第25話「危険な手術」 |
名台詞 |
「それなら私、手術するわ。私、どうしても歩けるようになりたいの。だから10のうち2つでも、ううん、1つでも歩けるようになるっていうんなら、やってみたいの。ねえ先生、私のお父さんはいつも言ってたのよ。どうしてもやりたいことがあって、それが正しい良い事だと思ったら、どんなに苦しくても辛くてもやってみるべきだって。お父さんもお母さんもそういう風に生きてきたつもりだって。だから私、手術を受けてみようと思うの。」
(ポリアンナ) |
名台詞度
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ポリアンナに忍び寄る死の影、名場面欄を受けてチルトンはポリアンナに正直に告げる。手術が成功して歩けるようになる確率は10のうち2つだけだと。その事実を突きつけられたポリアンナは、手術の間ずっと一緒に居てくれるかどうかをチルトンに問うた後、こう言い放つのだ。
結論だけ言えばポリアンナは「20%に賭ける」という選択をした事になる。その過程でポリアンナが思った事はやはり両親の事だった、視聴者もポリアンナの両親が多くの反対を押し切って結婚したことや、それによって苦しんだ事も知っているだろう。だからポリアンナが親の背中を見てこう言う事に非常に説得力を感じるし、また感動する台詞でもあるのだ。ポリアンナの両親は死んで居なくなったのではなく、ポリアンナの心の中にしっかりと生き続けている事を思い知らされるシーンだ。 |
名場面 |
パレーとチルトン。 |
名場面度
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博士の診察結果である「ポリアンナの足が治る確率は20%」という説明を聞いたパレーとチルトンは、廊下でこの「20%」について語り合う。パレーは手術すれば必ず助かると信じているポリアンナにどう言って諦めさせるかで悩む、生命の危険を冒してその20%に賭けるというのはパレーは出来ないというのだ。そしてポリアンナのいない生活に耐えられないから自分がポリアンナの足になるとの決意を語る。しかしチルトンはパレーがポリアンナに一生付き添うことは出来ないと訴える、歩けない上に身寄りがないポリアンナが一人きりになったらどうなってしまうのかという重要な問題を語るのだ。そしてチルトンはポリアンナの意思も尊重しようという。ポリアンナに何て言えばいいか分からず涙を流すパレー、それを見たチルトンは「私が話します」と力強く言う。「主治医としてここまで引っ張ってきた責任がありますからね」と言い残して立ち去るチルトン…かっこいいぜ。その背中に向けてパレーは小さい声で「ありがとう、トーマス」と言う。
このシーンに見え隠れしているものは、ここでようやくパレーとチルトンの関係が「ポリアンナの足を治すためにやむなく呼んだ医者」から昔の事も含めた元の関係に戻って行く事実である。その証拠に最後にパレーが「先生」ではなく「トーマス」と名前を呼ぶことにあるだろう。かつて全く違う価値観や考えで対立していた二人は、今ここで足並みを揃えて「ポリアンナの足を治す」という共通の目的に向かって心をひとつにしていることに気付いたのだろう。パレーは20%の重みに打ちのめされ、その事実を本人にどう伝えるべきかで悩んでいるときにチルトンは自分たちの取るべき道をしっかりと示した。そんなチルトンの誠実な行動がパレーの心をまた動かしたシーンなのだ。 |
今回の
「よかった」 |
今回は冒頭の繰り返しシーンでの「よかった」は前回カウントしているので数に入れなかった、従って3回である。物語中盤、ポリアンナが検査を受けているときに隣に来た女の子に「よかった探し」を布教しながら怖がらないよう説くシーンも好印象だった。 |
「よかった」の回数
3 |
感想 |
ケイトキター!!!!! いや、クララ(ハイジの方)でもいいんだけど、車椅子に乗っているのも歩けるようになるのは違う方だし、私にとってはケイトかマチコ先生が一番印象に残っている人なので。でもクララやケイトやマリーとは全く違う演技で出てきたので、最初誰か分からなかったぞ。しかし、本当にこの物語、色んな声優さんが出てくるなぁ。それは置いておいて。
ジミーがポリアンナを見送るシーンはやっぱアンネットとかぶってるぞ、ジミーとルシエンはほんとうにかぶりが多い。ナンシーを置いていったのは正解だな、もしナンシーも一緒だったら本当にアンネットと同じになっちゃう。それも置いておいて。
ここまで話が一転する展開が多かっただけに、今回は重要な物語の転換がなくてちょっと気が抜けた。今回は前回や前々回のように重要な謎が解けるわけでもないし、パレーとペンデルトンやチルトンといったこじれた仲が直るものでもない。ただ診察結果を受けてローザンヌボストンの著名な病院へ行き、ポリアンナが手術を決意するまでという平凡な展開だ。ここまで怒濤の展開が続いていただけに、ここで一息入れて欲しかったのもあるがポリアンナの足があれじゃ面白い展開にも出来ないし、意外に制作側が作るのに一番苦労したのは第一部ではこの回なんじゃないかと私は思う。
それにしても、今回は20%という数字をどう見るかがテーマのような気がする。パレーは20パーセントを「20%しかない」と感じた、だが医師は明らかに「20%もある」と話をしている。ポリアンナの足を「直る確率が20%しかない」と見るか「直る確率が20%もある」と見るかで、この物語の見方も変わってくるだろう。チルトンとポリアンナはつとめて後者に解釈しようとした。彼らの考えは例え難しくても僅かな可能性に賭けるという生き方で、対してパレーが前者に取ったのは何処か保守的な考えがあるのかも知れない。自分だったらやっぱ前者にとってしまいそうで、後者に取るのは非常に難しいと思う。
やっぱ最後に一言、ポリアンナのヌード(?)があったが、ちっとも萌えねー。 |