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「機動戦士ガンダムV めぐりあい宇宙(そら)編」
 「機動戦士ガンダムU」を受けて制作されたさらなる続編。T・Uがテレビアニメ版の再編集という要素が強かったのに対し、当作品は新規に作成された部分が多いとされている。言われてみると、テレビ版にはいなかったキャラとしてギレンの秘書やジオン公国の首相などが出てくる。また「ホワイトベース」搭載メカにも変化が見られ、「ホワイトベース」そのものも主砲の形状が変わる等大きく描き直されているのが特徴だ。
 この作品ではテレビアニメの終盤部分、ジャブロー基地を発進して再び戦場が宇宙に移ってから終戦までの「ホワイトベース」を描いた完結編である。テレビアニメと比較すると作戦順序の変更、「ホワイトベース」搭載機の変更、「ホワイトベース」の主砲等、設定が大きく変わっている部分もあるのが特徴だ。

名台詞 「馬鹿、指揮官が真っ先にノーマルスーツ※を着られるかよ! 兵士達を怯えさせてどうなる。各機、最大戦速!」
※「ノーマルスーツ」とは巨大人形兵器である「モビルスーツ」に対する通常の宇宙用戦闘服(気密服)の呼称
(ドレン)
名台詞度
★★★
 ガルマ・ザビ戦死以後、やっとかつてのシャアの副官だったドレンが登場する。シャアがキシリアの宇宙機動隊に拾われたなら、ドレンは引き続き宇宙攻撃軍に籍を置いて「キャメルパトロール隊」と呼ばれる部隊を率いて哨戒任務に当たっていた。そのドレンの庭先に突入する形となった「ホワイトベース」は、シャアの舞台と連動して「ホワイトベース」殲滅のための戦いに挑むのだが、その戦いを前に「(戦闘時は危険だから)ノーマルスーツを着て下さい」と訴える部下にこう答えるのだ。
 このドレンの台詞にはこの戦いの前の緊張だけではなく、物語の舞台が変わり新たな戦いの火ぶたが切って落とされるという緊張をも描き出している。彼の指揮官としての覚悟と、高揚した戦意を否応なしに見せつけられるのだ。この男の泥臭さはランバ・ラルに通ずるものがあり、彼も戦うことによって自らの存在感を誇示する根っからの軍人なのだ。
 シャアやガルマはこのようなタイプとは違う。彼らは戦うこと以外に自分の存在感を誇示する術を持っており、そういう意味では泥臭さをあまり感じさせない「敵役らしくない」敵であるのは確かだろう。ちなみに「ホワイトベース」のブライトもランバ・ラルやドレンのような泥臭さはなく、別に魅力がある指揮官である。
 このドレンの戦意高揚の台詞でもって「めぐりあい宇宙」編はスタートする。そしてドレンは乗艦を「ガンダム」のビームライフルでぶち抜かれ、この作品で最初の「戦死」を演じることになるのだ。
(次点)「軍令がなければ、誰が寄るものか!」(ブライト)
…「ホワイトベース」を指揮するブライト、彼は若くして戦艦を任されたという緊張感から今まで本音をあまり表に出してこなかった。だがこの心の台詞は彼の本音100%。命令通り「ホワイトベース」をサイド6に寄港させるのはいいが、そこには仄かな恋心を寄せるミライの婚約者がいるのだ。でもブライトとミライって、後続のシリーズでは結婚するんだよね。
名場面 「キャメルパトロール隊」VS「ホワイトベース」 名場面度
★★★
 「めぐりあい宇宙」編での最初の戦闘はドレンの復活だけでなく、シャアが妹を、セイラは兄を思い出すという描写を描いてこの兄妹についての物語があることを視聴者に予感させる。「ホワイトベース」の新顔であるスレッガーの性格の良いところも悪いところも描き出して、このキャラに対する期待と不安を煽る。立派に戦えるようになったカイやハヤトの戦いぶりをキチンと描く。そして何よりもアムロの強さを印象付ける。本編序盤の戦いとしてこれだけの役割を持たさねばならないシーンを、上手に描いたと感心する。そしてこの物語のとっかかりを描くために、ドレンが生け贄になってしまったように感ずるのはちょっと悲しい。
 何よりも「ガンダム」の戦い方だ、実はこの戦いでも主戦力は「ガンダム」であり、他に出た「ガンキャノン」2機と「コアブースター」2機は陽動に過ぎなかったのである。彼らの思惑通り攻撃に出ていた「リックドム」は「ガンキャノン」や「コアブースター」との戦いに集中しているうちに「ガンダム」を見失う。それに気付いた頃にはもう遅く、「ガンダム」は艦隊上方から急接近攻撃(地上の戦いならば「急降下爆撃」に当たるんだろうな)で、「キャメルパトロール隊」の3隻のムサイ級を撃破する。
 この戦いは色んな要素が積み込まれている上に、テンポが良くて男の子ならワクワクしてしまうシーンであろう。私も少年時代、銀幕に映し出されたこの戦いを見て大いに興奮したものだ。
研究 ・機体番号
 「めぐりあい宇宙」編での最初の戦いであるドレンの「キャメルパトロール隊」との戦いであるが、テレビアニメ版を見慣れた人には「ホワイトベース」隊に重大な変化が起きたことがすぐ分かるだろう。スレッガーが配属された点はテレビ版と同じだが、同時に「ホワイトベース」搭載機が変更されているのである。
 テレビアニメ版ではジャブローで「Gアーマー」(劇場版には登場しない「ガンダム」輸送機兼爆撃機)が1機補充されたのみだったが、この劇場版では「Gアーマー」の変わりに出てきた「コアブースター」がテレビ版に倣って1機補充されたほか、地上兵力であった「ガンタンク」が下ろされて変わりに「ガンキャノン」が1機補充されるのである。
 確かにキャタピラを持った「ガンタンク」がロケット推進で宇宙空間を行くのに違和感を感じていた人は少なくないだろう。恐らく制作側も違和感を感じていたに違いないのだが、テレビ版ではスポンサーの玩具メーカーとの絡みもあって簡単に「ガンタンク」をたいじょうさせることは出来なかったと推察される。だが劇場版ではある程度自由な作りが認められるようになり、「戦車」が宇宙空間を飛び回る不自然を解消するためにハヤトの乗機が「ガンキャノン」に変更されたのだろう。
 「ガンダム」輸送という役割が特に宇宙では無意味で、テレビ版では爆撃機としての役割が強かった「Gアーマー」も「哀戦士編」の段階で設定から消された。変わりに出てきたのが戦闘機に特化した「コアブースター」と言うことだろう。
 さて、同じ機体が複数搭載されていると言うことは、その呼び分けが問題になる。テレビアニメ版ではその辺りは考えられず、2機ある「Gアーマー」は単に「スレッガー機」「セイラ機」と呼称されていた。だが劇場版ではリアリティを高めるためか、「コアブースター」と「ガンキャノン」に機体番号が振られてこれで呼び分けることになった。「コアブースター」ではスレッガー機が「005」、セイラ機が「006」、「ガンキャノン」ではカイ機が「108」、ハヤト機が「109」。「コアブースター」では両側面に赤い字で、「ガンキャノン」では左胸・左脚・右足に白い字で機体番号が振られた。
 驚いたのはどちらも1番から始まっているという訳ではない事。「コアブースター」の場合はスレッガー機で「5番目の機体」を、「ガンキャノン」の場合はカイ機で「8番目の機体」をそれぞれ示していると考えられる(「ガンキャノン」の機体番号は101から始まる8番目というのが私の解釈)。「ガンキャノン」はサイド7でテストされていた試作機が、「コアブースター」はオデッサ作戦前に「実戦投入テスト」との名目(と思われる)で配備されたのだからこれも試作機であると思われる。ところが「めぐりあい宇宙」編で出てくるのは、どちらも何機か量産された事を示す番号なのだ。
 「ガンキャノン」の場合はこう解釈することが出来る。サイド7でのテスト運用までに試作機が何機か作られ、「ホワイトベース」に積み込まれたものが8機目の機体だったという解釈だ。そしてジャブローに温存されていた9機目がハヤト機になったと解釈すれば話は簡単だが、その間に何ヶ月も開いているので「偶然」連番の機体が配備されるとはちょっと信じがたい。「ガンダム」シリーズ他作品の設定を見てみると、数はともかく「ガンキャノン」も量産されているようなので、「たまたま」連番になる可能性は低いと見るべきだ。
 そこで私が取っている解釈だが、「ガンキャノン」も「コアブースター」も「哀戦士編」までに出ていたものと違う個体だというものだ。どちらも量産が開始されて既に劇中には描かれない戦場で活躍しているに違いない。「哀戦士編」までに「ホワイトベース」に配備されていた試作機は何か問題があったのか、はたまた量産機に合わせた改造を行い他の戦場に投入するためか、どちらかは分からないけどとにかく下ろされたのだ。そして変わりに両機とも2機ずつが配備され、それが「コアブースター」は量産開始から5番目と6番目の機体、「ガンキャノン」は量産開始から8番目と9番目(1番目は「101」からスタート)という事だったのだろう。
 「ガンダム」は廉価版の「ジム」として量産されたが、「ジム」は「ホワイトベース」配属されなかった。また前述の通り「ガンタンク」は下ろされたが、理論上宇宙では使えない「ガンペリー」も同時に下ろされたと見るべきだ。そしてこの陣容が「めぐりあい宇宙」編での「ホワイトベース」隊の搭載機として固まるのだ。

…ドレンとの戦いを終えた「ホワイトベース」は陽動作戦のため、中立サイドであるサイド6へ向かう。サイド6ではミライが婚約者であるカムランに偶然再会する。また買い出しに出ていたアムロはサイド6の街中で偶然にも父であるテムを発見するが、酸素欠乏症の影響で別人のようになってしまった父の姿に愕然とする。一方、ジオン軍ではドズル・ザビが「シャアの無能さを証明」しようと、コンスコン一隊を「ホワイトベース」殲滅に向かわせていた。だが地球連邦本艦隊の動きが掴めず、余計な戦力を割けない中での出港となっていたのだ。
名台詞 「俺だって、生きている間くらい、人並みに上手に生きてみたいと思うけど。不器用だからな。」
(ブライト)
名台詞度
★★★★
 「ホワイトベース」サイド6入港時に、艦にやってきて火器類の封印をしたカムラン検察官こそがブライトが気にしていたミライの婚約者であった。乗員の多くがサイド6の街へ出てしまった中、ブライトは艦の責任者としてサイド6の役所に呼ばれていたのだろう。ミライは街に出ずに艦橋で留守番をしていた。ブライトが艦に戻ると、ミライはブライトのシャツを繕っていてこれにブライトが驚く。驚きついでにブライトはカムランについてミライに聞くと、次点欄の通りに答える。それに対しブライトが「人の縁は大事にした方がいい」と言うが、ミライはこれがブライトの本心でないと見抜き「本気?」と問い返す。この答えがこれだ。
 そう、不器用な人間同士が恋愛をするからこんな「もどかしい」関係となっているのだ。それをブライト自身がよく気付いている上、自分の気持ちをハッキリ言いたいのに言えない自分の情けなさもよく分かっているのだ。でも何とか、自分の気持ちの一片だけでも伝えようと必死になって絞り出した言葉が「不器用だから」というこの言葉である。この台詞をやっとの思いで絞り出すブライトに、今まで見せてきた「ホワイトベース」最高指揮官としての面影はない。
 こう言われたミライは、艦橋から立ち去るブライトの背中を見送って「ほんと…」と答える。こう反応するしかない状況ではあるが、ミライはブライトの気持ちに気付いていていい加減どっかで気持ちをハッキリさせて欲しいと感じていたことだろう。そして、この頃からミライはスレッガーにも心を惹かれ始めているのだ。
(次点)「違うのよね、あの人。戦争を自分とは関係ない物のように思っている。あれではたまらないわ。」(ミライ)
…上記名場面欄において、ミライがカムランについてこう言い切る。「戦争」というものに巻き込まれるという形ではあったもののこれを運命と正面から受け入れて戦うミライと、「戦争」から逃げてサイド6という安全地帯で平和に暮らすカムラン。ミライがこの違いを身に染みてカムランと袂を分かつ事という決意が固まっていることを示している台詞だ。その決定打はカムランが言った「(ミライの消息を)必死に探させた」なんだろうな…「探した」と「探させた」の違いがどれだけ大きいか、私はミライとカムランに教えられた。
名場面 ブライトとミライ 名場面度
★★★
 サイド6の港で繰り広げられる男と女の物語は、彼らの若さ故のもどかしさがあってこれまた好きだ。この「もどかしさ」は現在のアニメやテレビドラマには見られない、緊張感のある恋愛模様であり、なんか近未来の物語を見せられているのではなく、昭和30〜40年代の青春物語を見せられているような錯覚を感じる。
 このシーンはもう名場面欄において説明済みなので詳細は省くが、気になっている女性…いや、「いつも一緒にいる片思いで好きな女性」をどうやってものにしたらいいか分からずに狼狽えるブライトの姿や、その女性の「婚約者」が唐突に目の前に現れて困惑するブライトの姿というのは、別の意味でこれまでのSFアニメになかった要素かも知れない。
 それに対するミライの描写もいい、部下の立場ながら煮え切らないブライトを見守っている母性的な反応を示し、その裏には「早く態度をハッキリさせないとどうなっても知らないから!」という小悪魔的な要素も加わっている。「ガンダム」には魅力的な女性キャラが多く、ミライも間違いなくその一人であろう。そしてその魅力に振り回される一人の男がブライトって訳だ。
 ミライの魅力はマチルダと同じく「母性的」な面が強いという共通点があるが、同時にその「母性的」の方向性が違うという点も見逃せないポイントだ。マチルダが「母のたくましさ」を象徴する女性なら、ミライは「母の優しさ」を象徴している女性だと私は思う。ちなみにミライの声優さんは白石冬美さん、私にとっては中学〜高校時代に聞いていたラジオ番組の司会者としての印象が強い。ちなみにアニメキャラならパタリロを思い出す人だ。
研究 ・サイド6
 「ホワイトベース」は陽動作戦の一環としてサイド6に寄港する。サイド6はこの地球連邦とジオンの戦争において、どちらの陣営にも属さない「中立」を宣言し、領空内での戦闘行為が一切禁止されているという設定である。こんな中立地域、あるいは休戦地域が出てくるのもSFアニメでは初めてじゃないだろうか?
 だが実際の戦争において、「中立」を宣言する国や地域というのはある意図がある場合が多い。「中立」であることによって補給基地としての役割を果たして戦争による利益だけを呼び込む目的があったり、「中立」であることで戦争中の陣営の仲介役となり和平を結ぶ過程で自国にも優位に話を誘導するのが目的だったり、どちらかの陣営に与しつつも相手側陣営との関係も切れず、表面上は「中立」を宣言して「緩衝地域」になることで事実上与している陣営の力になるという意図の場合もある。
 サイド6の場合、ここに挙げたうちの後者と考えると説明がつくと思う。それはブライトの台詞に「(サイド6の)ランク内閣はザビ家がてこ入れしているのさ」とあることから想像できよう。サイド6は政治的にジオンの影響が強く、戦争自体もジオン側についている勢力なのだと考えられる。
 考えてみればサイド3という単一の勢力だけで、残りの人類全部を敵に回すような戦争を仕掛ける事は無謀なのだ。だからジオンは戦争開始前に少なくとももう1勢力の味方が、もっと正確に言えば敵にならない勢力が欲しかったに違いない。そこで各サイドの政権に接触して、ジオン側陣営に入るよう交渉していたと考えられるのだ。その中で唯一ジオン側に色よい返事をしたのがサイド6なのだろう、ザビ家はサイド6に有利な条約を結んで少なくとも「敵」に回らないように色々やったはずだ。恐らくジオンとサイド6単独での相互不可侵条約みたいなものもあったに違いない。これがブライトの言う「ザビ家のてこ入れ」だと考えられる。
 だがサイド6にも地球連邦を敵に回せない何かしらの理由があったと思われる、恐らく地球連邦とは軍事協定のようなものがあったのだろう。そこで開戦となったとき、サイド6が取った道は「中立」を宣言することで地球連邦との軍事協定は破棄しつつジオンとは相互不可侵は守るという形を取り、「中立地帯」のためにサイド周辺を休戦地域にすることでジオンに対する緩衝地帯となる。このような形でジオンに寄与するという体制を取ったのだと考えられる。
 問題はサイド6が地球連邦にどんな「弱み」を握られているかだ。最初は食糧や資源を地球から輸入していると思ったが、もしそうだとすればこれらの禁輸政策を採られて地球連邦に服従するしかなくなってしまう。サイド6は資源や食糧というライフライン以外の、小さな事だけど大事だという微妙な件で地球連邦に「弱み」を握られているに違いないのだ。だからこそ「ジオン陣営に入る」のでなく、積極的にジオンにも与さない「中立」という立場で地球連邦にも面目が立つような立場にしているのだ。

…ブライトとミライがもどかしい恋物語を繰り広げている頃、再度父の元へ向かったアムロには「出会い」が待っていた。
名台詞 「この人は本気なんだよ、わかる? そうでもなきゃこんな無茶言えるか!? いくらサイド6の空域だからと言って、ミサイル一発飛んでくれぱ生命はないんだよ。あんたもあんたじゃないの、あんなにグタグタ言われて何故黙ってるの? 本気なら殴れるはずだ。そうだカムランさん、気合いの問題なんだよ。なぁ、少尉。ハハッ、悪かった悪かった。」
(スレッガー)
名台詞度
★★★★★
 スレッガー格好いい、格好良すぎる。「機動戦士ガンダム」で格好いいキャラクターを一人挙げろと言われれば、私は「スレッガー・ロウ中尉」と答える。
 カムランは「ミライも戦っているのなら、自分も戦わなければならない」と気付いたのであろう、ブライトに自分が水先案内人になることを申し出る。「ホワイトベース」を待ち伏せているコンスコン部隊は、「ホワイトベース」が休戦空域から出る前に攻撃をしてくる可能性があるが、民間機が近くにいれば攻撃は出来まいという意図である。そしてそれはサイド6領空での戦闘を防ぐという意味でこれはカムランの仕事にもなるのだ。
 このカムランの申し出にミライは「余計なことはしないで欲しい」と反論する。これをきっかけに始まる痴話喧嘩、この二人の言い争いの間の気まずい空気を上手く描き出している。その空気にしびれを切らせたのは「ホワイトベース」の新顔、スレッガーだった。スレッガーはミライの頬を叩くと、この台詞をミライとカムランにぶつけるのだ。
 そう、カムランは本気なのだ。ミライにいいところを見せようとか、役に立つ人間だと思ってもらおうという下心だけでやっているのではない。愛する人を守りたいというかたくなな意志と、そのためならば生命を賭すことも厭わないという覚悟に裏打ちされた申し出なのだ。それを過去のことまで根掘り葉掘りまでして罵倒する資格など、例えミライがカムランにどんな目に遭わされていたとしてもあろうはずがないのだ。前述の通りカムランはミライが戦っているという事実に目覚め、自分もミライを助けるために戦わなければならないと立ち上がったのだ。
 だがそのカムランもカムランなのはスレッガーの言う通りだ、自分の全てを賭けた申し出をあんな罵倒で否定されて黙っているのは男らしくないのだ。殴るのは野蛮かも知れないが、もっと自信を持ってきつく言い返すことくらい出来たはずだ。そうすればこの男は、ミライという女性を失うことはなかっただろう。
 この辺りにカムランの情けなさが描かれ、またその情けない男を見ているのが耐えられないスレッガーという男の気質もキチンと描かれている。
 ミライは最終的にこのカムランの「本気」を理解して受け止めるのだが、それは同時にミライという女性にとってカムランが「自分を助けてくれるいい人」であっても「自分を引っ張ってくれるいい男」でなくなってしまう出来事となった。このときに見せたスレッガーの「男」としての牽引力、優柔不断の欠片もない真っ直ぐな性格、これがミライの心を強烈に惹き付けたのは言うまでもない。結果ミライの心は傾き賭けていたブライトからも離れてしまうのである。
 しかしスレッガーのこの台詞やっぱ格好いいな。劇場版スレッガーの声の人は私に言わせればハーロックと石川五右衛門、どちらも格好いい役ばかりだ。やっぱ「めぐりあい宇宙」編はこの人の存在感が大きすぎる。ミライを殴ってこの台詞を吐けば場がさらに悪くなるが、そうならないのがこの人のいいところ。やり過ぎたと反省して逃げるように去るが、それを感じさせないように上手に逃げるのもこの人の格好いいところ。
名場面 アムロとシャア 名場面度
★★
 「機動戦士ガンダム」という物語の基本軸として、「アムロとシャアの敵同士としての物語」という側面もあることは説明するまでもないことだ。だがこの二人、物語が始まってからここまで直接会話をしたことがない。そりゃリアルな戦場が舞台なのだから、敵同士が直接会話するなんて光景が限られるのは当然だ。「宇宙戦艦ヤマト」ではドメルと「ヤマト」乗員が無線通信を通じて直接会話するシーンがあったものの、「機動戦士ガンダム」では敵味方で通信機器の規格が同じという不自然な設定はないので、このようなシーンはなかった。ギレンの演説も「ホワイトベース」がテレビ放送を受信していたに過ぎない。
 アムロは再度父に会いにサイド6の街に出た。その帰路、「ホワイトベース」が寄港している港への帰り道に、乗っていた自動車が泥濘にはまって動けなくなる。仕方なく通りすがりの車に助けを求めるが、その車はアムロを無視して通りすぎてしまった…と思いきや行き過ぎたところで停止し、バックで戻ってくる。そして車から出てきたのは赤いジオンの士官服とマスクを着用した男…シャアだった。アムロはその姿を見て一発で相手がシャアだと見抜く。
 シャア機落ち着き払ってアムロに声を掛け、テキパキとアムロが乗っていた車を救出させる。さらにシャアの車からもう一人少女が降りてくる。それはアムロが父の元への往路で偶然出会った色黒の少女だった。シャアがアムロに声を掛けようとすると、アムロは何故か直立不動で自分の名を名乗る。「アムロ」という名を聞いたシャアも「知っているような名前だ」と反応するのだ。アムロは「僕はあなたを知っている」と心の中で呟き、作業の隙を見計らって相手が本当にシャアであることを確認する。そして同乗の少女、ララァに対しては恋心のような物を感じたのだろう。視線が合うと照れた表情を見せる。
 シャアは車の救出を終え、「敵の士官の前で堅くなるのは分かるが、礼くらい言って欲しいものだ」とアムロに言うとアムロは逃げるようにその場を立ち去る。悪戯っぽく「赤い彗星だと分かって怯えているんですよ」と言うララァ、鼻で笑うシャア。
 戦場での立場が信じられないようなほのぼのした光景だが、アムロはシャアに改めて名を問うまでもなく相手がシャアだと言い当てた。これはあんな赤い軍服を着ていれば誰だって「赤い彗星」だと分かるからという理由ではない、彼のニュータイプ能力だと見ていいだろう。アムロが震えていたのは目の前に敵の士官がいるからではなく、自分が何度も戦場で戦っていた恐るべき相手が目の前にいるからだ。アムロは目の前にいるシャアという人間と、戦場で対決した赤いモビルスーツが同一人物であるという実感が湧かず、狼狽えていたと言うのもあるかも知れない。
 一方のシャアだが、私の解釈ではこの時点でこのアムロこそが「ガンダム」のパイロットだと見抜いていたと感じている。だが潜在意識の中で「こんなガキが…」と感じてしまい、それを認める事が出来なかったのだろう。だから彼はそれに気付かないふり、あるいは気にしないふりをすることにした。シャアはアムロがなんで震えていたかも見抜いていたと、私は解釈する。
 そしてその二人の初対面の間に立つララァ、これはこの先の「戦い」を暗示する伏線である。この3人がもつれた戦いが物語の中核になって行くという、視聴者に対しての暗示なのだ。
研究 ・スペースコロニー
 前回部分と今回部分の話では「機動戦士ガンダム」の世界におけるスペースコロニーの詳細が見えてくるのも面白い。この世界で多くの人が住むスペースコロニーというものがどのような構造で、どのような環境になっているのかじっくり見てみるのも面白いだろう。
 前回部分で波平さんがスペースコロニーの居住区と港の関係について語ってくれる。港部分が固定されており、居住部分が回転することで重力を得ていること。コロニーの直径は6キロ、港から居住区へは3キロほどエレベータで移動することなどである。いろいろ調べたところ、無重力空間に浮かぶ直径6キロの円筒に人が住むと仮定した場合、円筒の内壁に地球の重力と同じ1Gの重力加速度を得るためには、円筒を1分50秒で1回転させればいいとある。コロニーの円周が6キロ×円周率だから約18.85キロ、つまりコロニーの外壁は618km/hという凄い速度で回転していることになる。港から居住区へ行くエレベーターってどんな構造なんだろう?
 内部環境で驚いたのは「雨」が降ることだ。しかもアムロとララァの出会いのシーンでは小雨という感じでなく、土砂降りに近い降り方をしていた。時雨量20ミリも降れば人は「大雨」と感じ、30ミリくらいで「土砂降り」と感じるのでここは時雨量20ミリ程度と考えられる。「機動戦士ガンダム」の公式設定ではスペースコロニーの全長は32キロ、つまり円筒内壁の総面積は約600平方キロメートル(東京23区より僅かに狭い)となる。そのうち半分は採光窓となっており、さらに山岳部や森林地帯などの面積を差し引くと、居住区の面積は200平方キロメートル(さいたま市とほぼ同じ)となると考えられる。そこに時雨量20ミリの雨を降らせるとなると、実に12万リットルの水が必要となる。重さにすれば12万キロだが、日本の主要なダムの貯水量がこの10倍以上あることを考えれば、地上にある湖や川の分を考慮してもコロニーの水はダム1個分あれば充分足りるようだ。
 面積ついでにコロニーの人工を考えてみると、前述したように1つのコロニーの居住区面積は埼玉県さいたま市とほぼ同じであることから推察できる。この「さいたま市とほぼ同じ」面積は既に山岳部分等は差し引かれている、つまりこの区画の殆どが住宅地と考えることが出来るだろう。ここに東京都で一番人口密度が高い中野区と同じ人口密度を当てはめれば400万人という数値が出てくる。よってひとつのコロニーの人工はだいたい300万〜多くても450万程度、1つのサイドの人工が1億程度という公式設定に従えば、ひとつのサイドに50〜80程度のコロニーがあるということになる(ちなみに「機動戦士ガンダム」ら出てくるスペースコロニーのモデルとなった「オニール形」スペースコロニーの人工は1000万、だが寸法や構造は「機動戦士ガンダム」に出てくるものとほぼ同じなのでこの数値はかなり無理があるということになる)。
 その雨はアムロが「天気予定表」という言葉を口にしている以上は、人工的かつ計画的に降らせていると判断できる。恐らく現在研究されている人工降雨システムのような形で人工的に雲を作って、雨を降らせているのだと思う。雨が必要な理由はコロニー内にも森林があるためで、この森林に効率的に水を蒔くには人工降雨が最も効率的なのだろう。また人間の生活感を生み出すために季節感を作るためにも、降雨は必要だと思う。おかげで地面が泥濘になってアムロが難儀するわけだが…人工の大地なんだから道路は全部舗装すりゃいいじゃんか!というツッコミはいけない。
 それよりコロニー内に「森林」がある事自体驚きである。森林というのは言うまでもなく生命が複雑に絡み合って維持されており、細菌レベルの生命を含めると森林を維持するための生命は地下深くに及んである。こんな複雑な自然をそのまま宇宙に持ち出すというのはどれだけ大変か…地球という既に途上に一定の菌類が存在する地面の上に森林を移植するのではない、金属で出来た人工の大地の上に森林を築くのである。恐らくコロニーが出来上がると一番最初に行ったのはある狭い範囲に地下何メートルか分の土壌ごと地球の森林をそのまま持ってきて植えたに違いない、そして適度に肥料をやってそれを拡げるところから始まったはずだ。これだけで何十年かかることやら…。
 だが森林は絶対に必要だろう。密閉された宇宙空間において、人間が吐き出した二酸化炭素を効率的に酸素に変換して循環させるには、植物の光合成に頼るのが一番だからである。また植物の存在は住む人に安らぎを与えることにもなるだろう。いずれにせよ巨大な採光窓を設置して太陽光をコロニー内に取り込む最大の理由はこれだと思われる。
 他にもコロニー内に山がある事実や、湖がある事実、鳥が飛んでいる事実、空が青い事実、糞尿処理問題…まだまだ色々考えてみたい事実がたくさんある。でも突き詰めるとスペースコロニーが実現できるかどうかという根本的な部分を崩しかねないので、この辺りで。

「ホワイトベース」はカムランの自家用宇宙船の誘導を受けてサイド6を出港、そこにはドズル・ザビ麾下のコンスコン部隊が待ち構えていた。この戦いはサイド6にテレビ中継され、その画面をシャアとララァ、それにテムが固唾を呑んで見守っていた。
名台詞 「ガンダムのパイロットはニュータイプとしての覚醒を始めている。ララァと同じレベルか、それ以上のな。」
(シャア)
名台詞度
★★
 「ホワイトベース」とコンスコン隊の戦いはサイド6のテレビ局が全コロニーに生中継していた。シャアはララァに「戦場」と「敵」を教えるためにこの番組を見せていたのだ。この中継を見たララァは画面に「ガンダム」が出てくる前の段階で「白いモビルスーツが勝つわ」と言い当て、シャアを驚かせる。そして中継が終わると、ララァは自分の予感が当たったことを得意がるが、シャアは真剣な表情でララァにこう語ったのだ。その瞬間、ララァの表情も真剣なそれとなる。
 この台詞はララァが次の「アムロの相手」であることを示唆するために存在している。サイド6でアムロとララァが出会い、その直後にシャアに連れられたララァの様子が出てきた。だがシャアとララァの関係についてはここまでの劇中では語られておらず、二人の関係がどのようなものなのかの謎解きを待つしかなかったのだ。しかしシャアがララァにこの台詞を語った事で、この中継についてもララァに「ガンダム」を見せるためだったことが分かり、ひいてはララァと「ガンダム」が交戦するという物語の行方を明示したのだ。
 そしてここでもう一つ分かるのは、ここまで劇中で何度も語られた「ニュータイプ」というものが具体的な実態を伴って出てきたことである。この台詞によって視聴者は一発で理解するだろう、「ララァは優秀なニュータイプである」という事実を。この台詞のシーンと同時に「ガンダム」の戦いが描かれ、ここで今まで「そうかも知れない」という疑念だけだったアムロのニュータイプ能力が飛躍していることが描かれた。この台詞でもってララァが優秀なニュータイプであると明示した上で、ララァがアムロにとって驚異になるであろう事をしっかりと示唆したのだ。
名場面 コンスコン部隊との戦い 名場面度
★★★
 サイド6のすぐ外では、ドズルが「シャアの無能さを証明するため」に差し向けたコンスコン部隊が「ホワイトベース」を待ち構えていた。サイド6領空は休戦宙域になっているとはいえ、発砲しない範囲で交戦の準備が始まる。「ホワイトベース」は「ガンダム」と「ガンキャノン」を出撃させ、「ガンキャノン」のうち1機は「ガンダム」の援護、もう1機は「ホワイトベース」の援護と役割を振り向けた。一方のコンスコンは「ホワイトベース」という戦艦1隻を沈めるためだけに、手持ちの「リックドム」を12機出撃させ、全機「ホワイトベース」攻撃に差し向けるのである。だがサイド6領空から出るまでは発砲できない、「リックドム」は「ホワイトベース」の至近を遊弋し、「ガンダム」と「ガンキャノン」は「リックドム」部隊の背後に回り込む。
 カムラン機と別れた「ホワイトベース」は最大戦速でもってサイド6領空を離脱する、そしてこの戦いの火ぶたは「ホワイトベース」がサイド6領空から出た瞬間、その主砲によって切って落とされた。「ホワイトベース」はコンスコン部隊より先にサイド6領空を離脱したことをいいことに、まだ休戦宙域に留まっている「ムサイ」級を撃沈する。コンスコンはこけに耐えられず、まだ休戦宙域を離脱していないにも関わらず反撃を始める。だがこの時のアムロの活躍はめざましく、12機の「リックドム」を僅か数分で全て失い(うち9機がアムロの戦果)、コンスコン本人も乗艦の「チベ」級重巡洋艦が「ガンダム」のビームサーベルで動力部を切断されて撃沈したことにより戦死する。
 だがこのシーンを名場面とするのはこの戦い自体ではない、この戦いの背景に描かれた人々だ。「ガンダム」のアムロがニュータイプとしての頭角を現し、「リックドム」9機撃破、「チベ」級重巡洋艦1隻撃沈という戦果を挙げたこともそうだが、この戦いを遠くから眺めている人物が何人かいた。
 戦闘宙域のすぐ外ではカムランが恋人の乗る戦艦が参加しているこの戦いを見ていた。彼の乗る自家用宇宙船は「ホワイトベース」と別れる際に艦橋付近を飛行し、カムランとミライのまさに最後の別れが演じられている。ミライが無線でカムランに気持ちは受け取った旨を語り、戦闘後カムランは「ホワイトベース」が無事であることを見届けると涙を流しながら「生き延びてくれ」と語る。
 この戦いはサイド6のテレビ局によってテレビ中継されていた。これを見る3人の人物が戦いと同時進行で描かれている。シャアとララァ、そしてアムロの父テム・レイ。
 テムはテレビに映し出された戦いの様子に見入り、「ガンダム」の戦いを見て大興奮する。そして「ガンダム」が大戦果を挙げると興奮は絶頂に達し、外へ飛び出して「地球連邦万歳」を繰り返したかと思うと、階段から転落して死去する。
 シャアとララァについては名台詞欄参照。
 物語の区切りをひとつの戦いシーンにうまくまとめたと今になって感心しているシーンだ。サイド6の物語を作ったカムランとテムをただ画面から消すのでなく、それぞれにちゃんと決着を付けさせて物語から退場させる。カムランはミライが自分の気持ちを分かってくれたことで納得せざるを得ず、ミライの未来を(ややこしいなおい)案じると共に、これが彼女との最後の別れだと覚悟を決めていたのかも知れない。自分の知っているミライはもういないのだと。
 テムについては哀れな末路を用意した。技術者として兵器研究に没頭し、「ガンダム」という素晴らしい兵器を作り上げた彼だったが、そんな彼は地球連邦から捨てられていたのだ。もちろん彼が行方不明になった件については、カマリアに恩給という形で返されるだろうが…。恐らくテムが発見された段階でもう技術者や研究者として使える状態でないとすぐ分かる状況だったのだろう、地球連邦軍はそんな彼を治療するのでなく見捨てたのだ。戦況が良くなかったことと軍自体が疲弊していたことが大きな理由であり、彼の最期はそんな「地球連邦」の犠牲者としてこの世から去ることになったのである。
 そしてシャアとララァ、これについては名台詞欄で語ったからいいだろう。
研究 ・スペースコロニー2
 今回の戦いでは、サイド6のテレビ局が戦況を生中継してサイド6の全コロニーに中継する。ここから感じ取れるのは宇宙世紀になってもテレビというメディアが存在し、番組を放映しているという事実に他ならない。人口の大地に人々が居住しているスペース・コロニーのことだ、恐らくテレビは電波方式ではなく有線放送方式になっていると考えられる。コロニー建設時に電気や水道といったライフラインを整備しているはずで、恐らくこれらは道路地下に埋設する形なのだろう。そしてテレビというメディアについても計画的に整備され、コロニー内にケーブルテレビ放送網が引かれていると考えるのが自然だ。ただしラジオについては非常時などに備えて無線方式となっていると思った方がいいだろう。
 だがここに違う事実がある、テム・レイが見ていたテレビ受像器に室内アンテナが付いていた事実だ。恐らく賃貸住宅などではケーブルテレビを引き込む方式ではなく、トランスミッターなどで電波送信する方式を採用しているのだと思う。そうすれば全戸にケーブルテレビの配線を引き回すよりも、簡単に安く建物が造れるはずだ。テム・レイはそういう建物に住んでいてアンテナがないとテレビが見られないと考えるべきだろう。ただ宇宙世紀だというのにテレビがブラウン管方式だったりすることや、画面が旧来の4:3であることにツッコミを入れてはいけない。このアニメが制作された頃は、地上デジタル放送なんて考えてもいなかっただろうし、液晶テレビなんて想像すら付かなかっただろうから。
 テレビ局はサイド6の首都コロニーにキー局があり、あとはコロニーごとに系列局があるという構成なのだと思う。キー局から電波で各コロニーに番組を配信し、各コロニーの系列局でこれをコロニーのケーブルテレビ網に流すというシステムであろう。テレビ局は民放だと考えられる。
 話は変わるが、スペース・コロニーの交通機関ってどうなっているんだろう? 劇中では公共交通機関としてバスが登場する、サイド6の繁華街からテムが住む家の近くまでテムが乗車するシーンが描かれていたのだ。ただし速度はかなり遅いようで、アムロが走って追いつく程度である。コロニーの大きさは30キロ×18キロなのだから、これでは遅すぎるような気がする。
 だがこの規模なら鉄道のような大量輸送機関の出番はないだろう。繁華街をコロニーの中心部、港は両端という配置は固定しているだろうし、必然的に工業地帯は港の近くになろう、その間が居住区になると思われるので、人々の普段(通勤や通学)での移動距離はせいぜい10キロ程度だろう。人口規模を考えると交通機関はバスを中心にして、基幹交通に中量輸送機関であるモノレール等が適しているはずだ。ただしモノレールは貨物輸送に適さないので、港や工業地帯から繁華街への物資輸送は別途考えねばならない。なお公式設定では「地下鉄」があるようだが、これがコロニーの外壁を這うように進む交通機関だという。こんな恐ろしい乗り物など使い物にならない、乗客は絶えず宇宙放射線の被爆を受けることになるし、スペースデブリ激突の驚異もあるし…これらを解決しようとすると車体をかなり頑丈にしなくてはならず、採算ベースに乗せるのは不可能だろう。
 自動車交通については、劇中でアムロやフラウ、それにララァといった10代の若者が自動車を運転しているシーンが出てくるので、免許取得年齢が大幅に下げられていると見るべきだ。こりを裏返すとスペースコロニーには自動車交通が移動手段の主役になるよう設計されているのかも知れない。だが人口の大地であるスペースコロニーから石油が採掘されるわけがないし、コロニー内の大気汚染を防止するためにも自動車はバスも含めて全て電気自動車になっていると考えられる(だが劇中で出てきた自動車の音はガソリンエンジンのそれだ)。現在、電気自動車がなかなか実現しないのはバッテリーの性能が出せないためで、三菱が発売すると言っている電気自動車も航続距離が短いという問題を抱えている。だがコロニーを走る自動車に集電装置がついていない以上、これらの自動車はバッテリーに電気を貯めて動いていると考えられる。恐らく宇宙世紀にはバッテリーの問題も解決しているのだろう、それに30キロ×18キロの土地でしか使わないのなら、現在の電気自動車と同程度の航続距離で十分のはずだ。むしろ技術開発は充電時間を短くする方に行っただろう。
 ちなみにサイド6でアムロが乗っていた自動車は、レンタカーだと推測される。
 交通機関ついでに言うと、この地球連邦とジオンの戦争がなければ各サイドと地球、またはサイド同士を結ぶ連絡船も運航されていた事だろう。恐らく各サイトの首都コロニーの港が国際港になっていて、他のサイドや地球への連絡船の発着場になっていたと考えられる。そしてコロニー間を結ぶいわば「国内線」も存在したと考えられる。貨物物資輸送については、直接寄港が必要なコロニーに行ったことだろう。。

「ホワイトベース」とコンスコン部隊の戦いが終わると、ザビ家の兄妹は次なる戦いの準備をしていた。ソロモン基地の装備を求めるドズルと、ニュータイプ部隊の準備について語るキシリア。父のデギンはジオン公国首相のダルシアと共にギレンの暴走を案ずると共に、地球連邦との和平を模索する方針を決める。一方、「ホワイトベース」はワッケイン部隊と合流するために、戦乱でうち捨てられた牧畜と観光用のコロニーであるサイド5の「テキサスコロニー」に到着、そこで敵を発見していた。
名台詞 「それは構いません。大佐は男性でいらっしゃるから、ですから私は女としての節を通させてもらうのです。これを迷惑とは思わないで下さい。」
(ララァ)
名台詞度
★★★
 コロニー内でララァのニュータイプテスト中、敵艦発見との情報によりシャアとララァが乗艦である「ザンジバル」級へ引き揚げる。その港へ向かうエレベータの中で二人きりになった時、シャアはララァと「ガンダム」パイロットのニュータイプ能力が合致したときの心配を語る。それに対してララァは「私には大佐を守っていきたいという情熱があります」と語るが、それに対するシャアは「しかし、私はお前の才能を愛しているだけだ」ときっぱり答える。それに対するララァの返答がこれだ。
 「ホワイトベース」の内部だけではなく、こちらでももどかしい恋愛物語が進んでいる。ララァは間違いなくシャアに対しての恋心がある、それは何らかの形で自分を救ってくれたという意味合い以上のシャアに対する「想い」がこの台詞に滲んでいるのだ。その上、ララァはその恋心が実りそうもないことも分かっている。だから女として、その上軍人という立場になった故に「好きな人を守る」という強い意志が出来上がっているのだ。これはララァが戦場で戦う正義である。
 一方のシャアだが、この時点ではシャアが愛しているのはララァのニュータイプ能力だけなのは確かだろう。だがシャアもララァに対して「上官と部下」「親友」以上の何か特別な想いがあるに違いない。だからシャアはララァの心を触るという行為を何度かしているのだろう。こんなだからララァから感じる恋心についてキッパリと断る事も出来ず、逆にその信頼感を利用してララァを優れた部下として運用して行く。
 そして二人の関係は今のところこれ以上でもこれ以下でもない。二人がこっそりあんなことやこんなことをしているなんて事はこの関係じゃまずあり得ないだろう。こんなつかず離れずの二人の関係の、ララァの側の気持ちが良く出ているし、ララァにここまで言わせているのにこれ以上の関係にならないシャアの冷静さもこれまた凄いと思わせる台詞なのだ。
 しかし、ララァの声を聞く度にアンネットやメグの顔が思い浮かんでしまうのは駄目だなぁ。「ポリアンナ物語」を見た直後だとギレンはペンデルトンのおじ様、ララァはナンシー、どっちも物語を代表するネタキャラだし…。駄目だ、やっぱ笑うところじゃないところで笑ってしまう。
名場面 兄妹 名場面度
★★★★
 テキサスコロニー内での戦闘によって音信不通となった「ガンダム」捜索のためバギーでコロニー内に入ったセイラだが、彼女はまもなく馬で走るジオンの士官に発見し追跡する。相手はもちろんシャア、彼もすぐに連邦兵がバギーで接近するのが分かり馬上からセイラに銃を向けるが、乗っていたのがセイラと分かると銃を下ろす。
 この間に二人は語り合う、自分達の父であるジオン・ズム・ダイクンはジオン公国公王であるデギンに殺されたと、よくランバ・ラルの父であるジンバ・ラルが語っていたところから話は始まる。それによると二人の育ての父はジンバ・ラルであることも容易に想像が出来よう。シャアは二人の父、ジオンは「宇宙移民者の独立主権」を唱え、「宇宙移民者こそニュータイプのエリート」という主張で独立を企てていたらしい。もちろんこれは地球勢力と敵対することではなく、共存共栄を目指したものだろう。ところがデギンはジオンを暗殺して政権を奪い、国にジオンの名を付けたところで、ジオンの主張を「宇宙移民者はエリートだから地球に従う必要はない」と解釈を変えてジオン公国を軍事国家として成長させ、この戦争を仕掛けたとする。それに対しセイラは「人の革新はこの戦争の前から始まっている」とするが、シャアは「それが分かる人間とそうでない人間がいる、そうでない人間は殲滅するしかない」と訴える。そしてシャアは「体制に取り込まれたニュータイプが敵にいることで、自分のザビ家打倒を阻むものだ」とするのだ。そしてシャアは父の敵討ちをすること、「ニュータイプがニュータイプとして生まれ出る道を造りたいだけ」とした上でセイラに「ホワイトベース」から降りるように告げ、それに必要な金塊を送る事を告げる。そして「私は過去を捨てた男だ」と吐き捨てて妹の前から姿を消す。
 恐らく、これは兄妹が袂を分かつ瞬間を描いたのだと私は解釈している。妹から見れば父の敵を討とうとしているだけでなくて、ニュータイプというもっと大きな物を見据えた上で政治的な野望を持つ兄の姿を「暴走」と捕らえたことだろう。そんな兄の考えにはついて行けるはずもなく、また心の何処かで兄が妹である自分に共謀しないかと誘ってくれなかった悔しさもあったに違いない。ここで妹は兄との決別を決意したのだろう、戦場で兄と交える事になっても兄と差し違えるとブライトに語るのはまだ少し先の話だが。
 一方の兄にしてみればそんな妹がまだ可愛い少女にしか映らなかったに違いない。妹はいつになっても妹のままで、「ホワイトベース」ではパイロットの一人として男勝りの活躍をしているなどと想像も付いていないだろう。だから自分の言うことを理解してくれないのだと考えるし、妹に共謀しようと誘うこともしないのだ。このようにして同じ環境で育ったはずの二人の思想の違いが明確になり、二人は袂を分かつことになる。
 またこのやり取りを、レシーバーを通じてブライトがセイラの声だけ全部聞いているのもいい。裏返すと相手が誰か分からず、ブライトにはジオンの、それも有名な誰かとの関係者ではないかという疑念が生じる。その疑念はセイラがいつか裏切るのでないかという不安になるのだ。
 そしてこの会話で明確になるのは、この兄妹が何者かという謎が全て解けたことである。二人の父はジオン公国の建国者であるジオン・ズム・ダイクン、つまり二人はジオンという国の要人であった訳なのだ。シャアはデギンに殺された父の敵を討つべくジオン軍に入隊し、まずガルマの謀殺に成功したというのがシャアの行動の真実だったわけだ。ガルマが戦死するときにシャアは「君の生まれの不幸を呪うがいい」「君の父上がいけないのだよ」と言った理由が、このシーンで明確になるのだ。
 そしてこの兄妹の物語は、兄妹が銃を向け合うという方向に展開して行くのである。
研究 ・テキサスコロニー
 「テキサスコロニー、牧畜と観光のために建設されたコロニーである。今次大戦で放棄され今はミラーも動かず、砂漠化が進んで人も住まない。」
 波平さんの解説はこれだけ、必要最小限どころかそのコロニーが何処にあるのかという具体的情報すら欠けている。ならばと公式設定を調べてみるとテキサスコロニーはサイド5にあるコロニーのひとつ、サイド5は戦争初期の段階で壊滅したが、このコロニーだけは軍事的価値はなかったので唯一助かったとされている。テキサスコロニーは両軍共に非武装地帯とされているが、採光用ミラーが破損して内部はずっと夕方の状態であり、また周辺のコロニーが全て破壊されたせいか管理も行き届いていないため、内部の天候や水の循環も調整されず荒れるに任されているという場所だ。
 内部はアメリカのテキサス州のように岩山の荒野にサボテンが所々に生えているという光景である。「牧畜と観光」のために作られたと言うが、恐らくここはかなり本格的なテーマパークだったと考えられる。かつてのアメリカ西部での体験を出来ますみたいな感じで売り出していたのだろう。移民時には地球のアメリカ西部で実際に牧畜をやっていた人たちをここに集め、実際の農家として住んでもらいここにホームステイして農業体験ができるという企画が行われていたのだろう。そうやってこのコロニーに移住してきた農民達は格安の価格で農地を入手し、住まいを確保できたに違いない。
 もちろん日本で言えばマザー牧場や小岩井農場のような体験型の観光農場もあっただろうし、西部劇を映画で見るのではなくオープンセットみたいなところで生で見る事が出来るような施設もあっただろう。このような観光施設があることで人々の生活は活性化し、娯楽によって金が振りまかれてサイドの経済が成り立つのであろう。
 そのような観光事業と共に牧畜や農業による食糧生産もこのサイドの役割だったに違いない。もちろん各コロニーにも牧場はあろうが、このテキサスコロニーではこれを大規模に行うことでコロニーの自給自足に寄与するだけでなく、食糧の輸出によって経済的にも一役買っていたに違いない。つまりサイドが自立して経済活動を行うためになくてはならない施設なのだ。
 このようなコロニーは各サイドごとに複数あったと考えられる。テキサスコロニーはアメリカ西部を再現していたようだが、他にも南米を模した観光と大規模農場形コロニーとか、オーストラリア大陸を模した動物園と牧畜のコロニー、アフリカ大陸型のサファリパークコロニーとか、スイスを模したアルプスコロニーとかもあったんじゃないかな?と考えるとこれらの設定が面白くなってくる。

ジオン軍の宇宙要塞、ソロモンに地球連邦の主力艦隊が向かっているとの報せに、ソロモンは緊張する。ドズルは万が一に備え、妻子を待避カプセルに避難させ、ジオン本国に増援を要請するが色よい返事はない。ワッケイン隊と合流した「ホワイトベース」はソロモン基地攻略戦に参戦、主力艦隊による本攻撃の時間稼ぎを目的とした陽動作戦を行うべく、初めて地球連邦艦隊と行動を共にして戦うのだ。「ホワイトベース」はハヤト機が被弾する被害を受けるが、作戦は順調に進んでいた。
名台詞 「大丈夫だ、案ずるな。ミネバを頼む、強い子に育ててくれ。私は軍人だ、ザビ家の伝統を創る軍人だ。死にはせん。行け、ゼナ! ミネバとともに!」
(ドズル)
名台詞度
★★★★
 ジオン軍のソロモン防衛戦は戦力の不足もあって思うように進んでいなかった。ドズルはソロモンを攻撃してきた一隊が陽動であり、本隊が何処かにいるはずだと探していたが、発見したときには既に手遅れだった。この段階で地球連邦主力艦隊は最新兵器である「ソーラシステム」の展開を終えており、ソロモンへ向けて発射する寸前だったのだ。主力艦隊の迎撃に向かった艦ごと、ソロモン基地はこの「ソーラシステム」に焼かれてしまう。
 この状況に及んでドズルは妻子と基地にいた民間人の脱出を命ずる、何とか手を空けて脱出艇の元にやってきたドズルに、ドズルの妻であるゼナは「(戦局は)いけないのですか?」と繰り返す。ドズルは「ソロモンは堕ちはせん」「大丈夫だ」と繰り返しつつも、この台詞をゼナとまだ赤ん坊の娘ミネバに遺すのだ。
 ドズルは何よりも妻子が心配で、何よりも妻子を死なせたくないという気持ちがあることが強く描かれている。ドズルがこの戦争で最も気にしていることは、妻子の無事なのだ。これはあくまでも私人としてのドズルの本音、ドズルは夫であり父であると同時に、本人もこの台詞で語っているように軍人なのだ。しかもジオン軍を代表する軍人の一人である。だから彼はこんな本音を出してしまった以上は、生命を賭してこのソロモンを死守しなければならないという自分の役割にも忠実である必要があるのだ。
 彼が愛する者を守るために戦うという姿勢は、ランバ・ラルのそれに少し似ている。ランバ・ラルが戦う意義にハモンの生活向上という名目があったのを覚えているだろう。妻子のために戦うというのは彼が見いだした戦う意義の中で最も本音に近い部分であろう。
 「機動戦士ガンダム」の敵キャラクターが、またもこんな所帯じみた台詞を吐いたことで劇中の「戦争」のリアリティが増したのは事実だと思う。どんな戦士にも家族があり守るべき者がある、この台詞も「機動戦士ガンダム」のそんな一面を強く印象付ける台詞のひとつなのだ。
名場面 フラウとハヤト 名場面度
★★★
 ソロモン後略戦の戦闘中にハヤト機が被弾、ハヤトも負傷してソロモン上陸を前に「ホワイトベース」への帰還を余儀されなくなる。損傷度は「B」…恐らく小破といったところだろうが、敵の銃弾がコックピット部分を貫通したのか、ハヤトは出血を伴う大怪我で「ホワイトベース」の救護室に搬送される。救護室は既にこの戦いで負傷した兵で一杯だったが、ハヤトの看護をしたのはフラウであった。
 「来る、ドムが!」とうなされたことで目を覚ましたハヤトは、涙ながらに自分の現状について語り出す。「ホワイトベース」に乗り込んでからというもの、アムロだけでなくカイやセイラにも戦果の面で負けているという事実だ。その上肝心な時に被弾して…情けないと言うのだ。何とか励まそうとするフラウだが、上辺だけの慰めはやめてほしいと怒鳴り返し、アムロに勝ちたい勝ちたいと努力してきたがどうしても勝てなかったことを悔しがる。そこでフラウもやっと自分の心の奥底にあった言葉を絞り出す、「アムロは違うわ、あの人は私たちとは違うのよ」…その言葉にハヤトは涙を流す。
 ハヤトの本音、それにフラウの本音が絞り出されたシーンだ。ハヤトは肝心な時に被弾して戦線から脱落したという情けなさでもって、フラウはそんな自分に情けないと悔しがるハヤトを見て、二人が持っている共通の気持ちに気付いたのだ。「アムロが遠くへ行ってしまった」と。
 フラウとハヤトはアムロの幼なじみで近所に住むという設定だ、幼なじみと言っても劇中の描写(Tでのカマリアの回想シーン)からすればアムロがサイド7に移住してフラウやハヤトと知り合ったのはせいぜい10歳程度といったところだろうか? その頃はこの3人はなにをやるにも一緒だったのではないかと思う、遊ぶときも勉強するときも一緒、で成績も似たようなもので仲か良かった友達同士だったのだろう。
 その3人組の中で女の子一人というのが問題だ、女の子は一人の男の子に絞らざるを得なくなる。フラウは他人の面倒を見るのが好きで、ちゃんと世話をしないと見ちゃいられない男の子に引かれるタイプだ。だから彼女の心がアムロに惹かれたのは周囲から見れば当然と思うだろうが、これでハヤトが納得行くわけがない。ハヤトにとってフラウを自分の方に振り向かせるために、「ホワイトベース」に乗せられて戦場に放り込まれたことはチャンスだったはずだ。アムロが「ガンダム」を持ち出すと彼は「ガンタンク」「ガンキャノン」に乗り込む事で対抗し、アムロが自棄的になった時は自分も嫌だったはずだが名誉挽回を賭けてブライトの命令に従っていたのだと思う。彼が「ホワイトベース」乗り込みに賭けた思いと戦う正義は、好きな女の子を振り向かせるというものなのだ。
 ところが戦果ではアムロに圧倒的差を付けられてしまい、ここでアムロに対する敗北感が疼き出したところでこの負傷だ、これを情けないと言わずして何と言おう?と感じるハヤトの気持ちは理解できるだろう。そしてそのハヤトには手の届かないアムロの戦果によって、アムロという人物はもう自分達の友達ではなく別世界の人間のように感じられてくるようになったのだ。
 一方のフラウは、アムロが脱走騒ぎを起こした頃まではあまり「距離感」を感じていなかったようだ。せいぜいアムロがマチルダに惹かれたときに嫉妬した程度で、あとは戦果によって日に日にたくましくなるアムロを見守ってきた。ところが気付くと、彼女はアムロの世話をしなくなっていたのだ。アムロが戦死として覚醒し多くの戦果を挙げると同時に、アムロは人間的にも成長して近くの女の子の手を煩わさなくなっていたのだ。そしてアムロがマチルダやハモンという女性に惹かれたことで、彼女は「アムロにとって自分は友達であり女ではない」という事を思い知り、さらに「コアブースター」の登場でセイラが戦場へ出るようになると「アムロの相棒はセイラ」という状況で固まってしまった。アムロは戦場で手を組むわけではない「ただの通信士兼看護士」のフラウとは会話をする必要がなくなってしまうと、フラウに積極的に声を掛けなくなる。こうしてフラウはアムロに「置いて行かれた」と感じると同時に、アムロに対して距離感を感じるようになった。もうフラウにとってアムロは「気になる男の子」ではなくなっていた。
 そしてアムロに対する距離感を同じように持っていることに、二人は気付くのである。それを示すのがフラウの「あの人は違う」という台詞であり、その一言で状況を理解し納得するハヤトの態度である。そしてこの二人はこの会話をきっかけに急接近する、アムロに対しての距離感という同じ苦労をした者同士通じるところができたのだ。このシーンでハヤトが最後に流した涙は悔し涙ではなく、「もう元の3人には戻れない」という悲しみの涙だ。
 しかし、主人公アムロの彼女役として登場したフラウであったが、考えようによってはアムロは振られたことになる。これまでのロボットアニメで、主人公が彼女役の女の子に振られたというのは見たことがなく、「機動戦士ガンダム」はこういう意味でもセオリーをぶちこわしている。後続シリーズではハヤトとフラウが結婚するという設定になっているが、二人が「男女」として意識するきっかけは間違いなくこのシーンだろう。。
研究 ・ソーラシステム
 地球連邦のソロモン攻略作戦は二段構えの作戦になっていた。まずはワッケイン率いる第三艦隊で正面(サイド4方面)から攻撃を仕掛けるが、これは主力艦隊が準備を終えるまでの陽動である。ワッケイン艦隊が陽動作戦で時間を稼いでいる間に主力艦隊は側面(サイド1方面)で新兵器の稼働準備を行い、この新兵器「ソーラシステム」を使用してソロモンに大きな打撃を与える。こうしてソロモンの防衛力が鈍ったところで、陽動作戦に出ていたワッケイン艦隊のモビルスーツ部隊が上陸。敵を殲滅させるというもの。
 この攻撃の要は地球連邦の新兵器「ソーラシステム」である。原理も構造も至って簡単で、鏡によって太陽光を収束し、それにより発生した熱エネルギーで標的を焼くというもの。オリンピックの聖火に火を付けるアレを巨大化したものと考えればいいだろう。
 この兵器の長所は、太陽光のみをエネルギーとしているので燃料が不要であること、原理が簡単なのでハード側の故障がないこと、ミサイルや粒子砲と違い敵のレーダーに映らないので敵が反撃できないこと、開発期間が短い割に破壊能力が大きいこと、ミラーを適切に制御することによって短時間に広い範囲を破壊できること、ミラーの枚数だけで出力調整が利くので宇宙ならばどんな戦場でも使えることだろう。
 反面短所として、本体が「鏡」という破損しやすい物体であること、多くの鏡を輸送するため輸送艦を多く必要とすること、ミラーの展開に時間が掛かるため陽動部隊が必要となること、太陽光がエネルギー源なので太陽の位置によって攻撃範囲が限定されること、多くのミラーを同時に動かすため高度な制御システムが必要なこと、等であろう。
 この兵器はソロモン後略戦で初投入された、戦果は予想以上でソロモン基地のスペースゲートを破壊して基地内にある戦艦やモビルスーツ等の出入りを不可能にし、さらにミラーの角度を変えながら照射することによって、ソロモン基地施設の多くが焼かれてしまい、ソロモンのジオン兵は大混乱となる。結果ソロモン攻略戦において地球連邦の勝利に大きな影響を及ぼすのだ。
 鏡が何枚あるかは知らないが、前述したように多くの鏡を同時制御するという壮大なシステムには興味がある。劇中の描写を見ていると鏡は折りたたみ式で、拡げると収納時の4倍の大きさになることが分かる。鏡の四隅にはスラスターが付けられていて、制御システムからの司令によって鏡の向きを変えられるようになっている。制御システムは主力艦隊旗艦から操作できるようになっているのだろう、照準を入力するとコンピュータが自動的に全ての鏡の向きを計算し、入力された照射時刻になると自動的に鏡の向きを変えるのだと考えられる。さらに照射時以外はあらぬ被害が出ないように、太陽光を四散させるように鏡の向きを調整するのだろう。
 このシステムは宇宙だから使えるのだと思う。地球上ではこれだけ多くの鏡を宙に浮かせておく事は不可能だし、地面に並べたら空中しか攻撃できないことになるからだ。その上、あくまでも大きな相手が攻撃目標でないと効果が期待できず、戦艦やモビルスーツをピンポイントで狙い撃つことには向いていない。まさに対要塞兵器なのだ。

「ソーラシステム」の一撃によりソロモン攻防戦は地球連邦の圧倒的優位で戦局が進む。その中、ハヤト機に続きスレッガー機が被弾して「ホワイトベース」に帰還する。スレッガーの「コアブースター」は火災が発生していたがすぐに消し止められて応急修理が施される。その間、スレッガーは食事を取りながら修理完了を待っていた。
名台詞 「戦闘中の個人通話は厳禁だが、水くさいぞミライ。君のことを見守るぐらいのことは、この僕にだって出来るつもりだ。君の気持ちは分かっている、が僕はいつまでも待っているよ。」
(ブライト)
名台詞度
★★★★
 被弾して火を噴くスレッガー機を不安な表情を浮かべるミライ、その姿を見たブライトは代わりの操舵手をブリッジに呼ぶように指示を伝える。そしてノーマルスーツの通話装置のスイッチを入れてミライに声を掛ける、ミライも通話装置の電源を入れたところでブライトはミライに対してこう言うのだ。その後、ブリッジに上がってきた代用の操舵手に「ミライ少尉は具合が悪い」という名目でしばらくの間操舵を代わるよう命令し、ミライに自由な時間を与える。ミライは思わず振り返ってブライトの名を呼ぶが、ブライトは今のことがなかったかのように大声で戦闘指示を出し続ける。
 単刀直入に言えば、ここでブライトはやっとミライに自分の気持ちを伝えることが出来たのである。だがその時には既にミライの心はスレッガーの方へ大きく揺らいでおり、ブライトもそれがハッキリ分かっていたという状況であった。ブライトはどうやってミライの心を取り戻すか、ずっと考え続けていたのだろう。そしてスレッガーが被弾してミライが不安な表情を浮かべたときに彼は決心したのだ、「今こそ自分の気持ちを言おう」と。
 彼が取った道は他の男に気を引かれた女性の心を力ずくで引っ張り込むのでなく、その男に女性を奪われてしまうのをある程度覚悟した上で「見守る」というものだった。今の彼女にしてやれる精一杯のことは、彼女が気にしている男が無事であることを知らせて彼女の不安を取り除くことである。そのためにブライトは自分の立場を最大限に活用し、ミライと二人だけで会話できるシステムを用いて、ミライに気持ちを伝えると共に自由時間をやったと言うわけである。そこまでした上でブライトの決め台詞が「待っているよ」である、彼はミライの気持ちがまた自分のところへ戻ってくるのを、今は黙って待つしかないという事を誰よりも理解していて、それを正直にミライに伝えたのだ。
 私にとってブライトの台詞の中でもっとも印象に残っているのはこの台詞だ。ここまで軍規の固まりみたいだった男が、やはりこのような行為に出てしまうと言う若さ。何よりもこの台詞にはその「若さ」を含めたブライトの人柄が滲み出ているように感じる。戦闘とは違い恋愛ではいつも後手に回ってしまい、気持ちを言い出せないうちに好きな女性が他の男になびいてしまったという不器用さ。それにもしこの台詞のように「待ち続けた」結果、本当にミライがスレッガーのものになってしまう覚悟までしている不器用さ。彼の不器用さが全部ここに出ているのだ。ブライトの声優は故・鈴置洋孝さん、この役者さんはブライトとは逆で軟派だったという逸話が数多く残っているとのこと。私にとってこの人は真っ先にブライト役を思い出す人、他には日向小次郎や「逆転イッパツマン」のナレーターで覚えている人だ。
(次点)「俺は少尉の行為を受けられるような男じゃないんだ、俺にとっちゃ…少尉は眩しすぎるんだ。世界が違うんだな。」(スレッガー)
…名場面欄参照、ミライに気持ちを告げられたスレッガーの返事はこうなのだが…ちゃっかしキスまでしちゃってるあたりは、この男がカッコイイから可能なことだろう。名台詞欄に挙げたブライトの台詞と、どっちにするかかなり悩んだ。
名場面 ミライとスレッガー 名場面度
★★★★★
 乗機が被弾したため着艦して整備兵が応急修理している間、スレッガーはデッキにある待機ボックスで食事(ハンバーガー)をしていた。ふと待機ボックスの扉が開く、そこに現れたのはブリッジにいるはずのミライだった。「中尉、怪我は無いようね」と声を掛けるミライに、スレッガーはいつものように「どうしたんです? こんなところに」と素っ気なく返事する。だがその素っ気ない返事をしながら振り返って見たミライの目には涙が浮かんでいるのにスレッガーは気付いて驚いて言う、「少尉、やめましょうや。迂闊だぜ」…この台詞がカッコイイんだ、私にはない男のカッコよさなんだ。
 同時にスレッガー機の修理が終わったアナウンスが流れ、スレッガーは「それじゃな」と言い残して待機ボックスから出て行く。ミライはその背中を呼び止め一言言う、「死なないで下さい」…これには流石にスレッガーも真剣な表情に変わる、と思いきや今度は頭をかきながら「若いときは色々あるが、今の気持ちを本気にしない方がいい」と言う(これもカッコイイ)。ミライが「どういうことでしょうか?」と聞くとスレッガーは名台詞時点欄の台詞を言う。そして彼はポケットから指輪を出す、母の形見で宇宙で無くしたら大変だから預かっていて欲しいと、この指輪をミライに託す。
 スレッガーが笑顔になって「すまない」と言うと(これまたかっこいいんだ)、「ホワイトベース」が被弾したようで大きく揺れる。揺れたショックで二人の身体は投げ出され、壁にぶつかったスレッガーにミライが抱き付くような状況となる。その姿勢のまま二人の視線が合ったかと思うとミライはそっと目を閉じる、そして二人はそのままそっと唇を合わせる。「指輪を頼む」と行って乗機へ向かうスレッガー、その背中を見送ったあと指輪を見つめるミライ。
 このミライとスレッガーのシーンは「機動戦士ガンダム」だけでなく、この時代のアニメにおけるラブシーンの中でもっとも印象に残ったものである。最初はお調子者で「ホワイトベース」の女性陣に好まれていなかったスレッガーが、ミライに惚れられるというどんでん返し的な設定もある。そのミライが主役艦の艦長であるブライトとの恋仲が成立し掛かった段階でのこの展開という意外性もある。でも何よりもこのシーンの魅力は、ロボットアニメだからと子供に媚びず、きっちりと「大人の恋愛」を描いて見せたこと。それにミライの「日本人女性的」な美しさと、スレッガーのカッコよさというビジュアル的な面での対比もある。ミライが最近のアニメにありがちなピンク色の髪の毛とかだったら、このシーンはここまで印象的なシーンに仕上がらなかっただろう。
 ミライは相手が艦の外で生命を賭けているという状況、それに死に直前の状況をなんとか避けて帰って来たという状況に置かれて、スレッガーに自分の気持ちをハッキリと伝える。いや、伝える気がなくても身体の中から溢れて出てきてしまったというのが正解なのかも知れない。それに対してスレッガーは「意外な展開」に驚き、彼も自分とミライをしっかり対比させて「自分には合わない」と告げる。だがそう言いつつもミライの唇をしっかり奪っているあたりが、これまたスレッガーのカッコイイところだ。そしてスレッガーはミライへの気持ち伝える代わりに、自分が生命と同じ位大事にしている指輪を託す。この指輪、私は「本当におふくろさんの形見なの?」と疑っているが。どう疑っているかは言うまでもない、あんなカッコイイ男なんだから。
 そしてこのシーン、おやくそくの「死亡フラグ」であることも言うまでもないだろう。この戦況下で女性から告白されて出撃して行く…これを死亡フラグと言わずして何と言えばいいんだと思う。テレビアニメ版の再放送で初めてこのシーンを見た時、「ああ、スレッガー死んじゃうんだな」とすぐ分かってしまった。
 前述したことだが、日本のロボットアニメで「大人の恋愛」がしっかり描かれたのは初めてじゃないかと思う。ここで「機動戦士ガンダム」はロボットアニメは小さな子供のものという概念を根底から破壊したと言っていいだろう。こんな事やってりゃ小さな子供向けの超合金玩具が売れないわけだ。
研究 ・(次回にまとめます…テーマは「ソロモン要塞について」の予定)
 

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