前の話「ポルフィの長い旅」トップに戻る次の話

第31話「この街のどこかに」
名台詞 「あんたにも化粧してやろっか? ふふ、冗談だよ。今のあんたはさ、そのままで十分美しいからねぇ。でもあと何年かしたら、きっと見違えるようないい女になるだろうねぇ。見てみたいもんだ。」
(イザベラ)
名台詞度
 激しく同意。
 でもミーナが見違えるようないい女になるまでに、このアニメは最終回を迎えちゃうぜ。
名場面 ローマの街に振り返るミーナ 名場面度
 カルロス達がイカサマトランプでぼったくられた連中にリンチされたことで、イザベラ一座は慌てて店じまいしてバスに乗り込んでローマを後にする。そのバスの最後尾座席に陣取ったイザベラ一座、その中でミーナだけはローマの街を振り返るのだ。
 恐らく、ミーナはアポロに再会したことで兄が自分を探してローマの街にたどり着いていたことを知っていたのであろう。ところがカルロスの勢いでそれを言い出したくとも言い出せなかったに違いない。さらにミーナには兄と一緒に郷へ帰ってまともに暮らしてゆけるかどうかの不安、両親の思い出が詰まった場所であり、両親が死んだ場所でもある場所で生活することが出来るかどうかという疑問もあったかも知れない。とにかく兄が近くまで来ていたことを察しつつも、誰にも言えなかったことが判明するのがこのシーン(かホテルの窓から夜のローマの街を眺めているシーンのどちらか)と思って良いだろう。
 この時のミーナの思いは語られることはないが、恐らく再会したアポロや近くに来ていると察した兄のことを思い続けているに違いない。こうしてミーナも兄がいつか探しに来るであろう事を示して、物語は次の展開へ進むように出来ているのだ。
感想  終わった瞬間、こんな「あ〜あ…」とため息が出る展開はあるだろうか? ポルフィとミーナは紙一重のところまで近付いていたのに、こんな時期に最終回な訳はないからまぁ出会えないのは分かりきっていることなんだけど、終わると凄く切ない展開と思わざるを得ない。確か「母をたずねて三千里」でもこんなもどかしくて切ない展開はなかったはず。
 最初はポルフィがあのおばはんから貰った服を着て外出してしまうのかと思ったけど、意外なところで泥棒の嫌疑をかけられてしまうね。まぁこれでミーナに届かない条件が揃ったわけだ。ミーナのことを教えてくれた路上市場のオッサンがポルフィの素性とか聞いていれば、ミーナを引き留めてくれただろうけど…そういう展開になってもカルロスの態度を見りゃ無理か、いや案外「このガキの身内が見つかったならそれで良いじゃねぇか」とか言われてそこでイザベラ一座から捨てられた可能性もあったわけだが。それとポルフィがどう釈放されるかも焦点だったかも知れない。ポルフィが夜中まで閉じ込められたり警察に突き出されて釈放が遅れるのでは面白くない、そんなに時間がかからないうちに「何か」が起きてポルフィが釈放され、ミーナと一足違いの状況でなければ誰もこの回の話を見て切なくならないだろう、誰もポルフィに同情しないだろう。あのおばはん、そういう役割だったわけだ。
 こうして物語は後半の展開になるのだろう、ここまで見て分かったけど29話の総集編の前後で第二部と第三部で分けられるかも知れない。ここからは少し旅の様相も変わってくるのだろう、ポルフィの靴が壊れたり、足の指の爪がはがれたり、床の中で倒れたり、「ばあさま」というロバに乗って旅したり…(嘘)
 で、次はミーナ側の話なのね。しばらくポルフィ出ない? 「母をたずねて三千里」でマルコを無視して母の話なんかなかったよな〜、原作でも行方不明中のミーナの話なんて前々ないし。このミーナ側の物語が吉と出るか凶と出るかは今後のお楽しみ〜(放送時間…30分繰り上げ…間違えないように気をつけなきゃ)。

第32話「ミーナとイザベラ」
名台詞 「帰る?…帰る場所はここ、イザベラさんがいるから。」
(ミーナ)
名台詞度
 伯爵に引き取られると決まり、ハインツに「自分のホテルに帰ろう」と言われたときのミーナの台詞。ミーナはハインツの言葉で異変を感じ取り、そしてこの台詞でもってハインツと行くことを拒む。
 この台詞の裏にあるもの…それはミーナにとってイザベラ一座が「家」同然になっていると言うこと、それとミーナがとりあえず未来や将来というものを感じていないことの二点が挙げられる。前者はイザベラの献身的な世話と、ミーナを我が子同然に感じている想いの結果であり、今回の物語のテーマであろう。温泉場で自分を娘としたイザベラをミーナは全面的に信頼しているかどうかは別として、両親を失って茫然自失のミーナにとってはとりあえずの親代わりであり、家と認識するに至っているのである。
 もう一点も重要な点で、ポルフィが家や修理工場の再見を考え、その上でミーナを探しているのとは対照的にミーナはそこまで考える心の余裕が無いことが分かる。ミーナも将来のことを考えているのであればここで伯爵に引き取られる道を取っただろう。だが現在のミーナは自分で「考える」心そのものが失われており、流されるままになっているのである。その状況で「家」であり「現在の保護者」として認識しているイザベラと別れてはならないと感じただけなのであろう。
名場面 ミーナとイザベラ 名場面度
 名台詞シーンを受けて「お父様は君を引き取ったんだよ、これからはずっと僕と一緒だよ」と言ってミーナを外へ引っ張り出すハインツ、ミーナはささやかながらの抵抗をするがどうしても引っ張られる。その瞬間、思わずイザベラの方へ手を伸ばすと…イザベラも思わずミーナの手を引いていた。ミーナはそんなイザベラを見つめる、「ミーナ、僕を見てよ」とハインツが叫ぶが、ハインツを見るミーナの表情は寂しいもので、ハインツが掴んだ手はそのまま離されてしまう。ハインツから開放されたミーナはイザベラに抱きつく。ミーナを抱きしめながら「ミーナお願い、行かないで!」とイザベラが無く、「イザベラさん、泣いてるの? どうして…?」とさらに抱きしめるミーナ。
 これを見たカルロスは困り果て、ジャンゴが伯爵とイザベラの間に立って「イザベラは私の大事な娘、ミーナは大事な孫同然」と言う。カルロスは派手に驚くが、ここでミーナはイザベラ一座と旅を続けると改めて決まる。
 このシーンはミーナとイザベラの絆を克明に描いている。二人の相互依存関係は簡単には切れないこと、特に名台詞欄で書いたミーナの心の中身と、イザベラの「娘が生き返った」という想いとその娘とずっと一緒にいたいという気持ち。これらの想いが引き離されることが現実になったときににじみ出てきたと言うことなのだ。
 さて、このシーンを見た視聴者が感じることがある。もしポルフィとミーナが再会したとき、イザベラがどうなるのか? 特にもし前話でポルフィとミーナがちゃんと逢えていたらどんなシーンが展開されたのだろう? この妄想は面白いが、このシーンを見ている限り悲しい結果にしかならないように感じる。このシーンはポルフィとミーナが再会するにはもっと時間が必要であるということを暗に言っているようにも私は感じたのだ。
感想  ミーナサイドの話だ。主人公ポルフィを放ったらかしてイザベラとミーナ中心に物語が展開する。エンディングのスタッフロールからついにポルフィと担当声優の名が消えた。
 まず驚いたのは、物語の展開上やむを得なかったのか中間のCMがいつもより早い時間だったこと、後半の本筋がとても長く感じたのだが…これはどうでもいいや。序盤ではカルロスのイカサマがバレて大変な事になったり、そのイカサマがバレた理由はミーナが原因だったりでさんざんな目に遭う。移動遊園地の話が出てきたとき、ポルフィがカウロニアで出会った人たちが出てきてややこしいことになるかと期待したがそうはならず、金持ちが金でミーナを買おうとしていたのは驚いた。
 さて、今回の物語の中で一番現実的な判断をしたのは誰かというとやはりカルロスだろう。ミーナに辛く当たって憎まれ役を買って出ている状態だが、私はカルロスというのは決してミーナが嫌いであのような態度を取っているわけではないと感じている。前にも書いたが自分の娘ではないと一線を引いている上、不器用だからあのような態度に出ているだけだと踏んでいる。今回も表面上は「厄介払い」といっているものの、実はミーナの将来を考えた上でミーナの将来を伯爵に託そうとしただけなのかも知れない。あの男が本気になればイザベラに気付かないようにミーナを捨てることは可能なんだから。
 またジャンゴがミーナを可愛がっていることが分かったのは、この物語を見て行く上での救いになるだろうな〜。

第33話「傷だらけの少年たち」
名台詞 「覚えておけ。裏切りも絶望も、全部人間が作ったもんなんだ。」
(ジョルジュ)
名台詞度
 グイード一味のリーダーと勘違いされて危機一髪のポルフィ、袋小路に追い詰められて為す術もないポルフィを爆竹を使って助けたのは、グイードの仲間の中でずっとポルフィに冷たい態度をとり続けていたジョルジュだった。ジョルジュに助けられて村はずれまで逃げてきたジョルジュは、ポルフィにこう言うのだ。つまり裏切りというのは人間が作るものであり、自然や動物はその「厳しさ」を持ってはいるが決して人を裏切らないと言うこと。そしてどんな信用できると思える人間でも裏切りに対する警戒を捨ててはならないという教訓をポルフィに与えるのである。
 これに対し、ポルフィはなぜ自分を助けたのかを聞く、しかしジョルジュはこれに絶対答えないのだ。なぜなら答えれば自分はポルフィを助けたのでなく、グイードと仲間を裏切ったと認めてしまうことになるのだ。この時、ジョルジュが言った「早く行け、あいつらが来る。」のあいつらとは、グイード一味のことなのか、グイード一味の被害者のことなのかはよく分からない。とにかくしつこく自分を助けた理由を聞くポルフィに、ジョルジュは「行け!」と怒鳴る。ポルフィはグイードから貰った上着をさんざん踏みつけた後、無言でその場を去る。
 どうでもいいが、ポルフィはあのいつもの上着の上にグイードに貰った紫の上着を着ていたのかなぁ? 「究極超人あ〜る」の「これを脱ぐとこうなる!」を思い出したよ(分からない方はスルーして下さい)。
名場面 グイードがポルフィに上着を譲る 名場面度
 ちょっと待った! これは裏切られるぞ! と私は叫んでしまった。あんな派手な上着を譲るなんて、犯罪の臭いがプンプン漂っているようにしか見えない、さらにポルフィがグイードに協力するという話を知らない仲間達がこれを見ておかしいと思わず、上着を譲るのを黙ってみているなんて…絶対にあり得ない。おかしいと誰もが感じるだろう。かつての「志村〜、うしろ〜」じゃないけど、テレビに向かって「ポルフィ〜、逃げろ〜」と言いたくなったぞ。
 グイードの裏切りや謀略が分かると共に、イザベラの占いがこの件のことを言っていたことも判明する。あまりの「つくり」の細かさと大らかさに驚く瞬間でもある。またジョルジュの冷たい態度や、このシーンで睨んでいる相手が実はポルフィで無いこともここでハッキリするのだ。
 しかし、ジョルジュはなんでグイード一味の仲間に加わっているのだろう? グイードに弱みでも握られているんだろうなぁ…。
感想  最後まで見終えた瞬間、「そういうことか〜!」と叫んでしまった。つまり第30話だったかでポルフィがイザベラに占って貰ったときの「裏切りがある」という忠告は今回の話の伏線だった訳だ。てっきりポルフィがローマの市街地を出る前にこの伏線は回収されると思っていたのに、それがなくて「?」だったんだよね、前々話では。あのおばはんの行為が「裏切り」というにはちょっと物足りなかったし。
 でも逆に、今回の一話がイザベラの伏線回収のためだけに設定されたようにも見える。
 しかし、グイードって役は特別ゲストの声優まで使っているから悪い奴ではないと思ったんだけど…紫色の特徴のある上着をポルフィに譲ったときにこりゃ裏切りだなと直感できる仕上げなのは逆に良かったと思う。冒頭、道ばたで自動車が故障して困っていたおじさんの存在や台詞も上手に伏線として活かしている。また裏切りがハッキリしたところでこれまでポルフィに冷たく当たっているように見えたジョルジュこそが、ポルフィを助けようとしていたんだとハッキリ分かるという展開も嫌いではない。視聴者がそう思った瞬間にポルフィを助けに来るという「間」はむしろ好きだ。しかしジョルジュは、夜中に用を足しに行ったポルフィを殴りつけたとき、「明日ここを出て行け」じゃなくて「今すぐここを出て行け」と言っていればポルフィがあそこまでのピンチに陥ることはなかったと思うぞ…。
 しかし、今回はイタリアのどの何処の話なんだ? 取りあえずローマ近郊の村としておくか。

第34話「天使へのプレゼント」
名台詞 「なぁ、アポロ。プレゼントって、みんなが嬉しい物のはずだよね? そうだよね?」
(ポルフィ)
名台詞度
 城郭都市での現実を見たポルフィがアポロに向かって呟く。プレゼントと言うのは受け取って嬉しい、受け取って楽しいものであるはずなのに、あの城郭都市では別れの言い訳となってしまっている現実を見せつけられたのだろう。「別れの言い訳」については感想欄に回すが。
 しかし、今回は「名台詞」も「名場面」も選び出すのが難しかった。第29話のような明かな総集編であれば無理には選び出さないのだが。
名場面 ポルフィが街を出る 名場面度
 長くは書かない。アントニオ一家が住み、「天使へのプレゼント」という不気味な風習がある街の正体が分かる瞬間だ。まさか街を探検中に出てきたあの扉が「外界」に通ずる唯一の扉だったとは…街の正体は四方を城壁に囲まれた城郭都市だった。扉の向こうに消えるアントニオ一家、それとともに「別世界」に紛れ込んでいたポルフィが現実世界に帰ってきたようにも感じるシーンだった。
感想  アンジェラおばあちゃんは…1.最初から実在しない 2.既に死んで天使にプレゼントされずに遺体だけが部屋にある 3.本当に重病で部屋で寝ている…さあどれだろう? やっぱ2だな。たぶん急死してしまったに違いない。天使にプレゼントされる前に絶命しては、あの伝説はアウトなのだろう。
 とにかく謎の多い話だ。その分視聴者の想像力が試される回であると言っても過言ではないだろう。多分あの城郭都市では死んでしまったもの、壊れて役に立たなくなったもの、もう役に立たない家畜などはあの井戸に捨てられるのであろう。そして人々は罪悪感を消すためか、はたまた墓などを作れない城郭都市で生きる術として、不要な物を置いておけない城郭都市の中で生きるために伝説化したものなのか、とにかくその行為を「天使へのプレゼント」と称しているのであろう。
 外界と遮断されている街の怖さというか、そういう冷たい物をこの町のシーンから感じる話だが、何か物足りないような気もする。なんか話そのものが「だからどうした」となってしまっているようにも感じる。今後の伏線になりそうな物も無いし、前回以前の伏線を回収しているわけではないし。
 しかしこの回、一度しか画面に出てこない通りすがりの人にまで名前が付いているんだな。変なところで感心した。
 今回も舞台が何処なのかは不明のまま、とりあえずローマ近郊の城郭都市と言うことにしておこう。

第35話「信じるこころ」
名台詞 「正しい者にも、正しくない者にも、等しく雨は降る。」
(ジュリアーニ)
名台詞度
 シャアキター!!!!!
 じゃなくて、ポルフィがこんな夜に雨の中を歩いていた理由を聞いたジュリアーニが自己紹介をする前に呟くように言う台詞だ。宿に泊めてもらえず離れたところへある修道院へと放り出されたポルフィも確かに悲惨だが、ここでジュリアーニは宿の側にもどうしてもポルフィを止められない「事情」があったのではないかと考えたのかも知れない。だってポルフィの話だけでは宿屋の人がどんな表情だったのか、どんな宿だったのか、それらが何も見えてこないのだ。だからむやみにポルフィに同情するのでなく、ポルフィを傷つけないようにこのような台詞で現実を訴えたのかも知れない。
 その選んだ言葉が格好良すぎ、さすが赤い彗星だ。あのサイドカーは彼の専用で通常の三倍のスピードで走るに違いない、うんうん(←アホ)。
名場面 ラストのポルフィとジュリアーニの会話 名場面度
 修道院長に懺悔をして祈るように言われたポルフィだが、今は神も自分も信じられなくなっているポルフィはそれを断って外に飛び出る。そしてジュリアーニに自分の疑問と怒りをぶつける、なぜ自分に試練が与えられたのかと。
 これにジュリアーニは静かに答える。「世の中が理不尽で残酷なのは当たり前なんだよ」と。そして「君の気持ちはわかる」とするのだ。無論何も信じられないポルフィは「ジュリアーニさんに僕の気持ちなんか…」と答える、「何でも神様の考えだと誤魔化すくせに!」と添えて。
 こう答えられるのを待っていたかのようにジュリアーニはポルフィが唯一信じている物が存在することを指摘する。それは色んな人から聞いたミーナの目撃情報だ、これをたどってポルフィはここまで旅をしてきたのだ。ジュリアーニはこれと同じように、自分はキリストが神の言葉を聞いたと信じているから神を信じていると語る。
 つまりジュリアーニが神を信じるようにポルフィも妹が元気でいることを信じているが、ジュリアーニは神を見たことがないしポルフィもあの日以来妹を見たことがない。なのにそれを信じているという点で同じなのだ。確かに大人の我々が見れば少し考えれば理解できることだが、少年であるポルフィには難しい論理だろう。ジュリアーニもそこまで見抜いており、妹を信じることを失わずに旅をする姿に自分の理想を重ねた上で、時間があるからいつかきっと分かる日が来ると言い聞かせるのだ。
 ラストの修道院の鐘楼台で佇むポルフィを見て、ポルフィが「信じる」という事を考え始めたこともこれまた事実だろう。だがこの回ではポルフィが神に対し心を開くに至っていない。だからまだ素直に神に祈ることも懺悔をすることも出来ない。これには時間だけでなく、何らかのきっかけが必要であることは25年も前にアンネットが教えてくれたっけ。
感想  今回のテーマは「信じる」という気持ちだ。これほどサブタイトル通りの展開はあっただろうか。そしてストーリー的には「わたしのアンネット」で20話くらいかけてやった内容を、簡潔にしかも殺伐とさせることもなく上手くまとめた点だ。いや、アンネットで20話もかかったのはアンネットが神に対して心を開くまでに至った点を細かく再現したからであり、今回の論理を伝える回そのものは1話か2話程度なのだが。無論、ポルフィはまだそこまでは行っていないが、これが神に対して心を開く最初の転換点になってきそうだ。アニメの「ポルフィの長い旅」はそのような宗教的な展開を取り入れることになって行くのか?
 だがこれは日本人には分かりにくい話でもある。日本的な考えならば何でもかんでも神様になってしまうから、「神の心を開く」なんて心理そのものが古くから培われていないかも知れない。日本人にあるのは「御利益」と「罰が当たる」という論理が中心だから…つまり「お天道様は全てお見通し」という論だ。そんな文化のところにこんな展開で果たして大丈夫かなぁ?(私は嫌いじゃないけど) アンネットなんか本放送時は明らかにコケてたし(内容はよかったけど)。
 しかし、今回の冒頭の展開はものすごい雷雨だったのね。本放送時、わが家ではポルフィが体験した以上の猛烈な雷雨だったわけで…当サイトにも書きましたが、この回はあまりの降雨量の多さで衛星電波が受信できず視聴できませんでした。従ってこの考察は次の土曜日にやった再放送を見て書きました。

第36話「仮面の素顔」
名台詞 「約束する、絶対嫌いになんかならない。君がどんな顔をしていたって、ずっと友達だよ。だって友達って、心でなるもんだろ?」
(ポルフィ)
名台詞度
 この台詞を聞かせたい人間を何人か思い付いた私は、友達には恵まれなかったって事だろうか?
 そう「友達」付き合いの原点をこの台詞に見た。心と心が通じ合うから友なのであって、それ以外の利害が先に立ったらもう友としてつきあえなくなる。そんな風に縁が切れた人間が何人も心当たりがあるし、心が通じていたようでも実はそうでなかった友のようで友でなかった人間の顔もいくつも出てきた。かつて自分がサークルでやろうとしていたことがこれだった筈なのに、いつしかそうでなくなっていた事も思い出し、自己嫌悪に陥った。
 今回の登場人物である少女マリッサも、火災で全てを失い、自分の顔が傷ついたときに同じような想いを嫌と言うほど味わったに違いない。これに対しこの台詞が純粋に出てくるポルフィってまだ世間の厳しさを知らないのか、逆にこの旅で知りすぎてしまったのか?
 いずれにしろ、私にとって「ポルフィの長い旅」で1・2を争う名台詞になると思う。
(次点)「ここどこなんだろう?」(ポルフィ)
…私もそれが知りたい。ポルフィよ、君は今どこを旅しているんだ?
名場面 マリッサが仮面を外す 名場面度
 名台詞シーンを受けて、マリッサは自分の顔を隠すための仮面を外す。前回の論理で言えばマリッサはポルフィを信じ、ポルフィに心を開いたというところだろう。仮面を外したマリッサの顔にあったものは、美しい顔の左半分を覆うケロイド状の火傷の跡だった。
 その顔を見て火傷の跡をなでながら「こんにちは、マリッサ…すごく美人なんだね」と声を掛けるポルフィ、「まだ友達…?」と恐る恐る聞くマリッサ。なんか友達同士というよりそれ以上の物を感じてしまうシーンだぞ、こりゃ。「当たり前じゃないか、美人で勇気がある友達が出来て嬉しいよ。」…このポルフィの台詞が憎い演出だ、ポルフィが解説するまでもなく見にくいと思っていた顔を見せる勇気というのは凄い物だ。そしてそれを乗り越えれば…マリッサは顔に傷が付いた心の傷から立ち直れるのだ。
 「まだサンドラはどこかにいる?」と問うポルフィに首を振るマリッサのやり取りがこれまた良い。マリッサの心の傷、火事の時に両親を失った傷、これらから立ち上がったこのシーンは、ここまで続いた殺伐とした展開を一気に晴れ上がらせるだけの効果があるのだ。
感想  「♪雑草という名の草はない 雑草故の悲しさばかり〜」って歌を思い出した。さだまさしの凄くマイナーな曲。そこらのさだまさしファンじゃ知らないと思われるほどのマイナーな曲、アルバムやシングル未収録って程の曲だから聴かせろと言われたら難しいです、ハイ。
 街の物売りにサンドラの話をして知らないと言われたときに、サンドラがマリッサによる自作自演だと想像は付いた。しかし今回のポルフィは神がかり的、このような物語を展開できるなら前回のジュリアーニの話なんか簡単に理解できそうなものだけどな〜というツッコミは無しですな。今回の展開は名台詞欄の前半に書いたとおりの想いが頭の中を交錯して、感想はその点で一杯だったりする。
 で、マリッサの声をやっていたのは南ちゃんだったのね。私に言わせるとこの人は劇場用アニメのイメージが強くて、さつきちゃんとかヤーダ姫とか…。

第37話「ふたりで見る景色」
名台詞 「うん、旅の友が欲しかったのかも知れないね。」
(神父)
名台詞度
 大きな犬につきまとわれて困るポルフィ、彼が教会の前で犬にパンをやっていると教会の神父に声を掛けられる。そこでポルフィが「どうして僕についてくるんだろう?」という素朴な疑問を発すると、その返答として神父がこう言う。
 この台詞はこの犬が何かを求めて旅している事を暗示し、次の重大なシーンへと視聴者を誘うように出来ている。次のシーンとはそう、ネロとパトラッシュが登場するシーンだ。その神父がローマで手に入れたという絵画へと話を繋ぐ台詞でもあるのだ。
 この犬が何を求めて旅をしていたのかはこのシーンでは分からないが、神父には犬が何かを探していると言うことには気付いたようだ。そして神父の言う「老齢だ」という事実、あの絵画の事を思えば勘の鋭い方ならこの犬が死に場所を求めて彷徨っている事と、その死に様を見てくれる人を探していた事が予測できるだろう。私はそこまで思い付かなかったが。
 いずれにしろ結果的にはこの犬が「旅の友」を求めていたのは確かで、最後まで見るとこの台詞を思い出して「なるほど」と思うのだ。
名場面 犬の死 名場面度
 リュックをくわえて立ち去った犬を追いかけることによって、ポルフィが連れて行かされた場所。湖の畔の高台、古い街を背景に掛かる虹がとてもきれいに見える場所だった。ポルフィも犬もアポロも時間を忘れてこの風景を眺めてしまう。
 そしてどのくらい経ったのだろう、ポルフィが荷物を持ち上げて「そろそろ行くよ」と立ち上がるが犬は起きる気配がない。驚いて犬の名を呼び身体をゆすると…犬はもう冷たくなっていたのだ。しばらく犬の亡骸を見つめるポルフィ、この亡骸を見つめるシーンに時間を掛けている点が、ポルフィの驚きと悲しみを表現する「間」となっていて秀逸である。
 そしてポルフィは犬のために墓を作る。墓を作るためのスコップがどこから出てきて何処へ消えたかなんてこの際考えてはいけない。墓を作り終えると「行こう、アポロ」と言ってポルフィはその場を去る。最後に肩の上のアポロが振り返ると、残された犬の墓の景色となる。
 思いがけずに老犬の臨終に付き合わされたポルフィだが、先ほどの神父の言葉、虹は天国を意味するという言葉を思い出してこの犬は最後に見るべき風景と、最後を共にする人を探していたのだと悟ったのであろう。そしてあらゆる手段を使ってポルフィをこの丘の上に誘い出し、一緒に美しい虹の光景を見ながら生を終えた老犬を見て、ポルフィが何を思ったかは分からない。だが見ている私は自分の「死に様」がどうあるべきなのかを考えてしまった。これは深いテーマだぞ。
感想  あの犬は誰がどう見てもパトラッシュですね。いや、ヨーゼフにも似てるぞ…ったく、ゲスト声優無しの回だと思ったら、こんなゲストキャラが出てくるなんて。犬にはベルナルドって名前が付いているけど、書くのが面倒なのでこの欄では「犬」とさせていただいた。他に犬が出てこないから問題あるまい。
 しかし今回の印象は「人が出てこない物語だな…」だった。登場「人」物はポルフィ、牛乳を運んでるおじさん、パン売りのおばさん、神父の4人だけ。他は通りすがりすら出てこない。スタッフロールも「ポルフィ」「おじさん」「おばさん」「神父」だけしか出てこないもんね。しかもポルフィ以外の人物はみんなほんの数分しか出てこないのだから…ほぼ全編がポルフィの一人舞台だったわけだ。
 今回のテーマは「死に様」だったように思う。これまでは妹を捜して旅をするポルフィの生き様、そのポルフィと出会った人々の生き様を描いており、「死に様」というのは描かれていなかったと思う。ポルフィの両親については、その死自体が「死に様」を描けるようなものでなかった。死期を感じ取り、それを受け入れ、自らの意志で死に様を選んだあの犬は、この物語に於いてしっかりと「死」というものを残すために出てきたのだろう。
 「ふたりで見る景色」のふたりというのは、犬が死に様を見て貰う人物として選んだポルフィとその犬のことだろう。

第38話「風に散る」
名台詞 「あれはミーナの宝物なんだよ。それをあんた!」
(イザベラ)
名台詞度
 もうちょっと言い方考えろよ、とも思ってしまう。たとえば「親の形見」と言った方がカルロスも理解したんじゃないか? こういう言われ方されたら私もカルロスみたいな反応をしてしまいそうだ。
 正直、今回は印象に残る台詞が無かった(場面はたくさんあったけど)のでツッコミ入れたくなる台詞をここに挙げた。
名場面 母の形見の時計発見 名場面度
 蚤の市の古着屋で店番のアルバイトをしていたポルフィだが、その時に向かい側の骨董時計屋で母の形見の時計を見つける。「どうして…こんなところに…」という疑問、そして間違いなくこの町にミーナがやって来たという確信、これがポルフィの心の中にあふれ出す課程が秀逸に描かれているのだが…。
 商売の邪魔になることも、さらに自分の仕事が疎かになっていることを忘れ、ポルフィは店主にこの時計を売った人物について問い合わせる。ポルフィも事情を説明すればいいものの、それをせずに直情的に時計を持ち込んだ人物の事を聞き出そうとしたためについに店主の怒りを買ってしまい、ミーナを探すための唯一の手がかりとなる写真を破かれてしまう。この時の描かれ方、特にポルフィの表情とミーナのところで破かれた破片が地に舞う情景は、ポルフィの「全てを失ってしまった」感がよく表現できていると思う。
 しかし、あそこまでやられたならポルフィには殴り返すとかして欲しかったけど、今はそういうアニメは作れないんだから仕方がない。店主とポルフィが取っ組み合いの喧嘩になるのが昔のアニメの定番だろうに…でポルフィは警察が来たら「この人、盗品を売ってるんだ」とかでっち上げりゃいいんだから。騒ぎを大きくすりゃカルロスだって出てこざるを得なくなるし、そうすりゃミーナにも…これは考え過ぎか。
 いずれにしろ、手の届かない母の形見、破られてしまった最後の写真。これらをまのあたりにしたポルフィの喪失感が見事に表現されている。
感想  「風に散る」というサブタイトルからして、ポルフィかミーナのどちらかが形見を失う物語であると覚悟して視聴することは出来たが、まさか二人とも旅を続けるにあたって大事な物を失うとは。ミーナは母の形見の懐中時計を失い、ポルフィはミーナの手がかりである写真を失う。この時点ではどちらも当人にとっては生命の次に大事な物であるはずで、ミーナは心の支えを、ポルフィは妹を捜すための重要な鍵を失うのだ。
 しかし今回はカルロスが徹底的な悪役として描かれてしまっているが、悪役度では骨董時計屋の店主の方が上だと思う。これはポルフィの説明不足もあるんだけど、見ず知らずの人が持つ写真を破るなど非常識にも程があるってもんだ。さらに当時は写真なんて現在と比較にならないほど貴重だったはずで、それを破るというのは現在でいうとどの程度の罪なのか説明できないほどの物であるはずだ。カルロスの泥棒行為については、カルロスがこの懐中時計がミーナにとって母の形見であることを知っていたかどうかで罪の重さは変わると思う。どっちにしても許される行為ではないが、母の形見と知ってあれをやったならイザベラの怒りがあの程度で済むわけはない。つまりミーナはあの時計の意味についてイザベラ一座に話をしていなかったと考えられる。
研究 ・ポルフィの現在位置
 いよいよ物語は終盤へと移行していくところであるが、ローマを出て以降ポルフィの現在位置が明らかにされてこなかった。ポルフィがずっと徒歩で旅行していると考えられることから、ここでは「ローマ近郊を旅行中」という解釈でいたが、今回はポルフィの現在位置について手がかりとなる情報が設定や画面に数多く出てくる。これを基本にポルフィとミーナが38話を演じた現在地点を割り出してみよう。
 まずは蚤の市が派手に開かれていることであるが、これはイタリア中で見られることのようなので手がかりとして使えないだろう。次にフランスとの国境が近いという点、特に物語の終盤で国境が北にあると言うことがハッキリする。画面描写を見る限り結構大きな街で、規模は州都クラス以上と思われるだろう。このような街でフランスとの国境の南に位置する街は、2006年冬季五輪が開かれたトリノから北へ80キロの地点にあるアオスタ(Aosta)という街だ。基本的にイタリア−フランス国境は南北に走っており、これが90度カーブして東西方向になるのはほんの僅かの場所なのだ。この国境線が東西に向き直った南側に唯一存在するまとまった街が、このアオスタなのだ。
 今回の話はここでの出来事だろう、よかったよかった…と安堵したのだが、もう一度物語を思い直すとこの街では無いことがすぐ判明してしまう。
 それは物語中盤に出てくる競馬場の存在だ。フランス国境に近い場所で競馬場がある街を調べたら、ミラノくらいしかないのだ。画面に出てきた競馬場は大変賑わっており、設備も立派でとても50年以上前の地方競馬レベルには見えない。つまりここで出てきた競馬場はミラノにあるサンシロ競馬場と考えられる。
 では今回の舞台はミラノなのか?と言われるとこれも断定できないのも事実である。確かにミラノの北には国境線はあるが、この国境線を越えるとたどり着く国はフランスではなくスイスである。これではポルフィがハイジやアンネットに出会うことになってしまう、これはいかん。
 フランス国境の南側であるアオスタが舞台であり、競馬場シーンではカルロス達がミラノまで出向いたという解釈も考えられるが、ミラノからアオスタまで直線距離で140キロあることを考えるとこれは無理があるだろう。また競馬場については架空のものであるという解釈は可能だが、すると国境線の向きについても考え直す必要がでてくるため、アオスタであると断定も出来なくなってくる。
 ポルフィの現在位置はかなり絞れたが、断定するのはフランスに入って最初にいる場所が何処になるかで決まりそうだ。

・参考データ
ローマ〜ミラノ 約530キロ
ローマ〜アオスタ 約700キロ 

第39話「君へと続く道」
名台詞 「行こう、ミーナが待っている。」
(ポルフィ)
名台詞度
 オリーブを見ていただけで泥棒と勘違いされ(当然と言えば当然だが…)、必死に逃げてきたポルフィ。故郷の村の人々の暖かさ、そして目の前から消えた家族を思い出して跪いてついに泣き出す。しかし、しばし泣くと決意も新たに立ち上がり、この台詞を吐く。
 どんな旅にしろ、人生にしろ「目標」があるというのは大事なことだ。目標があるから悲しくてもそれに向かって突き進んでいけると言うことをこのシーンでポルフィが体現したように見える。ポルフィの旅路、視線の向こうに必ずあるのはミーナの姿なのだ。それに向かってただ前進あるのみだ。
名場面 森の中を歩くシーン 名場面度
 ポルフィは国境線があるはずの北を目指して旅を続けるが、街道はじきに暗い森へと入って行く。森に入るとポルフィの心細さはより強くなり、ちょっとした物音にも敏感になる。物音に驚いてウサギと知ってホッとするが、その後何があってもいいように木の枝を振り回しつつ「もうなんにも驚かないぞ」と強がりながら歩くのが年相応の行動であり、見ていてちょっとしたリアリティを感じてしまう。
 さらに森の中で空腹感を感じたポルフィはキノコを見つけるが、このキノコに対してすら疑心を抱いて臭いを嗅いだだけで採るのをやめる。ま、あれはどう見ても「どくいりきけん、たべたら死ぬで」のキノコだから、その判断は正解な訳だ。そして鹿が歩き去る物音に驚き、森の出口が見えると一気に駆け出す。ポルフィのささやかな恐怖感が見られていい。旅の怖さがよく分かるシーンでもある。
 しかしウサギが出てきて走り去ったとき、脳内にその後ろを「待て〜」と追いかけるルーシーメイとケイトの姿が再生されてしまった私は相当重傷ですね。
感想  挿入歌キター!!!!! 「シミトラへの想い」(オープニングテーマのCW曲)は何処で使われるのだろうと、3月からずっとワクテカしながら待ったいたらここで来た。この曲、好きなのよ。やっと劇中に出てきてホッとしたが、1番の途中で突然2番に変わるのはちょっと…。
 まぁ、一部を除いてポルフィがただひたすら歩くだけの話。ポルフィの孤独が表現されていて好きだ、途中で思わず女(売春婦?)に声を掛けてしまう辺り、マジで語り合ってしまう辺り完全な孤独なひとり旅モードだ。ひとり旅で孤独を感じると強烈に誰かと話をしたくなるんだよね。そんな旅が上手に再現できていると思う。
 しかし、アポロよ。ポルフィへの食べ物のプレゼントにあんなグロいものを持ってくるこたぁないだろう…。
研究 ・ポルフィのフランス入国
 今回もポルフィの現在位置を考えたい。実は前回の話をもう一度見直した秋分の日に、次回予告を見て驚いた。この39話でポルフィが旅しているところを「トスカーナの丘」としたのである。トスカーナ地方はローマのすぐ北、いくらなんでもそりゃねーだろうと思って今回の話を「場所」という観点でじっくり見てみた。だがやはり手がかりとなる描写は今回はない。
 ただ、今回の話を見て前回の舞台から国境までは多少の距離があることだけは分かった。前回の話の舞台は「競馬場」の存在を架空にしてトリノかアオスタで間違いないと思われる。トリノだとすればフランス国境へ行くためにとりあえずアオスタを目指すために北へ向かうとの解釈も可能だ。
 いずれにしてもポルフィの現在位置がハッキリするのは、フランス入国を待たねばならないだろう。
 ちなみにポルフィのフランス入国であるが、当然パスポートなどないだろうから不法入国のかたちを取ることになるだろう。となるとどうやってイタリアに入国できたんだという話が問題になるが、その件はここでは忘れておこう。
 原作ポルフィは、イタリアには大地震被害の難民という形で入国している。イタリアで大地震被災者の里親になることを申し出た家族の元にミーナと共に引き取られ、難民列車で入国するのだ。この里親の家での生活になじめなかったミーナが家出をする形で消息不明になり、そんなミーナが心配となったポルフィは家を抜け出し、すぐにパリ行きのトラックの荷台に忍び込んでフランスへの入国を果たす。原作ポルフィはイタリアを「旅」していないのだ。
 次回予告を見るとポルフィがトラックの荷台に乗っていると思われるシーンがある。アニメのポルフィもトラックの荷台に忍び込んでイタリア・フランス国境を越えるというチャンネルを採用するようだ。詳細は次回のお楽しみとなるが、この越境方法と峠の名前が分かればポルフィの現在位置はハッキリするはずだ。次回と次々回に期待したい。

第40話「国境を目指して」
名台詞 「馬鹿野郎! 馬鹿だ、お前なんか! 何でそんなこと言うんだよ!? 自分の家があるじゃないか! 父さんも母さんもいるじゃないか! お前なんか大馬鹿野郎だ!」
(ポルフィ)
名台詞度
 世の中に対して甘い夢しか持っていない上、家族や家のことをバカにする発言を繰り返すミケーネに対し、遂にポルフィがキレる。家も両親も全て失ったポルフィから見れば、その家や両親を小馬鹿にする発言は許せないのも当然だし、また旅を通じて少しは世間の厳しさを知ったポルフィは甘ちゃんのミケーネが許せなかったのもあるだろう。ポルフィはついにキレ、ミケーネにこのような罵声を浴びせて彼の家からつかつかと立ち去る。
 ミケーネはなんでポルフィがキレたか理解できないだろう、いやポルフィも結局は母と同じように自分にとって都合の悪い考えしか持てない人間なんだと理解して終わりだろう。この男の末路はなんとなく想像がつく、友人もなく、コンテストに絵を出すこともなく、夢の通りパリへ行って修行することもなく、アトリエと称する離れに引きこもっていつまでも甘い夢を見続けるのだろう。
 ミケーネがあんなんになってしまったのは、父がちゃんと息子と向き合わなかっただろうな…。
名場面 フランス入国 名場面度
 国境近くの街道で物売りをするフランス人を見つけたポルフィは、フランスへ行くためにある作戦を思いつく。それは物売りの男のトラックを何とか止め、荷台に忍び込んで国境を越えようというのだ。そう、ポルフィには国境まで歩くのが大変という物理的な問題の他に、いかにして国境の検問を越えるかという難題がのし掛かっていたはずだ(どうやってイタリアに入国したかという問題はこの際忘れよう)。そろそろそれに頭の良い視聴者は気付くはずで、このような形で答えが出る。
 ポルフィは倒木を見つけてこれで道路を塞ぐ、そうすれば男の車は必ず停止して男は倒木をどかすために外に出るはずなのだ。その予測通りの行動を男が取った隙に、ポルフィは遂にトラックの荷台に潜り込むことに成功するのだ。
 そして国境の検問では男の荷物が怪しまれ、ポルフィが隠れている荷物にも刀を突き立てられる。すんでのところでポルフィには当たらなかったが…。
 この国境越えはこれまでの旅の中で最大の緊迫シーンであろう。今までの問題は何とか避けることが可能だった問題ばかりだが、国境を越えるという今回の障壁だけはどうしても避けて通ることが出来ない難関だったのだ。これを乗り越えるこのシーンは「ポルフィの長い旅」の中でも最高の緊迫シーンとして記憶に残ることは間違いないだろう。
 そして無事に峠を越えたポルフィは、荷台からこっそりと降りたところをこの物売りに見つかる。久しぶりにひとつのエピソードを1話で完結させずに、次回へ繰り越した。いよいよ南フランス編に突入だ。
感想  実はポルフィがどうやって国境を越えるのかはずっと楽しみであった。この夏に原作本を読み、ポルフィがフランスまで行くと知った時からアニメでフランス国境越えをどう再現するかは楽しみであったのだ(原作を読んだ理由はアニメが原作と全く違う展開となると知ったからである)。どう考えたって少年のひとり旅で国境を越えるというのは無理がある(イタリア国境は忘れよう)、つまりここをどう再現するかはアニメ制作者側の力量が問われる部分でもあるわけだ。
 私としては次回を見ないことには結論は出せないが、今回の話を見ている限りはうまくまとめたのではないかと思う。アニメのこれまでの流れを活かしつつ、大地震以降は全く取り入れることの無かった原作からのエピソードを上手に改変しながら折り込み、原作の雰囲気を中心にしつつ新鮮な物語に仕上がったと思う。原作を知っている人でも楽しめる展開だ。
 原作を読んだ私としては、忍び込んだトラックの運転手に見つかるのか、それとも忍び込んだトラックが事故を起こすのかという問題があったが、今回は前者の展開を見た。ま、旅行はまだ続くのだから原作での時系列的に先に来る方が採用されるのはおかしくないだろう。
 さぁ、フランス編スタート。いよいよ物語は終盤にはいるが、どんな展開になってゆくのか楽しみである。
研究 ・久しぶりの原作踏襲展開
 いよいよポルフィはフランスに入国した。どの峠からフランスに入ったのかまだ分からないままだが、とりあえず南フランスから話が始まるようだ。ありゃ、原作ではいきなりパリに行ってたぞ。
 原作ポルフィはオランダの里親の元から家出し、行方不明のミーナを追ってフランスを目指すべく街道でヒッチハイクをする。ここでポルフィを見つけたトラックに乗せられて北を目指すが、ポルフィは家出と勘違いされる事を恐れて街道沿いに民家を見つけたところでそこが自分の家だと偽ってトラックを止めさせる。そして運転手に別れの挨拶をしてトラックを降りるのだが、トラックが発車するまでの間にこっそりと荷台に忍び込むのだ。荷台にはたくさんのジャガイモが積まれており、そのジャガイモの中に隠れて国境の検問もやり過ごす。ところがトラックが給油のために街道沿いのガソリンスタンドに停まると、ポルフィのガソリンスタンド店員になるという夢が表に出てきてしまい、ポルフィは給油の様子に見とれてしまう。そこでトラックの運転手に見つかり、「警察署に突き出してやる」という罵声と共にポルフィはトラックの助手席に放り込まれる。そして連れて行かされた先は…警察署でなく、パリの運転手の自宅だったという展開だ。運転手の家は、妻と5人の子供がいる貧しい家庭だった…(ちなみに原作では先にパリへ行き、その後に南フランスへ戻る展開となる)。
 どうやらアニメでもここから少なくとも次の話までは原作の展開をなぞりそうだ。実は原作の展開をなぞるのは14話以来の事である。そもそも「ポルフィの長い旅」が原作である「シミトラの孤児」の展開を踏襲したのは、序盤の釘ばらまき事件と大地震の時だけである。大地震の時ですら、ザイミスとの関係など大幅に設定が変えられているのである。
 原作を踏襲するのであれば、次話で出てくる物売りの男の奥さんの名はブリューノになるのだろうか? ただ原作では南フランスで出てくるのは別の家族なんだよな〜。

前の話「ポルフィの長い旅」トップに戻る次の話