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第41話 「お母さま早く帰ってきて!」
名台詞 「おじい様、私、母へ電報を打ちます。」
(メグ)
名台詞度
★★★
 衝撃の一声、これほどの衝撃が「愛の若草物語」であっただろうか? ローレンスでなくとも「なにっ!?」と怒鳴ってしまいそうだ。ベスを診た医師の診断結果かが、この台詞でローレンスだけでなく視聴者にも明らかにされるのである。
 この台詞の裏には母だけは心配させまいという姉妹の配慮があり、また父の具合がまた悪くなったという伏線もある。そのような事態の上をも行く緊急事態がベスの身に起きたと言うことだ。これからベスは生死の境をさまようことになる…医師の診断はそうだったはずであり、こうして視聴者も物語に引き込まれて行く。
 この短くて衝撃的な台詞を言うのが、ジョオでなく長女のメグであると言うこともポイントが高い。現在の一家の代表者自らがこの台詞を言うことで、ベスの病状に対する説得力をも表現しているのだ。
名場面 ローレンスの見舞い 名場面度
★★★★
 ベスの猩紅熱がうつるのうつらないので医師と大揉めしたローレンスは、結局ベスの病床に見舞いに訪れる。そしてベスに優しく声を掛ける、「おじい様…」ベスがローレンスに気付いて笑顔を見せると「バングス先生にいつになったらベスにピアノを弾いてもらえるか?って聞いたんじゃ、そうしたらお年寄りは気が短くていけませんね、しばらくしたら弾けるようになります。もうちょっとの辛抱ですって言われたよ。」とローレンスが言うとまたベスは笑顔を見せるが、すぐ寂しげな顔をして「ピアノが弾きたい…」と呟く。そして手をピアノを弾くように動かすのだ。
 ローレンスはそんなベスの手を取り、「早く治して、たくさん聞かせておくれ。」と言う。ベスは「ええ」と半分笑顔で、半分寂しそうな顔で答えるが、この見舞いが嬉しかったようで目が潤む。
 ベスのピアノに対する思いがにじみ出ていてもう見てられないシーンだ、そしてローレンスのベスを可愛がる気持ち。この二つの思いが上手に重なって美しいシーンになったと思う。そしてこれを見ている視聴者もベスに早く治って欲しい、早くピアノを聴かせて欲しいと願い、物語の中に入り込んだような気分を味わうことになるのだ。ローレンスという老紳士の暖かさ、優しさを感じるローレンス最高のシーンだ。
 
今回の主役
・サブタイトル表示→エイミー
・物語展開上→ベス
主役を姉妹に限定しないなら今回の主役はローリーにしたいところだが、姉妹の中では身体を張ったベスが主役であり、ベスの病を中心に物語が回る。ベスはどうなってしまうのか…。
・次回予告→メグ…なんでこう深刻な回の予告ってメグが担当することが多いのだろう? やはりそこは長女の役割ってトコなんだろうか? 次回が峠か…。
感想  最初はベスの具合が思ったより良いので、こりゃ大したことなく終わるのかなと本放送時は感じていた。でもそう視聴者を油断させたところで辛いシーンを見せるのが「世界名作劇場」でもあったんだよな〜。ベスの病状はすぐに悪くなり、ついにメグが母に電報を打つと決意するまでになる。ベスはどうなってしまうのか? まぁ死んじゃったらお話にならないのは分かっていつつも、このまま死んでしまうのではないかという不安を感じる。
 対してローリーとエイミー、それにマーサのシーンはこの緊急事態の中のオアシスみたいなシーンで良かった。こう辛い展開だとあの程度の息抜きはやっぱ欲しい。これはアニメだからこその展開かと思ったら、原作でもそういうつくりになっていて驚いた。ただし内容はかなり違うが。エイミーがとてもきれいになるとマーサがローリーにだけ言ったことがまさか最終回ラストシーンの伏線になっているなんて…その時は思い及びもしなかった。
研究 ・ 
(次話と2話分の研究を次話研究欄にまとめました)

第42話 「神様、どうかベスを助けて!」
名台詞 「熱が下がりました。気持ちよく眠っているし、汗も出ているし、呼吸も楽になりました。もう大丈夫です。神様、ありがとうございます…。」
(ハンナ)
名台詞度
★★★★
 名場面欄の通り、ハンナがベスの様子を診ているときの不安と言ったらそりゃ無かった。ジョオとメグが発見したのはベスの熱が下がったことだろう、それは回復を意味するのか、それとも死を意味するのか、ハンナが現れてからその結果が出るまでの長いこと長いこと。
 そして沈黙を破るハンナの台詞がこれだ、このベスの容態の急変は回復を示すものであったのである。この台詞に視聴者も涙が出そうになっただろう。ベスの回復だけでなく、姉妹が力を合わせてこの難局を乗り切り、この試練が幕を閉じたことを告げた台詞なのだ。
 またハンナが最後に神に感謝の言葉を言うのがいい。姉妹に試練を与えたのも神ならば、ベスを助けたのも神なのだ。私は本放送当時、この台詞を聞きながらこんな事を考えてしまった。
(次点)「ベスは助かった。お母様はうちへ帰って来ると、すぐに私にも会いに来てくれた。私はお母様の腕の中で泣いた。」(エイミーのナレーション)
…エイミーの内心を短い言葉で、上手に解説した秀逸なナレーションだと思う。また母に泣き付くエイミーを笑顔で見つめるマーサの様子もいい。
名場面 ベスの回復 名場面度
★★★★★
 夜、看病の交代だろうか、ベスのところへジョオがやってくる。ジョオは看病しているうちに居眠りしてしまったメグの前を通り過ぎ、まっすぐベスの元へ向かう。ジョオがベスの額に手をやると…明らかに今までと状況が違うのだ。
 自分ではどういう事なのか判断が付かないジョオは慌ててハンナを呼ぶ、その声に目を覚まし「どうしたのジョオ?」と訪ねるメグに、ジョオは自分の額に手を当ててベスの様子を見るように促す。メグがベスの額に手を当てると、「どういうことだ?」と言う表情でジョオと目を見合わせる。「はんなに診てもらう、あの人なら正確に判断が出来るわ」とメグに言うジョオ。そこにハンナが現れる。
 ハンナがベスの額に手を当て、脈を診て、ベスの息に耳をそばたてる。いつしか深刻なBGMは止まり、物語は沈黙に包まれている。この沈黙の長いこと長いこと…。
 沈黙の果て、ハンナが名台詞欄の台詞を吐く。一気にこれまでの曇天が晴れやかな気持ちになったのは、メグやジョオだけでなく視聴者も同じだろう。
 心待ちにしていたベスの回復、これはベスの病が治る方向に向かったと言うことだけではない、この難局を姉妹は見事に乗り切ったのだ。母の不在、ベスの病と重なった試練を無事に乗り切ったのだ。その場に「孤独」という戦いを強いられていたエイミーがいなかったのは残念だが、エイミーの元へは母が真っ先に行ったようだからそれはそれでよしとしよう。
 そして視聴者もこの試練の終わりを喜んだことだろう、登場人物と一体になって試練の時を一緒にくぐり抜けてきたような爽快感を味わうのである。ここまで辛かったが、引き替えにこんな気持ちよいシーンを見せてくれた「愛の若草物語」というアニメの評価が自分の中で一気に上昇したのがこの回だと、私は思う。
  
今回の主役
・サブタイトル表示→ベス
・物語展開上→ベス
今回も台詞も動きも殆ど無いとは言え、病のベスが中心に物語が展開する。ベス危篤でいよいよ物語の深刻度はピークに達する。そこで姉妹に何が起きるかを克明に描いた回だと思う。
・次回予告→ジョオ…やっと深刻な予告から脱したかと思ったら、ジョオが訳分からないこと言ってるし…頼む、順序立てて説明してくれ…あ、でもそうしたら予告が予告でなくなっちゃうな。
感想  今回は余計な話もなく、ベスの病を中心にした展開1本に絞った回だと思った。わかりやすいし、何よりもベスが危篤という深刻な状態を他のエピソード無しでじっくり描ききった点は評価できよう。本放送時から感じていたが「愛の若草物語」は1つの回にあれもこれもと詰め込むことが多く、今回のようにひとつの出来事をじっくり描いている回は少ないように感じる。
 ベスが無事に峠を越えて、回復に向かい始めたときは涙が出そうだった。まだまだベスが元通りになるまで時間は掛かるだろうけど、また今までの明るい「愛の若草物語」に戻るにはもう時間は掛からないだろう。姉妹は無事に試練を乗り越えた、この回のラストシーンはそんな安堵感が視聴者にも伝わってくる素晴らしいつくりになっていたと感じた。
研究 ・「暗き日」
 全話と2話分の研究をひとまとめにしよう。第41話と第42話が原作の「暗き日」というひとつの章のエピソードを踏襲した物語となっているのである。原作もアニメも最初はベスの猩紅熱は大した物ではないような描かれ方をしている、しかし原作では診察に来た医師とハンナはベスの猩紅熱は生死の境をさまようほどの重い物だと最初から分かっているという設定となっている。その中でバングスは最善の処置を講じ、ハンナは優秀な看護婦としてベスの世話を姉妹と共に献身的に行うのである。ちなみに原作では母にベスのことを知らせない方が良いと発案するのはハンナである。父の容体が悪くなったと手紙が来るのも同じである。
 続いてメグ・ジョオ・エイミー(おば様の家に島流しと表現されている)・ローリー・ローレンスだけでなく、近所の人々の動きも描かれているのは原作の面白い部分である。牛乳屋、パン屋、八百屋、肉屋…さらにフンメル夫人まで自分の無思慮でベスを重い病に陥れてしまったと謝罪に来たと描かれている。原作ベスはこれほど多くの人に愛されている存在なのだ。アニメのただの内向的な少女とは訳が違う。
 メグはベスの容体が悪くなったときに備え、いつでも母に電報を打てるように電報用紙を用意していたという。そんな12月1日(アニメも同じ)にバングス医師はついに母に電報を打つように言い、ジョオが雪の中を走って電報を打ちに行く。ジョオが帰るとローリーがやって来て父の容体がまた良くなったという手紙を受け取る、ここでジョオからベスの様子を聞いたローリーはジョオに事実を言うのだ、ローレンス家ではマーチ家に極秘のうちにメアリーに電報を打ったこと、そしてメアリーは既にこちらへ向かっている事を…これを聞いたジョオは感激して、ローリーを抱きしめてキスをする。
 バングス先生が真夜中に熱が下がらなければ危ないと言い残すのはアニメも踏襲している。その真夜中に向けてメグとジョオの不安が増大して行く様子が原作では克明に描かれているのだ。メグは「ベスを助けてくれたらもう不平は言わない」と神に誓い、ジョオも「ベスを助けてくれたら終生神を愛し続ける」と誓う。夜中の12時が過ぎ、1時になると2時の汽車に乗っている筈のメアリーを迎えにローリーが出発した音が聞こえた。メグが祈っている姿を見て、ジョオは「ベスが死んでしまったのを自分に言えないでいる」と勘違いする。そしてベスの元に言ってベスに別れの言葉を言うのだ。うぉ〜、ここは泣ける。その気配に勘付いて目を覚ましたハンナがベスの様子を診る、そしてエプロンで顔を覆って泣きながら名台詞欄に該当する台詞を言うのである。その幸せな変化に信じられないでいるとバングス先生がやってきて、もう大丈夫と告げる。「これでお母様が帰ってくれば…」とジョオは明けそめた空に向かって言った。
 原作の方が表現的に大げさだし、キツイ部分もあるが、何よりもジョオがベスが死んでしまったと勘違いをして別れの言葉をかけてしまうシーンは思わず涙が出てしまう。無論アニメではこんなシーンは入れられなかったのだろう、小さな子供が見ることを考えれば、死んでしまったと勘違いして真面目に別れを言うというシーンははばかれたのだと思う。子供が見て死んだベスが生き返ったなんて勘違いが最も怖かっただろうし…アニメはアニメで「絵」と「音」があることを活かした構成にうまく作ったと思う。特にベスの容態に変化を発見したときのあの深刻なBGMと、一転して回復の兆しと分かる直前のあの沈黙、さらにその沈黙を長く感じさせるだけの効果、「若草物語」のアニメ化で最も上手に出来たのはこのシーンだと私は思うが、いかがだろうか?。

第43話「大都会ニューヨークへ行こう!ジョオ」
名台詞 「下手だね、あんた。」
(ポリー)
名台詞度
★★
 エイミーの写生中にこの言葉を発するとは、頭が良いのか空気が読めないのか…。ポリーちゃんが劇中で新しく覚えた言葉第二弾で、エイミーがマーサに本を読み聞かせているときに記憶したらしい。つまりエイミーの読み聞かせは相変わらず、間違えたりつかえたりばかりということだ。
名場面 エイミーの写生会 名場面度
★★
 フォーレット邸の午後、マーサも昼寝をしてしまい退屈な時間が流れる中でエイミーはポリーちゃんの絵を描こうと悪戦苦闘している。マーサ譲りの口の悪さは気にしていないようだが、すぐに動くので非常に書きづらいようだ。
 そこへジョオとローリーが部屋に入ってくる。エイミーは嬉しそうに姉の名を呼び、ジョオと親しく頬をすり寄せる。劇中時間で数ヶ月前にあんな大喧嘩をしたことが信じられないほどだ。ローリーにも挨拶をして、この写生が学校の宿題であること、ポリーちゃんがすぐ動くので書きにくいことを語る。
 そこでポリーちゃんの名台詞、しばらくポリーについて語った後、ローリーがエイミーに「早く絵を仕上げちゃいなよ」と言う。「ポリーなんか書きたくないの、本当は。」と答えるエイミー。家にいれば誰かがモデルになってくれるし、マーサにはモデルは頼みにくいし…「僕でいいかい? あんまり長い時間は困るけど。」とローリーがいうとエイミーは喜んでローリーにモデルを頼む。
 張り切って椅子を用意するエイミー、最初は「考える人」みたいに変わったポーズを取るローリーだが、ジョオに「気取り過ぎよ」と笑われ、エイミーに「もっと自然にお願いします」と突っ込まれる。スラスラとローリーの特徴を掴んでペンを進めるエイミーだ。
 本放送時、原作を知らない私はこのシーンを見て「お似合いだなぁ」と思った。「愛の若草物語」劇中ではメグとブルック、ジョオとローリーとアンソニーの三角関係などが描かれるが、本命は実はエイミーとローリーなんじゃないかと予感させられた。この回の最後のナレーションでエイミーが「ローリーみたいな人のお嫁になりたい」とも言うし…なぁんて原作を知らない視聴者に妄想させて、それが続編以降で現実になるのだから笑ってしまう。
 とにかく、エイミーとローリーを強烈に印象付けるシーンであることは確かだ。
  
今回の主役
・サブタイトル表示→ジョオ
・物語展開上→ジョオ
久々にジョオの話。前半はエイミー以外の姉妹全員の話でもあるが、後半はジョオの身に変化が起こりそうな予感。いよいよラストシーンへ向けての物語が回り出したのだ。サブタイトル表示のジョオもちゃんとショートになったのね。
・次回予告→エイミー…エイミーの純粋な次回予告の背景に、けっこう怖いシーンばかりが流れていたような。ここへ来て波乱の予感。
感想  この回、後半のジョオをニューヨークへ誘うアンソニーのぎこちない動きなど、本放送当時は結構気に入っていた話だったが…原作を知らない方が良かったこともあるのね。原作を一度読んだら、私の中でこの回の評価はがた落ちになった。
 嗚呼、エイミーの遺言状…これが本当の「若草の遺言状」になるはずだったろうになぁ。
研究 ・「エイミーの遺言状」
 この回は原作少し離れる。ベスの病状に一段落付いたことと、母が帰ってきて姉妹が安堵するその空気が原作でもアニメでも描かれる。しかしその安堵の空気に包まれていなかったのがエイミーである。原作ではベスの病状が回復するとエイミーの話になるのだ。
 原作のマーサ(マーチおば様)はこの機会にエイミーを厳しくしつけなおそうとしていたようで、エイミーは家族から引き離された上にそんな苦しい生活を続けていたとある。家の掃除などの労働と勉強漬けにされ、自由時間は午後の一時間という生活で、夜はおば様の説教を聞かされて床に入って思い切り泣こうと決意しても泣く間もなく眠りに落ちてしまう生活をしていた。午後の休み時間を毎日訪れてくるローリーと共に過ごすのと、メイドのエスターの存在が彼女にとって慰めだったのである。
 そのエスターがおば様の目を盗んではエイミーに色々楽しいことを与えてやることから物語が転がる。エスターがエイミーに家の宝石類を見せたことで、宝石の使い方などに話が進んで、エイミーはベスが病に倒れたことで聖書を読むことを怠っていたことに気付き、エスターがエイミー専用の小さな礼拝堂を作ってエイミーが毎日そこでお祈りをするという話に展開する。その日以来エイミーはおば様にも従順になり、おば様はエイミーのしつけなおしに成功したと考えるが実はエイミーが一人で祈り、考える時間を与えられたことによる変化だった。
 そのエイミーの心情の変化は、彼女の善良になろうという決意に繋がる。そしてその最初の一歩として、万一自分がベスのように重い病気に罹って死んでしまった場合に、自分の所有物が公平に惜しげなく分配されるようにと遺言状を書くのである。エイミーが遺言状を書き上げると、エスターとローリーが署名したのだ。ローリーが署名して封をする際に、ベスの病状が悪かったときに形見分けをしていたことを暴露する。そこでエイミーはベスという姉の大きさを知り、自分用の礼拝堂でベスの回復を祈るのであった。
 このエイミーの物語は語るに重く、また難解な点も多いのでアニメ化に際してカットされたのだと思う。その重さはアニメで年齢設定が下げられたエイミーでは展開不能だろう。また小さな子供が読むことを考慮せねばならないし、宗教色も強いのでカットはやむを得ない。ただ読み物としては面白い展開なので、興味のある方は是非とも原作本を読んでいただきたい。

第44話「ニセ手紙事件・犯人は誰か?」
名台詞 「こんな風に書こうと思ったの。私はまだ若いからそういうことはよく分かりません。お母様に秘密にしておくのも嫌ですから、そちらでお父様にお話し下さい。もちろん今までのご親切は絶対に忘れません。お友達になりたいと思います。…って。」
(メグ)
名台詞度
★★★★
 ローリーが書いたメグの想いを確認する偽物の手紙、メグはこう返事を書くつもりだったことを正直に話す。それがこの台詞だ。
 メグの揺れる気持ちが正直に描かれていて良い。ブルックの方へ気持ちが傾いてはいるんだけど、まだ気持ちが固まっていないというその中途半端な想い。中途半端な想いなのにこれで決まりみたいな返事をしては失礼だし、だからといって今まで親切にしてくれた事を台無しにするつもりもない。その両方の気持ちを上手にまとめて返事を書くつもりだったのだ。やはりここは長女、ちゃんと相手の気持ちを尊重しつつも自分の気持ちを訴えることが出来るのだ。これがジョオだったらどんな手紙になっていたことやら…。
 ちなみに原作メグも全く同じ返事を書くつもりだったが、前後の空気から判断すると完全に交際を断るつもりで書いたようでアニメはちょっと意味合いが変わっている。また、アニメのこのシーンで指を動かしながらこの台詞をいうメグも可愛くていい。この回はメグがとても可愛く描かれていると思う。
名場面 部屋で悩むメグ 名場面度
★★★
 「ブルックから来た手紙」を読んで以来思い悩むメグ、その「手紙」の内容はずばりブルックがメグの気持ちを確認するものであった。メグはどう返事をして良いのか分からず、部屋の中を歩き回り、一度は便箋に返事を書くが上手く書けずにすぐ破いて捨てる。そして引き出しの中にある「手紙」を出してまた読み返すのだ。
 まずここまでのメグの動き、悩みの表情と動きが上手に描かれている。台詞もなくメグが歩き回ったりため息をついたりしているだけだが、その描写に時間を掛けてメグの悩みを上手に描き出していると思う。変に独り言や台詞が入っていないのがこれまた上手にメグの悩みを表現している材料だと思う。本当に悩んでいる人は無口なのだ。
 また「手紙」の返事を「ローリーを通じて」と言うことに疑問を感じた後のメグの表情の変化もいい。悩みから疑問へ、そして何者かの悪戯であるという確信で怒りへ。これほどまでに目まぐるしくメグの表情が変わるのも初めてだと思う。この事件がメグにとってどれだけ大きかったかが理解できるシーンだ。
 
今回の主役
・サブタイトル表示→メグ
・物語展開上→メグ
冒頭、ベスにスープを作っているメグが可愛くてよかったなー。じゃなくてメグの思いと動きにベス以外の家族全員が振り回される物語と言っても差し支えはないだろう。またこの回はメグ最大の見せ場だと思う。
・次回予告→ジョオ…ジョオに言いたい、「オマエモナー」。
感想  あんまりにも低レベルなサブタイトル、低レベルでたちの悪い悪戯だから原作を知らなかった本放送当時はてっきりアニメオリジナルの話だと思っていた。そしたらこれ原作踏襲の話なのね。私の中でローリーが「年相応以上のカッコイイ憧れの少年」から「単なる少年」に評価が下がったのはまさにこの回、なんか当時も今も「あ〜あ、やっちゃった」って感じがしてしょうがない。また前半のジョオとの口喧嘩シーンでは、いつもは素直なローリーが珍しく頑固になっているし…素直で聞き分けの言いローリーだからこそジョオを操れたわけで、ローリーがそう無くなってしまったらジョオが制御不能になってしまうという典型シーンだと当時も感じた。でもそれで暴走したのはジョオでなくローリーだというのも注目点で、ローリーはここまでジョオの前で「大人」を演じるために無理をしていたのかも知れないと疑ってしまう。
 この回はメグも最大の見せ場である。ベスやエイミーに声を掛けられてもぼーっとしているメグも良いし、部屋で一人で悩むメグも良いし、手紙が偽物と知って怒るメグも良いし、返事の内容を暴露するメグもいい。とにかくこの回はメグがきれいに描かれていてメグが強く印象に残る。ここまで他の姉妹ほどの目立つ活躍が無かったメグだが、ここで挽回しようとしているようにも見えた。
研究 ・「ローリーのいたずら」
 この回も原作踏襲である。ただしジョオがブルックの気持ちを知るのは、ワシントンでブルックがメアリーに自分の気持ちを打ち明けており、ジョオがあるきっかけでこの話をメアリーから「内緒の話」として聞かされたからである。原作のジョオはアニメ以上に恋愛話などに疎く、ブルックの気持ちやメグの気持ちには全く気付いていなかったのだ。ちなみにアニメでは前話でジョオがメグにローリーと結婚したらどうかと言うシーンがあるが、原作ではこの内緒話を母から聞かされたときに母に提案している。
 この内緒話を聞かされたことを重荷に感じたジョオを、ローリーは見逃さなかった。ローリーはまたジョオが自分に隠し事をしていると感じ、あの手この手でジョオからそれを聞き出そうとするのである。これに対しジョオは口を割らなかったが、この時の反応でローリーはメグとブルックに関することだと察してしまうのである。そしてジョオが秘密を話してくれなかったことに対する復讐として、メグにニセの手紙を出すという行為に及ぶのである。
 原作の方がローリーが事件を起こすきっかけが単純でわかりやすくなっている上、自然な流れである。だがアニメでも同じ感想だが、ローリーがジョオを制御できなくなった結果ローリーが暴走するという状況となっており、ここまで大人を演じていたローリーが急に子供っぽくなるのもアニメが原作を引き継いだのだ。

第45話「おじいさまがローリーをなぐった!」
名台詞 「いいえ、そんな事思いません。どうかすると優しすぎる位です。でも、ローリーがちょっと気に障るようなことをすると、少し短気におなりになるみたいですね。そう思いませんか?」
(ジョオ)
名台詞度
★★
 ローリーの悪戯の内容は話さず、話せない理由としてローリーを庇っているわけでなく他の人の名誉を守るためだとしてローレンスの説得に成功した。そしてローレンスにローリーへの詫び状を書かせるのである、詫び状を書かせながらローリーが面当てに家出してワシントンへ行くと豪語していた話をする。それを聞かされたローレンスが「私があれに優しくないと思うかい?」とジョオに問う、その返答がこれだ。
 この台詞にはジョオの観察眼がにじみ出ていると思う。ローレンスの孫に対する態度を完璧に把握し、それを的確な言葉で本人に伝えているのである。ジョオのこのような性質があるからこそここまで小説家として成功しているのだし、序盤ではゲティスバーグからの逃避行をアンソニーに説明して分かりやすいと誉められたのだろう。言われた本人も「あんたの言うとおりだよ」と笑えてしまうところがまたいい、鋭く本質を突いている割には言葉に棘がないので素直に聞けるのだ。こういう言葉が自然に出てくるのは、やっぱ親の教育と本人の優しさなんだろうな。
名場面 ジョオがローリーとローレンスを仲裁に成功 名場面度
★★★
 うらやましいぞ、ローリー&ローレンス。
 
今回の主役
・サブタイトル表示→エイミー
・物語展開上→ジョオ
やっぱジョオ、アンソニーに誘惑され、ローリーに誘惑され…でも最大の活躍はローリーとローレンスの喧嘩を仲裁し、見事に解決したことだろう。。
・次回予告→…エイミーの声によるサブタイトル読み上げのみ(「小公子セディ」の予告)。
感想  前回の流れからして、ローレンスがローリーの悪戯に勘付いてぶち切れる話なのだろうと予測していたら、本当にその通り話が展開するし。しかし前々話でジョオをニューヨークに誘うアンソニーを見て少し引いたが、祖父と喧嘩したからワシントンへ逃げようとジョオを誘う辺り…いや〜可愛い、ローリーが可愛く見えたね…とこれは今回の感想なのだが、当時はローリーの気持ちが何となく分かるような気がした。やはりあの年頃では一緒に住む自分の保護者との喧嘩は一番家に居づらいだろう、しかも弁解したくても言えない苦しみもあるだろうし。
 本筋以外ではこの回も本筋に絡まない筈のエイミーがとても印象に残る。主役はジョオだが一番可愛く描かれているのはやっぱエイミーなのだ。またエイミーと会話するベスもなかなかだし、メグも前回同様可愛く描かれている(のだがやはりエイミーの可愛さには…)。だからといってジョオが可愛くないわけではないが、なぜスタッフはエイミーをここまで可愛く描くのかなぁ…と当時も感じていた。
研究 ・「ローリーのいたずら」2
 今回も原作踏襲である。原作とアニメを比較すると前回と今回で2章分なのだが、ちょっと変則的なのは前回で1章半、今回は残りという構成である。原作でもこのいたずらの後処理の話はあり、この課程でローリーとローレンスが大喧嘩となるのだ。
 また原作の前提条件として、ローリーが罪を認めてメアリーやメグに謝罪するときに、その場に居合わせたジョオがついローリーに冷たい態度を取ってしまったという事実がある。これに後悔したジョオが燐家へ行くきっかけを探し、そこで思い出した用事としてローレンスに借りた本を返しに行くのである。
 後はアニメも原作と全く同じ展開をたどる。違うのはジョオがブルックやメグの名前を出さずにローリーの悪行をローレンスに語ること、それに対してローリーが強情を張っているのでなく約束で話せないのが本当なら許すとローレンスが宣言していること、ローリーが殴られたことで自尊心を深く傷つけられて家出まで考えているのを止めるには謝罪するしかないとローレンスに説くこと、それに対しローレンスはベスやジョオの言いなりになるのは悪いことだと思わないと豪語して詫び状を書き出すこと、ローレンスにキスをしたのはジョオの方であること、ローリーはジョオにキスなどしてないこと、などが細かい違いとして挙げられる。
 このエピソードではローレンスとローリーの絆と、ジョオの豪傑さが見事に再現されていると思う。アニメではこれを余すところ無く再現したのは評価すべき点であろう。このような家族愛で物語が展開するのがまた「若草物語」の良いところなのだから。

第46話「思いがけないクリスマスプレゼント」
名台詞 「サンタクロースと同じで、プレゼントを配りに行くんだ。」
(ローリー)
名台詞度
★★★★
 クリスマスの朝、ローリーがソリに乗って出かけるところをジョオが目撃する。ジョオがローリーに何処へ行くのか訪ねると、ローリーは意味ありげにこの台詞を吐く。
 今回のサブタイトルをみれば、クリスマスに何かとんでもない感動的なプレゼントがあると視聴者は予測するだろう。ジョオとローリーだけでそんな感動的な雪だるまを作れるとは思えないし、デーヴィットの事で嫌な想いをしたマーサがその役かと思ったら現金2ドルで落ち着くからハズレだし、これよりもっと上の事をローレンスがやらかすのか?と思ったらそこへ至る理由付けがない。そこへ父からの手紙だ、まさか…。
 そう思ったところでローレンス邸に電報が届き、ローリーが出かけて行くのである。そこでのこの台詞はその父の帰宅を予感させるに十分だ。またローリーが年相応の反応(適当に誤魔化すとか逃げるとか…)でなく、このようなカッコイイ台詞を残して足早に去るのもこれまたこの感動的シーンを予感させる要素でもある。私はこの台詞はローリーの台詞の中で最高だと思っている。
(次点)「お父様だった、全く思いがけなくお父様が帰ってきた。」(エイミーのナレーション)
…短いナレーションだが、これほど的確にその時の姉妹の心情を解説しているものは他にないと思う。
名場面 父の帰宅 名場面度
★★★★★
 病気から少しずつ回復してきたベスが、やっとピアノを弾く。そのピアノを聴きながらゆったり過ごすクリスマスの昼下がりの一家、この落ち着いた時間をぶち壊すかのようにローリーが居間に現れる。そして高らかに言う「では、マーチ家にもう一つクリスマスプレゼントです!」
 その言葉に驚く一家、そこへ二人の男が居間に入ってくる。一人はブルック、そしてもう一人は…一家の主、フレデリック・マーチだ。
 突然の父の帰宅に一家は言葉を失い ( ゚д゚)ポカーン としてしまう。無言のまま見つめ合う一家と父、やがてその沈黙を破ってエイミーが「お父様〜」と泣きながら父の元へ走る。途中で椅子に躓いて転ぶが立ち上がって父に抱きつく、続いてメグが、ジョオが涙を流しながら父に抱きつく。メアリーとフレデリックは無言で見つめ合い、互いの無事を確認し合う。そしてフレデリックはピアノの前で立ち尽くしているベスを見つける、ベスも泣きながら父に抱きつき、フレデリックはつい先日まで生死の境をさまよっていた三女を抱きしめる。
 予告無しの父の帰宅という一家の嬉しさを、殆ど台詞を入れずに上手に再現したと思う。いや、ベスやエイミーが「お父様〜」と叫んでいるし、ジョオも「お帰りなさい」と言っているのだが、これ以外は全て姉妹の嗚咽だけである。そう、人間本当に嬉しいときは言葉が出てこないものなのだ。そして父の無事帰宅という物語のひとつの結論を、余計なものを全く抜きにして感動的に描いたと思う。全てはこの瞬間のために姉妹は母と力を合わせて生きてきたのだ。その喜びは何事にも変えられないだろう。
 
 
今回の主役
・サブタイトル表示→ベス
・物語展開上→ジョオ
今回もジョオの回、回復途中のベスを献身的に世話をし、さらにマーサやエスターとの会話でマーサの気持ちを引き出す役割もある。名場面の父帰宅シーンは全員主役だが、それ以外ではジョオだろう。
・次回予告→…エイミーの声によるサブタイトル読み上げのみ(「小公子セディ」の予告)。
感想  父が帰ってきた、よかったよかった。本放送時は父が帰った来たことだし、これがクライマックスで次が最終回だと思っていたら、また2話残っているのね。「南の虹のルーシー」の研究で語ったが、「愛の若草物語」での物語の一つの結論は父が帰宅しまた一家が揃うというものであり。姉妹はその日を信じてここまで力わ合わせ生きてきたのである。その結論の一つがまた2話も残している段階ででてくるとは…。
 前半のジョオがベスの面倒を見るシーンも好きだ。ベスの我が儘をジョオが断り切れないというつくり、ジョオがベスのことをどれだけ気に入っているかがわかるってもんだ。また中盤のフォーレット邸のシーンも良い、特に我が儘言いたい放題のデーヴィットに「出て行け!」とマーサが怒鳴ったのはなんか胸がスッとしたような。でも請求されたお金を渡しちゃう辺り、マーサにとってデーヴィットは放っておけない存在なんだろうな。
 またマーサから貰った2ドルの使い道を考える姉妹もいい。クリスマスに向けて貯金が出来なかったと嘆くエイミーがいい。ところで借金女王だったエイミーは過去の借金を返したのだろうか?
研究 ・父の帰宅
 今回も大まかは原作踏襲である。ただしフォーレット邸での出来事や2ドルのプレゼントはアニメだけのようだ。まず病から徐々に回復するベスの様子から始まり、父からの手紙、そしてジョオとローリーが雪だるま(雪姫)を作ってベスを喜ばせるシーンと流れていく。そして一家は自分が貰ったクリスマスプレゼントを見せ合って語り合い、一家の幸せを強く感じる。
 そこへローリーが「マーチ家にまた贈り物です」と言って居間に現れる、そう言ったかと思うとローリーは姿を消してブルックに連れられた父が現れるのだ。皆は父に抱きつき、ジョオなどは嬉しさの余り気絶しそうになってローリーに介抱される始末だ。どさくさに紛れてブルックはメグにキスをしてしまい、驚いて椅子から落ちたエイミーはそのまま父の靴に抱きついていた。
 しばらく我を忘れて父との再会を喜んでいた一家だが、母がやっとベスが思うように歩けないことを思い出して皆を制止する。原作のこのシーンではベスは休憩のため別室にいたのだ。ところが騒ぎを聞きつけたベスは自分の足で居間までやって来て、父の腕の中に飛び込んだのだ。そうしてしばらく一家全員で再会の喜びに浸った後、ハンナがこの光景を見て料理する予定の七面鳥の上に涙を流しているのをみて皆が大笑いして我に返る。
 原作でもここでは感動を呼び込むシーンとして力を入れられているシーンのようだが、原作でよく見られる「作者はこの感動をどう表現して良いのか分からない」という表現はなくて一家の動きや感情が克明に描かれているのだ。また父と一家の再会だけでなく、父の存在がベスの体力回復を促したシーンも大きく、彼女にとって父がどれだけ待ち望んだ存在なのかという点に置いても描かれているのだ。
 アニメではまだ2話残っており、原作でも1章半残っているが、ここから先は原作とアニメの結末が違うこともあって展開がかなり変わってくる。同じなのはメグとブルックの話程度の物だ。

第47話「さよなら!アンソニー」
名台詞 「私は…おば様、自分の好きな人と結婚します。いいえ、私は結婚するとしたらあの人とします。あの人より素晴らしい人はこれから先も出てこないと思います。」
(メグ)
名台詞度
★★★★★
 メグの台詞で五つ星をつけるとすればこの台詞だろう。メグに愛してると告白をするブルック、だがメグは自分に素直になれず「まだ若い」「友達でいたい」と返答する。そのやり取りの最中に家にマーサがやってくる、マーサはその状況を見てあの男はいけないとブルックが貧乏と言うだけで人格をすべて否定し始めるのである。そのマーサの言葉に耐えきれず、遂にメグの本心がでてくるのがこの台詞だ。
 ここまでジョオにさんざん冷やかされても、自分で自分にブルックを愛しているわけではないと言い聞かせてきたメグだが、実は心の中ではもうブルックへの想いが爆発寸前だったと言うことだろう。そして貧乏と言うだけでブルックを全否定されたとき、やっと自分に素直になれたのだ。恐らくこの台詞は最初は本人が無意識のうちに言っていたに違いない。
 またこの台詞はブルックがこっそり聞いていたのだ、マーサを父に引き合わせた後、居間から出てきたメグにブルックは感謝の言葉をかける。これに対しメグがもう一度頑固になるかと思ったら…「やっぱり、あれが私の本当の気持ちみたい。」と素直に自分の気持ちを認めてブルックと抱き合う、そして熱いキスだ。そこへ突然立ち入ってしまったジョオとローリーは、瞬間どんな対応をしていいか分からなかったはずだろう。
名場面 マーサとフレデリックの再会 名場面度
★★★★
 名台詞シーンのやり取りに続き、メグがマーサを居間に連れて行く。マーサが居間に入るとフレデリックは立ち上がる、マーサもフレデリックの名を呼びながらフレデリックと抱き合う。そしてマーサは劇中で初めて泣くのだ。
 「私の方から伺おうと思っていたのに」というフレデリックの言葉に大きく頷くマーサは「あんた随分歳を取ったね」と言う、「おばさんだって…」と笑うフレデリック。このやり取りを笑顔で見るベスとエイミー。二人は並んで椅子に腰掛け、二十年の時を埋めるように語り合うのだ。その語り合いの長さは後のシーンでエイミーの「おば様にお父様取られちゃったわ」と言う台詞でよく分かるだろう。
 20年ぶりの再会、というシーンを上手に再現したと思う。姉妹と父の再会と違い台詞が多い再会シーンであるが、感動シーンの割に面白いやり取りで好きだし、何よりも20年という時の流れを感じさせる会話である。これに声優さんの名演でこのシーンも姉妹と父の再会と同じ位の感動シーンに仕上がったと思う。特にマーサの嗚咽は秀逸だ。
  
今回の主役
・サブタイトル表示→ジョオ
・物語展開上→メグ
ジョオ中心の展開に見えるが、無事に恋を叶えたメグが「ひとつの結末」を出した点で物語上大きな役割を持っているのは確かだろう。父の帰還とメグとブルックの恋の行方は「若草物語」の結論そのものだからね。
・次回予告→…エイミーの声によるサブタイトル読み上げのみ(「小公子セディ」の予告)。
感想  今回のみどころはやはりメグとブルックの恋の成就と、フレデリックとマーサの出会いだろう。メグの方はマーサがブルックをポロクソに言ったときにメグが本心に気付くという展開となったが、なんかこのシーンを見てマーサはこのために用意されたキャラなんじゃないかと本放送時は感じていた。またフレデリックとマーサの再会は「大人同士の再会」を上手に再現したと思った。でもマーサに言わせればフレデリックは息子みたいなもんなんだよな…二人が語り合うシーンは敢えて映像化せず、エイミーの台詞で代弁させるというつくりには感心した。あのエイミーの台詞を聞くだけでフレデリックとマーサが仲良く椅子を並べてつもる話をしている光景が目に浮かぶ。いや〜まいった、やられたと当時も思っていたシーンであった。
…で、アンソニーとの別れは殆ど印象に残らなかったなぁ。この別れももうちょっと工夫すれば盛り上がったのに。まアンソニーは原作にいないキャラだから、この人物との別れで印象付けるとまた「若草物語」でなくなってしまうからよしとしよう。可哀想な役だ。
 しかし、最後のエイミーの解説を聞くと…え?最終回?と感じてしまう。いや、ここで最終回でも差し支えがないような、原作はここで終わりだし。
研究 ・物語の終わり1
 今回も原作踏襲の展開である。原作でも父が帰ってきた安堵が描かれている。その次にジョオやローリーがメグにブルックのことをどう思っているかと冷やかすシーンがある。これはアニメで前話までに描かれたのと同様、メグは全く気にしていない、好きな人ではないとキッパリ返答をする。しかしこの返答がムキになっているようにも描かれていて、それを見たジョオやローリーはメグもブルックが好きなんだという前提で話を進めて行く。
 そこへブルックが家にやってくる。そこからは原作とアニメは同じで、ブルックは愛の告白をしてメグはそれを交わそうとムキになる。だが原作メグの場合はこうして気を揉ませて、相手に自分を左右する力がどれほどあるかを確かめていた。この辺りの駆け引きはしっかり者の長女らしい。
 そこへフレデリックに会いにマーチおば様(マーサおば様)がやってきて、ブルックのことを批判し始めるのだ。原作のおば様はブルックのことを「自分の財産を狙ってメグに近付いた」と根拠のない非難を始めるのだ。その卑劣な非難への反論でいつしかメグはブルックほど良い人はいないと言ってしまい、自分の気持ちに素直になるのである。そしてブルックが現れ、二人は互いの思いを認め合って抱き合う。
 しばらくしてそこにジョオが現れる。ジョオはメグがブルックを追い返したと期待していたのだが…椅子に座っているブルックの膝の上のメグを見て驚くのである。ジョオはこの出来事を泣き喚きながら妹たちに語るが、妹たちはこれが大変楽しい話と感じたためにジョオを慰めることもなかった。
 こうしてこの後にエピローグ的なシーンが挟まって原作は物語が終わる。終わりに当たっては「この物語の第一幕が終わる」としてあるので、最初から続編を考慮していたのだろう。原作を読んだ印象としては突然物語が終わるので「あれ?」という感触が一番強かった。アニメ製作スタッフもこう感じたのか、アニメでは終わりまでに話をもう一度だけ膨らませてから完結させるのである。

第48話「春!それぞれの旅立ち」
名台詞 「これで私たち家族の物語は終わります。この先、私たち姉妹がどんな運命をたどるかは、別の物語でお話しすることになるでしょう。だけど、今ひとつだけ教えておきましょうか? ローリーのお嫁さんになるのはジョオじゃありません! この私なんです。信じられないでしょうが、本当に本当なんですよ。」
(エイミーのナレーション)
名台詞度
★★★★★
 「愛の若草物語」全編を通して最後の台詞、その最後のエイミーの解説が私には強く印象に残っている。何てったって、本放送時に聞いたときに「何の冗談だ!?」と思わず聞き返しそうになってしまったから…原作の「若草物語」シリーズを知らなかった私は、この物語の続編で本当にエイミーとローリーが結婚するなんて知らなかったから、この解説がエイミーのジョークにしか聞こえなかった。そういう意味で印象に残ったのだ。
 またこの解説は、今後「世界名作劇場」シリーズで「若草物語」の続編を取り上げるであろう事を示唆しているとも思われる。実際には6年後に「若草物語 ナンとジョー先生」として実現することになるのだが、本放送時にはそんな事は誰も知っているわけが無く、視聴者に続編シリーズの放映を強く期待させることとなる。私も期待しちゃったし。
 とにかく色んな意味で印象に残った解説だ。エイミーの解説としては第40話と並んで名解説だろう。
(次点)「僕は、待っているからね。」(ローリー)
…ニューヨークへ旅立つジョオに一言、ローリーが旅立つ彼女に一番言いたかった台詞だろう。ローリーのジョオに対するほのかな恋心が上手に再現されたと思う。
名場面 ジョオの旅立ち 名場面度
★★★★
 ジョオが将来の夢と野望を胸にニューヨークに旅立つ、ローリーが操る馬車に乗り込むと母が「身体に気をつけて」、メグが「結婚式には帰ってきて」というと「ええ」と力強くジョオは答える。続いてベスが「ジョオ」と名を呼ぶと今度はジョオがベスに「身体に気をつけて」と言う、さらに泣きべそのエイミーが「私のこと忘れないでね」と声をかけるとジョオは笑いながら「バカねぇ」という。もうちょっと気の利いた返事は出来なかったのか?とここだけ突っ込みたくなる。ジョオが「お父様」と声を掛けると、父は「自分を大事にしなさい」と答える。ハンナはひたすら泣いている。ジョオはそんなハンナにも声を掛ける。ちなみにこれらはジョオと解説が残っているエイミー以外は全て最後の台詞である。
 さらにこの後にジョオとローリーの別れのシーンが続く、別れが辛いローリーの姿が克明に描かれ、ローリーの恋心がキチンと描かれるのだ。そしてその最後に名台詞次点のシーンが…これがあるからこそジョオの旅立ちシーンはじーんと来るし、また最後のエイミーの解説も生きるのである。
 物語の終わりを締めくくるに相応しい展開をアニメでは追加したと思う。もし原作に忠実に終わるなら前回そのまま最終回となり、万人受けが必要なアニメ番組としての盛り上がりに欠ける。その盛り上がりをジョオの旅立ちというストーリーを追加し、アニメ番組としてのラストシーンとして相応しい展開にしたと思う。この改編は私は大成功だと思う。
 
今回の主役
・サブタイトル表示→4姉妹全員
・物語展開上→ジョオ
最終回はジョオの旅立ちが中心に進み、ジョオとの別れで物語が幕を閉じる。なんか登場人物全員がジョオに振り回されているようにも見える。でも「それぞれの旅立ち」って割には旅立ってるの一人だけやん!
感想  最終回は上手くまとめたと思う。フレデリックとベスが全快し、戦争が終わって父がまた戦地へ向かうという心配が失せ、さらにジョオが大都会へ旅立つという物語展開には正直感動した。まさかこれが原作から外れていてアニメオリジナルの結末だとは当時は思わなかったよ。またデーヴィット以外の全員がジョオとの別れを惜しむというベタな展開ではあるが、誰にも恨まれていないジョオとしてはある意味当然と考えて良いだろう。
 またデーヴィットの更生がキチンと描かれた点も評価したい。結局は情けないキャラとして終わるのはお約束だが、デーヴィットもマーチ一家の影響を受けて真面目に生きようと考えたという解釈も可能なのだ。ここまでずっと嫌な奴を演じていただけに、ここでの更生は印象に残るものだ。しかしここまで徹底して嫌われ役だったデーヴィットの声優さんが一番やりづらかったのではないかと思う。似たような役として「南の虹のルーシー」のペティウェルがいるが、こちらは根っからの悪人ではないと判明するだけで結局悪役のまま終わっちゃうし。
 この最終回は最後のエイミーの解説に尽きると思う。何てったってローリーの結婚相手はエイミーであるという信じられない情報と、今後「若草物語」の続編が「世界名作劇場」で描かれるかも知れないという期待、これらを強く印象に残して物語は幕を閉じるのだが、続編に期待させたと言うことは終わったと言い切れないのも確かだ。だが私が聞いた限り、「若草物語 ナンとジョー先生」は「愛の若草物語」設定を引き継いでいないようなのでやはり物語はここで完結してしまったのだ。逆に言えば「愛の若草物語」はパラレルワールド化して今後の物語の妄想を「若草物語」続編にとらわれずにしてもいいって事だ。
研究 ・物語の終わり2
 最終回は原作にないアニメオリジナルストーリーである。原作は前話までの話で完結しており、物語は続編シリーズへと続いていくようになっている。これをアニメでは改編してさらにもうひと膨らみさせてから終わる。つまり小説的な終わり方ではなく、万人受けが必要なアニメとしての最後の盛り上げを2点追加して終わるという形なのだ。
 その一つ目は最終回の前半、南北戦争終結だ。アニメでは父の帰還とメグの恋愛成就だけを物語の結論とせず、戦争終結という結論を追加したのだ。これは物語序盤で一家が戦災に巻き込まれて焼け出されるという話を追加したからこそ必要になったし、また父が今後ずっと一家と一緒に暮らせるという原作より一段階上のハッピーエンドを狙ったものだと考えられる。さらにこのシーンでベスが市街地まで出かけるという設定にして、ベスの完全回復を印象付ける役割も持たせている。ベスの全快も物語のハッピーエンドとしてアニメで必要とされた要素なのだろう。原作ではベスもフレデリックも全快とは言えないうちに物語が完結してしまっている。
 そしてもう一点がジョオの旅立ちだ。ジョオの旅立ちは物語に主人公がさらなる成長のために旅に出るという感動要素だけでなく、ローリーの恋心にあるひとつの決着を付けるために追加されたと考えていいだろう。ローリーの恋心はアニメでは劇中でさんざん描かれたため、それをどこかで回収してまとめない限りは「愛の若草物語」は終われなくなってしまったのである。そこでジョオとの別れという設定を追加し、ローリーにジョオを待つという決意をさせるというひとつの決着を図らせることになったのだと思う。さらに最後のエイミーの解説でローリーのジョオに対する想いは成就しないが、続編でのローリーの運命をネタバラシしてローリーにも最後にはハッピーエンドが待っているという終わり方にしたのだろう。もしローリーがジョオと離ればなれになっただけではあまりにも可哀想なんで、ローリーの結婚相手についてはちゃんと明かしたと言うことなのだろう。
 この終わり方はアニメとしては秀逸で、上手に改編されたと私は思う。アニメで膨らましてしまって原作踏襲では回収できなくなってしまった設定を、最後に全部回収して上手にまとめたのだ。

・「愛の若草物語」のエンディング
「夕陽と風とメロディ」 作詞・麻生圭子 作曲/編曲・松任谷正隆 歌・新田恵利

 「愛の若草物語」初期エンディング、オープニングが「若草の招待状」だった第1〜14話までエンディングテーマ曲として使用された。
 曲は良くも悪くも80年代アイドルソングである。分かりやすい内容と歌いやすいメロディライン、特にサビの部分のメロディの流れは歌唱力に難がある人でも歌いやすいよう、また上手に歌っているように聞こえるよう上手く処理されていると思う。
 歌詞の内容は…なんか「若草物語」との関連が見えない単なるラブソングになってしまっている。まぁ当時「放映したテレビ局が一番売りたかったアイドル」をなんとしても使いたかっただけのエンディングだろうから仕方がないのかも。オープニングは物語を印象付ける役割があったため「若草物語」を連想させるものとなっていたが、エンディングはこのアイドルの歌をただ流しただけなんだろうな。「若草の招待状」ではこのタイアップは上手くいったように感じたが、エンディングでは失敗しているような感じがあり、私としてはどっちかというとこのエンディングが新田恵利降板の本当の理由のような気がしてならない。
 ちなみにこの曲についてはよく分からない点も多い。CD等に入っているオリジナルバージョンとテレビサイズバージョンでアレンジが若干違うのである。「若草の招待状」では明らかにオリジナルバージョンのフェードアウトだったが、これは別録音なのだろうか?
 安易なアイドル歌手とのタイアップも私が「世界名作劇場」から離れて行くきっかけのひとつである。前作「愛少女ポリアンナ物語」の工藤夕貴の起用で始まった「世界名作劇場」とアイドル歌手のタイアップは、「愛の若草物語」の新田恵利、「小公子セディ」の西田ひかる、「ピーターパンの冒険」のゆうゆと続いて途絶えたようだ。しかしその後紆余曲折を経た上で、後にさだまさしが「世界名作劇場」のオープニングを歌うとは思ってもいなかったなぁ。

「お父さまへのララバイ」 作詞・おおくぼ由美 作曲/編曲・森田公一 歌・下成佐登子

 「夕陽と風とメロディ」の反省からか、一転して「若草物語」の内容を汲んだ歌詞のエンディングテーマとなった。歌詞の内容は父の帰りを待つ娘達の心情となっており、また歌い出しの情景部分はまるで歌詞の内容の光景が目に浮かんでくるように感じる。歌っているのは「小公女セーラ」のオープニング・エンディングを担当した下成佐登子、この人の力のある歌声で娘達の気持ちと「若草物語」の世界観がキッチリと歌われているのは間違いない。

 このエンディングの背景画像はどちらの歌の場合も同じで、4姉妹が歩いたり走ったりしている単純な画像と、最後はフレデリックとメアリーも出てきて整列するというものである。「世界名作劇場」エンディングは単純な画像が多いが、「愛の若草物語」もこの例に漏れずに背景は緑一色である。ただこの時のキャラクターの動きが「南の虹のルーシー」の時と同じくコミカルで見ていて非常に楽しい、ルーシーやケイトのように派な追いかけっこをしたりしないが、皆が走っている姿は思わず「何を急いでいるんだい?」と聞きたくなってしまうような感じである。
 それにしてもエイミーの後ろに全員が隠れているというシーンは面白いけど、多少無理があるような…。
 ちなみに、小説版に付属のおまけCDには「夕陽と風とメロディ」の方が、DVD「完結版」には「お父様へのララバイ」の方が収録されている。

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