第41章 「クイーン学院への旅立ち」 |
名台詞 |
「そうさのう、あの子はそう甘やかされもしなかったようだ。時々わしがお節介したのも、別に害はなかったようだ。あの子は利口で、きれいで、それに何よりも良いことに優しい子だ。私たちにとってはお恵みだった。スペンサーの奥さんが間違ってくれて、運が良かったと言うもんだ。もっとも、それが運ならばの話だが、どうもそれとは少し違うようだ。神の思し召しというものかも知れない、全能の神がわしたちにはあの子が必要だと認めて下さったんだ。」
(マシュウ) |
名台詞度
★★★★★ |
名台詞次点シーンを受けてマシュウが家の外に出る、そして星空を見上げてこう独り言を言う。
アンが真っ直ぐに育ててもらった事を感謝すれば、マシュウはアンの存在そのものに感謝していたのだろう。どう考えても妹と二人で老いて行くとしか思えなかった残りの人生に、ひょっこりと現れて花を咲かせてくれたアンの存在。マリラの頑張りと自分のお節介で真っ直ぐ育ち、アンが自分たちに幸せをくれたことを感謝している。
その感謝の気持ちからマシュウはアンが何でここへ来たのかを考えてみたのだろう。これは単なる運の問題とは思えない、神が仕組んだ巡り合わせであると考えたのだろう。どんな理由があるにしろ神は自分たちにアンのような少女が必要と考えたから、アンはここにいるのだしそれによって自分たちにもかつては考えられなかった幸せが訪れている。そう思い返して神に感謝するシーンでもあるのだ。
この台詞にはマシュウの父性がよく表れていると思う。アンが可愛くてたまらないこと、そのアンが巣立って行く寂しさ、そんな娘を与えてくれた神への感謝、これらはすべて彼の父性なのだ。この台詞を吐くマシュウの気持ちは、父親になってみて理解できるようになった。 |
(次点)「マリラ、私はちっとも変わってないわ。ただ少し鋏を入れたり、枝を伸ばしただけなんだわ。本当の私はその後ろにいて、今までと全く同じなのよ。本当よ、マリラ。何処へ行こうと、どれほど外見が変わろうと、心の中ではこれから先もずっとマリラの小さなアンなのよ。マリラとマシュウと、このグリーンゲイブルズの小さなアンだわ。」(アン)
…アンがお別れにホテルのコンサートで演じた詩の朗読を、マシュウとマリラの二人だけを相手に再演する。その間、マリラはアンがグリーンゲイブルズにやってきたときの事を思い出していいた。そしてその小さなアンがすっかり成長して今自分たちの元から巣立とうとしている事をしみじみと感じ、「いつまでも小さいままで手元に置いておけたら…」と涙を流してしまう。
それを告げられたアンがマリラに抱き付いてこう言うのだ。マリラはここへ来てからのアンの変化を告げたのだが、それに対してアンは「自分は何も変わらない」と言い切るのである。アンは何処へ行っても「グリーンゲイブルズのアン」でしかなく、もう帰る場所もここしかない。それは現実的な問題ではなくアンの心の問題であって、誰かがアンを連れ去ろうとしても自分はここに帰るべき人間なのだという事を示唆している。なぜなら、そこにはマシュウとマリラという自分の「親」がいるからであって、ここまで真っ直ぐな人間に育ててくれた事に何よりも感謝しているのだ。
こう言われたマリラはアンの頭をなでながら涙を流す。マリラのアンを育てるという苦労が報われた瞬間でもあろう。でも台詞も十分★×5をつけられる台詞なのだが、この後のマシュウの台詞の方が印象深い。 |
名場面 |
スペンサーの来訪。 |
名場面度
★★★ |
ある日、勘違いでアンをグリーンゲイブルズに送り込んだ張本人であるスペンサー夫人が訪れる。突然の来訪にその意図を読めない一同であったが、スペンサーの口から出た言葉はアメリカの富豪がアンを引き取りたいと申し出ている事実であった。その富豪はホテルのコンサートでのアンの熱演に感動し、アンのことを調べ上げてスペンサーに依頼したのだという。
アンはその話が「素敵なので」ついうっとり聞いてしまう。それをその気になったと思ったスペンサーが、マシュウとマリラの前で話を続けるのは得策でないと判断して別室で個別説得となるのだ。アンが居間から連れ出されると、アンが行ってしまうのではないかとマシュウとマリラは不安になる。マリラが思わず「アンが承諾したら…」と言うと、マシュウは「そんなことを言うはずがない」と否定するが、マシュウもかなり不安のようだ。ついにマシュウが「様子を見てくる」と立ち上がる、慌ててマリラがそれを追う。
二人がアンの部屋の前で聞き耳を立てると、スペンサーが「マシュウとマリラには私から上手く伝える」とアンに言っているところだった。するとアンは「何のお話ですか?」とスペンサーに聞く、「ごめんないさ。ついうっとりと聞いてしまって…まさか本気で私が承諾すると考えてらっしゃるとは、思いませんでしたので…私、このお話は最初からお断りするつもりだったんです」と続けるのだ。怒って立ち上がるスペンサーに、「お話があんまり夢みたいで、私シンデレラになったみたいでつい…」ととアンが続ければもうドアの外のマシュウとマリラは大人しくしてられない。まずマシュウが吹き出して笑い出し、続いてマシュウの笑いを止めようとしたマリラが大笑いを始める。二人ともおかしくてたまらない様子で、マシュウは廊下の壁を叩きながら、マリラはお腹を抱えて笑ってる。無論、視聴者もこれに前後して大笑いだろう。
無論、この二人の笑いはアンが話の本題をすっかり忘れて「あまりにも素敵な話だから聞き入ってしまった」という予想外の行動に出たことに対する笑いだ。そして真相を知ったスペンサーの慌てぶりがこれに拍車を掛け、さらにアンが自分たちの元を離れるわけがないという勝利感がプラスされて笑いを止められなくなってしまったのだ。この笑いのシーンに二人の心境がよく表れている。
さらにスペンサーが心象を害して帰るシーンのアン・マシュウ・マリラの表情がいい、いい話を断ってしまった事を悪く思っているアン、今思えば何て話を持ってきたんだという感じのマリラ、安堵感と勝利感に満ちたマシュウ。スペンサーの申し出に対して出るべき結果が出たと言えばそれまでだが、それまでの課程を上手に丁寧に描いたと感心した。
しかし無理と分かっていてこんな話を持ってきたスペンサーだが、そのアンを引き取りたいという富豪から手数料かなんかたっぷりもらえる話だったんだろうなぁと想像してしまう。
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今回の命名 |
新たな命名無し。 |
感想 |
いい話だ〜、なんか「巣立ち」という心境をアンの側から、マシュウとマリラの側から上手く描いている。その前哨戦として前半のスペンサー来訪シーン(名場面欄)があり、実は前話のラストシーンもこの回への伏線だったと見るわけだ。アンは既に前話で、派手に着飾ったり宝石をたくさん手にするより今の幸せが一番だと宣言しており(前回の名台詞)、今回の富豪の養子になる件を断る事への伏線としていたわけだ。視聴者は前回の該当の台詞を覚えていれば、スペンサーの申し出が断られることが分かりきっていたはずで、名場面シーンは「答えが先に出ているシーンを面白く見せる」という構図の典型例だ。
この養子の件を断った事が、余計にアンとマシュウ&マリラの絆を深めることになる。これで今回の名台詞のシーンが活きてくるのだ。マリラはアンが高望みのしないよい子に育ったからこそ巣立ちが寂しいのだし、アンの「自分は変わらない」という名台詞次点の言葉について説得力を持たせる、マシュウはアンが真っ直ぐ育ち神が与えてくれた自分達の娘と強く感じるのである。そして互いが重要な存在だと認識した上で、遂に別れの日を迎えるのだ。
そしてアンがクイーン学院のあるシャーロットタウンへと旅発ち、この物語は…まだ終わらないって。いよいよ終盤へと突入するのだ。 |