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・「こんにちはアン」エンディング
「やったね♪マーチ」 作詞・森由里子 作曲/編曲・新井理生 歌・井上あずみ
 こんなに耳に付いた曲は久しぶりだ、もう毎週日曜日に「こんにちはアン」の放送が終わっても、数時間は「やったやったやったね、よかったね」って耳から離れなくなる。前奏の印象的なカントリー系のアレンジもこれに上手くマッチして、取り憑かれたら離してくれない印象に残る曲だ。
 内容的にも前向きで凄く良い。個人的には歌っている歌手基準で考えれば、「さんぽ」に並ぶ名曲と数えられてもおかしくないんじゃないかと思う。保育園かなんかでこの曲をお遊戯でやったら面白いんじゃないかな、当然サビはこのエンディングのアンと同じように踊るってことで。
 歌詞が前向きで明るい曲なのは良いが、本編が暗く終わったときにこれがかかるとちょっと辛いときもあった。バートやケンドリックが他界して終わったときもこの曲が明るく流れたのである。題して「殺ったね♪マーチ」とか、アンがエドナに騙されて終わったときは「してやったね♪マーチ」とか、某所でさんざんな言われようだったなぁ。
 曲はとても良いのだが、辛い展開になることが多い「世界名作劇場」シリーズ作品のエンディングとしてはどうかと思った。「ポルフィの長い旅」の時のように、無難にしておけば終わりが辛くても明るくてもオールマイティで良いんだけどなぁ(でもあのエンディングを最も聞きたい状況だった最終回で流れなかったし)。

・総評
・物語
 物語は、大きく5つに分けることができる。まずその部分ごとに流れを考察してみたい。
 なお、添付イラストは「名作アニメファンサイト そよ風の丘」制作者のある名作ファン様からの頂いたもので、総評考察を進めながらこちらも紹介したい。

 まず1話〜9話までは序盤のボーリンブロークでの物語である。ここはこれといって話が大きく動くこともなく、終盤への伏線となる展開はせいぜいアンが本を手に入れることとノアが生まれること程度である。またアンの話し相手「ケティ」もここで登場する。この9話は物語を展開させるよりも、アンとトマス一家を印象付ける方を重視しているようで、アンの過去、ジョアンナやバートの過去という物語を中心に展開する。
 その中でも異質な動きをするキャラは、トマス家の長女エリーザだ。物語には「アンの理解者」として登場し、その役割を印象付けて物語後半までそのまま行くのかと思ったら、すぐに男を作って嫁いでしまうという展開を取った。その過程でそれまで大人の面を強調していたエリーザが肝心なところで子供っぽく振る舞い、結果的にアンを裏切るという展開は予想外で驚いた。このエリーザの後味の悪い行動により、劇中でも最終回までエリーザを誰も思い出さないという信じられない状況になる。恐らく視聴者もエリーザの存在をすっかり忘れた人は多いことだろう。当サイト名物「名台詞」欄にも、エリーザの名は上がってこない。
 ここでトマス家以外のキャラには大きな役割はない、唯一の例外はミントンだ。彼女は「アンによって変えられた」最初の人で、今後のこの物語の方向性を決定づける役割があったのだろう。


 続いて9話から21話で一区切り、一家がメアリズビルに引っ越して前半の生活が順調に進む展開だ。ここではアンが学校へ行くという設定もあり、トマス一家以外のキャラの役割が大きくなる。アンの心の師ともいうべきエッグマン、学校の教師ヘンダーソン先生、学校の仲間達…そしてここではアンの学校生活も描かれるなど「こんにちはアン」の他ではあり得ない展開が続く。トマス一家にも暗い影は殆どなく、この物語で最も異質な展開が見られるのはまさにこのパートだと思われる。
 ただこのパートの後半は、バートが盗賊の片棒を担がされて地に堕ちて行くことによって、一家が順調な生活からどん底にたたき落とされる過程が描かれて終わる。この辺りから「こんにちはアン」はだんだん見ていられない展開も多くなり、アンの先行きが不安になってくるようになっている。そしてトマス一家がどん底に堕ちたところで、物語は唐突に数年飛んで次のパートとなる。。


 ここからは短い単位で物語の区切りが連続的に来る。まずは22話から26話の5話で区切れる。ここはどん底に堕ちてから数年、何とかギリギリの生活していたトマス一家が一瞬ではあるが幸せを掴み、直後に一転してバートを喪い、アンがトマス家を去らねばならなくなるまでの過程が描かれている。またこの辺りから結末の「プリンスエドワード島」が意識されており、既に22話で「波間に揺れるゆりかご」という最初のキーワードが提示されている。
 ここではメアリズビルでできた学校の友人達の登場は最小限に抑えられ、ひたすらトマス一家の動きを追う展開となった。バートの死因は「赤毛のアン」設定と辻褄を合わせたが、その内容は大きく変えられて「物語」として面白くなるよう工夫された。特にバートが改心し、瞬時であるにせよ一家が幸せを掴み、アンもその愛情を感じて「自分もこの家族の一員」と認識する点については、単純な感動要素としても、今後の展開をさらに過酷にする要素としても、上手く考えた展開だと思った。


 27話から31話でまた区切ることが出来る。ここはアンがトマス家を離れ、ハモンド家で過ごす物語となっている。アンにとっては新しい家族との生活になるが、ここで良かったのはトマス家でやったことの繰り返しとしなかった点だ。アンはケンドリックとはそこそこ打ち解けることが出来たが、妻のシャーロットと子供達には最後まで打ち解けることが出来なかったという展開は物語をさらに陰鬱にはさせたものの、アンが「辛い時を生きている」という悲壮感が伝わってきてよかった。ここでの悲壮感があるからこそ、トマス家が愛情溢れる空間に描き直されても「赤毛のアン」の状況とは違和感がないように仕上がったと私は感じている。
 ただ何をやるにも絶対的な話数不足は否めない。全体的にハモンド家での物語は駆け足になってしまい、「赤毛のアン」でしつこく「双子が3組いる家にいた」と経験談を語る理由になった要素が何もなかったのは残念だ。例えば子供のうちの誰かが喉頭炎に罹るエピソードとか欲しかったような気もする。アンとハモンド家の面々の関係が中途半端にならないようにするためか、物語はハモンド家の外の人を中心に進むのもこのパートの特徴だ。その中で「プリンスエドワード島」という物語の目的地の存在が初めて現れ、アンがそこを目指すという方向性がハッキリ描かれるようになるのもこのパートからだ。
 そして幸せの絶頂など描かれないままケンドリックが他界し、冷徹に一家離散とアンが去らねばならない状況を描いた点も、トマス家での物語との差別点として挙げられるだろう。


 最後が32話以降のいわば「孤児院編」だ。孤児院行きという「最悪」を経験し心を閉ざしてしまったアンが、ここで起きる様々な出来事を経て成長するという展開を取った。だが孤児院では一番の仲良しであるテッサにすら心を許したようには描かれておらず(逆にテッサはアンに対し完全に心を許しているが)、孤児院の女子の中心的存在である者達を敵に回したことで決していい思いはしていないという描かれ方で一貫している。これも「赤毛のアン」設定と辻褄は合わなくても違和感のない仕上げとするための配慮だろう。
 アンはここで初めて「愛」というものを学ぶことになる、その上で「楽しいプリンスエドワード島行き」の相応しい少女に変貌し、同時にアンの外見も「赤毛のアン」初期と全く同じものとなって行く。最終回では「赤毛のアン」キャラクターであるリリーやスペンサー夫人の服装まで「赤毛のアン」に合わせ、ラストシーンで出てくる連絡船の船影や色も「赤毛のアン」に合わせるという凝った終わり方で、続けて「赤毛のアン」を見る場合の違和感を消している。


 全体的に見ると物語の進み具合にムラがあり、特に2番目のパートとなるメアリズビル前半に話数を割きすぎの感がある。エッグマンやヘンダーソン先生というキャラが大事なのは分かるから、学校関連の物語を割愛することは出来ないにしても、本筋から離れるエッグマンとヘンダーソン先生の恋愛沙汰などはもっとあっさりやって良かったようにも感じる。またサディというアンが心を許した友の存在が、一発屋で終わって存在や扱いが中途半端になってしまうくらいなら最初から出さずに1話節約した方が良かったんじゃないかとも感じる。他にもここは話数を節約できる要素はあるパートでもあるのだ。
 そのせいで22話以降、特に終盤のハモンド家での物語が顕著だが展開が駆け足になり、1話にいろいろ詰め込んで物語自体も窮屈になった感があったのはのは否めない。22話以降のどのパートももう1〜2話あるだけで、詰め込み感や駆け足感がかなり改善できたと思うのだ。ただしこの辺りの展開は話数が少なかったからこそ、アンに余計な感情が生まれず「赤毛のアン」への流れが不自然にならなかったという点もあるので、一概に言えないところでもある。
 全体的に言うと物語の印象はかなり良く、また最終盤でも「物語の結論」と「エピローグ」をハッキリ区別して美しく終わったことは評価したい。何度も言うが去年の「ポルフィの長い旅」のように、物語の結論だけ提示してハイ終わりじゃ何か物足りないのだ。とにかくこのような質の高いアニメが衛星放送のみ放映というのは非常に勿体ない、地方局を中心に地上派放映が始まったということなので、こういう形での放映が広まることを切に願いたい。

・登場人物
 「赤毛のアン」とは対照的に、アン以外はこれと言って強烈なキャラクターはいない。出てくる人の多くは「世界名作劇場」の何処かで見たことあるようなキャラだ。だがそのキャラが適材適所に配置されバランスが良く、「ここにこの人あり」という王道的な出方をしているから安心してみていられる。
 だがその中でも例外はジョアンナとシャーロットという、アンを引き取った家の奥さん達だろう。「世界名作劇場」に出てくる「母親」達とは違い、いつも余裕が無くイライラしている女性として描かれている。「母親」がこういう感じに描かれているアニメキャラとしては「ドラえもん」の野比玉子と「クレヨンしんちゃん」の野原みさえが近いかも知れないが、彼女たちとジョアンナやシャーロットとの違いは夫婦の関係にある。夫婦仲が険悪で現在なら間違いなく離婚しているであろう夫婦を、ジョアンナとシャーロットは演じているのだ。
 それらの夫であるバートとケンドリックは共にダメ夫であるが、それを全く違うタイプのダメ夫として描いたのも面白い。気は強いが自分の人生が上手く行かないと思い込み何をやっても裏目に出てしまうバートと、気が弱く二つのことを同時に進行させる器用さを持たないがためにいつも「口だけ」になってしまうケンドリック。だがこの二人の共通点は周りの者に対し素直であること(これは良い意味でも悪い意味でも素直だと言う事で決して長所ではないのも共通点)、この性格によりアンはこの二人の「父親」から一定の愛情を受け取ることになった。いずれにしろこういう男だからこそ一緒に暮らす妻がああなってしまうというのも何となく理解できるし、もちろん逆も理解できる、こういう難しい関係の夫婦を上手に描いたと思う。
 主人公アンは「赤毛のアン」序盤の性格が信じられないような穏やかな性格で始まるが、特にハモンド家と孤児院での生活で心の余裕を無くして次第に疲弊してああいう性格になるというのを上手く再現したと思う。台詞回しは「赤毛のアン」のそれを上手く再現していて、このまま「赤毛のアン」に繋がる物語として違和感のない仕上がりだろう。
 それと印象深いのはエッグマンとヘンダーソン先生、この二人も対照的な二人として描かれているのは面白い。言うまでもなく落ち着き払っているエッグマンと、慌て者のヘンダーソン先生という関係だ。この二人が夫婦として落ち着くという展開はちょっと予想外で、恋愛沙汰になっても結婚まで話が進まないのではないかと予想していただけに、意外な結末に驚いた。
 毎度お馴染みの名台詞欄登場回数。今回はアンの圧倒的勝利と言って良いだろう。この10/39という名台詞欄登場回数はこのサイトで今までトップだった「赤毛のアン」のアンを抜いて堂々のトップ、遂に名台詞登場頻度が3話を切ったという程の高頻度である。もし前半の勢いでアンが名台詞欄に出続けていたら、もっと凄い結果になったはずだ。
 2位のバートは予想通り、この「父親」は要所で印象深い台詞を吐いて多くの視聴者の印象に残っているはずだ。そしてジョアンナとエッグマンの同率までが、上位と考えて良いだろう。
 この欄で意外なのは、5位の殆ど事実上1パートでしか活躍していないキャラで占められていること。ミントン、ミルドレッド、マクトゥガル、テッサ、カーライルという登場回数が限られているキャラでも、名台詞欄に2度載っていると言う点だ。メアリズビル編からはこのような一時的なキャラを中心にした物語が多く、中でもミルドレッドやテッサについてはアンから主役をもぎ取るような物語まで演じている点が理由であろう。
 最も印象に残った台詞は、バートの23話での台詞。この鬼気迫る演技でバートが印象に残った視聴者は多いことだろう。

名台詞登場頻度
順位 名前 回数 コメント
アン 10 「赤毛のアン」の時も書いたが、主人公の上おしゃべりで台詞が売りの少女だから当然の結果だ。「こんにちはアン」のアンの台詞の中では、物語の本筋から離れているが12話の台詞は「0のかけ算」を小学3年生の娘がキチンと理解したという点もあって印象に残った。
バート トマス家の主は物語の要所で良い台詞を吐いて印象に残った。中でも23話での息子のためなら何でもするという彼の叫びは、ダメオヤジだった彼の変化を具現するもので好印象だ。
ジョアンナ バートの妻もアンを怖がらせるだけでなく、ちゃんとそれなりの台詞を吐いている点は注目に値する。そんなジョアンナの台詞で印象に残っているのは、20話のもの。ジョアンナらしい台詞であるばかりでなく、厳しい現実にガツンと殴られたような衝撃を受けた人も多かろう。
エッグマン アンの心の師とも言うべき存在、最初は堅いしゃべり方だったがすぐに普通のしゃべり方に変化した。エッグマンの台詞で最も印象に残ったのは11話のもの、このサイトでの方針が認められたみたいで嬉しかった。
ミントン 「世界名作劇場」シリーズのナレーターは登場人物の心境説明の役割が大きいが、「赤毛のアン」では「愛の若草物語」のエイミーと同様物語の進行役としての役割が強い。一番印象に残ったナレーションは18話次点欄のもの、視聴者を物語に引き込むという意味で優れた解説だ。
ミルドレッド 当初は「小公女セーラ」のラビニアみたいな役回りだったが、いろいろあってすぐにアンと心を通わす友人となる。17話の台詞では短い何の変哲のない台詞に、しっかり「思い」が込められていた感心した。
マクドゥガル この物語を彩った先生のうちの一人、終盤でアンの「未来」を暗示するために出てきた。31話でアンに「誰もが夢を見ていいんだ」と訴えた台詞はじーんと来た。ハモンド家編にもうちょっと話数があれば、もっと活躍できたろうに。
メーテル 物語の要所で的確な解説を入れてくれた。最終回の最後の解説は「ここが物語の始まり」という事を強調しているのがよかった。また32話の解説はアンの悲壮感をうまく訴えていてこれぞ名解説と思った。
テッサ 孤児院編において、色んな意味でアンと比較対象として出てきたキャラでもある。親を知っているか記憶に無いか、孤児院脱出のチャンスに恵まれたかそうでないか…。35話で強くなると決意し、成長を見せてくれた彼女の姿に励まされた視聴者もいるはずだ。
カーライル 「小公女セーラ」のミンチン院長ばりの冷徹な院長、正直者を尊ぶという姿勢は生徒だけでなく部下の先生達に対してもそうだった。38話で過去を語る台詞は色んな意味で感心した。そして名場面欄として挙げたアンに「楽しいプリンスエドワード島行き」を告げる台詞も良かった。
ランドルフ メアリズビルの学校でアンをいじめていた生徒の中で、最初にアンの手中に落ちたのがこの男の子。父親の背中を見て父親のようになりたいと思ったことを、素直に父親に言えない苦悩を見事に演じた。
ヘンダーソン先生 「世界名作劇場」中、面白い先生としては1・2を争うことになるだろう。16話のエッグマンへの皮肉はもうサイコー。
フォーレス トマス家の長男だが、その自覚と誇りに目覚めるのに時間が掛かった。その瞬間の25話の台詞は、それまでのフォーレスとは違う何かが見えててよかった。余談だがフォーレス担当の声優さんは「こんにちはアン」の直前の番組でも声優として主演していたので、日によってはあの声を1時間連続で聞かされていたわけで…。
ハガティ アンがハモンド家にやってきて、すぐ産婆として出てきたときから「こいつは一発屋じゃないな」と直感した。29話の台詞は考えさせられた、人に何を言われても必ずそこから得るものがあるから謙虚になれという教訓だろう。
ケンドリック ハモンド家の主という大事な訳の割に、出てきた回数が少なかったようにも感じる。30話では彼が主役級の活躍をするが、そこで見せた男の意地は見るものがあった。この人ももうちょっと話数があれば…。
ケール 「小公女セーラ」のアメリア先生を彷彿とさせる先生だが、生徒のことはよく見ている優しい教師だ。34話の長い台詞にそれが現れているだけでなく、人に助けられる大事さを語っている。

・追加考察
 「こんにちはアン」完結版について
 2011年に製作された「こんにちはアン」の総集編。

「あにめの記憶」過去作品6 「世界名作劇場 赤毛のアン」に続く

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