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ここは2011年春の旅行で軌道上を歩いた区間。当時は線路は流されてしまいその姿はなく、路盤のど真ん中に道を塞ぐかのように業務用の冷蔵庫が落ちていた。この区間は復旧からすでに2年が過ぎている。
 陸中野田駅、ここからは震災からわずか5日で運行を再開した区間。線路は半島の付け根の山を越えるため津波の被害が皆無だったからだ。
とはいえ、あの大災害の中にある鉄道が被災からわずか5日で一部区間でも鉄路を復活させた事実には、敬意を表さずにはいられない。そしてその挫けずにに立ち上がる鉄道の姿があったからこそ、この全線復旧という結果があるのだろう。
駅に停車するとすぐにすれ違いの宮古行きがやってきた。
震災直後の旅行でこの先の区間の乗車している。そのときは列車は単行ばかりで列車本数も少なく、乗車の行程を組むのは大変だった。
それが今は見事に復活している。
 3年前の旅で同じようなカットで写真を撮った。あのときは単行、今は2両編成、あの頃に比べたら「活気」はまるで違う。鉄道の有無はそのまま地域の活気につながっているのだ。
車窓に北リアス線の車両基地が見えると、列車は減速して久慈駅に飛び込む。
久慈駅に到着。この車両は行き先表示を「宮古」にしているが、このまま車庫でお休み…。
久慈駅は「あまちゃん」一色、駅待合室のBGMまでその関係だった。あのテーマ曲、ノリが良くて好きなんだ。
この駅舎、「あまちゃん」で「北三陸駅」として登場、昨年末には「北三陸駅」として紅白歌合戦にも登場した。駅だけじゃなくて街も「あまちゃん」だらけだったなぁ。
田野畑へ戻る列車では、久慈駅名物「うに弁当」を食べながらの旅だ。危なくこの日の分が売り切れるとこだった。
その「うに弁当」の中身、後になってこの写真を見るだけであの味がよみがえってくる。
最後に田野畑まで乗った列車は、なんと3両編成。珍しくワンマン運転ではなく車掌も乗っていた。
先頭のお座敷車は団体客の貸し切りで、我々一般の客は後方の2両に乗車。
田野畑駅を出て宮古へ向かう3両編成、まさか3両編成が見られるなんて思ってもなかったなぁ。
「乗り鉄」のあとは「撮り鉄」だが、この場所での撮影は失敗。列車が来るまで前に電柱があることに気づかなかった…。
電柱がなければ、三陸鉄道の列車と海が一緒に撮れる良い風景なんだけど、こればかりは仕方がない。
島越から宮古側にあるトンネルを一つくぐっただけで、このような山の中に出てくる。こんな「人跡希な秘境」感のある写真が、比較的手軽に撮れる場所だ。
ただ列車の足回りが切れてしまうが。

この写真を撮るための準備をしている頃から雨が降り始め、予定より早くこの日の「撮り鉄」を切り上げざるを得なくなった。「撮り鉄」が不完全燃焼だったこともあり、この夜にもう一度三陸鉄道の客になることになる。

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