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・「赤毛のアン」エンディング
「さめない夢」 作詞・岸田衿子 作曲/編曲・三善晃 歌・大和田りつこ
 オープニングと対照的に曲自体はあまり覚えてなかったが、今回20年以上の時を超えて久しぶりに聞いたら思い出した。ああ、こんな曲あったと。
 特に最初の4行分の歌詞部分が終わった後の長い演奏部分と、フルオーケストラによる大袈裟なアレンジがが耳に付く曲だ。ただ前述の通り歌の途中に長い演奏部分があるので、歌詞は短く単純明快で物語から推察できるアンの気持ちを上手く歌い上げている。
 背景画像は…このサイトの背景色にそっくりな色が表示されているだけ。歌が良いだけに残念。

・総評
・物語
 物語は、大きく4つに分けることができる。まずその部分ごとに流れを考察してみたい。

 まず1話〜6話まではアンがグリーンゲイブルズに落ち着くまでの経緯を丁寧に描く。他作品ならば1話か2話で済ましてしまいそうな展開だが、ここで話数を割いて二転三転する運命に振り回されるアンを丁寧に描くことでその当初の性格を印象付ける役割があるだろう。駅にマシュウが迎えに来てからグリーンゲイブルズ到着直前までで1話を費やした点については、冗長と見るかゆったりしていると見るかで評価は変わると思うが、私はアンとマシュウの性格やこれからを視聴者に想像させて物語そのものを印象付けるという点で成功していると考える。現在の忙しいアニメならこんな作り方はしないだろう。なおこの部分では、基本的にアンとマシュウとマリラの3人だけで話が進むのだがそれを感じさせない何かを感じる。

 続いて7話から24話で一区切り付けられる。この部分では基本的にアンの少女時代前半の話であるが、それと平行して後半へ向けて主要登場人物を一人ずつ登場させて印象付けるという役割も持たされている。まず後者の登場人物を一人ずつ登場させるという点であるが、レイチェル夫人(1話でも登場しているがアンとの絡みは7話以降)、ダイアナ、アボンリー小学校の仲間達、ギルバート、ジョセフィン、アラン夫妻、ステイシー先生という面々がそれぞれ印象的な事件を交えながら次々と登場してくるのである。後半で存在が大きくなるルビーやジェーンは学校のその他大勢と一緒にさせられてしまったが、ダイアナはアンの一番の親友という設定だけあって、アンの空想世界や性格をフルに使って特別印象に残るよう丁寧に描かれている。さらにレイチェル夫人との初対面は大喧嘩で飾り、ギルバートには石板事件、ジョセフィンには来客用ベッド飛び込み事件、アラン夫妻には痛み止め塗り薬入りケーキ事件、ステイシー先生には面目をかけた大事件と、各々の初登場にされざれ印象的な事件を用意している。従って視聴者はこれらのキャラが出てくる度にこれらの事件を思い出し、キャラクターの個性が印象に残るように出来ているのだ。
 後者の少女時代前半という段についてだが、ここではアンとダイアナの友情が最優先で描き、続いてアンに対するマリラの対応を描くという二本柱が中心だ。ダイアナについてはぶどう酒事件(異常時)とジョセフィン初登場の事件(平時)でその友情を強烈に印象付け、マリラとの関係についてはブローチ紛失事件と一周年の話で上手に描かれている。特にマリラとの関係は終盤で大事になるので覚えておかなきゃならないが…なおこの部分ではマシュウは物語の表に積極的には出てこず、さりげなく関与しているという程度の出方が多い。

 中間総集話の25話を挟み、26話から36話までで一区切りだ。まず24話以前との大きな違いはマシュウが物語に積極的に絡んでくるようになること、次にアンの友達付き合いにおける展開がダイアナとの1対1を中心としたものからジェーンやルビーを交えて「物語クラブ」メンバーによるものが主に変わること、アンが「将来」に向けて走り出すことでアンの成長を描くと同時にマシュウとマリラが確実に老いている事を描いていることという点である。
 また劇中での時の流れが一気に加速するのもこの部分。1話から24話までで長く見積もっても1年3ヶ月しか経っていなかったが、26話は11月下旬頃の描写で始まって28話でクリスマス、30話で春が訪れ、31話はもう夏、33話までに秋が来ていて34話はもう冬かと思ったら35話ではもう夏休みに突入、36話では新学期がはじまり秋の気配を感じさせるという流れであり、この11話で劇中では2年もの時が流れているのである。無論その時の流れに合わせてアンも成長しており、36話までにちょっと大人びた表情になっていつの間にかそばかすまで消えていると言った具合だ(ダイアナは平面顔から丸顔へと変化している)。登場時のアンが可愛いと思った人にとっては、ここが一番寂しい展開だろう、37話以降のアンを知らなければの話だが。
 話の展開は早くなるのだが描かれる事件の頻度は変わらないので、話から脱落することもなかったし、ひょっとするとこれだけの時が流れていたという事実に気付かなかった方もあるかも知れない。これだけの勢いで時が流れているからこそ、毛染め事件でショートカットになったアンの髪があんなに早く長くなっても誰もそれを不自然と感じない…という構図になりそうなのだが、むしろその原因はどれだけの速度で時が流れているのかわかりにくい展開だからという方が正解だろう(36話と37話の間で飛んだ月日は半年でしかないと気付かない人も多いと思う)。

 そして37話以降の「大きなアン」の物語が最後の区切りだ。ここもさらに二つの展開に区切ることが出来るのだが、境界がハッキリしないのでひとまとめとした方がスッキリすると思われる。前半はクイーン学院編と言ってもいい部分で、アンがグリーンゲイブルズを離れて暮らすことが物語の根幹となっている。その前半部分で離れて暮らしたことによって、アンはマシュウとマリラの存在の大きさに気付き、一緒にいることの幸せに気付くという後半へと途切れなく進み、幸せの絶頂へ押し上げたところでマシュウの急逝と財産を失うという悲しみのどん底へアンとマリラを落とすという怒濤の展開を見せる。その悲しみの中でアンは自分の成すべき事を見つけ、そこに喜んで進んで行く道を取るというのがこの物語の「結論部分」だ。
 この展開では受験というイベントが二つある、どちらもアンの希望通りの結果が出るのだが、それによって「心の友」の座を名実共にしたダイアナの反応や、アンの合格で離れて暮らすことになる寂しさを感じるマシュウとマリラの親心の描写も見逃してはいけない。この「大きなアン」の部分ではアンが多くの人に支えられて生きているという事実が強く印象付けられると共に、マシュウの死を通じてその支えを一つ失っただけでどれだけ歯車が狂うかという現実を見せつけられる。その現実があるからこそアンは「マリラとグリーンゲイブルズを守る」という選択をするのであり、またここにマリラの愛情にアンが答えるという感動をも見いだすことが出来るのだ。

 全体的に見ると物語の進み具合は非常に良く、物語を彩る「事件」もだいたい2〜3話で1件というゆったりしたペースで進んでいたのは好感が持てるものだ。ただ「大きなアン」編では最初は1件1話、中には2件で1話という話もあって忙しい展開になった感がある。だが最後の方ではマシュウの急逝と葬儀で2話以上かけるなど当初のテンポが戻って来ている。劇中での時の流れ方にムラが大きいとはいえ話のテンポは速くもなく遅くもなくちょうど良く、多くの人に安心して勧められるアニメであることは確かだろう。
 重箱の隅を突くような人にとっては、アンの身体の成長が不自然に見えてしまうだろう。37話でも考察した通りアンの身長は半年で30センチという驚異的な成長をしているし、逆に36話以前のアンはどう考えても年相応でないのだ。また1話から36話でも、顔や表情は成長しているものの身長は伸びているように見えない。アニメの場合(特にこの物語のように主人公が成長する場合)、キャラクターの身長というのはそのまま受け取るのでなく当該キャラクターの成長度を示すバロメーターだという事を肝に銘じて見る必要がありそうだ。ただキャラクターの身長については機会ができ次第、当サイトで取り上げ済みの他の作品においても考察してみたい。

・登場人物
 「赤毛のアン」という物語の特徴的な点のひとつに、登場人物達がそれぞれ強烈な個性を持っている点だろう。
 妄想癖があるとはいえ、独特の空想力と頭の良さ、それにおしゃべり好きでかんしゃく持ちというアンの性格は上手に表現されていると思う。このアンの性格からかんしゃく持ちという部分を消し、ちょっとお淑やかにすればセーラのできあがり…と思っているのは私だけじゃないと思う。アンだけではない、多くのキャラクターが非常に魅力的に描かれているのだ。
 ダイアナはアンの親友としての組み合わせを考えた場合、最も的確な性格として設定されているし、マリラは素直でないのに自分は絶対間違えがないという自信たっぷりだが嫌味がないおばはんを描いている。マシュウは不器用ながらもひたむきに生きる事を忠実に実行する男だ。他にもそれぞれのキャラクターがその場所にいることが不自然でないよう、本当によく性格付けされていると感じるのだ。
 またこの物語には基本的に「悪役」は存在しない。強いて言うなら後半のギルバートに対するアンの態度くらいのものだ。ジョーシー・・パイだってあれは性格であって悪意があってやっているわけではないという描かれ方で、繰り返しになるが彼女の言動を見ているとアンを慕っている人物の一人であるはずだ。また「孤児の少女を引き取って幸せに暮らすマリラ」を羨望の眼差しで見る老女というジョセフィンの描かれ方は秀逸だと思う。
 そして毎度お馴染みの名台詞欄登場回数である。最後に集計取ってみてびっくりしたのだが、多いか少ないかの両極端になってしまった。アンの17/50という名台詞登場回数は、ついにセーラを抜き当サイトでは名台詞欄登場トップとなった(「わたしのアンネット」のルシエンには僅差で勝っていたが)。2位マリラの10/50回ですら「南の虹のルーシー」でトップのルーシーと同率、「愛の若草物語」トップのエイミー(解説含む)には勝っている。
 とはいえ、「赤毛のアン」で最も印象に残る台詞を吐いたのはマシュウだと私は思う。41話と46話のマシュウの台詞は強印象だという方も多いと思う。逆にアンには遂に★×5の採点がつくことはなかった、それに匹敵する台詞は吐いているのだが…。

名台詞登場頻度
順位 名前 回数 コメント
アン 17 主人公の上おしゃべり、台詞が売りの少女だから当然の結果だろう。だが私がアンの台詞で最も印象に残ったのは、41話の次点欄の台詞。★×5の採点を付けられる台詞だったが、直後にもっと良い台詞をマシュウが言っちゃうもんなー。
マリラ 10 アンの育ての親だけあって、要所でアンを的確に誘導すべき台詞を吐いている。33話と47話の台詞が強印象、どちらもマリラのアンに対する愛情が上手く表現されていて感動した。特に47話では珍しく素直になり、本音を言うマリラの姿に泣けるところだ。
マシュウ アンの育ての父だが、ただでさえ無口で「そうさのう」しか言わないことが多いのと、物語中盤であまり物語の表に出てこなかったので思ったより名台詞に恵まれなかった。41話と46話の台詞はこの物語で最も印象に残った台詞、どっちも今見たら涙出た。。
ダイアナ 主人公の親友という立場だが思ったより名台詞に恵まれず、この娘がいいこというとアンがもっといい台詞を言ってしまったりする。36話の名台詞には、進路が違う自分だけが置き去りにされた悲しさが上手に表現されていて印象に残った。
ナレーター 「世界名作劇場」シリーズのナレーターは登場人物の心境説明の役割が大きいが、「赤毛のアン」では「愛の若草物語」のエイミーと同様物語の進行役としての役割が強い。一番印象に残ったナレーションは18話次点欄のもの、視聴者を物語に引き込むという意味で優れた解説だ。
レイチェル マリラの古くからの友人という立場でアンを見守る。ワイドショーのレポーター的おばさんで、剛胆な性格だ。その性格を強く印象付ける7話の名台詞は強印象。
ギルバート アンと「世界名作劇場」シリーズ最長の喧嘩を演じる、15話の名台詞もそうだが彼がアンに声を掛けるときは言葉を選び間違っているように感じた。。
バリー夫人 アンとダイアナの友情物語になると予測させられたところで、絶交を命じるあの台詞はすごい迫力だった。アンが誠心誠意説明して解決すると思ったところで裏切られたもんなぁ。。
ステイシー アンの恩師として名台詞が増えるかと思ったら1度だけとは…。その26話の名台詞では自らの初登場のために用意された事件をうまくまとめた。
ジョセフィン 第一印象が悪かったが実はいい人というキャラがもう一人出てきた。32話の名台詞にこの人の本音が示されている、マリラが羨ましいんだ。
ジョーシー まさか彼女の名前が名台詞欄に挙がるとは思わなかった。
アラン夫人 アンの相談相手、という役柄の割には名台詞に恵まれなかった。48話の名台詞は身内を喪ったばかりの私としてはちょっと考えさせられた。
(該当無し)  

・追加考察
・「赤毛のアン」完結版について
 2000年に製作・放映された「赤毛のアン」の総集編。

・NHK連続テレビ小説「花子とアン」について
 2014年度前期のNHK朝の連続テレビ小説は、「赤毛のアン」を翻訳した村岡花子の物語です。これについて感想等を書きました。

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