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第31回 「さらば、レッドノア」
名台詞 「マリーはみんなと一緒に逃げるんだ。マリーはキングがいるだろう? キングを守ってあげなきゃ。みんな、アフリカで会おうね!」
(ジャン)
名台詞度
★★★★
 ハンソンが島の様々な現象から「この島は海に沈む」と予言し、皆は修理が完了したばかりのグラタンで逃げ出すべき準備をする。だがジャンは「いま自分がすべき事」に目覚め、グラタンでの脱出を拒否した。それは「ナディアを助けるのが自分の役目」ということだ。ジャンは島が沈むまでの時間が無いと悟るとグラタンから飛びだろうとするが、その時にマリーが「マリーも行く!」と声を上げる。これに対してジャンはこのような台詞を残して、グラタンから飛び出して行く。
 前述したようにジャンはこの緊急事態に「ナディアを助ける」という自分の役割が残っている事に目覚めている。だからグラタンでこのまま島から逃げ出す訳にはいかない。この台詞までのシーンではそんなジャンの「思い」をキチンと描いている。
 だがここまでジャンやナディアと行動を共にしてきたマリーにとっても、ナディアは置き去りに出来ない存在なのだ。そのマリーにジャンが伝えたこと、それは「自分にナディアを守る役割があるように、マリーにも役割がある」という事だ。マリーにも守るべきものがあり、それを守るためにはそれ以上の危険を冒してはならないという事をマリーにキチンと伝えるのだ。
 ジャンがマリーにこう伝える事で、「自分がここまでに得たもの」をちゃんとマリーに伝えようとしていたに違いない。ジャンは自分の好き勝手に科学に打ち込んでいれば良いわけではなく、誰かを守るために行動しなければならないことを「ノーチラス」号とその後のサバイバル生活で学んだのだ。これをマリーにも受け継いでもらいたい、そんなジャンの気持ちが良く表れている。
 そしてジャンは、ナディア救出という危険な役割の結果で死ぬ事など考えていない。必ずナディアを救って皆と合流できる。こう信じていることはこの台詞の最後を見れば理解できる事だろう。
 そしてこの台詞は、今回のラストシーンへの伏線でもある。ジャンにナディアを守る役割があるとすれば、グランディス一味にはジャンを守る義務があるというオチで今回が終わるからだ。そこまで含んでみるとこの台詞が今回では強烈に印象に残った。
名場面 再会 名場面度
★★★★★
 名台詞欄シーンでグラタンを飛び出したジャンは、島の中心に向かって走る。だが途中で地殻変動に巻き込まれ転倒、起き上がるとそこに現れたのは前回ナディアと共に地底を歩いたトンネルであった。ジャンはトンネルを走る、そして動く歩道の上を走り、ナディアが消えたあの壁の前に立つ。
 ジャンは壁を叩いてナディアの名を叫ぶが、何の反応もない。愕然としたジャンは持ってきたナディアの服を握りしめ、再度ナディアの名を叫ぶ。この声がナディアに届くと、ナディアはジャンの名を呟きながら泣き出す。するとレッドノアはナディアの心に気付き、ブルー・ウォーターを通じてナディアの故郷へ案内する旨を語る。その頃、壁の前のジャンはナディアの服を見つめ「一緒に海の中へ行こう」と呟いていた。するとどこからともなくナディアの声が聞こえる、立ち上がるジャンにナディアは目を閉じるよう請う。するとあの壁の中から全裸のナディアが現れた。「ナディア、どこにいるの?」「ここよ」…ジャンが振り返ると、瞳に涙を貯めたナディアが涙声で「来てくれたのね」と語ったと思うと、全裸のままジャンに抱きついて泣く。
 物語が終盤に入る前の最後のヤマ場と言って良いだろう。レッドノアに捕らえられてアトランティス王国の再興を押しつけられるナディアは、仲間達と共に生きる事を主張するがそれを聞いてもらえない。このナディアの危機がどんなかたちで救われるのか、その過程を迫力たっぷりだけでなく、これに感動シーンと色気まで付けて再現した。まさに「ふしぎの海のナディア」の指折りの名シーンだと私は思う。
 特に「来てくれたのね」のナディアの台詞では素晴らしい涙声の演技、あれをあの声で言われたら普通の男はたまったもんじゃない。「色気を付けた」と前述したが、それはナディアがこのシーンでは全裸を通していた事ではなく、あの台詞の声の事を言っているので誤解しないで頂きたい。またジャンの心境変化も上手く描かれていると感心する。
 とにかく解説は長く書かない、このシーンは興味がある人はDVDを買うなり借りるなりして見て頂きたい。
感想  物語は39回中30回を突破した。いよいよ終盤戦であるが、終盤に入る前にこれまでに大きく広げた風呂敷をたたみ始める事を忘れない。今回のナディアとレッドノアの会話で、ブルー・ウォーターの事だけでなくナディア出生の秘密(というよりナディアの正体)が解るという展開だ。もちろんネモも同じ秘密を持っている事は言うまでもない。
 そしてその中で、ここまでの物語の進行を「偶然」でなく「必然」にしてしまったのだから面白い。さらにナディアの本当の目的地が「次に物語が進むべき場所」と言う展開となる。ここまではこのレッドノアがナディア当人の自覚のないままで彼女の行き先だったと言うわけだ。
 しかし、今回は昔のアニメだけじゃなくてついに名画「日本沈没」までパクって来たからなー。ハンソンの台詞、まんま田所博士じゃん。そしてナディアの祖先である宇宙人の生まれ故郷が「M78星雲」って…「ウルトラマンかよっ!?」と初見の時にテレビに向かって叫んでしまったぞ。
 今回はいろんな意味で見ていて気持ちが良かった。何よりも前回でマリーが一人けなげに働いていた点がうやむやにされなかった点は評価したい。あれで誰も褒めてくれなかったら、この物語を見ている子供達に悪影響だ。そして面白かったのは、キングが自分の尻尾と気球を結んでしまったあのシーンだ。
 こうして命からがらの島からの脱出シーンを挟み、同時にガーフィッシュが攻めてくるという新たなピンチが描かれたところで、次からいよいよ新展開である。ガーフィッシュが迫ってきてあんな緊張感あふれる終わり方をしたのに、次のサブタイトル聞いて「はぁ?」と思ったぞ。こういう落差はむしろ好きだぞ。
研究 ・M78星雲
 今回でナディアの祖先「アトランティス人」の故郷とされ、またこれとは別にウルトラマンの故郷としても名高い「M78星雲」。今回はこれについて調べてみよう。
 「M78星雲」はオリオン座にある散光星雲、つまり可視光で観測できるガスや塵の集まりだ。場所的にはオリオン座の三つ星の一番東の星から北西側で、オリオン大星雲などとともにオリオン座分子雲を構成している。1780年にフランスの天文学者ピエール・メシャンによって発見された。
 問題はこの「M78星雲」のような散光星雲に宇宙人がいて文明を築けるかどうかであるが、ウルトラマンで夢を見せられた人たちには大変申し訳ない内容だが、それはたぶん無理であろう。散光星雲は自ら光を発するようなエネルギーはなく、周囲の恒星が発する光を反射しているに過ぎないからだ。恐らく星間物質のような物が集まった場所で、星がないのではないかと思われる。
 劇中では「M78星雲は、太陽系から277.5光年の場所にある」とギレン・ザビが解説している。実は「ウルトラマン」でも地球から300光年という設定になっている。だが残念ながらどちらも正しくなく、実際には地球から約1600光年の位置にあるとされている…そんなに離れていたら240万年前にアトランティス人が移住してくるのは大変だったろうに。
 ちなみに「M78星雲」の「M」とは、18世紀後半にフランスの天文学者シャルル・メシエが作成した星雲・星団・銀河の天体リスト「メシエカタログ」の番号である。メシエがカタログに載せた順に「M1」から「M109」まで番号が振られており、その78番目が「M78星雲」だ。この「メシエカタログ」に出ている天体は18世紀までに見つかったものなので、その多くが小型望遠鏡でも観測可能であり天文ファンにはなじみのあるものばかりだそうだ。

第32回 「ナディアの初恋…?
名台詞 「マリー、ジャンに知らせてくる。このままじゃジャンが可哀想でしょ? だから、チャンスを作ってあげるのよ。」
(マリー)
名台詞度
★★
 ナディアの心がハマハマに向いてしまい、ジャンとキングがこれに嫉妬してしまう。ジャンはグラタンの修理に勤しむが、キングはまた傷心の家出をしてしまって行方不明だ。マリーはグランディス一味やエアトンに、ナディアがジャンとチューしたときもキングが家出した事を説明。同時にナディアがオーバーな身振りと甘い声でキングが行方不明になったとハマハマに告げている。これを見たグランディス一味は「見ちゃいられない」とこぼすと、同じくこのシーンを見ていたマリーがこう宣言してジャンの元へ向かう。
 そうだ、こんな気変わりはあんまりだ…と視ている方も思った事であろう。突然現れたハマハマという好青年にナディアは一目惚れ、どうみてもこれまで一緒だったジャンの事など忘れている。しかもジャンとはファースト&セカンドキスまで許したのに、これに応えたジャンがナディアのピンチを生命を賭してまで救ったのに、である。だが視聴者の我々としてはグランディス一味の誰かに「助け船をだしてやれよ」と思う事しか出来ない。その助け船を出したのがこの台詞であり、その役割はずっと行動を共にしてきたマリーとなったのだ。
 幼いとは言えこの役割はマリーだからこそ説得力がある。ナディアとジャンが接近したのは無人冬芽の出来事であり、それをずっと見ていたのはマリーだけだからだ。グランディス一味はナディアとジャンが以前より仲良くなった事に気付いてはいても、マリーに知らされるまで「チュー」までしていたとは知らなかったはずだ。だからこそ「ジャンが可哀想」と口に出すのはマリーが適任であり、彼女がキチンとその役に徹したと言うべき台詞だ。
 そしてマリーは幼いながらも、この村にいる限りジャンが名誉挽回のチャンスがない事も気付いていて、自分たちが積極的にジャンに働きかけないとそのきっかけすら掴めない事まで見通しているのである。もちろんマリーがジャンに与えようとした名誉挽回のチャンスは、キングをハマハマより先に保護して無事にナディアの元に送り届ける事だ。
 だがこれらの行動は、この村に関する展開の本筋へと話を誘導する事になるとは、まだだれも気付いてないだろう。多くの視聴者は「ハマハマという青年にどんなオチがついてナディアの片思いが終わるのか?」という事に注目しているだろうから。
(次点)「きっききっきっきっと、じ自分の生まれたま街を、調べてんだよ。だだだ大丈夫、心配ないよ。うん。」(ジャン)
…このどう見ても大丈夫そうでないこの台詞、好きだなぁ。
名場面 ハマハマ登場 名場面度
★★
 ガーゴイルの空中戦艦に撃墜されたグラタンは、アフリカとおぼしき原住民族の村に墜落する。エアトンがハッチを開けると村人達に囲まれており、おそらくここで付いてくるよう命じられたのだろう。一行は何が起きるか解らず不安だが、エアトンだけは村人に「ジャンボ!」と語りかけながら「自分は彼らの言葉がわかる」とホラを吹きながら陽気だ。だが次のシーンでは皆は柱に縛られている。ネモの声にソックリな村長が何かを力説しているが何を言っているかエアトンにも解らない。だが村人達の中から長い髪の好青年が現れ、村長と何か語った後、彼は捕らえられた一同をじっくり見る。青年はナディアの胸に光るブルー・ウォーターを見つけ、ナディアに声を掛ける。驚いたナディアは胸がときめき…背景は一目惚れを示すイメージ(いわゆる「キックオフ」状態…80年代の少年ジャンプ誌を知っている人なら解ると思うけど…)に切り替わる。すると青年は「この石を何処で手に入れたのですか?」と問う。この段階でナディアの瞳は「ハート目」で、呆然として何も応えられない。「あなたのお名前は?」さらに問う青年に「…ナディア」と自分の名を返すと、青年は驚いて村長に何かを訴える。その背景のナディアは口を半開きで「ハート目」だ。
 一行は原住民族に捕らえられるという、ある意味ガーゴイルに撃墜された以上の危機に見舞われる。もちろん視聴者はこの危機を脱する何かが訪れると思っているだろう。それはナディアのブルー・ウォーターがきっかけとなり、前回のレッドノアによる「ブルー・ウォーターの導き」というのがウソでない事が上手く自然に描かれたことが一つ目の関心事。
 だがこのシーンでは、ナディアの「一目惚れ」が上手く描かれている。後のシーンでこの青年の名がハマハマである事が判明するが、このシーンでは彼の名を出さずに進めた事でナディアの「一目惚れ」という心情に視聴者が理解しやすいように作ってあるのが印象的な点だ。かといってこのハマハマに怪しそうなところもなく、本当に好青年として描いたからこそある意味純粋なナディアが一目惚れするのに説得力がある。
 このシーンで一同は助かるのだが、ここからナディアが一行と別行動を取ってハマハマと一緒というのも上手く作っているなーと思う。ナディアが好青年に「コロッと行っちゃった」という構図を本当に上手く描いたと感心した。
感想  今回を見てどうしても言いたい。この回のサブタイトルは「ナディアの初恋」じゃなくて、「ナディアの一目惚れ」とか「ナディアの心変わり」とか「ナディアの浮気」とかの方が良いだろう。まったく、サブタイトルまで一緒になってジャンを落ち込ませてどうすんだ?
 前回はピンチで終わり、もちろん今回はそのピンチの継続から描かれる。ガーゴイルを知らないエアトンがガーフィッシュに助けを求めちゃう辺りは上手く描いたなーと思う、今回はそのシーンだけでなくエアトンが「ネタキャラ」として上手く使われていると思う。特に名場面欄シーンは彼のネタキャラとしての本領発揮といったところだろう。
 話は前後したが、一度は何事もなくガーフィッシュが画面から消えるが、その余韻が消えた頃に突然ガーゴイルの空中戦艦が現れてグラタンを撃墜するという点は、物語に緩急を付けるという意味で上手く作ってあるだろう。だがその間の「ジャンとナディアは島で何を見たのか」というテーマの話は深すぎて、かえって印象に残らない。
 そして撃墜された事で物語は新しい展開へと進んで行くのだ。名場面欄シーンで始まる新展開は、ハマハマという好青年の登場とこれにイチコロのナディアをおもしろおかしく描くところから始まっている。だがジャンというサブ主人公の存在がある以上は、ナディアがジャンを捨ててハマハマに乗り換えてしまうこともあり得ない。つまりこのナディアの一目惚れにどんなオチがつくのかを、視聴者は楽しみにして視る事になる。だがここでキングをきっかけに新たな事件が起き、そのままでは終わらせないだけか全ての注目点を次回以降に持ち越したのだから「視聴者を手放さない」という点では上手く作ってあると思う。
 しかし、以前に伏線が張ってあって「いつか出るだろう」と思っていたグランディスの初恋の相手、ゴンザレスがその伏線を忘れつつあった今頃になって出てくるとは思わなかったなぁ。
研究 ・ 
 

第33回「キング救出作戦」
名台詞 「嫌だ。壊れるのは仕方が無いけど、壊されるのは嫌だ。」
(ハンソン)
名台詞度
★★
 いよいよキング救出作戦の朝が訪れようとしている。徹夜で作戦会議をしたサンソン・ハンソン・エアトンにハマハマ、それに徹夜でグラタンの気球を繕ったマリーは万全の体制だ。だがサンソンがエアトンにグラタン運転を命じると、ハンソンは「エアトンが運転したらまた壊される」と反論する。「いーじゃねーか、さっき壊れても諦めると言ってたろ?」とサンソンが返すと、ハンソンは拳を握ってこの台詞を力説する。
 自分が作った「物」を大事にしている人にとって、この台詞は心に心に響いた事だろう。自分が一生懸命作った何かが「壊れる」のは仕方がない、これは形あるものはいつかは壊れるというこの世の中における不変の法則だ。だが壊されるのは違う、誰かが故意に、あるいは故意でなくとも下手な取り扱いでその「物」を壊される事は何よりも耐えがたいのは、「物」を作っている人なら誰でも感じる事だ。私も鉄道模型なんかで、たまに改造したり板キットを組んだりするとよくわかる。
 さらにハンソンが今回の作戦のためにグラタンが壊れても良いとしたのは、これが主人であるグランディスを助けるという何事にも代えがたい作戦のためだ。主人の生命が無事ならグラタンのひとつやふたつ惜しみもなく投げ出すのが、ハンソンの忠誠心だ。だがこれが「運転が下手なエアトンに壊される」となると、主人を救出する過程でそうなっても話は違う。自分が精魂込めて作った「物」が、主人のピンチに役に立たなくされることは何よりも耐えられないのだ。
 この短い台詞には、そんなハンソンの「自分が作った物に対する思い」が上手く込められていて、とても印象に残った。
名場面 キング救出 名場面度
★★★★
 いよいよ空と地上からのキング救出作戦が始まった。空からはマリーとサンソンがキングに「赤い実の薬」を飲ませるために接近し、正面からはエアトンとハンソンが「おとり」としてグラタンに接近、さらに背後からはジャンとハマハマがキングをメカキングにすり替えると同時に人質となったナディアを助けるため突っ込む。
 その頃、ゴンザレスのキャンピングカーの中では年増呼ばわりされたグランディスがついにキレて、自力で拘束を解いていた。ジャン達の接近を知って赤い薬の弾丸をキングの口を狙ってサンソンが撃つ。これは命中するがキングは強くはならず逆にノビでしまうと、「キングーっ」と叫びながらマリーは気球から飛び降りる。キャンピングカーの中ではブルー・ウォーターを取り戻したナディアが、グランディスに銃を突きつけたゴンザレスに脅されていた。そこに飛び込んできたジャンのメカキングとハマハマのブーメランにゴンザレスは倒され、ナディアとグランディスはこの隙に逃げ出す。だがナディアがキャンピングカーの外に出ると、気球から飛び降りたマリーと激突してその場にずっこける。マリーはナディアに衝突した勢いでキャンピングカーの屋根に乗り移り、キングをぶん回して気球に乗っているサンソンに向けて投げ、これをサンソンが受け取り救出成功だ。そこに「おとり」のはずのグラタンがなぜかとどめを刺すかたちになり、キャンピングカーに衝突。丘の斜面を滑り落ちるキャンピングカー、一緒にナディアも滑り落ちるのをジャンとハマハマが助けようとするが、もう少しのところで手が届かない。と思うと別の誰かの手がナディアを助けて戦いは終わる。
 説明が長くなったが、このシーンはひとつのシーンをあらゆる角度から描くだけでなく、かつノンストップで描かれていてとても迫力がある。前話通じてみた場合の話の重要度としてはそんなに高くないのだが、前回と今回の2回だけで見れば物語のハイライトとも言えよう。
 この作戦は主人公側陣営が「多方面作戦」を展開した事が特徴だ。つまり役割と使用できる機材に応じて、様々な方向から敵に攻め入る。このようなシーンではなかなか全部を網羅するのが難しいが、このシーンでは「話の流れを止めない」ことを徹底する事でこれを実現した。というより「話の流れを止めない」ためには、この多方面作戦を次から次へと切り替えてシーンを流すという事は必要不可欠になってくるだろう。ひとつの場所でネタが尽きたら別の場所へ、そこでひとシーン終わったらまた別の場所へ。この切り替えのためによくみると時系列的にはおかしくなっているところもある、だが話の流れが止まらないのでそれが気にならない。
 そんな描き方でこのキング救出はとても面白いシーンになったと言わざるを得ない。そして最後はナディアの恋愛の「オチ」へとうまく繋がるようになっているのだから…上手く出来ているとしか言いようがないな。
感想  このキング救出作戦は第8回「ナディア救出作戦」と同じく話のテンポがとても良く、かつ作戦が始まる(名場面欄参照)ととてもノリが良いので見ていて面白い。前半はグランディスとナディアがゴンザレスの手に落ちるところから始まる。ここでは相手がグランディスの初恋の相手という設定を上手く使うと共に、ナディアのキャラクター性が上手く活かされているので展開的に無理と無茶があっても気にならないのが面白い。そしてこれを受けて、ハンソンを中心に最初の救出作戦と、失敗を受けての新たなキング救出作戦立案の様子が描かれるが、ここではゴンザレスの元でグランディスやナディアがどのような扱いを受けているかと交互に見せる事で話の緩急と緊張感がついただけでなく、視ているものを飽きさせない展開となったのは確かだ。
 そして作戦への出発、名場面欄シーンへと流れる。ここの流れは全く止まらないので本当に見ていて面白いし飽きない。「ふしぎの海のナディア」というアニメは、このような戦いシーンで「物語を止めない」という点においては徹底していると感じる場合がある(だけどこういう話の次はたいてい話が止まるんだよな…)。
 そして戦いですっかり忘れていたが、ナディアのハマハマに対する恋がどのように「オチ」がついて決着するかも見どころだったはずだ。救出作戦のシーンが終わるとほぼ時間を使い切っているので、その「オチ」は単純明快でとても短時間に演じられる事は誰もが予測できただろう。まさかハマハマに婚約者(いいなづけ)がいたなんて…、その後のナディアのショックは見ていて面白い。
 しかし、ゴンザレスののコレクションの中にはハクション大魔王の壺が混じっていたような気がするんだけどなー、絶対気のせいじゃないぞ。それと今回の戦いは、どこかに「タイムボカンシリーズ」的な空気も流れていて、なんか見ていてノリが懐かしかった。
研究 ・ 
 。

第34回「いとしのナディア(※印はハートマーク)
名台詞 「もういいわ…ヘタクソ…」
(ナディア)
名台詞度
★★★
 「ナディアの心をどう取り戻すのか?」…これが今回のジャンの最大のテーマだが、そのジャンにサンソンは「歌をプレゼントしろ」と説く。これを真に受けたジャンは「全自動ウクレレ演奏機」を製作、自分で作詞作曲した歌をナディアに送るが…それを聴いたナディアの返答がこれだ。
 ジャンが披露した曲の出来映えは決して悪くない。いや、厳密に言えば自称科学者のジャンが良くあそこまでの歌を作詞・作曲したと感心するし、歌声も悪くないし音痴でもなかった。私が冷静に聞いて決して「ヘタクソ」だとは思わない。
 だがナディアの評価はこの台詞の通りだ。理由の一つは歌詞の内容がナディアに対して正直すぎた事で、ナディアが気にしている「わがまま」に対する批判や「肉を食べない」事に対する批判まで歌詞にしてナディアを怒らせた事だが、これは副次的な理由でしかない。もしこれが本当の理由なら、ナディアは呟くようにボソッとこの台詞を言うのでなく、怒鳴り散らした事だろう。
 そこでもう一つの理由だが、ナディアがジャンの気持ちに対して素直になれなかった事だ。「好き」という言葉を受け取って本当は嬉しいのだが、これを素直に表現できない少女というのを上手く再現していると思う。そしてこのナディアの素直でない点は、この次のグランディスとの会話シーンでナディア本人も認めており、視ている方は「やっぱりな」と思う。
 この台詞を聞いたジャンはショックで何も言えなくなる。もちろんナディアのそんな本心には気付いていない事だろう。このナディアの微妙な気持ちを、上手く示唆したことで印象的だ。
名場面 ナディアとグランディス 名場面度
★★
 今話のラスト、名台詞シーンを受けてグラタンの外甲板でナディアとグランディスが語り合う。二人は沈み行く夕日を眺めながら、ナディアの本心について語り合う。ここでナディアはグランディスの「ジャンが好きなのか?」という問いに「うん、たぶん」と答えた上で、今回のジャンの行動に対して「ただ恥ずかしく、切なくて、苦しくて、どうしても素直になれないの」と自分の本心を語る。グランディスはナディアに説く、「人にはそれぞれ自分の物差しがあり、人を好きになる事はその物差し同士がぶつかる事」「そしていつまでも自分だけの物差しで生きてゆく事は出来ない事を思い知る」「あんたも好きな人のために肉や魚を食べるときが来る」と。「なんだか怖いわ」と返すナディアに、「大丈夫、そのうち嬉しくなるよ。人を好きになるって事が…それが恋ってものだ」と締める。
 このシーンのグランディスの説教は好きだ。正直言って本回はこのグランディスの説教のためだけにあると言って過言ではないだろう。今回の彼女の説教は男女の付き合いだけでなく、人付き合いの基本が最初にある。それが「物差し」の部分だ。そしてそこから好きな人のために相手の物差しに合わせる必要があり、それこそが「相手に尽くす」という行為である事を淡々と説いてゆく。
 もちろんこんな気持ちを知らないナディアにとって「怖い」ことなのは当然だ。私にだって好きな人のために嫌いな食べ物を食べた経験がある。だからこそナディアの気持ちはよくわかる。だがグランディスは最後の部分でナディアを上手くフォローする、それを克服する事はいつか必要だと言う事を優しく説く。
 ここはグランディスがナディアの姉貴分として語り合う中で、全回中最も印象に残るシーンだ。
感想  今回は…

「愛の三人組」作詞・HIDE&シンディー※ 作曲・編曲・鷺巣詩郎 歌・グランディス一味(※印はハートマーク)
「レッツ・ゴー・ジャンくん」作詞・空母そ・そ・そ・そ 作曲・編曲・鷺巣詩郎 歌・ジャン
「どうしてそうなの?」作詞・澤地 隆 作曲・編曲・鷺巣詩郎 歌・マリー
「海よりも優しく」作詞・澤地 隆 作曲・編曲・鷺巣詩郎 歌・ナディア
「はじめての恋」作詞・NONKO,YOSHINO,H・ANO 作曲・編曲・鷺巣詩郎 歌・ナディア

…と。ジャンが作ったナディアへの告白の歌の6曲で、ミュージカル風にお伝えしました(意味不明)。

 挿入歌ばかりで、見てて疲れた。
研究 ・ 
 

第35回「ブルー・ウォーターの秘密」
名台詞  「どうしてって…僕は今、生きてるもん。生きてたら、明日があるから。ブルー・ウォーターの秘密が何だろうと、アトランティスとどんな関係があっても、ナディアはナディアだよ。たとえ地球の人じゃなくなって、それでいいじゃないか。」
(ジャン)
名台詞度
★★★★★
 ナディアがブルー・ウォーターを受け継いだがための運命から逃れようと死を選ぶ。そのために塔から飛び降りたナディアだったが、ブルー・ウォーターの力で塔の下に軟着陸して死ぬ事は出来なかった。そのナディアが目を覚ますと一度が詰め寄って、ジャンがナディアに声を掛け、マリーはナディアに抱きつき、グランディスはナディアの頬を叩き、サンソンは「皆がどれだけ心配したか…」とナディアを非難する。ナディアはジャンに問う「なぜ生きていられるの?」と。そのジャンの返答がこれだ。
 そうだ、生きている事なんかに理由はない。だから「何で生きていられるか?」問いに答えるとすればジャンに言うとおり「生きているから」だ。だがジャンはこれに「明日がある」付け加える、何が起きるか解らない明日、これが楽しいものだと信じる事が生きる事だとジャンは訴える。
 そしてその上で「何があってもナディアはナディア」と締めるのだから…もう格好良くてたまらん。ナディアがジャンの胸に飛び込むのが当然と言えば当然だ。ジャンはナディアの全てを受け止めると宣言したのだから。
 とにかく、これは明日に絶望しているナディアにとって最高の台詞だったはずだ。ナディアは自分がブルー・ウォーターを通じて得たもののマイナス面しか見る事ができない。それはここまでの旅路で戦いと死をいくつも見たからであり、それが自分が持っているブルー・ウォーターのために引き起こされている事だけは理解していたからだ。その上で自分が普通の人でないと知ったショック、これに対してジャンは本当に上手く言葉を選んだと思う。
 もちろん、この台詞は劇中のナディアに向けたメッセージだけではない。テレビの前にいる視聴者に向けた本作のメッセージでもあるだろう。どんな辛い真実を知っても、どんなに絶望しても、明日を信じるというメッセージは、主人公をすぐ隣で支えたサブ主人公の口から出てきた。同時に自分が何者であっても自分は自分でしかないという、見ている人に対してのメッセージでもある。こうして本作はこの第35回のこの台詞を持って完成したと言って良いだろう。あと今回に必要なのは、「旅の目的地であるここまできてよかった」であるが、それはすぐに次のシーンで演じられる。
名場面 ナディアの誕生日 名場面度
★★★★
 名台詞欄の台詞を受けて、ナディアは涙を流してジャンの手を取り「ごめんなさい」と語る。その手を取り合い見つめ合う二人の背後に、意味ありげな石碑が建っているのに一同が気付く。ナディアがひの石碑の碑文を読み上げると、それは15年前にナディアの誕生を祝って建てられた石碑だという事が判明する。「私が生まれたときの、私のための碑文だわ」とナディアが声を上げると、ジャンがその碑文にある日付について問う。ナディアが「西暦で言うと1875年5月31日」だと語ると、ハッと声を上げる。それまで横を向いていたサンソンが「5月31日…それって、もしかして今日じゃないか?」と声を上げると、「今日は」「ひょっとするってぇと」「ナディアの…誕生日だ!」一同が順繰りにこの言葉で事実を確認すると、マリーが喜んで「たんびょうび!」と喜び、エアトンが「その通り!」と続ける。何が起きたのか解らずにポカーンとするナディアの肩を、ジャンが「すごいよ」「解ったんだよ誕生日が、君の生まれた日が」と言いながら揺する。「私が…生まれた日…」まだナディアは何が起きているのか解らないが、ジャンが「おめでとう」と言えば信じられないような声で「ありがとう」と返す。続いてグランディス、ハンソン、エアトンの祝福の声が続くと、マリーが高らかに「はっぴばーすでーつーゆー」と歌い出す。連れられて歌い出す一同、ナディアにすり寄るキング。これにナディアは目に涙を浮かべて心からの感謝の台詞を吐く、そしてそのままジャンに抱きつく。
 ここで描かれたのは、パリから始まったこの長い旅路における大団円だ。つまり主人公ナディアにとっての「ここまで来てよかった」を描かない限り、この旅は終わらないのである。その旅の目的地「ナディアの故郷」でナディアが見たものは、絶望したくなるような一人で支えきれないほどの「現実」であった。だが名台詞欄でそこから救われたナディアに、この旅はひとつプレゼントを用意していた。それこそがナディアの出生の秘密が解っただけでなく、ナディアが生まれたときに祝福された事実、そして何よりも大事なのは、自分がいつ生まれたのか?ということだ。
 そしてそのナディアの誕生日とここに到達した日が同じという事実がわかり、ここまでの旅を共にしてきた一同に心から祝福を受けたことでこの「旅」はうまくオチがついて、終わりを迎えたのだ。
感想  今回の重要な展開のうちの一つは、名台詞欄・名場面欄でも書いたとおり、第1回のパリ出発から始まったジャンとナディアによる長い旅の目的地に着いた事である。二人はナディアの故郷を目指して旅をしていたのだから、このタルテソスこそが旅の目的地であり、ここに到着した今回が旅の終わりだという事は言うまでもないだろう。
 そしてここでナディアとブルー・ウォーターの全ての謎が明らかにされるとともに、それによりナディアは自分の運命と「人とは違う」という立場に絶望し、名台詞欄に書いたとおり一度は自殺の道を選ぶというものすごく暗い展開だ。今回の3分の2まではこのように救いようのないほどの暗い展開で、視ている方が参ってしまう。まぁ、ナディアがああいう性格だから暗くなるとどんなに周りが盛り上げてもダメなんだよなー。
 だが名台詞シーンから雰囲気が変わり、名場面欄シーンでナディアが祝福されると、それまでの展開がウソのような明るい展開だ。もちろんここはそれぞれの欄で記したとおり、本作から視聴者に伝えたいメッセージと、ナディアの「長い旅の果てにここまできてよかった」を描くものだ。旅の目的を果たしただけで終わってしまった2008年放映の某長い旅には見習って欲しかったシーンだ。
 そして今回、「旅の終わり」を演じた事で物語がそのまま終わってしまいそうなタイミングを見計らって、ちゃんと次の物語に行くようになっている。ここで突然、ガーゴイルの空中戦艦が出現するのだ。もちろんこの「ふしぎの海のナディア」という物語で語り残されているのは、ガーゴイルとの決着である。ネモやエレクトラがあのまんま死んだとも誰も思っていないはずで、早速次回予告では「Nノーチラス」号の登場が示唆される。旅は終わったがいよいよ物語はクライマックスを迎えるのだ。
 しかし、今回が空中戦艦出現で終わったからって、まさか次回予告にガーゴイルが出てくるとは思わなかったなぁ。最初誰が次回予告しているのか解らなかったぞ。
研究 ・ 
 

第36回「万能戦艦N−ノーチラス号」
名台詞 「大丈夫よ、ジャンが必ず助けに来てくれるから。すぐに帰ってくるから大人しく待ってるのよ。良い子ね。」
(ナディア)
名台詞度
★★★
 名場面欄の通り、仲間の生命と引き替えにガーゴイルに捕らわれる道を選んだナディア。仲間達に背を向けて歩き出したナディアにマリーが声を掛ける。「心配いらないわ、マリー。私には世界を滅ぼせる力があるのよ。あんな人たちには負けないわ」と笑顔で返すナディアだが、「でも…」とマリーは返す言葉に詰まる。これにナディアが答えた台詞がこれだ。
 初期ナディアだったら絶対に考えられない台詞だ。ジャンに対する絶対の信頼、そしてマリーの「お姉ちゃん」としての自覚。ナディアが成長したと強く感じるのはこの台詞だろう。
 ナディアはすぐに帰ってくるつもりなんかないだろう。ガーゴイルとの決着を付ける運命にあるのも自分と知ってしまったからだ。だが今は仲間に、特にマリーに心配を掛けてはならない。だからそのために掛けるべき言葉がちゃんと解るようになった。そんなナディアの成長をさりげなく表現していて、とても印象に残った。
名場面 仲間との別れ 名場面度
★★★
 上空に現れたネオアトランティスの空中戦艦、ガーゴイルらは既にナディアの姿を確認しており、ナディアに仲間の生命を助けたければ自分たちの元に来いと要求する。もちろんグランディス一味はナディアを渡しても殺されるのは知っているから「出て行く必要は無い」と言うが、事情を知らないエアトンはナディアを差し出す事を提案する。これをグランディス一味が批判するが、ナディアはエアトンの言うとおりとして「行きます」と強く宣言する。この宣言を聞いたジャンは立ち上がり「必ず助けに行く」と力強く語ると、ナディアは「うん、待ってる」と言ったと思うと涙目になってジャンに抱きつく。頬を震わせて受け止めるジャン。そしてナディアはジャンから離れ、マリーと名台詞欄に書いたシーンを挟むと、空中戦艦から光線が出てナディアの身体が宙に舞う。「ナディア!」叫ぶジャンを見つめながら、ナディアは空中戦艦に吸い込まれてゆく。
 いよいよ物語は最終決戦、その前にナディアがついにガーゴイルに捕らえられるという展開を迎える。ナディアはこれがガーゴイルの罠とも知らず、ガーゴイルの条件を呑む訳だが、ここで前回まで共に旅を続けてきたジャンと初めて別れる事になるのだ。そのナディアとジャンの別れというものを、とても印象的に演じた。
 そして何よりも強く描かれるのは、ナディアにおけるジャンに対する信頼。ナディアはこの旅を共にしてきたジャンが何が何でも助けに来ると心からの信頼を寄せている、同時にジャンが「ナディアを助けねばならない」という役割を先回りして理解している。この二人の間の絆というのもがキチンと描かれ、まさに相思相愛ということが緊張的シーンの中に上手く差し込まれた。名台詞欄で解説した要素も含めて、今回で最も印象的なシーンなのは間違いないだろう。
感想  サブタイトルが「万能戦艦N−ノーチラス号」という新しい「ノーチラス」号登場を示唆している事と、オープニングテーマ背景画像で「ノーチラス」号登場シーンが全て新しいメカに書き換わっていることで、今回を見た人はネモが新戦艦を伴って再登場する事を最初から理解しているはずだ。そのために前回のラストでガーゴイルが再登場したわけだし、今回ではガーゴイルがナディアを捕獲して「用無し」になったはずのグランディス一味やジャンらを殺そうとしない。グラタンが何かに引かれるように逃走を続け、ギリギリまで引っ張ってからエレクトラに助けられてネモの再登場となる。ネモが再登場して「N−ノーチラス」が出てきても、その始動と反撃は「エンジンの始動に未だ至っていない」という理由でこれまたギリギリまで引っ張るというどこかで見たような展開だ。そしてここまでの展開からして最悪の形で終わりを迎える、ナディアが捕らえられたことでネモに油断が生じ、ネモまでもブルー・ウォーターをガーゴイルに奪われてしまうのだ。まぁネモはまさかナディアだけでなく、ネオまでも空中戦艦に乗っているとは思わなかったのだから仕方が無いと言えば仕方が無いのだが。
 この「ブルー・ウォーターを2個とも失う」という最終決戦の前提が、やっと出来上がるまでが今回であり、次回ではまだ画面に二度しか出てきていないぶりぶりざえもんネオ皇帝が何者かという問題に迫る事になるのだろう。
 それにしても「N−ノーチラス」はあんまかっこよくないなぁ。コンピュータルームが松本零士の世界そのまんまの「メーターだらけ」なのは好印象だが…「ノーチラス」号が格好良すぎたのが痛いかも知れない。おまけに「エンジンが始動に至っていない」という理由で、相手の決戦兵器が迫っているのに反撃できない点は「宇宙戦艦ヤマト」まんまだし。でも相違点はある、ヤマトはガミラスの超巨大ミサイルの攻撃までにエンジンの点火がギリギリ間に合って回避しているが、「N−ノーチラス」はガーゴイルの殲滅爆弾を二度も被弾している。一度目はエンジン始動が間に合わなかったけど何とか助かったことでジャンらのコメディシーンとして処理し、二度目はエンジンが間に合い「バリヤーがあるから大丈夫」という設定を視聴者に植え付けるための被弾だ。う〜ん、うまく差別したなぁ。
 さて、次はネオ皇帝の話ですね。もう言わなくても解ってるよ、どうせナディアの兄貴なんだろ?と2012年再放送視聴で画面に向かって言いそうになっていた。次回予告にまたガーゴイルが登場、しかもガーゴイルによるサブタイトル読み上げはずっこけた。
研究 ・ 
  

第37回「ネオ皇帝」
名台詞 「いかん! お前は残るんじゃ。いい男を見つけて、子供を産み、そして育てろ。わしらが安心して暮らせる世界を作ってくる。」
(デンギル)
名台詞度
★★★★
 「N−ノーチラス」はタルテソスでのガーゴイルからの反撃から逃れ、日本列島に避難していた。そこで最終決戦は自分一人で行くと乗組員全員に下船を命じたネモであったが、乗組員は全員その命令を無視して「N−ノーチラス」でネモと共に戦う道を選ぶ。艦医のデンギルが艦に戻ろうとしたところで、孫で看護師のイコリーナが「私も行く」と訴える。これに対するデンギルの返答がこれだ。
 二人がこれまで「孫と祖父」という関係である事は、劇中で僅かに示唆されただけだが、ここに及んでこの二人が感動的なシーンを演じる。イコリーナもまだ若いとは言えネモと共にネオアトランティスを叩くために戦ってきた、だからネモと行きたいという考えがあるのは当然だ。だが祖父はそれがイコリーナという孫の進む道ではないという事をよく知っている。若者達が取るべき道は、何よりも子孫繁栄でありこんな事で生命を散らす事ではない。そしてそのために、老いた自分が何をすべきなのかということをこの艦医はよく知っている。そんな事がよく見えてくる台詞だ。
 この艦医の台詞には、孫に対する愛情というのが上手く込められていると思う。彼は敵討ちとはいえ孫をこんな戦いに巻き込んだ事に負い目を感じていたのだろう。本当はイコリーナに平凡な生活をして欲しい、そう願っていたはずだ。
 そしてイコリーナは、この祖父からの愛をキチンと受け止める。この台詞を吐いた祖父に、涙を流して抱きつき別れを惜しむのだ。
(次点)「お前は嫌な奴だが、他に頼める奴がいないんでな。マリーとキングを頼む。マリー、ちょっと行ってくるからな。」(サンソン)
…名台詞本欄の台詞の直後、並んで「N−ノーチラス」を眺めていたエアトンとマリーにサンソンがかけた別れの台詞だ。サンソンのマリーに対する気持ちが良く出ていると同時に、素直でないサンソンの性格も良く出ている。サンソンはこの旅を通じて「マリーを託す」という点においてはエアトンを信頼できるからこそ、この台詞を吐いたのだ。またこの台詞を聞いたエアトンも、「わかった、イギリスで待ってる」と良い返答をする。
名場面 ジャンとネモ 名場面度
★★★★
 名台詞欄次点シーンを受け、いよいよ「N−ノーチラス」のハッチが全て閉じられた。機関長がネモに乗れる者は皆乗ったことを告げると、ネモの背後からジャンが声をかける。ネモが振り返ると、そこにはジャンだけでなくグランディス一味の姿もあった。ジャンが「ノーチラス」撃沈の際にネモから渡された帽子を差し出す。「ジャン君!」ネモが声をかけると「死にに行くわけじゃないんでしょ?」ジャンが返す。「そうだったな」呟くようにネモが語ると帽子を受け取り、これをしっかりかぶる。そしてネモが「N−ノーチラス」発進準備の号令をかけて、いよいよ発進シーンへと進む。
 このネモとジャンのやりとりは、二人の間で無言でいろいろとやりとりがあったことをうまく想像させてくれる。なによりも二人の目的がある一点で同じだと言うこと。ネモは自分の娘としてのナディアを、ジャンは好きで守るべき少女としてのナディアを、それぞれかけがえのないものと認めて救出に行くという共通の認識があるのだ。この二人の意気投合を、以前のシーンでネモからジャンに譲渡された「帽子」を伏線としてうまく再現したと感心する。
 そして二人の決心は「死にに行く」のではなく、「生きて返ること」。なぜ生還をしなければならないか、それは助けるべき愛する者がいるからだ。だがネモとジャンではこの辺りの決意は少し違う、ジャンはナディアを助けて生還することが絶対目標であるが、ネモはナディアとジャンを助けるためなら生命を投げ出す覚悟がある。そんな二人の「相違」もここから見えてくる。今回で最も印象的なシーンだ。
感想  前回は最終決戦へ向けて物語が大きく展開したが、今回はこれを受けて敵味方とも最終決戦の「準備段階」である。「N−ノーチラス」側については名台詞欄や名場面欄で語ったとおり、戦いに同行する者と地球に残り見守る者との別れが描かれ、同時に艦側の出発劇が描かれるというところだろう。「N−ノーチラス」の発進シーンは格好良かった、その間に演じられるイコリーナとエーコーのワンカットは、二人が既に相思相愛であることがさりげなく示唆されていると思う。
 そして同時並行でネオアトランティス側の物語も進められる、ナディアとネオの再会では「二人が兄妹である」ことを明かさないようギリギリまで引っ張ったのはちょっと白けた。もうあそこのシーンでは視ている方は解りきっているのだから、ナディアがネオに対面した瞬間に「お兄さん?」と声を出す位唐突でも良かったと思う。そして語られる「ふしぎの海のナディア」世界での人間の進化について、ヒトという生物はアトランティス人がサル(恐らくチンパンジーとヒトとの共通祖先)を遺伝子操作して作られたという設定に、多くの人は驚いたことだろう。そしてガーゴイルは地球侵略を急ぎ、「レッドノア」という一昔前のアダムスキー型エイリアンクラフトを巨大にした協力戦艦を繰り「全世界への宣戦布告」まで物語を進める。
 こうして互いの準備が整ったところで終わらず、戦いの最初の一撃までのコマを進めておくのはこの手のSFではおやくそく的なところだろう。盛り上げに盛り上げてから「つづく」というのは、ありがちな話だ。
 いよいよ次からは最後の戦いが描かれる。次回予告はジャンが進めるが、またサブタイトル読み上げはガーゴイルだ。なに? 戦いの舞台は宇宙だって?
 どうでも良いけど、ガーゴイルが「全世界に宣戦布告」するシーンで世界各地の様子が出てくるが、その中の日本のシーンを見て「ここは何処だ?」と叫びたくなったのは私だけであるまい、「富士吉田」という字幕は出ていたが、どう見ても町並みは京都だし富士山は静岡県側から見たそれだし、逆立ちしてみても「富士吉田」には見えないのだ。う〜ん。
研究 ・人間の進化について
 今回、劇中設定として「ヒトは古代アトランティス人が忠実な下僕として作ったもの」ということが発表される。それによると今から240万年前、地球に降り立ったアトランティス人は人口が少なく、労働力が不足していたので奴隷を必要としていたのだ。このために自分たちに姿形が似た高等生物を自分たちで作り出したというのである。最初は当時の地球で最も知性が高かった鯨を改造したが上手く行かず、これが以前に「ネモの友人」として出てきたイリオンだという。続いて姿形がアトランティス人に最も近いサル(恐らくヒトとチンパンジーの共通祖先)を改造してヒトにたどり着いたのだという。その改造方法が「遺伝子操作」であることも語られている。
 同時進行でエレクトラがヒトの進化には穴があることを説いている。化石記録などによるとサルはヒトに近い形に徐々に近づいたが、ある時代に突然ヒトになりこれが説明できないのだとする。だからアトランティス人が進化の過程に手を加えれば辻褄が合うと説くのだ。
 では現実の世界はどうか、遺伝子による調査結果からヒトとチンパンジーが共通祖先から分岐したのは約480万年前とされており、化石記録では700万年前には二足歩行していた霊長類がいたことが解っている。う、アトランティス人が地球に来るよりずっと前じゃないか。チンパンジーの祖先が熱帯雨林で樹上の生活をしたのに対し、ヒトの祖先は熱帯雨林を追われて乾燥した台地を生活の舞台としたことが分岐理由だと言われている。
 エレクトラが指摘していた体毛についても、最近のNHKスペシャルで謎解きが放映されていた。これは樹上から台地に降りた際、日向を歩く時間が長くなった事が原因と言われている。ヒトは体毛を減らして汗腺を発達させることで乾燥した大地での生活に対応した結果だというのだ。高い知性や言語能力は、ヒトが現在の「ホモ・サピエンス」へ進化する過程で少しずつ獲得していったものだ。別にある日突然生まれたわけではないし、海辺に棲んでいて栄養豊富な種族から広まっていったという説もあるほどだ。
 まぁ、これはあくまでもSF設定上の話だから、深く突っ込むのはやめた方が良い。この物語を見る上では、化石記録とは合致しなくてもヒトが宇宙人によって作られたとした方が面白いからだ。

第38回「宇宙(そら)へ…」
名台詞 「ヤケになった人間が、何をするか見てろぉぉぉぉぉぉっ!」
(サンソン)
名台詞度
★★★
 この台詞の迫力は何度視ても凄いと思う。こんなのを敵に回したのだから大変だぞ、ガーゴイル。
名場面 グラタンの最期 名場面度
★★★★★
 ネモによる「レッドノア殲滅作戦」において、グランディス一味はグラタンで「レッドノア」に侵入して内部から動力源を破壊する任務を負う。彼らは「レッドノア」潜入には成功するが、肝心な動力部にはたどり着けない。その間に「レッドノア」が「バベルの光」を発して「N−ノーチラス」は大きな損害を受ける。それでも紆余曲折の末に彼らは動力部にたどり着く、しかも二発目の「バベルの光」でガーゴイルがネモにとどめを刺そうとする直前だ。この間にグラタンは電子砲を撃つ電力を失い、動力部を破壊する術がない。動力部を睨みながらハンソンが考える…ハンソンの目が光ると、彼は「バベルの光」のエネルギーを発射口に流す「突入ボルト」の動作を妨害することを思いつく。「でもどうやって?」叫ぶグランディスに「姐さん、ここに栓があるじゃないですか?」とサンソンが落ち着いて語る。「突入ボルト」にグラタンを突っ込ませて動作不能にした上に、グラタンを自爆させて動力を破壊しようというのだ。ここまでが前段、ここからが紹介したいシーンである。
 名台詞欄のサンソンの台詞を挟んで、グラタンが「突入ボルト」に突っ込む。グラタンは「バベルの光」発射直前に間に合い、「レッドノア」艦橋では「バベルの光」が発射されないことで混乱に陥る。「突入ボルト」に挟まるグラタンは、サンソンの操作によって何とかまだ原形を留めていた。「頼む、もう少し持ってくれ」…祈るようにグラタンに語りかけるサンソン。ハンソンが自爆装置の準備を終えるとグランディスは「逃げるんだよ」とサンソンに叫ぶ。「ありがとよ、グラタン」サンソンが敬礼しながら語るともう潰れかかったグラタンから脱出、これを確認したハンソンが「さよなら…」とだけ呟いて、自爆装置のレバーを押す。グラタンは大爆発し、「バベルの塔」の動力部を完全に破壊して機能を停止させる。
 いいシーンだ、乗り物好きの私から見れば最高のシーンだ。サンソンやハンソンの「グラタン」に対する愛着と信頼が痛いほど伝わってくる。そのグラタンとの別れを、緊迫する戦いシーンの中で上手く描いた。正直言って、私が「ふしぎの海のナディア」で最も好きなシーンはこれだ。
 制作側も第1回からずっと描き続けたグラタンに愛着があったのだろう、だからそのグラタンが失われるシーンではただやられるのでなく、ネモやノーチラス号の形勢逆転のきっかけを作るという大金星を挙げるだけでなく、このようなとても印象深い「最期」を描いたのだと私は確信している。最初に見たときはこんなカッコイイ終わり方をするメカだとは思わなかったんだけどなぁ。
 そして、このシーンではグランディス一味を演じる3人の役者さんの演技も印象的だ。彼らもグラタンに感情移入していたに違いない。これまで世話になって愛着があり、信頼もある愛機が失われる時の「思い」というのをきっちり描いたことで、とても好印象シーンだ。
感想  最終決戦の火ぶたが切って落とされた。最初はパリ上空での戦い、パリの街を火の海にしてエッフェル塔をも倒しながら、ネモとガーゴイルはいつも通りの「ガーゴイル優勢」の戦いを繰り広げる。あんな低空飛行で超高速で飛ぶだけで、パリの人々を大虐殺しているはずだなんて言ってはいけない…あ、危険だからみんな避難したんだ、きっと。
 そして互いが積極的に攻める戦いかと思ったら、バリアーの耐久戦になり、これにネモが辛くも勝利してグラタンを「レッドノア」に放り込むと戦いの場は唐突に宇宙になる。ここでネモはガーゴイルの罠であることに気付けよなぁ。
 そして「バベルの光」発射、1分しか持たない上に手負いのバリアーで何とかなっちゃうんだから「バベルの光」も大したことが無いのかもという印象を与えかねない流れで、もうちょっとここは考えて欲しかったなぁと思う。ガーゴイルも「バベルの光」一発では「N−ノーチラス」を沈められないと最初から解りきっているのもなぁ。まぁでもこの直後のグラタンの最期(名場面欄)が良いシーンだからよしとしよう。
 そして今回は「ナディアも出てこないし、ネオ皇帝もどうしちゃったんだろう」と視聴者が思い出した頃にやっと二人とも出てくる。ナディアなんか主人公なのに、残り数分のところまで出てこないし。そのナディアが洗脳されているとは言え、ネモを撃ったのは驚きだ。その撃たれたネモがジャンに「ナディアを撃て」と命じるシーンも良かった。グラタンの最期がなかったらこっちを名場面欄にしただろう。
 そしていよいよクライマックス!と思ったら「つづく」はもうお約束だ。この戦いの決着から最期の大団円まで、最終回は忙しくなりそうだなぁ…と2012年の再放送で見たときに感じたものだ。
研究 ・ 
 

第39回「星を継ぐ者…」
名台詞 「ナディア、父親としてお前にしてやれることはこれぐらい。すまぬ。」
(ネモ)
名台詞度
★★★
 ガーゴイルとの決着がついたものの、「ブルー・ウォーター」の力を失った「レッドノア」は地球へ向けて落下を開始していた。早く脱出せねば皆の生命が危ないが、「N−ノーチラス」も損害が大きくもう動くことは出来ない。「N−ノーチラス」の仲間達は「レッドノア」艦内にあった別の発掘戦艦に乗り込み脱出を図るが、この脱出艦に電源を回すためと、「レッドノア」艦体を破壊して脱出艦の血路を開くためにネモは一人「N−ノーチラス」に残る。それを知ったナディアが驚くと、これにネモが静かにこう答える。
 ネモが娘に初めて見せた「父性」としてとても印象に残った台詞だ。彼はガーゴイルとの戦いの中で突如として娘と再会し、その状況から娘に父らしいことを何もしてやれなかったという後悔の念があったはずだ。だからこそ彼は娘が生きて帰れるよう覚悟を決めたのである。どのみちネモはガーゴイルとの戦いで狙撃され、長くはないのも確かだ。ただ死ぬより「守るべきものを守る」事を選んだのだ。
 この台詞を聞いたナディアは「私もお父さんと一緒に残る」と言い張るが、エーコーが「黙れ」と叫ぶ。そして「頼むから…解ってくれよ」と続けてその場が収まる。エーコーがネモに見たものは、「父性」ではなく様々な物を背負って戦ってきた男の「責任」の方だろう。
名場面 ナディアとジャン 名場面度
★★★★
 名台詞欄のシーンに続き、ネモの最期が演じられる。それを受けて涙が止まらないナディアの前では、まだジャンが気を失ったままであった。気を失ったままのジャンの頬にナディアの涙がこぼれると、ジャンは唐突に目を覚ます。涙をぬぐって「よかった」というナディアに、ジャンはここは何処かと尋ねる。ナディアは「宇宙船の中」という返答に続き、「あなたの故郷に帰っているの」と付け加える。窓の外には宇宙から見た地球の景色が広がり、これをハッとしたかと思うと「違うよ、僕らの故郷さ…君の生まれた星だよ、僕らは同じ地球人じゃないか」と語る。これを聞いたナディアは目に涙を浮かべ、ジャンに抱きつく。ジャンがこれを受け止めて抱きしめる。
 上手く物語にオチがついた。このシーンの後にもう1シーン(マリーとイコリーナが流れ星を眺めるラストシーン)残っているが、「ジャンとナディアの物語」としてはこのシーンで上手くオチがついただろう。ナディアの「故郷を求める旅」は自分が何者かを探る旅でもあり、それまで彼女は自分が何者かを自覚できないまま「自分が異質である」と決めつけて孤独であったのだ。そしてその思いは、自分が地球人ではないという衝撃の事実でさらに強くなったに違いない。そして悩み、我が儘を言い、戦いに巻き込まれ、自殺も企て、果てはお姫様になったり、洗脳されて悪魔にまでなるという様々な経験を経て彼女が行き着いた場所。それがジャンという「自分を受け止めてくれる人」だったのである。そして彼が教えてくれたことは「自分はみんなと同じ人である」ということだ。
 実はジャンは、出会いから一貫してナディアに「異質」を感じていなかった。普通の女の子として一目惚れしてナンパし、扱いにくいところが多少あっても普通の女の子として扱ってくれた。だがナディアはされに戸惑い、素直に反応することが出来なかったのである。だがジャンがここで「みんなとナディアは何も変わらない」と自然に言ってくれたことで、ナディアの中で何かがはじけた。ジャンにやっと素直になれたのである。ここはそういうオチであり、「ナディアとジャンの物語」として最終回に絶対に必要な要素だったはずだ。
 こうして長い長い物語は終わりを告げたのだった。
感想  まさかここでジャンが死ぬなんて思っても見なかったよ、本当にジャンがガーゴイルに殺されたシーンでは予想外の展開に驚いたのなんのって…だって、ジャンが死んだらハッピーエンドはあり得ないジャン。
 物語はネモとガーゴイルとの直接対決でスタートだ。もちろん最終的にはネモの側が勝つのだろうけど、ここは簡単に勝たせなかったのは物語を盛り上げた要素の一つであろう。ネモは狙撃されて自分で歩けないほどの重傷を負うし、エレクトラは電撃攻撃で半死半生(服がはだけても胸が見えなかったことに突っ込んではいけない)だ。
 だがエレクトラがコッソリ行った指示で、「N−ノーチラス」が砲撃したことで形成は逆転する。そのショックでまずネオの洗脳が解けるが、彼がサイボーグだと言うことも同時に判明する。だからこれまでのシーンでネオが動くたびに機械音がしていたのか。ネオは妹ナディアの洗脳を解こうとナディアの方へ歩くが、もう少しのところでガーゴイルにコンセントを抜かれてしまい…電源がコンセントというサイボーグはある意味斬新だったぞ。動けなくなるかと思ったらなんと動き続けてナディアの洗脳装置を外す。ここにこれまで「超科学」を扱ってきた本作のひとつの到達点が見える、つまり「科学」は万能ではないということであり、人の心や気持ちがそれより上位にあるべきと言う警鐘だ。
 ナディアの洗脳が解けるとネオは殺されてしまい、ガーゴイルがナディアに言うことを聞くよう迫る段で「愛する者の死体を見て後悔しろ」とジャンが殺された訳だ。いや、マジであの瞬間はハッピーエンドがないと覚悟を決めた。
 「N−ノーチラス」の突入でまた形成がネモの側に来るが、もう誰にも戦い続ける気力など無い。ナディアはジャンの死体にすがって泣くが、ネモが「ブルー・ウォーターで生き返らせることが出来る」と言い出したときには、見ていて「は、はぁ…」と呟くしかなかった。でブルー・ウォーターで本当に生き返っちゃうし…だがこれで「ブルー・ウォーター」を失うという設定にしたから白けずに済んだ、同時にこの展開はガーゴイルの正体を明確にする役割もあり、ジャンはガーゴイルがアトランティス人の末裔ではなく単なる地球人だと明確にするために一度死んで生き返ったようなもんだ。
 あとは名台詞欄・名場面欄に書いたとおり。
 でマリーとイコリーナのラストシーンでそのまま終わるかと思ったら、エピローグが入ったのは驚いた。エピローグでは十数年後の登場人物達のことが、すっかり大人になったマリーの進行で語られる(といっても16〜17歳くらいか?)。ナディアとジャンは結婚してジャンにソックリな子供が生まれ、グランディスは相変わらず、ハンソンは自動車会社社長となった「未来」が描かれたのだ。そしてマリーはサンソンと結婚とは…そうなってもおかしくないように二人の関係が描かれ続けたのは見逃せない点だ。このエピローグまでみて本当に「よくできたアニメだなー」と感心した。
研究 ・ 
 

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