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第21話 「亀の赤ちゃん」
名台詞 「亀の卵って食べられるんでしょ? お父さん。儲けたね、まだまだ沢山あるよ。」
(フランツ)
名台詞度
★★
 鬼っ! 悪魔っ! 人でなしっ!
名場面 亀の赤ちゃん 名場面度
★★★★
 もちろんここで名場面として指すのは、母亀が産卵してから卵がかえって子亀が旅立つまでの流れ全てである。亀に限らず親が子を産むという行為の神秘と苦労、それにそれだけではない現実まで劇中で見せてくれる。母亀が苦しんで産んだ卵は母の愛情で見つからないように砂に埋められるが、二度にわたって天敵に食べられそうになり(一度目はフランツ・二度目は蛇)、さらにはジャックのオモチャにされそうな危機という容赦のない現実を乗り越えて見事に子亀になって海へ旅立つのだ。
 私はこれらシーンで亀の産卵と子亀の誕生について知った。亀が卵から生まれることは知っていたが、あんな夜に母亀が砂浜に上陸して穴を掘り、涙を流しながら卵を産んで、またそれを砂に埋めて海へ帰るという一連の行動を「ふしぎな島のフローネ」に教えられたのだ。「世界名作劇場」シリーズで生命の神秘を感じる度に言うが、このような事を教えてくれるアニメに限らずテレビ番組って本当に減ったと思う。あったとしても画面の隅っこにどうでもいいお笑い芸人の顔が浮かんでいたりして…とにかく、こういうシーンは多くの子供に見て貰いたい。これらのシーンから得られることは沢山あるはずだ。
 ちなみに厳密に言ってしまうと、産卵を控えている母亀は警戒心が強くて砂浜に人間がいたりすると上陸してこないそうだ。また産卵前も穴を掘る段階までに人が近付いたりするとやはり逃げてしまうらしい。産卵を開始したら後戻りが出来ないようで人間が近付いても続けるらしいが。ちなみに産卵時に亀が目から流す「涙」は、亀の場合は血液中の余計な塩分を排出する器官が目にあって、亀はここから塩分を含んだ粘液を常に出すのでこれが陸上では「涙」に見えるとのこと。この「涙」のウンチクは「ふしぎな島のフローネ」じゃなくて、「史上最強のギャグ漫画家」臼井儀人さんが教えてくれた。
 さらにウミガメの卵は孵化するまでに2ヶ月、つまりそれだけ話が進んでしまったのだ。残念ながらこの子亀達の多くは大人になる前に天敵に捕食される運命にあるが、それが現実だ。
  
感想  「オラはよく便秘になってきばるときに涙流すだ。だからオラ、ウチでは『便所のウミガメ』と呼ばれてる」(by のはらしんのすけ)。
…ダメだ、今になって見るとこの「クレヨンしんちゃん」のギャグを思い出して、笑わなくていいところで笑ってしまう。あ、しんのすけがこの台詞を言う回は「クレヨンしんちゃん」原作で最初期のものだから、単行本には収録されていないしアニメにもなっていない。あの頃の臼井儀人作品に、ウミガメ産卵をネタにしたギャグがもう一つあったなぁ(そちらで「涙」がネタになっている)。
 いずれにしろウミガメ産卵を通じて生命の神秘、母親の偉大さを伝えようとするこの回は素晴らしいと思う。まるで「生き物地球紀行」を見ているようだ。そしてこの回で教えられるのは「生命の神秘」だけでなく、普段何気なく食べている食糧を得る大変さもだ。ウミガメの産卵〜孵化と並行して一家は塩を得るために、これまたいつ果てるともない細かい作業を延々と続けるのである。これらを通じて「生き物が生きた行くだけで大変」だということがひしひしと伝わってくるだろう。こういう意味でもやっぱり今の子供達に見せたい物語だと感じた。
研究 ・塩作り
 今回の物語では本筋の亀の産卵と同時並行で、一家が砂浜で汗水垂らして塩を作るというシーンが展開される。アンナの台詞によると船から持ち出した塩が底を尽き、自分達で採ることになったのだ。日当たりのよい砂浜にまんべんなく水を蒔き、それが乾いたらまた水を蒔くを繰り返してゆくと砂浜に塩分の濃い砂の部分が出来上がる。これを採取して大きな樽に入れ、これに再度海水を通してその海水を集めると塩分が非常に濃い水(鹹水)となる。この水を火に掛けて煮沸することで、水分を蒸発させると塩の結晶が出来るというものだ。
 これは揚浜式塩田法と呼ばれ、これは日本で古くから採用されている塩田法で、7世紀頃には日本各地でこのように塩が取られていたという。現在では別の方法で塩が作られるのでこの方法は殆ど見られないそうだ。え? 待てよ、「日本で古くから」って、登場人物はスイス人だろーに。
 と思って欧米での塩の作り方を調べた見たら、全然違うじゃないか。欧米では天日塩田法という方式が主で、太陽光のみで塩の結晶を取り出す方式であり作るのにも年単位の時間が掛かる方式だ。煮沸をしないので好塩菌という雑菌が入りやすいという欠点もあるが、一度に多くの塩を取れるので効率がよいとされている。でもこの一家の緊急性を考えれば、塩を作るのに年単位の時間は待てないなぁ。
 それ以前に、海のないスイスから来たこの一家がよく塩の作り方を知っていたなぁと、そっちに感心していたりして…。

第22話 「ジャックはコレクター」
名台詞 「うん、でもどうして鳥さんが産まれたの? うん、亀の卵だと思ったんだ。あんなところに落ちていたら、産まれてから海に帰れないでしょ。可哀想だから海に連れててってやろうと思ったの。」
(ジャック)
名台詞度
★★★
 ここまで一家の中で唯一当欄への登場がなかったジャックが、やっと出てきたのは「一家五人だけの展開」(7話〜36話)が半分を終えたこの22話。まぁ年齢よりもここまでのジャックのキャラクター性を考えれば仕方がない、ここまでジャックは他の一家と違い物語の中心に立たされることもなく、言っちゃ悪いがペットと同レベルの活躍しかしていない。下手するとジョンの方がまだ活躍していたかも知れないほどだ。
 一家がサトウキビから砂糖を採る作業で忙しい中、幼くて労働に加われないジャックは森の中で「何か」を拾ってくる。それは「ナイショ」だとして自分が着ていたシャツの中に隠していたのだが、夜中にアンナが起きてこれを見た時にその「何か」がシャツの中で動いているのを見つける。アンナは怖がるがエルンストは「ジャックが持ってくるものだから物騒なものではないはず」だとして中を見ると、卵から雛鳥が孵化したところだった。夜が明けてこの事実と雛鳥を巣に戻すことをジャックに話すと、ジャックは不思議そうな顔をしてこう答える。
 この台詞にジャックの幼さ、性格、物語の中でのキャラクター性が全部示されていると思う。幼さと言う点では前話で「亀が卵から産まれる」という光景を目撃し、それによって「卵=亀」という方程式が出来上がってしまった点だろう。それだけではなく都会っ子であるジャックは「鳥」という生物が卵から産まれるという事実を知らなかったことになり、これも幼さ故の知識不足を露呈している。その「幼さ」によってその自分が知識を総動員して見つけた卵が「亀の卵である」という結論を出したことに少しも疑問を感じず、それを純粋に語れてしまう。
 次に性格だが、ここではジャックの優しさが見え隠れしているのは言うまでもない。さんざん貝殻だの虫だのジャックが「自分のコレクション」にするために色々集めているシーンを印象付けておいて、いざ卵となるとそれを亀のものだと思い込んで海へ帰そうとするジャックの優しさにほのぼのとした人も多かったことだろう。この行動は前話の「亀の卵」の観察を通じて生命の大切さを覚え、放ってはおけないと考えられるほど成長したと見ることもできる。雛鳥を巣に戻すという決定についても、素直に受け止めたのはこの理由だろう。
 そしてジャックの物語におけるキャラクター性だ。それは何事に対しても純粋であることで、このような自分の幼さ故の過ちを包み隠さず表に出せるべきキャラクターなのだ。「無人島に漂流しての生活」というこの物語においては現実を直視させられ殺伐とすることも多いが、そんな状態から救ってくれるのがジャックの些細で純粋な行動なのは確かなのだ。
名場面 サトウキビ自生地到着 名場面度
★★★
 砂糖が食べたい…このフローネの訴えにより決行された題して「砂糖精製キャンプ」だが、時間を掛けて歩いてやっとサトウキビ自生地に到着する。フランツとフローネとジャックはサトウキビへ向かって走り、フランツがサトウキビをナイフで切って二人に渡す。二人は言われるままにサトウキビを口に運ぶと…それが甘くて美味しいのだ。この甘くて美味しいという二人の味覚が、こっちにも伝わってきそうなシーンで、以来少年時代の私は「サトウキビをなめてみる」という行為に憧れる程だった。本当にこの時の二人の表情を見ているだけで、二人の声を聞いているだけで、「美味しそう」だとこっちも思ってしまったのだ。
 ちなみに「サトウキビをなめる」という少年時代の私の憧れは、この物語が放映された直後に意外にもあっけなく叶ってしまったことも付け加えておこう(本当は感想欄に書くべき事だろうけど)。当時通っていた小学校で、クラスの誰かが夏休みにサトウキビがあるところ(何処だったのか覚えていない)に旅行に行って土産としてサトウキビを持ってきてくれたのだ(しかもクラス全員分)。もちろん多くのクラスメイトが「ふしぎな島のフローネ」のこの回を見ていたのだろうし、持ってきた児童もこれを家族で見ていたからこそこういう土産を持ってくるという発想に至ったのだと思われる。なめてみたら確かに甘い、砂糖をそのままなめているような味がした(当然か)。だがその甘さにしつこさを感じて「もういいや」と感じてくる直前に、砂糖の味が突然なくなっていかにも植物の茎って感じの味しかしなくなって「うげ〜っ」となった記憶がある。口の中に砂糖の甘い味と、植物の茎のあの味が混ざったような変な味がしばらく残っていて、都会に住む現代っ子にはとてもお勧めできない味だと確信した。
 「ふしぎな島のフローネ」というアニメには、こんな少年時代の小学校における記憶も残っている。また「サトウキビ」という存在を私が知ったのも、このアニメがきっかけだった。
  
感想  ♪ざわわ ざわわ ざわわ…う〜ん、森山直太朗のおっかさん(意味不明)。
 じゃなくて、まず今回の物語のどの辺りが「ジャックはコレクター」なのかと。ジャックの話なのは間違いないが、今見るともうちょっと別にサブタイトル無かったのかなぁと思う。かと言ってサトウキビをサブタイトルにするのもアレだろうし。いずれにしろ22話目にしてやっと「ジャックの話」になったわけだ。
 当時の記憶も今見直してもやっぱり印象は同じだったのだが、どうも前半でのジャックの印象が薄いんだよね。あの〜、なんてーか影が薄いというか。物語が両親やフランツ中心に進む回だと、いつの間にか画面からいなくなってて、気が付くとまた復活しているの繰り返しだ。顕著だったのが前々話の船が見えた回で、フローネが船を見つけてから完全にジャックの姿が描き忘れられているのである。「寝てた」という設定だったが、フランツが出て行くシーンの時はあそこで寝てなかったぞ。だけどあれは書き忘れを隠すための後付設定ではなく、「船の接近〜逃げられる」という展開にうまくオチが付かないからジャックの影の薄さをうまく利用したのだと思う。そんな影の薄いジャックが、突然物語の前面に現れるのだ。今回は冒頭シーンからしてジャックの一人舞台だったし、物語後半へ向けての伏線もジャックが一人で張っていたし、サトウキビ自生地への移動で道草食ったり、砂糖を採るという仕事をたびたび遮る事でちゃんとその存在も主張していた。今までのただ家族について歩いていただけのジャックとは大違いである。
 しかしサトウキビの自生地は島のどの辺りになるんだろう? 海が近いのかと思ったらそうじゃないのね。詳しくは研究欄で。
研究 ・一家が住む無人島について
 ではいよいよ物語の舞台になっている無人島についての研究・考察に入りたい。最初に考察するのは島の位置関係である、実はよく見ていると「ふしぎな島のフローネ」のこの島の設定はかなりいい加減と言わざるを得ず、何処で何が起きていたのかを検証するのはかなり困難が伴った。島についての研究をここまで先延ばしにしてきたのはそのためである。では次のキャプ画を見て欲しい。

 これは今回の冒頭に出てきた島の鳥瞰図である。実はここに来てやっと島を立体的に見られる風景が登場したのであり、今回はこれを元にここまでの物語を追ってみよう。
 まず現在一家が住んでいる木上の家であるが、これは「1」地点と思われる。これは他の地点が正しいとした場合だが、これに付いては後述する。
 「2」地点がアンナが畑を作った場所、「3」地点は一家が最初に上陸しテント生活をした砂浜で現在はカヌーが置いてある地点だ。「4」地点は狼煙を炊く用意がしてある見張り台の岬、畑と岬は入り江を挟んで向かい合っていて、その入り江の奥に上陸地点の砂浜があるという描写は劇中で何度となくされているのでこの関係は動かせないだろう。つまり「2」〜「4」各地点はこの場所として動かしようがなく、これらの場所を前提に考えると「1」の場所に木上の家がある事になってしまうのだ。それは一家が家から砂浜に出るまでの描写が統一されている点で、木上の家を出ると川を渡り、畑の前を通り過ぎてから砂浜に出るというコースを考えるとこうなってしまうのだ。また見張り台のある岬へ行く場合は砂浜を通り過ぎて行くかたちで統一されているから、砂浜から見て家は岬と反対方向ということになる。さらに畑の周囲で川が流れていそうな場所は、「1」地点のちょっと北側から南西方向に向かう谷間しか考えられない。これらを総合すると家の位置は「1」地点だと言う事になってしまうのだ(もっと東の可能性はある)。
 「5」地点が19話で狩りを行った谷間と考えられる。ここは山から深く切り込みつつも少し広さがある谷間で、かつ下流側が塞がれている形となっているから湖(堰止め湖)があってもおかしくない唯一の地点でもある(堰止め湖があれば滝が存在する可能性も高い)。ちなみに「ナイフの岩」もこの周辺あるのは間違いないだろう。
 「6」地点は14話でフローネがマングローブに乗って流された地点と推測される。というのも劇中描写では「1」地点の東という事になるのだが、こちらはこの回以外の設定では海岸線が断崖になっている描写で統一されており、とてもマングローブなどある状況ではないのだ。逆に岬の西側になるこの地点は常に海岸一杯まで木々が描かれているなだらかな場所として描かれており、こちらならマングローブがあってもおかしくないという意味で14話の場所を「6」と推測した。
 そして今回、一家が砂糖を精製するためにキャンプした場所は「7」地点だ。ひょっとすると「7」付近のもうちょっと山が近い場所かも知れない。サトウキビが育つのに適している場所は水が多く日当たりの良い場所、こちら側は島の北側に当たるので日照が山に遮られることはない(南半球だから北側から日が差す)。またなんらかの理由で湿地帯になっていて、12話で出てきた「底なし沼」もこの辺りの窪地にあると想定される。
 方角の決定については朝や夕方のシーンで断定できる、このキャプ画を基準にすると朝は右側から陽が当たり、夕方は左側から陽が当たるように統一されて描かれている。これで東西方向は確定すると自動的に南北方向も確定するのは言うまでもない。ただ島上陸前、座礁した船からエルンストが見た朝日の方向だけは合点が合わない。
 以上、ここまでの物語に出てきた地点を研究してみたが、もちろんこれは私の解釈でしかなく、制作者側が実際にどう考えていたかは分からない。今後も洞窟が出てきたり、地下水脈が出てきたりするのでその場所を特定してみたいし、この島の地理なんかも研究してみたいのでご期待頂きたい。。

第23話「無人島の休日」
名台詞 「だって、働くことばっかり。島に上陸してから毎日働くことばかりで、1日も休みが無いじゃない。そろそろお休みの日があってもいいんじゃない? 聖書にも安息日には働いちゃいけないって書いてあるわ。」
(フローネ)
名台詞度
★★★
 文字通り、今回の物語の発端となる台詞だ。アンナが作った畑の収穫が近いのだが、雑草が伸びるのも早くてエルンストがフローネに畑の雑草取りを手伝うよう命じる。そのフローネの答えがこの台詞だ。
 この台詞を元にフローネ達がどれくらい「休日」と呼べる日を過ごしていないかを考えてみた。エルンストとフランツが探検に出ていた間、残った3人はピクニックと称した小探検に出ているがフローネに言わせるとこれも「休日」ではなかったらしい。「ピクニック」とはいえこの日はテントの周辺を探索するという「仕事」だったとフローネは解釈しているのであろう。もろちん木上の家を作っている間もフローネはジャックの子守という「仕事」をしていた。前話の砂糖精製も手伝っていたし、上陸前は座礁した船の上で家畜の世話や筏作りの手伝いや島への避難準備など多くの「仕事」をしていた。つまり何だかんだでフローネの「仕事」は途切れていない。
 次にこの23話が島に上陸してからどれくらいかという問題だ。一番最近に日付けが分かった回は20話で4月21日ということが判明している。そこから物語の展開と状況証拠で月日の流れを計算してみると、次の21話劇中だけで2ヶ月が経っている(ウミガメが卵を産んでから孵化するまでが2ヶ月を要する)はずで、その次の22話でも少なくとも3日が過ぎており、今回で2日、つまり最短で考えても既に7月になるかならないかのところまで時間が経過しているのである。作物の生育状況からもこの推測は間違っていないだろう。つまり島に上陸して半年、随分長い間休みを取っていないと言う事がわかり、感心した。
名場面 アンナの入浴シーン 名場面度
★★★★
 うを〜っ!
 ぬを〜っ!
 
感想  よく言えばのんびりしている回、悪く言えばこれといって何も起きない回。事件も何もないし、家族が特別何かするわけではない平凡な1日というのを描く回だったのだろう。ただこれを描くのは何か事件が起きたり、家族の共同作業があったりする回よりも描くのは難しいはず。なんてったってテーマがないんだから。しかも主題を「家族の休日」にしてしまい、それぞれが勝手に過ごすというルールを作ることで余計にテーマが絞れない回となってしまった。脚本する人大変だったろうな。
 その中でフローネが「遊び相手」がいないと言う事実に気付き、結局は一人でつまらない時間を過ごすことでホームシックにかかるというのは上手い展開だと思った。ただここで問題なのは一家の中でフローネだけ「非生産的」な行動を取ってしまったことだろう。エルンストは本を読むことで知識の集積に当たるし、アンナは風呂を沸かして入るというこれまた女性が美しさを保つための行動を取り、フランツは楽器作りという生産活動を行い、ジャックはコレクションとして石を集めるというこれまた本人にとって意義深い行動をしている。ところがフローネはジョンと一緒に走り回るだけで、一人で目的のない抽象的な活動をしてしまったのだ。だから途中で飽きてしまうのは無理もないし、他の一家が夢中になっているのに一人だけのめり込めないのも無理はない。
 しかし、やっぱ今回はアンナの入浴シーンは強烈だった。このシーン、少年時代に見たときは何とも思わなかったのにな〜。今見るともう…萌え〜。フローネの入浴シーンは今も昔も何とも思わないけど、アンナの入浴シーンで萌え〜っとなってしまうようになったのはやはり大人になったからだろうか?
研究 ・フローネが走る速度
 今回、海岸でフローネとジョンがかけっこをするシーンがある。既にジョンが走るとどのくらいの速度かというのは5話の考察で判明しているので、このシーンをよく見ればフローネがどれくらいのスピードで走るのかが分かる。もちろんフローネが走る速度が分かれば、彼女の体力がどれくらいなのか分かることになる。
 計算方法はこうだ、このシーンではフローネがスタートしてからしばらくしてジョンが遅れてスタートする。まずこの時間差を計測し、次にジョンがスタートしてからフローネがジョンに抜かれるまでの時間を計る。するとジョンが走るスピードは判明しているからジョンがフローネを抜く地点までの距離が分かる。最後にフローネのスタートからジョンに抜かれるまでの時間は計ったタイムの合計で出てくるので、これでフローネの速力が分かるというわけだ。
 これに従って計測されたフローネとジョンのスタートの時間差は3.5秒、ジョンがスタートしてからフローネに追い付くまでが2.9秒、フローネがスタートしてからジョンに追い付かれるまでが6.4秒であった。5話の考察結果から導き出されるジョンが走るスピードは秒速5.2メートルだから、スタート地点からフローネがジョンに抜かれる地点まで約15メートルということになる。フローネはここまで6.4秒で走ったのだから、秒速2.3メートルだ。時速にすると8.38km/hであり、50メートル走なら21.7秒、100メートル走なら43.5秒である。
 これを現在の10歳児の平均と比較してみよう。文部科学省のサイトによると平成18年度の10歳日本人女児の50メートル走平均タイムは9.58秒…遅すぎるぞフローネ、平均タイムの倍以上かかる計算になるぞ。6歳児でも11.68秒だから、フローネがどれくらい遅いか分かるだろう。いくらなんでもこりゃないよなー、フローネの回想によると学校の運動会で1等賞だったみたいなので、他の子供達が輪を掛けて遅くなることになる。これではいかん。
 運動会で1等賞を取れるのなら、平均より1割は早くないと無理だろう。するとフローネには50メートル走を8.5秒程度で走って頂きたい。すると秒速5.9メートルで走って頂きたいのだが…するとジョンが走るスピードより速くなってしまい、今回のシーンは幻になってしまう。あ、5話でジョンはジャックを背中に乗せていた、だからその分速度が落ちたのかも知れない。もうそう解釈するしかないだろう。
 もしフローネが「運動会で1等賞を取れる速度」である秒速5.9メートルで走った場合、スタートからジョンに抜かれる地点まで37.8メートル走ったことになる。ジョンはその37.8メートルを2.9秒で走らなきゃならないのだから、秒速13.0メートルで走らなきゃならない。時速にすれば46.9km/h、これは自動車並のスピードだ。ただし種類にもよるが、大型犬は50km/h以上で走れるとのことなので問題はないだろう。5話のジョンはジャックを背中に乗せていると言う事でゆっくり走っていたと言う事になる。
 

第24話「フローネの家出」
名台詞 「ああ、美人さ。フローネみたいなブスとは違うよ。」
(フランツ)
名台詞度
★★★★★
 手製の楽器を弾きながらエミリーのことを思い出すフランツが、ジャックに「エミリーおねえちゃんきれいだったね」と言われた時に思わず答えてしまった「ふしぎな島のフローネ」でも有名な台詞。ある意味「ふしぎな島のフローネ」という物語と、フローネというキャラクターを象徴しているかも知れない。またこの台詞を言うときのアムロの演技も最高で、「ブス」という単語を視聴者に印象付けるように抑揚を工夫していた。もちろんその後、怒りのフローネに対ししどろもどろに対応するシーンの演技も最高だ。
 なんてったって包み隠さずストレートに「ブス」である。でも現在のアニメやマンガではなかなかお目にかかれない単語であろう。現在この単語を使ったらすぐ「女性蔑視」とか苦情が来て放送禁止になって、別の言い回しを考えなきゃいけなくなるかも。例えば「容姿に恵まれなかった人」とかいう表現で、不細工な女性だけに限定できない言葉に代えさせられる運命だろうな。
 もちろんこのストレートな表現にフローネは怒り心頭だ。それはこの前のシーンでフローネがフランツの音楽を聴きながら、お姫様になりきっていることを思えば当然だろう。お転婆で不細工でもやっぱり女の子は女の子、この1話はフローネとその一家が時間を掛けてその事実を教えてくれる1話であり、この台詞はその発端だ。
(次点その1)「なあフローネ、人間に大事なのは姿形の美しさじゃない。気持ちが美しいかどうかなんだ。どんなに顔がまずくても、気持ちさえ美しければ…」(エルンスト)
…火に油を注ぐとはこの台詞だろう。つまりフランツが思っていた「ブス」というのは、父であるエルンストも同意していたのは確かだ。もちろんこの言葉を向けられたフローネはそれについて父を問い詰めるが、それに対するエルンストもしどろもどろ。もちろんこれもこのサイトで注目している「エルンストの失敗」のひとつだ。この台詞を知ったアンナがエルンストにどう説教したか聞いてみたかった。
(次点その2)「そりゃあ、フローネはエミリーほどの美少女じゃありませんよ。でもとっても素直だし、気立ての優しい素直な子よ」(アンナ)
…フランツにお説教しているときのアンナの台詞だが、この台詞をよ〜く聞いているとアンナまでもフローネの「ブス」を認めていることになる。つまりエルンストと同じく容姿でのフォローをしていないのであり、これもフローネが聞いていたら火に油を注ぐ結果になっていたことだろう。少年時代の私はこの台詞を聞いて誰にも「美しい」と言ってもらえないフローネが可哀想だと思った。今回の名台詞★×5は、この3点セットでの採点だが、最も印象深いのはやはりフランツの「発端」であり、あれがなきゃ次点の二つの台詞は出てこなかったことになる。
名場面 説得 名場面度
★★
 別の木を「自分の家」と称してここに住むと宣言したフローネ、このことをジャックに聞いた一家は驚いてまずエルンストとフランツがなだめに行く。もちろん原因を作った張本人と、火に油を注いだ人物の二人で行って自体が解決するわけはない。ここで母アンナの登場だ。アンナは採れたてのトウモロコシをフローネに差し出し、フローネはそれを受け取るとアンナの隣で座って食べる。
 アンナはフローネに対して家に戻るよう説得するわけではなく、ジョンとメルクルの仲の良さとフランツとフローネの幼い日の思い出を重ね合わせて話をするだけだ。そしてアンナがフローネに諭したのはただ一言だけ、「長引くほど仲直りが難しくなる」とそれだけだ。これに対してフローネはやっと本音を言う、「他の人と比べて言われてから余計に腹が立った」と。すかさず母は答える、フランツにとってエミリーは二度と会えない人だから余計にきれいに見えてしまったと。それだけ言うと「私は帰りますよ」と腰を上げるアンナ、その背中に「お兄ちゃんは?」と尋ねるフローネ。アンナはフランツがフローネのために牡蠣を採りに行っている事を言うと、「いいわねフローネは、もう2〜3日頑張ってみる?」と言い残してその場を立ち去る。
 フローネの頑強に怒りが瞬時に解ける瞬間だ。アンナは母として、そして女として「ブス」と容姿をバカにされたフローネの気持ちをよく理解していたのだ。だからこそ「家出」を止めさせるような言葉は一切使わず、あくまでもフローネに掛ける言葉は「家出」状態の継続が前提であったのだ。その上でフローネの怒りを抑えるべく「本音」を引き出させ、これに対する理解となぜ兄がああ言ってしまったのかという謎解きをする。こうしてアンナはフローネの心を見事に操ったのだ。
 このシーンは世の中のフローネと同世代の子を持つ「親」に見て貰いたい。もちろん母親だけでなく父親にもだ。子供が言うことを聞かないときはただ叱ればいいってもんではない、時には子供の気持ちに同意して接近してみるのも手なのだ。私は今回の再視聴で、アンナからそんな重要なことを教えて貰った。
  
感想  題して「フランツの問題発言」、サブタイトルもこうした方がいいんじゃないかと昔から思っていた。フランツの問題発言を受けてフローネが怒り心頭となって家を飛び出してしまい、それに対する家族の反応を時間を掛けて描いた。この中には家族の絆や思いがしっかり描かれており、フランツにしろエルンストにしろ故意に問題発言や火に油を注ぐ発言をしたわけでないというのも見ていれば理解できるだろう。アンナの場合は問題発言というより、説教の中でフランツを逆上させないために「敢えて同意した」と受け取ることも出来る。
 こういう兄妹喧嘩は兄妹がいる視聴者は頷きながら物語を見ていたはずなのだ。フランツの言う通り兄妹間での問題発言は相手を傷つけるなんかではなく、ものの弾みやちょっとした冗談で言っていることなのだ。もちろん普段の会話なら冗談で済んでいる範疇だろう、だがここで描かれたように冗談で済まされない要素が加わるとその兄妹がとてつもなく憎くなる。もちろんフローネが本音として吐いた「他人と比べられた」という要素も立派な理由になるし、このシーンの場合は無人島に閉じ込められているという閉鎖環境が兄妹間の冗談を許さぬ状態にしている可能性は高い。閉鎖環境が生む絶望は一見仲良く見える兄妹間の関係を、若干変えてしまっているのは確かだ。
 その兄妹間の亀裂を、特に娘を上手く操縦することで解決したアンナは立派な母親だ。今回エルンストが失敗してその教訓を得られぬままだったのに、あんなはそれに対しいとも簡単に事を解決させた。もちろんあんなが少女時代に同じ経験をしたという理由もあるが、何よりもこの母が子供達から絶大な信頼を得ていることの方が大きな理由だろう。
研究 ・島の大きさ
 前々話の研究欄で島内の位置関係について考察した。続いて島の大きさについて考えてみたい。さらに島の大きさが分かれば山の標高がわかる可能性も高い。

 また前々話の鳥瞰図だ、まず島の大きさを推理するには特定の2点間における移動時間がわからないことにはどうにもならないのだが、実はその「特定の2点間の移動時間」が分かるシーンが皆無なのが問題だ。ここではひとついろいろなシーンから推測してみたいと思う。
 まずは15話での「引っ越し」シーンだ。一家は猛獣の遠吠えを聞いてから慌ててテントを脱出し、木上に設置された新居へ走った。このような緊張状態でどれくらいの時間なら逃げ切れるかという問題だろう。また道中で既に猛獣に追い付かれていて、森の中の暗がりから睨まれていたなんてシーンも展開する。あのような猛獣が獲物を前にして「様子見」をして襲ってこないなんていうのは間違いなく短時間、せいぜい2〜3分だろう。その地点で銃をぶっ放したことで猛獣は逃げ、また家に向かって襲ってくるまで5分程度は要すると思う。猛獣が一家に追い付く時間を考慮すると、砂浜(「3」地点)と木上の家(「1」地点)は徒歩で10分と掛からない距離と推測される。
 それだけではない、幼児であるジャックが木上の家と砂浜を一人で問題なく往復していることや、20話では捻挫していたフランツが比較的短時間で畑(「2」地点)間で来ていることを考えると、木上の家から畑までは徒歩5分程度、砂浜までは8分程度、岬までは10分程度であると考えて良いと思われる。これに不動産表記などで決められている「80メートル=徒歩1分」ルールに従って計算すると、上記地図の「1」と「2」の間が400メートル、「3」までが640メートル、「4」までは800メートルとなる。砂浜を中心に畑まで240メートル、岬まで160メートルというのは劇中の描写とほぼ一致するので、あながち間違っていないだろう。ただしこの鳥瞰図やオープニングでの鳥瞰図を見ていると、畑はもうちょっと砂浜寄りであってほしい。
 いずれにしても木上の家から岬まで800メートルが正しいとしよう、上鳥瞰図を我が家のモニターで見ると45ミリが800メートルということになる。これを元に単純にこの島の横幅(東西方向の岬から岬までの一番長い部分)を測ってみると、2134メートルということになる。ただしこの鳥瞰図は斜めの位置から見ているので、その分を考慮して長さを2割くらい足してから切りの良い数値にしてだいたい2200メートルと思えばいいだろう。実感しやすいように言うと、静岡県熱海市の沖合に浮かぶ初島より少し大きいサイズということになる。
 次に高さだ、次のキャプ画はオープニングのラストであるが、島の東西方向の横幅2200メートルが分かればこのシーンから島の標高を算出できる。このシーンの原寸サイズを私のPCで表示した場合、島の横幅は138ミリとなる。それに対し島の東西方向の突端部水際線を基準にした島の最高峰の高さは20ミリであるから、これを2200メートル:138ミリの比率で計算すると島の最高峰の標高は318.8メートル。これで島のサイズがほぼ分かった事になるだろう。
 エルンストとフランツは、静岡県の初島より少し大きい程度の島の探検に3日以上を要した。山の山頂まで登ったことを考慮してもちょっとこれは掛かりすぎだと思う。また22話で一家は「1」地点から「7」地点までおおよそ半日掛けて移動したと思われるが、これもせいぜい2キロ程度の移動だろうから2時間以内には到着して欲しい。まあ裸足で歩いていることだし、他にも色々と問題があったのだという解釈を採るしかないなぁ。

第25話「無人島の夜はまっくらやみ」
名台詞 「人間が他の動物と決定的に違うのはそこなんだよ。人間だけが火を使うことを知っている。」
(エルンスト)
名台詞度
★★★
 火を起こすことに成功して夕食を作るときのひととき、一家で火について語り合っているときにエルンストがこう力説する。もちろんこの台詞は我々にとって当たり前の知識ではあるが、エルンストがわざわざこう言うのには意味がある。
 これに対するフランツの台詞にもあったように、人間は火の使い方を習得することで「文明」を得たと言っても過言ではない。まずは食べ物を煮たり焼いたりすることで食中毒が激減し、続いて暖を取ることで凍死の恐れが激減し、灯りとして夜に火を焚くことで就寝中に天敵に襲われる可能性が激減するという「生存率の向上」を得た。生存率の向上は個体の増殖に繋がり、より高い社会性を必要としたのだ。同時に火を使って料理することで効率よく栄養を摂取できるようにもなり、これが脳の進化を促して社会性の発達と共にまずは言語、続いて数を線で表現する事を覚え、続いて季節や暦という概念が発生し、それらの進化と同時期に芸術も発生したと考えられているのだ。この人間が文明を得るための進化はまさに火がきっかけだった。だがエルンストが言いたいのはそれだけではない。
 それは15話の名台詞欄を思い出して頂きたい、彼は衣食住でどんな不自由を味わっても自分達が文明を持った人間であることを忘れないという決意をしている。そして「人間が人間らしく生きる」のにどうしても必要なのは、人間の文明の源である「火」であることも彼は強調しているのだ。ここで「火」を失って灯りをも失うことは、それこそ動物同然の生活となってしまいこれは原始時代以下の生活を味わうことになってしまうのだ。だからこそエルンストは他の作業を中止してまで「灯りの復活」にこだわったのだ、夜の家に灯りさえ灯っていれば最低限の文明的な生活を維持出来る。ここでエルンストが視聴者に訴えたのはそういう事だと思う。
名場面 灯りのない夜 名場面度
★★★
 マッチを失った一家が火を起こす術を獲得したのも束の間、今度はフランツがたったひとつのランプを落として割ってしまう。だがランプがあってももう油が底をついていたので、一家がランプの明かりを失うのは時間の問題だったため、フランツはランプを割ったことについて咎められることはなかった(だが慌てないようアンナに叱られる)。
 こうして再び明かりを失った一家は、夜の帳が降りると同時に睡眠するという生活を強いられる。もちろんこれまで灯りを持って日没後もしばらく起きているという文明的生活が当然だった一家は眠れるわけがない。なんとか身体を倒して無理矢理でも眠りにつこうとする両親をよそに、子供達は眠れないという気持ちを露わにするのだ。「早寝早起きには限度がある」「毎晩12時間眠るわけに行かない」と愚痴を言うフランツと、「そんなに眠ったら目が腐っちゃうわ」と答えるフローネはいい味出している(この二人のやり取りは30年近い年月を越えてしっかり覚えていた)。そんな中不意に外が明るくなったのでフローネが起き上がる、僅かな月明かりも明るいと感じてしまったのだ。だがその月もすぐに雲に隠れてしまい、フローネはアンナに咎められたことでまた床につく。
 私のように都会で生まれて都会で育つと、「月明かり」の明るさを実感することは殆ど無く、このシーンに「月」の明るさを教えて貰った。というかこのシーンを見た時は「月がそんな明るいわけないじゃん」と思っていたが、この回の放映の半年後に「月明かり」の明るさを実感する機会があって「なるほど」と思い、再放送で思わず頷いたシーンなのだ。実は本放送の翌年である1982年2月、私はボーイスカウトの「ナイトハイク」という企画で深夜の山道(東京都青梅市)を歩いたのだが、その夜が満月が近いとても明るい夜で森が途切れたところでは懐中電灯無しで歩けるほど明るかったのだ。今でもあの夜の月明かりのまぶしさは忘れていない。
 このシーンを見て疑い、後に感心したという自分の記憶を揺り起こされただけでなく、少年時代に体験した真冬の深夜の山道の月明かりまで思い出させてくれた。なんかこの「ふしぎな島のフローネ」って物語は、本当に少年時代の体験を思い出させてくれるなー。
  
感想  今回の物語の特徴は、1回の物語に二度も同じ問題が降りかかると言う点だと思う。これまで1話内に複数問題が起きても、それがそれぞれ別の問題であることが多かった。アンナの畑についても「全く同じ問題」ではなく、同質の問題が対策の隙を突いて別方向から来るという内容だった。だが今回は全く同じ問題が二度続く、マッチを失って灯りを失い、続いてランプを失って灯りを失うのだ。どちらも文明社会から持ち出した便利な道具、しかも消耗品を失うという「いつか来るべき時」だったという点でも一致する。ランプについては劇中に描かれ通り、フランツが壊していなくても燃料を失って使い物にならなくなるのは時間の問題だった。
 そして一家は二度繰り返される問題に必死に取り組む。これは名台詞欄で解説した通り、火や夜の灯りを失うことは「人間が人間らしく生きる」という行為を捨てること他ならない。その危機感を感じていたのは劇中ではエルンストだけだが、潜在的に全員が気付いたいたのは確かだ。だからこそ「火を起こす」「明かりを灯す手段を得る」という作業を最優先で実行したのだし、成功したときの喜びも大きかったのだ。蝋燭点火の時はわざわざ点火式までやってるし。
 で、今回はオチも素晴らしかった。家に明かりが灯ったからとチェスの続きをやろうと勇んだフランツとフローネに、「夜も勉強2時間」と突き付ける無情な光景は大好きだ。たまにこういう遊びがあるのが「世界名作劇場」シリーズの良いところだ。
研究 ・ワックスの木
 二度目に灯りを失ったときにエルンストはフランツとロバを連れ、「明かりを灯す物について心当たりがある」と出かける。彼は袋に木の実を沢山詰め込んで、それをロバに乗せて帰ってくる。彼はその木の実について「ワックスの木」と語り、これから蝋燭を作る事を思い付いて実行したのだ。ちなみに蝋燭作りは「世界名作劇場」に置ける次作「南の虹のルーシー」でも取り上げられているので、二作連続のテーマとなることになる。ただし「南の虹のルーシー」では動物性の脂から蝋燭を作っているが、「ふしぎな島のフローネ」では植物性脂から蝋燭を作るという違いがある。
 劇中では「ワックスの木」と言われていたが、描かれていた葉や木の実の形状などから間違いなく櫨だろう。櫨は日本も含む東アジアや東南アジアなどの熱帯地域にも自生しているので、この無人島にあっても不思議ではない。木の実を蒸すと木蝋が取れ、蝋燭だけでなく石鹸やクレヨンの原料としても使用されている。もちろん日本でも江戸時代から木蝋を取るために西日本を中心に栽培されており、飢饉や災害時には加工して食用にもしていたという。日本の伝統的な蝋燭である和蝋燭はこの櫨から取れた木蝋を使用しており、お寺などでよく見られるような独特の「揺らぎ」を持った蝋燭の火は櫨から採った木蝋で作った蝋燭独特のものなのだそうだ。
 だがこの櫨が「ワックスの木」と呼ばれているとしている情報は見つけられなかった。「ワックスの木」で検索してもズバリそのものの単語が入っているのは「ふしぎな島のフローネ」関連サイトばかり…。なんかこんなんばっか。

第26話「おにいちゃんは弓の名手?」
名台詞 「足が治ったら私にも弓を作って下さらない? 銃よりはうまくなれそう。だってフランツやフローネが一生懸命やってるんですもの、私も頑張らなくちゃ。」
(アンナ)
名台詞度
★★
 夜になって昼間の出来事を回想する夫婦、エルンストがフローネがフランツの弓が下手だったと言っていたことを話すと、アンナはフランツの弓が上手になって欲しいここと弓は銃の代用になり得ることを語る。エルンストは銃弾が尽きていたので弓矢を作ってフランツに試させていたことを、アンナに心配をかけさせまいと黙っていたので驚く。そんなエルンストに向かってアンナはこう言うのだ。
 島に上陸した頃のアンナと比べると驚くほど変わったと思わされる台詞だ。臆病で何事もおっかなびっくりだったアンナが、猛獣との戦いや畑作りの度重なる失敗を通じて大きく成長を遂げたことを示している。もちろんその様々な経験の過程で「一家の生存は自分の肩に掛かっている」という事を認識し自覚したからこその変化であり、その自覚と誇りがこの台詞の中にも宿っているのだ。子供達が弓矢を完成させるために頑張っているのだから、完成の暁には自分もそれを使って獲物を捕りたいという思い。そして銃はまだ慣れないけど子供達に弓矢が扱えるのだから自分にも出来るはずだという思い。何よりも子供達が頑張っているから自分も負けていられないという気持ち。これらのアンナの思いがうまく表現されているのだ。
名場面 フランツと弓矢 名場面度
★★★
 フランツは弓による獲物の獲得をしようと試行錯誤を繰り返す。父と一緒に作った弓矢は矢が真っ直ぐ飛ばず、一度フローネが試し打ちしたのが偶然ゴムの木に当たっただけという有様だった。ある日、フランツは森の中で鳥を取り逃がした時に鳥が落としていった羽を見てある事に思い付く。その思いつきをすぐに実行し、フランツは矢の改良に取り組む。そして改良した矢を試し打ちすると…やっと矢が真っ直ぐ飛んだのだ。思わず「すごいや、5倍以上のエネルギーゲインがある」と呟くフランツ、彼は矢にフィンを取り付け、これが飛行機の尾翼と同じ効果をもたらして矢が真っ直ぐ飛ぶようになったのだ。
 この発見と成功はフランツの「獲物を仕留めたい」「でないと肉が食べられない(つまり自分達の生存に関わる)」という思いが成し遂げたものだ。作っては失敗し、その失敗の原因を考え、彼は何処かで弓矢を見た時のことを思い出したに違いない。矢には必ずフィンがついているという光景に思い至ったに違いないのだ。それはこの島に来てから両親が失敗に挫けずに挑戦し続けたのを見たきたからこその成果であるはずなのだ。
 そして今回の物語の最後でフランツはこのビームライフル弓矢で遂にザク獲物を仕留める。これから彼はいくつもの獲物を獲得し、ニュータイプとして覚醒するに違いない。う〜ん、無人島にはシャアもララァもいないぞ…って、誰か止めてくれ〜。
  
感想  新たな武器を得てその使い方で色々考えている声の主が、あの声だとどうしてもフランツがアムロに見えちゃって…。
 一家がまたふたつの問題に直面する。ひとつは前々から予測されていた「銃弾が底を突く」という問題であり、もうひとつは今回新たに浮上した「負傷防止のため靴が必要」問題である。そういう性質なので前者の「弓矢を作る」という問題への対処はある意味計画的に実行される。弓矢の試作品を作ってフランツがこれを試す、そして試用しながら問題点を改善して行くというやり方だ。ただこれは船の接近で銃を乱射したときにこうなるのは分かっていたはずで、計画的とはいえども着手が遅かったような気がする。出来れば銃弾の残りが50発程度になる前に着手して欲しかった問題だ。
 後者はアンナの負傷という突発的な出来事から問題なる。だがこの対処法についてはアンナが古い靴を直すという手段を採ったためにまともに検討すらされていない。フローネが偶然にもゴムの木を見つけたことで対処を「思い付く」という形で実行されたのだ。問題が降って湧いたことだから解決方法まで降って湧いたというなんともご都合主義的な展開。だがこれについては、ここまで一家がさんざん裸足で走り回っていたのに怪我人が無かったことの方に感心すべきかも知れない。
 この二つの全く性質の違う問題解決を同時進行し、かつ物語が複雑にならず詰め込み感も感じさせずに上手くまとめたと感心した。その理由は後者の問題の解決を偶然という展開にし、物語の流れはあくまでも弓矢を完成させるという展開に絞ったことだろう。物語を単純化させることはこういう複雑な物語を分かり易くさせることに他ならない、この「ふしぎな島のフローネ」という物語自体がその原点に立ち直って物語を進めているように感じるが、この26話はその中でも典型的な話だと私は思った。
研究 ・ゴムの木
 フローネが目茶苦茶に飛ばした矢が偶然当たった木が、靴を失い裸足で生活する一家に靴を呼び戻すことになる「ゴムの木」であった。その名の通り天然ゴムを生み出す木であり、劇中に描かれたようにゴム靴の原料になったりもする。
 一般に「ゴムの木」と呼ばれるのはパラゴムノキと呼ばれる木だ。南アメリカ大陸はアマゾンが原産地で、19世紀末にイギリスを経由して東南アジア方面へ移植され…って、ちょっと待った。どう考えてもこの「ゴムの木」は南太平洋に属するこの無人島に存在し得ないぞ。ここまで調べて劇中描写をじっくり観察したが、このパラゴムノキとはちょっと違うようだ。
 という訳で「ゴムの木」について色々調べたが南太平洋のに自生しそうな種は見つけられなかったが、インドやスマトラやジャワ方面には別の「ゴムの木」がある。それがインドゴムノキと呼ばれる木で、「お化けの木」と同様イチジクの仲間である。現在はこの木から天然ゴムが採られることは皆無で、「ゴムの木」というとパラゴムノキとなってしまうのが実情だ。インドゴムノキの特徴は形の整った楕円形の葉と、養分を多く吸収すべく枝から下ろされた気根が多く見られることだ。ひょっとすると「お化けの木」そのものがインドゴムノキである可能性もある。
 だが劇中の描写を見比べるとインドゴムノキ特有の気根が全く描かれていない。他のゴムの木はアラビア方面の物だったり、オーストラリアのユーカリの仲間だったりする。位置的にオーストラリアの木があってもおかしくなさそうだが、この木の外観はユーカリとは全く違う。ただし、この無人島の生態系はオーストラリアのそれに近いことは明記しておこう。
 結論、この「ゴムの木」の正体はよく分からなかった。

第27話「無人島の音楽会」
名台詞 「うん、この島に着いて無我夢中のうちに、すっかり大人になったようでびっくりするなぁ。」
(エルンスト)
名台詞度
★★
 子供達主催の音楽会の後、ラブホテル「別荘」に夫婦二人きりなって語った事は子供達の成長に驚く内容だ。その中でも父親としてエルンスト(46)のこの言葉に、私は激しく同意した。
 子供っていつの間にかに成長する物である、私もそう実感したことがあるのでこの台詞のエルンストの気持ちがよく分かる。仕事の合間を縫って毎朝晩保育園に送り迎えし、料理も出来ないのに毎日夕ご飯の献立を考え、まな板や包丁と悪戦苦闘していたあの日々、休日になれば保育園の保護者が集まって保育園のイベントやら何やらで息つく暇もなかった。そんな親が必死の時も子はすくすくと育っていたのである。いつしか平仮名を読むようになり、書くようになり、生意気な言葉も覚え…ってあの頃を思い出させてくれる台詞だった。
名場面 名場面度
★★★
 音楽会の翌朝、子供達は「別荘」へ両親を迎えに行くがすぐに様子がおかしいことに気が付く。「別荘」の屋根がなくなっていて、それが燃えかすになって周辺に散らばっている異様な光景を目にするのだ、何度か大声を出して両親を起こすと、夫婦は「狼のような猛獣に襲われ一晩中戦っていた」という事実を隠し、「夕べは寒かったから屋根を剥がして火を焚いた」「あんまりにも楽しいので火の投げっこをした」とし、「おかげでまだ眠い」ととぼけて寝てしまう。3人の子供は「変なの」と言いながら目を見合わせる。
 もちろん、このシーンでは両親の子供達への気遣いに感心してしまうシーンだ。子供達が苦労して作ってくれたプレゼントに対し、「狼に襲われて眠れなかった」などといったら子供達ががっかりするのは火を見るより明らかだ。だから夫婦はとぼけて見せたのだが、このシーンにはそれだけでないこの夫婦の「あうんの呼吸」という奴も感じることが出来る。起きた二人は特に示し合わせることもせず、打ち合わせもなしにこのようなとぼけを咄嗟に演じたのだ。普通ならどっちかが慌てたり、真実を言ってしまいそうなものだけど、そうならないほど息が合っているからこの二人は夫婦を20年もやっているのだ。14年足らず(実質12年半)しか持たなかった経験のある私が言うのだから、間違いない。
  
感想 注意・今回の感想欄は下ネタ中心です。「世界名作劇場」をそういう見方をするのが嫌いな人は読み飛ばして下さい。

 今回の話って、少年時代に見た時はまだそういう知識が入る前だった(再放送でも直前だったかな?)から深く考えなかったし、劇中のフローネやジャックはそういう風に考えて無かったはずだろうけど、つまり「別荘」っていうのはラブホテルってことだよな? 二人にあんな事やこんな事をする時間を与えるためにフローネの案に乗ったんだろ? フランツよ。これでこの数ヶ月後からアンナのお腹が膨らみ初めて…なんて展開にならなくてよかったよ、今思うと。
 だからこそ大人になって見るとこの物語は別の現実が見えてきて面白い。特に「別荘での一夜」をプレゼントされたエルンストが妙に浮かれている点は、大人になって再視聴して初めて理解できたことだ。いや、一度子供の様子を見に行って「別荘」に帰って来た後にすることは、もうあんな事やこんな事しか考えられなかったわけで、その直前に猛獣が襲いかかってきたことでどれだけエルンストは残念だったことか、これも大人になって初めて分かった事だ。いや、アンナも間違いなくその気だったはずで、やはりあのタイミングって言うのはあり得ないと思っていたことだろう。
 だがここはよい子の「世界名作劇場」、エルンストは欲情発散が踏みにじられて悔しがるわけでもなく、アンナが燃えているのに邪魔されてイライラするわけでもなく、二人はいたって冷静に猛獣の攻撃に対処する。もうこれが「クレヨンしんちゃん」だったら、二人は猛獣に八つ当たりするように暴れていただろうな。
 感想欄がこの路線で行くのは今回だけね。この物語は子供の頃は音楽会が印象に残ったけど、大人になって見るとそうは行かないというのを身をもって知った。だからサブタイトルも音楽会の方にすることで、よい子の「世界名作劇場」としての方向性を維持したんだろうなぁ。
研究 ・「ナイフの岩」再考
 今回は特に研究欄に挙げる内容がないので、19話で考察した「ナイフの岩」について再考察したい。実は匿名希望の方からメールでご指摘があり、「ナイフの岩」について考え直す必要が出てきたのだ。つまり「ナイフの岩」は私が19話研究欄に書いた土地の隆起と雨水による浸食活動により出来たものではない、という指摘だったのだ。
 そのご指摘によるとこの「ナイフの岩」は「岩頸」と呼ばれるものではないかとのこと。「岩頸」とは火山の火道(地下のマグマだまりから火口へ続くマグマの通り道)に溜まっていたマグマが固まり、その後に周囲にあった山が浸食でなくなり、そこに火道の形に固まったマグマだけが残る地形のことを言う。詳しくは下の図解を見て頂きたい。
←「岩頸」の成り立ち
 日本では伊豆諸島に浮かぶ突岩(つまりナイフのように先が尖った柱状の岩)だけの島が有名だ。またここに「岩頸」があると言う事はこの島が火山島だという設定を裏付ける物であることは確かだ。これでハッキリしたのは22話と24話の研究欄に示した鳥瞰図の「5」地点付近の谷間が、火山の火口であることだ。「岩頸」はその成り立ちを見ればそこに火山の火口があることは誰にでも分かることだろう。ただそこにあった山の浸食に何万年もかかるため、かなり長い間活動していない噴火口であることは確かだが。伊豆諸島の孀婦岩(そうふがん)と呼ばれる「岩頸」は活火山であるとされている。
 ちなみに島の中心にある山は溶岩台地が浸食されたものだと推測される。日本で言えば群馬県と長野県の県境にある荒船山…そう「史上最強のギャグ漫画家」臼井儀人さんが生命を落としたあの山…と同じ成り立ちではないかと想像される。火山としてのこの無人島については、別途考察を行うつもりだ。

第28話「ジャックの病気」
名台詞 「私なら心配ないわ。日頃からよく食べてよく運動しているから、身体には自信があるもの。お母さんも覚えてるでしょ? 二年生の時、クラスのみんなが風邪引いたのに私一人ピンピンしてたの…(中略)。ねぇ、頼んでも病気にならなかったんだもの。私は不死身よ。じゃ、大人しく寝てなきゃダメよ〜。」
(フローネ)
名台詞度
★★★
 てーか、○○は風邪引かないってよくいうよね?
 じゃなくて、ジャックに続いてアンナまでもが高熱に倒れたとき、こんな時に倒れてしまった事を詫びてフローネも気を付けるように言った母にフローネが返した言葉がこれだ。たんとまぁ逞しい。
 詳しくは名台詞欄で解説しよう。
名場面 水くみで一人になったフローネ 名場面度
★★★★
 名台詞欄のシーンに引き続き、熱冷ましの水を汲みに井戸へ降りたフローネだが、一人になった途端彼女の胸に心細さがこみ上げてきたのだろう。井戸を覗き込んだかと思うと今までの明るい表情から一転、急に寂しそうな表情に変わる。そしてその姿勢のまま「どうしよう…お母さんまでマラリアだったら」と呟き、続いてしゃがみ込みながら「お父さん…お兄ちゃん…」と泣き始める。だが後ろでジョンが吠えるとすぐ涙を拭いて「大丈夫よ、ジョン」と声を掛ける。
 このシーンから見られるのはフローネの心境だ。ジャックの看病を献身的に手伝っていたところで今度は母までも高熱に倒れてしまい、二人分の看病という重荷が彼女の方に掛かってきたのを感じたとき、彼女は強烈な心細さを感じたことがよく分かる。父と兄が治療のための薬草を探しに行っていること、しかもいつ帰ってくるか分からないという状況はこれが「いつまで続くのか?」という思いと、名台詞欄の台詞に反し今度は高熱出して倒れるのが自分の番ではないかという恐怖を感じ取っていたに違いない。
 だがフローネは勉強は出来ないが頭のよい子だ、「今自分がどうすべきなのか」という事をちゃんと理解していて、この心細さや恐怖を心に押し込んで「自分がすべきこと」を実行できるだけの能力を備えている少女なのだ。そのひとつが名台詞欄に挙げた台詞で、絶対に病人をこれ以上心配させてはならないという事を心得ていたからこそ自信を持って「私は不死身」と言い切るのである。そしてこのシーンでは一人になったときに本音をさらけ出して涙を流したものの、ジョンが見ていると分かればすぐに元の明るい自分に戻る。それこそが自分以外家に残った者全員が倒れたという現況において、「場を明るくして病人に不安を感じさせず、病人に治るという気を起こさせる」という自分に出来る最善の方法だと知っているのだ。
 実は前半でフローネがジャックの病気にかこつけて勉強をサボろうとするシーンがあるが、これはまさにこのシーンにおけるフローネの頭の良さと対比させるべきシーンだったと思う。勉強が出来れば頭が良いわけではない、勉強が出来なくたって頭の良い子はいるという事実を上手く描いたと思う。これは当時も現在もこの物語のフローネを見た感想だ。
  
感想  これは無人島での生活においてエルンストが最も恐れていた事態と考えて良いだろう。家族の誰かが風土病に罹り、それが伝染という形で一家に広まることである。当然難破船からやっとの思いで逃げ出してきたエルンストには満足な医薬があるはずはなく、この状況は場合によっては一家を全滅へと誘う危険性を孕んでいたのだ。彼が風土病を恐れている台詞は無人島上陸前後にあったと思う、従ってこのような展開は登場人物にとっても視聴者にとっても予想されていたものだったと考えていい。
 治療方法はこの病に効く薬草を探し出すというもので、何でも生えているこの島のことだから予想通り探しに探して見つかった。マラリアやキナの木については研究欄に回すことにして、ここまでに様々な物語でこの一家の「絆」は描かれてきたのだから、この島での生活における最大のピンチではそれ以外のものを描かないといい加減視聴者も飽きて来るであろう段階に入ってきている。そこで加えられた展開が私が名場面欄に書いた要素、つまりフローネの明るさと頭の良さを示すという展開だ。正直、このピンチで家族の絆を描くだけなら前半のフローネが勉強をサボるシーンなんか描く必要は無いのだ。そして病人二人のうち特にアンナは、フローネの明るさに支えられたのは確かだろう。それが無かったら彼女はこんな大事なときに自分までも倒れてしまった事を悔やみ、さぞかし辛い思いをしたはずだと思われるからだ。
研究 ・マラリア
 今回、ジャックとアンナが相次いで高熱で倒れるが、エルンストはこれがマラリアだと診断する。マラリアは単細胞生物である熱帯性のマラリア原虫が体内に入ると発症する病気で、体内に入ったマラリア原虫の種類にもよるが、周期的あるいは不規則的に40度以上の高熱に襲われる症状を見せる。エルンストがジャックの高熱が下がってもすぐに安心せず、様子を見たのはこのマラリアの症状を十分に理解していたからだろう。ジャックの症状を見ていると1日目の午後に高熱を出し、2日目の朝に熱が下がるが、その日のうちにまた熱が上がり、3日の昼前にはまた熱が下がったようだ。これは周期性のあるマラリアとは違う周期で高熱を出していることが分かるので、ジャックの体内に侵入したマラリアは間違いなく「熱帯熱マラリア」と呼ばれるものだ。
 マラリア原虫はハマダラカという蚊に刺されることで人間の体内に侵入するので、少なくともジャックとアンナはこの蚊に刺されたという事がいえるだろう。マラリアにはワクチンがないので予防策は「蚊に刺されないようにする」ことだけである。殺虫剤や虫除けスプレーがない劇中の時代という事を考えると、彼らはなるべく長袖の服を着て行動し、家には蚊が入らないように網を張り、ベッドには蚊帳を吊すべきだったのだ。今後も蚊に対して無防備な生活をするのだが、またマラリアに罹ったりはしなかったのだろうか?
 そして有効な治療法も劇中に描かれた通り、キナという木の樹皮に含まれているキニーネという物質がマラリア原虫に対して強い毒性を持つため、これがマラリア治療に強い効果を示すという。キナという木は南米はアンデス山脈に自生する木で、アンデスの原住民が解熱剤として使っていたのをヨーロッパ人が見つけてヨーロッパに持ち込み、そこで偶然マラリアに効く事が分かった…あれあれ〜? これじゃ南太平洋のこの無人島に生えてるわけないじなないか。だいたいアンデスにはハマダラカがいないからマラリアも存在せず、現地では誰もその効果を知らなかったらしい。さてどうしたことか…でもキナの木がないといつの日かマラリアで一家全滅してしまうだろうしなぁ…。あ〜あ、ヤボなこと調べちゃった。
 ヤボついでに言うが、キナの木にはマラリアを治すことは出来るが、予防することは出来ない。つまりフローネが「マラリア予防」として薬を飲んだ行為には全く意味はない。
 ちなみに日本では、大東亜戦争時に南方で戦った日本兵がマラリアに苦しんだというイメージがあって「マラリアは熱帯地方での病気」と思っている人が多いだろう。また近頃マスコミが騒いでいる「地球温暖化」が進んで日本が亜熱帯みたいな気候になればマラリア被害が増えると言う声もあって、やはり「マラリアは熱帯地方のもの」と思わされている人も多いと思う。だが日本にも昔から日本独自のマラリアがあって、多くの人々がこれに苦しんでいたのは事実だ。特に大正時代の琵琶湖から福井県方面を中心に大流行したマラリアは毎年2万人ほどの患者を出していたと言うし、開拓初期の北海道でも多くの人がマラリアに罹って開拓に支障を来した歴史がある。現在の日本は衛生環境が格段に良くなったことと、特に治水が進んで水辺の環境が変わったことでマラリアを媒介するハマダラカが激減したことで、日本独自のマラリアはほぼ壊滅した。ただハマダラカが完全に姿を消したわけではないので、災害などで水辺の環境が変わってハマダラカが増えるような事態になれば、「地球温暖化」なんか待たなくても日本でマラリアが大流行する可能性があるので皆さんも気を付けて頂きたい。

第29話「フローネ行方不明となる」
名台詞 「ジャックが思いがけない病気に罹ったことなんですけど。私は大したことありませんでしたけど、ジャックは危なく生命を失いかけたわ。幸いキナの木を見つけて頂いてこうして助かりましたけど、私心配なの。この土地にはマラリアだけではなく、他にも怖い風土病があるのではないかって。今度は薬草が見つかりましたけど、こんな幸運が何度もあるとは思えませんわ。お父さんがどんなに優秀なお医者さんでも、薬がなくてはどうにもなりません。今度また、誰かが病気に罹ったとしたら…。あなた、1日も早くこの島から脱出すべきだと思うわ。病気をして考えが変わったの、船は作れませんの?」
(アンナ)
名台詞度
★★★★
 一家の母がマラリアという病を通じて見た現実、これを朝食時に家族全員に打ち明ける。自身とジャックがマラリアに罹りつつも、そこから生還できたのはたまたま薬草を見つけた事による幸運でしかないという現実だ。これは自身も「病」というかたちで生死の狭間に立たされたからこそ、痛感したことだろう。
 その上で「また同じ事が起きたら」「しかもそれが違う病気だったら」というのがアンナが一番の不安である。別の病気に効く薬草がそんな都合良く生えているわけが無く、もし別の風土病に罹った場合は薬草を見つけられず家族が死ぬのを見守るしか出来ない可能性が高いのだ。この不安は病を経験した当人にとっては拭い去ることは出来ず、抜本的な対策が必要と考えるのである。
 その答えが「1日も早い島からの脱出」だったのだ。現在のところマラリアについては治療法が見つかったと共に、(効くかどうかは別にして)前もって薬を飲んでおくという対策を採ってはいる。だがこの対策はあくまでもその場しのぎであり、また他の風土病には効かないことは明白だ。そこで他の病をもカバーでき一家の生命を守る抜本的な対策は「島から出て行く」「文明社会に戻る」しかない。これはマラリアによって一家に突き付けられた現実であり、病に罹った張本人が感じた切なる願いなのだ。
 そしてこの台詞をきっかけに物語は新しい方向に動きだす。いよいよ「島からの脱出」を目指して脱出船を作るという一家の「未来」を見据えた展開に変わるのだ。だがここまでの展開を見ていればこの島がそう簡単に一家を手放すわけがないのも見えてくるだろう。まだ残りは20話、どんな失敗でこの計画が断念され、どんなきっかけでこの計画が再浮上してラストに繋がるか、視聴者の視点がこの部分へと変わって行く大事な台詞だ。
名場面 フローネの自由時間 名場面度
★★
 一家が脱出船作りに精を出し始めたその頃、フローネは自習の時間となり「つまらない」と家を脱走する。家の近くで船にするための木を切っていた父や兄のところを通り抜けると、フローネはしてもきれいなお花畑を見つける。ここで花をを作ったり走り回ったり…それだけでなく小川を見つけてこれをさかのぼると今度は滝壺を発見、フローネは気持ちよさそうに泳ぎ出す。
 このシーンにはフローネの開放感が描かれている。この娘は遊びたいだけでなく、ちょっと反抗したい年頃でもあったりするのだろう。そんな家族による制約から解き放たれた彼女の開放感というのが上手く描かれていると共に、この後の遭難シーンと対比する役割があるのだろう。
 ここでフローネが楽しそうに開放感を味わうからこそ、この後の遭難とそれによって一家に迷惑を掛けてしまったことで見ている子供達に「開放感はタダでは得られない」という世間の厳しさをも教えることになる。こういう教訓を教えてくれるアニメって、現在あまり見ないなー。
 またお花畑のフローネは、この物語の他の全てのシーンで見る事の出来ない貴重なシーンだ。
 
感想  なんか今回はフローネのパンチラがやたら多い回だったぞ。
 フローネが行方不明というより遭難といった方が正しいだろう、このサブタイトル通りの主展開は物語の3分の2に及ぶ。残り3分の1は名台詞欄を中心にしたシーンで、マラリアという病を通じて無人島生活に強烈な不安を感じたアンナが、一家に脱出を提案してこれを決断するまでが描かれている。今回1話単位で見ると後者は主展開ではないが、物語全体で見ると後者の方が主展開となるという複雑な構造を持った1話だ。
 名場面欄にも書いたが、フローネは自習の時間に家から脱出して「開放感」を思い切り楽しむ。だがそれには「遭難」と「一家の心配」という大きな代償を払うことになるが、フローネ自身がここから教訓を得る展開は次回に回されている。この展開においてこの無人島に関する新たな事実がいくつか判明している。木上の家の近くに花畑があること、畑との移動時に渡っている川をさかのぼると小さな滝があること、ラフレシアと思われる花が自生していること、洞窟の存在、斜面が多く歩行困難な地形も多いこと。これらのシーンを通じて無人島の新たな側面を知ることが、今回の物語の隠れた役割でもあろう。
 このうち洞窟については今後の物語に対する伏線となっている。この洞窟は今後新たな物語へと展開する多くのきっかけを生むことになるのだ。その時にこの回を思い出すようになっているのだが、それはまだちょっと先の話。
研究 ・迷子のフローネ
 フローネが迷子になる。なんだか随分いろいろな景色が出たように感じるが、これは狭い範囲での出来事なのは島の全体と比較してみると分かってしまう。恒例になりつつあるこのキャプ画から説明しよう。

 本当は新たなキャプ画で説明した方が良いじゃないかと多くの人が思うであろうが、フローネが迷子になって歩き回った範囲は「1」地点から「3」地点の陸地側という狭い範囲に限定されることがわかるからあまり意味をなさないと感じたからだ。まず掛けから落ちかかったフローネがエルンストに発見された場所は「3」地点付近の山の中、この海岸の北西側斜面がこの島で最も斜面がきつく、劇中に出てきた険しい斜面や崖があってもおかしくない唯一のエリアなのだ。そうするとあとはそれぞれのシーンを逆戻ししながら「1」地点に向かっていけば良いだけの話、滝があった川は一家が普段畑と家の間を往復する際に渡る川と同一と思われるので、「1」地点の西と思われる。滝は「1」地点の北西側で「5」地点の谷間に続く狭隘部に位置するはずだ。フローネがメルクルのソックリさんを追っかけて道に迷い、怖い蛇に出会ったのは滝の位置からそう遠くないはず。「2」地点の内陸部に洞窟を発見したと考えられ、なんだか訳の分からない芋を食べたりラフレシアの花に触れて酷い目に遭ったのはその周辺であろう。
 ちなみに前話でジャックの病を治す薬草が見つかった地点は、今回フローネが発見された場所とほぼ同じだと考えられる。それはフローネを探索するエルンストとフランツが別れた場所と、前話で薬草を発見した地点の画面描写を見比べると地形的な共通点が多く見られるからだ。また日が暮れてもエルンストやフランツがこの一から迷わずに家に帰れたことからも、少なくとも彼らが一度は訪れている地点であることが想像できる。
 だが印象的な花畑の位置だけはちょっと分からない。「1」地点西側なのは確かだと思うのだが…ここまで近ければ普段畑への往復時に見えていると思うんだけどなー。

第30話「きついお仕置き」
名台詞 「お母さんこれ…お仕置きして下さい。私は今日も言いつけを破って家を離れて、宿題も全部やってないし…ヤギさん達が心配だったの。」
(フローネ)
名台詞度
★★★★★
 子ヤギを救出して治療した後の夕食の時間、フローネは木の枝を持ってアンナのところに立つ。「どうしたの?」と聞くアンナに、フローネは木の枝を差し出してこう言うのだ。この台詞はフローネの台詞の中で、私の印象に強く残っているもののひとつである。理由はどうあれ自分からお仕置きをしてくれと言い出すというのはかなり勇気の要る行為だからだ。
 この台詞には前回から続く一件におけるフローネの成長が見られる。この台詞への伏線が今回冒頭で、遭難した翌朝に叱られると思ってなかなか食卓へと降りていかないシーンが描かれたことだ。親に叱られるのを恐れ、それを先延ばしにしつつも結局はエルンストからの説教、フランツから多量の宿題、それにアンナによる鞭打ちというお仕置きを受けることになる。
 それを受けてフローネは家を勝手に抜け出したことは良くないと感じ、ヤギが行方不明になっても最初は捜索に出るのを躊躇った。だがヤギが心配だという気持ちに勝つことは出来ず、両親に内緒でまた家を出てしまったのだが、今回と前回の彼女の違いはその「家を抜け出す」という行為が後先を考えずに出て行ったか、勝手に出て行った以上また叱られるしお仕置きをされると覚悟を決めて出て行ったかの違いである。だから出て行く際にノートにメモ書きし、帰ったきた後は自分から謝罪してお仕置きを請うことにしたのだ。この自分が勝手に家を抜け出したことで、また家族に心配と迷惑を掛けたのは確かだと判断したからだ(またエルンストとフランツがフローネ捜索に出ているし)。
 今回はフローネの自分勝手などではなく、ちゃんと「理由」があったと認められて無罪となる。見ている側もフローネも何で今回は無罪なのかをちゃんと理解しないことには物語は終われないだろう。今回のフローネの行動には「ヤギを助ける」という理由があり、自分勝手に出て行ったわけでなく、またノートに自分が何で出て行ったのかを記すことで家族の心配を和らげる配慮をしたからである。もちろん、今回もフローネが勉強を嫌がって家を出て行ったのなら、皆からキツイお仕置きをされた上にフランツからぶん殴られていたことだろう。
名場面 きついお仕置き 名場面度
★★★★★
 フローネが遭難した翌朝、いつも通りの朝を迎えた一家であったがフローネだけはなかなか起きてこようとしない。それは叱られるのが怖くて皆の前に出にくかったからだ。その過程で前話のラストシーン、遭難したフローネが家に帰ってきたシーンも「寝たふり」だった事実が判明する。その間、アンナは「勉強サボって抜け出したんだからきっちり叱らないと」と語り、エルンストは「今回は流石に懲りただろう」と語っていた。その語り合っている様子を見てフローネは「どうお仕置きするのか相談しているに違いない」と判断、余計に出にくくなる。だがジャックに早く降りるよう催促され、仕方なく食卓に向かう。この時のフローネの憂鬱な表情は秀逸だ。
 朝食の時間は何事もなく過ぎるが、このときの皆の表情を窺った時のフローネの心の声がまた面白く、「お母さんが庇ってくれる」と判断するのはポイントが高い。そして朝食後、いよいよエルンストによるお説教が始まる。ことあるごとにフローネが背筋を伸ばして「はいっ」と返事して立ち上がり、その都度エルンストが「立たなくてよろしい」と言うのは面白い。エルンストが「一人の勝手な行動が家族全員の生命を危険に晒すことがある」「今後は自分勝手な行動をしてはならない」と説教を締め、罰として「一日中家出勉強しなさい」と判決を述べる。続いてフランツが「国語の書き取り20ページ」という勉強量を示し、フローネは驚くがそれだけで怖かった父と兄が立ち上がって仕事へ行ってしまったため、フローネは「やれやれ、これくらいで済んで助かった」と胸をなで下ろす。
 ところがすぐにアンナが鋭い声で「フローネ」と呼ぶ、「なぁに? お母さん」と安心しきって返事するフローネにさらに鋭い声で「椅子に載ってテーブルに両手をつきなさい」と言う。「え?」と思うと目の前に鞭を振るうアンナの姿があった。この裁判にはもう一人裁判官がいたのだ。「お父さんはお前が女の子だから体罰は遠慮して下さったのよ。代わりにお母さんがします。」「あなたの勝手な行動のおかげでお母さん達がどれほど心配したことか、それをよく覚えておきなさい。そして二度と忘れないように今からお仕置きをします」ともうひとつの判決を述べ、刑の執行を宣言する。不安な表情で二人を見つめる男3人、鞭の音が聞こえる度に叫び声を上げるフローネ。そのあまりに悲惨な刑の執行に、見ていたジャックも思わずおしりを押さえる。
 このお仕置きシーンには二つの見どころがあるだろう。ひとつはフローネの心の変化だ、もちろん叱られる恐怖が上手く出ているのもあるが、彼女が畏怖しているのは父であってその説教が終わった後の安堵と、その後母によってもっとキツイお仕置きが執行される時の恐怖といった心の変化だ。特にフローネが父の説教でことあるごとに背筋を伸ばして立ってしまうシーンをはじめ、彼女の心の底がよく見えるシーンは本人はいたって真剣だが周りから見ると滑稽というこの状況にありがちな描写をされていて、視聴者は思わず笑ってしまうだろう。
 もうひとつは今回、今まで真剣に怒ることになかったアンナこそが前回からの流れで怒り心頭だったという事実だ。だが彼女は怒りという感情にまかせて叱ったのではない、怒りという感情とフローネがしてしまった事を冷静に天秤に掛けた上で「今回は体罰が必要」と判断している点は見落としてはならない。勉強をサボっただけではなく一家に多大な迷惑と心配を掛けた、それはアンナにとっては胸が張り裂けるような心配だったはずでその原因が自分勝手とあればしっかりと「二度とこうしては行けない」と娘の心に刻み込む必要があると感じたのだ。もちろん今回ラストシーンにあったように、アンナも面白がってフローネを叩いたわけではない。
 このシーンには親の子供に対する「正しい叱り方」というのが描かれていると思う。ここは子供達より多くのフローネ達と同じ年頃の子を持った親に見て欲しいシーンでもある。現在のアニメでは子供が悪いことをした罰の体罰というシーンもなかなかない、あると「家庭内暴力」とPTAが大騒ぎするんだそうな。その点、しんのすけが悪事を働けばみさえがげんこつをしたり「ぐりぐり攻撃」なる体罰をする「クレヨンしんちゃん」は凄いアニメだと思う。このように正しい親子のあり方を示すことが、現在のアニメでは難しくなってしまったということだろう。その意味を込めてこのシーンは★×5の評価とした。
  

 
感想  前回はパンチラが多かったが、今回はフローネの「おしりのドアップ」が多かった。
 今回の話も30年近い時を越えて覚えていた話ではあったが、子供の頃と大人になってからでは見方が大きく変わった。特に大人になってからの今回の視聴では、この回こそが「ふしぎな島のフローネ」という物語全50話の中で最高傑作ではないかと感じるようになった。名場面欄にも書いた通り、「お仕置き」シーンは正しい親子のあり方をしっかりと描いており、現在のアニメでこれがしっかり描かれているのは「クレヨンしんちゃん」だけだとしたのもあながち間違っていないだろう。いや私も体罰は良くないと思う、でも時と場合によっては必要で、それに当たっては「子供にそうされても仕方がない」と認識するほど悪いことをしたと自覚させることが前提で、体罰そのものも子供が怪我をしない程度の手加減をしなければならないと思う。だが現在はこの論理の上で体罰を使っても、子供に対してなら無条件で児童虐待、夫が妻に対してなら暴力を証明できなくてもDVで警察に何時間も拘束されるし(経験談)、妻が夫に対してなら無罪放免という嫌な世の中だ。少年犯罪の凶悪化はこういう風に「体罰」を臭い物として、フタをして隠し続けてきた結果だと私は思う(こういう事書くと問題発言なんだろうな…でも離婚調停中は間違っても書けないことだった)。
 それだけでない。今回の物語にはフローネの行動について、前回と対比させるという役割もあっただろう。勉強をサボりたいという自分勝手と、両親の留守中にヤギが行方不明になってそれを探しに行かなければならないという「理由」がある外出。この違いを明確にした上で「結果の違い」を視聴者の特に子供達に突き付ける役割もあったことだろう。その中でも外出した最終結果が「崖から落ちる」という結末で合わせてあるのは、違うのは外出理由だけという展開にするためにわざわざそうしたものだと考えることも出来る。
 そしてフローネがちゃんと成長して終わるのも見逃してはならない。今回の冒頭で叱られるのを恐怖してそれからも逃げたいと思っていたフローネが、今回の最後では「勝手のことをしたんだからお仕置きされても仕方がない」と判断し、自分からお仕置きを申し出るまでになったのだ。今回の外出でお仕置きにならなかったのは、ヤギを探しに行ったという理由も大きかっただろうが、両親がこのフローネの成長を見極めたという理由も大きいだろう。勝手なことをして行方不明になったら家族が心配する、これを理解できただけでフローネは大きく成長できたのだ。
研究 ・ 
 

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