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第11話 「海賊の宝」
名台詞 「バカ言うなよ、夜が怖くてこんな処に住んでられるか!」
(ハック)
名台詞度
★★★
 名場面欄シーンでシッドとインジャンをまいたトムは、なんとかハックの家に着く。トムは森でインジャンと鉢合わせたことで顔が青ざめているが、ハックはインジャンが宝が埋まっているとされる丘の辺りをうろついているという目撃情報を語る。そしてこの日実行予定だった「宝探し」について「今から行ってインジャンに見つかるのは確かにまずいもんな」と聞くが、トムは青ざめて元気がない。「もう宝探しはやめか?」とハックが強く問えば、トムは「夜探そう」と返す。「夜?」と問い返すハックにトムは「インジャンが宝を探すとすれば昼だ、夜は酒場でとぐろを巻いているから」とする。躊躇するハックに「怖いのか?」とトムが問うた時の、ハックの返答がこれだ。
 子供の頃にこのやりとりを見て、ハックに対して「夜が怖くないんだ…」と言い返しそうになった。何を隠そう、子供の頃の私は夜が怖かったのだ。自宅で過ごす夜でも、寝る時間になって自室で一人になるとやっぱり怖かった。だって実家の自室のすぐ裏は墓地、今考えるとそんな環境の部屋によく小学生に上がったときから一人で寝起きしていたと感心している。そりゃともかく、夜の暗いのが怖かった。自宅以外での夜なんかもっと怖かった。祖父母の別荘で過ごす夜はまだ良かったけど、ボーイスカウトのキャンプとかで過ごす夜は怖くて苦手だった。特に森の中のバンガローやテントで過ごす夜は、自分が夜の闇に飲み込まれるような感じがして、本当に怖かった。そして怖くて眠れなくて、余計に怖くなる…そんな夜の怖さを中学生に上がってしばらくの頃まで感じていた。
 だから私はハックがあんなところに住んでいるのが信じられないし、あんなところで過ごす夜が怖くないというのが不思議でならなかった。トムだって夜間に家を抜け出してハックと行動を共にすることがあり、それが怖くないのかと思って見ていたのは事実だ。でもやっぱりトムも何処かに闇に対する恐怖を持っていて、本話の最後の方でトムは森で樹に捕まる妄想をする…これを見てトムも自分と同じ面があると、ホッとした。
 そういう自分がかつて持っていた「夜に対する恐怖」を思い起こさせてくれるという意味で、今になって聞くと印象的な台詞だ。ハックはある意味、野性的な人なんだろうなぁ。
名場面 インジャンと鉢合わせ 名場面度
★★★
 午後、トムはハックと「宝探し」をする約束で家を出たが、シッドが兄と遊びたいということで着いてきてしまう。村の中でなんとかシッドをまくことに成功したかと思ったが、結局は森の中でシッドは兄に追いつく。トムはシッドに「これから行くところがある」「大事な用だ」と言うと、シッドは「ハックのところへ行くんだね」と言い当てる。シッドはそれを家族に言わないことを約束した上で、シッドはついて行くと聞かない。昼間に学校で兄を助けたことを理由に、着いていこうとするのだ。「ハックと何するのさ?」と問うシッドにトムはやむなく「宝探し」の話をすれば、今度はシッドは「手伝うよ」と言い出す。トムは「これは危険な仕事だ」「宝を狙っているのは僕たちだけじゃない、インジャン・ジョーも宝を探している」とすると、シッドの表情は変わる。「あいつより先に宝を探し出そうとしている」と続けたトムはそこで言葉を切る、森の中に人の気配を感じたのだ。しばらく続く沈黙の時、10秒間の沈黙の後、道の向こうからインジャン・ジョーが現れる。驚く兄弟、靜に近付くインジャン。「お兄ちゃん、僕怖い…」と声を出すシッドを黙らせ、トムはインジャンと堂々とすれ違おうとするか、その歩き方は腰を抜かしていておかしい。シッドは「ぼ、僕、帰る」と逃げるようにその場を立ち去る。トムはそのまま歩きインジャンとすれ違い、木にぶつかって帽子を落とす。「おい、ぼうず」、ついにインジャンが声を上げる。震えるトムに「帽子を落としてるぜ、いらねぇのかい?」と続けるインジャンの声に、トムは帽子を拾ってかぶる。「気ぃつけなくちゃいけねぇぜ」とのインジャンの捨て台詞に、トムは今までの腰を抜かした歩き方のまま笑って立ち去る。
 面白い、ここの兄弟のやりとりと、インジャンが現れてガラリと雰囲気が変わる感じが、何とも面白い。まず兄弟のやりとりだが、兄が楽しそうなことをすると弟が見抜いていて、これに何とか着いていこうとする姿がけなげで楽しいのだ。これは私自身が「弟」という立場で、兄に対して同じようなことをした記憶があるから、シッドの気持ちが分かって楽しいのかも知れない。シッドは昼間学校で助けた事まで武器として使い必死だが、兄も負けてなくて最終的にはインジャン・ジョーという恐怖のキーワードまで使って弟を追い払おうとする。もちろん3人兄弟の真ん中っ子である私は、トムのように友人と遊ぶ際に妹を追い払おうとした経験もあるから、ここも見ていて気持ちはよく分かるから面白い。3人以上の兄弟の真ん中っ子はこのシーンを二倍楽しく見られるんだぞー。
 それはともかく、そんな楽しい兄弟のやりとりを一瞬で凍らせてしまうインジャン・ジョーの登場。この空気の代わり方も凄いが、ここで敢えてトムとシッドをユーモラスに描いたのはこのシーンのこれまた面白いところだ。文章で説明するのは難しいが、トムの腰が抜けつつも胸を張って歩こうとしている歩き方は何度見ても面白いし、シッドも腰を抜かして立つのがやっとだ。恐怖の悪人が現れてもここはやっぱりトムとシッドのままで通したのは、見ていて気持ちが良い。このシーンの二人の描き方が冷徹なまでに怖がっているような描き方をしたら、たぶん白けたと思う。
 こういうところでユーモラスを忘れないのが、「トムソーヤーの冒険」の良いところだと私は思う。
今話の
冒険
 いよいよ始まる「宝探し」。ところがインジャンも同じ宝を狙っているとなると、その実行は困難を極める。そこでトムとハックは深夜に宝探しをすることとして、昼間は丘で遊んでいるフリをしながら下見をするということとなった。そして夜、丘にある楡の木の下を掘るが…今回は何も出てこず。まだ始めたばかりだからと、トム談。 ミッション達成度
感想  サブタイトルからして「宝探し」で突っ走るのかと思ったら、物語前半から中盤はこれから逸れたのでビックリした。確かに冒頭こそは、トムがハックのところへ行って宝探しの相談をするというシーンになっていたが、その後はトムの「学校での立場」という物を描いてくる。これはトムがベッキーと追いかけっこをしているところをドビンズ先生が「ベッキーをいじめている」と勘違いし、ベッキーの説明も聞かずに一方的にトムが悪いと決めつけて鞭打ちをしようとしたのだ。ここでシッドから話を聞いた校長のジャッジが入り、トムの鞭打ちは回避されるがドビンズ先生はそれが気に入らない様子。そしてトムはクラスの仲間たち(もちろんトムとベッキーが仲が良くふざけていただけと知っていた)から最大級の同情をされ、その慰めにと昼の弁当を分けてもらえる。この展開を通して、トムが学校でドビンズ先生に全く信用されていないどころか恨みに近い感情を持っていることと、同時にトムはクラスの子供たちからは絶大な信用をされていることが浮き彫りになる。絶大な信用がなければトムが鞭打ちされるときに「トムは女の子をいじめるようなことはしない」なんて声は上がらないはずだ。同時にシッドが模範生で校長をはじめとする教師から絶大な信用をされていることも描かれる。これらの関係は、夏休みに入るまでの展開では非常に大事だと言って良い。
 そして本筋の宝探しについては、やっと実行されたという程度で終わっている。つまりサブタイトルで期待させておいて、実際には宝探しが実行されるまでの道筋を描いただけだ。この中で名場面欄シーンではインジャンの怖さを再度印象づけることを忘れず、これによって宝探しそのものが深夜に実行されることに対する説得力をキチンと植え付けている。問題をひとつずつクリアしていってやるべき事を実行させるというまったりさも、「世界名作劇場」シリーズならではといった感じだ。今どきの忙しいアニメなら、今話では次話やることをやっちゃってるよ、絶対に。
 もちろん、宝探しそのものはいつまでも続くわけがなく、本作では宝など見つからないままこの宝探しはうやむやになってしまう展開だった記憶がある。次回はその宝探しがうやむやになってしまう事件が起きるわけで、サブタイトルからしてベッキーの怒り顔がもう見えてくるようではないか。でも次回予告ではサブタイトルは読み上げるだけでその内容には一切触れてないからなー、ここも「世界名作劇場」らしくて良い。

第12話 「ベッキー・サッチャー怒る」
名台詞 「怠け者めがーっ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」
(ドビンズ先生)
名台詞度
★★
 深夜まで「宝探し」をしていたトムは、ついに朝起きられなくなってしまう。それでも何とかメアリーにたたき起こされ、登校するが…その登校途中で歩いたまま寝てしまい、ついには弟シッドにも見捨てられる。その後、ベンとエミーが登校中にトムを見つけるが、トムは荷物を枕に、帽子で目隠しをして完全な熟睡モードだ。ベンは起こして学校へ行かせるべきだと主張し、エミーはこのまま寝かせておこうと主張するが、トムは寝ながら「今日は学校へ行くのはやめだ」と言う。それに反応したのはベンやエミーではなく、ここを通りすがったドビンズ先生だった。ドビンズ先生は「そんな訳には行かんよ」とトムに突き付け、ベンとエミーに早く学校へ行くよう促す。そして二人が走り去ると、ドビンズ先生はトムの耳を引っ張り上げてこう叫ぶのだ。
 いや、今は亡き永井一郎さんの演技ここにありって感じですな。この人の声は張りがあるので、こういう叫びには定評があったのは説明するまでもないだろう。波平がカツオに「バカモン」と怒鳴りつけるように、ドビンズ先生がトムにこう怒鳴りつけたシーンは凄い迫力で、なんかテレビの前にいるだけで何もしていない自分が叱られているような錯覚を覚える。この人の怒鳴り声も日本のテレビアニメの一時代を作ってきたことは確かなのだ。
名場面 トムとベッキーの婚約 名場面度
★★★★★
 ある日の午後、トムはベッキーから茶の招待を受ける。トムはベッキーの家へ行き、その庭で二人きりの楽しいティータイムなるかと思いきや、ベッキーの飼い犬のシーザーがすぐにトムに噛み付くので溜まったものではない。ついにトムはベッキーに川沿いを散歩しようと提案し、ベッキーにシーザーとは相性が悪いことを納得してもらって外に出る。その川沿いの丘の上で宝探しについて語り合う、トムが宝を見つけたらベッキーと結婚すると宣言すると、ベッキーは恥ずかしがって「急に言われても困る」とする。「じゃ、婚約しておこう」とトムが言うと、「婚約ならとてもいいわ」とベッキーは返す。そして婚約の印にトムはベッキーの頬にキスをすると、ベッキーは少し喜んで「これで婚約した訳ね」と語る。トムは「そうだよ、これからはいつも僕と一緒だよ。学校でも遊ぶときもダンスパーティの時も、君は僕を選ばなきゃならないんだよ」と語りながら、周囲の花を摘んでこれをベッキーに差し出す。花を受け取ったベッキーはうっとりして「とてもすてき」と語ると、トムは「エミーもそう言っていたよ」とする。ベッキーの表情が瞬時に変わって「エミーって?」と返すと、トムはその表情の変化に気付かないまま「エミー・ローレンスさ、君がこの町に来る前は、僕はエミー・ローレンスと婚約したんだ。そして…あっ」と続けるがもう後の祭り。ガラスが割れる効果音と共に、怒りに震えるベッキーの顔が大映しになる。「ひどいわトム、私の前にエミーと婚約していたなんて」…涙声で叫ぶベッキーにトムは慌てて言い訳するが、ベッキーは「嘘よ、嘘」と叫びながら今受け取った花をトムに投げつけ、「あなたは私よりエミーの方が…」と叫びながら走り去ってしまう。トムはその背中へ向けて「ベッキー、ちょっと待って!」と叫ぶが、ベッキーは振り返るわけもなくそのまま走り去ってしまう。
 序盤の最大のヤマ場はここだと思う。この一件で物語はここまでさんざん盛り上げてきた「海賊の宝探し」が何処かへ吹き飛んでしまうからだ。ベッキー初登場から10話を経て、トムとベッキーの仲は驚くほど順調だった。そして今話ではお茶に招待され、二人きりで語り合い…そして婚約まで行ってしまう。婚約の印としての頬へのキス、もうこれはトムにとって絶頂と言うしかないはずだ。ここまでトムを持ち上げたときに、視聴者は思い出すはずだ…今話のサブタイトルを。
 そのサブタイトル通りのシーンはこの絶頂の直後に来るのは予想外だが、ここでトムはエミーの名前を出してしまったところで大人の視聴者は「やばっ」と思ったところだろう。女の子にいわば告白した直後に、別の女の子の名前を出すだけでNGなのは、大人になって女性と付き合った経験があるからこそ解ること。だから既にエミーの名前が出ただけでベッキーが怒る理由が出来上がっている上、ベッキーが表情を変えているところまで描写されているのに…火に油を注ぐという状況を絵に描いたようにトムの台詞が進んでしまうからこそ、今度は大人だけでなく子供まで「やばっ」と思ってしまうところだ。大人になってこのシーンを見たとき、ベッキーの表情が変わっているのにトムがエミーの話を続けた瞬間、胸が痛くなったよ…「ああ、こりゃダメだ」ってね。しかもよりによってトムはエミーと婚約していたと来たもんだ…視聴者はトムがエミーの頬にキスをしているシーンを想像してしまうより先に、もうベッキーが怒りに震えている。
 このシーンの伏線として大事なのは、名台詞欄シーンで出てくるエミーだ。トムは寝ぼけてエミーに「大好きだよ」と言ってしまい、エミーはそれを聞いて「やっぱり好きだったのね」と喜ぶ。つまりベッキーが現れる前はトムがエミーに力を入れていた事が示唆されていて、その上でエミーの側は今でもトムが好きだと明確になるのだ。だから視聴者は余計にトムがベッキーの前でエミーの名前を出したことに危機感を煽られるようにできている。
 このベッキーの怒りを印象に残るようにうまく作ったと感心する。そしてこの怒りによってトムとベッキーの仲は一度ご破算になり、物語は新しい展開へと進んでゆく。もちろん、それはベッキーと仲直りする長い道のりの始まりでもあるのだ。
今話の
冒険
 前話からの流れで、夜の宝探しは続く。トムの目標は、宝を見つけて金持ちになってベッキーと結婚すること。これにシッドも手伝いたいと申し出るが、トムは何とかしてシッドを追い払おうと夜の森の怖さを語る。シッドは震えて「ゆっくり考える」とするが、やはり次の日の夜には「一緒に行く」と言いだす。ところが今度はトムの方がベッキーにフラれて宝探しを続ける意味を見失い…宝探しはやめになってしまった。 ミッション達成度
感想  サブタイトル「ベッキー・サッチャー怒る」…今話はその瞬間まで、このサブタイトルを無視するかのように話が進む。ハッキリ言ってこれは前回についている次回予告から一貫した流れだ。次回予告では宝探しの話しかしないし、今話が始まっても宝探しと、これに関連したトムの寝不足の話で引っ張る。そして視聴者が今回のサブタイトルを忘れた頃に、ベッキーがトムをお茶に招待した物語へと流れ、トムとベッキーの甘いひとときを演じる。そしてそのその甘いシーンが最高ちょっになったところで、突然サブタイトル通りの物語になってトムは一絶頂から一気に最悪までつき落とされる。視聴者はこの波乱の展開についていくのが大変だけど、面白いと感じるところだ。
 そして終わってみると、中盤をトムの寝不足で引っ張った理由が見えてくる。これは名場面欄にも書いたが、この過程でエミーの存在を視聴者に刻みつけるという伏線だったからだ。これが伏線として上手く機能したことで、トムがベッキーの前でエミーの名前を出したところで今話のサブタイトルを思い出して何が起きるかを理解する、という印象的な展開だ。
 しかし、シッドもなかなかしつこいなあ。というのはやはり兄が企んでいることだとてつもなく楽しそうだという、「弟の直感」みたいにものがあるんだろう。だから森での恐怖の話をされても、結局は弟の方でこれに対抗する術を考えてしまう。こんな感じで何が何でも兄に着いていこうとする弟の姿は、やはり自分に覚えがあるから見ていて親近感が湧く。もちろんそれを追い払おうとするトムの気持ちもよく分かる。こういう兄弟の攻防を丁寧に描くアニメって、私は「世界名作劇場」シリーズの他には知らない。ポップル家の姉弟たちや、アンネットとダニー、それに若草の四姉妹がこれをじっくり演じてきたのは説明するまでもないだろう。主人公に兄妹があると、これに応じて描かねばならい「家族」という要素が増えるから大変だろうなぁ。
 これから物語は、いよいよディズニーランドでも再現されている無人島へと話が向かう。ベッキーとの喧嘩は痛いが、それはそれで楽しみな展開だ。

第13話 「海賊になるんだ」
名台詞 「海賊は海へ行かなくちゃできないんだろ?」
(ベン)
名台詞度
★★
 下記名場面欄のやりとりで、「海賊になろう」と言い出したトムにベンが突っ込みを入れた一言だ。
 そうベンの言うとおり、海賊は海でやるものだ。海に現れる賊だから「海賊」なのであって、山に現れれば「山賊」なのは言うまでもない。物語の舞台であるセント・ピーターズバーグには海はない。ミシシッピ川という大河はあっても、海がないのは厳然たる事実だ。ここで賊をやったら、それは「海賊」ではなく「川賊」になってしまう。
 なのにサブタイトルは「海賊になるんだ」で、主人公は「海賊になるぞ」と盛り上がっている。「海がないのにどうやって?」と視聴者は画面の中のトムにツッコミたいのを我慢するしかないが、そこをベンが代弁してくれるからとても面白い。
 トムもこのツッコミに対し、一瞬は絶句するものの「海へ出る前に訓練する必要がある」となんとか切り返す。でもここから海は遠い、セント・ピーターズバーグのモデルとなったミズーリ州ハンニバルから最も近い海岸線までゆうに2200キロはある。この遠さはこの台詞を吐いたベンも、「海賊になる」と提案したトムも知識としては知っているだろう。その2200キロの長さを体感したことはないかもしれないが。
名場面 トムとベン 名場面度
★★★
 トムがベッキーを怒らせてしまった後悔の念に苦しんでいたある日、ベンの方でも事件が起きる。ベンが家にあったクリームを舐めたと一方的に決めつけられ、ベンが父から鞭打ちの罰を食らったのだ。この事件で家から飛び出してきたベンは、倒木に腰掛けている傷心のトムの隣に座る。そして語る「父ちゃん、俺のことなんかまるっきり信用してないんだ」「俺も、おばさんに全く信用されていないよ」「父ちゃんはきつと家から俺を追い出そうとしているんだ」「おばさんもシッドは可愛がるけど、俺のことは全然」…ここまで会話が進むと、ベンは何かを決意したように大きく息を吸ってから「家出しようと思うんだ」と言う。トムはその言葉に一瞬驚くが、「そいつはいいや」と返す。「何処か山の中へ行って一人で暮らすんだ」と力強くベンが言うとトムは「そいつは寂しいだろうな」と返すが、「それでもあの父ちゃんの顔を見ないで済むなら天国みたいなもんさ」とベンの決意は変わらない。これにトムは力強く言う「そんな山の中へ行くより、海賊なったらどうだ?」と。「海賊?」「そうとも、俺は海賊になるつもりなんだ、とりあえず家を出て何処かに根拠地を作る」「(名台詞欄の台詞)」「え?…海へ出る前に根拠地で戦闘訓練をする必要があるんだ」トムはここで木から飛び降り、「俺の仲間になれよ」とベンを誘う。「海賊の方が面白そうだな」とベンは話に乗るが、「だけど二人だけかい?」とトムに問う。トムは「ハックも入れるさ」と返して飛ぶようにハックの家へ向かって走り出す。「追い待ってくれよ」と追いかけるベン。
 ここが、ここから4話にまたがる無人島での大冒険の始まりだ。家では叱られ続け学校ではガールフレンドに無視され続ける傷心のトムと、家で濡れ衣を着せられて怒りと悲しみのベンが意気投合して家出を決意する。その家での決意の言葉がベンから出てくるが、トムはこれを単なる家出にするのでは面白くないと「海賊になろう」とするのは単なる家出では面白くないからであることは明白だ。もちろんトムはこの家出の先に本当に海賊になることも視野に入れているはずで、トムは本当に海賊になるかどうかはともかく「壮大な海賊ごっこ」のつもりでなくガチなサバイバルを前提にしているのは確かだ。
 この話に乗るベンは家出を決意したとは言え、一人で家出するのを躊躇していたのは確かだ。本当に家出するなら誰にも言わず一人でこっそり出て行けば良いのに、わざわざトムに話をすることが根拠だ。トムなら一緒に家出をするとは思ってはいなかったと思うが、引き留めるか背中を押すかどちらかのかたちで結論をくれると感じていたのだろう。そこで出てきた話が「海一緒に海賊になろう」=「一緒に家出をしよう」だったのだから、話に乗らない手はなかったのだ。
 こうして二人の家出が決まり、同時に家がないハックを引き込むことが決まって、話は無人島での大冒険へと駒を進めるのだ。
今話の
冒険
 今話から数話またがっての冒険は、「トムソーヤーの冒険」を象徴する冒険のひとつである「無人島での大冒険」だ。家庭や学校で嫌なことを体験したトムとベンが、そのようなしがらみを持たないハックを巻き込んで家出する。そして筏に乗って川に浮かぶ無人島へと渡るのだ。トムは家を出てくるのに難儀したが一行は無事に筏で出帆、途中川を行く蒸気船と衝突しそうになりながらも、無事に無人島に上陸した。 ミッション達成度
★★★
感想  本話からは「トムソーヤーの冒険」を象徴する物語のひとつである「無人島での大冒険」の物語が始まる。始めてこのアニメを見たとき、トム達が筏で村の港を出て行ったシーンでは「どうなることか」とわくわくしたものだ。でも「ジャクソン島」という無人島の存在が示唆されたとき「海なんかないのに」と思ったけど、よく考えればミシシッピ川は蒸気船が航行するほどの大河なのだから、無人島があるほどの凄い川なんだと思って納得。でも本当は「無人島」というより「中州」と言った方が正しい存在なのかも知れない。
 今回ではキチンと、前回のトムがベッキーを怒らせた件を引きずっているのは感心だ。それでトムが傷ついたまま立ち直れない様を徹底的に描いたところで、話を突然ベンに持って行く。ベンが父親と喧嘩をするシーンが描かれ、次のシーン(名場面欄シーンの始まり)でトムと並んで川の倒木に腰掛けている場面に切り替わったところはとても良い間で描かれたと思う。トムの傷心シーンのラストが、トムが一人でそこに腰掛けているシーンだったのがうまく処理されたと感心した。
 そしてトムとベンで話が決まり、ハックもOKを出したところで話を急がないのが、今話のもう一つの良いところだ。トムがそれとなくポリーおばさんに別れを言うシーンをだけでなく、シッドがトムが家出に持ち出すつもりだった荷物を見つけるという余計なシーンまで差し込んでいる。この余計なシーンが余計でなくなるのは、トムの到着が遅れたとこでハックとベンの会話シーンを挟むことだ。もちろんここではベンが夜は外を出歩かないことと、ハックはいつでも外にいることの対比がされ、ハックに「昼も夜も変わらない、夜に怖いことなんか起きない」と言わせることだ。
 トムが遅刻し、崖から滑り落ちるという本当に余計なシーンを挟んでの出航。無人島へただ渡るのでは話が平坦すぎると感じた頃に現れる蒸気船、これと衝突しそうな筏…あくまでもトムは相手船のせいのするのはおやくそく、蒸気船の立場で言えば航海灯も付けていない手こぎの筏が夜間に見えるはずがないっつーの。
 無人島へ上陸して最初の食事と、最初の就寝シーン。もうベンが後ろめたさを感じているのは「早すぎないか」と思うが、彼はそういうキャラなんだとここで確定させる。そしてこれだけで終わらせず、トムの家で、そしてベンの家で、それぞれトムとベンの行方不明が発覚するところまでを今回のうちにやってしまう。こんな感じで特に後半は色々詰め込んだのだが、詰め込み感がなくゆったりと物語が進んでいったのだから面白い。
 さて、無人島でどんなことが起きるのか? そしてトム達がいなくなって村の人たちの反応は? ベッキーが何を思うのか?いよいよ見どころが多くなってきたぞ。

第14話 「海賊には学校はない」
名台詞 「海賊が蒸気船のパイロットになりたがっているって言うのも、おかしな話だな。」
(ハック)
名台詞度
★★★★
 無人島でトム達は通り雨に遭い洞窟に避難、これによって住処を洞窟にすることに決定する。雨が上がり荷物を洞窟へ移動させていると、島の前を蒸気船が通過してゆく。これを見てトムが「俺は絶対に蒸気船のパイロットになるんだ」と言えば、ベンが「俺も」と続ける。これにハックが続けた台詞がこれだ。
 そう、ハックの言うとおりこれはおかしな話だ。彼らは今「海賊」であるが、海賊というのは海で商船などを襲って金品を奪うのが仕事。蒸気船のパイロットというのは、海か川かの違いはあれど商船の船長ということだ。つまりここでは「海賊」を自称するトムとベンが、その「海賊」の被害に遭う側になりたいと言っているのはおかしいのだ。
 だがトムらの蒸気船へのあこがれは既に何度も描かれていて、彼らが「蒸気船のパイロットになりたい」と口にするのは不自然ではない状況は本作の中で完成している。だからこのシーンでのトムとベンの台詞が「おかしい」と重い視聴者は案外少ないかも知れない、そこをハックがキチンと確認するから面白い。やっぱりこういうツッコミ的な台詞はハックが吐くのが自然で、ハックがトムらの冒険の陰で支えているのは確かだと感じざるを得ない。
 だがこのハックのツッコミにトムは負けない。「もしパイロットになれるんだったら、海賊なんかすぐやめる」と宣言し、ベンもこれに賛同するのだ。ひょっとすると、ここでの3人の生活について最も平和な終わり方は、蒸気船がやってきて「お前らをパイロットにしてやるから乗れ」という展開になることだろう。そんなことはあり得ないが。
名場面 ベッキーの不安 名場面度
★★★★
 無人島で2夜目、ハックが先に寝てしまいトムとベンが焚き火を囲んでいるが、二人は黙っていて会話がなく静かな夜だ。その中でトムがベッキーに嫌われた悲しみを思い出し、地面にベッキーの名前をいくつも書く。これをベンに見つけられて慌てて消すのだが…。その頃、ベッキーは自室の窓を開けて不安げな顔をして外を見ていた、そこに母が現れる。ベッキーは母にトム達が心配であることを打ち明けるが、母は「何処かで遊び回っているんですよ」と村人の平均的な声を言うに過ぎない。これに対しベッキーは「だったらいいけど、ひょっとして…私トムと喧嘩したの」と母に打ち明ける。「あらまぁ、でも子供にはよくあることよ」と返す母にベッキーが「トムはひょっとしたら、私と喧嘩したことを悲しんで…」と言いかけたところを、母は笑いながら「ばかばかしいことを言うんじゃありません」と遮る。「明日の朝、学校へ行けばきっとトムの元気な顔に会える」と娘を諭し、母は退出するが…ベッキーの不安げな表情は変わらない。
 夜、無人島のトムとベッキーが想い合っているシーンだ。喧嘩から時を経て、二人のうちベッキーの気持ちが多少落ち着いてきた事を示唆しているのは確かだ。トムは無人島での仲間達との楽しい時の中でベッキーとのことを忘れていたが、やはり夜靜になるとこれを思い出さずにいられない。恐らく、ベンと無言の時を過ごして悲しい表情をしたトムの脳裏には、ベッキーの笑顔と怒った顔が交互に思い出されていたのだろう。そういうイメージシーンを安易に使わないことが、このシーンは第三者的目線になっていてとても良いとも思う。
 一方のベッキーは、トムがベンと共に行方不明になった事に責任を感じているのは確かだ。確かに喧嘩の原因はトムの失言だが、その喧嘩をしてしまったことが重大な事件を引き起こしたと悔いているのである。そしてもしトムにもしものことがあれば…このようにトムが消えたことの責任を感じることで、自分を見つめ直すことができたのだと思う。トムと喧嘩を回避する術はあったのではないか、キチンとトムの話を聞けば良かったのではないか、その後もトムに冷たくする必要まではなかったんじゃないか…と。
 もちろん、話を聞いた母の役割はその娘が感じている責任感を和らげることだ。だからこの段階では母はこのように反応するしかないだろう。トムが姿を消したのは娘との喧嘩が原因なのかどうかハッキリしないうちは、これ以上は言うことはできない。
 いずれにしてもこの夜のシーンで、トムはベッキーを忘れたのではないことと、ベッキーが事件を通じて落ち着きはじめたこと、これらが示唆されたことでとりあえず仲直りに通ずる発端ができたと言って良いだろう。もちろん二人が仲直りして今まで以上に仲良くなるためには、様々な壁を乗り越えなきゃならないが、それは「無人島での大冒険」が終わった以降の話。いずれにしても「トムとベッキーの物語」と言う点においては、このシーンはとても重要で印象的なのは間違いない。
 このトムとベッキーの喧嘩も、「世界名作劇場」シリーズでは有数の大喧嘩だと思う。シリーズ最大の大喧嘩であるアンネットとルシエンや、それに匹敵するアンとギルバートには叶わないが…あ、ベッキーの中の人はアンネットと同じだった。
今話の
冒険
 もちろん今回の冒険も「無人島での大冒険」だ。朝起きた彼らは早速裸になって川に飛び込んで水遊び、そして釣った魚をその場で焼いた食事をする。そして島全体を知るべく探検を始め、島の最も高いところから川を見下ろす。通り雨に遭遇し、住処となる洞窟を発見しと文字通り大冒険の時を過ごすのだ。その上通り雨で増水した影響で乗ってきた筏が流され、彼らは島に閉じ込められるという逃げ場のない冒険をさせられることになる。文句なしの達成度★5つだ。 ミッション達成度
★★★★★
感想  いよいよ「無人島」での大冒険の幕が切って落とされる。無人島は川幅約1.2キロのミシシッピ川の、イリノイ州側の沖合約250メートルのところで細長いかたちをしているという。セント・ピーターズバーグのモデルとなったミズーリ州ハンニバル付近のミシシッピ川の川幅にほぼ合致しており、このイリノイ州側に「シャック島」という無人島が実在する。ミズーリ州側からの距離は800メートル、イリノイ州側からの距離は約100メートル。島は長辺が約1.5キロ、短辺が約400メートルの細長いかたちで、これが劇中に出てくるジャクソン島と合致しているのは確かだ。日本にはこの島のサイズにほぼ合致する有名な島がある、神奈川県の「江の島」だ。
 そこでの冒険は「今回の冒険」欄に記したからこの欄では割愛するが、「無人島の3人」と「村の人々」との二元中継で物語が進んでゆく。村の人々の物語は、当然のことながら村から子供が二人行方不明になった騒動を描くものだ。トムとベンが家から消えたことが発覚するまでは前回のうちに描かれているが、その事実が学校や教師に、そして保安官へと広がっていって騒ぎになり、これによって原因のうちの一人であるベッキーが何を思うかまでを、「無人島での大冒険」の合間に描いている。もちろんポリーおばさんが倒れるほどに心配し、ドビンズ先生が高圧的に二人の行方を子供達に問うといったシーンも展開される。そして名場面欄シーンに行き着く。
 しかし、劇中では通り雨として描かれたあの雨は、今の日本なら「ゲリラ豪雨」って言われそうだな。ミシシッピ川のような大河の水位を変えて筏を流してしまうしまうほどの雨なんだから、間違いなく豪雨クラスだ。時雨量で50ミリに達しなきゃミシシッピ川のような大河の水位に影響は出ないだろう。
 この筏が「トム達が遭難した」という結論を村人達にさせてしまい、物語は面白い方向へ進んでいくのは次回以降の話。今話ではまだ村人達の間に楽観論が流れていたが、今話のラストで筏発見のニュースが流れて空気が変わるのはその前兆だ。それとは別にベッキーが不安がっているのは、あくまでも名場面欄に記した「自分に責任がある」という考えに達してしまったからだ。

第15話 「冒険・冒険また冒険」
名台詞 「お兄ちゃん、幸せだな。死ぬとけっこう色々と褒められてさ。」
(シッド)
名台詞度
★★★
 村ではトムとベンとハックの3人が川で溺れたものとして、蒸気船まで使った大規模な捜索が行われたが、3人の行方の手掛かりは全く得られなかった。流域の村からも該当する子供達を目撃した情報はなく、捜索は八方ふさがりになる。トムの家で保安官はポリーおばさんとベンの父に厳しい決断を告げる、日曜日までに3人の遺体が揚がらなくても死亡したものと扱って葬儀を行うというものだ。これにポリーおばさんは号泣し、ベンの父は暗い表情で応える。保安官とベンの父が帰ると、メアリーはポリーおばさんに早く眠るよう促し、ポリーおばさんは「こんな事になるんだったらあの子の事をあんなに叱るんじゃなかった。鞭で打つなんてしなければよかった」と悔いる。そして「考えとみるとトムはとても良い子だった」と続けると、メアリーがこれに同意。これに対してシッドがボソッと言う台詞がこれだ。
 シッドはトムがポリーおばさんやメアリーに隠れて、夜中にこっそり抜け出して何かやっている事はよく知っている。その内容は自分にも隠す事があるし、教えてくれてもポリーおばさんには内緒だとされた事は一度や二度ではないはずだ。こうしてトムが「良い子ではない」実状を最前線で見ていたと言っても過言ではないだろう。そしてその辺りをポリーおばさんやメアリーも察しているということまで知っている。だから大人から見てもトムが「良い子ではない」という事はよく知っているのだ。
 その上で、自分が大人に信用される良い子になるためにそれなりに苦労して来たという自負もあるはずだ。大人の言いつけはキチンと守り、勉強をしっかりとして良い成績を上げ、常に行儀良く過ごすという子供にとって大変な苦労をして、シッドは現在の自分の地位を築き上げたという自負があるはずなのだ。だからこそ「死んだらしい」というそれだけで突然トムがポリーおばさんから褒められるのが気に入らなかったのだと思う。だからこそこういう本音がボソッと出てくることがよく分かる。
 そしてこれを裏付けるのが、この台詞の直後のシッドとメアリーのやりとりだ。ポリーおばさんに眠るように促されたシッドとメアリーは、二階の自室へ向かう階段を上る。この際にシッドは「ねぇ、お兄ちゃんって本当に良い子だったのかな?」と問うと、メアリーは「そうよ、トムは良い子よ」と答える。だがこれにシッドは納得がいかない様子で「そんな事聞くと、僕はなんだか損したような気持ちになるな」と答えるシーンだ。これこそシッドが「自分が良い子になるために苦労してきた」と考えている証拠だ。シッドはやっぱりトムの弟で、トムとは違う方向で頭を働かせて美味く生きている事がこれらのシーンから解るのである。
名場面 島への帰還 名場面度
★★★★
 名台詞欄シーンを受けて、ポリーおばさんは部屋で一人になると「神様、神様、どうかあの子が無事でありますように。どうしても仰るなら、私を天国にお召しください。トムはもうしばらくこの世においてやってください」と祈りながら、再び号泣する。そしてその様子を、いや名台詞欄シーンから全部を、トムは部屋の窓のすぐ外でのぞき込んで見ていた。これを見たトムも部屋の外で声を立てずに泣く。そしてトムはしばらく泣いた後、家から走り出す。そして港へ行ってボートを見つけ、ハックとベンが待つ無人島へ向けて漕ぎ出すのだ。ボートを漕いでトムが去った水面の向こうに、無人島の陰がぼんやりと浮かび上がる。
 トムがポリーおばさんが号泣するのを見て何も感じないはずがない。これまで親代わりとして自分を育ててくれた事、ことあるごとに自分を叱ったのが何故なのか、トムも解っていたはずだ。それは自分が可愛いからである。だけとポリーおばさんはそんな感情を胸にしまい、心を鬼にしてトムが良い子になるよう叱ってくれている…トムはそんな事は百も承知のはず。自分が姿を消せば心配する事くらいは解っていたはずだ。
 しかしのポリーおばさんの愛情がトムの予想以上だった。おばさんはトムが元気に見つかるなら自分が代わりになって良いとしている。その祈りと苦悩の本気度を見せられ、トムは隠れてなんかいられなかったはずだ。
 だがトムは堪えた。これを堪えて仲間との約束を守る道を選んだ。今のトムは家族の元に帰ってきたのでなく、ハックやベンの代理として村の様子をちよっと見に来ただけなのだ。無人島での家出生活を言い出した立場であり、これを継続しようと主張し、今回は様子を見たらすぐ戻ると約束した手前、ここでポリーおばさんの胸に飛び込むわけには行かない…これはトム自身がこのシーンでナレーションしているが、そのナレーションを聞かなくても充分に伝わる。
 だがこのシーンを見ながら、ふたつの「もしも」を考えてしまう。
 もし村の様子を見に行ったのがトムではなくベンだったら、父親が心配しているのを見たら父の胸に飛び込んでしまい島に帰還しないどころか、トムとハックの居場所を通報されて楽しい冒険生活の幕が閉じられてしまう。
 もしトムが家族の様子だけでなく、サッチャー家に行ってベッキーの様子も見ていたら…トムはベッキーが自分を心配して泣いている姿を見て、やっぱり島に戻らないかも知れない。なにせトムが家出する理由がなくなってしまうからだ。
 無人島での生活にこだわるトムも、このシーンのところではさすがにぐらついたが、仲間の事を想って帰った…これが伝われば本話は大成功で、これがこのシーンなのだ。
今話の
冒険
 「無人島への大冒険」はまだ続く。トムがベンにチャンバラのやり方を教えたり、島の森の中でターザンロープごっこして遊んだりともう留まる事を知らない。ところが彼らはミシシッピ川で遺体捜索をしている蒸気船を見て、彼らが自分たちの遺体を探している事を知る。これをきっかけにベンが「村の人たちが自分たちについてどう話しているか」を気にし出し、トムもハックもそこは気になったようだ。このためトムが代表で村に戻って様子を見に行く。イリノイへ泳いで渡り、渡し船が牽引する小舟に忍び込んでセント・ピーターズバーグへ。後は名台詞欄、名場面欄の通りだ。 ミッション達成度
★★★★
感想  この話も子供の頃に見たのをよく覚えている。登校中のベッキーがトムを探しているシーンや、ドビンズ先生がトムらは死んだと教室で語るシーン、これら遺体捜索船のことや、トムが一度村へ様子を見に行くシーンなど覚えているシーンがとても多い話だった。
 物語は前回同様二元中継だが、村の方ではあくまでもトムらが死んだ前提だから見ていて面白い。そしてそれを知ったトムらも視聴者同様にこれを楽しんでいるから面白い。だけどこの要素がこの「無人島での大冒険」に暗い影を落とす事になる。元々ホームシックの疑いがあったベンが、「村で自分たちについてどんな話になっているか」を気にし始めたのだ。自分が死んだとあれば、死んだ事でどのように話が出来上がっているかが気になるのは自分も確かだとベンの話に頷いてしまう。トムもそこが気になっているのは、該当シーンを見ていれば説明されるまでもなく解るだろう。
 そして本題が名台詞欄シーンと、名場面欄シーンということだ。村ではもうトムらの死亡確定宣告の直前まで行っていて葬式の日程まで決まっている有様、これにポリーおばさんがどう反応するかをキチンと描き、この反応を実はトムがのぞき込んでどう反応したかというストーリーだ。ここへ至るまでの順序立てが実に上手くいっていて、トムが無人島から村へ往復する手段にちょっと無理はあるとは言え、自然に話が転がっているので見ていて気持ちいい。
 そしてポリーおばさんの心配を見たトムがぐらついた事で、この「無人島への大冒険」は終焉が近い事を視聴者が知る事になる。トムから報告を聞けばベンは帰ると言い出すのは確かなので、この結果報告を次話に回したのは正解だ。だがこのまま村に帰るのではこの「無人島での大冒険」はオチがつかず、物語的に終われないのも確かだ。間違いなく次話ではこの「無人島での大冒険」の終わりと、これに相応しいオチが描かれる…そう期待させるように物語が上手くできていて、次が楽しみになるよう上手く作ってあると感心だ。

第16話 「トム・ソーヤーの葬式」
名台詞 「何処でも同じだな、俺は。」
(ハック)
名台詞度
★★★
 名場面欄に書いたトムとベンとハックの葬式が終わると、家族に出迎えられたトムやベンとは違いハックは一人で家に戻る。そして嵐で家が一部壊れているのに落胆しつつも、家の中に入って横になる。そして呟いた台詞がこれだ。
 この「無人島での大冒険」という家出生活を経て、ハックだけは何も変わらなかったのである。トムもベンも自分の葬式中に家族の元に帰るという劇的な帰り方をして、それぞれ家族との絆を痛感してそれを新たにしたところだ。トムは家族だけでなく、ベッキーとの関係も新たにしたと感じたのをハックは見ているはずだ。だがハックだけはそのようなものはなにもない、一緒に住む家族もいないし、帰るべき場所として木上の家があるだけだ。そこで家出前と変わらない生活を続けるだけだ。
 もちろん、ハックにとって無人島で過ごした日々はそれまでの彼の日常とは違ったはずだ。昼間は学校へ行って会う事ができないトムや友人と一日中一緒にいただけでなく、寝食まで共にした。朝から晩までトムと一緒に過ごして文句を言う者もいないし、何よりも自分の姿を見ただけで「宿無し」と罵る村人達もいない、清々した生活を送れたはずだが…ハックにとってはそれだけである。トムやベンとの絆は今まで以上になったかも知れないが、戻ってきた自分を出迎える者は誰も無く、元通りに戻るだけなのだ。
 そのハックの寂しい実態を、ちょっとだけのぞき見されられた気もするし、やはり現在は一人暮らしの自分にとってこのハックの気持ちは理解できる。そういう意味で最後のこの台詞がとても印象に残った。
 (次点)「なんだか変なお葬式でしたわね。でもちょっとばかり感動的だったわ。」(サッチャー夫人)
…葬式が終わり、参列者が三々五々帰宅の途につき始めた頃、馬車に乗ったベッキーの母が呟く台詞。この台詞はこの葬式の空気を視聴者に代わって代弁しているように感じた。弔われている当人達が突然現れる変な葬式であり、その当人達の生還を皆が喜ぶ感動的な内容だったのは、視聴者として見ても確かだった。
名場面 トムソーヤーの葬式 名場面度
★★★★
 村の教会でトムとベンとハックの3人の葬式が始まる。まだ幼気な少年3人の葬儀とだけあって、その雰囲気は重く、悲しいものに包まれていた。その葬儀の始まりを告げる賛美歌が歌われている頃、トムとベンとハックはコッソリと教会に近付く。トムは「牧師さんのお説教が一番盛り上がったときに俺たちは叫ぶんだ、俺たちは帰ってきた、死を乗り越えて帰った来た!」とベンとハックを鼓舞する。そして牧師の説教が始まった頃、3人は教会に忍び込んでその最後尾に隠れて様子を見る。続く牧師の説教、そして教会を包む参列者の嗚咽。牧師の説教は「3人は天使である」として、神が3人を自身のそばに招いたと続く。その説教の内容にトムは目に涙を浮かべて立ち上がり、ベンがこれに続く。牧師は力を込めて「嗚呼、私たちはもうこの世では、絶対にあの3人の子供達の顔を見る事ができない」と論じた瞬間、説教の途中なのに突然「ああっ!」と叫ぶ。牧師は真正面に、目に涙を浮かべた3人の姿がある事を認めると、今度は指をさして「あっあっあーあー!」と叫ぶ。参列者が牧師が指さした方向を見ると、今度は教会の中が様々な叫び声に包まれる。そして沈黙のあと、3人は涙をぬぐってから帽子を取って前へと歩く。ポリーおばさんが「トム! あんた本当にトムなんだね?」と叫ぶと、トムは「そうです」と返して感動の抱擁。続いてベンの父親が「このバカヤロー!」とベンを殴った後、ベンを抱きしめる。続いてトムとシッドやメアリーとの抱擁が演じられた後、牧師が「奇跡が起きました!」と場を取り繕って一同が賛美歌を歌う。賛美歌を歌いながらトムがベッキーの方を見ると、ベッキーは笑顔でトムを見つめている。
 サブタイトル「トムソーヤーの葬式」と見たとき、トムの事だから自分の葬式があると知れば絶対にそこへ行くだろうなと思っていたら、その通りになったと思ったシーンだ。トムの葬式は悲しくなればなるほど、何が起きるかを察している視聴者としてはおかしいシーンになってゆく。だがこの葬式はトムが思い描いていた展開とひとつだけ違った点は、実際に出てみたらトム達にとっても悲しい葬式だったということだ。だからトムは格好良く「俺たちは帰ってきた」と宣言するつもりが、それができなくなってしまった。でもだからこそ良い、トムが自分の葬式に悲しんで自分の思い通りにできないからこそ、この葬式シーンは「葬式の最中に弔われている本人が現れる」というとても難しいシーンにリアリティが出たのだ。もしこれがトムの企み通りに宣言していたら、この葬式は白けたかも知れない。
 また葬式シーンの最後の方でトムとベッキーが見つめ合うのも注目点だ。トムが家出をした最大の原因は、ベッキーの前で取り返しのつかない失言をしていまい嫌われたことであって、そのベッキーの反応はトムにとっても気になるところだったはずだ。ところがそのベッキーはトムを見て笑顔である、つまりトムにはベッキーが以前ほどは怒っていないという確証を取れたわけであって、トムにとっての「帰ってきて良かった」がここにキチンと描かれているのだ。もちろん、トムとベッキーの仲直りはすんなりとは行かないのだが、それは次回以降の話だ。
今話の
冒険
 「無人島での大冒険」最終章、もうベンは完全なホームシックになっていて、これを見たハックまでもが帰ると言い出す。これを見たトムは新たな「冒険」を思いついて、二人の無人島滞在を2日間だけ引き延ばす事に成功する。トムは村の様子を見に行った事で自分たちの葬式が行われる事を知っていたので、その葬式の最中にひょっこり顔を出すというかたちで村に帰る事だ。この企みは大成功だが、葬式があまりにも悲しいので「俺たちは死を乗り越えて帰った」と高々と宣言する事はできなかった。 ミッション達成度
★★★★★
感想  「無人島での大冒険」は楽しかったが、視聴者としてはそろそろ飽きてくる頃であるのも確かだ。そこへトムが戻って村の様子を見た事で、ベンがホームシックにかかってしまい「帰ろう」と主張するところから今話が始まる。これにハックものって、ハックとベンが泳いで帰ろうとしたのをトムが止める。ここで何を思いついたのか語らず引っ張るのは、初めてこの作品に触れる視聴者に対してなら大成功だろう。
 前述したように、視聴者ももう「無人島での大冒険」はお腹がいっぱいになってきたところで、ベンがホームシックでハックが帰ると言い出せば、この家出生活を支持しているのはトム一人になってしまう。だが同時にもう一つの問題は、このまま帰ったのでは家出生活にうまくオチが着かない事だ。面白い事にこれは一番強く感じているのは劇中のトムだ。トムが仲間二人が帰る事を主張しても島での生活にこだわったのは、トムにとって帰るきっかけがないからだ。トムとしてはこの生活を終わらせるならただ村が恋しくて帰るのでは無く、派手な事をして人々をあっと言わせるような出来事が欲しかったのだろう…恐らく、一度村へ帰って様子を見たときに「日曜日に3人の葬式がある」と知ったときから、「葬式会場にひょっこり現れる」という帰還方法を思いついていたのだろう。最初はこのプランを自分の胸の中にしまっておいて、当日に色々理由を付けて村へ帰って二人も驚かせようとしたのかも知れない。恐らく「帰る」と主張したのがベン一人だったら、ベンをなんとか説得して2日間持たせる事はできると考えたと思う…だがハックまでもが「帰る」という話に載るというのは計算外だったことだろう。だからトムは二人にこのプランを話したと私は解釈している。このプランにハックは載ったが、ベンは最初は乗り気では無かったのだろう。だが多数決になると弱い立場で約束させられたんだろうな…でもそのおかげでベンは、「自分の葬式に出る」という誰も味わえないような体験をできたのだから、幸せだぞ。
 そしてトムの葬式が決まり、人々の悲しみをキチンと描くからこそ、何が起きるか解っている視聴者にとって笑いが止まらない展開になってゆく。ポリーおばさんやベッキーが悲しめば悲しむほど、盛り上がってゆくのは確かだっただろう。ベッキーはトムをあんなに嫌ったのに、そのトムが自分との喧嘩が原因で死んだとあっては悲しむしかない。その悲しみ方がとても深いので…ベッキーには悪いがこれで話が面白くなってしまった要素だ。泣き続けるベッキーを最初に父が、続けて母が励ますシーンが描かれると、その都度話が面白くなって笑えてしまう。「世界名作劇場」シリーズでは様々な「葬式」が描かれているが、始まりにあたって、そして式が進むにあたってこんなに笑える葬式は他にはない。登場人物達が悲しめば悲しむほど面白くなる葬式なんて、他には絶対にない。まさにベッキーの母が最後に言ったとおり「変なお葬式」で「ちょっとばかり感動的」だったのだ。
 もうひとつ、本話ではキチンと「オチ」が演じられた事も忘れてはならない。葬式の夜、トムはポリーおばさんから叱られてげんこつを沢山もらったと、トムがナレーションするのだ。このフォローがなかったら、この話は家出を正当化するような内容になってしまうところだった。トムが家出についてはキツく叱られたことを明確にして、「家出はしてはいけない」ことをキチンと示す配慮があるからこそ、よい子の「世界名作劇場」だと私は思う。

第17話 「運の悪い日」
名台詞 「確かに…。しかし校長、彼らは無断で4日間も私の授業をサボッたんですぞ。これは喜ぶべき事ではありませんな。」
(ドビンズ先生)
名台詞度
★★★
 葬式の翌日、学校では行方不明だったトムとベンが登校する日の始業時刻が訪れる。職員室から教室へ出ようとするドビンズ先生を校長先生が呼び止め、トムとベンが登校したか確認する。ドビンズ先生は「ベンは来たがトムはどうだか」と返事をすると、校長先生は「彼らはまたこの学校へ戻ってきた、これは喜ぶべき事だと思いますがね」とドビンズ先生に確認する。その返答がこれだ。
 正直言ってこれは正論だ。トムとハックとベンは他の子供達がした事もないような事をして、今は人気者だ。それがトムらに対して「本当は叱られなければならないこと」という事実を曇らせ、多くの大人達の判断を狂わせている。その最大の理由は、やっぱり死んだと思っていた人間が「生き返った」演出がされた事で、彼らがそこにいるのが「奇跡」になってしまったからだ。他の誰もがなしえた事のないことを実行した彼らは、人気者で英雄で「叱る」対象であることを多くの人々が忘れてしまったのである。
 そしてその現実を忘れていない人間が、ポリーおばさんとドビンズ先生という訳だ。二人は一人は親の代わりとして、一人は教師として、共にトムを真っ直ぐ育てる義務を課せられている。人が進むべき道を踏み外さず正しい道を進むようにトムを成長させなければならないこの二人は、今回トムとハックとベンがやったことというものを、感情的になるシーンがありつつも何処かで冷静に見ていたはずなのだ。その結果、無事であった事は二人とも喜んだはずであるが、この間の日常生活を放り投げた事については許される事ではないと判断したのだ。
 ドビンズ先生は「私の授業を4日もサボった」とするが、これは感情論ではないのである。4日も学校を休めばその分必要な知識を吸収する事が遅れてしまう。学校という集団生活においては一人の遅れが多大な苦労となって教師の負担になるのは確かだ。その欠席の理由が病気や家族の用事などやむを得ない事情なら仕方がないが、家出して無人島で遊び呆けていたとなれば、許されない状況になるのだ。
 その上、彼らは家出というかたちで誰にも行き先を告げていない。これはイコールで多くの人が心配し、また捜索活動で多くの人に迷惑が掛かったのも事実だ。もちろんポリーおばさんは当然の事として、ドビンズ先生も生徒が二人も行方不明と聞いていても立ってもいられなかったはずだ。
 こうして挙げてみると、トムを叱らねばならない理由は沢山浮上するのである。だからこそこの後のシーンでトムは「この件の首謀者」として30発もの鞭打ちの刑とされたのだ。だがここでキチンと叱ったからこそ、トムは真っ直ぐ育つ事ができるのだ。これは前話のラストでナレーションされた、ポリーおばさんがトムにげんこつを何発も見舞った事についても同様だ。
名場面 二度目の鞭打ち 名場面度
★★
 葬式の次の日、トムとベンはドビンズ先生から鞭打ちの罰を受けた。しかも「無人島での大冒険」「葬式の場に帰る」を発案したトムは30発、これに同行したベンは10発という内容だ。そしてその日の午後の授業で、トムの教科書が故意にかけられたインクで汚れているのが発見され、ドビンズ先生はトムのいたずらと判断してさらに30発の鞭打ちを宣言する。当然トムに身に覚えはなくそれを説明するが、ドビンズは問答無用で罰を与えるのだ。そしてそれを横目で見ているベッキーと、この光景を見てほくそ笑むチャーリー。事が進むとベッキーの表情は曇り、そして少し震えた後下を向いてしまう。ベッキーは知っているのだ、トムの教科書にインクをこぼしたのがチャーリーであることを。でもこれを言い出さずに黙っているのだ。
 ようやく描かれたトムとベッキーが仲直りする「きっかけ」である。「無人島での大冒険」の4日間、行方不明になっていたトムを心から心配し、葬式に突然戻ってきたトムを見て笑顔を見せたベッキーであったが、翌日学校ではまたトムに冷たくしてしまう。これは無理のない事で、朝の通学路でみたトムはあのエミーと一緒だったのだ…それを見た瞬間、ベッキーは「問題は何も解決していない」ことを思い知ったはずであり、この日トムに冷たくしたのはある意味正しい行動と言えよう。
 だからトムの無人島での武勇伝は聞きたくないという態度を取り、チャーリーとの会話でもトムを気にしていないと言い切る。チャーリーがトムの教科書をインクで汚したのも目撃したが、それに対してもその場では何の対応も取らなかった。ただチャーリーが何かいたずらをしているのに気付いて、隠れただけである。
 だが本当はベッキーも心の何処かでトムが気になり、トムの話も聞いてみたいのだ。これはチャーリーがベッキーにウィリアム・テルの話をしていたシーンでハッキリ描かれている。その気持ちをベッキーは心の中に無理矢理押し込み、トムと距離を取ろうとし続けた。
 その限界がここだったのだ。トムが身に覚えのない事で濡れ衣を着せられて鞭打ちを食らう事になったが、ベッキーはその件についての真実を知っている。だから本当は相手が誰であろうと、そこでドビンズ先生に目撃したことを打ち明けて濡れ衣を着せる事を阻止しなければならない。だがそこでベッキーの心の中に悪魔が現れる、「罰を受けるのは他の女の子と自分に二股をかけていたひどい男の子だから」という気持ちが悪魔になって、ベッキーはついに真実を打ち明けなかったのだ。
 そしてベッキーはここで自分の心の中に悪魔が現れ、結果トムが身に覚えのない罪で鞭打ちされたことを後悔する。そう、ベッキーの側に「トムに謝らねばならない事」でできてしまったのだ。トムに自分が何を見たか正直に打ち明け、ドビンズ先生による罰を止めなかった事を詫びなければならない。ベッキーはこの心境に至ったのである。ベッキーの側にトムに謝らねばならない事が発生し、これを認めて謝ることは、この状況では仲直りを示す事は誰もが理解するところだろう。その通り、ベッキーは本話のラストで自分が卑怯だった事を認め、トムに何を見たかを話して謝る事を決意しているのである。このシーンはその発端だ。
 このベッキーの決意による行動は次話に回されるが、事は視聴者がこのシーンを見て感じたことのように簡単に進まないので、ここが印象的に感じるのはこの辺りのストーリーを一度見ているからだろう。何で簡単に進まないのかは、次話の考察で。
今話の
冒険
 「無人島での大冒険」の間の嵐で、ハックの家がボロボロになっていた。トムは放課後にハックの家の修理を手伝うとハックに宣言したので、家の修理が今回のミッションになるかと思ったら…トムは学校で二度にわたる鞭打ちのに罰で合計60回も尻を叩かれ、尻が真っ赤に晴れてまともに動けない。ハックの家に行ったが、尻を見せて手伝いは不能と告げるに留まる。 ミッション達成度
感想  今回は「無人島での大冒険」を受けての話と言ったところだろう。二つの物語が並行して進むが、ひとつはもちろん「無人島での大冒険」が武勇伝となって広がりトムが英雄になること、もう一つはトムとベッキーの物語だ。
 トムが登校する前の学校で、ベンが「無人島での大冒険」について自慢げに語っていた点はもう予想通りと言うしかなかった。もちろん、自分がホームシックに掛かった事や、多くの武勇伝がトムの発案によることを隠して自分がやったかのように広める事まで予想通りだ。これを見てトムと喧嘩でもするのかと思ったら、意外な方向へ話が進んでベンの話がデタラメだとバレるのも面白かった。名台詞欄シーンを受けての教室のシーンで、ドビンズ先生が「家出の首謀者は鞭打ち30発、そうでない者は10発」とした発端で、ベンはもちろん自分が首謀者だと言い出せるはずがなく、しかも鞭打ち30発にも泣き言一つ言わずに耐えたトムに対し、たった10発で泣いてしまったベンを見れば誰だって「デタラメか…」と納得するところだ。この過程を丁寧に描いたのは今でも感心している。
 「トムとベッキーの物語」においても、トムとベッキーの心情をキチンと描く事に手を抜いていない。トムがベッキーの事が気になって仕方がない事をキチンと描き、同時にベッキーもベッキーでトムが気になっている事を描く。その上でトムにさりげない失敗をさせて、ベッキーの心をまた離してしまうという構造は大人になって気付いた。登校シーンでトムがエミーと一緒だったことは、ベッキーの心がまた離れるために考えられていると思う。ベッキーのトムから離れよう離れようとすればするほど気になってしまうという心境が上手く描かれたところで、チャーリーがトムの教科書にいたずらをしたのを目撃するという事件を起こし、さらにいたずらされた教科書によってトムが身に覚えのない罰を受けるという展開で、ベッキーの心を大きく引き戻すのだ。この辺りは名場面欄に書いたとおり。
 その間にハックの事も忘れずに描いているのも面白い。そこでトムはハックにベッキーと絶交状態である事を打ち明け、ハックもその事態の深刻さを理解するのだ。たぶん、ハックが「トムが家出をした理由」を理解したのは今話だろう。家のしがらみだけでなく、ベッキーとの関係が悪くなった事から逃げようとしたのだと。
 いずれにしても今話でベッキーの心は大回りしながらもトムの方へ戻ってきて、サブタイトルからもいよいよ次話で仲直りのようだ…と誰もが思う。だがそこにたどり着くまでにもう一回事件が起きねばならないのだ。これは結論を先に言ってしまうが、ベッキーから見て「トムを心から信頼できる」「トムを改めて尊敬できる」と思う事件が起きない事には、二人は仲直りできないのだ。

第18話 「痛い仲直り」
名台詞 「お母さん、人に謝るって勇気の要ることよね。」
(ベッキー)
名台詞度
★★★
 今話は朝のベッキーの部屋から物語が始まる。既に目を覚ましているがベッドから出ようとしないベッキーの脳裏に、昨日の学校での出来事がよぎってゆく。トムの教科書にインクをこぼすチャーリーの姿、ドビンズ先生に鞭打ちされながら無実を訴えるトムの声、自分の心の中に悪魔が現れ真実を告げず目を背けていた自分…そこへ母が起こしに来たときに、ベッキーが呟いた台詞がこれだ。
 ベッキーは昨日の件でトムに真実を話し謝らなければならないと決意はしたものの、なかなかその勇気が出ない台詞だ。トムに真実を打ち明けて自分が黙っていた事を認めて謝れば、自分の苦悩は解決するしトムとの絶交状態を終わりにする事もできるので良い事ずくめのはずなのだが、ベッキーにはその勇気が出ない。
 やはりひとつは、トムの失言がベッキーの心の中でまだ処理し切れていないのだ。トムは自分と別の女の子の両方に「婚約」のような儀式を行った事実があり、ベッキーから見れば本当にトムを信じて良いのか判断しきれない。これはトムが「無人島での大冒険」を通じて英雄になった事とは無関係に、自分とトムの間にある歴然とした事実なのだ。
 そしてもう一つは、真実を知ったトムの反応だ。トムは間違いなくチャーリーに仕返しをして恨みの連鎖を生むのは確かだろうし、その仕返しの矛先が自分に来るかも知れない。自分がトムに冷たくした事でトムが自分を恨むようになっていないか、これが気掛かりなのである。
 そしてこのふたつの思いは、今話の名場面シーンまでずっとベッキーの中に引っかかり続ける。なんだかんだ言ってトムに真実を打ち明けるタイミングを逃し、その上でまたトムに冷たく当たってしまう。今話の物語の発端はまさにここだと私は思うのだ。
名場面 午後の授業 名場面度
★★★★★
 昼休み、ベッキーは興味半分にドビンズ先生の机の引き出しを開け、そこにあるドビンズ先生の医学書を手にとって中を見る。そこにトムが突然やってきて驚いた拍子に、誤ってこの本を破いてしまったのだ。ベッキーは慌てて本を引き出しの中に戻し、「トムのせいだ」と泣きながら非難するという事件が起きる。
 そのまま午後の授業が始まり、授業は中盤までは何事も起きずに医学書の件はどうやら発覚しないと思われた頃に事件が起きる。算数問題の回答を求められたベッキーの様子がおかしいのに、ドビンズ先生が気付くのである。身体は震えているし、回答を間違えたり、声も小さい様子だ。その様子を見たドビンズ先生は机の引き出しを開けて医学書を見て、その折り込み図が破られているのを見つける。怒り心頭で「誰だ? この引き出しを開けたのは?」と叫ぶドビンズ先生の声に、教室は瞬時に凍り付く。ドビンズ先生は名乗り出るよう叫ぶが、当然名乗り出る者などいない。ドビンズ先生は震えているベッキーに目を付ける、「ベッキー・サッチャー、君が私の本を…ちゃんと私の顔を見て!」と怒鳴られたベッキーが恐る恐る顔を上げる。この時のベッキー目線のドビンズ先生の顔の恐ろしいこと…「君は震えているようだけど、具合でも悪いのかね?」「いいえ」「どうしてそんなに震えている?」「私…知りません」「君だね、私の本を破いたのは!?」「いいえ、それは…」、震えて下を向くベッキーにドビンズ先生はその顔を無理矢理持ち上げて「こちらを見て! 正直に答えなさい、君だな。私の本を破いたのは!?」と迫る。ベッキーの顔が恐怖に歪み、もう声が出ない。だがその瞬間、トムが立ち上がって「先生、僕です」と声を上げる。「本を破いたのは僕です」と続けるトムの方へ、驚いた表情のベッキーが振り返る。トムは教壇の前に呼び出され、ドビンズ先生から鞭打ちの刑を食らう事になる。トムが鞭で打たれている間、ベッキーは一度目を逸らすが涙を流しながらその様子をしっかりと見る。さすがのトムも今回の鞭打ちは、途中で目に涙を浮かべて「痛〜っ!」と叫ぶ。
 このシーンがトムとベッキーの仲直りの直接のきっかけとなることは言うまでもない。鞭打ちを食らう危機にあったベッキーをトムが庇い、代わりにトムが鞭打ちの刑を食らったのだ。
 これでベッキーの中にあった最後の仲直りへの障壁である「トムを信じて良いのか?」という疑問は、瞬時に吹き飛ぶ。トムは身体を張ってベッキーを守り、ベッキーのために罪をかぶってくれたのである。この一件はベッキーが「トムならキチンと自分を守ってくれる」と理解するのに十分で、トムの失言はトムの言うとおり単なる昔話であると理解し、すぐにでも仲直りしなければならないと判断させたのだ。そして放課後、ベッキーは罰で居残りさせられているトムを待ち続け、その後の感動の抱擁とキスシーンを演じてくれる。
 たぶんトムはこの件を「ベッキーと仲直りするチャンス」という算段で行ったものではないと思う。自分が好きな女の子が先生にいたぶられるのを黙ってみていられず、純粋に救いたかっただけのはずだ。トムの事だ、ベッキーと絶交状態になくても同じ事をしたはずだ。
 そして何よりも、このシーンはドビンズ先生を演じる永井一郎さんと、ベッキーを演じる藩恵子さんの演技が迫力満点であることも見落としてはならない。怒り狂ったドビンズ先生の迫力は言うまでもないし、これに圧倒されて震えるベッキーの声がこの迫力をさらに盛り上げている。この二人の名演が、このシーンを盛り上げたのは疑いようのない事実で、私にとって本作でも最も印象に残っているシーンの一つになっている。
今話の
冒険
 今話はある意味、「ベッキーの冒険」かも知れない。昨日のチャーリーのいたずらをトムに打ち明け、トムに「真実を知っていたのに言い出せなかった」ことを謝る事で仲直りをしようと企てる。だがチャーリーのいたずらの件は、チャーリーの方が一枚上手で、ベッキーの口からトムに真実を語る事ができなくなってしまい仲直りのチャンスも潰えてしまう。だが別の事件がきっかけで仲直りに至ったのは、名場面欄の通りだ。 ミッション達成度
★★★★
感想  まずビックリしたのは、今話ではトムと名コンビを組むハックの出番がなかった事だ。まさか「トムソーヤーの冒険」にハック不在のエピソードがあったなんて、これは大人になっての視聴で初めて気付いた事実だ。ポリーおばさんは冒頭でトムを起こすだけだし、シッドとメアリーは「行ってまいりまーす」「行ってらっしゃーい」だけだ。それほどまでに今話は学校での物語、いや正しくはトムとベッキーの物語に的を絞っているのだ。
 そして「トムと仲直りをする」とシーザーと約束して勇んで学校へ来たベッキーだが、仲直りのきっかけに使おうとした「チャーリーがトムの教科書を汚した件をトムに告げる」ことがうまくできない。チャーリーはベッキーに先回りしてトムを呼び出し、自分で「教科書をインクで汚したのは自分だ」と告白して謝ってしまうのだ。だがこいつも卑怯だ、本当はわざとインクをこぼしたのに「うっかりこぼした」「わざとじゃない」と主張したり、「トムが鞭で打たれているときに名乗り出ようと思った」など心にもない事を言い出す始末。だがこの件はチャーリーの方が、トムやベッキーより一枚上手だったと言わざるを得ない。ベッキーより先に告白した事で、この件を自分の思い通りの結末に持って行くことができるようになったし、トムに対しては無抵抗で自分から「殴ってくれ」と言えば殴らないような男なのは解っている。しかもトムに対してそれが上手くいった後に「男らしい」などと褒めちぎれば、完璧である事まで解っている。チャーリーがトムに対して「単純な奴だ、誤魔化しやすいや」とするが、そんなことはみんな解っている。チャーリーは自分に有利に使うのが上手いのだ。いずれにしてもチャーリーが一枚上手だった事で、ベッキーが描いていた仲直りプランはご破算になってしまうのだ。
 だがベッキーの仲直りプランで仲直りに持って行ったとしても、ベッキーの側に残っている「障壁」が取り除かれないのは事実だ。つまり喧嘩の原因であるトムの失言について何の解決も見ないのである。名台詞欄にもあるとおり「トムを信じて良いのか」という疑問は解決しないのだ。だから物語はこのベッキーのプランとは違うかたちの仲直りを必要としていて、それが起きたのがトムが身体を張ってベッキーを守った名場面欄シーンということだ。こうしてトムは「ベッキーのヒーロー」になることにも成功し、仲直りするのに説得力がある展開となった。いや、あんな事件をあんなかたちで解決したトムは、ベッキーと以前以上に仲良くなれるはずだ。
 そしてこの喧嘩の仲直りは、面白い事にどっちも「ごめんなさい」を言っていないのだ。本来、トムは失言の内容について説明して謝罪する立場であるが、それはトム自身が「行動」として示したので謝罪の言葉が不要になった。この「行動」によるベッキーが冷たくしたことについても謝罪が不要となり、またベッキーがトムが濡れ衣を着せられた件について事実を知っているのに黙っていた事は、チャーリーが勝手に解決してしまったのでこれも謝罪を不要としてしまったのだ。複雑な喧嘩だなぁ。
 本話は二人が仲直りして終わらず、キチンと「オチ」を描くのも忘れていない。仲直りに成功したベッキーはトムを連れて帰宅し、そこで「母を呼んでくる」としてトムとシーザーの二人だけで放置してしまうのだ。もちろんそうなればシーザーはトムに攻撃的になるわけで、最後はトムの「助けて!ベッキー!」の叫び声で終わるのが面白い。こういうオチをいちいち演じるのが、本作のとても良いところだと思う。

第19話 「蛙の戦い」
名台詞 「蛙なんていくらでもいそうなもんだけど、こうやって探すとなるとなかなかいないな。」
(ハック)
名台詞度
★★
 トムが自分の蛙を学校へ持って行き昼休みにチャーリーの帰ると勝負する事になったが、午前の授業中にトムの蛙が逃げてしまう。仕方がないので放課後にハックと一緒に近くの沼へ行って、蛙を捕まえることになった。沼地に着いてトムの主導で蛙探しが始まったとき、ハックがやる気がなさそうな声で語る台詞がこれだ。
 蛙に限らず、「よく見かけるもの」を探すときの「おやくそく」と言っていい内容で、最近の視聴で思わず「うんうん」と頷いてしまった台詞だ。意識しないでいるとよく見かけるものなのに、いざ使おうと思って探すと出てこないものの経験は、多くの人が持っていることだろう。私なんか家の中で鋏と定規を探す事が多い、意識しないでいると部屋の中に確かにあるのに、いざ使おうって時に出てこないのだ。もちろん、これは行動的な子供時代を過ごしていた人なら、野にいる虫なんかがそうだろうし、蛙で同じような経験をした事がある人も多いだろう。
 ハックはまだ蛙探しが始まっていない段階で、いきなりこの台詞を吐くということでいかに乗り気でないかを明確に訴える。だがこのハックという少年は、これからやるべき事に乗り気がなくても、それを始めてしまうとどんどんのめり込んでしまう性格だから、この蛙探しもいつしかのめり込んでいるから面白い。要は火がつくのが遅い性格なのだ。
名場面 勝負 名場面度
★★★
 トムとチャーリーの蛙の戦いは、朝の勝負では引き分けだったが昼休みの勝負ではトムの蛙がジャンプしなかったのでチャーリーの勝ちとなり、蛙が跳ばなかったトムは恥をかかされる。放課後、ハックのところへ行って「おかしい」というトムだったが、ハックが何者かによって蛙の口の中に石が詰められているのを見つける。
 そしてこれを受けてトムとハックはチャーリーを呼び出す。今度はトムとチャーリーが蛙を使わず、自身の身体で勝負をするのだ。そして河原へ行って勝負が始まる…ハックがこの勝負の進行役となり、まず二人に「ここを走って跳べ」と助走付きのジャンプで対岸へ渡る事を命じ、これをトムとチャーリーは難なくこなす。これを受けてハックが「よくやった、次は蛙と同じだ」と告げる、「どうするんだい?」とチャーリーが問うと「走らないで飛び越すんだ」とハックは助走禁止を告げる。チャーリーは弱気になって「無理だ、もっと幅の狭いところじゃないと」と反論するが、トムが「やってみないとわからないだろ?」と口を挟む。「嫌だ」と言って逃げようとするチャーリーにトムは「そういうわけには行かないね」「お前は俺の蛙の口の中に、石ころを10個もつめこんだろ?」と昼間の罪を突き付ける。こけにハックが「お前は逃げられないよ。でもお前だけが跳ぶんじゃないんだ、トムだって跳ぶんだから公平な勝負だ」とこちら岸へジャンプしながら言う。その上で「トム、先に跳べ」とハックが命じ、トムは助走なしのジャンプで見事に対岸へ渡る。これを見てまたチャーリーが逃げようとするが、すぐにハックに捕まり「さあ、跳べ」と命ぜられる。トムが我慢しきれず「早くやれよ」と声を上げると、「うるさい、だまれ」と返したチャーリーがジャンプに挑む。チャーリーは何とか渡りきったかに見えたが、対岸でバランスを崩し、そこをトムにとどめの一押しをされて川に落ちる。
 サブタイトルにあった「蛙の戦い」でトムがチャーリーの企みによって敗北し、これにどんな決着を付けさせるのかと思ったら「こうきたか」と言う感じだ。サブタイトルになっている戦いで主人公を負けさせたまま終わるわけに行かないのは、このテの物語の「おやくそく」だろう。なのに主人公が負けたのだから、違うかたちで勝負をやり直して主人公が勝つ展開になるのは当然だ。
 そしたら、蛙に代わって自身が跳ぶという勝負をすることになった。この勝負はうまく考えたと思う。蛙の勝負ではチャーリーが不正を行って勝つが、自分の身体を使う勝負なら不正のしようがない。こうやって白黒ハッキリさせるという物語にしてとても気持ちがよかったと思う。
 それもただ二人が勝負へするのでなく、ハックがこの勝負の進行役と証人としての役割を持つからやっぱり公正なのだ。勝負の内容はハックが命ずるかたちになり、どれも必ず成功しそうなトムを先行させるのはトムが勝つのが前提なのだろう。そして案の定チャーリーが川に落ち、トムが勝つ。
 これはチャーリーの不正を見ていた視聴者にとっても気持ちよいシーンだ。チャーリーが蛙の勝負で正々堂々と勝ったのなら、逆のこのシーンは後味の悪い物になったはずだが、チャーリーが不正を働いたからこそ「因果応報」という分かり易く受け入れやすいストーリーになったのは確かだ。
今話の
冒険
 今回の冒険は、蛙をジャンプさせるゲームでチャーリーに勝つ事。チャーリーはこのゲームのために蛙を3ヶ月かけて鍛え、誰の蛙よりも遠くへ跳ぶ蛙にすることに成功した。これでいい気になっているチャーリーが許せないトムは、蛙でチャーリーの鼻をくじこうとする。トムも蛙を跳ぶように訓練してチャーリーに挑むが、最初はトムの蛙が逃亡したことで勝負は流れ、続いてトムはジャンプが得意な蛙を捕まえてきてチャーリーに勝負を挑むが、二度目の勝負ではトムの蛙はジャンプせず大敗北。敗因はチャーリーがトムの蛙の口に石を止めていたことが解るのは、後刻のことだった。 ミッション達成度
★★
感想  時代が違うねぇ、今の子供だったらゲームで勝負しちゃうところだろうなぁ。私が子供の頃だと、東京特別区の外れとは言えなんだかんだ言って都会なので蛙などいるはずもなく、こういう勝負は球技(主にドッチボール)などのスポーツに頼ったと思う。蛙を捕まえて訓練して戦わせるなんていうのは、私が子供の頃でも別世界の話だった。同じようにカブト虫を戦わせたりしている子供達もあったようだが…。
 そういう勝負事になると強い奴というのは、クラスに一人や二人はいるのはおやくそくだ。そういう奴が良いヤツならば話が盛り上がりブームは参加していない子にも広がるが、嫌なヤツだったらそれで強くなったことを鼻にかけてのさばる。これが気分が悪いのはその遊びに加わっていなくて端で見ているだけでも感じることだ。そして今話では、トムが在籍するクラスでそれが起きている。だからチャーリーとトムの蛙の勝負は、クラスで注目を浴びたのだ。トムだけではなく、蛙の戦いのブームにはまっている子も、そうでない子も、蛙が強いってだけででかい顔をしているチャーリーを見ていて気分が悪いのだ。だからクラスで信頼できるトムに期待を寄せているのだ。
 そのクラスの子供達の期待を担った勝負は3度に渡り、1度目はトムの蛙が逃亡したことで中止、2度目は引き分けという結果になり、3度目はトムの蛙が跳ばなかったのでチャーリーの圧勝だ。トムは2度目以降の蛙については自信を持って送り出していたこともあり、3度目の敗北はクラスの仲間に笑われなくても恥ずかしかったことだろう。
 ところが発覚するチャーリーの不正…視聴者は体育の授業中にチャーリーがトムの蛙を取り出して何かをしようとしていたのを目撃していたので、何らかの不正によりチャーリーが勝ったことを先回りして知っているわけだ。チャーリーの不正の結果でトムが負けるという展開にどう決着を付けるか、というのはチャーリーが不正を働いた時点から気になって仕方がないってことになる。その結果は名場面欄に書いたように、自身の身体で勝負するとは恐れ入った。
 この話は子供の頃に見たのも覚えている。大人になってからの視聴で、チャーリーが体育授業中に教室に忍び込んだときに「そうそう、トムの蛙に石を詰め込んたんだ」って思い出したもんね。ついでに言うと川をジャンプする勝負も思い出した。だけど子供の時は、本編の後に見た次回予告が強烈すぎて…ドビンズ先生の「秘密」を、次回予告で一瞬だけど見せちゃうもんな。子供の頃、兄と「バケ頭だったよね?」と語り合った記憶があり、次が凄く楽しみになったのをよく覚えている話でもある。

第20話 「ドビンズ先生の秘密」
名台詞 「隠してなければ、ハゲ頭って別におかしくないのにな。」
(ハック)
名台詞度
★★★★★
 河原でドビンズ先生の「秘密」を見てしまったトムとハックは、大喜びで森の中を駆けてゆく。そして森の中に座り込んで「カツラ取ったとき、俺ビックリしたぞ」「自分の髪の毛をむしり取ったのかと思った」と語りあう。「きっと誰も信じないぞ」トムが語れば、「あの先生の本当の頭を見たのは俺たちだけかな?」とハックが問う。トムがこれに「たぶんそうだろう」と返答した後、ハックがボソッと吐く台詞がこれだ。
 これはもうハックの言う通りだ。ハゲ頭はそれを隠すから笑いの対象になるのであって、さらに隠せば隠すほどさらにおかしくて笑ってしまう。そういうものだ。男性が大人になっておでこが広がり、そして髪がなくなっていってもそれを自然に見せていれば誰もそれをおかしいとは思わない。むしろこれを「男がある程度の年月を生きてきた勲章」として誇りにする人すらいるほどだ。
 だからハゲ頭なんて隠さないで堂々とすれば良いのに、これを隠して髪が沢山あるように装うからおかしくなる。いや、それでハゲ頭をずっと隠し通せれば、それはそれでおかしい話にはならない。だけどバレたときにおかしくなるのだ。古今東西、ギャグマンガやアニメではカツラでハゲ頭を隠している人がネタになることが多いが、それも「隠さなきゃ良いものを隠す」のをおかしく描いているのであって、ハゲ頭そのものをおかしく描いているわけではない。
 このハックの台詞はこういう事をうまく突いているし、またドビンズ先生のハゲ頭の何がおかしいのかもキチンと言い当てている。そういう面でハックの台詞では最も印象的な台詞だ。
 ちなみに私は、もう50近いというのにハゲ頭になる兆候は全くなく、ありがたいことにこの歳で髪の毛はたっぷりある。しかも髪の毛に関してはほとんど白髪が見られないという幸運で、ここは本当に親に感謝しなきゃならないところだ。それともうひとつ、男が年を経てハゲ頭になるのは「ある程度の年月を生きた証」として誇りを持って良いとは思い隠すのはおかしいとしたが、病気や障がいで髪の毛を失った人についてはまた話は別だと思っていることは明記しておきたい。
名場面 落とし穴 名場面度
★★★★★
 夏休みまで翌々日に控えた日のこと、学校でクラス全員がドビンズ先生の鞭打ちの刑を食らう。この罰には男女関係なく、女の子が鞭で叩かれ泣いているのを見たトムは「復讐だ」を決意する。そしてその日の放課後、ハックと共に落とし穴を掘ってそこにドビンズ先生を落とそうと準備を始めたのだ。中には泥水をたっぷり入れ、口を草木でカモフラージュした落とし穴が完成し、トムとハックは「ドビンズ先生を夢中で駆けさせ、ここに誘い込む」ことの相談をする。その際の目印としてトムが落とし穴の上に板きれを置くが、まずはこれによって口を塞いだ草木が落ちてカモフラージュのやり直し。二人が「ドビンズ先生をここまで確実に誘い出す方法」を考えながら作り直し、今度はハックが落とし穴の上を飛び越す練習をする。これに失敗してハックが落とし穴に落ち、今度は作り直しシーンが省略されいきなり新しいカモフラージュが出来上がっている。その横に座る泥だらけのハックがどうやってドビンズ先生をここに誘い込むかを考えている。トムが何かを思いついたようで「あ、そうだ?」と言ってハックにそのプランを語るために歩き出したところで、悲鳴と共にトムの姿が画面から消え、次のシーンではトムが落とし穴に落ちていることが解る。「やったな、おい、大丈夫か?」と泥だらけのハックが手を伸ばすと、「いい手を考えついたよ!」と言いながら泥だらけになったトムが落とし穴から這い上がってくる。
 実は本話で私が一番好きなシーンはここだ。ドビンズ先生を落とそうとして苦労をして作った落とし穴に、二人が順番に落ちてゆくという自業自得というか、因果応報というかのシーンである。しかもトムとハックの二人が同時に落ちるのではなく、順番に一人ずつ落ちるから面白い。そしてこのシーンの中に二人が落ちる伏線として、「板きれをおいただけでカモフラージュの草木が落ちる」シーンを作って蓋にした草木が落とし穴として上手く機能することと、カモフラージュが完璧でぱっと見何処に穴があるか解らないから落とし穴として上手く機能することの2点が描かれているのがたまらない。だからこそ二人が順番に落ちることに説得力があるのだ。
 またこのシーンを文章で説明しても解らない点として、ハックが落とし穴に落ちてから、泥だらけになって画面に再登場する「間」がとても上手く描かれている。泥だらけで真っ黒に描かれたハックが最初に出てくるシーンのタイミングと、その時のハックの描かれ方がとてもよく、これを見て「あの落とし穴にはまったらああなるのか…」と笑えるようにできているから面白い。そしてトムが落ちるタイミングもとても良く、視聴者が「ハックが落ちたのだから、ドビンズ先生の前にトムの番だ」と感じた頃合いを見計らって落ちるのだから本当に面白い。
 そしてこのシーンが存在することで、トム首謀による「ドビンズ先生を落とし穴に落とす」という行為が、視聴者は許せるようになるという効果もある。ドビンズ先生一人がひどい目に遭うのでなく、これを首謀するトムと実行者のハックも落とし穴に落ちて痛い目を見るからこそ、この行為は許せないと思う人がいなくなるのだ。こういう効果面でも印象的なシーンで、「トムソーヤーの冒険」全話の中で最も印象的な話といっても過言ではないエピソードの名場面欄シーンとして私は最も相応しいと思った。
今話の
冒険
 今回はクラス全員が鞭打ちの刑を受け、特に女の子が鞭で打たれて泣いていたトムがドビンズ先生に「復讐」をするのが冒険と言えよう。学期末最後の日、クラス全員でドビンズ先生に花束贈呈の儀を行い、この間にハックがドビンズ先生のカツラを奪って逃げる。これをドビンズ先生が追うことを利用し、前日に掘っておいた落とし穴にドビンズ先生を誘い込んで落とすという作戦だ。この作戦は鞭打ちで痛い思いをしたクラス全員の協力の下、見事に成功してドビンズ先生は泥だらけに…こうしてトムの長い夏休みが始まった。 ミッション達成度
★★★★★
感想  ハッキリ言って、「トムソーヤーの冒険」全49話の中で、子供の頃に見たときに最も印象に残った話である。ドビンズ先生が実はハゲ頭でカツラでこれを隠していた事実の発覚、クラス全員が鞭打ちの刑を受けて泣く女の子達の声、落とし穴作り、そして最後の「ドビンズ先生への復讐」と、全ての出来事を子供の頃の視聴からずっと覚えていた1話だ。もちろん子供の頃の視聴では、ドビンズ先生のハゲ頭が最初に出たときに家族で大爆笑。10年位前にNHK-BSで再放送されたときは当時小学生だった娘と一緒に見ていたが、娘が大爆笑。頭が輝くときの「キラリンッ」という効果音が良い感じを出している。音楽担当の服部克久先生も、あそこまでじゃないけど薄い方だったと思うが…。
 でも「ドビンズ先生の秘密」というサブタイトルの話で、その冒頭で秘密を発覚させた時はどうなるかと思った。ドビンズ先生ハゲ頭の件で物語が1話丸々持たせるとすれば、この秘密をクラスの皆が知るまでの話と思ったら…途中で全く違う方向に話が行っちゃうもんなー、クラス全員が鞭打ちなんてひどい話だ。だけどこれを見たトムが「復讐だ」と決意したところで、ハゲ頭に話が戻ることは容易に想像できただろう。
 そして落とし穴づくりを実行する名場面欄シーンはとても大事なのは、そこで語ったからもう良いだろう。学期末最後の日の放課後、クラス全員が集まって企みは実行する。言い出したのはトムだが、トムと仲が良くなく諍いを起こした過去があるアルフレッドやチャーリーもその面々にキチンと入っているし、トムに良い感情を持っていないジェフもいる、アルフレッドは事が起きるまでドビンズ先生の足を止める重要な役を担っている(ただし前々話でベッキーと会話していた金髪の女の子は何故かいない)。ハックがドビンズ先生のカツラを取るために橋の屋根上からロープでくくった猫を下ろしている間の、クラスのみんなの視線が良い。
 そしてハックがドビンズ先生のカツラをゲットすれば、劇中のクラスの仲間達だけでなくテレビの前の視聴者も大笑いのシーンだ。ここからドビンズ先生が落とし穴に落ちるまで、そのハゲ頭にずっと「怒りマーク」が描かれているのが面白い。そして企み通りにハックがカツラを奪って逃げ、ドビンズ先生が落とし穴に落ちた後の沈黙。だがやっぱり最後は大爆笑で幕を閉じる。
 今話を最後に夏休みとなるためドビンズ先生が物語から退場するが、どうしても必要だったのがドビンズ先生が痛い目をあうシーンだろう。学校で子供達を恐怖政治で支配し、トムやベンが鞭で叩かれ痛い目を見、ベッキーも前々話でじっくりといたぶられた後に鞭打ちされそうだった。こんな恐怖政治をやりっぱなしでは視聴者は納得しないところだ。だがトムがただ個人的に仕返しするのでは話として不自然だし、視聴者の理解も得られまい。だから理由はともあれ「クラス全員が鞭打ちされる」という設定を置いて、クラス全員に協力させたのは上手い展開だと今でも思う。同時にこれまで女の子が鞭打ちに遭うシーンをここまで我慢して一切描かなかったのも効いている、ここで女の子が鞭打ちに遭うからこそトムだけでなく視聴者も「ひどい先生だ」と思えるのだ。こうしてドビンズ先生は、生徒達だけでなく視聴者からも支持を得られないまま、恐怖政治の代償を払わされたのだ。こういう構図も子供の頃に理解でき、印象的だったのだ。

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