」が「3倍の速度で移動する」というのが果たしてどれほど戦果に影響するのか? 実は私は小さい頃からこれは戦場でアドバンテージにはならないと感じていた。
 シャアはムサイ形宇宙戦艦「ファルメル」に指揮艦として乗り込み、敵が来たら自らモビルスーツに乗って攻撃に出るという行動を取っている。もちろんこの時に他の「ザク」を従えて編隊を組んで行動し、シャアは指揮官だから先頭を切って出撃することになる。シャアが先頭ならシャアの速度が速ければいいのか?という訳にはいかないはずだ。
 もしあなたが自転車に乗っていたとしよう、徒歩の人とスピードを合わせて移動するのに苦労するだろう。
 もしあなたが自動車に乗っていたとしよう、自転車が随分遅い乗り物だと感じるだろう。
 もしあなたが新幹線に乗っていたとしよう、在来線の各駅停車とは速度は比べものにならないほど違うと思うだろう。
 速度で3倍の開きというのはそのようなもんで、速いほうからみれば相手がとてつもなく遅く感じるし、遅い方から見れば相手があっという間に視界から消えてしまうほど速く見えるのだ。徒歩対自転車、自転車対自動車、新幹線対在来線各駅停車、これほどの速度の開きがあるものが同一の形式のものとは信じられないし、なによりも足並みを揃えて移動することが大切な「編隊行動」には向かない組み合わせであることはよく分かるだろう。言うまでもなく戦場での「編隊行動」には、それぞれの役割と意味があるのだから。
 今回の戦闘シーンを再現してみよう、「ホワイトベース」と「ファルメル」の2隻の宇宙戦艦の距離が30キロ離れていたと考えられる(「ガンダム」が「ホワイトベース」から10キロ離れて援護していた)。そこでシャアが普通の「ザク」を率いて出撃したと考えられ、2機の「ザク」が全速力で「ホワイトベース」に向かったとしよう。シャアの「ザク」が「ホワイトベース」に3分で着いたとすれば、部下の一般型「ザク」が「ホワイトベース」に着くまでなんと9分もかかったのだ。シャアはその差である6分も援護無しで戦わなければならない。敵が「ガンダム」1機なら何とかなるかも知れないが、「コアファイター」だけでなく「ガンキャノン」とかが複数で来ていたらどうなっていただろう? 歴戦の勇士シャアであってもかなり危険だったはずだ。シャアは「ホワイトベース」が民間人寄せ集めで運行されていたから助かったと言っても過言ではないのだ。
 つまり編隊で戦艦を攻撃するなら、各々の機の移動速度はなるべく同じにした方が良いはずなのだ。全員が同時に到着すればそこで一斉に攻撃が出来るし、敵が反撃してきたなら攻撃機と護衛機に別れて行動することもできる。なにも指揮官だけが先行して先に着く必要など無く、逆に指揮官を護衛無しで一人で敵の前に放り出すことになって、指揮官が先にやられてしまい命令系統が混乱するリスクを高めてしまうだけなのだ。どうしてもシャア専用のザクを3倍の速度で移動させたいなら、「ファルメル」搭載の一般型「ザク」も全部3倍の速度で移動できるようにしよう。
 ちなみにジオンは「シャア専用ザク」で「3倍で動く」に意味が無いのを知ったためか、以降の「シャア専用」のモビルスーツには「3倍で動く」というオプションは付けられなかったようだ。以後「哀戦士編」で登場する「シャア専用ズゴック」も、「めぐりあい宇宙編」で出てくる「シャア専用ゲルググ」も、「3倍で動く」という設定はないようだ。

…シャアの襲撃をなんとか交わした「ホワイトベース」は連邦軍の宇宙軍事拠点である「ルナ2」に到着する。ここで避難民の下船を訴えるが、「ルナ2」のワッケイン司令はこれを拒否するだけでなく、素人の寄せ集めでしかない乗員にそのまま連邦軍本部のジャブローまで「ホワイトベース」を回航するよう命令する。こうしてアムロなど戦いを経験した民間人はなし崩しに現地徴用兵となることとなってしまうのだ。いっぽう、シャアが乗るムサイ形宇宙戦艦「ファルメル」は「ルナ2」の近くで補給を受け、次の戦いに備えていた。
名台詞 「知るもんか、我々に出来ることと言えば『サラミス』1隻付けてやるだけ。彼らの幸運を…ジャブローは前線のことを何も…。ジオンとの戦いがまだまだ困難を極めると言うとき、我々は素人まで動員してゆく。寒い時代だとは思わぬか?」
(ワッケイン)
名台詞度
★★
 「ホワイトベース」とそれに乗り込む人々を冷たくあしらったワッケイン司令は、司令官室から地球へ向け出航して行く「ホワイトベース」を見送っていた。最新鋭とはいえ、なし崩しに現地徴用となった民間人が動かす戦艦が無事にジャブローまでたどり着けるのか? この誰でも考えるような疑問を副官が口にすると、ワッケインは途中で涙を交えながらこう言うのだ。
 そう、連邦軍本部の決定である「ホワイトベース」を現状のまま回航という決定に、それを冷たく本人達に告げたワッケイン本人が納得していなかったのだ。誰がどう考えても「ホワイトベース」がジャブローにたどり着けるわけが無い、それは視聴者も感じただろう。ワッケインはその連邦軍本部からの命令に背かない範囲で「ホワイトベース」に力を貸す、それは護衛にサラミス級巡洋艦(艦名不明)をつけることであった。
 そして最前線にいる自分達の声が届かない怒りと諦めを感じ、素人まで動員させてしまった悔しさを語るのである。それは同時に多くの軍人を失ってしまった悲しみでもあるだろう。
…ちなみに、テレビアニメ版ではこの「ルナ2」でパロオ艦長が戦死しており、この台詞はパロオ艦長の死を悼む台詞とされている。
名場面 補給 名場面度
★★
 「ホワイトベース」がルナ2に寄港したその頃、付近の宙域ではシャアの「ファルメル」が補給を受けていた。実はこれはSFロボットアニメで描かれた最初の「補給」というシーンかも知れない。私が知る限りこのようなアニメで「補給」というシーンを見た記憶がないのだ。
 というのは多くのSFアニメが「補給」を必要としない設定だった点もある。それまでのヒーローは固定された基地を中心に活躍しており、敵も必ずその基地の周辺に現れるので小移動ができればよかったのだ。「宇宙戦艦ヤマト」についても遠距離の旅が予定されていたので1年分のものを詰め込んでいけばいいから基本的に「補給」の必要は無い、ただ食料が不足気味だったせいか途中の星で「確保」はしている。
 「機動戦士ガンダム」では「兵站」という概念がキチンと取り入れられているのだ。戦艦が行動すれば燃料は使う、弾薬も使う、乗員の食糧もいる、これらを生命を賭して前線に送り届ける補給部隊がないことには戦争が進まないという意味でのリアルさを取り入れたのだ。サイド7近辺でもシャアは上官のドズル・ザビ中将に「武器・弾薬が底を尽き…」と補給を要求しており、このような概念があると予測させる物だった。そして実際に「補給」を受けたシーンがここである。
 「機動戦士ガンダム」において、この「補給」という行動は重要なものになってくる。物語が進むと「ホワイトベース」に物資を届ける補給部隊の役割が大きくなるからだ。こういうところにスポットを浴びせたという意味で画期的なSFアニメだろう。
研究 ・ルナ2に見る戦艦の誘導航法
 「ホワイトベース」がルナ2に到着するシーンで、昔から「面白い」と思っていたシーンがある。それは「ホワイトベース」だけでなく同時にルナ2に入港する戦艦もそうなのだが、レーザー光線のような物で発着口まで誘導されているのである。またブライトやミライが度々「操縦はコンピュータが…」と「ホワイトベース」について語るので、これらの誘導装置と自動操縦装置が組み合わされた完全自動入港システムが完備されているだけでなく、似たような描写がサイド7でもあったことや、物語が進むと他のコロニーや宇宙基地でも見られるので、地球連邦・ジオンといった陣営を問わず規格は統一されていると見るべきだろう。
 このようなシステムはSFアニメだけの物ではなく、現実世界にも存在しているだけでなく、我々が身近にこれを体験することも可能だ。それは旅客機の着陸である。多くの空港では滑走路からある周波数で指向性の強い電波が発射されており、旅客機はこの電波に誘導されて着陸コースを自動的に認識し、自動操縦と組み合わせることによってほぼ自動で着陸することができる。これは「ILS」と呼ばれ、全世界の空港に統一された規格で備わっている。
 「機動戦士ガンダム」で描かれるこの誘導航法システムは、この「ILS」の電波が可視光レーザー光線に変わったシステムだと考えれば良いだろう。「ホワイトベース」のブリッジにある舵輪の上にメーターのような物が描かれているが、これは方位を示すコンパスや姿勢を表示するメーターだけでなく、このような誘導航法システムのゲージでもあるのだろう。そこにはこのレーザー光からどれだけズレているかが表示されているに違いない。
 このような誘導航法システムが明確に描かれたのも「機動戦士ガンダム」の特徴であろう。

「ルナ2」を出航した「ホワイトベース」は大気圏突入に緊張する。そこへシャアが「ザク」4機で攻撃を仕掛けてきた。護衛のサラミス級は既に大気圏突入カプセルを離脱させたところで満足な反撃は出来ない、そこで「ホワイトベース」は「ガンダム」を「ザク」に差し向け、全機銃でもって応戦する。
名台詞 「モビルスーツの性能の違いが、戦力の決定的差でないことを…教えてやる!」
(シャア)
名台詞度
★★★
 大気圏突入間際に自らの愛機で「ホワイトベース」に攻撃を仕掛けたシャアと、「ホワイトベース」護衛の任を受けたアムロの「ガンダム」の第2ラウンドである。シャアは「ガンダム」を撃退する気満々で、「ザク」のコックピットでこう叫びながら「ガンダム」を攻撃するのだ。
 この台詞はロボットもののSFアニメを、またひとつ新しい境地へと導いた台詞である。これまでのSFロボットアニメの主役メカは悪役メカに対して絶対的な「強さ」を持っていた。そしてその「強さ」は主人公が操縦する限りは崩れることなどあり得ない正義の方程式となって、悪役を苦しめるためにあるのだ。「機動戦士ガンダム」ではその主役メカの「強さ」は引き継いでいるのだが、ここでシャアはその「強さ」には意味が無く、たとえ主役メカより性能で劣っていても戦術さえしっかりしていれば負けるはずはないと高らかに宣言したのだ。
 そしてその宣言の通り、シャアは自機が「ガンダム」に対して性能面で圧倒されつつも、ここでの戦いを有利に展開する。「ガンダム」は多くの直撃弾を受け、シャアの体当たりを何度も食らって一時はシャアに「ホワイトベース」への接近戦を許してしまう。
 何よりもアムロは「性能をあてにした戦い」によって4発しかないバズーカのうち、2発をシャアとの戦いの前に使ってしまった(しかも2発とも外れ)。アムロはシャアとの戦いの序盤でバズーカの残り2発も撃ち尽くしてしまい(やっぱ外れ)、シャアとは銃器類を使わずに戦う羽目になってしまった点も痛かっただろう。
 「ガンダム」は撃破されてもおかしくないほどシャアは激しく「ガンダム」を痛めつけ、さらに大気圏突入前の母艦への帰還を不可能な状況にまで追い込んだ。だがシャアをして「連邦のモビルスーツは化け物か?」と言わしめるほどの「ガンダム」の堅牢さと、後述する単機での大気圏突入可能という「ガンダム」の無駄な装備によってアムロは生命拾いをする。「主役メカはやられない」というセオリーだけは守ったが、この戦いは「ガンダム」が勝ったとは言えないものだろう。今後の展開(この攻撃により「ホワイトベース」は進路を狂わされてジオン制圧下の北米に引き寄せられてしまった)を見ればここはシャアの戦略的勝利なのだ。
 つまりシャアはこの台詞で宣言した通りに物語を展開したのだ。そしてこの台詞はシャアが「ザク」のコックピットでの独り言の形であるが、「ガンダム」に乗っているアムロに向けての言葉ではなかった。実は我々視聴者に向けて放った台詞だったのだ。
名場面 大気圏突入 名場面度
★★★★★
 「機動戦士ガンダム」という物語において、序盤の最大のヤマ場は地球に降下するために絶対に避けて通れない大気圏突入だろう。この実際の宇宙飛行で最も緊張する場面で戦闘シーンを取り入れ、この大気圏突入というフェイズをさらに緊迫したものとし、多くの視聴者の印象に残ったシーンに違いない。
 名台詞欄で語ったアムロとシャアの戦いは「時間切れ」という終わり方をする。だがアムロは「ホワイトベース」近辺を飛ぶ量産型「ザク」に気を取られて帰還しようとしない、さらにシャアの部下クラウンもここぞとばかりに「ガンダム」を引き止めるべく応戦するのだ。アムロに対してはブライトとセイラが、クラウンに対してはシャアがすぐ帰還するよう呼びかけるが、すぐに母艦のハッチを開けていられる状況ではなくなり二人は帰還できなくなってしまう。これでこの大気圏突入間際の戦いは、シャアが部下を全て失ったとは言え「ガンダム」撃破という目的が達せられたかに見えた。
 それぞれの母艦(「ホワイトベース」と「ファルメル」突入カプセル)でそれぞれのモビルスーツが回収不能になった会話が交わされ、2機ともこのまま大気圏の藻屑と化すとかに思われた。その通りクラウンの「ザク」は乗員の悲鳴と共に空中分解し、そのまま燃え尽きてしまう。
 だが「ガンダム」ではアムロが取説と向き合っていた。「ガンダム」に大気圏突入する機能はないかと調べまくっていたのである。アムロはギリギリのところでその方法を見つけ、「ガンダム」はそのまま大気圏突入を果たす。
 これまでの宇宙を舞台にしたSFアニメ、いや実写映画ですらも見て見ぬふりをしたことが多かった大気圏突入というフェイズをキチンと描いたという点でこのシーンは評価できよう。しかもただ大気圏突入の緊張感を描いたのでなく、そこに戦いを挟み込んで主役をピンチに陥れるという方法で緊張感を倍増させるシナリオにしたのは凄いと思う。以降の「ガンダム」シリーズでも大気圏突入というシーンは欠かせないものとなったというくらい、このシーンが印象に残ったと言うことだ。
研究 ・大気圏突入
 前述した通り、「機動戦士ガンダム」序盤最大の見せ場である大気圏突入。実際の突入のように地球大気によって燃えてしまうという設定から逃げることなく、緊張感ある素晴らしいシーンで多くの人々の印象に残っているのは確かだ。ここではこの「大気圏突入」というシーンについて、乗り物学としての見地で考えてみたい。
 まずは現実の大気圏突入を考えてみよう。
 宇宙船というのは地球上の乗り物とは比較にならない速度で宇宙を飛行している、さらにこれは地球の重力に引かれて地球大気のすぐ外ではかなりの速度になってしまうのだ。この状況では空気も固体に等しい堅さを持つこととなり、角度や速度を緻密に計算しないと地球大気に入っていけず弾かれることになる(高い飛び込み台からプールに飛び込む状況を考えればよい…これも角度を間違うと飛び込む人が怪我をしたり最悪死ぬケースもあるという)。シャアは「ホワイトベース」の突入角度を変えさせることによって自軍制圧下におびき寄せて殲滅するつもりだったらしいが、そんな回りくどいことをしなくても大気圏突入に失敗させることの方が簡単だったはずだが…話が逸れた。
 次になぜ機体が加熱されるのかを考えよう。超高速の宇宙船が大気を押しのけようとすることで宇宙船前面の空気が圧縮される。するとその圧縮された空気がブレーキとなって宇宙船の速度が落ちる(宇宙船の運動エネルギーが空気の圧縮エネルギーに変換される)のだが、その際に空気の圧縮エネルギーが熱エネルギーに変換されて宇宙船の周辺大気を加熱し、これがさらに対流現象によって宇宙船の機体を加熱するのだ。その時の機体と周辺大気の温度は1500度にも達し、宇宙船の周辺大気はプラズマ化して明るく輝く。それはまるで炎の中にいるような状況となるので、この「機動戦士ガンダム」における描写もかなり正しいことも理解できよう。
 「機動戦士ガンダム」のこのシーンだけでも複数の大気圏突入対策が出てくる。まずは連邦のサラミス級の突入カプセルと、ジオンのムサイ級(ファルメル)の突入カプセル。これは現在の宇宙船と全く同じ方法で大気圏突入をしていると思われる。機体を耐熱材料で作った丸みの多い流線型スタイルの飛行物体により、空気の圧縮を出来る限り抑えつつグライダーのように滑空して減速しながら降下して行く方法だ(この方法で機体周辺の大気温度が前述の1500度)。
 だが「ホワイトベース」や「ガンダム」は違う方法で大気圏に突入したようだ、恐らく物語が進むと出てくるジオンの「ザンジバル級宇宙戦艦」も同じ方法だと思う。何らかの形で機体を冷却し、圧縮空気による対流効果で加熱しないよう予防をして降下しているようだ。「ホワイトベース」ではどのように機体を冷却しているか具体的に描かれていないが、「ガンダム」については股間にから強烈な冷却風によって機体を包み込むことで、機体の加熱を予防していたようだ。
 この方法は「ガンダム」を初めて見た当時は素直に受け入れたが、宇宙船を含めた「乗り物」についていろいろ知識がつくと「?」になってしまったもののひとつだ。まず摂氏1500度という機体の加熱に追いつく冷却システムがどんなものなのか? 空気の圧縮というその流れの乱れが原因で加熱しているのに、それが冷却風とはいえ空気の流れをさらに乱したら機体の温度はさらに上がってしまうのではないか?
 そして仮に冷却に成功したとは言え、「ホワイトベース」や「ガンダム」のように角張った物体が大気圏突入の圧縮空気に勝てるのか? 特にレーダーなどの細い部品は吹っ飛ばされないだろうか?
 これについては「ガンダム」の世界だから「魔法の物質」ミノフスキー粒子で解決してしまおう。恐らくミノフスキー粒子は耐熱性にも優れているのだ、ミノフスキー粒子で機体を流線型に包み込んで大気圏に突入すればいい。あ、それなら冷却する必要ないじゃん…いや、ミノフスキー粒子での冷却でもまだ足りないから機体を冷却して、機内を快適にしているのだ。「ガンダム」も股間から出てきたのは冷却風ではなくて、ミノフスキー粒子だったに違いない。うん、一件落着。
 ただし、「ガンダム」については別の事実がある。テレビアニメ版の「ガンダム」では股間から透明の「耐熱フィルム」を取り出し、「ガンダム」がこれをかぶって大気圏突入に挑むのだ。私としてはこっちの方がかっこわるいが、大気圏突入にとって都合がいいように感じる。材質はどうあれ「耐熱フィルム」という耐熱材料で機体を覆うのは確かだし、何てったって「フィルム」なのだからその柔軟性によって「ガンダム」が自然に流線型になる。そうすれば何もミノフスキー粒子という「魔法の物質」など持ち出さなくても「ガンダム」が大気圏突入に成功した理由が簡単に説明できてしまうのだ(そんな大気圏突入以外では無駄と思える装備を常に積んでいるのもどうかと思うが)。
 大気圏突入時に無線通信が途切れるというのも、当時としてはなかなかリアルな設定だ。放映当時の宇宙船の場合、大気圏突入中は機体周囲に発生するプラズマのせいで通信が出来なかった。アメリカのスペースシャトル等現在の宇宙船は、プラズマに覆われない機体後部のアンテナから通信衛星経由で通信可能となる。つまり「ホワイトベース」はその気になれば真後ろにある「ルナ2」とは交信できたと思うのだ(だが機外に設置したカメラが写らなくなるというのはあり得ないと思うが)。ついでに「危険だから座る」必要もない、放映当時の宇宙船は大気圏突入モジュールが小さすぎたから座っているしかなかっただけの話であり、スペースシャトルのようにサイズに余裕がある宇宙船の場合、大気圏突入中でも乗員は船内を歩き回ったりしているようだ。その様子は2003年に大気圏突入中の事故に逢ったスペースシャトル「コロンビア」の遺品となったビデオテープにも収録されていた。
 またサラミス級の突入カプセルが「ザク」の攻撃を受けて破損し、乗っていたパイロットが「このままでは中から燃えてしまう」と訴えたのも現実味があるシーンだ。大気圏突入において機体が加熱する理由は、前述した通り「機体前面の空気が圧縮され、その圧縮エネルギーが熱になって機体周囲の大気が加熱され、さらに対流効果が起きる」からである。簡単に言えば機体自体が発熱するのでなく、超高温の空気に機体が包まれるからなのだ。だから機体に僅かでも傷があったり穴が開いていたりすると、そこから超高温の空気が機内に入り込んで機体を内側から加熱することになるのだ。2003年のスペースシャトル「コロンビア」事故はまさしくそうして起きた事故だし、1970年の「アポロ13号」爆発事故でも爆発時に司令船(地球に帰還するモジュール)に傷がついていたら乗組員は帰還できないと言われた。僅かな被弾で地球に着地できないとしたのは大袈裟ではなく、現実だったのだ。

※なお用語についてだが、「ホワイトベース」の場合は地球から飛び立った物体が地球に戻るのだから「大気圏再突入」とするのが正しいはずである。また本欄で例に挙げた現在や過去の宇宙船についても、地球から飛び立ったものが地球に帰るのだから「大気圏再突入」とするのが正しい。だがもしモビルスーツやジオンや連邦の突入カプセルが地球外製ならば「大気圏再突入」ではない。劇中では単に「大気圏突入」としているので、ここでは地球から飛び立って地球へ帰る「ホワイトベース」例に挙げた現在の宇宙船の場合と、他の場合を呼び分けるのは面倒なので、劇中呼称を基準として「大気圏突入」で用語を統一した。

無事に大気圏に突入した「ホワイトベース」と「ガンダム」だが、大気圏突入直前のシャアによる攻撃で侵入角度をずらされてしまい、地球連邦司令本部のあるジャブローではなく、ジオン軍制圧下の北米へ降りてきてしまった。そして「ホワイトベース」は休む間もなくジオン公国公王デギン・ソド・ザビの息子で、地球方面軍司令官ガルマ・ザビ大佐率いる航空部隊の襲撃を受けるのだが…。
名台詞 「悔しいけど、僕は男なんだな。」
(アムロ)
名台詞度
★★★
 大気圏突入というピンチから帰還したアムロは、戦いによる疲労と恐怖でフテ寝モードに入ってしまう。ガルマ隊の攻撃により戦闘配備の命令が出ても自室で寝ているアムロ、フラウの説得でも目覚めず、ついにはブライトの鉄拳制裁によってさらに捻くれるばかり。だがブライトが最後の捨て台詞で「お前ならシャアを超えられると思ったのにな」といい、さらにフラウが「今までホワイトベースを守ってきたと自信を持てないアムロは男らしくない」とした上で自分がアムロに代わって「ガンダム」で出撃すると懇願するに至ってようやくアムロは目を覚ます。自分がどうしても倒したいライバルは再び現れる事実と、今までこの艦を守ってきたのは自分であるという誇りに気付き、アムロは自分がしなければならないことに気付いて覚醒する。その時の捨て台詞がこれだ。
 この捨て台詞にはアムロの本音が見え隠れしている。やはりシャアとの戦いを二度くぐり抜けたアムロにとっても、まだ戦場は怖くて行きたくない場所なのだ。だがそこへ行かねばならないのが男としての自分の役割であり、彼は「怖いし死にたくない」という本音を胸の奥にしまい込み、艦に乗っている老人を、子供を、そして仲間を守るべくまた銃を取るのである。この台詞の深さはここまでのシーンでアムロの「情けなさ」を強調しているからこそ生きてくる。
 私は「機動戦士ガンダム」を見ていた小学生時代、臆病で弱虫の子供だったから余計にこの台詞に感じるところがあった。もし自分が同じ状況に置かれたら、間違いなくこの台詞の直前までのように怖くて部屋の中で縮こまっていることだろう。何とかして自分が助けられる方に回りたいのだが、男の子である以上このような状況ではそれは許されない。だから「悔しいけど」なのである。私は大嫌いだったボーイスカウトの活動で何度この台詞と同じ事を感じたか知れない。
 この捨て台詞で終わるシーンの中で、「親父にもぶたれたことがなかったのに」「それが甘ったれなんだ」等、やはり現在でも「ガンダム」ネタになると必ず出てくる台詞が続いている。だが私にとって最も印象に残ったのは、このアムロの捨て台詞だった。
名場面 マチルダ中尉登場 名場面度
★★★★
 アムロとシャアの第3ラウンドであり、かつ「ホワイトベース」がガルマ・ザビの舞台と初めて対戦するこの戦い。最初はジオン側の優勢であったが、アムロが「ガンダム」で空中戦を展開して陸空双方の敵を一気に墜とし始めると戦況が変わってきた。赤い彗星のシャアとは言え、地球上での戦いにおいて「空中戦が出来るモビルスーツ」との戦いなど経験があろうはずもなく、「ホワイトベース」の好援護もあって為す術もなく撤退を余儀なくされる。そのシャアを追ってアムロは正面にあった山の背後に回ろうとするが、その山陰から地球連邦の輸送機が突如現れてアムロを制止する。その制止する声は凛々しい女性の声、そしてショートカットの美しい女性の指揮官…視聴者も意外な展開に驚くだろう。そして補給作業のシーンを挟むと、この女性指揮官の全身が足からアップして行く形で映し出される…マチルダ・アジャン中尉、連邦の補給部隊の司令官で「機動戦士ガンダム」を彩る伝説的キャラの一人だ。
 彼女は将軍の指示によって「ホワイトベース」に物資の補給と、当面は現状維持であるという命令を伝えに来たに過ぎない。だが彼女の登場は「ホワイトベース」乗員にとって光であったことは言うまでもない、「ルナ2」を追い出されるも同然に出てきた彼らが補給を受けられるとは思っても見なかっただろうし、なによりも補給だけでなく命令まであったというのは自分達が見捨てられていないという何よりの証拠である。さらに男性乗員にとってはマチルダの美しさが何よりの補給だったに違いない、彼らの心の中に「生き延びればまたマチルダ中尉に会える」という下心ではあるが、生き延びねばならないという強い意志が生まれたのも確かだろう。「ホワイトベース」にも女性乗員は乗っているが、名家の令嬢だったり、気の強い医者の卵だったり、赤毛でそばかすの少女(そばかすは事実だが赤毛じゃないだろーに…)だったりで、いまいち下心が持てないメンバーだったりするのもうまく考えられている。だからこそマチルダ中尉は伝説的と言えるほどのキャラに成長したのだ。
 私も当時、マチルダ中尉に心を惹かれた男の子の一人である。でも私の場合はこの人を「女性」としてというより、「母親のような存在」として見ていたと思う。ことあるごとに「ホワイトベース」に現れて、物資をくれることで助けてくれるという行為に「母性」を感じたのかも知れない。そう言う意味では最も登場頻度の高い補給部隊の指揮官を女性としたのは凄く「よかった」と思うのだ。
研究 ・「ホワイトベース」や「ガンダム」等の色
 今回の戦いにおいて、ガルマやシャアらジオン側の人間が「ホワイトベース」搭載のモビルスーツを識別するのに「色」による区別していた。この段階では「ガンダム」の形式名や名称を知らないのだから、よくよく考えればこれは自然な行為である。むしろそれまでのSFアニメにおける、敵側陣営がいつの間にかに敵の秘密組織名や秘密兵器名を知っているという描写こそがおかしいのである。「宇宙戦艦ヤマト」ですらガミラスがなんで「ヤマト」の名を知っていたのか謎のままだ。
 話は逸れたが、この戦いでガルマの「敵のモビルスーツが現れた」という報告に、シャアは「白いのか?」と聞き返し、ガルマは「白いのはいない」と答える。確かに「ガンダム」は白い、僚機の「ガンキャノン」は赤いし、「ガンタンク」は青、「コアファイター」は赤だし、母艦の「ホワイトベース」はその名の通り白…何が言いたいかというと「派手すぎないか?」ということだ。
 それに対し、ジオン側は深緑(「ザク」やムサイ級)や青系(ガウ級飛行空母)といったどちらかというと地味な色が多い(ただしモビルスーツや戦闘機の隊長機は例外)。
 無論兵器としてはジオン側の色の方が正解だ。地味な色は視認性が悪く、有視界戦闘では発見される確率が大幅に下がるのだ。かつての日本軍も戦艦は青みがかった灰色で、これは海に溶け込む色で発見率を下げるものであり、航空機は白っぽい灰色でこれは空に溶け込む色だった。だが宇宙での戦いが主となるジオン軍が緑系というのも…。
 この「機動戦士ガンダム」に出てくる「兵器の色」については、劇場版上映時に小学校の同級生と討論になったことがある。「ガンダム」や「ホワイトベース」の色じゃすぐに発見されてしまう、特に連邦側補給部隊の補給機「ミデア級」に至っては黄色で「撃ち落として下さい」と言わんばかりの色だと。しかもレーダー兵器の使用が制限され、有視界戦闘が前提となっている「ガンダム」の世界では派手な色というのは生命取りになるのは明白だという論争であった。
 この時の討論の答えは、地球上はともかく宇宙なら問題が無いのではないか?ということだった。答えは簡単で「宇宙は暗い」からという意見である。でもここではこんな小学生らしい解決をしてしまうのではなんか物足りないし、「子供向け」だからという本来の理由で片付けるのも面白くないだろう。そこでここでも公式設定は無視して、私の解釈を紹介したい。
 それは戦時条約などによって、地球連邦とジオン公国の間に戦闘機やモビルスーツ、それに戦艦といった兵器の「色」に関しての取り決めを行ったという解釈だ。「ミノフスキー粒子」によりレーダー等の使用に制限があると言うことは、現在あるような敵味方識別信号も効かない状況も考えられると思う。その中で有視界戦闘をするのであれば、敵と味方を明確に区別しないと同士討ちを起こして自らの戦力を低下させてしまう原因にもなり得る。本来なら機体に国章等をマーキングして区別すべきだが、戦闘機等の速度が上がってこれを目視で識別するのも難しくなったのだろう、そこで連邦とジオンの間で兵器の色を取り決めたのだ。
 「ガンダム」の設定を見ているとひとつの条約が浮かんでくる。劇中で「南極条約」と呼ばれ、捕虜の取り扱いや大量破壊兵器の禁止を取り決めた戦時条約だという設定だ。この条約の中に「兵器の塗装」という項目があるに違いない。しかもこの条約を決める過程で、ジオン側に有利な状況があって迷彩として都合のよい色は全部ジオンに取られてしまった。だから連邦の兵器は派手な色にせざるを得なかったと解釈するのだ。
 だが連邦については別の事実がある、連邦の兵器でもマゼラン級宇宙戦艦や、サラミス級宇宙巡洋艦は灰色系統の地味な色をしている。物語が進むと登場する「ボール」という小型モビルスーツも灰色系統だ。これはこう解釈すればいい、それらの兵器は「南極条約」の前に登場した兵器なのだと。条約の「兵器の塗装」規定が適用されるのは、条約発効以降に新規開発された機種のみで、それ以前の機種についてはさかのぼっての適用はしないと。
 これでジオンの兵器は緑系統や灰色系統、さらに青や黒であることと、連邦の兵器でも「ホワイトベース」以降の機種については白や赤や黄色という色が多いと言うことで合点がいくだろう。ただし「ガンタンク」だけは例外になってしまうが、これも「ガンタンク」だけは開発時期が早かったと解釈すれば問題解決だ。

「ホワイトベース」が補給を受けていたその頃、シャアとガルマは次の作戦に備えていた。それと平行してガルマは占領政策の一環として地元有力者を招待したパーティを開く。ガルマは恋仲にある市長の娘、イセリナと甘いひとときを過ごすが、そこへ「ホワイトベース」が防衛戦に近付きつつあるとの報告が入る。ガルマはシャアと共に「ホワイトベース」を沈めるべく出撃した。この出撃に嫌な予感を覚えるイセリナだが…。
名台詞 「私とて、ザビ家の男だ。無駄死にはしない!」
(ガルマ)
名台詞度
★★★
 最前線にいるのにイセリナとの恋に溺れ、イセリナのためのならジオンを捨てるとまで言い切った男が、皮肉なことに自分の立場…ジオンの有力者としての立場に殉ずるという最期を遂げる。ガルマという甘ちゃんは目の前にいるイセリナに目を奪われ、この戦闘の半ばまで自分の立場や冷静さを完全に失っていた。シャアが指摘するようにひとりの女性のために功を焦り、戦果を挙げることばかりに気を取られてこの戦いがなんなのかという基本すら忘れていたに違いない。そして有力者の息子である自分の敵が実は味方の中にもいる可能性があるという、根本的な警戒心すら忘れてしまうほど焦ってしまった。こうしてガルマにとって人生の最後の1ページが不意にめくられることになる。
 ガルマを覚醒させたのはまさしく「本当の敵」が実は味方にいて、しかも自分の親友を装っていたと言う事実だ。「ホワイトベース」が見つからずその「親友」を索敵に出し、その「親友」が「ガンダム」が進む方向に「ホワイトベース」がいるはずと連絡してきたので何の警戒もなくそれにホイホイと従ってしまう愚かさ。冷静な考えれば「ガンダム」の行動は陽動でしかないと理解できるはずなのに…背後から「ホワイトベース」の総攻撃を受けることになったガルマは予想外の展開(とはいえ冷静ならば予想できたことばかり)に狼狽える。そしてレシーバーから聞こえたのは、「親友」が自分を気遣う台詞ではなく…「親友」が裏切りを宣告し高笑いする声だったのだ。その瞬間、彼は思い知った。結局は信用できるものは、自分の家柄と立場だけなのだと。こうして彼は覚醒し、イセリナという愛する女性のことをその瞬間に思い出すことはなかった。彼がイセリナを思い出すのは死の瞬間である。
 その全てに気付いたガルマに出来ることは、自分を育て守ってきたザビ家の男として死ぬことだけである。自分の死を華々しく飾るため、自分を討った敵と相討ちになってでもザビ家の栄光を守らなければならないのだ。その死が自分やシャアの物ではなく、ジオン公国という国の物となると言うことはガルマは分かっていたのだろう。だからこそ死ぬときには華々しい戦果が必要で、それこそが国の戦意を高揚させるものだと判断し、彼は最後の力を振り絞るわけだ。
 今後の物語の展開を見ていれば、ガルマの死は「戦意高揚」という意味において一定の成果を挙げたことは理解できるだろう。。
名場面 ガルマ散る 名場面度
★★★★
 北米にあるニューヤークという都市の廃墟に紛れ込んだ「ホワイトベース」は、ドーム球場(劇中では「雨天野球場」と表現…時代を感じるなぁ)に身を潜めて反撃のチャンスを窺う。これに対してガルマ隊は空中から「ホワイトベース」を探索するが、どうしても見つけることが出来ずに「見えない敵をあぶり出そう」と絨毯爆撃を仕掛ける。「当たらなければおめでとうってところだな」(リュウ談)と言うほどの爆撃にも「ホワイトベース」は耐え、我慢できなくなったガルマはシャアの提案もあってシャアを筆頭とする「ザク」3機を索敵に出す。敵モビルスーツ出動を知った「ホワイトベース」は陽動作戦として「ガンダム」を出し、敵機を「ホワイトベース」正面に引きつける作戦に出た。
 だが「ガンダム」は簡単にシャアに見つかってしまう。だがシャアはいつもと違いどうも積極的に攻撃をしてこない。その間にも「ガンダム」は一般型「ザク」1機を撃破、シャアは「ガンダム」の陽動作戦を見破ってドーム球場に身を隠している「ホワイトベース」を発見する。シャアは「ホワイトベース」の作戦を褒める独り言を語ったかと思うと、驚いたことにガルマに「ホワイトベース」発見を告げず「ガンダム」を追えばいいと連絡するのだ。血迷ったかシャア? いつものシャアと違うぞと視聴者は感じるだろう。
 もちろん「ホワイトベース」の艦橋では「ガンダム」を追うガルマ隊の動きが手に取るように見えていた、ブライトはこちらに背を向けたガルマ隊に対し一斉射撃を命ずる。みるみるうちにガルマ隊の小型戦闘機は撃墜され、大型のガウ級飛行空母も被弾して操縦が効かなくなる。狼狽えるガルマに対し、「聞こえていたら君の生まれの不幸を呪うがいい」と高らかに裏切りを宣告するシャア、「謀ったな」と叫ぶガルマ。ガルマは「ガウ級」の操縦桿を奪うようにして握ると、名台詞欄の台詞を叫んで体当たり攻撃をしようとする。これに気付いた「ホワイトベース」は急速上昇、「ジオン公国に栄光あれ」と叫びながら突っ込んでくるガルマを間一髪で上へ交わす。何とか助かったブライトは、顔を大きく歪ませて安堵する。
 大気圏突入以降の地上戦において、敵側の最も主要な登場人物になると思われたガルマがあっという間に戦死してしまうこの戦いは、市街戦で死角が多い戦いという緊迫感と迫力を持って描かれた。何てったってジオンの要人が一人死ぬ戦いだ、それなりのシーンに仕上げて視聴者の印象に残らなければ意味が無いのだ。このガルマの死こそがジオン側が本格的に「ホワイトベース」に敵意をむき出しにするという重要な意味を持っているからである。この戦いによってジオンから見た「ホワイトベース」は、単なる敵の最新鋭艦ではなく憎むべき国家的英雄の仇と化したのだ。
 そう考えればガルマという人物は、まるで死ぬために物語に出てきたように扱われたことにも納得がいくだろう。こうして「ホワイトベース」の前にシャアやガルマ以上の敵が出てくることを予感させるのである。
 さらにこの戦いは単なる「ホワイトベース」VSガルマ隊という構図や、大局的な「地球連邦軍」VS「ジオン公国」という構図だけで語れるものではないというのも事態を複雑にしている。ガルマは「ホワイトベース」に討たれたというより、シャアの裏切りによって味方に殺されたとも言えるのだ。ここでひとつ出てくる事実は、シャアがガルマの父であるジオンのデギン公王を恨んでいるという事実。それも並大抵の恨みようではなく、その息子を殺さねばならないほど恨んでいるのである。シャアが何者なのか、何を考えて戦っているのかという大きな疑問が視聴者を襲うわけだ。ここに物語は「連邦対ジオン」という戦争だけでなく、「シャア対ザビ家」という抗争をも含んで進むことになるのだ。
研究 ・ガルマ戦死と「ホワイトベース」
 「ホワイトベース」が地球に降りた時点から登場し、地球上での「ホワイトベース」の敵役として長く戦いを描かれるだろうと思われたガルマ・ザビの戦死。このシーンはもちろん物語前半の大きな山であり、「劇場版T」においては最大のヤマ場であると見て良いだろう。このガルマの戦死はこれまで進んできた「ホワイトベース」とシャアとの戦いという物語に一区切りを付け、ジオンから見る「ホワイトベース」の立場を一転させ、さらに強力な敵が現れるための大事な転換点なのである。さらに名場面欄に記した通り、「連邦対ジオン」という戦いにジオン側の内部抗争を伏線として張っておくという、物語のラストへ向けての重大なエピソードでもあるのだ。
 この「ガルマ戦死」という事実に対して、私の昔からの疑問点は「ホワイトベース乗員はこの時に討ったのはガルマだった」と知っていたかどうかである。「ホワイトベース」はシャアと戦っていることは自覚していた、シャアの乗機は赤く塗られているのが特徴で、その特徴を持った凄腕の「ザク」に攻撃され続けていたのだから他に考えようがないだろう。だが自分達のような素人部隊を、敵の「方面軍司令」という重鎮が自ら出てきて攻撃してくるとは思っていなかったと思うのだ。「ホワイトベース」はジオン公国総統のギレンの演説を傍受することによって、ガルマの死を知ったと思うのだが、その時にまさか自分達がガルマを討ったとは思っていなかったではないか、と劇場版を見る限りでは思うのだ。
 ただしテレビアニメ版の場合、ガルマの死の直後にイセリナが敵討ちをするというエピソードが挟まれており、その際にアムロ達は自分達がガルマを葬り去ったことを知る。劇場版を見るときにはこの事実をわざわざ頭に入れて見なきゃならないというのも面白くない。やはり劇場版では「ホワイトベース」乗員は、ガルマを討ったのは自分達と知らなかったことにしておくのが一番面白い味方のような気がする。
 ブライト辺りが「へー、ガルマ・ザビが死んだんだ。何処の部隊にやられたんだろう? この辺りには友軍など…」ととぼけるような台詞を吐いているのを想像するだけで面白いじゃないか。
 いずれにしろ素人の寄せ集めである「ホワイトベース」が大戦果を挙げ、物語が大きく変わって行くことは変わりがない。

ガルマの戦死を受け、ジオン公国の重鎮であるザビ家の面々(キシリア・ザビとドズル・ザビ)が公王デギンの元に集う。ここでガルマの戦死を悲しむのでなく、その死をどのように扱うかが焦点となってしまう。一方の「ホワイトベース」はガルマを撃退したことにより、ジオンの勢力圏から抜け出すことが出来た。そこで一時の休憩を取ることとし、その間にアムロは自分の故郷が近いこともあって地球に残した母に会いに行くが…。
名台詞 「アムロ、私はお前をこんな風に育てた覚えはないよ。昔のお前に戻っておくれよ。」
(カマリア)
名台詞度
 名場面欄に記した「事件」を見てカマリアが息子に訴えるこの台詞、この台詞には戦場で戦う息子の姿を「見てしまった」母の思いが全て込められているのだろう。
 母にとって子供はどんなに大きくなろうとやはり子供なのである、カマリアもアムロをいつまでも小さい子供のままであって欲しいと感じていたかも知れない。この「親子」の構図は世界名作劇場「赤毛のアン」でも描かれたテーマだ(ただしアムロの場合は実の母子、アンの場合は養父母と養子という関係だが)。だから時代がどんなに変わろうと、息子が予想外の行動を起こせば「そんな風に育てた覚えはない」となるのだし、「元もお前に戻ってくれ」になるのだ。
 カマリアは今が戦時中であり、事と次第によってはアムロのような10代半ばの少年少女が銃を取って戦っている事を理解していたはず。そういう現場を見て来たはずなのだ。だがそれは自分や自分の息子のことではなく、余所の人たちの事だと感じていたのである。まさか自分の息子が銃を取って戦っているなんて、軍服を着ている姿を見てもまだそう思えなかったのだろう。世間の出来事や「時代の変化」と、それに合わせて自分の息子が変わるという事実を現実として受け止められないのだ。
 その現実を受け止められない母の思いが、この台詞に全部込められている。アムロの返事は「戦争なんだ」の一言だけ、これで説明がついてしまうのだから仕方がない。こうしてこの母子に埋めることが難しい溝が形成されるのだ。
名場面 母との別れ 名場面度
★★
 アムロと母であるカマリアとの久しぶりの再会、画面に僅かに出てくる幼いアムロが7〜8歳位に見えるので7〜8年ぶりの再会だったと思われる。だがその再会は一つの「事件」をきっかけに後味の悪い物になった。その「事件」とはカマリアが働く民間人避難設備にジオン兵が訪れたことだった、通信機の呼び出し音を聞いたジオン兵が、呼び出し音が聞こえた方向にあったアムロが隠れているベッドが怪しいとカマリアに問いただすが、アムロはこれに銃声で答えた。2人のジオン兵の内1人は即死、もう1人は乗ってきたジープで逃げた。
 これを見たカマリアは大きな衝撃を受ける、これまで優しく大人しかったと思っていた自分の息子が、敵兵とはいえ人に銃を向けてしかもそのうちの1人を殺してしまったのだ。もちろんカマリアは母としてアムロを咎めるが、ほとんど正規兵同然に扱われているアムロにとってはそのカマリアの言葉が信じられない。アムロは自分が生き残るために仕方なくやったことであり、母もこれを認め、その上で慰めてくれると信じていたはずなのだ。
 こうして2人の間に埋められない「溝」が出来る、母は息子が兵士になって人を殺す事実が受け入れられずに過去に逃避するようになり、息子は自分が生き残るためにやっていることを理解してもらえなかったことに落胆するのだ。
 そして別れのシーン、ブライトはカマリアに挨拶をするとアムロに「どうする?」と尋ねる。無論母との間に超えられない溝を感じたアムロの答えは一つ、アムロは敬礼をすると「これからもお達者で、お母さん」と他人行儀な挨拶をしたかと思うと母に背を向けて「ホワイトベース」に向かう。ブライトもカマリアに敬礼し「失礼します、お子様をお預かりします」と言うとアムロの後を着いて行く。
 立ち去る2人、さらになぜかフラウを加えて3人を呆然と見送った母、やがて「ホワイトベース」のエンジンに火が入り辺りをエンジンの噴射が吹き抜けると、彼女は跪いて泣き始める。「変わってしまった」息子との永遠の別れの悲しみに、母は泣くのである。
 もちろん、これを最後にアムロが母に会うことは無かったというのは私の想像である。しかしそれを予感させるに十分なシーンであろう、カマリアはこう感じていたに違いない。「自分の息子はもうとうの昔にいなくなってしまったいた」んだと。
 ちなみに、このシーンでアムロの母に見送られて黄昏の空に飛び立つ「ホワイトベース」が、「ホワイトベース」が最もかっこよく描かれているシーンだと私は思う。このシーンにアムロの母の悲しみだけでなく、「ホワイトベース」乗員のそれぞれの悲しみや想いも込められているに違いないのだ。
研究 ・連邦の軍服
 この展開では多くの地球連邦軍兵士が出てくる。アムロの生家で飲んだくれている兵や、アムロの知り合いのおばさんに嫌がらせをする兵、マチルダの補給部隊の兵など、様々な「ホワイトベース」乗員以外の連邦兵士が出てくる。
 だがこれを見ていると多くの人が疑問に思うことがある、これはむろん少年時代の私も疑問に感じたことだ。それは何でアムロ達が着用している軍服が他の兵と違うのかという点である。
 「ホワイトベース」乗員の中でも、士官以外が着用している軍服は、男性は水色、女性はピンクというカラフルな物である(フラウが着用している物はこれにフラウ自身がアレンジを加えた物と解釈すべし)。「ホワイトベース」でもブライトなどの士官や他の連邦軍兵士は、灰色の服である。共通点は袖口や襟が赤である点だろう。
 最初は「ホワイトベース」の中でも「現地徴用兵」のみがカラフルな軍服を着ているのかと考えていた、だがレーダー手のオスカーやマーカ−、それにパイロット候補生のリュウといった正規軍人の生き残りもアムロらと同じ軍服を着ている。これはどういう事なのだろう?
 この解釈法はひとつ、連邦は一般兵については兵器に合わせたカラフルな軍服を着せることになったのだろう。だが戦時の混乱や予算の都合などで、とりあえず新鋭戦艦に乗り組む兵から実施するという方針になって、まず最新鋭艦の「ホワイトベース」に試用として新軍服が支給されたばかりの物語と考えればいいのだ。
 さらにこの新軍服制定については、連邦のかなり末端まで通知されていたと考えるべきだろう。ここで出てきた末端部の荒くれ者のような兵までアムロが着用している水色の軍服の存在を知っていたのは確かだ。なぜならアムロの服装を見て全く怪しまなかったからである。あんなおかしな服(失礼)を着用して歩いている人がいたらどう考えてもおかしい、あの酔っぱらいの兵は物語の裏で「あれが新しく支給される服か…」と思っていたに違いない。物語に描かれていない部分では、新軍服制定の知らせを聞いてデザインに反感を持って文句言ったり、軍服を買えるよりも前線の兵のことを考えろとか叫んだヤツもいただろう。ま、結果的にこの軍服は広がらなかったのだが。
 このマイナーな新軍服、実はジオンも存在を知っていたのだから驚きだ。物語が進み「哀戦士編」で「ホワイトベース」に忍び込むことになるジオンのスパイは、ジオンが偽装したこの女性用の新軍服を着用するのだ。この情報は「ホワイトベース」に捕らえられた捕虜の情報でないことも明白で、ジオンが何らかのルートで「ホワイトベースの一般兵は試用中の新軍服を着用している」という事実と、そのデザインを詳細に掴んでいたのだろう。恐ろしい敵だ。

ジオン公国のデギン公王は息子ガルマを失ったショックから抜けきれない、そんな中でもジオン公国はガルマ・ザビの国葬を行う。一方「ホワイトベース」はマチルダから伝えられた命令に従い、地球上での反攻作戦に備えて北米からヨーロッパに向かう。そのヨーロッパへ向かう「ホワイトベース」を、ジオン軍がガルマ・ザビの敵討ちのために送り込んだランバ・ラル大尉の部隊が付け狙う。根っからの軍人で「青い巨星」とも呼ばれるランバ・ラルと「ホワイトベース」の激戦が、今まさに始まろうとしていた。
名台詞 「ザクとは違うのだよ、ザクとは!」
(ランバ)
名台詞度
★★
 「ホワイトベース」とランバ・ラル部隊の最初の戦いを象徴している台詞だろう。「ホワイトベース」を発見したランバ・ラルは、モビルスーツ3機で「ホワイトベース」を襲撃する。部下2人が乗っているモビルスーツはこれまで何度も出てきたお馴染みの一般型「ザク」だが、ランバ・ラルが乗っているモビルスーツは青という色だけではなく、その外観も「ザク」とは大きく違う。彼が乗っているのは今回初登場の新型モビルスーツ「グフ」だ。
 「ザク」ならばアムロも戦い方を会得してきたこともあり、互角以上に戦えるようになってきたところだ。シャアなどが使っていた指揮官用の高性能タイプの「ザク」でもそれなりに戦えるようになり、視聴者もそろそろアムロの戦い方に不安を感じなくなってきたところだ。だがそのタイミングでの新型機登場は上手いと思う、アムロがこれにどう対峙するのかが楽しみになってくる。
 新型モビルスーツ「グフ」は「ザク」にない機能として、手の指が機銃になっている点や、電撃を発生することができる鞭など、これまでアムロが想定していなかった武器を搭載している。それでも果敢に攻め込むアムロだが、持っていたバズーカの弾を一発も使わないうち(暴発除く)に電撃鞭で爆破されてしまう。白兵戦に持ち込むもビームサーベルを交わされるなど、「グフ」は「ガンダム」を完全に圧倒する。
 その時に「グフ」のコックピットでランバがこう叫んだのだ。これにはランバの新型モビルスーツに対する信頼ではなく、自分の腕に対する自信とアムロの稚拙な攻撃(モビルスーツの性能に頼った攻撃)を見た感想だろう。そういう戦い方では「ザク」に勝てても「ランバ・ラル」には勝てない、ランバはそう言ってるのだ。
 ちなみに「グフ」と初めて戦ったアムロの感想は、「こいつ違うぞ、ザクなんかとは装甲もパワーも…」という驚きであった。
名場面 ガルマ国葬 名場面度
★★★★
 「ホワイトベース」とランバ・ラル部隊の最初の戦いは、ランバ・ラル部隊が経験する初の地上戦という事と「ガンダム」の強さが予想以上だったためか、はたまた単なる「威力偵察」(本格的な攻撃の前に予備的な攻撃を仕掛けて相手の出方を調べること、歴史的には元寇の「文永の役」がこれに当たると言われている)でしかなかったのか。とにかくランバ・ラル部隊は「ガンダム」と一戦交えただけで、すぐ母艦であるザンジバル級宇宙戦艦に引き揚げる。新型モビルスーツ「グフ」の威力を見せつけられたその戦いが幕を閉じて辺りか静まりかえると、無線機を通じてジオン公国のギレン総統の声が聞こえてきた。
 その声はガルマの国葬において、ガルマの死を通じて国民感情をまとめ上げるための演説であった。演説内容は研究欄に譲るとして、ジオン公国はあらゆる周波数の電波でこの演説を流していたようで「ホワイトベース」艦橋の巨大モニターでも上映されていた。そしてギレンの演説が終わるとジオンの国民は「ジーク・ジオン」と掛け声を合わせて熱狂する。これを見たアムロは「これが…敵」と震え、ブライトは画面に向かってギレンの独裁体制を批判する。
 それとは別にさる居酒屋で私服にサングラスという姿のシャアが、酒を呑みつつこの演説を聞いていた。ギレンの演説の「私の弟、諸君らが愛してくれたガルマ・ザビは死んだ。何故だ?」の部分に、「坊やだからさ」と合いの手を入れるのは有名なシーンであろう。そのシャアに声を掛ける男がいた、シャアはその男がジオン軍のしかもザビ家親衛隊の者であり、キシリアの手の者だと即座に見破る。ガルマを守りきれなかったとして更迭されたこの男を拾って何をしようというのか、視聴者の期待と不安は高まる。
 このシーンには二つの大きな意義がある。ひとつは「ジオン公国」というこれまで名前と前線の兵士が描かれただけで、具体的にどんな国なのかが描かれていなかったが、それをハッキリ示してきたこと。ギレン総統を中心とした一党独裁の全体主義国家であり、歪んだイデオロギーに支配されているという怖い国家であるという側面が初めて描かれたのである。視聴者の前に初めて「敵」が姿を現したわけで、それが普通の国とは違う悪役として相応しい国家体制であることが初めて示されたのだ。
 もうひとつの意義は、物語が新しい展開に進んだことを示している。ガルマ国葬でザビ家の兄姉達が集まったシーンでは、シャアが更迭されたことがほのめかされている。そのシャアはこれまでドズル・ザビ中将の指揮の下で働いていた事は物語序盤からの展開を追えば明白だが、そのドズルがシャアの更迭を語ったのである。さらにランバ・ラル初登場のシーンで、ランバは自分達がドズルの命令で「ホワイトベース」を討ちに来た旨を語っている。シャアはガルマの戦死でもって軍人として失脚したということが浮き彫りになっていたところで、そこに近付くキシリア・ザビの手下の存在は、新しい敵将ランバ・ラルの登場と共に物語が大きく動くことを示唆しているのだ。
 そしてこのガルマ国葬が放映されているシーンをもって、劇場版「機動戦士ガンダムT」は幕を閉じる。ここまでの激しい戦いと、敵がハッキリと姿を現して「ガンダムの戦いはこれからだ」という部分で終わったことになり、もしも映画が不人気だったらここで終わってもいいように計算されているのだ。
 むろんこの考察は終わらない、物語と一緒に「哀戦士編」へ進むことにしよう。
感想 ・ギレン・ザビのガルマ国葬における演説

「我々は1人の英雄を失った。しかし、これは敗北を意味するのか? 否、始まりなのだ。地球連邦に比べ、我がジオンの国力は30分の1以下である。にも関わらず今日まで戦い抜いてこられたのは何故か? 諸君、我がジオン公国の戦争目的が正義だからだ。これは諸君らが一番知っている。我々は地球を追われ、宇宙移民者にさせられた。そして、一握りのエリートが宇宙にまで膨れあがった地球連邦を支配して50余年。宇宙に住む我々が自由を要求して、何度踏みにじられたか。ジオン公国の掲げる、人類1人1人の自由のため戦いを、神が見捨てる訳がない。私の弟、諸君らが愛してくれたガルマ・ザビは死んだ。何故だ? 新しい時代の覇権を、我ら選ばれた国民が得るのは歴史の必然である。ならば我らは襟を正し、この戦局を打開しなければならぬ。我々は過酷な宇宙空間を生活の場としながらも共に苦悩し、錬磨して今日の文化を築きあげてきた。かつてジオン・ダイクンは、人類の確信は宇宙の民たる我々から始まると言った。しかしながら、地球連邦のモグラ共は自分達が支配権を有すると増長し、我々に抗戦をする。諸君の父も子も、その連邦の無思慮な抵抗の前に死んでいったのだ。この悲しみも怒りも、忘れてはならない。それを、ガルマは死を持って我々に示してくれた。我々は今、この怒りを結集し連邦軍に叩きつけて、はじめて真の勝利を得ることが出来る。この勝利こそ、戦死者全ての最大の慰めとなる。国民よ、悲しみを怒りに変えて立てよ、国民よ! 我らジオン国民こそ、選ばれた民であることを忘れないで欲しいのだ。優良種たる我らこそ、人類を救い得るのである。ジーク・ジオン…」(名台詞度★★★★★…カウントより除外するが「T」最大の名台詞だろう、名台詞欄で取り上げるには長すぎる)

 ガルマ国葬におけるギレンの演説は、劇中でも視聴者の間でも神話的な威力を持つ名演説だろう。ジオン公国という敵が何を考えて戦争を起こし、それを継続しているのかをこれほど明確に説明してくれるものはない。この演説だけでジオン公国という国の恐ろしさと、その性質が手に取るように分かるってもんだ。
 内容は上記の通り、私が文で説明するより劇中から引用した方が何倍も速いので、このような形で示した。簡単に言えばガルマの戦死をネタに国民を煽っていると言ったところだろうか、この演説内容からは弟の死を悲しんだり、悼んだりする感情は微塵も見られず、ただその死をも「国民の一致団結」という戦争遂行の道具として扱うギレンの冷たさ、ひいてはその国家の冷酷さが浮き彫りになっているのだ。このように「身内の死」までもが道具になってしまい、それに対し悲しみの感情すら湧かなくなってしまうと言う戦争の怖さ、いや独裁者の怖さというものを視聴者に訴えてくる。
 そしてこの演説は日本のSFアニメでは初めてだと思う、「自分達こそが正義の味方だ」と言い切った敵役というのが。これまでのSFアニメでは敵は悪役であって、自分達が主人公勢力を攻撃したり侵略する正当性を語ることはあっても、それが「正義だ」と言い切った悪役はいなかった。「宇宙戦艦ヤマト」のデスラー総統すら「自分達の星が滅びるから地球を侵略する」という地球侵略の正当性は語ったが、「それは正義だ」と劇中で語ってはいない。もちろん劇中で描かれていないところでガミラス国民に「それが正義だよ」と言っているに違いないだろうが、視聴者に対してそう言いきってはいないのだ。これまでのSFアニメの悪役は視聴者に対し「本当は自分達が正義なんですよ」と言い切らなかった、つまり「自分達の行為は敵から見れば正義ではない」という自覚を持っていると考えることも出来る。その点ではどんな悪役でも救いようのない悪役ではないのだ。
 ところがギレンは「自分達こそ正義」と視聴者に宣言し、その後の彼の言動を見ていれば、彼が「地球連邦は悪」ともハッキリ言い切っており、さらには自分の正義(「国の正義」でないのに注目)のためなら実の父を殺すことも厭わない、いや国民だって強制排除するのだ。ここまで救いようのない悪役というのが他の作品にいただろうか? どんな悪役でも自分の親を殺すなんていうのはいなかったと思う。
 余計なことだが、「世界名作劇場 愛少女ポリアンナ物語」を見てその印象が消えないうちに「機動戦士ガンダム」を見ちゃ行けないって事がよ〜く分かった。ギレン・ザビの声を担当しているのは銀河万丈さん、「ポリアンナ物語」ではあの物語1のネタキャラであるペンデルトンのおっさんを担当している人だ。ギレンとペンデルトンでは同じ声質で演技しているため、どうしてギレンの声を聞くとペンデルトンの髭面を思い出して吹き出してしまう。「機動戦士ガンダム」のギレンが出てくるシーンで、笑うとこなんかひとつも無いんだぞ…。

・劇場版「機動戦士ガンダムT」主題歌
「砂の十字架」作詞・谷村新司 作曲・谷村新司 歌・やしきたかじん
 何度聴いても感想はひとつ、典型的な「谷村ソング」だなぁと。出だしの「ライリー ライリー」や最後の「ライララ ライララ」のとこなんか谷村新司の名曲「チャンピオン」を彷彿とさせるし、曲の雰囲気は映画「連合艦隊」の主題歌として有名になった「群青」に似ている。流れるような軽快なメロディラインも聴くだけで「う〜ん、谷村新司」って感じてしまう分かりやすいもの。
 詩の内容としては「闘う力」がなんなのかという事がテーマと考えて良いだろう。ただ谷村新司の詩としては珍しく短いと言うのが特徴である。ちなみに主題歌として映画の最後に流されるのは2番の方だ。
 背景画像は宇宙戦闘の残骸が漂う宇宙空間で、このようなシーンが流れるのは「ガンダム」らしくていい。だが曲そのものがこの映画以外での露出度が(「哀戦士編」や「めぐりあい宇宙編」と比較して)非常に少なかったので印象は低い。一度この曲を谷村新司が歌っているのを聴いてみたいなぁ。

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