前のページ「嶮しき道程」トップページ

北リアス線
(乗車ルート:田野畑→宮古→久慈→田野畑)

   
久慈駅では「実物大」と思われるまなちゃんとありすちゃん(トミーテック「鉄道むすめ」三陸鉄道キャラクター)が出迎えてくれる。 

 南リアス線の乗車&撮り鉄を済ませた私は、愛車で国道45号線を北上した。途中宮古付近で日没を迎え、小田代温泉で湯に浸かった後、「道の駅たろう」で車中泊。夜が明けた4月30日、私は三陸鉄道で最も津波被害が酷かった島越駅に到着した。
 北リアス線の活動はまず「撮り鉄」から始めるが、こちらも乗車については南リアス線と同様に未開通で残って区間から乗車となるよう行程を組んだ。よって「乗り鉄」のスタートは田野畑駅となる。

過去に3度、ここから破壊された島越駅の様子を見た。そして4回目の今回において、やっとここで線路がつながっている光景を見ることができた。
震災直後の2011年5月の訪問では、「ここが本当に復旧できるのか?」と思ったが、このように復旧の日がやってきたのだ。
 上記写真をそのまま広角に引いてみる。この谷間の中心にあった駅は、久慈側のトンネルのとこらに移転した。高架橋は頑強な築堤に生まれ変わり、駅付近の様相は一変した。
線路の山側に集落があったが、この集落は高台に移転させられてしまった。この駅の将来が心配だ。
上記写真を撮った位置から左を見れば、まだ津波の爪痕が残っている。この通路が津波に洗われ、柵が落ちてそのままだ。
 駅にはこのような横断幕が、人々が鉄道の復旧を心待ちにしていたことが伝わってくる。
この島越の地は国道から大きく逸れていて、バスへの転換は簡単にできない。その事実を知らない人が簡単に「廃止しろ」というのに、何度心を痛めたことか。
ほどなく宮古側のトンネルから2両編成の列車が現れた。「本当にこの地に鉄道が戻ってきた」と実感した瞬間であった。
 列車はゆっくりとこの築堤を渡ってくる。その間に広角に構図を変えて2枚目を撮影。後ろに見える民家は、ずっと様子が変わらない。
島越駅に進入する構図に変えて3枚目。車両は昔ながらの36-100型または36-200型。三陸鉄道の誕生と同時に生まれ、30年間に渡り三陸の「顔」として活躍してきた。私もこの地でこの顔を見ると旅情を感じる。
 上記の列車が去ると急いで撮影場所を変える。隣の田野畑で宮古行きとすれ違うからだ。カメラを構えると36-700型がすぐやってきた。ホームではたくさんの学生が列車を出迎える。
列車はホームにいた学生を飲み込むと、すぐに発車。こちらもゆっくりと出発する。
 加速がゆっくりなのでシャッターを切る回数がどうしても増える。後で知ったが、この築堤ではまだ道床が固まりきってないので、現在は徐行運転中とのこと。
36-700型は昨年の南リアス線一部復旧によって南リアス線に配備されたが、これに続いて今年は北リアス線にも配備された。
最広角で最後の一枚。車内をのぞき込んだら結構人が乗ってる。どう見てもバスで受け止められない客の数だ。
賑やかに見えるけどこれでも経営が厳しいのが地方鉄道の実情、テレビドラマの舞台になり観光客が増えるという「追い風」が吹いても、やはり辛い。
島越駅での「撮り鉄」を終え、愛車を田野畑駅へ向けて走らせた。途中にあるこの水門は相変わらずだ。

次のページ