第33話「チップマックはどこ?」 |
名台詞 |
「でも、時々ひもじい思いをするのもいいものなんですよ。そうでなきゃジャガイモや牛乳がどんなに美味しいか、分かりませんからね。喜びの本に書くことが無くなってしまいますよ。」
(ジェミー※) |
名台詞度
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その見た目とは裏腹にたまに一日中食べるものが無くて腹を空かせていることもあると語るジェミー、それに対してポリアンナは食べるものが全く無いという経験が無くてそれがどんな気持ちなのかと想像して悲しげな表情をする。そんなポリアンナにジェミーは力強く笑いながらこの台詞を言うのだ。
これは飽食の時代を生きてきた我々には絶対に出てこない感性だろう、食べるものがなくて本当にひもじい思いをするからこそ分かる食べ物の美味しさ。それを「よかった」と思える強さに私は太刀打ちできない。
またこの台詞はジェミーがポリアンナから「よかった探し」を布教されるまでもなく既にそれを別のかたちで実行しており、その点においてはポリアンナより強者であるという事も示唆している。今までこの物語で「よかった探し」はポリアンナの専売特許であり、ポリアンナがそれを人々に広めるという筋で話が進み、そのパターンが定着していた。そのパターンを打ち砕き、初めてポリアンナの目の前にポリアンナと同じ「よかった探し」の使い手が現れるのである。格闘モノのアニメなら主役しか使えなかった奥義と同等のパワーを持つライバルが現れるという重要なシーンであろう。この台詞は「ポリアンナ物語」の主人公よりパワーのある登場人物があることが判明し、ワンパターンを最初に崩した記念すべき台詞なのだ。
(※…劇中ではこの少年は「ジェームス」と紹介されるが、ここではエンディングのスタッフロールに倣って「ジェミー」表記で統一する。) |
名場面 |
ジェミーの「喜びの本」とポリアンナの「よかった探し」。 |
名場面度
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「なにひとつ楽しみのなさそうなところに一番多く楽しみが固まっている。地に落ちる一枚の葉は音を立てても立てなくても必ず何かの喜びをもたらせてくれる」
名台詞欄を受けてポリアンナは「喜びの本」とは何かをジェミーに問う。するとジェミーは父が遺してくれた本にあった詩としてこの欄の冒頭に記した詩を語るのだ。そしてそれは嘘だと思いつつ、自分が少しでも嬉しいと感じたことをノートに書き出して見た、それが「喜びの本」だというのだ。実行してみたら数え切れないほど嬉しい事があったのだ…これがジェミーが実行してきた「よかった探し」だろう。その話を聞いて感激したポリアンナは、自分の「よかった探し」について語る。いつものジョンが出てくる回想シーンだが、話を聞いたジェミーはそれまで「よかった探し」の話を聞かされた人々の感心する返答ではなく、「よく分かりますよ」と賛意の台詞で答えるのだ。ポリアンナは食べるものもなくしかも足が治る見込みがなかったら自分は「よかった」を探せないとし、ジェミーに対して尊敬の念を持って「あなたはよかった探しの名人よ」という。これも「よかった探し」を他人に語ったポリアンナが今までに見せたことがない反応だ。
名台詞欄でも少し書いたが、第一部での物語のパターンとしてポリアンナが気落ちしている人などに「よかった探し」を布教してその相手を元気づけるというものが定着していた。ところが第二部に入るとそのようなシーンはパタッと途絶える、カリウだけでなくメアリやパーキンスといった格好の「よかった探し」に引き込むべきカモがいるというのにである。そこでジェミーとのこのシーンの展開はまさに「満を持して」のもので、いよいよ「よかった探し」においてポリアンナの上を行く人物が出てきたのである。ここに第一部のパターンは破られ、「よかった探し」という部分でどのように物語のパターンを新規構築してゆくのか、非常に楽しみになってきたぞ。 |
今回の
「よかった」 |
4回あったが、ようやくチップマックと再会できた「よかった」はポリアンナのホッとした表情が見られて安心した。どうでもいいけど今回の物語のどの辺が「チップマックはどこ?」何だろう?
私が制作者なら「喜びの本」というタイトルにしたな。 |
「よかった」の回数
4 |
感想 |
いやぁ、ラストのジミーの嫉妬シーンもなかなかよかったな。好きな女性からの手紙を楽しみに、きっと鼻歌交じりで開いたんだろうな。そしたら現地で仲良くなった男の子のことばかり書いてあって…うんうん、ジミーの気持ちよ〜っく分かる。女性と付き合った経験のある男性ならラストシーンのジミーの気持ちはよく分かるだろう。あんな事されたら黙ってられないな、私だったらボストンまで怒鳴り込みに行くと思う。
それよりここでまた新たな謎がひとつ生まれているのにご覧になった皆さんはお気づきだろうか? ジミーの台詞を聞くとジミーの父がボストンという街が嫌いだったということが分かる。これって何かの伏線のような気がしてならないのは私だけだろうか?
カリウ・デラ姉妹の過去とともにこのジミーの父に関する過去も明らかに連れて行くのだろうか? 考えてみれば第二部のここまでの展開ではジミーは全く必要なく、この嫉妬シーンだって後からまとめる手法もあるのだ。ここでわざわざジミーを出したということは、ジミーが第二部である程度重要な役を担うことが示唆されているのだろう。 |