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「機動戦士ガンダムU 哀戦士編」
 「機動戦士ガンダムT」の人気を受けて制作された続編。テレビアニメ「機動戦士ガンダム」中盤部分であるランバ・ラル部隊との戦いを軸に、地球連邦軍司令部があるジャブローでの戦いまでの「ホワイトベース」を描く。「機動戦士ガンダム」中盤では敵味方問わず多くの印象深いキャラクターが戦死し、それを通じての「ホワイトベース」乗員である若者達の成長を描いている。オリジナルのテレビアニメ版と比較すると、連邦軍の反攻作戦である「オデッサ作戦」前後やジャブロー基地での戦いなどで時系列的な物語順序の入れ替えが行われ、長編作品として不自然のないような物語構成に変更されている。

名台詞 「お前の言う通り、今度の作戦はザビ家の個人的な恨みから出てはいる。しかしだ、この戦いで木馬(※)を沈めてガルマ様の仇を討ってみろ。わしは2階級特進だ、わしの出世は部下達の生活の安定に繋がる。お前のためでもある、ザビ家により近い生活が出来る。まあ、見ていろ。」
※「木馬」とは「ホワイトベース」のジオン側での呼称
(ランバ)
名台詞度
★★★
 こんな人間くさいというか、所帯じみた奴らを倒さねばならないなんて…。今まで色んなアニメで敵役を見て来たけど、こんな台詞を吐いた敵は初めてじゃなかっただろうか。前線に同行した愛人ハモンから今回の作戦(ガルマ敵討ち)になぜ出ねばならなかったのかを問われ、ランバ・ラルはこう答えるのだ。その理由は自分が戦果を上げる事は部下達のためであり、部下達の生活…つまり家庭を守ることに繋がるというのだ。
 これは人が「働く」という行為を行う最も基本的な事なのであるが、SFものの登場人物の皆さんは敵味方含めてこう言う論理を考えたことがあるのだろうか? どんなに「宇宙戦艦ヤマト」がリアルになったと言っても、登場人物が口々に母星や母国の平和が先であり、自分や部下の生活を守るなんて言った人はなかった。戦争なのだから出てくる人物の戦いぶりが、そのまま当人の生活にかかってくるのは確かなことで、「機動戦士ガンダム」ではそんな側面まで漏らさずに描いているのが凄いのだ。
 さらにこの台詞の裏側には、ランバ・ラルという人物がこの時点でのジオンの主流(つまりザビ家)から信用されていない立場にあることも窺わせる。力がないからこそ特に「ザビ家の個人的な恨み」で立ち上がって、戦果を挙げて信頼を得る必要があるのだし、信用が無いからこそハモンをザビ家に近づけて裕福な生活をさせてやることも出来ない。そんな主流から外された男が掴んだ這い上がるチャンスというのもこの台詞は見せてくれる。そしてそこまで見抜いた人間は、ランバ・ラルという人物がどんな人物なのかも気になってくることだろう。
名場面 記念写真 名場面度
★★
 朝、ブリッジへ上がるマチルダをアムロが案内すると申し出る。途中でフラウに「私の部屋のエアコンを直す約束がまだ」だと掴まるが、それにもお構いなくアムロはマチルダとブリッジへ向かうのだが。そこでカイが仲間達と立ち話をしているところに通りかかる、カイはマチルダみたいな女性を恋人にしたいと力説するのだが…もちろんそれはマチルダにも聞こえており、「素敵な恋人を探してね」と皮肉を言われる。慌てたカイはこの際だから恥のかきついでだと一緒に記念写真をと頼む、マチルダは快く了承するが…話を聞いた艦内の男達がどこからともなく現れ、大人数での記念撮影になってしまう。撮影後、マチルダを作戦室(ブリッジじゃなかったのか?おい?)に案内し終えたアムロは、通路で1人になるとその写真を眺めて、飛び上がって大喜びする。
 アムロだけでなく「ホワイトベース」乗員の多くがマチルダに惹かれていると言えばそれまでのシーンだが、その中にアムロやカイの若さというか純粋さが上手に描かれていて良い。また男達にとってマチルダの存在がひとつの安らぎになっているという点でもこのシーンは貴重だろう。
 また子供時代の私は、テレビアニメ版のこのシーンを見た時にマチルダの死の予感を感じてしまった。ここで意味ありげに記念写真を撮ってみんなで大喜びなんて、「死亡フラグ」としか考えられないと感じたのだ。ひょっとすると「哀戦士編」に当たる物語中盤では、敵味方関係なく容赦なく殺すという前触れとして描かれたシーンかも知れない。だが戦いの前の静けさとしては気に入ってるシーンだ。
研究 ・ジオンの派閥争い
 「哀戦士編」の冒頭に描かれるのは、ジオン軍という組織が決して一枚岩でないことだろう。「T」ラストではギレンの演説でもってジオンは国民の戦意も上がっている、強大な独裁体制国家であることを示唆して終わったが、「哀戦士編」に入っていきなりこれをひっくり返す。
 冒頭で突然現れるのは「T」では出てこなかった新キャラで、ジオン軍の資源採掘地帯であるオデッサ基地の司令、マ・クベである。ご自慢の壺を鳴らしながら、彼はガルマ敵討ち部隊として地球に降りてきたランバ・ラルの部隊が目障りだと言い切るのである。ランバ・ラルに言わせてみれば、攻撃目標である「ホワイトベース」を追っていたらマ・クベが支配する地域に来てしまったというところなのだろうが。ここでは彼らの関係を考えて見よう(毎度言うが研究欄では公式設定を多少無視して私の個人的解釈が優先する)。
 まだこの段階ではハッキリしないが、マ・クベの上司であるキシリア・ザビはジオン軍の「突撃機動隊」の司令官である。戦争継続のために地球の鉱山地域を攻撃して占領し、採掘された資材をジオン本国に送り届けるのが彼女の仕事だ。キシリアの下でその鉱山地帯を支配しているのがマ・クベである。その採掘状況や埋蔵量については国家機密となっており、同じジオンの人間とはいえ誰にも言うわけにはいかないのだ。ちなみにガルマが率いていた「地球方面軍」というのはキシリアの「突撃機動隊」の下部組織のようで、ジオンにとって重要な地点は「突撃機動隊」が直接管轄し、そうでない地域を「地球方面軍」が管轄していたようである。
 一方のランバ・ラルの上司はドズル・ザビは「宇宙攻撃軍」の司令だ。ドズルは宇宙要塞であるソロモン基地を拠点に、ジオン本国周囲の宇宙空間を防衛する任務に就いていると考えられる。劇中に出てこない設定によると、キシリアとドズルは政治的にも軍事的にも対立し、その対立が元々は「宇宙軍」単一であったジオン軍を「宇宙攻撃軍」と「突撃機動隊」に分裂させてしまうきっかけになってしまったという。つまり旧日本軍の組織で言えば(分離理由は対立ではないが)陸軍と海軍ほど違うわけだ、なんてったって国を治めるトップに違い場所…日本流に言えば省庁からして違うようなものだから、たとえ悪いことをして無くてもお互いに相手が自分の縄張りをウロウロされたら目障りなのだ。かと言って互いの立場上、表だって妨害するわけにも行かない。
 だからマ・クベはランバ・ラル部隊がとっとと使命を果たして帰って行くのを期待するしかない。そうすれば自分が支配している鉱山地帯を狙う敵が減ってくれるのだから。一方のランバ・ラルもその辺りは承知していて、マ・クベが何を考えているのかもお見通しと言ったところだ。だがここはキシリアの勢力が強いところなので、やはりランバ・ラルの方が分が悪いのは確かだ。物語が進むとランバ・ラルが敵と自軍別組織の板挟みに合って苦しみ、思うように戦えなくなってくるのだ。
 この「哀戦士編」の冒頭では、そんな展開を示唆するとともに、これからの戦いが両軍にとって辛いものになることを上手く描いているのだ。

…オデッサ作戦に参加するため砂漠地帯を行く「ホワイトベース」、しかしその前にまたしてもランバ・ラル部隊が立ちはだかる。これに反撃しようとした矢先、セイラが勝手に「ガンダム」に乗り込んで無断出撃してしまう。セイラが乗る「ガンダム」はランバの「グフ」のパワーに圧倒され、コズンの「ザク」に生け捕りにされかかって中破。しかし「ガンキャノン」に搭乗したアムロの活躍で逆にコズンの「ザク」を拿捕して捕虜にする。同時にセイラは無断出撃の罪で3日間の独房入りに課せられる。その際、コズンからシャアのことを聞き出そうとするが…。
名台詞 「気にすることはないわ。私たちだって、いつああなるか…」
(セイラ)
名台詞度
★★
 「ホワイトベース」が捕虜に取ったジオン兵、ランバ・ラル部隊のコズン少尉が尋問の後脱走する。無断出撃の罪でコズンの隣の独房に入っていたセイラが、ブライトの命令により独房から出され、コズンを追う。その間、コズンは第二通信室を占領してランバ・ラルに自分が知った「ホワイトベース」に関する情報を送るのだ。それに気付いたブライトが通信回路を遮断、これに気付いたコズンが通信室を出たところでセイラと出くわし、軽い格闘戦の後コズンは逃亡する。途中でカツ・レツ・キッカ・ハロの攻撃も受けながらなんとか外部へ通じるエアロックを見つけここから脱出を図ろうとするが、セイラと合流したオルム(「ホワイトベース」乗員のチョイ役で階級等不明)が放ったバズーカが直撃し、コズンは脱出を目前にして地上に落下してしまう。これを見たオルムが竦んでいると、セイラがこう呟いたのだ。
 そう、セイラがコズンの死を見て感じたのはこれが決して他人事ではないという事実だ。自分達も戦いの中に放り込まれ、いつジオンの銃弾によって倒されるか分からない。それだけでなく自分達の生命を守るためとは言え、連邦の最新兵器を無断で使用している罪も何処かで着せられるかも知れない。そうなれば自分達は味方である連邦軍によって処刑される可能性があるのだ。セイラのこの台詞の裏にはこのような彼女の覚悟と、「ホワイトベース」乗員が置かれた状況というものが如実に表れているのだ。
(次点)「捕虜の扱いは南極条約に則ってくれるんだろうな?」(コズン)
…SFアニメで戦時条約の存在が初めて語られた台詞ではないだろうか? てゆーか戦時条約が設定されているSFアニメや映画なんて見たことがなかった。
名場面 アムロ脱走 名場面度
★★★
 勝手なことを始めたのはセイラだけでなかった。「ホワイトベース」は進路を塞ぐ形で存在するジオン軍の小さな鉱山基地と対峙することになったが、アムロは「ホワイトベース」護衛として「ガンダム」で出撃しろとのブライトの命令を無視して「ガンタンク」で出撃する。彼は拿捕した「ザク」をもとに独自にシミュレーションを行い、その上で今回の任務はモビルスーツ相手でないから「ガンダム」を出す必要はないと判断したのだ。しかし敵鉱山基地はランバ・ラル部隊に援護を求め、結果ランバ・ラルが「グフ」と新たに補給を受けた「ザク」を出撃される。こうなってはブライトも納得いくわけがない。
 それにも懲りずにアムロは勝手にシミュレーションを行う。そのコンピュータが置いてある場所をブライトとミライが通りかかるのだ。2人が相談していたことは「アムロをガンダムから下ろす」と言うことであった(ただしミライは反対の立場であった)。アムロがこれまでの戦果によって増長し、自分を特別だと思い始めているのがいかんというのがブライトの理由だ。
 これを聞いたアムロは泣いて走り出し、荷物をまとめて部屋から出て行く。フラウが「何処へ行くの?」と問えば「ホワイトベースを降りるんだ、元気でな」と涙声で言う。そして艦内を走り…彼が向かった場所は格納庫だった、何とアムロは「ガンダム」に乗って「ホワイトベース」を脱走したのだ。その報せに寝ていたところをたたき起こされたブライトは下着姿のままブリッジへ。そのブライトが呆然と見送る中、発進した「ガンダム」は闇夜へ溶けるように消えて行く。
 遂にアムロが増長した。仕方なく乗り込む→最初はいい気になる→疲れればフテる→腕が上がり結果が伴ってくる→自分は1人で何でも出来ると勘違いする…とまぁ年相応の少年が成長するに当たってたどりそうな道筋を忠実になぞってきたわけだ。ミライやフラウはアムロには優しく接してはいたが、ブライトはそうでなかった。多分ブライトは若いながらもこうなることを見抜いていたのだろう。アムロに強力兵器を与えれば増長してこうなるのだと。だからブライトがアムロに「ピンチ」を与えるために「ガンダム」から遠ざけようとしたのは間違いではない。これが気に入らずに艦を降りたとしても、こんな砂漠の真ん中じゃ遭難するのが関の山だ。
 だがブライトは大きな誤算をしていた、アムロが「ガンダム」に乗って脱走を図るとは考えていなかったのだ。だから「アムロをガンダムから下ろす」という決断をアムロに聞かれた段階で、「ガンダム」のキーを取り上げることをしなかった。いや、若くてそこまで頭が回らなかったと言うのが正解かも知れない。たとえアムロが「ガンダム」のキーを持ったまま艦を降りても、外がこんな状況ならすぐ帰ってくる…ブライトはそう思っていたに違いない。
 だからブライトはアムロが「ガンダム」を持って出た事に驚愕し、自分の情けなさに腹を立てていたのだと思う。こんな形で「ガンダム」を失えばどうなることか、間違いなくブライトに思い処罰が下るはずだ。もしもアムロが「ガンダム」をジオンに渡すようなことがあったら…ブライトは腹を切るしかない。
 アムロはそんなブライトの胸中に気付いてないだろう、今自分がやっていることこそがブライトに対する最大の仕返しになっていると。ただ「ホワイトベース」から出て行きたかった、それでけである。「ガンダム」をジオンに渡せばヒーローになれるとか、他の連邦軍の部隊に合流すればいいとか、そこまで考えていないはずだ。なんてったって「坊やだからさ」。
(次点)キッカが浴室の水道の蛇口を壊す
…偉いぞキッカ、よくやった。サービスタイム…ムフフ(はーと)。
研究 ・捕虜と情報
 この部分のエピソードでいよいよ「機動戦士ガンダム」にも「捕虜」という存在が出てくる。「ザク」が1機アムロ操縦の「ガンキャノン」に撃破、大破した「ザク」を拿捕し乗っていたコズン・グラハム少尉を捕虜として捕らえるのだ。SFアニメで「捕虜」が出た前例はこのサイトでも取り上げた「宇宙戦艦ヤマト」13話がある。
 この捕虜を捕らえたことで、お互いに敵について知らなかった情報を得ることになったのだ。これについで考えてみたい。
 まず「ホワイトベース」側である。ブライトがコズンを尋問していろいろ聞き出そうとしたが、彼の口が堅く大事なことは教えてもらえなかったようだ。劇中の台詞にもあった通り、ランバ・ラル部隊の規模や戦力、それにオデッサ基地におけるジオンの陣容を知りたかったのだ。だがランバ・ラル部隊の戦力については口を閉ざしていたのは間違いないが、コズンはオデッサ基地の情勢については何一つ知らなかったと思われる。これはコズンの上官、ランバ・ラルとは管轄の違う軍隊が仕切っている場所だからという理由だ。だから例え様々な手段でコズンからいろいろ聞き出したくても、肝心なオデッサ基地については何一つ分からなかった可能性が高い。ブライトからしてみればこの捕虜からオデッサ基地のことが聞き出せれば、手柄になったかも知れないという算段もあっただろう。
 だが「ホワイトベース」側はこの捕虜の存在によって大事な情報をいくつか入手している。ガルマ・ザビを討ったのは自分達であるという事実は間違いなく知らされているはず、なぜならセイラがコズンからシャアについて聞き出そうとしたとき、「おたくらがガルマをやった時…」とコズンが語っても誰1人驚く表情はなかった。つまりこのシーンの前までに、ブライトはランバ・ラル部隊の目的だけは聞き出せたのだろう。「ガルマ・ザビの敵討ちとしてホワイトベースを倒すのが任務」だと。
 それだけではない、新型の青いモビルスーツの名前が「グフ」であると言うこともコズンからの情報だ(カイの台詞による)。さらにアムロが「ザク」の具体的な性能を知ったのも、大破したとは言えこの一件で「ザク」を拿捕したからであろう。「ザク」を分解してアクチュエータの動的性能や、搭載されている制御機器の性能などは実物がないと解らないものだ。さらに宿敵であるシャアが「ガルマを守りきれず失脚したが、キシリアに引き抜かれたらしい」という情報も得ており、また何らかの形でシャアと闘う可能性があることを彼らは理解する。
 では次にジオン側が知ったことだ。脱獄したコズンが通信室を占拠してランバ・ラルに伝えた内容は、「ホワイトベース」に搭載されているモビルスーツの機数と形状、および名称である。「白いモビルスーツ」は「ガンダム」、「陸戦タイプ」は「ガンキャノン」、「戦車」は「ガンタンク」で、これが各1機ずつだということだ。戦闘機の数については「不明」と送信している。恐らく劇中に語られていないところでは、「ホワイトベース」の正式な艦名や艦長の名が「ブライト・ノア」であること位は語られているだろう。ただし乗組員の多くが少年少女という点については送信できていないはずだ、それは物語が進むと「ホワイトベース」に乗り込んだランバ・ラルが乗っているのが少年少女ばかりであることに驚くシーンがあるからだ。
 情報量としては「ホワイトベース」が得た情報の方が多いが、その内容というとどっちもどっちだ。「ホワイトベース」側から見れば「ザク」の実物を分解して具体的な性能を知ることが出来たのは大きいし、ランバ・ラルから見れば「ホワイトベース」にモビルスーツは3機しか乗っていないという戦力を知ったのは大きい。だが結果だけでいえば、どちらの情報もあまり役に立っていないと思う。むしろ双方とも知らなかった「敵モビルスーツの名前」を知ったことの方が大きいと思う、相手の名を知るというのは相手が心理的に実体化するように感じることで、「誰か解らない相手と闘っている」という状況から救い出してくれることで多少なりとも戦意が上がるといわれている。
 ちなみに「宇宙戦艦ヤマト」の時は、捕虜のガミラス兵からは何も聞き出せなかったようだ。それはガミラス軍が徹底した秘密主義を採っており、戦闘機に乗っている一般兵には戦争の目的や別部隊の行動を知らされていないという特徴があった事による。あのガミラス兵が基地に帰投して、上官に「ヤマト」の事を聞かれても問題はなかっただろう。何てったって「ヤマト」単艦で行動しており、戦力等は目的もほぽ知れちゃっているんだから。

…「ホワイトベース」を脱走したアムロは砂漠に「ガンダム」を隠し、食糧と水を求めてさまよい歩く。一方「ホワイトベース」はエンジンと「ガンキャノン」の修理のため足止めとなり、その間にフラウがアムロ捜索のためにバギーで砂漠へと出て行く。フラウは「いくら何でも食事くらい…」と思って近くの町へ向かう、そこにはジオンのモビルスーツを載せたトレーラーの姿があった。
名台詞 「僕は…僕は…、あの人に勝ちたい。」
(アムロ)
名台詞度
★★★★
 アムロは脱走中に初めて「敵」と直接言葉を交わす、その敵とはランバ・ラルとハモンであった。そしてその直後の戦いで「ホワイトベース」に戻り「グフ」を撃破するのだが、アムロは先ほど出会ったランバ・ラルこそが自分が戦っていた敵だと知る。
 「ホワイトベース」に戻ったアムロは無断出撃と脱走の罪で独房に放り込まれるが、その中で「自分がいなければ戦えない」「僕が一番ガンダムを上手く扱える」と自惚れた台詞ばかり吐いて呆れられるが、アムロは自分が独房に入っている場合ではない事を既に知っていた。ランバ・ラルという男が自分の前に防波堤のように立ちふさがり、アムロは超えねばならない壁として明確に意識していたのだ。あの男と戦わなければならない、そして倒さねばならない…アムロはこれを痛切に感じ、独房で独りこう呟いたのである。
 アムロの成長はここの台詞から始まる。これまで嫌々戦わされ、次いで増長して自分の存在を誇示するために戦っていた。しかし脱走を通じて初めて敵に触れ、アムロの心の中に初めて「敵」という存在が意識されるようになった。そしてその敵を倒すことは自分のためだけではないこと、「ホワイトベース」に乗り込む仲間達を守るという事に繋がって行くのだ。そして彼が感じたのはその敵を倒すには自分一人の力ではどうにもならないという事実、現に脱走中のギャロップとの戦いではエネルギーが足りないことを痛感し、一人ではどうにもならないことを痛感していた。
 そして独房の中で独りになったアムロの心を支えて行くのも、ランバ・ラルとの出会いであった。そしてあの男に勝ちたい、勝ちたいと強く思うことで、自分がこの艦の中でどう立ち回るべきだったのかという事を思い知る。自分勝手に動いていてはダメだ、指揮命令形に従って自分を最適のポジションに回してもらわねばならない。こうしてアムロは「大勢の中の一人」でしかない自分に気付いて成長して行くのだが、その第一歩がこの台詞だ。
名場面 ソドンのレストラン 名場面度
★★★
 脱走したアムロは近くにソドンという名の町があることを知り、そこの店に入って食事をしていた。そこへトレーラーなどの大型車が停止する音が響き、男達が店の中に入ってきた。彼らは皆ジオン軍の軍服を着ている。しかしその男達の中に一人だけ美しい女性が混じっていることをアムロは見逃さなかった。そしてその女性の後から指揮官らしい男が入ってくるのにも気付く、その男はランバ・ラルという名に引っかかる。店員の男がジオン兵の一行に注文を聞くと、ハモンが食事を14人分注文する。ランバ・ラルが部隊の人数が13人だから1人分多いぞと指摘すると、ハモンはアムロを見て「あの少年にも」という。
 アムロが驚くとランバ・ラルがにやけて「あんな子が欲しいのか?」と問う、「まさか…」と怪しく微笑むハモンが美しいったらありゃしない。アムロは立ち上がって「ご厚意は嬉しいのですが僕には頂けません」ときっぱりと断る。「あなたに恵んでもらう理由はありません」とアムロがいうと、ランバ・ラルは大笑いして「一本やられたな」という。ハモンは落ち着いて「君のことが気に入ったからなんだけど、理由にならないかしら?」とアムロに問う、アムロが困っているとランバ・ラルや他の男達に「断ったら罰が当たる」茶化される。それでも負けずに「僕乞食じゃありません」と言い切るアムロに、ランバ・ラルは「そこまでハッキリ物をいうのが気に入った」とした上で自分からもおごらせて欲しいと申し出るのだ。
 そこで外に見張りに立っていた兵の声が飛んでくる、アムロを探しに来たフラウを捕まえたのだ。アムロが慌てて声を出すと「あなたの友達ね」とハモンが口を挟む。その返事より先に見張り兵が「こいつが来ているのは連邦の制服です」と言い切る。だが服がフラウのオリジナルであったために断定が出来ない。ハモンがランバ・ラルに「この子(アムロ)のガールフレンドですって」と報告すると、ランバ・ラルが何かに気付いたようで「(フラウを)離してやれ」と言い残してアムロの前に歩み寄る、彼はアムロがマントの下で拳銃を構えているのに気付いたのだ。ランバ・ラルはアムロのマントをめくり、「戦場で会ったらこうは行かんぞ。頑張れよ」とアムロにいう。そして二人はこの店から解放されるのだ。もちろん、ランバ・ラルはフラウに尾行を付けることを忘れていない。
 アムロが初めて敵と触れ合う、それだけではなくて敵と語り合う。このシーンで重要なの1にハモンの美しさ、アムロも年齢的には美しい女性を見れば気にならないわけはなく、その美しさでアムロの脳裏にハッキリ焼き付けられるのがハモンだ。そしてアムロにとって、ランバ・ラルが美しい女性を伴っているということ自体がランバを憧れの男として意識するきっかけである。もう1点はフラウが捕まったとき、アムロがコッソリとマントの下でランバ・ラルに銃口を向けていたことがいとも簡単にバレていたという事実。銃口を向けられているのに恐がりもせずに自分のところに悠然と歩いてくるランバ・ラルの姿に、彼は恐怖を感じたことだろう。そしてアムロの些細な動きや表情の変化を見逃さず、アムロが何を考えているか的確に見抜いた点を見て「油断のならない男」だと思い知らされたに違いない。この男に隙を見せればそこの待つのは「死」のみ、アムロは早くこの男を倒さないと自分が、仲間達が危ないと身をもって知るのだ。
 この体験が彼を成長させて行くのは間違いない。アムロの中でランバ・ラルという男が「越えねばならない壁」として立ちはだかり、それを倒さない限りは自分は生きていけないと思い知るのだ。
研究 ・独房入り
 前回部分ではセイラが、今回部分ではアムロが独房に入れられる。二人とも軍規に違反し、乗員の規律を乱したことがその理由である。
 セイラはブリッジでの見張り任務があったのに、勝手にこれを放棄して「ガンダム」に乗り込んで出撃してしまった。その上、「ガンダム」を上手く扱えず、中破という被害を被ってしまう。一歩間違えればコズンの「ザク」に捕獲され、ランバ・ラル部隊の捕虜になってしまうところだった。いずれにせよ任務放棄と無断出撃という二重の罪で、結果3日間の独房入りとなってしまう。
 アムロは前回部分の鉱山基地での戦いでブライトの命令に反した出撃をしてしまったこと。これだけで「ガンダム」を下ろされても仕方のない罪状だが、それだけではなく「ガンダム」という兵器を奪った上の脱走である。ここまでやったら、普通は死罪じゃないのか? だがアムロは無期限の独房入りという刑で済んでいる。
 それぞれが独房に入ると、次の戦いで人手が足りずに有耶無耶のうちに独房から出されてしまう。セイラの場合はその日の晩かせいぜい翌日には独房から出されている、鉱山基地への攻撃で人が出払っているところへ捕虜の逃走という事態が起きてしまったからだ。逃走した捕虜を探すのに戦闘中の要因を割くわけにも行かず、そこで独房の中から捕虜の逃走を通報したセイラがその役を受け持つことになった。
 アムロの場合は次の戦いで「ホワイトベース」にランバ・ラルが直接乗り込むという凄まじい戦闘になったため、これに反撃する要員が一人でも多い方が良いという判断で出されたのだろう。しかもしばらく機銃と白兵戦を戦った後、すぐにブライトから「ガンダム」に乗るよう指示される。この間も長く見積もっても数日と経っていないはずだ。
 これらの刑内容や刑期については、どう見ても実際の軍人より甘いと思うのである。特にアムロの場合は死罪になってもおかしくないほどのことをやっている。これは乗員の殆どが現地徴用兵という事情に従ってブライトの裁量で減刑されたものだろう。自分達を民間人と考えている連中に厳しい罰を与えるのは逆効果と考えたに違いない。そう考えるとブライトという人物がどれだけ優れた人材か解るってもんだ。。

…ランバ・ラルの元にマ・クベから「増援はできぬ」「独自にホワイトベースを奪取せよ」と命令が来る。そのマ・クベの元には陸専用の重モビルスーツ「ドム」と、それを操縦する「黒い三連星」と呼ばれる歴戦の兵士が配備される。一方の連邦はジオン鉱山基地を叩く「オデッサ作戦」の準備を着々と進め、レビル将軍は「ホワイトベース」の修理と新兵器配備をマチルダに命じる。それぞれが次の戦いへ向けて動く中、マ・クベの命令をまともに受けたランバ・ラル部隊が「ホワイトベース」に白兵戦を挑む。
名台詞 「見ておくがよい。戦いに敗れるということは…こういう事だ!」
(ランバ)
名台詞度
★★★★
 「ホワイトベースを無傷で手に入れる」という目的に従って白兵戦を挑んだランバ・ラル部隊、第二ブリッジを占拠するなど一時は優勢に戦いを進めたが、ある出来事(名場面欄参照)がきっかけで形成は逆転する。さらに「ガンダム」が第二ブリッジを直接攻撃したことで、ランバ・ラル部隊はハモンと共にギャロップ級に残った者以外は壊滅。ランバ・ラルもリュウと相撃ちになったときに手傷を負っており、破壊された第二ブリッジに「ホワイトベース」乗員が乗り込んできたときに覚悟を決めた。そしてこの台詞を叫ぶと持っていた手榴弾を抱いて船外へ飛び降り、「ガンダム」の掌の上でランバ・ラルは爆死する。
 「T」の終盤から「ホワイトベース」と死闘を演じ、何か言うごとに台詞が格好良かったランバ・ラルの最期だ。その最期は彼の軍人としてのプライドを見せつけてくれたもので、捕虜になって生き延びるのではなく倒れた部下の元へ行くというものであった。さらに彼の中にはかつての日本軍のような「生きて虜囚の辱めを受けず」という考えもあったのかも知れない。
 いずれにしろ彼は「ホワイトベース」の捕虜になって生きるという手段を選ばず、先に散った部下と同じ運命を辿る道を選んだ。これが彼なりの「戦いに負ける」という事なのだ。
名場面 再会 名場面度
★★★★
 「ホワイトベース」を奪取すべく白兵戦に挑んだランバ・ラル部隊は、第二ブリッジを占領して通信系を制圧することに成功し、操縦系を奪いとって目的を達成するかに思われた。だがここで予想外の出来事が起こる、第二ブリッジで部下達が通信系を第一ブリッジから奪取する作業の間に入り口を固めていたランバ・ラルの目の前にあった扉が不意に開くのだ。そこから「ホワイトベース」乗員の少女が出てくるのだが、ランバ・ラルはそのセイラの姿を見てフリーズする。「あなたはアルテイシアさんか?」とセイラに問う。
 視聴者は既にセイラがシャアの妹である事は解っている、その上で「え? ランバ・ラルとも知り合いなの?」と感じることだろう。その視聴者の疑問に答えるようにランバ・ラルは続ける、「あなたの父上、ジオン・ダイクンと革命に参加したジンバ・ラルの息子、ランバ・ラルです」と名乗るのだ。セイラの脳裏に幼い日にランバ・ラルに可愛がられた記憶が戻ってくると、セイラは「アルテイシアと知って何故銃を向けるか!?」とちょっと高貴な口調で責める。その声に狼狽えたランバ・ラルを目がけて、リュウが突っ走ってきて発砲するのだ。ランバ・ラルは肩にリュウの銃撃を受けつつも応戦、リュウも撃たれて深手を負う。「ランバ・ラル、引きなさい」と叫びながら発砲するセイラ、なおも銃弾を受けつつ第二ブリッジへの扉を閉じるランバ・ラル。
 この一件でランバ・ラルが重傷を負い、また「ホワイトベース」の操縦系を奪取する前に第二ブリッジの入り口を固められてしまった。いや、リュウとブライトだけならランバ・ラルは傷を負いながらも反撃したはずだが…目の前にいるアルテイシアを傷つける訳には行かない。そこで彼は負けを悟る。そして何とか奪取した通信でハモンに作戦の失敗を伝え、「戦いの中で戦いを忘れた」という言葉を遺して、名台詞シーンとなるのだ。
 そう、彼はまさしく「戦いの中で戦いを忘れた」のだ。彼が戦場で生きてきたのは、これまでの敵が自分と何ら関わりのない人物ばかりだからこそ敵兵士という「人間」に対して冷酷になれたからである。彼はそんな冷酷であると同時に、自分に関わりのありかつ恩のある人物や仲間といった存在には忠実な人間でもあるのだ。彼の誤算はそんな忠実になるべき相手が敵の中にいたこと、今自分が銃を向けている相手こそが自分が忠義を尽くすべき人物の娘であるなんていう状況を想定してみたこともなかった。だから「ホワイトベース」の中で不意にアルテイシアと再会した彼は、どうして良いのか判断が出来なくなってしまったのだ。我に返っても「アルテイシア様を傷つけてはならない」という忠義の方を取ってしまい、これを「戦いの中で戦いを忘れた」としたのである。
 またこのシーンはセイラという人物、ひいてはシャアという人物に対する謎がさらに深まるところでもある。シャアの本名がキャスバル、セイラの本名がアルテイシア、実は二人は兄妹、それにシャアがジオン公国を支配するザビ家を恨んでいる、ここまでに語られた部分だ。それに加えここでランバ・ラルはセイラの父の名を「ジオン・ダイクン」と言い切る…つまりシャアとセイラの父親が国家名「ジオン」と同じであるという新事実が加わる。さらにランバ・ラルやその父がそのジオンという人物に仕えていた人物であることも。ここでシャアとセイラの兄妹は敵役国家「ジオン公国」の建国に携わった人間でありジオンの要人である事は間違いない事実として視聴者は受け入れざるを得なくなる。これらの伏線がどのように活かされるのかも注目どころになってゆくだろう。
研究 ・ギャロップ級
 ランバ・ラル部隊が地上戦に入ってから、彼らが母艦にしてきたのが陸上戦艦…いや陸上空母と言うべき「ギャロップ級」である。公式設定では「陸戦艇」という架空兵器に分類されているが、モビルスーツなどの搭載能力と攻撃力を考えればそんな名前に済まされる兵器ではないのはお分かりだろう。
 公式設定では全長48メートル。登場シーンをよく観察すると、全高は全長の4分3ほどありそうなので36メートル前後あるのだろう。この巨体の中央部に格納庫があって、劇中で確認される範囲内では3機のモビルスーツを収納可能である。他にも白兵戦時に使用した揚兵戦車「キュイ級」等も折りたたむなりして収納していたのだろう。
 格納庫の上に展望台のようなブリッジと、格納庫左右に三角形に突き出したようにブリッジがある。左右のブリッジは緊急時の脱出カプセルを兼ねていて、今回部分では「ガンダム」のビームライフルの直撃によって撃破された際に使用されている。恐らく上部のブリッジは航行用で、非戦闘時の移動や位置確認に使われるのだろう。左右のブリッジは戦闘用で、動力部の被弾により爆発が想定される場合にすぐ逃げられるような運用規定になっていたと考えられる。
 本体側面上部から「猫の耳」のように張り出した部分が推進エンジン、さらに底部左右に浮上用エンジンを装備している。浮上用エンジンで浮上することによって地面との摩擦力を消した状態で、推進エンジンで前に進むのだろう。推進原理を一口で言えば巨大なホバークラフトだ。だがどのようにして方向を制御するのかわからない、機体尾部に垂直尾翼のようなものがついているからこれで直進安定性を確保しているのは確かだ。左右エンジンの推力差で持って方向制御するのかな?
 ひとつの謎はアムロが脱走してソドンの町でランバ・ラル部隊と出会った際、なぜモビルスーツをこの「ギャロップ級」に積まずにわざわざトレーラーで運んでいたかだ。戦術上「ギャロップ」から離れたところにモビルスーツを展開するのであれば、わざわざトレーラーなんか出さなくても「ギャロップ」に往復させた方が早いはずだ。それにあのトレーラーはどこから出てきたのかも謎だ。これについては解釈を思い付かないので、こーさん。

「ホワイトベース」修理に向かうマチルダ隊への攻撃をきっかけに、地球連邦軍の地上での一大反攻作戦で、マ・クベの鉱物基地を占拠するのが目的の「オデッサ作戦」の戦いが始まる。マチルダ隊が「ホワイトベース」に届けたのは「コアファイター」の発展改良型である戦闘爆撃機「コアブースター」であり、セイラがこれに搭乗するよう命じられる。一方、ジオンの歴戦の戦士である「黒い三連星」が新型モビルスーツ「ドム」で「ホワイトベース」に襲いかかろうとしていた。
名台詞 「こんなところでホワイトベースを傷つけられてなるものか…発進、急げ!」
(マチルダ)
名台詞度
★★★
 「ガンダム」「ガンキャノン」「ガンタンク」の援護を「ドム」がくぐり抜けて「ホワイトベース」に迫る。だが「ホワイトベース」はマチルダ隊の修理にも関わらず、エンジンの出力異常で動くことが出来ない。このままではだるまのように手も足も出せずに「ホワイトベース」は撃破されてしまうだろう。そう判断したマチルダはこう叫びながら自機であるミデア級に乗り込む。この台詞にはいろいろなマチルダの感情がこもっている。
 ひとつはマチルダという女性が任務に忠実であること、彼女の任務は「オデッサ作戦」で後方攪乱を担当する「ホワイトベース」を作戦に間に合うよう修理し、さらに新型戦闘機を渡して戦力を上げることにあった。しかしここで「ホワイトベース」が撃破されてしまっては作戦において後方攪乱を行う部隊そのものを失い、貴重な正面戦力を割くことになる。それは作戦の失敗に繋がりかねない事象で、マチルダは作戦遂行のためこの任務に忠実であるからこのような言動となった。これは「軍人」としてのマチルダの義務なのだ。
 次にマチルダの意地だ。彼女は任務云々とは別に「自分がこの仕事をやり遂げなければならない」という使命感みたいなものがあっただろう。その理由は物語が進むと明らかになるジャブローのウッディ大尉との婚約である。彼女はこの作戦が終われば愛する男と結ばれることになっていた。その婚後の生活を守るためにも彼女はここで戦果を挙げなければならないのである。これは「私人」としてのマチルダの意地なのだ。
 そして彼女がいかに「ホワイトベース」とそれに乗り組む人々が好きかと言うことである。少なくとも乗員に対しては皆若くてひよっこで、弟や妹のように感じていたのであろう。また理由はどうあれ、特に若い男性乗員から慕われているのも彼女は気付いていたはずだ。その若者達はあまりにも純情で、その下心をセクハラ行為や卑猥な言葉で示すのでなく、照れとかっこつけで示してくれる。こんな若者達が彼女にとってとても可愛かったに違いない、ほのかな恋心を抱くアムロやカイには可愛そうだが。
 そんなマチルダの思いがこの台詞に全部込められている。そしてこの台詞はマチルダが自身に「死亡フラグ」を立てることになってしまったと同時に、これは悲鳴等言葉になっていないものを除くとマチルダの最後の台詞になってしまうのだ(回想シーン除く)。
 しかしこの台詞の最後の部分を聞いてると、やっぱりアンパンマンなんだなーと感じた。娘が生まれて初めて「それいけ!アンパンマン」を見た時、アンパンマンの声の人がマチルダ中尉と同じだなんてにわかに信じられなかったもんなー。
名場面 マチルダ散る 名場面度
★★★★★
 まず「機動戦士ガンダム」の物語中盤を華やかに彩った、マチルダ・アジャン中尉に敬礼っ!
 「ホワイトベース」に攻撃を仕掛けようとする「ドム」を追ってアムロが反撃しようとする。そこへ黒い三連星は3人1体の必殺技「ジェットストリームアタック」(研究欄参照)を仕掛けてくる。だがこの一撃目はアムロが上手く交わしたとは言え、「ドム」が優勢で戦いを進める。これに気をよくした黒い三連星は二撃目の「ジェットストリームアタック」を仕掛ける。そこへ「ガンダム」の後方からマチルダのミデア級が援護に入る。これによって黒い三連星にも若干の乱れが生じたのと、既に戦士として成長しつつあったアムロに対して同じ手を二度と使おうとした愚作もあって、アムロはこの攻撃を上手に交わすことが出来た。しかしアムロが3機のうち1機の「ドム」を撃破したのと引き替えに、後方を支援していたミデア級は別の「ドム」の方向へ飛んで行ってしまった。「ドム」は目の前に現れたミデア級のコックピット…マチルダか乗っているところを粉砕、ミデア級はそのまま墜落して猛火に包まれる。
 こうして大気圏突入以降の物語を彩ってきたマチルダが戦死した。そのシーンのあまりの酷さに、初めてこのシーンをテレビアニメ版で見た時に思わず目を覆った記憶がある。美しくて若い女性キャラだとしてもその死に様は他の男性キャラと同じ、そんな「死を選んでなんかいられない」という戦場の厳しさをこのシーンに教わった。
 それはアムロ達も同じであろう。特にマチルダ機が撃墜されてからの「ガンダム」と「ガンキャノン」はそれまでとは別人のような動きをする。アムロはそのままもう1機の「ドム」を撃破、さらにセイラの「コアブースター」の一撃によって黒い三連星は3人とも姿を消してしまうことになる。この撃破について「ガンキャノン」の的確な援護射撃があったからこそだ。
 マチルダが美しかったからという理由だけではなく、その最期がこんな悲劇的な死に方だったからこそ彼女の戦死は我々の心に強く焼き付いた。「機動戦士ガンダム」を見直したときに、マチルダが女神のように見えてくるのはあの最期を一度知ってしまったからである。
 では皆さんご一緒に。マチルダさ〜ん、マチルダさ〜ん…。
研究 ・ジェットストリームアタック
 「機動戦士ガンダム」では、味方側陣営より先に敵側陣営の方に「固有の攻撃名がついた必殺技」が出てくる。それが「黒い三連星」が3機の「ドム」を使って繰り出す「ジェットストリームアタック」である。その具体的な攻撃方法は、下記の通り。

 1.3機のモビルスーツが縦一直線に並んで敵に進撃する
 2.敵に十分接近したところで戦闘のモビルスーツが陽動的な行動を取ってすぐに横に逸れる
 3.1機目が逸れた瞬間に2機目のモビルスーツが火器による攻撃を素早く行う
 4.2機目は3項の攻撃が当たっても外れても1機目と反対方向に逸れる
 5.2機目が逸れて時点で3機目が停止し敵に攻撃を加える
 6.逸れた1機目と2機目は敵から一定間隔で停止、するとこの段階で敵を三方から囲むことになる
 7.囲んだ状態のまま敵への攻撃を繰り返す
 8.敵が包囲から外れれば敵を追って再度1項からの攻撃を取り返す

…とこんな感じだろう。次に対抗するアムロの動きを追おう。
 今回の戦いでは「ジェットストリームアタック」が二度行われており、1度目では陽動的な攻撃のみの1機目によるサーベルでの攻撃はともかく、2機目のバズーカは素早く発見して下方へ避け、3機目はビームサーベルで「ドム」のバズーカを破壊、しかしこの段階で上記7項の攻撃は行われており。「ガンダム」の背後から2機目によるバズーカが打ち込まれる。なんとかアムロはこれを飛び上がって交わしたので、二度目の「ジェットストリームアタック」になった。
 その二度目では「ガンダム」の背後にミデア級による援護があったが、1機目がこれに構わず今度は目くらましの光線で陽動攻撃を行う。これに視力を奪われつつもアムロは1機目「ドム」の背中に乗り、2機目によるバズーカは前回の記憶にあったのかギリギリのところで交わす。さらにアムロが1機目の背中に乗ったことで2機目が真正面におり、さらにミデア級の援護により2機目は上方と左右への逃げ場が塞がれて動けなくなったところを「ガンダム」のビームサーベルで撃破。この予想外の事態に3機目は2機目のさらに上へ上がるしかなくなったが、そこで援護のミデア級と鉢合わせになり、3機目「ドム」がミデア級のコックピットを粉砕してマチルダが戦死することになる。

 この攻撃法であるが、本来は宇宙空間での攻撃を前提にしたものだと考えられる。3機が縦一列で敵に向かうのは、敵に何機編隊か目視で解らないようにする(「機動戦士ガンダム」の世界では戦場でレーダー等は無効との設定)役割があるのだろう。そして1〜2機目が敵を避けるという行動は、本来ならば三次元移動が可能な場所で行うべきだ。地上だと地面がある分、「一撃だけ攻撃したらすぐ避ける」という行動に制限が掛かってしまうのだ。
 またこれは「足」で歩くため移動速度の遅いモビルスーツが開いてでないと通用しない攻撃法だと思う。「機動戦士ガンダム」の設定では、主役機である「ガンダム」「ガンキャノン」「ガンタンク」が「ホワイトベース」を母艦にして試験運用されているのみで、黒い三連星もモビルスーツとの実戦経験が無かったはずだ。恐らくこれは「ガンダム」の登場を知った黒い三連星が、いつの日か起きるであろう対モビルスーツ戦法として編み出しておいたものなのだろう。恐らく訓練用の「ザク」かなんかを相手に訓練を繰り返したに違いない。だが所詮は実戦経験のない戦法でしかなく、黒い三連星はこの戦法をさらに強固なものに改良する間も与えられずに散ってしまう。この攻撃での戦果は、本来倒すべき相手だった敵モビルスーツの損害はゼロ、敵モビルスーツの援護に当たった輸送機が1機撃墜というものだ。だがマチルダ中尉戦死という物語に深い影響を与えることになったが。
 ちなみに「黒い三連星」の3人には、ガイア、マッシュ、オルテガという名前があるのだが。ここでは面倒なので呼び方は「黒い三連星」というチーム名だけにすることにした。

「ホワイトベース」隊の戦いとは別に、「オデッサ作戦」は連邦優位で戦いが続いていた。作戦もいよいよ終盤にさしかかった頃、「ホワイトベース」に迫るジオンの部隊があった。
名台詞 「一機のザク、サムソンの4門の機銃と3門のマゼラトップの主砲のみ。けれど、忠誠を尽くす18人の部下の力があれば…ランバ・ラル、ガルマ様の仇も、あなたの仇も討てましょう。あなたが私に示してくれた好意のお礼です。この私の気持ちを叶えさせて下さい。あの坊やが邪魔するようなことがありましたらあなた、守って下さいまし。」
(ハモン)
名台詞度
★★★★
 ハモンがランバ・ラルの遺志を受けて最後の攻撃に出た。ランバ・ラル部隊に残された武器らしい武器をかき集め、最後まで生き残った18人の部下と共に「ホワイトベース」に対して決死の攻撃を行う。その装備の貧弱さを見れば、この部隊が「オデッサ作戦」に対する攻防戦の中でも蚊帳の外に置かれ、既にジオンにとって「ガルマの仇」なんてどうでも良くなっていることが見て解る。いや、実際はキシリア配下の突撃機動隊の庭先にドズル配下の宇宙攻撃軍の部隊がいることが間違いなのだが。
 そしてその僅かな武力を率いたハモンが、今は亡きランバ・ラルに自分の決意を語る。それは決死の覚悟で仇を討ち、恐らくあの世での再会も視野に入れたものであるだろう。ハモンはランバ・ラルから受けた愛と恩義を忘れてはいなかった。所帯を持ったわけではないが、この二人の愛が本物だったことが解るのもこの台詞である。
 そしてハモンが何よりも恐れているのはアムロであった。ハモンはソドンのレストランでアムロにちょっと言葉を交わしただけで、その少年の強さと才能を見抜いていたのだ。だからこそこれからの攻撃で最も怖いのはアムロだったのだ。そのアムロをどうかするにはもう神頼みしかない、だからあの世のランバ・ラルにこれを祈るのである。ハモンにとってランバ・ラルという存在がどれほど絶大だったかもよく分かる台詞だ。
 しかしハモン、ランバ・ラルが戦死後にこの部隊の指揮官として活動していたって事は、ランバ・ラル部隊の副官だったって事なんだな。サイズが合ったノーマルスーツまであるって事は、間違いなく軍服が支給され階級を持った軍人だってことだ。ランバ・ラルが大尉でその下だから、中尉なのかな?(例によって公式設定は無視ね)
名場面 リュウ散る 名場面度
★★★★
 ハモンの攻撃はこうだ、ギャロップ級のカーゴユニットに爆薬を積み込んでホバー付きの巨大爆弾に仕立てて「ホワイトベース」目がけて突進させる。同時にこの作戦の援護として「ホワイトベース」を「ザク」に先制攻撃させ、乗員の気をこちらに引く。飛行可能な「マゼラトップの主砲」他は護衛戦闘機の代わりとしてカーゴユニットの護衛をさせる。そしてカーゴユニットが「ホワイトベース」と激突すれば仕留められるという算段だった。
 この作戦に対し「ホワイトベース」は死闘を演じる。しかし「ガンタンク」はキャタピラと動力が故障してまともに動けなくなってる。アムロはマチルダの戦死が気になって攻撃のりずリズムが掴めないという状況だった。しかしアムロは「ホワイトベース」に起きている異変に気付き、カーゴユニットを止めようとするのだ。だが相手はモビルスーツを何機も運ぶ巨大な物だ、「ガンダム」1機でどうなる物ではない。
 そこへ後方から「ザク」が「ガンダム」を攻撃するが、「ガンダム」は何とかこれを交わす。だがその間にハモンが乗った「マゼラトップの主砲」が「ガンダム」の背後を取る。ハモンはまず「ガンダム」が背負っていたシールドを破壊、あと一撃で「ガンダム」を仕留める事が出来る。アムロ絶体絶命のピンチ。
 そう思われた瞬間、アムロの脳裏でマチルダが「大丈夫」と言ったような気がした。と思うとハモンが乗った「マゼラトップの主砲」は猛火に包まれて墜落した。どこからともなく飛んできた「コアファイター」による体当たり攻撃の結果であった。そのコックピットに乗っていたのは…「ホワイトベース」乗員の少年少女をまとめ、ランバ・ラルが放った銃弾によって病床にあったはずのリュウだった。リュウはハヤトが乗った「ガンタンク」の「コアファイター」を強制排除によって奪い、この攻撃を仕掛けたのだ。
 リュウについてはいかにも「リュウらしい」死に方をしたと思った。アムロに「軍人」というのはかくあるべきという姿を示し、彼の成長の一端を担ってきたのは間違いなくリュウだ。そんな「軍人らしさ」を持っていた彼が、彼らしく散ったことで非常に印象に残った。
 彼が守ろうとした物はなんだったのか、やはり若い仲間達そのものであろう。結果的にはそのために自分の生命を落とすことになってしまったが、他人を守るために自分を犠牲にするという彼の死に様は、自分達に同じ事が出来るのかという問いを投げかけていると思うのは私だけではないと思う。色々考えさせられるという意味で印象に残ったシーンでもあった。
研究 ・「オデッサ作戦」
 この部分では「ホワイトベース」は「オデッサ作戦」という地球連邦の大きな作戦に参加している。これまで単艦での行動ばかりだった「ホワイトベース」が、友軍と連携行動をとってひとつの目的に向かって戦うという戦い方を初めて行っているのである。だが「ホワイトベース」に課せられたのは単艦による後方攪乱で、連邦軍主力が正面から攻撃した際に、逃げ道を塞ぐのが役割のひとつであっただろう。また「ホワイトベース」はガルマ・ザビを討つという戦果により、ジオン側からも目を付けられている。そのような艦が後方へ回れば、ジオン側が正面側兵力を後方に割かねばならなくなる。実際、ジオン軍は黒い三連星と最新モビルスーツ「グフ」を後方に回してしまっている。
 ジオンはこの戦争の初期から地球の一部地域を制圧していた。その最も巨大な地域がマ・クベが支配する鉱山地帯だ。宇宙で自給自足の生活をしているジオンにとって、兵器を作るための鉄材や燃料を得るためにどうしても地球の鉱山を手に入れる必要があった。それは戦争遂行に重要なので、ガルマ・ザビの地球方面軍の管轄ではなく、キシリア配下の突撃機動隊が直接管轄していたと見るべきだろう。ドズルではなくキシリアである理由は、地球攻撃を行う際の兵器開発で突撃機動隊の方が上だったからと思われる。また月面を制圧し、月面から資材を得ているのもキシリアだろうから、資材担当=キシリアという公式がジオンの中にあったのかも知れない。
 この鉱山基地をやってしまえば、ジオンは天然資源を月や外宇宙に頼るしかなくなる。月面の資源は地球以上に限られているだろうし、外宇宙となれば採掘しに行くだけで大変である。だからこそ地球の膨大な資材がジオンには必要な訳で、ここを死守することは戦争の勝敗をも左右する大問題なのである。
 だからこそ地球連邦は持てる戦力の大半をこの作戦に投入した。そして宇宙から軍隊を送り込むしかないジオンと連邦が地球上の兵力を結集して戦うならば、その勝敗は火を見るより明らかだったのだ。
 だがこの作戦が遅れている間に、多くの資源がジオンに流れた事を見逃してはならない。マ・クベは宇宙へ逃げる際、「あと10年は戦える」と言っているが、10年はともかく数年は徹底抗戦出来るくらいの量は持って行っただろう。これが作戦成功後の連邦の悩みの種になりそうだ。

「オデッサ作戦」は連邦の勝利に終わり、マ・クベは宇宙への後退を余儀なくされた。「ホワイトベース」は「オデッサ作戦」での戦死者を弔い、激戦地をあとにして傷ついた機体を直すべくベルファウストのドッグへ向かう。ベルファウストでは一人の少女が「ホワイトベース」寄港をジオンに密告し、偵察に入ることを告げていた。その報せを受けたのは…マッドアングラー隊に回されたあのシャアであった。
名台詞 「しかしよ、畜生! なんで今更ホワイトベースが気になるんだ!? (中略)本当…軟弱者かもね…。」
(カイ)
名台詞度
★★
 軍隊生活に嫌気がさして「ホワイトベース」を降りた、自分の性に合わないからやってらんないってトコだろう。脱走には厳しかったブライトも「半舷上陸」(寄港地で乗員の半数に上陸させて休日を取らせる船乗りの制度)のついでに許可したという。そこで彼が見たものは、戦火の下でも強く生きようとしているミハルとその弟妹の姿だった。ただの物売りかと思ったら、やたらと「ホワイトベース」について聞き出し、売り物を入れるバスケットには拳銃が…カイはミハルの「職業」を瞬時に見抜いたのだ。
 そして今まで自分が乗っていた艦が攻撃されているのを見て、この台詞を吐きながらこれまでの自分と、今の自分と、たった今見てきたミハルとその弟妹の現実を重ね合わせていたのだろう。ミハルも姉弟もこの状況下で力強く生きようとしている、ミハルは連邦の情報を引き出してジオンに売るためには死をも厭わない覚悟なのだろう。それはミハル自身が「弟妹を守るため」にやっているからである。
 だが自分はどうなのか? 「性に合わない」と口にしたが、本音は戦いが怖く、死ぬことを恐れているからであろう。そこがミハルと違う点なのだ。だったら自分にも守れるものはあるのではないか…カイはそう考え始めたに違いない。だから自分がかつてセイラに言われた通り、「軟弱者」だと気付いたのだ。
 そしてこの台詞をきっかけに、カイは走り出す。自分が守るべき何かを求めて、もう一度戦うことを決意したのだ。今はそれが「ホワイトベース」の仲間達でも良いじゃないか。そのうちに自分が何のために戦うのか見いだせる日が来る、彼はそう考えたのだろう。
 そして、彼が守るべき「思い」は意外にあっけなく見つかることになるのだ。
名場面 ミハルと弟妹の別れ 名場面度
★★★
 ジオンからの新しい命令を受け取ったミハルは、それに何ら疑問も持たず「弟や妹を食べさせてやらねばならない」という理由でそれを引き受ける。その仕事の内容は「ホワイトベース」に乗り込んでその行き先を掴むことであった。命令を受け取ったミハルは家へ戻り、弟や妹と最後のひとときを過ごす。
 カイの行方を聞いた後、ミハルは弟と妹に言い聞かせるように言う。今度の仕事は長引きそうなこと、お金は少しずつ使うこと、お金の隠し場所は誰にも語ってはならないこと…その上で「この仕事が終わったら戦争のないところへ行こうな」と二人を抱きしめる。「辛抱するんだよ、二人は強いんだからね」と言うと弟は「大丈夫」と言い、妹は「姉ちゃんは母ちゃんの匂いがするんだね」と言う。この言葉にハッとするミハルは「思い出させちゃったかねぇ?」と優しく言う。
 ミハルという少女は戦争に翻弄され続けている。恐らく戦争の初期の段階で両親(や他の弟妹)を戦災で失い、残された3人だけで必死に生きてきたのだろう。弟妹二人を抱えて生きるには若すぎるミハルは上手に生きて行く術を知っているわけがなく(恐らく戦争がなければ学生だろう)、簡単にジオンの手に落ちてしまったと思われる。それでもやっと得た仕事だから断るわけにも行かず、家から連邦のドッグに寄港する戦艦を報告し、たまには基地や戦艦に乗り込んで機密を探る仕事もしていたのだろう。「いつ出港するか解らない戦艦」に忍び込んでも運良くその日の内に帰ってこられた事が多かったとも推察される。だが今回、ジオンの上司はいつもと同じよう(連絡員は違ったが)に命令を出してきたのだが、ミハルはカイの情報により今回忍び込むことになる「ホワイトベース」が「今夜のうちに出港するという事実を知っていた(ジオン側にもこれを報告したと思うが)。だからこそ「今回は長くなる」のであり、出港してしまえば無事に帰れるかどうかも分からない。そんな旅立ちに大きな不安を感じ、このような別れのシーンを演じることになったのだ。
 こんな不器用な少女が弟妹と別れるこのシーン、初めて見た時も子供ながら嫌な結末しか思い付かなくてぞっとした記憶が残っている。まさか、このねーちゃんすぐ死ぬんか?と子供ながらにすぐ想像できてしまい、悲しんだものだ。
研究 ・(次回部分にまとめます)
 

ベルファウスト基地での戦いが終わると、「ホワイトベース」は連邦軍司令部がある南米のジャブローに向け出港した。ジオンのスパイとして忍び込んだミハルを乗せて…。ミハルは艦長室を物色していたところをカイに見つかり、カイの私室に引き入れられる。そしてカイから行き先を聞き出すのだ。そこに地元の魚群探査機に扮したジオン機が「ホワイトベース」に乗り込み、乗っていた兵がミハルとの接触に成功する。さらに続けざまに、シャアの部隊が「ホワイトベース」に攻撃を仕掛け、大西洋上での戦いが始まる。
名台詞 「カイ、私にも戦わせて。弟たちが助かって、あの子達が死んでいいなんて事ないもん。このままだったら、またジオンに利用されるだけの生活だよ。それにもう、ただ見ているだけなんて私、たまんないよ。」
(ミハル)
名台詞度
★★★★
 ミハルがジオンと連絡を取り合った直後、「ホワイトベース」は不意に敵襲を受ける。ブーン率いる「グラブロ」や「ズゴック」が放つミサイルが、「ホワイトベース」にとって多くの直撃弾となって艦体を揺らす。特に第二デッキの被弾はカタパルトを破壊し、「ホワイトベース」からモビルスーツの発進を不可能となった。
 カイの私室に匿われていたミハルは、意外な悲鳴を聞いて廊下の様子を見る。なんとそこには消火器を担いで走る弟たちの同じ年頃の3人の子供の姿があった(カツ・レツ・キッカ)。カイが現れてミハルに救命胴衣を着用するよう諭すが、ミハルはカイに防戦に参加させて欲しいと懇願する。自分が情報を流したからこんなになったと涙を流しながら。そして「ガンペリー」で出撃するカイに必死になって着いて行く。
 そして「ガンペリー」が格納してある第3デッキにたどり着くと、また被弾する。その時、目の前でカツ・レツ・キッカの3人組が消火器を抱えたまま爆風に飛ばされるシーンを、ミハルは見てしまったのだ。そしてカイに訴えるのがこの台詞。こう言われたカイはもうミハルを置いていくわけにはいかず、爆撃手という名目で載せることになる。
 彼女はこの戦いで自分の「立場」を痛感する。自分はジオンのスパイで、自分が情報を流したからこういう攻撃を受けているという「現在」。そしジオンの命令でこの艦に忍び込んだ自分が乗っているのに、それでも攻撃を仕掛けると言うことは自分はジオンにいいように使われた後捨てられる運命にあるという「将来」。それが分かったところで見せられたのは、自分の弟たちと同じような子供がこの艦に乗って戦っている事である。彼女が痛切に感じたのは、そんな子供達をもこんな危険に晒してしまったという後悔だ。
 だからこそジオンに利用され、戦いをただ見ていただけの自分が許せなくなったのだ。ここで自分はジオンと決別しなければならない、そして自分達が危険に晒してしまったカイを、子供達を助けなければならない。彼女はそう考えたはずだ。その後については…多分何も考えていない。
 この台詞はミハルというキャラを強く印象付けるものになっている。今まで幼い弟妹を守るべくジオンの元でスパイをやっていた自分が、弟妹と同じような子供を危険に晒してしまったという事実で目を覚ます。そして戦争に流されるだけの生き方は終わりにしようと立ち上がるのだ。そんな彼女の姿を見て、カイもこの娘を守らなきゃならないと感じたはずだ。前回部分の名台詞欄に書いた「カイの守るべきもの」が現れたことによって、カイが積極的に戦場へ出て行くようになったという点でもこの台詞は重要だ。
(次点)「ジオンの人間で木馬に潜り込んだのは、我々が初めてじゃないかな?」(ブーン)
…ブーッ、ランバ・ラル部隊の皆さんの方が先でした。
名場面 ミハルの最期 名場面度
★★★★
 カイとミハルが「ガンペリー」で出撃する。先にセイラの「コアブースター」とハヤトの「コアファイター」が出撃していたが、セイラ機は被弾して不時着水を余儀なくされ、ハヤト機は銃弾を撃ち尽くして帰還するより他なかった。「ガンペリー」の武装はカーゴルームに装備された3連装の大型ミサイル。このうち2発を打ち込んだところで、「ガンペリー」も被弾する。大きな損害はなく飛行も攻撃も継続可能であったが、ミサイル発射ケーブルをやられてしまい、コックピットからの遠隔操作によるミサイル発射が不可能となった。
 それでも「どうしたらやっつけられるの?」と勇猛に尋ねるミハルに、カイは「カタパルト脇の発射レバーを引ければ」と言う。その言葉に反応し、ミハルはカイの制止を振り切ってカタパルトへと出て行く。カタパルトに降りたミハルはレバーを見つけ、何とかそこにたどり着き、レバー脇のスコープを見ながら一気にレバーを引く。するとミサイルが秘話拭いて発射され、敵に直撃したのだが…ミハルはミサイル発射の爆風に吹き飛ばされ、大西洋へと落下してしまう。
 ミハルが爆風に吹き飛ばされた瞬間から、音声が途切れスローモーションになる。この時に多くの視聴者の脳裏にいろいろな思考が過ぎったと思う。ある者はミハルの幼い弟妹について思っただろうし、ある者はミハルの過去を考えたかも知れない、またミハルが最後に見せた「戦う気持ち」を思い出した者もあるだろう。とにかくミハルというキャラクターは、僅かな登場時間の間で「戦争に生きる少女」の色んな側面を見せてくれたのだ。このスローモーションの数秒間で、視聴者が一番印象に残ったミハルを思い出させるように上手く作ってあると思った。私は初めて見た小学生時代は、「ミハルは何でこんなところで死ぬことになったんだろう」…つまり彼女の数奇な運命について思い出していた。ジオンのスパイとして「ホワイトベース」に忍び込み、ジオンとの交戦で死ぬことになった彼女の運命のことである。
 そしてミハルの死は、カイというキャラクターが立派な戦士として成長するために大きな存在になる。彼はマチルダの時ほど露骨ではなかったが、確かにミハルに恋をしていたと思う。彼がそれに気付いたのはミハルを失って初めてだと思うが。彼が「戦う」という行為について迷うことがなくなり、ここからの物語で数多くの戦果を挙げることになったのは間違いなくミハルの死がきっかけだ。
 このカイとミハルの物語は、私が「機動戦士ガンダム」で最も好きなエピソードのひとつだ。カイとミハルが敵同士として出会い、その中でお互いに得るものがあって成長して行くのだ。さらにここの部分では主役機である「ガンダム」の活躍は控えめになり、特にミハルが死ぬ際の戦いでは故障して出撃不能である。主人公アムロも出番がなくなり、カイとミハルが主人公として物語が進むという誰が主役なのか分からない状態だ。この二人の物語、劇場版制作の際にカットされる運命にあったと聞くが、もしそうなったら私は劇場版を徹底的に認めなかったかも知れないなぁ。
感想 ・ミハルの立場
 「ホワイトベース」の行き先や戦闘能力、さらに実態を把握してジオン側に密告すべく「ホワイトベース」に忍び込んだミハル。だが彼女の最期はとても悲劇的かつあっけないものだった。そのミハルの最期を見て、誰もが思ったのは彼女の弟妹がどうなるのかという事であろう。だが実はある事実によってミハルの弟妹のその後については、そんな悲劇的に考えなくてもいいのではないかと考えるようになった。これには「ミハルの立場」というものをしっかり考えると答えが出てくる。
 そのミハルの立場だが公式設定では「民間人」となっているし、ブーンもそれに従い「民間人のスパイを…」と言っている。恐らくこれはジオン軍に正式に入隊しているわけではないという意味であろう。だが私はこれは違うと声を大にして言いたい。
 実は劇場版に限っての話であるが、今回のミハルの行動に対してはジオンから正式な命令書が出ている事が劇中でもしっかり描かれているのだ(ちなみにテレビアニメでは正式な命令書でなく司令官からの「手紙」とされている…これが「ミハルは民間人」という公式設定の根拠だろう)。正式な命令書である以上は、ミハルに渡ったばかりではなく複写をジオンが持っているはずで、ミハルに持たせた小型無線装置や変装用の偽造連邦軍服を調達する予算はこの命令書を根拠に決済されなかったはずだ。その命令書の存在がわかるシーンを根拠に、当サイトでは公式設定からズレる事を承知でミハルを「ジオン軍属」として扱うことにした(いずれにしろこのサイトでは公式設定より私の解釈が優先だし)。
 さらにもう一点付け加えるなら、ミハルにはジオンによって「107号」というコードネームが与えられている。これは軍属としてジオン軍に登録されていることを意味していると考えていいだろう。登録されているからこそ番号で呼ばれるのであり、登録されていないなら番号自体がないはずなのだ。
 そしてミハルの立場が「ジオン軍属」という扱いであれば、それによって生命を落としたのだから立派な恩給の対象になる。さらにこの命令書をミハルが持って出かけた形跡はなく、家に置いていったのは間違いないだろう。つまり戦後にカイ(別にカイでなくてもミハルと親しかった人物や親戚でもいい)がミハルの弟妹に代わり、この命令書を理由にジオンに対しミハルの恩給を支給するよう申請を出せば残された弟妹はそれなりの金を手にすることが出来たはずだ。ま、弟妹たちがそこまで生きていればの話になるが(それ以上にミハルの弟妹の周囲にそこまで考える大人がいなきゃならないが)。

苦難の果てに「ホワイトベース」は地球連邦軍司令部のあるジャブロー基地に到着した。「ホワイトベース」は宇宙戦艦用のドッグに入れられ、ウッディ大尉以下の修理部隊によりこれまでの戦闘による傷の修理と、再度の宇宙戦に備えた気密チェックが行われる。一方「ホワイトベース」を追っていたシャアは、上手くカモフラージュされたジャブロー基地の入り口を突き止めることに成功した。
名台詞 「自惚れるんじゃない、アムロ君! ガンダム1機の働きでマチルダが助けられたり、戦争が勝てるなどと言うほど甘いものではないんだぞ。パイロットはその時の戦いに全力を尽くして、後悔するような戦い方をしなければそれでいいんだ。私はマチルダが手を掛けたこのホワイトベースを愛している。だからこの修理に全力を掛けている。人にはそれくらいしか出来んのだ。」
(ウッディ)
名台詞度
★★★
 実はウッディ大尉とオデッサ作戦で戦死した補給部隊司令官マチルダ中尉は婚約者の関係で、作戦終了後に結婚する予定だった。これを聞いたアムロはウッディに謝罪する、自分がもっと「ガンダム」を上手く使いこなせていればマチルダは死なずに済んだと。それに対するウッディの叱責がこれだ。
 この台詞には「仕事をする男のカッコよさ」が強く表れているのが好印象だろう。若いアムロは自分の力を過信していて、自分の力で道にでもなると信じている。いや、若者はその位の方が良いのだが「戦場」においては現実を直視しなければならない。たった一人のパイロット、たった1機のメカで戦局が変わるはずもなく、死んでしまった人間が助かるわけでもないのが現実だ。だからこそ目の前にある仕事に精一杯当たれという彼の姿は、少年時代に「ガンダム」を見た私にはとても立派な大人であり男に見えた。
 さらにこの台詞の裏には、リアルな戦場を描く「ガンダム」の世界でもこの「たった一人のパイロット、たった1機のメカで戦局が変わるはずもなく…」という現実が貫かれることを意味している。言われてみれば「ガンダム」はまだ地球連邦軍VSジオン公国という戦争においては、連邦の一因として戦ったのは「オデッサ作戦」程度のもので、以外は局地戦闘でしかないのだ。ま、その局地戦闘でガルマ・サビを討つなどの戦果を挙げてしまってはいるが、考えてみればそれだけでこの戦果は逆に敵の戦意を揚げてしまっている。主役機とはいえども、視聴者に対してのヒーローに離れても劇中でのヒーローにはなれていない、こんな構図がこの台詞で浮き彫りになっているのだ。
名場面 小さな防衛線 名場面度
★★
 「ホワイトベース」に避難民として乗り込んだ孤児であるカツ、レツ、キッカの3人組。補給部隊による避難民収容にもめげず、ここまで「ホワイトベース」と行動を共にしてきたが、遂にジャブロー基地で下ろされて託児所に入れられる決定が下される。それが嫌で逃げ出した3人は、基地内を逃げ回って知らず知らずシャアの部隊が潜入している区域に入り込み、にジオンのモビルスーツ「アッガイ」の頭上を通り越してたどり着いたのはジャブロー基地の工廠だった。そこでは連邦の量産型モビルスーツ「ジム」の量産が行われていた。シャアらはこの工廠を破壊するのが目的で潜入しており、3人組は工作中のジオン兵に捕らえられてしまう。
 3人は潜入したジオン兵に縛られ、ジオン兵が「爆弾を30分にセットした」という会話を聞き取る。3人組はなんとか拘束を解いて、工廠内を駆け回って時限爆弾を探し出す。そして発見した時限爆弾を工廠内に止まっていたバギーに詰め込み、レツが何とかバギーを運転して工廠の外に出る。すると3人組を探索していたハヤトが運転するバギーど出会う。アムロがハヤトにバギーを追うように言い、追いつくとキッカが事の成り行きを説明する。事情を知るとアムロは3人組のバギーに飛び乗ってレツと運転を代わり、カイが一人一人抱き上げて3人をハヤトのバギーに移乗させる。そしてアムロの運転でバギーを遠ざけ、アムロがバギーから飛び降りたところで時限爆弾が爆発を起こす。戦果を挙げられた事に喜ぶ3人組をよそに、アムロは「これを仕掛けた連中は宇宙船ドッグも狙ってくる」と緊張する。
 この孤児3人組の活躍は、これまで物語のマスコット的な存在でしかなかった彼らが初めて戦果を挙げるという華々しいエピソードで、テレビアニメ版ではこれだけで1話組まれているというものだ。この戦果が認められたのと、「ホワイトベース」だろうがジャブロー基地だろうが今は何処にいても子供達が危険なことは変わらないという大人達の判断で彼らは「ホワイトベース」乗員資格を得るのだ。その戦果を裏返せば、この3人組はその年齢の低さとは裏腹に自分達が「戦場」で何をすればいいのかをちゃんと理解している事になる。生命の危険があろうと敵の攻撃を阻止し、基地を守らねばならないという「戦場」において自分達が存在できる意義を見いだして彼らなりに戦って戦果を得たシーンなのだ。
 また、この展開は「戦場」を部隊に殺伐とした展開が続く「機動戦士ガンダム」の中でも、ユーモアたっぷりに描かれた面白いエピソードである。3人組が「アッガイ」の頭上をそうとは知らずに通り越した後のモノアイの光とそれを見たカツの反応や、3人組が最初にジオン兵に見つかったシーンでカツの目が顔から飛び出すシーン、拘束を必死に解くシーンでキッカが脱ぎ捨てた靴がカツの頭に当たるシーンとその時の彼の涙目、これらギャグ漫画的な描写は「機動戦士ガンダム」とは一線を画した楽しいシーンとして印象に残る。制作側がこういう遊び心を忘れないでいたから、「機動戦士ガンダム」という物語は伝説的存在になれたのだろう。
研究 ・ジャブロー基地
 いよいよ「ホワイトベース」はその目的地であった地球連邦軍司令本部のあるジャブロー基地に到着する。ここで「ホワイトベース」は本格的な修理と整備を行った後、次の作戦に備えて宇宙へ飛ぶこととなる。本来ならば現地徴用兵による急造部隊である「ホワイトベース」乗員は、ジャブローに到着しだい艦を下ろされて部隊を解散させられ、それ相応の処分が待っているはずだったであろう。だが彼らが地球に降りてからのガルマ・ザビを討ち、ジオンの歴戦の戦士であるランバ・ラルや黒い三連星を撃破したことで「十分戦える」と認識されたこと、「オデッサ作戦」に参加して任務を遂行したことで連邦軍に対する忠誠も間違いないことが確認されたこと、さらにジオン軍側で撃破された人物が人物なだけにジオン側から想定外の高評価を得て常に「敵討ちの対象」として狙われる身であること。これらの理由により「ホワイトベース」はこれまで通りの運用を続けることになる。
 ジャブロー基地だが流石に地球連邦軍の司令本部だけあって設備は充実している。劇中で確認されただけで宇宙船ドッグ、モビルスーツを量産する工場(工廠)、戦争難民となった孤児の収容施設(託児施設)、身体検査等を行う医療関係設備、それに司令部機能(旧日本軍で言う大本営ってところか?)と充実した施設だ。託児施設は戦争難民の子供だけでなく、親が戦場に出ていたり、親が戦死してしまった子供も預かったりするのだろう。
 これらは地下に存在する巨大な洞窟に設置されている。全ての施設を地下に作る事で基地全体をカモフラージュし、空から敵に発見されないように工夫しているのだ。こんな基地に総司令部があるから、敵のジオン軍はここを撃滅するために宇宙からスペースコロニーを落として直撃させようとしていた(結果は失敗)ほどだ。
 しかし現実にあんな基地があったら完全にカモフラージュできるのか? 残念ながらそれは無理である。あれだけの施設があれば換気は絶対必要だろう。すると何処かに換気口を作らねばならないのである。しかも換気口もカモフラージュ出来るような低いものなら、その周辺だけ地面近くの空気が変わってしまって植生が変わってしまうだろう。それは大自然が「ここに換気口がありますよ」とジオンに教えてくれることになる、かといって塔のようにしたら無意味だ。ジャブロー基地では換気という問題をクリアするために、宇宙船の出入り口を定期的に開閉しているに違いない。画面を見ているとあの出入り口はかなりの速度で開閉できるようだから、敵が襲ってきても赤外線レーダーで探知すれば見つかる前に閉じられるだろう。
 さらに問題はジャングルの地下にあることだ。当然雨期や乾期があるだろうから、雨期になったら水没しないか心配である。特に宇宙船の出入り口扉は、川面ギリギリのところに口を開けているから、川の水量が増えれば簡単に水没してしまうような機がする。またああいう土地の地下は岩盤質じゃなくて軟らかい土だったりするんじゃないだろうか?
 「ホワイトベース」が入港するまで入り口が分からなかったというジオンも間抜けだ。あれだけの基地なのだからこれまでに何隻もの宇宙船が出入りしているだろうに…。それに毎日定時爆撃をしているなら、一度くらいは宇宙戦のあとをつけてから攻撃してもよかったのでは?
 いかん、ジャブロー基地に関してはツッコミどころがありすぎて困る。こんな基地も「Z」以降のシリーズで連邦の一派によって破壊されるっていうオチだったような。そこまで待たなくてもシャアが工廠に仕掛けた時限爆弾を、川の水底にセットすれば簡単に水没して終わりだったのになぁ(←これを子供の頃に思い付いた私はさぞかしイヤなガキだったことだろう)。

3人組の活躍によって工廠の時限爆弾による脅威が排除されたのも束の間、ジャブロー基地はジオン軍のモビルスーツによる降下作戦を受ける。第一戦闘配備命令に「ホワイトベース」からは「ガンダム」「ガンキャノン」「ガンタンク」の3機が出撃する。基地内に潜入したモビルスーツと対決するアムロだが、彼の前に現れたのは赤く塗装された水陸両用タイプのモビルスーツ「ズゴック」だった。
名台詞 「ミハル、俺はもう悲しまないぜ。お前みたいな娘を増やさないために、ジオンを叩く。徹底的にな。」
(カイ)
名台詞度
★★★★
 ジャブロー基地に総攻撃を仕掛けてきたジオンを撃退するために「ガンキャノン」で出撃するカイが、出撃間際にこう独り言を言う。その時の彼の目は以前に見られた「軟弱者」のそれとは違い、ハッキリと見るべきものを見つめている燃えた男のそれになっているのだ。
 そう、ミハルの死によって彼はこの戦争で戦う意義を見つけたのだ。「第二のミハルを出してはいけない」というそれだけである。だがそれが彼の「正義」として胸の中で輝き続け、ここから先の戦いにおいての戦果に繋がる。あの「軟弱者」でしかなくて戦闘に積極的でなかったカイの、大きな成長だ。
 そしてこの台詞は「正義」というものが消して普遍的ではなく、人それぞれに違うことを示している。「正義の味方」なんて言葉に代表されるように、多くのSFアニメでは「守るべきもの」は地球とか人類とか平和とか、そういう普遍的なものばかりであった。だがリアルな戦場ではそれだけではないはずなのだ、多くの者が自分が戦う意義、守るべき者、これらを見いだしてそのために戦っているのだ。そしてその戦う「理由」こそが「正義」なのだ。
 人によってはそれは「家族」だろうし、人によってはそれは恋人や友人であり、人によってそれはカイのように「自分の体験によって生じた思い」であるのだ。平和な時代から見ると歪んだ論理かも知れないが、いざ戦うときになってその「正義」というものが見えてくる。この台詞はそんなことを示唆しているのだ。
 ちなみに「戦う」というのは大小関係ない、例えば小さな諍いでも「戦う」には「正義」はいる。私はかつてインターネット上で、「いじめ」問題で多くの人と論争を交わしたときにそれを痛感した。「誰のために」「何のために」がないまま論争に参加してしまった人の言動の身勝手さと言ったら無かったねぇ。
(次点)「マチルダが守った艦にはさわらせん!」(ウッディ)
…前回部分でああ言ったウッディは、「自分に出来ることをやり抜く」という思い以上のものを持ってシャアにぶつかる。自分が愛する女性が心を込めて守ってきた「ホワイトベース」を生命と引き替えにしてでも守るというこの覚悟。これによってウッディはマチルダと同じ死に方をするのだが、その彼には後悔することなど無かっただろう。
名場面 「ガンダム」VS「シャア専用ズゴック」 名場面度
★★★
 交戦中、アムロは何らかの「予感」を感じ取る。以前に戦った相手がそこにいるという予感だろう、と思うと画面は変わって赤い水陸両用型のモビルスーツが暴れ回っているシーンに切り替わる。視聴者はベルファウスト以降画面に何度もシャアが出ているので気が付かない人もあっただろうが、実はオデッサ以降では初めてアムロがシャアと対峙するのがこのシーンである。赤いシャア専用の「ズゴック」は防戦にでてきた連邦の量産型モビルスーツ「ジム」を一突きで撃破し、それを見たアムロはその赤いモビルスーツがシャアであることを確信する。
 ビームライフルで先制するアムロだが、シャアがこれを上手く交わしたかと思うと「ガンダム」に飛びついて押さえ込む、だが「ガンダム」の一蹴でシャアに油断が出来て逆に突き飛ばされる。上空に舞い上がったシャアがビーム射撃を食らわすと、シールド越しに「ガンダム」に直撃したかのように見えたが…アムロはそのシールドの裏側からビームライフルを射撃、シャアは間一髪でこれを交わす。そこへウッディがホバー推進の戦闘機で攻撃を仕掛けるが、コックピットを一撃で潰されて墜落、奇しくもウッディは婚約者であったマチルダと同じ死に方をするのだ。ホバー撃墜に気をよくしたシャアは今度は「ズゴック」の堅牢な装甲を使った頭突き攻撃に出る、アムロはビームライフルを落としつつもこれを交わし、逆にビームサーベルで「ズゴック」の右腕を切り落とす。「ズゴック」の片腕を失ったシャアは形勢不利と見るや、やられたのを「バランサーが狂った」せいにする独り言を吐きつつ逃走を開始。アムロがこれをしつこく追う、「私にプレッシャーを掛けるパイロットとは何者なのだ?」とシャアは絶叫しながら逃げ、見つけた地下水脈に飛び込んで逃走に成功する。
 ジャブローでのアムロとシャアの戦いだが、この二人の戦いは劇場版ではガルマ戦死時以来のことで、「哀戦士編」では最初で最後だ。この戦いでシャアの台詞にもある通り、アムロの腕が上達して「ガンダム」の性能に頼らなくても優位に戦いが出来るようになっていたのだ。その結果がシャア専用「ズゴック」の右腕切断という戦果で、腕に火器が直接仕込まれている「ズゴック」では戦闘能力を大きく削がれる事となり、この戦いでアムロは初めてシャアに実力で勝利したのだ。
 またこの戦いの描写もなかなかいい。たまにシャア専用「ズゴック」の動きをスローモーションにしてみたり、背景を黒一緒にしてみたりしてシャアの動きを印象付ける。それだけでなくシャア専用「ズゴック」の動きが速く、強く見えるように計算され尽くしているのだ。そうやってシャアの強さを引き立たせた上でアムロに一枚上の攻撃をさせるのだから、逆にアムロの成長が印象に残るといった手法なのだ。最初の内は見ている方が「こんな強いシャアと戦ってアムロは大丈夫か?」と思ってしまうが、見ていると徐々に安心できるという寸法だ。
 この戦いをきっかけにアムロとシャアの戦いは終始アムロ優位で進むことになって行く。後になって振り返ると、ランバ・ラルの方が余程手強かったと思う位だ。
感想 ・第13独立部隊
 ジャブローで「ホワイトベース」の役割が正式決定される。部隊名は「第13独立部隊」…つまり艦隊行動はせずに単艦での作戦行動が任務である。そしてその単艦でどんな作戦をするかと言えば…陽動作戦だ。ジオン軍の宇宙拠点であるソロモン要塞に一斉攻撃をするための準備期間を稼ぐため、「ホワイトベース」は囮となって主力艦隊とは逆方向に進路を取ってジオン艦隊をおびき寄せるという作戦だ。
 この作戦は「ホワイトベース」にぴったりだと連邦軍上層部が感じたのも無理はない。ひとつは「ホワイトベース」が現地徴用兵による急造部隊であること、つまり彼らは最新鋭艦という軍の最高機密を勝手に扱っている戦闘の素人でやられたらやられたで仕方がないと思える程度の扱いを受けているということだ。
 次に「ホワイトベース」がジオン側から高評価を受けており、「敵討ち」の相手として常に付け狙われている存在であること。「ホワイトベース」が撃破したのはガルマ・ザビに始まって歴戦の勇者ランバ・ラル、それに黒い三連星、どれもジオン国民にとって人気のありそうな面々ばかりである。このような人たちを1隻の艦に立て続けにやられたとあっちゃ、ジオンが目を付けないはずはないのである。こういう目立つアドバルーンを飛ばしておくことで、主力艦隊の行動を隠密化させようとしたのだ。
 さらに「ホワイトベース」にはこの役割が適任である理由がひとつある、それは「ホワイトベース」が連邦の最新鋭艦であることだ。最新鋭艦に乗り込む悪く言えば「どうなろうと知ったこっちゃない人々」という組み合わせは、まさにその性能をテストするのにうってつけの組み合わせなのだ。素人に近くよく分かってない連中が運用するからこそ、プロでは分からないような問題点が浮き彫りになるのだし、またまだ実績が無くて欠陥を抱えているかも知れない艦を躊躇無く最前線に送り込むことが出来るのだ。さらに「最新鋭艦」という存在は敵が「真っ先に攻撃しなければならない」と判断するのに説得力のある存在で、ジオンにとってはそんなものが自分の庭先にやってくれば陽動と分かっていながらも戦力を割いて潰さねばならない存在に見えるのである。もっとも「最新鋭艦」という看板に騙されない人物もジオンにはいたのだが(ギレン)。

・劇場版「機動戦士ガンダムU 哀戦士編」主題歌
「哀戦士」作詞・井荻麟 作曲/歌・井上大輔
 何度聴いてもいい歌だと思う。
 まずあのイントロがたまらない、♪チャチャチャチャンチャ チャチャチャチャチャチャチャ…という感じのピアノの音が聞こえてきただけで、マチルダ中尉の美しくも凛々しいあの表情が浮かんでくるってもんだ。そして歌が進んで行くとあのランバ・ラルの泥臭さ、ハモンの妖しさ、そして…それら戦士達の最期が脳裏に浮かんでは消える。「機動戦士ガンダム」の中盤部分にこれほどぴったりはまった歌は他にあり得ないと思う。
 この曲は戦士達の哀しみを歌っているのは言うまでもないだろう、戦場に消えていった者達がこの戦いに何を賭けていたのか、何を残していったのか。実は「機動戦士ガンダム」という物語そのもののテーマのひとつなのではないかと思う。劇中で死んでいった者達にも、行き残った者達も、みんなそれぞれ「信念」を持っているのがこの「機動戦士ガンダム」という物語の特徴だ。その中でも死に行く者は、タダで死ぬのではなく、生き残り続ける者達にちゃんと「何か」を残して死んで行く。そしてアムロを中心とする若野達はその信念と残された思いに揉まれて成長する、こんなテーマがこの曲には全て歌い込まれているのだ。
 だからこそ「機動戦士ガンダム」という物語と一緒に、この「哀戦士」という歌も伝説的な存在になったのだろう。
 私だって、カラオケでこの曲を誰かか歌えば「マチルダさーん」と場を盛り上げる。いや、その気持ちは半分マジだったりするし。

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