「あにめの記憶」19
「アルプスの少女ハイジ」
・「世界名作劇場」シリーズの源流
本サイトでは「世界名作劇場」シリーズの考察を多く行ってきた。海外の児童文学を1年1作、50話前後の話数でアニメ化して、その物語だけでなく背景にある「キャラクター達の日常」を丁寧に再現し、多くの子供達に人の生きる道を説いていったのは間違いないだろう。
そしてこの「世界名作劇場」シリーズの源流にある作品が、「世界名作劇場」シリーズとして正式に名が冠されている最初の作品である「フランダースの犬」の前年に放映された「アルプスの少女ハイジ」であることはもはや異論はないであろう。これ以前もフジテレビ系列では「ムーミン」などの名作アニメを日曜日夜に放映していたが、その作風が確立しのちの「世界名作劇場」シリーズへの母体とも言える作品がまさに「アルプスの少女ハイジ」だ。
もちろん、本作製作メンバーがのちの「世界名作劇場」製作メンバーそのものであるなどの事情も見逃せないだろう。制作者の「ズイヨー映像」は本作製作のために「瑞鷹エンタープライズ」から分離独立し、後に設備やスタッフが「世界名作劇場」シリーズの「日本アニメーション」に引き継がれたという経緯がある。だから本作と「世界名作劇場」シリーズが、作風などで大きな共通点を持ち合わせてひとつの「流れ」を持っていることは何ら不思議ではない。
本作では主人公ハイジが幼児から少女へと成長する過程を、アルプスの雄大な自然とフランクフルトの都市風景を背景にゆったり描いている。ハイジは小さいときに両親を失い、養母である叔母に半ば捨てられる形で祖父の元に預けられるところから話が始まる。そして雄大な自然の中でのびのびと育つかに見えたハイジは、3年後に今度は叔母の自分勝手で都会へと連れ去られ、ここで慣れない都会暮らしに苦しみながらも少女クララと交流を持ち、やがて今度はクララがアルプスの雄大な自然に抱かれて大きな成長を見せる物語へと変化して行く。
このように主人公の立場や運命が大きく変化する中で、主人公やその周囲の人物が成長して行くのは海外児童文学では「おやくそく」の感があるが、これらの成長をじっくり描くことが「世界名作劇場」の醍醐味として受け継がれていったことが、本作が「世界名作劇場」の源流と言えるゆえんだ。そしてこの作風は「世界名作劇場」シリーズだけでなく、「名作もの」というアニメのジャンルを確立させて他局のアニメにも拡がっている。本作は「世界名作劇場」シリーズだけでなく、「名作アニメ」というジャンルの作品の始祖とも言えるだろう。
また、本作は当時人気を博したこともあって、現在もそのキャラクターがあちらこちらで使用されている。複数のテレビCMで起用され続けているし、それ以外でも自動販売機で飲料のキャラクターを勤めていたりする。特に某自動車メーカーの「低燃費少女」ではキャラクターは完全にパロディ化され、賛否両論あったことだろう。
それだけではなく、テレビ番組で「懐かしのアニメ特集」系の番組が放映されると必ず取り上げられると言っても過言ではない。「クララが立った!」のシーンはそれで何度も見たという人は多いだろう。翌年の「フランダースの犬」のネロ昇天シーンと並んで、特番で繰り返し流れる「名作アニメ」のワンシーンではないだろうか。
本作はヨハンナ・シュピリ作の小説「ハイジ」(「Heidis Lehr-und Wanderjahre」および「Heidi kann brauchen,
was es gelernt hat」をまとめて「Heide」)である。本書はキリスト教文学でもあり原作では宗教色がとても強く、特にハイジがフランクフルトの都会暮らしに馴染めず苦しむところで、聖書を読みそれに救われる展開などがあるそうである。本アニメでは原作の宗教的側面が排除され、日本人向けかつ誰が見ても楽しめる作品へと物語の内容が改められた。
これまで「世界名作劇場」シリーズの数多く考察してきた本サイトとしては、本作の考察は避けて通れないと判断してこのたび取り上げることとした。
・「アルプスの少女ハイジ」と私
本作が放映されたのは1974年1月から12月まで、私が3歳か4歳で幼稚園の年少組だった時代なので本放送を見た記憶はかすかにしか残っていない。そのかすかな記憶は、幼少期に住んでいた杉並区の家で日曜日の夜に「ハイジ」を見ていたというそれだけの記憶だ。その回の放送がどんな内容だったかとか、感想等は全く記憶に無い。
時は進んで小学校中学年頃になると、「世界名作劇場」シリーズの再放送が夕方4時代に放映されていて、この中で「アルプスの少女ハイジ」を見た記憶はしっかり残っている。この辺りは「母をたずねて三千里」と同じで、友達と遊びに行ったりして数回見逃しているのも共通点だ。この時に本作のストーリーは理解している。特に慣れない都会暮らしに疲弊して行くハイジの姿が見ていられなかった記憶はある。
時は流れ、「世界名作劇場」シリーズと再会して娘と一緒に楽しむようになったのはここ4年位であるが、その流れの中で「アルプスの少女ハイジ」のアニメ絵本を娘が読んでいたことがある。その影響で1979年公開の劇場版総集編のDVDを購入して視聴した。この劇場版は一部に声優の変更があったが、それほど違和感を感じなかった記憶がある。クララが藩恵子さんだったり、ロッテンマイヤーが京田尚子さんだっったりと、重要な役まで声が変わっているのに見終えるまで気付かないほど長い間アニメ本編を視聴していなかったということだろう。
恐らく明確なかたちで本作を全話通し視聴するのは、小学校中学年頃以来の約30年ぶりとなるであろう。本コーナーではこの作品を大人になった私の目線でしっかり見つめ直し、劇中でのハイジやクララの成長を見守っていきたいと思う。
・サブタイトルリスト
・「アルプスの少女ハイジ」主要登場人物
アルムの人々およびハイジの家族関係 |
アーデルハイド
(ハイジ) |
物語の主人公、明るく活発だがある意味頑固な子。アルムの山で伸び伸びと育つが、都会暮らしに馴染むことは出来なかった。
…前半は悩みなんか無いんじゃないかと思うほどの伸びやかさだが、フランクフルトではロッテンマイヤーとの衝突や慣れない暮らしに対する困惑を演じるなど、明も暗も見せてくれる。でもハイジに癒される人も多いことだろう。 |
「おじいさん」
(アルムおんじ) |
ハイジの祖父、山小屋に一人で無愛想な爺さんであったが、ハイジとの暮らしで徐々に明るさと優しさを取り戻す。
…物語を「ハイジとクララの成長」としたが、このおっさんの成長も醍醐味のひとつであろう。クララの足が治し方を何故知ってた? |
ペーター |
アルムのヤギ飼いの少年でハイジの友達。時には喧嘩もするがハイジを助けることもあり、ハイジのよき兄貴分であろう。
…良い意味でも悪い意味でもハイジと名コンビ、クララが混じってもそのコンビぶりは変わってなかった記憶がある。 |
ブリギッテ |
ペーターの母で、ハイジが大好き。目が不自由な「おばあさん」の世話をしている。
…登場回数が多い割には印象に残らないキャラ、なぜなら出てくるシーンの多くは相づちを打っているだけだから。 |
「おばあさん」 |
ペーターの祖母、昔の「おんじ」が優しい人物であったことを知っている。目が不自由で、ハイジを大いに悲しませる
…そしてハイジがフランクフルトへ行った時に最も悲しみ、最終回までそれがずっとトラウマになっていた人物。 |
デーテ |
ハイジの叔母で、物語冒頭までハイジを育てていたとされる。あまりの自分勝手に見ていて腹が立つキャラクターだ。
…何をするにも一方的で、自分がこうと決めたらそれが正しい女。どっかの院長先生みたいな性格…と思ったら声が同じ人なのね。 |
ゼーゼマン家の人々 |
クララ・ゼーゼマン |
ハイジが「子守」をすることになったゼーゼマン家の一人娘。病気で足が不自由で、車椅子に乗っている。
…その上大金持ちだから、「自分で何とかしよう」という意思がない。この状態からの彼女の成長も物語の見どころだ。 |
ゼーゼマン |
クララの父で銀行か、娘を溺愛している。ハイジも娘と同じように扱い、都会暮らしに苦しむハイジに助け船を出す。
…そしてどうもこの男とロッテンマイヤーは上手くいってなかった記憶が、なんであんなのを雇ったかなぁ。 |
「おばあさま」 |
クララの祖母でゼーゼマンがハイジのために呼び寄せた。慣れない暮らしに苦しむハイジにとってオアシス的存在であっただろう。
…その初登場がとてもお茶目で印象深かった人も多かっただろう。ハイジが立ったのを見て舞い上がる様子も印象的。 |
ロッテンマイヤー |
ゼーゼマン家の執事(というか家政婦だと思う)、頭が硬くて杓子定規的で融通が利かない。伸び伸び育ったハイジには辛い存在。
…でもこういうおばさんが物語を盛り上げるのは、他作の例を挙げるまでもないだろう。恨まれ役のはずだがデータのおかげで助かった。 |
セバスチャン |
ゼーゼマン家の使用人で、クララの世話が担当。ハイジの理解者の一人であり、最後はハイジをアルムまで送る。
…声は999の車掌のあの人。劇中でロッテンマイヤーを「コケにする」という使い道を最初に提示した人だ。 |
チネッテ |
ゼーゼマン家の使用人で、無愛想で冷たいがハイジが嫌いなわけではない。
…無表情なキャラという記憶があったが、今回見直してみて実に様々な表情を持っていることに気付いた。 |
・「アルプスの少女ハイジ」オープニング
「おしえて」 作詞・岸田衿子 作曲・渡辺岳夫 編曲・松山祐士 歌・伊集加代子&ネリー・シュワルツ(ヨーデル)
有名で日本アニメ史に残るオープニングのひとつと言っていいだろう。オープニングテーマ冒頭のアルプスの景色はとても美しく、これに見とれているとヨーデルが流れ出し、ハイジと「ユキちゃん」がスキップする画像に変わる。この変化は物語に人を引き込む効果は大きいが、何と言っても多くの人の印象にのこっているのは、次のシーンだろう。
そう、いうまでもなくあの「巨大ブランコ」だ。あのブランコについてはあちこちで取り上げられ、「空想科学読本」ではブランコの大きさやハイジの速度が計算されているなど、ネタとしても印象に残っている人は多いことだろう。またブランコに乗っているハイジの楽しそうなこと…。
だからその後の、ハイジが雲にのって下界を眺めていたり、ペーターと手を繋いで踊っていることまで印象に残っている人は少ないようだ。いや、あのブランコの印象が強すぎるのだ。
また曲自体も印象深い。ヨーデルが印象的に組み込まれた歌であるが、何よりも歌詞が単純で覚えやすいのが印象深い理由の1つだろう。「♪くちぶえはなっぜー」と歌い出せば、ヨーデル以外は1番の最後まで空で歌える人は多いことだろう。
こんな印象的なオープニングは後の「世界名作劇場」シリーズの基本となっている。「世界名作劇場」シリーズのオープニングでは主人公が「空を飛ぶ何か」に乗っていることが多い。ネロはパトラッシュが引く荷車で空を飛ぶし、ペリーヌはタンポポの綿毛で空を飛ぶ、アンは馬車で空を飛ぶし、トム・ソーヤーは気球で空を飛ぶ、フローネはカモメのブランコ、セーラは安楽椅子で空ではなく宇宙を飛ぶ…これら「飛び物」系のオープニングは明らかに本作の影響による物だろう。
2013年4月14日 追加考察「アルプスの少女ハイジ劇場版について」公開
新作はこちら
総評はこちら
次ページ・「あにめの記憶」トップに戻る
|