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第1話 「かみなりの夜の子
名台詞 「子供っていうのはね、ちゃんと自分で生まれる時を選ぶのよ。こっちは待っているだけよ。」
(ロヴィス)
名台詞度
★★★
 妻が産気づいた事を知ったマッティスは、道行く旅人を襲っていた途中で敵対するボルカと口論になっていたことを忘れて、自分たちのアジトである山城に急ぎ帰る。そして妻ロヴィスの部屋に飛び込んで「産まれたか?」と問うが、ロヴィスには出産した様子もなくこの台詞を返されることになる。
 「出産」という女性とっての一大事に全く動じていないロヴィスの大胆さがこの台詞だけで見えた。落ち着き払って「その時を待つ」女性の姿を見て、多くの視聴者がこの女性が豪胆な性格であることを見抜いたに違いない。そして物語が進むと、ロヴィスの性格はまさにここで印象付けられたそのまんまの性格だから面白い。これほどまでにたった一言でその性格が決まったキャラクターという点で、この台詞はとても印象に残った。
 しかしこの女性の考え方も好きだ。子供は自分が生まれるべき時を知っていて生まれるという考え方は、子供自身が自分の運命を自らの手で切り開くものだという考えの表れに違いない。そして何よりも、その産まれてくる子供の運命というものに対し、信頼と不安を同時に感じているからこそ出てくる台詞だと私は思う。
名場面 ローニャ誕生 名場面度
★★★★
 夜になると風が強くなって雷鳴が轟き出す。山城の広間では山賊の男達が「生まれてくる子供が男か女か」で賭けが始まる。賭けた「お宝」の話題の次は、「赤ん坊を抱いたことがあるかどうか」の話題となる。巨漢のクノータスという男が「俺はある」と自慢げな大声を出せば、他の男達に静かにするよう促され静かになったところで、スカッレという長老が「早く山賊の跡取りが見たい」と訴える。そこへマッティスが駆け下りてきて、目に涙を浮かべて「生まれた…」と呟く、「俺に子供が出来たぞー」と叫びを上げる。喜びに沸く男達、「男か女か?」と問われればマッティスが「山賊の娘だ」と答えたと思うと赤ん坊を抱いたロヴィスが現れる。マッティスが赤ん坊を抱き上げ、男達に見せると一同感動で言葉も出ない。やっとスカッレが「なんと名前をつけるのかね?」と問うと、ロヴィスが「ローニャよ」とハッキリと答える。ずっと前から自分の子の名はローニャと決めていたというロヴィスの一声で、娘の名はローニャと決まる。
 「子供が産まれる」という緊張感と、実際に生まれた後の感動というのが上手く描かれていて、身内に子供が産まれるかどうかの時間を何度か過ごした自分も「ああ、こんな感じだ」と思える上手いシーンに仕上がったと感動している。やはり最大の話題は男か女か、そしてその子供が背負うべき運命、面白いのはそのシーンを演じているのが全部男、それもただの男ではなく逞しい山賊の男達だから面白い。
 そしてその名付けまで、主人公が生まれるに相応しいシーンでとても印象的だ。
感想  う〜ん、最初の感動は「実にツッコミどころの多い物語だ」と思ったのが素直な感想だ。まず山賊の山城だが、山賊のアジトというのは解るが女性がロヴィス一人しか見当たらないことは大きなツッコミどころだ。まずあれだけの男達がいるならば、男達が住み込みでないにしても賄いの必要はあるだろう。この物語の時代背景はよくわからないが、このような社会なら炊事は間違いなく女性の仕事のはずだ。もちろん男達の服を仕立てるのも洗濯するのも女性の仕事と思われるし、何よりも山賊の頭の妻がお産をするというのに産婆のようなものがいないのは無理がある。雷や落雷状況など他にも突っ込みたいところは沢山あったが…これらはこの先の物語展開が解決してくれるのかな?
 NHKが自信を持って世に送り出したこのアニメ、製作協力にスタジオジブリが名を連ねていて監督が宮崎吾朗となれば、嫌でもあちらこちらにジブリアニメでありがちのシーンが出てくるのは否めない。作品の無国籍風の世界観からしてそうだし、タイトルの題字もそうだし、細かいシーンで言えばマッティスが階段を駆け上がる場面でわざわざ転ぶところもそうだ。まずタイトルだ、宮崎駿作品によく見られた「○○の×× △△」(△△は主人公の名前)というフォーマットまんまだ。「アルプスの少女ハイジ」とか「風の谷のナウシカ」とか「天空の城ラピュタ」とか「崖の上のポニョ」とかこういうフォーマットのタイトルが本当に多い。え? そのタイトルは世界名作劇場にもあるだろって? 言われてみれば「ふしぎな島のフローネ」とか「南の虹のルーシー」とか「牧場の少女カトリ」とかあるなぁ。でもこのタイトルは原作通りのタイトルだから、「ジブリらしさ」を狙った訳ではないようだ。
 それと画面が「いかにもCG」って感じで、キャラクターの動きなどがわざとらしいのも視ていて疲れる。