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第11話 「マーサおば様はお気の毒!」
名台詞 「自尊心か…。あんたの父さんは、フレデリックは私に言わせれば本物のバカですよ。つまらない自尊心を捨てれば、私たちの財産はみんなあの子のものになったのに。いい年をして戦争などに行かないで私たちのところに頭を下げてくれば、仕事だって、地位だって、財産だって手に入れることが出来たのに。信念だって? 奴隷解放だって?」
(マーサ)
名台詞度
★★★
 マーサは昼寝を後回しにしてジョオを港へ誘い出す。そこでジョオだけに自分の本音を語るのだ。自分たちがフレデリックと同じ位の歳の子供を失っていること、だから両親を亡くして自分たちのところに来たフレデリックを息子のように可愛がったこと、その息子が自分の信念に従ってニューヨークへ行ってしまったこと、マーチ一家が金目当てに来たのではないかと最初は疑っていたこと、それが今は分からなくなってしまったこと、自分の家が金持ちの理由、金持ちだからこそ自分のような人間に金をねだったり貸して貰ったりするのが人として当然だという論、デーヴィットなんかに財産を継がせたくないという本音…。そして最後にこの台詞をジョオにぶつけるのだ。
 要はマーサはフレデリックがいなくなって悲しく寂しい思いをしていたと言うことだ。それと金持ち故に自分を騙そうとして近付く人を警戒しているうちにこのような性格になってしまった事も明かされる。ここはマーサの性格や本音を知る上でとても重要な台詞だ。
 とにかくマーサはフレデリックにそばにいて欲しかったのだ。自分の財産をマーサに継がせたかったのだ、マーサがいればデーヴィットのような蠅にたかられることも無かったのだ。これが悔しくて悔しくて仕方ないのだ。
 これを聞いたジョオは、一連のマーサの言葉を「悪口」と受け取って気を悪くする。これが悪口に聞こえるかどうかの違いは、やはりフレデリックを最も理解しているかどうかの違いであろう。本当はマーサは自身の台詞にあるように、ぶつけようのない怒りをジョオに語っただけである。このような見る角度によって聞こえ方が違う台詞というのも見事に再現しているのだ。
名場面 メグの憧れ 名場面度
★★
 キング家で家庭教師の仕事を始めるが上手くいかないメグ、奥様に茶を勧められて気を落ち着けさせられる事になる。奥様と茶を飲みながら今後について語り合っていると、キング家の長女パティが舞踏会の支度をして現れる。ゲティスバーグでは舞踏会に招待されつつも戦災で出席できなかったこともあって、メグの憧れは頂点に達する。そしてメグは自分が舞踏会に出ている妄想を巡らすのだ。まだ主題歌になっていない「いつかきっと!」のメグパートの歌声に乗せて。
 奥様とパティの会話で我に返るメグだが、このシーンはメグの純粋な夢が描かれていて、その夢が十代の少女らしく描かれているのが好きだ。「南の虹のルーシー」のクララが花嫁衣装の妄想をするシーンに相通ずるものがある。
今回の主役
・サブタイトル表示→ベス
・物語展開上→ジョオ
今回のような構成だと姉妹の中で誰が主役か非常に悩む。姉妹全員に一定時間同じように物語を牽引する時間が与えられているのだ。メグは後半のキング家でのシーン、ベスはピアノを欲して涙を流すシーン、エイミーは出かける母やメグを見て羨ましがるシーンなど。その中で今回の本題である、マーサが本音を語るときの聞き役であったジョオが主役としていいだろう。このようにしてマーサとジョオ、そしてマーチ家全体との繋がりが強化されて行くのだ。
・次回予告→エイミー…そっか、前回から自己紹介が入ってたのか。家探しが楽しそうな次回予告だなぁ。
感想  ここからは3話連続で見逃した。次回予告の変化は見逃している直前から変わったから当時気がつかなかったんだな。ちなみにこの話当たりから春休み、「青春18きっぷ」の季節なわけで、土日のたびに何処かへ出かけていたので。
 序盤のベスがピアノを懐かしがって涙を流すシーンは見ていられなかった、何もかもを失ってしまった家族の悲しみをストレートに表現していて、その役を背負わされたベスを見て…ま、これは今になってベスの評価が変わった後の感想であって、当時ベスについてあまりいい評価を持っていないまま見ていたらまた違う感想があっただろう。
 マーサの寂しさの描写も良かった。一人で歳を重ねることの辛さと悲しみ、可愛がった息子のような存在がいなくなってしまった悲しみ、そして自分の持つ物が訳の分からない男によって食いつぶされようとしている悲しみ…ここを見て、この回の初見が大人になってからで良かったと真剣に感じた。あのマーサの台詞の深さは、高校1年生の頃の私じゃ理解できなかっただろう。もちろんジョオの理解できなかったように描写されているのがこれまたいい。
 キング家での舞踏会の妄想で舞い上がったメグがこれまたいいね。長女でありながら「夢見る少女」という描かれ方だけど、「世界名作劇場」に出てくる兄妹の長女ってこんな感じの人が多いような気がする…。
研究 ・フォレット家2
 今回、マーサが何故金持ちなのかハッキリする。マーサもデーヴィットも働いている様子がないのにマーサは豪邸に住み、多くの手伝いを雇って暮らしているのだ。こんな生活が無収入で出来る訳が無く、何かしら収入源があるはずだと思っていたのだが…本放送時はこの話を見ていなかったがためになんでマーサがあんな贅沢をしているのか理解が出来なかった。
 それは物語中盤、マーサがジョオを連れて港に行ったときに答えが出てきた。マーサは港に貸倉庫を6つも持っていて、これの収入によって生計を立てているのだ。もちろん岸壁のすぐ脇の倉庫なのだから、貸し賃だけでも莫大な額になっているだろう。これを弁護士に任せて経営していると言うが、弁護士費用を差し引いても私の20倍以上の収入がありそうだ。
 つまりそれでいて生活費はマーサ一人分だけなのだから、贅沢三昧が出来るのは当然という訳だ。さらにデーヴィットにちょっとくらい金をやっても家が傾くような事はないだろう。その上にマーサの疑り深い性格で財布の紐はキツイのだから、金持ちになって当然という訳だ。

第12話 「雷なんて大嫌い!」
名台詞 「いいんだよ、ゆっくりで。慌てて変な家に住むようになっては、つまらないでしょう。という訳だからジョオ、あんたも無理して貸屋探しなどするのはおやめ。」
(マーサ)
名台詞度
★★★★
 くそ〜、本放送時にこの辺りの回をまとめて見逃したのは痛い。だって私の場合、いつの間にかに一家が家を見つけて引っ越しているし、いつの間にかにマーサが気むずかしいクソババァ(失礼)からいいおば様に変わっていたもんなぁ。
 メアリーに家探しが上手くいかないようだねと声をかけたマーサだが、メアリーはとにかく急いで家を探しておば様に迷惑をかけないようにしたいと告げるのだが、その返答がこの台詞である。この台詞はマーサがマーチ家全員に初めてかけた優しい言葉なのだ。物語の展開上マーサが気難しいおば様から優しいおば様に変わるポイントがどうしても必要な訳で、昼間にデーヴィットの密告に対して本気で怒ったジョオを見たせいか、この家での一家の不自由な生活に気付いたのか、マーサはついに一家に優しい言葉を投げかける。
 この台詞にメアリーが心からのお礼を言ったのは言うまでもないが、ジョオは何が何でも自分が家を見つけてみせると意気込む。それに対しマーサは「頑固だねぇ、フレデリックにソックリだ。」と言い捨てて去るが、その時のメアリーの顔が見たかったなぁ。
名場面 ジョオとアンソニーの山宿り 名場面度
 うらやましいぞ、アンソニー。
 
今回の主役
・サブタイトル表示→ジョオ
・物語展開上→ジョオ
すげー、サブタイトル、物語展開上の主役、次回予告全部ジョオだ(第9話もそうだった)…やっぱ彼女が主人公?
今回は間違いなくジョオ、デーヴィットにくってかかるジョオ、マーサに怒りをぶつけるジョオ。デーヴィットは分からなくてもマーサが一家の苦労を理解したのはジョオのおかげ。
・次回予告→ジョオ…次回の家が見つかる話、その家がちょっと変わっている話を簡潔にまとめてる。
感想  これといって何もない回。今回は次回とまとめて1回って事なのかな? いよいよ家が見つかる物語展開の序章部分と言ってもいいだろう。デーヴィットに「本気で家を探していない」といい加減なことを指摘され、それをマーサにチクられて怒り心頭のジョオが自ら家探しで歩き回る。その道のりは家に吠え立てられたり、泥棒と間違えられたりとさんざんだ。こういうシーンで笑わせてくれるのは1年かけて話を作り上げる「世界名作劇場」ならではだろう。
 初日はエイミーと一緒だったが、次の日から一人で家探しをするジョオは夕立に降られて雨宿り。同じ木の下で雨宿りするアンソニーに、マーチ家一家が住めそうな家に心当たりがあると持ちかけられる。どんな家か説明しようとした瞬間…突然の雷でジョオはアンソニーの胸に飛び込む。多分名場面欄は、本放送当時に見逃していなくても内容は同じだっただろう。
 正直言うとここで家が簡単に見つかって、早く話を進めて欲しいところでもあるが、ここで敢えて1回追加して家探しの苦労とジョオの弱点を描くという物語を挿入したのは面白くて私は好きだ。さらに序盤で出てきたジョオの夢そのものが、家探しの苦労とはよく考えたものである。
 デーヴィットの性格の悪さには呆れた、ただしこのデーヴィットの性格の悪さによってマーチ家がどのように考えているかをマーサが理解するというのはなんとも皮肉である。マーサの心はこうして少しずつ開かれてゆくのだ。
 しかしこのサブタイトルはちょっと閉口。ジョオの雷嫌いが原因で何か事件が起こるのならともかく、物語の展開とは全く無関係じゃん。私ならこの物語に「家探し」というサブタイトルを付ける。
研究 ・ 
 

第13話「私たちの変な家」
名台詞 「ありがとうジョオ、あなたの最初の原稿料を頂いた今日のことは、一生忘れないわ。新しい小説家の誕生ね。」
(メアリー)
名台詞度
★★★
 ジョオから小説の買い手が現れて原稿料が手に入ったと聞かされ、その原稿料2ドルを全額プレゼントされたメアリーは驚きの表情を見せる。そしてマーサが「たった2ドル…」と呆れているのを横目に、ジョオをこの台詞で祝福し、ジョオにキスをするのだ。「ありがとう」とジョオは母に抱きつく。
 これって子供が初任給で何かプレゼントをくれたときの親心なのかなぁ。私がこれを体験するのはずっと先のことになりそうだけど…とにかくここでのメアリーの台詞は親としての喜び、そして愛情が溢れていて、母らしくて好きだ。
 しかしすぐに「おば様のお話って?」と切り替えるジョオの変化も凄いなぁ。こんなシーンを見せられたら、マーサも「ジョオを養子に…」とは言い辛かったに違いない。ちょっとだけマーサの株が下がるシーンでもある。
(次点)「まだ若いんだから未熟なのはしょうがない。とにかく、一所懸命書きなさい!」(ヘンリー)
…やはり年の功、若いジョオの才能の芽を出すのに的確に方法、的確な言葉でジョオのやる気を引き出させる。アンソニーの言い分も間違ってないがあれではやった方は怒るか自信を失うかのどちらかだろう。でもジョオの才能が伸びたのは、この二人にもまれたからだと思うなぁ。
名場面 原稿料を母に手渡すシーン 名場面度
★★★★
 マーサとメアリーが今後のことについて話し合っているところへジョオが帰宅する。そのタイミングはちょうどジョオのこれからについてマーサが語ろうとした瞬間だった。ジョオがマーサにひとつだけ母に報告させて欲しい断り、了解されるとジョオは嬉しさを爆発させて「お母様、私小説家になったわ。」と切り出す、「え!?」と驚く母、「私の小説が売れたの!原稿料を貰ったわ。」と嬉しさを隠さずに言い切るジョオ。「おや、大したもんだね。」とマーサも素直に喜ぶ、「作家ジョセフィン・マーチの最初の原稿料を謹んでお母様にお渡しします。」と言いながら母の前で跪き、原稿料の2ドルを母に手渡す。驚きの表情で娘を見つめるメアリーは「これで全部?」と聞く、マーサは「たった2ドルか?」と呆れる、それでも「最初ですもの!」と喜びの表情を崩さないジョオ。そして名台詞シーンへ。
 ここではジョオの喜びが素直に表現されていて見る者をなんか嬉しくなってしまう。そう、アンソニーに酷評されてボロクソ言われたあの小説がジョオを小説家デビューさせたのだ。その好きなことが世間に認められた喜び、そして僅かではあるがお金を儲けて家族の役に立った喜び…またメアリーの喜びも忘れちゃ行けない。これらの喜びが上手に再現されているのだ。
 ちなみに原作ではジョオの小説が売れるのはもっと先である。アニメでも先の方でジョオの小説が新聞に載ったエピソードが描かれるが、そこまでジョオは「小説家」としてのデビューは果たしていない。原作の場合、新聞に最初に載ったときの原稿料は無しだったし…。
 
今回の主役
・サブタイトル表示→ベス
・物語展開上→ジョオ
今回もジョオが中心に話が進む、前回の続きで雷シーンから始まり、小説が売れた事やマーサに養子に欲しいと言われた話など、フォーレット邸編ではジョオにマーサの心を開くという重要な役割があるから仕方ないか。そのテーマの話もこの回で終わりのようだ。
・次回予告→エイミー…なんかこの次回予告は、「サザエさん」の次回予告と勘違いしそうだ。
感想  国鉄が分割民営されてJRが誕生した次の日曜日に放映された回。当然のように私は鉄道を追いかけて見逃した訳で…でも次の週からは新学期も始まったからちゃんと見ている。
 今回は二つの話を無理矢理一回に収めたからややこしくなってる。本放送時に見ていたらちょっと脱落しかかったかも知れない。やはり家を探す話とジョオが原稿料を手にする話は別々の回に分けて欲しかったなぁ。まぁこのような話の構成はこれまで無かった訳では無いし、どちらも嬉しい話で統一されているからいいんだけど、この回でそう思ってしまうのはこの2つのテーマが出てくるバランスが悪いのかも知れない。
 ま、家の件は一家全員で見に行ったら皆さん気に入ったようなのでめでたしめでたし。ただ部屋を掃除したりと新居でゴタゴタがあったのなら、それをもうちょっと出してあげてもよかったような気がする。前回の雷怖いを引きずるのもしつこいと感じたし(それが原因で事件が起きる訳ではないから…)、やっぱそう感じるのは初見が大人になってからだからかな。
 でも後半のジョオの喜びシーンと、マーサがジョオを養子に欲しいという件は秀逸。もうここだけで1話でいいよ。あとはベスとエイミーの漫才でもやっていれば…ってこりゃ言い過ぎか。マーサの「でも私の気持ちはわかってくれるだろ?」もの実は胸に来てる、やっぱこの人孤独だったんだなぁと。これで見逃した3回の間にマーサがいいおば様に変身していた理由が分かったわ。何はともあれ、これで第一部終了。ここまでが南北戦争による一家の疎開編と考えて良いだろう。
研究 ・変な家
 ようやっと一家が物語の殆どを過ごすことになるあの家の登場だ。そこそこの広さで家賃が安い家を探していた一家は、アンソニーから条件にあった家を紹介される。
 なんでも家の持ち主がイタリアへ行っていて、あと10年は帰らないからその間信頼できる人に貸してもいいと言うことなのだ。ネガティブメグの言うとおりいずれは家から出て行かねばならないが、ジョオの言うとおり10年も経てば家庭状況は変わるはずで問題はないはずだ。
 この家の特徴はなんと言ってもガラス工房が併設されていること。この家の持ち主がガラス職人だったのだろう、この余計な設備のために家賃が安いという理解で良いのだろうか? ちょっとその辺りの背景をもうちょっと説明して欲しかった気もする。
 一家の話によるとメグとジョオに部屋が一つずつ、ベスとエイミーで部屋が一つ、それにメアリーの寝室とハンナの居室が必要だから、5LDK位の建物なのだろうか? 間取りについては第34話辺りで詳細に推理してみたいと思う。

第14話「エイミーと悪い友だち」
名台詞 「あまり関心のないふりをしたけれど、ジョオとメグが隣に来た男の子のことを一番気にしていたようだ。何しろ、年頃ですからね。」
(エイミーのナレーション)
名台詞度
★★★★
 名場面シーンに続くこれからの物語展開を予感させるナレーション。隣の同年代の少年が気になって仕方がないメグとジョオの様子を、エイミーが見事なナレーションで解説する。二人の好奇心が単なる好奇心というだけでなく、身近にいる異性の存在というものを意識しているという点を見事に解説しているのだ。エイミーませすぎ。
 窓から外を見ていたローリーと目が合って思わず隠れると入れ替わりに、隣の家の様子を伺うメグの様子がこのナレーション中に画面に出ているが、これがまたその気になってしょうがないという気持ちを上手く表現していていい。この回はこのラストシーンを見ると本当にエイミーの学校でのことなんか吹っ飛んでしまうなぁ。
名場面 ジョオが隣をのぞく 名場面度
★★★★
 同じ年代の少年が隣の家に来たと聞いたジョオは興味津々、メグの部屋に乗り込んで隣の家の様子を伺う。最初は何も変化はなかったようだが、窓の開く音が聞こえたのでそっちに目をやると…噂の少年が顔を出しているではないか、目線が合ってしまった二人は慌てて窓を閉めて隠れる。
 別に何ともないシーンのようにも感じるが、本放送時の私はここで「次の物語展開の予感」を感じ取った。このローリーという少年が何らかの形でこの家族に絡んできて次の展開へ行くのだろうと。もし当時、原作を知っていたら「やっと原作のシーンが出てきた」と安堵したかも知れない。ここまで原作「若草物語」にはない話がずっと続いてきて、本当にこれは「若草物語」なのだろうかと原作を知っている視聴者が感じ始めるに違いない頃なのだ。それに呼応するようにローレンス家の少年という存在が、しかも原作シーンを思わせる窓からこちらを見ているというシュチュエーションで出てきた大事なシーンなのだ。これをきっかけにここまでずっと「若草物語」からかけ離れていた物語を展開していた「愛の若草物語」は、「若草物語」としての物語展開を開始するのである。
 
今回の主役
・サブタイトル表示→エイミー
・物語展開上→エイミー
学校での出来事やローリーの第一目撃者になるなど、今回はエイミーのペースで話が進んでる。しかしエイミーの通う学校、先生も先生なら生徒も生徒だなと思った。原作でもそういう学校なのね。
・次回予告→メグ…メグに友達が出来たことと、次回のサブタイトル「お隣からのぞく不思議な少年」の関連が見えないのですが…本当に「サザエさん」の予告みたいになってきた。
感想  この回を見たとき、前回まで3回連続で見逃したこともあって一家が新居へ来てから既に1話位は過ぎていたのかと思っていた。そしたらこれが新居での第一回なのね。私に言わせると第13話までが第一部、ここからは第二部でいよいよ「若草物語」に沿った物語となるのである。
 学校のシーンはもう、主役欄で述べたとおりだがあの先生にしてあの生徒ありと思ったのだが、それは現在も昔も変わらぬ感想だ。高校入って先生にも恵まれていた私は本当にそう思っていた。ま、その私もこの回が放映された頃に高校2年に上がり、そこでもう二度と思い出したくないような酷い先生と出会うことになるが。
 学校にキャンディを持って行かねばならない、エイミーに言われたときのベスの返答が「そんなことしたら、あんたのお小遣いたちまち無くなってしまうでしょ?」だったのは「そーゆー問題じゃないだろ?」と突っ込みたくなった。でもあの学校、ベスでなくても合いそうもないわ。原作だと途中で辞めちゃうんだよね。
 後半はいよいよローリー登場、その前にローレンスが出てきたときはその前3話も見ていなかったこともあって「こいつ何者だ?」と悩んだ。おばさんが出てこなくなったら今度はおじさんが出ていたのか…しばらくまだ面識が無い人だと気付かなかったわ。やっぱこのタイミングで3話立て続けに見逃したのは痛かったが、次回でなんとか物語に追いつけたので問題なしと言うことで。
 そしてローリーきたぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ。このタイミングで彼が出ていなかったら、本放送時の私はここで「愛の若草物語」を見るのを辞めていたかも知れない。ローリーのことが気になる姉妹の様子も含めて、ここが次の展開へと興味を持たせるよう上手に作ってあるなと今見ると感心する。当時はまんまとそれにはまった訳だ。
 この回でオープニングとエンディングから新田恵利が歌声が消えるなんて、当時は考えてもいなかった。なんてったってフジテレビ一押しのアイドルが、そのテレビ局の看板アニメの主題歌を下ろされるなんて思ってもみなかったから。
研究 ・ 
 

第15話「お隣からのぞく不思議な少年!」
名台詞 「他人の家をちょっと外から眺めただけで、幸せな家庭か、不幸せな家庭かなんて、分かりませんよ。」
(ブルック)
名台詞度
★★★★
 今回初登場のブルックがいきなりこのような強印象の台詞を吐く。外から見たら幸せそうに見える家庭や人々、でもその人が本当に幸せなのかどうかなんて本人にしか分からないのだ。また不幸せそうに見える人でも実は幸せを感じているかも知れない、そんな事を教えてくれるのはこの先生の一言だ。
 隣の幸せそうな家が気になって仕方がないローリーは、勉強そっちのけで隣の家のことを語り出す。母と4人の娘、それに子猫であるミルキーアンの名前まで知っているという彼の洞察力は凄い物がある。今回、ブルックはこれを窘める立場であるがこのブルックも時間と共に隣の家が気になるようになるんだろうな、と当時から感じてみていた。最もこの予想が当たったときには、ブルックは隣の家庭が気になったのでなく美女が気になっただけなのだが。
名場面 ジョオとアンソニーの会話シーン 名場面度
★★★
 ある日のこと、アンソニーがマーチ家を訪れる。ジョオに特別話したいことがあるとアンソニーはジョオを家の外に連れ出すのだが…私としてはその光景を寂しそうな横顔で見つめるローリーが気になった。
 別にジョオはアンソニーを特別な友人とは思ってなくて、せいぜい仕事上の関係者くらいにしか感じていなかっただろう。その中でも家を紹介してくれたからちょっと株が上がったという程度か。そのアンソニーが南北戦争の取材で最前線へ赴くと聞いてジョオはアンソニーを見直す。アンソニーが記者として当然だと言っても、やはり尊敬するのだ。
 そしてジョオとアンソニーのけなしあいから、庭中駆け回るおっかけっこになるのだが、ローリーはジョオと仲良くする青年の姿に寂しさを感じたようだ。純粋にあの輪の中に入りたいと考えていたのか、ほのかで一方的な恋心を抱いていて嫉妬しているだけなのかは分からない。とにかくローリーは寂しそうにこれを見つめる。
 やがてエイミーがジョオとアンソニーに茶が入ったと呼びに出るが、この時にローリーは「未来の妻」でなるエイミーに発見される。ローリーも慌てて隠れる。ローリーの存在や、のぞき見ている事実について最初に気がつくのはエイミーという作りで通しているが、これは原作続編でこの二人が結婚する運命にある設定を意識してのものなのか、はたまた偶然かはアニメ製作スタッフ以外は知る由もない。
 
今回の主役
・サブタイトル表示→エイミー
・物語展開上→メグ
今回はメグが主軸だろう。内容自体は隣の家を覗くローリーの話なのだが、無論それに気付いていない姉妹はローリーとは無関係に物語を展開する。その中の主軸は新たな友人が出来たメグである。これは今後の舞踏会などに話が繋がり、ひいてはローリーと顔なじみになる伏線であるので重要だ。
・次回予告→ジョオ…珍しく次回のサブタイトル通りの予告だと思った。
感想  「今回の主役」欄で前述したが、今回はローリーがマーチ家を覗くという一歩間違えば犯罪になりそうな行為がメインではあるものの、物語はそれに気付いていないマーチ家がローリーを無視して展開するという複雑な構造となっている。つまりローリーという第三者的視点で姉妹を見るのでなく、姉妹の日常をローリーが覗き込んでいるだけという単純な物語だ。そしてこの姉妹の日常のテーマは、新しい友人についてである。
 メグが仕事先のキング家でサリーという友人が出来たことをきっかけに一家は友人について語り合う。ジョオはアンソニーは年は離れているけどキット友達だと認め、エイミーは学校でたくさん友達ができたという、母がベスに友達が出来ないことを心配していると言えば「私は一人がいい」と答えるベス。それぞれの立場や役回りの違いが出ていて面白い。
 どうでも良いけど、序盤のローリーがミルキーアンを抱き上げるシーンだが、ミルキーアンがタマに見えてしまったのは私だけだろうか? 「愛の若草物語」って、「世界名作劇場のサザエさん」なのか?
研究 ・作品の様相の変化
 今回から「愛の若草物語」は激しくイメージチェンジを図っている。まずはオープニングが「若草の招待状」から「いつかきっと!」に変わった。最初に聞いたときの素直な感想は「ベスとエイミーは無視なのか?」だったが、次の回を見て撤回した記憶がある。エンディングも「夕日と風のメロディ」から「お父様へのララバイ」に変更、さらにサブタイトルをエイミーが読み上げるようになったというのは概要の別窓で紹介したとおり。これとは別に10話からは次回予告の前に誰が担当なのか名乗るようになってサザエさん次回予告を思わせるようになり、14話からは新展開に入っているので、ここへ来てガタガタと作品の様相が一変した。
 私の記憶ではサブタイトルを主要キャラが読み上げるというのは他になかったと思う。「南の虹のルーシー」だったらケイトがサブタイトルを読み上げるようなものだろうか、次回予告ではそれぞれの物語の主人公が次回のサブタイトルを読み上げていたのだけど…。サブタイトルについては、表示の画面も第1話だけが窓の周りの花飾りがないものになっている。そう言えば「小公女セーラ」も途中までミンチン学院の絵に直接文字が書かれるという違いがあったような。
 次回予告の方式やサブタイトルの表示が、序盤で試行錯誤を繰り返して変わって行くのはアニメではよくある話だ。「世界名作劇場」の場合は話数が1桁のうちに落ち着く例が多いが、「愛の若草物語」では落ち着くのに時間がかかったなぁ。しかも主題歌まで試行錯誤で変えちゃうし。
 しかしこの様式がやっと決まった、ここから少しずつ原作踏襲の物語に入って行くのである。

第16話「ひどい! メグは泥棒なんかじゃない!!」
名台詞 「おやすみなさい、おばさま。」
(ポリー)
名台詞度
 ついにポリーがマーサの口癖以外の言葉を言う。しかも昼寝から目を覚ましたばかりのマーサに対してこの台詞だ。「私は今起きたばかりだよ」というマーサの返答も良い。
 この「名台詞」欄にもナレーターや次回予告だけでなく、遂に人間以外の台詞が出るように(そう言えばロボットの台詞はあったっけ?)…ところでポリーちゃんの声って誰がやってるの?
名場面 ジョオとメグがキング家の舞踏会について語り合う 名場面度
★★★★
 冒頭、メグがジョオにキング家の舞踏会に招待されるかも知れないという話を打ち明ける。話を聞いたジョオは素直に喜ぶが、メグは自分の家の家庭教師を舞踏会に招待してくれるかどうかと言う不安がある。ジョオはキング夫人は物わかりが良いから呼んでくれるとメグを励ますが、メグは不安で溜まらない。この不安を払拭するように二人はオデコを突き合って笑い合う、それだけのシーンだが。
 これはここからキング家の舞踏会に出られるかどうかで一喜一憂するメグの気持ちが良く現れている、メグの友人になったパティやサリーは本当に良い友達になってくれて、メグが家の使用人であることなど気にしない付き合い方をしてくれるという喜び、それに使用人としての自分の立場という現実を思ったときの不安、これらがの表現がとても秀逸である。そしてこのメグの気持ちに物語全体が揺れ動くのである。
 前にも書いたが、この二人の会話は本当に息が合っているというか、間がよくて本当の姉妹のように感じる。やっぱアンネットとルシエンだ。よ〜し、某巨大掲示板で見た「いつかきっと!」の替え歌、「アンネット・ルシエンバージョン」歌っちゃうぞ!
 
今回の主役
・サブタイトル表示→メグ
・物語展開上→メグ
2話連続でメグの回。キング家の舞踏会について一喜一憂する彼女の表情の表現もいい。対して本来主役のジョオがあまり上手く描かれていなかったように感じる。性格面も画も。
・次回予告→エイミー…この、お・ま・せ・さ・ん!
感想  今回も前回同様、覗き見するローリーと姉妹という二元中継で話が進む。展開が二元だったり三元だったりするのは「愛の若草物語」ではよくある事なのだが、姉妹全員が違うことをやっているときに、さらに姉妹以外の人間による展開が挟まると余計にややこしくなる。ただし今回と前回の違いは、姉妹は隣からローリーが覗いていることに気付いていて、それを利用してからかったりすることだろうか。
 今回は…もう誰がなんと言ってもデーヴィットの性格の悪さに尽きる。人はどうやったらあそこまで性格が悪くなるんだろうか? でも本来、デーヴィットは「南の虹のルーシー」のペティウェル同様に情けない役の筈なんだが、こう情けない男が悪人に回るときほど見ている者がイライラすることはないだろう。しかしデーヴィットがキング家の舞踏会に呼ぶか呼ばないかであんなに引っかき回す必要性が感じられない。たとえばマーサがマーチ家の娘達に服をプレゼントしたのが気に入らないという理由ならば、自分もマーサから金をだまし取った訳だから恨む理由も何も無いはずなのだ。その点、ペティウェルがポップル家に意地悪する理由は後に行けば行くほどハッキリしてくるのでわかりやすい。なんかデーヴィットというのは、基本的に悪役がいない「若草物語」に悪役を出すことだけが目的で設定されたキャラのようにも感じてきた(前述したとおりペティウェルにはアーサーの対極という物語展開上の理由があった)。
 それとジョオが服を焦がしたシーンもちょっとなと思った。原作もそうだし、アニメでもあまり服装とか身なりとか気にしない風に描かれていたジョオがドレスを僅かに焦がしただけであんな大泣きするなんて…でもこのシーンのそんな少女らしいジョオが良いというのもあるかも知れない。しかしあんな長時間ドレスを焼いたなら、先にあの長い髪の毛に引火すると思ったのは私だけかな? またこのシーンでベスが弾いている曲がエンディングの「お父様へのララバイ」なのがちょっと…。
 しかしメグ、君は被害妄想が強すぎるぞ。200ドルを紛失したキング夫人がメグに問い詰めたとき、家中の全使用人にも同じ質問をしたと言ったじゃないか。そこで自分一人が疑われているように感じるのはキング夫人に対して失礼だ! と言いつつも自分があの立場だったらやはり自分が一番疑われたと思って落ち込むか怒るかのどちらかなんだろうな…。
研究 ・ 
 

第17話「ジョオとリンカーン大統領の演説!」
名台詞 「どうか、真剣に聞いて下さい。私こうやってほとんど毎日、おば様に本を読んであげたり、お話相手になったり、小言を言われたり、九官鳥や犬の世話をしたりしているうちに、初めてお会いした頃と比べると百倍も千倍もおば様が好きになってきました。おば様にはいつまでもいつまでも長生きしていただきたいんです。だからお願いします。どうか、お医者様の診察を受けて下さい。あのお医者様、とても良さそうな人じゃありませんか。」
(ジョオ)
名台詞度
★★★★★
 個人的にはリンカーン大統領の演説より、ジョオのマーサ一人を相手にしたこの演説の方が好きだ。
 発作を起こして倒れたマーサは、医者に診て貰うことを頑なに拒否する。これに怒った医者も帰ろうとするが、ジョオがこれを止めてマーサを説得すると部屋の中に入って行く。どう言ってもマーサは頑なに医者を拒み、ポリーちゃんも「誰も私の邪魔をしないでおくれ!」とマーサに荷担する。そのポリーちゃんに「そういう訳にはいかない」と言うと、ジョオを締め切っていた部屋のカーテンを開く、そして真剣な表情でこの長い台詞を優しく言うのだ。
 この台詞には偽りないジョオの気持ち、ジョオの心の中に秘めた優しさが見事に表現されている。そして第一印象が悪かったマーサのことを日に日に好きになって行った自分の気持ちを、マーサにストレートにぶつけてみるのだ。また声優さんの名演もあって、この台詞を吐くジョオに涙を誘われた…ジョオはこんなにもマーサを慕っているのねと。私はこの台詞は物語前半のジョオの台詞の中では最高と思っている。
 これを聞いたマーサは気持ちを一変させ、信じられないほど素直になる。ジョオの「長生きして欲しい」との願いを聞き入れるために医者の診察を受け入れ、診察が終わるとジョオに対しこれまで見せたことのない笑顔を見せる。そしてジョオにメアリーを呼ぶように命じるのだが、それについては名場面欄にて。
 いずれにしろこの台詞は、マーサの心を開くという重要な役割を担っている。マーサは自分が孤独な老人ではない事を知り、自分を孤独から救ってくれた姉妹のためを思うように変わるのだ。
(次点)「ウフフ、くすぐった〜い。ウフッ、私の顔がそんなに甘い? ウフフフフ…」(ベス)
…あ〜、ミルキー・アンになりたい!と男なら誰でも思うシーンだろう。
名場面 マーサとメアリー 名場面度
★★★★
 名台詞シーンを受けて、マーサはジョオにメアリーを呼ぶように命じる。ジョオに連れられてフォレット邸にやって来たメアリーは、マーサの枕元に座り、ここで驚くべき話を聞かされるのだ。
 その内容は遺言状を書き換えると言う内容だ。自分の死後、財産を全てデーヴィットに渡すことになっていたのだが、この半分を4姉妹に分配するように遺言状を書き換えるというのだ。キター、「若草の遺言状」キター!!!!!
 話を聞かされたメアリーは「おば様…」と口を挟もうとするが、マーサは「黙って」とそれを制して話を続ける。ここにメアリーの驚きが表現されていると見て良いだろう。その続きとは残りの半分はデーヴィットにということなのだが、そのデーヴィットみたいなダメな人間にも財産を渡さねばならないという現実に、マーサは拳を握って悔しがる。
 さらにマーサは、「前に断られたこと」と前置きをしてから再度メアリーに姉妹のうち誰かを養子に欲しいと願う、その理由として自分がすっかり気弱になってしまい心のさえが欲しいのだと素直に打ち明ける。だがメアリーは「同情する」と前置きした上で子供達は自分の手で育てること、夫も同じ事を言うに違いないであろう事を告げてこれを断りつつ、マーサの手を握る。マーサは「仕方ないね」と言いながら、メアリーの手をまるで自分の娘のように優しく叩くのだ。
 ジョオの台詞ですっかり素直になってしまったマーサは、今度はメアリーの優しさを受け取ることになる。自分に支えが欲しいという気持ちを受け取ってくれたメアリーという女性を心から信用するに値する人間として受け入れた瞬間なのだろう。さらに愛しのフレデリックの妻として恥ずかしくない女性であることを嬉しく感じたのであろう。この名場面欄、名台詞欄の前後でのマーサの態度や台詞、最も顕著な物で表情を見比べると彼女の心の中にどれだけの変化があったのか見て取れるだろう。
 
今回の主役
・サブタイトル表示→ジョオ
・物語展開上→ジョオ
またジョオの一人舞台、冒頭のキング家に対する怒りをぶちまけるシーンに始まり、マーサの家での彼女の立ち回り、最後のリンカーン大統領の演説を読み上げるところなど美味しいところばかり持って行っている。エイミーにアンソニーからの手紙の中身を聞かれて「ラブレター」って答えるシーンも良かったなぁ。
・次回予告→ジョオ…別にメグとジョオの舞踏会デビューを待っていた訳じゃないけど…ってヤボな感想は無しですね。
感想  もうリンカーン大統領の演説なんかどうでも良いと思ったよ。ジョオとマーサ、メアリーとマーサ、この会話を聞いて涙が出そうになったもんね。今回の話はまさしくこれが主題で、サブタイトルのリンカーン大統領の演説なんておまけみたいなもののはずだ。制作側はそう思っちゃいないかも知れないが、多分この回を見た人の多くがそう感じたであろう。
 それと今回はエイミーも目立つ、名台詞次点シーンの直後にベスのところへやって来て「ジョオは何を怒っているの?」と聞かれて「私のこと子供だと言って仲間はずれにしたの」「怒っているのは私よ!」と怒りに顔を歪めるシーンや、ジョオに手紙を届けるシーンのエイミーなんかは可愛くて印象に残るシーンだ。その中でも特に「戦地から手紙が来てるわ」「お父様から!?」「いいえ、ジョオ宛にラブレターです。」ってやり取りは好きだ。この、お・ま・せ・さん。
 こうしてみると、私はエイミー好きなのだろうか? 萌え〜な訳じゃないけどね、本当に可愛い子供として描かれているな〜と。こんな娘欲しい。
研究 ・ゲティスバーグ演説
 サブタイトルにもなっているリンカーン大統領の演説、これはもう有名過ぎて今更解説するまでも無いだろう。「人民の人民による…(以下略)」はあまりにも有名だろう。全文を見たいという方はこちらをご覧頂きたい(勝手にリンクしていますので問題があったら消します)、見れば見るほど民主主義というものの基本をうたっていて、GHQが日本国憲法を作ったときの草案に組み込まれ、これがこのまま訳されて前文となっているのも頷ける。いや〜、今(2008年7月)のアメリカ大統領に100回暗唱してほしい文章だ。ま、あの鳥頭大統領に何言っても無駄だろうけど。北朝鮮問題については心からがっかりさせられました。話が逸れた。
 この演説はゲティスバーグの戦いに置いて散った戦士達を葬った、ゲティスバーグ国立戦没者墓地の奉献式(1863年11月19日)で行われたものである。つまり南北戦争最大の激戦地になったゲティスバーグで戦死した兵士達を思い、その上で国民に訴えたものであり、リンカーンが南北戦争を戦う意義や思想を訴えたものでもあろう。
 この演説を一家全員で感動しているが、エイミーが訳が分からないというのは当然だろう。ハンナなんか涙流しちゃって…現在の平和ボケの世の中からすれば大げさなと思うのだが、自由を求めて国が真っ二つに割れているこの時代だからこそ、意義のある演説だったのだ。

第18話「メグとジョオ舞踏会にデビュー!?」
名台詞 「お隣のマーチさんの一番上の娘さんは、キング家の家庭教師をしているらしいね。」
(ブルック)
名台詞度
 ローリーじゃないけど、なんでそんな事知ってるの?
名場面 ローリーとの出会い 名場面度
★★
 舞踏会に出席したメグとジョオ、メグはすぐに男性に声をかけられて踊り始め、ジョオは一人で取り残されるとおしりの継ぎ接ぎが気になって仕方がない様子。そんなところに空気を読めない赤毛の紳士が一人、ジョオに一緒に踊って欲しいと手をさしのべるが、ジョオは笑いながら逃げてしまう。そして逃げ込んだ先が窓際のカーテンの中だ。
 カーテンのすき間から中に後ろ向きで入ると、窓から外をじっと眺めていた少年とぶつかり互いに悲鳴を上げる。「失礼」と言って出て行こうとするジョオに慌てて「どうぞ、構いません」と声をかける少年こそが、隣からマーチ家を覗いていた少年ローリーだった。
 踊りたくなかったと言い合って突如として意気投合する二人、「でも私たち前から知っているような気がしますけど」というジョオに「そうですね」と緊張しながら答えるローリーは名乗りを上げて手を差し出す。ジョオは手袋を外してこれに応えて「ジョセフィン・マーチです」と自己紹介する。ローリーは「みんなはジョオと呼んでますね」と言うと、ジョオは驚きの表情を一瞬見せたかと思うと微笑む。
 ここまで物欲しげに隣の家を覗くだけだったローリーと、隣からの視線に気付いていた姉妹がやっとここで繋がり、「若草物語」としての展開が本格的に回り出す重要なシーンだ。このシーンが無ければローリーとは隣同士であってもずっと他人のままで、ここから始まる楽しい楽しい物語の展開が無いのだ。
 さらに言うと、「愛の若草物語」が初めて原作「若草物語」の場面を完全踏襲したシーンでもある。家で舞踏会の準備をするシーンは踏襲しているとはいえ少し違う。原作では舞踏会の準備中にメグの髪の毛を焦がすなどの失敗があって読者を大いに笑わせてくれるのだ。多分原作を先に知っていたら、ここは思い切り萎えただろうな。
 
今回の主役
・サブタイトル表示→メグ
・物語展開上→メグ
今回は文句なしでメグ、キング家の仕事が昇給したという喜びから始まり、さらにガーデナー家の舞踏会招待の話をマーチ家に引っ張り込んでくる。この話が無ければローリーとマーチ家が繋がることはなかったはずなので、とても重要な活躍をしたことになる。。
・次回予告→メグ…なんか次回はメグの怪我だけで二十数分が終わりそうだなぁ…。
感想  「世界名作劇場」界きっての借金女王誕生の瞬間でもある。よい子の「世界名作劇場」なのにエイミーが姉たちからお金を借りまくる展開は正直言って感心しないな〜。実はこりエイミー借金王状態も私が「世界名作劇場」から離れたきっかけとなる。その割にはこの先のお仕置きの回ではあっさりと先生の言うことを聞いたりして、キャラクターの性格付けに関するつくりの甘さを感じることも増えて行くのだ。
 しかし裾の長いスカートをはいたまま階段を一気に駆け下りるジョオって凄いなぁ。また継ぎ接ぎを絵の具で隠そうという発想も凄い、大まじめにおしりを突き出してエイミーに絵の具を塗って貰っているシーンはこれはこれで面白いけど…原作にもっと面白いシーンがあると知るとまた見方が変わっちゃうんだよな〜。
研究 ・舞踏会
 実はこの話が、「愛の若草物語」では最初の原作「若草物語」を踏襲した展開となる話である。アニメでは既に18話も消費しており、しかも原作の第3章に合流するという作りになっている。しかも時系列がいじられていて、原作の第2章の話はアニメでは後回しにされた。今回の後半と次回で原作の第3章がほぼそのままの展開でアニメになったと考えて良いだろう。
 原作ではガーデナー家から舞踏会の招待状が届き、メグがこれをジョオに見せるところから始まっている。メグは浮かれて「どの服を着ようか」とジョオに声をかけるが、二人とも舞踏会用のドレスなんて一着しか持っていないのだ。しかもジョオのドレスには継ぎ接ぎと焦げ跡があるというのだ。アニメではこの辺りの設定を膨らませて、ジョオがドレスを焦がすシーンなどが作られた訳だが、原作のジョオのドレスは継ぎ接ぎと焦げ跡は別々にあるらしい。ついでにジョオの手袋が汚れているという設定も原作から引き継いだ設定だ(原作ではレモン水の染みとなっている)。
 そして当日、メグの髪の毛をカールしていたジョオが誤ってメグの髪を焦がしてしまうことを筆頭に、様々な失敗をしながら二人の妹も巻き込んで舞踏会の支度をする原作のシーンは、メグには悪いが大笑いしながら読んだ。
 出かけるシーンも会場に着いての冒頭シーンはほぼ完璧に原作通りにアニメは作られている。ただし原作では礼儀作法をよく知らないジョオと、そういう事をキチンと心得ているメグが何かの場合は目と頷きで合図するという約束が出来ている。さらにメグがすぐにジョオの元からいなくなって紳士と踊っている件、空気を読めない赤毛の紳士がジョオに踊りを申し込もうとするシーンまでアニメと原作は共通している。そして逃げ場に選んだカーテンの裏側にローリーがいたことまで忠実に原作に沿って再現されている。ここまでずっと原作から脱線していたのが嘘のようだ。
 総合的に見てしまうと、原作の「面白い」ところだけをバッサリとやってしまった感があるが、メグが髪の毛を焦がすシーンなんて再現したらそれこそ「よい子は真似しないでください」状態だからやむを得ないのだろう。こういうところに「世界名作劇場」の限界も感じるのだが…そのような問題はここから先山積みになってくるのだ。

第19話「おこげドレスと素敵な紳士」
名台詞 「他人の家を覗き見するなんて、とても不作法なことだということは僕だって知ってるけど、どうしても君の家の方に目が行ってしまう。君の家には僕の家には無いものがいっぱいあるんだ。姉妹がいる、お父さんはいらっしゃらないようだけど、優しそうなお母さんがいる、笑い声がある、歌声がある、家庭の温かさに満ちあふれている、僕の家にはそれがないんだ。羨ましくなってつい君の家の方を見てしまう。時々、居間の窓のカーテンを引き忘れることがあるでしょう? 夕方、ランプが付くと暖炉の火が赤く燃えて、まるで絵のようなんだ。君たち姉妹はよくお母様を取り囲むようにして座っている、お母様の顔が正面を向くとき、ちょうど窓辺に置いてある花の影になって、とても優しく見えるんだ。僕はどうしても眺めないではいられなくなる、僕には母がいないもんだから。」
(ローリー)
名台詞度
★★★★
 カーテンの裏でジョオはローリーに何故自分の家を観察するのかを問う、するとローリーは「やっぱり気がついていたんだね」と前置きしてから、このような長い台詞で返事をするのだ。ジョオはまるで引き込まれるようにこの台詞を聞き続ける。
 この台詞にはローリーの孤独が全て表現されている。両親を早くに失った孤独、そのせいか兄妹もいない孤独、心を打ち明けられる人が誰もいない孤独。この長い台詞で視聴者はこの少年に引き込まれ、こりゃなんとしてでもマーチ家姉妹と仲良くなって欲しいと願う訳だ。そして物語はその通りに展開する。
 またこれはジョオの心をも動かし、他人の家を覗き見するローリーの行為を咎めることはせず、逆にメグにそれを指摘されたときには「もっと覗いて下さいって言ってあげたい」とまで言う。ジョオはこの台詞で自分たちが精神的に恵まれている事に気付いたのだろう。
 ちなみにカーテンの裏側での会話だが、原作ではジョオがローリーに海外での話題を求めたので違う会話となっている。原作の場合、あにめのこのシーンに該当する会話は、アニメでは次話となるジョオの見舞いシーンで行われている(これに該当する台詞もある)。小説版はアニメと同様で、この台詞も丸々文章化されている。
(次点)「初めての舞踏会でメグが捻挫をしたことや、ジョオが隣のローリーと知り合いになったことを聞いたのは、次の日の朝でした。」(エイミーのナレーション)
…ジョオがベスとエイミーの寝室に灯りがついている事を見つけたから、二人が出てきて話を聞かせろとダダこねるのかと思ったら…そういう予想通りのオチだったのね。このナレーション好きだ。
名場面 ジョオとローリーの二人だけのダンス 名場面度
★★★★
 ドレスの継ぎ接ぎを見られたくて踊らないというジョオは、継ぎ接ぎの事を説明して「おかしかったら笑って、本当、おかしいよね。」と自嘲気味に笑う。ローリーは「僕は気にしないけど」と言って、人気のない「細長いホール」で踊ろうとジョオを誘うのだ。誰にも見られずに踊れると聞いて、ジョオも承諾して二人は誰もいないホールに向かう。
 ローリーが「お願いします」と挨拶すると、二人は楽しそうにポルカを踊り出す。この時の二人の楽しそうなこと、互いに上手だと相手を誉め合い、ジョオはこういうのが好きだと告白する。そして二人とも「楽しかった」と満足してソファに座る。
 このシーンで思うのはただひとつ、なんかいい雰囲気だな〜二人ともと。特にローリー、おまいは私の1歳年下だろ(本放送当時)? なのになんでそんな紳士なんだ? なのになんでそんな女性の扱いが上手いんだ? とテレビに向かって叫びたくなった。でもこのローリーって少年にも、自分にそっくりな面もあるなぁと感情移入して行くのはまだ先の話。
 とにかくこのシーンでここから先の物語展開、つまりマーチ家姉妹とローリーによる楽しい楽しい物語展開が約束されたのだ。原作でもこのシーンがそうだし…でも原作も小説版もこのシーンにはあまり行数を割いていない、理由は簡単で文で書くシーンじゃないからだ。
 
今回の主役
・サブタイトル表示→エイミー
・物語展開上→ジョオ
ジョオとローリーの会話は二人が仲良くなって物語を展開させて行く上でしても重要だ。ここで二人が仲良くなってくれなきゃ「若草物語」にならないからね。メグが怪我するのもそのためのスパイスでしかない。
・次回予告→ベス…ジョオが大胆なんじゃなくて、ベスが大人しすぎるんだと思うんだが…。。
感想  一番の感想は名場面欄に書いたとおり、当時私とローリーとは1歳違い、なのに大人の対応をするローリーに心底感心したもんだ。当時の自分だったらあの状況できれいなお嬢さんに声掛けられたら、しどろもどろになって訳わかんなくなったかも。とてもじゃないがあの紳士的な対応は出来ない。
 それとこの話で好きなのは、同時進行で出てくるベスとエイミーの寝室。舞踏会の話が聞きたくて聞きたくて溜まらないエイミーと、口先では「明日の朝でもいいじゃない?」と言いつつ本当は聞きたくて溜まらないベス。ベスが素直でないシーンは珍しいがここは何度見ても面白い。エイミーが鼻に付けていた洗濯ばさみが途中で消えたりまたついていたりなんてツッコミはしてはならない。そしてオチとして二人はランプをつけたまま寝てしまっているのもこれまたいい。
 物語としてはメグとジョオが舞踏会に行きましたってだけしか話は無いのだが、その中に色々な事件がてんこ盛りになって、かつ冗長でもなく本当によくまとめられたと当時も今も感心している話である。原作でもこのシーンはコンパクトかつ事件満載に描かれていて、読んでいて面白い部分の一つである。
研究 ・舞踏会2
 前回に続き原作踏襲の物語である。前回は面白いところをバッサリやられてしまった感があったが、今回は逆に私が原作では余計だと思っていた部分が削られていて私好みの展開になったと思う。その中の一番はカーテン裏でのジョオとローリーの会話で、やっぱどう考えてもあのシーンでの二人はアニメのように「なぜローリーがマーチ家を覗くのか?」という会話をして、ローリーという人物の孤独を浮き彫りにした方が自然だと思う。まぁ単純比較できない部分もあって、アニメの舞踏会は初冬の出来事として描かれているが、原作だとクリスマスなどのイベントが終わった後という違いがあることを前提にしなければならない。クリスマスの話で既にマーチ家とローレンス家の交流は始まっていたのだから(それでもジョオとローリーは初対面だが)。
 でも他は細かいところを含めて、よく原作に忠実にしたなぁと今見ると思う。ジョオに踊りを申し込んだ赤毛の男が今度はメグと踊っている点とか、ジョオがコーヒーをこぼしてドレスを汚す点、メグの怪我、ローリーの送迎などここまで原作とは全く無いことをやっていたことが信じられない程に忠実に行った。
 だがもうひとつ大きな違いがある、ベスとエイミーだ。原作でもベスとエイミーは寝室で睡魔と戦っていたようで、アニメと違うのはメグとジョオが帰って来ると部屋から飛び出してきて舞踏会の話を聞き出すのである。私としてはアニメで改編されたとおりの寝てしまったという方が笑えて好きだけど…。

第20話「ジョオのお見舞いは元気がいっぱい!」
名台詞 「それから、お届けいただいたお薬は大変結構でした。と伝えてね。」
(ローリー)
名台詞度
★★★
 物語の最後、ローリーはジョオの見舞いに対する心からの感謝の気持ちを、花とこの台詞に託してマーチ家の母に伝言する。ジョオは「薬」の意味が分からず悩んでいたが、エイミーの解説で母にはすぐ意味が分かったと視聴者に伝えられる。
 家の中で孤独な時を過ごしていたローリーにとって、この見舞いは何よりも嬉しかったのだろう、だから言葉を選ばなくとも自然にこのカッコイイ感謝の言葉が口から出てきたのだと思う。これがうまく表現されていると感心する台詞だ。
 本放送時、自分にはこんな台詞は言えないな〜とも感心した台詞。やっぱり登場したてのローリーはカッコイイな〜。
名場面 ジョオVSローレンス 名場面度
★★★★
 ローリーがジョオを図書室に招待すると、ジョオはその蔵書に目を輝かせる。そんなこんなをしているうちに医者がローリーの診察に来たため、ローリーは席を外して図書室にはジョオ一人になるのだ。いや、一人になったはずだった。
 ジョオはしばらく本を眺めていたが、すぐに暖炉のところにあるローレンスの肖像画に気がつく。それを眺めながらローレンスのことをあれこれ想像する。「私、もうこの方怖くないわ。優しい目をしてらっしゃるんだもの、お口は少しむっつりしていて随分頑固そうに見えるけど、でも好きだわ。」とジョオが言うとどこからともなく「ありがとうお嬢さん」という老人の声が…なんといつの間にかにジョオのすぐ隣にローレンスがいて、ジョオの独り言を全部聞いていたのだ。
 「で、あんたは私が怖くないと言うんだね?」「あ、はい、そんなには…」「わしが頑固に見えるのじゃね?」「そう思います。」「それでもあんたはこのわしが好きじゃと言うのかね?」「はいっ、好きです!」とジョオが元気に応えるとローレンスはひどく驚いた表情を見せ、続いて高笑い。さすがのローレンスもこれはまいったと言う感じだろう。さらに「わしの孫に何をしようとしていたんだね?」とジョオに問う、ジョオは自信満々に「ただお友達になろうとしていたんです」と答える。ローリーには若い友達が必要であること、自分は女の子だが喜んで役に立ちたいと言うと、老紳士はジョオの肩を叩いて「ありがとう」と礼を言い、ジョオを茶に誘う。
 そして仲良く腕を組んで歩くジョオとローレンスを見たローリーの「何が起きたんだ?」という表情もたまらなく好き。ジョオは自分だけの友達になるかと思ったらおじいさまに持って行かれてしまったという嫉妬も入っているかも知れない。
 またローレンスが登場するシーンの「間」が最高だ。ジョオの独り言が終わると間髪入れずに「ありがとう」というこの間は素晴らしすぎる。このシーンは原作にもあるので、どうすればアニメとして楽しく描かれるか研究し尽くしたんだろうな。それは脚本も声優さんも…。
 さらにこのシーンで視聴者はローレンスについてひとつの事実を知って物語に引き込まれる。「なんだ、すごくいいオッサンじゃないか…」と。
 
今回の主役
・サブタイトル表示→ジョオ
・物語展開上→ジョオ
姉妹の中ではジョオの一人舞台。単身ローレンス家に乗り込んでローリーの見舞いだけでなく、ローレンスとも顔なじみになって帰って来る。特にローレンスとのサシのやり取りは最高。
・次回予告→ジョオ…まんま「サザエさん」の次回予告じゃん…。
感想  まず本放送時からの一番の感想は「サブタイトルが冗長すぎる」ってこと。ま、これについては概要の別窓でさんざん書いたからこれくらいにしたいけど、せっかくの面白い話でもサブタイトルがこれじゃ…本編が泣いてるよ。
 でもこの回は楽しい。「愛の若草物語」で面白かった回を挙げろと言われればこの第20話は間違いなく候補に挙げるだろう。さらに驚いたのはこの話、原作にもちゃんとあって、その原作で面白さをちゃんと活かしている点が評価できる。「愛の若草物語」は原作を悪く改編していると評する声をネットでいくつか見たが、私はその再現が良い回と悪い回の落差が激しすぎるだけの話だと思う。でも、原作を読むまではこの回の話は完全な一話完結なんで、てっきり話数調整用のオリジナルストーリーかと思っていたけど。
 またローリーがピアノを弾くとローレンスが嫌がる件については、原作ではここに組み込まずにローリーが初めて出てきたときの話(第14話)に組み込んだのも成功だと思う。原作のジョオがローリーを見舞う話では、ローリーがピアノを弾き出してローレンスが気分を害することでそこまでの楽しい展開に水を差されるので読んでいてちょっと辛い。アニメでは最初から最後まで楽しくやっているのは好感が持てる。本当、面白いわ。
 でもローリーの部屋でのジョオ、なんか賢い主婦になっちゃってるんだけど…原作でも同じで数少ないジョオが女の子らしさを演じるシーンとなっている。
研究 ・ 

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