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第1話 「新しい土地へ」
名台詞 「我々が一生、生きて行く土地だ…」
(アーサー)
名台詞度
★★★
 ペティウェルに順番を割り込まれるトラブルはあったものの、一家は移民船からボートに乗り換えていよいよオーストラリアへの第一歩を踏み出す。一家の父、アーサーは辺りを見回したかと思うと、裸足で海岸の砂を踏みしめてこの言葉を呟く。この台詞にはこれからこの大陸での生活への希望と不安、そしてこの地で骨を埋める決意が込められている。
 これに子供達も続く、まずは末っ子のトヴが靴を脱いで父の真似をする、続いてケイトが靴を脱いで足踏みして「気持ちいい〜」、下船時に海に落ちたルーシーは既に裸足だったようでそのまま跳ね回り、気付けばベンも裸足で「オーストラリアだ!」と叫びながら人間業とは思えない跳躍力で跳ね回っている。子供達の場合は大陸への到達感というより、狭い船での生活から解放されてやっと地面を踏みしめた方の喜びの方が大きいだろう。そう言えば「ふしぎな島のフローネ」でも無人島に立ったフローネ達は船から解放された喜びに浸っているシーンがあったような。
 父も含めて皆の無邪気な姿を、母アーニーはクララの肩を抱いてそっと見つめている。彼らの目にも到達した安堵感がある。これら一家全員の気持ちも含めて、アーサーのこの台詞に集約されているように感じる。
名場面 オーストラリアでの最初の夕食 名場面度
★★★★
 父が蝋燭に火をつけるとオーストラリアでの最初の食事が始まる。アーニーがスープを持って席に着くと、アーサーの演説が始まる。オーストラリアに無事着いたこと、自分の夢、そして何よりもこれからの生活のこと…これらの話には全てこの大陸への夢と希望が詰まっていて、アーサーの瞳が子供のように輝いている。そしてイギリスから持ってきた「組み立て住宅」を建てるという話と大きな土地を手に入れて立派な農場を作るという話で一家全員目が輝き、拍手喝采となるのだ。
 またその後の「樽の中での就寝」を巡るベン・ケイト・ルーシーのやり取りもいい。兄妹がいる人間にとっては一度は経験があるような会話だろう。
 とにかく、このシーンでは家族全員が夢と希望に溢れ、誰もがすぐにでも土地が手に入ってすぐに農場を作れると信じて疑っていない。多分、初めて見る視聴者もそう感じていることだろう。全ての物語の原点はここなのだ。
登場動物 飼われているもの→モッシュ(ハムスター・初登場)
野生のもの→カンガルー
感想  第1話の前半は祖母への手紙という設定でクララが進行役をつとめる。てっきりこのまま手紙設定で行くのかと思ったらこれはあっさり終わってしまい、後半から通常スタイルであるリアルタイムな日常描写をケイトが進行する構成に変わる。昔はここの統一感のない作りの意味が分からなかったが、今になって見直すとポップル一家が母国イギリスに置いてきた家族を強調するためなのだと理解できる。
 この話ではオーストラリアについて色々と知る事もできた。正直言って南半球では夏と冬が逆になるという知識はこの「南の虹のルーシー」第1話で知った(5年生の1月だぞ、おい。)。そしてイギリスから船で3ヶ月も要するという事実。つまり夏の終わりにイギリスを発った一家は夏の始まりのオーストラリアに到着したことになるという奇妙な現象があり得ることもこの話で知った。
 順番はバラバラになるが、一家が船を下りてボートに乗り換えるまでのシーンが全て静止画像で表現されている(ルーシーが海に転落するシーンは除く)のも、待ちかねた新しい土地への下船という光景を印象づけていて秀逸と思う。後半のケイトとルーシーの働くか働かないかで揉めている会話もいい。
 なによりも好印象なのは、クララが書いた手紙の日付が自分の誕生日だったことかな?
研究 ・オーストラリア上陸
 物語は一家がオーストラリアに上陸するところから幕を開ける。アニメでは語られていないが、彼らはイギリスのヨークシャーから移民船に乗ってオーストラリアに向かい、3ヶ月以上の船旅を経て南オーストラリアのアデレードの近くの海岸線であるホールドファースト湾にたどり着いたのである。これは原作も小説版も設定は同じであるので、アニメでも同じ場所に着いたと考えて良いだろう。
 参考にアデレードの地図へのリンクを貼っておくが、この地図の縮尺を変えるか西へスクロールするかでとにかくアデレードの西にある海岸線付近を表示してアデレード国際空港を見つけて欲しい、アデレード国際空港のちょっと下の海岸線近くに「Glenelg」(グレネルグ)という地名がある。現在はアデレード郊外の住宅街と海辺のレジャースポットとなっているこの地こそがポップル一家が上陸した場所だとみて間違いない。根拠は劇中でアーサーが上陸した場所からアデレードの町までの距離を「10キロほど」と説明しているが、ちょうどこの位置がアデレードの中心街から10キロ離れた海岸線で、アデレードの歴史をひもとくとアデレードへの初期の移民はこの地から上陸したということもわかる。第2話以降で出てくる小さな川もこの地には存在する。第2話の最初のシーンで朝日が砂浜と逆方向から昇っていることも、ここを見れば西側を海にに面した海岸線なので間違いなくここはグレネルグだろう。ただ困ったことに小説版では同じシーンで水平線の向こうから日が昇ったと書かれており、東側を海に面した海岸と言うことになってしまうが、アデレード周辺にはそのような場所はないのだが。
 クララが祖母に宛てた手紙は乗ってきた船に乗って帰っていったのだろう、そうすれば手紙が祖母に届いたのは3月が近かった頃のはずで、イギリスでの描写がちょっと変なような気がするが、これは気にしない方針で。

第2話 「可愛いヤツ」
名台詞 「いいわ、頼まない。私が登るわ。」
(ルーシー)
名台詞度
★★
 コアラを見つけたルーシーはどうしても欲しいと言い出す。しかし木の高いところにいるから捕まえることは出来ない。そこで一緒にいた男子であるビリーに頼むのだが、ビリーは未知の動物に対しての恐怖が先に立ってしまい、木に登る気にはなかなかなれない。ビリーって案外気弱なのね。
 これに耐えきれなくなったルーシーは力強くこの台詞を吐いて、出来やしない木登りに挑戦する…しかし、結果は…。
 ここのルーシーとビリーのやり取りは二人の性格が対比されていて面白い。ただし、ビリーが臆病な面を見せるのは全話通じてここだけだったような気もする。
名場面 ジョンがオーストラリアに渡ると決心する 名場面度
★★★
 この物語は「世界名作劇場」としては珍しく、青年と少女の恋愛もしっかり描かれている。長女クララと相思相愛のジョンは病に倒れ、船が出たらもう二度と会えないと涙ぐむクララを見て決心する、自分もクララを追ってオーストラリアに渡ると。そのために故郷を捨て、仕事も辞めるまでの決意があるのだ、この恋は本物だ。
 この決心を聞いたクララは笑顔を作って病人とは思えない勢いで飛び起きる、ジョンは続ける、今すぐには無理だけど一度イギリスへ帰って唯一の家族である弟とオーストラリアに渡ると。クララは涙を浮かべて喜ぶ、そしてその後には決意と喜びの抱擁があっただろうが、そこは子供向けであることを考慮したからカットということで。
登場動物 飼われているもの→モッシュ
野生のもの→コアラ
感想  いや〜、ルーシーとケイトの会話はいつ見ても楽しい。ただここの「名台詞」欄は物語の中での重要度を見たいので、そこからの名台詞はなかなか出てこないのだが、今回も海岸での二人の会話や、水くみの際の二人は本当に楽しい。今はまだ家族が希望を失ってないけど、後半はこの二人の会話でどれだけ物語自体が救われることか…。
 第2話はやっぱりジョンの決意に尽きると思う。恐らく恋人のためにイギリスからオーストラリアへ移住なんていう例は日本のアニメでは最長距離じゃないかと推測する(宇宙ものは別)。この時代、オーストラリアへ「移住」じゃなくて「引っ越し」となったらどれだけ大変か、弟さんは素直に「はいっ」と言ってくれるのか、それが本放送で見たときは凄く気がかりだった。実はジョンは来ないんじゃないかと思ったこともあった。
 コアラ捕獲シーンも実は臆病なビリーの表現が好きだ。まぁ得体の知れない動物を捕まえろと言われているのだから、自分があの立場だったら間違いなく同じ反応をするだろう。
研究 ・ポップル一家
 2話目で唐突に居留地での日常生活に入って行く、徐々に日常を取り戻すのでなく、家族全員昔からここに住んでいたかのような感じで日常が始まるのだ。
 この話では1話と違ってかなりの部分がアニメオリジナルである、原作にはビリーとコアラを捕まえる話はないようで、ケイトが代わりに水くみの途中で泥だらけになる話や、アーニーとルーシーがテーブルクロスを取りに行く話が入っている。アニメではテーブルクロスが入ったトランクは船に取り残されていて、それをアーサーとベンが取りに行ったが、原作では砂浜に置き去りにしたトランクに入っていたらしい。
 アニメや小説版で家族の設定について描かれていない点がある。実は原作にはルーシーに妹がいる設定になっているのだ、ところがそのルーシーの妹は移民船の船上で熱病にかかって死んだと言うのだ。トヴの年齢やルーシーとトヴの年齢差を考えれば、その妹はルーシーとトヴの間にいたと推測される。他の家族設定では、原作ケイトはお転婆を前面に出した性格のようでアニメ以上に活発で明るく、原作ルーシーは動物好きではあるものの内向的で臆病な女の子という性格だそうだ、原作アーサーは信仰心が厚く躾に厳しくアニメ以上に頑固な男のようで決して妥協はしないらしい。他の家族は原作もアニメも殆ど変わりは無いという。でもアニメからはいると、内向的なルーシーなんて想像できないな。

第3話「かわり者」
名台詞 「洗って食べられるわ、せっかくの新しいお肉よ。」
(アーニー)
名台詞度
★★★
 アーサーとベンがパーカーのテントを張り直し、そのお礼にもらった羊の生肉。それがペティウェルの飼い犬ハッピーに盗まれて食いちぎられてしまう。その量は肉を置いていたトランクとの比較では3分の2、ケイトの手との比較では半分位にまでなっている。せっかくの贅沢な肉が無惨な姿にされて、「食べられないの?」泣きべそをかくルーシー、暗い声で「捨てよう…」と呟くベン。この家族の暗い表情を見て、母アーニーは力強くこの台詞を吐く。
 この台詞には一家を束ねる母としての力量が見事に表現されている。なんてったって今まで保存食程度のものしか食べられなかった一家が贅沢な料理に飢えているのを一番よく知っていたのも彼女だし、この肉をだれだけ家族が喜びどれだけ楽しみにしているか知っているのも彼女だ。だからこのまま捨てることになればとうてい家族の笑顔は得られない。家族が笑顔であり続けるにはたとえ量が少なくたってこの肉を食べるのが良いという彼女の母としての判断だ。実際にこの日の夕食では少ない肉を巡って子供達の笑顔が出る。
 それともう一つ、アーニーはこの肉を料理したくてたまらなかった。贅沢な食材で美味い料理を作る、これにこの母が飢えていたと思われる。新天地に来て自分が母としての「張り」を保つために、この肉の料理を自分でしたかったのだろう。
 この台詞を通じて彼女が家族を上手にコントロールできる立派な母であることが分かる。このようにこの母によって苦しい展開でも家族に笑顔が戻るシーンが、この物語を支えて行くのだ。
(次点)「おうち帰りたい…」(トヴ)
…やっぱ幼児の反応はこうだな。何ともないように見えるこのシーンだが、本当は家族の誰しもが持っていて押し殺している不安を、トヴだけはハッキリと表現する台詞である。
名場面 アーサーVSペティウェル第一戦 名場面度
★★★
 ハッピーが盗んだ羊の生肉と、その一件でのペティウェルの態度を見て早くもペティウェルとアーサーが対決する。もうアーサーは最初からブチギレモード全開だ。ペティウェルに何かを言おうとしたアーニーを止め、子供達をテントへ返すとアーサーはペティウェルの元につかつかと歩く、そして羊の生肉が自分の家でたいへん貴重だったと訴える。
 ペティウェルは金で解決しようとする、それはアーサーを逆上させるだけなのに…アーサーはペティウェルに誠意を求めるが、もちろんペティウェルからはそんな言葉のかけらすら出てこない。それどころか金で解決しようとしたときは「自分の犬のしたことに責任を取る」とか言いながら、いざ謝れと言われると「たかが犬の悪戯に何故自分が謝らなければならないのか?」と矛盾したことを言い出す始末。それを聞いてアーサーはさらに逆上する。
 ここでアーニーのストップが入る。これがなかったらアーサーはペティウェルを殴ったかも知れない。そんなことになったら大変だ、ここでアーニーが止めにはいるのは妻として賢い選択だ。やっぱアーニーは良い母で良妻なのだ。
 止められたアーサーはまだ納得がいかない顔をしているが、アーニーに止められたことで無言でその場を去る。この男も妻が止めると言うことはこれ以上やっても無駄だし、何よりも家族にとって良くないという可能性を感じるのだ。実はこの一家、アーニーで持っているような気がする。
 そして名台詞のシーンへ行く。この話は母アーニーの見どころ満載だ。
(後ろにトム・ソーヤーがいるように見えるのは気のせい?)
(次点…というより)母にパーカーにお礼をよく言ってくれたか?と言われたルーシーとケイト。
…ルーシーは「おねえちゃんこそ何も言わなかった」「おねえちゃんがお礼を言わなかったのは確かよ」の部分が正解、ケイトは「あんたはいわなかったわ、さよならって言っただけよ」の部分が正解。つまりケイトは何も言わずにパーカーの元から走り去り、ルーシーは「さよなら」と言いながら姉の後を着いていったんだな。
登場動物 飼われているもの→モッシュ・ハッピー(ペティウェルの飼い犬・初登場)
野生のもの→コアラ・カモノハシ
感想  コアラを抱いたルーシーが原住民と会ったときはどうなることかと思ったが、意外にもコアラを渡したらあっさりと話が済んだのでちと拍子抜け。しかしこの話の主題はその後の羊の生肉を巡るエピソードだった。
 ポップル一家に不幸をもたらすのにハッピーって名前は皮肉か?とマジで思う。それより皆でハッピーを追いかけるときのルーシーの走り方がパタリロみたいで笑える。そしてペティウェルの性格の悪さ、当時もここで「この〜おぼえてろよ〜」と思ったものだ。
 海で肉を洗うケイトの姿の表現がこれまたいい、家族の楽しみを奪われた悲劇がここにすべて詰まっていると思う。でもこの話、なんだかんだで一番印象に残るのは母アーサーなんだよな。
研究 ・羊の生肉
 実は原作とアニメではこの辺りの順序が少し入れ替わっている。原作ではもこの羊肉のエピソードは最初の大事件なのはアニメと共通なのだが、原作の場合はオーストラリアに上陸した翌日には早速アーサーがアデレードへ行って家を買う話になり、羊肉のエピソードはその後の話になっている。また羊肉の入手理由も違い、原作ではアデレードで仕入れてきているようだ。一晩中テントの柱を支えて徹夜したのもパーカーではないし、肉を奪うのも「黒犬」とされているだけでペティウェルの犬ではないし、ボロボロの肉を海で洗うのもケイトではない。
 羊肉、恐らくこのシーンで出てくるのはマトンだろう。子羊の肉であるラムは最近スーパーでもよく売られているので簡単に口にすることは出来る、私もラムを生姜焼きにしたり肉豆腐に牛肉の変わりに入れたりしてみたが…後者は悪くなかったが前者は独特の臭いで不味くは無かったけどちょっと…。
 マトンはそれより臭いがキツイというのだから、特定の料理にしか使われないようだ。日本ではジンギスカン料理で、確かに肉を焼くと…スーパーで売っているラムとあまり変わりが無いような気がする。スーパーで売っているラムの臭いがマトンの臭いなのかなぁ?
 そのマトンを一家はソースをかけて焼いただけのようだ、スーパーで売っているラムの臭いと同じだとすれば想像すると「ちょっと…」と思うが、よく考えたら屋外での料理である。臭いが家の中にこもったりしないし、何よりも風ですぐ飛んで行くだろう。肉の食感をなるべく活かすならあのように料理するのが一番かも知れない。
 しかし、ただでさえ量が少ない肉を分け合うのはいいとして、トヴにも同じ量をというのは親心を考慮したとしてもやりすぎのような…。

第4話「はじめての探検」
名台詞 「大丈夫よ、こっちがなにもしなければ、向こうも何もしないわ。」
(ルーシー)
名台詞度
★★★
 ルーシーの動物付き合いにおける基本理論、相手が怖い動物でもこっちが何もしなければ向こうも何もしない、友達になりたければこっちが友達になりたいと思えば向こうもそう思うはず。この理論が最初に出てくるのはこの4話の最後だ。
 「探検」と称して岬のところまでやって来たケイトとルーシーとビリー、弁当を食べながら語り合っていたときにルーシーが何かが動いているのを見つける。そっと近づいて見てみるとそれはアシカのの大群だった。
 アシカを見たときの反応は二つに分かれた。ケイトとビリーは隠れてひたすら怖がっている。ビリーの「噛み付かないかな」はお決まりの台詞になってきた感がある。一方のルーシーは「もっと近くで見たい」「触ってみる」であった。この時に出てくる台詞がこれだ。
 そして「近くで見る」「触ってくる」と立ち上がるルーシーを二人がかりで止めるのだが…この論理が働いているルーシーにとっては止めても無駄ってもんだ。もうルーシーはアシカと友達になりたくてなりたくてたまらないモードに突入しているのだから。
 ルーシーが動物に対して、どれだけの愛情を持っているかよく分かる台詞である。
名場面 探検途中の昼食 名場面度
★★
 探検に出かけたケイト・ルーシー・ビリーの3人は岬の岩場に腰掛けてアーニーの作った弁当を食べながら語り合う。目の前に広がる湾の話、そしてこの湾の発見者やライト大佐。
 その中でビリーが夢を語る、将来は探検隊に入ってまだ誰も見つけていない場所を探すのだという。するとケイトが「私も探検隊に入るわ」と言い出す、「女の子はダメだよ」とビリーが答えて言い合いになる。そう言えば小さい頃、必ず一人は男勝りの女の子がいて、男にしか出来そうもないことを平気で口走ったりすることがあった、その時のやりとりに凄く似ているなーと感じながら見ていた。ルーシーが何かを見つけていなかったら睨み合いになったんだろうな。
 ここではケイトの男勝りでお転婆な原作に近い性格が出てきているように感じる。その反面、動物が出てこないときのルーシーが目立たないという誰が主人公なのか分からない状態になっている。このアバウトさ(よく言えば臨機応変)がこの「南の虹のルーシー」が名作として語られる一因でもあるような気がする。
登場動物 飼われているもの→モッシュ
野生のもの→フナムシ・アシカ
感想  二つの物語の同時進行という形式がしばらく続く、ひとつはアーサーとベンの物語。つまりアデレードへ向かう話で、今回は負傷したジャムリングを連れ戻すために不発となるが、、これが実際にアデレードへ行くときの伏線となる。もうひとつがルーシーやケイトを軸にした留守番組の話、今回は岬への「探検」がメインとなる。おかげでクララの出番が…。
 アーサー達が森の中を歩いているときに、これは素直にアデレードには着かないなと感じたのだけどその予感は的中。森の中で負傷したジャムリングを発見するのだが、その課程で突然飛び出してきたウサギに驚くアーサーの表情がなんとも言えなかった。アーサーがあんな表情をするのは後にも先にもないと思う。アーサーがアデレードの町について、ジャムリングがアデレードの現況について話をするのだが、説明口調でも決して不自然さのない言い回しに作られているに今見ると感心する。
 対して探検隊組、こちらはいつものほのぼの路線だけど空に暗雲が立ちこめているのがなんとも嫌な予感。今回は何も起きないのはがっかりだが、ルーシーがアシカに囲まれて驚くシーンで終わるのに驚く、まさか食べられてしまって終わりか?…それはあり得ないか。 
研究 ・はじめての探検
 岬へ探検に出かける話は原作でも出てくる。今回の話に入っている部分ではほぼ原作を踏襲しているようだが、アシカのシーンはない。また3人の弁当を作ったのも原作ではクララと言うことになっている。探検隊の話でケイトとビリーが言い合いをするシーンも原作にはあるので、アニメでのそのシーンでケイトの性格が原作の「お転婆で男勝り」になっているのはそのためだと思われる。
 一方、アーサー達のアデレードへ向かうが負傷したジャムリングを発見する話はアニメオリジナルのようだ。
 では彼らは何処までどれ位の距離を探検したのだろう。またアデレードの地図に入って欲しい、1話と同じく地図を西へスクロールしてアデレード国際空港を探し出し、「Glenelg」(グレネルグ)を探し出して欲しい。1話の研究欄で紹介したとおりここがポップル一家の上陸地点でかつテントを張った居留地である。至近に空港を建設したりで地形が改変されている可能性はあるが(特に空港建設により川の流れと河口位置が変わったようだ)、「Glenelg」と書かれている辺りの海岸線を僅かに北へたどるとマリーナになっている川の河口がある、空中写真モードで見るとわかりやすいが、どうもこの辺りの海岸線が一部岩場になっているようで、ルーシー達はここまで来たようである(前述の通りこの川は空港建設によって流路を変えられたものと思われる)。
 劇中でビリーが目の前にある湾について説明する。この湾の名がセントビンセント湾と呼ばれていることを言っているが、原作と小説版ではホールドファースト湾とされている。この違いについて調べてみたが、ネットで検索するとアデレード郊外のグレネルグという町はセントビンセント湾に面していると書かれているところもあるし、グレネルグの目の前がホールドファースト湾と書かれているものもあったりして訳が分からないのが実情だ。誰かこの違いが分かる人がいたら是非とも教えて頂きたい。
 ビリーの話の中で出てくる「フリンダー船長」というのは、この大陸を「オーストラリア」とすることを勧めたと言われるイギリスの航海者マシュー・フリンダースの事ではないかと推測される。そろそろ長くなってきたので、フリンダースについてはこちらをご覧頂きたい。

第5話「雨のち晴」
名台詞 「僕らは、僕らはたとえ離ればなれになろうとも、いつも心は一緒です。」
(ジョン)
名台詞度
★★★
 デイトンに船が出航すれば離ればなれになると聞かされたジョンの反論。う〜ん、本気だ。本気でこう思えるからこそジョンはクララのために故郷を捨ててアデレードに移民する決意が出来たのだろう。
 このシーンの前後でジョンとクララが樽の中で過ごしている光景がまたまた良い。二人の恋愛をも背景に描くということも「世界名作劇場」最高傑作と私が思っている理由の一つである。子供向けという思いでこれまでは年頃の男女の恋愛について避けてきたであろう「世界名作劇場」だが、この物語ではしっかりとこれを描いた。これも「世界名作劇場」が大人の視聴にも耐えるアニメとして完成するためには、シリーズの何処かで取り上げねばならなかった内容であり、その役をルーシーのクララとジョンが生うことになったのだ。
 しかし、年頃の男女の恋愛が描かれている物語って、「世界名作劇場」では他に思いつかない。「わたしのアンネット」に出てくるルシエンの姉はここまで相手の露出度が高くないし。
名場面 ケイトがマツカサトカゲを踏んづける 名場面度
★★★
 草むらの中で靴を探すケイトが突然立ち止まって直立不動になる。すると突然「へっ!」と声をあげる。ビリーが「どうしたの?」と聞くと返事は間の抜けて声で「踏んだ」。「何を?」と聞かれると「それが分からない、なんだかヌルっとした感じ…」。「足をどかしたら?」とのビリーの指摘に「あ、そうね…」と言いながら「ひぃぃっ」と短い叫びとともに岩の方へ逃げる。
 これを聞きつけたルーシーはわくわくした表情でケイトがいた方向を覗き込む。この事件の主であるマツカサトカゲを見つけたルーシーとビリーはその生き物の奇妙な姿に歓声を上げるが、ケイトは岩の上で震えているだけ…。
 いや、このシーンはルーシーやビリーがマツカサトカゲを追いかけるのはどうでも良い。ケイトの変貌が楽しいのだ。探検の往路ではいろいろ理由を付けて靴を脱ぎ捨てたケイトだったが、この事件で「母さんの言いつけを守れば良かった」と後悔する。そしてそこに至る一連のシーン、踏んづけて「へっ!」と声を上げるときの表情、ビリーの指摘に「あ、そうね…」と返して動くときの表情、岩の上で震えたり「母さんの言いつけを守ればよかった」と後悔するときの表情、これらケイトの表情の変化が楽しくて笑わせてくれる。ほのぼのしていてよい。
 ビリーの「噛み付かれないかな?」も相変わらずだな。彼は動物に噛み付かれた経験があって、それがトラウマになっているに違いない。
登場動物 飼われているもの→モッシュ
野生のもの→アシカ・マツカサトカゲ
感想  この話はケイトの「へっ!」と、ラストのジョンとクララのデートシーンに尽きると思う。まだまだ物語には暗い影はなく、雨に降られたりしても明るく楽しい移民生活を登場人物達は過ごしているのである。
 いよいよデイトン先生初登場、デイトン先生って第1話から出ていたのかと思っていたけど実はこの5話で初登場。放送当時はこの先生がレギュラーキャラクターになるとは思ってなかった。ここでの一発屋だと思っていたのにまさかポップル一家に居候するなんて…それよりもいきなり酔っぱらってフラフラの状況で出てきて、こいつ大丈夫かいなと思ったものだ…でもそういう頼りない初登場の仕方をするキャラが、「世界名作劇場」ではおいしい役を取ったりするんだな〜、デイトン先生はその筆頭格のような気がする。
研究 ・マツカサトカゲ
 爬虫網有鱗類マツカサトカゲ属、オーストラリア固有の爬虫類で、オーストラリア大陸北部沿岸と内陸部以外に分布している。ルーシーたちが見たのはそのマツカサトカゲ属の中でも「ヒガシマツカサトカゲ」という分類の者のようで、これはマツカサトカゲ属の中でも南オーストラリア一帯に生息しているものらしい。特徴はアニメに出てきたとおり、鱗が大きく尻尾は頭の形と同じである。いや〜、のアニメを見るまで知らなかった。

 今回の物語は原作を踏襲しているようでそうではない。前回の探検シーンは原作にあり、その帰り道である今回の話ももちろん原作にあり、アニメ同様雷雨の中である。しかし原作は靴が見つからず困る話と、雷雨によってすぶ濡れになる話で終わっているようである。雨が降る前にはアニメにないエピソードは山積みのようだが。それとアーサーがジャムリングを助ける話もアニメオリジナルだ。

第6話「アデレードという町」
名台詞 「それじゃまるっきり約束が違う。私がこの南オーストラリアにはるばるやって来たのは立派な農場を作るためだ。土地はいくらでもある、こちらに来ればすぐにでも手に入るという話だったんです。」
(アーサー)
名台詞度
★★★
 アーサーが始めて南オーストラリアでの現実を突きつけられる。農場をやるための土地がすぐに手に入らないと聞いてバーナードに詰め寄る。そう、アーサーの計画はいきなり崩れてしまったのだ。南オーストラリアにやってきて、イギリスから持ち込んだ家を建てて、広大な農地を取得して立派な農場を開く…この全てが上手くいくと聞かされていたのに、こっちへ来たらまるで話が違っていたという焦燥感がにじみ出ている。
 アーサーの計画が狂うのはこれだけでない、次の話にかけてもう一つの「持ち込んだ家を建てる」という計画も頓挫することになる。牛車が簡単に借りれないという現実を突きつけられ、アーサーは「そんな風には考えてなかった」と力無く言う。
 こうして物語に暗い影が現れて、この影は最終回まで消え去ることはなくなるのだ。
(次点というかツッコミ)「パーカーさん、ダメよダメー。だってヤギの足を切るんでしょ?」(ルーシー)
…んな訳ねーだろ!
名場面 ペティウェルがアデレードに行かされる 名場面度
★★
 物語の冒頭、ペティウェルが夫人にアデレードへ行って住む家を探すように迫られる。そう、裕福な人間にとっちゃ居留地でのテント生活なんて一日も早く脱出したいものなのだ。でもこのシーンで注目すべきはここではない。
 このシーンでペティウェルと夫人の力関係がハッキリするのだ。ペティウェルは近隣に対しても召使いに対しても大きな態度を取り、常に誠意のない対応で人々を困らせるが、そんなペティウェルを夫人は完璧に尻に敷いて制御しきっているのである。人に使われるのが大嫌いなペティウェルがこれでは気が済まないのは誰が見ても明白だろう。ペティウェルが近隣に迷惑をかける場合、夫人に何か言われたのが原因のような気がしてくる。後に愛犬ハッピーが殺された時もそんな日だったような…。
 いずれにしろ、一家の目の上のタンコブ的なキャラクターの弱点が出てくるが、それがポップル一家に届かないものであることは明白となった。
登場動物 飼われているもの→モッシュ・ステッキー(ヤギ・初登場)・ハッピー
野生のもの→
感想  平和な話だが、早くも一家に暗い影が忍び寄る。本国にいたときに聞かされていた話と状況が違うと始めて知らされるのである。視聴者もこれを見て不安に襲われることだろう。第1話からここまでの流れを見ているとどう見ても開拓物語になると思っていたわけで、誰も一家が思い通りに行かずに苦労する物語になるとは考えてもいなかったはずだ。今回の話をきっかけに農場の夢が遠ざかり、イギリスから持ち込んだ家も失うことになる。
 しかし、前半の洗濯シーンでのパーカーに笑った。自分の下着が人妻とは言え、女性に見られるのが嫌ならわざわざアーニーの隣で洗濯するなよ〜とツッコミたくなった。「洗濯しましょうか?」と声をかけるアーニーに対し、顔を赤くして必死に下着を隠すパーカーには「男の性」っていうものが見え隠れして面白い。少なくとも相手が人妻とは言え、パーカーはアーニーを意識しているのは間違いないね。
 私は個人的に、アーニーは「世界名作劇場」に出てくる母親の中で一番いい人だと思う。色んな意味でね。
研究 ・アデレードという町
 今回の話では遂に物語の舞台となるアデレードの町が出てくる。
 アデレード(Adelaide)はオーストラリア大陸の南東、セントビンセント湾に面した町で現在の人口はおよそ100万人。物語では海岸から離れた地というイメージになってしまうが、劇中でも言われるとおり海岸から10キロほどのところに中心街が広がり、1話の研究欄で紹介したとおりルーシー達が上陸してテント生活をしている地(グレネルグ)は、現在アデレード郊外の住宅地であり、その近くにアデレード国際空港がある。このアデレード国際空港にはかつては東京(成田)からの直行便もあったようだが、現在は日本への直行便はない。日本の姉妹提携都市は兵庫県姫路市で、サウステラスと呼ばれる地域には姫路市が寄贈した日本庭園があるとのこと。
 アデレードはその海岸から10キロほどのところでトレンス川に沿った平地に町を展開した。劇中に地図が出てくるが、これと現在のアデレードの町の地図は驚くほど一致しており(まさか現在の地図から作ったんじゃないだろーな?)、ライト大佐の設計通りに町が作られた事が理解できる。

 夏は東京の夏より若干記憶が涼しくて乾燥しているとのことなので過ごしやすそうだ、冬も穏やかで東京の冬より暖かいようでこれも過ごしやすそう。
 アーサーとベンはアデレードまで徒歩で行ったが、グレネルグからアデレード中心街まで約10キロということは徒歩で2時間半程度の道のりと言うことか? 劇中では朝早く出発したから7時頃に出て10時前に着いたってところか? 帰りは次話での描写を見ると22時過ぎているかも知れない、夜の8時から延々と暗い森を歩いてきたのだろうなぁ。ベンは「今日は何処かで泊まりましょうよ」なんて言ったかも知れない、無論アーサーは「この開発中の街にホテルなんかあるか」と言って終わりだろうけど。 

第7話「ベンの災難」
名台詞 「幸せにならなくては、どんなことがあっても。」
(アーニー)
名台詞度
★★★★
 なかなかアデレードから父が帰らない不安、その中で一家の長女クララの不安は増大して思わず母に自分たちはこの地で幸せになれるのかという根本的な不安を口にする。やはり母にも同じ不安はあり、一瞬表情を曇らせるが、クララには一言「いいえ、信じてますよ。」と言い残して席を立つ、そしてテントの中のトヴの様子を見て、さらに樽の中で寝息を立てるケイトとルーシーを見る。二人の寝顔を見ると険しい表情は吹き飛び、決意したかのようにこの台詞を吐くのだ。
 見知らぬ土地にやって来た事をいたずらに不安がるのでなく、子供達のために自分だけでもしっかりしなければならないという彼女の思いがにじみ出ているだけでなく、この台詞を言うのが不安を投げたクララの前で出はなく、幼いトヴやルーシーの寝顔を見てという点がポイントが高いし、何よりも視聴者にこの母が幼い子を背負っているという事実を突きつけるのに役立っている。
 アーニーには強印象の台詞は多いが、序盤の居留生活では一番印象に残る彼女の台詞だ。
(次点)「起用ねぇ…。」(ルーシー)
…ケイトが「お父さんが心配で眠れない…」と言いながら寝てしまうのを見てルーシーがボソッと言う。言葉の選び方も間も最高の台詞ではないかと思う。
名場面 父の帰りを待つ家族 名場面度
★★★★
 夕方には帰ると思われた父と兄がなかなか帰らない不安。残っているのは幼いトヴを除いて全員女性だけという不安を視聴者が感じ、一家は主である父が帰らないのを不安に感じる。この不安のとらえ方がまた各々違い、見るからにクララ・ケイト・ルーシーは単純に父の帰りが遅いことを不安がっているが、アーニーは父を信用した上で「何か予定外のことが起きたに違いない」と不安がっているのである。その不安は的中することになるのだが、アーニーは自分たちが思い描いている生活や予定がひっくり返るような事態が起きたのではないかという不安を感じていたのだ。
 それで上記名台詞のシーンになるのだが、この台詞がこの不安と直結しているのは誰の目にも明らかだろう。このような不安を煽るシーンの合間にルーシーのケイトの微笑ましい会話が入るのは、この物語らしくて良い。シリアスなシーンが続くのだが飽きないのだ。
 ルーシーが不意に口笛の音に気が付く。他の誰にも聞こえなかったがベンの口笛だという。皆はそれを疑うが、クララが父が持つランプの灯りに気が付く。ルーシーとケイトは兄に抱きつき、アーニーはアーサーに抱きつく。こうして不安な夜は終わるのだ、「家を売る」という衝撃の事実に母の不安が的中したことを残して。
登場動物 飼われているもの→モッシュ・ステッキー・なまけ者(牛車の牛)
野生のもの→(ベンが躓いた動物)
感想  やはりこの話は「父が帰らない夜」の不安に尽きると思う。皆の脳裏に様々な不安が沸き立ってくるという形で不安を増大させられる。火を炊いたのは父達が帰った来たらすぐ分かるようにというのは建前で、本当は明るくしておかないと不安だったのだろう。この不安の描写が子供の頃、見てられなくて思わず画面からめを背けた記憶がある。結果的には何があるって訳ではないのだが。
 後半はほのぼの路線に見えるが、ベンが小麦粉を追って海に飛び込むという話はオーストラリアの食糧事情に不安を感じてしまう。その辺りが現実なのかはもっと後で分かることとして、食べ物を粗末にした船員が許せずに海に飛び込んだベンは遭難してしまう。えぇ〜、どうなるの?と思ったら次回となって当時はずっこけた。
 何か前半の印象が強すぎて、サブタイトルが「ベンの災難」だと言うことを忘れてしまいそうな話だ。
研究 ・移民船
 アデレードに行った父とベンの帰りが遅くなって家族が不安がる話も、小麦粉を入れた樽が流される話も原作通りである。ただし原作ベンは泳げず、小麦粉が流されるのを黙って見ているとか無かったので「災難」は起きない。それと船の中の荷物を取りに行った理由が、アニメでは単にアデレードへの移住が近いからと言うことだったが、原作では乗ってきた船が座礁して沈没防止のために荷物が海中に投棄される恐れがあったからということになっている。「ふしぎな島のフローネ」でも嵐で難航する船の重心を上げるために荷物が海中に投棄されるシーンが描かれているが、これは荒波の中をもみくちゃにされている船だからこそ「重心を下げる」という意味で理にかなった行為であるが、座礁した船の場合は荷物を投棄してもあまり意味がないような…。
 ルーシー達が乗ってきた移民船は見ての通り外輪船である。物語の舞台が19世紀前半だから蒸気船と言えば外輪船だった時代だ、外輪船と言えば船体の両側に大きな外輪がひとつずつ外洋形のものと、船体の後部に小さいが横幅の広い外輪がひとつのタイプがある。「世界名作劇場」には両者のタイプが描かれており、後者のタイプは「トム・ソーヤーの冒険」に幾度と無く描かれ、東京ディズニーランドや琵琶湖の遊覧船としても運行されているので親しみのある方も多いだろう。
 「ルーシー」に出てくるのは前者である。このタイプは船体の右と左で波が変わると、それぞれの外輪が発生する推進力がばらついてしまい真っ直ぐ進めなくなるという欠点がある。また外輪船全体の欠点として、蒸気機関で生み出した回転力を海水に対する推進力に変換する際、その回転力の一部だけが推進力になりあとは無駄に浪費してしまうというものがある。つまり燃料の無駄遣いが多くて燃費が悪いのだ。ルーシーの時代の少し後にスクリューが開発されると、回転力全てを推進力に出来るために効率が良く、あっという間に船舶に広がって僅か数十年で外輪船は実用船から姿を消す。
 さらにこの船は蒸気機関だけでなく帆走も出来るようになっているようだ。恐らく無風の時は蒸気機関で航走し、風が少しでもあるときは帆を張って少しでも燃料費を下げる努力をしているのだろう。このような船に三ヶ月も乗って一家はオーストラリアにやって来たのだ。
 でもグレネルグの歴史を少し調べたら、この時代の移民船は帆船であって蒸気船ではないようなのだが…そのゆうなヤボなツッコミは無しでしたね。

第8話「出発の前夜」
名台詞 「こんな酔っぱらいの大人なんか相手にするのよそうぜ。俺がボートを漕ぐ、何とかやってみるさ。」
(ビリー)
名台詞度
★★★
 わぁ〜、ビリーさまぁ、とても素敵でございますぅ(「小公女セーラ」のベッキーの声で読もう…って声同じじゃん)。
名場面 一家の夕食 名場面度
★★
 アデレードへの出発を前にした居留地最後の晩餐、食事が終わるとアーサーが一家に翌日の役割分担をする。クララはケイトとルーシーを連れて一足先に歩いてアデレードを目指す、ベンは積みきれなかった荷物の番人としてここに残る、アーサーとアーニーがトヴを連れて牛車と一緒にアデレードを目指すというものだ。
 このシーンにいよいよ新しい場所への移動という緊張感が張りつめる、視聴者もアデレードという町での物語の展開に期待と不安を感じつつ物語に引き込まれる一瞬だ。
 また「先に行け」と言われたときにクララの表情が曇るのも正直で良い。早出ではジョンに会えないかも知れない…クララはなるべく穏やかに反論するが、家族のためにやむなしと了承する。さぁ、クララとジョンの恋路は如何に!
登場動物 飼われているもの→モッシュ・ステッキー
野生のもの→コアラ
感想  ベンの遭難はどうなることかと思ったけど、全般的にほのぼのほのぼのしている。がしかしアデレードへの出発が近づいてくる。クララはジョンとの別れを意識し始め、ジョンがまたここに来ることについてかなり懐疑的に見るようになる。そりゃそうだ、イギリスからオーストラリアってとんでもないほど遠い。現在でもアデレード国際空港が「世界有数の先進国から遠い空港」と呼ばれている位だし、女を追っかけてここまで本当に来るなんて当時の普通の考えならあり得ない。
 ルーシーにはそんな緊張感はかけらもないが、ケイトはちゃんと自覚しているのに驚き。あの年頃の自分なら間違いなくコアラを持ち帰ったらアデレードへ行く邪魔になるなんて思い及ばないよ。でもその現実をルーシーに突きつけたケイトも、コアラを捕まえて連れて帰れないことが悔しいようで良かった、涼しい顔して帰ったら幻滅した人多いだろうな。
 いよいよ次回から数回はアデレードへの短い旅行となる。10キロほどの道のりに2話以上費やすなんて…。
研究 ・テント生活した居留地「グレネルグ」について
 この話はアニメオリジナルの部分が多い、原作を踏襲しているのは最後のアーサーが翌日のアデレードへの移動の分担を話している部分だけだろう。前話研究欄の通り、ベンは遭難しないから前半の話はそのままないと考えて良いだろう。ちなみにルーシーがヤギを見つけて来るのは原作ではアデレードに出発する前日の話となっているようで、木の根をナイフで切ったのはパーカーでは無くベンと言うことになっている。
 いよいよ居留地であるグレネルグを後にしてアデレードに向かう。このグレネルグという地は、前述しているがイギリスからの移民が上陸した地であり現在でもその歴史を伝えるものが多く残っている。移民船(帆船)を上に載せた記念碑や、復元された移民船や、南オーストラリア入植に関する博物館などもあるそうだ。特に復元された移民船というのは乗ればポップル一家の気分になれるだろうか?
 それとは別に海辺の観光スポットでもあり、アデレード市街地からのアクセスが良いこともあって市民の憩いの場であり、観光客が立ち寄る場所でもある。海岸にはオシャレな店が建ち並び、綺麗な砂浜と桟橋は格好のデートスポットでもあるという。日本で言えば湘南海岸と思えばいいか。内陸部はアデレード郊外の住宅地となっているようだ。
 現在はアデレード中心街とグレネルグの間に路面電車が走っており、この間を20分あまりで運行しているという。この路面電車の歴史は1873年開通ととても古く、どうやらパーカーのようにグレネルグに留まって居留地で上陸したばかりの人を相手に商売したり、上陸してそのままこの地に留まった人とかも多かったのだろう。
 ちなみにこの路面電車は1929年製造の電車が現在も現役で走っていることで、路面電車ファンから見れば世界的に有名である。数年前からいわゆるLRTタイプの新型車が導入されてもこの旧型電車は現役で、現在は観光用として週末を中心に運行されているとのこと。ルーシー達が歩いた道のりを行くこの路面電車に、この物語が好きな人間としても、鉄ヲタの一人としても是非一度乗ってみたいものだ。

第9話「アデレードへの道」
名台詞 「一目だけでも会いたかった、会えてよかった。それじゃ、さよなら。さよなら、待っててくれ、僕は必ずやってくる!」
(ジョン)
名台詞度
★★★★★
 序盤で一番の名台詞はジョンのこの台詞だと思う。とにかく船が出る前にクララに会いたかった、それだけの思いがにじみ出ている。そしてやっと会えた短い時間に言いたいことを全て言い切っているという内容的にも実用的な台詞である。
 さらに最後の「僕は必ずやってくる!」の力強さに、何が何でもクララに会うため、いや、クララと一緒に生活するためにこの地へ戻って来るという決意がこもっている。この声優さんの名演技にも見ている方は圧倒されね思わず感動の涙が出る。
(次点)「バカバカしいわ、さ、行きましょう。」(クララ)
…ペティウェルの我が儘に視聴者の誰もが感じることをクララが代弁してくれた。なんかスッキリしたね、この一言。
名場面 ジョンがクララに追いつく 名場面度
★★★★★
 ルーシーが「お腹が空いた」と駄々をこねつつも、ルーシー・ケイト・クララの3人は森の中を進んで行く。ふとクララが自分を呼ぶ声に気付き足を止める、最初は気のせいと思ってまた歩き続けようとするが今度は前々話でその地獄耳ぶりを発揮したルーシーがクララを呼ぶ声に気付く。クララは「ジョンだわ…」と言うがケイトはまだ信じない。「私に会いに来てくれたのよ」の一言でクララは目が潤み、耐えきれなくなってジョンの名前を呼ぶ。本当にジョンだと分かると今来た道を戻る方向に走り出す。
 「私たちちょっとどいてましょうか?」「その方がいいみたい」とケイトとルーシーは気を利かせて画面の外へ姿を消す。「追いついた」ジョンが息を切らせて言う、「もう会えないと思っていたわ」「会えた」「時間は?」「ない」「でも」「もう全然ない」「そんな…」…この会話だけでジョンの切迫した状況が伝わってくる。そして名台詞のシーンとなり、最後にクララの「待ってるわ!」でジョンが今来た方向へ走り出す。ジョンとクララが向き合ってからこの間僅か25秒。たった25秒のためにジョンは4キロは走ったと思われるのだ(詳細研究欄)。
 このシーンは文句なしでこの物語序盤最高のシーンだろう。「世界名作劇場」が珍しく描いた大人(と言ってもクララは未成年だが)の恋、二人を引き裂く船の出航とその別れをこんなに短く、こんなに上手に描いたのだ。しかもこの別れは次に会うことの約束でもあるのだ。
 視聴者はクララとジョンがこのまま別れるのは可哀想だと思っただろう。そこにこんなドラマチックなシーンを用意したのだ。ジョンの走りとたった25秒の短い出会いに、視聴者は思わず目が潤む、そんなシーンである。
登場動物 飼われているもの→モッシュ・ステッキー・なまけ者
野生のもの→マツカサトカゲ
感想  ジョンとクララ感動の別れシーンは当時も今も感動である。走るジョンは格好良かったし、ジョンへ走って行くクララもよかった。気を利かせて画面から消えるケイトとルーシーもよかった。クララに会えたかどうかを気にするアーニーもよかった。いい話だ。
 ペティウェルの我が儘具合もいいし、それを見たクララが視聴者の思いを代弁する台詞を吐くのも言い。その後にルーシーがペティウェル達の喧嘩を実況するが、最初は視聴者に殴り合いの惨事を見せない配慮かと思わせておきながら、最後にキチンと殴れられるペティウェルが出てくるし、ざまみろと本放送当時は思った。
 このアデレードへ向かって歩く話は、本放送時に見たときに序盤で一番印象に残った話である。クララとジョンもそうだが、子供の目で見ると話が単純でわかりやすかったのかも知れない。でもこの話はもちろん、次話はアデレードの町には到着するがまだ家には着かないんだな〜。
研究 ・アデレードへの道1
 この話はほぼ原作通りだがアニメ化にあたってかなりエピソードの入れ替えがあったようだ。まず原作では出発前にベンが荷物を積む人夫と殴り合いの喧嘩をするがこれはカット、原作では同じ日にジャムリングもアデレードに向かうことになっているがこれも変更してデイトンが置いてきぼりにされるきっかけを作る。ペティウェルが牛車が遅いと我が儘を言うのは原作もアニメも同じだが、原作ジョンはクララを追ってこない。
 さてグレネルグからアデレードへの道のりについて考察する。当時のグレネルグとアデレードを結ぶ街道が何処にあったかは調べてみても分からなかった。だがこの間を結ぶ路面電車の存在を考えればだいたいの想像がつく、古い路面電車の軌道は旧街道筋に沿って付けられることが多く、またこの電車のルートだと碁盤の目状に道が繋がるアデレードの基線に南から入って行くことになる。一部軌道が専用軌道になっている(他の鉄道との交差がある関係)など旧街道とは思えない箇所もあるようだが、空中写真で見る限り軌道の両側には街路樹が並び、街道としての風格がある。
 また、10話のラストでルーシー達は西側からアデレードの町を見下ろしているが、これは途中で砂糖をなめたために道から逸れたためと推測される(これも複雑な逸れ方をしているが詳しくは10話研究欄で)。予定通りのルートをたどったアーサー達は11話で南側からアデレードの町を見下ろしている(後掲の地図で赤い線と「A21」の文字が交わる辺り・アニメで描かれた町の風景とトレンス川の位置関係が根拠…ただし6話でアーサーとベンがロングに会ったときは町を西から見下ろす位置に到着している)。このことからルーシー達が歩く予定だったのはこの線路に沿うルートと推測できる。従ってこれを前提に説明しよう。
 
(左がルーシー達が見た町並み・右は言うまでもない)
 この地図を見て欲しい。アデレード〜グレネルグ間の地図にルーシー達がたどる予定だったルートと、9〜11話で起きる出来事を書き込んでみた。赤い線が前述の旧街道に近い思われる路面電車ルートである。11話の研究で詳細を話すが、アーサーが購入した「小屋」はアデレードの「ノーステラス」と呼ばれる道沿いにあると思われるので、この地図の「5」の辺りと思われる。「1」がルーシー達が上陸してテント生活をしていたグレネルグである。
 今回推測するのはクララにジョンが追いついた地点で、この地図上の「2」と私は推測した。グレネルグの海岸から約4キロの地点である。根拠は「お腹が空いた」というルーシーにケイトが「まだ半分も来ていない」ということと、ジョンが走ってきたスピードと時間を照らし合わせて「ジョンは4キロ走ってクララに追いついた」と推測できるためである。
 ジョンがボートで海岸に到着してからの猶予は1時間、船乗りだから時間厳守が徹底されている関係上この10分前には戻るつもりでいただろう。つまり片道25分位走るわけだ。
 次に走る速度だ。恐らく普通の人がマラソンをするときのスピードだと思うから、徒歩の倍より少し早い程度だと思われる。私が高校時代のマラソン大会で6キロを30分で走った、これを元に海岸の砂地や森にある木の根などで走りにくいことを考慮すると、平均時速10キロ程度が限界と思われる。すると30分走ると5キロ、25分なら4キロという訳だ。追いついたときの状況から見て時間ギリギリなのは確かで、あと5分走って追いつかなかったら(余裕時間も使い切る関係上)諦めるつもりだっただろう。
 ボートを下りてベンにデイトンを頼むとすぐ走り出し、程なくアーサーとアーニーに追いつく。ここで「あと40分」と言っていることから、ここまで10分走ったと見ていいだろう。時速10キロで走っていれば海岸からここまで約1.6キロ、牛車のスピードが人より遅いことを考えると時速2キロ程度だろうから牛車は出発から45分とちょっと。ジョンとクララが会う1時間前に一家が海岸を出発したと考えれば計算はほぼ合う(ルーシー達は一般的な人の歩行速度である時速4キロで歩いたと仮定)。ジョンがクララに会って帰ってきたときにアーサー達に挨拶しているが、この地点は海岸から2.5キロ辺りと思われる。ジョンはクララと別れてすぐにアーサーやアニーに会ったような描かれ方だったが、実はこの間に1.5キロも走っているのだ。
 ちなみに、ルーシー達の歩行速度を時速4キロ、牛車を時速2キロという仮定した根拠は、11話で牛車が家に着いた際にケイトが「私たち3時間も前に着いたの」と言う点である。今回の道のりは四捨五入すれば12キロで、この速度の仮定ならばルーシー達は3時間、牛車は6時間かかったことになり、その差がケイトの言うように「3時間」になるからである。

第10話「緑の街」
名台詞 「何ヶ月もかけて地球の南の端までやって来たのは、ここで骨を埋めるつもりなのさ。誰でも自分の新しい運命を切り開こうと必死に努力するしかないんだよ、我々は。」
(パーカー)
名台詞度
★★★★
 家族がアデレードへ向かった後、ベンとパーカーは海岸でイギリスへ帰る移民船を見ながら語り合う。オーストラリアでうまく行かなかったらどうなるのか、という話題の時にパーカーが言う台詞がこれ。
 みんな故郷を捨てて遠い土地までやって来た、イギリスから見ればオーストラリアは地球の真裏だ。そんな遠いところまでやって来た人々の覚悟というものを彼は力説するのだ。もちろんパーカーもこの覚悟でもって来ており、彼の事業が成功しようが失敗しようがこの南オーストラリアで骨を埋めるという覚悟を持っているのだ。
 これはアーサーだって同じ、彼も農業に失敗してもイギリスには帰らない覚悟で居るのだ。アーサーの場合はその農業を始める前に、農園を作る土地を手に入れる段階で躓くのだが。
 将来を夢見ていたベンはこれを聞いて複雑な心境になる。彼には彼の夢があるのだが、その夢が父親の夢によって消されてしまったのだ。彼がその運命を受け入れて立派な成長するのはまだ先の話。
名場面 ルーシー達がディンゴに追われる 名場面度
★★★
 見ず知らずの土地、しかも未開の土地で少女3人の10キロに及ぶ徒歩行程はそれ自体が冒険となるはずである。その冒険には発見あり、楽しさあり、そして恐怖もある。このシーンでは命がけの3人の恐怖が上手く描かれている。
 砂糖をなめたことで道から外れてしまった3人は不安な表情で森から出て藪のようなところへ出る。そこで最初にケイトが「異変」に気付くのだ、3人はしばらくそのまま歩き、気のせいかな?と安心しかけた矢先にルーシーが「あ〜、あそこ」と声を上げる。これで3人が何かに追われていると認識し、恐怖に怯えて肩を寄せ合って歩く。
 ここで場面がアーサーとアーニーの牛車に変わるのが効果的である、この場面でアーニーが子供達が無事に家に着いたであろうと言うのだ。アーサーは買った家の内容について言及し、アーニーは「今頃家を見てがっかりしている頃ね」と結論づける。これは子供達の現実を視聴者に印象づけるスパイスだろう。
 また場面は少女3人に戻る、クララが「私これ以上耐えられない」と言って走り出す。するとテンポのよいBGMが流れて3人は必死になって走るのだ。その途中でルーシーが転ぶのは「お約束」、これで立ち止まってしまったために追いつかれるか?と思ったらどこからともなく犬の鳴き声が聞こえる。この牧羊犬に吠えられるものの羊飼いのロングが出てきて助かるという内容だ。
 このシーンはクララの言葉を借りれば「獣」に3人の少女が追われている臨場感と恐怖感がよく表れている。特に走り出してからのBGMが秀逸だ。この曲はこの後も何度も出てくるが、この曲がかかるところに名場面が多くて物語を印象づけている。
登場動物 飼われているもの→モッシュ・ステッキー・なまけ者
野生のもの→ディンゴ
感想  今回はひたすら歩いてルーシー達3人がアデレードに着きました…ってそれだけの話だけど、見せ場もいくつかあって見ていて面白い。ルーシー達が砂糖をなめるシーン、ペティウェルがブチギレで牛を叩きまくる横をアーサー達が追い越すシーン、ベンとパーカーの海辺での会話、デイトンが置き去りにされたことに気付くシーン、そして名場面欄で紹介した3人がディンゴに追われるシーン。これといって物語は進んでいないはずなのに印象に残る話に出来上がっているのだ、いやこの「南の虹のルーシー」自体が物語の展開がゆっくりで、かつ見せ場が多いという特殊な作りになっている。
 ベンとパーカーが海辺で会話するシーンでは、開拓者達の覚悟と哀しみをパーカーが代表して語ったようにも感じる。私はこの「南の虹のルーシー」を見るまで、どこかの開拓が舞台になった物語を見たことも読んだこともなかった。そんな人たちの覚悟や気持ちに最初に触れたのがこのアニメで、ちょっと勉強させられたと思ったものだ。自分にはそんな生き方出来ないんじゃないかと思ったりもしたのだ。
 いよいよ舞台はアデレードに移る。原作だとここで章が変わるようだが、アニメは特に区切りを入れないまま突き進む。
研究 ・アデレードへの道2
 この話で原作のエピソードを踏襲しているのは、ルーシー・ケイト・クララの3人が歩いている部分だけである。砂糖をなめて道から逸れるところは同じだが、ディンゴにには追われない。他のシーンは全てアニメオリジナルのようで、デイトンは存在自体がアニメオリジナルのようだ。
 いよいよ3人がアデレードへと近づく、またこの地図を参照しながら話を進めるが、今回のルーシー達の足取りをたどる場合は物語を逆にたどった方がわかりやすいので、この回のラストシーンから逆にたどる形で推理する。
 最後に出てきたアデレードの市街地を見下ろす位置は、地図中「4」の位置のすぐ上にある道路付近と見られる。根拠は前話研究欄に示したスクリーンショットで、ここに描かれているアデレード市街とトレンス川の関係である。これから導き出されるルーシー達がロングと会った場所が「4」付近である。原作ではこの場所でクララが見せた地図の場所について「そこから1〜2マイル」と言うことなので、次話で詳しく紹介する家の想定位置から「4地点まで」2マイル以内と言うことも考慮してこの位置と推定したのだ。さらにここはロングの言う「アデレードの町を取り囲む公園地帯」の中なので、この点でも矛盾はない。
 ただし、原作では羊飼い(原作には複数の羊飼いが登場するようでロングと同一人物なのか分からない)が家の方向を「北北西」と言うのでアニメとの整合性が取れなくなっている。ここはあくまでもアニメ版での位置を紹介することとし、「アニメ化に際して変更されたオリジナル設定」と解釈してアニメの描写からの推理に徹したい。
 話を逆に戻して、このロングと出会った位置が「4」付近で正しかったと仮定される場合に、ルーシー達が砂糖を舐めたと思われる地点が「3」となる。問題はここで砂糖を舐めたことをきっかけに、クララは「右へ逸れた」と言うのだが、右へ逸れるとラストのルーシー達が見たアデレードの町の風景(西側から見た)と、次話でアーサー達が見るアデレードの町の風景(南側から見る)の関係が合わなくなる。どう考えてもルーシー達は左に逸れなければならないのだ。クララが「右に逸れた」と言った後に左へルートを修正する会話がされているので、恐らくこの左へのルート修正が上手くいかずに本来の道を通り越して今度は左へ逸れてしまったと思われる。
 つまりルーシー達は「3」地点から南へルートを逸れ、「East Ave」の辺りで右へ逸れたことに気付いて左へ針路を修正するため北へ向かい、本来の道を通り越して「Keswick」の辺りからディンゴに追われたものと推測する。
 一方、アーサー達は予定通り赤い線に沿ってアデレード入りしたと見られる。9話研究欄で解説したが、11話で街を見下ろしたのは前掲地図の赤線がアデレードの公園地帯に入った辺りと思われる。
 しかし、ここでルーシー達が歩いた道のりを検証してみたサイトって他にあるのかなぁ?

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