前ページ「わたしのアンネット」トップへ

・「わたしのアンネット」の総評
・物語について
 本文中にも書いたが、アニメ「わたしのアンネット」は大きく4つの物語に分けられる。第1話から第8話までの「7歳編」、第11話から第27話までの「ノアの方舟編」、第28話から第37話前半までの「木彫りの馬編」、第37話後半から最終話までの「ローザンヌ編」の4編である。またその間に挟まっている第9話から第10話の2話は完全な番外編と見てよく、鉄道が開通したことを視聴者に印象付けるだけのこの2話はあってもなくても物語進行上全く問題はないのである(だが面白い展開なので個人的には好きではあるが)。
 「7歳編」ではアンネットとルシエンの仲の良さを強調することに力点が置かれている。原作同様にアンネットの母の死や、ダニーの誕生、クロードの登場などの物語の骨格を作る展開はあるものの、アンネットとルシエンが仲良しである点など原作での暗い雰囲気は大きく描き直されていて多くの人々がのめり込みやすい内容になっている。アンネットとルシエンが仲良しという設定に変更された理由は、本文に書いたとおり二人が諍い合った時に「仲直りをして元通りにならなければならない」という理由付けをするためだろう。また7歳時の物語は非常に楽しく描くことにも力を入れたようで、これはこの先の殺伐とした展開に対応するものだったと推測される。さらにアンネットの同級生などの行動が年相応にかわいらしく描かれており、物語に視聴者を引き込むという役割には成功していると思う。
 「ノアの方舟編」からが本編である。本来ならばダニーが足を怪我してから「ノアの方舟」を巡るまでの展開と、牧場を中心にした雪解けムードという感じで物語を二つに分けたいが、双方の物語が入り乱れていて流れに切れ目が無くなってだらだらと続いた感はある。この部分が原作と比較して一番物語が間延びしている部分でもあり、原作ではこの辺りの展開はルシエンに絞って物語を展開していたが、アニメでは主役をアンネットとしたために無理にアンネットを出すべく無意味なシーンも散見されるほどではあるものの、「ノアの方舟」拒絶に原作以上の意味を持たせてその前後のルシエンの心境などをじっくり描いている点は評価できよう。二人の間に雪解けムードを入れたのは、原作のように先の見えない諍いを延々とやるのでは視聴者に逃げられるという判断があったからだろう。また物語の展開が最も難解なのはこの辺りで、特に第21話はアニメの主視聴層である子供の理解の範囲を超えているだろうし、第22話でダニーがあっさりとルシエンを許してしまったことで幼児層にはついて行けない物語となってしまったという点は本文で考察したとおりである。ただし展開ではなく論理の方で難しくなって行くのはむしろ「木彫りの馬編」の方である。
 「木彫りの馬編」では、ルシエンの自信作を破壊したことによる二人の苦悩、それに絡んで起きる様々な事件に対する心境、これらの描写が秀逸で見ている方までアンネットやルシエンに感情移入して一緒に苦悩できてしまうほどの出来の良さだと思う。ここでは子供の理解を超えている論理がクロードの台詞として何度か出ているが、面白いことにこれらの論理はアンネットやルシエンに感情移入できていれば小学生高学年以上なら理解できるようになってくるものだろう。私も本放送時にルシエンに感情移入したからこそこれらの論理は理解できた、それを役立てなかったのかが私らしいのだが…それは置いておいて。何とかせねばならないというアンネットの悩みから何もかも忘れてしまいたいというルシエンの自暴自棄までが細かく丁寧に、かつダイナミックに画かれていると思う。そして満を持しての第35話での和解、さらにアンネットが木彫りの馬破壊に対する責任を取るに至るまでの視聴者を飽きさせることなく最もいいテンポで進めたと思う。「ノアの方舟編」でののんびりが嘘のようだ。ここではとにかくアンネットとルシエンの心境を描き出すことに力点が置かれ、クロードはそのアンネット誘導役として存在感を強くし、アンネットとルシエンの心境を前面に押し出すまで事のきっかけであるダニーの足の怪我についての描写までもが最小限に留められている(「ノアの方舟編」で見られた物語の本筋とは無関係にダニーが歩行訓練をしたり痛がったりするシーンやダニー中心の物語はほぼ皆無)。こうして二人の関係を徹底的に描き出したため、「わたしのアンネット」の物語の構造が二人の関係だけにあると理解する人が多いのも納得だ(そういう見方もありだとは思う)。
 「ローザンヌ編」については、最初にこれまでずっと最小限の描写に留めたダニーの足の怪我という事実を登場人物と視聴者に突きつけるところから始めるというのは上手く作ったと思う。ダニーのソリ競争参加もこのような役割があったと思え、これで骨折を治せる医師がモントルーにいるという事実を突きつけられたルシエンが命懸けで吹雪の峠へ飛び出して行く事に説得力を持たせたと考える。峠越えは「世界名作劇場」シリーズでも屈指の大迫力シーンとして描かれている割には、評価が低いと思うけどな…。アンネット達がローザンヌに行ってからのことは本文で殆ど書いてしまっているが、原作ではローザンヌでのことはダニーの物語であって、これを無理にアンネットの物語にしようとして無理が生じた感は否めない。せめてもう1話、贅沢言えばもう2話あればアンネットとエリザベスの関係をしっかり描き、アニメで描きたかったであろうこの二人の成長物語として印象に残る物語に出来たと思う。
 物語全編のテーマは「友情」という点で一貫させている、アンネットとルシエンが様々な出来事を経て成長して「友情」と言うものをしっかりと理解するのだ。「世界名作劇場」ではこの前2作(「ふしぎな島のフローネ」「南の虹のルーシー」)が連続で「家族の絆」を前面に押し出したのとは対照的である。もちろん友情を確固たる物として理解するのはこの二人だけではなく、二人の同級生達にも言えることで、アンネットとルシエンの諍いと和解を目の当たりにして成長しているのだ。この同級生達もよく見ると、最初は特に男女間での諍いが多かったものの物語の進行と共にこれが減って行くのである。
 そして物語の構造は何度も言うように「ルシエンが自分で蒔いた種を自分で拾う物語」でしかないと今回の再視聴でも思った。ルシエンがダニーに怪我をさせ、これがきっかけで様々な事件が派生し、色々な人々を巻き込んで話が大きくなるが、最後はルシエンがダニーの足の怪我について自ら責任を取ったことでダニーの足が治って物語が終わるのである。やはり私にとっての主人公はルシエン、公式には主人公とされていないキャラがここまで物語を牽引する物語って他にはないと考えられる。
 物語全体を見ると「ノアの方舟編」で多少間延びしている感はあるが、全体的に「雪のたから」を上手にまとめたと評価して良いだろう。だが主人公をアンネット一人に設定し無理矢理アンネットを画面に出している展開が散見される点(特に「ノアの方舟編」)、「木彫りの馬編」後半でのルシエンの心境変化に理由付けを持たせずに話の展開を急いでしまった点(34話で考察)、キャラクターの順位付けの失敗(特に33話以前と34話以降のフランツの扱い)という3点だけは、私が不満点として残る点である。だがこの不満点も脳内補完でいくらでも解釈がしようがある事を付け加えておこう。


・登場人物
 実は「わたしのアンネット」の登場人物の多くが、原作の性格を受け継いでいない。原作の性格を忠実に受け継いだのはクロードとペギンとギベットだけだと考えられ、他はアンネットやルシエンも含めてその性格が多少変えられている。
 アンネットは原作では気が短く怒りっぽい性格のみが強調されているが、アニメではこれにお転婆という点が加わった。原作のアンネットはアニメ同様に口も悪く手も早いがお転婆ではなく、そこいらの木に簡単に登っていったりもしない。ルシエンは原作の暗くて陰気で友達もいないいじめっ子という部分は削られ、ちょっと愚痴っぽいが優しくて気の良い少年がカッとなると何をやり出すか分からないという大幅な改編が加えられた、ルシエンが優しい少年になってもダニーの転落事故が不自然とはならないようにしたのは性格変更が上手く行ったからであろう。ルシエンの家族も上手に変更され、モレルは原作から「鈍い」という部分は引き継いだものの口うるさいだけの母でなくなり、マリーは原作の弟が嫌いだという設定が削られて優しい理想の姉像を見せてくれることになった。ダニーの変化は本文で書いたとおりで、最初から心の中に神が宿っているし、ピエールも原作ではルシエンに対して事務的にしか対処しない気難しいおじさんだったのが人当たりの良い良くできた男に変化している。ニコラス先生に至っては…完全に別人としか思えず、この少し前に流行った金八先生シリーズを意識したとしか思えない教師を描いている。

 では名台詞の数である。
 ひいき目に見なかったつもりでも、やはり私が考察するとご覧のようにルシエンがダントツのトップとなる。当サイトで15/48という名台詞欄登場回数はセーラ(15/46)に次いで2位、公式の主役以外なら堂々のトップだ。ルシエンの言動が物語を引っ張っている部分も多く、名場面欄や○○VS○○でもルシエンの活躍が多く見られた。
 公式主人公のアンネットは2位に甘んじている、しかも危なくダブルスコアになるとこだった。数的には弟のダニーと一緒でこの姉弟の印象度は私にとってはほぼ同じだ。
 順位とコメントは以下の通り。

名台詞登場頻度
順位 名前 回数 コメント
ルシエン 15 私の解釈では主役だが、公式には主人公でない。第36話の必死さが伝わってくる台詞と、第39話の決意、第40話の挫折し掛かった台詞がなんとも言えない味を出していて良い。名台詞ではないが第15話の名場面も印象に残っている。
アンネット 公式の主役であるのに1位のルシエンとは大差をつけられての2位である。しかもダニーと同率。公式主人公の面目丸つぶれだな、こりゃ。第15話のあの迫力と、第35話の心の扉を開く台詞が強く印象に残っている。
ダニー 公式の主人公であるアンネットと同率の2位、公式な主人公の弟という点でこの順位は不自然ではない。第25話の台詞に感動した、心に神が宿っていない原作ダニーには言えない台詞だ。
クロード アンネットの母親代わりとしてアンネットを上手に導いたこの人は、物語の要所で大事な台詞を吐いて視聴者の印象に残っている。実は一番印象に残っているのは第33話の次点だったりする。
マリー 原作としてルシエンの良き理解者となった姉、第24話の優しい台詞でこの人の全てが語れそうだ。
ピエール アンネットの父であるが、物語が本編に入るとこの人の台詞は目立たなくなる。2度の名台詞欄登場はどちらも7歳編。第4話の娘を認める台詞がいい。
ペギン クロードと同じ位良いことをいってそうだが、ことのほか名台詞欄には登場しなかった。このオッサンが良いこと言ってもルシエンがもっといい答えを言っちゃったりしたもんな…。
フランシーヌ 公式な主人公の母でここまで名台詞が少ないのは出てきたと思ったらすぐ死んでしまったため。だがそのたった1度の名台詞は物語全体を通しても強く印象に残る物だった。
モレル 鈍い母でも息子のことを思った台詞をサラッと吐いたりしていた。第30話次点欄がこの人の台詞で最も印象に残っている。
ジャン 物語をぶち壊すジャイアンキャラとしての役割を全うしたと思う、1度だけの登場はまさにそんな台詞だった。
馬車の男 通りすがりの男が名台詞、しかもその内容はとても印象に残っている。
エリザベス 最後の方しか出ていないが、この一度だけ登場の台詞にはこの子の「素直になれない」性格を上手に描きだしたと思う。

・ついでに
 「わたしのアンネット」では、ダニーの転落事故や木彫りの馬破壊と言った強烈なシーンが回想シーンとして何度も繰り返し流され、その結果強烈な印象で私の心の中に残った作品でもある。今回の視聴で回想シーンとして流された回数もカウントしてみたのでここで発表したい。順位は回数でなく「頻度」を基準にしている。
 なお第42話ではこれらの回想シーンはパッタリと無くなってしまうため、頻度は第41話までで考えた。なお1度しか出てこない回想シーンはここでは掲載せず、前回の繰り返しシーンとして流された場合もカウントに入れていない(例…ダニー転落で第14話が終わって第15話冒頭がダニー転落シーンの繰り返しで始まった場合等)。

順位 場面 回数
(頻度)
初出回 コメント
1位 木彫りの馬破壊

(7/13)
第28話 回想シーンとしての登場回数は「ダニー転落」より少ないものの、初出から回想シーンの繰り返しが終わる第41話までの間に最も流された頻度が最も高かったシーンである。この間では2話に1度の割合で繰り返し流されたのだから、強烈に印象に残った人も多いはず。
ここまで何度も壊された物も珍しく、この木彫りは破壊された状態で記憶に残っている人の方が多いことだろう。
2位 ダニー転落

(8/27)
第14話 ご存じ「わたしのアンネット」…いや「世界名作劇場」シリーズ一の驚愕シーン。ルシエンのトラウマシーンとして何度も流される。
回想シーンとして流された回数だけで見れば1位だが、初出時期が早かったせいもあって頻度は低い。さらに「木彫りの馬破壊」後だけで見ると、このシーンの回想シーン登場頻度はさらに低下する。それだけ「木彫りの馬破壊」が短い間に何度も流されたと言うことだ。
3位 ダニーの足を返してちょうだい

(5/21)
第20話 今回回想シーンのカウントを取ってみて、一番驚いたのはこのシーンの回数が「ノアの方舟拒絶」シーンよりも多かったことである。「ノアの方舟拒絶」と同一と思われがちだが、複数回に渡って別々のシーンとして回想されている(だから「ノアの方舟拒絶」と登場回数が違うのだが)。
回想シーン登場回数の割には印象に残らず、むしろこの下の2シーンの方が印象に残っているのはどういうことだろう?
4位 ノアの方舟拒絶

(4/21)
第20話 これも「わたしのアンネット」ではかなり有名なシーンだが、回想シーンとしての登場回数は思ったより少なかった。「ダニー転落」と同じくらい流れたような気がするが…ヒロインが怒りにまかせて物を破壊するというのは、繰り返し見せられるまでもなく嫌でも印象に残るシーンだという事だろう。
5位 木彫りのカモシカ投棄

(2/24)
第17話 中盤までは覚えているが、「木彫りの馬破壊」によって忘れられてしまうシーンでもある。ちなみにこのシーン、初出からすでに回想シーンとして描かれている(初出はカウントから除外)。


・はいじま的「わたしのアンネット」解釈
1.ルシエンが越えた峠についての追加考察
 「わたしのアンネット」最大の緊迫シーンであるルシエンの峠越え、その峠について研究してみたのでここに発表する。

2.「アルプス物語 わたしのアンネット」完結版について
 2000年に製作・放映された「わたしのアンネット」の総集編。主人公と視点がルシエンに変更されたが…。

前ページ「わたしのアンネット」トップへ