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第11話 「小さなわが家」
名台詞 「おーい、君、そのバケツ持ってあげるから、もう少し先で待ってろ…」
(バーナード)
名台詞度
★★★
 クララにひと目惚れした男の地の叫び。全裸で泳いでいると知られて、嫌われてはしないかとハラハラしていたんだろうな…。まぁクララは足を止めずに家へ帰ってしまうわけだが。
 だからこそ出来もしないのに、アーサーの手伝いをすると豪語したんだろうな…。
名場面 新しい家のと出会い 名場面度
★★★★
 やっとの事で家に着いたルーシー達、しかしそこで見たものはあまりにも小さな家、3人はあまりの小ささに唖然として目を丸くする。もちろんケイトはそれが自分の家であることを信じず、何かの間違いであることを信じて姉や妹に色々聞いてみる。クララは「お父さんは家じゃなくて小屋を買ったと言ってた」と思い出し、ルーシーは疲れているので休みたくてたまらない。仕方なく隣人に聞きに行くクララとケイトだが、その隣人、ジェーンの口から自分たちの名前が出てくるとあの小屋が自分の家だと知り、愕然とする。家の中に入るとあまりの狭さにクララが「お父さん、一体どんなつもりでこの家を…」と言うとケイトがすかさず「小屋でしょ?」と言い返す。しかしルーシーが裏口を開けて「川が見える」と言うと、その景色の良さと水に困らないと言う利便性にすがるように喜ぶ。だがクララは言いつけられていた掃除をする気にもなれないと言い出す。
 冷静な母、アーニーもさすがにこの家を見て驚く。道中で「見窄らしい家を想像してくれ」と言われ続け、覚悟は出来ていたアーニーであったが、あまりにも小さな家から我が娘が出てきたのを見て「まさかあれが私たちの…」と言う、「ほら、だから私はがっかりしないようにと…」というアーサーに「がっかりはしないけど…驚いたわ、随分小さなおうち」と驚きの声で言う。
 この家との対面は家があまりにも小さく、あまりにも見窄らしい事を上手く表現しており、それによる家族の落胆ぶりを強調することでその家の小ささを視聴者に見せつける。
 ちなみにアニメの表現はまだ生ぬるい、原作だとクララは涙ぐみ、ケイトとルーシーはその場に座り込んで泣いてしまう。アーニーですらショックを受けてトヴの毛布に顔を埋めて泣いてしまったという…。
登場動物 飼われているもの→モッシュ・ステッキー・なまけ者
野生のもの→
感想  この話は家族全員があまりの家の小ささに驚く、それに尽きると思う。特に視聴者はアーサーへベンと共にこの家を一度見ているのだから、サブタイトル「小さなわが家」を際だたせるためにどのように表現するかがカギとなる話だ。原作ではここまでにこの家は一度も出ていないので問題ないが、アニメでは一度出してしまっているのである。
 正統派路線としてはこれを見た家族がかなり大げさに驚く、という表現だろうがこれは原作に使われてしまっている。ならばとこの驚きの表現をあっさり、かつ印象に残る手法で描いたのだと思う。アニメでは原作のように家を見て号泣させない代わりに、台詞を選んでこの驚きを表現したのだと…無論本放送時にも「家の小ささ」は印象に残って、どうやってあの大家族がこの家に住むのかという楽しみはあったし、現在見てもここの表現は秀逸だと思う。
 クララとバーナードの出会いも気まずくて良い、バーナードはクララに一目惚れしているようだがこれが後々尾を引かないという展開も良いと思う。ステッキーを追いかけるルーシーとケイトの動きも表情もほのぼのとしていて好きだ、だけどまさか川に落ちるなんて…当時は本当にハラハラしたものだ。
研究 ・小屋の位置
 一家はアデレードに到着し、いよいよ物語はアデレードの街へと舞台を移すのである。
 アデレードでの物語の展開において、当サイト的に是非とも押さえておきたいのはあの「小屋」の位置である。アデレードの街の何処にあの小屋があるのか、これは今後の物語の展開において重要なポイントと思われる。
 結論から先に行ってしまうと、毎度おなじみこの地図の「5」地点にこの小屋があると思われる。劇中では「ポリー通り」(原作では「ポリーズレーン」)にこの家があるという台詞が出てくるが、私が調べた結果この「ポリー通り」の位置を確定するには至らなかった。架空の街路なのか、昔はあったが今はない街路名なのかも分からないので、劇中の描写や設定から推測してみた。
 この小屋の位置についてよく語られるのはトレンス川が近いという点、今後の何度も家の裏のトレンス川が出てくるが、状況から言って200メートル以内ところにトレンス川が流れていると考えて良いだろう(河原でのルーシーやケイトの悲鳴が聞こえる…大声を出せば聞こえる範囲内という意味)。
 次に家の方角である、かなり先だが32話に家族全員が虹を見上げているシーンがあるが、その話の状況から言ってその時刻が午後(夕方に近い)であることは間違いない。つまり虹は東の空に架かっていたわけで、家族は東を向いていることになる、従って家は玄関を南へ向けて建っていることになる。これで通りの北側に家があり、トレンス川の南岸であることは確かだろう(気を付けねばならないのは南半球なので昼間は地図の上方向から日が当たるということである)。また中盤になると、「東の林へ行く」と言ったルーシーが家の前の通りを家から見て左方向へかけて行くシーンもある。
 一番重要な資料はこの話で出てくる家の裏口から見たトレンス川の風景である。左(西)から流れてきたトレンス川が裏口真正面で正面方向(南)へ向きを変え、しばらく先で右(東)に向きを変えているのである。そのカーブの角度は直角には達していない。

 上記3点をまとめるとある1点に絞られる。それが前掲地図の「5」地点だ。現在はアデレード駅(近距離列車の駅)になっている「ノーステラス(North Terrace)」に面したこの位置にあの小屋はあったと考えられる。ただし先に行っておくが、33話以降(ルーシーが10歳になった後)の話で何度かこの家の場所までルーシーとケイトが徒歩で向かうシーンがあるが、その時に「アンガス通り」にある新居の位置(33話研究で検証予定)を元にした歩いてくる方角に矛盾が生じる(根本的に33話でこの小屋がアデレード橋の上流にあったとナレーションされてしまう)。
 32話以前ではこの小屋がこの位置だとして矛盾はなく、この11話でもアーサー達が街を見下ろして「家はあの方向」と指さした方向も、この家に到着するときに歩いてきた方角は一致する(前掲地図の赤線の通り歩き、家に東側から到着する)。

第12話 「アデレードの夜」
名台詞 「あのなベン、その…酒はすぐにはやめられそうもないが、患者は真面目に診ることはここで誓ってもいいよ。いや、ハッキリここで誓うよ、ベン。」
(デイトン)
名台詞度
★★★★
 居留地の樽の中でベンとデイトンが語り合う。ベンはデイトンを見ていて医者になろうという気力が下がってしまったことを告白し、デイトンに「酒を呑みすぎだ」と批判する。「生意気を言ってごめん」というベンに、デイトンは力強くこの台詞を吐く。
 デイトンは酒好きなだけでなく、どこかに不真面目な要素もあると自覚していたのだろう。それを何とかしなきゃならないという思いもあったに違いない。それをベンに直接批判されるとそれに腹を立てるでなく、ここでしっかりしなければならないという決意となる。
 さらにこれはベンに真面目になると誓っただけでなく、オーストラリアという見ず知らずの土地でやっていくという決意の表れでもあるだろう。この語のデイトン、しばらくは酒に溺れるが徐々に真面目な医師として変化するのである。そんなデイトンの視点でこの物語を見るのも悪くないだろう。
(次点というか…)「私、この服気に入ってるの!」(ルーシー)
…うん、余程気に入ってるようだね! いつも同じ服着ているし!
名場面 アーサーVSペティウェル第二戦 名場面度
★★
 ペティウェルが向かいがポップルの家だと知ってつかつかと歩いてくる。アーサーが出て行くとありきたりの挨拶で始まるが、無論この二人の会話が近所になった挨拶で済むわけがない。
 まずペティウェルが小屋について散々言った後、「組み立て式の住宅を売ったことを悔やんでいるようだな」と聞く、「別にそんなこと考えてもいませんよ」というアーサーの言葉には負け惜しみも悔しさも微塵も感じられない。だがこの後のペティウェルの言葉にアーサーも視聴者もあたま来る事になる。「目に前に建てなきゃならないので心を痛めていたと」白々しく言うのだ。さらに「家を建ててもらえないか」だなんてふざけるのもいい加減にしろと答えたい気分、いや、テレビの前の視聴者はペティウェルに向かってそう叫んだ者もいるだろう。もちろんアーサーは断る。足しよう語気が荒くはなっているもののつとめて冷静に「お断りします」というアーサーに「男」であり「父親」を感じるシーンなのだ。
 さらに金で解決させようとしたり、召使いを馬鹿呼ばわりまでしてアーサーに頼もうとするペティウェルを見てもうムカムカムカムカムカムカ…それでも負けないアーサーは凄い。これで一発殴りでもしたら負けだもんね。
 自分だったら、ブチギレして何を言っているか分からなくなりそう。
(次点というか…)ケイトからヤギが子供を生むと聞いたルーシーが家から飛び出す
…「世界名作劇場」歴代主人公の貴重なヌードシーンとして有名…だけど色気0%!
 ちなみにルーシーの着替えシーンは今回だけではない。「世界名作劇場」歴代女の子の主人公で、最も肌の露出度か高いかも?(全て色気ナシ!)
登場動物 飼われているもの→モッシュ・ステッキー・マックさん家の鶏
野生のもの→
感想  ルーシー危機一髪、でもあっけなく原住民に助けられて「なぁんだ」と思ったらアーサーが勘違いして原住民に怒りをぶつける。言葉通じなくてよかったね!と当時は考えながら見ていた。
 そんな感じで前半は余談で過ぎる、トヴが消えたと思ったらマックさん家の鶏小屋で寝ていた件や、羊の移動に四苦八苦するケイトや、ルーシーのヌード(笑)など、特に話を左右するような重大な事件は起こらず、家族が右往左往している光景が冷静に描かれている。
 後半は少し重みが出てくる。ペティウェルのあの態度はやっぱあり得ないだろう。「世界名作劇場」でこれほど見ていてムカつく人間はいるだろうか? 主人公に意地悪する人間はそれなりに理由があるのだが、ペティウェルにはそれが感じられずそういうレベルの低い人間にしか見えない。そしてベンとデイトン、デイトンがハッキリ決意するシーンがあるが、ここではまだすぐに決意したとおりの人間にはなれないのがこの物語の良いところ。デイトンもこれから何度か酒が原因の騒動を起こし、その中少しずつ変わって行くのであって、決意して宣言したからとすぐには変われない人間くささを的確に描いている。
 こんなところも「世界名作劇場」最高傑作に私が推す一因である。
研究 ・ルーシーの服装
 今回はアニメオリジナルの話である。原作ではアデレードに到着したその日は、雨が降って荷物を慌てて片付けて一日が終わってる。ただしルーシーが川に流されて助けられるシーンは、ハラハラドキドキ要素として万人受けが必要なアニメでは絶対必要なシーンだろう。
 さて、今回のテーマは主人公の服である。ルーシーはいつも赤のワンピースにピンクの前掛けという衣装で出てくるが、なぜそうなのかは本人が「気に入っている」からと言うことが今回の話で明らかになる…そんな事はどうでもよくて、アニメのキャラクターというのは作画の関係上どうしても着たきりになってしまうことが多く、「南の虹のルーシー」でも基本は皆同じ服で出てくる。「小公女セーラ」のように状況に応じて着替える方が珍しく、以外の作品では稀に視聴者サービス的に違う服を着せる程度である。
 だがルーシーは「世界名作劇場」主人公では服装のバリエーションが多い方の部類に入る。ハイジやアンネットのように途中で年齢が変わっても全く同じ服を着ているという例が多い中で、ルーシーは年齢が変わったときに服も替わるし、それを差し引いても色んな服装で出てきて視聴者の目を楽しませてくれる。
 ルーシーもここまでの12話で色々な服装をしている。基本形以外では夜や早朝のシーンに欠かせない寝間着姿、上陸時に海に落ちた関係で出てきた下着姿…そして今回出てきたのは一気に2通り、上半身裸(これを服装と呼べるのか?)と今回限りの黄色いワンピース姿である。しかしこの黄色い服、ハッキリ言って似合わない…。

 また小さな子供が見てわかりやすくするためか、ポップル一家の服も丁寧に色分けされている。32話まではアーサーは白、アーニーは薄紫、クララは青、ベンは水色のベスト着用、ケイトは黄緑、ルーシーは赤、トヴは黄色と色分けされていて緊急的に着替えた場合を除いてこの色分けで固定されるのが面白い。33話以降はクララが水色でベンが青、トヴだけは違った系統の服になってしまう。なんか戦隊シリーズみたいだなぁ。

第13話「ベンがやってきた!」
名台詞 「バカ。わしゃ金儲けをするために医者になったんじゃない。」
(デイトン)
名台詞度
★★★
 荷物を運ぶ手配が着いてアデレードに運ぶ荷物の積み込みが終わり、いよいよ出発と言うときにパーカーがベンとデイトンを見送りに来る。その時にパーカーはデイトンのために病院を作ろうと言い出す、アデレードには医者は少ないから多少診察料を高くしても儲かるから、儲けを折半でという話をけしかけるのだ。
 それに対するデイトンの答えがこの台詞。そう、デイトンは金儲けを目的にオーストラリアに来たわけでなく、成り行きでここに残ることになってしまっただけなのだ。そしてデイトンに必要な金は、唯一の楽しみである酒が飲める程度でいい。この男は金では動かない男なのだ。だからこそ同じく金では動かないアーサーと気が合うのだ。
 またパーカーというのも実に抜け目のない男である。この地でお金になることなら何でも飛びつくだけのバイタリティがある。今回の他にアーサーがイギリスから持ち込んだ住宅を売るのに、仲介料としてポップルからかなりの金を巻き上げたことだろう。そしてデイトンも彼の目に止まったのだ。
 絶対的な悪人として描かれているペティウェルの存在がなかったら、このパーカーこそが悪人役になったかも知れない。このシーンを見てそう思った。
名場面 ステッキーの出産 名場面度
★★★
 家族にとって初めてのアデレードの朝は、ルーシーの大声から始まる。昨夜一緒にテントで寝たはずのステッキーが姿を消したのだ。ルーシーとケイトは寝間着姿のまま探しに行き、騒ぎを聞きつけたアーサーとクララも捜索に加わる。
 川の方へ捜しに行ったルーシーはステッキーの鳴き声を聞く、さらにステッキーとは違う声も草むらから聞こえるのだ。ルーシーがその草むらの中を覗き込むと…ステッキーは3頭の子山羊を出産したところだったのだ。
 すぐにケイトだけではなく、アーサー・アーニー・クララもその草むらにやってくる。3頭の内2頭は既に立ち上がっており、最後の1頭が今まさに立ち上がろうと奮闘しているところだ。ルーシーとケイトがそれを応援するときの表情がよい。そしてその子山羊が立ち上がると、皆で拍手して喜ぶ。
 最近のアニメにはこんなシーンはないような気がする。現在の子供達は子山羊は産まれたらすぐ立ち上がるなんて、教科書でしか習わないのだろう。「習う」に過ぎないからすぐ忘れる。こういうアニメの物語としてそのようなシーンを見て「記憶する」という事が出来ないのだ。こういうシーンこそ現在のアニメで流すべきだと思うのは私だけではないと思う。
登場動物 飼われているもの→モッシュ・ステッキーと3頭の子山羊・ハッピー
野生のもの→
感想  冒頭のステッキーの子供が生まれるシーンは本当に良いと思う。前述の繰り替えしになるがこういうシーンこそ子供にキチンと見せるべきだ。ただ見せるのでなく「物語」の一部として記憶させるべきなのだ。毎週殺人事件起こしてその犯人を推理させている暇があったら別のことをやれとマジで思う、最近のアニメはこのような点で物足りないと言わざるを得ない。
 今回の話は劇中で1日分の話だが、その中で色々な話が次から次へと来るのでもっと進んでいるように感じる。その上海岸にいるベンとの二元中継だ。アーサーはまたペティウェルに家を建てろと迫られるし、ルーシーとケイトは家から抜け出して遊びに行っちゃうし、煙突が詰まって家は煙だらけになるし、ベンはデイトンとアデレードに向かうし、病人は出るし…最後のベンが帰ってきたシーンで妹たちがベンに抱きつくのは自然で良い。仲の良い兄妹なんだな〜。
 ペティウェルは相変わらず金でアーサーを動かそうとするが、アーサーは金じゃ動かないってなんで分からないのだろう。まああまりにも金に執着しないからこそ苦労しているという面もあるかも知れないが…だからこそ今後デイトンと気が合うんだと思われる。デイトンもそんなアーサーが気に入っているのだろう。だからアーサーはデイトンを自宅の敷地内に住まわせるし、デイトンもなんだかんだ言いながらアーサーを頼るのだと思う。この二人の前面には押し出さない親友関係はこの話で謎解きされているような気がする。
研究 ・医者は何処だ!
 やっていることはほぼ原作通りらしいが、時系列的にかなりいじられている。原作では子山羊が産まれるのは夕方のようだし、ベンが来るのは家族がアデレードに着いた夜の話のようである。ルーシーとケイトが家を抜け出すのも同じで、マックが病に倒れアーサーは様子を見に出かけるのも同じらしい。
 アニメでは病に倒れたマックを見てもらうために医者のところへ行くという話になる。劇中のアデレードは医療事情も悪く、医者に往診してもらうのはほぼ不可能だという。そこでバーナードはアーサーにマックを背負って運ぶのを手伝ってくれと頼む。
 では劇中のアデレードはどれだけ医療事情が悪いのだろう。バーナードが「キャリングトン通り」まで行かないと医者がいないことをほのめかしているので、このキャリングトン通りというのを探してみた。デイトンがポップル家の敷地で診療所を開くのにどれほどの意味があるかの指標にもなると思われる。
 アデレードの地図を見てもらいたい。この地図を見るとアデレード市街のちょうど真ん中に緑色の矢印がある。この地点を南北に貫く「キングウィリアム通り」(King William Rd)がアデレードの南北方向の基線になっているようで、この通りを境に西と東で東西方向の通りの名前が変わる。
 その緑矢印の少し下に、「Victoria Square」という広場があり、この広場の南端から東に延びる通りが33話以降で舞台になる「アンガス通り」(Angas St)である。そしてその一本南を東へ向かう道が「キャリングトン通り」(Carrington St)である。小屋があると思われる「ノーステラス」から「キングウィリアム通り」を南に1.1キロ、さらにキャリングトン通りの東へ行かねばならないだろう、すると小屋から一番近い病院まで場所によってはもう1キロ近くある可能性もあり、確かに病人を担いで行くには遠い。
 そんな状況だから、突然ノーステラスにやって来て診療所を開いたデイトンが、付近に住む住民には神に見えたに違いない。

第14話「たくましい男」
名台詞 「ええ、分かっているわ。でも、どうしても一緒にいたくない時もあるの。」
(ケイト)
名台詞度
★★
 薪拾いから一人で帰ってきたところを父に見つかったケイトは、一人で帰ってきたことを父に叱られる。この地にはまだどんな危険があるか分からない、危険なときに二人でいればそれを避けられる可能性があるからだ。もちろんケイトもそんな事は分かり切っている。
 だがいつも一緒にいる姉妹だからこそどうしても一緒にいたくないときはあるのだ。この時は些細な理由で喧嘩をしてしまった後、どうしても妹と一緒にいたくないのである。こんな意地の張り合いは兄妹がいる者は誰もが経験したことがあるだろう。
 ケイトは父に叱られるとこの台詞だけ吐いて逃げるように行ってしまう。
 だが喧嘩してもすぐ仲直りしているのが本当の兄妹ってもんだ。この後、ルーシーが「ヘラクレスさん」を連れて帰ってきたときは、ケイトももう喧嘩していたことなど忘れて出てきている。その直後ではルーシーと一緒に家を抜け出すべく共同戦線を張っているのだ。そして仲良く蝋燭を作ったりなんかしている。
 こんなリアルな姉妹の姿を見られるこの物語は、やっぱり楽しい。
名場面 アーサーとベンの帰宅 名場面度
★★★★
 製材所に木材を買いに行っただけのはずの父と兄が夜になっても帰ってこない。夕食の辺りからなぜ二人が帰らないのかと不安になる。
 その頃、アーサーとベンは資材を満載した荷車を手で引いていたのだ。さすがのアーサーも汗まみれで疲れ果て、何度も休憩しながら家を目指したのだろう、すっかり日が暮れてしまってもまだ家に着けずにいた。
 テントで煙草を吸っていたデイトンも同じテントで寝泊まりするベンの帰りが遅くて退屈だ、だが耳を澄ますとアーサーの声が聞こえるじゃないか。デイトンが大声で家へ向かって叫ぶと、家族の中で女性ばかりが走って出てくる。トヴだけが置いて行かれているのがなんだか印象的だ。
 皆は走って荷車のところへ行き、アーニーはアーサーに抱きつき、ルーシーとケイトはベンに抱きつく。そして安堵の喜びを爆発させると、デイトンも加わった全員で荷車を押して家へ帰る。
 たくましい力仕事をこなした父と兄の姿を強調してサブタイトル「たくましい男」を印象づけ、さらに家族で一致団結して困難な事を解決して行くという姿勢が前面に押し出され、見ている方は思わずホロリと来る。さらにポイントが高いのはこのシーンにデイトンも加わっていること、デイトンもこの一家として定着していくであろう事がこのシーンから予測できるのだ。
登場動物 飼われているもの→モッシュ・ステッキーと3頭の子山羊
野生のもの→カモノハシ
感想  この話は男達の物語である。たくましい男がたくさん出てくるのだ。
 無論身体が大きくてルーシーを助けた「ヘラクレスさん」もそうだろう、でもそれだけではない。マックという病人を診察し、助けるために街の中心まで行って薬屋や役所から薬をかき集めてくるデイトンもたくましい男だ。そして家を増築するための建材を買いに行き、その多量の資材を手押しの車で夜までかかって運んできたアーサーとベンもたくましい。その男達のたくましさがこの物語を支えて行くことを暗示させてくれるのだ。
 また、今回は蝋燭作りという生活必需品を作る話も出てくる。何から何まで自分たちで「作る」というこの物語の特性がいよいよ出てくるのだ。しかも最初に物作りをするのが父だった(ステッキーが住む柵)が、次が主人公のルーシーとケイトと言うのもポイントが高い。いよいよ子供達も遊んでられなくなるのか…と不安に思ったりしたが、続けてみるとそうでもないのにちょっと拍子抜けだった記憶が。
研究 ・蝋燭を作る
 今回はアニメオリジナル。原作から流用しているのはろうそくを作るシーンだけである。ルーシーとケイトはクララに命じられてろうそくを作るのであるが、ケイトが作り方を知っていたことを考えると、この家族はイギリスにいた頃もたびたびろうそくを手作りしていたのだろう。
 作り方は画面に出てくるとおり、暖めた脂に灯芯となる紐を入れては固める、紐に付いた脂が冷えて固まったらまた入れては固めると言うのを繰り返すのだ。コツは紐を脂に付けたら速やかに出すことらしく、そうでないと二度目以降に付けた時に前について固まった脂が溶けてしまって細くなるのだそうだ。ルーシーは熱がってすぐに取り出せなかったようだが。
 いわゆる「ディップ式ろうそく」というやつで、形は不規則で立てて使うにも使いづらいので、宗教的儀式などの場には出てこないもっぱら家庭用である。脂は蜜蝋か牛脂を使うのが主流のようだが、ポップル家で牛肉を食べた形跡は無いので他の脂を使ったのだろう。
 私が小さい頃はクリスマスが近くなると、早朝の幼児向け番組でこのろうそくの作り方を放送していたものだ。現在も児童館なんかでこのようなろうそく作りが行われているようだ。その時にはクレヨンを溶かして色を付けたりしているらしい。

第15話「二つの家」
名台詞 「あの人は姉さんが体を壊して苦しんでいる時、順番を無視して先に上陸しました。パーカーさんにもらった新鮮な肉を、ペティウェルさんの犬に盗まれたこともあった。僕たちが使うはずだった牛車をペティウェルさんは横取りしたんですよ、そのために僕たちは代わりの牛車を探すのにどれだけ歩いたか…。荷物を運ぶのがこんなに大変なら、組み立て式の家を運ぶのはとても無理だと考えて売るのを決心したんですよ、ねえ、父さん!」
(ベン)
名台詞度
★★★★
 ジャムリングがペティウェルの元で働いていると聞いてベンは激しく憤る。無論、彼が高い給料やアデレードへの牛車の手配を見返りとして受けているなんて知る由もない。憤るベンに対し、アーサーは「ジャムリングさんが何処で働こうが自由だ」「ペティウェルさんは私たちの仇ではない」と彼をなだめようとするが、それがベンをさらに怒らせてこの台詞を吐かせる。
 これだけの過去の事件が次から次へとよく出てくるなぁとも感心するが、この迫力とひとつひとつの事件はアーサーから「父としての建前」を奪い、彼も持つペティウェルに対する恨みを引き出させるのに十分であった。今まで家族がペティウェルのことを悪く言えば咎め、組み立て式の家への未練を言えばそれを遮り続けてきたアーサーがついに「あれは父さんの失敗だったと思っている」と認める。父に失敗を認めさせるこの台詞とベンの迫力は、その後のやり取りより印象に残った。
 この後、ベンはペティウェルに家が渡った悔しさとこの経緯をジャムリングが知っているはずだと説くが、ジャムリングのことになるとアーサーは父としての建前を取り戻す。そして自分の胸の内にある怒りを忘れるために仕事に戻るのだ。
(次点)「わかったわ、じゃあ二人で覗きましょう。そう、二人一緒なら悪いことは半分ずつに分けることが出来るじゃないの。ね。さ、一緒に覗くのよ、いい?」(ケイト)
…名付けて「ザ・詭弁」。覗きは悪いことだと分かっているからどうしても一人で覗きたくないケイトがルーシーを共犯にさせるためにこんな台詞を吐く。姉として妹を上手く操ることに関しては頭がよい娘だな〜と感心した。
名場面 ビリーが父にポップルの事を告げる 名場面度
★★★★
 ルーシーやケイトと仲の良いビリーはポップル一家がペティウェルに酷い目に遭わされたことを知っている。もちろん父もだ。ビリーは父がペティウェルのところで働くにあたって、ポップル家がペティウェルの家の真ん前にあることを知らないと思っていたようだ。そこでビリーはそのことを仕事中の父に話をする。しかし、父の反応はその全てを知っていたことである。父はビリーの話に聞く耳を持たず、敢えて興味のない素振りを見せていたに違いない。
 ジャムリングがペティウェルのところで働くにあたり、ペティウェルは高い給料を出してくれるだけでなく、生活物資をアデレードへ運ぶ牛車の手配をもしてくれたのだ。つまり彼はペティウェルにも助けられたことになり、ポップルだけに肩を持つわけにはいかないと判断していたのであろう。高い給料は一家の生活を支えるためにどうしても必要で、例え恩人を一人裏切ることになってもペティウェルの元で働くしかないと思っていたことだろう。またポップルなら悪人ではないので、後で埋め合わせが効くとも考えたことだろう。
 しかし、その考えは次のビリーの一言で覆される。「あ、そうだ父ちゃん、デイトン先生もポップルさんのところで厄介になっているんだって。」とビリーが付け加えた一言だ。これを聞いたジャムリングは表情を変えて、息子を見つめる。
 そう、怪我したときの恩人はポップルだけではない、こんなに早く足を治してくれたデイトンも恩人なのだ。しかもデイトンは自分の足の治療のためにイギリスに帰れなくなりこのアデレードに留まることになってしまったのだ。ポップルとデイトン、恩人が二人もいると聞けば例え生活のための高額な給料をもらい損ねることになっても裏切ることは出来ないのだ。この瞬間にジャムリングはペティウェルの仕事を辞めて、すぐにでもアーサーの元で働こうと決意したのだろう。
 ジャムリングが生活と実直さの間で揺れ、ついには後者をとったという重要なシーンで、この男の良いところがうまく描かれている。この男のおかげでアーサーの家の増築が軌道に乗るのだが、その前提にこのシーンは彼が誰を恩人としているかという点で忘れられない。
登場動物 飼われているもの→モッシュ・ステッキーと3頭の子山羊
野生のもの→
感想  ジャムリングさんいい人だわ〜。本当に。
 ペティウェルに「恩を売られた」のを取るか、アーサーに「助けられた」のを取るかで彼も悩んだのだろう。でも生活を考えればペティウェルを取るしかなかった、だが「助けてくれた」人の方が二人になったら…単純明快だがこの手順を書くのに時間をかけて上手く描いたと思う。
 それと中盤のルーシーとケイトがマックの家を覗こうとあれこれやっているのも楽しくて良い、名台詞次点の他にもルーシーの純粋な意見とそれに対抗するケイトの詭弁が繰り返されて本当に楽しい。さすがのルーシーも「なんだかバカバカしくなってきたわ」のあとにブチギレして「自分で覗けば…」と怒鳴る。でもケイトの妹を操る術の方が上なんだな。
研究 ・組み立て式の家
 完全なアニメオリジナルストーリーである。原作の本がどれ位の厚さなのかよく分からないが、アニメになるに当たってかなり話を引き延ばすことになっているのだろう、ここからしばらく原作から離れて独自のストーリーを展開する。また今回のように各人の印象度を深める話が何度か出てくる。今回はジャムリングの番だと言うことだろう。ただ彼は家の増築が終わると出番が大幅に減ってしまうが。ちなみに原作ではあっという間に増築が住んでしまうので、アニメではこの辺りでかなり話が増やされている。
 さて、いよいよポップル家の向かいに「組み立て式の家」がペティウェルの家として姿を現し始めた。だが「組み立て式の家」と一言で言われてもピンと来ない。現在の我々の感覚で言うとプレハブかなんかを想像してしまうが、この当時の「組み立て式の家」というものはそれとかなり違うようだ。
 「組み立て式の家」について、劇中でベンが「家の材料がみんな、前もって設計図通りに切ってあるんでしょ?」とアーサーに聞き、アーサーは「そう言うことだ」と答える。小説版では「あらかじめ設計図通りに木材が切ってある組み立て式住宅」と説明がされている。
 つまり木材を壁や柱や梁や床材などの形に切った…つまり部品は完成している状態(木材の切断がない)で持ってきたという理解で良いと思う。私は鉄ヲタなのでこんな例えしかできないが、鉄道模型で言えば板キット(床板・側面・車端・屋根が板状に出来上がっていて、それを箱状に組み立てると車体になる組み立て式車両)だと思えば良いだろう。
 う〜ん、この例えじゃ鉄道模型やっている人にしかわからないか…。

第16話「ずぶぬれのお医者さん」
名台詞 「あの子はうちのトヴと同じ位の歳です。先生、どうかあの子を助けてやってください。」
(アーニー)
名台詞度
★★★★
 酔っぱらってしまいちゃんと診察が出来るのか不安になったアーニーは、デイトンを呼び出して頭から水をかぶせる。驚くデイトンにアーニーはこの台詞を吐く。
 夫婦が連れてきたのは自分の末の息子トヴと同じ位の歳の子だから他人事と思えなかっただけではないだろう。子だくさんのアーニーはこんな風に突然具合が悪くなった子供を医者のところへ連れて行き、不安な時間を過ごしたことがあったのは一度や二度ではないだろう。だからこそ、5人兄妹の誰かが幼い頃に具合が悪くなって心配だった時を思い出し、駆け込んできた夫婦の気持ちもよく分かるからこんな事をしたのだ。
 この台詞を浴びせれたデイトンは「うん、分かった、全力を尽くす。約束する。」と力強く答える。デイトンもまたこんな子供を何度か診察してきたのだ。その時の思いが酔いが覚めると同時に戻ってきたのだ。
名場面 ずぶぬれのお医者さん 名場面度
★★★★★
 デイトンはクララの提案で医者の存在を知らせるために看板を立てる。木の板に焼き印した看板を作って通り沿いの木に掲げ、マックの家に往診に出かける。
 そして看板を出した成果か、腹痛に苦しむ小さな子供を連れた夫婦がデイトンを訪ねてやってくる。こんな時に限ってデイトンはマックにウイスキーを出され、べろんべろんに酔っぱらっているのである。急患の知らせを聞き、真っ直ぐ歩けないほどの状況でデイトンはテントに戻り、酔っぱらったままその子供の診察を開始する。鞄や薬の在処も分からないまま診察を続けるデイトンの様子に、子供の両親の不安そうなまなざしはもちろんだ。
 そこへ騒ぎを聞きつけたアーニーが顔を出し、「先生、ちょっと来てください。」と声をかける。診察中だというデイトンに「分かってます、だからちょっと来て頂きたいんです。」と険しい声で答える。その声に疑問を感じながらデイトンはテントを出る。
 「ちょっと目をつぶっててください、お酒の酔いを覚まさして差し上げますわ。」と言うアーニーに従い、デイトンは目を閉じてそこに立つ。アーニーは頷いたかと思うと水の入ったバケツを持ち上げ、その水をデイトンに頭から浴びせかけるのだ。
 「ひええ〜、冷たい」と驚くデイトン、突然の出来事にクララとケイトだけでなく、トヴまでが目を丸くして驚く。デイトンが「奥さん、何を?」というと「これで冷めなければもう一杯」と険しい声で言う。デイトンが酔いが覚めたことを主張すると、名台詞のシーンとなる。そしてデイトンの酔いは覚めて真剣なまなざしで診察を続けるのだ。
 アーニーという女性の豪傑さ、そして何よりも他人の子供でも子供のことを思う優しさがにじみ出ていて好きなシーンである。騒ぎを聞きつけてアーサーとベンとジャムリングがテントの様子を見に来るが、その時に「デイトン先生は大丈夫か?」とアーサーに聞かれた時のアーニーの「大丈夫」の声が先ほどとはうってかわってとても優しいのが印象的だ。優しくて豪傑、こんな女性を上手に描いたと思う。
 アーニーが活躍するシーンでは一番の名場面かも知れない。
登場動物 飼われているもの→モッシュ・ステッキーと3頭の子山羊
野生のもの→「オボッサムに似たフクロギツネの一種」・ヘビ・ワライカワセミ
感想  アーニー凄い。酔いを覚まさせるって何かと思ったらまさか水をぶっかけるとは…本放送時も驚いて見ていた。自分の母も酔っぱらった父にそれくらいしてくれ〜と思ったことも。それは置いておいて、水をかけた直後のクララとケイトの驚きの表情がこれまたいい。
 前半はのんびりとしていた。ビリーが「力持ちだから」と調子に乗ってそりを引っ張ったのに動かないシーンは笑った。しかしデイトンが看板を出すのと、マックの家でウイスキーを出されて酔っぱらうという話が見事に一つになるとは。さらにデイトンの酒好き、アーニーの性格を上手く活かした話に仕上がったと思う。内容自体は滑稽だが質は凄く高いと思う、この話。
 デイトンの酒量はだんだん少なくなっていくが、この話もデイトンが変わって行くための重要な話だと思う。
研究 ・ワライカワセミ
 前回に引き続き各登場人物の印象を深める話で、今回はデイトンの番だ。
 今回は蛇に襲われたルーシーがワライカワセミに助けられる。いや、助けられたと言うより偶然飛んできてヘビを食べたと言うのが正解なのだが。このワライカワセミ、2000年のシドニーオリンピックのマスコットにもなっており、日本でも動物園で飼育されているので知名度がかなり高いだろう。「南の虹のルーシー」でも劇中に出てくるだけでなく、エンディングテーマにも歌われている程で、その歌詞にあるとおり人が笑っているような鳴き声で有名である。
 英名は「Laughing Kookaburra」と言うそうで、ブッポウソウ目カワセミ科に属するオーストラリア固有のカワセミだそうだ。生息域はオーストラリア東部と南部、肉食で昆虫や小型の爬虫類を主食としているが、時には小型の哺乳類を襲ったり(次話でモッシュが襲われる)、劇中にあるようにヘビを補食することもあるそうだ。現在は草原や森だけでなく、都市部にも生息域を広げておりオーストラリアを象徴する鳥となっている。
 あの独特の人の笑い声のような鳴き声は縄張りを主張するものらしい。オーストラリア固有の鳥の特徴だが、巣立ちというものはなくて成鳥になっても産まれた巣で暮らす者もあるらしい。コアラとかの生態を見ていて思うが、オーストラリアには強力な天敵がいなかったんだろうなぁ。

第17話「不幸な出来事」
名台詞 「丘の上に、可哀想な子山羊を埋めました。私たちが南オーストラリアに渡ってきて、最初に起こった不幸な出来事でした。」
(ケイトのナレーション)
名台詞度
★★★★
 今回の物語のラストシーン、夕日が差し込む家の近くの丘の上に手作りのお墓。それを無言で見つめるビリーと、沈んだ表情で山羊に草を食べさせるルーシーとケイト。その背景にケイトの声のこのナレーションが流れる。
 概要ページで「南の虹のルーシー」のナレーターはケイト役の声優がケイトの視線でと言ったが、そのケイトのナレーションで最も優れているのはこれだと思う。沈んだ声でゆっくりと語るこのナレーションに、1頭の子山羊が死んでしまった哀しみが見事に表現されている。背景の夕焼けの景色も相まって、非常に哀しみに溢れたシーンに仕上がっているのだ。
名場面 子山羊がいないのに気付く 名場面度
★★★
 ビリーはルーシーから子山羊がもらえると聞いて大はしゃぎ、ところがその大はしゃぎの中で子山羊が1頭姿を消しているのに気が付く。それに気付いて辺りを見回したルーシーの視界に入ったものは…ペティウェルの飼い犬ハッピーであった。
 ハッピーの存在に気付いてからビリーに声をかけるまでのルーシーの不安な表情は秀逸だ、前掛けを掴んでハッピーを見つめる時の表情に何とも言えない不安感が出ていて、特にルーシーの顔がアップになった時の目の震え具合はよくできていると思う。今のアニメなら何か余計な台詞を入れそうだが、ここでは無言でルーシーの不安と緊張感を表現するのに成功している。
 そして予感が的中し、ハッピーが子山羊に向かって走り出した時、不安から驚きへルーシーの表情の変化もなかなかいい。この時のルーシーは50話中で最もアップで出てくると思われる。これほどアップで出てくる「世界名作劇場」の主人公っていたっけ?
登場動物 飼われているもの→モッシュ・ステッキーと3頭の子山羊(うち1頭劇中にて死亡)・ハッピー
野生のもの→ワライカワセミ・カモノハシ(回想シーン)
感想  可愛い子山羊が1頭、ハッピーに襲われて死んでしまう。最後のその哀しみの表現は何度見ても良い、それと子山羊がいないのに気付いたルーシーの不安…しかしハッピーってヤツは酷いと当時は思ったもんだ。デイトンがペティウェルの診察へ出かけた時に、ケイトが「ペティウェルさんなんか診てやらなくてもいいんだわ」という気持ちは理解できるし、ルーシーの「ペティウェルさんに文句言ってくる」とビリーの「あの黒犬をぶん殴ってやるぞ」も気持ちは理解できる。でもそんな子供達の声を大人の意見で押さえるのはクララというのが意外だった、それはアーサーとアーニーの役割でしょうに。
 比較して前半の平和なシーンはほのぼのしていた良かった。そうか、最初が畑を作るシーンでそこにスコップが出てきたのは、ラストで墓を作ったシーンに行く伏線だったのか。マック夫人が動物講座を開くのも意外、良い勉強になったよ。
研究 ・カモノハシ
 各登場人物の印象を深めるシリーズ、続いてビリーの番と言うことになるのかな。子山羊が死んでルーシー達と同じ位悲しんだ彼の姿を見てそう思った。
 マック夫人が近所に住む動物について語る。その中でもワライカワセミは前回取り上げたので次はカモノハシを取り上げたい。
 日本で言うとカモノハシは植物になってしまうが、オーストラリアではくちばしのある小型の哺乳類である。日本では動物園にはいないが(過去に東京都が誘致に失敗している)、JR西日本がICカード乗車券のマスコットに使っているので近畿地方ではメジャーだろう。
 哺乳綱単孔目カモノハシ科に属する哺乳類だが、前述のようにくちばしを持ち、卵生で抱卵をすることなど鳥類的な特徴を持つ。だが子供は母の腹部から分泌される乳を飲んで育つので立派な哺乳類である。生息域はオーストラリア東部沿岸なので、厳密に言うとアデレードにカモノハシがいるのはおかしいと思われるが、気にしない。
 肉食性で主に昆虫やミミズや魚を食べるようだ。川辺に巣を作って生活するが、巣の入り口は水中にあって目立たない。劇中に出てきたように川の中を自由自在に泳ぐのだが、この時にやはり劇中シーン同様目を閉じて泳ぐのが特徴である。泳ぎながら補食する際は生物が出す微量の電流を感知するとのことだそうだ。

第18話「木登り」
名台詞 「私はヘビなんて怖くないけど、ヘビの方が私を怖がって噛み付くのよね。生き物は何でも可愛いわ。」
(ルーシー)
名台詞度
★★★
 ルーシーの生き物に対する愛情を感じる台詞その2。前々回で蛇に襲われたところをワライカワセミに助けられたルーシーだが、それを目撃したビリーはまたヘビが出てこないかと心配する。その時にルーシーが吐く台詞がこれ。
 彼女の論理では相手が怖がるから攻撃するのであって、怖がらせなければ攻撃されないというもののようだ。ヘビなんて生き物はその形から苦手な人が多いはずで、ビリーももちろん例外ではない。しかしルーシーはヘビなんてへっちゃらで、恐らく飼いたいとさえ思っていることだろう。
 そして最後に付け加えた一言、この一言が自然に出てくる辺りがルーシーが本物の動物好きだと言うことが分かる。苦手な動物なんか何もない、そんな純粋な少女の台詞として上手く出来た台詞だと思う。
(次点)「(前略)念のため見せてくれないか? おしり。」(デイトント)
…このシーンだけ見たらデイトンが変態にしか見えない(笑)。ところで今回、「おしり」という台詞が何回出てきたことか…本放送は夕食時、この再放送は昼食時だぞ!
名場面 デイトンによるペティウェル診察シーン 名場面度
★★★★
 ペティウェルの「やっと来たか、ヤブ医者のヤツ…」とのぼやきに「ヤブです」と答えるデイトンだけでお腹一杯だが、ここでのデイトンは明らかに医療行為を越えていると思われる行為でペティウェルを痛めつける。その滑稽な光景が今までペティウェルに酷いことをされたポップル一家と一緒に耐えてきた視聴者の気持ちをスッキリさせる。ただやられるだけでなくてこのような「罰が当たる」的なシーンを用意して楽しませてくれる辺りもこのアニメの素晴らしいところだ。
 「とにかく容態を見ましょう」と金槌を取り出し、背中を叩くだけでも満足なのに、その叩き方が徐々に激しくなる。「先生、死んでしまう〜、やめてくれ〜」と叫ぶペティウェルに「残念なことに今まで腰の痛みで死んだ人は一人もおらんのですよ、ペティウェルさん」と答えるデイトンの表情は明らかに楽しんでいる表情だ。デイトンは遂にペティウェルの背中に馬乗りになって背中を押す、あまりの痛さに「ヤブ医者〜」と罵るペティウェルに「そう私はヤブ医者ですからな、少しくらい痛いのは我慢して頂かんと。」と吐き捨てて背中の上で飛び跳ね、ついには足を掴んで無理矢理背中を曲げる行動にまで出る。「人殺し〜」と叫ぶペティウェルを見て本当にスッキリした。
(次点というか…)ルーシーが木から落ちる
…あの高さから落ちて、よくおしりが痛いだけで済んだもんだ。やっぱデイトンにおしり診せた方がいいと思うぞ。
登場動物 飼われているもの→モッシュ
野生のもの→カモノハシ・フクロモモンガ
感想  「木登り」なんてサブタイトルだから、25分間ずっと木登りを見せられるのかと思っていたら、最初と最後だけで拍子抜けだったような記憶がある。「おしり」の連発は別にしてこの話は面白い台詞や面白い場面が多くて、名台詞も名場面も選ぶのに凄く苦労した。ケイトとルーシーの会話も面白いが、今回はデイトンが絡むと話が凄く面白くなることが多かった。この物語の監督はデイトンが好きなんじゃないかな。
 最後の方で久々にパーカーが現れた。牛車を手に入れて運送屋を始めたらしい。ポップル家も荷物を運ぶのにあんなに苦労したし、ジャムリングもそれでペティウェルに足下を見られたようなのでこれはかなり儲かってそうだ。
 さぁ次回、ルーシーは空を飛ぶのか?
研究 ・フクロモモンガ
 いよいよ家の増築が完成する。原作によるとルーシーとケイトが広くなった家の中でさんざん遊んで叱られる。アニメ同様にパーカーがグレネルグからやってくるが、原作では届けに来たのはポップル家の荷物という点に違いがある。
 今回登場の動物はフクロモモンガ、フクロモモンガ科フクロモモンガ属の哺乳類。生息地域はオーストラリア大陸全般とその周辺。有袋類の一種で生まれた子供は母親のお腹にある袋の中で一定期間育つが、この生態がフクロモモンガと呼ばれる理由である。夜行性でユーカリの樹液や果汁、それに昆虫類を食べるという雑食性だそうだ。
 劇中で描かれたように、前脚と後ろ脚を結ぶように飛膜があり、天敵に襲われた時などはこれを使って滑空する。
 日本でもペットとして飼われている例が多いが、オーストラリアの法律で保護されているためにそれらは別の国から出てきたものだろう。アメリカの一部の州では個人が飼育することが禁じられているという。
 ペットとして飼える動物なら、確かにルーシーが捕まえて飼うことは可能だろう。空を飛べればの話になるが…。

第19話「今日は買い物」
名台詞 「ねえ、ベン。俺に手伝えることない? ぼんやり待っていたってしょうがないもん、何か手伝うよ。ね、いいだろ? 父ちゃん。」
(ビリー)
名台詞度
★★★
 遊んでばかりだったビリーが労働に目覚める。といってもルーシーから子山羊をもらう約束できたのに、そのルーシーがいないから居場所に困ったというのが正直なところだろうけど、そこで少し年上のベンや父親が働いているのを見てたまらなくなったのもあるだろう。
 この物語では登場人物の多くが何らかの成長を見せるのだが、ビリーもそのうちの一人である。だが彼が成長を見せるのはここだけかも知れない。どんな状況でもルーシーとケイトと遊んでばかりの彼が、事情はどうあれ自分から働くと言い出したのは父も嬉しかったことだろう。ちょっと前にジャムリングが自分の息子が自分で働いて役に立つのにもう少しかかる、みたいな事をアーサーに言っていたが、その片鱗を見せ始めるこのシーンの伏線であったのかも知れない。
名場面 クララが花嫁衣装を眺める 名場面度
★★
 繁華街に買い物に来たクララは、服屋を覗き込んでいたルーシーとケイトが花嫁衣装を見ていたと知って顔色を変える。それまでは買い物を急ぐ気満々だったクララは先ほどまでと一転して店の中に入ろうとルーシーとケイトをそそのかす。
 店の扉を開くと、真正面に白くて美しい花嫁衣装が…その美しさにクララは我を忘れる。どこからともなく教会の鐘の音とウエディングマーチが聞こえ、クララはその花嫁衣装を着た妄想モードに突入する。我を忘れたまま花嫁衣装に近づくクララは店員の声で我に返る。そして店員に「この花嫁衣装はおいくらですか?」と聞いてしまう。それを聞いたルーシーとケイトは驚く。
 店員はこれはこの店の看板だから売れないという(どっかで見たような展開だな…花嫁衣装じゃなくて人形だったけど)、それにクララは必死の応戦、遂に店員は貸すことなら出来ると言い、ついには試着を勧めるのだ。この展開にまたルーシーとケイトは驚く、こっちの二人の驚きの表情も滑稽で良い。
 そこまで来てクララは自分が置かれた状況を思い出したのだろう、時間が無いのでというと「さよなら」と言い残して走り正す。
 今まで年齢の割に大人びた描写をされ続けてきたクララだが、このシーンで十代の少女らしい一面が出てきて可愛かったのなんの。先ほどまで生意気を言うケイトを叱責していたのが嘘のようだ。そしてクララの妄想にあった自分の花嫁姿の隣にいるのは、当然の事ながらジョンのはずだ(アニメではそこまで描かれていないけど)。
 
登場動物 飼われているもの→モッシュ・ステッキーと2頭の子山羊
野生のもの→
感想  この回のクララは年相応のかわいらしさがあって良いけど、やっぱ物語全体を通しての印象は大人っぽいところと愚痴っぽいところなんだよね。だから純粋に花嫁衣装に憧れる彼女のシーンは、クララの年齢を再確認させられる意味もあって印象が強い。昔見た時だって、クララってこの時点で二十歳近かったと勘違いしていたもんな〜。
 他はどうってことのない平凡な話だけど、バーナードがクララにその気ありと匂わせる描写がよい。まぁ彼はジョンの存在を知らないわけだから、隣に年頃の女性がいると聞いて黙っていられるわけがないだろう。前の方でアーニーを意識するパーカーと同様、男の性っもんがじわじわと出ていて楽しい。こういう見方は今回の視聴でするようになったが、このような細かいところにも子供向けだからと目をつぶらずに人間くささの一面としてしっかり描いているのも、この物語の素晴らしいところだと思う。
研究 ・今日は買い物
 買い物に行く話は原作にはない。前回と今回で3頭いた子山羊が1頭に減るが、原作ではアーサーが2頭の子山羊を売却したことになっている。アニメでは1頭はペティウェルの黒犬の餌食となり、もう1頭は今回の話にあったようにビリーに引き取られる。
 さて、今回はアデレード繁華街へ買い物に出かけるシーンがある。行き先は13話研究欄でも取り上げた「キャリングトン通り」である。今回はそこへ至る道のりがケイトによって語られているので、これを検証しよう。
 参考地図を見ながら解説を進めたい。11話で検証したポップル一家が住む小屋の推定位置が「1」地点である。劇中での描写から、ルーシー達は家を出たら目の前にある「ノーステラス」(North Terrace)と思われる通りを西へ向かっている。
 劇中で工事現場のようなところを歩きルーシーが転倒するシーンがあるが、その時に歩いていた通りの名がケイトの台詞によると「ウェイマウス通り」(Waymouth St)で、恐らく「2」地点の辺りでルーシーが転倒したと思われる。ケイトの説明通り、この通りの一本北に「カリー通り」(Currie St)が存在する。
 続いて最初にバーナードに会う通りがケイトとクララの説明にあった通り「キングウィリアム通り」(King William Rd)である。バーナードは役所へ帰る途中と思われる、役所は現在も当時も同じ位置ならば「ウェイマウス通り」と「キングウィリアム通り」が交差する場所にあるようなので、バーナードが北上しているなら合点が合う総督の官邸が何処にあるかは調べても分からなかったが、ルーシー達の進行方向にロータリー状になっている箇所は見あたらなかったので、「Victoria Square」より南であるのは間違いないだろう、よってバーナードと会った位置は「3」地点より南。そして赤い線の終点から東が目的地の「キャリングトン通り」で、ルーシー達はここで買い物をしたことになる。片道ざっと2キロの道のりだ。
 帰りも同じルートと思われる。帰りも彼女たちはバーナードに会うのだが、バーナードは「アデレードタイムス」という新聞社の建物に入って行くところだった(彼がどこから来たかはこの際置いておこう)。現在、彼女たちが歩いた道の沿線に「Advertiser Newspaper」という新聞社が実在する、これが劇中の「アデレードタイムス」のモデルであろう。問題はこの新聞社の歴史と本当に当時からここにあるのかという点だが、この奇妙な偶然を見過ごすわけにもいくまい。よって帰りにバーナードと合流した地点はこの新聞社がある「5」地点と思われる。
 ルーシー達が歩いた道のりは片道2キロあまりだろう、買い物をした食品店や服屋がどこかの断定は不可能だが…しかしなんで若干の遠回りをしたのかというヤボなツッコミは無しですよ。

第20話「井戸の水」
名台詞 「ねえ、お姉ちゃん。できると思う? できないと思う? 学校。学校よ、本当にできるかしら?」
(ルーシー)
名台詞度
★★★
 「世界名作劇場」シリーズ歴代主人公を並べた場合、最も多くの主人公に共通するのは「学校嫌い」「勉強嫌い」かも知れない。いや、実際にはそれほど学校や勉強が嫌いな主人公は少ないのだが、そのような主人公はその点が特に印象に残るキャラクターだったりするのだ。たとえばトム・ソーヤーやフローネといったあたりがその代表格で、ルーシーもそんなキャラクターのうちの一人だ。
 ルーシーはこの台詞を不安そうな表情と声で聞く、見ている方は「んな大げさな…」と思うが、ルーシーにとって学校で勉強させられるかそうでないかの違いは天と地の差なのだ。アデレードに学校が無くて喜んでいたのもつかの間、勉強はしなきゃならないという現実をパーカーとロングに突きつけられ、この地にも学校が出来るかも知れないという事に気付いた。そうなったらアデレードでの楽しい生活は消えてしまうとルーシーは思っているのだろう。
 学校ができたら間違いなく行かされるであろう事、毎日通うことになるであろう事、勉強をさせられることをケイトに確認すると、ルーシーは深いため息をつく。この時のルーシーの表情がいい。
名場面 裏の畑での夫婦の会話 名場面度
★★
 小屋の裏に作った畑の前でアーサーとアーニーが語り合う、ここに植えたラディッシュ…つまりハツカダイコンやほうれん草、それにニンジンが早く芽を出した事に対する驚きと、イギリスとオーストラリアの違いから二人は語り合う。
 そしてアーサーは早く土地が欲しいと焦りの声を上げるのだ、それに妻は「必ず素晴らしい土地が手に入る」と夫をなだめる、だがアーサーは測量が進まないことに対する愚痴をこぼす。それに妻は「出来ることから一歩一歩始めましょう」と説く。それに夫も頷く、やっぱこのアーニーという女性はアーサーという男を操るのが上手だ。
 この二人の会話にこの夫婦の絆というものが見えてくる。夢を求めて遙か彼方までやって来た男を信じ、支えて生きて行く覚悟というものが備わっているのだ。この先、夫の夢が遠ざかってくるとこのアーニーという女性の存在価値がますます大きくなる。
 「世界名作劇場」で「夫婦」という観点から家族を描いている珍しいシーンだと思う。
登場動物 飼われているもの→モッシュ・ロングの牧羊犬(モノクル他)・羊
野生のもの→フクロウ・ディンゴ
感想 …ったく、ルーシーは何を悩んでいるかと思ったら学校かよ…って当時は呆れていたなぁ。まぁ私が小学生の頃は学校はそんな嫌いじゃなかったし、それよりも日曜日に行かされていたボーイスカウトの方が嫌だった。5年生までやらされていたサッカーはもっと嫌だった。そんな事を思いながら見ていた。
 森の中で道に迷った時のルーシーとケイトの言い争いってなんかありがちで良かった。そうそう、自分もルーシーと同じ位の歳の時、引っ越してきたばかりの土地で兄と学校を探しに行って道に迷った時にこんな会話をした記憶がある。しまいにゃ自分の言うことを聞いてもらえなくなって…。
 ルーシー・ケイトのディンゴとの決闘シーンも手に汗握ったけど、終わり方があっけなかったな。名場面で紹介した夫婦の会話はとても良い、あれで子供達だけを軸に家族の絆を投げるのでなく、夫婦愛をも前面に出すぞと宣言したようなものだろう。ラストの方のデイトンも笑えた、そして目の前で人の死を見てしまったルーシーの哀しみ…トラウマにならなきゃいいけど。
研究 ・ロングの放牧地
 だんだん原作との照合が付かなくなってきた。まぁ本が入手できずにあらすじが書いてあるサイトに頼っているのもあると思うが…参考にさせて頂いているところは非常にわかりやすく抜粋してくれているのだが…ああ原作本読みたいぜ。この辺りの話は井戸を掘っている作業以外は全てオリジナルと見て良いだろう。
 さて、ここからルーシーがロングと絡む話が多くなるのだが、ロングが羊を放牧しているのはどの辺りなのだろうか。6話や10話でロングはアデレード市街地の西側にある公園地区で放牧をしていたようだ。それは9〜11話の研究欄を確認して頂ければおわかりいただけると思う。
 だが今回以降はロングが放牧をしている場所は違うのだ。話は簡単で、冒頭の「コアラを捕まえに行く」とルーシーとケイトが家を出るシーンで、二人は間違いなく東へ向かって出かけ、東から帰ってきているのである。
 ここにもう一つの事実がある。ルーシーとケイトが森の中に入った時に「太陽が右側に見えるように進んで…」と言うが、これだと西へ向かうことになってすぐ家へ帰ってきてしまうはずだ(南半球では太陽は北を通る)。だがこのシーンをよく見るとケイトの台詞と裏腹に、ケイトの身体の左側から陽が当たっている上、よく見ると「太陽が右側に…」と言いながらケイトは右手で左方向を指さす。つまりここはケイトが右と左を間違えたと見るべきだろう、ルーシーに「林の中に道なんか無い」なんて偉そうに言える立場じゃないぞっ…じゃなくて、つまりケイトの台詞を無視して画面描写だけを信用すれば、ルーシーとケイトはひたすら東へ向かったことになる。
 ポップル家があると思われる位置から「ノーステラス」(North Terrace)を東へ向かうと「Royal Adelaide Hospital」という病院がある。恐らくこの辺りがロングが放牧をしていた地点であると想像できる。

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