前の話「ポルフィの長い旅」トップに戻る次の話

第21話「ドーラとの別れ」
名台詞 「列車の旅はとてもリズミカル、ガタンゴトンの音色に乗せて、窓の外には色とりどりの世界が広がります。緑の草原、輝く海、一面のひまわり畑、何処までも続く青い空。もしもこの空に果てがあるとするのなら、そこはきっと逢いたい人が待っている場所。次回、ポルフィの長い旅『線路はつづくよ』。」
(次回予告ナレーション)
名台詞度
 なんだ、この次回予告は?
 この旅情をかき立てる次回予告はなんなんだ? 特にこれを聞いた鉄道好きは黙ってられないぞ。だんだか旅行番組なのかフィクションの物語を扱うアニメなのか分からなくなってきたぞ。何処まで乗り物バカの私を引き込めば気が済むんだ?
 だいたいいきなり「列車の旅はリズミカル」と主張して、ジョイント音をリズムとした音楽にしてしまうこのナレーションは、私のような鉄道バカが聞いたら「うぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ! キターーーーーーーーー!」って感じになってしまうわ。そして窓の外に流れる景色の画面の描写も良いが、このナレーションの言葉や口調もこれまたいい。そしてその最後に「青い空」を置いて、うまく「ポルフィの長い旅」の主題に落とすこのナレーション、これを越える次回予告は「ポルフィの長い旅」では出てこないだろう。いや、あったらもう私がどう評価して良いかわからなくなる。とにかくこのナレーションには鉄道旅行の魅力が全部詰まっていて秀逸だ。おいJR、このナレーションは鉄道会社のキャッチコピーとしてそのまま使えるぞ!
 それに次回のサブタイトル「線路はつづくよ」からしてもう狙っているとしか思えない(何を?)、予告画面に可愛い女の子が出ていたけどそんなのはこの際どうでもいい(このキャラが歴代世界名作劇場声優陣の誰かなんだろうな…ギター弾いてたあんちゃんがアムロか?)。画面に出てくるセッテベロの描写が凄すぎる、次回の鉄道旅行を期待して、これは好きな人間は間違いなく引き込まれるぞ。いい加減終わらなくなってきた。
 ついに「次回予告」が名台詞入りか。
(次点)「なぁチロ、僕も最近まで気がつかなかったことがあるんだ。あのね、何処で暮らすのかなんてきっとそんなに大事な事じゃないんだよ。それよりも、誰と暮らすかなんだよ。(以下略)」(ポルフィ)
…余計なことは言わない、この一言凄く身にしみた。
名場面 玄関越しのポルフィとドーラの会話 名場面度
 ドーラにグラスを投げつけられて「出て行け!」と怒鳴られたポルフィは、一度は言われるままに出て行ったもののドーラから貰ったキャンディを見てまたドーラの家へ引き返す。そしてドーラの家の扉を叩き、「帰れ」と一喝されても「どうしても聞いて欲しいことがあるんだ」と言って扉越しに語り始める。
 ポルフィが語ったのは地震のこと、そこで突然に両親を失ったことによる本音である。ポルフィは上手く言えないが、とにかく自分とドーラの気持ちが同じであろう事をドーラに強調する。
 扉の向こうで死んだ息子のことを思い出そうとすると苦しいと告白するドーラ、それに対しポルフィが言った言葉は「苦しいなら忘れた方がいいかも知れない」「でも僕は忘れない」ということであった。扉の向こうからドーラの「忘れられるもんか」という声が飛んでくる。
 ドーラが「もう行くんだろ?」と聞くとポルフィは「お酒の呑み過ぎはよくない」とドーラに説く、するとドーラが最後のお願いをするのだ。もう一度母と呼んで欲しいと。ポルフィが「母さん」と呼ぶと扉が開き、中からドーラが出てくるが既にポルフィの姿は無かった。
 次にシーンではドーラは酒を全て地面に流してしまう。
 ドーラのポルフィに対する偏愛と錯覚、自分の家へ訪れた少年を死んだ自分の息子に重ね合わせて、出て行かないようにと荷物まで隠してしまうドーラの行動は、前回あれだけ不安を煽られたので謎が解ければ納得だが、その偏愛ぶりは思わず見ている我々もちょっと引いてしまうくらいだ。
 その姿を目の当たりにしたポルフィ。子供を失ったドーラと、両親を失ったポルフィは気持ちを共有することが出来るはずなのだが、それにはドーラの偏愛をなんとかしなきゃ救われない。ポルフィはそれが出来るのは自分ではないかと考えたのだろう。だから帰れと罵られつつもドーラに言葉をかけ、ドーラの心の扉を開くことに成功した。そのきっかけはやはり、「酒は良くない」と忠告した上で最後の最後にドーラの息子になりきって「母」と呼んだ事だろう。
 それを聞いたドーラもポルフィの言葉によって息子とは二度と会えないという傷を乗り越える。ポルフィはポルフィでしかない、そのポルフィが自分の息子を演じてくれたことに満足したのだと考えられる。その結果、息子をように思っていたポルフィの忠告を聞き入れて酒を断つのだ。
 このシーンからはそんな「家族を失った者」の哀しみが見えてくる。ここでポルフィが経験値を上げたのでなく、この旅に於いてはじめてポルフィが他人を諭したといったところだろう。
感想  子供を亡くした女性が家に転がり込んできた子を自分のこと錯覚する…あれ、なんかこんな話を最近レビューした記憶があるぞ。確か家に転がり込んできた記憶喪失の少女をエミリーって呼んでいた記憶が。そういえば酒を地面に流すシーンも最近レビューした記憶が、どっちも私が「世界名作劇場」で最高傑作だと思っている作品の話だ。
 先週があのような尻切れの終わり方だったから今回の話がドーラが悪人になったり、単純な構図でポルフィのリュックを隠しただけだったらこの物語への評価はがた落ちだっただろう。不安を煽るシーンを流しておいて核心は次回へ、というテレビ番組構成がここ15年で増えてしまってこのやり方はわざとらしいし安っぽくて好きじゃない。このような構成を取るなら核心を次回に回した前回までに想像も出来なかった展開を入れてくれない限り、視聴者に安っぽさを与えるだけで次の回で逆効果になるのだ。だから前回のような構成をとった次の回というのは評価の分かれ目となるし、視る側も心して視なければならない。
 私としてはこの前回からの展開は成功だと思う。「ドーラの死んだ息子」という要素を前回で全く出さなかった点が非常に大きい。たとえば前回でドーラが死んだ息子の名を呼ぶような展開が一度でもあったら、今回はこんなきれいにまとまらなかっただろう。ドーラがポルフィの荷物を隠した真の理由が今回に入ってすぐに簡単に分かるのでなく、かつ前回から予想できるつながりでない上に展開として自然でこの構成は成功したと見られるだろう。
 それよりこの町から追い出されるのが嫌なチロにももっとスポットを当てて欲しい話だと思った。私はこちらのストーリーの方が印象に残る台詞が多かった。それもこれも全部、あの恐ろしい次回予告が吹っ飛ばしてくれたけど…。

第22話「線路はつづくよ」
名台詞 「わかんないよ、そうなればいいって強く思えば願いはきっと叶うってお婆ちゃんが言ってた。」
(デイジー)
名台詞度
 デイジーのこと一言がポルフィとデイジーによるひとときの物語の終わりに彩りを添える。旅先での女の子との出会いと別れの切なさを盛り上げるようにデイジーがこの台詞を言うのだが、それはデイジーがポルフィにまた逢いたいと思ってて欲しいと暗示させる言葉だけでなく、この物語の本筋にも絡んでくる重要な台詞である。
 男なら旅先で知り合った女性との別れ際、こんな言葉を言われればもうメロメロだろう。住所も名前も知らない相手でも「また逢いたい」って心の底から思えるようになる。いや、そう思ってしまうそんな台詞だ。
 デイジーのこの台詞を聞いて、私も思い出した旅先での顔がいくつかあるからね。
名場面 デイジーとの別れ 名場面度
 ポルフィは惚れっぽい正確なのか、今度はアレッシアに続いてルーシーデイジーに対して淡い恋心を抱く。
 「また逢える…わけないか…」と顔を赤くして照れるポルフィに、名台詞の台詞を言う。それにポルフィは「じゃまた逢いたいってずっと思ってるよ」と答える、これはポルフィの本音だろう。「ミーナに逢えると良いね、ううん絶対に逢えるよ」と笑顔でデイジーが言うと汽笛が鳴る。そして列車がゆっくり動き出すとポルフィは窓に顔を付けてデイジーを見る、「バイバイ、ポルフィ」「デイジー、さようなら〜」…デイジーの姿が見えなくなると、デッキでポルフィは急にがっくしと来る。そして気が抜けたように座席に戻る。
 旅行好きの男なら、旅先で列車に乗り合わせた女性と仲良くなったときに経験がある光景だろう。なんか今までの楽しかったひとときが瞬間で消え失せたような…というか恋人になれそうな人が突然消えてしまった切なさというのを見事に表現しているのだ。
 私も若き日の旅先でこんな別れを経験したことがあるから、このシーンはじ〜んと来た。
感想  今回はもう、次回予告とサブタイトルだけで…

+   +
  ∧_∧  +
 (0゜・∀・)   ワクワクテカテカ
 (0゜∪ ∪ +        
 と__)__) +

…だった。で期待通りの鉄道旅行シーンが展開されていた。
 吠えた。冒頭の腕木式信号機転轍器標識の描き込みを見て吠えた(例によって勝手にリンクしています、苦情などがあり次第リンクを消します)。ポルフィが乗る列車がまたセッテベロなのは置いておいて、列車が出た後の駅員の指さし確認だけはわざとらしくていらなかったなぁ、あの光景は列車に乗っちゃったら見られないんだから。
 ま、本来はデイジーが出てきたところで「フローネキター!」と叫ばねばならないのだが、それは他のポルフィ感想サイトやブログに任せてしまう。後半のルシエン・ラビニアキター!のところも同じ。このサイトではひたすら我が道を行くぞ!
 列車はいつの間にかイオニア海に出る、マテーラからイオニア海の海岸まで一番近い鉄道路線で71キロ、たっぷり1時間はかかったはずだが時間が随分短くなっているのは追求しない。列車がトンネルに入ってポルフィが驚いたときはドリフのコントを思い出した。
 列車は乗換駅へ、デイジーの言葉遣いがわざわざ萌え単語を選んでいるのなんかどうでも良い。私に言わせれば終着駅に着いた列車内の静けさ、止まっているセッテベロが醸し出す終着駅の雰囲気に萌えていたんだから。またデイジーとの食事中に通過する貨物列車、ちゃんと音源が貨物列車の通過音になっている辺りが芸が細かいと言わざるを得ない。
 乗り換えた列車は客車列車だ、やっとセッテベロ以外の車両が出てきた喜んだのは私だけだろう。出てきたのはイタリア国鉄E424形電気機関車(このサイトの3番目に詳細あり、ただし劇中に出てくる物と色違い)、客車はTipo'1959と呼ばれるものと推測される(このサイトの一番下に説明あり、どちらも問題があったらリンク解除します)。車内でのポルフィ・デイジー・マクシミリアンの3人によるトランプはいい。見知らぬ人同士でこういう事で盛り上がれるのは鉄道旅行の醍醐味であり、また彼らが若い証拠でもあろう。そして車窓風景をきっかけにした会話、気になる下車駅までの残り時間、それぞれの旅の目的…。
 今回ポルフィが乗った鉄道路線はこの地図の通り、乗車駅は前回までの流れでマテーラ(「1」地点)である事は間違いなく、下車駅はカウロニアの最寄り駅であるカウロニアマリーナ駅(「4」地点)と考えられる(カウロニアの町へはここから車で内陸へ5キロほどの場所)。乗車距離は約380キロ。セッテベロから客車列車に乗り換えた駅は「2」地点と推定、根拠はここが内陸経由の路線と海岸経由の路線の分岐駅となっているから折り返し列車が多いであろう事が推測されるためである。デイジーが降りたのは「3」地点、デイジーが下車する直前にマクシミリアンが「あと1時間」と呟くが、これは下車駅のカウロニアマリーナ駅まであと1時間という意味だろう、だから下車駅から50キロほど手前の駅がデイジーの下車駅と推測される。あれ? ポルフィは北を目指すつもりだったのに思い切り南へ行ってないか?
 しかし、ポルフィのひまわり畑での夢のシーン、振り返ったミーナがのっぺらぼうだったらエミリーが見た夢だったな。それとデイジーなんだが、どうみてもルーシーです、ありがとうございました(意味不明)。声はフローネだけど、髪の色を変えれば…。

第23話「ひび割れた人形」
名台詞 「行こう、レベッカさんとこ行こうよ。話せばきっと分かってくれるよ。レベッカさんは持っていた人形を一度壊しちゃったんでしょ? 大丈夫だよ、さぁ。」
(ポルフィ)
名台詞度
 イラーリアからレベッカとの出来事を全て聞かされたポルフィであるが、彼が一つだけ気がついたことがあった。そう、それはイラーリアが少女時代にレベッカから貰ったおそろいの人形が壊れていなかったことである。イラーリアの話だと人形はその場で壊されたのだが、ポルフィが見たその人形は壊れていなかった…つまり直されていたのだ。さらにまた人形をたたき壊そうとしたレベッカを、第三者であるポルフィによって止めることが出来たのだ。つまりレベッカもイラーリアとの友情が忘れられずに苦しんでいる可能性が高い。ポルフィは自分でそれに気付いた。
 だからこそイラーリアにレベッカに会うように勧めるのだ。もちろん一度で上手くいくはずがない、この台詞に対するイラーリアからの返答は次回に持ち越しとなったが、恐らく最初はイラーリアは拒否すると思われる。この次点ではイラーリアにも、レベッカにも面と向かって話をする心の準備が出来ていないのだ。そんな二人の気持ちに気がつかないからこそ、ポルフィは純粋にこの言えるのである。
 無論、イラーリアの心の準備が出来ていないのはその人形は修理されていてレベッカが大事に持っていることを知らないからだろうが、知っていてもまだ逢って話すことは出来ないだろう。二人の間に立って潤滑剤となりうる人間が必要なのである、現在の二人に必要なのは少しずつ距離を縮めてくれる存在だ。恐らく次回、ポルフィはその役を買って出ることになるのだろう。
 この台詞は次回まで見てその深さが分かる台詞と予想したからこそ、今回の名台詞に挙げることにした。
 しかし、人形を叩き付けて破壊するシーンを見たとき、この役は高山みなみさんより藩恵子さんの方が合うんじゃないかと思ったのは私だけ?
名場面 ポルフィが倉庫に閉じ込められる 名場面度
 故障したイラーリアのMiniを直すために、工具を借りようとレベッカの家を訪れたポルフィ。彼はこの二人の関係など知らずに純粋に工具を借りに来ただけなのだが、イラーリアに何かを吹き込まれてきたに違いないと疑るレベッカによって倉庫に閉じ込められてしまう。
 この倉庫に閉じ込める直前の書き込みが往年の「世界名作劇場」を思わせる書き方だったと思う、何かあるように匂わせておきながらぎりぎりまで引っ張る。レベッカに連れられて階段を下りるシーンなんかいかにも何かありそうじゃないか。でも倉庫に着くとすぐに中に放り込まれたり押し込まれたりするわけではないので視聴者は一度は安堵するだろう。それはポルフィも同じで、その油断を突いてレベッカが無表情でドアを閉めるところではじめて「やられたっ」と思うわけである。さらにご丁寧に鍵までかけるレベッカ、ここへ来て溜まらない恐怖を感じる。
 またそのポルフィをアポロが助けに来るのがいい。フクロウにそんな芸当が出来るかどうかは置いておいて、まず冒頭のアポロが部屋の窓を叩いてポルフィを起こしたシーンを伏線としてうまく利用したわけだ。その上でこの閉じ込められシーンで友を助けるアポロ…視聴者は窓の外は2階の高さがあって出られないとかいうオチを期待するわけだが、あっけなくポルフィは倉庫から脱出するのはお決まりである。
 この家に住む女性はレベッカ、「トム・ソーヤーの冒険」を思い出した人もいるだろう。でもアニメでなく原作で院長先生にレベッカと呼ばれていた少女がいらしたことを、皆さんお忘れにならないでくださいましぃ。
感想  前回からイラーリアが、たまにラビニアボイスになったり、ジョオボイスになってみたりしてとても懐かしかった。でもさすがにアンボイスの出番はなさそうだな、出ないと思っていたルシエンボイスも一度だけ出てきて感激。山田栄子さんの「アンネットォ」はラビニアの強烈ないじめシーンと共にかなり印象に残っているのでね(ちなみに少女時代のイラーリアは娘さんの声だったのか…)。対するレベッカの声をやっていた高山みなみさんは「世界名作劇場」ってイメージが私には全くないので…てーかこの人が主役取っているアニメって見たことがないから正直言うと感慨もない(そもそも私がアニメから離れていた時期に活躍されていた方だそうで…)。しかし前回登場の松尾佳子さんは私の母と同い年であの年齢の少女役をゃってしまうとは…前回もちらりと言ったが完全にフローネボイスだったような気がする。
 今回は特に何にもない話だが、ひとつハッキリしたのは前回からまた新展開に入っていることだろう。ポルフィの旅の方向性が放浪形から滞在型に変わるのだろうか? 少なくとも数回はこのカウロニアを舞台にした話が続くようだ。私も何処へ行ってしまったか分からない人間を捜すなら、やみくもに動き回るより一カ所に滞在しながら情報収集をするという案は賛同する。マルコの場合は母の居場所についての情報に従って動いていた訳であって、ポルフィのように闇雲に動いていたわけではない。同じ旅物でも移動する前提が大きく違うのである。
 イラーリアとレベッカの関係は…久々の大人の恋愛ですな。イラーリアが何で結婚しないと決意したかの謎もハッキリした。でも逢って仲直りしたいのにそれが出来ないという表現が秀逸だ…その思いが突然訪ねてきたポルフィを疑い、閉じ込めたる事になったんだろうなぁ。あの閉じ込められシーンはちょっと子供にはキツいかも?

第24話「笑顔の帰る場所」
名台詞 「たまには荷台も悪くないわね、風が気持ちよかったわ。それからポルフィ、今日は…その…ありがとう。」
(レベッカ)
名台詞度
 イラーリアとの仲直りの後、マクシミリアンのトラックで自宅まで送られたレベッカがこのような台詞を吐く。今回の前半まで真っ暗な家に閉じこもっている姿ばかりが印象的だったレベッカから、「風が気持ちよかった」なんて台詞が出るとは…この台詞を聞いたポルフィやマクシミリアンだけでなく、視聴者も驚いたことだろう。彼女が心を開いたことを告げる重要な台詞だ。
 さらに照れくさそうな顔をしてポルフィに礼を言う。恐らくレベッカの苦しみはマクシミリアンに対する失恋よりも、イラーリアと仲違いした事によるものの方が上だったのだろう。「誰か止めて〜」と頭の中で思いながら対立していたに違いない。そこに必要だった第三者のクッション、それを買って出てくれたポルフィの純粋さに対する感謝だろう。
名場面 ポルフィと町長が、便器を奪い合う 名場面度
 「世界名作劇場」名物「大人げない男」の登場だ。主人公と「大人げない男」の対立は過去の「世界名作劇場」シリーズを盛り上げてきたのは間違いないだろう。「南の虹のルーシー」のペティウェルや「母をたずねて三千里」のメレッリ等の例を挙げるまでもないだろう。このような男が話を引っかき回して、順調に進みそうな展開をぶちこわす。この町長もそんな男に違いない。
 また「世界名作劇場」ではキャラクターが用を足すシーンや、それを暗示するトイレの存在が描かれている作品は非常に少ない。私が知る限り、「南の虹のルーシー」のアンガス通りの家でトイレがある小屋が描かれている点と、「小公女セーラ」でセーラがトイレ掃除を命じられるシーンがある(トイレそのものも掃除シーンも出てこない)程度で、それ以外ではこのシリーズで「トイレの存在」を確認したことがないのだ。だからこそ明確にトイレが描かれて、便器まで登場したのは初めてかも知れない。
 役所への道中、ずっと小用を我慢していたポルフィがトイレに飛び込むのだが、2器ある「朝顔」のうち1器は故障中で、残りの1器を巡ってやはり小用を我慢していた町長との奪い合いが始まるのである。ポルフィは「順番を守れ」と抗議し、町長は「子供のくせに生意気だ」と応戦、「私を誰だと思っているんだ?」と説く町長だが、ポルフィだけでなく視聴者もそれが誰だか分かるはずがないのだ。
 結果はどっちが勝ったのか分からないが、ポルフィが町長の怒りを買ったことだけは間違いないだろう。この怒りが次回、どのように展開するかお楽しみである。
感想  正直、デイジーとの再会がこんな早く実現するとは思わなかった。また出てくるキャラクターであるのは間違いないと踏んでいたが、再会はもっと先、ポルフィがカウロニアを出て行くときだと思っていた。だからカウロニアの市街地でフローネの声がしたとき「ええっ!?」と思った。
 次回予告まで含めて考えると、このカウロニア編(勝手に命名)は「友情」をテーマに展開する模様だ。ポルフィとデイジー(友情以上になっているかも)、イラーリアとレベッカ、そして次回出てくるのは何だ?の3本柱の展開のようだ。今回はポルフィが見事にイラーリアとレベッカの仲立ちをする、レベッカの人形が直されているからこそまだ間に合うと分かっているのはポルフィだけなのだ。そしてこの二人に必要な「第三者のお節介」…これがなければ二人は永遠に仲違いしたままでレベッカだけでなく、イラーリアも心を開くことはなかっただろう。
 そしてデイジーの再登場、デイジーの父が思い付くミーナの探索方法、こうしてポルフィは役場へ行く。それにしてもデイジーの親父、ミーナと猫を一緒にするなよ…。それはともかく役場での出来事は名場面に書いたとおりだ。
 しかし、マクシミリアンって歌わないと印象に残らないやっちゃな…。

第25話「小さな街の小さな友情」
名台詞 「そんなのわかんないじゃない。だって、クリスマスならきっと神様だってポルフィにプレゼントくれるよ。それまでにミーナに逢わせてくれる。そうしたら、二人でまたここに戻ってくればいいじゃない。」
(デイジー)
名台詞度
 フローネの名言キターー。ラビニアもがんばれや。
 じゃなくて、ポルフィがいよいよこの町を出て行くことを意識し始めている。マクシミリアンが革製のバッグをイラーリアにプレゼントすると決まり、そのバッグをマクシミリアンより先に見てしまおう、とデイジーの悪戯心がうずくのだ。これにポルフィも一緒に…と声をかけるとポルフィはその頃にはこの町にいないと答える。この返答がデイジーのこの台詞である。
 恐らく、デイジーの幼い思考回路はポルフィとこのままずっとこの町で一緒に遊べるという単純なものだっただろう。だがそれだけではない何かを感じ始めている訳で、ポルフィがデイジーの手を引いてオリーブ畑を見に行った(うらやましいぞ)ときにはされに気付いていただろう。そう、もう彼女にもポルフィに対する淡い恋心があめに違いないのだ。
 対するポルフィも実はそうなんだけど…ミーナを探すという気持ちの前にはデイジーへの淡い恋心は消えてしまうほどなのだ。そう、ポルフィは常に前だけを見ているのである。それでいて横にあるきれいな花にも気付き、それを振り払おうとしているのだ。
 デイジーはポルフィのそんな気持ちを踏みにじる訳にはいかないことを分かっているし、やはりポルフィが妹に会うことを心から願っている。だからこそミーナが早く見つかったらこの町に戻ってきて欲しい、そういう本心をぶちまけたのだ。
 ポルフィはミーナを発見したら、カウロニアへ戻ってくるのかな? そういう話であって欲しい。
(次点)「出るんだぜ、今みたいに使っていない時期になると、夜、みんなが寝静まった後、だぁれもいないのに、ポタ、ポタってオイルが垂れる音がして、かつーん、かつーんって足音が…」(マクシミリアン)
…おまい、そのノリ大好きだよ。それと、うらやましいぞ、ポルフィ。
名場面 デイジーとの別れ2 名場面度
 カウロニア編の最後を飾るこのシーンは、名場面として外せないだろう。デイジーとポルフィの小さな恋物語の終わりは間違いなく「ポルフィの長い旅」の名場面の一つになると思う。
 その前の移動遊園地での「ポルフィ、いっちゃうの?」と問うデイジーの姿に来るものがある。レベッカのツンデレシーン(←デイジーとの別れがなきゃこれが次点で取り上げられたはず)を挟んで駅でいよいよ、この二人の別れシーンとなる。
 駅への道中、デイジーはポルフィと一言も言葉を交わさなかったという、イラーリアとマクシミリアンと挨拶を終えたポルフィはデイジーを見ると、デイジーは後ろを向いて黙り込んでいるのだ。ポルフィがいくら呼んでも振り返らない、「デイジーはポルフィと別れたくないのよ」とイラーリアがいうが、ポルフィは初めて「そんなの僕だって…」と自分もデイジーと別れたくないことを口に出す。それを聞いたデイジーがやっと口を開く、彼女はスカートをギュッと掴んだまま「早く行けば」と絞り出すように言うのだ。「じゃ行くからな、お父さんによろしく伝えて」と事務的に答えるポルフィだが、表情は決して普通ではない。辛い別れを敢えて事務的に受け答えることによって乗り切ることを、彼は覚えたに違いないのだ。
 駅へ入ってゆくポルフィ、肩を震わせるデイジー。ついにデイジーは振り返ってポルフィの名を呼ぶ。ポルフィがそれに気付くとデイジーは手を振って、「チャオ、ポルフィ。」と涙声で言う。この声が悲しみを誘う秀逸な声で、さすがフローネと感心してしまうのだ。ポルフィは明るく「チャオ、デイジー。」と答える。
 このシーンはとにかく「チャオ、ポルフィ。」の一言に尽きると思う。ポルフィに言いたいことがたくさんあったに違いないデイジー、もっとたくさん一緒に遊べると信じていたデイジー、突然のポルフィの旅立ちと別れに対し、やっと言えた一言なのだ。この涙声が秀逸で、私はカウロニア編最後を飾る名シーンになったと見ていて思った。
 「まわれ、時の風車、また出会いと別れ」という歌詞がオープニングにあるが、この別れはここまでの別れの中で最も寂しい別れだと思う。互いに淡い恋心を意識していただけに、視ている側にも別れという事実が突き刺さってくる。22話のデイジーとの別れとはまるで違う、デイジーにとって身を割かれるような別れに違いなかっただろう。
(次点)メリーゴーランドに乗るポルフィ
…移動遊園地設営の親方のサービスで、タダでメリーゴーランドに乗せてもらったポルフィ。彼は大喜びだが、涙を流しながら「ミーナにも乗せたやりたいよ、ミーナにも!」と叫ぶ。これを見た町長がよく励ませとマクシミリアンにいう。ごめん町長、前回はあんな言い方しちまって、私の展開予測は大ハズレでしたね。それはともかく、ポルフィのミーナに対する思い、楽しいことは何でも妹と一緒にという思いがあふれ出ていていいシーンだ。デイジーとの別れがなければ間違いなく名場面としてトップに取り上げただろう。
感想  なにー?
 次回は鉄道連絡船だ!? (予告見て本当にこう叫んだ←バカ)
 このアニメは何処まで私を乗り物で引き込む気だ?

+   +
  ∧_∧  +
 (0゜・∀・)   ワクワクテカテカ
 (0゜∪ ∪ +        
 と__)__) +

第26話「汽笛がきこえたら」
名台詞 「マイケル、やめなさい。どんなに美味い料理も故郷の味には勝てないものだ。私がこの島からアメリカへ渡ったのはポルフィ君位の年頃だった。幸運に恵まれて成功し美味い料理もたくさん食べた。だがいつも思うのは故郷シチリアのオリーブオイルと、質素な料理だった。ポルフィ君、どんなに離れても故郷を忘れちゃダメだ。それと家族もな。」
(バルバッツァ)
名台詞度
 この台詞、今はちょっとだけ身にしみる。たまに実家へ帰って母が作った料理を食べると安心するもんな〜。
 それに旅先で旨い食べ物を食べても、ものによっちこれは東京の味には勝てないと思うことがあるんだよね。ラーメンや蕎麦といった麺類なんかはその筆頭、地方で食べても美味しいには美味しいけど東京の味には勝てないといつも思う。これが故郷の味ってやつで、「旅もの」のこのアニメでいつか出てくる論理だと思ってみていた。
 「母をたずねて三千里」でもマルコが美味そうにイタリア料理を食べるシーンがあるが、内容や趣旨が違っても言いたいことは共通のシーンだろう。
名場面 ポルフィがキーを使わずに車を動かす 名場面度
 マイケルが夜中にポルフィを起こしに来る。そして「車の修理が出来るなら鍵が無くてもエンジンを動かせないか?」と問うのである。ポルフィは最初は驚くもののその役をふたつ返事で引き受けるのだ。
 どうやらこの企みは、恋仲なのだが家族がそれを許さないジャックとモニカを引き合わせるべくマイケルが考えたものだ。ガレージでポルフィがエンジンをかけるべく細工をしているときにマイケルはジャックをさんざん冷やかす、「ポルフィを巻き込むのは良くない」というジャックに「僕も賛成だ」と涼しい顔で言うポルフィもまたいい。ポルフィはジャックとモニカの人の良さに触れて、一旗脱ごうといういいシーンだ。今回も結論は次回に持ち越しだが…。
 しかしあの声で「出撃!」はないだろうに。絶対に「世界名作劇場」ファンよりガンダムファンの方が喜んでいると思う。
感想  ドナルド・カーマイケルキター!!!!! アムロキター!!!!! モニカにはポルフィの母に6ペンスを恵んで、ジャックはデイジーをブスと非難したれ〜。
 シチリア島、つまり簡単に言えばヤクザ達の物語なのか? ファミリーだとかドンっていう言い方がなんとなく怪しい。いきなりポルフィとマイケルの友情物語からスタート、続いて無断で漁をした罪で連行されて…でも向こうでマイケルの知り合いに助けられてという「世界名作劇場」の王道パーターンだったような。
 ジャックの職業はパイロット、モビルスーツじゃないよ、旅客機だよ。
 感想欄の最後に今回の旅程である。なんとあの貨物列車には130キロも乗っているのだ、2軸貨車が連結されていたことを考慮すると最高速度はせいぜい60km/h、平均速度は40km/hといったところだろう。つまりポルフィは連絡船で海を渡る前に3時間以上も貨物列車の中で揺られていたことになる。前回の描写からいうとカウロニア出発が17時頃と思われるから、21時頃に連絡船に乗った模様だ。対して連絡船の航行距離はせいぜい9キロ、色々なサイトでシチリア島の鉄道連絡船を調べたがせいぜい40分の船旅でしかないはず。なのに一晩かかっている描写になっているのはいったい…。

 「ポルフィの長い旅」は52話予定中、26話まで来た。遂に折り返し点である。これからどんな旅が待っているか楽しみだなぁ。
研究 ・正しい鉄道連絡船
 今回の私にとっての見どころはシチリア島への鉄道連絡船である。多分ここだけを楽しみにこの26話の視聴に挑んだのは、「ポルフィの長い旅」全視聴者の中で私だけだと思う。ここでは「ポルフィの長い旅」26話を見た皆さんに誤解の無いよう、正しい鉄道連絡船について語っておきたいと思う。
 無論、ここでの鉄道連絡船の描かれ方が不正確だったからといって「ポルフィの長い旅」そのものを否定する気はないし、制作者側がこれから書く内容を知っていた上でわざと不正確に描いた可能性も否定できないのだ。なぜならもしここで鉄道連絡船というシステムについて正確に描写してしまったら、この26話の物語そのもの…つまりアニメ「ポルフィの長い旅」で主人公がシチリア島へ渡るという展開そのものが消えて無くなってしまうからである。私のような乗り物ヲタの中で、今回の鉄道連絡船の描かれ方が不正確だったことに気付かれた方もいると思うが、そこは物語展開上の限界と理解して見て頂きたい物である。
 だがその思いと、「鉄道連絡船」の歴史を出来る限り正確に残したいという「はいじまゆきどっとこむ」のいうサイトの趣旨の板挟みにあった私としてはこれから先の内容を書いて「ポルフィの長い旅」視聴者に訴えねばならないことなのだ。鉄道連絡船というのはあんな単純な物ではないのだ。この先のことは「本当ならばこうなってしまう」という笑い話程度に読んで頂きたい(柳田理科雄著「空想科学読本」みたいな本が理解できない方はこの先を読まないことをお勧めします)。

 まずポルフィが貨車に乗ったまま居眠りし、そのまま貨車ごと船に乗せられてしまう。乗せれた船は言うまでもなく鉄道連絡船、画面をよく観察したところ5000トンクラスの客載車両渡船と見ていいだろう。車両渡船というのは読んで字のごとく鉄道車両積載可能な構造とシステムを組み込んだ船舶の事をさし、客載といういうことは乗客と車両を同時に乗せられると言うことである。5000トンクラスということは、国内で最もポピュラーだった青函連絡船が8000トンクラス(車両積載スペースがトン数換算から除外されるのでトン数表記は5000トン台となっていた)なので、これより少し小さめの船と考えていいだろう。ちなみに船のモデルは例によって例のごとく、「船の科学館」に保存されている青函連絡船「羊蹄丸」と思われる。
 貨物列車だから速度も遅く、本来なら何処かで旅客列車に追い越されているだろうが、そこは前回の設定で旅客列車が遅延しているという事になったので気にしないことにする。列車は無事に連絡線積み込み駅となるヴィッラ・サン・ジョヴァンニ駅に到着するが、ここで何が起きるかだ。
 貨物列車は現在日本で運行されている貨物列車とは違い、当時として一般的なヤード集結方式の貨物列車と思われる。まず列車は連絡線に積み込まれる前にヤード(操車場)に移動して行き先ごとに編成を分けるはずである。ここでは簡単に連絡船に乗る車両とそうでない車両で分けられる筈だろう。分けられた後は他方面から来て連絡船に乗る貨車と連結するはずだ。しかも貨車は1両ごとに行き先が違うことが前提なので、1両単位で職員が行き先札を確認し、ポルフィが飛び込んだような無蓋車(屋根無しの貨車)ならば内容も確認しただろう。そこでポルフィは起こされて、鉄道職員にこってり絞られて終わるはずだ。
 これがなかったと言うことは、この貨物列車は大都市のヤード同士を結ぶ急行貨物列車だったということにしておこう。ローマなりの大きな街から連絡船に乗る貨車だけで編成された貨物列車で途中のヤードには無停車だ。これならヴィッラ・サン・ジョヴァンニ駅のヤードに停車する必要もなく、ヴィッラ・サン・ジョヴァンニ駅では連絡船に積み込まれるだけだ。
 問題は貨車が連絡船に積み込まれるときである。
 アニメの描写ではヴィッラ・サン・ジョヴァンニ駅まで列車の先頭だった機関車ごと連絡船に乗り込んでいたが、実際にはこれがあり得ない。重量の重い機関車はそのまま船に乗り込めないのだ。船だけではない、船と陸を結ぶ可動部分にも機関車は入れない(この部分は船側にも荷重がかかるため)。もし劇中の描写のように機関車ごと船に乗ったならば、その瞬間に船は横転してその場に沈没してしまう。貨車に忍び込んでいたポルフィはその存在自体を誰にも知られないまま天国への長い旅を始めてしまうのだ。
 そうならないように、日本の青函連絡船や宇高連絡船がそうであったが、機関車と貨車の間に「控車」と呼ばれる車体のない車両が間に挟まれて機関車が船やこの可動部分に入らないようにしなければならない。ここで機関車の切り離しや控車の連結などで船の汽笛の音とは比にならない大きなショックが貨車に伝わり(貨車の連結解放は乗客がのる客車よりもショックが大きい)、やはりポルフィはたたき起こされるだろう。ここで起きれば貨車が船に積み込まれようとしているのに気付いて飛び降りたに違いない。
 それとアニメの描写では、貨車を積み込む「車両甲板」に線路が2線あり、船体を上から見た場合の右側のみに貨車が積まれていたがこれがあり得ない。こんな積み方をしたら船のバランスが崩れて、沈まないまでかなり非効率的である。船の傾斜を修正する「トリミング装置」により、船底近くにあるタンクに水が注水されて船はバランスを取り戻すが、そうすると船は積まなくても良い水を運ばねばならず、速度も落ちるし燃料代も余計にかかることになる。これを防ぐために鉄道連絡船では、積み込む列車長さが2線の線路の片側だけで収まる場合でも、敢えて編成を半分ずつに切り離して両側の線路にバランスよく貨車を積み込むのである。この切り離しで貨車全体にショックが伝わり、やはりポルフィは目を覚ます。
 さらに積み込まれた貨車は波浪による船の揺れに備えて固定される。車両甲板の線路の終点には列車に装着されているのと同じ連結器があり、貨車はこれで船と連結される。この時に貨車全体にショックが伝わってやはりポルフィは目を覚ます。そうでなくてもこの連結器は縦方向にしか列車を固定できず、今度は積まれた貨車を横波で横転しないように固定しなければならない。これには多くの甲板員が人海戦術で甲板と貨車を鎖で固定する作業が発生し、ポルフィはこの作業時に間違いなく発見されるだろう。甲板員により発見されたポルフィは船長室に連行されたあと船を下ろされるに違いない…。
 このように、もしこの26話で鉄道連絡船をバカ正直に書いていたら、連絡船が出航する前にポルフィが目を覚ますか職員に見つかって放り出されるかのどちらかなのだ。その方がポルフィにとっては「カラブリア行きの列車に乗っていた」というミーナの手がかりに近付けるからいいが、シチリア島へ物語を展開できずにアニメ制作者側が困ったことだろう。だからここでは敢えて正確に描かずに、ポルフィが目を覚ましたり職員に見つかったりする要素は全て排除したに違いない。
 そんな事するくらいなら、原作同様ポルフィの旅はトラックに忍び込む旅を中心にした方が良かったんじゃないかな…。

第27話「あなたに届けたい」
名台詞 「モニカー! 君が好きだ! あ・い・し・て・るーーーーーーーーー!」
(ジャック)
名台詞度
 この古谷徹っていう声優さん、アムロとかフランツとか何処か頼りない少年の役が私の印象に残っている人なのだが、この台詞でそれを全て吹き飛ばしてくれました。
 好きな女性にこのような台詞を絶叫できる、これが本当の愛なんでしょうね。今付き合っている人と結婚するかどうかで悩んでいる人がいたら、このジャックと同じ事がその相手に対して出来るかどうかを考えなさい。出来ないならその人と結婚すべきではありません。マジでそう思う。
 またこの絶叫が聞こえたアンドレがワインを吹き出すのも「間」が良くていい。「南の虹のルーシー」最終回でケイトが紅茶を吹き出すシーンは絶妙な「間」から少し外れてしまっている(あのシーンの場合そこが面白いと見ることも出来るが)。でもここのシーンの「間」は完成されていて、続きの台詞への流れも自然で良い。
(次点)「無灯火の夜間飛行は軍隊で慣れてる。(中略)星明かりだけを頼りに爆撃機を飛ばしてた、谷間の中を何度もね。」(ジャック)
…つまりはニュータイプって事だろ?(w
 で爆撃機じゃなくてモビルスーツの間違いだろ?(w この役柄はフローネのアニじゃなくてどう見てもアムロだよ。こんな台詞をあの声優さんに吐かせる辺り、制作側は「世界名作劇場」のファンよりガンダムファンを喜ばせようとしているようにしか見えない。そう言えばガンダムって前照灯や標識灯の類は着いてないな(レイバーは前照灯があって灯火義務が法制化されている設定だったが)。
 よい子の皆さんは真似をしてはいけません>無灯火運転。
名場面 海で遊ぶ3人 名場面度
 ミーナの手がかりを求めて歩き回るポルフィとジャックとマイケル、しかし何処にも手がかりが無く手詰まりをしてしまい皆は頭の中が混乱してくる。ここでマイケルの提案で海で泳いで頭を冷やそうと決まる。
 誰もがここで10話のような水遊びシーンを期待するだろう。しかし次の画面に出てくるのは断崖絶壁から飛び降りるマイケルの姿である。崖の上では靴を揃えて手紙を置いて(嘘)…じゃなくて、彼はここでよく飛び込み遊びをするのだろう。マイケルに続きジャックも同じように飛び込む、残されたポルフィは当然のように怖がっている訳だ。情けない声でアポロに一緒に飛んでくれと願う始末。意を決して飛び込むのだが…アポロは濡れる訳に行かないし羽があるから当然どっかへ飛んでいってしまうお約束で、アポロに裏切られた瞬間のポルフィの情けない顔と声がこれまたいい。
 「よ〜し、じゃもう一度!」と意気込むマイケルに情けない声で「え〜!?」と答えるのもいい。ポルフィはもう一度飛び込んだのだろうか?
 シチリア島に上陸してから殺伐としたシーンが続いていたのでなんか安心した。ポルフィ本来の情けない性格や気弱な部分が久々に描かれたような気がする。それが滑稽に描かれて、笑わせて頂きました。
感想  シチリアマフィア編第2話。今回はジャックとモニカの付き合いが許される経緯となる訳だが、なんか今回は前半だけでお腹いっぱいになったような気がする。後半もアンドレの車に細工されたのをポルフィが見つけたり、これがきっかけでジャックの家のファミリーとアンドレの家のファミリーが対立する真の理由が分かり、互いに相手を理解して和解するなどの重要なシーンがあるのだが、前半のアムロの名演技がもうこれを全て吹っ飛ばしてくれてる。
 あの叫び声が無ければこの話がどう展開しても面白くなかったと思う。やはりこの段階では許されない二人の気持ちが本物だからこそ、何とかして二人の仲を取り持とうと考えるポルフィやマイケルに感情移入が出来るのだし、途中までのアンドレの態度に視聴者は真剣に腸が煮えくりかえる思いで見ることが出来るのだ。この回はそういう意味で良いシーンが前半に詰まりすぎたと思う。
 でも最後まで見て総合的な感想は、「司教様美味しすぎる!」ってトコだったりする。司教様がアンドレに神罰を与えるために彼に迫る時のBGMが気に入った。司教様のテーマと勝手に名付けて覚えておこう。
 来週はミーナの手がかりが見つからないポルフィのために、モニカが「よかった探し」をする回のようだ。

第28話「シシリアン・ラプソディ」
名台詞 「シチリアの男は、受けた恩は必ず返すんだ。」
(アンドレ)
名台詞度
 先週までアンドレが名台詞欄を飾るなんて考えもしなかった。今回はモニカかな、と思ってみていたらモニカには殆ど台詞が無く、前回ラストシーンまで徹底して悪役を演じてきたアンドレが美味しい台詞と美味しい役を取る。
 ミサで妹を捜して欲しいと訴えたポルフィに、マンシーニ一家は動き出す。ファミリー同士の誤解を解いて抗争を止めるきっかけになったのはポルフィの自動車整備の腕と洞察力による。これへの恩を買いっぱなしではなく、一家はポルフィに「妹の手がかりを探す」という本人にとってこれ以上ありがたい物はないというもので返そうとする。若い衆が徹夜で島中を走り回り、彼らはミーナがローマへ向かったという手がかりを得る。
 この行動を統括するアンドレのこの台詞は、アンドレの誤解が解けていきなり主人公の見方になった動機と信条を語るだけでなく、声優さんの名演もあり格好良くまとまっていると思う。ポルフィの恩を売る台詞を吐くのでなく、逆に彼に恩を感じているという心境がよく表現できていると思う。
 前回まで悪役&ギャグキャラに徹していた彼が180度方針転換し、その転換を決定づける台詞だ。そして最後のシーンではポルフィに向かって力強く「がんばれよ!」なんて励ましたりしちゃっているし。シチリアマフィア編ではこいつが一番良い役だったかも知れない。
名場面 シチリアからの離陸 名場面度
 そんなんありかよ〜!
 原作のポルフィはフェリーや鉄道連絡船すら乗ってないのに、飛行機なんて。いや、歴代の「世界名作劇場」主人公で飛行機に乗った人物は初めてじゃないか? しかもパイロットはアムロ…正直やり過ぎだ。しかし声優さんのキャラクター性や、シチリアからローマへ慌てての旅立ちを象徴する見事なシーンになったかも知れない。
 本来なら研究欄を作って紹介するべきかも知れないが、ジャックの操縦でポルフィが乗った飛行機、記念すべき「世界名作劇場歴代主人公が初めて乗った飛行機」はアメリカのレイセオン社(ブランド名は「ピーチクラフト」)が1937年に製作した「モデル18」と呼ばれる旅客機である。同機は軍用輸送機してC−45という形式も付けられている。日本でも海上自衛隊がSNB-5という航法訓練機として採用され、1957年〜1966年の間、鹿屋基地や岩国基地に配備されていた。世界中に保存機があるが、日本では下総基地に保存機が存在する。この機体が日本語で解説されているサイトはここここである。(勝手にリンクしていますので問題がありましたらすぐ削除します)。
 なお、シチリアからローマへ、空軍基地の場所がよく分からないのでとりあえずメッシーナからローマ中心街まで飛行したと考える。有視界飛行と思われるからジャックは海岸に沿って飛んだことだろう。すると今回の移動距離は約570キロである。
感想  シチリアマフィア編最終回。前半はだいたい予想通りの展開だったけど、後半はまさかあのアンドレんちのファミリー全員でミーナ探しをしたり、ミーナの手がかりが見つかったり、予想外の方法でシチリアから脱出したりと怒濤の展開だった。もう一度シチリアの鉄道連絡船が見られるかと思って期待して待っていたら、見事に裏切られた。
 シチリア編が終わってみると、声優にドナルド・カーマイケルを起用したモニカの存在がなんか薄かった。ジャックの恋相手として以外の役割が無かったからだろう、車の運転が下手という印象だけで終わってしまい、彼女の個性や特性を十分に活かしきれなかったように見える。ジャックはアムロのイメージとダブる設定で遊んでいたようにしか見えないし…この最後の最後でアンドレの印象が強く残ったこともあってシチリア編はキャラクターの印象が薄く感じてしまいそうだ。だが展開は面白かった、最後の飛行機なんて…。
 次回予告見て驚き、退場と思っていたバーンズ大尉の再登場が予告されている。サブタイトルは「手紙」、なんか新展開の予感がする。まさかバーンズはローマでミーナに逢ったとか…。しかし次回のサブタイトル、シンプルで良いなー。現在考察進行中の「愛の若草物語」には是非とも見習って欲しかった部分だわ。「ポルフィの長い旅」も短くてシンプルなサブタイトル多くて良いね。

第29話「手紙」
名台詞 (該当無し)
( )
名台詞度
 
名場面 該当無し 名場面度
 
感想  夏休みに突入し、「ポルフィの長い旅初心者向けスペシャル」ってところだろうか。ザイミスから届いた手紙と、それに対するポルフィの返信という設定を使って総集編となった。なんかポルフィの両親が健在だった頃が懐かしく、また平和な村のシーンやポルフィの旅立ちが懐かしかった。でもレオンが出たかと思ったら突然先週の飛行シーンまで飛ばすとは…。
 実はこの連休は急に実家へ行くことになり、今までこの「ポルフィの長い旅」を見ていなかった妹一家と共に見ることになったのでちょうど良かった。一緒に見ていた姪っ子がかなり物語に興味を示しており、この回から見始めることになるのなら過去の物語を全部見直す必要が無くなって本当に良いタイミングだろう。

第30話「ローマの道しるべ」
名台詞 「リリーはリリーだ。あの娘とは違う!」
(カルロス)
名台詞度
 イカサマギャンブルの仕事が上手くいったカルロスは相方のジャンゴに一杯やろうと誘うが、ジャンゴは「イザベラが待っている」とそれを断る。それを聞いたカルロスはミーナが気に入らないような台詞を吐き、ジャンゴがリリーを亡くして以来やっとイザベラが元気になって良かったと言うと、この台詞を返すのだ。
 この台詞で思い出したのは「南の虹のルーシー」のプリンストン。だがあの紳士ほどかしこくも器用でも素直でもないカルロスはついミーナに対して冷たい言葉を吐く、リリーはリリー、ミーナはミーナであって自分の子供ではないという一線が敷けてしまったからこそ、自分がミーナに感情移入しないように冷たくなるしかないと思い込んでいるのだ。さらに愛する妻がミーナに取られてしまったという嫉妬が、この本当は優しいはずの男を冷たく変えてしまう。でも終盤でミーナと別れるとなったら一番悲しむのも彼だと十分予測可能なのである。
 この男の優しさがすき間から見え隠れしているこの一言が私は非常に気に入った。
 この台詞と同内容の台詞はイザベラとの会話にも出てくる。
(次点)「…こんな事している場合じゃないよな。」(ポルフィ)
…ミーナを探している途中に車ヲタの血が騒いで、ふと我にかえったときの台詞。こういうポルフィだからこそ感情移入できる。
名場面 再会 名場面度
 ふと出てくるホテルの一室、ここから聞こえてくる少女が咳き込む声。久しぶりの本格的なミーナ再登場シーンはこんな視聴者を不安がらせるシーンから始まった。ミーナの咳込みを聞いた多くの視聴者がミーナの健康状態を気にするだろう。
 その心配を余所にベッドから起き上がって窓を開くミーナ、カルロスとイザベラのシーンを挟んで飛んでくるアポロ。ここで見ている方は「再会の予感」を強く感じることだろう。アポロがホテルの窓辺に降り立つと…そこにあったのはミーナの姿だった。
 ミーナは最初、アポロを思い出せなかったようだが、兄の手作りのペンダントを見て思い出し「ア、アポロ…」と呟く。この「間」の長さが視聴者にもどかしさと感動を与えるのに長くもなく短くもなくちょうど良いのだ。そしてミーナはアポロを見て何を思うのか、視聴者の注目はそこに集まるのだ。
 ミーナが感動して「あ−っ、アポロ!」と叫んだ瞬間思わぬ邪魔が入る。仕事を終えたイザベラが帰ってきたのだ。アポロはびっくりして逃げ出してしまい、視聴者の注目点は知られないままにシーンが終わってしまう。まだ中盤を過ぎたばかりで再会には早すぎるということを見ている方は思い知らされるのだ。
 「今アポロがいたの! ここにいたの! 飛んできたの!」と訴えるミーナの焦りもいい。順序立てて話せずにイザベラには全く相手にされず、窓まで閉められてしまって思わぬ再会シーンは幕を閉じる。だがこれで妹も恐らく兄が近くに来ているであろう事を知る重要なシーンなのだ。この再会が伏線として活かされる可能性は低いが、何処かでミーナが語ることにはなるのだろう。
感想  ローマでのニアミス編第一話ってとこか、ポルフィがイザベラの占いを受けるがいろいろあって核心部分が聞けないというのはちょっと予想外だったな。カードをめくったら「探し人はすぐそこに」みたいな結果が来るという安易な作りじゃなかったのはよくやったと思うが。さすが占い師らしく、イザベラはポルフィに「気になる空気」を感じるというつくりはいいね。ただその「気になる空気」が手元にいるミーナと同じ空気だと分からないのは、パトラの港にいた老婆との年の功の違いってことか。あの老婆ならポルフィとミーナが兄妹と一発で見抜くだろう。
 またアポロがミーナと会うという作りも心憎い。だがその直後にイザベラが帰ってきてアポロが逃げてしまうというのは予想通り過ぎて少し萎えた。どうせならここからアポロはミーナと旅をするとかになったら面白かったのになぁ。当然喋れないアポロは、ポルフィにミーナを発見したことを伝えようとするが伝わらないのがもどかしい。ま、ここで最終回はあり得ないと思うが。
 次回は何が起きて紙一重の場所にいるポルフィとミーナが逢えなくなるのか、ラストシーンであそこまで派手にミーナが客引きをやっているならポルフィの写真を頼りにした人捜しに獲物が掛かるはずだ。それを取り逃がす何かは次回予告でも示唆されている。視聴者の次回への引き込み方が本当に上手、ここまで二人が接近しておきながら逢えないというのが分かりきっているのに、何故か次が気になってたまらないのだ。

前の話「ポルフィの長い旅」トップに戻る次の話