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3.「冷房準備車」千代田線6000系
この精悍な表情が千代田線の「顔」だ

 子供の頃、大好きだった電車の1つがこの営団6000系である。幼少期に読んだ図鑑ではまるで未来の地下鉄かのように描かれていて、そのまま憧れの電車の1つであったのは事実である。その頃は「ちよだせん」という地下鉄が何処を走っているかも知らなかったが、他の電車にはない片目を瞑ったような斬新なデザインが妙に印象に残った。
 小学校に上がった後に、その「千代田線」が東京の地下鉄であることを知った。そして家族で常磐線方面に出かけた折、自分が乗っていた常磐線快速がこの電車を追い抜いたのが「出会い」であった。本で見た通りの斬新なデザインの電車に「乗ってみたい」と思ったのは事実だ。
 千代田線に初めて乗ったのは小学3年生位か、都心方面へのお出かけで千代田線に乗ることになり、この6000系に乗れると期待した。だがその日にやってきたのは国鉄の103系。東西線で乗り慣れた電車と色違いなだけでがっかりした記憶がある。
 同じような理由で何度か千代田線に乗ったが、その都度来る電車は国鉄の103系だったり、小田急9000系(これはこれで好きな電車だから嬉しかったけど)だったりしてなかなか6000系に当たらなかった。小学校高学年になって一人で地下鉄を乗り回すようになったとき、千代田線に乗ろうとしたら来たのは103系、いい加減にしろと一本見送って初めて6000系に乗った。乗ったのは初期車で、5両ブチ抜きの広幅貫通路がものすごく印象に残った。
 これを機に、子供時代は千代田線で様々な6000系に乗った。千代田線の列車増強に従って、長期にわたって新造されたので様々なバリエーションが発生していたのだ。高校を卒業して就職すると、職場が東武線だったので用事があって回り道するときに千代田線に乗った。当時の6000系は冷房改造され、最後の増備がされていた頃だ。大きな冷房機が屋根上に載ったことで、6000系独自の軽快感がなくなってしまったのは残念だ。

 営団6000系は東西線の次の新路線の千代田線用として開発された。この千代田線には当時最新のチョッパ制御や回生ブレーキなどの新技術をふんだんに投入した新型車の導入を決定した。そのための試作車が登場したのは1968年、3両編成を組んで東西線で試験運転されていた。
 千代田線の最初の開業は1969年、だがこれに6000系の開発が間に合わず、千代田線には東西線と同じ5000系が投入された。そして2年後の1971年に千代田線が霞ヶ関まで開通に6000系の開発が間に合った。同時に千代田線は10両編成運転となり、5両編成だった5000系は2編成繋いで10両とした。同時に国鉄常磐線への乗り入れも始まり、103系も常磐線から乗り入れて来た。
 そして、千代田線の延伸に合わせて6000系が増備される。千代田線が代々木上原に達して全通した1978年の段階で21編成が存在した。ここまでが6000系でも側面窓が小さく広幅貫通路を設置した前期形である。しばらくはこの陣営で千代田線で活躍した。
 1981年、5000系の項で説明したように東西線の輸送力増強が迫られた。そこで千代田線を6000系で統一し、捻出した5000系を東西線へ転属させることになった。この時に6000系は大幅なモデルチェンジがされる、広幅の貫通扉は普通の電車と同じ狭幅の物となったのは残念だったが、小さくて地上区間では車内を暗くしてしまっていた側面窓は大きい一枚窓になった。このモデルチェンジでさらに軽快感が増して洗練されたスタイルになったと思う。屋根上を見ればいつでも冷房装置が載せられるよう準備がされていて、冷房機のために開けられた穴には大きなベンチレーターが載っていた。
 このモデルチェンジされた6000系は、その後の千代田線輸送力増強のたびに増備が続く。最終的には1990年の35番目の編成まで増備が続き、最終編成は東西線に05系が投入された後でその技術が流用されたものであった。
 その後、全編成に冷房改造がされ、前期形も広幅貫通路が狭幅に改造されて6000系の特徴が消えた。さらに前期形でも一枚窓に変えるものや、制御装置を現代のインバータ制御方式に変更したものがでてきた。それでもここ数年は老朽化に勝てず、東京メトロ化後は16000系という次世代の新車が投入され始めたことで廃車が始まることになった。引退した車両はインドネシアに運ばれ、彼の地で通勤電車として使用されている。

 模型の世界でもこの斬新な電車は早い時期から市場にあった。5000系と同じく最初はしなのマイクロという会社から前期形が発売されていたが、5000系と同じ理由で私はこれを手にすることは出来なかった。グリーンマックスが前期形の板キットを出していて、これが欲しかったが気が付くと店頭からなかった。散発的にグリーンマックスのショップ限定で出てくることはあったが、4両基本セットだけで編成にならないので見送った記憶がある。
 続いて出てきたのは一枚窓の後期形の板キットであるが、これは側面の印象があまりにも実物と違うのでパスした。正直「ドアと窓がでかすぎる」と感じたのだ。
 そして2009年夏、マイクロエースから営団6000系の後期形が発売される。使用は二種類、冷房改造や更新工事行われた「東京メトロ」の現行仕様と、もうひとつは1980年代の冷房改造前の姿。もちろん私が欲しいのは後者であったが、ちょうど時期的に他の欲しい模型を買ってしまった後なので手が出なかった。この6000系は足が速く、あっという間に店頭から消えてしまい入手を諦めていた。
 ところが昨年になって、中古がネットオークションで格安に出ているのを発見。「この価格なら…」と思い入札したらその価格で落札出来た。ハッキリ言って発売時に新品を割引率の高い店で買うより安かったと思う。届いたものは車両自体はとてもきれいだし、ステッカー類も未使用、ケースは基本セットに10両ウレタンを用いて1箱化という「どちらにしろ自分でそうしようと思った」仕様である。こんな良品があの価格で手に入ったのは驚きである。
 だが予算ギリギリで買っているので、TNカプラー化などはしていない。連結面は見られないほどではないがこれはいつか替えたいと思っている。箱を開けてみてショックだったのは行き先表示ステッカー、80年代を象徴する「緑色の行き先表示」ではないのだ。これでは冷房改造時代の6000系にはならないのでは…マイクロエースで珍しい「考証エラー」であるが、格安中古なので文句言えない。
 全体的な印象把握は悪くないが、ちょっと気になるのは先頭車の運転席入り口ドアから前の部分が間延びしている点だ。このせいか前頭部のダミーカプラーが奥まっていて上から見ると見えないほど。私はダミーカプラーを前に詰める加工を行い、少し「見られる」顔にした。この加工をすると運転室ドアから前の「間延び感」も若干であるが緩和された。側面は6000系後期車の雰囲気を上手く出していて、あの頃の千代田線を思い出す。
 今後はどうにかして昔のグリーンマックスのステッカーを探し、80年代の行き先を入れたい。昔の確か「NEW電車ステッカー」で、近鉄や営団の行き先表示類をまとめたステッカーなんだけど、どっかにないかな…。ステッカーが手に入れば千代田線らしく「綾瀬」を入れたいし、「準急 本厚木」もいいかなと思っている。。

6000系を斜め前から
この角度だと「間延び感(本文参照)」は目立たない。側面の印象がとても良い。
先頭部のクローズアップ
この角度だと「間延び感」が目立つなぁ。皆さんどう思います?

80年代の千代田線、小田急9000系と並べた。
千代田線に乗ると、このどちらかが来ると嬉しかった。103系は?
中間の簡易運転台
綾瀬工場を見学した際、一度だけこれが先頭になってヘッドライトを点けているのを見た。


4.その他写真展

 我が家の地下鉄車両をレイアウトで走らせてみた。地下鉄らしくない景色が多くて違和感があって楽しかった♪
 また「地下鉄スペシャル」で遊びに行きたいね。

本記事の模型車両撮影に使った貸しレイアウト
東京都西多摩郡瑞穂町「ファインクラフト」さんです。
(JR八高線箱根ヶ崎駅徒歩20分・駐車場完備)

 高架橋を行く500形編成、背景の山のせいでとても違和感が。営団地下鉄にはこういう景色はなかったからなー。
 背景の山がなければ後楽園駅の雰囲気が出るんだろうけど。
 上から見た500形、この電車を上から見る機会は全く無かったのでとても新鮮な光景だ。
 架線が要らないけど、第三軌条がないからやっぱおかしいというのはこの際置いておこう。
 築堤を走る丸ノ内線って、やっぱ「ありえねー」という世界ですね。丸ノ内線も比較的地上区間が多い路線だったが…。
 次のお出ましは、都営地下鉄5000形。この電車も幼少時代の思い出だ。この昔ながらの色は小さいときからの地下鉄の記憶。
 この模型についてはこちらをの下の方を参照。
 そして6両編成のうち2両は1981年以降の新塗装車としている。これは一人で出かけるようになった小学校高学年時代以降の記憶。
 この2種類の塗装が混じった編成が好きだった。あと編成中間の運転台に閉じこもるのが好きだった。
 同じ「5000」でもこちらは営団地下鉄東西線。やはり築堤は似合わない、この電車は高架橋の上と地下の下が似合う。でも丸ノ内線とは違い、地上が板に付いていると思う。
 トンネルから飛び出すこの風景は、東葉高速鉄道の景色って言ったところか。でも非冷房車って東葉高速に乗り入れていたっけ?
 いずれにしろ、模型の再現時代は80年代中頃だけど。
 個人的に営団地下鉄の2大名車だと思うコンピ。赤い車体にサインカーブの500形と、左右非対称デザインの6000系は営団地下鉄が生んだ素晴らしいデザインの電車と思う。
 6000系デザインは他の車両にも広く拡がっている。
 この並びを角度を変えてみてみた。
 6000系がいつか「地下鉄博物館」で保存される日は来るのだろうか? 300形のトップナンバーと、6000系先頭車のレプリカなら今もある。
 築堤を走る営団6000系を見ていると、小田急線でのワンシーンを思い出す。
 小田急ロマンスカーを並べたら似合いそうだ。
 そして千代田線トリオの2車を並べてみる。どちらも70〜80年代を代表する通勤電車のひとつだ。
 かつて、千代田線と小田急の乗り入れは平日だけで、小田急線で千代田線の電車を捕まえた記憶はない。逆に夏休みなどに平日出かけた時に、千代田線で小田急の車両に乗った記憶はある。小田急車が1日中千代田線を行ったり来たりする運用も記憶にある。

 以上が私の「地下鉄の記憶」だ。

 営団地下鉄の車両はまだまだ集めたい物がある。マイクロエースから3000系も欲しいが今出ている物は自分の思い入れにないので見送っている状態。7000系や8000系も05系も同様だ。03系は欲しかったがお金が無くて断念。
 KATOからは01系が出ているが、「営団地下鉄」の仕様ではないので見送っている。01系も実物初登場の際にどうしても乗りたくて、銀座線浅草駅で何十分も待って乗った少年時代の記憶がある。
 営団地下鉄に乗り入れていた車両も、営団側が作る技術とセンスに裏打ちされた車両に対抗すべく華やかな顔ぶれだ。今回写真を紹介した小田急9000形だけでなく、日比谷線に乗り入れていた東武2000系や東急7000系もとても印象深い。模型では東武2000系がやっと「鉄道コレクション」の事業者限定バージョンで出たが、西武401系と重なって見送っらざるを得なかったのは記憶に新しいところだ。東急7000系はグリーンマックスのキットを組みたいと昔から思っていたが、今はそのキットが入手困難という有様。有楽町線については、少年時代の思い出(営団成増開業時頃まで)ではどこにも乗り入れをしていない単独時代が強いので、営団乗り入れ車としての西武6000系や東武9000系には印象は無い。半蔵門線に乗り入れている東急8500系も、機会があれば80年代の仕様と編成で揃えたいとは思っているが、グリーンマックスの完成品がバカ高くて手が出ない。
 国鉄からの乗り入れ車も、東西線の301系、東西・千代田双方の103系1000番台、千代田線の203系など印象深いが、どれも発売されたときは他に欲しいのと重なり見送ったままだ。来春発売予定の東西線乗り入れの103系1000番台車は、私が鉄道関係の仕事にデビューした車両というとても思い出深い車両が組み込まれているので、予算を組んだ(でも今年の西武ラッシュのせいで、もう向こう1年の模型予算はほとんどない、これからどうなることやら…)。

 でもこれからも、東京の地下鉄を巡る車両達は予算が許す範囲内で、コレクションの対象としてゆくことだろう。


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