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…スレッガーが戦列に戻ると、アムロとスレッガーの前にドズル自らが乗り組む巨大モビルアーマー「ビグザム」が立ちふさがる。ビーム攻撃を受け付けない巨大な相手に、アムロとスレッガーが果敢に挑む。
名台詞 「悲しいけど、これ戦争なのよね!」
(スレッガー)
名台詞度
★★★★
 陥落直前のソロモン基地の前に立ちはだかったのは巨大モビルアーマー「ビグザム」、巨大な機体とそれに取り付けられた多数のビーム砲門だけではなく、ビーム(もしくは粒子砲)を跳ね返すという無敵の兵器であった。その圧倒的な戦力を見せられたスレッガーだが、彼は即座に「ビグザム」の弱点を見つける。アムロの「ガンダム」を護衛につかせ、スレッガーはその弱点である「下方からの接近戦」を試みる。その時に彼が「コアブースター」のコックピットで一人こう叫ぶ。
 そうこの攻撃は生還が殆ど期待できないのだ。接近すれば「ビグザム」は何らかの対抗手段を取るのは確かだし、何よりもこの攻撃で「ビグザム」が即座に爆発するようなことがあれば確実に巻き込まれる。それ以前に極端な接近戦を行うのだから、「コアブースター」のような高速戦闘機で攻撃を掛ければ敵機に激突するのは避けられないだろう。だがやるしかないのだ、彼は自分の故郷を守るために、「ホワイトベース」の仲間達や友軍のために、そしてつい先ほど自分に好意があると告白した女性を守るためにも、例え生命を落とすことになってもやるしかないのだ。「悲しいけど」というのはそう言う意味だ。
 この台詞は視聴者にも、この物語がこれまでのロボットアニメと違うという事を明確に示したと思う。この物語は主役機「ガンダム」が格好良ければいいという物語ではなく、ガチで戦争を描いたものだと言うことを示したのだ。その登場人物が自分達の任務の遂行と、愛する者達を守るために生命を賭して戦う「悲しみ」というのが、これまでに幾度となく描かれている。このシーンでは次に生命を落とすことになるスレッガーが、視聴者にこれを強く訴える役割もあるだろう。
 この台詞、「機動戦士ガンダム」においてスレッガーが言うから格好良く決まったのである。同じ台詞を他の人が言っても決まらなかっただろう。ガルマは「謀ったなシャア」だし、ランバ・ラルは「戦いに敗れると言うことは…」だし、ドズルは名台詞欄次点の通りだし…それぞれにその人が言うからこそ決まるという最期の言葉がある。このスレッガーの最期の決め台詞は、そんな中でも最も印象に残っている言葉だ。
(次点)「たかが一機のモビルスーツに、このビグザムがやらせるか! やらせはせんぞ、貴様ごときモビルスーツに、ジオンの栄光やらせはせん。この俺がいる限りは、やらせはせんぞ!」(ドズル)
…名場面欄参照だが、今回も名台詞を選ぶのにかなり悩んだ。
名場面 スレッガー散る…ビグザム撃破 名場面度
★★★★
 名台詞欄を受けて「ビグザム」に接近戦をするべく突進して行くスレッガー機、これに気付いた「ビグザム」を護衛する「リックドム」や「ザク」が反撃をするが、スレッガーはこれを上手く交わす。ドズルは「ビグザム」の下方から接近するスレッガー機の存在に気付き、下方への対空防御として足の爪をミサイルとして飛ばす。スレッガー機は機首にこの「爪」を左右から食らって大破、それでもスレッガーは「まだまだ〜ツ!」と叫んで突進をやめない。スレッガー機は「ビグザム」の股下に入り込む形となり、「ビグザム」本体と激突して大爆発して「ビグザム」の動力部を破壊する。スレッガーの身体は機外に放り出されたかと思うと、爆発に巻き込まれる。
 これを見ていたアムロは「やったなーっ!」と叫んで本能だけで「ビグザム」に攻撃を仕掛ける、残りの「爪」で「ガンダム」のビームライフルが破壊されるが、「ガンダム」はビームサーベルで「ビグザム」を斬りつける。「ビグザム」は動けなくなるがなおドズルは銃を持って機外へ出る、そして名台詞次点の台詞を叫びながら「ガンダム」に向かって銃を乱射する。アムロはその姿の背後に「悪魔」を見る。これも束の間、遂に「ビグザム」は大爆発を起こす。
 男と男の戦い、戦って散った二人はどういう相手と戦って生命を落としたのか知るはずもない。だがスレッガーとドズルはお互いの守るべきもののために全てを賭けて戦い、結果としては差し違えることになった。
 スレッガーについては名台詞欄で書いた通りだ。彼はその思いでもって迷うことなく「ビグザム」に突っ込み、結果「ビグザム」の動力部を破壊して対ビーム防御システムを停止させる。これにより「ガンダム」のビームサーベルによる攻撃が有効となって「ビグザム」は撃破されることになり、それはこのソロモン攻略戦にとって最後の脅威を取り除いただけでなく、ソロモン基地の最高司令官を討ったことで作戦を成功と終了に導くものとなった。しかし「ホワイトベース」はスレッガーという優秀な戦闘員を失い、スレッガー戦死の報せを聞いたブライトは頭を抱えて悲しみ、ミライは無重力空間をさまよいながら号泣する。これはリュウに続いて2人目の「ホワイトベース」主要乗員の戦死であった。
 ドズルが守っていたのはソロモンという基地だけではない。ソロモン陥落はジオン公国の国防圏の一端が崩壊することを意味し、戦争を優位に進めることが困難になるという事実を、ドズルはザビ家の他の誰よりも理解していたのだろう。つまりこの戦いにはジオン公国の存亡がかかっているという認識で戦いに臨んでいるのだ。だから名台詞次点にある通りの台詞が出てくる。そしてそのドズルの気迫は鬼気迫るものがあり、機外へ出て銃を乱射するという無茶な光景はアムロに「悪魔」の幻影を見せるだけの説得力がある。ドズルは例え「ビグザム」を失っても、身体ひとつで「ガンダム」に体当たりして散る覚悟があったはずだ。彼はそれこそ「悪魔」にでも取り憑かれたかのように、死の瞬間まで「ジオンを守る」ための戦いを続けるのだ。
 この二人を対比させることで、戦争の悲しさと怖さというものを描いていると思う。愛する者を守るために自らが犠牲になる道を選ぶしかできなかったスレッガー、国を守るために妻子を先に逃がす「優しさ」を封印して自らを「悪魔」にして戦ったドズル。この二人の姿は戦争の影の部分、カッコイイ戦いのシーンの裏にある悲しい部分として、このシーンを見た子供達の心に残ったことだろう。
研究 ・ソロモン基地
 ジオン軍の宇宙基地ソロモンがここまでの戦いの部隊である。ソロモンはかつてサイド1(この戦争で壊滅)があった宙域に存在する宇宙要塞で、地球圏外から小惑星を牽引して地球軌道に乗せることで設置されたという設定だ。ジオン軍はここにドズル・ザビ中将率いる宇宙攻撃隊の根拠地とし、また今戦争においてはジオン本国であるサイド3を守るための最初の砦としての機能を果たしていた。物語が進行すると登場するもう一つの宇宙要塞「ア・バオア・クー」と月面基地「グラナダ」とでジオン本国の防衛線の成しており、地球連邦がジオン本国を攻撃するならば最初の障壁であり、かつジオン公国にとってはこの基地を失うことは防衛戦が後退してジオン本国攻撃の脅威が高まる事を意味している。
 つまりこのソロモン死守ははジオン公国にとって絶対的なものであった。ソロモンが陥落すればア・バオア・クーとグラナダという防衛戦が残るにしても、この防衛線を哨戒するために多くの戦力を割くことになってしまう。つまり敵に「ジオン本国強襲」という選択肢を与えることになるのだ。
 この基地の役割は、大戦初期のジオン側が優勢だった時代は最前線基地として機能していたことだろう。ジオン本国から出撃したジオン軍は、ここで艦隊をまとめて最後の補給を受けて戦場へと出向く。作戦終了後もここに艦隊が集められるといった具合だ。戦前には地球連邦を牽制する役割があったと思われ、基地そのものも攻撃の際の中継基地的な役割が考えられていたのだと思う。
 大戦中期頃、つまり劇中で描かれている時代においても積極的な戦線拡大はなかったがこの基地は同じような理由で存在していたと考えられる。地球連邦がジオン本国に攻め込む際には、地球連邦はこの基地が「欲しい」と思ったのは間違いないだろう。ジオン本国攻撃にはア・バオア・クーかグラナダのジオン軍と一大決戦をすることは避けられず、その際にはどうしても近傍に拠点が必要となってくるはずだし、ジオン本国に戦線が達した場合もこの基地はジオン本国に近い拠点として活躍するのは間違いない。つまり地球連邦のソロモン攻略戦はこの基地にあるジオン軍の脅威を排除することも目的だったが、同時にこの基地を使える形で手に入れるという目的もあったのだ。現に劇中でも地球連邦が占拠したソロモンに、地球連邦のレビル将軍が着任する場面が描かれている。この作戦後はソロモンは「コンペイトウ」と名を改めて地球連邦の宇宙拠点になるのだ。

…ソロモン基地が陥落してもジオンはまだ敗北を認めない。ギレンが次なる新兵器「ソーラ・レイ」を用いた作戦の承認をデギンから得ようとしていたのだ。一方戦場では、連邦のコンペイトウ宇宙要塞(先の戦いで連邦が占領したソロモンのこと)で一部の兵士や高官が頭痛を訴えたかと思うと、戦艦やモビルスーツが次々と謎の爆発を起こすという事件が起きていた。この原因を探るため「ガンダム」が出撃すると、その現象は収まったのだが…これこそララァによる攻撃の戦果であった。それと平行して「ホワイトベース」ではセイラがブライトに自分の正体を打ち明け、ジオンではシャアがキシリアに正体を見抜かれる。
名台詞 「せっかく減った人口です、これ以上増やさずに優良な人種だけを残します。人類の永遠の存続のために、地球圏を汚さぬためにです。そのコントロールには、船頭は少ない方がよろしいかと。」
(ギレン)
名台詞度
★★★
 なぜジオン公国が戦争を仕掛け、そして国防圏が破綻しても戦争続行にしがみつくよりどころは何なのか? これをギレンが語ってくれるのがこの台詞だ。ギレン総統は「ソーラ・レイ」を使用した連邦艦隊殲滅作戦の承認を得るため、デギン公王の元を訪れて作戦の説明を行う。デギンは国民の多くに立ち退きを強いる作戦の遂行は軍人としてあるまじき行為であるとギレンを批判し、その上で連邦に勝ってどうするのかをギレンに問う。その返答がこの台詞だ。
 この台詞によれば、ジオンが戦争を起こした真の目的は地球連邦からの完全な独立ではなく(当初はどうだったのかは置いておいて)、地球連邦をも支配下に置いて自分の思い通りに人類をコントロールしようという点に行き着く。その背景には戦前は人類が増えすぎて多大な苦労をしていたという事実が潜んでおり、同じ苦労をしないためにはどうするかという問題があって…そしてこの台詞はその問題に対するギレンなりの答えなのだ。そのために彼は民主主義を廃し、誰かが人類の先頭に立ってその数をコントロールしなきゃならないという恐ろしい思想の持ち主なのだ。どっかの半島の北側にある国よりも質が悪いかも知れないぞ。
 この台詞を聞いたデギンは、ギレンを「ヒトラーの尻尾」と評する。ヒトラーについて語ると長くなるのでやめておくが、優良人種とそうでない人種を分けて人類をコントロールしようという思想がヒトラーのそれにダブって見えたと言うことだろう。だがデギンに言わせれば息子はヒトラーになりきれていない、だから「尻尾」でしかないのである。それを聞いたギレンは地球連邦が行った民主主義を批判し、「ヒトラーの尻尾の戦いぶりをご覧下さい」と捨て台詞を吐いて立ち去る。
 またこの台詞にもロボットアニメとして革命的な点があることも付け加えておこう。この戦いの背景に社会情勢やイデオロギーといったものを取り入れていることである。「ヤマト」のガミラスは止むに止まれず地球を襲ったという点があってデスラーの持つ主義主張というものは描かれなかった、「ガンダム」では国家体制や国家主導者の主義主張が戦争遂行に密接に絡んでいることを描き、さらにリアルな世界となったのである。
(次点)「ドズル閣下から左遷されてキシリア様から呼ばれたときに、いつかこのような時が来るとは思っておりましたが、いざとなると怖いものです。手の震えが止まりません。」(シャア)
…下記名場面欄でキシリアがシャアの正体を知っていたという事実が判明したときに、シャアが言った台詞だが。私はこれはシャアのお芝居だと解釈している。シャアはとっくの昔にキシリアが正体を見抜いていることに、気が付いていたと思う。
名場面 シャアとキシリア 名場面度
★★★
 キシリアはシャアが乗艦を訪れると、すぐに私室に来るように命じる。その命に従ってやってきたシャアは立ってキシリアの話を聞いていたが、キシリアは座るように勧める。シャアが椅子に腰掛けてマスクを取ると、「やはりな、言われてみれば父上の面影がある」とシャアに告げる。シャアが名台詞次点欄のように返すと、キシリアはシャアの正体を知って笑ったと言う。彼女は幼い日のキャスバルとよく遊んだと告白し、その上でシャアの動きが怪しいので調べてみたこと、そして正体がかつて一緒に遊んだ小さな子供と同一人物と思ったら腹が立つよりおかしいと言う。
 そしてキシリアは問う、ザビ家打倒を諦めて何を考えているのか、キャスバルとしてではなくシャアとしての野望は何なのかを。シャアはガルマに対しての復讐で空しくなったとした上で、父の言うようにニュータイプによる時代の変革があるならば見てみたいというのが自分の野心だとキッパリ語る。これを聞いたキシリアは「ギレン総帥を好かぬ、それだけは覚えていておくれ」とシャアに本心を語る、シャアが「新しき時代のために」と立ち上がるとキシリアは「政治は難しいのだ」と捨て台詞で決める。
 このやり取りを子供の時に見たときは、なんだか難しくてよく分からないやりとりだった(名台詞欄のもそうだが)。シャアの正体がキシリアにバレただけ、と感じていた。
 だが今見直してみるともうこう言うしかない、「やーい、キシリアさん引っかかった〜」と。シャアは何もかもお見通しだったのだろう、キシリアが自分の正体を見抜いていたこと、キシリアにどう言えば「ザビ家打倒はやめた」というハッタリを信用してもらえるかということ。そのためにはシャアは手が震えている演技までして見せている。そしてここでさりげなく重要な事実がシャアにとって明らかになっている、シャアの父であるジオンを暗殺したのは間違いなくデギンであるという事実だ。それを示唆する言葉を実はキシリアがさらっと言ってしまっているのである。
 つまり、やはりキシリアは「坊や」であったガルマの姉で「お嬢様」なのだ。確かにドズルよりは勘が鋭く、物事の本質を見抜き、世の中を渡って行くのは上手いだろう。ドズルはその不器用さ故にソロモンで散ったという見方も出来るし、かつドズルはシャアの正体を見抜くことすら出来なかった。それでもキシリアはやはり「詰めが甘い」のだ、シャアがキシリアに正体を見抜かれて怖がっているという芝居に騙され、シャアの野望からザビ家殲滅が消えていると判断してしまう。その判断をしてしまったら突然に警戒感を無くしてしまい、言ってはならない自分の本心…つまりキシリアがギレンを好いていないという「ザビ家に亀裂が入っている事実」を語ってしまうのだ。その事実はザビ家打倒を狙う者にとって、有利な情報に他ならないのに。
 だがこの後、シャアはザビ家打倒という目的を一時的に見失うことになるのは皮肉な事だ。さらに物語が進むと、キシリアやドズルだけでなく、ギレンも甘ちゃんだったと言うことが芋づる式に分かってくるからこの物語は面白い。
研究 ・ジオン公国
 「密閉型コロニー四十数機を持って形成されたジオン公国。総人口は1億5千万を数え、今次大戦における損害が最も少ないサイドとも言える。」
 波平さんがジオン公国についてこう解説する。ジオン公国は地球から見て月の裏側に当たるサイド3が地球連邦から独立して出来た国家だ。スペースコロニーについては前に考察しているが、ここで出てきた「密閉型コロニー」というのは他のコロニーとちょっと違う。以前解説したコロニーでは、円筒のうちの半分は採光窓となっていて使える土地も円筒の内壁のうち半分だけだ。だがサイド3のコロニーはさらなる人口の増加に備え、採光窓の部分も土地として使えるように改造したコロニーである。つまりコロニー内壁の600平方キロメートルを丸々大地として使うことができ、山岳や森林など居住以外のスペースに他のコロニーと同じ位の面積を取ったとしても、それでも1コロニー辺り倍の人口を受け入れることが可能になる。従って1コロニー辺りの人口は600〜900万人となり、サイド3のコロニー数が40機としても最低で2億4千万人の人口を受け入れることが出来るのだ。この数値のズレは、サイド3には軍需産業を中心とした工業地帯が多いという解釈を取れば説明は付くだろう。またこれほど余裕があるから「ソーラ・レイ」を作る際にコロニー丸々1個分の住民に立ち退きを強いても対応することが可能だったのだ。
 採光窓が無くなったからには代わりの手段で太陽光を導入しなければならない。そのためサイド3のコロニーの周囲には巨大な太陽電池パネルが多数浮いていて、これで発電した電力によって巨大な照明設備を稼働させているようだ。また水も多く必要になるはずだが、それはどうなっているのだろう? それに円筒の真ん中は巨大照明設備のわけだから雲を作る事は出来ず、雨を降らせることが出来ないような気がするのだが…。
 今回見えてくるのはサイド3の事だけでなく、ジオン公国の政情についても見えてくる。主権はデギン公王が持っているようだが、実権はギレン総帥が握っているのみならず、事実上はギレンの独裁政治という状況のようだ。一応議会があって「首相」もいるので選挙制度によって国会議員が選任され、そこから国民の代表として首相が選ばれてはいるようだ。だが議会の決議は総帥の承認を得ないと実行されないように憲法で決まっていると考えられ、システム的に総帥が国を思うように操れるような機構になっているのだろう(劇中に首相が「我々は傀儡だ」と言うシーンもある)。このように表向きだけ民主主義というかたちになっているのは、連邦からの独立に当たって「選挙制度による議会民主主義」制度を採ることが条件とされたのだと考えられる。
 だが首相というのは対外的には国家の代表として認められており、劇中では首相が外交ルートを通じて地球連邦と和平を結ぶルートを開こうとしている設定になっている。これは中立を宣言しているサイド6経由の外交ルート以外には考えられず、なかなかルートが開かないのはサイド6にもたらす利権で揉めていると考えられる。それに業を煮やしたデギンは軍事ルートで和平を結ぶべく、地球連邦艦隊と接触して司令官であるレビル将軍と休戦条約を結ぼうと画策したと考えられる。首相というのは実態として外務大臣みたいな扱いなのかも知れない。

…ソロモンでの戦いに続く作戦が発令される。「ホワイトベース」は次の作戦へ向けて地球連邦艦隊と共に次の戦場へと急ぐが、そこへキシリア率いる艦隊に襲われる。キシリアの下には「赤い彗星」のシャアと、「ニュータイプ部隊」としてララァの姿があった。
名台詞 「今の私には、ガンダムは倒せん。ララァ、私を導いてくれ。」
(シャア)
名台詞度
★★★
 「ガンダム」との交戦で自機である「ゲルググ」が右腕を失い、さらにもっと痛いことにララァをこの戦いで失ってしまった。その帰り道、「ゲルググ」のコックピットの中でシャアはこう呟き、涙を流す。
 シャアにとってこの戦いは辛いことばかりであったに違いない。彼がモビルスーツに乗っていて腕を一本失うような損傷を初めて経験しただろうし、それどころが「ガンダム」に撃破される寸前であった。ララァが身を挺してシャアを守らなければ、「ゲルググ」は間違いなく撃墜されシャアもこの世から姿を消していたはずだ。「ガンダム」のパイロットの成長が自分を遙かに上回っている悔しさ…シャアはまずこれを痛感していたに違いない。この戦いでシャアが乗っていた最新型モビルスーツ「ゲルググ」は「ガンダム」に匹敵する武装と装甲を持ち合わせているはずなのに、シャアはこの戦いに明らかに負けたのだ。その負けて帰る辛さをシャアは初めて経験したに違いない。
 それに加えてのララァを失ったショックだ。シャアはテキサスコロニーで「ララァの才能のみを愛している」と明言したが、これには間違いはない。シャアはどんどん強くなる「ガンダム」に勝つにはララァの才能は絶対に必要だと思っていたのだ。一度も勝ったことのない相手(負け事もない…つまりこれまでは互角で引き分けだったと言うこと)に挑んで自分のプライドを誇示するために、ララァは必要な存在だった。だがそれだけではない、シャアはララァに対して「部下」以上の親愛の情を持っていたし、出撃前には口づけを交わすにまでなっていたのだ。
 だがそのララァが戦死し、天国へ旅立って行くというときにシャアが悲しみの中でララァに向けて言った言葉が、やはり彼女を拾った理由である「ガンダムを倒す」という目的についてだったことは実に興味深い。最後にシャアはララァの何が必要だったかと言えば、その才能が一番だったのである。と同時に涙を流すという行為でもって、「それだけではない」と示すことを忘れない辺りが彼のララァへの愛情だったのだろう。
 いずれにしてもシャアの初めての敗北、ララァを失ったシャアの反応、シャアの初めての涙、という点で印象に残った台詞だ。
名場面 アムロとララァの戦い 名場面度
★★★★
 「ホワイトベース」を含む地球連邦艦隊にキシリア麾下の艦隊が攻撃を掛ける。このキシリア艦隊の目玉は「赤い彗星」と、そのシャアが率いる「ニュータイプ部隊」。敵艦隊殲滅を目的に出撃した「ガンダム」のアムロは、これまでにない攻撃方法に最初は狼狽える。だが「ニュータイプ」が乗り込む通称「とんがり帽子」(ララァ専用モビルアーマー)の仕業だと直感し、そのモビルアーマーの無線操縦砲台を次々に撃破し始める。やがて無線操縦砲台に引き続き、モビルアーマー本体が出てきて交戦となるのだが…その時にアムロの脳裏にサイド6でララァと見た鳥の姿がよみがえる。そう、「ニュータイプ部隊」としてアムロに立ちふさがる相手はララァだったのだ。
 ララァは相手がアムロだと分かっても手を緩めず、「ガンダム」のビームライフルを破壊する。ララァはアムロに向かって言う、「あなたを倒さねばシャアが死ぬ」「あなたが来るのが遅すぎた」と。その上でララァは「あなたには愛する人も守るべきものもないのに何故戦うのか?」とあアムロを批判、「守るべき者がなくては戦ってはならないのか?」とアムロが問えば「私を救ってくれた人のために戦っている」とララァは返す。その上でアムロが「何故僕たちはこうして出会ったのか?」と問えば「なぜあなたは遅れて来たの?」と問い返すララァ、そして二人はこの二人の出会いについて語る。ララァとにっては遅すぎて、アムロにとっては突然すぎる出会いについてを…。この二人の会話はニュータイプ同士によるテレパシーのようなものだ。
 ララァと共に戦場に来ていたシャアがこの異変に気付く、同時にセイラやミライもこれに気付いてアムロの名を呼ぶ。シャアはララァに向かって「奴との戯れ言はやめろ」と怒鳴ると、アムロがシャアの接近に気付いて正気に戻る。こうして「ガンダム」とシャア専用「ゲルググ」の一騎打ちが始まる、これに呼応して「ガンダム」の援護に入るセイラ。だがシャアが最新型のモビルスーツに乗っているとは言え、この戦いは完全にアムロの方が押している。シャアはそこへ割り込んできたセイラの「コアブースター」の翼をサーベルで切断、続いて再度接近したセイラ機にとどめの一撃となるサーベルを振り落とす。その刹那ララァが「大佐いけません!」と叫ぶ。その声に反応してサーベルを止めたシャアは、敵機のコックピットに妹が乗っているのを認める。
 だがここに一瞬の隙が生じる。アムロがその隙を見逃すはずが無く、シャアの「ゲルググ」にビームサーベルを振り落とす。この攻撃で「ゲルググ」は右腕を切り落とされ、さらに「ガンダム」がシャアにとどめを刺すべくビームサーベルを突き刺す、だが「ガンダム」と「ゲルググ」の間にララァ機が割り込んで来る、ララァの「シャアを守りたい」というその思いだけで…。「ガンダム」のビームサーベルはララァ機に突き刺さる、アムロとシャアがララァを呼ぶ叫び声が飛び交い、アムロはビームサーベルを引き抜こうと必死になる。そしてララァがアムロの精神の中で「時が見える…」と言い残すと、ララァ機は光に包まれて大爆発を起こす。アムロは「僕は取り返しの付かないことをしてしまった…」と涙を流しながら、シャアは名台詞欄の台詞を吐きながらそれぞれ帰投する。
 文章で説明するだけでこんなに長いが、これでもかなり端折っていて実際にはアムロのララァの精神交流を描くイメージシーンが数多く挿入されているのでさらに複雑なシーンである。とにかくサイド6で束の間の出会いをし、その出会いで「何かの予感」をしっかり感じ取った二人が戦場で敵同士として再会する。その上二人はニュータイプとしての才能があり、激しく精神交流をしてしまうのだ。二人は激しく戦いながらも出会った意味を考え、これをどう未来へ繋げるかを考えなければならないとする。だがここは戦場で、非情なことに強い者が勝ち弱い者が葬り去られる現場だ。アムロとララァは戦っているようで戦っておらず、アムロはシャアが割って入ってきたことで戦いに目覚める、そしてシャアの「ゲルググ」を撃破する寸前まで追い込むが、シャアへの愛に目覚めたララァが身を挺してシャアを守るという皮肉な結果となる。
 その間に描かれたセイラが割り込むシーンも重要だ。もしララァが止めていなければシャアは間違いなくセイラの「コアブースター」を撃墜したに違いない。戦争が終わればシャアは兄としてアルテイシアを探すであろう、そこで知った情報が「赤いモビルスーツに撃破され戦死した」であったら…シャアにはララァを失う以上の苦悩が待っていただろう。もちろんララァが止めたのはララァはその能力によって、その機を撃墜させればシャアが苦しむということを予感できたからに違いない。こうしてこの戦いで、シャアは二度もララァに救われたことになるのだ。
 この戦いでのララァの戦死は、アムロとシャアに暗い影を落とす。もちろんこの「めぐりあい宇宙編」のラストまで影響を引きずるし、それだけではなく後続の「ガンダム」シリーズでもララァを失ったことで苦しみ続けるアムロとシャアが描かれているという。アムロは自分と気持ちを分かち合える人物を自らの手で殺してしまったという事に苦しみ、シャアは自分の欲のためにララァを戦いに巻き込んで殺してしまったと苦しんだに違いない。
 そしてこの戦いこそが、「めぐりあい宇宙編」というタイトルを象徴するシーンだ。
研究 ・ララァ専用モビルアーマー
 この戦いでジオン側で初めて実戦投入された機種が、シャアが乗るシャア専用「ゲルググ」とララァが乗るモビルアーマーである。「ゲルググ」は大戦末期にジオンが開発したモビルスーツで、ビームライフルやビームサーベルを実装するなどの装備面や、装甲などの防御面、飛行などの性能面でやっと「ガンダム」に匹敵するモビルスーツになったと設定されている。
 ここで考えたいのは後者、ララァが乗り込むモビルアーマーである。劇場版では「ホワイトベース」乗員が「とんがり帽子」「チューリップ」という通称を付けているが、ジオン側は誰も機種名を呼ばないので機種名は無いことになっているようだ。ちなみにテレビアニメ版では「エルメス」という名称が付いているが、恐らく海外輸出を前提にした劇場版では一流ブランドとの知的財産権の問題を回避するために「エルメス」という名称を避けたのだろう。ちなみにこの問題によってプラモデルに「エルメス」という名を付けられず、「ララァ専用モビルアーマー」という商品名になったのは有名な話(ブランドの「エルメス」は玩具分野にも商標を登録しているため)。
 ちなみにモビルアーマーというのは、脚を排除して移動性を高めたモビルスーツと考えればいいだろう。ララァ機の場合はどちらかというと戦闘機然としているが。
 このモビルアーマー、巨大な機体に正面に機銃がふたつというシンプルなデザインをしている。だが武装はこれだけでなく、その巨大な機体には多くの無線操縦によるビーム砲台を積載している。戦場に着くとこの砲台を放出し、遠隔操作によって同時多発的な攻撃を仕掛けられるというものだ。砲台にはビーム砲がそれぞれ1機ずつと、推進のためのスラスターが各方向に取り付けられている。
 そしてこの機体は「ニュータイプ」専用に開発されたと設定されている。「ガンダム」劇中の「ニュータイプ」というものは物語を最後まで見てもよく分からないのだが、先読み能力に優れているというような人のことではないかと推測する。つまり「ニュータイプ」による先読み能力によって砲台の位置をコンピュータが的確に判断し、自動的に遠隔操作をしているのだろう。コックピットには操縦者の脳波などを読み取ることでどのような「予測」をしているかが読み出せる仕組みになっていて、これが砲台制御用のコンピュータに繋がっているのだろう。つまり乗っているララァの役割は機体の操縦と、敵がどう動くかを読むだけ。あとは必要に応じて機体正面の機銃を撃つ程度のことだろう。あんな砲台を人の手で遠隔操作させたら、絶対に自分で自分を討っちゃうから、あのモビルアーマーのシステムはこうでないかとずっと考えてた。
 こんなんだから相手が同じ能力を持っていれば役に立たないだろう。ララァの先読みをコンピュータが読み取り、判断して位置を制御している間にアムロが次の先読みをしてしまうのだから。つまりララァを倒せる人はアムロしかいなかったわけだ。この考えに従って物語を見ていると、ララァがアムロに討たれたというのは正しい光景なのだ。

…戦いを終えた「ホワイトベース」は次なる作戦のため、連邦軍の主力艦隊に追いつくべく先を急いでいた。一方、地球連邦軍主力艦隊の元にジオン公国のデギン公王が到着、レビル将軍に投降して休戦しようと考えていた。だがデギンが乗る「グレートデギン」とその伴走艦以外のジオン艦には、ギレンの名でこの宙域からの待避命令が出ていた。
名台詞 「我が忠勇なるジオン軍兵士達よ、今や地球連邦軍艦隊の半数が我がソーラ・レイによって宇宙に消えた。この輝きこそ、我らジオンの正義の証である。決定的打撃を受けた地球連邦軍に、如何ほどの戦力が残っていようとそれは既に形骸である。敢えて言おう、カスであると。それ等軟弱の集団が、このア・バオア・クーを抜くことは出来ないと私は断言する。人類は我ら選ばれた優良種たるジオン国国民に管理運営されて、初めて永久に生き延びることが出来る。これ以上戦い続けては、人類そのものの存亡に関わるのだ。地球連邦の無能なる者共に思い知らせ、明日の未来のために、我がジオン国国民は立たねばならんのである。」
(ギレン)
名台詞度
★★★
 「ソーラ・レイ」を照射し、それによって地球連邦艦隊が壊滅的打撃を被ったものの、残存兵力でジオン絶対国防圏最後の砦となる宇宙要塞「ア・バオア・クー」に攻撃を仕掛けてくるのは確かだ。この攻防戦をギレンは直接指揮することとなり、戦いを始める前に「ア・バオア・クー」にいる全兵士を集めて演説を行う。その演説がこの台詞だ。
 まずこの演説に重大な間違いがひとつある、「ソーラ・レイ」によって破壊された連邦軍艦隊は半数ではなく、3隊に別れて行動しているうちの1隊であり、司令官のレビル将軍がそれに含まれているに過ぎないということ。確かに連邦の指揮命令系統は混乱しているが、戦力的には半減とまでは行っていないはずだ。これはギレンによる「大本営発表」であって、味方の士気を高めるために敵の損害を誇大報告したものである。大日本帝国の大本営がよくやったとされるものだ。敵が壊滅状態のままで押し寄せてくるはずだと語るこの中で、敢えて「カス」という言葉を使って点についてはギレンのこの台詞の中で現在でも伝説的に語り継がれる名台詞だ。難しい言葉ではなく、この場には似つかわしくない言葉を使うことでこの人が言いたいことを子供にも分かり易くした…結果「カスであると!」のこの部分が印象に残った人も多かろう。
 その上でジオンが戦う正義…正しくはギレンが戦う正義に過ぎないのだが…をぶちまける。ギレンは自分に酔いしれているのだ、完璧な思想と完璧な作戦と完璧な未来。彼はそれを誰にも邪魔されずに遂行できるという自分に酔ってしまっている。もうこうなった人間を止めることなど誰にも出来ない、そのような人間の怖さを分かり易く表現した名演説だと私は思う。戦争で一番怖いのは人間なのだ。
 この自分に酔ってしまう辺りが、ギレンがやはりガルマやキシリアの兄でしかなく、「坊や」の一人であることも感じさせてくれる。もうこの男は世界が自分の物になったと信じ、誰も自分を邪魔するなどとは考えない。父を殺したことで短絡的にそう考えてしまうところで詰めが甘く、幸せ者なのだ。まぁ、最高権力を持った途端に周囲が信じられなくなって「静粛」を始めてしまうよりはいいのだろうけど。
名場面 ソーラ・レイ照射 名場面度
★★★
 地球連邦が圧倒的優位で揺るぎようもないと思われていた戦局が大きく変化する。ジオン軍は大量破壊兵器のひとつである「ソーラ・レイ」を使用して、連邦軍主力艦隊を一気に殲滅せんとするのだ。キシリアの元に発射線上から待避する指示を伝える電文が届いたところから始まり、続いて「ホワイトベース」が遅延している様子と和平交渉のために連邦主力艦隊のところにデギンが到着したシーンを挟む。「しかし、ちょうどその頃」と波平さんが口を挟むと、シーンはジオンの宇宙要塞「ア・バオア・クー」の指揮室に切り替わり、ギレンが「ソーラ・レイ」照射の指示を執っている状況に変わる。そして「ソーラ・レイ」の発射シーケンスへと画面が切り替わり、秒読みが終わると巨大なビーム光が発せられる。巨大な「ソーラ・レイ」の砲台は反動で後ずさりし、光の帯が宇宙空間を突き進む。「ホワイトベース」ではアムロが「前へ進んじゃ駄目だ」と叫ぶ、彼はニュータイプ能力で前方に危険があることを察知したのだろう。
 地球連邦艦隊旗艦の艦橋のレビルと、「グレートデギン」の艦橋のデギンが互いを認識して見合ったところで、この光が地球連邦艦隊を包み込む。「グレートデギン」は連邦軍艦隊と共に一瞬で破壊され、ジオン公国のデギン公王と地球連邦軍司令官のレビル将軍は跡形も残らずこの世を去る。「ホワイトベース」艦橋では一同が驚愕の表情でこの光景を眺めていた。「ホワイトベース」はキシリア艦隊との交戦によって艦隊への合流に遅れたため、この惨禍から逃れることが出来た。
 一方、キシリア艦でも「ソーラ・レイ」の発射を感知する。艦橋の乗組員達がおかしな事に気付いて小声で会話をする、これをキシリアに窘められるとそのうちの一人が「ソーラ・レイ」の照準内で「グレートデギン」の識別信号が確認した旨を報告する。これを聞いたキシリアは乗員に敵の残存兵力を監視させつつ、急に発射された「ソーラ・レイ」と照準内にデギンの艦が存在したことについて「妙な…」と言いつつ考え始める。
 このたったひとつの武器の使用が、主役が乗り込む「ホワイトベース」以外の物語に大きな変化を生む。
 まず「地球連邦軍対ジオン軍」という戦局という構図だが、「哀戦士編」のオデッサ作戦の辺りから一貫して連邦優位で物語が進んでいた。戦争が長期戦となり本国がスペースコロニーというジオン公国は物資や人材に限りがあるため、元々守勢に転じると不利だったはずなのに守勢に回らざるを得なくなった。そこへ連邦軍が反抗(「オデッサ作戦」)を仕掛けてきたために一気に形勢が崩れて、連邦軍が宇宙艦隊を出すことで守勢から敗走へと状況が変化していたのである。そして地球連邦軍の圧倒的な艦隊攻撃を前に、国防圏の一端を担っていた「ソロモン」が陥落。絶対防衛圏である「ア・バオア・クー」にじわじわと接近する艦隊を近づけまいとキシリア艦隊が反撃するが、これもすぐに壊滅という状況だった。このまま行けば「ア・バオア・クー」の陥落によるジオン公国の国防圏の破綻は確実かに見えたが…この「ソーラ・レイ」の一撃は3隊に別れて進む連邦軍艦隊のうち1隊、しかも旗艦に司令官が座乗する最も大事な艦隊が姿を消すことになったのだ。これにより連邦軍側は多数の艦船を失ったことも大きいが、レビル将軍という司令官を失い指揮命令系統が混乱して戦線に影響が出るのである。
 続いてジオン公国とザビ家の物語だ。この「ソーラ・レイ」照射はギレン総帥が父でありジオン公国公王であるデギンを殺めたシーンに他ならない。ギレンが「ソーラ・レイ」作戦を急いだのは、デギンが内密に地球連邦との和平のために連邦軍艦隊と接触すべく出発したという情報を得たからだろう。彼はジオン公国の実権を握っていたが、自分が何かやるたびに形式上でも父に頭を下げて承認を貰わねばならないのが厄介だったはずだ。その手続き上の過程で彼は父と自分の考えが大きく違い、父が自分がやっていることに内心では反対していることを知ったはずだ。彼は自分の考えが違い、かつ自分を止められる人物が自分の上に立っているのが気に入らなかったはず、しかもそれが独自に和平交渉とは…。父がいなくなればジオン公国は名実共に自分の物となり、自分が考えた案にわざわざ承認を貰うこともないし、自分を批判して止めようとする人間もいなくなる。ここで和平などされたら自分の思想が成就しない。自分は絶対正しいのだから…ギレンはそう感じたに違いない。彼は父を葬るチャンスをずっと待っていたはずだ、そして父が連邦軍艦隊に接触すると知ったとき、その瞬間に「ソーラ・レイ」で「連邦軍艦隊を攻撃」すれば誰に怪しまれるはずもなく父を葬り去ることができると感じただろう。
 だがこのギレンの謀略にキシリアが感付く、キシリアは戦局が苦しくなればデギンが単独で地球連邦と和平交渉に出かけてもおかしくないと判断していたと思う。そして連邦軍艦隊に接触しに行った父、ギレンの「ソーラ・レイ」発射を急いだ事実、それによるレビル艦隊の壊滅とその場にいたデギン艦の消滅…と状況が重なれば答えはひとつ、キシリアはそう判断したに違いない。
 そしてこれによっていよいよ「機動戦士ガンダム」という物語が最終局面に入る準備が出来たという所だろう。ザビ家の内部抗争は激しさを増し、それに対しての決着とシャアの動向はどうなるのか? 「ホワイトベース」に乗り込む主役たちの物語とは違う部分から先に、物語はラストに向けて動きだすのだ。
研究 ・ソーラ・レイ
 ジオン公国がこの大戦の最終局面で使用した大量破壊兵器である「ソーラ・レイ」、この攻撃によって地球連邦軍艦隊は3分の1の艦船を失い、何よりも有能な司令官であるレビル将軍を失うこととなった。地球連邦の指揮命令系統は混乱し、それでも何とか体制を立て直して「ア・バオア・クー」に総攻撃を仕掛けるのだが、巨大な宇宙要塞を攻め落とすのにはどうしても数が足りず苦戦することになる。
 ソロモン攻略戦で地球連邦軍は「ソーラシステム」という大量破壊兵器を使用した。これは前述した通り太陽炉の原理を応用した大がかりだが単純な武器で、攻撃対象の宇宙要塞の主要部分を破壊するのが目的であった。だがこの「ソーラシステム」と、今回出てきたジオンの「ソーラ・レイ」は名前は似ているが全く違う物である。これに付いて検証したい。
 「ソーラシステム」は「砲台」という概念のものはなく、あくまでも鏡を大量に並べてその角度を調整するだけである。だが「ソーラ・レイ」は巨大な筒状の砲台から、収束したレーザー光線または粒子砲を発射させるものである。子供の頃は「宇宙戦艦ヤマト」の波動砲みないなものだと理解していた。
 その「砲台」はサイド3にある「マハル」と呼ばれるコロニーを改造して作ったものだと設定されている。テレビアニメ版ではコロニーを「ソーラ・レイ」に改造するために、このコロニーから立ち退かされる人々のシーンが描かれている。このマハルという名のサイドもサイド3独特の密閉型コロニーで、内部の照明のための太陽電池パネルをエネルギー源としたものらしい。また劇中でギレンが「ソーラ・レイ」の建造について、密閉型コロニーを使えば簡単にできる旨を語るシーンがあった。つまり既に密閉型コロニーに備わっている物だけで出来るのではないか…という訳で私は以前から「ソーラ・レイ」は、密閉型コロニーの内部照明システムをレーザー光線はまたは粒子砲の発射システムに改造したと解釈している。そうすればコロニーの内部だって、人さえいなくなればそのままでいいので工期がかなり短縮されるはずだ。
 つまり「ソーラ・レイ」は密閉型コロニーのどっちか片方の端部を切り落としただけのものであり、あの破壊光線はコロニー内部の照明設備の出力を大きく上げる事で得られたと考えられるのだ。内部照明は太陽光に近い照度が必要でかつコロニー内にまんべんなく光を当てなきゃならないので、通常でもかなりのエネルギーを放出することになるはずだ。その照明エネルギーを全て1方向のみに放出すればいいのではないか?
 もし密閉型コロニーの円筒内壁全体に、地球に降り注ぐ太陽光と同じエネルギーを照射させると仮定しよう。地球周辺での太陽光の出力は1平方メートル辺り1.37キロワットだが、地球の大気などで減衰されるので実際に地球上に降りかかる太陽光のエネルギーは1平方メートル辺り1キロワット程度。1キロ平方メートルは100万平方メートルとなるので、1キロ平方メートル辺りに必要なエネルギーは1ギガワットとなる。密閉型コロニーの内壁総面積は600平方キロメートル、つまり1ギガワット×600平方キロメートルで、密閉型コロニーの照明に必要な電力は600ギガワットとなる。
 対して劇中で語られる「ソーラ・レイ」の出力は8500万ギガワット。てーかテラワットとかペタワットとかもっと上とかそういう世界だと思うのだが…密閉型コロニーの発電システムが照明だけでなく他の全ての電力も賄っていたと考え、さらに故障に備えた予備も含めて1つコロニーで1000ギガワットということしたとしても、「ソーラ・レイ」を動かすために密閉型コロニー85000機分の太陽電池パネルが必要になる。こりゃジオン公国にある密閉型コロニー全部の太陽電池パネルを総動員しても間に合わない。どっかで計算間違ったか?
 計算が合っていればの話になるが、これだけ膨大な出力のレーザーなり粒子砲なりを放ったらどうなるのだろう? だってただでさえコロニー1機に必要な太陽光エネルギーの何千万倍という勢いである。ちょっと想像がつかないが劇中で描かれているよりとんでもないことが起こりそうな気がする、「ソーラ・レイ」攻撃の様子を至近距離で見ていた「ホワイトベース」だって無事ではないと思うのだが…誰か詳しい人がいたら教えて戴きたい(この計算が合っているかどうかも含めて)。

・2011年1月9日 記事一部修正
 本研究欄をご覧になったGOA様から、平方メートル→平方キロメートルでの換算ミス(指数計算のし忘れ)を発端とする計算違いがあったとのご指摘を頂きました。ご指摘を受けて私の方で再度計算をし直し、GOA様のご指摘に間違いないことを確認して本研究欄の一部を書き換えさせて戴きました。ご指摘頂いたGOA様、本当にありがとうございました。

「ホワイトベース」を含む連邦軍残存艦隊による、ジオンの宇宙要塞「ア・バオア・クー」への総攻撃が始まった。ジオン側もギレンの直接指揮で残りの戦力全てを注ぎ込んで対抗する。シャアもこの攻防戦に参加するが、自分専用の「ゲルググ」は「ガンダム」に破壊され出撃ができない。
名台詞 「あんなの飾りです。偉い人にはそれがわからんのです。」
(ジオンの整備兵)
名台詞度
★★★★★
 「機動戦士ガンダム」でもうこれは有名すぎる台詞で、かつ最も印象に残る台詞の一つでもあるだろう。そんな台詞を吐いてひとつの「伝説」を創った男は、主人公アムロでもなければ宿敵シャアでもない、ブライト艦長でもなければヒロインのフラウでもないし、敵味方含めたお偉いさんでもない。このシーンのためだけに用意された名もない整備兵なのだ。
 キシリアはシャアが乗るべき機体がないので、また開発途上の最新型モビルスーツ「ジオング」をシャアに勧める。その「ジオング」は前述した通り開発途中の機体で、完成度は80パーセントという有様だった。その開発途中の機体を見たシャアは足が完成していないことに気付き、「足がないな」と「ジオング」の説明をする整備兵に指摘する。その返事がこの台詞なのだ。
 この短くて一見なんでもないような台詞が「伝説」となった理由はたくさんある、シャアとの会話におけるテンポと「間」がとても良いこと、様々なシーンでパロディに出来ること(例…きれいな女性を見て「胸が小さい」「あんなのは飾りです。エロい人にはそれがわからんのです」)、何よりもシャアの指摘の台詞もこの整備兵の台詞も短く簡単でとても覚えやすいこと…他にも色々ある。
 その理由の中で最大のものは、この台詞こそがここまで「機動戦士ガンダム」で描いてきた「モビルスーツ像」を瞬時に破壊したことにあるだろう。これまで劇中で描かれてきた「モビルスーツ」は全てほぼ完全な人形で貫いていた。ララァが乗ったような航空機タイプのものは「モビルアーマー」と呼び分けるほど徹底しており、「モビルスーツ」と言えば人間と同じ形で五体満足な形状を、視聴者の誰もが想像するようになっていたのだ。劇場版では3部作中3作目の終盤だし、テレビアニメ版で同じやり取りが出てきたのは最終回の一つ前。最初が物語を追ってきた人の「モビルスーツ」という姿は揺るぎないものになっていた。
 そこへ「未完成で足がないモビルスーツ」を出して、その付いてない足を「飾り」と言い切ってしまうことで、人々の「モビルスーツ像」が突然破壊されるのがこの台詞なのだ。人によっては「足なんかなくてもいいんだ」と素直に受け入れるだろうし、人によっては「足がない」ことに大きな違和感を覚え、中には「足がないのは認めない」とまで感じた人もあるだろう。その視聴者それぞれの思惑とは別にして、「ガンダム」制作者は名もないジオン兵に「足が無くてもモビルスーツ」という内容の台詞を吐かせ、「モビルスーツに足は必要ない」と断言してしまったのだ。
 そういう意味でこの台詞が印象に残った人は多いと思う。私も当時小学生の頭でもこの台詞の破壊力というものを理解し、一時期は「ジオング」が非常に気に入っていた時期もあった。冷静に考えれば宇宙兵器の移動装置が「足」である必要性は何処にもなく、「ジオング」のように足なんか外してスラスターを付けた方が何百倍も効率的なのだが、この台詞が出てくるまでそれに誰も気付かないという面白さも潜んでいる。やはりこの台詞は「機動戦士ガンダム」を代表する名台詞のひとつだろう。
名場面 兄妹 名場面度
★★★
 キシリアは兄であり、「ソーラ・レイ」作戦の首謀者であるギレンに「グレートデギン」をどうしたのか聞いてみた。返答は素っ気なく「沈んだよ」であったが、キシリアはなお「グレートデギン」をどこから調達したのか、あの艦を父が手放すはずがないと問い詰める。その答えは「そう言うことだ」…ここでキシリアは兄が父を殺したと直感した。そして彼女が取る手段は…。
 戦況を見て微笑むギレンの背後から「結構なことで」と呟きながら近付くキシリア、8秒間黙ってお互いを見つめる兄と妹。先に口を開いたのは妹だった、「グレートデギンには父が乗っていた。その上で連邦軍と共に…なぜです?」と再度父の乗艦だけでなく、父のことを直接問うのだ。ギレンは得意げな顔になり「やむをえんだろう、タイミングずれの和平工作がなんになるか?」と殺して当然のような返答をするのだ。キシリアはこれに怒りを覚えるがあくまでも冷静に「死なすことはありませんでしたな、総帥」と言うと、ギレンの後頭部に銃口を向ける。「ふっ、冗談はよせ」…これがギレンの最期の言葉となった、「意外と、兄上も甘いようで…」とキシリアが言い切ると、その銃口が火を噴いた。
 宙を舞うギレンの身体、それを見た兵達が「ギレン総帥じゃないのか?」と語り合う。「父殺しの罪は例え総帥であっても免れることは出来ない、意義のある者はこの戦い終了後、法廷に申し立てい!」と演説を打つキシリアだが、まだ兵達は狼狽えていてどうすればいいのか判断できない。その兵達の中で最も年上とおぼしき者が「ギレン総帥は名誉の戦死を遂げられた。キシリア閣下、ご采配を!」と叫んで場を取り繕う。この台詞に反応してキシリアは「ア・バオア・クーの指揮は私がとる」と宣言して権限委譲がやっとのことで行われた。
 このシーンから見えることは、ザビ家の兄姉も「父デギンの存在があってこそ」と言うことだろう。デギンの存在がありデギンに忠誠だからこそ、兄妹間でいがみ合ってもなんとかパワーバランスが保たれていたのだ。だがギレンはデギンを殺すことでその兄妹間のバランスを崩したことに気付かず、自分が天下を取ったと信じ込んでしまった。自分が天下を取れば妹も従順になるだろうという錯覚をしていたのである。その証拠にキシリアが銃を向けた際、「冗談はよせ」と言っただけで本気になっているとは気付かなかった。「誰に向かって銃を向けているんだ?」程度にしか思わなかったのだろう。父を殺すということは、キシリアの「ギレンを排除する理由」が増えた上にそれが正当化されるなどとは少しも考えなかったのだ。だからギレンはやはりガルマの兄で、「坊や」なのである。これがデギンだったらちゃんとキシリアをも警戒して不用意に近付かせなかっただろう。
 さらにキシリアも「嬢や」なのは確かだろう。キシリアが演説ぶっている間は、「ア・バオア・クー」は最高指揮官を失ったことで指揮命令系統が一時的に停止してしまうのだ。連邦がこの隙を見逃すわけがなく、この戦いの敗北のきっかけとなるのである。キシリアは演説を打っている暇があったら、無言で自分が指揮を続ければ良かっただけの話だ。ジオン公国のシステムを見れば、デギンが死にギレンが死に、ドズルもすでにいないこの状況ではキシリアが国家最高責任者なんだから。わざわざ格好つけてギレンがデギンを殺したから殺したなんて宣告して敵にやられてしまう辺りが「嬢や」で、キシリアも意外と甘いと言うことだ。
 さらにキシリアは、連邦とギレンが自分の敵だと思っていたようだが、この後本当の敵が別にいたことを思い知る。
研究 ・ジオング
 「機動戦士ガンダム」でシャアが最期に乗る機体は「ジオング」である。開発途中との設定で、目立つところでは足がないなど見るからに未完成品という雰囲気を漂わせているモビルスーツだ。キシリアによるとララァが乗っていたモビルアーマーのサイコミュシステム(ニュータイプ対応機器)を搭載したモビルスーツとのことで、「ガンダム」との戦いシーンを見ていると指先がビーム砲になっていて、有線式とは言えこれを切り離して遠隔操作による攻撃ができるようだ。これまで「ガンダム」で描かれていた「モビルスーツ」とは違い、足の代わりにスラスターを装備しているなど「人形」から離れており、腕を切り離して遠隔操作攻撃のシーンを見ていると「マジンガーZ」の世界を彷彿とさせる戦いを行う。ある意味前世代のロボットアニメ要素を取り入れつつ、新しいロボットアニメのメカを見据えたとも考えられ、日本のアニメで兵器としての巨大ロボットにおける当時の集成大とも言える機体であろう。
 ちなみに前述したが、この「ジオング」は今年の9月限りで放映を終了したリメイク版「ヤッターマン」でネタにされている。奇しくも最終回の1回前でボヤッキーが「ガンダム」のメカニックデザインで有名な大河原邦男氏(「タイムボカンシリーズ」のメカデザインもこの人)に最終回専用メカ「ドロンキング」を作らせるという展開で、ここで出てきたドロンボーメカが「ジオング」そのものの機体にドロンボー3人組に付け替えただけというものだった。しかも設定では「部品」が箱に入って届くのだが、これがどう見てもガンプラの「ジオング」の箱デザインと同一(ア・バオア・クーの代わりにドクロマークとおだてブタ)。
 その他にも当時の少年誌に乗っていた漫画で、作品名は忘れたが密かに完成されていた「ジオングの足」が活躍するというパロディがあったのも記憶している。このように各所でパロディにされるのは「足がない」という特徴と、最終回で視聴者の印象に強く残ったという面があるだろう。
 この「ジオング」、名前の割には結構あっけなく「ガンダム」に倒されているように感じるんだけどなー。

「ア・バオア・クー」に対する地球連邦軍の攻撃は、増援艦隊が加わることでさらに激しさを増す。連邦軍はギレンの死の際に発生した「隙」を見逃さず、モビルスーツ部隊が「ア・バオア・クー」上陸に成功したのだ。その戦いの中、シャアは「ガンダム」を見失っていたが何とか発見し、アムロとシャアの劇中最後の戦いが始まる。アムロはシャアがララァを戦いに巻き込んだとシャアを憎しみ、シャアはアムロに勝ちたいという思いをララァに向かって語る。この戦いで「ジオング」は両腕を、「ガンダム」は左腕を失った。一方、「ホワイトベース」は左エンジンに被弾して「ア・バオア・クー」に不時着、不時着時に右エンジンも被弾して失い、乗組員達は銃をとって白兵戦に挑む。
名台詞 「まだだ! たかがメインカメラをやられただけだ!」
(アムロ)
名台詞度
★★★
 この台詞は前記のジオン整備兵のあまりにも有名な台詞に連動していて、やはりあの台詞と同じ位の破壊力を持った台詞である。あの台詞を主人公アムロの立場から言うとこうなる。
 アムロの「ガンダム」とシャアの「ジオング」との戦いは熾烈を極めたが、混乱する戦場の中でシャアが「ガンダム」を再度見失う。シャアは「ガンダム」がどの方向にいるか判断できずに焦っていると…不意に「ガンダム」が正面に現れてビームライフルを「ジオング」に見舞う。これは正確に「ジオング」の胸部に命中し、一般的にモビルスーツのコックピットが胸部にあるのでシャアも即死と思いきや、実は「ジオング」のコックピットは非常脱出装置を備えた頭部にあって、シャアは胴体の爆発より前に上手く逃げる。その際に「ジオング」の口の部分からビーム砲を放ち、これが「ガンダム」の頭部に命中して「ガンダム」は頭部を失うのだ。その被弾の直後にアムロが叫んだ台詞がこれ。
 前述のジオン整備兵が視聴者が描く「モビルスーツ」像を破壊したが、アムロのこの台詞は日本のSFアニメにおける「巨大ロボット」像を破壊したと言ってもいいと思う。「正義の味方」を象徴するロボットメカの場合、何処かのひな人形メーカーじゃないが「顔が命」という面があった。顔はその正義のチームの正義感そのものであり、目立つように凛々しく描かれ、これがやられることは絶対無いというものであった。
 ところが「機動戦士ガンダム」ではこの顔が戦闘によって破壊される。それだけでも視聴者はショックを受けるが、そのショック状態の中でアムロがこの「顔」を「たかがメインカメラ」呼ばわりをするのである。兵器としての巨大ロボットの場合、顔というのはあくまでも「一番見晴らしのいい場所にモニターカメラを付けた」だけの存在であって、それ以外の必要性と言えばせいぜい遮蔽物がないからアンテナを付けるという程度だ。この台詞によって「ガンダム」は「正義のロボ」ではなく「兵器」として視聴者に印象付けられ、この台詞でもって「機動戦士ガンダム」がリアルSFアニメとして完成した…私はそう思っている。
 この「顔」に兵器としての実用的な役割を持たせ、それ以上のものはないんだという主張はこの物語の何処かで必要だったはずで、これは制作側がずっとアムロに言わせたい台詞だったのではないかと私は想像する。
名場面 ラストシューティング! 名場面度
★★★★★
 「ジオング」の脱出装置である頭部に乗って「ア・バオア・クー」内部へと逃げるシャアを、左腕と頭部を失った「ガンダム」が追う。アムロは「ガンダム」を「ア・バオア・クー」に着地させ、「ガンダム」を歩かせる。シャアの方向を察知し、「ガンダム」にその方向をインプットして自動操縦させ、アムロは「ガンダム」のコックピットから抜け出す。「ガンダム」はプログラムに従って歩き続け、上方空間が広がったところで停止し、ビームライフルを持った右腕を上げると上方へ向かって最後のビームライフルを放つ。この一撃は上方にいた「ジオング」頭部を破壊するが、同時に「ジオング」頭部が放ったビーム砲が「ガンダム」右腕と右脚を破壊、ここに相撃ちの形となって「ガンダム」は大破してその場に倒れる。その間にシャアは何とか「ジオング」頭部から逃げ出す。
 「機動戦士ガンダム」であまりにも有名な「ガンダム」の最後、この劇場版「めぐりあい宇宙」編ではポスターにもなった物語を象徴するシーンだ。ここに「ガンダム」は破壊されてこのモビルスーツの活躍は終わりを告げる。
 それまでのSFアニメで主役機ガ破壊されて終わるなんて無かっただろう。巨大ロボットアニメでなくても、主役機は物語の根幹である戦いを最後まで無傷で戦い抜き、「正義は勝つ」という完結となるのはそれまでSFアニメの「おやくそく」であった。あの「宇宙戦艦ヤマト」ですら続編など考えてなかった初代シリーズでも「ヤマト」が無事に帰ってくるというシーンで終わり、「地球の平和は守られた」という最後になっているのである。主役機の破壊というのは主視聴者層である子供が見た場合、例えそれが戦いに勝った結果の破壊であっても「勝った」とは感じないだろう。また主役機が破壊されると言うことはもし大ヒットになった場合、続編が作れなくなるという問題を生じることになる。だから多くのSFアニメで主役機が破壊されるという最後はなかった。ヒーロー全体を見回すと、最後はゼットンという最狂怪獣(この誤字はわざと)に倒されて死ぬウルトラマンがいたくらいではないだろうか?
 これは「機動戦士ガンダム」という物語の特性を見る事が出来る。この物語は主役メカの活躍が見れればいいというものではない、主役メカの勝利がそのまま主役側陣営全体の勝利に繋がるわけではないし、物語的にも主役メカが敵を完全殲滅したら終わりという勧善懲悪ストーリーではないのだ。つまり主役メカがどうなろうが、ここまで拡げてきた様々な物語にキチンとオチを付ける方が優先されるのである。そのためにはアムロとシャアをモビルスーツから引きずり下ろす必要がある…その理由の方が主役機が生き残るよりも重要なのだ。
 さらに言ってしまえば「地球連邦軍」という組織の勝敗に、この最後の戦いにおける「ガンダム」の勝敗は関係ないという「戦記」面での特徴もあるのだ。
 こうして「ガンダム」を最後を目前に破壊することで、制作側はこれまでの勧善懲悪ロボットアニメから完全脱却をさせることにしたのだと思う。そしてその思惑は見事成功した、「ガンダム」の破壊は物語の流れとは関係ない「単なる兵器」ということになり、ここに戦争アニメとしてのリアリティが確立したのである。このシーンを持ってこの物語を追ってきた誰もが、「機動戦士ガンダム」という物語がこれまでとは違う全く新しい分野のSFアニメであったと思い知ったのだ。
研究 ・ア・バオア・クー
 ジオン軍の最終防衛ラインの一端を担う宇宙要塞「ア・バオア・クー」、その形状は巨大なキノコのようにも、傘のようにも見える。ここにはジオン本国を守る要としてジオン軍最大の防衛部隊が存在したと思われる。ただ劇中では多くの若い男が兵役に出て散ってしまい、ここでの戦いは学生動員だったということになっている。
 ここで地球防衛軍とジオン軍によるこの戦争で最後の戦いが繰り広げられるのだ。地球連邦軍は「ソロモン」陥落でジオンが和平を求めてくるとの思惑であったが(その思惑は当たっていたがギレンがソーラ・レイを使うことでご破算に)、それでもジオンの戦闘継続の意志が変わらないのでジオンの最終防衛戦である月かこの「ア・バオア・クー」を占領してジオン本国であるサイド3に肉薄する必要性が生じ、「ア・バオア・クー」に攻め入ったというのが流れである。ここで戦争が終わらなければ「ア・バオア・クー」を地球連邦の基地として接収し、サイド3に総攻撃して本土決戦ということになったのであろう(ちなみにテレビアニメ版が放送期間短縮の憂き目に遭わなければ、この本土決戦が描かれたはずだったという)。
 対してジオン軍としては本国を守るために月と「ア・バオア・クー」は死守せねばならないラインであった。だがこの重要な戦いでギレンとキシリアが日本アニメ史上に残る兄妹喧嘩をしてしまい、結果的にこの最終ラインが突破されてしまう。結局はジオンはザビ家の兄姉に振り回されっぱなしだったわけだ。
 しかし、この言いにくいネーミング、なんとかならんかったのか?

「ガンダム」と「ジオング」ともに相撃ちの形で撃破、アムロとシャアは乗機を抜け出して相まみえることになる。
名台詞 「ガルマ、私の手向けだ。姉上と仲良く暮らすがいい。」
(シャア)
名台詞度
★★★★
 シャアは剣を使った生身の対決においてもアムロに勝つことが出来なかった(名場面欄参照)。さらに妹が割って入って来た事で、アムロと出会いララァを失ったことで生じた邪念…つまりアムロとの決着に一区切りを付け、自分の本来の目的を思い出す。セイラに「チャンスは最大限活かす」と言い残して、シャアはキシリアが脱出しようとしている艦(「ザンジバル」級)に向かう。
 キシリアは「ザンジバル」級の士官席に座って出港の時を迎えていた。その正面にシャアが突如現れ、その際にシャアが呟いた台詞がこれだ。キシリアは何故艦の正面にシャアがいるのか不思議がる様子だったが、シャアが敬礼をするとキシリアもシャアの目的が分かって驚愕の表情を浮かべる。そしてシャアが持つバズーカタイプの銃が光線を放つとキシリアは頭を吹っ飛ばされて絶命し、同時にキシリアの乗艦は火を噴くのだ。既にキシリア艦のエンジンには火が入っており、コックピットから火を噴いたまま浮上するが、ゲートの外で待ち伏せていた連邦軍の「マゼラン」級戦艦の集中砲火を浴びて大爆発、キシリア艦は出港しようとしていたゲートに墜落する。
 シャアがついにザビ家殲滅という復讐を成し遂げた瞬間、この台詞からシャアの心情についていくつかのことが分かる。まずシャアがキシリアにでっち上げた「ガルマの時に空しくなった」というのがある程度は本気だったこと、シャアはガルマが甘くて「坊や」であってもガルマを友人として認めていたのだろう。だからあの世のガルマに「手向け」として姉を送るという考えが生じたと思われる。本当にどうでもいい相手なら「手向け」など必要ない。
 そしてキシリアを自分の上司として認めていた側面もあると思う。「ガルマを守りきれなかった」という理由で左遷されたところを救ってくれたというだけでなく、自分が持っている「ニュータイプ」についての考えに理解を示し、その上で自分の正体を知った上で共に戦ってきた上司を尊敬していたと思われる。だからこそ最後の最後で裏切るときに、彼はキシリアへの礼として敬礼を送ったのである。これらシャアの行動のひとつひとつがまたカッコイイ。
 キシリアはシャアに殺される瞬間に何を思ったのか? 彼女が本当に賢い女性ならば、このような絶体絶命の状況(このシーンではキシリアの「ア・バオア・クー」からの脱出は困難で、シャアに打たれなくとも待ち伏せていた連邦軍艦に撃ち落とされる運命にあった)になればなるほど、シャアが裏切るというのは予測できて当然だ。またシャアという男の戦歴を考えれば、「ジオング撃墜」と「シャア戦死」がイコールでないことも理解できていたはずだ。なのにキシリアは目の前にシャアが現れたことを最初は信じられないような目で見、続いてシャアに銃口を向けられたのに驚愕している。これはもうキシリアが「死んだはずのしかも自分への恨みを捨てた男が突然目の前に現れ自分の生命を狙っている」と感じた驚きであろう。この鈍感さというか「賢さ」が見られない辺り、やはりキシリアは最後まで「嬢や」だったのだ。
 こうして裕福な環境で育ってきたザビ家兄妹は、全員何処かひとつ間が抜けた面を見せながら死んで行ったのである。全員その間の抜けた面がなければ、生命を落とすことはなかったはずだ。無論これらは偶然そうなったのではなく、制作者側が意図して描いたと見るべきだろう。
名場面 アムロVSシャア 名場面度
★★★★
 アムロとシャアが直接戦う。「ガンダム」と「シャア専用」なんたらの戦いではなく、モビルスーツを相撃ちで失った二人がなんと剣をとってフェンシングで戦うのである。
 二人は互いにララァを失った恨み節を語り合い、さらにシャアはアムロがニュータイプの有り様を示しすぎた人間として殺すと宣言する。最初は銃撃戦から始まり、この段階でシャアの右腕にアムロが放った銃弾がかすってシャアの身体から血が舞う。このままでは勝てないと判断したシャアは、アムロをなぜかフェンシング用具が部屋へと誘い込む。そして「いくらニュータイプとはいえ、身体を使った戦いは訓練しなければ普通の人と同じ」という理屈で、フェンシングでの戦いを挑むのである。
 その頃、被弾した「コアブースター」から脱出したセイラがこの部屋に吸い寄せられるように向かっていた(一瞬だけ劇場版では存在しないはずの「Gアーマー」が出ていたという突っ込みはしてはいけない)。そしてアムロとシャアが戦っているのを見つけるのである。
 無論、この光景を見たセイラは二人を止めに入る。セイラはシャアの妹でありアムロの同僚という微妙な立場だから止めて当然だし、何よりもセイラのいう通り二人はただ単に戦争において敵味方だから戦っていたはずで、互いに個人的な恨みなど無いはずなのだ。そのセイラが制止の言葉を吐いた直後、アムロの険はシャアのヘルメットのフードに突き刺さり、同時にシャアの険はアムロの右肩を貫通する。そのまま二人は抱き合う姿勢になり、二人の意識がララァの魂によって共感する。「いまララァが言った、ニュータイプは殺し合いの道具ではないと」「今となっては人はニュータイプを殺し合いの道具にしか使えん、ララァは死に行く運命だったのだ」「貴様だって…ニュータイプだろうに!」…二人はこうして「ニュータイプ」についての真意を見いだす。ところがこの直後に部屋の外で爆発があり、セイラを含めて3人とも爆風に飛ばされる。爆風が収まったところでセイラがシャアに戦うのをやめるように懇願、「ララァを殺された」と恨み節を吐くシャアであったが、セイラが「それはお互い様だ」と言うとシャアはアムロにいう、「ならば同士になれ、その方がララァも喜ぶ」。直後にもう一度爆風に襲われ、アムロは部屋の外に投げ出され、シャアは炎に巻き込まれそうになったセイラを助けるてアムロとはぐれる。
 まず最後の最後、シャアはアムロにモビルスーツによらない戦いを挑んでもやはり勝つことが出来なかったことが分かる。銃撃戦ではシャアが一方的に被弾したのみだったので、シャアは体力勝負に出ようとフェンシングに誘ったのだが、それでもアムロのニュータイプ能力には勝てなかったのだ。つまりニュータイプというのは技の問題ではなく反射能力の問題だという根本的なことが描かれ、単なる超能力者的なものではないという事をこのシーンで上手く示唆した。
 その上で二人はニュータイプについてある結論を出す。それは「ニュータイプは戦いの道具ではない」ということと、劇中の情勢ではそれ以外に使い道がないという現実。シャアはアムロがニュータイプとして優れいていて、自分では制御できないからアムロを殺そうとしたと考えられるが、ララァが自分に精神に響かせた言葉でもうひとつのやり方に気付く。仲間になればいいんだと。
 だがまだシャアには「ララァを殺された恨み」が残っていたが、これはセイラが消してくれる。ララァを失った恨みはアムロも持っていてお互い様だということ…つまりララァはアムロに殺されたのでなく、この「時代」に殺されたのだと理解するに至ったのだ。こうしてシャアからアムロに対する恨みは消える、それが「同志になれ」ということだ。
 アムロはもっと単純で「ニュータイプを殺し合いの道具に使ってはならない」という言葉だけで、シャアへの恨みが消える。アムロはシャアのように「ニュータイプの世界」を作る野望はないし、父の言う「人の革新」を目撃する必要もない。だから戦争以外でシャアが敵になる要素はなく、この言葉だけで充分なのだ。
 このシーンでもって「機動戦士ガンダム」におけるアムロとシャアの戦いにひとまず決着が付く。戦えばシャアはアムロには勝てないので、シャアはアムロを仲間にすることで彼を制御することを考えたところで二人の物語はひとまず幕を閉じる。今後のこの二人については、「ガンダム」シリーズの続編へと物語が続いて行くのだ。
研究 ・ニュータイプ
 いよいよこの物語の考察では避けて通ることができない「ニュータイプ」について考察を入れることにしよう。ニュータイプというのは「機動戦士ガンダム」という物語の主題の一つであり、アムロというキャラクターが軍人として成長し、さらにその先に開花される特殊能力でもあるのだ。
 これまでニュータイプ能力については、劇中で様々な描写をされていた。キャラクターの額に光が走るとこの先の出来事がある程度予想されるようになったり、見てもいない物が見えてしまったり、離れた場所にいる人の心が分かったりと、たまにご都合主義的に描かれているシーンもあるが、多くの状況で超常的なシーンとなって描かれているのは確かだ。
 今回の名場面欄を見る限りでは、ニュータイプ能力が強い人がそうでない人とフェンシングで戦えば、フェンシングの能力が同程度ならばやはりニュータイプ能力が強い方が勝ということのようだ。スポーツというのは基本的に瞬発力と反射能力と判断力のバランスで強弱が決まる、フェンシング能力が瞬発力(剣術や剣法)に繋がるとすれば、残りの反射能力と判断力がニュータイプ能力によって伸ばされていると見ていいだろう。つまりフェンシングにしろモビルスーツでの戦いにしろ、敵の僅かな動きを目で見たときの反応に優れ、しかもその後にどうすればいいかすぐに判断する能力が飛び抜けて優れている人が「ニュータイプ」なのだろう。フェンシングで言えば敵の動きを見て、それに反応して敵の険を避けて、自分の次の一撃を何処に入れればいいかすぐ判断できる人ということで。モビルスーツならば操縦桿やレバーを動かす反応に変わると言うことだ。
 戦いの描写だけなら「ニュータイプ」というのはこれだけで話は済むが、人の考えが読めたり、離れた人と交流が出来たりするのはまた違う問題ということになってしまう。簡単に言えばこれはテレパシー能力で、道具や会話を用いずに遠方にいる誰かとの交流である。アムロとララァの関係はまさしくこれで、交戦中に二人はこの能力を使って意志を疎通していた。
 またミライやセイラが出来事を予感したりするシーンについては、テレパシーとはちょっと違いそうで、これは「虫の知らせ」の拡大版みたいなものだろう。
 いずれにせよ、ニュータイプというのは過酷な宇宙空間での生活により、現在の科学では解明されていない「テレパシー」や「虫の知らせ」といった第六感部分がなんらかのかたちで突出してしまい、かつこれを自分の意志で操れる人と考えるべきだろう。
 劇中ではアムロ・ララァ・シャアだけでなく、ミライやセイラ、それに「ホワイトベース」孤児3人組であるカツ・レツ・キッカも「ニュータイプ」としての能力を見せる。さらにレビル将軍等がララァのニュータイプ攻撃時に頭痛を起こすなどのシーンが描かれており、ニュータイプかどうかは別にしてその影響は無差別だと言うことは間違いないだろう。

シャアとの戦いのあと、爆風に飛ばされて自分が何処にいるかも分からなくなったアムロは絶望する。だが彼は何とか「ガンダム」の残骸を発見して、これに脱出への最後の望みを賭ける。
名台詞 「ごめんよ、まだ僕には帰れるところがあるんだ。こんなに嬉しいことはない。分かってくれるよね? ララァには、いつでも会いに行けるから。」
(アムロ)
名台詞度
★★★★
 カツ・レツ・キッカの3人の声に導かれ(名場面欄参照)、アムロは「ア・バオア・クー」脱出に成功する。脱出に使った「ガンダム」の「コアファイター」の風防をどかしてアムロは「ホワイトベース」の皆が何処にいるか探す。すると脱出用のランチ上からハヤトが送っている発光信号を発見、仲間達の無事を知ったアムロがこの物語最後の台詞(ナレーター除く)として呟くのがこの台詞だ。
 このラストシーンでアムロが「行くべき場所」というものが示された。それはアムロと共に戦ってきた仲間達のところであって、その仲間達のところへ無事に帰ってくるというのが自分の役目だとアムロは気付いたのだ。仲間がいるからこそ支え合って戦ってこれらたのである。この台詞は物語冒頭では内向的なアムロや、自分一人で生きていけると増長した物語中盤のアムロと比べたら、驚くべき成長なのだ。
 シャアとの戦いで右肩に怪我をし、その痛みに耐えながら何度も爆風に吹き飛ばされ、一時は死を覚悟したアムロ。彼の胸中にあったものは自分もララァの所へ行くことになるのだという思いであった。そのララァの声に導かれるように脱出の方法を得て、ララァの声に導かれることで「ホワイトベース」の仲間達をも導くことが出来たとき、彼は一度は「自分の役割」は終わったと感じてしまったのだろう。だがそんなアムロを「ホワイトベース」孤児3人組が呼んだ、アムロはその声を聞くことで仲間達が自分の身を案じていることを知り、何が何でも帰らねばならないと思ったに違いない。
 アムロの喜びはそんな仲間との絆を感じた事で、それをしてその仲間を「帰れるところ」としたわけだ。こうしてアムロの成長を描いたところで、アムロの物語はひとまず終わりとなる。
名場面 脱出 名場面度
★★★★★
 エンジンに被弾して「ア・バオア・クー」に不時着した「ホワイトベース」の艦内や周囲では、乗員とジオン兵達の間で白兵戦が行われていた。この白兵戦は傷ついたとはいえ艦を守るために行われていた模様だったが、ここに一同がアムロの声を聞く。ブライトは「退艦命令を出さないと全滅する」事を知らされ、ミライは脱出用のランチを用意するように知らされる、フラウはランチで脱出することと「今の銃撃がやめば大丈夫」という事を孤児3人組とともに知らされ、「ホワイトベース」付近で大破した「ガンキャノン」付近で粘っていたカイとハヤトは「ここは撤退」と知らされる。シャアと別れて道に迷っていたセイラは「ホワイトベース」への道案内をされ…こうして主要な「ホワイトベース」乗員は脱出用ランチに乗って艦を離れることが出来た。ランチが離れると「ホワイトベース」は猛火に包まれ、ハヤトが「ホワイトベースが沈む…」と声を上げ、ブライトとカイは猛火に包まれた「ホワイトベース」に向け敬礼する。
 そして話題はランチにアムロが乗っていない件となる。ブライトはセイラに「ジオンの忘れ形見のセイラの方が我々よりニュータイプに近いはず」だとしてアムロを探してくれと懇願する。セイラはその言葉に困り果て、「人がそんなに便利になれるわけない」と力を落とす。
 と思うとカツ・レツ・キッカの孤児3人組が突然「わかったぞ」と声を上げる。「ちょい右」「ちょい右」「そこで真っ直ぐ」「そうこっちこっち」「大丈夫」「すぐ外なんだから」…フラウが「どうしたの?」と尋ね、セイラが「アムロ…」と声を上げて、ミライが「分かるの?」と振り返る。「いいアムロ、あと5」「4」「3」「2」「1」「…0!」と3人がカウントダウンをすると、「ア・バオア・クー」の一角から爆風が吹き上がる。そしてその爆煙の中から「ガンダム」の「コアファイター」が現れる。喜ぶ孤児3人組、「アムロ!」と声を上げる女性乗員たち。そして静かに主題歌が流れ出し、名台詞場面に続く。
 「機動戦士ガンダム」という物語のひとつ、「ニュータイプ」を主軸とした物語にきれいにオチがついた。名台詞シーンがアムロの成長という部分に決着を付けたが、ここは実質アムロとシャアの戦いが終わると同時に一緒に幕を閉じたと思っていた「ニュータイプ」の物語にある決着がつくシーンである。つまり「ニュータイプ」という人の革新は本来誰が持つべきなのか…それは子供達であるというオチだ。「ホワイトベース」という戦艦に似つかわしくない幼児3人が乗り組み続けたのは、元々の視聴者層を意識していたわけでなく、このオチのためであったということも物語を最後まで見ればわかるだろう。
 こうして「ニュータイプ」を主軸とした展開については、人の革新…つまり未来の鍵は小さな子供達が握っているというメッセージを見ている者に伝えたところで、「機動戦士ガンダム」という物語は幕を閉じる。この最後のメッセージを当時受け取った少年少女達が、この「機動戦士ガンダム」をブームとして盛り上げ、制作から30年を経た今でも語り継がれる伝説のアニメにしたのだ。もちろん、私もその一人である。
感想 ・終戦
「この日、宇宙世紀0080。この戦いのあと、地球連邦政府とジオン共和国の間に、終戦協定が結ばれた。」
 物語の最後、波平さんのこの解説が流れて「機動戦士ガンダム」の物語は幕を閉じる。つまり劇中で描かれた地球連邦軍とジオン公国の戦争は、この「ア・バオア・クー」攻防戦をもって終結したことになる。ジオンは公王であったデギンと、デギンの後を次ぐはずだったザビ家兄妹が全滅したことで公王制は廃止され、劇中にも出てきた首相が中心になって議会制度の「ジオン共和国」に制度と名前を改めたようだ。「ア・バオア・クー」は地球連邦軍に占領されたと見られ、恐らく戦後政策におけるジオンへの監視塔みたいな役割を持つことになるのだろう。
 「ホワイトベース」乗員で主だった者は皆助かったようだが、主役艦「ホワイトベース」も主役機「ガンダム」も最終的には撃破されてしまっている。それだけではない、「ガンキャノン」や「コアブースター」といった「ホワイトベース」搭載機は1機残らず撃破されたようだ。このように味方側陣営の主立ったメカが全滅するというのは、SFアニメでは無かった試みだと思う。これってもし「マジンガーZ」に置き換えれば、光子力研究所や「アフロダイA」等が前部やられるような結末だ。今まで誰も試みなかっただろう。
 次に敵側に目を移すと、前述したようにキシリアが「ア・バオア・クー」からの脱出に失敗したことでザビ家の兄姉が全滅。ここにジオン公国は公王制を維持することが困難となって「ジオン共和国」に国号を変えて議会制民主主義国家になったと考えられる。そのキシリアの脱出を妨害しザビ家打倒の野望を達成したシャアは、キシリア艦爆発の混乱から何とか抜け出したようで、エンディングテーマに出てきた「グワジン」級宇宙戦艦の窓にシャアの影が映っているのが見える。ちなみにテレビアニメ版ではこのシャア脱出成功の模様は描かれておらず、劇場版制作までは「シャアは行方不明」というのが設定だったようだ。
 気になるのはアムロが最後に乗り捨てた「コアファイター」がどうなったかだ。地球連邦の軍事機密の固まりの上、「ガンダム」の戦闘データを蓄積した機体をそこいらに乗り捨てるなんて…アムロはこの件で軍法会議にかけられなかったのか? だとすれば地球連邦軍もいい加減だと思うけどなー。聞くところによると続編でこの「コアファイター」が絡む話があるようだが。
 それぞれのキャラクターの今後は一度は視聴者の想像に委ねられたものの、「Zガンダム」という続編でそれが描かれることとなった。当サイトではいつの日か「Zガンダム」の考察ができればいいなーということで、これについては敢えて触れないでおこう。

・劇場版「機動戦士ガンダムV めぐりあい宇宙編」主題歌
「めぐりあい」作詞・井荻麟 作曲/歌・井上大輔
 実はこの曲、映画館で「めぐりあい宇宙編」を見た時にいつ流れたのかわからなかった。エンディングでかかるのかと思っていたら、下記の通り違う曲が流れて「?」だったのだ。ラストシーンに重なって流れているのに気付いたのは、十数年前にテレビ放映されたのを見た時だ。
 この曲を聴くとどうしても「ガンダム」とは無関係な少年時代の一家団欒シーンを思い出してしまう。当時「ザ・トップテン」という音楽のベストテン番組があって、それにこの「めぐりあい」がランクインして井上大輔が「ガンダム」と「シャア専用ゲルググ」が戦っているシーンを背景に歌っているのが流されたのだけど…。その時に私の兄がこの曲をテープに録音しようと考えたのだ。当時オーディオケーブルでテレビのヘッドホン端子とラジカセの入力端子を繋ぐなどというやり方を知っているわけでもなく、知っていてもそのケーブルを持っているはずもない。つまりテレビの音声をテープに撮ろうとすれば、テレビの前にラジカセを置いて録音ボタンON!と言うことになる。そのちょうど井上大輔が出てくるタイミングで、父が会社から帰宅してきたのだ。
 ここまで書けばその録音テープがどうなっていたか、多くの方が想像できているだろう。父が夕食を食べている音が全部入っているのである。しかも後部演奏部分で父が母に「おかわり」を要求する声まで入ってるし。でもシングルレコードを買うお金を持っているはずもなく、「機動戦士ガンダム」の余韻に浸るためにこのテープを繰り返し聴いたのだ。だから私の脳内で「♪誰も一人では生きられない…おかわり」となってしまい、いまでもこの曲を聴くと変な意味で違和感を感じる。
 曲はいい曲で結構印象に残るメロディなんだけど、やっぱ後述のエンディングテーマの方がインパクトが強いし「戦いの後の静けさ」の再現度では素晴らしい曲なので、どうもこれが埋もれてしまった感がある。劇場版三部作全体で見ても、「U」の「哀戦士」が素晴らしすぎてやはりこっちがかすんでしまう。ちょっと不運な曲だと思った。

・劇場版「機動戦士ガンダムV めぐりあい宇宙編」エンディングテーマ
「ビギニング」作詞・井荻麟 作曲/歌・井上大輔
 実は映画館で「めぐりあい宇宙編」を見ると主題歌よりこっちの方が印象に残ったりする。静かなピアノの前奏、そして歌を歌う井上大輔の静かな歌声…これらが「機動戦士ガンダム」という物語の終演を告げるのみではなく、「戦いの後の静けさ」を上手に感じさせるつくりなのだ。「機動戦士ガンダム」という物語を一気に見て、最後にこの曲を聴くととても落ち着くという寸法だ。
 特にサビの部分がなんかのきっかけで一度聞くと頭について離れない、印象的なメロディラインである。いずれにしても物語の余韻に浸るにはちょうどいい曲だと思う。こっちを主題歌にすればよかったのに…。

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