前ページ「あにめの記憶」トップへ次ページ

・「ポリアンナ物語」第ニ部オープニング
「微笑むあなたに会いたい」
 作詞・浅見純 作曲・鈴木キサブロー 編曲・矢野立美 歌・工藤夕貴
 このオープニングも背景画像はかすかに記憶に残っていた。それと歌詞表示の横文字部分に「しゃいん」「びりいぶ」という感じで平仮名でふりがなが振ってあったのだけは覚えていたのだが、それが「ポリアンナ物語」のオープニングだと言うことは忘れていた。見て「これだったか…」とまた一つ謎が解けたわけだ。
 え〜と、楽曲の内容については第一部オープニングの「し・あ・わ・せカーニバル」をバラード調にすればこんな感じになりますよってだけ。これならオープニング変えなくても良かったんじゃないかと思うが、恐らく第一部と第二部で物語の展開が変わるため、スタッフは心機一転のつもりでやったのだろう。
 背景画像はボストンの町並みが主である。ボストンの街で何かを探すポリアンナ、これは第二部の前半における展開を示唆したものだと思う。そしてニルスになって大空に翔んでいったかと思ったら、最後は第二部主要キャラと同じボートに乗っているという内容だ。このボストンの町並みの細かさばかりに目がいって、ポリアンナが印象に残らないという凄いオープニングは別の意味で見る価値ありと思う。

第28話「忍びよる影」
名台詞 「ごめんなさい、おば様。私の…私のために…。」
(ポリアンナ)
名台詞度
 チルトン診療所の手伝いと、汽車で5時間もかかるポリアンナのボストンへの通院への付き添い、これらの激務によってパレーは体調を崩し始める。ボストンの病院で目眩を起こしたパレー、帰りの汽車の中で居眠りするパレー…この激務に耐えるパレーの姿を見てポリアンナはこう呟き涙を流す。
 サブタイトルの「忍びよる影」とはこの激務に身体を侵されてゆくパレーのことを言っているということが最初に分かる台詞でもあり、またこのポリアンナの台詞こそが第二部の幕開けを告げるものだろう。恐らく物語はパレーがこの激務に耐えられなくなり、ポリアンナでのボストンの生活ということになると言うことを示唆しているのだ。そしてそれを裏付けるようにこの後のシーンでボストンからケイトデラがやってきて「ポリアンナを預からせてほしい」と懇願する。デラはポリアンナのこの台詞にある思いを既に見抜いていたのだ。いずれにせよ激務に体調を崩してゆく叔母の姿を気遣うポリアンナの優しさが見えてくる台詞だ。
名場面 パレーが倒れる 名場面度
 ポリアンナのボストンへの通院、そしてチルトン診療所の手伝い、これらの激務に体調を崩していたパレーは今回のラストでついに倒れる。診療所へ出かけるチルトンを見送り、ボストンへ通院の支度というところで遂にパレーは力尽きて気を失うのだ。杖を倒し、転びながらも必死にチルトンを呼ぶポリアンナ、大声で主人を呼ぶナンシーの声、これらがこの緊迫シーンに否応なしに迫力を与える。
 今回はずっと平和な展開で「忍びよる影」がどこからどのように現れるのか視聴者は一番気になっていただろう、ボストンの病院シーンでパレーが体調を崩しているシーンが描かれ、さらに名台詞欄の通りポリアンナがそれを気遣い涙するシーンが描かれている。ここまで見れば視聴者は皆「これだ!」と思うことだろう。そしてこのパレーの不調がハッキリと分かるシーンで描かれ、物語を一転させる重要なシーンとしてこのシーンが描かれるのだ。
 このシーンこそが第二部の物語のスタート点だろう、パレーが倒れたことによってデラの「ポリアンナを預からせてほしい」という申し出を飲み込まざるを得ない状態に追い込まれるのだ。そしてそのポリアンナにとっての新天地となるボストンでの物語が描かれるきっかけとなるのだろう。
今回の
「よかった」
 4話、21話の6回の記録を破り、ついに新記録の7回をカウント。なんでもない平和な日を描いたとはいえちょっと多すぎるぞ。チルトンの診療所で「よかった探し」について語り合うスノー婦人とオバタリアン軍団の「よかった探し」研究は、的を射ていると思うがどうだろう? 「よかった」の回数
感想  第二部スタート、第一部の続きとして物語はうまく転がっており、ポリアンナの帰還シーンから平和な日々をじっくり描くことから始めた。これはこの回の後半におけるパレーの不調シーンと対比される役割があるのだろう。それだけではなくこの話が始まってしばらくはジミーを中心に物語を進め、ポリアンナは話が始まってしばらくしたところで満を持しての登場となる。本放映時に27話と28話の間が何日くらい開いていたのか記憶にないが、いずれにしろ新しい物語として物語を再起動させるのにふさわしい描き方をしたと思う。
 ポリアンナの出迎えを大々的に描き、さらに帰ってきてからのポリアンナの平和な日々をじっくり描いたところでパレーを倒れさせて一気に話をひっくり返すという筋は新しい物語を展開させて視聴者を引き込むのに十分な演出だろう。
 どうでもいいことだが、やっとナンシーとジミーの会話があった。雰囲気はまんまアンネットとルシエンだ、そろそろメグとジョーと言ってあげた方がいいかな? それとデラ、第一部ではチョイ役でしかなかったのにラストシーンに出ていた理由は、この人は第二部の主要キャラの一人になるからだったのね。エームス博士もそうなのかな? 第二部は登場人物がガラリと変わりそうだから次回が楽しみ…と思ったら次は火曜日の放送か。

第29話「さよなら!ベルディングスビル」
名台詞 「お嬢様、心配はいりません。みんなお嬢様の気持ちはよ〜く分かっているんですよ。はい、ただみんなお嬢様とお別れするのが辛くて、いろいろ言ってるだけなんです。」
(トム)
名台詞度
 ボストン行きを決意したポリアンナにジミーが食ってかかる。ポリアンナは自分が行けば全てがうまくいくという判断をジミーに訴えるが、そのジミーはポリアンナの判断を理解しようとせず、悪態をついて走り去ってしまう。
 そのジミーの姿に悲しむポリアンナの隣にトムが腰掛ける、ポリアンナが自分の判断とジミーが分かってくれないことを語ると、トムは静かにこう言うのだ。
 ポリアンナがボストンで生活すると聞いて多くの人々は反対の立場を取ったわけだが、その理由がトムのこの台詞に全て込められている。皆頭ではポリアンナがボストンへ行けば全てが丸く収まることは分かっている、ところが人気者のポリアンナに側にいてほしくてたまらないのだ。だから何だかんだと理由をつけて反対意見を言う、恐らくエームスからの手紙を受け取ったパレーの最初の反応も同じ理由によるものだっただろう。ポリアンナの判断を冷静に受け止めたのは、チルトンとトムだけなのだ。そのトムの冷静な分析がジミーと喧嘩になって落ち込むポリアンナを見事に立ち直らせるのだ。
名場面 ジミーが馬でポリアンナを見送る 名場面度
 格好良すぎるぜ、ジミー。
今回の
「よかった」
 今回は4回、ティモシーがポリアンナを元気づけるために、汽車の中で必死になっているシーンもやっていることは「よかった探し」なので数に入れた。そのシーンのティモシー、面白すぎ。ああいう面をもっと前面に押し出せばいいキャラになるのに。 「よかった」の回数
感想  そうか、前話でジミーが馬に乗っていたのは今回のラストシーン(名場面欄)への伏線だった訳か。まぁ汽車の汽笛が鳴っても馬と一緒に休憩中だったらもうああいう見送りしか想像できなくなっているが…でもジミー、列車のすぐ横を馬で走るのは危険だぞ。馬もよく怖がらなかったもんだ。
 列車と言えば劇中でポリアンナはベルディングスビルとボストンを何往復したのだろう、手術で1往復、前話のリハビリで1往復、今回のティモシーとのリハビリでも1往復、さらに今回のラストに片道乗ったわけだからこれで4往復目は確定だ。これって「世界名作劇場」シリーズの主人公の中では汽車に乗った距離がかなり長い部類に入ると思う。前話のミンチン先生の解説によるとベルディングスベルからボストンの病院まで片道5時間、そのうち4時間半は汽車に乗っていることだろう。当時の列車が最高速度50km/h程度、平均で30km/hで走ったとすれば片道140km位になる。つまり一部終盤からここまで1120kmは汽車に乗っているのだ。さらに序盤で西部の町からベルディングスビルまでの大移動がある、これも1000km以上は乗っているだろう。マルコやポルフィに匹敵するほど汽車に乗っているのだ。
 でも今回といい前回といい、前説的な話だけでなかなか本題に入っていかないな〜。。

第30話「大都会ボストンの生活」
名台詞 「大丈夫、大丈夫よね。あの娘なら。」
(デラ)
名台詞度
 名場面欄の最後の部分になるのだが、姉の言葉に怒りを覚えたデラは、姉が待ってくれと請うているのを無視してカリウの屋敷を飛び出す。そして外に出たところでこう呟くのだ。
 この台詞には二つの側面があろう。ひとつはポリアンナに対する絶対の信頼だ、信頼するからこそ姉をポリアンナに託すのだ。エームスやチルトンから聞いたポリアンナの「よかった探し」のことや、自分がこの目で見たポリアンナの生き様に対しての絶対の信頼と、この娘なら姉を変えてくれるに違いないという期待。まずそれが込められている。
 そしてもうひとつはやはり不安だ、ポリアンナを連れてきて開口一番にポリアンナに対して何かあったらすぐつまみ出すという宣言にやはり不安を隠さずにはいられなかったのだ。それに対して自分自身の不安を打ち消すためにこの台詞を吐いたに違いないのだ。
 しかし今回のデラ、声といい服装といいまんまケイトだったぞ。ケイト対メーテル、そう考えると笑えてしまう。
名場面 デラ対カリウ 名場面度
 ポリアンナを連れてきたデラをカリウ(29)は部屋に呼び出す。そこでポリアンナが説教とか始めたら即刻帰ってもらうとデラに突きつけるのだ。デラは姉のことを心配に思っていることや、ポリアンナのことをカリウに言うが、カリウは自分の悲しい過去に縛られ、人生に希望は持てないことや今更誰に助けてもらおうだなんて考えてないことを告げてデラの言葉を突っぱねる。
 問題はこの後だ、機嫌を損ねたデラはカリウに「わかりました」とだけ言って足早にカリウのところから立ち去ろうとするのである、そんな妹を必死に追いかけるカリウ、ここにカリウの性格や「気持ち」が出ていると思うのだ。
 つまりカリウは本当は寂しいのだ、ポリアンナがいることに不安を感じているだけならもっと強引に引き止めることが出来ただろうし、なによりもこんな形で「弱み」を見せることはないだろう。これは序盤のパレーを思い出していただければすぐに分かる話だと思う。カリウは寂しいからこそ身内にそばにいて欲しかったのだし、ポリアンナと生活が出来るかという不安がその上に乗ってきたからこそデラを必死に追いかけたのだ。このようにカリウは自分で気付いているかどうかは分からないが、自分が寂しい人生を送っていてとても弱いということには気付いているのだ。もし序盤のパレーならポリアンナの存在に不安など感じないだろう、ポリアンナすら自分で制御できると考えていたのだから。
 カリウが寂しくて悲しい人生を送っている上に、さらに不安を感じている。これを強調するさりげないシーンなのだ。
今回の
「よかった」
 4回、ポリアンナがカリウの車に乗って喜ぶシーンと、カリウにドレスを着せて喜ぶシーンも明らかに「よかった」を感じていると思われるので数に入れた。後者の方ではポリアンナの「よかった探し」攻撃に蹂躙されるカリウの姿が見られる。この人とどんな物語を展開するのか、楽しみになってしまうシーンだ。 「よかった」の回数
感想  メーテルキターーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!!!!!!!!! 「私はカリウ、過去の寂しさに縛られる女」とかメーテル風にやって欲しかったな(←アホ)。やっぱ鉄郎にはメーテル、私にとってこれほどのコンビは日本にアニメ界においてないと思っているのでね、この二人がしかも似たような役で出ているこのアニメって凄いと思う。でも当時、パレー=鉄郎は気付かなかったんだよな、カリウの声がメーテルだったのは当時もすぐわかったけど。このキャスト配置は制作側も狙っていたのかな?
 さらに今回は新キャラも何人か出てきた、と言ってもメーテル演じるカリウの他に、カリウの下で働いている人たちばかりだけど。さらにボストン編にはもっといろんな人が出てきた記憶がある、また推理小説風の展開になってゆくのかな?
 しかし、カリウの現状がポリアンナが来た頃のパレーに似ているというのは視聴者に気付かせることなんだろうけど、それをポロっとナンシーが口に出してしまうのがこれまた好きだ。今回はそのパレーとカリウの比較という点で見ても面白いかもしれない。でも自分の殻に閉じこもり度ではパレーの方が上だった、パレーはポリアンナが来る前からポリアンナに対して宣戦布告していた程だったが、カリウの矛先は全てデラに向いているのだ。しかもそのデラが帰ろうとすれば必死に引き留めるし…カリウとパレーの違いは自分が寂しい人生を送っているという自覚があるか否かという点かもしれない(ただしカリウがそれに気付いているのは潜在的なものだ)。だからいきなりポリアンナに蹂躙されまくりだったのだろう。カリウという人はパレーよりもスノー婦人に似ているかもしれない、スノー婦人は寂しい人生も自覚はしており、それはどうにもならないという諦めが先に立ってしまう点がカリウと共通点なのだ。

第31話 「チップマックがいない!」
名台詞 「見たこともない街、さっぱり通じない言葉、空腹と足の痛みとたとえようもない不安が、ポリアンナを襲うのでした。」
(ナレーター)
名台詞度
 チップマックを捜しているうちにイタリア街に迷い込んだポリアンナは、ここに住む不良少年たちに囲まれる。そこで後ずさりして逃げようとするポリアンナの歪んだ表情を背景に、このようなミンチン先生の解説が入る。
 この緊迫シーンに内容も声も上手く合っている解説だと感心した。「ポリアンナ物語」のナレーターを担当しているミンチン先生こと中西妙子さんの張りのある声が、見事にこのシーンに彩りを添えている。ここまで見て解説にこの人を起用したのはこの解説のためじゃないかと思わせるほどだ。
 ポリアンナの台詞には出てこない不安、そして恐怖というものを短い台詞で的確に、それが視聴者を引き込むように上手く伝えたと思う。ナレーターというのは本来登場人物より目立ってはいけないわけで、ナレーターの解説がこの欄に上がること自体が良くないのかもしれない(そんなこと言ったら「愛の若草物語」の立場は…?)。だがその登場人物より目立たないという枠内で印象に残る名解説というのはどんな物語にもあると思うのだ(たとえば「南の虹のルーシー」17話とか)。このポリアンナの不安を明確に視聴者に伝える今回の解説は、そういう意味では満点だろう。
 ちなみにあの時ポリアンナを襲った不良少年たちの台詞については、こんなのみつけたので参照のこと。
名場面 ポリアンナ対サディ 名場面度
 今回は本当に話が進まない、まるで「南の虹のルーシー」一部中盤を見ているようだぞ。
 その中でもまた一人新キャラが出てくる。それがサディだ、今回は名前が分からないのでエンディングのスタッフロールで確認してしまったではないか、中の人はエイミーと知って…(以下感想欄)。サディはカリウ邸に不釣り合いな少女がいるのを見つけ、そのポリアンナを泥棒呼ばわりする。さすがのポリアンナも泥棒呼ばわりされたら「よかった」とはならないようで、カリウの運転士の名前を知っていることで泥棒だという疑いが晴れるとサディに謝るよう要求する。このようなポリアンナを見ることは珍しいし、ムッとした表情のポリアンナも非常に珍しいのだ。
 この第一印象の悪い少女も第二部を彩る主要キャラであることは間違いないだろう、カリウ邸の使用人のことを知っているところを見ると何らかの形でカリウと接触のある人物に違いない。だがパレーの時におけるペンデルトンやチルトンのような関係ではないだろう(んなはずない)。二人の会話のおもしろさもあるが、この少女がどのように物語に絡むのかと上手く期待させる初登場だと感心した。
今回の
「よかった」
 3回。うち1回はエームス先生による「よかった」だ。ポリアンナがカリウの頭痛はすぐ治ると聞いたときの「よかった」シーンは、前話に引き続きポリアンナの「よかった探し」に蹂躙されるカリウが見られる。しかしここまでの戦果も台無しになりそうな展開なのはちょっと不安。 「よかった」の回数
感想  エイミーキターーーー!!!
 エイミーの人は鼻が詰まってないだけでこうもエイミーと印象が変わるのね、これで次作「愛の若草物語」の4姉妹&母親が全部揃ったわけだ。
 今回は何でもない話だが、最後にポリアンナがピンチになって終わる。チップマックがいないってだけで最初からいやな予感が漂ってくる展開だ。だいたいチップマックがいなくなるとろくなことにならないのが「ポリアンナ物語」の王道パターンだ。今回もそれに漏れず、ポリアンナが勝手に屋敷を抜け出して迷子になり、最後は不良少年に襲われるというピンチに陥るわけだ。
 で、あのピンチからどうやって助かるんだっけ? どこからともなく風車が飛んできて忍びに助けられるとか…じゃ最後は印籠が出てきて終わりか。そういえば水戸黄門に弥七が出てこなくなってどれくらい経っただろうって、誰がツッコンでくれ〜。
 さて、ポリアンナが行方不明にならなければいけなかった理由が今回の展開の中にひとつ隠されている。これはカリウ・デラ姉妹の過去に何らかの事件があったということを臭わせる役割だ。ポリアンナが行方不明になったことで警察を呼ぶという事を誰かに提案させるためなのだ、これに対してカリウは警察は信用できないとハッキリ口答えする。このシーンにおいてこの姉妹が何らかの事件に関わっており、これが未だ解決されていない事が容易に想像できるだろう。物語は第一部のようにまた派手なトリックのない推理小説のように進んでゆくのだろう。

第32話 「迷子のポリアンナ」
名台詞 「いいこと? ポリアンナ。もうこんな騒ぎはごめんですよ。今日のように街の外れまで迷って行って無事に戻れたなんて、全く思いもかけない事なんですよ。普通ならあなたはもう二度と家族と人たちに会えなくなるところだったのよ。たとえそうなってもみんな自分の分別のなさから出たことで、誰も恨むことは出来ない。それくらい大都会というところは恐ろしいことがいっぱいあるということです。」
(カリウ)
名台詞度
 ミッキーという人の良い少年に助けられて無事にカリウ邸に戻ってこられたポリアンナだが、夕食を取りながらカリウがポリアンナにこう言い聞かせるのだ。特に治安の悪い(という設定なんだろう)のイタリア街まで行って無事に戻ってこられたことがどんなに運の良いことか、これをポリアンナに告げるのだ。
 無論都会の怖さを知らぬ田舎者のポリアンナに、それを告げるという部分がこの台詞には大きいだろう。「ポルフィの長い旅」でもローズがポルフィに似たような台詞をいうシーンがあり、都会を知らぬ者への警告として印象に残る台詞である。
 だがこの台詞に持たされた役割はそれだけではない、ポリアンナが行方不明になって大騒ぎになっているときのカリウとデラの会話と合わせてカリウの過去に含みを持たせる伏線となっているのだ。恐らく亡くなったカリウの子供もポリアンナと同じように迷子になって行方不明になったのが死の原因なのだろう、そのようなカリウが縛られている過去をあぶり出すための台詞としても有効に機能し、印象に残るのだ。
 でもこの台詞、もうメーテルにしか聞こえません。なんか目の前にパレー、いや鉄郎がいてもおかしくないぞ。
名場面 ポリアンナの帰宅 名場面度
 ミッキーという人の良い少年に助けられて無事に帰宅したポリアンナ。呼び鈴の音にパーキンスが対応し、外で「お嬢様!」と声を上げる。ミッキーに背負われたポリアンナが玄関に入るとデラが、そしてメアリがポリアンナのもとに駆け寄る。一人取り残されたカリウの表情が非常に寂しげになる。たったこれだけのシーンだ。
 このシーンの前提にカリウが怒りを爆発させ、もうポリアンナには帰ってもらうとデラに突きつけていた。ところがいざポリアンナが戻り皆がポリアンナを気遣って走り去ってしまい一人取り残されると、なんか自分だけが取り残されたようなそんな気分になっているのだ。こんなシーンは第一部のパレーが何度も演じており、カリウが完全にポリアンナのペースに乗せられていることを示す。その後の展開を見ていると「おい、ポリアンナをつまみ出すんじゃなかったのか?」とツッコミたくなる。
今回の
「よかった」
 4回、でもミッキーに助けられたときと無事帰ってきた直後に集中してる。しかし迷子になったのを助けてくれたからって、見知らぬ少年にいきなり抱きつくなよな…。 「よかった」の回数
感想  ロッティキターーーー!!!
 そうそういたいた、車椅子の少年。でもどうなるんだったか全く思い出せない。まさかこいつが歩けるようになるためにジミーが吹雪の峠を越えて医者を…ってもいい加減アンネットから離れろよ。
 また新キャラが二人。新聞売りで生計を立てるミッキーという少年と、車椅子に乗ったジェミーだ。新展開に入ったからと主要キャラを一度に出すんじゃなくて、一人一人丁寧に新登場させる点がこの辺りの展開の良いところだ。一度に出てくると頭の中で整理が着く前に物語が展開して訳が分からなくなる。その性質上やむを得ないのだが、物語に学校が絡むともうだめ。アンネットの時はなかなかクラスメイトの名前を覚えられなかったし、セーラの時なんかアーメンガードとロッティとラビニアと腰巾着以外はついに顔と名前が一致しないままだったぞ。そういう意味でポリアンナの登場人物はわかりやすい。
 それと前回初登場のエイミーサディがこうもあっけなく「単なる隣に住む少女」として再登場するとは思わなかった。おまけにいい奴に変身してるし。もうちょっとツンデレ感を強めてからいい奴にすりゃよかったのに、ちょっと慌てすぎてる感がある。
 私が気になったのはポリアンナが迷子になってどれくらい歩いたかだ。ポリアンナが家を抜け出したのは昼食前だった事を考えると正午頃だろう、時計の針が12時50分を指しているときにカリウが待ちくたびれたシーン(前回)が描かれているので昼食は12時30分からだったと推定される。そしてミッキーに背負われてポリアンナが帰宅したのは20時15分頃、ポリアンナ帰宅直前のシーンで時計が8時10分を示しているシーンが出ることが推定できる。つごうポリアンナは8時間ばかり迷子になっていたのだ。不良少年に襲われたり、ミッキーに出会うまでベンチに座って泣いたり、ミッキーの新聞売りが終わるのを待たされたりで1時間半は移動していない時間があっただろう。それでも不良少年のシーンでは日が傾いていた描写になっているので、ここまで5時間ほど歩いたと見ていいだろう。ベンチに達したのが17時半頃、ミッキーに声を掛けられたのが18時頃という推測が成り立つ。
 ではこれを検証するために地図の出番だ。この地図を見ていただきたい。今回のポリアンナの行動をボストンの地図に落としてみた。「1」地点がカリウ邸がある通り、ミッキーとの会話でカリウ邸の場所が「コモンウエルズ通り(Commonwelth Ave)」であることが断定できる。ポリアンナの台詞にあったように道路の真ん中に緑地帯がある大通りで、ここがボストンの一等地で金持ちがたくさん住んでいることが地図や衛星写真からも想像するのは簡単だ。続いてポリアンナとミッキーが会った場所、これにはふたつキーワードがある。迷子シーンでポリアンナが迷い込んだ場所が「イタリア街」であるとミンチン先生が解説すること、ポリアンナが帰宅した際にミッキーがカリウから会った場所を問い詰められ、「ノースエンド(North End)」であると答えている点だ。ネットで調べるとボストンの「イタリア街」は「North End」の中でも「Hanover St」の辺りになるらしい。そこから割り出した点が「2」地点である。さらにチップマックを捜して公園内を複雑に歩いたこと、「North End」で路地のようなところばかり歩いていた点を考慮しながら予測したポリアンナの迷子ルートが赤線である。その距離は約4.1キロ…ちょっと迷子の時間が長いかな?
 ただし、ポリアンナはチップマックを捜して公園の中をさらに複雑に歩いていた可能性は高い。そうしているうちに帰り道を見失ったと考える方が自然だ。公園に入ったところと出たところはこう考えるのが自然だろう。つまり一度公園に入り、公園を横断する道路を渡った後で方角を見失ったというものだ。公園を横断する道路というのは見知らぬ公園で道に迷ったときに方角が分からなくなる要因の一つである。その道路の渡った事実を忘れたり、道路の方向を間違えたりして自分が入ってきた入り口が分からなくなるのだ。特にこの公園は道路を挟んで東西に分かれており、その両側に似たような池がある構造になっている。ここでポリアンナはこの池が別々のものではなく同一のものと勘違いし、方角を見失ったのだろう。公園から出てしまえば道に迷う要素なんか無数にある。
 よ〜し、やってることがだんだん「南の虹のルーシー」の考察みたいになってきたぞ。

第33話「チップマックはどこ?」
名台詞 「でも、時々ひもじい思いをするのもいいものなんですよ。そうでなきゃジャガイモや牛乳がどんなに美味しいか、分かりませんからね。喜びの本に書くことが無くなってしまいますよ。」
(ジェミー※)
名台詞度
 その見た目とは裏腹にたまに一日中食べるものが無くて腹を空かせていることもあると語るジェミー、それに対してポリアンナは食べるものが全く無いという経験が無くてそれがどんな気持ちなのかと想像して悲しげな表情をする。そんなポリアンナにジェミーは力強く笑いながらこの台詞を言うのだ。
 これは飽食の時代を生きてきた我々には絶対に出てこない感性だろう、食べるものがなくて本当にひもじい思いをするからこそ分かる食べ物の美味しさ。それを「よかった」と思える強さに私は太刀打ちできない。
 またこの台詞はジェミーがポリアンナから「よかった探し」を布教されるまでもなく既にそれを別のかたちで実行しており、その点においてはポリアンナより強者であるという事も示唆している。今までこの物語で「よかった探し」はポリアンナの専売特許であり、ポリアンナがそれを人々に広めるという筋で話が進み、そのパターンが定着していた。そのパターンを打ち砕き、初めてポリアンナの目の前にポリアンナと同じ「よかった探し」の使い手が現れるのである。格闘モノのアニメなら主役しか使えなかった奥義と同等のパワーを持つライバルが現れるという重要なシーンであろう。この台詞は「ポリアンナ物語」の主人公よりパワーのある登場人物があることが判明し、ワンパターンを最初に崩した記念すべき台詞なのだ。
(※…劇中ではこの少年は「ジェームス」と紹介されるが、ここではエンディングのスタッフロールに倣って「ジェミー」表記で統一する。)
名場面 ジェミーの「喜びの本」とポリアンナの「よかった探し」 名場面度
 「なにひとつ楽しみのなさそうなところに一番多く楽しみが固まっている。地に落ちる一枚の葉は音を立てても立てなくても必ず何かの喜びをもたらせてくれる」
 名台詞欄を受けてポリアンナは「喜びの本」とは何かをジェミーに問う。するとジェミーは父が遺してくれた本にあった詩としてこの欄の冒頭に記した詩を語るのだ。そしてそれは嘘だと思いつつ、自分が少しでも嬉しいと感じたことをノートに書き出して見た、それが「喜びの本」だというのだ。実行してみたら数え切れないほど嬉しい事があったのだ…これがジェミーが実行してきた「よかった探し」だろう。その話を聞いて感激したポリアンナは、自分の「よかった探し」について語る。いつものジョンが出てくる回想シーンだが、話を聞いたジェミーはそれまで「よかった探し」の話を聞かされた人々の感心する返答ではなく、「よく分かりますよ」と賛意の台詞で答えるのだ。ポリアンナは食べるものもなくしかも足が治る見込みがなかったら自分は「よかった」を探せないとし、ジェミーに対して尊敬の念を持って「あなたはよかった探しの名人よ」という。これも「よかった探し」を他人に語ったポリアンナが今までに見せたことがない反応だ。
 名台詞欄でも少し書いたが、第一部での物語のパターンとしてポリアンナが気落ちしている人などに「よかった探し」を布教してその相手を元気づけるというものが定着していた。ところが第二部に入るとそのようなシーンはパタッと途絶える、カリウだけでなくメアリやパーキンスといった格好の「よかった探し」に引き込むべきカモがいるというのにである。そこでジェミーとのこのシーンの展開はまさに「満を持して」のもので、いよいよ「よかった探し」においてポリアンナの上を行く人物が出てきたのである。ここに第一部のパターンは破られ、「よかった探し」という部分でどのように物語のパターンを新規構築してゆくのか、非常に楽しみになってきたぞ。
今回の
「よかった」
 4回あったが、ようやくチップマックと再会できた「よかった」はポリアンナのホッとした表情が見られて安心した。どうでもいいけど今回の物語のどの辺が「チップマックはどこ?」何だろう? 私が制作者なら「喜びの本」というタイトルにしたな。 「よかった」の回数
感想  いやぁ、ラストのジミーの嫉妬シーンもなかなかよかったな。好きな女性からの手紙を楽しみに、きっと鼻歌交じりで開いたんだろうな。そしたら現地で仲良くなった男の子のことばかり書いてあって…うんうん、ジミーの気持ちよ〜っく分かる。女性と付き合った経験のある男性ならラストシーンのジミーの気持ちはよく分かるだろう。あんな事されたら黙ってられないな、私だったらボストンまで怒鳴り込みに行くと思う。
 それよりここでまた新たな謎がひとつ生まれているのにご覧になった皆さんはお気づきだろうか? ジミーの台詞を聞くとジミーの父がボストンという街が嫌いだったということが分かる。これって何かの伏線のような気がしてならないのは私だけだろうか? カリウ・デラ姉妹の過去とともにこのジミーの父に関する過去も明らかに連れて行くのだろうか? 考えてみれば第二部のここまでの展開ではジミーは全く必要なく、この嫉妬シーンだって後からまとめる手法もあるのだ。ここでわざわざジミーを出したということは、ジミーが第二部である程度重要な役を担うことが示唆されているのだろう。

第34話「カリウ夫人の悲しい秘密」
名台詞 「そうよ、今にきっとジェミーちゃんは見つかるんですもの。毎日毎日、夜が明けたらジェミーちゃんの見つかる日が、一日だけ近付いたって思うの。一日だけ逢える日が近くなったって、そう考えるの。そうすればきっとよかったってお思いになるわ。生きてることが嬉しくなるわ。」
(ポリアンナ)
名台詞度
         .。::+。゚:゜゚。・::。.        .。::・。゚:゜゚。*::。.
      .。:*:゚:。:+゚*:゚。:+。・::。゚+:。   。:*゚。::・。*:。゚:+゚*:。:゚:+:。.
ウワ━.:・゚:。:*゚:+゚・。*:゚━━━━゚(ノД`)゚━━━━゚:*。・゚+:゚*:。:゚・:.━ン!!
  。+゜:*゜:・゜。:+゜                   ゜+:。゜・:゜+:゜*。
.:*::+。゜・:+::*                        *::+:・゜。+::*:.

 子供と離ればなれに暮らさざるを得ない人には、この台詞グッと来ますよ〜。でもこの台詞で落ちないカリウは酷く心身が病んでいるはずだとも分かる。
名場面 カリウの過去 名場面度
 「私はカリウ、甥を失った寂しさだけで存在している女」…ってメーテル風にやって欲しいな。この過去を知ると何でこの人の声がメーテルなのか分かったような気がする。永遠に続きそうな悲しみを引きずる女性と言えば、やはり日本アニメ界においてはメーテルをおいて他にはいないだろう。ただし、メーテルとの違いは「世界名作劇場」である限り、主人公によってこの悲しみから解放されるであろうこと。ついでにカリウがなんで警察を信用していないかもわかったぞ。
 カリウの過去が明らかになるシーンで物語の方向性がハッキリ決まる。第一部では物語が進んで物事が解決するにつれてパレーの過去が少しずつ明らかになる展開だったが、第二部では対象となる女性の過去を先に明らかにした上でそれらを解決させるという方針をとってきた。カリウはメーテル調に自分が失った家族、そしてかけがえのない甥のことを全てポリアンナに語る。それを受けたポリアンナはカリウに同情し、必死に「よかった」の見つけ方を伝授するがそれでもカリウを絶望から救うことは出来ない。この構図は第二部の物語展開の原点となるであろう。
今回の
「よかった」
 1回、しかもカリウ邸の使用人による「よかった」であってポリアンナとは無関係なものだった。しかしここへ来てカリウはポリアンナの「よかった探し」攻撃に動じなくなったな。ポリアンナが「よかった」を力説しても動じなかった点は、パレーより難物かも知れない。 「よかった」の回数
感想  前回までは第二部での主要登場人物を順番に出して設定を固めるための展開だったが、いよいよこの回から物語が回り始めたと見ていいだろう。カリウが縛られている過去を明らかにし、物語の方向性が定まる。カリウが失った甥の存在、名前と年頃が同じ若君の存在。それともう一つ、母親について全く語られてない少年が第一部にいたなぁ。その少年は素性が分かる封筒を持っているが30歳までその内容は伏せられているって設定があったよな…顔もソックリだし、声優まで一緒にしちゃバレバレぢゃん。
 しかしポリアンナが困ったのは、カリウがポリアンナに対する嫌悪を取り去ったところで「よかった爆弾」を炸裂させてもまったく効かないのである。パレーの時はそこそこ動揺があって、ポリアンナが「よかった」を炸裂させるたびに何らかの効果があったものだ。だがカリウはポリアンナなりに「よかった」の探し方を懇切丁寧に示しても絶望から抜けきらないのだ。カリウが本当の意味でポリアンナに心を開くには、カリウの甥を見つけてやるしかなさそうだ。どうせジミーだろ?
 え? 二部の展開もすっかり忘れてますって。

第35話「若君ジェームス」
名台詞 「おば様! ジェームスはおば様のジェミーかも知れないの!」
(ポリアンナ)
名台詞度
 若君ジェームスが倒れた事、彼がポリアンナに会いたがっていることを、公園から帰ったポリアンナがミッキーから聞かされる。ジェームスに会いに行きたい、一緒に行って欲しいとカリウに懇願するポリアンナだが、公園に付き合わされて精神的に疲れているカリウはそれを一言の下に拒否する。そして家の中に入ろうとするカリウに、たまりかねたポリアンナは遂にカリウを公園に連れ出してジェームスに会わせようとした理由としてこの台詞を叫ぶように言う。「ガーン」という効果音、この一言にカリウは驚いた表情で振り返り、メアリも思わず奇声を上げる。さらに若君ジェームスの素性を語るポリアンナ、カリウはそのポリアンナの言葉を「もういいわ!」と遮り、メアリにパーキンスを呼んで車の準備をさせる。
 この台詞はカリウがジェームスに会いに行く気にさせたという部分も重要だが、ポリアンナが失敗を恐れて隠し続けてきたひとつの事実をやっと告げられたという点でも印象に残るだろう。ジェームスがカリウが探しているジェミーかどうかの確信が持てないポリアンナは、とにかくカリウに会ってもらおうと考えた。だがカリウ邸の使用人たちの忠告で別人だった場合のことを考えて、この「事実」を自分の心の中に押し込んでいたのである。その判断が失敗でカリウの機嫌を損ねてしまったのはご覧になった方なら誰でも分かるだろう。実はこの件に関しては失敗など恐れている場合ではない、ポリアンナがやっとそれに気付いて本当のことを言うのだ。
名場面 ジェミーの家の前に着いたカリウ 名場面度
 ジェミーの家の前に車が到着すると、ミッキーの案内でポリアンナとカリウは車から降りる。「ここなの?」と聞くカリウに、ジェミーの部屋を指さして「あの部屋で寝ている」と言うミッキー。カリウはその部屋を見上げると一瞬震えた後、その場に倒れ込んでしまう。ポリアンナとミッキーだけでなく、パーキンスまでが車から飛び出してカリウに駆け寄る。「大丈夫」と語るカリウ。「どうぞジェミー・ケントでありますように。大きな不安と期待の中で、ポリアンナはカリウ夫人のために祈り続けるのでした」とミンチン先生の解説が始まり、ポリアンナのアップで物語は終わる。
 ここではポリアンナとカリウの期待と不安が大きく描かれている。恐らくポリアンナは期待と不安が半々くらい、カリウは不安の方が大きいだろう。「もしジェミーじゃなかったら…」ということがカリウの頭の中をよぎったに違いない。同時に「もし本人だったら…」という思いもどこかにあっただろう、それにしてもあまりにも貧しそうな家、この双方の思いでカリウは一瞬気を失ったのだろう。
今回の
「よかった」
 今回4回、特に前半の方での天気が回復してポリアンナが公園で「よかった」と言うシーンは、鬱陶しい雨の日が終わった爽快さをさりげなく演出していて印象に残る。物語の本筋にはあまり影響のない「よかった」だが。 「よかった」の回数
感想  そっかそっか、この物語は視聴者に対してカリウが探す甥がジミーだと分からせておいて、勘違いやすれ違いを楽しませる方法を採ったんだな。そう解釈すれば前回のカリウの過去に出てくる回想シーンで、カリウの甥のジェミーがまんまジミーでしかなくてオチが分かりきっているというのは理解できる。つまりあれだ、「小公女セーラ」でいえばクリスフォードみたいなもんだ。あれだってアニメの場合、最初にクリスフォードが探しているのはセーラだとハッキリ示した上ですれ違いを楽しませる作りになっていた。「ポリアンナ物語」もそれに倣い、カリウが探しているのはジミーだと最初からハッキリ示したつもりなのだろう。まああれ以上示しようがないが。
 しかしポリアンナも雨が続いた翌日は若君ジェームスがいない事くらい容易に想像できるだろうに…と思いつつ見ていたら事態はもっと悪い方向へ、ジェームスが倒れたと言うじゃないか。中盤でポリアンナとジェームスが会ったときのジェームスの顔色が悪かったのはそういう事だったのね。なかなか芸が細かい。
 さあ、次回は若君ジェームスはカリウが探しているジェミーとは別人だとハッキリ分かるんだな。その瞬間がどのようにして訪れるのか、その時のカリウは? ポリアンナは? いきなり目が離せなくなってきた(…これで若君ジェームスでドンピシャだったらこの物語見るのやめる)。

第36話「路地裏の天使」
名台詞 「なんて酷いところなんでしょ? あの家を持っている人は住んでみればいいのよ。そしたらどんなに酷いかわかるわ。」
(ポリアンナ)
名台詞度
 ジェミーが住むアパートに関するポリアンナの素朴な感想である。このアパートの持ち主に聞かれたら気を悪くされそうな感想を、まさかその当人の前で語っているとはポリアンナはこれっぽっちも思っていないのだが…。この台詞が出る頃までに勘のいい視聴者はジェミーの住むアパートの持ち主がカリウだと言うことに気がついているだろう。じゃなきゃ管理人の名が出てきたときに前回名台詞と同じ反応をカリウがする訳ない。
 この台詞に続くポリアンナとカリウの会話でその設定はほぼ確定的になるし、帰宅後のミンチン先生の解説でそれは明らかになる。この設定に気付いているとこんな笑える台詞はないと思うのだ。
名場面 カリウとジェミー 名場面度
 ジェミーが眠っている部屋にカリウが入ると、早速カリウはジェミーのことについていろいろと聞き出す。だが手がかりとなる事は何も聞き出せない、この少年がカリウが探す甥なのか、はたまた人違いなのか、どちらとも断定できる証拠は揃わないのだ。ただカリウはミッキーの母から聞くジェミーの父の話、ジェミーの父が遺した本、それにジェミーの身体が弱いという事実でもって直感的に別人と判断する。
 カリウの焦り、それにわらにもすがる思いというものが上手く表現されていると思う。ずっと会えない肉親であって欲しいという気持ちと、やっぱ違うんじゃないかというせめぎ合い、こんなカリウの心理描写が上手に描かれているのだ。またこのシーンにおいて何かにすがっているのはジェミーも同じだ。目の前にいる女性が自分の父や出生について知っているのかも知れない、自分の知らない過去や素性を知っているかも知れないという淡い期待だ。彼はあまりにも幼いうちに両親を亡くして天涯孤独となってしまったため、自分のことについて何も知らないのだ。だからカリウがそれを知っている人物であることを願わずにはいられなかったはずだ。
 またこのシーンで徐々に外の景色が昼から夕暮れへと変化しているという芸の細かさも見逃してはならない。
今回の
「よかった」
 3回、うち1回はジェミーによる「よかった」だ。ポリアンナが「会いたかった」と言ってくれたことを素直に「よかった」と喜ぶ彼だが、そのことはちゃんと「喜びの本」に書いたんだろうな? 「よかった」の回数
感想  前回を受けてようやっとカリウとジェミーが対面するわけだが、ここでは何らかの理由で別人だと分かるという展開ではなく、どちらとも判断が付かないという展開を持ってきたか。で話はジェミーがカリウの甥かどうかというところから離れて、彼らの住む住宅があまりにも酷いという方向へ上手く回したと思う。でこれがジミーの時のように「おば様」に仲良しになった子供を引き取らせセル方向へ展開させるのね。第一部と第二部で方法は違うものの似たような展開を繰り返すわけだ。
 次からはカリウの心理変化が描かれるのか? 親のいないジェミーという存在を考えれば、最終的にはカリウが引き取ると見ているのだが…。

第37話「本当のジェミーが欲しい!!」
名台詞 「僕は行かれません。本当に僕を欲しいと思っていらっしゃるんじゃないからです。僕じゃない、本当のジェミーだけが可愛いんです。それはちゃんと分かっています。僕は…僕は違うジェミーです。」
(ジェミー)
名台詞度
 カリウは今までのいきさつをジェミーに全て打ち明け、その上でジェミーがたとえ自分の甥でないとしても引き取って育てると宣言する。喜びに沸くミッキー親子だが、ジェミーは一人で浮かない顔をしている。彼の中では断るという方向で固まっていたのだ、それをカリウに突きつけるのがこの台詞である。
 ジェミーはカリウの「迷い」を見抜いたに違いない。どのような会話をしたのかは知らないが、恐らくカリウはジェミーが本当の甥かどうか分からないという点を強調したり、違ったとしても育ててやるんだという恩着せみたいな言葉を吐いたのかも知れない。いずれにせよカリウの心の中にあった「迷い」と、そして「求めているのは本当のジェミーだけ」という本心も、さらに「本物のジェミーでないかも知れない」という疑いを見抜かれてしまったのだ。
 ここへ来てカリウがまだ到達していないステップがあることに多くの方は気付くだろう。それは「他人の喜びを自分の喜びにする」というステップだ。ポリアンナは最初からその域に達していたし、デラがジェミーを引き取るように進言したのもその論理によるものである。ところがカリウにはまだこの理論によって行動することや考えを持つことが出来ないのだ。純粋に「もし後になって本当のジェミーが見つかってもジェミーは喜んでくれるに違いない」という考えに行けないのだ。カリウの台詞を聞いていれば言葉の端々からその辺りがにじみ出ている。そしてそれをカリウに突きつけるのが、ジェミーのこの台詞なのだ。
名場面 カリウとデラの会話シーン 名場面度
 今度は甥のジェミーを知っているデラとブリジットを連れてジェミーを見舞いに行き、帰ってきたがやはり結論は出なかった。それで悩み苦しむカリウに、デラがジェミーを引き取るよう進言する。そしてデラはブリジットから聞かされた甥のジェミーが出て行く時の話を聞かされる、ジェミーの父は息子を強くたくましく優しい人間に育てるため敢えて裕福な家庭と距離を置くことを決断して出て行ったというのだ。それを根拠に、ジェミーは必ず優しい人間に育っていて、カリウが違うかも知れないジェミーを引き取ったと知れば喜ぶはずだとするのである。
 カリウの心に「迷い」が生じるのはここだ。ここまでのカリウはジェミーが本物のジェミーだと判明しない限りは引き取らないつもりであった。これはジェミーが本物かどうか分からず、悩み苦しんでいるのは別次元の判断である。もし本物でないならジェミーを引き取っても損をするだけで、何一つ得することはないのだ。ところがジェミーの最後の様子をデラ経由で聞かされたカリウでもってしても、「ジェミーの喜びは何か?」を考えるきっかけにはなったのだろう。
 だが、カリウはまだ甥の本当の喜びよりも損得勘定の方が大きかったかも知れない。結局は「本当のジェミーでないかも…」と思いつつの引き取りの決断をしてしまうわけで、そこを名台詞欄の通りジェミーに見抜かれる。カリウに必要だったことはジェミーを「本物でないかも知れない」と疑うことではなく、「本物に違いない」と信じることだったのだ。
今回の
「よかった」
 この厳しい展開で6回も「よかった」が見つかったぞ、うちポリアンナの2回は「よかった」の台詞はないが明らかに「よかった」を見つけており、「よかった」時のため息までついている。デラやジェミーも「よかった」を見つけており、ジェミーはちゃんと「喜びの本」のネタにすると言い放っていた。 「よかった」の回数
感想  面白い展開の話を作ったものだと感心した。今回は後半まで見てしまうと前半のことがすっかりどっかに飛んでゆく。カリウに「甥の本当の幸せ」を考えさせた上で、愛情を伴わないままジェミーの引き取りを決断させる。だがジェミーは全てを見抜いてしまいそれを断る…てっきりジェミーがカリウに引き取られてめでたしめでたしになるのかと思ったよ。でもあんな展開じゃポリアンナとジェミーの関係も心配だ。
 もちろん全ては名場面欄に書いたとおり、「本物のジェミーでなかったら…」という疑いが強かった点だし、さらに言うと甥の喜びを自分の喜びに転化するほどのレベルにカリウが達していない点も理由であろう。無論これまでジェミーとほとんどつきあいがなかったカリウに、ジェミーに対する愛情などあろうはずもなく、これらを全て見抜かれて物語が終わる。本当にいいつくりだと感じた。
 カリウは引き取る決断をしたからと急いで事を進めたのが失敗だっただろう。引き取るために相手を知らなきゃならないはずで、そのためにはポリアンナと公園へ行くなりしてもっとジェミーに近付かねばならなかったのだ。ジミーとペンデルトンの時だって、ジミーが何度かペンデルトンのところへ行っており、ペンデルトンがジミーの性格などをある程度知っていたから「ポリアンナの事故」がきっかけに養子の話がトントン拍子に進んだのだ。このような事情であれば事を急がなくても、ポリアンナもデラも納得したはずだ。
 これでカリウがまたへそを曲げるに違いない。ポリアンナはこの事態にどう対処するのか? 次回が気になる…第二部は不評だと聞いていたけど楽しいぞ、ひょっとして「ポルフィの長い旅」のように原作を知っているとって話かな?

前ページ「あにめの記憶」トップへ次ページ