第50話「虹に向かって」 |
名台詞 |
「お願いです、プリンストンさん。やっぱり私をここへ置いてください。そして、父さんが…父さんが可哀想なんです。すっかり希望を失ってしまって、昔はあんなんじゃなかった、父さんは。今はお酒を呑むし…」
(ルーシー) |
名台詞度
★★★★★ |
前回のラストシーンでプリンストン邸に乗り込んで「私をこの家の子供にしてください」と涙ながらに訴えるルーシー。フランクはそんなルーシーを思わず抱きしめる。フランクにはすぐ分かったのだ、ルーシーが家族を捨てて自分の子供になりたいなんて考えるわけがない、ルーシーは父に土地を入手させたくてこうしてやって来たのだと。
そんなことにまだ気付かずにルーシーを抱きしめようとするシルビアを止め、フランクはルーシーに聞く、「君が私たちの子供になりさえすれば、お父さんは自分の土地を持てるようになる。そう思ってここへ来たんじゃないのか?」と。これにルーシーは小さく頷いた後、フランクの目を見てまるでしっかりとこの台詞を言う。
前話の最後と今回のこの台詞の直後に流れる回想シーン…つまりこの時点から見れば昨夜のケイトの台詞、最も信頼している姉までもが希望を失ってしまった現況を見てルーシーは自分がなんとかしなければと思った。そして思い出したのがルーシーを養子にくれれば土地を譲るというフランクの話であった。ルーシーは家族が幸せになるならたとえそれで自分が家族と会えなくなることになっても…やるしかないと決意したのだ。
この台詞で心を入れ替える人間が一人いた、それはシルビアである。シルビアは自分の偏愛に気付き、ルーシーをポップル一家という家族から引き離すことは間違いだったと気付く。そしてルーシーにこの間違いに気付いたことをハッキリ伝えた。フランクの馬車で家へ帰るルーシーに「希望を失ってはダメよ、どんなときも。きっと良いことがあるわ、それも近いうちに。」とフランクの顔を見ながら言う、「それは今日かも知れないわね、あなた。」とフランクに言うシルビアは、エミリーを求めてルーシーを偏愛する彼女の姿ではなかった。ルーシーのこの台詞によって、シルビアも一回り大きくなったのだ。
そしてこの名台詞を伴うシーンが、劇的にハッピーエンドへと物語を転換するのである。 |
(次点)「そうね、虹の橋を渡るのね。いつかきっと。」(アーニー)
…「南の虹のルーシー」における最後の台詞。母アーニーが上手く物語にオチをつけて締めてくれた。ルーシーが「私たちの行く先は、ちょうどあの虹の橋のたもとあたりよ」と言った返事であるが、この二人の会話によってこの家族の今後は視聴者の想像に委ねられたのだ。これは家族にとって本当のオーストラリアでの生活が始まったに過ぎないという事を示している。でも物語はこの台詞で上手くまとまり、2台の牛車の背景に大きな虹が架かるシーンに「おわり」の文字が浮かんで幕を閉じるのだ。印象にの残るラストシーンであった。 |
名場面 |
フランクの来訪 |
名場面度
★★★★★ |
今回も絞りきれなかった、本当ならこの最終回全部を名場面として上げたい位だ。やむを得ず最後まで絞り切れなかった2シーンを名場面として挙げる。どちらも甲乙つけがたいのだ。
フランクはルーシーと一緒にポップル家を訪れた。たった今プリンストン邸で起きた出来事にフランクは感動し、大事な用件を伝えるためにやって来たのだ。それはポップル家に破格の条件で土地を譲るということであった。
茶を入れながら学校をサボってプリンストン邸へ遊びに行ったとルーシーを叱るアーニーに、フランクはルーシーは遊びに来た訳じゃないと告げる。アーニーが「何のために…?」と聞くと「実は私たちの養女になりたいと言ってきたんです」と正直に告白する。これを聞いたケイトは思わず紅茶を吹き出す。
フランクは続ける、ルーシーが養女にしてくれとやって来たのはあることを実現させて家族を幸せにするためだと。その意味が分からないアーニーを横目にケイトがピンと来て「ルーシーはわが家に土地をプレゼントしようと思ったんだわ」と言う、「その通り、ルーシーが私どもの子供になりたいなんてどう考えても思われない」というフランク、そのやり取りを聞いて
( ゚д゚)ポカーン とするアーニーと照れながら紅茶をかき混ぜるルーシーの表情がよい。
「ご迷惑を…」というアーニーにフランクはルーシーのひたむきな心に深く心を打たれたという、その言葉を聞きながら涙を流すアーニー。そしてフランクはゴーラーの土地を譲りたいと申し出るのだ。その土地がポップルさんの手で素晴らしい農場になるのをこの目で見てみたいと。
この言葉にアーニーだけでなくルーシーとケイトも ( ゚д゚)ポカーン とした表情で固まる。しばらく固まったかと思うとアーニーが慌てて「それはとてもありがたいんですが、私どもには今お金が…」と言いながら、自分の紅茶に角砂糖を次から次へと放り込む。そしてそれをかき混ぜて一気に飲もうとしたところであまりの甘さに顔をしかめるアーニー、これまで出てきた中で最高の笑えるシーンだ。
そんなアーニーを見て一瞬笑顔になったフランクは、このアンガス通りの家を売って土地の頭金にすることと、残りはポップル農場が暇な時にプリンストン農場を手伝ってくれればいいという破格の条件を提示する。笑顔のルーシーとケイト、一瞬 ( ゚д゚)ポカーン とするアーニー、「プリンストンさん!」とフランクの名を呼ぶだけで喜びの言葉が続かない。
このシーンはルーシーの活躍によって土地が入手できることを登場人物も視聴者理解できる重要なシーンだ。やっとハッピーエンドの結末が見えてきたシーンで、かつ「世界名作劇場」では最終回1話前で出るのが通例の「物語の結論」がやっと提示されたのである。
またこのような重要なシーンをただ淡々と描いたのでなく、茶を吹き出すケイトや紅茶に角砂糖を次から次へと放り込むアーニーなどを滑稽に描いているのも面白くてこの物語らしくて良い。さらにルーシーの照れくさそうな表情と動きも秀逸だ。ここに「南の虹のルーシー」という物語の面白さが詰まっていると思う。
|
アーサーの涙 |
仕事を終えたアーサーは、この日は酒を呑まずに真っ直ぐ家へ帰ってくる。すると家の前ではルーシーとケイトとトヴが待っており、今日はとても良いことがあると伝えられる。この時のケイトの「話したい」という心情の表現がいい。
そして家の中でアーニーからフランクが土地を買って欲しいと言ってきたことを伝えられる。最初は金がないと一言の元に否定するアーサーだが、アーニーから「破格の条件」を伝えられると座っていた椅子から立ち上がり、「夢じゃないな」と呟く。「夢じゃない」とアーニーが家と感極まった様子で「私は遂に自分の土地を手に入れることができるんだな」と言う。そして夫婦で喜びの抱擁。
「お前達、知ってて黙っていたな」と今度は子供達の方へ向き直るアーサー。アーサーは土地入手の立役者であるルーシーに感謝の言葉を言う。嬉しいと言い合いながら涙目で見つめ合う父と三女、「私はおかしいぞ、涙が出てきた。」と涙を流しながら言うアーサーにルーシーは思わず抱きつく。感動の名シーンだ。
帰ってきたアーサーを見てルーシー達が「父さんどんな顔するかしら」「喜ぶわ」「バッカね、当たり前のこと言わないで」「笑うわ」「そうね笑うわね」「近頃父さんが心から楽しそうに笑ったを聞いたことないわ」という会話をしている。視聴者としてもアーサーは笑うと思うことだろう、だがこの予想は外れてアーサーは笑うのでなく泣くのだ。ここまで一度も泣いたことがなく、絶対に泣かないだろうと思っていたキャラクターが涙を流して喜ぶのだ。この涙はアーサーがここまでどれだけ苦しんできたかずっと見てきた視聴者の涙をも誘うのだ。
そしてこのシーンは6話で最初に暗い影が出てきて以来、やっと一家を覆っていた暗雲が全部晴れた瞬間なのだ。その暗雲の中でも家族が力を合わせて頑張り、それが報われた瞬間なのだ。その苦労と時間が全てアーサーの涙に詰まっている。だから一家と一緒に耐えてきた視聴者にとっても泣けるシーンなのだ。
|
登場動物 |
飼われているもの→モッシュ・リトル・スノーフレイク
野生のもの→ |
|
感想 |
私もおかしいぞ、涙が出てきた。
本放送時もこの最終回で涙が出た。多分リアルタイムで見た「世界名作劇場」で最初に涙したのはこの「南の虹のルーシー」最終回だと思う。あのアーサーの涙はずっと見てきた視聴者には来るものがあるはずで、この物語での苦労が全部詰まっているように感じたというのは名場面欄での説明通り。
最終回として本当に上手くまとまったと思う。ハッピーエンドへ向けた最後の物語の転換が最終回に押し込められているのを見て「詰め込みすぎ」と見る向きもあるかも知れないが、私は本当にきれいにまとまったと思う。その要素を挙げるならば、まずシルビアの偏愛がキチンと解決したこと。ルーシーを諦めないと言うままうやむやにするのでなく、ルーシーの本当の気持ちを知って諦めるだけでなく「エミリー」の幻影を追っていたに過ぎない自分の偏愛に気付くという展開は上手くシルビアを救ったと思う。それにもうひとつがスノーフレイク、売却された時にあれほど主人公が悲しんだのにそれで終わりではこの羊もルーシーも救われないと感じていた。そういう点で優れた最終回だと思う。
かつこれまで例え表面上だけでも明るく展開してきた「南の虹のルーシー」らしく明るく最終回が進んだと思う。名場面欄で説明した紅茶を吹き出すケイトに、、アーニーの甘い紅茶、それに玄関前で父の帰りを待つ3人の会話なんかは「南の虹のルーシー」らしく展開していたと思う。最終回でもシリアスシーンでも物語の良いところを失わず、「らしさ」を残したまま話を展開させた作りは秀逸で、ここも私が「南の虹のルーシー」を「世界名作劇場」シリーズ最高傑作に挙げる理由の一つだ。
この物語も今回で終わりと聞いて非常に寂しかった、まぁ私の心を鷲掴みにした「セーラ」の時は、寂しさではこの上を行ったが。このほのぼのとした物語の終わりが非常に惜しく、あと3ヶ月位やってくれないかなと当時も思っていたものだ。まさか次の「わたしのアンネット」があんな殺伐とした物語だと当時思ってなかったからなぁ。でも「アンネット」も印象に残っており、機会を見つけ次第ここで取り上げたい物語なんだけど。 |
研究 |
・物語の終わり
「南の虹のルーシー」は見事な急展開で幕を閉じた。最終回1話前のラストシーンという土壇場から急激に物語が展開し、ルーシーが自ら土地入手話を家族に運んでくるという物語となって終わった。この結末は記憶喪失編の全てが伏線で、それによりプリンストン夫妻がルーシーを養女にしたがるという展開となって初めて可能となる物語であった。またクララの結婚式をきっかけに家族が一人減り、その寂しさと暗さを強調したことは、もちろんケイトまでもが希望を失うために必要な展開であったし、ケイトが希望を失ったことでルーシーが「自分がなんとかしなければ」と立ち上がるという展開上必要なものであったと思う。
さらに感想欄に書いたとおり、この大団円はルーシーにエミリーの影を追っていたプリンストン夫妻にとってもハッピーエンドとなった。スノーフレイクにも再会して本当にみんなが幸せになるという形で物語が締まった点についても、私がこの物語を「世界名作劇場」最高傑作と考える理由のひとつである。
ちなみに原作ではアーサーがプリンストンの元で働くと決まった後は、47話感想欄冒頭に書いたような展開で話が進む。それと違う部分があるとすれば土地入手が先で、クララの結婚式で大団円となっている点位のようだ。ページに限りがある小説ならばそういう終わり方でも十分だと私は考える。
このハッピーエンドの鍵を最初から持っていたのはフランクである。どう考えてもあれだけの富豪が出てきて、実業家で土地もたくさんもっているという設定はこの人が何らかの形でアーサーに土地を譲って終わるしかないのだ。ではその鍵を出させたのは誰か、鍵を開けたのは誰かという話になるとこれはフランクではない。フランクは鍵を持っていただけである。
フランクの懐から鍵を出させたのは当然ルーシーだ。ルーシーが健気に家族の幸せのために養子にしてくれ、というシーンはまさにフランクが「ハッピーエンド」という鍵を懐から出したシーンであるのだ。でも鍵を開けたのはルーシーではない、そのフランクに目で合図を送ったシルビアである。シルビアがルーシーに対する偏愛に気付き、ルーシーを養子として迎え入れることが間違いであると気付いた時に物語は回った。そしてルーシーに「きっといいことがある、それは今日かも知れない。」と言いながらフランクに目で合図を送った瞬間、ハッピーエンドへの鍵が開かれたのだ。農場を持ちたいというアーサーだけでなく一家共通の夢、これが現実になった瞬間はまさにここなのだ。
土地が手に入らないことによる一家の暗い影はアニメでも鮮明に描かれた、しかも物語序盤で何もかもが上手く行かないという形で暗雲が現れてから、それがずっと晴れたことがないという描写を物語の背景に描き続け、終盤ではこれが前面に出てきた。だからこそこの暗雲に対峙する一家を見て、共に耐えてきた視聴者は涙を流せる。最後の怒濤の展開に行き当たりで感動するのでなく、全体の流れを思い起こして感動できるのだ。こんな素晴らしいアニメの最終回をあまり見たことがない(他が全て悪いとは思わないが)。そういう意味でもやはり「世界名作劇場」最高傑作だと私は思うのだ。 |