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第21話 「夏休みの始まり」
名台詞 「やだ、絶対にやだ。せっかくの夏休みを一週間も潰してしまうなんて、これは大変なことだ。」
(トム)
名台詞度
★★
 夏休み最初の日の午前中、シッドが高熱を出して倒れる。トムが「どうして熱を出したんだろう?」とメアリーに問うと、「たぶんおたふく風邪じゃないか」と返す。「なんだ、ついてないな」と笑うトムに、メアリーは「トムにもうつるかも知れないわね」と突き付ける。驚くトムに「だってあんた、まだおたふく風邪やってないんでしょ? 誰でも一度はやるものよ、大人になってから罹るより、今のうちなら軽くて済むわ。ちょうど学校も終わったし、良い機会になるかもね」とメアリーが続けると、トムは「やだよ僕、絶対におたふく風邪なんかになりたくないよ」と力を込めて言う。そんなトムにメアリーは「ほんの一週間も寝ていれば治ってしまうのよ、そんな大袈裟なことじゃないと思うけど」と言い残して二回のトムとシッドの部屋へ向かうが、メアリーが立ち去ったあとにトムが語る独り言がこれだ。
 トムにとって「夏休み」は、学校という束縛から解放されるとても楽しみな日々のはずだ。そこへ忍び寄る病気の危機…これが夏休み最初のエピソードのスタート点である。トムにとってはせっかくの夏休みに病気になる訳には行かない、貴重な自由の日々が削られてしまうという彼の思いがよく出ている台詞だと思う。
 そしてこの台詞の裏には、トムは口に出していないがもう一つの要素があるはずだ。それは「病気になるなら学校があるときに罹りたい」ということだ。病気になれば学校を堂々と休めるし、勉強したり鞭で打たれたりすることを一定期間回避できる。もちろん放課後に友人達と遊ぶことはできないが、それを差し引いても「学校へ行かなくて良い」は彼にとって魅力のはずだ。
 だからトムとしては今病気になるわけには行かないという思いが、よく伝わってくる。
名場面 2ドルをせがむトム 名場面度
★★
 夏休み最初の日の午後、トムは大声でポリーおばさんを呼びながら帰宅、家の中に入ると「シッドの病気は何だったの」とポリーおばさんに問う。「やっぱりおたふく風邪だったよ」とポリーが返すとすかさず「それじゃ2ドルちょうだい」とトムはせがむ。「それじゃってどういうこと?」ポリーおばさんが問えば「僕おたふく風邪がうつりたくないんだ」とトムはオウム返しだ。「しょうがないじゃないの、覚悟しなさい」とポリーおばさんは言うが、トムは「2ドルだめ?」とすぐ返す。「何に使うの?」「薬を譲ってもらうの」「薬?」「おたふく風邪がうつらない薬なんだ」「ミッチェル先生はそんなお薬なんかくれなかったよ」「ミッチェル先生のじゃないんだ、ヘルマン博士の薬なんだ」「ヘルマン博士?」…この会話はどっちも負けてない。そこへメアリーがやってきて、ポリーおばさんが「ヘルマン博士」について聞くが「さぁ…」とだけ帰ってくる。トムが自信たっぷりにヘルマン博士について語り、ヘルマン博士の「生命の素」という薬を飲めばおたふく風邪に罹らないと力説する。そしてその薬について「僕にだけ2ドルで特別に分けてくれることになった」と付け加えると…ポリーおばさんとメアリーは顔を見合わせ、そして大笑いする。「何がおかしいのさ?」と叫ぶトムに、「だって、そんなのインチキよ。あんた騙されたの。病気にならない薬なんてあるもんですか」とメアリーは笑いながらトムを諭す。トムは二人の笑い顔を見てふ不愉快な表情に変わり、「ある。絶対にあるんだから」と叫び返す。
 このシーンではトムの必死さと、それに対してあくまでも冷静なポリーおばさんとメアリーの対比が面白い。トムは今病気になっては困るともう藁にもすがる思いなのに、ポリーおばさんもメアリーもそこが解っていないという点も面白い。「今は絶対に病気になるわけには行かない」「でも病気になる可能性が高いから困っている」という、トムの現時点において最大の弱点に、村にやってきた行商人がつけ込もうとしているのは誰が見ても明らかなのは大人になってからの視聴で気付いた点だ。恐らくトムは、行商人をホテルへ案内したときに「弟がおたふく風邪に罹り、今これをうつされたら困る」という話をしたに違いない。そして行商人の「カモリスト」に載ってしまったことまで、このトムの台詞を聞くと想像できるのだ。トムのできすぎた話を第三者が聞けば「こりゃ騙される」と誰もが気付くほどのものなのに、必死になっている本人だけがこれに気付かない。
 この辺りの話は、振り込め詐欺などの特殊詐欺被害が激増している昨今、とても大事な話のような気がする。自治会で防犯と防災を担当している私は、警察の人から特殊詐欺の手口とかよく耳にしているのだが、話を聞いているとその多くがこのシーンの構図のように「誰が見ても騙されていると明確なのだが、本人は必死でこれに気付かない」のだ。そして特殊詐欺の主犯は、騙す相手に「誰にも言わない」ように上手く仕向けてくる。だから「誰が見ても騙されているのは明白」なのに、騙されるまで誰も気付くことができないのだ。
 こういう意味でも印象に残ったシーンで、皆さんもこのシーンを教訓に特殊詐欺などに騙されないようにして欲しい。トムが実際に騙されてしまうのは、次話に回されているが。
今話の
冒険
 今話からの新しい冒険は、「病気にならない薬」を手に入れてこれを服用することを目標としている。夏休み初日にシッドがおたふく風邪に罹りこれがうつる危機に瀕しているトムの目の前に、「病気にならない薬」を売る行商人が現れる。もちろんこれは行商と言うより詐欺なのだが、トムはこの話を完全に信じ込んでしまい、今話はポリーおばさんに薬代を請求するが…「騙されている」と笑われて終わってしまう。 ミッション達成度
感想  いよいよ夏休み、この世界名作劇場版「トムソーヤーの冒険」において物語全編の5分の3もの期間を占める長い長い夏休みの始まりだ。本放送時は5月の末か6月の頭くらいに本話が放映されたが、それから季節が夏から秋を経て冬になっても本作ではずっと夏休みだった。だって、新学期が始まるのは最終回の終わりの方だよ。そこまでずっと夏休みで突っ走る。
 そして本話で描くのは夏休みの初日の出来事、しかも本話が終わった段階でその初日の夕方にもなっていない。夏休みの最初に日に起きた出来事を、ハックもベッキーも登場させずにトムを中心に据えてじっくり描いた1話だ。夏休みになったらトムが突然早起きするようになった事から始まり、このせいか午前中は天気が雨模様だった事が描かれ、その中でシッドが病に倒れるという展開が前半。午後になって天気が回復し、トムがミッチェル先生を呼びに行ったついでにベンやジョーと一緒に港へ遊びに行く。そこで村にやってきた(怪しい)行商人に出会い、この行商人が扱う「生命の素」の存在が明らかになるまでがこの日起きた出来事というわけだ。
 このテの行商人と言えば、何と言っても思い出すのは「赤毛のアン」第30章だ。あの時も(怪しい)行商人が出てきて、アンに「髪を黒く染める洗髪剤」を売りつけたのだ。結果アンの髪の毛は緑色になってしまい、アンがショートヘアーにするというとても印象的な1話だった。あの時の行商人と同じ怪しさが、今回出てきた行商人にある。
 その話の怪しさというか、「生命の素」という売り文句を見ただけで怪しいのは誰の目から見ても明らかに描くのは面白い。そこに「病気がうつされ夏休みが台無しになる」という悩みを抱えているトムを描き、トムがこの行商人を信じ込んでしまうまでの展開を上手く描いた。特に序盤のシッドが倒れる前の段階に「生命の素」について伏線が張ってあるのが面白い。もちろん言うまでもなく、トムがジムの黒人仲間から聞いたアフリカにあるとされる「生命の水」の話だ。
 しかし、当時はああいう詐欺まがいの行商人が沢山いたってことだろうなぁ。時代的に交通機関が発達していても、情報網は発達していないから騙しやすかったんだろうなぁ。また田舎へ行けば娯楽なんかほとんどないから、こういう行商人の訪れも一種の娯楽だったのかも知れない。行商人から何か買うかどうかではなく、行商人が見せる出来事が面白かったのだろう。今で言えばオカルト話を信じてしまったり、大事件や大事故の陰謀論に傾倒するようなもんか。名場面欄で言いたいことにも繋がるが、こういう隙を特殊詐欺などで金をだまし取る人が狙っているから、みんな気をつけよう。特殊詐欺の日本全国での被害額は、1日あたり1億円(=年間364億円)って言われているからね。

第22話 「病気にならない薬」
名台詞 「この薬について、おばさんとメアリー姉さんの意見は対立していた。だけど僕がシッドのおたふく風邪がうつった方が良いって考えは、二人とも同じなんだ。」
(トム)
名台詞度
★★★
 夏休み最初の日のトムの夕食は、トムの帰りが遅かったこともあってポリーおばさんの怒鳴り声から始まった。そしてトムが食事を始め、メアリーにスープを要求すると、メアリーは「生命の素」のチラシを差し出す。「このチラシ、あんたあちこちに配ってたんでしょう?」「ジョー・ハーバーから聞いたわ」と厳しい声でトムに問う、「あいつ、うちには配らなくていいって言ったのに…」と小声で呟くトムから、今度はポリーおばさんがチラシを取り上げて読み始める。「ふーん、これがあんたが言ってた薬ね」「なんだかとても効きそうね」とポリーおばさんが言うとトムは「すばらしい薬なんだ」と返し、メアリーは「まぁ、お母さんまで」と返す。これに応じてトムとメアリーが「ふんっ」と視線を逸らし合うシーンを挟んだ後、トムがナレーションするのがこまの台詞だ。
 意外や意外、ミッチェル先生の信者だと思っていたポリーおばさんがこの薬の話を信じるのだ。もちろん薬が売られている現場を実際に見ていない(=洗脳されていないという意味)メアリーはこの話を信じておらず、薬の件を信じた母にまで呆れる始末だ。恐らくこのシーンの後、ポリーおばさんはメアリーの前で「この薬が欲しいね」とか言ったんだろうなぁ。そしてメアリーが「騙されているのよ」とでも返し、ちょっと言い合うになった事が想像できて面白い。
 だが「生命の素」に関しての意見が180度違う二人も、トムについて「おたふく風邪は今のうちにやっておいた方が良い」ということで意見の一致を見ている。実はこの台詞の後に知ることになるが、ポリーおばさんとメアリーだけでは泣く、実際におたふく風邪に罹って寝込んでいるシッドも同意見なのだ。もちろんトムはこれが不服で、その不服をこの短い台詞にキチンと押し込んでいるのと、解説とは言えその辺りにちゃんと感情を込めた演技でこの台詞を演じた鉄郎の演技力で、その「これが気に入らない」ということが視聴者にもれなく伝わってくる。そんな台詞に仕上がっていて印象的なのだ。
 翌日、ポリーおばさんもあの薬を買いに行ったかどうかは、解らない。
名場面 薬を飲んだ結果 名場面度
★★★★
 チラシ配りのアルバイトの結果、トムは「生命の素」を入手することに成功した。そして行商人はその翌日に薬を売り切ると、何故かインジャン・ジョーとともに村から姿を消し、薬を買った村人達は「薬は効かなかった」と話し合う。トムももちろん薬を飲み、トムには薬が効いたのかシッドのおたふく風邪がうつることはなく、健康に走り回っているかに見えたが…この点の解説が終わると出てくるのは、なんだか落ち着かない様子でベッドに座るシッドだ。これは用を足したい(たぶん大きい方)のを我慢していることは、見ている者はすぐ理解する。「もうダメだ」と庭にあるトイレへ走り、シッドは「お兄ちゃん、早く出てよ」と叫びなからトイレの扉を叩く。「もうちょっと待ってよ」「待てないよ、早く出てよ、早くってば!」…どっちも必死だ。「早くってば…」とお尻を押さえて足踏みするシッドの前に、ポリーおばさんが「あら、トムはまだトイレに入っているの?」と問いながら現れる。「あー、僕もう我慢できない。あーっ!」叫びながらトイレの周りを走り回るシッドを見て「トム、早く出てやりなさい」とトイレの扉を叩くポリーおばさんの声に反応したのか、トイレの扉が開きすっかり生気を失った顔をしたトムが出てくる。「お兄ちゃん、早く、早く、早く」と叫びながらトイレに飛び込もうしたシッドを引っ張り、「ああ、ダメ、もうちょっと」と叫びながら再びトイレに飛び込むトム。「ああっ、お兄ちゃん!」「トム、トムったら」…トイレの前で響くシッドとポリーおばさんの声を背景に、「おたふく風邪にはならなかったけど、僕はお腹を壊した」とオチを語るトムのナレーションで今話が幕を閉じる。
 このラストシーン、子供の頃に見たのをハッキリ覚えている。お尻を押さえながら走るシッドの必死な声は、本当によく覚えている。ここはもうシッドを演じていた中島…じゃなかった、白川澄子さんの演技力の賜だ。トイレを我慢させられるという非常に下品なシーンだからこそ印象に残ったのも確かだが、この我慢している声が真に迫っていたからこそ子供の脳裏にキチンと焼き付けられたのだ。
 もちろん、最後のトムのナレーションも記憶にあった。このオチでのトムのナレーションは必要最小限の情報だけで、余計なことを一切言っていないのが良い。本当に「お腹を壊した」原因がこの薬の副作用なのか、それとも他に原因があるのかは分からないが、この解説によって視聴者はどうしても「お腹を壊した」原因はあの薬の副作用と考えてしまうだろう。薬を手に入れるためにあれだけ必死だったトムに、こんなオチがついたからこの「病気にならない薬」のエピソードは印象的で、面白おかしい話になったのである。これが「たまたまおたふく風邪にはなりませんでした」だけで終わったら、面白くも何ともない。
 もちろんこの「お腹を壊した」ことがオチとして追加されたことで、視聴者は「生命の素」がインチキだった事を理解するであろう。同時にトムにおたふく風邪がうつらなかったのも「たまたまに過ぎない」こともだ。
 このシーンは日常生活を丁寧に描きながらも、登場人物達の用便については敢えて省略している「世界名作劇場」では珍しいシーンだ。しかも主人公が「トイレに入って用を足している」シーンが描かれたのは、シリーズではこのシーンだけだと思う。世界名作劇場シリーズでの用便シーンというのは、後はハックとダニーの「立ちション」くらいしか思いつかないぞ。
今話の
冒険
 今回も目標は「病気にならない薬」を入手し、これを服用してシッドのおたふく風邪がうつる危機から逃れることだ。そしてトムはハックや学校の仲間達の協力も得て、この薬のチラシ配りのアルバイトをすることで薬を入手することができた。意気揚々と薬を服用したトムは、薬が効いたのかシッドのおたふく風邪がうつることはなかったが…その副作用か、お腹を壊したのは名場面欄の通りだ。 ミッション達成度
★★★★
感想  名場面欄に書いたとおり、この話も子供の頃に見たのをしっかり覚えている。ただ当時、理解できなかったのが、薬売りはインジャン・ジョーと何の裏取引をし、なんで一緒に消えたのかだ。でもこれは大人になってからの視聴で自分なりに解釈できた、当然のことながら薬はインチキなので売り抜いたら村から足跡を残さずに逃げねばならないということで、薬売りはもし定期船に乗って村から出れば、騙したことが発覚した場合に追跡される可能性があると踏んだのだろう。恐らく他の地でも同じように町から抜け出して、多くの人を騙した後にその足跡を完全に消していたのだと考えられる。インジャン・ジョーはこれに協力し、その引き受け料として100ドルを請求したが、薬売りにとってこの100ドルは高い買い物ではないはずだ。薬が1個5ドル、どうせインチキだから原価はただみたいなもので、せいぜい瓶代とラベル代くらいだろうから1ドルも行かないだろう。1個売って4ドル儲けるならば、25個売ればこの引き受け料を支払うことはできる。行商人の鞄の中には在庫は26個しか見たあらないが(鞄の中身が出てくるシーンの前に1個売れている)、実際には何処かに隠し持っていると考えて良いだろう。セント・ピーターズバーグはそんなに大きな村ではないとはいえ、情報も娯楽もほとんどなかった時代である事を考えれば30〜40個くらいは売れたのではないかと考えられる。ただし、インジャン・ジョーが行商人に「足跡を残さず逃げられるようにしてやる」として誘い出した後で、実はそんな準備なんかしてなくてコッソリ殺害、売上金などの持っていた金を全部奪った可能性は否定できないが。
 しかしこの薬、効き目が良すぎるから1人1本しか売らないって…それではずっと飲み続けられないことくらい話を聞けばすぐ分かりそうなものだ。「生命の素」の瓶はあらゆるシーンから考察すると、だいたい現在の目薬程度の大きさと考えられる。手元にあるアレルギー性鼻炎に効く目薬の内容量が20ml、これと同じ大きさの瓶だとすれば、この薬の使い方は1日1〜2滴の服用だから、1滴が0.05mlとすると、1日1滴で400日分、2滴なら200日分しかないってことだ。トムなら間違いなく2滴ずつ使いそうなので、毎日服用すれば翌年春には薬が切れてしまう計算になる。大事に1日1滴で服用しても、翌年秋で終わりだ…それで1度売りに来るだけで、しかも1人1本しか売らないのだから、冷静に考えれば詐欺だと解るだろう。
 いずれにしろ最大の問題として「病気にならない薬」なんかあり得ないのは子供でも解ること。だから子供の頃は「トムは行商人に騙されている」ことが解ったし、その上で「トムが薬を手に入れて、それを飲んでもおたふく風邪がうつった」というオチになるかと思ったら、あれ(名場面欄シーン)だもんな〜。用便に関するネタは子供の心に深く刻み込まれる(=わかりやすい)から、この話は子供にとっては本当に印象深いものになったはずで、「トムソーヤーの冒険」を子供の頃に全話見たと言う人の中で、この話を覚えていない人はいないと思うほどの話なのだ。

第23話 「ナマズ釣りの日」
名台詞 「村のお母さん達はみんな子供が俺と遊ぶのを止めているらしいが、たいていの子供達は俺の友達さ。特にあのトムは俺の良い友達さ、まぁ俺の親友だな。トムが俺と付き合っているから、他の連中も親に何と言われようとも俺と平気で付き合うようになったのさ。あいつのこと、手に負えないいたずら坊主だって言っているけど、本当は優しい良いヤツさ。なぁ、そうだな?」
(ハック)
名台詞度
★★★★
 トムとハックはベッキーを連れてナマズ釣りに出かける。ベッキーは二人の分も含めたお弁当を持参するが、ナマズ釣りは見学だ。ハックが腹が減ったから弁当を食べさせて欲しいと訴え、トムは「弁当はナマズが釣れてから戴く」「静かなところで釣りを続ける」として席を外す。ベッキーはハックと二人だけになった事で、ハックの父親のことやなぜ一人暮らししているのかを聞く。ハックは「トムから聞いてないのか?」と聞き返したので、ベッキーは母親が早く亡くなったことや父親がだらしない酔っ払いでハックを捨てて何処かへ行ったという、トムから聞いた話をする。「その通りさ、俺が知っている親父はたいてい酔っ払ってた」とハックは語り出す、仕事もせずに大きな事ばかり言っていたことや、自分を殴ってばかりいたことを語る。「ひどい…」と改めて驚きと同情を込めて返すベッキーに、「親父と一緒にいるときは地獄にいるようだった、ところが今は天国さ」とハックが続ける。ベッキーが「今の生活が?」と聞き返したので「ああ天国さ」と答えた後に、ハックが続けた台詞がこれだ。
 ここでハックがベッキーに語ったのはふたつあって、ひとつは自分の簡単な生い立ち、もうひとつは「なぜトムと親友なのか」と言う点で、この台詞は言うまでもなくその後者である。そしてその理由は簡単に言えば、ハックはトムの存在がなければ村の同世代の子供達から相手にされず、本当に孤独な日々を送っていたはずだという実態があるからだ。トムだけでなく多くの子供達がハックとの付き合いを禁止されていることは、劇中で何度も示唆されている。しかも16話では村人達の認識は「トムとベンの葬式」であって、ハックの葬儀も一緒だったのにそうは扱っていなかった。ハックが浮浪児と言うだけで差別され、虐げられているのがハックの実状なのだ。
 ところがそんな中でも、トムだけはハックとの付き合いをやめていなかった。恐らくトムはハックが浮浪児になる前からの付き合いなんだろうけど、ハックが親に捨てられ一人になったときに友人が一人、また一人と離れてゆくのにトムだけはこれまで通り付き合ってくれたのだ。ハックはそれだけでトムに感謝しているのは想像に難くないが、トムがハックと付き合いを続けているのを見ると、他の子供達もこれに感化されて「ハックも仲間だ」と認めるようになり、親の目を盗んで付き合うようになってくれた。そこにハックがトムへの感謝の念と、敬意を抱いていることがよく見えている。
 そしてハックはこの台詞の最後に、ベッキーに「そうだな?」と問うて終わっているのがこの台詞の良いところだ。ベッキーがトムと色々あってもトムから離れようとしないのは、やはりベッキーにもハックが知っている「トムの良いところ」が解っているからだと、ハックは解っているのだ。もちろんベッキーはこれにちょっと感動したような眼差しで「ええ、そうよ」と答える。ハックがこの台詞で語ったことは、ベッキーにも心当たりがあったからた。ベッキーとしてはドビンズ先生に鞭打ちされるはずだった自分を、自ら罪をかぶって身体を張って助けてくれたトムの行為にこれを見ているはずだし、何と言っても学校の仲間達とハックの人間関係はトムがキーポイントになっていることは自分の目でも見ているはずだ。当然ベッキー自身も親からハックの付き合いはしないよう言われているはずだが、トムが「ハックは良いヤツ」と教えてくれたから付き合っているはずだ。
 この台詞にはハックが何故トムと親友かという要素でもって、ベッキーが改めてトムを尊敬することとなる。この台詞があるから、この直後にトムが「大物」を釣り上げたときにベッキーが喜んで手伝いに行く事に説得力が出るのだ。
名場面 トムとベッキーのナマズ釣り 名場面度
★★★
 名台詞欄シーンの直後、少し離れたところで釣りを続けていたトムが一人で騒いでいる声が聞こえる。どうやらトムの竿に「大物」が掛かって難儀しているらしい。これを見たベッキーはトムへ向かって走り出す。丸太の上を歩くときは転びそうになって悲鳴を上げるが、嬉しそうな顔でトムのもとへ一目散に駆けてゆく。そしてトムの竿に掛かっている魚を見て「わぁ、大きい」「トム頑張って」と声を上げるが、トムは深刻な表情で「ハックを呼んでくれ」と頼む。「一人じゃダメなの?」「こいつは大物だからな」「私が手伝うわ!」…ベッキーはそう宣言すると有無を問わさずトムが握っている釣り竿に手を掛ける。「君じゃダメだよ」「大丈夫よ」「ダメだってば」「ホラ、もうちょっと岸の方へ引っ張りなさいよ」「強情っぱり!」…ここの竿を引っ張りながらの会話は好きだ。しかし竿に掛かったナマズは大暴れして、なかなか釣り上げられない。「ホラ、こっちへ来る、もっと引っ張って!」とベッキーが叫んでもどうにもならない。「畜生、力のあるヤツだな」とトムが呟くと、「トム、持ってて、しっかり持ってて」と竿を掴み続けるように促し、ベッキーは竿を離して水辺へ駆けてゆく。そして水の中へ入り掛かったナマズと格闘を始め、見事に自分がかぶっていた帽子でナマズを捕まえることに成功。「ベッキー…」と驚くトムに、ベッキーは「ほらトム、捕まえたわよ。思ったより小さいのね、あんなに暴れたからもっと凄く大きいのかと思ったけど」と語りながら近付き、帽子ごとナマズを差し出す。帽子の中を見て「うわーっ、大きいよ」と叫ぶトムと「そうね大きいわね…」と返すベッキー、この二人が仲良く語り合っているのを遠くから見守るハック。
 当時は「男の遊び」だと思われていたナマズ釣りについてきたベッキー、釣りの経験もなくただトムに着いていきたいというだけでこれに参加するが、ベッキーの立場が本作のヒロインと言うこともあって「ただ釣りを見学する」だけでは話が成り立たない。やはりここはベッキーの「魚釣りに来て良かった」を描かねばならないし、トムとハックについての「ベッキーがいてよかった」がないと、ベッキーがただ邪魔な存在でしたで終わってしまう。同時にこの話を通じて示唆してきたことは、名台詞欄シーンの要素である。ハックがトムを慕っている理由を明確にし、これにベッキーが同意することでベッキーのトムへの想いを明確化するものだ。だからこの魚釣りが「トムとベッキーの共同作業」になれば話が盛り上がることは誰もが認めるところだろう。こうしてトムが「大物」を釣り上げ、ベッキーがこれを捕獲するという本話のクライマックスとなったわけだ。
 またこの展開には予想外のもう一つの効果がある。これはベッキーの新たな一面を見せることで、ベッキーが意外に強情なこと、そして男の子の遊びであるナマズ釣りについての素質があることだろう。これに驚くのは視聴者だけでなく、劇中のトムについても同じだ。こうして「トムとベッキーが同じように遊べる」ことをキチンと示すことで、視聴者も劇中のトムやハックも「お似合いだ」と感じることができる。
 そして何よりも、このシーンの魚の動きに迫力があると同時に、これを釣り上げようと必死になっているトムとベッキーが感じる「重量感」をキチンと再現しているからこそ、このシーンは際だって印象に残るのだ。
今話の
冒険
 今回の冒険は「ナマズ釣り」、トムは「久々に大物を釣り上げたい」としてハックを誘い、ハックはトムが「食べ物を持って行こう」と言ったことで話に乗る。そして釣りの準備のために一度帰宅した家を、ベッキーがトムを茶に誘おうと訪れていたことで、この話にベッキーも乗ることになる。ベッキーは弁当持参で待ち合わせ場所に来たので、ハックの「食べ物目当て」も解決。そして名場面シーンにあるようにトムとベッキーが「大物」を釣り上げで大成功。釣り上げた「大物」はベッキーの晩ご飯のおかずになりましたとさ。 ミッション達成度
★★★★★
感想  今回は夏休み序盤ののんびりした1日を描いたと言っていいだろう。トムの学校の友人達が泊まりがけで親戚の家へ出かけたり、旅行や農場の手伝いに出かけてしまいみんな留守になってしまう。もちろんそんな行事のないハックと過ごすことになり、トムとハックのナマズ釣りが描かれるんだ…と思って見ていると、そこへベッキーが現れる。トムをお茶に誘うはずだったベッキーがどうするのかと思ってみていると、ベッキーもナマズ釣りに参加する展開となるのだ。やっぱり当時「ナマズ釣り」は「男の遊び」なので、最初はトムもハックもちょっと困る。そしてその通りにベッキーは「着いていくけど釣りは見るだけ」になり、ついには余計なおしゃべりで邪魔になる。だが腹を空かせているハックはベッキーの弁当が目当てで、早い段階でベッキーのバスケットを開かせることに成功。そこから話が名台詞欄シーン、名場面欄シーンのように流れていって面白かったのなんの。
 また今話では、以後何処かで話に出てくることになるであろうことが予測できる「ハックの親」についてキチンと伏線を張っているのが興味深い。マフが本話に出てくるのはまさにこの「伏線張り」のためだろう。ハックの父親がどうしようもない男だったことが示唆され、その結果でハックが一人暮らししていることもハッキリする。母親についてもベッキーがトムから聞いた話として「早く亡くなった」ことが明確になり、今話でハックが何であんな生活をしているのか、なのにハックが不満そうでない(むしろ本人は天国と思っている)理由や、何故トムを慕うのかも明確になる。要はトムとベッキーの絆を強める過程において、ハックの謎をキチンと解いている話でもあるのだ。
 そしてこの二つの要素で名場面欄シーンまで描ききり、3人が夕焼けの川辺をあるいて帰宅するシーンで物語が平穏に終わるように視聴者に感じさせる。ベッキーがトムに「ハックの話も聞けた」としたとき、後ろでハックが少し得意げな顔をしているのが良かったな。口には出さないけどちゃんと「お前のことは良く言っておいた」という顔をしているのが面白いが、ハックの名台詞は間が得ようのないハックの本心であって事実だと思う。
 であの夕方の川辺のシーンで終わりかに見せかけて視聴者が「めでたしめでたし」と言いかかった頃合いを見計らって、画面にシーザーの姿が大映しになる…この瞬間に「オチ」が残っていたと視聴者は思い、もうトムがシーザーに追われているシーンを想像するはずだ。シーザーが起き上がって走り出すと、その先に帰宅したベッキーがトムと一緒にいる。「ただいま、シーザー」とベッキーは笑顔だが、やはりシーザーはトムの存在に気付くと攻撃的になり…あとはトムとベッキーが一緒の時に物語が終わる時の「おやくそく」になるが、ここまで来るとトムがシーザーに終われて終わるオチは良い意味でのマンネリとして定着しているので、見ていて面白い。
 しかし今回のベッキー、いつもと違う服で印象が変わって良かったなー。トムも今回の服については可愛いとしているが、確かに釣り向きではない。港で荷物に腰掛けてトムを待つベッキーの姿は、描いた人が子供ではない魅力を付け加えちゃっているぞ。

第24話 「ネクタイをしたハック」
名台詞 「そうね、私もハックのこと、そんなに悪い子だと思ってないわ。だってお母さん、私は前から思っていたのよ。村の人がもっとハックに同情してやらなきゃならないって。親に捨てられてもちゃんと一人で生きている健気な子ですもの。」
(メアリー)
名台詞度
★★★
 夏休みのある日の夕食時、トムは昼間ハックと遊んでいたことでポリーおばさんに叱られる。ポリーおばさんは「あんたはどうしてハックと遊ばなければならないの?」と問うと、「だって、ハックは良いヤツだから。気が合うんだ、おばさん…それに宿無しって言うけれど、ハックは父親に捨てられて宿無しになったんで、ハックのせいじゃないんだよ。悪いのは親の方で、ハックじゃないや」とトムが返す。その会話を見ていたメアリーが口を挟んだ台詞がこれだ。
 「村の人たちはハックに対して冷たすぎはしないか」…これはこの物語を見ている現代人が一度は持つ疑問だろう。ハックは親に捨てられるというかたちで浮浪児になり、学校へも行かずに村はずれで暮らしている。その生活を他人から食べ物を盗んだりして立てているのでなく、村で要らなくなった食べ物をもらったり、魚を釣るなどして自然から得るかたちで、キチンと自給自足している。だから村の誰にも迷惑はかけていない。
 なのに村人達は彼を「宿無し」と罵って差別的に扱い、子供がいる大人は子供にハックとは付き合わないよう指導している。ハックに救いの手をさしのべる大人は誰もなく、もしハックにトムという親友の存在がなければ真の孤独を味わっていたであろう事は、前話の名台詞欄シーンでも書いたことだ。
 メアリーはそこが解っていてハックに同情的なのだ。恐らくメアリーがハックに同情的になったのは、トムがハックと付き合うことをやめないからだ。メアリーは一緒に暮らす義姉として、トムが本当に悪い子とは付き合わないことは知っているはずだ。だからハックは悪い子ではないことは前提だし、その上でトムからハックの暮らしぶりなどの話も聞いているのだと思う。その結果、メアリーは「悪いことをせず健気に生きているハックに、同情しなければならない」と考えるに至ったのであろう。このメアリーの思考の結果がよく分かる台詞だ。
 だがメアリーはまだ若く、ポリーおばさんの庇護の元で生活している身分だ。メアリーがハックに同情したとしても何もできないのも事実。だから今話の後半でベッキーが「親類で金持ちの大おばがハックを養子にしたいと言っている」という話を持ち込むと、これに快く協力したのだ。そして協力しながらメアリーは思っていたに違いない、「本当はこういう申し出は村人の誰かがしなければならない」と。
 この台詞にトムは全面的に賛同し、「小さいのに一人で生きている、きっと僕にはできない」とポリーおばさんに語る。トムも視聴者もこの台詞でもってメアリーがハックに同情的であるという意外な事実を知り、特に小さな子供の視聴者にとってはメアリーが「やさしいおねえさん」として印象に残るのだ。
名場面 ハックの「おめかし」 名場面度
★★
 今話の後半、ベッキーがトムの家に「自分の大おばがハックを養子にしたがっている」という話を持ち込む。トムはハックをベッキーの家のケーキで釣る作戦を考え、メアリーは「ハックがおば様に嫌われてはしょうがない」「今着ている服が問題」として着替えさせることを提案する。そこでトムとベッキーがハックの家へ行き、トムが「今すぐうちに来てくれ、お前と俺がベッキーの家に招待されたんだ」とハックを誘い出す。
 ハックはトムの家の前まで来て着替えさせられる事実を知り、どうしようかと悩み出す。そこにメアリーが現れてハックに挨拶した後、「たっぷりお湯を用意した」「石けんは上等なのを用意した」とトムに語ると、ハックは「石けんってどういうことだ?」と問うが、メアリーが「時間がないの、早くしましょうね」と言うと「やめてくれ」と嫌がるハックをトムと二人で家の中へ連行する。ベッキーの家のシーンを挟むと、次に出てくるのは服を脱がされたハックが泡だらけになっていて、メアリーに身体を洗われているシーンだ。「痛い」と叫ぶハックに「我慢しなさいよ、これくらい」と返すメアリー。身体を洗い終わり、トムがお湯をかければ熱すぎてハックは大騒ぎ、だからと水をかければ今度は冷たいと震える。トムがタオルで身体を拭き、メアリーによそ行きの服を着せられる。ネクタイを締めればハックは苦しいと騒ぎだし、髪にくしを通されて…ハックは鏡に映った自分の顔を見て「これが俺か…」と驚く。
 文章で書くとなんてことはないシーンだが、このシーンは画面に出てくるハックの動きがいちいち面白くて見ていて笑えるシーンだ。ハックの行動の一つ一つをいちいち大袈裟に表現することで、ハックが身体を洗われたりすることがとても嫌だと言うことが上手く示唆されている。特に石けんで身体を洗っているシーンは、昔のギャグアニメの喧嘩シーンのように、泡の塊のなかからたまにハックの手足が見え隠れする表現を使ったことで、メアリーがハックの身体を洗うのに手を焼いている様子が滑稽でありながらも上手く再現されていると思った。服を着せられているときもハックが「一番上のボタンは開けておいて良いか」と聞いたり、ネクタイと首の間に手を入れて「こうしないと息ができない」と主張するのは、メアリーも「大袈裟ね」としたとおりで大袈裟だが、ハックの嫌がっている気持ちが良く表れている。そしてハックが鏡に映った自分を見て驚くのは、ハックもキチンと身なりを整えれば「それなりのいい男」になることを示していて、これはハック自身だけでなく視聴者も驚いたことだろう。ここにはハックの「変身」という要素もあって、視聴者の印象に残るところだ。
今話の
冒険
 今回の冒険は、ハックをベッキーの大おば様に会わせるため、ハックを身なりを整えること。そしてハックをベッキーの大おば様の養子にすることが最終目標だ。ハックの身なりを整えるまでは名場面欄シーンに描いたように、トムとメアリーが苦労しながらもなんとか成功する。そして身なりが整ったハックをベッキーの家へ連れて行き、ベッキーの大おば様に会わせるところまでは上手くいったが…もちろん養子の話が出てきたところでハックはへそを曲げ、全てがご破算になってしまった。 ミッション達成度
★★★
感想  ハックがネクタイをする=身なりをキチンと整える…これが今話のサブタイトルだが、何が起こるのかと不思議でたまらないだろう。ハックは村の外れの森で一人で自由気ままに暮らしているし、学校へも行っていないから学校の儀式とは無関係なのも明白。そしたら冒頭でベッキーの大おば様が来訪したシーンが描かれ、これとハックのネクタイ姿が関係していることはおおかた予想がつくと言うところだ。
 だがベッキーの大おば様が登場したからと言って、そこで展開を急がないのが「世界名作劇場」シリーズの良いところだ。ここで一度ベッキーの大おば様来訪から話を逸らして、ハックの話へと持って行く。これは名台詞欄で紹介したメアリーの台詞を引き出し、ハックに対して同情する大人がなぜいないのかという疑問点を明確にすると同時に、メアリーがハックに対して同情的であることも明確にする。そうしないと本話後半の話が回らないからだ。
 こうして伏線張りのために回り道した物語は、前半のラストでやっと「ベッキーの大おば様がハックを養子にしたがっている」という本題を提示し、ベッキーがハックではなくトムに相談に来たことで話が回り出す。トムが色々理由があって(この理由も前半でキチンと伏線張りがされている)家にいたことで、この相談内容をメアリーも耳にすることになって、すると前半の名台詞があるためにメアリーが一役買うことは不自然でなくなる。トムだけではハックの身なりを整えるところまで気が回らないだろうし、メアリーがいるからこそこの作業が可能というのは紛れもない事実だ。
 そしてトムが身なりを整えたハックを連れてベッキーの家へ行くと、大おば様がトムとハックを間違えるところは誰もが予想通りと思っただろう。そしてハックはケーキに夢中で途中までまともに話を聞いておらず、やっと耳に入ってきた話が「自分を養子にする」話だったと知ってへそを曲げ、ついにはベッキーの家から飛び出してしまう。やっぱりハックはこうでなくちゃ、と誰もが思う展開だよなぁ。
 ただオチは時間が足りなかったのか、今回はオチ切れていないまま終わったように感じた。ハックが「俺は窮屈なことが大嫌いなんだ」と言ってネクタイを投げるだけで終わりとは、でも他のオチ方は想像がつかないのも事実。でも最後の方はちょっと忙しかったなぁ。

第25話 「意地っぱり野郎」
名台詞 「トム、好きよ。優しいから、好きよ。」
(ベッキー)
名台詞度
★★★★
 トムとアルフレッドの再勝負の帰り道、トムはベッキーと二人で村の道を自宅へ向かいながら再勝負の内容を振り返っていた。「あいつ、相当な意地っぱりだな」とトムが語れば、「もう少しで生命を落とすところだったのよ。ああいう人も問題ね」とベッキーが返す。だがトムは「あいつはよく頑張ったよ」とアルフレッドを褒め始める、これを聞いて「そうかしら?」と呆れるベッキーをよそに「男らしいよ」と続ける。これに対してベッキーは「助けられて一度もお礼を言わなかったわ、トムやハックに…」とアルフレッドについて批判的に語るが、「あいつ、ちょっとボーッとしていたからな、仕方ないよ」とトムはアルフレッドを弁護する。これを聞いたベッキーがトムをじっと見つめて言った台詞がこれで、「へっ!? 今なんて言ったの?」と驚いて聞き返すトムを置き去りにしてそのまま走り去ってしまう。
 今話のここまでの展開からしてみれば、まさかのベッキーからトムへの告白だ。まさか今話のオチがこんな風に描かれるなんて、誰も想像していなかっただろう。いや、二人が相思相愛であることは「痛い仲直り」以降は確定していたし、ベッキーのトムへの想いというのは「ナマズ釣り」の時にキチンと描かれている。その想いをベッキーがトムにキチンと語った…たったそれだけと言えばそれだけなのだが、台詞の内容が内容だけにこれは多くの人の印象に残るのは確かだし、またこの台詞シーンの背景に描かれている夕景がきれいなことや、この時のベッキーの表情もとてもよく、BGMも相まって、女の子が男の子に告白するときの「甘い空気」がうまく演出されている。
 そしてこのシーンの後、「さよーならー、送ってくれてありがとう」と手を振るベッキーを見て、初めて異性に「好き」と告白された日のことを思い出した視聴者も多いと、私は思う。現に私がそうだ。
 やっぱりベッキーがトムの何に心を惹かれているかというと、強さと優しさの双方を持ち合わせていることだ。恐らくベッキーはトムが強いだけでは惹かれないし、優しいだけでも惹かれない。今回もトムがアルフレッドとの競争に全敗でも、後日再勝負をしてトムが勝とうとしたことは「トムの強さ」だ。その強さがあるからこそ、「痛い仲直り」の時にトムは身体を張ってベッキーを守ることができたのはベッキーも重々承知のはずだ。そしてその強さの裏返しに、人を思いやり許す気持ちも持ち合わせている。今回も助けられっぱなしで例の一つ言わないアルフレッドについて、「どうしてそうなったのか」を好意的に捉えて許すトムの姿に、ベッキーは「優しさ」を見いだしたのだ。ベッキーはもし自分がトムの立場なら、自分が助けてやった相手が例の一つも言わないなら気分が悪いままだと思ったのだろう。
 ちなみに、ベッキーを演ずる藩恵子さんが「世界名作劇場」で「好きよ」というのは、このシーンだけではない。この3年後に放映された「わたしのアンネット」12話でルシエンに「好きよ」と言っている。
名場面 アルフレッドの猛特訓 名場面度
★★★
 ある日のこと、ハックが川で釣りをしていると近くで人の声がする。「足が曲がってますよ、膝を伸ばして!」「そうです、その調子!」と水泳の訓練をしているようだ。ハックはその声に聞き覚えがあるので行ってみると、なんとアルフレッドがウォルターの指導で水泳の猛特訓をしていたのだ。ウォルターが「一ヶ月でこんなに泳げるようになるなんて」と感心したときに、アルフレッドはハックが様子を見ているのに気付く。「やぁ、アルフレッド。水泳の練習か?」と問うハックにアルフレッドは「ああ」と答えるだけだ。ハックが「凄く上手いじゃないか」と褒めると、アルフレッドは「僕が泳ぎの練習をしていることを誰にもしゃべらないで欲しい」と語る。「俺はしゃべらない」とした上で「どうして?」と問うハックに、「まだこの程度しか泳げないから恥ずかしい」と誤魔化すアルフレッド。「そうかな、だいぶ上手いと思うけど」と続けるハックに、アルフレッドも「まだまだ」と応戦する。ひして「頼むよ、誰にも言わないでくれよ」と改めて頼み、ハックが頷いたのを確認してまた水に飛び込むアルフレッド。
 このシーンを見て、第7話でアルフレッドの惨めな姿が記憶に残っている視聴者は驚いたに違いない。ボートが沈んで泳げないアルフレッドは、ライバルのトムに助けられるという屈辱を味わったのだ。このシーンの直前にはトムとベッキーとベンの会話の中でそのシーンが回想シーンとして流されていて、視聴者は「アルフレッド=泳げない」という方程式を思い出したはずだ。
 だがこのシーンで出てきたアルフレッドは違う。川の入り江になったところを無事に泳ぎ切っているのだ。しかも先日まで泳げなかったのがウソのように、見事な泳ぎぶりである。トムに助けられた屈辱から彼は「泳げるようになろう、泳いでトムを見返そう」と固く決意をして、猛特訓した事実をこのシーンだけで上手く描ききっていると思う。
 そしてそれを目撃したハックへの注文である「誰にも言わないでくれ」というのは、事実上は「トムに言わないでくれ」と言っていたと考えるべきだ。このシーンまでにアルフレッドの誕生会があることは明確になっていて、そこで様々なスポーツによる「競争」が行われる事も示唆されている。アルフレッドはその場でトムに水泳で勝つことでのみ、もあの日の屈辱を晴らせると考えているのだろう。だから水泳に絶対の自信が付くまでは、トムを誕生会に誘えなかったのである。そして誕生会ではトムはアルフレッドの術中にはまって水泳での勝負を申し出、アルフレッドがこれに勝つことができたのだ。
 アルフレッドがトムに勝つというためだけにどれだけ苦労してきたか…これがとても印象的で、本話で最も印象に残るシーンとなった。
今話の
冒険
 今回の冒険は「アルフレッドに勝つ」こと。アルフレッドの誕生会で実施された「競争」は、様々な競技で誕生会出席者とアルフレッドが勝負し、アルフレッドに勝った者には商品が出るというものだった。これトムは様々な競技で勝負に挑むが、どれでも勝てない。ついにトムは「アルフレッドが泳げない」ことを理由に水泳での勝負に挑むが、これにも敗北してしまう。そしてトムは日を改めて水中での潜り合いでアルフレッドに再勝負を挑むが、これでもアルフレッドはトムより長く潜水したが…そのまま溺れてしまう。トムとハックに助けられてもなお「勝利」を宣言するアルフレッドに、ついにトムも「勝手にしろ」と怒鳴ってゲームセット。 ミッション達成度
感想  この話、前話の次回予告を見ていないとどうなるのかさっぱり解らない話なんだ。何年か前にNHK−BSで再放送されたときは次回予告がカットされていたので、「意地っぱり野郎」というサブタイトルなのにトムが退屈そうにしている話が延々と続いて「?」だった。だけど途中であるふれっどの誕生会の話が、ベンやベッキーとの会話から出てくるようになって「アルフレッドが何かやらかすんだな」と判断したところで、名場面欄シーンとなって「アルフレッドが7話での屈辱を晴らそうとするんだな」と理解する。
 その間、トムが家の手伝いをやり過ぎて体中が痛くなるシーンは面白かった。トムが「家の仕事を手伝った」と言えば、メアリーがいちいち「嘘を言わないで」とたしなめるのが面白い。こういうのが日頃の行いってヤツなんだな、ジムに聞けば本当だって解るはずなのに…だけど薪割りと水くみと草むしりで身体中が痛くなるなんて、お前はおっさんかとツッコみたくなった。子供ならこの程度の仕事なら、ピンピンしてるぞ。
 そして始まる誕生会、ダンスのシーンではベッキーがアルフレッドと踊っているけど、良いのかトム?と問いたいのを我慢だ。まぁそこは主賓に花を持たせなきゃならないから、トムも解っていると言うことだろう。そして競争大会、恐らくアルフレッドは水泳だけでなく、この競争全てに勝つために血の滲むような努力をしたに違いない…アルフレッドは「努力の人」なのだ。これに天性の素質で勝負するトムは勝てそうにない空気を、キチンとこの誕生会のシーンで作ってあるところがこの話の面白いところだ。そうすればトムが「水泳で勝負」を言い出すことは自然に感じてくる…個人的にはベンとの「大食い勝負」を見てみたかったが。
 そして案の定トムは敗北…ハックは何処までも素直なヤツで、アルフレッドの「特訓していたことは誰にも言わないで欲しい」という申し出を最後まで守る。トムに対して、水泳での勝負が終わった後もだ。
 もちろん、これで終わるはずがない。トムが再勝負を挑むが…これはもう「今話の冒険」欄の通りだ。再勝負を挑むトムも意地っぱりだが、アルフレッドがそれを上回ったのが面白いのだ。今話の本題は、アルフレッドが溺れてトムとハックに助けられつつも「勝利」を宣言し、トムが怒鳴り返したところまでだ。
 そして名台詞欄シーンは「オチ」だが、実はこれが本話で最も印象的かも知れない。てゆーかオチが本話の印象を全部持って行っちゃうような展開だ。まさかああいうオチになるなんて…。

第26話 「子役のリゼット」
名台詞 「そうよね、お芝居だと王子様や美しいお姫様にも会えるんですもの。」
(エミー)
名台詞度
 トムはシッドから「お芝居の一座が来る」という第一報を聞き、さらなる情報収集を経てどうやら1週間後くらいに到着することを知る。その情報を港で船が着くのを見ながら、ジョーとベンとエミーに語る。「どんなお芝居をやるのかしら?」とエミーが語れば、「俺はお芝居なんかよりサーカスが見たいな」とベンが語る。これにトムが「お芝居は良いやぁ、なんてったって夢があるもん」と返すと、エミーが付け加えるように語るのがこの台詞だ。
 そう、芝居ならどんな人間にだって、どんな動物にだって会える…これは「世界名作劇場」シリーズでもキチンと訴えられ続けてきたことだし、私がこのサイトを通じて発信していることのひとつでもある。私はこのサイトで様々なアニメの物語やキャラクターを紹介してゆくことで、「アニメを見る」その物語の世界に入ったりキャラクターに会えることを発信しているつもりだ。そしてここで考察していることは、自分なりに「物語に入った」結果であったり、キャラクターに出会った結果でもあるのだ。
 もちろん私がこのサイトで取り上げた…つまり出会ったキャラクターは宇宙人から実在の歴史上の人物まで様々だ。そしてそのキャラクターは役者が演じているという子とを理解した上で、キチンとキャラクターと向き合ってどのような物語を伝えようとしているのかを自分なりに吸い取っているつもりである。物語を楽しむというのはこの行為であり、キャラクターと会うということはとても大事であって楽しいこと。これをエミーはこのたった一言で伝えようとしたのだ。
 この台詞に対して、トムは全面賛同で「王様にも公爵にも海賊にも会えるもんな」と続けるが、ベンは「だってそれは役者が化けるんで、本物じゃない…」と言う。そのベンの台詞を遮るように「上手い役者は補名者と同じようになるんだ」と切り返すが、星野鉄郎こと野沢雅子さんの声でこの台詞を言われるとものすごい説得力があるぞ。
 ちなみにこのエミーの台詞、声がロザリー(byペリーヌ物語)じゃないんだな。エミーの声がいつもと違うんで驚いたのなんの…当時は全く気付かなかったけど。誰かと思ってスタッフロールで確認したら、「小公女セーラ」でマリエットを演じていた高木早苗さんではないですか。この前年には「赤毛のアン」で夢見る少女ジェーンを演じていましたね。「トムソーヤーの冒険」に代役で出ていたのは知らなかった…。
名場面 出会い 名場面度
★★★
 芝居一座が来た日の午後、村の広場では芝居小屋を建てる作業が始まっていた。広場の片隅にある井戸でその様子を見つめるハックの前を、一人の少女が横切ってゆく。まるでよそ行きのような服を着て走る少女の姿に、ハックは目を奪われた様子だ。その少女は芝居一座の子役であるリゼット、彼女は座長に何かを命じられて今度はハックがいる井戸の方へやってくる。ハックは驚いて後ずさったかと思うと、井戸の滑車を回し始める。ところが既にロープは巻ききられていて、滑車の周りを空の桶が回るだけだ。だがハックは少女に気付かないふりをして、滑車を回し続ける。「こんにちは」少女が声を掛ける、「いやぁ、どうも」と一度は振り返るハックだが、また滑車を回し始める。「あのう私、手を洗いたいんだけど」と少女が続けると、「ああ、いいとも。今汲んでやるよ」とハックは返す。ここでやっとハックは滑車の木割りを桶が回っているだけであることに気付いて、慌てて滑車を逆に回して桶を井戸の中に落とす。「ヘヘヘッ」と笑って誤魔化すハックに、少女は「明日からここでお芝居をやるの」と続ける。「ああ、知ってるよ」「見に来てね」「おおう、もちろん」「私も出るのよ、リゼットっていうの」…ハックはこれに驚いて少女の顔をまじまじと見つめ、「リゼット…」と呟く。
 ここからの芝居一座が村に来る物語でもっとも印象的なのは、次話以降で描かれるハックとリゼットの物語だろう。二人がなんで気があったのか、惹かれあったのかという内容は次回以降なので今回は書かないが、本話ではその最初の「出会い」はキチンと描かれた。まだこの段階ではリゼットの方はハックを意識しておらず、ハックもただ「きれいな同じ年頃の女の子と出会った」程度にしか感じていないはずだ。ただハックにとってこの少女が気になったのは事実だ、ハックの目はずっとこの少女の姿を追っていたし、少女がこちらに来れば「ずっと見つめていた」という自覚があったために井戸の滑車を回して誤魔化す。これに対してリゼットが何か気の利いた台詞でも言うのかと思ったら、「芝居を見に来い」という彼女にとっては事務的な台詞しか言わない。だが普段女の子と会話する機会などほとんどないハックにとっては、それだけで十分に「惚れる」理由になる。女の子の方から声を掛けてくれたと…。
 そしてこのシーンは、井戸の滑車を回すハックの姿に凄くこだわっているのが面白い。滑車の動きだけでなく桶がくるくる回る様子や、滑車を回すハックの姿勢なども力を込めてリアルに動かしている。だからハックが滑車を回していること自体はなんともないのに、とても滑稽に見えるのだ。これにリゼットが無言で見ている間は何でもないのに何故かおかしく見えてしまう。不思議なシーンであることも付け加えよう。
今話の
冒険
 今回のトムはとにかく金に困る。ポリーおばさんから小遣いを20セントもらったばかりなのに、その小遣いが底を突いて夏休みの楽しみである釣り針や釣り糸を買えない有様だ。小遣いの追加をポリーおばさんに頼んで却下され、こんどはメアリーに頼んで一度は却下されつつもなんとか5セントもらうことができた。その5セントのうち、2セントは友人達と一緒に舐めるキャンディー4本に化けてしまい、残り3セント。そこにやってくる芝居一座、芝居の見物料は子供15セント。もちろんポリーおばさんもメアリーも財布の紐は固く、苦悩しているところへハックが芝居の見物料をくれとやってくる。トムは「芝居が始まるまでに何とかする」とハックに告げるが、見物料二人合わせて30セントは手に入るのか? 次回に乞うご期待! ミッション達成度
★★
感想  夏休みに訪れたトムの危機、それは小遣いだけでは資金が足りないという現実的な問題であった。だがなぜ金がないのかは「無駄遣い」が理由であることはすぐ解る。視聴者も「なんだ、自業自得か」と思っている間中も、ポリーおばさんやメアリーにお金をせがむトム。やっぱりこういう時はメアリーだ。「トムが本を買うというのなら、貸さないわけでもない」と一度は断ったが、最終的に小遣いをくれたのだから。
 そして小遣いはもらった端からすぐに消えゆく運命のあるのも面白い。シッドから「芝居一座が来る」という第一報を得ているのに、キャンディーを買ってもう5セントのうち2セントが消えたときには「どうするんた?おいっ」と視聴者も感じたことだろう。本当に救いようがない。
このトムの小遣い問題は、リゼットの登場で一度は視聴者も忘れさせられる。ところがベッキーが芝居のポスターを見て内容を読み上げた際、その内容に「入場料」の情報が入っていたことで突如思い出すというのは面白い話だ。これは最初から「入場料」前提で話が進むよりずっと面白い。なんてったって視聴者までリゼットの登場でトムの財布事情を忘れさせられるのだから。
 もちろん、トムがポリーおばさんやメアリーに頼んでも今度ばかりは出てこない。当たり前だ、小遣いを大事に残しておけば見物料くらいは何とかなっただろうし、もし足りなくてもそれこそメアリーが何とかしてくれただろう。最初の無駄遣いが全ていかん…という教訓話なのかと思ったら、そこハックが現れて「金をくれ」と言い始めるのだ。トムとしては親友ハックを助けねばならず、次回に向けて「30セントを何とかしなきゃならない」という宿題が出たわけだ。
 しかしリゼットのしゃべり方、あの独特のしゃべり方は慣れるまで時間が掛かるんだよな…だけど慣れた頃には物語から降板しているという「旅役者」役のつらさよ。リゼットは村の子供達に積極的に接近してゆくが、これも一座の宣伝のために座長に仕込まれたのだろうなと私は解釈している。リゼットは「子役」という仕事だけではなく、劇中に描かれたように劇団の雑用などもこなしているが、公演地について最初の最も大きな仕事は地元の子供達の中に入り込んで一座を宣伝することなのだ。だから舞台上でもないのにきれいに着飾って、「可愛い女の子」になっているのだと私は解釈している。

第27話 「お芝居の始まるまで」
名台詞 「ねぇ、ハック。告白するけど、僕、恋をしたみたい。」
(シッド)
名台詞度
★★★
 名場面欄の通りにハックの家でハックとリゼットが語り合っていると、突然にシッドの声が聞こえる。ハックがこれに応えると、シッドは兄から言われてハックの分の芝居の見物料を持ってきたことと、兄が使いで遠くへ行かされていることを告げる。そこでリゼットが「帰るわ」とハックに告げ、まるで滑るように華麗な身のこなしで木から下りてゆく。この光景にシッドは「すごいや」と目を奪われる。リゼットはハックとの会話からやってきた子が何者か理解しており、シッドの前に立ち「トムの弟さんでしょ…でも全然似てないわね」と声を掛ける。シッドは何も言えず、口をぽかんと開けて顔を赤らめるだけだ。リゼットが「お芝居、見に来てね」と微笑みながら言い残すと、やっと「…はい」という返事が出てくる。「じゃあね」と走り去るリゼットをとろけた顔で見送るジッドの隣に、やはりとろけた顔のハックが立つ。その時にシッドが口にした台詞がこれだ。
 まずはこの台詞のシッドのとろけ具合が何とも言えない。これまで優等生で真面目に語ることが多かったシッドが、初めて「とろけた」台詞だと言って良いだろう。目の前に現れた美しいお姉さん、それに目を奪われてフリーズしてしまう自分の反応を「恋」だとキチンと自覚する。その自分が認識した状況をこのような台詞でハックに告げるのだ。
 そしてこのシーンでもって、このハックとシッドは兄弟揃って「一目ぼれ」を演じた結果になったのも事実だが、その「一目ぼれ」をしたこと自体がそうだし、「一目ぼれ」した相手の少女を見てとろけた表情でフリーズした点もトムと同じだ。だから姿は似てなくて兄はいたずら坊主で弟は優等生であってもやっぱり二人は兄弟であって、共通点があるということを視聴者に感じさせてくれる。この台詞の前にわざわざリゼットに「全然似てない」と言わせたことが、さらにこの台詞の印象を高めている。
 この台詞に対し、隣にとろけた表情で立っていたハックが驚き、急にいつもの表情になってシッドを見つめる。たぶんハックもここで気付いたのだろう、自分の恋心に…これはシッドをライバルだと思っているのではなく、自分の気持ちに気付かされた驚きだ。
名場面 ハックとリゼット 名場面度
★★★★
 お芝居当日の朝、リゼットはミシシッピ川沿いに散歩していたのだろう。川に近い森の中で花を摘んだりしていると、ハックの家の前を通りかかる。ハックが目を覚まして外に出てきて、立ちションをしようとズボンのチャックに手が掛かったところで、リゼットが下にいてこちらを見上げているのに気付いて大慌て。ハックはリゼットのところへ降りて行き、「散歩しているのかい」とハックが問うと「お芝居が始まるまでまだ時間があるのよ」として上で「あんたの家、あそこなの?」と木の上の家を指さして問う。「今のところはな」「親はいないの?」「まあな、いないと同じだな」と続く。ハックが「お芝居を見に行く」と言えば「あんたはお金要らないわ」「親がいない子からお金を取るわけに行かないわ」と答えるが、ハックは「貸してくれる友達がいるんだ」とトムの話をする。リゼットもトムと出会っていることを話し、「友達のある人がうらやましいわ」とする。「君にはいないのかい?」「ないわ、旅から旅への生活ですもの、友達なんてできるわけ無いでしょう」「それもそうだな」…ハックはリゼットに同情的になる。リゼットが「川の見えるところに行けるかしら?」と問い、これに対してハックが自分の家へ上がるよう返したことで、続きはハックの家での会話になる。
 ハックの家へ上がったリゼットは、ミシシッピを行き交う船を眺めながら自分の生い立ちについて語る。ニューオリンズで生まれ父親に劇団へ売られたこと、劇団に入ったばかりの頃は脱走してすぐ捕まった経験もあること。この話を聞いてハックは「なんだって?」と衝撃を受ける。「そうなの、私もあんたと同じような身の上なの」と告白するリゼットに、「君はあの一座の連中にいじめられているのかい? 座長が殴ったりするのかい?」とハックは問う。「たまにはね」とリゼットが返すと、「君を殴るのか?」とハックは許せない様子。「そりゃあ、演技が下手だと最初は口で罵られるけど、しまいには鞭が飛ぶこともあるわ。でもこれは仕方の無いことよね、私は俳優なんだから」とリゼットは何事もないように返す。「でも、まだ小さいんだ」とハックの返答は絶叫だが、リゼットは「私はまだ子供だけど、俳優としては大人にだって負けないつもりよ」と力を込めて返す。
 ここで二人は、互いに境遇が似ていることを意識したのは確かだろう。酒を飲みながらでかいことばかり言ってろくに働きもしない父親に捨てられたハックと、詳細は分からないが父親の手で一座に売られたリゼット。「父親に捨てられた」という共通点が二人にあって、この共通点から二人が心を通わせてゆくことに説得力を持たせるために重要なシーンだ。
 同時にここでは、ハックとリゼットの共通点だけでなく、重大な違いというものも示唆している。これは「ハックにはトムという親友を始め多くの友人がいる」「旅から旅への生活をしているリゼットには友人がいない」ということと、「ハックは一人で自給自足でその日暮らしの生活をなんとか成り立たせている」「リゼットは俳優という仕事を持っていて安定的な生活をしている」ことの2点である。この2点は持っていない方が持っている方をうらやましがり、「自分もそうなりたい」という意欲から相手に惹かれてゆくには十分すぎる内容だ。つまり互いに「尊敬できる」部分があって、惹かれ合うには十分な理由ができるのだ。ここからはハックはリゼットの姿形に惚れるのでなく、その境遇に同情し、キチンと仕事を持っていることに尊敬するという意味で内面に惹かれてゆく。
 こうしてハックとリゼットの短い物語が、その幕を開いたのだ。
今話の
冒険
 前回の続きで、トムは芝居が始まるまでに自分とハックの見物料合わせて30セントを何とか手にしなければならない。まずは朝、シッドに小遣いを貸すように頼む。シッドは小遣いを32セント持っているが、「自分も芝居を見たい」というのでなんとかその差額の17セントを借りることに成功。トムが所持している3セントを合わせて20セント、残り10セントは再度ポリーおばさんに頭を下げることにした。そこで出てきた答えは、その10セントは貸すのではなく仕事をした駄賃として渡すというものだった。仕事内容は家にあった不要家具を運び出し、ジムが繰る馬車で5キロ離れた農園へ運ぶもので、時間的には芝居開演時刻ギリギリだった。そして仕事の帰り道に馬車が壊れ、トムは最後の2キロは自分の足で走ることに。幸い、芝居の見物料を先回り手貸してもらえたハックやベッキーの申し入れだけでなく、一座の子役リゼットまでもがトムが戻るまで開演を待つように座長に訴えたために開演時刻が少し遅れたので、トムは何とか芝居に間に合ったかたちだ。 ミッション達成度
★★★★
感想  今回も良い話だ。トムがどうやって27セントをゲットするのか、ここは上手く考えたと思う。まずシッドが持っていた32セントのうち、シッドの芝居見物料を差し引いた17セントを借りることに成功して、トムの手持ちと合わせて20セント。そして残り10セントは「小遣いを前借り」という安易な話にせず、「家の仕事をした駄賃」としたのは上手く考えたと思った。ポリーおばさんはトムの「親」として見抜いていたはずだ、既にトムが他(それが弟シッドであることも含めて)から金を借りていることを。だから「前借り」という形を取れば次の小遣いの時にトムが「足りない」と泣きを見るのが解っていたのだ。前話でトムの小遣いは1回につき20セントであることはハッキリしている。ポリーおばさんは20セント全てがシッドから借りたものだとすれば、トムは次の小遣いではその全額をシッドに返さねばならないと判断していたはずで、自分の方に返せるわけがないと踏んでいたのだ。そういう計算もそうだが、何と言ってもよい子の世界名作劇場シリーズだ、教育上の観点からも「小遣い前借り」なんて安易な物語にするわけには行かなかったはずだ。
 だが金の問題は解決しても、次にトムを襲うのは「時間」という制約だ。朝何時頃から家具運搬の仕事をしたのかは解らないが、これを5キロ離れた農園まで運ぶという内容だけで「嫌な予感」がする内容だ。そして案の定、往路の馬車は重くて速度が出ずに時間が掛かり、復路では馬車の車輪が壊れてしまう。トムは全力で走ることを余儀なくされる。
 一方、芝居小屋ではトムの友人達が「トムが来ない」と心配している。ただトムの判断がひとつ正しかったのは、シッドから17セント借りたことでできた1人分の見物料を「ハックの分」としたことだ。こうしてシッドに頼んで先にハックにお金を渡したことで、人情に厚いハックは「トムがいないなら自分も芝居を見るわけには行かない」「一緒に芝居を見なければならない」と感じるようになる。これでハックが「芝居の開始を遅らせてくれ」と頼むのに十分な理由だ。そしてベッキーはハックから「トムが金を貸してくれた」と話を聞いたのだろう、しかもトムは持っていた金を先にハックに渡し自分の見物料のために今働いていると聞けば感動しないはずがない。これはベッキーがハックの意見に口添えする理由として十分だ。そしてリゼットは自分と心が通じ合い始めているハックと、その友人達が声を上げれば黙っているわけには行かず、無理を承知で座長に開演を遅らせることを訴えるのに十分な理由ができている。こうやってキチンとそれぞれのキャラクターに「トムを待つ」理由を設定付け、時間が掛かっても話を自然に持って行くのが見ていて気持ちの良い話だと思う。
 しかし、トムが芝居の見物料がなくて困っていると知ったベッキーよ、「どうして私に言ってくれなかったのかしら」はないだろう。そりゃベッキーに言えば「一緒に行きましょう」と言ってくれるのはトムも解っているだろうし、ベッキーもそうするつもりだろう。だがそれは男子のプライドが許さない、お芝居の見物を好きな女の子(それも相思相愛)のおごりで行くなんて。それだけは譲れないことは、ハックが「女の子には言いづらいものさ」代弁する。
 あとは昔の日本映画ばりにトムが走りに走って間に合うわけだが、この芝居が始まってどうなるかは次回に回される。本話はトムが朝起きてから芝居が始まるまでの劇中時間10時間程度の物語しか描かれていない、なのに話が濃密なのはそれだけ「お芝居が始まるまで」の間に色々なことがあったということで、まさにサブタイトルに偽りなしって感じた。

第28話 「リゼットを助けろ!」
名台詞 「いいんだよ、あれでいいんだ。腹が減ってるんだからな、リゼットは。」
(ハック)
名台詞度
★★★★
 劇中劇「さすらいの少女リゼット」の序盤、劇中のリゼットは家の婦人にさんざんいじめられる。その中で床に落ちたパンを拾って食べさせられるシーンに差し掛かり劇中のリゼットがパンを拾ったとき、観客席ではトムが「あんな汚れたパンを…」と呟く。その隣で芝居を見ていたハックがこのトムの呟きに対して、目に涙を浮かべて返した台詞がこれだ。
 この台詞はハックが劇中のリゼットに完全に感情移入しているから出てきたのは確かだ。ハックは自分の生活を通じて、「食べる」ということがどれだけ大変かも知っている。だからこそトムにとっては「落ちた汚いパン」であっても、ハックにとっては「それでもパンはパン」なのだ。落ちていようが湿っていようが、パンがそこにあるときに食べねばならないのがハックの生活であることを、この台詞が浮き彫りにしている。この台詞を聞いたトムは驚いてハックを見るが、ハックは自分のそんな実状を親友のトムにすら語ったことがないのだろう。
 そしてこの台詞から見えてくるもう一つのことは、ここでリゼットが演じた行為について「自分にも身に覚えがある」ということだろう。過去に父親にさんざんいたぶられたというハックのことだ、一度や二度は劇中でリゼットが演じたように床に落ちたパンを拾って食わされたことがあるのだろう。その時の屈辱をハックは知っているのである、恐らく劇中でそれを演じているリゼット以上にその気持ちを知っているのだ。
 その上で、ハックは劇中のリゼットではなく、現実のリゼットに対して「境遇が似ている」という同情を持っている。父親に捨てられたという同じ過去を持つリゼットが、演技とは言えあのような行為をしていることがとても悲しいのだ。こうしてハックの心の中には「現在の自分」「過去の自分」「同じ境遇の少女」という3点が渦巻き、だんだん正気を失ってゆく。正気を失ったことで目の前で起きていることが「芝居」「演技」だということを忘れ、それが現実と勘違いして暴走してしまう理由として説得力を与えたのは間違いなくこの台詞だ。
名場面 ハックとリゼット 名場面度
★★★
 昼間の子供向けの上演では問題があったものの、夜の公演は予定通り開催された。一座の役者やスタッフが舞台へ上がった頃、ハックは芝居小屋に忍び込んでリゼットを探す。テントの中に入り、舞台下を這って芝居小屋の中を進むと、舞台袖にある楽屋で繕い物をしているリゼットを見つける。ハックは一度笑顔になり、そこから一度不安な表情に変わるも、意を決したようにリゼットに声を掛ける。ハックの存在に気付いて立ち上がったリゼットに、「リゼット、さっきはごめん。あんなひどいことになるなんて、本当に悪かったと思ってる。なぁ聞いてくれ、俺は…」とハックは謝罪の言葉を発するが、それを遮るようにリゼットは「座長さんに見つかるわ、早く隠れて」とハックに隠れるよう促す。そこで舞台では第一幕が終わり、リゼットの出番がやってくる。「お客様にお金を戴いてくるわね、待っててね」と言い残して舞台に上がるリゼット、これを見送って隠れるハック。そして集金が終わりリゼットが楽屋に戻りハックを探す、ハックは舞台への階段の裏に隠れていて、これを見つけたリゼットは笑顔だ。そして第二幕の大人同士の恋物語の演技の裏で、ハックとリゼットは語り合う。トムの家のシーンを挟むと、ハックは笑顔で「きっと来るんだね」とリゼットに声を掛けている、頷いたリゼットは「また木の上から川を見せてもらうわ」とハックに返している。「なんか食べ物用意しておくからさ」「いいわよ、無理しなくても」…ここまで会話が続くと、無情にも座長がリゼットを呼ぶ声が響く。「行かなくちゃ」と慌てて舞台へ上がるリゼット、ため息をついて出て行くハック。
 このシーンの前でのトムとの会話で示されているが、ハックが気にしていたのは芝居を滅茶苦茶にした自分の行為をリゼットがどう思っているかだ。理由はどうあれハックはリゼットの「仕事」の邪魔をしたわけである。トムは「リゼットはそんな怒っているように見えなかった」としていたが、ハックはやはり不安でリゼットに謝らなければならないと行動したわけだ。「リゼットが怒っている」という不安は視聴者も持っていたはずだ。
 つまりこのシーンはハックと視聴者が持つ不安の答えが出るわけで、もちろんバックとリゼットが顔を合わせたところでリゼットが怒ってなんかいないことが判明して胸をなで下ろした視聴者も多かったことだろう。そしてここで二人がどんな会話をしたかは省略されたが、結論としてリゼットがまたハックの家へ遊びに行くことが示唆されると二人がここで心を通い合わせたことだけは確かだということは解る。そして昼間の公演で、ハックが芝居と現実の区別がつかなくなって「リゼットを助けろ」と立ち上がったことが、リゼットはむしろ嬉しかったのではないかとさえ感じられるように上手く作ってある。実際にそうであったことは、本話の最後まで見ると解るのだが。
 そしてここは、視聴者がハックとリゼットがどんな会話をしたのかを想像しても良いシーンだ。私は名台詞欄に書いたようなことをハックが語ったのだと考えている。だからリゼットは「自分を助けようとしたハック」の行動が嬉しかったのだと思う。リゼットとしてはハックが「似たような境遇」と共通点を持つ男の子というだけでなく、「何かあったら身体を張って自分を守ってくれる」存在に見えたのだろう。こうしてハックとリゼットの短い恋物語は良い感じに進んでゆくのだ。
今話の
冒険
 今話はハックの冒険…というより暴走。「さすらいの少女リゼット」の劇中でいじめられるリゼットを、目に涙を浮かべながら歯ぎしりしつつ見続けるハック。名台詞欄の要素でもって芝居と現実の区別がつかなくなり、劇中のリゼットが悪い男に50ポンドで売られるシーンで「もう我慢できねぇ!」と立ち上がる。舞台に上がって悪い男を演じる役者に飛びかかると、「ハックが危ない」と他の子供達が舞台上に乱入する。結果リゼットとハックは助け出せたが、芝居は滅茶苦茶になって上演は中止。だけど「金を返せ」という観客は一人もなく、また「芝居と現実の区別がつかなくなるほど子供達を夢中にさせる一座の演技は凄い」という大人達の評判に繋がって夜の公演は大入り。役者にけが人が出るなど影響は大きかったが、結果オーライだ。 ミッション達成度
★★★★
感想  う〜ん、もどかしい。何がもどかしいって、「さすらいの少女リゼット」の展開がどうなるかだ。これは子供の頃に本話を見たときから思っていることで、セント・ピーターズバーグの人々だけでなく、このアニメを見ている人全員が「さすらいの少女リゼット」がどのような展開と結末を迎えるのかを知る機会を失ったわけだ。まぁわざわざ「子供向け」と銘打っている芝居だ、序盤はリゼットがいじめられる辛い展開なのだろうけど、中盤以降はリゼットを助けるヒーローが現れて、最終的には「リゼットは優しい人たちに引き取られて、幸せに暮らしましたとさ、めでたしめでたし」という結末になるのだろう。もちろんリゼットを助けるヒーローを演じるのは座長、そして最後にリゼットを引き取る優しい人たちを演じるのは、最初にリゼットをいじめていた夫婦を演じていた男女が一人二役で演じるのだろう。
 もちろん、ハックにはそういう「ハッピーエンド」があることは解っていたが、名台詞欄シーンのところでそれが吹っ飛んでしまったのだ。トムは「ハッピーエンドになる」と分かっているからこそ「可哀想なほど楽しい」のだし、それを見失っているハックはその台詞を吐いたトムを真剣に睨むのだ。誤解してはならないのは、ハックが芝居と現実の区別がつかなくなったのは田舎で浮浪児をしているという「精神的貧しさ」のせいではなく、リゼットへの同情の度が過ぎたためにそれを見失ってしまったからなのだ。
 この「さすらいの少女リゼット」上演シーンについて、もうひとつ言いたいのは子供達の野次がとても上手く演じられていること。リゼットがいじめられる度に観客席から野次が飛ぶのだが、これが本当に良い感じなんだわ。ベンやジョーなど固定の役が決まっている声もキチンと混じっている。またこの野次も劇中での演技に合わせていて、単なる環境音ではなくキチンと場面場面に応じて収録したことがわかる。こういうところで手を抜かないのが世界名作劇場とリーズの良いところだ。ちなみにこの「さすらいの少女リゼット」上演シーンでは、第18話以降行方不明だった「学校でベッキーの後ろの席に一度だけ現れ、ドビンズ先生の医学書の存在を示唆して消えた金髪の女の子」が観客席にちゃんといたのものビックリ。
 「さすらいの少女リゼット」が終わると物語はハックとリゼットの物語へと進んでゆく。ハックの家でハックとトムが「リゼットは怒っていないか」と会話するシーンからそれは始まっている。ここでハックと視聴者の不安を煽るからこそ、名場面欄シーンが盛り上がると色々と想像もできるってもんだ。そして大人の芝居をのぞきに行こうと家からコッソリ出て行こうとするトムの前に立ちはだかるポリーおばさんの姿は、ここまでで最も印象的なポリーおばさんの姿だ…屋根から飛び降りる前に気付けよ。
 そしてラストシーンのハックのはしゃぎようはよく解る。そりゃ好きになった女の子が、自分が一人暮らししている家へ一人で遊びに来ると決まればああ喜ぶしかない。家族と一緒に暮らしているトムにはそれがどんなに嬉しいことか、それだけを親友に告げたくてわざわざ来るほどの出来事であることは、この段階では理解できないだろうなぁ。なぁに、もしもベッキーがわざわざトム以外の全員が留守であることを確認してからトムの家に遊びに行くと言い出せば、その気持ちは分かるかも知れない。

第29話 「突然のさようなら」
名台詞 「ハックはね、ここへ来たら泣いちゃうよ。船が出て行くとき、それをみんなに見られたくないのさ。君のこと、とっても好きなんだって。」
(トム)
名台詞度
★★★★
 いよいよ芝一座が乗る船がセント・ピーターズバーグの港を出て行く時刻が迫る。リゼットの見送りにやってきたトムとその仲間達、だがそこにはハックの姿はない。トムはハックから預かった「ごちそう」のフルーツをリゼットに手渡し、「また会えるから見送りには行かないって言うんだ」とハックの言葉を伝える。「そうね、また会えるわね、きっと…」とリゼットが返すと、突然真剣な表情に変わったトムがリゼットに訴えた台詞がこれだ。
 これはトムの台詞だが、この台詞を通じてハックの性格が上手く出ていると思う。恐らく、ハックがトムに言ったことはこの名台詞の内容ではなく、「また会えるから見送りには行かない」だけだろう。その他、トムがリゼットが急に発つことを報せに来たときに、「女の子で気が合ったのはリゼットが初めてだ」という言葉を通じて「好きだ」ということを伝えた程度だ。だがトムには解っている、ハックが見送りに来ない本当の理由を…それがこの台詞の中身と言うことだ。
 ハックは他人には自分が悲しんでいたり、苦しんでいるところを見せようとはしないのはこれまで一貫して描かれてきた。その辺りは前話の名台詞欄でも少し触れている部分があり、ハックの本当は辛いであろう生活の実態は劇中では誰にも言わないし、視聴者にも見せない。だがトムは完全にではないが、ハックが本当に楽しいだけの生活をしているわけではないことは知っているのだろう。それを胸に押し込んで笑うハックの実態をある程度知っていて、だからこそトムはハックを親友としているに違いないのだ。
 その要素は今話でも描かれている。このシーンの前、トムが「リゼットが来られなくなった」と伝えに来たときのハックの反応はまさにこれだ。自分が用意した「ごちそう」を眺めて一度は下を向いてため息をつくが、トムが声を掛ければそれを胸にしまい込んで笑顔で接する様子がキチンと描かれている。もちろんトムは親友として、そんなハックの仕草を見逃すはずがない。
 だからハックは自分が泣いてしまうそうなところには絶対に出てこない、ハックはリゼットとの別れの涙をリゼットにすら見せたくないと考えているはずだ。
 そんなハックの性格をリゼットに包み隠さず告げるこの台詞は、ハックとリゼットの短い物語の中でも最も印象的だ。この台詞でリゼットはハックに惚れ直しているはずで、リゼットはトムのこの台詞に目に涙を浮かべながら「私も」とだけ答える。だがこのシーンの良いところはここで「お涙頂戴」の湿っぽい空気にせず、すぐにシッドが空気を読まずに現れてリゼットを笑顔にすることだろう。これが「トムソーヤーの冒険」の良いところだ。
名場面 別離 名場面度
★★★★★
 一座が乗った船がセント・ピーターズバーグの港を出た頃、ハックは家の中で靜に過ごしていた。そして聞こえる汽笛の音、ハックの家からミシシッピ川を行く蒸気船が見える。その船を悲しい表情で見下ろすハック…彼はやがて帽子を振り、「リゼット、さよなら。また会おうぜ」と叫ぶ。するとハックは、船の甲板に立ってこちらを見ているリゼットの姿を見る。ハックは帽子を振りながら「また会おうぜ、リゼット」と何度も叫ぶ。そしてミシシッピ川に響く船の汽笛の音で、今話はそのまま幕を閉じる。
 ハックが一人で演じた「リゼットとの別れ」、名台詞欄シーンを受けてハックは港には見送りに行かず、自宅で一人で船を見送った。これが実に印象的に描かれていて「ハックとリゼットの短い恋物語」の終演に相応しい印象的なシーンだ。
 そしてこのシーンでは、ハックが本当にリゼットが見えたのか、それともそれはハックの妄想に過ぎないのか、わざわざそれがよく分からないように作ってあるのが良い…その辺りは視聴者の想像に任されたわけだ。ちなみに私はハックから船上のリゼットが見えたという解釈を取っている、でないとこの物語は悲しすぎるから…。
 いずれにしてもこういうシーンで映画やアニメがやりがちなことは、双方の様子を詳しく書いちゃうことだ。でも本来、このような別れ方に於いてはどちらかの状況しか解らないはずだ。だからここではハックの側のみ丁寧に描き、リゼットの様子は台詞なしのストップモーション3カットというのは上手いと思う。それによって前述したように、「本当にハックからリゼットが見えたのか、それとも妄想に過ぎないのか」という微妙なシーンとなったし、実際にリゼットが見えていたとしてもせいぜいその動き程度しかわからないということで、「ハックの側から見た最後の別離」シーンとしてとてもリアルに出来上がったと思うのだ。
 そして何よりも、このシーンで流れる悲しげなBGMがこのシーンによく似合っている。同じBGMは本作の他のシーンでも多く流れているが、このシーンが一番合っていると私は感じる。音楽担当の服部克久先生はこういうシーンを念頭に置いて、BGMを作ったのかな?と思う。
今話の
冒険
 今回はハックの冒険。リゼットに「ごちそう」を振る舞うために早朝からかけずり回る。まずは酪農家の牛舎に忍び込んで牛乳を頂戴しようとするが、これはあっけなく家の黒人奴隷に見つかるが牛乳を分けてもらうことに成功。続いて果物畑に忍び込んで果物を頂戴しようとするが、ここも農家の人に見つかってしまい追っかけられることに。だがそんな苦労の末、なんとかリゼットに出す「ごちそう」を作り上げることに成功…でも、「盗み」はダメだぞ! ミッション達成度
★★★
感想  4話にわたって描かれたリゼットの物語、というかハックとリゼットの短い恋物語は、サブタイトルを見れば今話で終演となることは誰もが予測できるだろう。だからもう今話は、二人の「別れ」がどのように演じられるのか、そこが注目点になってゆくはずで、物語は序盤では仲良くなったハックとリゼットの様子を描くことから始める。だけどこのシーン、ハックとリゼットが仲良く話をしているであろうシーンは全く描かれず、それが容易に想像できるように上手く作ってあって驚き。また今回は序盤からシッドが暴走的に動くのも印象的だ。
 こうしてハックとリゼットの仲が順調と印象づけたところで、唐突に一座の側に事件を起こす。役者が二人脱走(駆け落ち?)したことで公演の続行ができなくなってしまうのだ。これはイコールで一座が早々に村から出て行かねばならないという展開になるため、視聴者に「ハックとリゼットの別れ」が唐突に宣告されたかたちになる。この状況下で裏ではハックがなんとか「ごちそう」を作ろうと走り回っている(今話の冒険欄参照)光景が描かれるから、視聴者は余計に悲しくなる。そして芝居小屋撤去シーンになった時に、これらの事実をトムが知ることでようやくハックへと話が広がるというもどかしい展開だ。
 後は名台詞欄シーンと名場面欄シーンなのだが、これが夕方のシーンとして描かれたのも、ハックとリゼットの別れを強く印象づけるものにしているのは確かだ。そしてこの「別れ」は、別れる二人が対面しないままに別れるという不思議なシーンであることも、二人の短い恋物語の終わりとして強い印象を残しているのは確かだ。
 前述したように、今話はシッドが暴走するのがとても面白い。前々話の名台詞欄シーンの通り、シッドもリゼットに一目ぼれしている。これを上手く活用して物語に緩急を付けてきたのは本当に面白い。序盤のリゼットが遊びに来ているはずのハックの家にトムとベッキーが来たシーンでは、そこにリゼットを追っかけてやってきたシッドがいるという展開にしたのは面白かったし。夜のトムの部屋のシーンではシッドが昼間にリゼットと握った手を見てニヤニヤしているシーンも面白い。そして「僕はハックからリゼットを奪う」と宣言するくだりは、視聴者は「無理」とツッコミたくなるところだろう。これをトムが呆れて見ているが、「お前だってベッキーが現れたときはあんなんじゃなかったのか?」とツッコみたくなる。だがこのシッドの暴走は名台詞欄シーンが「湿っぽくなる」のを防止するという、本作だからこそ絶対に必要な役割を持っていたことは最後まで見れば解ること。あそこでリゼットがシッドに声を掛けたときに、シッドの名前を忘れていて「トムの弟さん」と声を掛けた時点でシッドの敗北は決定している。そうでなくて、あそこのシッドに対するリゼットの笑顔はやっぱり「役者」なんだよなー。

第30話 「ハックの父親」
名台詞 「僕が見つけた水死体を、誰もハッキリとハックの父親だと断定できるものはいなかった。ハック自身でさえそうだった。村の墓地の片隅に埋められたその死体を、ハックは父親だと思うことにして、昔の恨みを忘れ冥福を祈った。だがハックの生活は、父親が死んでも何の変化もなかった。」
(トム)
名台詞度
★★
 トムが見つけた水死体の一件について、トムがこうまとめてナレーションするのだが…。
 この台詞だ、この台詞でハックの父親が「死んだ」ことになってしまったのだ。確かにこの台詞の途中までは、「身元不明の死体」という前提で解説が進んでいるが、最後の部分は違う、ここだけはハックの父親が死んだと断定しているのだ。こうして視聴者はこのトムの解説に騙され、「ハックの父親が死んだ」ことは確定したのだと判断してしまう。だからこそこのあとの名場面欄シーンでトムと一緒に驚くのだ。
名場面 ハックの父親登場 名場面度
★★★
 ある日のこと、トムとベッキーは港で樽に腰掛けて死んだとされるハックの父親について話をしていた。ベッキーは「父親が死んだのに悲しくないなんて信じられない」とし、トムは「(ハックは)お墓の前でお祈りをした、でも悲しいというのとは違う」とする。その上でハックは天涯孤独になってしまったが、友達がいるという結論となって、ベッキーが「そうね、トムがいるもんね」の付け加える。この二人の会話の間に、これまで停泊していたミシシッピ川を上下する定期船が出航して行き、入れ替わるようにイリノイ州から河を渡ってきた定期船が入港する。この船が着岸してタラップが掛けられ、人々が降りてくる。その一番最後に降りてきた男を見たベッキーが「変な人…」と言うが、トムはその男を見て震える。「どうしたの?」とベッキーが問うと、トムは「ハックのお父さんだ」と返す。ベッキーの「なんですって?」という台詞は、視聴者も同じ思いをしたことだろう。男はトムを見つけると「お前に聞きたいことがある」とするが、トムは震えたまま一目散に逃げ出す。「ハックのことだ」と続ける男の台詞に耳を貸さずに、トムはそのまま姿を消す。
 ここまで物語は、川で水死体発見→その死体はハックの父親だった→ハックの父親は死んだ→ハックの父親の墓を建てたというかたちで進んできた。このシーンの入り口にあるトムとベッキーの会話は、その一件をまとめたものであって、放映時間の残りが少ないことから後は話にうまくオチを付けて終わり…と誰もが思うところまで話が進んでいる。トムとベッキーの会話に割り込むようにして、船の入出港シーンが描かれるのも何らおかしいものではない。本作ではここまでも「ミシシッピ川の風情」としてこの港に船が入出港するシーンは何度も描いている。今回もこうして情景を描いたものだと、多くの人が判断するところだろう。
 ところがイリノイから来た船が着岸したところでこの背景シーンは終わらず、この船から人々が下船してくるシーンまで描かれると「あれ?」と思う。本作で船のタラップが付けられた後、人々が下船するところまで流す場合は「物語に関係ある誰かが降りてくる場合」だ。この事実に気付いた頃、酒瓶を持った曰くありげな男が降りてくるのだから、これは「本話はこのまま終わらない」と誰もが意表を突かれたかたちになる。そしてその意表を突いて降りてきたのが、死んだはずのハックの父親となればトムやベッキーだけでなく視聴者も驚くだろう。残り時間僅かで「死んだはずの人間」が生きて画面に現れたという意外性で、とても印象に残った場面だ。
 本話ではこの瞬間のために、誰のものか解らない水死体を設定して「ハックの父親が死んだ」という方向性で引っ張り続けてきたといっても過言ではない。確かにここまでの物語もよく見ていれば、件の水死体を「ハックの父親」と誰も断定しいないのも確かなのだが、物語の空気は完全に「ハックの父親の死体」ということにされた。だから視聴者もそうだし、劇中の全ての登場人物も「ハックの父親が死んだ」と断定されたと勘違いできるのである。そこまで空気を作って完全に「死んだ」と思っていた人間が、生き返ったわけでなく画面に出てくる…ホントにここまで上手く作ったと感心した。
今話の
冒険
 ミシシッピ川流域を豪雨が襲う、これによって川は濁流になって上流から様々な物が漂着している。雨が上がったその日、この漂着物から金目の物を探そうというのが今回の冒険だ。トムとハックはハックの家でこの方針を決定すると、「他の人が同じことを考える前に」と走って川へ向かう。トムは待ちきれず、道ではない斜面を短絡して河原に降りるほどだ。流木などが沢山漂着している河原で「宝探し」を初めて二人だったが…トムが見つけたのは現金や宝石といった「宝」ではなく、漂着した男の水死体だった。もちろんここで「宝探し」は打ち切りだ。 ミッション達成度
★★
感想  今話の考察を書いているのが、令和元年台風19号で東日本一帯に大きな被害が出た後というのは正直しゃれにならないなぁ。豪雨による川の増水、これによって上流から流れてくる漂着物…こんな光景は多摩川などでリアルに見ているし。そこに水死体なんて今は本当にしゃれにならない。この水死体が誰なのか劇中では結局解らずじまいだが、この豪雨で川に流された誰かなのは確かだろう。まさか、あまりに大雨に「川の様子を見に行った」のではないだろうなぁ? 豪雨の時は川の様子をわざわざ見に行くのは、生命を捨てに行くようなもんだからダメです。今回の台風被害でも、「川の様子を見に行く」といって家を出て行ったまま帰らなかったひとが、何人いることやら…。
 いずれにしても、セント・ピーターズバーグより上流で水害があったのは間違いなさそうだ。この時代にはダムなんてまだ無いだろうし、治水も現代ほど行き届いてはいないだろう。ミシシッピ川に沿って町が点在しているが、このうちのいくつかは豪雨で洪水する「氾濫原」に町を作ってしまったのかも知れない。セント・ピーターズバーグは川幅が広いなどのかたちで水害には強いという解釈で良いのだろうか? トム達が住んでいる町が浸水したという訳ではなさそうだ。ただし水はけは悪いようで、トムの家の前の道は冠水しているし、雨上がり後も道は泥だらけだ。
 豪雨シーンではセント・ピーターズバーグの港に船が停泊している様子が描かれていたが、あれはテケミ(天候警戒運行見合わせ)していたのだろう。川が濁流になれば川船も安全に航行できないわけで、特に流れが強いところでは危険になるのだろう。だから豪雨の日数分、あの船は欠航していたのだと考えられる。セント・ピーターズバーグの物流はあの船が握っていると考えられ、豪雨の間セント・ピーターズバーグには物資が一切届かなかったと考えられる。野菜や果物の物流が止まることで食料品の価格は高騰し、豪雨があと1日か2日長引けばトムが「退屈だ」と騒ぐだけでは済まなくなった可能性が高い。食料の高騰はポリーおばさん宅の食糧事情を悪化させ、育ち盛りのトムやシッドは満足に食べられなくなっていたかも知れない。トムがパンやベーコンを家から持ち出してハックに食べさせていたが、これでポリーおばさん宅のベーコンは底を突いた可能性は高い。それだけでなくセント・ピーターズバーグの農産物の出荷もできなくなるため、農家などもかなり困ったことだろう。
 それにしても、雨上がり後のシーンでトムとハックが増水して濁流となった小川の上を飛び越えたのは感心しない。あれでもし飛び越えるのに失敗していたら…と思うとゾッとする。あの濁流に落ちたら確実に流される。流されたら笑い話で済まない…いくらトムやハックが泳ぎが達者とは言え、あの濁流に落ちたらどうにもならないということだ。濁流に流されてミシシッピ川に流出し、そこで生きていて意識があったとしてもミシシッピ川も濁流だ。間違いなく大河の速い流れの濁流によって下流へ流される。こうなれば生還は困難、恐らくセントルイスで土左衛門になっていることだろう。そうならなくて本当に運が良かった…。

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