第43話「死なないでチルトン先生!」 |
名台詞 |
「ありがとう、ポリアンナ。私はお前に逢えて、本当に…本当によかったと思う。お前の笑顔が、お前のよかったが、私を幸せにしてくれた。ありがとう、ポリ…アンナ…」
(チルトン) |
名台詞度
? |
瀕死の重傷で自分の死期を悟っていたチルトンは、最後の力を振り絞ってポリアンナにこの台詞を残して絶命する。その内容はポリアンナと出会えた喜びと、それによって得られた晩年の幸せに感謝するものであった。ポリアンナとの出会いは自分に前向きに生きる勇気と力を与えられ、ずっと思い続けていたが喧嘩別れしたままのパレーと結ばれる幸せをもたらし、そしてポリアンナとともにあった人生の最終章における幸せに心からの感謝の言葉であった。チルトンはポリアンナによってその人生を大きく変えられ、こうして不慮の事故という形式でも笑顔で天へと旅立つことができたのである。
この幸せはチルトンにとっては人生史上最高で最後の「よかった」であったのだろう、だから最後に言葉を掛ける相手に最愛の妻ではなく、その妻との仲を結んでくれたポリアンナを選んだのである。そのチルトンのポリアンナに対する愛情や想いと言うものが上手に再現された最後の言葉だったと思う。 |
(次点)「何故でございます? 神様! 何故こんなむごい仕打ちを…。わしはこれまで、一度だってあなた様をお恨みしたことはございません。しかし今度ばかりは恨みます。何故、何故この年寄りを身代わりにお召し下さらんのです?
何故これからという旦那様を…」(トム)
…トムが泣きながらに朝日に向かってこう吠える。前話名台詞欄を見ての通り、トムはパレーとチルトンが結婚したことで自分の役割は終わったと感じていた。こうして安心していたトムに対し、神が与えた試練はかくもむごいものだった。神に対し従順で、ことあるごとにナンシーやティモシーに神を恨んではいけないと諭してきた老人も、今回ばかりは神を恨む。だがもうどうにもならないとという現実に、やはり彼も涙を流すことしか出来なかったのだ。
今回は名台詞が多く選出に苦労した、最初のチルトンを気遣うポリアンナの台詞から最後のミンチン先生のナレーションまで。そして最後までこのふたつのどちらを名台詞にするか悩んだ。名台詞2点にしようかとも考えたが、今回はチルトンの臨終が話の柱なので、こういう結果にしてしまった。 |
名場面 |
チルトンの臨終。 |
名場面度
? |
崖下に落下していたチルトンは救出され、ハリントン邸に運ばれる。パーティに参加してチルトンの帰りを待っていた全員で、チルトンの様子を見守るがチルトンは気を失ったままだった。
やがてチルトンが意識を取り戻すが、チルトンは心配そうに声を掛けるパレーとポリアンナには頷いただけですぐにペンデルトンに声を掛ける。彼がペンデルトンに掛けた言葉は「私がいなくなったらパレーとポリアンナを頼む」というものだった、「何を言うのだ?」と言い返すペンデルトンに「私は医者だ、自分の身体がどんな状態か嫌でも思い知らされている…よくここまで持ったと思う、褒めてやりたい位だ」と力なく言う。驚きの声を上げるパレーとポリアンナ。チルトンはその場にいる全員の名を呼び、「お願いだ、みんなでパレーとポリアンナを守ってやって欲しい」と遺言のように言い残すのだ。そしてパレーには「この二ヶ月幸せだった、ありがとう」と感謝の言葉を残す。泣きながら「生きてちょうだい…」と訴えるパレーに「もう少し生きていたかった…」とチルトンは思わず本音が出る。「お願いよ、死んじゃいや!」と泣き叫ぶポリアンナに、チルトンはパーティの席でポリアンナが歌った歌を歌うように頼む。涙ながらに挿入歌を歌うポリアンナ…歌い終わると、名台詞欄となるわけだ。この台詞を言い切るとチルトンは遂に力尽きる。「おじさま!」「あなた!」「チルトン!」「チルトン先生!」皆でチルトンを呼び戻そうとするが、チルトンは涙を流したまま絶命していた。チルトンの亡骸にすがって泣くポリアンナ、チルトンの手を握ったまま泣くパレー、ペンデルトンにすがって泣くジミー、そのジミーを抱き寄せて男泣きするペンデルトン。
このチルトン臨終のシーンにはチルトンの皆に対する愛がきっちりと描かれているだろう。この男の優しさこそが多くの人を引きつけ、あんな嵐の夜でも患者に頼られる一因でもあるのだ。そんな男の臨終にふさわしい感動的なシーンだ。またチルトンに頼まれて歌うポリアンナの姿は、この物語最高の名場面のひとつにもなっているだろう。嗚咽を挟みながら本当に泣きそうに歌う声優さんの演技力にただ脱帽だ。え〜と、堀江さんってやっぱ我々の世代だとアニソン歌手のイメージが強いけど、声優さんとしてはおぼっちまん君が一番印象に残っていたりして。 |
今回の
「よかった」 |
2回あったが、2回目の「よかった」はそこまで暗い展開だったので唐突にポリアンナが笑顔で出てきて驚いた。今回1回目の「よかった」は名台詞欄参照と。 |
「よかった」の回数
2 |
感想 |
「死なないで父さん」(第2話)
「死なないでポリアンナ」(第26話)
「死なないでチルトン先生!」(今回)
…題して「死なないで」三部作。実際に死んじゃうのは真ん中以外、しかも死ぬキャラクターの声優が同じ。「世界名作劇場」で1作品中に二度死んだ人(正しくは二度臨終を演じた人)って他にいないんじゃないかな? この臨終シーン、名場面欄にも書いたが凄くいいシーン(アニメ的に)に仕上がっていると思う。原作を知らないからそう言えるのかも知れないけど。
チルトン臨終関係は名台詞欄や名場面欄で書き尽くしたので置いておいて、まさか葬式にデラやエームスも来るとは思わなかったな。でそこから話がカリウとジェミーに繋がって…そっか、チルトンはカリウを本物の甥に会わせるために死んだのか!
これで一つ謎が解けたわけだ、先に提示された「ジミーこそカリウの甥のジェミーである」という答えに向かってどのように話が展開してゆくのかという謎のひとつだ。それはこの先の展開にあたってはカリウがベルディングスビルへ来るか、ジミーがボストンへ行くかのどちらかが絶対不可欠になる。しかもどちらにせよ行った方はその地でしばらく留まるという展開が絶対不可欠なのだ。ジミーがボストンへ行って数週間を過ごすという展開はまず考えられない、だがカリウがベルディングスビルで同じ程度過ごすという展開も平時なら難しいだろう。そこに鉄郎とメーテルパレーとカリウが意気投合したという設定を置き、ジェミーが自分を幸せにしてくれたとポリアンナに感謝の念を抱いている設定を入れる。その上でチルトンの死を挟み込むと、カリウはパレーを気遣い、ジェミーはポリアンナを気遣って「しばらくご一緒に」と考えてもおかしくなくなってくるわけだ。確かにチルトンの死というきっかけがなかったら、ボストンのカリウとベルディングスビルのジミーをつなげる設定はまるで想像つかないな〜。
こうしていよいよ物語は大詰めを迎えるんだな。 |