第17話「二人のお客さま」 |
名台詞 |
「そうでございましたか! この次の冬に、凍えるような寒い朝に、まだ手足のか細い女の子を、嵐や雪の中をくぐって山を下らせる。そして2時間も歩かせる。そんな事が出来ますか?
それからまた夕方には、わしらだって息も詰まりそうなくらいに雪が荒れ、風が吠えている中を登って来させる。わしがそんなことをすると、牧師さんは本当にお考えでございますか?
そういう時にあの子はどうすればよろしいのかな? 無理をして病気にでもかかれと仰るのですか? 誰でも来るがよろし! そして取りたければ、あの子を取って行くがよろし!
わしはあの子を連れて何処の裁判所へでも出かけます。そして、誰がわしの手からあの子を取り上げるのか、その顔を見てやりましょう。」
(「おじいさん」) |
名台詞度
★★★★ |
ハイジを学校へやるよう、村の牧師が説得に訪れる。牧師はハイジの将来について語ったが、それでもハイジを学校にやらないと言い張る「おじいさん」に「法的手段がある」と言ってしまう。「おじいさん」はそれに反応してブチ切れ、この台詞を叫ぶように語る。
この台詞は前半と後半で言っている事が大きく違うのが特徴だ。前半は「おじいさん」がハイジを学校へやらないことについての、その場での思い付きによる建前だ。もしこの建前を思い付きなどではなく、最初からこう考えてのハイジを学校にやらないという判断であれば、牧師の説得に対してこれを言えば話は「おじいさん」にとって話が終わりだったはずである。だがそうではない。彼はこの台詞の前半内容を思い付きで語っているからこそ、冷静さを失い叫ぶように語っているのだし、頭の良い「おじいさん」の中でも対策や解決法など考えていない。牧師の説得を否定するために、この論理をまくしたてただけである。
そしてこの台詞の後半、「誰でも来るがよろし」からがこの台詞の重要なところだ。ここが「おじいさん」の本音であり、「ハイジを手放したくない」という「学校へやらない理由」である。彼がハイジを学校にやらない本当の理由は、「ハイジの離ればなれの時を過ごしたくない」それだけである。その本心がこの台詞後半に強く表れている、「誰が自分からハイジを奪うことが出来るか!」という強がりであり、「誰でも自分からハイジを連れ去ればいい」という開き直りがそれである。この台詞に「おじいさん」のハイジを失いたくないという気持ちが、強く描かれている。
だが彼はまだ気付いていない、それが人間の子供に対しては間違った愛し方であることを。「おじいさん」がハイジを溺愛するのは理解する、だがハイジのためにはいつまでも自分と一緒という訳にはいかないのは現実だ。彼は牧師の説得でそれに気付いたからこそ、牧師が帰った後に無口になったと解釈している。そして彼が自分の誤りに気付きつつもそれを受け入れられず、どうすればよいか答えが出ないうちに次の事件へと流れて行くのだ。 |
名場面 |
「おじいさん」の苦悩 |
名場面度
★★★★ |
ハイジを学校にやるよう、そのために村へ下り村人達と生活するよう牧師に説得された「おじいさん」だが、彼は結局はそれらを全て断り牧師を帰らせてしまう。そこへハイジが戻って来て「お話って何だったの?」と問うが、「おじいさん」は深くため息をつくだけで答えようとしない。「おじいさん」の様子がいつもと違うのにハイジが驚くのに構わず、彼は立ち上がってヤギの乳搾りに出る。ハイジが後を追い「ねぇ、牧師さんて何をする人?」と問うが、「お前には関係ないことだ」と冷たく答えるだけだ。続けてハイジが「おばあさん」の所へ言って良いか問うが、「言ってはいかん」とこれまた冷たい。「どうして…」と問うハイジを無視し、「おじいさん」は乳搾り中に動くヤギをいつもより厳しい声で叱る。
「おじいさん」が苦悩しているのはまさにここだ。牧師の説得は正論であった、ハイジの将来、心を閉ざす「おじいさん」のこと、村人の現状…正論なだけにまともな反論が出来ず、頑固に「ダメだダメだ」を繰り返しただけだった。これで気分が悪いのは、説得に来た牧師だけでなく「おじいさん」もそうだったのである。
名台詞欄でも語ったが、「おじいさん」はハイジをどうするべきか、そして自分がハイジのためにどうあるべきか、それに対して今の自分のハイジへの愛し方はどうなのか、それらの論理に牧師の話で気付かされてしまったのだ。ハイジは学校へやらねばならない、そのためには自分は村に住みハイジが村での生活に困らないよう村人に心を開かねばならない、ハイジが人として正しく育つためにはそれは避けて通れぬ事で、今の自分が行っている「ハイジを自分だけの檻に入れる」という愛し方が大きな間違いであることに、彼は気付いてしまったのだ。
だが「おじいさん」である、それに気付いてその通りに生かされる事は彼に取って「負け」を意味しているのだ。いや、周囲から見ればそんなことはあり得ないのは当然なのだが、彼はそう思ってしまっている。だから頑固なのである。彼は「負け」にならないようにハイジを正しく育てる方法を考えたが、その良案が出てこなくてイライラし始めている、そのイライラが苦悩となってついにハイジにまで当たり出している辛いシーンだ。
そして名台詞欄で書いたことの繰り返しだが、この苦悩の決着が着かないうちに次の事件が起き、彼はハイジを失ってしまう。「フランクフルト編」序盤で彼の苦悩をしっかり描いたことは、「フランクフルト編」が終わった後にじわじわと効いてくることになる。
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感想 |
ますます頑固になる「おじいさん」、牧師の波平さんによる説得にも動ぜず、ハイジをますます自分の檻の中に閉じ込めてしまう。それだけではない、その苦悩でハイジは「おじいさん」に異変が起きていることを感じ取っていて、ハイジもその対応に苦慮しているというのが正しいところだろう。
その辺りの流れを前半を掛けて丁寧に描いたところで、満を持してデーテが再登場する。しかもデーテが直接山小屋に来るのでなく、村に立ち寄って「ハイジの現況」を聞かされた上で「あなたのせいだ」と批判されるのだからたまらない。この女の性格を考えれば、ハイジを何処かへ連れ去るという展開は多くの視聴者に自然に読めてくるといううまい展開である。
そしてデーテが山小屋に登場し、「おじいさん」に「ハイジを連れ去る」と宣言したところで今話は終わりだ。いや〜、もうこういう嫌味のない切り方はいいね。ちゃんと今話でデーテの目的を明らかにして物語を終わらせたのは、今話を上手くまとめる上で重要だっただろう。
もちろん、原作を知らずに本作を初見の人は「このままハイジが連れ去られる」とは微塵も思っていないはずだ。「おじいさん」がこの件を通じて改心し、ハイジが学校へ通うような甘い展開を多くの人は想像するだろう。この辺りの数話は容赦がない展開なので、目が離せない。
しかし今話、久々にペーターが出てこなかったなぁ。でもエンドロールにはペーターとそれを演じるドロンジョ様の名があったけど。いよいよ次回、物語の舞台が変わる。怒濤の展開だ。 |