北海道方面 3 JR北海道一般型気動車 キハ54系
(グリーンマックス Nゲージスケール)
嗚呼 懐かしのヘッドマーク付き列車

ヘッドマークを付けたキハ54系「礼文」と「きたみ」
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1.はじめに

 唐突だが、北海道の鉄道といえばどんな列車を想像するだろう?
 ある人にとっては大平原をトコトコと走る単行の気動車であり、ある人にとっては青や茶色の客車を連ねた客車急行であったり、本州接続の使命を帯びた気動車特急かも知れないし、札幌という大都会を結ぶ通勤電車を思いつく人もあるし、北海道の都市と都市を結ぶ振り子式のステンレス製高速気動車特急だったりするだろう。それは世代や土地への思い入れ、そして旅の思い出によって人それぞれなのは当然であろう。
 私にとって北海道に懐かしい列車はたくさんある。
 そのうちのひとつが北海道のローカル線で活躍するステンレス製のキハ54形である。そのキハ54の中でも、その車両の走りとたくましさと装飾が強烈に印象に残っている列車が今回紹介する列車である。
 その名は「礼文」と「きたみ」。
 「礼文」は以前紹介したかつての宗谷本線の急行列車「宗谷」「サロベツ」を補完する列車として旭川〜稚内間に運転されていた急行列車である。下りは札幌を早朝に出た特急に接続して旭川を出発して昼頃に稚内に着き、上りは夕方に稚内を出て旭川で札幌着が深夜になる特急に接続するという、前述の札幌直通急行が無い時間をカバーして、札幌から道北各地へ「日帰り」というチャンネルを設定していた。車両こそは「宗谷」等より格が落ちるキハ54形であったが、その走りは他の急行列車と違いはなく、キハ54形の底力を見せつけてくれる頼もしい列車だった。この「礼文」は特急「スーパー宗谷」に格上げされて発展解消したため、現在の宗谷本線にその姿はない。
 「きたみ」は旭川と北見や網走を結ぶ石北本線旭川〜北見間を走る特別快速列車であった。札幌と網走を結ぶ石北線特急「オホーツク」を補完する列車として、石北線の特急が穴となっている上りの北見午前発→旭川昼前着、下りの旭川午後発→北見夕方着のダイヤで運行された。かつては特に旭川〜遠軽間で特急に匹敵する停車駅とダイヤで運行され、北見峠や常紋峠といった難所を一般型気動車とは思えないパワーで持ってぐいぐいと上っていく走りは、他の路線の同型式では見られないものだった。その「きたみ」もいつしか「特別快速」を名乗らなくなり、他のローカル列車と同様にワンマン運行となって、特に遠軽〜北見間で大幅に停車駅が増やされて他の快速と変わらなくなってしまったという。
 私は北海道へ行くと、このキハ54形の「マジな走り」を堪能したくてこれらの列車を積極的に行程に組み入れていた。そして乗ったときの私の「いつもの場所」は運転席横の助手席側、そう、かつてのキハ54形は運転室助手席側が完全解放で前面展望が気軽に楽しめたのである。よって私はこのキハ54形で座席に座った記憶があまりない。その開放タイプの運転席助手席側もワンマン運行によって立入禁止になってしまったため、今はキハ54形に乗る楽しみが半分以下になってしまったと私は思っている。それでもまだ最後部は開放しているのが唯一の救いだが。
 今回はそんなキハ54の模型を紹介しよう。時代設定は1990年代初頭の北海道である。

2.実車解説

 キハ54形の登場は国鉄の分割民営まで半年を切った1986年(昭和61年)11月のダイヤ改正である。この時、国鉄は民営化後に特に経営が厳しくなるであろう北海道・四国・九州の3地区に集中的に一般型気動車を投入することになった。それまでの国鉄形気動車の概念にとらわれず、民営化されたときのさらなる合理化に対応できる車両でかつ、可能な限り国鉄で手持ちの廃車部品やバスなどに利用されている汎用品を流用できる設計であった。
 また全国統一形ではなく、基本は同じでも地域や用途によって車体や性能が違うものを投入できるように設計上の工夫をした。こうして生まれたのが九州地区に中型のキハ31形、四国地区に小型のキハ32形と大型で機関を2台装備するキハ54形、そして北海道地区に四国のキハ54形を基本に北海道の寒さに対応できるものとしたキハ54形500番台が登場した。ここからは基本的に北海道に絞ることとして四国形との区別をせず単純にキハ54形と呼称することにする。
参考写真・四国のキハ54
 北海道向けのキハ54形500番台は、外観こそ四国のものとあまり変わらないが、車内はセミクロスシートとされて国鉄標準の直角座席をやめてバケットシートとなり、出入り口はデッキで仕切ることとした。将来のワンマン運転に対応するために運転席助手席側はオープンデッキとなり、ワンマン運転に必要な機器類はいつでも取り付けられるように準備工事がされていた。またこれらの装備の他、最後の3両のみは座席がオール転換クロスシートとした「急行仕様」として登場した。
 北海道向けキハ54形は29両が製造され、当初は函館・札幌・旭川・釧路の各鉄道管理局に投入された。最初は函館所属の車両は函館本線と江差線で、札幌(苗穂)所属の車両は札沼線と函館本線の通称「山線」で、旭川所属の車両は函館本線・上砂川支線・歌志内線・富良野線で、釧路所属の車両は現在と同じで根室本線釧路以東と釧網本線で活躍した。また急行仕様は旭川局配置となり、宗谷本線の急行「礼文」と急行「大雪」の臨時便(のちの特別快速「きたみ」)に使用されることとなった。釧路配置のものと急行仕様以外はその後使用されてキハ54形が旅情として定着する路線とは全く違うという点が面白い。また急行仕様以外でも、釧路所属のキハ54形が急行「ノサップ」の運用に就くが、分割民営後まもなく快速に格下げされてしまう。
 キハ54形は大きな変化もないまますぐに国鉄分割民営を迎え、JR北海道に引き継がれた。JR化後しばらくすると函館と札幌の車両は転属して旭川と釧路に集中配備という体制に変わった。これによって留萌本線や時には深名線でもキハ54が見られるようになった。
 1988年(昭和63年)には旭川と北見を結ぶ急行「大雪」臨時便を格下げした特別快速「きたみ」が登場、この運用にキハ54形が抜擢されて専用車が登場した。車内にはマガジンラックと飲料の自動販売機が備えられて、特急並の長距離を走る列車としての設備を充実させた。車体には北見観光協会のマスコットキャラクターが描かれ、地元と一帯となった列車運行を利用者に印象づけた。キハ54形に特別なマーキングが入ったのはこの「きたみ」専用車が最初である。
 1990年(平成2年)頃になると、まず釧路の車両からワンマン化が始まり、キハ54形はそのワンマン化の筆頭となって道東地区のワンマン化に貢献した。続いて旭川の車両も続々とワンマン対応となって、急行とワンマン未対応の深名線以外ではステンレスのキハ54から車掌が消えた。
 1993年に富良野線に新形式のキハ150形が投入されると、富良野線で活躍していたキハ54形は宗谷本線音威子府以北の運用にも使用されるようになった。こうしてキハ54形の活躍線区は現在と同じものとなり、特に旭川所属車の宗谷本線運用車と釧路所属車には使用路線のロゴマークが入るようになった。
 この頃からキハ54形も様々な改良が加えられることになる。まず釧路所属車に車内のボックスシートを撤去して特急形のキハ183系の改造時に発生したリクライニングシートに変更した物が現れた。これは特に釧路〜根室間におけるバスとの競争のためと言われている。その後、最近になって前述の急行仕様車以外にも転換シートに換装された車両が出てきている。
 続いて床下機器類の交換が行われた。これは製造時に製造コスト低減を狙ったために廃車の発生品を使っていた部分が多く、その部分の老朽化が進んでいたことによるものである。台車、変速機、推進軸、ブレーキ装置が新品に交換されて最高速度も95km/hから110km/hに引き上げられた(ダイヤは95km/hのままだが)。同時に車体の帯色を従来の赤からピンクに変更した車両も現れ、キハ54形は現在の新型車並の性能を持つ車両として生まれ変わった。
 現在もキハ54形は事故廃車などは無く、全車両が北海道の北の外れと東の外れで活躍している。

北海道のキハ54・珍しく「利尻」に連結され札幌駅に来た時の写真

3.模型について

 北海道のキハ54形のNゲージ模型は長らくキットも完成品もなかった。私としては北海道の思い入れのある形式だけに欲しくてたまらなかったが、自作する腕もないために諦める日々が続いた。やっとガレージキットとして市場に出てきたときは暇も金もなく、また一部製品はキットとは思えない高額だった事もあって挫折した記憶はまだ新しい。
 そんな中、当時完成品の商品展開を始めつつあったグリーンマックスより突如としてキハ54形が出てきたのは2003年。しかし既にNゲージはある時にあるものを買わないと二度と手に入らないという時代にさしかかってきており、他の欲しい物と比較検討した結果涙を飲んで諦めた。理由は価格がそんなに高くないので見付けたときに買えると思ったこと、グリーンマックスだからいつかは再生産があると踏んだためである。しかし「急行仕様」が限定版と知ったときの悔しさは無かったなぁ。
 世の中は便利な物で、ネットオークションというシステムによってキハ54形を思ったより安く入手できたのはほんの数ヶ月前のお話。しかも一般仕様も急行仕様も両方とも手にすることができた。急行仕様はできるものが限られるからともかく、一般仕様をどう料理するかが問題となった。
 グリーンマックスはM+Tの2両セットの形態で出してきた。つまり運転するにはどうしても2両セットになってしまうのである。M車もヘッドライトが片側にしかなく、改造で両側点灯は可能ではあったが、その際はヘッドライトの基板や電球だけでなく、ライトレンズなど外観に関わる部分までも移植せねばならず、T車を丸々1両廃車せねばならなくなってしまう。つまり車両を有効的に活用するならば2両編成の列車がいいということになる。
 私は2両編成の一般型キハ54形というとすぐに頭に浮かぶ列車があった。旭川と北見を結ぶ特別快速列車「きたみ」である。あの力走を模型で再現しよう、そう思って車号の設定や装飾を開始した。前面には商品付属のヘッドマークを掲げ、2両のうち1両は「きたみ」独特のシンボルマークを取り付けた。ヘッドマークについては以前紹介したキハ400形同様に薄い塩ビ板に大まかに切ったステッカーを貼り付け、塩ビ板ごと形を切り出す方法にした。行き先サボは付属のステッカーだけでは枚数が足りないので何もささず、運転室上部の種別表示器は「快速」とし、ワンマン表示は非表示とした。

我が家のキハ54形一般仕様は特別快速「きたみ」 大型のヘッドマークが目立つ

 続いて急行仕様だが、こちらは箱を開けたところで大問題が発生した。車体の表記がごく最近のものとなっており、私のように1990年代初頭の「礼文」を再現したい者にとっては厄介な存在であろう。それは現在の旭川所属車の特徴である助手席側フロントガラス上部の車号表記である。私はこの部分に車号が入るようになってからのキハ54形旭川所属車を知らないのだ、縁もゆかりもない時代の姿にしてもしょうがない。
 最初はここの車号をなんとか削り落とせないかと頑張ってみた。しかし文字を削ると一緒にガラスパーツまで削ってしまいそうでひの方式は断念せざるを得なかった。しばし車体とにらめっこの結果、方針が決まった。
 そこで「きたみ」仕様に組み立てた一般仕様を箱から引っぱり出した、一般仕様はこの部分に車号のない釧路所属車にもできるよう、この部分の車号は貼りたい人だけが各自ステッカーを貼るという方式であった。一般仕様を「きたみ」とした私は必ずキハ54形を2両で使うので中間の運転台は顔を出さない。「礼文」も2両セットでの使用だけだから「礼文」の先頭に出る運転台だけ「きたみ」の中間側運転台から車号のないガラスパーツを移植し、「きたみ」中間には「礼文」先頭のものを移植してつければいいと判断した。方針が決まると早速車体をバラバラに分解し、正面ガラスパーツの移植手術を開始した。こうして我が家のキハ54形は完全に2両セットでしか使えないと言うこととなり、中間に封じ込められた運転台助手席には「礼文」「きたみ」とも同じ急行仕様車の車号が入っているという事態になった。これで1990年代初頭の「礼文」ができる!
 後は前述の「きたみ」と同じ手法でヘッドマークを取り付け、種別表示器は「急行」とした。サボは「きたみ」と仕様を合わせるために入れるのをやめた。模型を見ていると最北の地・稚内を目指したあの日や、夜の塩狩峠を旭川へ急いでいたあの日がよみがえってきた。

幕板に赤帯が特徴の急行仕様 「礼文」のヘッドマークのくすんだ感じのオレンジ色が秀逸だと思う

 こんな感じで装飾と小改造をしたキハ54形は、4両まとめてKATO製の4両用ケースに収めた。どうもグリーンマックスのビデオケースは使いづらく119系の時も7両ブックケースにまとめて入れている。グリーンマックスさんにはもうちょっと収納性というものを考え欲しいな…。

我が家のキハ54形・夢のヘッドマーク取り付け運用車の並び

以上が我が家のキハ54形である。これも製品の時代設定と私が再現したい時代設定に違いが生じ、一部苦しんだ点はあるものの、今回はお手軽に行けた方なんじゃないかと思います。
 本当は単行運転可能なキハ54形を手に入れて、北の大地をトコトコ走るローカル列車を再現したいものです。それと「礼文」の3両フル編成も…。

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