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第31話 「リトルと黒い犬」
名台詞 「あんたは大きくなってもお乳は出せないわね。でも美味しいお肉になってくれるわ。あっ! 今のはルーシー・メイには内緒。」
(クララ)
名台詞度
★★★★
 クララが山羊の乳搾りを終えて家に戻る際、スノーフレイクを見つめた時に「本音」を漏らす。この本音として吐いた台詞がこれで、本人も最後に付け加えたとおり、ルーシーの前では口が裂けても言えない台詞だ。
 つまりクララには大人と同じような割り切った部分があり、動物を飼うなら家族の役に立つものにして欲しいという願いもあったに違いない。ステッキーは乳を出すし、パンジーも数年で乳を出すことが約束されている。リトルは番犬としての活用法があるが、スノーフレイクには有効的な活用法がクララには見いだせないのである。そこでクララにはスノーフレイクが美味しいお肉に見えてしまっているのだろう。
 この台詞、クララが吐いた台詞では一番の名台詞だと思う。こんな感想をラム肉を夕食に食べたその日に書いている私もどうかと思う。
(次点)「覚えていろよ、いつかきつと仕返しをしてやる。」(ペティウェル)
…物語の最後、ペティウェルは息絶えたハッピーの頭を撫でながら、怒りに満ちた声でこの台詞を吐く。この台詞には次回、ポップル一家を悲しみのどん底に突き落とす予感を感じさせる迫力に満ちている。ドクロベェ様の名演技と、この台詞に続くケイトのナレーション「そしてその通りになりました、私たち一家にとってとても悲しいことが起こったのです。」はセットで次回予告以上の効果がある。ペティウェルがポップル一家に何をするのか、視聴者はこれが気になって必ず次回を見ることになるのだ。
名場面 リトルvsハッピー第二ラウンド 名場面度
★★★★★
 ポップル一家の留守に事件は起きる。この事件が土地の購入に沸き立つ一家に水を差す出来事となってしまうため、第一部最大の見せ場と言っても過言ではないだろう。
 一家が購入予定の土地を見に行っている間、山羊の親子と子羊とデイトンが留守番をする。最初はデイトンが外でスノーフレイクを見ているのだが、デイトンの元に患者が来たために一時的にスノーフレイクは無監視状態となってしまう。
 そこへ飼い主に八つ当たりされて気が立っているハッピーが現れる。ハッピーは子羊を見つけると走って追いかけて左後ろ脚に噛み付く、スノーフレイクは悲鳴を上げるが誰も気付かない。しばらくしてデイトンが診察を終えて出てくると驚きの表情を浮かべ、スノーフレイクとハッピーの元に駆け寄る。「こら」と言いながらハッピーの尻尾を引っ張るが、来れでもハッピーはびくともしないのでデイトンはハッピーを踏んづけるように蹴飛ばす。ハッピーはこれに怒って今度はデイトンを襲う、デイトンをしばらく追い回したところで追いつき、デイトンの右足にガブリと噛み付いた。デイトンはそこに倒れつつも、何とかハッピーを振り切るが流血の惨事となり動けなくなる。
 「敵」を一人退治したハッピーは再びスノーフレイクを襲う、立ち上がれないデイトンは為す術もなく見守るだけである。ハッピーがもう一度スノーフレイクの左後ろ脚に噛み付くと、リトルが猛烈な勢いで走ってきてそのままハッピーを突き飛ばす。
 突き飛ばされて倒れたハッピーにリトルが牙を向けるが、ハッピーはそんなリトルをすぐ突き飛ばす。ただ今回のリトルは突き飛ばされてもすぐに起きあがり、唸りを上げながらハッピーを睨む。これにハッピーが怯んだ瞬間を見逃さず、ハッピーに襲いかかるのだ。何とかリトルの攻撃を交わすハッピーだが、今回は完全にリトルが押している。だがリトルが噛み付きに失敗した隙を狙ってハッピーがリトルの左前脚に噛み付いた。だがリトルはその噛み付かれた前脚でもってハッピーを引き寄せ、今度はリトルがハッピーの首筋に噛み付く。しばらく互いに噛み付いたまま膠着状態が続くが、先に力尽きたのはハッピーであった。ハッピーの口がリトルの前脚から外れると、ハッピーはよろけるようにその場に倒れ込むのだ。ここでデイトンが「リトル、もういい、離してやれ!」とリトルを止めたところで決着がついたと考えていいだろう。ハッピーはリトルの呪縛から逃れるとよろけながら家に帰り、飼い主の元まで必死に歩き、そこで力尽きて絶命する。
 最初にハッピーがスノーフレイクを追い回してから3分、リトルとの決闘は1分程度であるが、このリトルとハッピーの二度目の決闘を手に汗握って見つめていた視聴者にとってはもっと長い時間に感じただろう。今回はリトルも成長してやっとハッピーと互角に戦えるようになった、そしてこの対決ではリトルがルーシーが病に倒れていた時の雪辱を果たしたのである。
 この決闘シーンの描写が迫力があって引き込まれるが、その前のルーシーやケイト、それにアーニーやデイトンによるリトルの話題は全てこのジーンに行き着くように会話がされているのも興味深い。リトルがまだ人や家畜に牙を向けていない点や、リトルは優しすぎて戦えないんじゃないかと話題をする点など、リトルが誰かと戦う予感が伝わってくるのに十分な会話であった。前回の決闘とは違って何気ない会話に決闘への伏線を張っておく辺りもよく出来ているなと感じるところである。
 そしてこの決闘自体が一家に暗い影を落とすことになるのも大方の予感がつく。何てったって相手はペティウェルの飼い犬、しかも殺してしまったんだからただで済む訳がない。この決闘は土地の購入という希望に沸き上がる一家が、一転して悲しみに落とされる転換点である。その転換点をこのような印象深いシーンで描いた点も評価に値する。
 この決闘をきっかけに、前回からの明るい流れが突然断ち切られてしまうのだ。
 
登場動物 飼われているもの→ステッキー・パンジー・リトル・スノーフレイク・ハッピー(今回で死亡)・パーカーの牛車の牛
野生のもの→
感想  前回の最後で「土地を買う」とアーサーが家族に発表し、一家の嬉しくて幸せな描写が続く。そして今回はその土地を見に行くことでその喜びは絶頂に達するのだ。まだ放映回数が20回も残っているこの時点では、「喜びの絶頂」は、次に悲しみに突き落とされるための序曲でしかないのだ。本放送当時はそこまで詳細に見抜いてはいなかったが、このままこの土地が手に入らない何かが起きることは確信していた。
 それがこの決闘で、当時もこれは喜びが悲しみに転化する事が十分に予測できるようになった。リトルがハッピー、つまり悪役ペティウェルの愛犬を殺してしまうと言うことは、理由はどうあれこの一家から喜びが奪われる事が約束されてしまったのである。これまでの展開を見ていればどう考えてもそうなるしかないのだ。だいたい、ハッピーという存在自体がポップル一家にとっては不幸の前触れなのだから。羊の肉を奪われ、子山羊を1頭殺され、リトルまで大怪我を負わされた過去がある以上は他の選択肢は無いだろう。
 そして物語をすべてこの決闘へ向かうように緻密な計算がされている。名場面でも挙げたとおり、普段は何気なく聞き過ごしてしまうような会話ですら、この決闘の前兆として聞こえるのだ。それだけではない、農場見学にリトルを連れて行く事実や、置いていったスノーフレイクを柵の外に出しっぱなしの事実、デイトンの留守番と良いタイミングでの患者来訪、そして妻に馬車を奪われて荒れるペティウェル。何もかもがこの決闘へ、そしてそれによって生ずる次回の悲しみへと流れて行くのだ。今回と次回は「第一部」の最大の見せ場であるのだ。
研究 ・ウィルソン農場
 今回のリトルとハッピーの決闘以外の見どころは、何と言ってもアーサーが買うつもりの農場だろう。アーサーがパーカーから牛車を借用し、これに乗って仕事中のベン以外の全員がウィルソンさんの農場を目指す。さて、この農場の場所は何処だろう?
 劇中の台詞からはこの農場がある地名は出てこないし、原作にないエピソードなので原作から位置を推定するのも不可能だ。つまり画面上と設定上から位置を推定する以外に手段はないので、この位置特定は困難を極めることは間違いないだろう。
 アデレードの地図を見て欲しい。11話以降ポップル一家が住んでいる小屋の位置は「ノーステラス(North Terrace)」沿いのアデレード駅付近であると思われることを何度も書き示している。今回は牛車で現地へ向かっているので、時速2〜3キロ程度のスピードでこの農場へ向かったと考えるべきだろう。
 次に牛車がポップル家を出発した時刻である。ルーシーとケイトが薪拾いという仕事を終わらせた後であるという点と、一家がほぼ手ぶらで出かけていて食事などを持っている形跡がない点などから、出発時刻は昼食後と考えて良いだろう。恐らくアーサーの「準備しろ」という意味には食事も済ませておけという意味も含まれていると考えられる。昼食を早めに取って12時頃に出発したと考えられるだろう。
 続いて帰宅時刻。一家が戻ってから程なく空は夕焼けの様相となっていたことが画面から見て分かる。ルーシーとケイトが家の玄関先についた時はまだ昼の明るさがあったが、ハッピーがペティウェルの前で息絶えた時は既に夕暮れだった。季節は初夏と思われるので日没が19時と考えれば、ペティウェルがリトルに銃を向けていたシーンが18時頃と見られるだろう。つまり牛車が帰宅したのもそれくらいの時間と言うことになる。
 これに現地でどの程度時間がかかったかであるが、劇中にあったような峠から農地を見下ろして語り合っているシーンの他に、農場を一周していると考えられる。農場の広さは20エーカーとされているから計算すれば81000平方メートルであることが分かる。おおざっぱに言えばこの農園は一辺が285メートルの正方形と考えれば良いだろう。つまり農場を一周回るのに約1.1キロ、牛車で30分あまりの道のりである。これに家族で農場を眺めて語り合っている時間を考慮すると、現地に1時間いたと考えられる。
 つまり往復移動に5時間、片道2時間半かかったと考えられるので、牛車の速度から割り出すとポップル家からウィルソン農場まで5キロ離れていると考えられる。無論、この往復5時間というのは最大の想定で、これより短い可能性は否定できない。
 距離が分かれば方角だ、復路のシーンでは牛車がノーステラスの西側から帰ってきたことがハッキリしている。さらに復路の道中でアデレードの中心街を通ってきたことも描かれている。つまりウィルソン農場はポップル家から西から南の方角へ道のりで5キロ以内の場所と推測される。
 さらに農場が「峠を越えてすぐ」という設定を考えると、ウィルソン農場はアデレード市街の南西側、「Keswick」か「Richmond」の辺りだと考えられる。この辺りだとポップル家からの距離関係が合うし、地形的にもアデレードから小高い丘を越えてすぐという条件である。
 ただし、「Keswick」の方は10話でルーシー・ケイト・クララが道に迷って通過したはずである。あの何もない森がたった1年であんな農園になった上に、持ち主がもう手放すというのはどうにも考えがたい。だから「Richmond」であると断定したいところだが決定的な証拠もない。どちらも現在の地図や衛星写真では「小川」が確認できず、劇中の描写と一致するかどうか分からないのだ。かといって他のところでは劇中の描写や設定と合わなくなるし…。
 この辺りで追求するのをやめた方が良さそうだ。

第32話 「虹の橋のたもと」
名台詞 「本当にきれい…。ねえみんな、そうがっかりした顔をしないで。私たちはいつかはきっと、あの虹の橋のたもとまで行くことができるわ。それまでみんなで力を合わせて頑張りましょうね。」
(アーニー)
名台詞度
★★★★★
 せっかく手にしかかった土地を、掴みかけた幸せを、ペティウェルに奪われたことを知った家族は、雨上がりの空に架かる虹を黙って見つめる。その中で最初に「こんなにきれいな西の橋を見たことがなかったわ」とルーシーが声を上げると、これに続いてアーニーがこの台詞を吐く。
 この台詞は落ち込んでいる家族に力をつけさせるためだけのものではない。家族に希望を失わせないように、またいつかは必ず幸せが掴めると言うことを誇示するための台詞でもある。このような台詞を言うのは母アーニーの役割、そのアーニー最高の名台詞だと思われる。
 「虹の橋のたもと…」「あの橋を渡ってみたい!」とケイトとルーシーが続ける。すると「ええもちろん、渡れる時が来るわ。」とアーニーが力強く言うまでが一連の名台詞とも考えられるだろう。
 この台詞は目の前にあった幸せが逃げていった第一部ラストシーンを強調するだけではない。それからどんなに頑張っても、2年経ってもまだ土地を手に出来なかったという第二部冒頭を盛り立てる台詞でもある。物語に描かれていない2年間に、この言葉の通り家族が力を合わせたけど土地が手に入らなかった空しさをも強調することになるのだ。そして特に第二部での家族の協力シーンも、この台詞が下敷きにあるからこそなのである。
名場面 一家が虹を見上げる 名場面度
★★★★★
 第一部ラストシーン。雨が降る中、アーサーが土地を奪ったポップルの家へ入っていくシーンから、突然雨上がりの静かな風景に景色が切り替わる。鳥のさえずりのみが聞こえる無言シーン、まずは犬小屋からリトルが顔を出して空を見上げる。そうやって視聴者に対し「空」に何かがあることを暗示してから、「南の虹のルーシー」でも有名な一家全員が空に架かる虹を見上げるシーンに切り替わる。一家が身動きもせず、かつ無言で虹を見上げている光景に、どれだけの悲しみが一家を包んでいるのかが分かる。
 「南オーストラリアにやってきて、この日ほど私たちが悲しい思いをした日はありませんでした。あの素晴らしい土地はペティウェルさんに横取りされてしまったのです。え、ハッキリそういってもいいと思います。ペティウェルさんは私たち一家に、意地の悪い仕返しをしたのでした。」というケイトのナレーションが入ると、無言のまま無表情で空を見つめる家族と、土地が手に入った記念に用意した豪華な食事と花で飾られたテーブルが出てくる。悲しいBGM等はない、背景に聞こえる音声は鳥の声だけである。
 このシーンは土地が買えると思って幸せの絶頂にあった家族の悲しみを、見ているだけで分かるように仕上がった素晴らしいシーンである。ケイトのナレーションも秀逸だが、これが無くても家族の悲しみは十分に視聴者に伝わっただろう。だがケイトのナレーションがこのシーンを盛り上げていることは確かで、特にペティウェルに横取りされたという部分を繰り返して強調しているのがよい。
 幸せの絶頂から悲しみのどん底へ、これは第一部の幕を締めるためにどうしても必要なシーンである。第一部は家族の苦労と叶わない夢という形で締めくくることになるのだ。その苦労の表現法の一つとしてこの物語では「ぬか喜び」を使った。原作には無かったが、これによって視聴者が家族の苦労を理解しやすくなったのではないかと思われる。
 また家族の落ち込みを表現することで第二部での家族の一致団結へ話を繋げる効果もある。
 こうして家族が落ち込み、名台詞欄のように母に力を付けられ、ジョンが再登場したところで「南の虹のルーシー」第一部が幕を閉じる。
 
登場動物 飼われているもの→ステッキー・パンジー・リトル・スノーフレイク
野生のもの→
感想  わかりやすい第一部の終わり。本放送時はここで突然2年の月日が流れるのに不自然を感じなかった。言われてみればここまでは家族がオーストラリアに渡ってきてから日が浅いうちの話で、ここで話が飛ぶと言うことは最終回に向けて「土地が手に入るストーリー」になるんじゃないかと子供ながらに考えていたのである。しかし、2年後にどう土地が入るのか、第二部が本格的に回り始めてもサッパリだった。そのキーワード自体が第二部に入って8話ほど話が進まないと出てこないし。
 デイトンのハッピーに噛まれた傷が酷くなったと聞いた時は「デイトン呪われたのか?」と思ってしまった。そのデイトンの足に包帯を巻くアーニーの表情が良かった、ああ、自分もあんな風にアーニーに包帯巻かれて見たい…と思ったのは今回視聴した感想であるんだけど。
 クララの郵便局シーン、それに手紙を読み返すシーンは見ていてじーんと来たね。あのジョンが本当にオーストラリアにやってくるんだと。第一部は再登場したところで終わってしまうから活躍は第二部に譲ることになるが、クララとジョンの恋物語の続きはちょっと楽しみだった。
 後半は二元中継、他の家族より一足先に土地購入がペティウェルによって邪魔されたことを知ったアーサーとベン。そんな事も知らずに浮かれ気分で今夜のご馳走を作るアーニーとクララとケイト、やはり浮かれた気分でリトルに運動をさせるルーシー、つまみ食いにいそしむトヴ。トヴ以外は見事に男女に分かれたのも面白いが、このギャップは正直見ていられなかった。アーサーが「事実」をどのように家族に伝えるかと思って楽しみにしていたら、突然無言で虹を見上げるシーン…この作りは秀逸だと思う。こんな表現があるからこそ「南の虹のルーシー」は「世界名作劇場」で最高傑作だと思うのだ。
 いよいよルーシーが10歳になる。今までほのぼのとした展開の物語であったが、残り20話で怒濤の展開をも見せることになるのだ。
研究 ・「第一部」完
 原作と同様アニメでも話が1840年まで飛んでいる。ただしアニメの土地購入の話が舞い込み、これをペティウェルに奪われるという展開はアニメオリジナルだが…このシーンが入れられたのは名場面欄でも少し書いたが、様々な年齢の人が見るアニメで話をわかりやすくかつ盛り上げるために入れたのだと推測される。原作では、アーサーが引っ越すと発表しただけで章が変わって1840年に飛んでしまうのだが、これでは1年続くアニメ番組としての見せ場に欠けてしまう。そこでこのようなストーリー展開にしたのだろう。現実性はともかく、私はアニメのこの展開の方が好きだ。
 さらに本来なら第二部の冒頭で説明を入れるべき事項や、第二部への伏線をこの第一部の最後にいくつか置いている。まずジョンの再登場がその筆頭だろう。原作ではジョンが再びオーストラリアに渡ってきたシーンはなく章が変わると自然に物語に再登場していて、これは章が変わった冒頭で紹介されているものと思われる。アニメでは上陸から1年が経ったこともあってジョンが再訪してもおかしくない状況になっていたことも手伝い、ジョンがオーストラリアにやってきて真っ先にポップル家、いやクララを訪ねたシーンを入れた。これで第二部の冒頭にそのような解説シーンを入れる手間が省け、33話の主題である2年後の家族の状況に全編を割くことが出来て話がわかりやすくなったと思う。
 あとは名台詞欄で紹介したここから後での家族の一致団結の強まりについて。アーニーの台詞とペティウェルの妨害行為で説明は十分に出来ているだろう。
 逆にアニメでは「アンガス通りの家」に引っ越した事実が第二部に回された。原作ではこの引っ越しについて章が変わる前にアーサーが発表している。
 第一部はいわば「上陸から生活を軌道に乗せるまでの物語」が主題であったと思って良いだろう。その最後にせっかく掴みかけた土地を横取りされて悲しむ物語が加わっているのである。さて第二部は「本当に土地を手に入れるまでの物語」に変わる。2年後に舞台を移した家族の物語がどう展開するのか、初めてこの物語を見る人にとっては非常に楽しみであっただろう。本放送時の私も目が離せなかったし。

第33話「失われた夢」
名台詞 「いつかは必ず、広い土地を手に入れるんだ。そして、素晴らしい農場を作り上げるんだ。私たち一家は、今でもそれを信じていますが…」
(ケイトのナレーション)
名台詞度
★★★
 第二部が幕を開いた最初の話、この話ではまだ物語の展開はなく今まで出てきた人物とアデレードの街の近況報告に徹している。その最後にケイトがナレーションを入れる。家族が信じている「未来」、しかしそれに疑問を入れざるを得ない現状。この相反する家族の思いを見事に解説していると思う。
 劇中でアデレードの街が発展したことと、一家の蓄えが底をついた事で土地を取得できる見通しが立たなくなってしまったことが語られている。この事実が重くのし掛かり、アーサーが仕事を休みがちになるなど一家の暗いムードも伝わってくる状況でありつつも、皆が明るく生きようとしている事は劇中で描かれた。しかし、その一家に立ちこめている暗雲については語られたものの心のどこかで疑問を呈している心境については誰も語っていない。そこでこのナレーションが生きてくるのだ。語尾が「信じている」と言い切らずに途中で切れてしまっている…つまり疑問すらも言い切れない家族の心理を暗に語っているように感じる。
名場面 クララが芝居に行かせてくれとせがむ 名場面度
★★★
 アデレードも賑やかになり、街に劇場が出来た。そこでクララはジョンとのデートに芝居を選ぶのだが、父が「劇場は悪影響を与える」とそれを許さない。ジョンが「クララは子供じゃない」と抵抗するものの、父の考えは頑なに変わらない。長男のベンが口を挟むが最初は無駄だった。
 ついにクララが父を「考え方が古い」と非難する、だが父は開き直るように「古くて結構」と返す。これを聞いたベンが「農業についてはとても新しい考え方を持っている」と父に言う、すると父はイライラした表情と口調でで土地が手に入らない悔しさを語る。
 そこで父の気持ちが盛り上がっているところで、ジョンが父に賛同する台詞を吐きつつも「今夜のお芝居のことで…」と話を元に戻す。すかさずベンが「農業について新しい考えを持っている人が芝居について古い考えをいつまでも持っているのはおかしい。」と言い切る。「そ、それは…」とたじろぐ父を見てクララが「そうよ、父さんは新しい考えを持てる人なんだわ。」とカウンターを入れる、それに呼応するようにべんが「お父さんはキチンと理屈が通っていれば分かる人だ」ととどめを刺す。長男と長女から激しい攻撃を受けた父は「さっさと行け」と呟くように言う。
 信じられない表情で驚くクララ、「そんなに芝居が見たいなら、さっさと行けと言うんだ。」と怒鳴るように言うとクララは満面の笑顔で父に抱きつき、父の頬にキスをする。それまで無表情を通していた父の驚きの表情がたまらない。アーサーのあのような表情はここでしか見られないのでは?
 父と家を造るなどの仕事をしてきたベンが、父の性格の良いところと悪いところを利用して言葉巧みに父を丸め込んだという面白いシーンである。第二部では息子が父と対等に接するシーンが多いが、それを暗示させるエピソードである。また父が娘が大人になったと感じるシーンでもあり、長男・長女を見つめる父の気持ちが表現されているシーンとも言えよう。
登場動物 飼われているもの→ステッキー・パンジー・ソッピー(パンジーの子)・リトル・スノーフレイク・ポップル家が飼う鶏等・ペティウェルのブルドッグ(この回ではまだ名が出てこない)
野生のもの→
感想  2年の月日が流れて第二部がスタート。非常にわかりやすい作りで本放送当時、この2年の間に何が起きたのか掴みやすくて感心した記憶がある。というかこの話の殆どが2年間の間の変化の紹介に費やされており。まずはアデレード橋の開通シーンでルーシーとケイトの外見上の変化から始まり、次にあの小屋がどうなったのか、何処に住むようになったかという基本情報となる。この間に新しい「アンガス通りの家」とアーニー、そして成長したトヴの姿が入る。小屋の現状と同時にデイトンとペティウェルの現状も紹介され、続いてバーナードとの会話というかたちでアデレードの現状が紹介される。マックさんのパン屋でクララとマックさんが登場、続いてジョンも凛々しい姿で出てくる。ルーシーとケイトの帰宅途中に立派になったベンも加わり、さらに鍛冶屋覗きが趣味のトヴが合流する…という形で2年経った家族の姿が一度に出てくるのでなく、一人一人出てくるのだ。
 次にバーナードがアデレードの現状を語るのだが、街の人口が増えて賑やかになるとどうなるのかという事を私はこの物語に教わった。人口増加による土地不足は土地の高騰をもたらし、治安が悪化して犯罪が増えるという事実だ。特に後者の方が重要だろう、夢を追い求めてオーストラリアに渡ってきた人間の中で、上手く行かなかった人たちが増えてきているはずである。ポップルのように土地が手に入らず、堕落した人間が犯罪を起こすという事実へ、子供でも思考が向くのにこの会話は十分だ。
 さて、兄妹の中で誰が変わったのかはこの1話だけでは読みとりづらい。物語が全く動かないのが最大の理由だろう。ルーシーとケイト、それにトヴは外見は成長しているし、ベンも雰囲気が大人になった。この話だけでは家のことを考えて将来の夢を語るようになったベンの成長が目立つような気がする、家族と別居中とあって登場頻度の落ちるベンが、誰にも分かる形で成長を見せてくれるのは皮肉なものだ。
研究 ・第二部スタート
 物語は1840年10月まで飛ぶ、アニメの冒頭シーンはアデレード橋の開通である。この橋の開通時期を調べようと思ったが、「アデレード橋」で検索すると日本語サイトは「南の虹のルーシー」関係しか出てこないし、海外サイトは別のアデレード橋ばかり引っかかるし…で諦めた。原作ではルーシーが郵便局へ郵便物を受け取りに行き、早速ミスタープリンストンと知り合うところから始まるようだ。
 2年経った兄妹の年齢(第一話時点→第二部開始時)を整理すると、クララが16歳→19歳、ベンが12歳→15歳、ケイトは10歳→13歳、ルーシーは7歳→10歳、トヴが3歳→6歳ということになる。第一部終了時点ではこれに1歳ずつ足せばいいだろう(トヴが年相応でなくなってしまうが)。服装の変化は12話研究欄で少し紹介したが、ルーシーは前掛けの無い服に代わり、逆にケイトが白い前掛けを着用するようになった。クララは水色のワンピースに変わり、ベンの上着はもっと濃い青に変化、トヴは青の濃淡のセーラー服を着ている。
 原作ではトヴの下にアダムという名の男の子が生まれており、1840年10月時点で2歳という設定である。つまり原作のポップル家はこの時点で8人家族となっているのだが、アニメではこのアダムという末っ子については省略されている。その理由は後で分かるのでその時に推察するが、アダムという名のキャラクターはペティウェルの召使いの名に流用されている。このように原作にいるのにアニメでは省略されたキャラクターの名前だけが、全く違う人物として出てきているのは「世界名作劇場」ではよくあるようで、当サイトで前々回取り上げた「小公女セーラ」でもパスカル夫人の例がある。
 その他の家族の変化としては、ベンが港で働くようになって別居するようになった点だろう。これは後にルーシーとケイトが港へ遊びに行くきっかけとなる重要な設定だ。
 原作で1840年10月に飛んだ最初の話は、前述したルーシーが郵便局へ行く話だけでない。実はアニメでも描かれたクララとジョンが芝居へ行く話も原作からの流用である。しかし原作アーサーは最後までクララが芝居見物に行くことを許さなかった。そっちの方が現実的だと思うのは私だけかな…展開的には芝居見物が許された方がいいけどね。それとアニメではまだまだ先の、スノーフレイクが競売にかけられる話も、原作では1840年に話が飛んですぐのところだ。

第34話「リトルと学校」
名台詞 「お母さん、しっかりして!」
(クララ)
名台詞度
★★
 事件は起きる、クララから夫が働く石切場で事故があったと聞かされたアーニーは、完全に落ち着きを失ってしまう。ここまでどんな状況でも落ち着きを失わずに一家を束ねて来たアーニーが、取り乱してしまう珍しいシーンだ。
 母は夫の安否を心配しているだけでなく、万が一のことがあったらこの一家はどうなってしまうのだろうという不安も感じている。しかしクララはこんな母の姿を見ても取り乱さず、気丈に母親似対してしっかりするように繰り返すのだ。第一部のクララだったら母と一緒になって取り乱したことだろう、クララが自分の立場と役割を知って立ち回るシーンでもあり、彼女の成長が伺える。
 そんなクララもやはり不安は隠しきれず、とにかくこの家に男がいないのが不安だったようだ。そして自分にとって一番頼りになる男…つまりジョンを呼ぶようにケイトに言うのだ。
名場面 石切場での仕事についてアーサーとアーニーの会話 名場面度
★★
 アーサーが石切の仕事に行くことになった。しかし、当日の朝になってもアーニーは不安でアーサーの仕事に反対をする。アーサーの言うとおり彼は過去に何度か石切の仕事をしているのだが、アーニーは今回だけは不安でたまらない。その何かが起きるに違いないという表情が見ている者の不安を煽る。
 朝の食卓でアーニーが繰り返し不安を訴えるシーンは、アーサーに「何か」が起きることを予感させるのには十分すぎる。その不安をぶつけられても平然としているアーサーを見て、最初は「死亡フラグ」かと思った。実際に死ぬはずはないんだけど…この人が死んでしまったら話がハッピーエンドになるわけがない。
 そしてアーニーはもう一つの不安、平日は男がいないと言う事実をも口に出す。アーサーはそんなことを気にせずに家に唯一残る男であるトヴをおだてる。このシーンに至るまでのトヴの動きもよく、ひたすら食事をしているわけでもなく、言葉を発している方に顔を向けて両親の会話を理解しようと頑張っているのだ。まあ、理解できないんだが。
 このシーンに不安を煽られる視聴者だが、ここの不安をルーシーの学校シーンでいったん忘れさせられる。その後の事故発生でもう一度このシーンを思い出し、事故発生の効果が倍増するのだ。
登場動物 飼われているもの→ステッキー・パンジー・ソッピー・リトル・スノーフレイク・ポップル家が飼う鶏等・ペティウェルのブルドッグ(この回ではまだ名が出てこない)
野生のもの→
感想  サブタイトルだけ見ていると何も起きないなと安心して見てしまうが、冒頭のアーニーが夫の仕事を不安がるシーンで早速物語が不吉な方向へ動くことが本放送時には予感できた。アーニーの不安は生半可なものでなく、アーサーに死亡フラグが立っているようにまで見えてしまう。でも内容的にアーサーが死んだらこの物語は根本的に続かなくなってしまうのも確かで、アーサーが大怪我をして働けなくなることで次の展開が始まるのだと誰にでも予測できるだろう。
 学校シーンはほのぼのとしていて好きだ。ただしルーシーは初めて学校に行ったんじゃないからこんな事は過去に何度もあったろうに…というヤボなツッコミは禁止。先生も毎日付き合っている生徒なんだから慣れろよ、と言いたい。ルーシーが学校の生徒達と遊ぶシーンが一度も出てこないのは、家族のことを描くだけで手一杯だからなんだろうな…。
 学校シーンでほのぼのさせられて、アーニーの不安など忘れたところで事故の一報…上手くできてるなぁ。こうして視聴者は次回の話に引き込まれて行くわけだけど、とりあえず父親が死なないことは次回予告ですぐ判明する。そして次回の本題ではもう事故の話などどっかへ行ってしまっているのが驚きだ。
研究 ・「アンガス通りの」家
 話が第二部に飛ぶ際、ケイトのナレーションで一家は「1年前にアンガス通りへ引っ越した」と紹介される。まずはその位置を研究することから始めたい。
 今回参照して欲しいのはこの地図である。「第二部」の最初の方で必要な地点をほぼ収録したつもりだ。「アンガス通り(Angas St)」の位置は過去に何度か紹介したが、ルーシーやケイトが買い物に行った「キャリングトン通り(Carrington St)」の一本北の筋である。アデレードの中心街が近いので、この中でもかなり東に寄ったところにこの家があると考えられる。さらにルーシーが学校に行く途中にある公園と思われる場所がそんなに遠くなく、歩くのが嫌いなペティウェルですら散歩に頻繁に来ることも考慮しよう。その上、家の周囲に角が無いことも考えると「1」地点にこの家があるというのが私の推理結果だ。
 ちなみに家は北側に玄関を向けているのは今後の描写から明らかなので、アンガス通りの南側に位置していると思われる。玄関を出て左に向かうとアデレード中心街方面であり、多くの場面で家族がこちら方向へ出かけていったり、帰ってきたりする。今回もルーシーが学校へ行く方向がこちらだ。ただし、仕事でアーサーが向かうはずの「イーストテラス(East Terrace)」の方向は家を出て右のはずで、アーサーは何故か逆方向に出かけたことになる。まぁ、これはルーシーに付き合ったからという解釈は可能だ。
 アデレード橋は「3」地点、第一部で住んでいた小屋の位置はこれまで「2」地点で矛盾が無いように描かれていたが(描写から見るとここでないと合点が合わない)、33話のみこの小屋の位置に矛盾が生じる。33話での「小屋」位置はキングウィリアム通りを挟んでちょうど反対側でないと話が成立しなくなっている、アデレード橋から小屋へ向かったルーシーとケイトが小屋に西側から到着している点、ルーシーが「前住んでいた家はあっち」とアデレード橋からトレンス川上流を眺めていた点、ケイトのナレーションで「アデレード橋の上流」に家があったと解説されている点である。アデレード橋から小屋に向かった時以外では、買い物の時のように「Light Square」を経由したと考えれば辻褄を合わせることが出来る。本当は小屋の位置はもっと西なのかも知れないと思う位だ。
 学校の位置は「4」。学校周囲の寂しさから言うとアデレード中心街の外なのは確かだろう。本当は公園地区の外かも知れないが、家からあまり離れているとも思えないし、何よりも学校周囲の森のすぐ外に建物が見える。学校と言うこともあって公園地区の中にあってもおかしくないと考えられるのでこの位置と推定した。さらにルーシーが帰りに木登りしたり、ペティウェルとすれ違ったりするのは「Hurtle Square」ではないかと推測される。歩くのが嫌いなペティウェルというキャラクターを存在を考えると、家と「公園」の位置関係をこう推理せざるを得ないのだ。
 最後にアーサーが勤務し、事故に遭った石切場の位置である。「マウントロフティ(Mt Lofty)」という地名はアデレード市街の南東山間部にあるが、空中写真で見る限りここには大規模な採石場の跡などは存在しないようだ。この「マウントロフティ」へ向かう途中に採石場がある。ここに採石場が当時からあったかどうかは怪しいが、ここが「石切場」ではないかと私は推理する。

第35話「対決」
名台詞 「やめなさい! リトル!」
(ルーシー)
名台詞度
★★★★
 リトルとシルバーの対決は思わぬ形で終わる。飼い主であるルーシーがリトルを制するのだ。
 ここで考えねばならないのは、今回リトルがペティウェルの犬と対決する理由が決定的に違うことである。ハッピーとの二度の対決はリトルにとって「正当防衛」が認められる行為である。つまり自分の主人が大事にしている山羊や羊を理解した上で、それを守るためにリトルはハッピーと戦わざるを得なかったのだ。特に二度目の対決時は飼い主と親しい人物であるデイトンまでもがハッピーに襲われている。人間社会との共存という上でもこのリトルとハッピーの対決についてはリトルに正当性があり、ハッピーを殺すことになっても社会的に許されたのだ。そのためリトルを飼うに当たっての条件、「人が飼っている動物や家畜を襲ったら殺すか捨てる」というルールに抵触しつつも許されたのだ。
 今回はリトルに戦う正当性がない。理由があるとすれば過去に住んでいた家を燃やされたというルーシーとケイトの私怨以外に考えられないのである。ましてや、ペティウェルには地権者として「自分が所有する土地に建っている家を焼却処分した」という大義名分がある。もしもリトルがシルバーを殺すようなことがあれば、ルーシーはリトルを殺すか捨てるかしなければならない。
 ルーシーは10歳の頭で何処まで考えたか分からない。少なくともここに記した前段は理解できていただろう、前回はあくまでも家畜や人を助ける行為だからリトルは許されたのだと。そして今回、このままシルバーと対決してもリトルにとって少しも良いことはないと気付いたのだ。
 ルーシーはそう判断し、怒りに唇を震わせつつもついにこの台詞を吐く。ルーシーはリトルを制したのでなく、自分を制したのだ。結果、リトルを犯罪犬にすることもなかった。ルーシーの動物に対する愛情はこんなところにも出てくるのである。
名場面 対決 名場面度
★★★★
 父の足の具合が悪く、デイトンを呼びにかつての家へ向かったルーシーとケイト。父の事故の話が終わりきっていないのに、矢継ぎ早に次の事件が起こるのだ。
 二人がデイトンの診療所の前に着くと、そこで目の当たりにしたのはかつい住んでいたあの小屋が炎上している光景だった。怖い顔のオッサン達がデイトンを押さえつけている。ルーシーもケイトも怒りで鋭い声を上げる。この強面のオッサン達にデイトンは立ち退きを迫られるが、デイトンはこれを頑なに拒否する。
 ルーシーとケイトは為す術もなく自分がかつて住んでいた家が燃え落ちるのを見ている。家が燃えるのを見て思わず「きれい…」と言ってしまうルーシーが年相応の可愛さがあって良いのだが、これについて大声で叱りつけるケイトもこれまたいい。ケイトは怒りに震えた声のままでデイトンに父の怪我を語る。
 デイトンが鞄を取りに行っている間にペティウェルが登場する。子供2人に皮肉をぶつけた後、シルバーをけしかけるのだ。にらみ合う2頭の犬、ケイトはルーシーに「あんたリトルを止めないの?」と聞くが、最初は「あんなブルドッグなんて…」と怒りに震えた声で答える。ここでのケイトのナレーションもまた秀逸、にらみ合う2頭の犬のどちらかがついに襲いかかると思ったその時、ルーシーがリトルを止める。
 このシーンには今まで見たことが無かった、ルーシーとケイトのマジギレが描かれている。ケイトですらリトルがシルバーを徹底的に懲らしめるのを望んでいたという程だ。二人とも声が怒りに震え、ケイトはデイトンと会話をする時やナレーションまで怒りで震えた声になっている。この怒りを表現する声優さんの名演技もあって、このシーンは第二部で最初の強印象シーンとなるのだ。
 
登場動物 飼われているもの→リトル・シルバー(ペティウェルの飼い犬・今回初めて名前で呼ばれる)
野生のもの→
感想  後半の対決シーンのせいで前半でなにやってたかすっかり忘れる話。次回を見たときに「そういえばアーサーが怪我したんだっけ」と突然思い出すことになる。それほどまでに後半のリトルとシルバーの睨み合い、それに「小屋」炎上のシーンは強烈に印象に残る。父の職場の事故を知って家族が不安な夜を過ごしたことも、ペティウェルから馬車を借りられずジョンが馬車か牛車を求めて街中さまよい歩いたことも、アーサーが馬車から元気に降りてきたことも、アーサーが足に怪我をしたことも、この回を最後まで見ると全部吹っ飛んでしまうのだ。
 確かにアーサーの怪我については次回まで覚えていれば物語の展開上問題はない、アーサーの怪我は物語の背景となる土地取得の物語(つまり本題)と関連する部分で、アーサーが働けなくなるという伏線のためのものだから。ルーシーとケイトが展開する物語の一つとして小屋炎上やシルバーとの対決があるという構図なのだと思う。
 「南の虹のルーシー」にも「世界名作劇場」の華の中の二つ目「火事」が登場した。3つある「華」のうちふたつ出るのが「世界名作劇場」の王道的なパターンのようで、全部揃う「小公女セーラ」の方がどうかしているのだ。ただしこの小屋の火事で物語が急展開することはない、この物語が「華」でもって急展開を見せるのは、二度目の「主人公または準主役の病気(大怪我)」の時である。いや、これも最終回まで見た場合に結果的に「あれで急展開した」と思えるのであって、最初は緩やかに展開を始めるのだけど…それはまだ10話近く先の話。
研究 ・「アンガス通りの家」間取り
 小屋炎上や、石切の仕事をする話は原作にはない。ただし原作ではジャムリングの家が火事になって、一家でしばらくポップル家に居候する話はある。原作ではこの1840年に話が飛んで冒頭でルーシーとプリンストンの出会いや、ジョンとクララのお芝居のエピソードの後はすぐに港へ行く話に行ってしまうようだ。まぁ1840年の話は原作とアニメで全く内容が違うと言っても過言ではない、原作のエピソードをいくつか拾ってはいるが別の物語になったと見て良いかも知れない。
 今回は「アンガス通りの家」の間取りを考えてみた。間取りは4LDKと思われ、シンプルで機能的に出来ているのが分かる。ちなみに玄関は北を向いており、玄関側から日差しが入る(南半球なので太陽は北側を通る)ことになる。
 ではポップル家に玄関から入ってみよう。玄関の扉が出てくるたびに外開きだったり内開きだったり統一性がないが気にしない方針で。玄関の扉を開けると目の前の左半分が階段、右半分は1階の各部屋を結ぶ廊下が続いている。階段の手前には左右に扉があり、左の扉を開くとそこはクララの部屋になっているようだ。44話でクララの部屋が出てくるのだが、一つしかない窓から月明かりが差し込んでいたのが根拠だ。右の扉を開くとソファーが置いてある居間になっている。この部屋は後述する台所兼食堂と繋がっていることからこの位置しかあり得ないのだ。
 玄関から階段を上らずに右側の廊下を進む。突き当たりには裏庭へ抜ける扉があり、その左には扉が、右には扉は無く直接部屋に繋がっている。その右側の扉がない方を入ると台所兼食堂である。この口をくぐって廊下と台所を行き来する家族のシーンが一番多く出てくる。左の部屋については後述する。折り返し方向、階段の下に扉があり、ここは倉庫と思われる。
 玄関に戻り階段を上ってみよう。階段を上りきったところの正面に裏側の出窓がある。そこには左右に部屋が一つずつあり、右がルーシーとケイト部屋だ。根拠としては家を正面から見た場合、玄関の右上の部屋から夜の寝間着姿のルーシーとケイトが顔を出しているシーンが何度も描かれていることである。左側の部屋はベンの部屋と推測される。33話でベンが2階から一人で降りてくるシーンがあるのが根拠で、これは間違いなく2階に彼の私室があるからだと思われる。
 問題はアーサーが寝ていた部屋だ。恐らくこの部屋は夫婦の寝室で、台所の向かいの部屋ではないかと推測される。ただし、36話でケイトがアーサーを呼びに行ったシーンと矛盾が生じる。なぜなら、この時ケイトは玄関方向へ行っているのだ。またアーサーが寝ていた部屋というのは不思議な空間で、家を外から見た場合と間取りが合わないのである。扉を入って右側にベッドがあり、ベッドの奥に窓がある間取りなのだが、この方向に窓があるならばその向こうは必ず隣の部屋である。台所の向かいだとすればそこはクララの部屋である。外見と間取りを合わせるには、窓は扉を開けて右になきゃならない。
 ちなみにトイレは庭にある。裏口を出て右側に木造の小屋が建っており、これがトイレと思われる。入浴設備の有無については不明だが、風呂に入っていないクララやケイトなんて想像したくはないから、何かしらの形で身体を洗える設備は何処かにあるのだろう。
 上記をまとめてこの家の間取り図を作って見た。扉が開く方向などハッキリしない点はあるが、興味のある方は見て頂きたい。

第36話「巣の中の5シリング」
名台詞 「私、時々思うことがあるわ。わが家は神様から見放されたんじゃないかって。」
(クララ)
名台詞度
★★★★
 父の怪我は思ったより悪く、一ヶ月は働きに出られないと聞いたクララが思わず本音を言ってしまう。土地はいつまでも手に入らない、その上父が怪我をして働くことが出来ない、誰もが感じている不安、そしてすがるべき神にも見放されたという不安を長女であるクララが言う。ネガティブクララ炸裂の台詞だ。
 この台詞を言ったクララを母アーニーが窘める。バカなことを言うなと。前々回で事故の一報を聞いて取り乱したアーニーは、もうそのショックから回復していつものアーニーに戻っているのだ。そして希望を失ってはいけないと、暗い考えへ行きがちなクララをしっかりと叱る。
 しかし、家を包む暗雲がさらに厚くなったのも目をそらすことが出来ない事実だ。アーニーが働きに出られないと言うことは収入が減ることを意味し、その間は貯蓄を消費するのみになってしまう。それは土地への夢がさらに遠ざかることを意味しているのだ。やはりこの家族は神に見放されたように見えるのだ。
 さらにこの台詞の後、ベッドで眠るアーサーが「神様…」と呟く。やはりアーサーもクララと同じように感じたのだ。これはアーサーが酒に逃避する原因になったようにも見える。
 でも最後まで見るとやっぱりこの家族は神から見放されていないって事はわかる。現在は試練の時なのだ、まぁこれは結果論的な言い方なのだが。
名場面 5シリングの有効活用 名場面度
★★
 ルーシーが拾った5シリング硬貨、ケイトと二人で何か素敵な物を買おうと悩みながら街に出る。でも5シリングじゃ大した物は買えないからケーキをお腹一杯食べようと話が決まり、二人はクララが勤めるパン屋へ行こうとする。
 そんなルーシーとケイトが街を歩くクララを見つける。そのクララはいつもと様子が違い、何か考え事をしているように見えた。こっそり後をつけて行くとクララは繁華街の洋服屋に入っていった。仕事中のクララが何故洋服屋に…? 二人は疑問に思いながら店の前で語り合っていると、突然扉が開いてクララが店の中から出てくる。
 逃げようとする二人に「何しているの?こんなところで。」と声をかけるクララ。ケイトが「おねえちゃんこそ何しているの?」と聞き返すがクララはそれは自分の勝手だとか、あなた達には関係ないとか、これは私の秘密と言って口を割ろうとしない。しかし2人が様子が変だったというと「やっぱりね」と言い、少し考えると誰にも話さないならという条件付きでクララは自分の秘密を妹たちに教えることにしたのだ。
 その秘密とは、クララが花嫁衣装にとローンでお金を払っていた生地のことである。素晴らしい触り心地と美しい白のその生地にルーシーもケイトも見とれてしまう。
 店員がクララは毎月少しずつお金を払い、支払いの残りがあと5シリングだと話すと、ルーシーとケイトは声を揃えて「5シリング!」と叫ぶ。「おねえちゃん、この生地はもうおねえちゃんのものよ。」とルーシーが言えばもう展開は分かるだろう。キョトンとするクララに「私にその最後の5シリングを払わせて、今すぐに!」と言うのだ。
 そして笑顔で店から出てくる3人。ルーシーは拾った5シリングで形は残らなかったが素晴らしい使い方をした。姉が欲しくてたまらなかった花嫁衣装用の生地を予定よりも一ヶ月も早く姉の物とすることが出来たのだ。19話で花嫁衣装に見とれていたクララの姿がこのエピソードの伏線だったのかも知れない、二人の妹は姉が純白の花嫁衣装に憧れていることを十分に知っていたからこそ、拾ったお金をこのように使うことにためらいはなかったのだ。
 もちろん、この5シリングの出所についてクララは不審がりもしたに違いないし、支払われた後は満面の笑顔で喜びを表現したことだろう。この行間は視聴者に想像を任されたと解釈すべきである。
登場動物 飼われているもの→リトル・シルバー
野生のもの→
感想  冒頭は前回の繰り返しで緊迫ムードだったが、後半はルーシーが5シリングを拾ったところからほのぼのモードになった。このシーンのために18話で木登りを覚えたのだな、と単純に感じるのはまだ早い。この木登りシーンは次話の伏線になって行くのだ。
 しかし学校からスキップで帰るルーシーにはまいった。何がそんなに嬉しいんだろう? ひょっとして金を拾う予感みたいな物があったのだろうか? ペティウェルが出てこなかったらお金を拾うことは出来なかったわけで、たまには役に立つじゃないかと思ったのは当時の感想。
 その5シリングを姉のために使うという結末は色々考えた。恐らくこれは女同士だからこそルーシーはその気持ちを理解し、姉の役に立とうと考えたんだろうな。ルーシーが男だったらここで5シリングをこの生地の支払いに使おうとは考えなかったと思う。いや、その前にクララは自分の秘密を教えることをしなかっただろう。クララも女同士だからこそ妹に秘密を教えたのであって、そこにいたのがトヴやベンだったら絶対に秘密を守り通しただろう。
研究 ・5シリングっていくら?
 今回の5シリングを拾う話はアニメのオリジナルだが、原作にはルーシーが林の中で1シリングを拾う話があるのでこれを改変してアニメに持ってきたと言うところだろう。原作ルーシーはその1シリングで、将来農園を持った時のためにと言うことで壊れた鋤を買う。これを持ち帰る途中でプリンストンと再会し、プリンストンがこの鋤を馬車で家まで運んだことでアーサーとプリンストンは知り合いになり。アーサーの農業についての考えをプリンストンが知るきっかけとなる。
 では1840年の5シリングがどれだけの価値がある物なのだろうか? 「小公女セーラ」の時はぶどうパン1この価格がハッキリしていたので計算しやすかったが、今回は他に手がかりがなさそうなので難航しそうだが考察してみる。
 原作ルーシーが中古の鋤を1シリングで買ったというエピソードがある。中古の鋤がいくら位で売っているか調べたところ、ネットオークションで1500円で落札された例があることが分かった。これをこのまま当てはめればこの時代のオーストラリアでは1シリング=現在の日本円で1500円程度と考えて良いだろう。あれ、思ったより簡単に計算できたな。ちなみに「小公女セーラ」の時代で1シリング=1000円程度であるとしたから、その間の約50年分の物価変動と、イギリスとオーストラリアの貨幣価値の違いを考慮すればあながち外れているとは思えない。
 つまりルーシーが拾った5シリングというのは7500円くらいの価値があることになる。小学生には結構な額だな。クララは毎月少ない給料から7500円ずつを服屋に払っていた事になるが、パン屋のパートの給料が時給900円とすれば、1日8時間働いていたとすれば1日分の給料と言うことになる。家の生活の苦しさを思えばクララの支払いはこれが精一杯だろう。
 ここで劇中の貨幣価値が分かったので、今後明確な金額が出てくる話があるたびに「1シリング=中古の鋤=1500円」という公式で検証したいと思う。

第37話「草原の強盗団」
名台詞 「あんたがヤケを起こしたら、家族はどうなると思います?」
(デイトン)
名台詞度
★★★
 アーサーが遂に希望を失いかける。昼間から酒を呑むアーサーをデイトンが止めるのだが、アーサーは「酒でも呑まなきゃやってられない」と返事をして酒を呑み続ける。「足が治ればまた働ける」とデイトンが指摘すると、アーサーはついに根本的なことを口に出す。「その場限りの仕事はあるが将来の見通しが全く立たない」と。「焦らんこっちゃ」とデイトンがいうと分かり切ったことだという表情で「今までそう自分に言い聞かせてきた」とアーサーは答える。
 ここまでのやり取りの後、デイトンが少し間をおいてこの台詞を言うのだ。
 この台詞自体はデイトンがアーサーに一家の長として自覚を持たせるべく放った言葉だ。デイトンは医者として、病気や怪我をきっかけに堕落して行く人間を何人も見てきたことだろう。オーストラリアでの恩人であり友人であるアーサーがそうなることを見ていられなかったはずだ。だから家族を思わせることで彼を救おうとしたのかも知れない。
 それに対するアーサーは「家族…」と呟いて目の前で遊ぶトヴを見つめる。彼は一家の長としての自覚を取り戻しはしたが、今度はその家族の存在が重圧となってのし掛かってきたに違いない。自分の夢のために家族を連れてはるばるオーストラリアまでやって来た、でもその夢が叶わないだけでなく家族を苦しめているという事実。アーサーはこの事実に直面したのだ。
 このシーンをきっかけにアーサーは酒に逃避するようになる。いつまでも手に出来ない土地、家族の存在、色々な事が彼に重圧となってのし掛かってきているのに気付いたのはここなのだ。それを気付かせたこのデイトンの台詞は物語の展開上、見逃すことは出来ない。
(次点というか…)「俺たちは強盗だ!(以下略)」(強盗団のボス)
…自己紹介をする強盗って…笑うシーンじゃないけどこの台詞を聞くと思わず吹き出す。
名場面 ルーシーとケイトが海岸で語り合う 名場面度
★★★
 アデレード港に近い砂浜でルーシーは上陸したのはこの辺りかと問う、するとケイトはふと上陸時のことを思い出す。ケイトは上陸時に皆で喜んで足踏みした時のことを思い出してルーシーに語ったが、ルーシーはそれを覚えていないという。その間に当時の回想シーンとして1話のあのシーンが流れる、この物語を第1話からずっと見てきた人にとっては懐かしいシーンだろう。
 その時のことを忘れないとケイトは語る、すぐにでも土地が手に入って立派な農場が作れると希望に燃えていたという事も。確かに第1話はそんな希望にみんな燃えていた。「今はそんな希望は何処かへいってしまった」とルーシーがいうと、ケイトは「そんなことはない」と力強く立ち上がり、あの日と同じように砂浜で足踏みをする。するとルーシーも「希望をなくしたらおしまいね」といいながら、姉にならって足踏みをするのだ。
 ケイトは家に明るい見通しが無くなってきているのを十分に理解していた、理解できる歳になったこともあって両親や兄や姉がケイトにも家の事情を正直に言うようになっていたのだ。だけどケイトはまだ希望を失っていない、これを強調するシーンである。
 それだけではない、家に立ちこめる暗雲がなんとなく分かるようになってきたルーシーは希望がなくなってしまったと思っていた。ところが姉が希望を失っておらず明るく立ち回るのを見て「まだ大丈夫」と感じる重要なシーンであり、これは最終回直前への伏線となっている。物語が終盤を迎えてケイトまでもが希望を失ったところで何かか起こるための大事な伏線なのだ。無論、これはそこまで話が進んだ時に初めて気が付くのだが。
 
登場動物 飼われているもの→モッシュ・パンジー・シルバー
野生のもの→
感想  久しぶりにモッシュが出てきた。ハッキリ言って本放送時は「そういえばモッシュなんてペットもいたなぁ」と画面に出てきてやっと思い出した記憶がある。毎回エンディングに出ているのになんつー扱いだ。
 それとペティウェル、あの男は前々話や前話のように悪役をやるよりも、今回のように情けない男を演じる方が似合っていると思う。ベンが操る馬車と競争をする大人げなさや、ケイトに馬車が故障したことを指摘された時の情けない表情、馬車が強盗に襲われた時の狼狽えぶり、そして大金が入った鞄に抱きつくあの姿…こんな滑稽かつ情けない男が本来のペティウェルの姿なんだよな〜。第二部に入ってからこんなペティウェルらしいペティウェルを見てなかった気がする。
 強盗については前回の木登りのエピソードを上手く使ったと思う。ルーシーが木登りをしている間にアダムが犯行についての打ち合わせをすると。アダムってやっつけ仕事的に描かれたあの顔からしてこういうところで活躍するキャラクターだとは思ってなかったから意外性を感じた。
 今回は背景に流れる本題、土地入手までの物語について鋭く突っ込んだ回でもあると思う。アーサーとベンが家の現状について語り合い、それを知ったベンが今度はケイトとルーシーに自覚を促す。ルーシーとケイトは海岸で上陸した時の希望について語り合うが、その裏で父アーサーがついに将来の見通しが立たないことを悲観して酒に逃避する。そこをデイトンの一言で家族という重圧を感じ、ますます酒に溺れていくという悪循環が始まる。
 ここまではこの本題部分に暗雲が立ちこめたままでの物語の雰囲気まで暗くするような要素はなかったが、ここからは徐々に物語の雰囲気をもこの暗雲が包み始める。物語の表向きはルーシーとケイトが強盗に襲われる展開だが、本題部分も一番低いところへ向けて一気に加速するのがこの回なのである。
 この悪くなり出した家族の雰囲気に気付いた本放送当時、ここからどのように展開してどのように終わるのか楽しみであり不安だった。まだアニメではハッピーエンドに転換する要素もキーワードも出てこないのである。「世界名作劇場」シリーズは30話代に入るとだんだん「終わり」が見えてくるが、まだまだそれがなく、多くの視聴者が同じ思いだっただろう。
研究 ・アデレード港への道のり
 原作でも港へ行く話は存在する。原作では港で働くベンがマクラーレン埠頭の開業式を見に行こうと誘ってアーサー以外の家族全員で港へ向かうのだ。ベンが操る荷馬車で港へ向かう途中、暴れ馬によってベンの馬車が事故を起こすという物語が展開される。ここでプリンストンが出てきたり、ジャムリングの馬車に乗せてもらったり、ジャムリングの家が火事になったりとアニメとは全く違う雰囲気の物語が展開されている。
 もちろん、ここで研究するのはアデレード港往復についてである。この地図をご覧頂きたい、37〜38話で起こる出来事に必要な事柄について書き込んだ地図である。赤い線はベンがたどったであろう道のりである。港への道路は一部で新街道に切り替えられているようで、地図や空中写真で見る限り「これが古くからの道だろう」と思われるルートを入れた。またアデレード港駅付近は鉄道の開通で道路が大幅に改編されているようで、この辺りはかなり想像も入っている。
 地図を見て頂ければ分かるが、アデレード港は一家が上陸したグレネルグとは全く違う場所にある。「私たちがここに到着した3年前と比べると港はすっかり変わってました」とケイトのナレーションが入るが、変わったのでなく場所自体が全く違う場所なのである。ルーシーが「私たちが上陸したのはこの辺じゃない?」と聞いた時にケイトは「もっと南よ」と答えるが、その通りアデレード港は一家の上陸地点であるグレネルグから15キロほど北に位置しているのだ。ケイトはこのことが分かっているのかどうか…ナレーションと劇中の台詞で矛盾しているから分からない。
 ここまで書くとルーシーとケイトが来たのはアデレード港でなくてグレネルグではないか?と思う方もいるだろうが、強盗に襲われた地点がハッキリしていて、これがアデレード市街とアデレード港の間に位置する地点なので動かしようがないのだ。もしルーシーとケイトが行った場所がグレネルグであれば、帰りの乗合馬車は信じられないほど遠回りをしたことになってしまう。また原作ではアデレード港のマクラーレン埠頭へ行ったことになっているので、アニメもこれに沿っていると考えるべきだろう。従ってルーシーとケイトが行った場所は「2」地点と考えられる。
 次に帰りに強盗に襲われた地点である。この位置は38話での乗合馬車の運転士の台詞でハッキリする。警察の前に乗合馬車を止めた運転士は、「ハインドマーシュ平原で強盗に襲われた」というのである。「ハインドマーシュ(Hindmarsh)」は前述の通り、アデレード市街とアデレード港の間に実在する地名で、アデレード市街を北西へ向かって出てトレンス川を渡った少し先に当たる。地図でいえば「3」地点である。ちなみにペティウェルの馬車が壊れた地点は、強盗に襲われるまでの間に居眠りする余裕があるほどなので、かなりアデレード港に近い地点だろう。
 アデレード港はアデレード市街から15キロほど北西にあり、複雑な形の入り江の一番奥まったところに存在する。地形的に風浪に強いと思われ、天然の良港として機能していることだろう。現在はアデレード市街から鉄道で結ばれている。

第38話「ルーシーは名探偵」
名台詞 「どうして医者なんか呼ぶんだ? 医者なんかいらん、わしの病気は5万ポンドさえ戻ってくればすぐ治るんだ。強盗はまだ捕まらんのか? 5万ポンド…あーあーあー…」
(ペティウェル)
名台詞度
★★
 第二部で悪役として登場してきたペティウェルは、この「名探偵編」では一転して悲劇の強盗被害者となる。金への執着で強盗の不審な言動、つまり鞄の中身を確認していないのに大金だと知っていた点に誰よりも早く気が付く。警察でそれを訴えるまでは元気だったペティウェルだが、家へ帰ると大金を盗まれたショックで寝込んでしまう。その時の台詞がこれ。
 とにかくペティウェルのショックが上手に表現されていて、ドクロベェ様の名演技もあって悪役だったペティウェルが哀れに思えてくるのだ。そしてこのショックで寝込む姿は、ルーシーの活躍で犯人逮捕となった後にペティウェルがポップル家にお礼をしに来る伏線であるとも考えられる。
 そういえば、「小公女セーラ」では思いがけず10万ポンドが手に入って倒れかかった人がいましたっけ?
名場面 ペティウェルがお礼に来るシーン 名場面度
★★★
 ルーシーの証言と活躍で強盗逮捕を知ったペティウェルがポップル家にお礼に来る。100シリング(=5ポンド)を差し出すが、ルーシーはこれを受け取ろうとせず、また「お子さんは謙虚ですな」と言ってペティウェルも一度はお金を引っ込める。ペティウェルがお金を引っ込めたところでルーシーはやはりお礼をもらいたいという。ここでお礼としてルーシーが要求した物は、デイトンを立ち退かせないでくれという願いだった。
 これでデイトンの家の問題は解決、デイトンはペティウェルの物になったあの土地で診療所を続けられてめでたしめでたし…と視聴者は思うことだろう。このシーンでペティウェルがまた悪人に戻るとは思えないからだ。
 しかしペティウェルは「そいつはダメだ」と言う。視聴者は「何だと?」と思う頃合いを見計らったかのように、ペティウェルは申し訳なさそうな顔をして「もう手遅れだよ」と言う。そう、ちょうどその時ペティウェルの手の者がデイトンの診療所を破壊していたのである。
 ここのシーンでは家を失いかけたデイトンを思い出し、それが救われたと視聴者の誰もが感じることだろう。それを計算に入れた上でペティウェルが手遅れと言うまでに余計な確認の台詞を入れて「間」を開けているのが上手くできていると思う。この「間」とぬか喜びによってどってことの無いシーンが視聴者の脳裏に残る。
 またこの直後の破壊される家を見ながら酒を呑むデイトンの表情がいい、寂しそうにベッドに腰掛けて酒を呑む彼の姿は、一家が作った家に対する愛情を感じる。
登場動物 飼われているもの→モッシュ・リトル・シルバー
野生のもの→
感想  この回はペティウェルが悪役以外の顔を見せる貴重な回だろう。最初は盗まれた大金に対する執着心から事件の不審な点について色々と気が付く。次に大金を失ったショックで落ち込んで寝込む哀れな被害者としての表情が描かれ、最後には大金を取り返すきっかけを作ったルーシーにちゃんと礼を言いに来る謙虚さまで出てくる。特に金を失って頭を抱えながら悔しがるシーンや、強盗がなんで大金を持っていたと知っていたのかと問う時に頬が震えている描写は秀逸。この回がなかったらペティウェルという人間は最後までどうしようもない悪人としてしか記憶に残らなかっただろう。彼は冷酷な人間ではなく、ちょっと意地が悪いだけの普通の人間であることが強調されているような気がする。私はこの回を見て、ルーシーの活躍よりペティウェルの方が記憶に残った。これは本放送当時も現在もだ。
 もうひとつ描き方が上手だったのはルーシーの恐怖感。アダムと顔が合うたびに「怖いわ」と恐怖に震えるルーシーの表情は秀逸。その割には家に帰って自分が目撃したことを語る時は明快に話していたようだが。
研究 ・名探偵編
 第二部の中でも37〜38話は「名探偵編」と名付けても良いだろう。だからといって完全に独立しているわけではなく、37話では物語の背景にある本題を中心に話を進めている。「名探偵編」の本筋はこの38話で、ルーシー達が乗る馬車がハインドマーシュ平原で強盗団に襲われたところから物語が始まる。
 この地図を見ながらの考察となるが、前回の研究欄で「3」地点が強盗に襲われた場所だと解説した。根拠も乗合馬車の運転士が警官にそう言うからである。
 話は飛んでルーシーが事件を解決しようとアダムの後をつけて歩く、この時に「4」地点となるデイトンの診療所へ行くのだが、アダムは強盗団に会いに行くのにこの診療所からそう遠くない位置、木の陰に隠れているルーシーとケイトが動かなくても見える位置で河原に進路を変える。さらにルーシーとケイトがアジトになった「河原の小屋」の存在を知っていたようなので、かつて「小屋」があった位置からそう離れていないだろう、こうして推定される強盗団のアジトの位置は「5」地点である。
 もうひとつ研究したいのは、ペティウェルが盗まれたお金「5万ポンド」の価値である。これを36話研究欄で示した「1シリング=中古の鋤=1500円」の公式に当てはめて計算しよう。
 おっとその前にペティウェルがお礼としてルーシーに渡そうとした「100シリング」を計算しておこうか、100シリングという事は20シリング=1ポンドという当時のポンド法による計算方法に当てはめれば5ポンドだ。あれ? 次話でスノーフレイクを売った金額より高いじゃん。スノーフレイクは3ポンドだぞ。
 1シリング=1500円の公式なら簡単で、この時ペティウェルがルーシーに差し出したお礼金は現在の日本円で15万円、子供に渡すには多すぎないか? せめて1/10の10シリングにしておこうよ。ちなみにスノーフレイクは9万円、一緒に競売にかけた古着は1万8千円だったわけだ。あの大家族が当面暮らすには少なすぎるような…。
 では真打ち、5万ポンドの計算だ。1シリング=1500円だから20倍で1ポンド3万円という事がわかる。3万円を5万倍すればいいから……じゅうごおくえん。こりゃもう日本の3億円事件なんか目じゃない強盗による被害金額だ。ペティウェルが寝込むのも無理はないわ。強盗団3人と共犯のアダムで4人と言うことは、均等に分ければ一人当たり3億7千万円ほどの分け前があるわけだ。これだけの大金が手にはいるならアダムが主人を裏切るのも分かる。
 つまりルーシーはとんでもない金額の事件に絡んでしまったと言うことだ。これだけの金額が盗まれて、数日後に犯人が逮捕されたと言うことになれば、どちらもその都度アデレードでのトップニュースになっただろう。

第39話「二つの別れ」
名台詞 「ねぇルーシー、思い切ってスノーフレイクを売ることにしたら? 私は家のことを思ったら売るべきだと思うわ。自分のことだけ考えてはいけないわ。」
(ケイト)
名台詞度
★★★★
 スノーフレイクを競売にかけると聞いたルーシーは、当然のごとくこれに一人で反対する。父に説得されるがそれでも聞かず、母が「他に売れる物がないか考えましょう」と言うと居間での家族での会話は終わる。
 でもその状況に納得できないのがケイトだ。昼間は母と二人で過ごすことが多いケイトは家の事情を必要以上に理解していた。前半で家に肉を飼う余裕が無い会話をするシーンや、それに続く父が働かない話題などがこの伏線に当たるだろう。そんな家の貧しい実情を実感として知るケイトは、「父さん達も辛いのよ」「家には本当にお金がないの」と家の状況を包み隠さず暴露して父を弁護する言葉を吐く。さらに父が仕事に出ると言うとルーシーは「スノーフレイクを売る必要はない」と答えるが、その返事としてケイトはルーシーにこう言う。
 これまでのケイトならばルーシーと一緒になってスノーフレイクを売ることについて反対しそうだが、先の家族での会議では無言を貫き、その上でルーシーと二人になった時に思い切ってルーシーが取るべき道を姉として忠告するのだ。今はみんな家を守ることに必死で、ケイトより上の年齢の家族はみんな自分のやりたいことを押し殺して家のために働いている。そろそろルーシーも家のためを考えて欲しいと願い始めるのは、ルーシーの年齢を考えれば至極真っ当と考えられる。ジャムリングが10歳のビリーに対してそう思っていたのと同じように。
 そしてこのような台詞を堂々と吐けるほどにケイトは成長していたのだ。ケイトは家のために勉強をしたいという気持ちを抑えて母の手伝いをして支えてきている。そのケイトの家庭での役割がケイトをここまで成長させたのだ。それだけではない、その家のために働くケイトの姿を妹はちゃんと見ているのである。この台詞を聞いたルーシーが大声で反論するのでなく枕に顔を埋めて涙を流すだけだったのは、この台詞をケイトが自分に向けて言うことに対し説得力を感じたためだろう。ルーシーはとりあえずこの現状を受け止めるが、現状を受け止めるのとスノーフレイクの売却に賛同するかどうかは別問題だ。
 だが、ケイトという最も信頼する姉にこの台詞を言われたことは後のシーンの伏線になる。スノーフレイクが競売にかけられている時、この現実を直視してやめさせるような行為はしなかった(ちなみに原作ルーシーは止めようと走り出すがケイトとトヴに止められる)。その場を黙って見続けていられたのはケイトのこの言葉があったからこそだろう。プリンストン家から帰ってきたルーシーがスノーフレイクがいなくても表面上平然としていたのは、この言葉があったからこそだろう。
 でも競売直後のルーシーはスノーフレイクという友を失った悲しみの方が何よりも上だった。それが次の事件を引き起こすのだ。
名場面 (デイトン編)デイトンとの別れ 名場面度
★★★★
 名場面は絞りきれないので、今回だけ特別に2シーン選ぶことにした。物語がCMを境に「デイトンとの別れ」と「スノーフレイクとの別れ」に明確に分けられるので、それぞれから1シーンずつ挙げることにする。
 アデレードに来てからずっとポップル一家の一員のように過ごしてきたデイトンだが、アーサーとベンが建てた小屋を追われしばらく居候していたのもつかの間、医師不足に悩むゴーラーの診療所へ就職することになった。その別れの前にクララにアーサーの酒を止めさせてくれと頼まれ、デイトンは酒を断つ。酒を呑まないデイトンはケイトに体の具合が悪いのか?と聞かれるのはご愛敬。
 そして別れの時、ベンとクララ以外の家族総出でデイトンを見送る。デイトンを乗せた馬車が走り出すと、ルーシーとリトルが走ってこれを追う。「さようなら」と言い合うと、「南オーストラリアに来て以来、家族の一員のようだったデイトン先生は、ゴーラーの町へ行ってしまいました。とっても辛い別れでした。」と静かにケイトのナレーションが入る。馬車に乗るデイトンが思わず涙する。
 5話で初登場し、一家と一緒に楽しい時も辛い時も過ごしてきたデイトンとの別れは、ありきたりの別れシーンとして描いている。だが極端に派手にするより自然で良いと思うし、なによりもこの自然さがかえって悲しみを誘うように出来ている。デイトンはただ一家に居候していたわけでなく、家族の成長と同時に一緒に成長してきた人物である。このような人物が物語からいなくなってしまうことは、視聴者にとっても辛く悲しいことであるのは間違いないのだ。
 いよいよ画面から主要登場人物がいなくなるという話も出てくるようになった。物語はここから終盤に入ると考えて良いだろう。
(スノーフレイク編)ルーシーの事故 名場面度
★★★★
 スノーフレイクが3ポンドで売却されたのを見て、悲しみに暮れるルーシーはぼんやりしたまま町を歩く。横道から出てきた馬車にぶつかりそうになっても気が付かない、さらにはジョンに声掛けられても気が付かないのである。言葉も発せず、無表情のままルーシーはアデレード橋までやってくる。
 ここで事件が起きる。アデレード橋の上を暴れ馬が駆けてきたのだ。橋の上は大混乱になり、暴れ馬との衝突を避けるため道行く馬車が全て脇に寄ろうとする。そのうちの馬車の一台が道ばたをぼんやり歩いていたルーシーをはねる。ルーシーは悲鳴を上げたと思うとその場に倒れて動かない。
 今まで全体的にのんびりほのぼのしていて、暗いシーンは一家を包み込む暗雲に触れた時だけだった。その暗雲がだんだん厚くなってきて、ついにはルーシー一人のシーンにまで暗雲が立ちこめたところでの事故である。これはもう暗雲どころの話ではない、何かが起きるのだ。
 さすがにルーシーが死ぬわけはないが、この突然の事故で初めて見る視聴者は今後の展開の予想が全くつかず、不安と恐怖に陥れられることだろう。だが「世界名作劇場」に慣れている人ならば、この事故が次の「華」である主人公の大怪我という事態につながりハッピーエンドへの転換点と予測できるようにもなると思われる。そう、物語は50話中39話にしてやっとハッピーエンドへ向けて転がり始めるのである。だが物語の雰囲気はまだジェットコースターのように落ちて行くだけだ。
 だが多くの人、特に本放送時はこの展開が読めた人は少なかったはずで、突然の事故で話の展開自体に不安を感じたことだろう。ここまで全くハッピーエンドの要素が無いことも含め、この不安は視聴者を強力に物語へ引き込むのである。
 そして物語は意外な方向に展開するのだ。
登場動物 飼われているもの→モッシュ・ステッキー・パンジー・ソッピー・リトル・スノーフレイク
野生のもの→
感想  デイトン先生退場。この人好きだったのに…最終回までずっとポップル家に居候するかと思っていたのに裏切られた感じだ、だから別れのシーン自体は普通の別れのシーンだったのに悲しかったのだ。感動したのでなく純粋に悲しかった。
 その前のクララがデイトンに父の酒をやめるよう頼むのもこれまたいい。ちょっとネガティブクララモードに入っていたようにも感じるが、その位じゃないとデイトンに頼むことは出来なかっただろう。酒に溺れるアーサーの前で平然と酒は呑まないと言い切り、最後にはアーサーに酒をやめさせる言葉をクララに言わせる辺り、この男の人の良さを感じた。
 そのアーサーは人間味があっていい。酒の呑みすぎについて肯定はしないが、呑んでないとやってられないという状況なのだろう。アーサーにのし掛かってきた重圧、それは家族の次に「お金がない」という事実である。お金がない以上は土地どころではない、つまりもう自分の夢を捨てねばならないというところまで彼は追いつめられたのだ。その悲壮感がアーサーからは伝わってきて、見ている方も不安になる。
 スノーフレイク売却の話題については成長したケイトに尽きるだろう。ルーシーが反対する事が両親は織り込み済みだったのはまいった。ルーシーは心の何処かで家庭の厳しさや自分が我が儘言っている場合で無いことを理解したのは前述したとおり。その現実とスノーフレイクと別れたくないという希望との狭間に揺れ始める。そう、ここからルーシーの成長も始まるのだ。
 そのルーシーの成長がこの最悪の心理状況からどうやって描かれるのかと思って見ていたら…あの事故だ。本放送時は背筋が震えた、こんな事ばかり続く家族なんて…と。ハッピーエンドの予兆すら感じないと言うのは、ある意味セーラがいじめられているところをずっと見せられるよりも辛い。セーラなら同じ頃の話で既にクリスフォード登場済みで、ハッピーエンドの予感がしていただけにまだ見ていられた。でもルーシーはそれが無くて一家を覆う暗雲はますます厚くなり、その上ルーシーが事故に巻き込まれるわけだから…正直本放送時は見ていられなかった。
研究 ・記憶喪失編
 「南の虹のルーシー」は全50話中40話に達しようとしている。本放送時は1〜12月まで1年かけての放送が10月に入ったところである。ここまででまだハッピーエンドの予兆も、そのキーワードすらも出てこない。一家を包む暗雲は厚くなるばかりで、そしてこの事故だ。
 次話のネタバレになってしまうが、この事故でルーシーはプリンストンという男に救助される。そしてルーシーが目を覚ますと記憶喪失となっていたわけだ。アニメ「南の虹のルーシー」最大の見どころである「記憶喪失編」が今始まったのである。
 記憶喪失のエピソードはアニメでは終盤の半分を占めるが、原作では出てこないエピソードである。原作ではルーシーとプリンストンは街で何度も会うことで顔見知りとなり、次第に家族ぐるみで付き合うようにな、アーサーがプリンストンの仕事を手伝うという段取りを踏んでラストに向かうのだ。原作プリンストンは1840年に話が飛んですぐの登場で、ルーシーと顔見知りになるまで数回の登場を重ねる。アニメではこの段階までそのプリンストンは出ていない。
 アニメではそのプリンストン登場のきっかけがこの記憶喪失編である。事故で倒れたルーシーを助け、事故のショックで記憶を失ったルーシーと生活するという物語をアニメはとるわけだ。この改変については賛否両論があるようだ、私は現実的に考えれば記憶喪失編は不自然で原作の流れの方があり得る話だと思うが、万人受けしなければならないアニメで主人公が活躍する見せ場を必要とするアニメではこの方が良かったと考える。つまり現実的にはあり得なくても、物語として見た場合には面白く、かつこの物語の一貫したテーマ「家族の絆」という点でも必要だったのである。
 原作の流れのままアニメを作ったら、さぞかしつまらないアニメになっただろう。「南の虹」という原作も紹介サイトを見ている限り悪くはない作品ではあるが、主人公をルーシーに決めたアニメではあのままの流れにはならない。「南の虹のアーサー」だったらあの流れでもいいと思うけど。
 その理由は主人公ルーシーがハッピーエンドのために印象的な活躍をするシーンが無くなってしまうのである。ルーシーを主人公として強烈に印象づけるためには、ルーシーの手で土地を入手しなければならないのである。原作ではプリンストンとの出会いという土地入手のきっかけこそはルーシーが引っ張ってきているが、土地そのものはアーサーがプリンストンの元で一生懸命働いたから手に入ったのである。
 ぶっちゃけ、最終回の改編のために記憶喪失編を伏線として入れたと考えて良いだろう。まずここで一家からルーシーという三女がいなくなって家族がどうなるかを徹底的に見せる。同時に成り行きでルーシーを助けて一緒に生活し、自分の娘と錯覚する夫婦を出す。この家族と夫婦によるルーシーの引っ張り合いの中で、ルーシーが自分の立場を認識して一家がどうあるべきなのかを考える。その上で家族の現況を把握して自ら土地入手の手段を考える。ここで数日間一家と離れて生活したという経験は必ず必要になる(その理由はその都度解説予定)、そのために記憶喪失編を入れたのだと考える。
 さらに記憶喪失編の別の役割として、ルーシーを色々と変身させてしまうという遊び心や、平坦な物語を楽しくする工夫として入れられたであろう事も感じ取ることが出来る。金持ちの家に一時的に住んだため、色々な服を着飾って出てくるルーシーは記憶喪失編の見どころの一つでもある。
 同時にここでの一家がルーシーを心配する姿、徹底的に探し回る姿は絶対に見落としてはならない。ルーシーが記憶を失ってプリンストン家に住むことより、この間のポップル家の動きの方が私には本題に見えるのだ。

第40話「わたしは誰?」
名台詞 「ルーシーには本当にすまないことをしたわ。いくらお金がなくても、あの羊を売ってはいけなかったのよ。」
(アーニー)
名台詞度
 アーニーはアーサーがスノーフレイクを連れて競売場に行ってから、後悔するような表情で居間の椅子に座っていた。そしてアーサーがスノーフレイクを連れ出したのを止められたかった事を悔やんでいる様子だった。恐らくスノーフレイクを売ることで何か嫌なことが起きるに違いないと彼女は予感していたのだろう。またスノーフレイクを売らないと言い出した自分の言葉が結果的には嘘になってしまったことも、悔やんでいる原因だろう。
 そこへケイトが現れて、リトルがスノーフレイクを探して庭中歩き回っていることと、ルーシーがまだ帰ってこない事を告げられる。この時に出てきた台詞がこれ。
 アーニーはケイトの一言で表情は変えなくても自分の嫌な予感が当たりつつあることを察したのだろう、それで何が何でもスノーフレイクを売るべきではなかったと後悔するのだ。この時既にアーニーは、この日ルーシーが帰らないことを予感していたに違いない。理由はどうあれ、ルーシーはちょっとだけ家出をするのではないかと。それをするだけの動機として自分が育ててきた羊を売られたというのは十分だ。
 そこへアーサーが帰ってきて嬉しそうに羊が3ポンド、古着が12シリングで売れたことを語る。ケイトがルーシーを見なかったかと聞くと知らないと言うアーサー、この時にアーニーの表情は出てこないが、アーニーは顔色を変えたのではないかと推測される。
名場面 リトルの遠吠え 名場面度
★★★★
 夕食が済んでも帰ってこないルーシー。さすがにケイトが捜しに行くと言い出すが、アーサーがそれを制して自分で捜しに行くという。リトルを連れて家を出ようとしたところクララがジョンを連れて帰宅、夕方にジョンがルーシーを見たと言うことでジョンも一緒に捜しに行くことになった。
 ジョンがルーシーを目撃した地点を通り越しアデレード橋まで来ると、リトルがルーシーの臭いを感じ取ったようで臭いを嗅ぎながら橋を渡り始める、そこで雨が降り出すがリトルは構わず臭いを追跡して進む。そしてそのルーシーの臭いが途切れたところでリトルが見つけたものは…血だまりだった。
 リトルは吠える、吠えるうちに降り出した雨が血だまりを流し始める。アーサーとジョンはリトルが何か見つけたに違いないと走り出し、リトルの元に着いた時、血だまりはすっかり雨に流されてしまった。
 二人は血だまりを見なかったためにリトルが吠えている理由が分からない、折からの雨に二人が雨宿りしようと走り出すがリトルはその場を動こうとしない。アーサーが呼んでもリトルは動かず、リトルはその場で遠吠えを始めるのだ。愛する飼い主に何かが起きたことをリトルは感じ、飼い主を求めて遠吠えするのだ。「自分はここにいる」と。
 このシーンはリトル登場シーンでは屈指の名場面と思う。名犬リトルが飼い主の身を案じて雨に濡れながら吠えるシーンは、「世界名作劇場」シリーズのペットが主体となっているシーンでは指折りと思う。「南の虹のルーシー」においてもリトル登場シーンでここかルーシー発見時かのどちらかだろう。このシーンで視聴者にリトルというキャラを強烈に印象づけるのだ。
登場動物 飼われているもの→リトル
野生のもの→
感想  ルーシーの事故により唐突に始まる新展開。アデレード橋の上で倒れているルーシーを、馬車で通りかかった紳士が助けて連れ帰るところから物語が回り出す。この瞬間は「南の虹のルーシー」という物語がハッピーエンドへ向けて話を転換するきっかけなのだが、そんなのは後になって分かる話で今はルーシーが大丈夫なのか心配でそれどころでない。
 助けた男を見て、本放送当時は「やっと世界名作劇場的金持ちキャラが出てきた」と思った。「世界名作劇場」に出てくる金持ちの多くは紳士で、ペティウェルのような金持ちはあまり出てこないのだ。そしてこの凛々しくて金持ちのこの男こそがハッピーエンドへの鍵を握っていると、当時もそう感じながらみていたもんだ。
 ひたすらスノーフレイク売却を後悔するアーニーもいい。その点は名台詞を参照。そしてその前後のケイトとリトル、特にリトルのスノーフレイクがいなくて探しているシーンは上手く描けていると思った。
 二元中継のもうひとつ、ルーシーがなかなか目を覚まさないのは不安だったから目を覚ました時は安心した。これでルーシーが家に帰って家族みんなめでたし…と思ったら記憶喪失とは当時は本当に驚くと共にまた不安になった。いったいこの物語はどうなってしまうんだ?と思いハラハラしていた。こんなハラハラさせられるなんてここまでの展開では思っても見なかったからね。
 そして最後の方のリトルの遠吠え、このシーンに感動したのはよく覚えている。忠犬というのはこういうのを言うんだなと。対して記憶を失い泣きながら食事をするルーシーの涙…この物語の展開がいっそう不安になり、かつどのようなきっかけでルーシーが記憶を取り戻すのか非常に楽しみだった記憶がある。そしてプリンストンが豪邸に住む金持ちだと分かると、この人がポップル家に幸せを運んできてハッピーエンドとなる結末が何となく見えてきたのを覚えてる。あとは最終回直前までルーシーの記憶喪失が続くのだろうと思ったのは私の当時の予想である。
研究 ・記憶喪失
 記憶喪失である。アニメにおける記憶喪失シーンで記憶にあるのは(ややこしい書き方だなおい)、「ドカベン」の主人公山田太郎が記憶喪失ななる話だ。本塁上のクロスプレーで記憶喪失になった山田だが、その頃の明訓高校は優勝旗が盗まれて次の試合に山田を出すなと脅されていたが、その山田が記憶喪失でそれどころでなくなったという話だったような。記憶喪失のまま優勝旗を取り戻した山田は(「俺は何に優勝したんだ?」という台詞を覚えている)、山田がいなくて苦戦している球場へ行って記憶喪失のまま代打として試合に出場。特大アーチの後、ライトの守備についてフェンスギリギリのフライを捕球した際に頭を強打して記憶を取り戻すというストーリーだった気がする…って、「南の虹のルーシー」とは無関係だろうに(…でも全く無関係でもない、記憶喪失になった主人公山田太郎の妹サチ子とルーシーは声優が同じだ)。
 ルーシーや山田太郎がかかったいわゆる「記憶喪失」(特定の時期以前の自分自身に関する記憶のみを思い出せなくなる)は、「全生活史健忘症」と呼ばれるものらしい。その多くは心因性のもので、稀に頭部外傷によって引き起こされる場合もあるという。そういえば「ドカベン」の山田太郎は優勝旗を盗まれたことを気に病んでいた記憶がある、ルーシーもスノーフレイクが売られたショックと、家族に裏切られたという思いはあっただろうから、両者とも心因性だった事は否定できない。特にルーシーについては事故の前、ジョンに声をかけられた場面では既に記憶喪失状態に陥っていた可能性もあると言うことだ。そうすればジョンが声をかけても無視されたという状況とも合致する。
 頭部外傷が原因の場合、ルーシーが39話で二度にわたって頭部を強打していることは見逃せない。つまり一度目の強打で自覚症状のない異常が発生し、それが治らない間にもう一度同じところを打ったのが記憶喪失の原因かも知れない。これで事故の後、長時間に渡って意識を失っていたのも説明がつくだろう。
 その一度目とは、39話冒頭。ルーシーはトヴが作ったハンモックに乗ろうとしてバランスを崩し落下するのだが、この時に頭部を強打している。
 
 二度目はもちろん暴れ馬の事故である。はねられた形となっており、はねた馬車と橋の欄干が近くてルーシーの身体が回転するように倒れることになる。この回転時に石でできた欄干に頭部を強打としたと考えられるだろう。なお腕の擦過傷は馬車の車輪によってつけられたのではないかと推測する。スパッと切れなきゃあんなに血は出ないが出ないと思うが、輸血や縫合をした様子はないのでちょっとした擦り傷だったのだろう。その割には出血量が多いが気にしない。

 本来ならばその記憶は徐々に戻ってくるようだ。外傷性とすれば腫れみたいなものが頭の中に出来て、それが記憶障害を引き起こすという理解で良いのかな? ならば腫れが引けば自然に記憶は戻ると思う。想起を促すというのは治療法としては合っているようで、プリンストンが外に連れ出したのは正解だろう。

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