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第31章 「不運な白百合姫」
名台詞 「ああ神様、どうかお願いです。この船をあの橋のどの棒杭でも結構です、近づけて下さい。真ん中を通したりしないで下さい。きゃー神様、その前にもう一つお願いがございます。あの橋に近付く前にこの船を沈めないで下さいまし、お助け下さい。私の出来る限りのことはいたしますから、今すぐに!」
(アン)
名台詞度
★★★★
 浸水警報、浸水警報、総員起きて配置に付け! 浸水甚だし、このままだと沈没する! 防水区画突破、ビルジ(汚水)ポンプを動かせ、フル稼働だ! ポンプ稼働するも、浸水の方が早く効果無し! メーデーメーデー、本船浸水せり、付近船舶もしくは人がいたら救助求む! 本船はこのまま橋の棒杭へ向けて航行する! 「(該当の台詞)」 フルアヘッドエンジン(全速前進)! (棒杭に近付く)「ああっ神様!」…よ〜し、総員退船スタンバイ(掛けていた膝掛け等を回収する)! 退船! と同時に棒杭に激突。
…ってまぁこんな感じなのだが、この船で流されているときのアンの台詞、笑うシーンじゃないのにおもしろ可笑しくてなかなか良い。アンの必死さが読み取れるし、神様に祈る順序まで判断し損なって「その前に」とか言っちゃっているのは本当に面白い。この台詞がなきゃ次点欄のマシュウの台詞を選んだが、私にはどうしてもこっちの方が印象に残った。
 アンがボードから脱出し、沈み行くボートを目の当たりにするダイアナ達の様子もいい。呆然と沈むボートを見る3人、無言の後「沈んじゃったわ」と二人に訴えて倒れるルビー、笑うシーンじゃないのに面白く描かれてる。
(次点)「アン、お前のロマンスをすっかり捨ててしまうんじゃないよ、アン。いや、その…ロマンスは少しある方が良いよ。ありすぎても困るが、その…少しは残しておく方が良いよ。」(マシュウ)
…ボートでの遭難騒動に「いつになったら落ち着くんだい?」とマリラ、それに対しアンは「私がロマンスを持ちすぎなければいい」と教訓を語る。それに対してマシュウがアンに静かに言う台詞だ。想像力を捨ててしまったらアンはアンでなくなる、マシュウがそれを一番よく知っているのだ。
名場面 アンとギルバート 名場面度
★★
 名台詞欄で上述したとおり、アンを乗せたボートが沈んでしまうが、その直前にアンはボートから脱出して橋の橋脚にしがみついて助けを求める。程なくアンの友人達がすぐ近くを通り過ぎるが、アンを乗せたボートがタイタニックになるのを目の当たりにした少女達は大声で泣きながら走っていたため、アンの助けを求める声には気付かずに通り過ぎてしまう。
 絶望しかかったアンだが、偶然にもボートに乗って釣りを楽しむ少年の姿を見つける。大声で叫ぶとボートの主はアンの声に気付きこちらにやってくるが、そのボートに乗る人物をよく見るとギルバートだった。そう、アンは最も助けて欲しくないない人に救助されることになったのだ。何処まで行っても不運な白百合姫だ。
 アンを船着き場におろしたギルバードは、「どうもありがとう」と素っ気なく言い残して立ち去ろうとするアンの腕を掴む。そして「僕たち友達になれないかい?」とアンに問う、赤毛をバカにしたことを詫びた上で「あれはもう昔のことだろ?」とアンを説得するのだ…ってやっぱこの男、空気読めないなぁ。それを言っちゃ今更「君の髪はとてもきれいだと思う」と言っても全てが無駄になってしまうのに…。
 「君の髪はとてもきれいだと思う」の言葉に反応はするアン、「仲直りしよう」とさらに詰め寄るギルバードの顔を見てやはり思い出すのは赤毛をバカにされたあの瞬間だった。そう、アンにとってはあれは過去のことではなく、自分が深く傷つけられ未だその傷から立ち直れていない現在進行形の出来事なのだ。それに気付いたアンは厳しい声で「いいえ、私あなたとは仲良しになれないわ!」と言い切る。「それにせっかくだけど、なりたいとも思っていないの!」とアンが続ければギルバートももう我慢できない、「わかったよ、もう二度と仲良しになろうだなんて言い出さないよ!」…あちゃ〜、売り言葉に買い言葉だ。とにかくギルバートは「まっぴらだ!」と言い残してまたボートに乗って去ってしまう。
 アンについては前述したので続いてギルバートの気持ちを考えるならば、アンのピンチを救ったことはアンと仲直りする千載一遇のチャンスと受け止めたに違いない。ギルバートからみればこれまで、アンの助けになるような行動を取ったことは一度もないのだ。だからこそ今回こそはと意気込んだに違いない。だが前述したとおり、ギルバードがアンの赤毛をバカにした件はギルバートにとっては過ぎた話だが、アンにとっては現在進行形という違いがあった。しかもギルバードはアンに対しても「あれは過ぎたこと」と明言してしまったのである。これではアンの気が収まるわけはなく、残念ながらギルバードの言葉の選び間違いでまた仲直りの機会を失うことになってしまったのだ。
 この二人が和解するのって、確か最終回だった記憶が…。
  
今回の命名 新たな命名無し。
感想  今回も典型的な「事件が起きる」と盛り上げておいて、案の定大きな事件になるタイプの話だ。「赤毛のアン」という物語はそうやって「事件が起きるぞ、起きるぞ…」と盛り上げるのが本当に上手い、事件とは無関係そうな物語の妄想から始まるがその物語に「船」が出てくる。続いて妄想から我に返ったアンは仲間達と湖の畔にいる、仲間達とその物語に付いて語り合い目の前に「乗って下さい」とばかりにボートが置いてあるという「事件が起きる」という展開を絵に描いたように進めて行くのだ。そのテンポも非常に良く、事件に必要な要素を次から次へと本当に良いタイミングで出してくる。そしてまさに満を持して事件となるのだ。これが最近のアニメだったら、この途中で回を区切って「次回につづく」になっちゃうんだろうな。
 しかしアンの髪が伸びるのが早すぎるなんて言っちゃいけないんですよね? どう考えてもあのヘアースタイルが元に戻るのは年単位の時間がかかるわけで…毛染め事件は4月はじめ、今回の話はおまれして見ても8月下旬だろう。5ヶ月弱であんな髪が伸びるはずがない。私も同じ位の期間床屋に行かなかった事があるが(10月上旬から翌年3月上旬まで)、三つ編みに出来るほど髪は伸びなかったよ。それどころかそれだけの期間でも後ろで結ぶことすら出来る状況ではなかったし。アンはヅラか? それとも植毛でもしたのか…なぁんて野暮な話はやめておこう。
 ところでアンとダイアナとルビーとジェーンと、おまけにギルバートの釣り竿は何処へ消えたんだろう?

第32章 「生涯の一大事」
名台詞 「マリラ・カスバートが孤児院から女の子を引き取ったと聞いたときは何てバカなんだろうと思ったけど、結局失敗でもなかったようだ。あんな娘をいつも手元に置いておけるなら、私だってもっと幸せな人間になれるだろうにね。」
(ジョセフィン)
名台詞度
★★
 4日間に渡って自分の家に泊まっていた「娘」たちとの別れシーン、馬車で走り去るアンとダイアナにジョセフィンは笑顔で「またおいで、可愛い娘たち!」と叫ぶ。そして馬車が見えなくなると急に寂しそうな表情に変化し、心の中でこう呟くのだ。
 彼女が思ったのは現在の自分の「孤独」についてだろう、この大きな屋敷で一人で住む自分と、田舎の小さな家でアンと一緒の生活を送るマリラの姿を対比させて現在の自分の状況を見つめ直したのだ。そしてアンという娘と暮らすマリラが心の底から羨ましかったに違いない。恐らく自分がもう少し若ければ同じような娘と暮らしてみたいとも考えていたことだろう、しかしそれももう叶わぬ夢だ。こんなジョセフィンおば様の寂しさが、この台詞によって最後の最後に丁寧に演じられたと思う。。
(次点)「(前略)でもね、客用寝室で寝るって私が考えていたほどの事じゃなかったわ。小さいときに欲しかった物でも、大きくなっていざ手に入ると、その半分も素敵に見えないのね。これが大きくなるって事の一番大きな点だわ。」(アン)
…「素敵な物が揃えられきれいに飾られた客用寝室で、客用のふかふかのベッドで寝る」という夢を叶えたアンの感想。なかなか深いぞ。。
名場面 帰宅 名場面度
★★★★
 アンの4日間の都会への旅が終わり、いよいよアボンリーへ帰ってきた。ダイアナの家で馬車を降りると、アンは旅立ったときと同じような笑顔で我が家を目指す。そして玄関の戸を勢いよく開けて「ただいま!」と叫ぶ、するとちょうどマリラは夕飯の支度の最中で、しかも作っているのはご馳走だ。「まさか、私のために作ってくれた訳じゃないでしょ?」とアンが問えば、マリラは「あんたにだよ、長いドライブの後じゃお腹が空くだろうから美味しい物を作ろうと思って…」と答えるとアンは満面の笑みを浮かべる。そしてアンが着替えに部屋を出ると、マリラは「帰ってきて本当に良かったよ、アンがいないととても寂しくて…」と独り言を言う。
 そして夕食中も、食後もアンは今回の旅の話をずっと続ける。そしてそのおしゃべりをこう締めくくる、「本当に素晴らしかったわ、私の生涯の一大事だった気がするの。でも一番良かったことは、家に帰ってくることだったわ」と。この言葉にマリラは一瞬驚き、そして笑顔で「我が娘」を見つめる。
 旅には「帰宅」が付き物で、これを上手に描いたと思う。私も旅というのが好きだが、同時に旅が終わる寂しさと家に帰ってきた時の安堵感もたまらなく好きだ。アンは生まれて初めてこれを経験したと同時に、この旅によってグリーンゲイブルズが「我が家」だという認識をさらに強めることになる。人は帰る場所があるからこそ旅をする、その心理をアンは視聴者に見せつけるのだ。
 対してマリラだが、よく考えればアンがグリーンゲイブルズにやってきて以来、アンが4日もの長期にわたって家を不在にしたのは初めてだった。この間、火が消えたように家の中は静かだったはずだ。その静かな家の中でアンがいない寂しさにずっと耐えていたに違いない。そしてアンが無事に帰ってきたことに安堵し、さらにアンの方も家に帰ってきたことに安堵している様子を見て、自分たちが「アンが帰るべき場所」となった事に喜びを感じたに違いない。アンとマリラはしばらく別々に暮らしたことで、この二人の絆はさらに深まったのだ。
  
今回の命名 新たな命名無し
感想  アンが初めて住まいを変える以外の旅をしたのだと理解して良いのかな。この物語はアンの旅を中心に描かれているが、終わってみると印象に残るのは帰宅したシーンだ。これは名場面欄参照っと。
 シャーロットタウンでの博覧会って、要は島挙げてのお祭りなんだな。やってることは「私のアンネット」で描かれたロシニエール村の秋祭りと同じようだが、こちらの方がずっと規模が大きいらしい。何てったって移動遊園地が来たり、競馬までやっちゃったりしてるからね。ダイアナは未成年なのに馬券を買っていたようだ、しかも当ててるし。それに対してアンはギャンブルは良くないことと自制している。私はどっちかってーとアンと気が合いそうだが…でもギャンブルはほどほどにはやってましたよ。損しても笑って済ませられる程度だけ。
 でダイアナはどっちかっていうと都会派で、アンは自然の側にいたい派なんだという事もよく分かる。確かに都会じゃアンのように季節の風にまでロマンチックを求める人間じゃ何も想像できないだろう。ダイアナは現実派でありつつ想像の世界も好きという、アンの対極にいるくせにその対極に興味がある…よく見ているとなんでこの二人が名コンビなのか分かるという話でもあるのだ。
 さて、そろそろアンが15歳に成長する前の終盤ということになるんだな。

第33章「クイーン組の呼びかけ」
名台詞 「そのことなら心配しなくて良いと思うよ、アン。マシュウと私があんたを引き取って育てることにしたとき、出来るだけのことはしてやろう、教育も疎かにすまいと決心したんだよ。ねぇ兄さん、そうでしたね? 私はね、女の子はその必要があろうとなかろうと、自分で暮らしていけるだけのものを身につけておくべきだと思うよ。マシュウと私がいる限り、グリーンゲイブルズはあんたの家だよ。だけど世の中のことは当てにならないから、何が起こるか分かったもんじゃないしね。備えをしておくに越したことはないよ。だからあんたが行きたければ、クイーンのクラスに入っていいんだよ、アン。」
(マリラ)
名台詞度
★★★★★
 マリラはアンに昼間ステイシーに言われたことを話す、アンをクイーン学院へ進級させるクラスに入れる気があるかどうか聞かれたということだ。無論マシュウもマリラもステイシーには「本人次第」とでも言ってあるのだろう。この話を聞いたアンは進級して教師になりたいという夢があること、だがクラスの仲間が進級の準備の話を始めても自分はその話に加わらなかったことをマリラに告げる。そしてその理由を学費がたくさん掛かるからとするのだ。それに対してのマリラの返事がこれだ。
 アンは自分は孤児であってマシュウやマリラに引き取ってもらった身だ、だから自分から「上の学校へ行きたい」と言い出しにくかったことは容易に想像できよう。マシュウとマリラの経済状況がどうであれ、自分からは言い出せない立場だと思っていたのだ。だがマシュウとマリラは28章の最後の方で一度示されてはいたが、アンには出来る限りのことをしようという決意と同意が既に出来上がっていた。つまりアンがそれを望むなら上の学校でもなんでも生かせてやりたいという親心があり、それをアンに告げる機会を待っていただけなのだ。その機会が遂にやってきてこのような台詞となった。
 その内容はアンを実の娘同様にしているというものだ、マリラの教育方針である「女の子にも手に職を」という論理で躾けると同時に、例えお金が掛かるにしてもアンの将来について本人の希望を最大限取り入れようというものだ。それが親心であり、マシュウとマリラの愛情でもある。この台詞には特にマリラの愛情がハッキリと見て取れ、本当は「もっと我が儘言っても良いんだぞ」くらい言いたいという事も見え隠れしているのだ。
 またこの台詞の後半部分は、最終回までの間にこのグリーンゲイブルズに良からぬことが起きることも示唆している。こんな細かいところで伏線を張るのも忘れていない、そういう意味でも凄い台詞だ。
 この台詞を聞いたアンは自分の夢が実現できるという事、それにマシュウとマリラが自分を実の娘のように扱ってくれていることが分かり、喜びを爆発させるのだ。
名場面 悲観のアン 名場面度
★★
 納屋で美味しそうなりんごを見つけ、それを食べるアンのところへお手伝いのジェリー・ブートが現れる。そしてアンが食べたりんごを指さし、そのりんごはネズミよけのため猫イラズをいれてあったと叫ぶのだ。アンは自分が死ぬのだと思って悲観に暮れ、ついにはマリラやダイアナに遺書まで書く。
 この時の真剣に死を恐れているアンの様子は笑うところではないのに笑ってしまうなぁ。慌てて水を飲み、マシュウもマリラも留守なのを知って一人で死ぬことを真剣に恐れ、「ダイアナと喧嘩したまま死ねない」としつつも「外で一人で死ぬのは嫌だ」と家を出るのを躊躇ったり、大きくて美味しそうなりんごを食べただけで死ななきゃならないとは不公平だと叫び、「シャーリー家とカスバート家の恥さらしになってはならない」としてベッドで安らかに死ぬべきだと考えて自分の部屋へ移動し、「どれくらいで死ぬのか」を真剣に悩んで「せめて遺書を書く時間は欲しい」と真剣に思い、「顔が黒くなっているかも知れない」と鏡を見たら「死んだ人みたいに顔が真っ青だ」と感じ、「私死にたくないけど、死ななければならないのならグリーンゲイブルズの人間として恥ずかしくない死に方をしよう」と決心する。小一時間掛けて遺書を書いているうちにお腹が痛くなり、ついに毒が回ったかと感じた頃にマリラが帰宅する。そして1時間も平気でいるならなんでもないとした上で、ジェリー・ブート問い詰めて悪戯が発覚する。
 それにしてもこれに時間を掛けたなぁ、まぁ楽しいから良いけど。今見直してみるとあれは悪戯だとすぐに分かる(ジェリー・ブートの表情などを見ると)のだが、当時は本当にアンが死ななくても大変な事になるんじゃないかと冷や冷やしながらみていたものだ。アンは至って本気なのだが、やっぱり見ているこっちはどうしても笑ってしまう。アンが本気になれば本気になるほどである。あそこまで本気になって遺書まで残しちゃうからこそ、こんシーンの存在理由である最後の「死んだ気で頑張る」という言葉に説得力が出るのだ。
  
今回の命名 新たな命名無し
感想  なんだがいろいろと詰め込んだ回だったけど、最後まで見てみるとちゃんとその「詰め込んだ色々」がひとつのオチに収束しているというよく出来た話だ。考えてみれば冒頭のダイアナとの喧嘩は将来の事を語り合ったことが原因だったし、アンがその時点で自分の将来の目標をしっかり持たずにフワフワした状態だった事が理由の一つだ。しかもアンがそれをちゃんと認識している点も話が進んでいくと分かるという仕掛けだ。無論アンにはステイシーのような教師を目指したいという気持ちはあるのだが、それには多大な学費がかかるためにマシュウやマリラが認めてくれるかどうか分からなかったという事、そしてその解決がいつの間にかテーマになっている。
 ジェリー・ブートの悪戯に関しても、ラストシーンをきっかけにアンが「死んだ気で頑張る」と決心するための伏線だ。これについては名場面欄参照。
 それにしても、冒頭のアンとダイアナの喧嘩は本当に上手く描かれていると思う。仲の良い人間同士が喧嘩になる時って、最初から会話の歯車がかみ合っていないことが多く、互いに「何か変だ」と思うことが多いのだが、そんな状況を上手に描いたと思う。あのシーンは見ている方も「こりゃ喧嘩になるな」とすぐ理解できてしまうほどの空気の悪さだ。その空気の悪さに乗じてアンはダイアナにとって突かれたくない過去を追求してしまい、ダイアナはアンの触れてはいけないところに触れてしまう。本当、よくできている。

第34章「ダイアナとクイーン組の仲間」
名台詞 「あんたこそダイアナの気持ちが分かっているのかい? ダイアナは本当にあんたと同じように、先生になりたいと思っているのかね? クイーン学院にはそのために行くんだろう? きっとあんたがあんまり責めるものだから、ダイアナは本当の気持ちを打ち明けられなくなってしまったんじゃないかと思うがね。あの子はあの子で自分に一番合った生き方を探しているんだろうよ。」
(マリラ)
名台詞度
★★★
 ダイアナがクイーン学院への進学を諦めている点についてどうしても納得がいかないアン。その話をマリラにするとマリラは「アンの欠点は物事を自分勝手に考えすぎること」「ダイアナのことはバリーさんがちゃんと考えてるからアンが口出しすべきではない」と答える。それでもアンは「ダイアナの気持ちも確かめないなんてあんまりだ」と反論、それに対するマリラの答えがこれだ。
 アンの話を聞いていると「ダイアナと一緒に進学したい」という自分の希望ばかりで、ダイアナが進学の道を取らないのはダイアナの両親が悪いと決めつけているだけで、ダイアナ本人の気持ちが何処にも入ってないのだ。マリラはアンの話がそのような構図に陥っていることにすぐ気付いたのだろう、同時に昼間のアンとダイアナの会話がどのようなものだったかも見えてきたに違いない。アンはダイアナに対して「一緒にクイーン学院へ」と一方的にまくし立てただけでダイアナは自分の考えを述べる暇もなかったに違いないと…事実そうだったのだが。マリラはアンに「ダイアナの気持ちを見落としている」という事実に気付かせる必要があると考えたのだろう、その上でアンが進むべき道とダイアナが進むべき道は違うということをハッキリ突きつけたのだ。
 この台詞にアンは心から衝撃を受ける。まさか自分が「心の友」の気持ちを無視していたなんて…というか、アンはダイアナの気持ちを自分が勝手に決めつけていたことに気付く。そして前回冒頭の喧嘩も含めて全て自分に非があることに気付き、翌朝一番でダイアナに詫びに行くことにしたのだ。
(次点)「そうだよアン、それにその…アンはもう孤児なんかではないよ。」(マシュウ)
。・゚・(ノД`)・゚・。
名場面 クイーン組課外授業始まる 名場面度
★★★
 いよいよクイーン組の特別授業が始まる、ルビー、ジェーン、ジョシー、チャーリー、ムーディ、ギルバート、それにアンというメンバーで、アンが覚悟したとおりその中にダイアナの名前はなかった。そしてクイーン組以外の生徒達が帰宅する時刻になった、ダイアナはアンの名を呼ぶとアンに手紙を差し出す。アンが手紙を受け取ると「頑張ってね」と一言だけ残して、ダイアナは教室から出て行く。早速手紙を開いて読んでみるアン、その手紙にはダイアナがクイーン学院への道を選択しなかった理由が書かれていた。両親に反対されたからではなく、勉強も苦手だし先生になりたいという希望もない…だがそのことをもっと早くアンに打ち明けねばならなかったと後悔しているのだ。その上で誓いを立て直した通りに心はアンと共にあること、自分の分も頑張ってほしいと締めくくられていたのだ。その手紙の内容にアンは思わず涙を流し、ダイアナの名を呼んで席を立って教室の出口に向かって足が出かかる。が、ルビーに呼ばれたことで我に返るのだ。
 アンがダイアナという「心の友」と違う道を歩み始めた瞬間だ。このシーンを境に世界名作劇場有数の友情物語を演じてきた二人は、違う道を歩き始めるのである。こういう瞬間というのは誰もが少年少女時代に色んな形で味わったことだろう、自分や友の引っ越し、学校でのクラス替え…そしてその最たるものは学校卒業後の進路であり、その結果はどんなに仲の良い友人同士をも引き裂くことになる。その瞬間を感動的に描いたなぁと感心する。
 そしてダイアナ泥酔事件によって付き合いを禁止されたときのように、二人の変わらぬ友情が描かれるのだがこのシーンではダイアナの方がこれを強く持っていることを上手に描く。見ている方は、アンに「ダイアナがそこまで思っているなら大丈夫だよ」と声を掛けたくなってしまう思いに駆られるだろう。
 
今回の命名 新たな命名無し
感想  今回も前回に引き続きアンとダイアナの関係がしっくり行かないことから始まった。前回の毒入りりんご騒動を話したことで仲直りしたようにも見えたが、実はダイアナのアンに対する思いはもっと深いところにあったのだ。つまりそれは「自分たちの将来」であり、これから進むべき道である。ダイアナはアンより先に「自分とアンは進むべき道が違う」事には気付いていたのだろうが、アンが孤児であってそれを理由に進学できないという話になる可能性も考えてそれを言い出せなかったのだ。ところがアンは自分がどうなろうとダイアナと同じ道を進むのだと信じ切ってしまっている。この二人の考えの違いがいよいよ表面化したからこそ二人の歯車が狂い始めていたのだが、今回はその理由を示して二人の違いを吸収し、さらに絆を深めるという展開に持って行った。う〜ん、ダイアナは本当にいい奴だなぁ。
 吹雪のシーンでは「愛少女ポリアンナ物語」42話感想欄で、チルトンにしたのと同じツッコミをしてしまった。だってあの吹雪は危険だろう、だから「すぐ帰ろう」と意見したムーディに向かって「テケミしろ」って言ってしまったまだ…そしたらギルバートがテケミを皆に進言したので一安心、さらにステイシーがテケミを支持したのでこれで一件落着と。でもあの時代のカナダって、田舎でも電気が通っていたのね。それとも「学校」っていう公共施設だから電気が来ていただけかな?

第35章「夏休み前の思わく」
名台詞 「私はねぇ、マリラ。自分が間違っても、それを認めないような人間じゃありませんよ。そんなことはこれまでただの一度もないからね。私のアンを見る目は確かに間違っていたけれど、それも当然だろ? 世の中にあんな風変わりで、思いも寄らない事をしでかす子供なんているもんじゃないからね。まったく他の子供と同じ物差しで計ろうったって計れるもんじゃないよ。この3年間のあの子の変わりようにはまったく驚く他はないけれど、ことに姿がねぇ…随分良くなってきたようじゃないか。」
(レイチェル夫人)
名台詞度
★★
 グリーンゲイブルズに遊びに来たレイチェル夫人をマリラは家まで送るのだが、その道中で二人はアンの成長について語る。レイチェル夫人はマリラに「アンはとても良い子になったね」としみじみと語り、マリラもこれに同意する。そしてレイチェル夫人が思い出したのはあのアンとの初対面の日(第7章)、あのかんしゃくを見たときにかなり不安だった思い出を語る。マリラもあんのそそっかしい点が治るかどうか不安だったと認めると、レイチェル夫人がこう言ってこの会話を締めくくるのだ。
 この台詞にはレイチェル夫人が隣人としてアンを温かく見守り、その成長を上手く語った台詞だと思う。アンは確かに他の子供とは少し変わったところがあり、レイチェル夫人はこんな真っ直ぐと育ってくれるとは思わなかったのだろう。その見込み違いを認めた上で、アンが真っ直ぐと育って落ち着いた少女になりつつあると言い切ったのである。さらに最後にアンがきれいになったことを付け加え、いよいよアンが大人になって行くことをも示唆したのだ。
 この言葉を聞いたマリラの表情は笑顔であった。アンを真っ直ぐ育てられた事を長年の友人に認められたこと、なによりもアンの成長をその友人がちゃんと見ていて理解している事が我がごとのように嬉しかったのだろう。これもまたマリラの愛情だ。
名場面 ダイアナと海で遊ぶ 名場面度
★★
 夏休みのある日、アンは近所の海岸でダイアナと遊ぶ。だからといって何が起きる訳のシーンじゃないが、このシーンが無言で進むのにとても楽しそうで…アニメとしての夏休みの楽しさというシーンが上手に描かれた。さすが高畑監督といったところだろう(別に監督でアニメ見ている訳じゃないが)。
 このシーン、他のシーンと比べると画質が荒いような気がするけど、意図的にやっていたのならネ申だと思う。
 

 
今回の命名 新たな命名無し
感想  色々と詰め込んだ回で、特に事件も起きないので印象に残らないような気もするが、アンとダイアナが海岸で遊んでいたシーンは本放送(あるいは少年時代に見た再放送)で見た記憶がハッキリと残っている。序盤ではアンとクイーン組の仲間がステイシー先生の去就に一喜一憂し、夏休み直前にはアンが日々の勉強に疲れ切っている様子も描かれている。見ている方は「気のせいだろう」と思うけど、劇中で医師が「アンが精神的に疲れているようだ」と言い残して去るので「ええ〜っ!」という感じとなる。それとマシュウが倒れる、マシュウの発作とアンの披露でマリラは気遣いで大変だ。そこへ上手く現れるレイチェル夫人を見ていると、この二人の関係がどれだけ良いものかということが見てとれるだろう。
 冒頭シーンでアンがダイアナと一緒の時でもあまり口をきかないというのはなんかの伏線かと思うが…あれはアンの疲労によるものだという理解でいいのかな? なんかその辺りの話をつなぐのが今回は上手く行ってない。ま、アンはアンですぐ元気を取り戻して「いつものアン」に戻ったから問題はないのだけど、これが学期途中とかいう設定だったら、間違いなくまたダイアナと喧嘩だぞ。

第36章「物語クラブのゆくえ」
名台詞 「いいの! 私、あなたたちの受験勉強だけは邪魔したくないわ。それに私、ハッキリ分かったの。恋人とか、殺人とか、駆け落ちと言った他愛もないことを書いて面白がっていた時代は、とっくに終わってたんだって。そうでしょ? アン。無理だったのよ、形だけクラブを続けるのは。ルビーの言うとおりなんだわ。どうにもならないことなのよ。」
(ダイアナ)
名台詞度
★★★★
 アンたちが「大人になって行く」という現実を嫌でも思い知るのが、今回の「物語クラブ」崩壊の話である。物語作りという本題はしていないにしろ、月に一度細々と活動を続けており、特にクイーン組に入っていないダイアナはクイーン組に行った仲間達との交流の場としてこの活動を楽しみにしていた。ところがある日、そのダイアナが遅刻してルビーが「勉強をしたいから帰る」と言い出したところから「物語クラブ」に黒い影が忍びよる。ルビーはこんな事をやっている場合じゃないとハッキリ言い、ジェーンも「ダイアナが来るまで待たなければ」としつつも物語クラブに限界が来たことを認める。そして二人とも勉強をしていないと不安な状況に陥っている事を認め合い、アンも受験に失敗した夢を見たことを語る。アンが試験の話はやめようと言えば、ルビーはダイアナの遅刻を非難し、ジェーンはダイアナもクイーン組に入れば良かったと言い出す。そしてルビーが「私はダイアナのように暇じゃないから帰る」と言い出し、ジェーンもこれに同意する。アンはダイアナがいない間に物語クラブを解散してはならないと力説し、ダイアナを迎えに行くと部屋が出る。だが扉のすぐ外にダイアナがいて、このやり取りを全部聞いていた。その時のダイアナの台詞がこれである。
 ダイアナは恐らく、自分だけ取り残された気持ちになっていたのだろう。みんな大人になって行くのに自分だけ残されていくような…ダイアナだって音楽の勉強をしており、その合間に「物語クラブ」の活動をしていたのだから取り残されているわけではないのだ。だがその事実がかえってダイアナに「もう昔のように遊ぶのは無理」という考えに至らせてしまったようだ。ダイアナはこのように以前から考えており(33章冒頭シーン)、部屋の中のルビーやジェーンの話を聞いていてこの考えが確固たるものになったのだ。そしてダイアナがこう語ることによって、「物語クラブ」は限界を迎えてついに崩壊する。これはこの4人がまたひとつ成長したことをも意味しており、成長における「負」を描いたシーンの一つだろう。
名場面 マリラの眼鏡 名場面度
★★★
 人間誰しも、ふと「親が年老いたな」と感じる一瞬があるだろう。私もリアルでそんな一瞬を何度も見てしまっている、特に定年退職以降の父の姿を見ていると…劇中で14歳のアンがそんな一瞬を体験する。いつも通り椅子に腰掛けて編み物をしているマリラの後ろ姿だったが、アンがマリラの正面に回って顔を見て驚く。マリラが見慣れない眼鏡を掛けているのだ。
 「驚いたかね?」と聞くアンは素直に驚いたことを認める、マリラは頭痛を医者に診せたら目が悪いのが原因でないかと言われたと説明する。アンは頷くとマシュウを呼びに外へ出る。夕焼けに彩られた外に出たアンだが、玄関先で立ちすくんでしまう。
 ナレーターも解説するように、アンは自分が急に年を取った…いや、急に時の流れが速くなったように感じたのかも知れない。明らかに老いている養母マリラの姿を見て、いつまでも自分がここに来たときのままではないとハッキリ感じ取ったのだろう。このシーンの前にはアイドル・ワイルドの消滅や物語クラブの崩壊を経験したばかりなだけに、今までの物が音をたてて壊れていくような錯覚を感じていたのかも知れない。でも人はこうやって成長するのであれ、この物語がアンという少女の成長を描く物語として良くできているのは、成長による「負」の部分をキチンと描いた点だろう(「ポリアンナ物語」なんかそういう要素がない)。
  
今回の命名 ダイアナとの「ひみつ基地」であった「アイドル・ワイルド」が消滅する。跡地には形見のように「妖精の鏡」も落ちていた。見ていて哀しくなるシーンだ。
 
感想  う〜ん、深い。この話、子供の頃に見た記憶があって、しかも当時全く理解できなかったのを覚えてる(ミニー・メイの通学シーンなんかハッキリ覚えていたし)。つまり「歳を重ねる」ということが良いことばかりでないという現実をアンに突きつけているのだが、そんな内容は小学生じゃ理解できないよな。一般的な小学生なら歳を重ねる=誕生日=プレゼントとケーキ=だから楽しいという方程式しかないもんなぁ。小学3年生の時の誕生日ってどんなだったかあまり覚えてない、劇で主役を取った学芸会が間近でその練習に追われていたことはハッキリ覚えているのだが…話が逸れた。
 この話でアンが突きつけられるのは、ひとつは自分が大人になって行くこと、そしてもうひとつはマシュウとマリラの「老い」である。前者は今回のメインで、ダイアナと楽しく遊んだアイドル・ワイルドの消滅と、存在意義を失った「物語クラブ」の状況を克明に描いた。その上一人だけ進路が違うダイアナとの「溝」を描き出して、アンの心を一気に静める。
 後者は終盤の僅かな時間に入れただけではなく、実は前回、いやそのもうちょっと前からじわじわと描いていたものだった。マリラは頭痛に苦しみ、マシュウは発作で倒れるという設定を置いて、アンの「親」であるこの二人が決して若くないことをさんざん見せつけてきたのだが、今回のマリラが眼鏡を掛けるシーンは視聴者に対しこれを決定づける強烈なシーンとして残ることだろう。
 こんな寂しい話を「アンが大きくなる」前の話に入れるのだから…いよいよ次回から背も伸びて大人っぽい顔になった「大きなアン」の物語だ。話は半年しか進まないのにアンの変貌は凄いぞ。その辺りは次回に。

第37章「十五歳の春」
名台詞 「ええ、本当にすっかり大きくなってしまって、あと3ヶ月もすればあの子はこの家を離れるでしょう。クイーンの試験は間違いなく受かるでしょうからね。その時、とても寂しくなると思いましてね…。」
(マリラ)
名台詞度
★★★
 前回はアンが「自分の成長」と「マシュウとマリラの老い」を感じ取る物語であったが、今回の前半はマシュウとマリラがアンの成長を実感する物語として展開する。マリラは突然、アンの身長が伸びたことに気付き、またアンが急におとなしくなったことでアンの成長を感じ取ったのだ。そしてグリーンゲイブルズにやってきたばかりの頃のアンを思い出して涙を流す。そこにマシュウが帰ってきて、マリラの涙に気付いたマシュウにマリラはこう言うのだ。
 マリラはアンの精神的、肉体的な成長に気付くと同時に、いつか来ると分かっていたアンの巣立ちの日がすぐそこに迫っていることを同時に思い知ったのだ。これだけ愛した「我が子」が自分の手元から消えてしまうことに一抹の寂しさを感じているのだ。考えてみれば普通子供がここまで育つのに必要な時間は15年、だがマリラにとってはそれがたった4年で来てしまったのだからそう考えてしまうのも無理はない。そしてマリラの心の中に残された時間も「アンに出来る限りのことをする」という気持ちが確固たるものとして沸き上がってくるのだ。
 この台詞を聞いたマシュウはもうアンがたまに帰ってくることを期待している。実はマシュウもアンの巣立ちの日には寂しい思いをすることが分かっているのだ。だが愛情をかけて育てたからこそ、アンがこの家を放っておかないに違いないという自信がある。マリラはマシュウのそんな気持ちを「兄さんにとってはまだ小さな子供のままなんですね」とするが、それが父性であり「男親としての気持ち」なのだ。マリラには分かるまい。
名場面 大きなアン初登場 名場面度
★★
 今回の話で視聴者の印象に一番強く残るのは、冒頭のアンの登場シーンだろう。前回までと比較して身長が伸び、声も落ち着いた感じとなり、すっかり雰囲気の変わったアンの登場に一同驚くはずだ。私もこのシーンが本放送で見たときに強烈に印象に残ってしまい、あとは「鉄道の開通式があった」という事を覚えていただけで話の筋を全く記憶していなかった(多分特別鉄道好きな子供でなかったらそれすらも記憶に残らなかっただろう)。それくらいに印象に残る。
 最初に名も知らぬ少女が駅に降り立つシーンで始まり、駅員がマシュウが連れて行った女の子の安否を気遣うシーンで始まる。そしてグリーンゲイブルズが出てきて、アンが来てから4年の月日が流れた事をナレーターが語ると、パッチワークに勤しむマリラが登場し、向こうからドアが開く音と「ただいま」というアンの声が響く。「今日は早かったね」と言いかけたマリラが絶句したところで、アンの後ろ姿が出てくるが、この後ろ姿で多くの視聴者が「いつものアンと違う」と思ったことだろう。マリラがアンの名を呼ぶとアンは振り返る、するとアンの顔まで成長していることに視聴者は驚くことだろう。
 ここからはアンの青春期の物語と変わって行くわけで、まずアンの容貌と性格が大きく変化したことを視聴者に印象付けなければならない。それが上手く行ったシーンだと私は思う。このように「世界名作劇場」シリーズで物語途中で主人公の容貌が大きく変わるのは、アンと「南の虹のルーシー」のルーシーとケイトを思い付くのだが、どちらも「話が飛んで成長後」の姿が最初に出てきた時に視聴者にどのように印象付けるかという点では成功している。またその変化についても、ただ身体を大きくしただけではなく、成長と共に性格が変わった部分を外見の変化として表現しているのも凄いと思う。
  
今回の命名 新たな命名無し
感想  アンが成長する。小学生の頃に見たときは年齢設定とか突っ込んで見ていなかったので、この間に2〜3年の月日が流れていたのだと思っていた。ところがよく見ると前話から半年しか経っていないのね。そう分かってしまうと何かこのアンの成長は唐突のようにも感じるし、ちょっと不自然かも知れないと感じるようになってしまう。
 ではこの1話でアンの身体がどれくらい大きくなったか検証してみよう。まずは今回のラストシーンから成長後のアンはマリラとほぼ同じ身長になったことが分かる。マリラは特に身体か大きいわけでも小さいわけでもなく平均的な女性であろうから、二人の身長を現在のカナダ人成人女性の平均身長と同じ163cmと仮定しよう。続いて次のキャブ画を見て頂きたい。
 
 これは前回と今回でほぼ同じ場所に立っているアンを同じアングルから見たシーンを探し出して並べてみたものだ。左が前話のシーンで右が今回のシーンで、これからアンの身長を推定することは可能だ。
 アンの身体に直接定規を当てて計ってみる、オリジナルサイズの画像で計ると成長前が92mm、成長後が114mmとなる。114mm=163cmとした場合で計算してみると、成長前のアンの身長は131.5cmとなる。これは現在の日本人女子で言えば9歳の平均身長で、小学3年生の私の娘より小さい。つまり前話からの劇中での半年の間にアンの身長は一気に30センチ伸びたことになる、1ヶ月5センチのスピードだ。マリラが「いつの間にそんな背が伸びたんだ?」と驚くのも無理はない…って、いくらなんでもこれはあり得ないと思うぞ。
 あり得ないと思ったので校正として後ろに見える窓の高さも測ってみたが、双方とも同じ数値が出た。壁面からアンの立ち位置までの距離も比較してみたがこれも同じ。つまりこの2シーンの違いは部屋の扉を書き込んだか否かの違いだけで、アングル位置は全く同じと認定することが出来る(画全体のズレはあるが縮尺は同じ)。結論、14歳のアンの身長が低すぎでそこから急激に背が伸びたのだろう、私が中学生の頃そういう奴が友人にいたし(でもそういうのって男の子の成長の仕方じゃないのか?)。
 あ〜、またヤボなこと調べちゃったな。

 それと後半は話が打って変わってジョセフィンがアボンリーにやってくる話となる。こっちは鉄道開業式しか印象に残らなかったな〜…1脇役がやってくるってだけで鉄道敷いちゃうんだからスケールがでかいわ。え、どう考えてもあの鉄道にはジョセフィンが遊びに来るきっかけを作るためとしか思えなかったんだけど。「世界名作劇場」における鉄道開通式では「わたしのアンネット」におけるロシニエール駅開業にかなうものはないな、あれの場合鉄道開業式と立て続けにアンネットとダニーの冒険旅行が入ったから印象に残ったんだけど。

第38章「受験番号は13番」
名台詞 「アン、心配はいらんよ。受験番号が13番だろうと0番だろうと、アンはきっと島中の受験生を負かして1番になるよ。わしはそう信じてきたんだよ、ずっとな。」
(マシュウ)
名台詞度
★★★★
 クイーン学院から受験票が届いた、そこに書かれていた受験番号は13番。最初は気にしないと宣言したしたアンだったが、ジョシー・パイに煽られたのもあって不安が募る。そして家に帰って「この13番のせいでとんでもないミスをしてしまいそう」と訴えると、マシュウがこう返すのだ。
 マシュウのアンに対する期待と、絶対の信頼が表れている。マシュウはアンを力づけようとしてこう言ったのでなく、心底アンを信頼しているからこう言ったのだ。アンの頭の良さ、ここ一番での気の強さというアンの性格を知り尽くしているからこその台詞だろう。だからマシュウはアンがどんな不安な台詞を吐いても心配一つしていない、1位になるかどうかは別にしてアンが合格するのは間違いない事実とマシュウは考えているのだ。
 この台詞にアンは心から喜び、その後神妙な顔つきになる。アンもマシュウのそんな気持ちを受け取ったのだろう。
名場面 アンの帰宅 名場面度
 クイーン学院の試験が終わり、アンが帰ってきた。マシュウは駅までアンを迎えに行き、グリーンゲイブルズのの前ではマリラだけでなくダイアナもアンの帰りを待ちわびていた。馬車が近付くとアンの元へ駆け寄るダイアナ、それに大声で応えるアン。馬車が止まると試験の状況について語る、アンは女の子の様子だけを語るが、そこにマリラが「ギルバートは?」と横やりを入れる。「できたらしいわ」とぶっきらぼうに答えるアンに、ダイアナは「きっと受かるわ」とアンを元気づける。「でも良い成績じゃないと…」と訴えるアンに、マリラは「随分張り合ってるもんだね」と茶々を入れる。そしてマリラがご馳走を作ったからゆっくり休もうと皆に声を掛け、ダイアナも夕食を一緒にするように勧める。
 今回の多くを占めた試験への緊張シーンだったが、とりあえず試験が終わってホッとしている様子を上手く描いたと思う。アンは重しが取れてスッキリした笑顔を見せてくれるし、ダイアナもそんなアンの表情を見られて一安心という感じだろう。なによりもマシュウとマリラの二人が、心からアンをホッとさせてやろうと感じていることも伝わってくる。マリラがわざわざギルバートの話を出したのも、アンの闘争心を確かめるためだったのだろう。試験中に闘争心を失ってなかったようだという点でも、マリラは安心したのだ。
 そしてこのシーンは次のステップへと視聴者を誘う。それは「試験の結果」、つまりアンの合否についてだ。まぁ合格は間違いないのだろうけどどのような形でそれが知らされ、その時にアンがどんな反応を見せるのか。これが気になって視聴者は次回に吸い込まれて行くのだ。
 
今回の命名 新たな命名無し
感想  13番、不吉な数字ですね〜。あの宇宙科学技術の最先端を行くNASAですらも「不吉な数字」として忌み嫌っている数字だ(アポロ13号を13時13分に打ち上げるという迷信に挑戦する行為を行ったら、13日に事故を起こしたことが由来)。確かに受験だって時にそんな試験番号もらったら嫌だよな〜。私はそういうのを信じているからこそ、「ラッキーナンバーの4」とか「13出た、ラッキー」とかいう冗談を努めて言うことにしている。前住んでいたマンションも部屋が13階だったからああいう形で出て行くことになったのかなぁ?
 その13に振り回される話よりも、やはり受験という一大イベントが今回の印象に残る話だろう。それでステイシー先生の退場だって終わりの方までずっと忘れてしまっていたくらいだし…アンやクイーン組の仲間だけでなく、その周囲にいる人々も「受験」という緊張に巻き込まれて行くのがよく分かる。マシュウだけはアンを信頼しきって安心していたけど、実はマリラも心配でたまらなかった様子だし、ダイアナだって何処かに不安を抱えていたに違いないのだ。だからこそ二人は何かにつけて「大丈夫大丈夫」と繰り返すのだ。今回のマシュウとマリラはそんな「受験生を抱える親」の様子を対比的に描いたのだろう、不安と信頼…その結果がどっちに転ぶかを次回に持ち越すのは、アニメやドラマに限らずこの手の物語の常套手段だ。

第39章「合格発表」
名台詞 「そうさのう、いつもわしが言ってた通りになったな。お前が他の者みんなを楽々と負かせてしまうことは分かっていたよ。」
(マシュウ)
名台詞度
★★★★
 ダイアナから第一報を聞いたアンは、まずこの知らせを自分の恩人であるマシュウやマリラに知らせなければならないと思って家を飛び出した。そしてアンが一位で合格したと知らされたマシュウの返答がこれだ。言うまでもなくこの台詞は前話の名台詞に連動している、アンは絶対に1等で合格するとマシュウは心の底から信じ、アンにそのことを語り続けていた。
 この台詞の直前、新聞を受け取るマシュウの手が震えていたことも見逃せない。マシュウはアンが1位かどうかで緊張して震えたのでなく、自分の言う通りになったという知らせを聞いて嬉しくて震えたのだろう。ダイアナのように喜びを爆発させることはないが、ここにもまるで自分のことのように喜んでいる人が一人いることを忘れてはならない。
 ついでに、アンの合格について皆さんのコメントを聞いてみましょう。

「アンの喜びは私の喜びですもの」(ダイアナ)
「へぇ〜1番? あんたが? 本当にアン、なかなかよくやったね」(マリラ)
「まったく大したもんさね。この私だって心からそう思うよ。あんたは私たちみんなの名誉だよ。とても誇りに思いますよ」(レイチェル夫人)。
名場面 合格発表 名場面度
★★★★
 マシュウとマリラの気遣いにより休憩時間が与えられてしまったアン、アンの本心は身体を動かすことで合否の不安を忘れていたいというものであり、部屋で一人になるとやはり不安が胸の奥からこみ上げてくる。またも強烈な不安に襲われたアンは、窓辺に腰掛けて外を見る。するとダイアナが新聞を掲げながら走ってくるのが見えるではないか、間違いなくあれに合格発表が出ていると悟ったアンはさらなる不安に襲われ、身体全体が震える。
 ダイアナが家の中に飛び込み、階段を駆け上ってくる音が聞こえる。その足音が部屋の前まで来た瞬間、アンは恐怖に震えるような表情で振り返った。扉が開く、笑顔のダイアナが飛び込んできて一気にまくし立てる、「合格よ! それも一番でよ! あなたとギルバートと二人、同点だったのよ。でもアン・シャーリーの名前が先に出てるわ! ああ、私とても嬉しいわ」…ダイアナは新聞をアンに押しつけたかと思うと、息を切らせてベッドに倒れ込む。アンはしばらく何が起きたのか?という表情で立ち尽くしていたが、とにかく部屋を明るくして新聞を見ようと思い立つ。手が震えてなかなか蝋燭の火が付けられないシーンはうくまできていると思う。何とか蝋燭に火を付けて新聞の中身を見ると…確かに合格発表の最上段に自分の名前を見つけ、アンは心よりホッとした表情に変わる。
 珍しくダイアナがしゃべり出すと止まらない状況だ、その最新版の新聞を父が持ってきたこと、この新聞がアボンリーに来るのは明日だと言うこと、発表を見て夢中で走ってきたこと、アボンリーからの受験者は全員合格していること…これらを一気にまくし立てて、「一番で合格ってどんな気持ち? 私だったら嬉しくて頭がおかしくなってしまうわ。今だってどうにかなってしまいそう。だけどあなたと来たら春の夕方みたいに落ち着き払っているわね」とアンに問う。ここでやっとアンが口を開く、「言いたいことは山ほどあるけど、それが言葉にならないの」とした上で、こうなるとは夢にも思わなかったことと、一度だけ想像してしまった事を告げる。そして畑へ行ってマシュウへ知らせてくることと、みんなにこの知らせを届けに行こうと言う。ダイアナはこれに同行すると宣言し、「アンの喜びは私の喜び」と言い切る。
 このシーンは合格、しかもトップ通過という知らせを聞いたアンが克明に描かれているだけではない。アンとダイアナの友情が以前と何ら変わっていないことを示唆するシーンでもある。ダイアナは誰よりも早くアボンリーでは翌日配達になる新聞を手に入れる機会に恵まれ、それにクイーン学院の合格発表が載っていることを知ったのだ。恐らくその新聞を最初に開いた時のダイアナもアンのように震えていたことだろう、アンが1位と知ると飛び上がってそのまま走ってきた事が容易に想像できるとシーンに仕上がっているのは秀逸だ。
 そしてアンの緊張と喜び。ダイアナが部屋に駆け上がって来る間のアンは、まさに緊張の頂点にあったと言っていいだろう。アンには家に走ってきたダイアナの表情がこれまでにないほどの笑顔だったことには気付いてなかっただろう。このアンの緊張と、新聞を自分の目で確かめるまでの震え具合、特に蝋燭に火を付けようとするシーンは何度も言うがこのアンの緊張を上手く描いている。そしてトップで合格を知った後の安堵…この結果を見たアンが飛び上がったりするのでなく、静かに安堵感を感じるというのはリアリティがあると思う。どんなおしゃべりの人間でも、強い緊張感の後の安堵では無口になる…つまり言いたいことが整理できなくなるのだ。
 さらにこのシーンの注目点は、これまでのアンとダイアナのシーンを思い出してみれば分かるのだが、二人の口数が完全に逆転しているのだ。これまではダイアナが聞き上手な性格であることもあって、アンが機関銃のようにまくし立てるのをダイアナが上手に合いの手を入れながら聞くというパターンが多かった。しかしこのシーンではダイアナがこれまでの借りを返すかの如くしゃべるしゃべる…アンがあまりの嬉しい結果に言葉を失っていた点を差し引いても、この二人の関係が逆転しているシーンという意味でもこのシーンは印象に残る。
 

 
今回の命名 新たな命名無し
感想  いい話や〜。この回も動画の仕上がりが悪く、コマ送りのシーンが多数あったがそんな欠点はどこかに吹き飛んでしまういい話や〜。この回、確かに子供の頃に見た記憶がある。てーか本放送や再放送で見たときの記憶がよみがえってきた。劇中のアンと一緒に浮いたり沈んだりしながら見ていた。
 合格発表ってこんな緊張するものなのか?と子供の頃の感想は純粋にそこだった。そのアンの緊張が当時小学3年生の私にも伝わってくるほどの説得力で描写されていたのだ。不安で毎日毎日郵便局まで行ってしまい、落ち着いて寝ることも出来ず食事ものどを通らない…確かに高校受験の時にこれほど大げさではないけどやっぱ緊張したのを思い出した。私の場合は速達郵便で発表が来たのだけど、配達員が来てから封筒を開けて中身を見るまでやっぱ震えたもんだよな〜。
 そして緊張を忘れるために農作業の手伝いに精を出し、アンの気持ちを際だたせたからこそ、合格発表のシーンが感動的なシーンとして生きるのだ。実はこの合格発表、「赤毛のアン」前話を90分に押し込んだ「完結版」DVDにも収録されているのだが、受験当日のシーンからいきなりダイアナが走ってくるシーンに飛ぶのであまり感動できない。だが本編をじっくり見ると涙が出そうな程感動する、やはりこの手の物語には「盛り上げる」ことの重要性が大事だと言うことを痛感させられた。

第40章「ホテルのコンサート」
名台詞 「とにかく私は自分以外のものにはなりたくないわ、たとえ一生ダイヤモンドで慰めてもらえなくてもね。私は真珠の首飾りをつけたグリーンゲイブルズのアンで満足よ。マシュウがこの中に込めてくれた愛情が、あのピンクのご婦人の宝石に負けないことを知っているんですもの。」
(アン)
名台詞度
★★★★
 コンサート帰りの馬車、同乗するダイアナとジェーンはアンの朗読を心から褒め、後ろにいた見知らぬ画家がアンを指して「あんな顔を描いてみたい」と行っていたこと話題で盛り上がる。それに続いてジェーンが他の観客達が身につけていた宝石を思い出してうっとりとしたあと、二人に「お金持ちになりたくない?」と尋ねる。海を眺めたまま平然と「私たちだってお金持ちよ」と答えるアン、その理由は今までこうして平穏に過ごせてこれたこと、今がとても幸せなこと、皆多少の想像力を持っていることだとする。予想外の回答にぼうっとするダイアナとジェーンに海を見ながら「たとえどんなダイヤモンドの首飾りを持っていても、この美しさをこれ以上楽しむことは出来ない」とした上で、アンを笑っていた白い服の少女が世の中を軽蔑するために生まれてきたかのように見えたこと、宝石で飾ったピンクのご婦人のように太りたくないということ、ミセスエバンスも哀しそうな人生を送っているに違いないことを語り、そんな風にはなりたくないと力説する。ジェーンが「ダイヤモンドは人の気持ちを慰めてくれるものでしょ?」と問うと、アンはジェーンをしばらく見つめた後にこう言うのだ。
 アンが求めている幸せというものが見えてくる。自分を派手に着飾ったり、大金持ちになるという野望…つまり物質的な幸せを求めているのでない。アンが求めているのは精神的な幸せ…愛情という宝物に包まれたささやかな幸せだ。この年頃の少女にはなかなかこういう思考回路に行かないものだが、アンはこの後者の幸せがとても重要だと言うことを知っているのだ。その理由は孤児として孤独に生きてきた幼少期の経験もあるだろうし、その後マシュウとマリラが愛情を込めて精一杯アンを育ててきた事が伝わっていることもあるだろう。アンは現在の幸せに満足し、これを守っていくことが自分の幸せと感じているのだ。そのためには宝石もお金も必要ない、最も必要なのは「愛情」であることを誰よりも知っているのだ。
 対するジェーンはそれが理解できる域に達していないのだろう。だからアンのこの台詞を何処まで理解していたかは分からない。またこの会話の真ん中に挟まれたダイアナの表情がなんとも言えない。ダイアナはジェーンのように物質的な幸せを望んでいるに違いないのだが、アンの望む幸せの形をアンによって見せつけられ続けている。どっちの言うことももっともだと感じたのだろう、そして自分がどっちの道を取ればいいのか悩んでいるに違いないが、アンのこの台詞に感心しているのが分かる。恐らくこう感じていたことだろう、「この人と心の友になれてよかった」と。
 この馬車に乗り合わせた3人の少女の気持ちがこの台詞によってハッキリするのだ。
(次点)「(前略)私はデブなんですもの。前からこんな風になるんじゃないかと気にしていたんだけど、やっぱりそうなってしまったわ。うふふっ、まぁ諦める他はなさそうだけど。」(ダイアナ)
誰がデブだって? あやまれ! アーメンガードにあやまれ! (意味不明)
名場面 ホテルのコンサート 名場面度
★★★
 ホテルのコンサートはこれほどにもない緊張の中幕を開く。詩の朗読を演じる予定のアンをさらに打ちのめす情報として、詩の朗読のプロ(んなのあるの?)が特別ゲストとしてこのコンサートに友情出演するとのことだ。このような晴れやかな場でいきなりプロと競い合わねばならなくなったアンは、他の出演者が自分以上に着飾っていることもあって完全に自信喪失する。
 そしてアンの出番は最悪のタイミングだ、よせばいいのに詩の朗読のプロであるミセス・エバンスの友情出演の次だったのだ。名前を呼ばれても緊張でなかなか出ていけないアン、横で先ほどアンを小馬鹿にした少女が「あなたがあの(クイーン学院に)一番で合格した…」と驚いているが、アンの目にはそんなものは入っていない。それでもやっと立ち上がって舞台に立つアン、観客席のダイアナとジェーンはアンがすっかり緊張している事に気付くがどうにもならず手を取り合って不安な表情をするだけだ。舞台の真ん中で一人震えるアンは客席にギルバートの姿を見つける、アンにはギルバートが「軽蔑のまなざし」で自分を見ているように見えたのだ。その瞬間アンの緊張は何処かにすっ飛び、演目を開始する。アンの演技は見事なもので、手を取り合っていたダイアナとジェーンも一安心(ダイアナの口が「よかった」というかたちに動く)。終わると観客から拍手喝采、しかもアンコールまで要求されるという素晴らしいものだった。「アンコールなんて、私ダメです」といってまた緊張するアンだが、マシュウが「アンならきっと上手くやってアンコールになる」と言っていたのを思い出し、マシュウのためにとまたステージに向かうのだ。
 いったい世の中、どんな災いが幸運をもたらせてくれるかわかったもんじゃない。恐らくギルバートは特にアンだという事を意識せず、普通にステージを見ていたつもりだっただろうが、アンにとってはそんな「普通のギルバート」が「軽蔑した表情」に見えてしまうという状況なのだ。これではギルバートはたまったもんじゃないし、アンにとっても良いことではないが、このアンのギルバートに対する恨み(というかライバル心)がこの場での緊張を上回ったことでプラスに転じるのだ。アンは緊張を捨て去ることが出来て、このコンサートでまさに「勝利の連続」を勝ち取ることに成功した。
 またアンコールの時に先ほどの緊張が戻ってくるが、アンがここで思い出したのは育ての父マシュウであった。マシュウはアンを絶対信用して必ず上手くやってくると信じている。ところがここで恥ずかしがってアンコールに応えなかったら…一番がっかりするのはマシュウだ。マシュウはアンに対する信用と愛情を真珠の首飾りに託し、アンを送り出したのだ。それを思い出したら何が何でもアンコールに応えねばならない。それがマシュウの自分に対する信頼と愛への返答なのだ。
  
今回の命名 新たな命名無し。
感想  マリラは素直じゃないな〜、本当はアンがコンサートで活躍するのが楽しみでたまらないくせに。ま、それがあの人の良いところでもあり悪いところでもあるのだからいいんだけど。それにコンサート開始直前のシーン、ジェーンの口がパクパク動いているのに声が無いんですが、どんな台詞が入る予定だったんだろう?
 突然やってくるアンの晴れ舞台、コンサートで詩の朗読ってよくあれだけの短期間で準備できたものだ。アンの朗読ってアボンリーでは評判のようだが、学校のクリスマスコンサートが恒例行事になっていたと考えるべきなのか。次の回辺りを見てみると分かるのだが、アンは詩の朗読のネタをいくつか持っているようで、得意不得意もあるようだ。
 今回はアンが「現在の幸せ」をかみしめるところが主題だと感じた。その上でアンが自分が進むべき道に気付くのだ。その伏線はあちらこちらにちりばめられているが、最後まで見ないと今回の話の落としどころと、全ての展開がひとつのテーマに向かっているという点が分からないという話になっている。例えば楽屋のシーンではアンは自分より派手に着飾っている人がたくさんいることに気付くことは重要で、ここで一度アンが敗北感を感じる。その敗北感がさらなる緊張に繋がり、一時は演目をこなせないかと思わせておいてギルバート登場によって敗北感を打ち消すことによってアンコールシーンにつなげるという役割があるのだ。アンコールでアンはマシュウの思いに気付き、また演目を上手にこなせたことでどんなに着飾っても自分は自分でしかないという事に気付くといった案配だ。それが今回のラストシーン(名台詞欄)にうまく繋がって行くのだ。
 前回はクイーン学院の合格発表、次回はそれを受けての巣立ちという大イベントに挟まれた回なので印象に残りにくいかもしれない。だがこの回は最終的にアンがどんな人生へ向けて進路を取るかという段になったときに、貴重な経験となっている回のはずだ。その際に今回の展開を思い出さずとも、視聴者は間違いなくそう感じることだろう。

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