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「夜鉄」のススメ
(乗車ルート:久慈→田野畑→久慈)



 2014年4月30日、私は北リアス線で「撮り鉄」「乗り鉄」の活動を行っていたが、午後から雨となり「撮り鉄」は途中で中止としたため、今回の北リアス線での活動は不完全燃焼であった。
 そこで「乗り鉄なら雨でも可能」という決断を下し、この日の北リアス線フリー乗車券を持っていたこともあり、夕刻から再度北リアス線に乗るべく、急遽計画を立てた。
 だが翌日の行動予定を考えるとこの日のうちに久慈へ愛車を回送し車中泊としたいこと、前ページの「宿題」をこなす問題、さらにこの日の夕食や入浴の問題などを考えると、「撮り鉄」の中止を決断した島越駅付近からの「乗り鉄」再開ではどうしても効率が悪い。
 そこで田野畑での「宿題」を済ませた後、途中で入浴と食事を済ませながら愛車で久慈へ移動し、「道の駅 久慈」に愛車を置いて車中泊の準備を済ませてから、平日のみ運転の最終列車で久慈から田野畑まで一往復することとした。
 ここからは今回の三陸鉄道での活動の最後に、夜の列車で北リアス線の北半分を一往復した記録である。

田野畑で「宿題」を済ませてから、まず愛車を山中へと向け新山根温泉の日帰り入浴施設でこの日の汗を流し、さらに久慈市街に出てから夕食を取った。
そして20時少し前、私は昼間に来た北リアス線久慈駅の待合室に立っていた。既に久慈駅は待合室以外は閉じられていて、私が乗ろうとしている最終列車を待つ人もなく、ひっそりとしていた。
19時58分、宮古からの列車が到着。これがそのまま折り返し20時27分発の田野畑行き最終列車となる。
列車がホームに入ると高校生を中心とした客が乗り込んでいった。私は関西から来たというライダーの人と話し込みながら発車を待つ。
列車は定刻に久慈を発車する。これから1時間50分に及ぶ「夜の鉄道の旅」…略して「夜鉄」の始まりだ。
この夜の鉄道旅行を通じて出会った幻想的な光景を、ご覧戴こう。
列車は久慈を出ると、小袖海岸がある小さな半島の基部を走るため、峠越えとなる。前照灯の灯りが当たっているところ以外は、完全な闇だ。
これは陸中野田駅出発時の光景。闇の中で赤く光っていた信号機の灯りが、青に変わると発車だ。
私と話し込んでいたライダーさんは、夜9時には久慈に戻りたいと言うことで、ここで折り返していった。
ここは陸中野田駅と野田玉川駅の間、津波で軌道が流された場所である。山側には家の灯りが殆ど見えず、この地を襲った災害の爪痕を感じた夜景だ。
併走する国道45号を行く自動車のテールライトの灯が、夜の旅の旅情を盛り上げる。
青い信号機の灯りが後方へと流れ去ると、前方には駅の灯りが見えてくる。次の野田玉川駅では対向列車とすれ違いだ。
闇夜に浮かぶ野田玉川駅のホームの灯り。停止している自動車は列車から降りてくる家族を待っている。この光景もまた夜の旅情だ。
到着からしばらくすると、線路が続く闇の中にヘッドライトの光が浮かび上がる。久慈へ向かう対向列車だ。
対向列車が停止すると、こちらの信号機がすぐに青に変わる。すると列車の扉が閉まり、列車はまた闇の中へと進み出す。
闇の中に灯る信号機の青い光、その向こうに広がる漆黒を前照灯が照らし出す。ここからは海辺の森の中を走る。
谷間にある小駅である白井海岸駅の光景。周囲に家の灯りはないが、駅の灯りが頼もしいこと。
夜の鉄道ではトンネルの闇の方が屋外の闇よりも明るい。コンクリートの壁が列車の灯りを反射するからだ。

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