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第41話 「勉強しすぎに御用心」
名台詞 「優ちゃんと同じ成績にしておいたよ、白紙で出したんだ。友達だろ? 困ったときはお互い様だよ。ハハハ、嘘。本当は書こうとしても丸っきり分からなかったんだ。」
(守)
名台詞度
★★★
 進学塾のテストで(不正したとはいえ)満点を取り、勉学に目覚めてしまった優。ところが優は学校・進学塾・そしてクリィミーマミの仕事という三重の生活を強いられることになり、ついにある日身体を壊して倒れてしまう。優は学校を休んで新任教師である赤木のテストを受けられなくなってしまった。そんな優を守が見舞い、その時に優が守にテストがどうだったか尋ねると、守はこう答えたのだ。
 この台詞は前半でボケて後半で真実を語ったのか、それとも前半が事実で後半は照れ隠しに嘘を言ったのか、それはこの台詞を受け取った視聴者の判断に委ねられるだろう。もちろん私は後者だと思う、このテストには守が解る問題が何問かあったにも関わらず彼が白紙で提出したと考える。理由はこの台詞の中段部分、「友達だろ?」と優に問うた部分だ。この優と友としての意識があるからこそ、このテストに向けて勉強していたのにテストが受けられなかった優を置いていけなかったのである。守がテストに向け勉強していたとは考えがたいが、猛勉強した優ほどではないが真面目に受けていれば点は取れただろう。だが優との友情を取り、優にガリ勉になって欲しくないというメッセージを込めて彼は白紙答案を提出したと考えられるのだ。
 もちろん、この台詞の後半部分が事実で中段部分は「後付け」の論理だったとの解釈は可能である。だが私としては優と守の関係がその程度のものとは思いたくない、守にも仄かではあるが優への恋心があるはずで、それをないがしろにした解釈はしたくないのだ。
 優はこの台詞の中段までを聞いて感涙したかと思うと、後半部分を聞いて大笑いする。このやり取りを受けて守は優に「ガリ勉は似合わない」として、守から優への特別テストとなるのだ。その問題はネガとポジのことや、優の家族のことばかりだったが。
名場面 塾帰り 名場面度
★★★★★
 進学塾に無理矢理入校させられた優を、守が迎えに来る。優が「心配して迎えにきてくれたの?」と問うと「ポジとネガをね」と答えられて優はズッこける。その後2人は近くの公園へ行き、満開の桜の木の下で語り合う。「俺さ、優ちゃんがガリ勉になるの好きじゃないな」と守が切り出すと優が「私も…」と呟き、守はびっくりする。優が学習塾へ入れられた経緯を説明し「仕方なく行っている」とすると、守は「うちにも先生が来たぜ」と振り返り、家族全員で居留守を使って切り抜けたことを面白おかしく説明する。すると優は大笑いし、釣られて守も笑い出す。「よかった、優ちゃんが元のまんまで」と守が言うと、優は「まんま、まんま!」と叫んで喜びのジャンプ。守もネガもポジも大喜びする。
 このシーンはここまでは優が無理矢理進学塾に入れられても、変わっていないという事を示唆しているが、このような展開が物語中盤で出てきたと言うことは裏を返すと、何処かで優が変わってしまうことが予測される。同時に優が心を入れ替えて猛勉強に励み、これに対して守の心境が描かれる展開となることが示唆されていると言っても過言ではないだろう。
 それよりもこのシーンは描画がとても美しい、劇中の季節は1学期が始まる4月上旬、当時の東京なら桜が満開の季節だ(現在は少し早まっているが)。この劇中での季節設定を上手く使い、この2人が「満開の桜の木の下」で語り合うという状況に持ってゆき、とても印象的に描いたので私の記憶にハッキリ残っていたシーンだ。特にこのシーンのラストはストップモーションになるが、ここでは満開の桜の木を背景に飛び上がって喜ぶ2人と2匹がとても美しく描かれ、強印象シーンである。採点の★×5は、物語展開などではなく画面の美しさとの印象度によるものだ。
感想  今回は珍しく「学校」という設定を使い、「新学期」に新任教師がやってくるという設定から物語が始まる。前半では優がマミになって以来、学校の成績が落ちているという重大な問題が判明し、中盤でこれを受けて優が勉学に目覚めるまでを描き、後半で優と守の関係へと物語が流れて行く。この2段階に切り替わる物語の展開が自然で、また物語も非常に面白く今回も実際の放映時間より長い物語に感じた。
 で、優が進学塾に入れられる理由が、なつめ(28)が優の新任教師である赤木裕一郎の気を引こうとしたからというのは、哲夫から見れば笑うに笑えない話だろう。だが優は最初は乗り気でなかったが、魔法による不正で塾でのテストで満点を取って他の塾生から見直されたことをきっかけに、勉学に目覚めたのだからなつめの下心もまんざら捨てたもんじゃない。でも結果、優の三重生活が祟って優が身体を壊すというオチとなり、哲夫は「勉強が出来るようになっても身体を壊してはたまらない」と判断してガリ勉は禁止とすることで物語が決着する。
 今回特に好印象だったのは、やはり名場面シーンの画面の美しさだ。この「クリィミーマミ」を製作したスタジオぴえろが描く桜は本当に美しい、「うる星やつら」でも春のエピソードなどで桜を効果的に使い美しい画面演出をしていたのが印象に残っている。このシーンが気になる方は是非とも「クリィミーマミ」のDVDを買うなり借りるなりしてこの41話を見て欲しい、見るだけの価値があると私は思う。
 しかし、優や俊夫らが通う学校は小中高一貫の私立校だろーに。そういうところに通っている子供に進学塾を薦めるかな? やっぱあの赤木って教師、実は塾の先生が本職で塾の宣伝と生徒獲得のために優の学校に教師として潜入したに違いない。でも小中高一貫の私立校ということは、優も俊夫もみどりも本当は頭良いんだな。守ですらそこいらの公立校の子供よりは優秀だと言うことだ。ま、ここで言う「頭が良い」「優秀」というのは、あまくでも勉学についてだけだけど。
研究 ・ 
 。

第42話 「ママの思い出ステージ」
名台詞 「実はのど自慢のことなの、本当は出たくないんじゃないの? ママね、実は昔のど自慢大会に出たことがあるの。ここにやってくるって聞いたら、またあの時の雰囲気を思い出しちゃって…本当は自分で出なきゃ何にもならないのに。なんか照れくさいじゃない、それで優に押しつけちゃった。ありがとう優、嫌じゃないって言ってくれて。」
(なつめ)
名台詞度
★★★
 優がのど自慢大会予選に合格したその夜、ネガやポジとどうやって本選大会をキャンセルするか語り合っていたときに部屋になつめ(28)がやってくる。そして優にこう告げるのだ、優はこの台詞の冒頭部分の問いに「ううん、違うよ」と答えている。
 ここで本来のど自慢に出ねばならなかったのはなつめ本人であり、さらになつめにはこの大会に何らかの思い入れがあることが明白となる。だがなつめは照れと恥ずかしさから、その自分がやらねばならないことを娘に押しつけてしまったという後悔の念があったのは確かだろう。そんな思いを娘に前もってしっかり語っておくのだ。
 恐らくなつめは、優が何らかの理由でのど自慢大会に出たくないことを見抜いていたに違いない。さすがに同じ番組に別人格で出演するからという本当の理由は知る由もないはずだが、とにかく優が番組に出たくないことだけは察していたのだろう。彼女はその理由を自分に求めたに違いない、自分が優に押しつけるようにのど自慢に出ろと言ってしまったのは良くなかったんじゃないかと、自分を責めていたはずなのだ。だから優がやはり出ると聞いて。嬉しいより何よりも感謝の気持ちが湧いてきたのだと思う。彼女は過去の自分がのど自慢出演に掛けた思いを、娘に託すことにしたのだ。
名場面 森沢家のステージ 名場面度
★★★★
 いよいよのど自慢大会での優の順番が近付く、これに備えてネガとポジがマミをステージから下ろすために騒動を起こそうと企むが…その直前に守に見つかってしまい、ネガとポジは騒ぎを起こすことが出来ずマミはステージから逃げられなくなってしまった。マミは「ネガ、ポジどうしたんだよ?」と呟いて下を向く。
 そこで回ってくる優の出番、観客席のなつめやみどりらが横断幕や旗で応援を始める。マミは手で顔を覆い困った様子だ。だが既に舞台裏では哲夫が「娘が戻ってこない」と大騒ぎが始まっており、現れない優に司会者が機転を利かせて哲夫にステージに立つよう迫る。歌はクリィミーマミの「BIN・KANルージュ」だか…無理矢理ステージに押し出された哲夫だが、やはり緊張で歌う事が出来ない(この時の演奏を無視して歌詞を棒読みする哲夫がこれまたいい)。これを見たなつめは観客席から立ち上がる、そしてステージへ向かって走り、ステージ上の哲夫の隣にそっと立って歌い始める。観客席では守に抱かれたポジが「何とかなるものね」と感心し、審査員席でマミは安堵のため息をつく。そして今度はマミが立ち上がると、2人に寄り添って「BIN・KANルージュ」を歌い始めるのだ。
 このシーンの前に、のど自慢大会の司会者が過去の思い出を語るシーンがあった。これはある少女が緊張で歌えなくなったときに突然現れて寄り添って歌った少女の物語、その少女に歌手になるよう薦めオーディションも受けさせたがダメだったという内容だ。その過去の回想と同じシーンに立ったのがなつめであり、司会者の古い記憶の主がなつめだったということがハッキリするシーンである。こうしてなつめの過去として「歌手を目指していた」というものが追加される。
 そしてこのシーンは、優がマミであり両親に自覚がなかったとは言え、とても印象的な親子3人のステージと言えよう。マミが審査員席を立って一緒に歌ったのは、「持ち歌を歌ってくれる人を応援する」のでなく、親子のデュエットをしたかったからだろう。この親子の深い絆を思わせてくれるシーンで、また歌が3人できれいに揃っているのがこれに味を添えている。
 これが現実の「のど自慢」だったら…審査員特別賞ものだな。
感想  今回の主役は森沢なつめ(28)、いい加減年齢表示はしつこいか。なつめに「歌手を目指していた」過去があることが判明することだ。そしてなつめの過去と、優ののど自慢出演を軸に、今話は森沢家のなつめを中心とした家族の絆を強く訴えてくる。
 そしてその過程で「同じテレビ番組に優とマミの双方が出演することになってしまった」というドタバタが加えられ、物語はアットホームなギャグアニメ…例を挙げれば「クレヨンしんちゃん」のような雰囲気で展開することになる(雰囲気だけね)。今回のゲストキャラはのど自慢の司会者で、この人は司会業だけでなく音楽プロデューサーみたいな仕事も兼業しているのだろう。なつめとこの司会者の過去の物語は、色んな意味で切なくて好きだ。
 しかしなつめというキャラは凄い、以前には元暴走族であることもハッキリしていて、今度は元アイドル歌手候補生だもんなぁ。後者の部分については「魔法」を使って娘の優がしっかり受け継いでいることは、なつめは思いもしていないという点もこの物語を複雑かつ面白くさせている点だ。司会者の回想から判断すると、なつめが歌手を目指していたのは彼女が14〜15歳の頃だったと判断して良いだろう。18歳までに結婚しなければ優の年齢と辻褄が合わなくなるから、彼女が暴走族をやっていたのはその間の16〜17歳頃と見ていいだろう。アイドル歌手に慣れなかったことでグレちゃったのかな?
 ちなみにのど自慢大会の司会者はまたまた登場の納谷六朗さんだ。
研究 ・のど自慢大会
 今回の物語の主軸に、優が「素人のど自慢大会」に出演することが挙げられる。番組内容は一般視聴者から出演者を募り、一曲歌って貰いそれをプロの音楽家などに審査して貰うという内容のようだ。
 モデルは言うまでもないが、NHKが日曜日の昼に放送している「のど自慢」であろう。ゲスト審査員の数や、出演者が出番まで舞台裏で過ごしているなどの病舎の違いはあるが、鐘の音の数で採点結果を発表するなどのシステムを見れば他にモデルとなる番組はないであろう事は明白だ。従って、当欄では優が出演した番組をこのNHKの「のど自慢」であることを前提に、研究していきたい。
 現実の「のど自慢」も日本中で収録し、収録地とその周辺地域から出演者を募っている。ほぼ1年で47都道府県を1回ずつ回るという事のようで(その他海外収録が1回)、東京でも年に1〜2回は収録があることになる(ちなみに東京都の場合、2010年は西多摩郡瑞穂町での収録だった)。これが劇中で描かれた歳にくりみヶ丘に来たと言うことだろう。この収録が優が住むくりみヶ丘に来たと言うことで、なつめは優を出演させることにしたと見るべきだ。
 劇中で優は前日に予選を受け、これに合格することで本戦への出場が決まったように描かれていた。現実の「のど自慢」も同じシステムで、出演希望者は収録前日である土曜日に収録会場に集まって予選を行うという。劇中では予選の様子は描かれておらず予選通過者の発表シーンのみであったが、現実の予選では歌う予定の歌をワンコーラス歌うというスタイルが取られているらしい。そして全員が終わった後に予選出場者が集まり、劇中の発表と同じ形式(司会者が予選通過者の番号を読み上げる)で予選通過者の発表が行われるという。現実の「のど自慢」ではその後、予選通過者は打ち合わせなどで夜遅くにならないと帰れないらしい。
 もちろん本戦出場者は放映当日も忙しく、朝はかなり早い時間に集合となるようだ。劇中の優のように仮病を使って眠り込んだり、窓からロープで逃げようとしたところを両親につかまって説教されている暇などないはずだ。当日の午前中はリハーサルで、出場者は番組進行や自分の座り位置・立ち位置・合否に合わせた動きを把握し、バックバンドとの音合わせも行うので非常に忙しいのだという(もちろんこのリハーサルにはゲスト歌手も無関係ではない)。もし現実の「のど自慢」に優=マミのような「魔法によってゲスト歌手に変身する出場者」がいたら、もうリハーサルの段階でどちらかがいないと大騒ぎになるはずだ。
 ちなみに現実の「のど自慢」では、出演者は放映回ごとに同窓会みたいな感じで後日集まったりすることがあるらしい。前述したように本戦出場が決まれば、ほぼ丸一日ずっと一緒で、しかも番組を作るために一緒に汗を流す仲間にもなるので、番組が終わると仲間意識が強まるのだという。これらの「のど自慢」に関する話は、過去にNHKの番組で紹介されていたものを参照にした。

第43話「走れ優!カメよりも速く」
名台詞 「え? うっそー!? 私、やっぱり頭がおかしいのかしら?」
(マミ)
名台詞度
 コンサートを終えたマミは、楽屋に戻るとそこにいた優に出会う。もちろん目の前に自分がいたのだから、こう言うしかないだろう。
 種を明かせば優は一週間前からタイムスリップしてきた優なので、見ている方と優本人からすれば不思議でも何でもないのだが…でもマミも一週間前のことは覚えておいて欲しいものだ。
 この台詞の後、もう夜遅いのにアンコールを要求されて困っているマミは「私なら解ってくれるよね? もう帰らないとパパとママが…」と優に持ちかける、そこで優がマミに変身してアンコールを歌い、マミは優に戻って帰宅するというややこしい話が展開するのだ。「魔法変身もの」に「タイムトラベル」という要素が加わるだけで、こうも話がややこしくなるのだ。
名場面 過去 名場面度
★★★
 マミとしての仕事があるスタジオだと思って入って行った「スタジオ909」、だがその扉を開けてスタジオに入ったはずの優は、次の瞬間何故かくりみヶ丘の自宅の前にいた。自宅前にいた両親に「パパ、ママ」と声を掛けるが、次に自宅の様子がおかしいことに気付く。クレープ屋もなく、家はまだ建設中のようにも見える。「ねぇ、うちどうしちゃったの?」と優が両親に問うと、答えを聞くより時に優は母親が妊娠していることに気付く。「あ、ママそのお腹!?」と優が叫ぶと、なつめは「あなた誰?」と答える。「え〜っ!」と優が答えれば哲夫が「人違い手ですよ、似ているのかな? 僕ら君の両親に」と返す。「そ、そんな…」と優が言い返すと、哲夫となつめは構わず二人の会話を続ける。それはここにクレープ屋を開こうという相談で、その中でなつめが現在が「1973年9月」である旨を語る。ここへ来てようやく優も視聴者も優に起きた事態に気付くだろう。「もしかして」「戻っちゃったんじゃない?」とネガとポジがその状況を口にすると、「あ、あのお腹の赤ちゃんは!」と優が目の前に自分がいることにもやっと気付く。そして二人が店の名前について語り合い、哲夫が店の名前を口にしようとした瞬間に優は「クリィミー!」と割り込む。「何で知ってるの?」と驚く哲夫をよそに、なつめはお腹の子がまた動いたと言い出す。「元気だから男の子に違いない」と語り合う二人に、優はふくれて「女の子だよ!」と反論。それに対して二人は「じゃあ女の子の名前も考えよう」と決め、目の前にいる少女がお腹のこの未来の姿とも気付かず、この少女の名前を付けようと決定するのだ。
 ここで明かされる優出生の秘密と、「クリィミー」出店の秘密。驚いたのは優の命名方法で、目の前にいた(どう見ても怪しい)少女の名前を付けたといういい加減さ。だが哲夫はこの少女が気に入っていたようで、ことあるごとに「可愛い」と言っていた。これは直感的に「この娘は自分の娘だ」と気付いていたのかも知れない。もちろんなつめも、この少女が気に入ったからその名前を貰うことにしたのだろう。
 魔法などの非現実的な要素が絡む物語では必要不可欠な「主人公の過去の秘密」は、こんな形で唐突に、しかも意外にあっさりと描かれた。このシーンが他の作品の同内容シーンと違うのは、「過去へ飛ばされた」主人公が過去へ行ったという認識や自覚がないまま、過去の両親に出会っていることだろう。だからこそ見ている方も最初は何が起きていたのかよく分からず、妊婦として描かれたなつめを見て「太ったなー」くらいにしか思わなかったはずだ。だが「なつめが妊婦」という事実が分かった頃から、視聴者の方は「これは過去だ」と気付き、どういう展開になるか期待したことだろう。だがこのシーンは物語の本筋にはあまり関係がなく、優が「時間を自由に操れる存在」と出会ったことを示唆するためのシーンだ。
 しかし、森沢なつめ(18)は年の割に老けているなー。哲夫も10年の月日を感じさせない描かれ方だったぞ。だがこれは前述したように、主人公が過去へ来たと言う認識や自覚がないままで展開しようとするシーンだから、多少辻褄が合わなくてもこう描くのが正解。これで視聴者も優と一緒に驚くことが出来るのだ。
感想  「タイムトラベル」という要素は、未来世界や魔法が絡む物語では定番であろう。タイムトラベルの可否についての研究や私の考えとして言いたいことは山ほどあるが、タイムトラベルが主軸となる別のアニメを考察する際に回すことにする。「クリィミーマミ」は魔法が主であり(厳密に言えば「変身」が主で「魔法」が従だ)、タイムトラベルはその中の1エピソードに過ぎない。
 今話の特徴は「魔法もの」の物語の中で珍しく、主人公や関係者が扱う「魔法」とは別のところから「タイムトラベル」が派生している点だろう。つまり優が持つフェザースターの魔法では時間移動は出来ないという解釈が成立すると同時に、主人公が認識や自覚のないまま過去に飛ばされるというシーンを描くことが可能になった訳だ。だからといってこのタイムトラベルが「ドラえもん」のタイムマシンのように未来科学が根拠になっているわけでもない、やはりこのタイムトラベルを司る「時間管理人」(バリバリ)も、科学的なところで動いているのではなく魔法の力と関わりがありそうだ。
 そして名場面欄のように優の出生の秘密が明かされ、後半のドタバタでは優は未来の自分にに出会う。しかもその時の優は花嫁姿、もちろん優は相手が誰なのかを探ろうとするが、バリバリに強引に連れ去られてこれが判明しないまま物語が展開するのは好印象だ。
 しかしこの未来の優だが、現在の10歳時点の優をそのまま大きくしただけというのは笑った。もっとマミに近い外見で描いて欲しかったと思ったのは私だけだろうか?
 ちなみに「時間管理人」バリバリの声は、これまた再登場の八奈見乗児さんだ。
研究 ・ 
 

第44話「SOS!夢嵐からの脱出」
名台詞 「何処と言われても、東京の空の上とも言えるし…嘘言ってどうすんだよ? 世界はお前なんかが考えているより、ずーっと、ずうっと不思議に満ちてるんだぞ。」
(ネガ)
名台詞度
★★★★
 マミとめぐみを乗せた立花のヘリは都内上空を飛んでいたはずだが、ある瞬間から不思議な世界に飛ばされてしまう。マミの姿は優に戻り、優が持っている魔法も効かず変身も出来ない。ポジが魔法を使えない理由を「ここはフェザースターでもあなた(優)たちの世界でもない」とすると、優は「ここは何処なんだろう?」と素朴な疑問を発する。これに対するネガの返答がこの台詞だ。
 そう、劇中のような魔法が実在するような世界でなく、現実の世界でも信じられないような不思議な出来事は起こるもんだ。例えば「虫の知らせ」なんていうのがよく語られているが、それは体験した経験がある人に言わせればそんな不思議の一つだ。私だって数年前に、車を運転中に突破できそうな黄色信号を「何かを感じた」からルール通りに止まっただけで、死の淵から逃れた経験を持つ(恐らく突っ込んでいたら私も娘も当時の妻もこの世にいなかっただろう)。だから世の中には科学で説明が出来ない不思議は絶対にあると確信している、ただテレビに出てくるような「自称霊能者」とか、「心霊写真」なんていうのは片っ端から疑っているけど。
 だからこそ私は、このネガの台詞には強く頷く。世の中には人間の英知ではまだ解明できていない不思議があるはず。この台詞でネガは珍しく優を「お前」と呼んでいるが、これは目の前に優に言っているのでなく、テレビの前の自分達にも向けた台詞だからこそのことだと思う。いずれにしろこれを見た人々が「世の中の不思議」について、深く考えさせられる台詞だと私は感じた。
名場面 戻るきっかけ 名場面度
★★★
 この不思議な世界に飛ばされた優は、心に強く感じた事が下方の水面に映し出されることに気付く。これは優が空腹で「パパが作ったクレープを食べたい」と強く感じた事で、水面に父親の姿が映し出されたことで気付いたのだ。驚いて「パパーっ!」と叫ぶと、哲夫は優が帰って来たと思って「おかえり」と声を掛けてしまったことまで映し出された。これでポジがこの世界と優たちが住む地上が繋がっている事に気付くが、同時に哲夫の気持ちが優の方に向いていないから哲夫の姿がすぐに消えた事に気付く。その時、優が立っていた陸地が崩れ、優は下方の水面へ向けて転落しそうになる。なんとか掴まって難を逃れるが、その時に優は「助けてー、俊夫〜っ!」と叫ぶ。
 その頃、地上で俊夫は行方不明になったヘリ…つまりマミを捜していたのだ。マミが乗ったヘリを探すべくみどりと会話をする俊夫の姿が水面に映し出され、ポジが「この繋がりをしっかりさせれば帰れる」と語る。そう聞いた優は俊夫が映し出されている水面に向かって飛び降りようとするが、今度は落ちることが出来ずに結局はまた陸地の上に戻ってしまう。この事態に優は「俊夫の姿が消えちゃう」と慌てるが、すぐに名案を思い付く。優は魔法のコンパクトを手にすると「俊夫〜、受け止めて!」と叫んでそれを水面に向かって投げつける。コンパクトは赤い光を発しながら水面へ落ち…俊夫の隣に立っていたみどりの頭に当たってから、俊夫が受け止めたのだ。これが優が持つコンパクトだとすに気付いた俊夫は、「優!」と叫ぶと今度はコンパクトが落下した経路に沿って光が登ってゆき、優の元に届く。優は「届いたんだ!」と安堵する。と思った瞬間陸地が崩れ始め、優はヘリの中へと走って避難、優がいた陸地は完全崩壊し、ヘリは水没する。
 まずこの不思議な世界の構造について述べるが、下には何処までも海のような水面が拡がり、その上で島のようにいくつもの陸地が浮いているという世界である。この陸地が何らかの理由で徐々に崩壊し、崩壊した陸地は下の水面に落ちる。水面には空から見た東京の街が映し出されているが、優が何かを強く感じるとそれを映すようになる。
 これは優たちが飛ばされた不思議な世界から、現実世界へと戻るきっかけである。そのきっかけとして利用したのは「優と俊夫の絆」であった。優がピンチに陥ったときに助けを求めた「頼りになる存在」はやはり俊夫であり、その叫びを聞いた俊夫も「優に何かあった」と感じて心の底から心配する。既にこの二人にはそのような絆が生まれており、これによって不思議な世界に飛ばされた優が元の世界に戻れることになる。この展開を通じてしばらく描かれていなかった優と俊夫の関係が描かれ、二人は見えない力で結ばれた存在であることを示したのだ。
 ちなみに俊夫はマミを捜していたはずだが、マミという存在自体が優の変身した姿であり、マミを捜すと言うことは優を探すことでもある。つまり優と俊夫はこの時点で互いを向き合っていたのであり、優がピンチで俊夫の名を叫んだときに水面から俊夫の姿がなかなか消えなかった最大の理由だろう。そして優が投げたコンパクトは二人の間を赤い糸で結ぶ、これは二人の未来を予想させるものだろう。
 こんなてんこ盛りの内容を、短いシーンで全部描いた上に窮屈感がなく。その上主人公がピンチに陥る緊張感、物語のクライマックスとしての転回点、ピンチを過ぎた安堵の全てがうまく描かれている。そういう意味でも印象的なシーンであった。
感想  この話確かに見た。最初は立花が操るヘリに、マミとめぐみが同乗したドタバタが中心なのかと思ったら、今回は立花やめぐみも一緒に別世界に飛ばされるという意外な展開を辿った。もちろんこの二人が一緒だと話が進まなくなり、立花とめぐみには気絶していてもらうことになる。その立花が一度だけ気絶から覚めるが、優が持っていた石で立花を殴るという信じられない暴力的シーンが描かれ、「いないはずの優がいる」という状況がバレずに済む。でも優が立花を殴った時の「ごめんちゃ〜い」は面白かったなあ。
 ただここで気になるのはこの世界に来たマミが、「魔法が使用できなくなった」という理由で優に戻ってしまったことである。これは25〜26話の流れで考えれば、「魔法が使えなくなった」のなら優はマミの姿で固定されるはずだ。25話で俊夫に変身を目撃されて魔法を使用できなくなった際は、優はマミの姿のままで元に戻れなくなった…つまり魔法が必要なのは変身時であって、優がマミの姿を維持するためには魔法は必要ないはずだ。ま、今話は優の姿に強制的に戻らされたことで、面白いシーンが沢山あったからいいんだけど。これはこの世界に到達した際に、何らかの力で元の姿に戻す魔法がかけられたと解釈すべきだろう。
 前半のヘリのシーンではツッコミどころが多すぎ、乗り物ヲタには見るに堪えない状況であることは明記しておこう。研究欄で取り上げたら終わらなくなる。
研究 ・夢嵐
 第1話と今話で出てくる現象が「夢嵐」と呼ばれる現象だ。第1話ではフェザースターの舟が夢嵐に遭遇して遭難し、優に助けられたというストーリーとなっていて、これをきっかけに優が魔法を手に入れるという物語の始まりが描かれた。そして今話では優とめぐみを乗せた立花の自家用ヘリが夢嵐に遭遇する。今回はこの夢嵐と呼ばれる現象を研究したい。
 第1話ではフェザースターの舟が夢嵐に遭遇したことで、地球の方に流されてきたとされている。この時に優が「フェザースターの記憶」に入り込み、フェザースターへの道を示したことで夢嵐から助かるというよく訳の分からないストーリーだった。結局夢嵐とはなんだったのかが明示されることもなく、物語は2話以降へと忙しく進んでしまい、視聴者が夢嵐について考える暇もなかったのは確かだ。
 その夢嵐が44話を経て再登場したのである。今回はこれをじっくり見て夢嵐の正体を掴まねば、と多くの視聴者が身を乗り出して見たことだろう。立花のヘリが青い光に包まれて異空間を飛んでいるときに、ネガとポジがこの現象を夢嵐に巻き込まれたのだと説明してからは目の離せない展開だった。
 で、結局は夢嵐の正体がよく分からないまま物語が進んでしまう。だが最後に夢嵐が起きた原因をポジが語る、それは「東京の都心から消えゆく自然が見た夢」だということらしい。この言葉から察すると、都会の「自然」全体が自分達の姿が削られるのを悲しみ、名場面欄のような不思議な空間を作り出したというのが、今話における夢嵐の現象と言っていいだろう。その空間に着くまでの青白い光に包まれた空間は、現実世界と夢嵐によって作られた空間を結ぶワームホールみたいなものだと考えればいいい。台風で例えれば不思議な空間は目の部分、ワームホール部分は暴風雨圏みたいなものなのだろう。第1話のフェザースターの舟も、同じようなかたちで何者かが見た夢によって作られた世界に迷い込み、そこから抜け出したら地球にいたという解釈で良いだろう。
 つまり夢嵐という現象はこう考えることが出来る、それは人間よりも大きくて抽象的な存在…自然そのものや、空間などといった存在…が夢を見ることなのであろう。そのような大きな存在が夢を見ると空間やら何やらがひずんだりするのかも知れない、そうなると何処かにその夢と現実世界を結ぶワームホールが発生すると考えられる。
 名台詞欄の不思議な空間も、夢の世界としてこう考えると納得できる。水面の下の映る東京の街は現実世界で、その現実世界から迷い込んだ人間ならそこに思ったものを映すことが出来るし、思いを伝えたりすることも出来る。そして水面から宙に浮いた島は、壊されて行く「残された自然」だ。だからこの陸地が崩れるときは、現実世界の工事現場の場面と連動する。これが消えゆく都会の自然を見ている夢であり、夢嵐を起こしているのである。
 う〜ん、非現実的なことを考察するのはやっぱり難しい。

第45話「悲しみの超能力少年」
名台詞 「僕だけど、僕じゃないもん。やっぱりね…気持ち悪いんでしょ? みんな、みんなそうなんだ。僕のあれを見るとみんな気持ち悪がって…」
(誠)
名台詞度
★★★
 今話の冒頭、優はマミに変身しようと人気のない公園にやってきた。すると1人の少年がブランコで遊んでいるのだが、その少年がブランコを漕ぐたびに少年の周りを花びらが舞い、木々の葉も一緒に踊るように少年の周りで舞う。これを見た優が「きれい…」とこの少年に声を掛けるが、少年は「僕知らない」と素っ気なく答える。それでも「君がやったんでしょ?」と優がしつこく聞くので、少年はこう返答する。
 このシーンでこの少年に優が持つ魔法のような不思議な力があることが示される、そしてこの台詞でその「力」が自分では制御不能でこの少年の好む好まざるを問わずに出現することや、この「力」を見た少年の周囲の人々がどのように受け取ったかが明確に語られる。その裏にこの少年の孤独と悲しみが潜んでおり、これが今話の「事件」を描くことになることがうまく示されている。
 そしてこの台詞、例えばこの少年のような「超能力」や、優が持つような「魔法」など、特殊な力を持った人間が突然目の前に現れたら、「普通の人」がどんな反応を示すかという現実を明確に示しているとも考える。そりゃ優のようにズレたキャラの人じゃなきゃ、子供がブランコを漕ぐたびに花びらを舞わすという、どう見ても科学的に説明できないような事をしていたら不気味だろう。優についてもそうだ、突然見ず知らずの少女が変な呪文を唱えてタンバリンを振り回したかと思うと、その少女が光に包まれて大人の女性に変身する光景にあなたが出くわしたら…予備知識のない状況なら、やっぱり不気味だろう。
 そんな「不思議な力」を持つ人間が、どういう風に外から見られるのかという現実をこの台詞は示している。もちろん「魔法」についても同様で、「魔法少女」というものが実在したらどう思われるかという答えを出していると感じた。
 ちなみにこの少年は、この台詞の直後に「内山 誠」と名乗る。今話のゲストキャラだ。
(次点)「木所! お前はね、マネージャーを何だと思ってる? 蹴られても、どつかれても、例え自分がのたれ死のうが、歌手を助けないでどうするんだ!?」(立花)
…昔、さだまさしが宿泊先で火災に遭ったときに、マネージャーがさだをほったらかしにして逃げたという事件があったが、その時に思い出したのが立花のこの台詞と、この台詞を突き付けられた木所の焦り顔と、この台詞を含んだシーンだった。
名場面 マミ対誠 名場面度
 誠が優に「遊ぼう」と申し込むが、「マミのコンサートに行く」と行ってそれを断る優。誠は強烈な嫉妬を感じると遂に誠の「超能力」が現れ始める、マミのコンサート会場へ行ってマミを亡き者にしようと「超能力」が発動したのだ。誠の力はコンサート会場の建物を破壊し、その破片でマミを潰そうと攻撃を仕掛ける。名台詞欄次点シーンを挟むと、誠の「超能力」によってマミの周囲に穴が開いてマミは落ちそうになる。この絶体絶命のピンチに、マミは魔法のタンバリンをかざしてピノピノに助けを求める…するとタンバリンが光ったかと思うと、その光は会場の屋根の辺りに留まる。するとその光は誠に攻撃を開始する、誠はこれを巧みに交わすが、光は誠が怯んだ一瞬の隙を突いて光線を直撃させる。誠はその場に倒れるが、まだ超能力使用時の顔のままだ。マミが誠を抱き上げ、何が起きたかを説明する。ピノピノ(ここでは神様とした)が誠のやり過ぎを懲らしめたこと、それで誠の力を奪い去ったこと。これに対し誠は無自覚だったことやまだ怖いことを語るが、マミがそんな誠を「終わったんだよ」としっかり抱きしめる。
 結局その正体はよく分からないのだが、誠が他の何者かに取り憑かれたことによって超能力的な力を得ていたことだけは何となく解った。そしてピノピノの力で解決した事で、この力がフェザースターと関わりがあることも確かだろう。マミ(優)はネガの助言によってこれを見抜いていたに違いない、だから誠にわざと冷たく対応し、誠の「超能力」を出したところでピノピノの助けを借りるつもりだったのだろう。こうして正体はよく分からない誠の力は失われる。
 だけとなー、誠の力が何だったのか正体を明かさなかったのはちょっと消化不良のようにも感じた。またいつぞやの牡鹿のようなのが出てくると、期待してみていた人も多かったことだろう。
感想  これも昔見たのをハッキリ覚えている。そして誠の「力」の正体が分からないまま終わって一気に力が抜けたのもよ〜く覚えている。
 今回スポットを浴びた論点は、マミの魔法も含めて超常的な力を持つことそのものだっと思う。その力をどう使うのか、そしてどのように制御するのかを優と誠の対比で描いたのだと思う。言ってしまえば優の「魔法」は本人が制御も出来るし私利私欲のためだけに使用しているわけではないから「光」であり、誠の「超能力」は本人に制御が出来なくて「優を独占したい」という私利私欲のためだけに使ったから「影」だ。この「光」と「影」の対比から魔法や超能力と言った力を持つことに対して必要な事、その力が大きいが故の怖さ、そして優がそのような力を持ってうまくやっていける「資質」という点まで含めて描いたと思う。
 特に最後の「資質」という点は今回の視聴で初めて気付いたポイントだ。優というキャラは良い意味でも悪い意味でもズレており、さらに純粋すぎるほどの性格でもある。だからこそ良い意味でも悪い意味でも悪いことが出来ない、このような大きな力を持ってしまったときに、最初は使い方に困り、続いて周囲の出来事に流されるうちに「人気アイドル歌手に変身して仕事をする」という使い方に目覚めてしまったというのが正解だ。
 だが誠はその逆である。その「力」を理由に孤独を強いられたから、という設定が彼の性格を歪ませただけではないのは確かだろう。もちろん「力」が無自覚に発せられていることを差し引く必要もある。だが彼は躊躇することなくその「力」を、自分が気に入らない者達への復讐手段として利用している。その「力」が発生することが解っていながら、感情をコントロールせず怒りを静める努力をしていないのだ。つまり彼はその大きな「力」を自分のためだけに使うことを既に覚えており、他者の迷惑を解っていながら顧みない点においてこのような力を行使する資質に欠けているという見方が出来る。
 だがこのような見方をするのは「大きなお友達」だけで十分だろう、子供達に魔法なり地用能力なりが実在した場合の「怖さ」や、それを使ったときに周囲からどんな目で見られるかという現実を伝えられればそれで良いはず。このような形で「魔法」に対する「影」の部分を伝えようとするのは、「クリィミーマミ」の特徴であるのだ。
研究 ・ 
 

第46話「私のすてきなピアニスト」
名台詞 「ずっとずっと、マミでいられないかなぁ? そしたら、パパにもママにも俊夫にも、立花さんや木所さんやめぐみさんにも、嘘を吐かなくて済むんだけどなぁ。それから…貴宏さんにも…。」
(優)
名台詞度
★★★★★
 貴宏と夜遅くまで付き合って帰宅が遅くなり親にこっぴどく叱られた優は、部屋で1人になると鏡に映った自分に顔に向かってこう語る。
 これまでも優が「優とマミのギャップ」に苦しむことは多々あった、それはここまで描かれた「恋愛もの」としての展開が「優が大好きな男の子が、優が魔法によって変身した姿に夢中になる」というものであった。つまり優が「マミ」という偶像の存在を気に病み、マミの存在を消せば自分の好きな男の子が振り向いてくれるかも知れないという思いが根底にあったのは否めない。
 だが今回は違う、優は「完全にマミになる」事を望んでいるのだ。貴宏という男が目の前に現れ、この男にどこか悲しげな瞳に心を奪われてしまったマミだが、優に戻った時に現実を思い知り遂に「優の存在」が邪魔だと感じるようになる。
 だが一方で「優の存在」が否定できない彼女がいることも確かだ、マミは魔法によって生み出された偶像であり自分自身ではないと言うことは、他の誰でもない優が一番よく知っていることだ。ではマミの正体である10歳の少女に、貴宏が振り向いてくれるかと言えばそれはあり得ないのは確かだろう。その複雑な心境が生み出した「大義名分」がこの台詞の中程で語られている「多くの人に鬱をつかなくて済む」という部分なのだ、その「大義名分」を持つことで優は無意識に「優の存在」を消すことに正当性を見いだそうとしているのだ。
 この優の複雑な心境が描かれたこの台詞は、優の台詞で最も印象に残った。
名場面 別れ 名場面度
★★★★
 貴宏がニューヨークへ旅立つ日が来た、彼は音楽の勉強をするための留学を決めていたのだ。だが彼は描いていた予定とは違い、「作曲家」としてではなく「ピアニスト」として。マミの力で再びピアノが弾けるようになった彼の新しい門出だった。
 その旅立ちの成田空港に、マミの姿はなかった。だが貴宏はマミが見送りに来ると信じて、搭乗手続きのギリギリまで空港のロビーで待つ。そんな貴宏を柱の影で見つめるのはマミではなく優だった、ポジが「どうして行かないの?」と聞くと力無く頷いて「だって、今会ったら本当のことしゃべっちゃうそうなんだもん。私は本当は優で、マミは魔法のマミなんだって…だってもう嘘はつきたくないのよ」と最後の方は泣き声で返答する。そのやり取りの間に搭乗手続きの時刻が迫ったのだろう、貴宏が優の方に向かって歩いてくる。貴宏が優のすぐ横をトオルと…ついに優はたまらなくなり走って逃げ出す。突然流れ出すBGMは「LOVEさりげなく」のピアノソロバージョンの演奏だ。その走り去る優の背中を貴宏が見てしまう、その背中のフードから顔を出していたのはマミが連れていた2匹の猫…ネガとポジだった。その見覚えのある猫の姿に貴宏は驚くが、「まさか…」と呟いて行ってしまう。そして響くジェット機の爆音、展望デッキで1人立ち尽くす優が静かに呟く。「さよなら、マミの…貴宏さん…」。
 マミと貴宏の恋の物語はこうして幕を閉じる。出て行きたくても出て行けない優と、マミの姿が見つからず愕然とする貴宏。だが貴宏に後日談があるとすれば、彼は「マミは何処かに来ていた」と確信したはずだろう、それは何よりも貴宏は真美が連れていたネガとポジの姿をハッキリと認識しているからである。そして貴宏は、マミに複雑な心境があって出てこれなかったことも察していたことだろう。だから彼はマミの名を呼んで叫ぶようなこともなかったし、涙を流すこともなかった、自分の夢へ向けて前進することが出来たのである。でもまさかマミの正体が10歳の少女だなんて、夢にも思ってないだろうなぁ。
 また優は優で名台詞欄で記した通り、自分のマミのギャップに苦しんでいた。貴宏が好きなら嘘は言えない、好きだからこそ優の姿で出て行って「自分がマミです」と言ってしまいそうだという想いは大人になった今だからこそ理解できるものだ。そうしてしまうことはマミを世の中から消して、自分の全てを失うことになる。恐らく俊夫も「優がマミだった」という記憶を取り戻さないままになり、遠ざかってしまうだろう。だから自分には影からコッソリ見守ることしかできないという、優の想いが描かれている。優の最後の台詞はその本心を口に出したもので、こっちを名台詞欄に挙げてもやっぱ★×5の採点とした。
 この相思相愛だった2人の想いの交錯、そして名乗り出られない優と見送りがなかった貴宏の悲しみ。これらを見事に感動的に描くと共に、ネガとポジが鍵になって貴宏の側は心のわだかまりが取れるという素晴らしいシーンとなった。「クリィミーマミ」を過去に見た時、「大人の視聴に耐えられる魔法少女だ」と感じたのは、このシーンだった。
感想  アムロキターーーーーーーーーーーー!!!!!!! そうだ、貴宏の声はアムロだった。どっかでアムロが出ていたことだけは覚えていたけど、なかなか出てこなくて記憶違いだったかなと思い始めていたところで出てきた。しかも「ガンダム」や「フローネ」でのイメージとは違い、しっかりと夢を見据えている男を演じている。だがふとしたことで夢から遠ざかっているというキャラを見事に演じたと同時に、「こういう男にならマミが惚れるのはわかる」というイメージを最後まで貫いた。
 「LOVEさりげなく」のピアノソロバージョン、なかなかよかった。あの曲のもう一つの一面を見た気もする、しかも劇中でフルコーラスやっちゃうとは。名場面欄シーンでの使い方もなかなか良かった、マジでピアノソロバージョンのあの曲がCDかなんかであったら聞いてみたいなぁ。ついでに言うと、マミちゃんのセーラー服も意外性があってよかった、後半に入ってから27話の晴れ着姿を筆頭に、マミには色んな服を着せるようにみどころがひとつ増えたと思う。優はいつものあの服だけなのだが…。
 とにかく今回は「マミの恋愛」をしっかり描いたのは評価が高い、しかも子供向けだからという誤魔化しは無しで、しっかり別れまで描いたのだ。38話でもマミが俊夫以外の男に惚れたシーンが描かれたが、あれはあくまでも女を騙す男と騙された女が本気になった片思い。今回は相思相愛というのもポイントだ。さすがにマミの正体を考えれば、あんなことやこんなことは無理だろうけど、そういうのがなくても自然になるよう話を転がしたと見るべきだ。
 そのマミの恋愛を通じて描かれたのが、今度は優から「マミの姿であり続けたい」という願望を引き出させた。これまでの「マミになりたくない」から一転して、優は自分の存在を否定しようとしてしまうのである。だが最後に貴宏が「手の届かない存在」であることは、貴宏が異国へ旅立つという現実を通じて知ったのだろう。貴宏が旅立つ際に敢えて優の姿でコッソリ見送りしたのは、この物語最大のポイントであろう。
 こうして優が決して俊夫一本ではなく、年頃の女の子のようにいい男が現れればフワリーとそちらへ行ってしまうという、純情ではあるがごく自然な女の子として描かれたからこそ、私は魔法少女アニメで「クリィミーマミ」がとても印象に残ったのかも知れない。優の年齢はともかく、マミの年齢なら目移りするのは仕方が無いだろう。主人公を聖人君子として描かず、等身大の少女として描いたからこそこの物語は多くの少女の支持を得て、「大きなお友達」にも愛されたのだと私は思っている。
研究 ・「クリィミーマミ」に出てきた乗り物
 今回は劇中に出てきた乗り物の描写に驚いた。これまで「クリィミーマミ」では「通りすがり」の自動車以外、乗り物が精密に描かれることはなかった。出てくる電車なんか「サザエさん」のあさひが丘駅にやってきそうないい加減なものばかりだったし、第1話の貨物列車も突っ込みどころ満載。だけど今回貴宏とマミが再会する踏切シーンで出てきた電車、西武鉄道3000系が驚くほど精密に描かれていたのでびっくり。車体側面の表記類の位置や、側面の窓配置や他形式違う独特の構造、色合いまでピッタリで、しかも「急行 小手指」と行き先まで判別できる細かさだ(ただ車両前面に書いてある車号だけがエラーだ)。この踏切で二度目に優と貴宏が会うシーンでは、電車の行き先が「急行 西武新宿」になってたけど、この型式が新宿線を走るようになったのは平成になってからだぞ。あれ、くりみヶ丘って中央線沿線じゃ…いかんいかん、だんだんヤボになってきた。それはともかく空港シーンで描かれたDC−10も精密で良かったぞ。

第47話「マミのファーストキス」
名台詞 「仕方ないよ。それが仕事なんだもん、仕方が無いじゃないか。僕はさ、マミちゃんに本物のラブストーリーが演じられる素晴らしいスターになって欲しいんだ。ファンがキスして欲しくないなんていうの、我が儘だよ。」
(俊夫)
名台詞度
★★★
 クリィミーマミが映画でキスシーンを演じるという報せに、俊夫はその映画の主演のオーディションまで受ける熱の入れようだった。もちろん素人の俊夫が合格するはずもなく(だがマミが満点を入れたので次点にはなれた)、落胆して森沢家にやってくる。ここでマミのキスシーンが話題に上がり、優が「好きでもない人とキスするなんて変だ」と強く訴えると、俊夫が浮かない表情でこう語る。
 もちろん、これは俊夫の「建前」だ。なんてったって俊夫にはマミとファーストキスわするチャンスに挑み、これに失敗した後だからこそ落胆は大きいだろう。それに俊夫とマミの関係は単に「アイドル歌手とその1ファン」ではない、マミがアイドルとしてデビューする前から俊夫の心を掴んでいた存在だ。さらに潜在的な部分で「優=マミ」という記憶が引っかかっていて、それが「マミから見て自分は特別な存在」と思わせている部分もあるはずだ。その俊夫が吐いたギリギリの建前、マミは仕事でキスするのであってそれがマミが社会人として成長するために必要であるという現実を理解して一同に語ったのである。
 言うまでもなく俊夫のマミに対する想いは、単に1ファンへのアイドルへの想い程度ではない。明確に片思いの恋と言うべき状況であり、だからこそマミが他の誰かとキスをするという単なるファンなら気にならない事が気になって仕方が無い。前述の通りやはり彼の潜在的な部分に「優=マミ」という記憶が残っていて、それがこの仕事によるキスがマミにとってのファーストキスに違いないと彼の心に訴えていたのだと思う。だからマミが「好きでもない誰か」とファーストキスするのに抵抗を感じているという解釈も取れる。
 いずれにしろこれを聞いた優は、俊夫が本音を隠して建前を言っているに過ぎないという事実を見抜けず、「俊夫が言うから…」という理由でマミのキスシーンにOKを出してしまう。ここに優と俊夫の年齢差もハッキリと感じ取れる、そんな台詞だ。
名場面 ファーストキス 名場面度
★★★
 マミのキスシーンの相手俳優である城田まさきファンの女の子3人組が、キスシーンを阻止しようと2人が演じるベンチに仕掛けをしてしまう。この企みに気付いた俊夫は機材が積み込まれたコンテナに閉じ込められてしまうが、間に合わずに2人が演じていたベンチは女の子達の想定のように潰れず、二人を載せたまま滝壺に転落してしまう。これを見た俊夫は二人を追って川に飛び込む。
 マミが咄嗟に魔法を使用する呪文を唱えたことで、大道具のドラゴンが勝手に動いてまさきを助けることには成功する。だがマミはそのまま激流に流されてしまい、俊夫がこれを必死に追うという構図になる。二人は水中に引きずり込まれるが、何とか俊夫がマミを抱きしめて助け上げようとする。と思った瞬間に俊夫は水中の岩に激突して気を失い、そのドサクサに紛れてマミが俊夫の唇にそっと唇を重ねたのだ。
 今回の物語に上手く解決した瞬間であると言っていいだろう。何らかの理由で今回の映画撮影がキャンセルされたり、内容が変わってマミのキスシーンが省略されたとしても、マミが映画なりドラマに出演させられてキスシーンを演じさせられる機会は今後いくらでもあるだろう。つまりマミが「意中の人」とファーストキスを決めないことには、今回の話は落ち着くに落ち着けないのだ。それもただ単にマミ(優でも可)と俊夫がキスすりゃいいってもんじゃない、俊夫が知らないうちにマミがファーストキスだけ奪っておかないと、マミが優に戻った後に俊夫に自慢され、また優が傷つくきっかけになってしまう。だから今回の物語を決着されるのは簡単なようで難しかったと思う。
感想  ファーストキス…年頃の少女が主役で、しかも恋愛が絡む物語であれば避けて通れない題材であろう。どんな恋愛ものアニメでも主人公と意中の人が「初めてキスをする」という物語は、その恋愛関係を上手く盛り上げる。そのキスは双方にとって生まれて初めてのキスでなきゃならないのもおやくそくだ。
 その題材を、「クリィミーマミ」では物語の特徴を上手く使って明確に他の作品との差別点を見いだすことに成功した。それは主人公が魔法で変身した姿で「芸能活動」をしているという設定の利用で、これを使って主人公のファーストキスが恋愛関係やライバルとは無縁のところから「仕事」として降って湧いてくるという展開を作るのである。その現実によって揺れ動く主人公と「その意中の人」の気持ちを描き、最後はキチンとその二人がファーストキスを決めて終わるという、他では見られない展開だ。もちろん物語を解決するには名場面欄に書いたような要素は避けて通れず、主人公が魔法を使って変身した姿とはいえ、その意中の人である男の子が「社会的に主人公とは違う人」とされているキャラとそのような関係になってしまった以上、誰も傷つけずに終えるのはとても難しいのだ。
 しかし、高校時代の再放送で今話を見たときに感じたのだが、現実のアイドル歌手なんかはプライベートで恋愛を経験し、最低でもキスくらいは済ませてから芸能界へ入るんだろうな。それくらいモテないとアイドルにはにれんだろうし…だからキスシーンの撮影とか問題ないのかも知れない。もちろん正体が10歳の少女であるマミに、それを要求するのは本来はアウトだろう。城田まさきという俳優は危なく児童性的虐待をさせられてしまうところだったんだなぁ。
 それと哲夫となつめがこれまたお熱いようで…「ふしぎな島のフローネ」27話ではないが、優が居間へやってきたら寝間着姿の哲夫となつめがキスしていたというあのシーンは間違いなく、あんなことやこんなことの日だったはずだ。そこに娘が突然入ってきて…その後、優は両親のラブシーンに驚き思わず家を飛び出してしまうが、優が帰ってきた時になつめが優をいつもより強い調子で叱りつけようとしていたのは、やっぱ欲求不満だったからなんだろうなぁ。
研究 ・ 
 

第48話「優とみどりの初デート!」
名台詞 「優ちゃんは俊夫ちゃんが好きなんだよね? 僕じゃなくて。俊夫ちゃんと喧嘩しちゃダメ、俊夫ちゃんと喧嘩すると優ちゃん元気なくなるの。そしてそれは…え〜と…つまり…えー、良くないことなんだ! 俊夫ちゃん、僕と優ちゃんにヤキモチ妬いたでしょ? でも僕たちはそんなんじゃないんだ。解ってない、ちっとも解ってないよ。俊夫ちゃんは優ちゃんに優しくしなきゃダメなの! 優ちゃんに意地悪なこと言っちゃ可哀想! 俊夫ちゃんがそんなんじゃ、僕…。僕が言いたかったのはそれだけさ、幸せにしろよ。」
(みどり)
名台詞度
★★★★★
 ふとしたことから優からデートに誘われたみどり、甘味処で一緒にお汁粉を食べ、公園ではしゃぐ優を見つめ、デパートであれこれ見てから二人は屋上に立つ。だが優は浮かない顔をする、優にソフトクリームを持ってきたみどりは「疲れた?」と聞くが、優は気丈にも「元気だよ」と答える。だが次の瞬間、優はまた屋上からの景色を眺め「くりみヶ丘ってどっちなの? こっから俊夫のバカって怒鳴ったら聞こえるかな?…聞こえないね、きっと」と呟く。この事態にみどりは「俊夫ちゃんとデートの方がよかった?」と聞くと、優はいつもの笑顔に戻り「そんなことない、みどりくん優しいし、俊夫なんて…」まで言ったところで、また浮かない表情に戻る。さらに辛い声で「俊夫なんて…」と続ける優と、みどりの手の中で溶け始めたソフトクリーム。みどりは持っていたソフトクリームを投げ出して、みどりをサポートするためにコッソリ尾行している守のところへ行く、そして守に「俊夫ちゃん来てるでしょ?」と単刀直入に言う。「知ってたの?」と答える守に、みどりは「すぐ連れてきて、いいから早く!」と言い残してまた優のところに戻る。そして優と二人になり、「次は何処行こうか」と問う優に数秒の間を置いて「もう、行かない」と答えたあと、この台詞を吐く。途中で俊夫が守に引きずられてやってきて、俊夫への台詞となる。
 みどりは気付いていたはずだ、優の気持ちが自分にではなく俊夫に向いていたことを。それは32話で明確に描かれていたが、それでもみどりは優のことを諦めずにいた。だがふとしたことからデートとなり、その中でも優が俊夫のことばかり考えていることを目の当たりにする。優の幸せは自分と一緒にいることではなく、俊夫と二人でいることだということをまざまざと見せつけられたのだ。そしてみどりはこの台詞に自分の気持ちと、優への想いを託す。みどりが求めていることは優の笑顔であり、優が悲しい思いをしないこと。そのためには優は俊夫と一緒にいるべきだとする。
 そして俊夫には優をもっと大事にするように訴える。実はことあるごとに俊夫が優を気にしている事実を見ているのは、他の誰でもないみどりに違いないからだ。だけど優につい意地悪を言ってしまう俊夫のことがどうしても許せなかったに違いない。みどりは優への思いを断ち切ると同時に、俊夫にこのことをきっちり伝える。
 最後の「幸せにしろよ」で前半のみどりがテレビドラマを見ていたシーンを伏線として回収してうまくまとめ、ここにみどりの優への想いの深さ、その一途さが上手く描かれた。その想いがこの台詞に上手くまとめられている。このみどりの一途な想いに、当時も今も感動せずにはいられない。そんな台詞だった。
名場面 水族館 名場面度
★★★★
 名台詞欄の名台詞を語った後に、その場を立ち去ってしまうみどり。そしてそのみどりを思わず追ってしまった守。二人はいつしか水族館にやってきてイルカのショーを見ていた。イルカのジャンプで頭から水を被った二人、「濡れると風邪引くよ」「守君こそ」「僕は鍛えてあるから平気なんだ…」…またイルカがジャンプすると、みどりはデートで優をここに連れてくるはずだったと語ると守はイルカを見て「みどり君に似ている、優しい目をしていて、力強くて」と返す。「優ちゃんも気に入ってくれると思ったんだけどね」みどりが言えば「また今度連れてくればいいじゃない」と守が元気づけるが、「でも遠いもん」とみどりが呟く。イルカがショーのクライマックスである大きなジャンプを見せる、その飛沫がまた二人に当たって頭から濡れる。すると背後から「わー、すごーい」と少女の声が上がる。二人が驚いて振り返ると、そこに優と俊夫の姿があった。
 「ずるいよ、こんなすてきなもの自分達だけで見るなんて…」と訴える優を見て、みどりが「優ちゃん…」とその名を呟く。すると優はウインクしながら「友達でしょ?」と返す。数秒の間を置いて、暗かったみどりの表情が少しずつ元に戻ってくる。「イルカと握手したい人はどうぞ」というアナウンスが流れ、優と守がこのアナウンスに従って走り去る。残されたみどりと俊夫が向き合う、「みどり、ごめんな、俺…」と言いかけるが優の「早く早く」という声も同時に飛んでくる。「ここへは何度も来ているけど、イルカと握手したことないんだ」とみどりが語ると、「よ〜し、ほんじゃいってみるか!」と俊夫が威勢を上げると、「優ちゃーん」と叫びながらみどりは走り出す。こうして今話は幕を閉じる。
 このシーンの前半では、恋に破れて沈んだ表情のみどりがとてもよく描かれている。このみどりと守というコンビがこれまたよく、守はみどりの言葉に上手く合わせて対応している。みどりが名台詞欄シーンでどれだけの落胆を味わい、どれだけの思いであの台詞を語ったのか、その結果がよく分かる台詞だ。そして守も優の本命が分かった事で辛かった男の子の一人だろう、守は優が自分の方を見ていると思っていたと思われる。何と言っても優がいなければ彼はくりみヶ丘で友達を見つけることは極めて困難だったはずで、自覚があるかどうかは解らないが優を気にしていたことは間違いない。俊夫とのデートが成立しなかった際、その代役がみどりと聞いてちょっと辛そうな表情もしていた。だからこそ傷心のみどりを慰められる相手は守しかいなかったし、守もみどりの恋が破れたと知ると後を追わずにはいられなかったのだ。
 対して優と俊夫はこの二人を友として失ってはならないと考えたのであろう。恐らく二人が何処へ消えたのか探し回ったに違いない。そして優の恋愛問題とは別に、みどりや守との友情を再確認したわけだ。これでみどりも守もいつもの二人に戻り、4人の付き合いはまたいつも通りになって行く。この関係修復を自然に、切なく描いたシーンでこれも名台詞欄シーンと同じく感動した。
 だがこれまでとは違う点は、みどりも守も優を意識できなくなることだろう。
感想  もうサブタイトルの通りの内容としか言いようがない。だがその中で第1話からずっと優に思いを寄せていたみどりの気持ちに、キチンと決着を付ける。優に対して相変わらず皮肉ばかりで、デートに誘われても良い返事をしない俊夫に、優の気持ち大きく揺れ動くのだ。俊夫の皮肉に対してついうっかりみどりをデートに誘い、前半はこれは何かの間違いと断ろうとするが、みどりがあまりにも楽しみにしていて断れないという「予想通り」の展開へ持って行く。そして後半ではいよいよ、優が気になって仕方が無い俊夫とみどりにサポートを依頼された守の尾行付きでの、優とみどりのデートが描かれる。これがまたまた良いシーンで、見ている方がほのぼのしてしまう。なかなか良い感じじゃないのという視聴者の思いを頂点へ持って行ったところで、デパート屋上シーンでどーんと落とすのだ。後は名台詞欄・名場面欄に書いた通り。
 「クリィミーマミ」という物語では、このみどりの想いをネタやギャグも含めて大きく書きすぎてしまった感がある。これは悪い意味ではなく、多くの場面で物語を盛り上げる要素になったのは確かだ。だがここまで大きく描いてしまった以上、何処かでたたみ込まなきゃならなくなったのも事実だ。よく考えれば「クリィミーマミ」は今話を含めて残り5話、この残り5話で決着を付けねばならないものの中で重要なもののひとつになってしまっただろう。みどりの気持ちを整理するためには、まず優とみどりを二人だけにする必要があったのは確かだ。
 もちろんその描かれ方はデートにこだわる必要は無い、極端な話、優とみどりの二人だけが落とし穴に落ちるような展開でも良かったはずだ。だが敢えて二人のデートを描いたのは、この物語を作った人たちのみどりへの愛を感じずにはいられない。主人公である優をいつも遠くから見守り、優がいじめられたと思うとどこからともなくやってきて抗議するみどり、彼がどんなに優が好きというキャラであっても「俊夫のライバル」である以上は物語展開上どうしても優とくっつける訳に行かない。だから最後にせめて一度だけでも優とデートさせてあげよう、と「クリィミーマミ」制作者は考えたと思う。
 いよいよ残り少なくなってきた。一時はこのアニメの考察が上手く行くのかと心配になったりもしたが、なんとかここまで来た。残り4話でDVD1枚分、物語はいよいよ終局へ向けて回り出すのだ。
研究 ・優たちが住む「くりみヶ丘」について再考
 さて、もう一度優たちが住む物語の舞台である「くりみヶ丘」について考えたい。これに着いては第1話研究欄で設定上では東京都国立市であることを明記し、第2話の研究欄でその通りとすれば新宿までの電車賃が放映当時は310円だった事を紹介した。また考察中でことあるごとに、劇中に出てくる「くりみヶ丘駅」が高架工事着工前のJR国立駅そのまんまであることも紹介した。
 それに加え、今回新たな事実が判明する。ひとつはマミの番組の収録を見学に行った優・俊夫・みどり・守の4人が「くりみヶ丘駅」で電車を降りるシーン、これまでもこの駅を発着する電車はオレンジ一色で描かれていたが、今回初めて電車の型式番号「クハ200−48」が確認できた。「クハ200−48」はかつて中央快速線に実在していた車両で、1981年度末に製造されてから2006年に新型車両に置き換えられるまで、25年に渡り中央快速線で活躍していた車両である。中間に青梅線や五日市線などで使う分割運転用の運転台のない「T25」という編成の、最も高尾よりの先頭車であった。これで優たちが普段利用している「オレンジ色の電車」は中央快速電車であると決定して良かろう。
 もう一つが優とみどりがデートに出発するシーン、駅へ入っていった優とみどりを俊夫と守が尾行を開始するシーンで、切符売り場上部に掲出されている地図式運賃表が画面一杯に出てくることである。
 この地図をよく見ると、山手線と思われる「池袋・目白・新大久保・新宿・代々木・原宿・目黒・五反田・大崎」の各駅が表示されている路線があり、この路線の「新宿」から左方向へ「新宿・大久保・東中野・中野・高円寺・荻窪・吉祥寺・三鷹・武蔵境・武蔵小金井・国分寺・西国分寺・国立・立川・西立川・東中神…(以下画面外)」と続く路線が延びている。これは駅名から言って間違いなく国鉄(JR)中央線だろう、何駅か飛んでいるしいつの間にか青梅線に乱入しているが、間違いなく中央線と見て良いだろう。
 さらに路線図を見ると、「西国分寺」からは上方向へ「新小平・新秋津・東所沢…(以下画面外)」、下方向へ「府中本町」、さらに「東中神」から斜め右方向へ向かって「矢川・谷保・府中本町・南多摩・矢野口・久地・武蔵中原・向河原・川崎」と線路が延び、その先で二手に分かれて右方向はそのまま画面の外へ、左方向は「鶴見」を挟んで画面の外へ向かっている。さらに画面左下方には下から伸びて「中山・十日市・長津田」を経由して左画面外へと消える路線が描かれている。
 問題の「くりみヶ丘駅」であるが、前述の「新宿」から「東中神」へ伸びる中央線と思われる路線図中の「立川」から下方向へ分岐した最初の駅とされている。これは現実の路線図であれば日野駅の地点だ。しかも「立川」から分岐したこの路線は、「くりみヶ丘」で終端となっているのは驚きだ。恐らく本当は「くりみヶ丘」の続きで「日野・豊田・八王子・高尾」とか描きたかったのだろうけど、自駅を示す矢印を入れるための技術的な問題と、南武線が青梅線東中神駅に接続してしまったという矛盾回避のためにあえて描かなかったのだとも考えられる。
 だがこれで「くりみヶ丘」が中央線沿線であることは確定しただろう。この路線図基準で言えば、くりみヶ丘から新宿が410円、いやこの料金表に出ている山手船内の駅はみな410円と表記されている。これは日野駅からの当時の値段だと推測されるが…長くなったのでこの辺りで。

第49話「潜入!立花さんち秘宝」
名台詞 「ヒャーハッハッハッハッ、冗談言わないで下さいよ。宝が出てきてマミちゃんも出演する、こんな一石二鳥の企画を、立花さんが断るわけないでしょうが。」
(星井)
名台詞度
★★
 全52話中、49話にして初めて星井ディレクターの台詞がこの欄に挙がった。
 立花は自宅の地下に眠る秘宝を探すだけでなく、マミをリポーターにした探検番組として放映することとしていた。だが当日になって立花家の小間使い(?)である「ばあや」が、これを断ってしまう。ばあやが立花とその父を「祟りがある」と説得し、立花がやっと中止を決断したところでばあやによって断られたはずのテレビ番組収録スタッフがやってきたのだ。立花の父が「中止にしたはずだが?」と問うと、ロケバスから降りてきた星井ディレクターが笑いながらこう言うのである。
 もちろんこの台詞には立花の性格やキャラクター性というものがよく現れていると同時に、この星井という人物がいかに立花を(仕事人として)信頼しているかをも示しているだろう。つまり立花に依頼された以上は立花本人が断らない限りは、引っ込むことが出来ないという星井の考え方もよく見えるのだ。そしてここで立花がこれまで劇中で見せてきた「テレビ」と「マミ」を使って金儲けを企む「立花のがめつさ」を復習し、後半で星井が本来のテレビ番組の趣旨を逸脱し、立花の言うことも無視して勝手に番組収録を進行してしまうと言う「星井のがめつさ」を演じることで2人の性格を対比させるという役割もあるだろう。つまりは2人とも似たもの同士と言うことだ。
 星井さんの声は「小公女セーラ」でジェームスを担当していた郷里大輔さんだが、この台詞冒頭の笑い方はまさにそのジェームスを彷彿とさせる笑い声だったなぁ。
名場面 宝の発見 名場面度
★★
 マミは星井があまりにも強引に地下道探検にさせるに嫌気がさし、これから逃げるためにコッソリと優の姿に戻る。その上で優はネガやポジと連絡を取りつつ地下道を進むが、道に迷ってしまいついに耐えきれずに大声を出してしまう。この声が地下道に響き、同じく道に迷っていたパルテノン・プロ一行、俊夫・みどり・守の一行とテレビ局スタッフらがこの声に応える。だが声の反響がトリガーになって地下道の壁が崩れ始める、そして壁が崩れたところをくぐり抜けてみると…全員が地下道の中央にある宝の部屋にたどり着いた。宝箱に駆け寄ろうとする皆だが、それより早く立花親子が「これから先は私たちが調べる」と皆を止める。立花の父が先祖のメッセージを見つけると、もう宝発見ムードは絶頂だ。親子が宝箱の蓋を開けると…どうしても興味のある方は「クリィミーマミ」のDVDを買うなり借りるなりして確認して欲しい。確かに「宝」には違いなかったが…いや、優や守にとっては宝だったのは確かだ。
 つまり、この宝発見によってひとつの教訓を得る瞬間である。例え先祖が「宝」だとして大切にしていた物でも、現在は一銭の価値にならないかも知れない。または「宝」はお金では計れないものであるという教訓もこのシーンは教えてくれるだろう。宝箱を空ける前、箱に駆け寄るのを制止した立花親子に対し星井が「わかりました、ご自由にどうぞ」と皮肉にも取れる台詞を語っていたが、どうも彼はこのオチを最初から見抜いていたのかも知れない。
 いずれにしろいくら先祖代々の土地に埋まっていようと、お金になるものなんてそこいらがザクザク出てくるわけがないと言うことだ。
感想  鉄郎キターーーーーーーーーーーー!!!!!!! いや、「クリィミーマミ」に野沢雅子さんが出ていたなんて、今回の視聴で初めて気付いた。前回までの視聴ではこの「ばあや」の声が誰なのかと言う点は全く気にしておらず、今回の視聴で「どっかで聞いた声だな…まさか?」と思い、エンディングをみて「やっぱりね!」という感じだった。これで999キャラも鉄郎と車掌が揃ったわけで…こうなったらメーテルの声が聞きたくなっちゃうな!
 それはともかく、なんだか久々に24話以前のノリに戻ったような気がする。ストーリーやテーマよりもノリだけで物語を進めてしまい、私が考察や感想を書くのに少し困る内容の物語だ。ただこのノリに24話以前では存在がなかった守がいたのが新鮮であった、守は前半におけるゲストキャラの役割を演じていたと言ってもいいだろう。確かこの辺りで突然守が出てこなくなる記憶がかすかに残ってる。
 そして今話の盛り上げ役は何と言っても「ばあや」だ。これまで立花の家に家政婦がいるという描写は全く無く、なんかとって付けたように出てきたが、野沢雅子さんの名演技もあって前半のホラームードを大いに盛り上げてくれた。途中でホラームードからドタバタ劇に路線がコロッと変わるのだが、今話ではその明確な線引きが出来ないのもこれまでの一話完結ストーリーとの違いであろう。なんか気が付いたらホラームードが消えていてドタバタ劇になっていた、そんな感じだ。
 それと中盤でめぐみがマミからリポーター役を奪ったが、そのシーンにおけるめぐみのリポートが「川口浩探検隊」のノリそのまんまで、なんか時代を感じたなー。これでその直後の守が地下道に入るシーンで、星井辺りが「カメラ先に入れー!」とかやったらみんなズッこけただろうな。
研究 ・ 
 

第50話「マミがいなくなる…」
名台詞 「綾瀬めぐみ個人としてはYes、パルテノンプロの綾瀬めぐみとしてはNo。辛いところだわ。」
(めぐみ)
名台詞度
★★★★★
 このところのマミの言動、そして木所から見せてもらったマミのスケジュール。これらを見てめぐみの「女の勘」は「マミの引退」という答え導き出した。これを立花に伝えに行くが、立花は「そんなことはない」と一笑に付す。そしてめぐみは逆に立花から問われることになる、「めぐみは引退してくれた方が都合が良いんじゃないのか?」と。その返答がこの台詞だ。
 このめぐみの台詞にはめぐみの本音と建て前の両方が描かれているだけではなく、この物語におけるマミとめぐみの関係を上手く言い当てていると思う。「一個人のめぐみ」としてはマミというのは自分の仕事を奪っただけではなく、自分には無い面を沢山持っていてそれで成功している「嫌なヤツ」でしかないのだ。だが「アイドルとして成長過程のめぐみ」の立場としては、マミは共に成長し競い合っていける良い意味のライバルであり、同じ仕事で生計を立てている同僚であり友であるのだ。そしてパルテノン・プロ所属タレントという「社会人としてのめぐみ」としては、マミは会社が発展して業績を上げ、自分の生活を安定させるのに必要な存在である。
 つまり彼女は最初から理解ししている、どんなに個人的に嫌なヤツでも、どんなにむかつくヤツでも、そいつが社会的に成功しているなら必要な人材であること。ましてやそんな人物が自分の隣にいれば自分をも成長させてくれる存在になると言うことだ。この台詞にはこんな社会の基本的な事が込められており、「嫌なヤツだって存在を必要とする場合もある」というメッセージを視聴者の子供達に伝えようとしているのではないかと感じた。
 この台詞に込められたマミとめぐみのライバル関係、これがどれだけ「クリィミーマミ」をみていた当時の子供達に伝わったかは解らない。だけどこの台詞と二人の関係を見て、感じるところがあればと願わずにいられない。私も特に高校時代の再視聴でこの台詞を聞いて、周囲にいる「嫌なヤツ」について考え直したりしてみたものだ。
(次点)「悩みねぇ…。いやぁ、まぁ、何て事はないけどね。優も優なりに一生懸命活きているんだろうなと思ってね、愛おしくなったのさ。」(哲夫)
…今回の視聴で、最も印象に残った優の父の台詞はこれ。この台詞の気持ちは子供が出来てみれば誰もが理解できることだろう。本放送や再放送で見た時には何とも思わなかったけど…。
名場面 プリンセスホテルの部屋 名場面度
★★★★
 引退を決意したことを立花に伝えたマミが、パルテノンプロから帰宅しようとする。だが俊夫と木所の見送りでビルから出た直後、彼らの目の前でマミは何者かに突然拉致されてしまう。パルテノンプロの一同は必死でマミを捜すが、その日の夜にマミ本人から電話があり、誘拐でも何でもなかったことと「プリンセスホテル」へ来て欲しいと話される。
 その言葉に従い、立花は木所と俊夫を連れてホテルへ向かう。指定された部屋を訪れると、マミは確かに監禁されている風ではなく、笑顔で一行を出迎えた。そして部屋にいたのは20話で登場したトンガリ王国の王子と、同じく20話でマミに倒されたはずのトンガリ王国の老婆。老婆はマミを占ったところ7月以降のマミが見えなかったとすると、立花はここが「マミ引退」の雑誌報道の出所かと疑う。その声に合わせるように「それを雑誌記者に漏らしてしまったのは僕の友人です」と言いながら、男が1人扉をあけて出てくる。それは38話で登場のプライト・ノア兵藤進ノ介であった。兵藤は老婆の占いを聞いて何か協力したいと名乗り出たと経緯を語る。この際に俊夫が38話の経緯から兵藤を非難するが、兵藤は「失われた信用を取り戻すには時間が掛かるがね」とさらりと返すのはカッコイイ。続いて王子が突然「会場は取れましたか?」と問えば、兵藤が「6月29日」と答える。立花が疑問の声を挟むと、「デビュー1周年コンサートは6月中に国内で」というのがマミの希望であり、それを自分達で叶えてあげようと考えたことを語る。その上でパルテノンプロが計画していたマミの香港コンサート中止による損失は埋めるとした。だが立花はまだ納得がいかない、国内の主要コンサート会場はどこも押さえられていたからだ。だが兵藤は「未だかつて誰もコンサートに使用したことがない会場」として競馬場を確保したことを告げる。この会場を聞いてマミは驚く、そう、1年前にフェザースターの舟を夢嵐から救い、魔法の宝を得た場所が「マミ最後のコンサート」の会場として選ばれたからだ。兵藤は立花に「このコンサートを最高のものにするために協力は惜しみません」というと、立花はやっと理解してこれを了承する。マミもこれに頷いて答える。
 物語が終局へ向けて回り出す瞬間のシーンと言っていいだろう。紆余曲折があったが、ここでマミの「ファイナルコンサート」について決定し、全てがこれに向けて動き出すのだ。その会場は優が魔法を授かった運命の場所とされ、視聴者は間近に迫った物語の終わりに対し大きな期待を持つところでもあるだろう。
 さらにこのシーンの画面描写も強印象だ、特に兵藤が登場してからコンサート会場が告げられるまでのシーンが、マミを中心にして部屋の中を回転するという描写を取っている。これはマミについて重要な事柄が決定されようとしている事を上手く表現しており、それに向けて多くの人が力を合わせるという点を示唆しているのだろう。
 とにかく、やっと物語が終わりに向けて動き出した。「こうして全てはその日の向けて動き始めたのです。クリィミーマミデビュー1周年記念コンサート、私のファイナルステージに向かって」とシーン直後にマミのナレーションが入るが、これは同様に物語が終局に向かって回り出したことも示唆しているのだ。
感想  いよいよ「クリィミーマミ」も今話を含めて残り3話、そろそろ物語が終わりに向けて回り出さねばならないと感じたところで、今話は物語が終局に向かうためのアプローチとして描かれた。第1話で優が魔法を授かったのは「1年間だけ」という設定が明確にされていたので、その1年の期限が近付いていることが示唆されるところから物語が始まる。7月以降の仕事について立花からマミに説明があったことでマミが「それは出来ない」と悩み、優の入浴シーンでは脱衣所でネガとポジがコンパクトに表示されたメッセージを解読し、魔法の使用期限が明確になるというシーンを、優と視聴者に突き付けるのだ。
 そしてマミの言動から「引退?」と気付いためぐみ主導で前半が進み、立花が「マミ引退」とスクープした雑誌報道を見て仰天してから展開は急に慌ただしくなる。その中でスネークジョーの「その後」…パパラッチとしてマミの前に立ちはだかった彼が、足を洗って立派なお好み焼き屋になっていたという事実が明かされる。だがそのスネークジョーは「マミ引退報道」の出所が何処であるかのヒントを立花と視聴者に授けるという重要な役割を担っていた。そして名場面欄シーンで物語は終局へ向かって、雪崩のように動き出すというわけだ。
 物語が終局を迎えるに当たって、やはり25〜26話の流れを繰り返さずにどのように持って行くかというのは見ている側にとっては最大のポイントだったと思う。ただマミが歌手を辞めたくなるという動機は今回は必要は無く、「魔法の有効期限が来たからマミが消えてしまう」という事だけで十分だ。だがこの前からあった設定をどう使って話を畳むのか、それだけでなく27話以降での設定や新たなキャラを含みつつ、第1話など物語序盤の設定も活かしてうまくまとめるのは相当に苦労したと思う。よって今回は二つの流れをまず別々に処理してから最後に繋げるという妙案をとったのだろう。25〜26話では「マミの物語」と「優の物語」が同時に動いていたが、今回はまず「マミの物語」に絞って展開させてきた。今話では「マミが消えてなくなる」というテーマでどう終局へ流すのかという方向性が示唆され、「優」については全く物語が展開していないのだ。こうして物語の雰囲気が変わると共に、二つの物語がうまく整理されるという利点も生ずる。もちろん「優の物語」の決着についても必要な訳で、それが次回ということになる。
 今回は物語が終局へ向けて舵を切るポイントとだけあって、名場面欄や名台詞欄を選ぶのに非常に苦労した。特に台詞についてはまだ紹介したい台詞は多い、マミが目の前で何者かに拉致されて悔しがる台詞や、スネークジョーと立花の和解を示す台詞など、名台詞となる台詞を探せばキリがない回であった。
研究 ・ 
 

第51話「俊夫!思い出さないで」
名台詞 「1983年12月23日、日記を付ける習慣はないけど、今日のことは何処かに残しておくべきだと思った。ショックだった…どんな事情があったのか優はまだそれを話してくれない。俺をあれほど夢中にさせていた天使が、実は優だったとは。今まで半年も隠していた優のことを思うと、なんだかあいつが凄く意地らしくて。俺…その照れるけど、ハッキリ言って優を大切にしなければって…」
(俊夫)
名台詞度
★★★★
 今話の序盤、俊夫が家で趣味の模型作りに没頭している。ラジカセから流れるBGMはもちろんお気に入りのマミちゃん、しかもデビューしたての頃にレコードからダビングしたテープで、聞くのは久しぶりの物だ。そして「パジャマのままで」が終わると、次に吹き込まれていたのはマミの曲ではなく、自分の声だった。この内容がこれである。
 このテープに吹き込まれていた「1983年12月23日」とは歌謡祭のあったあの夜、そう25話で俊夫が優の魔法を目撃したあの日だ。俊夫はその衝撃と、優がマミだった事実とそれに着いて感じた事をキチンと残しておかねばならないと感じたのだろう。日記を付ける習慣がないから日記帳など持ってるはずもない彼が、とりあえずテープに吹き込んだというのは十分にあり得る話だ。当時のカセットテープは紙とペンが無い場合において、自分の気持ちや思いを記録できる最大の媒体だったのだから(勿論現在ならパソコンがこれに代わるわけだが)。
 もちろんピノピノによって25〜26話の記憶が消されているので、俊夫自身はこの声を吹き込んだ記憶はない。いや、この声を吹き込むことになった出来事すら覚えておらず、翌日学校に行っては優から聞き出そうとし、それでも解らずみどりから聞き出そうとし、挙げ句はマミから直接聞き出そうとまで企む。
 ただこれによって俊夫が理解した大事な点は、「優を大事にしなければならない」という部分だ。何が起こったのが思い出せない、どうして思い出せないかも解らない、だが何か重大な事件があって「優を大事にしなければならない」と自分が感じた事だけは、これを聞いた彼の胸によみがえってきたのだ。そして彼は今話で自分の優の関係について悩むことになる。
 このカセットテープに吹き込まれた台詞には、この25話で彼が受けた衝撃と、それを受けての優への気持ちが良く出ていると思う。またこの声を聞いて、何食わぬ顔で「この事実を忘れた28話以降の俊夫」を演じた水島裕さんも凄いと思う。そしてこのテープの存在が今話の「優の物語」に決着を付けるべききっかけとして、物語を大いに盛り上げるのだ。
(次点)「だってそうだろ? あいつが思い出したらみんなパァなんだぞ。切り札握っているのはあいつなんだ!」(ネガ)
…ネガが今回の物語だけでなく、27話以降の構図をサラッと言ってのける。つまり27話で魔法を取り戻して以降は、優の魔法使用が何処まで続けられるかを握っていたのは俊夫だったのだ。こんな構図を視聴者に教えてくれたネガに拍手。
名場面 告白 名場面度
★★★★
 マミのファイナルコンサートの会場に俊夫の姿はなかった。みどりからそれを聞かされた優は俊夫を捜して雨の街へと走り出す。俊夫はこのところの優が自分に冷たいことと、なのに守と仲良く語り合いながら歩いているのを気に病んでいたのだ。俊夫は何をする宛てもなく街をぶらつき、そんな俊夫を優は街のおもちゃ屋さんで発見する。優は俊夫が遊んでいた怪獣のラジコンを取り上げて「おもちゃが好きだね、君は」と声を掛ける、俯く俊夫に「早く行こ、コンサート始まっちゃうよ、楽しみにしてたんでしょ?」と急かす。だが俊夫はその優の手を払い「当てつけか?」と返し、「俺バカだった、本当にみどりの言う通りだった。あんまり近すぎて気付かなかったんだよ。もう手遅れかも知れないけれど、マミちゃんにあんまり夢中にならないようにしようって…」と続ける。それを聞いて「ダメだよ。今日のコンサートは見なくちゃ」と声を上げる優に、「いいんだよ、無理しなくて」と言う。「どういう意味?」と問う優を置いて店の出口へと歩き出す俊夫は、背中を向けたまま「守となら無理することもないし、優にはあいつの方が似合うと…」と言い出す。その俊夫の言葉が終わらないうちに優は俊夫の腕にしがみつき、「バカ、そんな事言ったら泣いちゃうから。」と叫ぶ。その言葉に振り向いた俊夫を見る優の瞳には涙が溢れていた。「俊夫のバカ、何考えてんだよ? 私が…私が一番好きなのは、俊夫だからね!」と言い切る。
 理由はどうあれ、優が俊夫に対して冷たくなったことで俊夫がついに優という存在の大きさに気付く。彼は優の気持ちが自分から守へいってしまったと勘違いしたことで、自分が優とどう向き合っていて優が自分をどう思っていたのか、それに対して自分がどう動いてしまったのかを思い知ることとなった。そして自分が大事にしなければならないのは優であり、みどりにもそれを散々警告され続けてきたことも思い出し、これまでマミに夢中になっていたことを後悔して優への気持ちを吐露した上で、自分は引き下がろうとしてしまったのだ。。
 対して優は、俊夫が25話で魔法を目撃したことを思い出されるのが怖かった。もちろん優の本心では俊夫がそれを思い出せば、俊夫が自分の方を振り向いてくれるのだから嬉しいに越したことがない。だが全てがファイナルコンサートに向けて動いている中ではそういってられない現実があったのだ。だから俊夫を避けるしか優に思い付く術がなかった。
 その俊夫が優のことで苦しんでいる、それによって優は俊夫がやっと自分の方を見てくれたことに気付いたかどうか解らない。だが確実に言えるのはマミも優の一部であり、そんなマミを追いかけるのが俊夫であると言うことは間違いない。同時にマミの最後のステージを、どうしても俊夫に見て欲しいという思いもあっただろう。その上で俊夫に「守とならお似合い」と言われたことで、優は遂に耐えきれなくなって俊夫が好きだとハッキリ言うのだ。
 こうして「優の物語」にひとつの決着がつく。優がこれまでハッキリ言うことの無かった「好き」だと言う思いを、やっと俊夫に告白したのである。そしてその前段として、優が告白してもおかしくない状況と設定をキチンと作った。それは俊夫が自分の優に対する気持ちに気付くことである。こうして優から俊夫に明確に思いが伝えられ、残るは俊夫の気持ち次第ということになる。この俊夫の気持ちは今話で示された「25話の記憶が復活しそう」という部分と明確に絡んでおり、この結論は最終回に持ち越される形となった。
 このシーンは優と俊夫の恋愛物語という点では、終局に向けての明確な転換点だ。
感想  前話の感想欄で書いた通り、今話でいよいよ「優の物語」に決着を付ける。その「優の物語」とは言うまでもなく、優が俊夫に自分の気持ちを伝えるまでだ。物語展開を考えればこれに「No」という返事はあり得ないと思うので、「クリィミーマミ」の根幹を成す「優と俊夫の恋物語」という面では優が告白をすれば物語に決着がつくと考えて良いだろう。しかも名場面欄で上げた告白シーンでは、優が告白する前に俊夫が自分の気持ちに気付いてこれを吐露するという前提が着いた。つまりこれはもうここで相思相愛の関係が成立したと見てよく、俊夫の返答は「25話の記憶復活」と絡めた「魔法少女の物語」としての決着の一部となったとすることもできるだろう。
 また今話では前話以上に「物語の終わり」を意識させるつくりになっている。その最大の物は、優が自室で寂しそうな表情でネガを持ち上げて「もうすぐお別れだね」というシーンだ。そのほかにも15話で登場の「吉野のおじ様」、45話で登場の超能力少年がゲスト出演するなどのシーンも描かれている。
 今話でこれらの物語の根幹に置いたのは、27話で優が魔法を取り戻すために俊夫が失った「マミの正体」という記憶である。ここで多少後付の感はあるが、俊夫がマミの正体を知った衝撃や、それについての優への思いが明確にされたのは良かったと思う。消えた記憶とその間の出来事という謎について考えうちに、優に対する気持ちだけを思い出すという複雑な構図は、この物語で俊夫が優への気持ちに気付くもっとも自然な設定だったのではないかと感じる。そしてこの「失った記憶」が戻るか否かという結果により、優が魔法を使える可否が決まるという設定で優の心が大きく揺れ動くという展開は、見ていて面白く、また「クリィミーマミ」らしい展開だと当時も感じたものだ。
 こうして「優の物語」にも決着がついたところで、「魔法少女アニメ」としてどうオチを付けるのかが焦点となる最終回を迎えるのだ。
研究 ・マミの活動記録
 ここでは「劇中世界の一般人」から見た視点で、アイドル歌手としてのクリィミーマミの活動履歴を追ってみよう。リリースされたシングルは3枚、他にファイナルステージのみで歌われた2曲がある。この2曲はそれぞれ「BIN-KANルージュ」「LOVEさりげなく」のB面と解釈すべきだ。また「パジャマのままで」は「デリケートに好きして」のB面という解釈も成り立つ。このシングル3枚がマミの活動の前半に偏っているのは、後半は歌手活動以外にも手を広げているので新曲発表が後手に回ったと解釈すべきだ。
1983年 7月 新宿でパルテノン・プロにスカウトされる。そのままプールのショーのステージで初出演、このショーがテレビに流れることで瞬時に存在が知られる。
「デリケートに好きして」でデビュー
ザ・トップテンに初出演
8月 院中の暴力団幹部を見舞うスキャンダルが発生するが、雑誌等に掲載されず。
磯浜海水浴場でミニコンサート、飛び入りの観客の少女とデュエット。
9月 雑誌のグラビアにセミヌードを披露し、恋人がいると爆弾発言もするが、よく似たニセモノによる仕業と判明。
10月 新曲「BIN-KANルージュ」発表
11月 映画「北の動物家族」のオーディションに参加するも落選
12月 NPB歌謡祭新人賞にノミネート、特別賞受賞。
1984年 1月 新曲「LOVEさりげなく」発表
テレビドラマ「スパイハンター0010」にゲスト出演
2月 視聴者発案のカチューシャ「ルミナウォーク」を開発、ファンに配布。
「どっきりカメラ」出演
3月 ハイソサエティクラブ主催のファンクラブ設立
4月 「素人のど自慢大会」ゲスト出演
乗っていたヘリコプターが遭難、一時行方不明に。
コンサート会場が突如崩壊という事故発生
5月 立花家の秘宝をめぐる番組でリポーター初体験
6月 1周年コンサートで突如姿を消し、引退。

第52話「ファイナル・ステージ」
名台詞 「彼女はミステリーのカーテンをくぐって、伝説の世界に帰ったのさ。」
(立花)
名台詞度
★★★★
 名場面欄で最後の曲を歌い上げ、ステージから突如姿を消したマミ。これを目撃した立花が、空を見上げながらめぐみに語った言葉である。
 そう、これはまさしく劇中世界で伝説が生まれた瞬間なのである。人気アイドル歌手のファイナルコンサート、このステージ上で科学的には説明できない神秘的な演出を見せ、最後に光と共にその歌手が姿を消したとなればこれは間違いなく伝説となるであろう。立花やめぐみにとってはクリィミーマミという人物がどこから来たのかは解らない、だがその人物が実在して伝説を作っていったことだけは確かだという彼らの思いは伝わってくる。マミは魔法使いなのか?(←これは本当だが) それとも神なのか? そんな彼女の正体はどうでもいい、伝説の世界にいたような少女が伝説を作る瞬間に立ち会った。そんな緊張感を感じることが出来、そういう意味でとてもリアルな台詞だと今も昔も感じる。
 そして後になったからこそ言える感想としては、現実世界においても「クリィミーマミ」という作品が一部で伝説的に語られることとなり、本放送から30年の声が聞こえようとしている現在でもイベントが行われたりすることとなる作品に成長した(さすがに「ガンダム」ほどではないが)。この台詞は今になって見ると、「クリィミーマミ」という作品が伝説的なアニメの一つとして語り継がれることを予言していたようにも感じる。とにかく物語の最後は本編で語られた「物語」とは別の、「魔法」というものが持つ神秘と「クリィミーマミ」という物語の今後を思う内容に仕上がり、この台詞がそれにとどめを刺す形になったのは確かだ。
(次点)「一年間応援してくれたファンの皆さん、一緒に頑張ったスタッフの皆さん、私は…マミは最後まで我が儘でした。もうお別れの時間です、本当に、本当に今日までありがとう。今は、ありがとう以外の言葉は見つかりません。本当にありがとうございました。」(マミ)
…この台詞、優=マミの声を担当した太田貴子さんの本音だったんだろうなぁ。本当の心がこもった台詞として印象に残った。どのように使われた台詞かは、名場面欄参照。
名場面 「デリケートに好きして」 名場面度
★★★★★
 マミのファイナルコンサートが残り1曲となったところで、マミはフェザースターの舟に吸い込まれる。「約束だから魔法を返して貰う」と迫るピノピノに、マミは「あと一曲だけ」と懇願し、観客席からマミコールが挙がったことで、ピノピノが「僕も君の歌を聴いてみようか」と言い出す。そして稲妻と共にステージに姿を現すマミ、「私が歌う最後の曲となりました、この曲でお別れです。聴いて下さい、私のデビュー曲『デリケートに好きして』」と語る。PAでは立花と星井が大慌てで曲の伴奏を流す。
 大歓声の中で流れるイントロ、軽やかなマミのボーカル、観客席で「優だ、優なんだ」と震える俊夫。それをよそに競馬場の上空に浮かぶ舟から無数の光の粒が降りかかってくる。観客席もステージも光に包まれて、ステージ上のマミも光り輝くという演出をピノピノがやってのけるのだ。ステージの片隅では「この曲が終わったら、私たち優とお別れよ…」とポジが泣き、それに対し「泣く奴があるか! しんみりしちまうじゃないか!」ネガが怒鳴りながら泣く。2匹で泣くネガとポジをマミが優しく抱き上げ、涙を流しながら頬をすり寄せて歌う。ネガがそっとマミの涙を拭う。これを見た俊夫は、ステージのマミへ向けて走り出す。
 「(名台詞次点欄の台詞)」とマミは観客へ向けて最後のメッセージを告げる、そして残りの2番のサビを歌い上げ涙を流しながら「ピノピノ、もういいわ。ありがとう」と口にする。俊夫がやっとステージ袖までたどり着いたと思ったその瞬間、空から光の輪が降りてきたかと思うと、マミの身体は虹色の光に包まれてステージから消える。「優〜っ!」叫ぶ俊夫の背中に、歌の間は上がっていた雨が降り注ぐ。
 文字で表現するのが大変なシーンだが、実際に見てみるとその迫力に圧倒されるマミのラストステージ。物語を彩ってきた歌手としてのクリィミーマミに、それに相応しい最後のステージが見事に描かれた。特にネガとポジに頬をすり寄せて歌うシーンは、涙なくしては見られない。
 このシーンは間違いなく「クリィミーマミ」だけでなく、「魔法少女アニメ」というカテゴリの中でも屈指の名シーンだろう。他の「魔法少女アニメ」とは違い、芸能界や歌手という設定を前面に押し出して進行させた「クリィミーマミ」らしい最終回のヤマ場であり、物語の締めとなったと思う。このシーンは本放映でも再放送でもしっかりと見て、その迫力に圧倒されたのはハッキリ覚えている。そして立花の言う通り、このアニメは伝説として語り継がれることになったのだ。
感想  いよいよ物語は最終回、だがこの最終回では物語本編よりも「魔法」によって生み出される神秘的なシーンに圧倒される形となった。その中でもキチンと「魔法」そのものを「クリィミーマミ」らしい形で使用し、「クリィミーマミ」らしい形で物語が終わったと非常に感心した最終回だった。この感想は中学生の時に本放送で見た時も、高校生時代に再放送の最終回を見た時も、そしておっさんになって再視聴した今回も、全く変わらない。だから「クリィミーマミ」は伝説的なアニメの一つになったのだと思う。
 物語本編の感想としては、やはり今話では前話を受けて俊夫がマミの正体を思い出すだけの話と言っても過言ではないだろう。だがだからこそ俊夫はラストシーン(名台詞欄シーンの後)で優と相合い傘で肩を抱いて帰るという形で、前話の告白に応えることになる。このラストシーンも強印象で、「優と俊夫の物語」に上手く決着がつくいいシーンだ。気になる方はDVDを買うなり借りるなりして戴いて是非とも見て頂きたい。
 そして物語が終わった後のエンディングは最終回の特別バージョンで、初期エンディング「パジャマのままで」に合わせて背景には「クリィミーマミ」の後日談が描かれている、森沢家の近未来から始まり、みどりや守やスネークジョーの今後、立花とめぐみの未来、そして最後は優と俊夫の未来が描かれて終わる。これも気になる方は是非ともDVDを見て欲しい。
 こうして幕を閉じた「魔法の天使 クリィミーマミ」であるが、劇中世界でクリィミーマミはこの2年後に復活をする。その物語がOVAの「ロング・グッパイ」であり、この中では今話特別エンディングの「立花とめぐみ」のシーンが使用されているのは必見だ。
 いやー、一時は当サイトの考察法で「クリィミーマミ」を考察してゆけるかどうか不安にもなったが、なんとか最終回まで考察を書き上げた! 追って総評を書く予定なのでまだ連載は終わりません。
研究 ・クリィミーマミ ファイナルコンサート
1984年6月29日 セントラル競馬場
 開場 16時  開演 18時

主演
 クリィミーマミ
ゲスト
 綾瀬めぐみ(予定変更で出演せず)
プロデューサー
 立花慎悟
ディレクター
 星井守
協力
 トンガリ王国
 ハイソサエティクラブ

観客数
 101647人

曲目(劇中で確認できるもの)
 「BIN・KANルージュ」
 「美衝撃(ビューティフル・ショック)」
 「囁いてジュテーム〜Je t'aime〜」(大雨のため曲の途中で停止?)
 「パジャマのままで」
 「LOVEさりげなく」
 「デリケートに好きして」

…劇中設定では会場は「セントラル競馬場」としていたが、これは劇中の描写と設定から考えると東京競馬場と見て間違いないだろう。と思ってJRAのサイトへ行って東京競馬場にどれくらい人が入れるか調べてみたが、指定席数がわかっただけで自由席も含めて何人は入れるのかは解らなかった。他で色々と調べてみると現在の東京競馬場の収容人数はは22万5千人ということらしい、実績では1990年の日本ダービーで19万6571人入ったとされる。この数字はスタンドだけでなく内馬場やパドックも含めての数字であると思うが、メインスタンドだけで「クリィミーマミ」ファイナルステージの動員数である10万人ちょっとは問題ないと考えられる。ちなみに現実の東京競馬場でも、レースがないときには競馬以外の利用がされることがあり、最近でもAKB48のイベントが行われたとのこと。
 つづいてコンサートにこれだけの人が集まった実績があるかどうか調べてみた。国内で最も観客動員が多かったコンサートは、1999年7月31日にロックバンド「GLAY」が幕張メッセで行ったコンサートで、入場者数は20万人と言われている。海外では1990年にポール・マッカートニーがブラジルで18万人の観客を動員したのが最大のようなので、このコンサートは世界最大級のコンサートと見てよかろう。つまりそこそこの人気の裏付けがあれば10万人程度のコンサートは可能で、劇中設定で国民的アイドル歌手とされていたクリィミーマミならば集めるのは訳ない数値だろう。だがGLAYは夏休み、クリィミーマミは普通の日に行われた事を考慮するとこれはやはり凄いことかも知れない。
 つまり競馬場を貸し切って10万人のコンサートというのは、無理ではないという結論は誰もが理解できるだろう。だが問題はこの日が梅雨時で悪天候の中で行われた事の方かも知れない。
 私も悪天候の野外コンサートをいくつか見てきた。正直に言うとこの「クリィミーマミ」ファイナルステージと様相がかなり違ったという事が思い付く。私が見た雨天時の野外コンサートでは、まず劇中で描写されたように観客が傘をさして観覧というのは禁止された。というか禁止でなくても人が多すぎてそれが出来なかったと言うのが正解だろう。傘は後ろで見ている人の視界を妨げることとなり、席でさせばすぐに後ろから文句が来るという事情もあった。それにステージの様子も全く違う、仮説ステージは悪天候を見越してひさしがつけられた形状になっていたし、音響や電気系統を司るPA席も悪天候を見越してイベント用テントの下に広げられて悪天候に備えている。その上雨が降るとバックバンドの位置にイベント用のテントが掛けられ、楽器類が濡れないようにするなどの対策が取られ、気が付くとテントに囲まれた中で歌手が歌っているような状況になる。
 しかし、10万人というのは凄い人数のはずだ。だって私が住んでいる武蔵村山市の人口より多いんだから。私らしい観点で10万人のイベントについて語らせてもらうと、会場へアクセスする交通機関はその半分の5万人でも大混雑となり、臨時便を出すなどの対応に追われる状況となる。つまりこのコンサートでもアクセスする交通機関は短時間に10万人の客が殺到することになり大変だったと思う。開演前と終演後に武蔵野線や南武線はラッシュ時のような混雑が数時間続き、京王線は競馬場正門駅往復の臨時列車を出して対応するべきであろう。駅には他の駅から集められた駅員が観客の整理に追われ、鉄道関係者は突然の混雑に振り回されるばかりのはずだ。観客10万人というのはそういう人数である、ここに移動クレープ販売車で乗り付けて商売をしていた優の両親は、コンサート観覧どころじゃなかったと思うが…。

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