第1話 「アルムの山へ」 |
名台詞 |
「ええ、もし引き受けるのが嫌ならどうとでもしたらいいわ。どうなったっておじさんのせいなんだし、だからってそれを気に病むようなおじさんでもないでしょうからね。」
(デーテ) |
名台詞度
★★★ |
デーテは姪であるハイジを連れ、姉の夫の父…つまりハイジを祖父の元に連れた来た。そしてデーテは自分が働きに出ねばならないなど小さな子供の面倒を見ることが出来ない理由を一方的にまくし立てた後で、最後にこう告げる。
この一言で「デーテ」というキャラクターが自分勝手な女性として印象付いた凄い台詞だ。そこまでデーテが語ったハイジの世話を出来ない理由は、手前勝手ながらも理解出来る点があったのだが、この最後の一言はデーテが自分の都合を言っているのでなく、明かな「おじいさん」に対しての誹謗中傷。相手が自分を理解しようとせず、隣にいる子供を引き取るかどうかもハッキリさせないので、逃げさせないために出てきた言葉であろうが、いくら何でも行き過ぎだ。
もちろん、この台詞に対する「おじいさん」の返答は「帰れ!」である。私が彼の立場であってもこう答えただろう。
このデーテの台詞によって印象付いた彼女の「自分勝手な女」というイメージは、今後の物語の伏線になっているなどとはこの時点では誰も想像していないだろう。原作を知らなければこの女性はもてあましている女の子を存命の祖父に押しつけただけの、「物語冒頭だけのキャラクター」だけだと信じていることだろう。この台詞の重要性は後になって「来る」のである。 |
名場面 |
「おじいさん」登場 |
名場面度
★★★★ |
ハイジはペーターから「アルムおんじ」と言うのがただ者ではないと聞かされているが、そんなことはお構いなく「おじいさん」の家へ向けて山を駆け上る。やがて山の中に見える一軒の家、「あれがおじいさんの家ね」と指さしてはしゃぐハイジが画面から消えると、次に出てくるのは「おじいさん」の視線でキセル越しに見るハイジの姿、そして「おじいさん」が足下から徐々に映し出され、その険しい表情が画面に映される。
ここまで劇中でさんざん、これからハイジの養父となる「アルムおんじ」についての悪評が流されている。その上でのこの険しい表情は、ハイジがそんなこと気にせずに明るさを爆発させればさせるほど視聴者が不安になるだろう。視聴者はそこまでのシーンのイメージで「こいつは偏屈」と思わされているだけなのだが、この登場方法にはそれが的中したという不安を上手く煽るだけの仕掛けは沢山ある。前述の画面説明は全てその効果があると言って良いだろう。
そしてこの「おじいさん」の表情こそが、彼に取っての物語の始まりだ。これから52話かけて彼がどうなるのかは、物語上の注目点の1つだ。 |
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感想 |
ドロンジョ様キターーーーーーーーーーーー!!!!! 院長先生キターーーーーーーーーーーー!!
でもペーターの声は、ドロンジョ様というよりのび太ですな。デーテの声は確かにそこここにあのミンチン院長を彷彿とさせる雰囲気がある。
物語は一緒独特のムードで幕を開いた。最初は主人公ハイジに殆ど台詞が無く、厚着をさせられて暑がっているだけである。その背景で「アルムおんじ」なる人物への悪評が流され、「人殺しをした」というとんでもないものを聞いて視聴者は不安に陥ることであろう。そんな場面設定をよそに、ハイジがペーターと出会って野山を駆け回るようになると物語が一変する。ハイジが厚着させられていた服を脱いで下着姿になると、もうここからハイジが裸足でアルプスの山を駆け回る「アルプスの少女ハイジ」らしい画面が展開するようになる。
そして「アルムおんじ」の家に到着し、「おじいさん」とハイジの最初の対峙はあっさりと描かれた。これは「おじいさん」にあまり反応させないことで視聴者の不安を大きくする効果を狙ったのだろう。そして「おじいさん」とデーテが対峙すれば、デーテには「自分勝手な女」、「おじいさん」には頑固者というレッテルが視聴者によってつけられる。こうしてこの二人を強く印象に残しておく必要はあったのは今後の物語展開を見ていればわかる。
この第1話、子供時代に確かに見たのを覚えている。厚着させられて暑がるハイジの姿が妙に印象に残ったからだ。個人的にはその後のハイジが服を脱ぎ捨てるシーンが印象に残っても良さそうなものだけど。 |