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第31話 「優のフラッシュダンス」
名台詞 「マミみたいになれるもん…」
(優)
名台詞度
★★★
 学校で優や守に出された宿題は、「将来の夢」をテーマに作文を書くこと。守が優に将来は何になりたいかを問うたところから、今回の物語は本題に入っている。なつめが幼い頃の優は将来の夢がころころと変わったとした上で、現在の優の夢を語ろうとしたところで優が恥ずかしがってそれを止める。そこへ俊夫とみどりが現れ、なつめと守が俊夫に「どんなお嫁さんが欲しい?」「優ちゃんばどう?」と問う。もちろんこれに俊夫は「マミちゃんみたいな人」と答え、優がこれに喜んで「自身がある」と返すと、俊夫は大笑いしながら「外見だけでなく中身もだ」と優に突き付ける。この俊夫の態度に優はこう呟くのだ。
 優が変身した姿がマミであるが、その事実を見た記憶は既に俊夫の脳から消し去られているので二人の物語は23話以前に戻っている。そんな複雑な状況だから優は「(マミみたいになる)自身がある」と大喜びで答えるし、俊夫は大笑いでそれに返す。しかし優にとってはそれでは済まされない大問題、好きな男の子が「理想の人」として語る変身した自分の姿、その上で「変身した自分」と「本当の自分」が比較され、「本当の自分」が笑われてしまう理不尽。この怒りと悲しみが織り混ざった優の心境が見事に描かれ、演じられている台詞だ。
 そしてこの台詞に込めた思いが今回の物語を牽引する。優は魔法が無くてもダンスが出来るようになろうと決心をし、それに向けて努力するのが今回の本題だ。その努力は何よりも好きな男の子に向けられており、優の直向きな想いを視聴者に理解させる要素となって行くのだ。
名場面 テストの後 名場面度
★★★
 「魔法を使わなくても踊れるようになりたい」と一大決心した優は、ダンススクールの入校テストを受けることになる。テスト当日まで猛特訓した優はこのテストに挑むが…シーンはテスト終了後の帰り道まで突然飛ぶ。高架橋上を走る電車の騒音、それに対してがっくり肩を落として歩く優の姿をみれば結果はいうまでもないだろう。優の背中ではネガが優に声を掛けようとするのを、ポジが制止する会話が繰り広げられる。
 大きくため息をつく優の目の前に、優の帰りを待つ俊夫の姿があった。「俊夫…」と呟いて目を潤ませる優に、「オス」と声を掛ける俊夫。優が元気なく「オス」と返すと、俊夫は「チョコパフェ食べに行かないか?」と声を掛ける。これを聞いてか聞かずか優が「俊夫、私…」とテストの結果を言いかけるが、「ダメだったんだろ?」と俊夫が結果を先回りして言ってしまう。力無く頷く優に「でも一生懸命やったんだろ? ならいいじゃん。だいたい丸っきりの素人が三日で踊れるわけないじゃん。まったくやることが無茶苦茶なんだから、もう…」と語る。これに優は「だって、俊夫があんな事言うんだもん。中身がどうとかって…だから、だから…」と返すが、その声は泣き声に変わりつつあった。俊夫は「わかった、わかったから、チョコパフェ食べに行こう! な!」と必死に返す。これを聞いた優が涙をぬぐい、「おごってくれるか?」と問う。「しゃーないな。優の三日間の努力に免じて…」と俊夫が答えると、やっと優は笑顔になって「早く行こう!」と俊夫を引っ張る。
 優がダンスを習おうと決心したのは、俊夫に振り向いて貰いたいというその一心だった。魔法を使ってマミの姿の自分でなく、本当の自分を俊夫に見て欲しかったからだ。今回ではオチでこれが上手く叶ったということだろう、俊夫はこの三日間の優の努力をしっかり見ていて、このような形でちゃんと優に応えるのだ。ここでも俊夫が何だかんだで(自覚があるかどうかは置いておいて)しっかりと優を意識し、優のことをしっかり見ていて大事にしていることが分かるだろう。
 またこの二人の関係が最初に戻ったのではなく、21話時点の二人の関係に戻ったことが破綻なく描かれているのも評価できる。既に俊夫も潜在的ではあるが優の気持ちに気付いており、優を喜ばせることが出来るのは自分だけと思って行動している点だ。こうして25話以降の流れで止まっていたこの二人の複雑な恋愛物語が、また前進を始めるのだ。
感想  今回は物語進行上で重要な位置を占めている話だということは、今回の再視聴でやっと理解した。今回の物語の最大の役割は、25話からの流れでおかしくなった優と俊夫の物語を元の流れに戻す事である。もちろん名場面欄に書いたように「最初の戻る」のではなく、25話直前の状況に戻す事が今回の役割だ。そのために前半では俊夫が25〜27話の流れの記憶を失っているという事を明確にし、これを視聴者に確認させるために俊夫が「優の将来」について笑うというシーンが描かれたのだ。同時に同じシーンで優が将来マミのようになることについて「自身がある」とするのは、25〜27話の流れは劇中の現実であり優の記憶に残っているという事を示唆する役割がある。その上で優が再びこの複雑な関係に悩み、それに従って決心をする直向きさを描き、俊夫がこの優の直向きさに応えるというストーリーでもって二人の関係が「21話以降〜24話以前」の時点に戻ったことを示唆するのだ。
 その中で同時に描かれたのは、優の将来の夢というテーマだ。もちろん彼女の夢は俊夫との将来であり、この想いが劇中全般を通じて揺らいでいない事が明確に描かれている。
 しかし、優が幼い頃になりたかったものの一覧が凄かった。消防士、警察官、看護士(当時は看護婦と呼称)、キャビンアテンダント(当時はスチュワーデスと呼称)、怪獣映画の怪獣役…これらの姿になった優が、二等身で描かれているシーンはほのぼのしていて良かったぞ。
 また今回、守というキャラが「学校の同級生」としてうまく利用されているなぁと感じた。優の家に遊びに来て「宿題」の話題から今回のテーマを引き出すという、なくてはならない役としてさりげなく使われたのである。守を家に連れてきたとき、哲夫が「優が連れてくる友達は男の子ばかり」と不安がるのも、この歳で娘がいる今の私だからしみじみ来る台詞だろう。ま、魔法少女の友達はたいてい男の子ばかりのようだが…。
研究 ・ 
 。

第32話 「二人だけのバレンタイン」
名台詞 「優ちゃんに悲しい思いをさせる俊夫ちゃんなんか、嫌いだー!」
(みどり)
名台詞度
★★
 みどりは見てしまう、悲しい表情で街を歩く優を。その優が通りすがりの小さな男の子に、バレンタインのチョコをあげてしまうところを。これを見たみどりは優から俊夫に渡されるはずだったチョコレートを拾い、俊夫の家の前で彼の帰りを待つ。そして帰って来た俊夫に「俊夫ちゃん、優ちゃんいじめたでしょ?」と単刀直入に問う。「いじめられたのはこっちだよ…」とボヤく俊夫に、みどりは優から俊夫へのチョコを押しつけ、こう叫んだかと思うと走り去る。
 今回、みどりは直接ストーリーに絡まないが、結果的に優と俊夫を結ぶキューピット役を追わされてしまう形になった。その影には優に一目惚れしているみどりの悲しい想いがあるだろう、優が誰かにあげるためのチョコが入った包みを見つけるまでは良かったが、そこに書かれている宛名が自分ではなく俊夫だった時の悲しみは誰にも理解できまい。彼は「優ちゃん…」と呟くだけでその重大な事態を見事に演じ、この物語での存在を圧倒的なものとするだろう。そして沈んだ表情の優と、俊夫に渡るはずのチョコレートが優によってまさに「捨てられた」こと。これは誰の目から見ても優と俊夫が喧嘩別れしたことが理解でき、その大好きな優の気持ちを踏みにじった俊夫が、自分の恋が叶わぬ事を知ったみどりとしてはとても許せなかったはずだ。この気持ちがこの台詞と、この台詞を演じるときの彼の声にすべてこもっている。
 このみどりの悲しくて、怒りに満ちた気持ちがきっちり演じられたことで、今話の物語は完成したと思う。優と俊夫が上手く行けばそれによって溢れる人もいる…これこそが恋愛の本質であることをも見事に描いているのだ。このような恋愛の「光と影」を描くために、多くの物語では恋愛の「ライバル」を設定するわけだが、みどりというキャラがやっとその「影」を演じる立場で描かれることになったわけだ。
 これらのシーンでみどりは優の本心を知ってしまったはずだ、だがまだ彼は簡単には挫けない。今後も「優ちゃんラブ」一筋を演じて優と俊夫の物語に彩りを添えるのだ。
(次点)「バレンタインデーなんか、大っ嫌いだ!」(優)
…物語中盤で色々あって、優が夕陽に向かってこう叫ぶのだが… 激 し く 同 意 。
名場面 教会の屋根裏 名場面度
★★★
 俊夫にチャコレートをプレゼント出来なかっただけではなく、喧嘩した上に「絶交だ!」とまで言ってしまった優は悲しい気持ちのまま街を彷徨う。俊夫にあげるはずだったチョコを通りすがりの男の子にあげてしまい、手ぶらとなった優は幼い頃に俊夫と遊んだという教会にたどり着く。その屋根裏部屋こそが、優と俊夫の思い出の「秘密基地」であったのだ。
 その「秘密基地」に潜り込んだ優は、ネガとポジにここでの俊夫との思い出を語る。そして語るうちに「バカみたい、俊夫ったら、いつもそうなんだから。なのに私…私、つまんないことでひっぱだいちゃった。」と優は泣き出す、これにネガはもらい泣きし、ポジは「すぐ仲直りできるわよ」と優を元気づける。だけど優は「でも絶交だって言っちゃったもん。俊夫、あんなに怒っちゃったもん。もう…もう…」と泣き続ける。すると突如頭上から「絶交なんてやめたよ」と俊夫の声が降りかかる。驚いて優が頭上を見ると、窓から俊夫が顔を出していた。「俊夫…今頃来たって遅いよ。チョコレートはもうないんだから」とすまして語る優に、「あるよ、ホラ」と俊夫は名台詞欄シーンでみどりから受け取った包みを差し出す。驚いて「どうして私のチョコレートが…?」と問う優に、「きっと魔法のチョコレートさ。な、チビ優」と皮肉まじりに返しながら包みを開ける俊夫。「なんだ分からず屋!」と笑顔で返す優に、俊夫は優が作ったチョコクッキーを半分に分けて「一緒に食うか?」と差し出す。このチョコを食べながら優は涙を瞳に溜めながら、俊夫を見上げる。
 一時はどーなるかと思った優と俊夫のバレンタインデーの大喧嘩は、こういう形で決着がつく。喧嘩してもやっぱり俊夫との楽しい思い出が忘れられない優と、みどりを通じて優からのチョコレートを受け取り、さらに自室に用意されていたパーティの準備と優からの手紙を見た俊夫の想い。やはり俊夫にとっても優が大事な存在であるからこそ、このような決着がついたのは間違いない。それがよく分かるシーンだ。
 何よりもこのシーンで二人が出会った後は、二人の表情が笑顔なのがよい。こういうときこそ会いたい、会わねばならないという二人の気持ちがうまく描写されていると思うのだ。これによって前話を受けて今話では、二人の関係が一歩前進したことが明確になるシーンでもあったはずだ。
感想  女の子向けのアニメ、または女の子が主役だったり準主役だったりする物語で、その女の子が誰かとの恋愛関係にある場合において避けて通れないイベントがバレンタインデーである。今話はひのバレンタインデーを「クリィミーマミ」的に描く話ではあるが、驚いたことに今回マミが出てくるのは森沢家の居間のシーンで哲夫となつめが見ていたテレビに映っていたマミ程度のもんだ。他の魔法少女アニメとの比較で言えば、この「クリィミーマミ」のバレンタインデーの話では魔法が一切使用されておらず、出てくるキャラクターの実力だけで問題が解決して、物語の主恋愛関係が前進していることだ(優が作ったチョコに天使が舞い降りる設定にはなっているが、これには特別な力はなく本人が努力しなければならないことは劇中でネガが語っている)。そして今回、優と俊夫は「過去を共有する」という体験を通じて距離を縮めることになる。
 同時に名台詞欄に書いたことだが、優に片思いのみどりが「優が誰が好きなのか」を知ってしまうのが今話のもうひとつの点である。ここまでのみどりは単に「優ちゃんラブ」だけで良かったのだが、ここからは目の前にある「俊夫」というハードルを意識しなければならなくなるのだ。こうして25話以前の「前半」との差別化をさらに強めて行くことになる。
 しかし、優と俊夫の幼い頃の思い出シーンでは、二人は暖房も毛布もない屋根裏部屋で冬の一夜を過ごしたことになっているが、これって生命に関わる行為だと思うぞ。劇中ではこの思い出シーン、優が4歳位、俊夫が8歳位に描かれていたが、この歳の子供が一晩家に帰らなかったら街は大騒ぎになると思うけどなー、その辺りはどうだったんだろう? それと二人が自力で「脱出不能」となった屋根裏から、どう帰ったのかも疑問だ。でも今話のとってもいい内容の前で、こういう野暮なツッコミは無しなんだよなー。
 しかしラストシーンで雪が降るのだが、「クリィミーマミ」劇中の東京の冬はよく雪が降るなー。だけど史実でも「クリィミーマミ」が放映された1983〜1984年の冬は記録的な寒冬〜寒春として記憶に残っていて、東京では大雪が繰り返し降って総降雪量は89センチという記録を作っている。それだけではなく千葉市でも20センチを超える積雪を観測した日があったり、温暖な房総半島の館山市でも積雪10センチという観測史上最高記録を達成したほどだ。もちろん関東地方だけでなく北は北海道から南は九州まで各地で積雪に関する記録が塗り替えられた冬でもあった。ただし劇中で描かれたクリスマスやバレンタインデーの当日は東京で降雪は観測されていない、3日後の2月17日は東京も大雪だったとのことだ。
研究 ・ 
 

第33話「恐怖のハクション!」
名台詞 「ひぇ〜っ、面白いなぁ。やっぱ普通の猫じゃないよ、ネガは!」
(守)
名台詞度
★★★
 学校を休んでまでネガのために薬草を煎じていた守は、薬を優の家に届けに行ったときに哲夫から事の次第を聞かされたのだろう、嬉しそうな顔をしてこう言いながら街へと走り出す。
 この台詞が「来る」のは物語がもっと進んでからだ。守はネガが単なる風邪だと思って風邪薬を作ったはずである。だが事態は常識的にどう考えても風邪なわけがない。もちろんこの台詞の段階ではその常識では起こりえないことが起きていると、守は認識していたはずだ。ところが巨大化したネガを見て守は何のためらいもなくこの風邪薬を飲ませる、そこでこの台詞とのギャップを思い出してしまうという見事な内容になっている。
 しかも、ネガの病気(?)はこの風邪薬で治ってしまうのだからこれまた笑える。こんな面白い構造の物語を描き、その面白さを生み出す「矛盾」を見事に演じた守が印象に残る話であるし、今回の守の演技を象徴しもっとも印象に残った台詞がこれだったのだ。
(次点)「ああ、フェザースターで死にたかった…。」(ネガ)
…今回、ネガの台詞も印象に残るものが多かったが、その中で最も印象に残ったのがこれ。守が作った薬を飲んだ後、高熱と頭痛に苦しむネガの台詞だ。やはり「死ぬかも知れない」という緊急事態に彼が思ったことは故郷のことだった。この思いをきっちり演じた肝付さんに拍手。
名場面 発覚 名場面度
★★★★
 今回、まず最初に「ネガが太った」とされて画面上でも確かにネガが一回り大きくなったように描かれた。これはポジとの体格の比較でもよく分かるだろう。だが中盤に差し掛かったところでネガを見た守が「風邪を引いている」として、同時にネガも「風邪」の自覚症状を訴え始めることで、ネガは「風邪」だという前提で物語が進む。だが一見「太った」と「風邪」は相関がないように感じるが、この相関を発見するのは優でも守でもなく、優の母のなつめだった。
 優の両親がネガが早く治るにと思いを込めて作ったクレープを、最初は優に部屋にいるネガのところへ持って行くように言うが、優は「守がネガの薬を持ってくるはずだから」という理由で行こうとしない。やむなくなつめがネガにクレープを届けることにする。「お待ち遠様」となつめが部屋のドアを開くと、序盤では「太った」だけと思われていたため食事抜きなどのダイエットを強要されていたネガは、クレープを抱きしめながら涙を流す。なつめが「ここに置いておくから全部食べるのよ」と言ってクレープを置き部屋から出て行こうとすると、突然ネガがくしゃみを連発する。これに振り返ったなつめは、くしゃみの前後でネガの身体の大きさが違うように感じた。試しにネガをつまみ上げて鼻をくすぐってくしゃみをさせると…くしゃみの度にネガの身体が大きくなって行くのだ。「信じられないわ!」と叫んだなつめはネガを抱いて家の階段を駆け下り、店舗にいる哲夫の元へ走る。まだネガは何が起きているか理解できていないが、ポジが「くしゃみする度にあなたの身体が大きくなっているのよ!」と説明され驚く。
 店舗に来たなつめは、哲夫だけでなく優や俊夫に「ネガを見てなんか気が付かない?」と迫る。これに優が「また太ったみたい」と答えると、「それよ!」と叫んで皆の目の前でネガにくしゃみをさせる。するとネガはまた身体が大きくなり、いつも付けている首輪がはち切れる。「ねぇ、見たでしょ!」と言うなつめに一同驚いて声も出ない。
 このシーンのポイントとして挙げられるのは、このネガの「異変」に最初に気付いたのがいつも一緒にいる優やポジではなくなつめだったこと。ネガが普通の猫ではないという事実を知らないなつめが見つけるからこそ、彼女の慌てぶりと「バレるのか?」という緊張感がこのシーンを盛り上げている。同時に「何も知らない人」がこの「異変」を見たらどうなるか、という点が克明に描かれているからこそこのシーンは面白い。
 そしてネガ本人がこの「異変」に自分で気付いていない点は彼のキャラクター性がよく出ていて良いだろう。この二つの要素が「異変が発覚する」というこのシーンを見事に盛り上げていて、本当に面白いシーンとして描かれた。
 その上面白いだけでなく、今後の物語展開への期待と不安を見事に煽る。もちろんそれは「ネガが何処まで大きくなるのか?」という一点だ。ネガがどうやって快復するかという問題よりも、見ている方はこの本人にとってはたまらない方の問題に不安と期待を寄せ、物語に取り込まれて行くのだ。
感想  この回はよく覚えてる。本放映当時に見て笑い転げた記憶は今でも鮮明に覚えている。
 今回もネガが主役だが、10話のようにネガ主導で物語が進むのではなく、「いじられ役」としての主役だ。ネガをさんざんいじり倒し、その上で起きる優を初めとするドタバタ劇を面白おかしく描いていた。物語を面白く盛り上げるためにマミやパルテノン・プロの人々の登場は最小限に抑えられ、彼らは「マミ(優)の周囲に風邪を引いている(いた)人が大勢いる」という事を示唆するためだけに物語に出てくることになる。もちろん序盤の風邪を引いてマスクを着用していた俊夫にもこの役割は担わされている。こうしてネガが何故病気になったのかを明確にしつつ、誰の風邪がネガに感染したのか分からないという点も話をおかしくする要素のひとつであろう。
 その上でネガの病気の内容を「常識的には考えられない面白おかしい内容」として描いたのも秀逸だ。例えばネガがただ熱を出して鼻を出してくしゃみをしているだけなら、この話は面白くも何ともない。これに「くしゃみの度に身体が大きくなる」という要素を付け加えるだけで、周囲の反応が大きく変わってこんなに面白くなるという事の良い実例となるであろう。
 しかし、後半から新登場の守は「野生児」の次は「薬屋」か。「北海道生まれ」というキャラと偏見を大袈裟にするだけで、ここまで何でも出来るキャラになってしまうとは思わなかった。しかもネガをしっかりした手順で「風邪」と診察してしまう辺りは、「野生児」としてのキャラも十分に活かされていると思う。名台詞欄に書いた要素と言い、今話は守の存在もこのドタバタ劇を盛り上げる要素になったのは間違いないだろう。
研究 ・ネガの病気
 今回、ネガは病気に苦しむ。最初はネガがちょっと太ったようにしか描かれず、優やポジも「ネガが太った」として強制ダイエットなどの方策をとるが、守によって「舌が赤い」「熱が出ている」といった症状を指摘されるに及んで「風邪」と周囲は判断する。以降ネガは高熱と頭痛や身体のだるみに苦しむわけだが、その際になつめが「くしゃみをすると身体が大きくなる」という症状を発見したことで、ネガの病状の全体像が判明するという展開だ。
 確かにネガの症状をよく見てみると、「くしゃみをすると身体が大きくなる」という症状以外は任務玄の風邪によく似ている。風邪と言うのは主にウイルスらよって引き起こされる上気道の炎症で、頭痛・発熱・鼻づまり・しくゃみ・倦怠感などの症状を引き起こす。もちろんウイルス性なので人から人へと感染する。
 ネガは地球外生命体である、ポジの台詞によりネガが生まれたフェザースターには病気が無いことは確認されている。つまりフェザースターには病原菌のそのものがないか、ウイルスなどがあっても病気にならないかのどちらかであろう。このような場所から来た生命体が、地球上の風邪のウイルスによって地球人の風邪の症状を引き起こしただけでなく、ウイルスとフェザースター人(?)独特の身体的構造が何らかの相乗効果を起こし、ネガに「くしゃみをすると身体が大きくなる」という症状を付け加えたと考えられる。
 問題はネガの身体のサイズだ、普段のネガは立位での身長が20センチ程度と考えられる(これは優との身体のサイズの比較から割り出したものだ)。だが風邪を引いて巨大化したネガは、最終的に立位で2メートル程度になったと考えられる。身長で10倍になったと言うことは、体重で1000倍になったと考えて良いだろう(ちなみに大きさから普段のネガは体重200g程度、風邪で巨大化すると200kgと推定される)。
 これだけサイズが変わるとなると、巨大化した分の栄養を何処からか補充しているのは確かだろう。クレープにそんな栄養価あるか?とツッコミたくなるが、やはりこれしか食べていないようだ。しかも「くしゃみをすると巨大化」なのだから、くしゃみをしたきっかけに食べ物が吸収された栄養が肉体の成長へと回されているわけだが…ダメ、これはどう考えてもこれ以上の考察は無理。
 さらにネガはラストシーンでは一晩で元の大きさに戻っている。ということは治る際に199kgと800g分の肉体が何処かへ消えているわけだ。まさかそれが垢となって優の部屋に堆く積まれているというのは考えたくない。
 これらの現象こそネガが持っている魔法の力が関係しているとしか考えられないだろう。風邪のウイルスがネガの魔法を司る神経を侵し、ネガが魔法を自分で操れなくなったということだ。同時にくしゃみによって身体に衝撃が加わると、魔法を司る神経がこれを受けて魔法の力を放出し、ネガの身体を大きくするという力としてしまったのだろう。勿論体内から風邪のウイルスが無くなった時点で魔法を司る神経も元に戻り、ネガは自分で魔法を使って元の姿に戻ったと解釈すべきだろう。

第34話「スネークジョーの逆襲」
名台詞 「ちょっとちょっと、あなた私がいくつだと思ってるの? こんな大きな子供がいるように見えますか!?」
(なつめ)
名台詞度
 スネークジョーが仕組んだ「どっきり」にまんまとはまってしまい、マミはテレビ収録中になつめの事を「ママー」と呼んでしまう。これをスネークジョーに指摘されたマミは「正体がバレた」とがっくりと腰を落とすが、このマミ絶体絶命のピンチを救ったのは森沢なつめ(28)のこの台詞だ。
 テレビカメラに向かって「全国のクリィミーマミファンの皆さん、マミちゃんのご両親です」と得意げに語るスネークジョーに対し、なつめがこう反論したことでこの「マミのピンチ」ムードは一気に氷解するのだ。目の前にいる人気ナンバーワンのアイドル歌手が突然「自分達の子供だ」と言われた驚きよりも、彼女は自分の若さが否定され「おばさん扱い」されたことの怒りが上だったのだ。そうだ、28歳ならまだまだ若いし、本人も若さを自覚している年齢だ。なのに突然16〜17歳の女の子を指さして「あなたの子供です」と言われて納得する訳がない。その「納得できない」という気持ちと、前述の「おばさん扱い」された怒りを担当声優が見事に演じている。
 もちろん、この台詞は今回の視聴までの間に、自分がその年齢を超えてきたからこそこの時のなつめの気持ちが分かるから印象に残ったのだ。本放映時や再放送時の視聴では、この台詞はなつめのギャグとしてしか認識できなかったはずだ。まぁ中学・高校生から見たら28歳ってすごく大人だし。
 この一連のやり取りで、なつめの年齢が28歳だと分かる。この抗議にスネークジョーが「おいくつですか?」と聞くと「28よ」と答えるのだ。つまり劇中設定と合わせると、なつめは1955年(昭和30年)生まれ、現在は54歳になっているはずだ。ちなみに優が10歳だから、18歳までに結婚して子供を産んだことになる。若いなー。
名場面 どっきりカメラ 名場面度
★★
 今回、マミが「どっきり」系の番組に出演する。マミが「一日郵便局長」としてある郵便局でキャンペーン活動をするという設定だが、マミが少し席を外した間に郵便局がクレープ屋に変わっているという「どっきり」だ。これはマミを尾行したスネークジョーが、たまたま変身を解かないままで森沢家に帰って来たマミの姿を見てしまったために仕組んだもので、クレープ屋は森沢家と全く同じものが作られ、店員も哲夫となつめという力の入れようだった。さらに店員役の二人に内緒で店に強盗が入るというどっきりも用意され、哲夫となつめをピンチに陥れることでマミに両親を呼ばせ、マミの正体を暴くという内容であった。
 この企みは万事上手く行く、台本になかった強盗乱入で立花の慌てふためきもカメラに収めるというおまけ付きだ。そしてこの流れの中で「強盗」が哲夫となつめを人質に取ってなつめにピストル(のようなもの)を突き付けたとき、スネークジョーの企み通りマミは「ママー」と叫んで哲夫となつめを助けに行ってしまう。セットの外ではスネークジョーはほくそ笑む。
 このシーンで多くの人が思っただろう、「やっちまった」と。ここまで突然の出来事に落ち着いて対処していたマミ(優)であったが、母親にピストルが突き付けられるという状況になるともう抑えられなかった。これと大人だったとしても同じ結果になったと思う(もしある日、会社の事務所に入る扉を開けてみたらそこは実家で両親がいたらどうなるか考えてみよう)。こうしてよりによってテレビカメラの前でマミは本性をうっかり出してしまい、完全に正体がバレるというマミ絶体絶命のピンチを迎えるのだ。このピンチをどう乗り越えるのかと、視聴者は思わず画面を見入る。
 そして続いての名台詞欄シーンで、見事にピンチを乗り越えるのだ。
感想  ジャイアンキターーーーーーーーーーーー!!!!! トンズラーキターーーーーーーーーーーー!!!!!!
 「元俳優」(名場面欄シーンの「強盗役」)の声は当サイトの考察作品では初登場のたてかべ和也さん。なんか子供の頃に聞いたジャイアンの声に再会できてとても嬉しかったぞ。これで「クリィミーマミ」にはスネ夫に引き続きジャイアン、ボヤッキーに引き続きトンズラーが出たって訳だ。こうなるとドロンジョ様の声が欲しいなぁ!
 声優ネタは置いておいて、今回では5話でめぐみが「優=マミ」と気付いたのに続き、今度はスネークジョーがマミと森沢家の関係に気付く。両親が不在という理由でマミの姿のまま森沢家に帰宅したところを、スネークジョーに目撃されてしまったのだ。スネークジョーはそこで写真の一枚でも取っておけば良かったのに、それを怠ってわざわざ「どっきり」を仕組んでマミの正体を暴こうとする。だが5話のめぐみとの大きな違いは、スネークジョーはマミの正体を暴くことに成功したことだ。
 物語はスネークジョーにマミの正体を暴くことを成功させた上で、マミの正体がバレずに済むという意外な展開を辿る。もうなつめを若い母として一貫して描いてきたのは、このような展開を作るためと思っちゃったほどだ。そのなつめの「若さ」により(年齢設定が28歳とハッキリする)、この女性が「16〜17歳のマミの母親である」という事実を誰も信じないという今回のオチが描けるようになったのは事実だろう。だが一度はマミの正体はバレているので、それなりのハラハラドキドキがあったのは見逃せない。
 しかし、スネークジョーっていつから「芸能リポーター」に鞍替えしたんだ? 彼は初登場ではパパラッチだったはずだぞ。本放映時は一発屋キャラだと思っていたけど、今後何だかんだで登場回数が増えていたような記憶がある。
研究 ・ 
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第35話「立花さん、女になる!?」
名台詞 「ボケー! 地球人っていうのはこうも簡単に外見に惑わされちまうものなのかよ?」
(ネガ)
名台詞度
★★★
 マミがこの日の仕事の控え室に到着し、一人になると持っていた化粧ケースの中からネガとポジが顔色の悪い表情で出てくる。ネガは震えながら「うげーっ、気持ち悪い」と言い、ポジは「なんなのよあれは?」と言って倒れる。マミが「どうかしたの?」と問うと、ネガが「どうかしたのじゃないよ、立花だよ立花!」とマミに訴える。マミが「今日はお休みよ」と答えると今度はポジが「だっていたじゃない、女の格好しちゃってさ」と返し、ネガが「あれ立花だぜ」とマミに訴える。マミは信じられない話に「うっそー?」と返すと、ネガは「本当よ、わかんなかったの?」とマミに言う。ここに及んでマミも突然やってきた「ひとみ」を名乗る女性が女装した立花だと気付き、「立花さんってきれいね」とズレた事を言い出すが、これに対してネガが放った一言がこの台詞である。これにポジが「あー、やだやだ」と添える。
 この台詞が今話で立花が考えた作戦の問題点を突いていると思う。ネガやポジもマミ同様になぜ立花が女装して現れたのか分かっていないが、立花が何らかの理由で誰かを騙すために仕掛けた事は間違いないと踏んでいるはずだ。その事実に対して「外見だけで惑わされてはならない」という教訓をマミと視聴者に訴えると共に、外見だけ変えてもだませない人間がいると身をもって示唆することになった。つまり人間は中身が勝負であって、外見の善し悪しの問題ではないという人生において大きな教訓を、ネガがさらりと言ってのけた台詞である。
 さらにこの台詞は今話のストーリーだけでなく、「クリィミーマミ」だけではなくすべての「変身もの」の物語に対する挑戦とも受け取れる。その変身によってどんなに姿形がかわってもやはり1人の人間であり、その中身は変えられないはずだとする変身キャラに対する挑戦状だろう。こういう意味においてはこの台詞、「クリィミーマミ」という物語自体を否定しかねない。だが「クリィミーマミ」という物語が「変身」につきまとう「影」の部分も余すところ無く描写している事を考えれば、この台詞が物語の方向性をさらっとバラしてしまったという考え方も出来る。この視線で見ると、女装した立花を見て「妻に似ている」と一目惚れしてしまった立花の父の言動(名場面欄)も、この台詞に通じるところがあると見る事が出来るだろう。
名場面 出会い 名場面度
★★
 この日の仕事でテレビ局へ向かったマミと木所、それに立花が女装した「ひとみ」を名乗る「女性」。彼らがテレビ局に入るとロビーに実業家である立花の父が立っていた。立花の父と「ひとみ」の目が合い、立花の父は走り去ろうとする「ひとみ」に「待ちたまえ」と声を掛ける。立ち止まった「ひとみ」に「もっと顔をよく見せてくれ」というと、立花はもう「バレた」と思って必死に振り返るのを拒否する。だが立花の父が「ひとみ」の顔を無理矢理自分の方へ向けて「う〜ん」と唸ると(この際の「そ、そんなこと…いや〜ん」という井上和彦さんの声はすてきだ♪)、「似ている、私は神にこの運命の悪戯を感謝せねばならない、この胸のときめき、君は何故そんなにも亡くなった私の妻に似ているのだ?」と訴える。驚いて声も出ない「ひとみ」に、立花の父は「ひとみ」をナンパしようとあれこれ声を掛ける。
 このシーンは物語の雰囲気やテンポといったものを瞬時に変えてしまったシーンだ。そういう意味では12話の名場面欄シーンと状況は似ている。恐らくここまで、マミの連絡先(つまりは正体をも暴くことになる)を暴こうと女装した立花によるマミのピンチが描かれると多くの人が思っていたことだろう。そして前話と同じようにマミの正体がバレかかるような、厳しい展開を多くの人が想像したに違いない。
 女装した立花に対し、木所がそうとは知らずに一目惚れするのは彼のキャラクター性を考えれば、物語がどっちの方向へ進むとしてもそれは「あり」である。だが立花の父が相手ならそうは行かない、立花の父は女装した息子にそうとは知らず「妻にソックリだ」と言ってナンパしてしまう。つまりこの瞬間から物語は「マミの正体を暴くために女装した立花の物語」ではなくなってしまい、「女装した立花を巡るドタバタ劇」というお笑い路線に転化したのだ。
 そしてこのシーンをきっかけに物語はドタバタ劇としての要素を、短時間で加速度的に付け加えることになる。先に一目惚れしていた木所との「ひとみ」の奪い合い、立花が誤って女装のメイクを落としてしまうこと。それに続き名台詞欄シーンで既に「ひとみ」の正体を見破っていたネガとポジによって「女装」によって騙す相手だったマミに正体が知らされることによって、当初の展開となりかけていた「マミの正体を暴くために女装した立花の物語」という構図が音を立てて崩壊するに及ぶのだ。この路線変化のきっかけは何もかもこのシーン、「クリィミーマミ」には物語の雰囲気を瞬時に変える展開は多いが、このしーんもその典型のひとつなのだ。
感想  今話も「あったあった」と思いながらの視聴だった。前半で「また前回と同じような内容かよ…」と思いつつ見ていたのに、後半に入ると名場面欄シーンをきっかけにしてお笑い路線へと物語が変わって行く。そして気付くと「女装した男を巡るドタバタ劇」として物語が幕を閉じる、今話は特に視聴時間が短いと感じる回でもあった。
 今回の冒頭で「遅刻するマミ」の夢を見てうなされ、「せめてマミの連絡先さえわかれば…」と悩む立花の姿は、「マミの正体が暴かれる」という不安をかき立てるのに十分だろう。そして立花がめぐみのマンションを訪れ、事情を話すと色んな事があって立花が女装してマミに密着するという作戦が立てられ、これを実行すべく立花が女装させられるまでを手を抜かずに描いてきたのがこの物語のポイントだ。前半の物語設定を「マミの正体を暴く」という方向で一貫させ、その方向性で手を抜かなかったからこそ後半の物語の転換以降が面白く盛り上がったのは否めない事実だ。木所のボケはあくまでも通常の範囲内で、これは物語にオチを付ける際の「立花の女装を解く」鍵となる伏線である。このような「違う物語」に向けての伏線を物語前半でしっかり張っておいたのも、感心した点である。そしてその伏線までも「ドタバタ劇」の要素として取り込んだのだから…本当に木所っていうのは使い勝手の良いキャラなんだなー。
 それと立花を演じる井上和彦さんのオカマ声、これがわざとらしくなくてとっても良かった。子供の頃にこの人のこういうシーンを見せられていたから、大人になった今でも「名探偵コナン」とかでこの人の声を聞くとつい「ニヤリ」としてしまうんだろうな。
研究 ・ 
 

第36話「銀河サーカス1984」
名台詞 「1991年、ペーター再び森沢優と会う…か。」
(俊夫)
名台詞度
★★★★
 今回、優と俊夫は「銀河サーカス」というフェザースター運営(?)のサーカスに迷い込む。このサーカスに所属する100年前の少年ペーターが優を気に入り、守の身体を借りて優を連れ去ってしまおうと企んだためだ。結果、優は連れ去られずに済んだが、俊夫が優をこのサーカスから助け出す過程で俊夫は優の未来をひとつだけ知ってしまう。その内容を示すのがこの台詞だ。
 今回俊夫が演じたのは、優がこの銀河サーカスに連れ去られてしまうという事を知り、このサーカスの秘密を暴いて優を助けるという役回りであった。勿論これは優を失いたくないという一心での行動で、これが功を奏して俊夫は優の救出に成功して物語は幕を閉じた…かに見えた。だが物語は終わってなくて、俊夫が気にしていたのは銀河サーカスの中で見た文書、その中で優の名前が2回出ていたことである。そのうちひとつは今回、もうひとつが7年後であった事実だ。
 つまり俊夫の不安は、この時に優が連れ去られてしまうのではないかという不安だ。今回は何とか助け出せたが、7年も先のことを考えるとその時まで優との付き合いがあるのかという不安もあるだろうし、何よりも優を手元から離したくないという不安があるのだろう。こんなペーターに対する不安と嫉妬を感じさせる一言である。
 もちろん、時代軸を現実世界と合わせている「クリィミーマミ」においてはその結果は描かれていない。私が知る限り続編のOVAでも描かれていない模様だ。1991年、優とペーターは出会ったのか? そしてどんな物語があったのか? その物語は視聴者の想像に委ねられたわけだ。ただこの時に困るのは、1991年には優は立派な女子高生になっているはずだが、「20年に1歳しか歳を取らない」という銀河サーカスのペーターはまだ12歳の少年のままだという問題だ。
名場面 「銀河サーカス」との出会い 名場面度
★★
 ある日の夕方、優は守とガラクタ置き場で走り回っていた。2人が一緒に夕陽を眺めると、鳥を追って守が何処かへ走り去ってしまい、その間に俊夫が現れる。優と俊夫が並んで歩き出すと、突然2人の目の前が激しく光り輝き…その光の中から普段とは違う格好の守が現れる。同時にここから劇中の登場人物の描写が、ピンクの濃淡による単色の表示になる(モノクロでなくモノピンクというべきだろうか)。
 物語の出だしであるが、ここで出てくる守の描き方、そして同時に優や俊夫も含めたキャラの描写から「色」が失われることによって、今回はホラームードで物語が進むことを明確に示唆してくる。特に守の表情や口調などから、この守がニセモノであることが視聴者の誰もが理解できるように作ってあるのは秀逸だ。ここではいかにして視聴者に「優のピンチ」が唐突にやってきたことを潜在的に知らせるかが重要だが、これに成功して見ている者を物語につよく引き込む力があったと思う。同時にどう見てもニセモノ臭い「守」の正体が気になるし、優が同ピンチから切り抜けるのか、俊夫がこれにどう活躍するのが気になって来るであろう。
感想  今回はサブタイトルと内容のギャップが大きく、視聴者が油断しやすい回でもあろう。「銀河サーカス」というどことなく魅力的なサブタイトルを見れば、14話のような展開を期待する人は多かったと思う。そこに物語は序盤の名場面欄シーンから、ホラームードを強く匂わせて話を進める。そして今回の主役は優ではなく、この銀河サーカスに取り込まれ掛かった優を見ている俊夫だったようにも感じた。
 物語のホラームードを盛り上げた要因のひとつに、今回の名場面欄シーンから中盤が終わるまでの優の演技によるところが大きいと思う。どう見ても現場の雰囲気が怪しくて、どう見ても騙されてそのまま連れて行かれてもおかしくないような雰囲気に対し、笑顔でまるで何かに取り憑かれたかのようにのめり込んで行く…、その優の笑顔に合わせてうまく「取り憑かれちゃった」感を出した太田貴子さんの演技がとても良かったと思う。それに対し今ひとつ世界にのめり込めず終始不安を感じ、秘密があることが分かると必死に優を助けようとした俊夫の演技もよかった。さらに俊夫は物語が全部済んだ後の、守に化けて優を取り込もうとしたペーターに対する嫉妬や不安の感情も上手く表現したと思う。
 そしてこの物語では明確な「未来」をひとつ提示し、その未来で何が起きるのかを視聴者の想像に委ねて物語が終わったのは好感だ。恐らくこのネタを伏線として、「クリィミーマミ1991」みたいなのを作っても安易すぎて白けただけだと思う。1991年の優に何が起きたのか、これを想像するだけで今話はもう一度楽しめる、そんな壮大な物語なのだと私は思った。
研究 ・「銀河サーカス」
 今回、優は「銀河サーカス」というサーカス団に取り込まれそうになる。見た目は普通のサーカス団だが、画面の描写をわざと不気味にしてあるので普通のサーカスではないことは多くの視聴者が理解できるよう描かれている。そしてその通りで、このサーカス団にいる100年前の少年ペーターによって、このサーカス団はフェザースターのものだと言う事が分かっている。
 ただフェザースターのものであっても、ネガやポジが何故知らなかったのかという疑問は残る。これは私の解釈だが、このサーカス団は宇宙のあちらこちらを回っているためネガやポジは存在だけ知っていて実際に見たことがなかったと考えられる。だから見ただけではこれが自分達と同じフェザースターの存在だという事実に気付かなかったのであろう。
 100年前の少年、ペーターはずっと病弱でサーカスに入るのが夢だったという。だが病床で過ごしていたある日にフェザースターの舟が自分の元に降りてきて、この銀河サーカス団の一因として加えて貰ったのだという。この思い出を語るシーンでピノピノが出ているので、これもピノピノの裁量によって決められたことなのだろう。以降彼は20年に1歳だけ歳を取るという状況となり、このサーカスと長い旅をすることになったのだろう。その途中で地球に立ち寄り、優を見て一目惚れしてこのサーカス団に取り込もうとしたのだろう。
 このペーターの話を突き詰めてみると、どうやらこのペーターというのは銀河サーカスに取り込まれた日に病気で死んだのだと思われる。それでは可哀想というのでピノピノが彼の夢を叶え、魂だけを銀河サーカスに入れたと私は解釈している。もちろん肉体は死んだのだからその身体はもう存在しないだろう、彼の魂はフェザースターの妖精のような扱いで新たな実体を手にしたと考えるべきだ。つまり、今回ペーターの策略が成功して優がこのサーカスに取り込まれたら、優は守と遊んでいたガラクタ置き場で事故死かなんかの扱いで死亡、という事になったのだろう。ひゃー、恐ろしや。俊夫は優の生命の恩人ってことになる。
 恐らくその場合、俊夫はそのまま現場に放り出されただろう。で目の前に優の死体を発見したわけだ、その屍の脇で狼狽えるネガとポジ…想像したくない画だなぁ。だいたいこの優の最大のピンチに、そうだと気付かないネガとポジは問題だと思う。この失態をピノピノに知られたら…どうなるだろう?
 こう考えると、今回は優の生命まで危ないという劇中最大の危機であっただろう。魔法でマミに変身するのを知られるよりヤバかったと思う。その危機から主役を救った俊夫は偉い、うん、流石にもう一人の主役だけある。

第37話「マリアンの瞳」
名台詞 「行くっきゃない。紅小路さん家行ってみる、こんなことされて黙って引っ込んでられないもの。私、どんなことがあっても真実を突き止める。」
(マミ)
名台詞度
★★★
 マミがファッションショーで着ることになった「マリアンの瞳」に何らかの秘密があり、それを利用してマミを亡きものにしようという陰謀があることを知ったマミが動き出す。最初はあまり乗り気でなかったものの、自分が入っていた電話ボックスが暴走トラックの特攻を受けて破壊されるに及び、この台詞を吐きながら決意を新たにする。
 いや〜、カッコイイ。この台詞を吐いているのが女の子だが、敢えてこう言う感想を残しておきたいね。トラックに轢かれかかったマミが立ち上がり、どこからともなく吹いてきた風に髪をなびかせながらこの台詞を語られたら「カッコイイ」と言うしかない。どんなシーンでもマミの髪型は崩れることはなかったが、ここで敢えて風で崩れる事によってこのシーンおけるマミの緊張感を強く表現し、物語を大いに盛り上げる。
 そして今話では最後にどーしよーもないオチがつく訳だが、そのオチに向けて視聴者を恐怖に高ぶらせる役目がこの台詞とマミの描写にあるのだ。
名場面 「マリアンの瞳」初登場 名場面度
★★
 パルテノン・プロではマミとめぐみが登場するファッションショーに、「マリアンの瞳」と呼ばれる伝説的なウェディングドレスが出展されることが語られている。その頃、優はマミに変身すべくパルテノン・プロの更衣室に忍び込む。そしていつも通りマミに変身して更衣室を出て行こうとするが…「何か気配を感じる」とポジがマミを制止する。ポジが気配を感じた方向は更衣室のカーテンで区切られた区間、ここに恐る恐るマミが入って行くと…そこにはきれいなウェディングドレスが飾られていた。これこそが「マリアンの瞳」である。
 マミは「きれい…」と見とれ、ドレスの周りを回りながら「着てみたいな、こんなドレス」と大はしゃぎ。だがドレスの胸元が血で赤く染まっているのをポジが見つける、「え?」とマミが胸元を見入るが、ネガがマミに仕事があるから急げと急かすことで、謎解きはされず放置されることになる。
 今回の物語の冒頭部分であるが、今回の主役となる「マリアンの瞳」というウェディングドレスを印象的にマミと対面させる。そしてわざと目立つように見せる血で染まった胸元、多くの視聴者はこのドレスに秘められた謎と、マミの運命に嫌でも胸が高鳴るシーンだろう。このシーンも冒頭で視聴者の興味を引く秀逸なつくりになっているのだ。
感想  いや〜、油断した。こんな油断させられる物語は初めてだったわ。この話、何らかの理由で本放映時も再放送時も見逃したのかな? 当時全く見た覚えがない、いや当時に見ていればこれだけ油断する物語なら当時のことをハッキリ覚えているはずだ。どう考えても今話を最後まで見て騙されて、「油断した」という感想が残るのは一回限り有効の内容だから。
 前話に引き続きホラーモードで物語が展開し、しかも前回と違うのは終盤を迎えても物語が決着を付ける様子がないことだ。最後の方は本当に「どーなるんだこれ?」と騙され続けていたもんたなぁ。最後にどういうオチがつくのかはここでは敢えてネタバレさせず、どうしても気になる方はDVDを買うなり借りるなりして実際に見て欲しいと言うしかない。いや、この物語はオチのネタバレがあったら絶対に面白くない、多分今話を見終えたばかりの私がもう一度見てもつまらないだけ、そう断言できる。
 「敵を騙すにはまず味方から」とはよく言ったもので、敵(=主人公と視聴者)を騙すために物語に矛盾が生じてしまうのを覚悟の上で、登場する主人公以外の全キャラクターが総出で敵を騙しに掛かる。今回限りのキャラであるファッションショーのディレクター(またまた担当声優が村松康雄さん)も、ポジの些細な言動も、果ては物語の設定やこれまでの流れ全てが、物語中盤まで主人公と視聴者を徹底的に騙しに掛かるのだ。そしてこれまで「クリィミーマミ」を真面目に見た人ほど、ここで騙されやすいというとんでもない落とし穴がオチとして用意されているのである。だから私の感想は「油断した」としか言いようがないのである。
 ここまでの感想の通り、今話はまさにマミだけでなく視聴者である我々を騙す回だったと思う。こんなかたちで騙されるアニメって全く無いわけではないが、唐突に出てくると本当に面白い。でももう見ないぞ、今話を次に楽しめるのはこの内容を忘れた数年後と言うことになるだろう。
研究 ・(今回の研究欄)
 書きたいことはあるのですが、感想欄に書いた通り今話はオチのネタバレがあると全く楽しめません。研究をしてしまうと先回りしてオチについて語らねばならなくなりますので、誠に悔しいですが今回は書かないことにします。

第38話「ときめきファンクラブ」
名台詞 「そんな…そんなのないよ。みんなマミちゃんのファンに変わりないじゃないか。マミちゃんを一生懸命応援する気持ちがあれば、それでいいじゃないか…ちっきしょー。」
(俊夫)
名台詞度
★★★★
 今話のひとつの筋として「ファンクラブ」の存在を通じて「誰かのファンになること」というテーマがあると思う。こちらのテーマにおいては俊夫が数多くの名台詞を今話で残しており、どれを当欄で挙げるかかなり悩んだが、やはりこの台詞に落ち着いた。
 金持ちお坊ちゃま集団である「ハイソサエティクラブ」が設立したファンクラブと、それに媚びる「親衛隊」によって俊夫がマミを応援するスタイルが完全否定される。マミに対し頑張れと声を上げることが禁じられ、コンサートの客席にいた多くのファンがこれに同調することになってしまったのだ。この現実を見た俊夫が観客席で、下を向きながら悔しそうな表情でそう呟く。
 そう、「誰かのファンになる」という行為は人それぞれであるはずなのだ。相手が歌手なら歌を片っ端から覚えてカラオケで歌うもよし、楽器で演奏して見るも良し、コンサートに通うもよし、歌手当人を少しでも長く見るため追いかけるもよし、出演したテレビ番組を片っ端から録画するもよし…とにかく「ファン」としてその人を応援する手段は沢山あり、そのスタイルは人それぞれである(こんな偉そうなことを書いている私は20代の頃になかなかそれに気付けなかったが…それで多くの人を傷つけた事は反省している)。ファンクラブに入るもよし入らないもよし、親衛隊に入るも入らないもその当人の勝手であり、それは誰にも強制出来ないもののはずだ。
 だからその個人の勝手であるスタイルが否定されると、自分がその人のファンであったことまで否定されている気分になるのである。俊夫のこの台詞にはそのような部分が上手く描かれており、自分の領域は誰にも侵させない、同じファンなら分かってくれるという思いがあるのだ。
 でも俊夫のスタイルもかなり問題だと思うけどな…コンサート中に大声上げるのはどうかと思う。
名場面 車の中で 名場面度
★★★
 コンサートが終わったマミを兵藤が送る。その車の後部座席で並んで座るマミと兵藤、「今日のステージは最高でした」と兵藤が切り出せば、「ありがとう、兵藤さんのおかげです。今日はみんな静かに聴いてくれたから、マミとっても歌いやすかった」と頬を赤らめてマミが返す。「そうですか? でも僕は今後悔しているんです」と髪をかき上げながら兵藤が言うと、マミはさらに顔を赤らめる。「ファンクラブなど作らなければ良かった」「どうして」「ファンクラブの代表がスターに恋は出来ないでしょう?」…この言葉にマミはもうメロメロだ。この合間にネガが「なんてキザな野郎なんだ」と茶々を入れ、ポジが「今いいところなんだから」とこれを制止する。「兵藤さん…」「マミさん…」二人が見つめ合う、兵藤がマミの手を取る。「兵藤さん…」「マミさん…」…うっわー、チューしろチュー。それを聞いたポジも化粧ケースの中でうっとり。こんな甘いシーンを運んで兵藤の車は走り去る。
 初めて描かれるマミの「大人の恋愛」、マミの正体が10歳の少女であることを考えると非常にヤバい気がする。一歩間違えればホテルに連れて行かれてあんなことやこんなこと、もちろん10歳の少女にそんな知識があるはずはなく…発覚すれば兵藤はタイーホ、児童への性的虐待は罪が重いぞ。それは置いておいて。
 ここへ来てマミが兵藤に惚れたことをハッキリ描いたことは、物語がまた新たなステップに入り込んでいることを示唆しているだろう。つまり俊夫から見て優とマミ双方のライバルが登場したことになる。いや、俊夫にはこれまでみどりというライバルがいたのだが、優がみどりに事務的にしか対応していない点を見ているとこの二人の関係の結果は火を見るより明らかだ。だがマミと兵藤の関係は違う、今回はマミの方から兵藤に惚れている、もう俊夫という本命を忘れかけている。ついでに言うと中盤では優の姿で兵藤に惚れているような台詞を、俊夫に向けて吐くシーンがある。これは俊夫のピンチであり、これまで黙っていても優が自分のものになりそうだったところへ、兵藤という刺客が現れた形になったのだ。
 そのマミが兵藤に夢中になってしまっていることを、甘く怪しく描いたことで物語を大いに盛り上げるだろう。そしてこの程度の空気なら、まだ子供に見せてもOKだというラインで留めている点もここでは評価したい。
感想  ブライト艦長キターーーーーーーーーーーー!!!! 兵藤進ノ介の声はプライト・ノア(機動戦士ガンダムシリーズ)の声でお馴染みの鈴置洋孝さん。やっぱクールでカッコイイねぇ、でもあのキャラはどっちかっつーとガルマ・ザビのような気がする。「坊や」で何かと髪をかき上げるところなんか…絶対にモデルにしているだろうな。
 で、今回の話、うん、見た見た。マミが兵藤に夢中になってしまうことや、俊夫と親衛隊の確執はよく覚えている。それに兵藤が作ったファンクラブに一喜一憂する立花のシーンもよく覚えている。金持ちでエリートしか入れない兵藤のファンクラブと、それに媚びる親衛隊、そして兵藤に惚れるマミと、それらの間で苦悩する俊夫が本当に上手く描かれ、俊夫の嫉妬心をあぶり出す物語としての役割は満点だ。
 記憶に間違いなければこの兵藤というキャラは今回だけの一発屋ではなく、確か本当にマミのファンになって出てきた記憶が。
 今回も上記のような複雑な物語展開を辿り、マミの恋や俊夫の嫉妬がどのように解決したかという「オチ」の部分は敢えてネタバレさせないでおこう。前話ほどのショックはなくどちらかというと平凡な終わり方だが、「オチ」を知っていると楽しみ半減の話なのは間違いないから。確かに今回の視聴ではどうなるか分かっていたので、初めて見た時ほどの緊張感はなかった。
研究 ・ 
 

第39話「ジュラ紀怪獣オジラ!」
名台詞 「優、よーくお聞き。これはパパの仕事なんだ。山根さんがいなくなってしまったら、一体誰がこの船を動かすんだ?」
(哲夫)
名台詞度
★★
 森沢一家と俊夫とみどりが掘削船に見学に来たが、そこを怪獣に襲われる。一同をここまで連れてきたランチは他業務で出払っており、乗組員の山根が掘削船ごと逃げようと色々操作をするが、錨が故障して船を動かすことが出来ない。山根が海に潜って対処するしかないと言うと、哲夫が「私がやります」と手を挙げる。山根がそれは無理だとし、優が無理をしないよう懇願すると、哲夫は娘の肩に手を置いてこう言うのだ。
 う〜ん、こういう父親になりたいねぇ。掘削船を動かせる人間が1人しかいない、しかもその1人が生命を賭した仕事をしなければならないと分かった瞬間、「替わります」と即座に言えるって凄いことだ。なつめ(28)がこの男に惚れたのは分かるような気がする。そしてこれは男の仕事であり、家族を守るために自分がやらねばならないという自覚と誇りに満ちていて、本当にカッコイイ。
 私はこうは言えないなぁ。自分の中にある「乗り物ヲタ」としての船舶の知識を総動員して、もっと安全確実に船を動かす方法を考えちゃう。これについては研究欄に回そう。
名場面 オジラ登場 名場面度
★★★
 森沢家とその一行が掘削船の見学に行っている間、パルテノン・プロ三人組である立花・木所・めぐみは村の中の定食屋で食事をしていた。立花がオジラを生け捕りにしてマミと歌わせるなどとアホな話をしていると、突然村の半焼の音が響き渡る。逃げ惑う村人達、その流れに逆らうパルテノン・プロの一行。その彼らが見たものは…山の向こうでうごめく巨大な生物の背中であった。その身長は50メートルほど。すぐにその怪獣は姿を消すが、立花は腰を抜かしてしまう。
 このシーン、今回の物語の主役である怪獣「オジラ」の登場をよく印象付けている。といってもオジラが出てくるのは背中だけ、大きさが小山ほどあるという事実が判明するだけだが。そのオジラの姿が出てくることよりも、逃げ惑う村人たちの姿や表情がものすごい臨場感に溢れているのだ。ここまで(今話の他シーンも含め)80年代前半の描写で統一させていた「クリィミーマミ」だが、この村人が逃げ惑うシーンだけ昭和30年代レベルの風景になるのである。まだ「戦後」から抜け切れていないひなびた漁村の家々、そして人々の服装。ここで視聴者を「ゴジラ」や「ガメラ」といった怪獣映画が全盛の時代にタイムスリップさせてしまうことで、視聴者に「現代の常識では起こりえない何かが起きた」という緊張感を与える、素晴らしいシーンである。
 「クリィミーマミ」他全シーンとの矛盾を承知の上で、敢えて違う時代の漁村の様子を描いた点については「物語を盛り上げる」という効果の上では感心すべき事だ。ここでこれまでの設定にこだわって「80年代前半の漁村」のままであのシーンを描いたら、多分「怪獣が来る」というシーンになったとしても、「現代では起こりえない怪奇が起きる」という臨場感は出せなかったに違いない。ここにこのアニメ制作者のセンスを感じるのだ。「クリィミーマミ」製作会社である「スタジオぴえろ」はあの「うる星やつら」をアニメ化したことでお馴染みだが、その「うる星やつら」でも、このシーンと同様に効果的に時代設定をずらしたりするシーンがあり、物語が盛り上がったのを覚えている。
感想  前回、前々回と視聴者をさんざん油断させておいて、オチで話をひっくり返して「なんだ、そーゆーことか」で終わる話が続いたため、今回もどうオチをつけるのか思わず期待してしまった。ここまで見て来た中で、「クリィミーマミ」で最も非現実的なストーリー(これまでもさんざん非現実的ストーリーがあったが、今回は群を抜いている)といっても過言ではなく、最後に物語をどう落とすのかは今話最大の注目点なのだが…驚いたのは大したオチがないまま終わってしまったことだ。結局は怪獣の正体も明確にされず、怪獣がなぜ現れたのかも判然としないままのみならず、怪獣を明確に退治したわけでもなくただ去っただけ(マミの魔法の力による幻覚へ向かって歩き去っただけ)、マミが魔法の力で何とかしたわけでもないし…ホント、ただ怪獣がでてきて森沢家の面々やパルテノン・プロの人たちが襲われただけの話なのよ。
 ただその怪獣が出てくるまでの物語づくりは考えられていたと思う。冒頭で語られる異常な不漁、それに合わせて出てくる海難者、そして沖合に浮かぶ掘削船。この3点が画面に現れるタイミングは計算され尽くしていると感じた。
 しかし掘削船が「油田を探していた」ということは、今回の舞台は日本海側だったと考えてよさそうだ。日本近海に油田がそうそうあるわけではないから。その部分も含めて、オジラの生物的特徴や掘削船についてなど今回の研究欄に書きたいことは山ほどあるのだが…今回はどうしても納得がいかないので、研究欄は下記のようになった。
研究 ・掘削船を動かすには
 名台詞欄に書いた通り、森沢家と俊夫とみどりの計5人が掘削船に見学に行ったその時に、掘削船は怪獣オジラに襲われてしまう。名台詞欄にも書いた通り、5人を掘削船に連れてきたランチは別業務で出払ってしまい、5人と乗組員である山根の計6人が掘削船に取り残されることになった。
 乗組員の山根は慌ててしまい、船から脱出することばかりを考えてしまうが、優が「これは船だから動くんでしょ?」と指摘したことで自分達が乗っているのは掘削船だった事を思い出すという始末だ。10歳の少女に指摘されて初めて自分の現況に気付く大人って…いかんいかん、そういう意味ではなくて、この山根が怪獣から逃げるべく最初に取った手段はとにかく掘削船を動かすためのあらゆる準備だ。そのためには掘削機を停止させて船上へ取り込み、船を固定している錨を上げることになる。
 恐らく劇中の描写を見る限り、掘削機の停止と船上への取り込みは上手く行ったことだろう。だが錨が故障して上がらないというピンチに陥る。ここで山根が取ろうとした手段は…なんと潜水服を着て水中に潜り、錨を爆破して切り離すという手段だった。申し訳ないがこの手段について、本放映時から「ハァ?」と思ってしまった。
 実際の船で錨が上げられなくなったらどうするかを考えて見ればいい、錨を上げられない状態というのは錨の上げ下げをする「揚錨機」の故障が真っ先に考えられる。だがそれだけでなく、例えば錨を降ろして港に停泊しているときに緊急に船を動かさねばならない事態なども考えられる。錨を上げるのには時間が掛かるため、例えば突然の天候変化で船と陸を固定する舫綱が突然切れたときや、近くの船が強風で流されてきて衝突しそうになったときなど、悪天候の場合は錨を上げる暇もなく船を動かさねばならない状況というのは起きる得るのだ。また大波浪の中で停泊した直後など、左右の錨が絡まって簡単には上げられない場合もある。
 こんな時に取る手段で代表的なものを挙げると、ひとつは錨と船を固定するチェーンを切ってしまうこと。「錨を切る」と呼ばれる行為で、劇中で山根が取ろうとした手段はこれだ。これには劇中で語られたような「潜水服を着て海中に潜って錨を爆破する」などという派手なことをする必要は無い、船首部分の船底に錨のチェーンが船に固定されているのだが、このチェーンと船を固定するピンを抜けばいいだけである。このピンを抜いて揚錨機のブレーキを開放すれば、錨はチェーンごと海中に没して船は動けるようになるわけだ。
 もうひとつは錨を引きずったまま無理矢理船を動かすことだ。勿論船は錨で海底に固定されているのだから、錨がないときほど速く動くことは出来ない。エンジンのパワーも普段より多く必要になるが、怪獣に襲われているという緊急の状況では、錨を捨てるよりもこの手段の方が素早く船を動かせたはずだ。
 どちらかの手段で船を動かせば…待てよ、劇中設定ではこの掘削船は当時の最先端技術を駆使して、乗組員が3人いれば掘削作業ができるとされていたぞ。でもこの設定を裏返せば、3人で出来るのはあくまでも掘削作業であって、掘削船を動かすには他に人が必要ということかも知れない。あれだけ巨大な船を動かすとなれば、当時なら船橋から全て集中制御という訳ではないだろう。機関室にエンジンの制御板があり、ここに機関部員が数名いないと動かないはずだ。それだけではなく船橋に舵取りとプロペラ制御担当が必要なはずだ。さらに甲板には錨の上げ下げに甲板員が必要だし、見張りだって必要だ…う〜ん、劇中のあの体制じゃあの掘削船はどうやっても動かない。
 それに掘削船が掘削作業をしていたんだ。船は掘削機のドリルを海底に打ち込んだときに、その反動で持ち上がったり回転しないように厳重に固定されるはずだ。普通の船のように錨は前方に二つだけなどということはあり得ない、前後左右それぞれに複数個ずつの錨を降ろしていたはずだ。ダメだ、やっぱ掘削船は逃げられない。ま、こういう結果となって物語の結果は変わらないから、あまりヤボだとは思えないけど…。

第40話「くりみヶ丘小麦粉戦争」
名台詞 「みんな、まだ終わってないんだよ。油断しちゃダメ。」
(みどり)
名台詞度
★★★
 クレープ屋とお好み焼き屋の1週間の対決は最終日を迎える。既に160食の差(1552対1492)がついており、その上この日の夕方に人気アイドル歌手であるクリィミーマミがボランティアで応援に駆けつけるとあって、森沢家には楽勝ムードが漂う。森沢家の一同と俊夫が勝利を前提にした会話を聞いて、こう釘を刺したのはみどりであった。
 そう、まだ戦いは終わっていない。なのに楽勝ムードというのはよくないは言うまでもないだろう。確かに戦いはどう考えても森沢家のクレープ屋の方に分があるのは確か、既にリードを奪っている上に、普通ではあり得ない人気アイドル歌手の来訪だ。全ての風がクレープ屋有利に吹いていると言っても過言ではなく、森沢家の楽勝ムードは理解できる。
 でもお好み焼き屋だって何かしらの作戦を仕掛けてくる可能性が高い、戦いは終盤でここへきて一発逆転となれば、再逆転は難しいのは確かだ。だから最も油断してはならない状況である、クレープ屋は暢気に笑っている。誰かこいつらに注意しろよと視聴者が思ったところで、みどりが代弁してくれたということだ。
 この台詞をみどりが吐くというのも意外性があっていい。これまでの展開からすれば哲夫となつめが調子に乗れば、それを止めるのは優の役割、優も一緒なら俊夫の役目であるはずだ。だが今回は俊夫まで調子に乗っている。こういう時にみどりというのはその場の雰囲気に流されがちだったが、今回はそれとは違う面を見せてくれたのだ。
 ただそのみどりだが、この台詞で皆に釘を刺しても一同は笑うばかり。結果一緒に流されて笑ってしまうということになり、やっぱ彼らしいなぁと思わせてくれる部分でもあるのだ。
 ちなみに、この台詞は決して杞憂などではなく、売り上げ数値だけ追っていると実はクレープ屋の方がたいへん不利な状況にあったことが分かる。詳しくは研究欄へ。
名場面 戦争勃発 名場面度
★★★
 マミがひと仕事終えてパルテノン・プロに戻ってくると、その入り口でスネークジョーが待ち構えいてた。ジョーが「俺がお好み焼き屋をやってるのは知ってるだろ?」と切り出せば、マミは「クレープ屋さんは私のことなど何も知らないのよ。邪魔しないであげて」と返答する。これを受けて「そりゃあ、あんた次第さ。こうなったら俺とあんたでケリをつけないか?」とジョーが言う、マミが「どうするの?」と問うと、ジョーはクレープ屋とお好み焼き屋で1週間値引きなしで売り上げ枚数の勝負すること、クレープ屋が勝てばお好み焼き屋がくりみヶ丘から出て行くこと、お好み焼き屋が勝てばマミは正体をバラすことをマミに突き付ける。「そんな!」とマミが叫ぶが、「よく考えるんだに、このままじゃクレープ屋は潰れるぜ」と吐き捨ててジョーはエレベータに乗って立ち去る。化粧ケースの中でネガが「今までお好み焼き屋が勝っていたのは値引きしていたから」だとして、この勝負を煽る。
 もちろん、今話の話が「小麦粉戦争」と明確に戦争と言っている以上は、その勃発となるシーンがあるはずだ。それはパルテノン・プロの入り口でマミとジョーが対面したシーンであると言えよう。ここまでも森沢家の「クリィミー」と久美子の「火の車」は商売敵として戦っていたが、それは採算度外視でルールもなく「共倒れ」を待つだけの戦いだった。だがこのシーンでジョーが明確にルールを持つことと、勝者に与えられる条件が明示される。つまり本当の戦いはここからだったと見ていいだろう。
 ただこの提案がジョーの独断なのは見物だ。何てったってマミとクレープ屋の関係を疑っているのは彼だけであり、また彼にはお好み焼きを売る気など全く無く、マミの正体を暴くことだけが目的になっているからだ。本来ならマミは「その勝負は自分には関係ない」と他人を装っていれば良かったはずだが、そこは流石に10歳の少女、やはり嘘はつけなかったということだ。こうして物語は今回の本筋に入って行くのだ。
感想  この話もよく覚えている。ジョーが「マミの正体」に固執したのが敗因だー、なんて当時も思ったもんだ。クレープ屋とお好み焼き屋の戦いに「小麦粉戦争」と名付けるセンスの良さは、今も昔も感心するものだ。サブタイトル付けた人すごいよ。
 今回のキャラの動きの中で、注目すべきは守の行動だろう。俊夫とみどりは当然のようにクレープ屋陣営に加わって森沢家を助けるわけだが、優の同級生で親友の1人である守は、前半では両者を行ったり来たりし、戦争部分に突入すると完全にお好み焼き屋陣営の1人として宣伝活動などを行うことになる。かと思えば終盤では審判団という中立的立場に加わっており、彼の一匹狼的なキャラクターが良い意味でも悪い意味でも目立ったところだろう。本来なら彼はクレープ屋陣営につくべきキャラだが、意表を突きたいのならお好み焼き屋陣営に加えるという使い方をすべきで、今回のようなどっちつかずは印象が悪くなるので止めといた方が良かったんじゃないかと思う。ちなみに次回予告はその守が初登場してびっくりした。
 今回はパルテノン・プロの人たちが出る必要性は全く無かったが、ジョーがお好み焼き屋の宣伝にめぐみに来て欲しいと懇願するシーンは上手くやったと思う。あれはジョーの性格を上手く表現しており、だからこそ芸能リポーター(パパラッチじゃなかったっけ?)として上手くやっていけないのだと示唆する良い場面である。おかげでこの話を持って、ジョーのイメージはパパラッチや芸能リポーターではなく、お好み焼き屋という印象が強くなるのだ。
研究 ・小麦粉戦争
 森沢家のクレープ屋「クリィミー」と、スネークジョーの恋人である堺久美子のお好み焼き屋「火の車」が、「小麦粉戦争」と称して売り上げ競争を行う。期間は一週間、ルールは値引き販売の禁止。今回はこの戦いについて研究したい。
日数 曜日 売り上げ枚数 備考
クリィミー 火の車
1日目 201 186 開会式
2日目 312 276 クレープ屋にはチンドン屋 お好み焼き屋は久美子の悩殺スタイルで宣伝
(双方の宣伝活動前の数値)
3日目 602 572 優や俊夫の同級生が全面協力
4日目 不明 不明 ジョーがめぐみに応援要請するも却下される
5日目 1228 1090 ジョーの「お好み焼きクレープ」失敗
6日目 1552 1492 久美子に秘策有り「差が200枚以内なら勝てる」
7日目 2133 2155 2025枚目で逆転
クレープ屋にはマミが お好み焼き屋にはお好み焼き協会が応援
 2日目の最終的な数値と、4日目の双方の店の様子や数値を示す電光掲示板が全く出てこないので、この日は不明(ただし2日目は分かる範囲で記した)。
 大まかに計算すると、1日あたりの売り上げ枚数は300枚強となる。が平均的に推移しているのでなく、最初の3日間は1日あたり200枚程度しか売れていないことが分かる、やはりこれは平日だからだろう。
 4日目の数値を双方ともそれ以前の平均値と同数売れたと仮定すれば、クリィミーは803枚、火の車は762枚となる。ここから5日目の金曜日はクリィミーは420枚、火の車は330枚売り上げがあったことになり、また6日目の土曜日と最終日の日曜日は火の車の方が勝っていることを考えれば、この金曜日からの3日間が実質的な勝負だったと言えよう。6日目単独の売り上げ枚数から推察すると、最終日に双方が「目玉」(クリィミーマミとお好み焼き協会)を用意してなかった場合は勝っていたのは間違いなく火の車だったはずで、名台詞欄のみどりの台詞は決して杞憂ではなかったことはご理解戴けるだろう(その場合1880対1910辺りの数値になっていたと考えられる)。

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