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第21話 「最後の言葉」
名台詞 「人に愛されるには、まず自分が人を愛さねば…。ペリーヌ、お母さんには見えますよ。あなたが幸せになった姿が。幸せに…」
(マリ)
名台詞度
★★★★★
 この台詞が出てくる詳しい状況は名場面欄に書いているが、サブタイトルになった「最後の言葉」というのはまさにこの台詞を指しているのだろう。
 マリはペリーヌの母として「愛」を具現し、その中に貫かれていたひとつの真理がこれである。この真理を死ぬ前に何としても娘に伝えたかった事であろう。同内容の台詞は10話でも出ているが、ここでは台詞が出てきた状況からいってとても印象に残る事だろう。
 そしてこのマリの「最後の言葉」こそが、「ペリーヌ物語」後半戦のスタート地点である。まだ話数では折り返し点に達していないが、ここから一人で生きてゆくペリーヌの物語はこの言葉を実行する物語でもあると言えるだろう。もちろん、この台詞が出たからと言ってすぐに後半戦の物語が始まるわけではなく、そこまでまだ数話を要するのだが。
 この母の持つ「愛」についての真理は、多くの人の心に残っていることだろう。文句なしの★×5の名台詞であるはずだ。
名場面 マリの最期 名場面度
★★★★★
 深夜、唐突にマリが目を覚ます。そして枕元にいるペリーヌに声を掛け、身体を起こすように強く命じる。そして、自分の言うことをしっかりと聞くように娘に言い聞かせる。「お話なら明日でも…」と口を挟むペリーヌに、「おかあさんにはもう時間がないの、どうやら神様に召される時が来たようです」と正直に語る。驚きのあまり大声を上げ泣き崩れるペリーヌを制止して、最後まで話を聞くよう言い聞かせる。その内容はもう自分はダメだから一人でマロクールへ向かうこと、ハンドバックの中にある結婚証明書が、祖父に対してペリーヌの身分証明として必要だと言うことを語る。「そんなことをしなくても…」と言うペリーヌに、母は静かに語る。祖父はペリーヌを歓迎しないであろう事と、その理由として自分がエドモンと結婚する事になった経緯と、それによってエドモンと祖父が仲違いをした事実を語るのだ。驚くペリーヌにさらに続ける、夫が決めたことだから自分がどんな扱いをされてもペリーヌをマロクールに連れて行きたかったと。「嫌です。私は、お母さんと一緒でなければ絶対に嫌です」と絶叫するペリーヌに、「でも、もう心を煩わせることはなくなったわ。マロクールに行くのはあなた一人なんですから」と告げる。「お母さん!」また絶叫のペリーヌに、「お母さんはあなたを素直で正直な子に育てたつもりよ。あなたはみんなに愛される子になって欲しいの。おじい様も初めはあなたに冷たく当たるかも知れないけれど、そのうちにあなたが素直で正直な子と解って、好きになってくれます。お母さんはそう信じています」と語る。と思うとマリは急に苦しみ始める、立ち上がるペリーヌ。マリは苦しみながらも「(名台詞欄の台詞)」を語る。「お母さん!」ペリーヌは絶叫して母の胸に飛び込む。そして「幸せになりますよ、ペリーヌ…」と呟いたと思うと、マリは動かなくなる。「お母さん!」叫ぶペリーヌ、何が起きたかを悟ったペリーヌは泣き崩れる。そしてその声を聞いた隣人達が、部屋の中に入ってくる。ペリーヌの肩を抱くカロリーヌ、そっと祈りを捧げるガストン。
 数話前から予想されていた「悲劇」が遂に来てしまった。静かで暗い夜のシーンとして描かれたこのシーンは、私が詳細な解説をするまでもなく「ペリーヌ物語」の名場面の1つであり、物語中盤最大のヤマ場であろう。
 そしてこの瞬間から、「ペリーヌ物語」はこれまでに無かった新しい物語がスタートする。それはペリーヌが祖父からの愛を受けるための戦いであり、そのためのサクセスストーリーはここが起点なのだ。


  
今回の
迷犬バロン
 
 ペリーヌの母の死期が迫っていることをバロンも感じていたのだろう。馬車の床下に据え付けられた犬小屋で寝ることは選択せず、シモンが飼っている子犬たちの寝床に潜り込む。マリの死はバロンにとっても悲しい事なのだ。
気まぐれ度
感想  「世界名作劇場」シリーズの華である「主人公と肉親の別れ」が、ここでは急がず焦らず丁寧に意味を持って演じられたと思う。ここは現実的な病人の死と比較するようなヤボなことはしてはならない、彼女が最後の最後に「人に愛されるには自分が人を愛さねばならない」という言葉を残すことに意義があるのだから。「完結版」でもこのシーンは回想として挿入されているように、この台詞が無いと今後の「ペリーヌ物語」のストーリーが成り立たなくなってしまう。
 だが今話はマリが絶命するだけで話を止め、それに対するペリーヌや周囲の人々の反応を次話に回した。これは「世界名作劇場」シリーズで重要人物の死が描かれた時の王道的パターンで、「死」と「周囲の反応」を明確に分離して描くことで話を分かり易くしていると言えよう。今回もその例に漏れていないと言うことだ。
 しかしサンドリエ先生、マリがヤバイって娘に言えないのは解るけど、それを「赤の他人」に言うかなぁ…? まあ「マリがヤバイ」という事実は何らかの形で視聴者に伝わらないとここは盛り上がらないから仕方が無いんだけど…確かにペリーヌにそれを告げたら、ペリーヌが狂乱して話が回らなくなってしまうだろう。こうするしかないのは脚本的にも難しい判断だったろうな。
 そして「マリの死」をきっかけに、物語はいよいよ「ペリーヌ物語」の本筋として幕を開く。いよいよ物語はペリーヌとビルフランの「愛」を巡る戦いへと舵を切り出すのだ。その前に「マロクール上陸作戦」が待っている。ここの旅路もキツいぞ。
研究 ・ 
 

第22話 「忘れられない人々」
名台詞 「おいおいみんな、何て事言うんだ? ペリーヌみたいな娘に冷たくするような親戚があるもんか? あんたみたいな娘を好きにならない人間はいやしないよ。お行き、ペリーヌ。幸せになるんだよ。」
(シモン)
名台詞度
★★★★
 シモン荘の面々とペリーヌの別れの時が来る。各々別れの言葉を掛ける中、カロリーヌは
愛用の帽子をペリーヌにプレゼントしながら、「もしもおじいさんがあんたに冷たくするようなら、私のところに戻っておいで。商売を手伝ってくくれば何とかやっていけるから」と声を掛ける。「飴屋も悪くないぞ」と飴屋も声を上げる。するとシモンがこう力説して、ペリーヌとの別れの言葉とするのだ。
 この台詞にはシモンのペリーヌに対する想いというのが強く込められていて、とても良い台詞だと思う。「あんたみたいな娘を好くにならない人間はいやしない」というのは、シモン当人の実感であり今の思いそのものだろう。これはお世辞などでなく、彼の人生経験そのものから来ていると思う。ペリーヌのように実直で真面目で、そして何よりも人を疑うことなく好きになれ、その上動物にも優しい人間を嫌う人がいるはずがないと、彼は心から思っているのである。
 そしてこれは「安心して祖父の元に行きなさい」というエールであり、不安な旅に乗り出すペリーヌの背中を強く押す一言であったはずだ。そして何よりも、例え見えないところからでもペリーヌを見守ろうという気概を感じる事が出来る。
 パリ編で物語を彩ったシモンの、「父性」を感じるとても印象的な台詞だ。やっぱ波平さんはこういう台詞が合うなぁ。
名場面 別れのあと 名場面度
★★★★
 汽車の時間に追われていることもあり、ペリーヌはシモン荘の人々と別れを告げるとすぐ走り去ってしまう。ペリーヌは一度だけ振り返り、シモン荘の人々をもう一度確認したと思うと、角の向こうに消えていった。
 ペリーヌが見えなくなると、最初に「あーあ、行っちゃった」と声を上げたのは「公爵夫人」ことカロリーヌであった。続いてシモンが「お前さん達、今日は仕事どうするんだい?」と一同に声を掛ける。「なんだか今日はやる気がしないよ」とカロリーヌが返答すると、シモンは「よかったらどうだ? 今日はわしんちで一杯付き合わないかね? こんな日は酒に限るぜ」と提案する。予想外の言葉に驚く一同、「それはシモン爺さんのおごりかい?」と問うたのは飴屋であった。「そうだよ」シモンが返答すると、一同口を揃えて「本気かい?」と声を上げる。「なんだいその顔は? お前さん達ぶどう酒が好きなんだろ?」と言い残して歩き去るシモン。「私、シモン爺さんがこんなに良い人だなんてほんと知らなかった」とカロリーヌ、「さすがパリっ子!」と飴屋、「奇跡が起こったんだ!」とガストン。
 このシーンでは普通の物語なら余り語られることのない、主人公と最後の別れをした直後の人々の様子というものがしっかり描かれている。まず最初はその人々に強い印象を残した主人公が消えた事による「喪失感」を上手く再現する。それをキーにしてある方向…つまりシモンの奢りで呑むという方向へと皆の会話を導き出す。そしてそれによって「喪失感」が消え、皆が画面から消えて行く様子へと流れて行くのだ。
 このシーンには2つの効果がある。ひとつは主人公と別れた事による「喪失感」の演出と、それから立ち直る彼らの様子だ。このシーンを見ているだけでシモンの家での楽しい呑み会の様子が思い浮かんで来るではないか。主人公と別れた「喪失感」を埋めるために彼らは「酒」を使い、ペリーヌとの短い思い出を肴に呑んだことで「喪失感」を乗り越えて日常生活に戻っていったことが上手く表現されたと思う。
 もうひとつが、シモンという人物の変貌だ。事前にそういう設定付けがされていなくても、ここでのやり取りだけでシモンが決して自分の奢りで他人と酒を呑む性格でなかったことは誰にでも理解出来る。それはここまで彼の強欲ぶりやケチぶりがキチンと描かれてからこそだ。そのシモンがみんなに酒を振る舞うようになってしまうほど、ペリーヌとの出会いは印象深かったことがキチンと再現される。これは名台詞欄とセットだ。
 今話の名場面というと、マリの葬式やペリーヌのパリからの出発が思い浮かぶ人が多いと思うが、私はこのシーンが最も印象に残っている。
  
今回の
迷犬バロン
  
 キセルはいかん!
気まぐれ度
★★
感想  「ペリーヌ物語」の第一章は今話で終わりと言っていいだろう。父の死から母の死まで、ボスニアからパリまで、「母との二人の旅路」という物語に終止符を打ち、その物語を整理して新たな「一人での旅立ち」までで一区切り出来る。そしてペリーヌは17話でパリに到着して以来久々に前進を始める。だがこの前進は祖父に愛されるために一人だけで踏み出した第一歩であり、これまでの旅とは大きく違うのだ。
 前話の「マリの死」という物語のヤマ場を受け、今話は当然のようにマリの葬式から始まる。ここはペリーヌ一人の悲しみとして描き、それ以外の人物はあくまでも「同情」のみを上手く描いた。シモン荘の人々もマルセルも、マリの死を悼むと同時にペリーヌとの別れをもっと辛いこととして感じ、ペリーヌの主人公としての人望がちゃんと描かれたことで「今後」の展開に説得力を持たせるようになっていると思う。シモン荘の人達との別れはちょっと盛り上げすぎた感もあるけど、名場面欄シーンの存在によって白けることはなかった。あのシーン無しで唐突にシモン荘の人々が消えるようだと、白けたと思う。
 それとマルセルとマルセルの父が「葬式に間に合わない」と慌てているシーンは邪魔と感じた。彼らが忙しいなか来たという印象付けをしたかったのは解るけど、あれは余計だったと思うなぁ。葬式会場を見つけてはしゃぐマルセルを見て「そりゃないだろう」と思ってしまった。でも、不満点はそれだけであとは後味の悪くない好印象な展開だったと思う。
 そしてラストのペリーヌとマルセルの別れの盛り上げ方はなかなかうまくいっていると思う。マルセルが走って見送るのは、バロンの受け渡しのためであろうがそうでなかろうが今回は正解だろう。ただペリーヌが乗っていた車両が大問題だ、よく観察すると三軸ボギー、つまり1つの台車に車輪が3つある台車だ。この台車はエアサスが無かった当時としては乗り心地を良くする最高のやり方で、一等車などの高級車に採用される方式である。え? ペリーヌが乗ったのは一等車…そんなお金があったらバロンを無賃乗車させることはなかったはずだし、ピキニまで三等車で行ってからさらに辻馬車を借りてマロクールに行く事くらい出来たと思うぞ。また野暮な事を書いてしまった。

・鉄ヲタの方には、ペリーヌが載っているこの車両がとても高級なのがお分かり頂けるだろう。
研究 ・ 
 

第23話「ひとりぽっちの旅」
名台詞 「マロクールなら俺、行った事がある。でっかい織物工場のある景気の良い街だ。あの工場の持ち主はビルフラン・パンダボアヌ様といって、この辺りまで聞こえた偉いお方だ。」
(西瓜農家の弟)
名台詞度
★★
 全財産をパン屋にだまし取られ、失意のペリーヌは街の外れの西瓜畑で泣きながら寝てしまう。そこへ夜間の畑の番人である農家の兄弟が現れ、ペリーヌを西瓜泥棒でないかと疑う。疑われたペリーヌは事情を説明する、インドから来たこと、インドがずっと遠い東の国であること、両親と三人で旅に出たこと、その両親が旅の途中で生命を落としたこと。農家の兄弟はそこまで聞くと「それは可哀想に…」とペリーヌに同情した上で行き先を聞く。その返事とし兄弟の弟の方がこう答える。
 この台詞はペリーヌの「行き先」がハッキリする最初の台詞だ。ここまで語られたペリーヌの行き先は「マロクールの祖父の元」というだけで、その詳細…つまり街についてや、祖父がなんで金持ちという前提なのかは語られてこなかった。祖父がマロクールで何らかの事業をやっていることだけは語られたが、それがどんな規模でどんな仕事なのかはここまで語られてこなかった。
 その詳細が始めてハッキリしたのである。祖父の事業がかなり大きな織物工場であり、150キロも離れた地にその名声が轟いていること。そしてなによりも、祖父の名が「ビルフラン・パンダボアヌ」であることがハッキリと解る。ペリーヌの…いや、物語の行き先がここにハッキリ明示された印象深い台詞だ。
 さらにこの台詞の続きで、ペリーヌは「そのビルフラン様はお元気なんですか?」と尋ねる。返答は「マロクールで大きな葬式があったと言う話は聞いていないから元気と思う」というものであった。つまりペリーヌの祖父であるビルフランは健在で、マロクール到着後にペリーヌが祖父に受け入れてもらえるかどうかと言う問題があることも明確にされる。色んないみで物語の行く末を示唆するものだ。
 この台詞は、あのマスオさんだ。この人の声も本サイトの解説で良く聞くなぁ。
名場面 ペリーヌ全財産を失う 名場面度
★★
 バロンも自分も腹を空かせているという現実には逆らえず、ペリーヌは街にあるパン屋に立ち寄ってパンを購入することを決めた。店内に入りお店のおばさんに「そこにあるパンを1斤ください」と言うと、おばさんはペリーヌを疑いの眼差しで見たかと思うと「あんた、お金を持っているのかい?」と問う。「はい」と全財産である5フラン銀貨を差し出すと、おばさんはその銀貨をまじまじと眺めたかと思うと銀貨を叩きつけ「なんだい、これは?」と怒鳴り返す。「5フラン銀貨です、私の全財産です。どうか晩ごはんのパンを1斤下さい」とペリーヌは訴えるが、おばさんは「お前なんかにやるパンなんかあるもんか! とっとと出てお行き!」と怒鳴り返す。「あの、私何か気に入らないようなことをしたのでしょうか…」と不安な表情で問い直すペリーヌだが、「まごまごしていると警察を呼ぶよ」と怒鳴り返すだけだ。「どうしてですか?」とあくまでも落ち着いて聞くペリーヌに、「お前が泥棒だからだよ」「こんな偽金使おうったって、私の目は節穴じゃないんだよ!」と怒鳴り返す。「えっ」と返すことしかできないペリーヌ。おばさんは店の扉を開いて「さっさと出てお行き!」と繰り返し怒鳴る。ペリーヌはここではパンを買えないと判断し「お金を返して下さい」と訴えるが、おばさんは「よそで使おうっていうのか、図々しい!」と怒鳴られてしまう。「お金は証拠に預かっておく、あんまりぐすぐずしているとお巡りさんに来てもらうからね!」と声を張り上げる。いつしか店の前に人垣ができていて、「あの娘が盗みを働いたらしい」と話が出来上がってしまっている。さらにおばさんが「さあどうするんだね? お巡りさんを呼ぶかとっとと逃げるか?」と突き付けると、ペリーヌは耐えきれなくなり走って逃げる。
 もう、パン屋のおばさんことマルガレータの酷さがとても印象に残って、見ているだけでこのおばさんをぶん殴りたくなるような見事なシーンに仕上がったと思う。当サイトではケイト・ポップルやマリー・モレルでお馴染みの吉田理保子さんが憎まれ訳に徹し、手加減無しに徹底的に悪人を演じてペリーヌをいじめてくれたからこそこのシーンは盛り上がった。吉田理保子さんは、本サイト考察作品では2連続で悪人役って事だなぁ。
 結果的にはこれはおばさんによる詐欺で、今後の展開でペリーヌがこの銀貨を取り戻すことになるのだが、このシーンは今話の展開だけでなく「少女の一人旅」という現実に対する不安をかき立てているのは確かだ。ペリーヌはこれから本当に一人で大丈夫なのか?という不安を視聴者に植え付け、次に「助け」が現れるまでの展開を「持たせる」という役割があるのだ。
  
今回の
迷犬バロン
  
 ペリーヌと西瓜農家の兄弟が笑い合っている中、バロンだけが周囲の「異変」に気付く。そして真っ暗なはたけに向かって吠えながら走り出す。西瓜泥棒を発見し、西瓜の番をしている兄弟に泥棒の存在を知らせ、被害を未然に防ぐという大金星を挙げた。この協力があったからこそ、兄弟はペリーヌがだまし取られた銀貨を取り戻すことに真剣になってくれたのだろう。
気まぐれ度
★★★★★
感想  いよいよ物語は新展開、ペリーヌが目的地を目指して一人で始動する。今話最大の存在理由は名台詞欄に示した通り、ペリーヌの「行き先」をハッキリさせることであろう。ペリーヌの目的地は漠然と「マロクールに住む祖父のところ」とされていたが、今回はその祖父がどれだけの人物かと言うことが明確になるという点は名台詞欄に書いた通り。それ以外の展開は、言ってしまえば「おまけ」だ。
 だがペリーヌがパン屋でお金をだまし取られるシーン(名場面欄)は多くの人の印象に残ったことだろう。ペリーヌが全財産を失うだけでなく、ここは彼女一人での物語に不安を感じさせるために重要な点である。このパン屋でお金をだまし取られるエピソードは原作踏襲と言うから驚きだ、しかも原作ではお金を取り戻せなかったらしいし。
 その原作エピソードを利用して話を膨らませ、名台詞欄に挙げた台詞を引き出すというやり方はさりげなくて良いと思う。これがあの大工場が突然ばーんと出てきたら、ペリーヌが本当にここでいいかどうかと悩むシーンを入れねばならないし、かといってナレーターが思い出したように語るには完全に時機を逸していてわざとらしくなってしまう。祖父の名はビルフラン、巨大な工場の経営者という情報は主人公にとっても視聴者にとっても必要だが、それを示唆するにはうまく物語に組み込むしかなかったのだ。
研究 ・ペリーヌの鉄道旅行
 劇中で描かれるペリーヌの旅行中、唯一鉄道を利用するのが今話である。鉄道好きとしてはここは避けて通るわけには行かないので当然研究対象である。ではペリーヌの鉄道旅行を徹底的に考えて見よう。
 とは言っても、ペリーヌが鉄道に乗るのはほんの僅かである。劇中ではパリの街を出る時に僅かに利用しただけ、今話の描写から1時間程度の乗車でしかないことはハッキリ解っている。乗車駅は劇中でパリ北駅からの乗車が示唆されているし、描写もパリ北駅のそれそのものであるので断定出来るだろう。今話の下車駅はペリーヌと車掌の会話から「シャペル」駅であることはハッキリしている。これは深く考えるまでもなく地図に書ける…と思って調べてみたら甘かった。
 問題はペリーヌの下車駅の「シャペル駅」であった。シャペル駅はパリに確かに実在するが、その場所はペリーヌが汽車に乗ったパリ北駅からわずか2キロ北の場所。これでは劇中のシーンと辻褄が合わない、なにせ今話ではペリーヌが1時間汽車に揺られたことがハッキリしているからである。2キロ北へ行くだけで1時間も掛かるのでは、歩いた方が速い。
 という訳でパリ近郊の北側に、別のシャペルという地名があるか調べてみたが、これも空振りに終わる。すると「ミロード村」同様にこれを推測するしかない。この推測結果がこの地図である
 「1」地点がパリ北駅、「2」地点は現実のシャペル駅の位置である。これは近すぎるというのは誰の目にも明かだろうそこでペリーヌの目的地と、劇中から想定される乗車時間を勘案して、ペリーヌ下車駅である架空の「シャペル駅」の想定位置が「3」地点だ。
 これはマロクール村の最寄駅とされるピキニ方面へ向かう鉄道路線である。同時にペリーヌの乗車時間を1時間ジャストとした場合に導き出された位置が「3」ということだ。当時の鉄道は速くても時速50キロ位と考えられるから、平均時速30〜40キロ程度とすれば1時間余りの乗車で35〜40キロ程度行ける。その範囲内にある比較的大きい駅を下車駅に選んだわけだ。
 この街が劇中では「シャペル」という名前の街に代わり、ペリーヌが全財産をだまし取られたり、西瓜農家の兄弟とのふれあいがあった場所のはずだ。ここで西瓜かとれるかどうかは知らないが、そう考えるしかないのが実状なのだ。

・今回までの旅程
パリ〜「シャペル駅」
移動距離 38km
合計(ダッカから) 12945km

第24話「美しい虹」
名台詞 「さあ、バロン。このお金で食べ物をありったけ買いましょう。そしてお前と私で、お腹が破けるまで食べましょう。行こう! バロン!」
(ペリーヌ)
名台詞度
★★
 今話冒頭、ペリーヌはまたもほぼ全財産を失った。代わりに手にしたのは花束ひとつ。失意のうちに近くの村までやってきたペリーヌの前に突如若い男が現れ、ペリーヌを花屋と勘違いして花を売ってくれと言う。花が40サンチームで売れるとペリーヌは「神だ」と喜び、次に神に感謝の祈りを捧げ…こう言ってバロンに声を掛けて走り出す。
 もちろん、この程度のお金で食べ物を腹一杯食べることなど出来ないのは視聴者も理解出来ることだろう。恐らくではあるがペリーヌ劇中世界では1フランで1000円程度、40サンチームはせいぜい400円程度ではないかと推測される。仮にそのお金で腹一杯食べることが出来たとしても、それは「無計画」の誹りを受けても仕方が無い。もちろん、この直後にパン屋に着いたペリーヌはその現実に気付いて、3日前のパンを安く売ってもらう方針に変更する。
 だがこの台詞の役割はそこではない。このペリーヌの喜びで描くことで、ペリーヌの旅がギリギリまで追い詰められてしまったことを示唆しているのだ。それによって麻痺してしまっている金銭感覚と計画性、40サンチームと5フランが同額と錯覚してしまっているのだろう。正常な判断力を失ったペリーヌを描くことで、嫌でも視聴者は不安を感じるしかない。そんな台詞だ。
名場面 猛暑 名場面度
★★
 ペリーヌの旅で一番辛いのはこの辺りだろう。炎天下の街道、木陰になりそうな木もなかなかない、さらに何よりも水を飲み尽くしてしまい生命からがらの旅は嫌でも続く。こんな辛い旅の描写が多くの視聴者の印象に残っているはず。私も小学生時代にこの猛暑シーンを見たことをハッキリ覚えている。
 そしてさらに、川を見つけたと走っていったら涸れ川だったり、農家の井戸から水を拝借しようとしたら番犬に吠え立てられたりと、ペリーヌはここでさんざんな目に遭う。「母を訪ねて三千里」ならこの話、「ポルフィの長い旅」ならこの話と同じ位辛い話だ。もちろん、どちらもこの後主人公が倒れて救われる展開を取るが、ペリーヌもまた同じ展開が待っているとはまだ予想だに出来ない。
  
今回の
迷犬バロン
  
 今話冒頭でバロンが「やっちまう」ってとこだろう。畑の中に野ウサギを見つけ、よせばいいのにペリーヌが目を話した隙にそれを追ってしまうのだ。農家の温室を破壊し、主人に見つかるとペリーヌの後に隠れるちゃっかりさ…いずれにしろバロンのせいでペリーヌは全財産の大半を失ってしまった。
気まぐれ度
感想  前後半で話がハッキリと分かれた。前半は前話のようにペリーヌの手持ちの財産がまた消える話だ。だが今話では容赦はない、全額戻って来るような甘い展開にはせず、ガチでペリーヌはほぼ全財産を失う。それも今回はバロンの悪戯と、ペリーヌの責任感が原因だ。また農家のおっさんにお金を払った後、ペリーヌが「弁償しなくて良い」という言葉に甘えれば良かったと後悔するところが年相応の少女らしくて良い。なけなしのお金でバロンが壊した物を弁償しても、言葉に甘えて弁償を回避しても、結局どちらも後悔するというストーリーを選んできた。だからこそ、その後に出てきたブライト・ノア艦長ペリーヌから花を買った青年が神に見えるし、このお金の差し引きを通じてペリーヌが追い込まれるところまで追い込まれたことを描いたという点は名台詞欄で語った通りだ。
 そして後半は物語の様相が一転する。第三者の関わらない本当にペリーヌとバロンの一人と一匹だけの旅へと変化するのだ。そこでは過酷な気象条件を描き、今度はペリーヌの体力が消耗して行く事が描かれる。もちろんこれは次に「助け」が現れる伏線でもあるが、この辛い旅が印象に残っている人は多いことだろう。
 そしてそのオチとして、突然の夕立とそれによる水の枯渇問題の解決。同時に夕立によって身体が濡れたことが示唆される。後者はペリーヌの体力的にも良くないことは誰にでも理解出来るが、最後の最後でサブタイトルになった虹が出てきたところで、その大問題が頭から消えてしまうと言う凄い展開だ。
研究 ・ 
 

第25話「パリカール!私のパリカール!」
名台詞 「とうとう、ペリーヌは最後の銅貨を、パン屋で使ってしまったのでした。おじいさんの住むマロクールの村まで、あと3日は掛かるはずです。無一文のペリーヌはこれからどうするつもりなのでしょうか? でも、挫けないようにペリーヌは後の事など考えないようにしたのです。」
(ナレーター)
名台詞度
 いよいよペリーヌに下される「無一文」宣告。最後の銅貨で売れ残りのパンを買い、ペリーヌはここに財産を全て失ってしまう。18話から始まった「消耗戦」の結果は、ペリーヌは敢えて口に出さず、ナレーターに語らせる形となった。
 今話の始まりは全てこのナレーションであろう。様々な事件によって狂った資金計画、そしてまだまだ長い旅路、本当にこれからどうするのか視聴者が最も気になるところである。
 そしてペリーヌがこの事態に対して何も考えていないのは明白だ。4個しかない最後のパンのうち、もう2個もこのシーンで消費する。今後の旅程を考えればペリーヌとバロンで1日1個でないと持たないだろうに…。
 そして、案の定始まる前回以上の辛い旅。もうペリーヌは行き倒れるしかない、この明るい解説がこの事実を視聴者に突き付け、見ている者を物語に強烈に引き込むのだ。
名場面 パリカール再登場 名場面度
★★
 遂にペリーヌが倒れる。この緊急事態にバロンが立ち上がる。街道を行く馬車を止めようと吠え、街道沿いの農家の主婦に来てもらうよう裾を引っ張り、近くの街で人々の裾を引っ張るが…どの人にも薄汚い野良犬扱いされてしまい、ペリーヌを助けてくれそうに人に出会えない。
 それでもバロンは負けずに助けてくれる人を捜すが、そこである「匂い」に気付くのだ。その「匂い」を辿ってみると…そこにはかつて生活を共にしたロバ、パリカールの姿があったのだ。
 バロンが吠えるとパリカールもただならぬ事情を察したらしく、現在の飼い主であるルクリの制止を振り切ってバロンの後を追う。すると森の中に入って行き、そこに倒れている前飼い主のペリーヌを発見するのだ。パリカールがペリーヌの頬に鼻を当てると、ペリーヌは目を覚まして驚き、「パリカール…」と小さく声を上げる。そしてペリーヌは病で重い身体を起こすと、感動の抱擁である。と思うとペリーヌはその場に倒れ、パリカールを追ってきたルクリがそこへ駆けつける。
 「ご都合主義」などと言ってはいけない。これは病と資金難に苦しむペリーヌの問題が一気に解決する事を示唆するシーンであり、名台詞欄の疑問が解決するシーンでもあろう。それよりも最初からペリーヌとパリカールの絆をしつこく描き、視聴者に印象を付けておいたことでこのシーンが活きたと思う。もしペリーヌとパリカールが単なる飼い主とロバであれば、ここは盛大に白けただろう。
 ここは物語として見るより、アニメ的に見て感動的シーンと言えるはずである。現実ではあり得ないだろう犬とロバの連係プレーで助け出される主人公、その主人公も生死の境を彷徨っていてたあればなおさらだ。やっぱこういう動物の活躍シーンがあってこその、「世界名作劇場」シリーズだろう。
 

 
今回の
迷犬バロン
  
…ったく、どんだけ固いパンなんだ?
3枚目はおまけ。
気まぐれ度
感想  物語は前話の雰囲気を維持したまま、さらにペリーヌ達を追い込む。名台詞欄に記したように、物語冒頭でペリーヌは全財産を失い、その最期の金で買ったパンすらも計画的とは言えない食べ方をする。そして夕立、森の中での野宿の辛さが描かれて朝が来ると、ペリーヌがゴホゴホと咳き込み始める。そんな中でも何とかしようと沿道の農家に働かせてくれと頼むが、そうは簡単にいかない。そんなこんなで前話の状況が改善されないどころか、どんどん酷くなっていく様がこれでもかと言うほど描かれ、視聴者を不安に落とし込む。
 そしていよいよペリーヌが倒れる。ペリーヌが死に場所を求めてフラフラと森へ歩き出した時は、「ペリーヌ物語 おわり」と画面に出てきてそのまま完結してしまいそうだった。このまま終わったら「フランダースの犬」以上のバッドエンドだ、と思う頃を見計らって気まぐれバロンがパリカールとルクリを発見するという大金星を挙げて物語は解決。しかもペリーヌが抱えていた問題がほぼ解決されることが示唆されているのだ。
 語ることはこれだけの話なのだが、この描写がとても凝っていて、とても文章で語ることは出来ない重い話だ。私の考察では物語が持つ雰囲気や空気といったものは再現出来ない。これは是非とも皆さんに直接見て欲しい一話だ。
研究 ・ 
 

第26話「親切なルクリおばさん」
名台詞 「パリカールは本当に良いロバだよ。今になっておかしいけど、私はあんたから安く買いすぎた。もっと高く買ってやれば良かったと思ってたんだ。でもやっぱり神様はお見通しなんだね、ちゃんとあんたとまた逢うことが出来たよ。そしてパリカールを安く買いすぎた償いをさせてくれたのさ。だからペリーヌ、あんたは私に何も恩を感じる必要は無いんだ。その気持ちはあんたの叫ぶ声によ〜く現れているよ。商売が上手く言っているのもそのせい。ま、一緒にいる間は、私の娘になったつもりで気楽にしていておくれ。」
(ルクリ)
名台詞度
★★★★
 ペリーヌとルクリの廃品回収業をしながらの旅。ペリーヌは敢えて馬車に乗らず、パリカールと共に歩く。「こうしてパリカールと一緒に旅が出来るなんて夢にも思わなかった」とした上で、パリカールを引き取ったルクリがとても親切で安心したと語る。その返答としてルクリがペリーヌに語ったのがこの台詞だ。
 ここにルクリが過去に一度会って自分にロバを売っただけの関係でしかない少女を、病院に入院させたり、栄養のある食事を与えたり、仕事を手伝わせながら旅の同行をさせるといった至れり尽くせりの援助をした理由が良く語られている。ルクリはパリカールというロバに対して最初は余り期待していなかったのだろう、ところが実際に仕事で使ってみると期待以上の働きをしてくれたと感じたに違いない。それだけでなく前話で見せた前の飼い主に対する忠誠は、ルクリに驚かせただろう。恐らく、そのような忠誠心をルクリに対して見せたこともあったはずなのだ。そんなことが垣間見えてくる台詞だ。
 ロバの本当の値段なんて使ってみないと解らない、と言ったところだろう。ルクリは数日間パリカールを使ってみて、値段相応ではないと早くから感じていたのは確かだ。すぐにあの価格で買ったことを後悔し、申し訳ない気持ちでパリカールに働いてもらっていたのだろう。そこへその穴埋めをする機会が突如降って湧いた喜びと安堵がしっかり語られている感動的な台詞だ。
 そのてその偶然を他ならぬ神によるものと感謝し、これを活かすべくペリーヌに尽くすルクリの「思い」がキチンと描かれている。
 その上でここまでのペリーヌの働きを認め、上記の論以上の想いでペリーヌに接していくことになる事をも示唆している。この台詞を聞けばルクリが「ペリーヌを引き取りたい」(名場面欄)と言い出すのも時間の問題だと、多くの人が判断出来るはずだ。
名場面 ペリーヌとルクリ 名場面度
★★★★
 いよいよ、マロクールの近くまで到達する前夜、恐らくルクリの誘いでペリーヌは街の立派なレストランで食事をする。お腹いっぱい食べて幸せそうにペリーヌにルクリは切り出す、「このまま私と一緒にずっとこの商売を続ける気はないか?」と。驚くペリーヌにルクリは続ける、ペリーヌと一緒だと楽しいこと、ペリーヌの呼び声のおかげで商売が繁盛していること、これから一生懸命働けばお金を貯めることも可能であることを語る。そして「見ず知らずの親戚に頼るのも結構だけど、もし冷たく当たるようだと居づらくなるってこともあるよ」とペリーヌを諭す。
 ペリーヌは下を向いて考え込むが、やはり「おばさんの気持ちはとてもありがたいですが、やはり私はマロクールに行きます」と先に主文を言う。「パリカールとも一緒にいられるよ」と付け加えるルクリに、「おじい様に会うのは亡くなった父と母の言いつけなのでそれに背くことはできません」と断る理由をハッキリ語る。5秒の沈黙を置いて、ルクリは小さい声で「そうかい」と呟いてワインが入ったグラスを見つめる。「すみません、せっかくのご親切をお断りして…」と謝るペリーヌに、「なぁに、でもねペリーヌ、これだけは覚えておきなよ。親戚だからといって突然尋ねてきた貧乏人を温かく迎えてくれる人は、世間にはそうはいないって事をね」と語る。「それは解っているつもりです」とペリーヌが応えると、「いや、あんたのおじいさんはきっと良い人だろうさ、私も心からそう願うよ」と切り返す。そしてルクリが翌日の行程を語って「いよいよあんたとお別れだ」と言うと、ペリーヌは「おばさんに助けられたことは一生忘れません」と感謝を口にする。「私もあんたのこと、なかなか忘れられないだろうよ」とルクリがしみじみ語ると、唐突に翌朝のシーンになる。
 やはり、というか予想通り、ルクリがペリーヌを引き取りたいと言い出した。これには名台詞欄以外にも伏線はあり、ルクリがある客にはペリーヌが自分の娘だと言い切り、他の客には「本当の娘でなくて残念だった」と言われたりすることである。ルクリは自分の生活にないものとして、家族や子供といったもの、それがある幸せに目覚め、思い切ってペリーヌに一緒に暮らそうと言いだした。
 もちろんペリーヌの答えはNoだ。ここでYesと言ったら物語が終わってしまう(笑)。ペリーヌはルクリに対する恩やその人の良さ、何よりもルクリが自分を好いてくれるという気持ち以上に両親の想いを大事にしているからである。このシーンではその双方の気持ちが良く描かれている。特にルクリがパリカールまで餌にしてペリーヌを誘おうと必死になることや、本当に無理な願いだと解った時の表情が上手く再現されている。それ以上にルクリの性格を急に返ることもせず、無理だと解った瞬間に潔く諦めてペリーヌの幸せを願う姿も好印象だ。
 ここでペリーヌが、ルクリをして「引き取りたい」と思ったことは今後のマロクールの物語では重要な伏線でもある。ペリーヌの仕事ぶり、その性格、それらを見せつけることで「王」であるビルフランをそういう思いにさせねばならないという物語が行くべき場所が、ペリーヌ本人と視聴者に突き付けられた形だからだ。こういう意味でも、ルクリというのはとても重要な登場人物の一人だと、去年まで見ていた再放送で今話のこのシーンを見て感じたのだ。
  
今回の
迷犬バロン
  
 パリカールに尻尾で叩かれるという悪戯をされたバロンは、必死の報復をするが…逆にパリカールに吊るし上げられてしまう。それを見て笑うペリーヌに吠えて抗議だが…笑うペリーヌの気持ちはよく分かるぞ。
気まぐれ度
★★
感想  前話で倒れたペリーヌに病院に担ぎ込まれ、一昼夜入院したと見て良かろう。そして始まるルクリとの二人旅、ペリーヌが気に入ったルクリと、ルクリの仕事が「面白い」と感じたペリーヌがしっかりと描かれた後、名場面欄のシーンとなる。もちろんこれはペリーヌとルクリの物語としても大事な要素である上、今後の物語展開でも重要な伏線となる展開だ。そう、ペリーヌは誰が見ても「この娘が欲しい」と思わせる少女でなければ話が進まない。
 今話では「ペリーヌが見た夢」という形で、ペリーヌが決して母の死というショックから抜け切れていないことが明確に示唆される。同時にそれを胸にしまい込んで強く生きようとする姿を通じて、彼女が前向きな性格であることも上手く描かれているのだ。まぁ、親の死を引きずったとしても表面上は強く生きようとするのは、世界名作劇場シリーズの主人公共通の性格であるとも言えなくはないが。
 この母の死だけでなく、父も含めた両親の死という悲しみを胸に秘めている点も、マロクール到着前に強調しなきゃならなかった点の1つだろう。この胸に秘めた悲しみという要素も、今後の物語展開でビルフランと分かり合うためにはどうしても必要なものなのだ。今話はこれに名場面欄等で見せたペリーヌの性格という点も含めて、今後の物語展開に先駆けて印象付けておかなきゃならないことを一気に示唆した形となっていて、後になって「重要な話だったんだなぁ」としみじみ感じる物語のうちの1つだろう。もちろんそれを引き出すルクリの存在も重要だし、ルクリとの物語というのは避けて通れなかったわけだ。
 しかしルクリおばさん、ここで退場かと思ったらこのあともっと重要な局面で一度だけ出てくるんだよなー。
研究 ・ 
 

第27話「おじいさんの冷い顔」
名台詞 「お父さん、お母さん、私はとうとうマロクールにやってきました。でも、おじい様は今でも、お父さんのことを怒っているそうです。もちろん、お母さんのことも。そしてきっと私のことなど、何も考えてはいないでしょう。だから、私が孫のペリーヌだと名乗って出ても、きっと冷たい顔で「ああ、そうか」と言うだけでしょう。いいえ、孫だと認めてくれないかも知れません。お父さん、お母さん、私はおじい様に愛してもらいたいんです。そして、私もたった一人の肉親であるおじい様を愛したいんです。」
(ペリーヌ)
名台詞度
★★★
 マロクールに到着したペリーヌは、村はずれで偶然出逢った少女ロザリーからビルフランに関する情報を入手し、母から聞いた話が間違いでないことを知る。そして馬車で出かける祖父の厳しそうな表情を見て、名乗り出るのを躊躇う。その上でどうして良いのか解らず、マロクールの街を見下ろす丘の上で心の中の呟きとして語られる台詞がこれだ。
 長い旅は終わった、だがその先に待っていたのは安堵ではなくさらなる不安だ。いや、「マロクール」という土地を目指す旅は終わったけど、祖父に受け入れてもらうという次なる旅路が始まったことをペリーヌはキチンと認識している。でもそれだけなら、孫だと名乗り出るのを躊躇う理由にはならない。
 ペリーヌの目的は孫として財産や養育費を受け取る権利を得る事ではなく、今や最後の肉親であるこの祖父との「生活」である。生活のためには家族として受け入れてもらい、愛し愛されという行為が前提である。これこそが今ペリーヌが「最も欲しいもの」であり、遙々マロクールまでやってきた理由なのだ。
 だが今持っている情報の全てを統合しても、今名乗り出てもそれが得られないのは確かだという判断だ。きっと祖父は父や母に対する怒りを自分にぶちまけた上で、「血が繋がっている人間」としての最小限の事として金を渡されるだけに違いない。それはペリーヌが持つべき希望ではない。
 だからペリーヌは悩む。どうすればいいのかと。天国の両親にも問うてみる、どうすればいいのかと。このペリーヌの「悩み」が上手く出ている台詞だ。
 結局、ペリーヌは成り行きもあって偽名を名乗って、祖父の工場に工員として乗り込む事から始める。いずれにしろペリーヌに必要なことは「マロクールでの生活基盤を確立する」ことのはずだ。
名場面 フランソワーズとの出会い 名場面度
★★★
 ペリーヌはバロンが腹を空かせていることで自分も空腹に気付いたのだろう、そこで先ほど出会ったロザリーという少女の家が食堂だと聞いたので、そこを訪ねることにしたのだ。そのロザリーの家である「シャモニー」という食堂がなかなか見つからない。ペリーヌはたまたまそこを通りかかった老婆に道を聞いてみる、ところが老婆はペリーヌの顔を見ると、驚いた表情のままフリーズしてしまう。ペリーヌもその老婆の反応に驚くが、「あの…私の顔に何か?」と声を掛けると老婆は再起動して「これはどうもごめんなさい」と謝り、「それは私の家だよ」と言って案内を始める。歩きながらペリーヌの顔をちらりと見る老婆に、「さっき、どうして私の顔をあんなに見つめてたんですか?」とペリーヌは問う。すると老婆は「あんたにはどっかで逢ったような気がしたけど、歳のせいかどうしても思い出せないもんだから…」と返す。それにペリーヌがマロクールに来たのは今日が始めてと返答すると、「どうも変だね、前に確か何処かで…」と老婆は続ける。
 もう一目見ただけで、後にフランソワーズと名乗るこの老婆がペリーヌの父エドモンと何らかの関わりがある人物だと理解出来るだろう。この老婆がペリーヌの顔を知ってはずはないのだが、エドモンの顔をよく知っていてペリーヌが父親似(これは後に解る)だとすれば、ペリーヌの父の故郷に着いたという事を最も印象付けるのがこのシーンであると言える。
 そして視聴者は色々考えるだろう、この老婆がペリーヌとビルフランを結ぶ「何か」を持っているに違いないと。この老婆がペリーヌに対し「何処かで逢ったはず」とすること自体が、何らかの伏線であることを期待して覚え、記憶に残るようにしてあるのだ。
 そして、今話のうちにこの老婆の正体は解る。ペリーヌは父の育ての親、つまり乳母が「フランソワーズ」だと言うことを父から聞いて知っていたのだろう。この老婆こそがその「フランソワーズ」だと知った時は驚き、それを隠すために「同じ名の知り合いがいる」と誤魔化す。ペリーヌも視聴者もそこで気付いたはずだ、フランソワーズがペリーヌを始めて見た時の反応の理由を。
 だがフランソワーズはペリーヌの正体に気付かない。そう、歳のせいでペリーヌが誰に似ているのか、きっかけがないと思い出せないのだ。それを上手く示唆しているのが、このシーンだと感じた。
  
今回の
迷犬バロン
 
 バロンはマロクールという新しい街で、早速ロザリーの弟ポールと仲良くなる。左はポールに「変な顔しているな」と言われた時、ロザリーに「あんたの顔とどっこいどっこい」と言われた時の二人。初対面でそりゃないだろー。
気まぐれ度
★★★
感想  全53話中27話という折り返し点、つまり今話はちょうどど真ん中となる。そのちょうどど真ん中でペリーヌのマロクール到着が描かれた。そして次から次へと出てくる新キャラクター達、ロザリー、ファブリ、ビルフラン、フランソワーズ、セザール、ポール…みんなこれまでのように1話限りのゲストでなく、物語に定着することになるレギュラーとして物語に君臨することになる。
 小学生の時に今話を見た時、最も悩んだのが「ロザリーはいつ自分の名を名乗ったのか?」という問題であった。確かに序盤のペリーヌとロザリーの会話シーンでは、ロザリーは自分の名を名乗っていない。ロザリーが名乗っていないからペリーヌも名乗っていないのならとても自然なのだが、物語に描かれていないところでロザリーが名乗っていたならちょっと不自然だ。あれだけ聞きたがり屋のロザリーが、話し相手の名前を聞かないなんてちょっと不自然だと思うのだ。
 またビルフランの行動も不自然だ、仕事上の書類をファブリに渡すなら会社で渡せばいいだろうに、なんでわざわざ街中のレストランにいる娘に託すんだろう。あ、この日は日曜日だったに違いない、そうすれば街中のシーンで誰も働かずに街をウロウロしているのは合点が逢う。だからロザリーも工場に出勤せず家の手伝いをしているんだな…だったら何でビルフランからファブリに渡す書類なんか…社長一人で休日出勤していたのか?
 でもダメだなぁ、今になってビルフランの声を聞くとどうしてもペギン爺さんに聞こえてしまう。アンネットの方がずっと後なんだけどな…やっぱ物語が理解出来る中学生になって見た方が印象に残るのか? それとファブリさんの声はどっかで聞いたと思ったら、「魔法の天使 クリィミーマミ」で優ちゃんのお父さんやってた人だ。この人の声で一番印象に残っているのは、「キャプテン翼」の実況の声だけど。
研究 ・「シャペル駅」〜マロクール
 いよいよ今話でもってペリーヌの長い旅が終わる。この最後の旅路を今回は研究してみたい。確か24話で150キロの道のりと言っていたが、これが妥当かどうかも含めての見当になる。
 まず「1」地点は「シャペル駅」想定位置である。ここはパリから約38キロ、列車で1時間ほどという解釈は24話の研究欄で語った通りだ。パン屋にお金をだまし取られたり、西瓜農家兄弟の活躍はここだ。
 ここから「カレー街道」という街道を北上する。次の「2」地点がペリーヌが青年に花を売った街で、そのちょっと手前でバロンが農家を荒らしたのだと考えられる。ここまで「1」から丸一日以上掛かったと思われるので、距離的に30キロ地点として割り出した。
 「3」地点は最後のお金でパンを買った地点の想定位置。花が売れた次の日のことだと思われ、20キロ程度歩いたと思われる。そしてここから「4」地点へ行く途中の「3」に近い方で嵐に遭い、「4」地点の街の入り口でルクリに助けられたと見て良いだろう。ペリーヌはそのまま「4」地点の病院に入院し、ルクリの商売を手伝いながら旅を続ける。
 ルクリが廃品を売りさばく街として名を挙げた「アミアン」という街は実在し、「4」地点の北40キロほどのところにある大きな街である。恐らくペリーヌとルクリが立派なレストランで食事をしたのもここだろう。その翌日のシーンではルクリの馬車に廃品が満載されているが、これは廃品を売りさばくよりペリーヌを送る方を優先させたためと解釈する。
 アミアンの北西、10キロと行かないところに「ピキニー」という街があるが、これが劇中で「ピキニ」と呼ばれる街のことであろう。ここから鉄道線路と離れて5キロほどのところが架空の街マロクールであると想定出来る。この場所なら川や小さい湖もあり、劇中の描写に合わせられるだろう。
 「シャペル駅」想定位置から「マロクール村」想定位置まで、116キロの旅路となる。これにパリからの鉄道旅行を足せば、150キロ。24話でマロクールまで150キロと語られたが、これは「パリからマロクールが150キロ」と解釈すればほぼぴったんこである。日本で言えば東京から軽井沢へ行く位の距離だ。
 こうして全容が明らかになったペリーヌの旅、ダッカからの全行程は13061キロとなった。そのうち劇中で描かれたのは1900キロほどである。劇中で描かれた旅だけで判断すれば、マルコやポルフィに及ばないことは明白だが、その内容はそれ等に匹敵するほど濃いものであっただろう。

・今回までの旅程
「シャペル駅」〜マロクール村
移動距離 116km
合計(ダッカから) 13061km

第28話「パンダボアヌ工場」
名台詞 「ちぇっ、何も出来ない奴に60サンチームか…。」
(タルエル)
名台詞度
★★★
 始めてパンダボアヌ工場に来たペリーヌは、ビルフランに直接気遣う言葉を掛けたことで、ビルフラン直々に初任給の20パーセントアップを勝ち取ってしまう。勤務時間開始の汽笛が鳴り騒ぎが収まると、その場にいた工場長のタルエルが「お前、織物工場で働いたことはあるのか?」と問う。当然ペリーヌは「いいえ」と正直に応えるが、その返答が吐き捨てるような口調のこの台詞である。
 この短い台詞にタルエルのその時の思いと人格が上手く込められていると、去年見た再放送で感心したのだ。ペリーヌの事情など知らぬタルエルには、この娘が社長に直に声を掛けて点数稼ぎをする狡賢い娘にしか見えないのであろう。しかも娘が勝ち得たのは、社長直々の命令による初任給アップという異例のことだ。その上で仕事については未経験なのだから、現場長のタルエルとしては納得がいくわけがない。その納得がいかないという彼の気持ちを本当に短く再現した。
 それだけではない、タルエルは現場長として工員達の給与を仕切り、これについては他の口出しをさせてこなかったことが、今話後半の工員達の会話から判明する。彼は娘の出過ぎた行為によって、相手が社長とはいえ自分の領域を侵されたのだ。その悔しさと怒りも上手く込められていて、タルエルがペリーヌに対して決して良い感情を抱かない伏線となる。
 そしてなんでも自分の思い通りにしたいというその性格、基本的に他人を見下しているという人格、それらも上手く込められていて、この台詞でタルエルのキャラクター性が決まったと言っても過言ではないだろう。
名場面 トロッコ押し 名場面度
★★★★★
 たのしそー! やってみたい!
 (小学生高学年時に再放送を見た時の感想そのまま)
  
今回の
迷犬バロン
 
 ついにバロンが繋がれる。でも結局はペリーヌによって散歩に連れ出され、そのままこの下塾に帰ってこないから、バロンが繋がれるのはほんの僅かな時間でしかない。繋がれた時のバロンの表情が良い。
気まぐれ度
★★★
感想  話数的にも後半戦に入った今話から、いよいよペリーヌのマロクールでの生活が動き出す。同時にトロッコ押しから社長お付きの秘書を経て孫として認められるまでのサクセスストーリーの始まりである。前々話までは遙々ダッカから続いていた旅で、前話が旅からマロクールの生活への切り替え話、そして今話で万を侍してマロクールの物語スタートという感じで見事に半分ずつに配分しているのだ。
 今回で一番大きく描かれるのはペリーヌの生活基盤の確立だ。パンダボワヌ工場で働き出すと共にペリーヌが住むべき下宿が描かれ、同時にペリーヌにとってパンダボアヌ工場は良い職場だが下宿がどうしても気に入らないという描かれ方をする。これは今後の物語展開にとって重要な点で、下宿が気に入らなかった点は今話のラストでペリーヌが野宿していることで既に次のステップに足を踏み入れている。
 そして最初の工場シーンではふたつの伏線が張られる。ひとつはビルフランが新人工員である「オーレリィ」という少女の存在を記憶すること、もうひとつは名台詞欄に記した通りタルエルがペリーヌを気に入らない理由付けである。どちらもちょっと先の物語展開では重要で、前者はビルフランがペリーヌを抜擢する説得力のある理由として活かされるし、後者はその直後の展開でただでさえ苦しんでいるペリーヌに追い打ちを掛ける要素になってくる。そのような要素をそのシーンで突然描くのでなく、何話も前から種を蒔いておくというのは「世界名作劇場」シリーズらしいゆったりした展開で好きだ。
 そらにもうひとつ、昼休みのシーンではファブルの人の良さ、特に少女工員に対して理解し、当然人気があることもキチンと印象付けられる。これは今後ペリーヌが最も苦しい展開になった時のための伏線だ。
 だから今話は物語が前進しない。設定付けと伏線張りだけで1話が終わってしまう。その中で飛び抜けて印象に残っているのは名場面欄シーンだ。鉄道好きの小学生にあんな門見せたら…誰だって「ペリーヌ羨ましいっ」となるわ。
 今話でタルエルとテオドールが初登場し、いよいよ物語はマロクール編での主要人物がほぼ揃った形だ。テオドールの声って、ペンデルトンのおっさんでお馴染みの銀河万丈さんなんだよなー。こういう役をやっていたというのは本当に意外だった。
研究 ・パンダボアヌ工場1

*******【急募】*******

 紡績工場の工員を募集しています

 作業内容:工場内のトロッコ押し

 勤 務 地:ビルフラン・パンダボアヌ紡績
       マロクール工場

 給 与:日給50サンチーム

 採用条件:健康な方なら誰でも可
        ※未経験者歓迎

 トロッコを押すだけ
 誰にでも出来る簡単な仕事です


 ・採用担当者
 ビルフラン・パンダボアヌ紡績マロクール工場
 工場長・タルエル

******************

↑こんな求人広告が、マロクールの新聞にあったのだろう。

 多分ペリーヌの条件はこの通りなんだと思う。福利厚生や社会保険について触れられていないのは、それらは当然のようにないってことだ。
 給料は日給制で、新人工員は50サンチームと決まっているようだ。定期昇給はあるようで、物語後半の工員達の会話から、3年目で70サンチームになっていることが解る。もちろんペリーヌのように社長にアピールしたことで、社長から直接60サンチームへの賃上げが命じられるのは異例だ。3年で20サンチーム上がることを考慮すると、勤続1年半分の昇給があったことになる。なんてったって給与の20%アップだ、すごい。
 これまでの物語を見ていると、だいたい1フラン1000円位だと思うので、新人は1日500円からスタートだ。休みは日曜日だけのようなので、月に25〜26日働くことになる。つまり月給は1万3千円程度にしかならない。しかも考えて見れば、下宿で1日20サンチーム取られて残りは普通の人なら30サンチームだ。1食10サンチーム、つまり100円程度で済まさないと生活が出来ない。これがパンダボアヌ工場の新人工員の実状である。
 だからペリーヌが給料に10サンチーム上乗せがあったのは非常に大きい。これでバロンのえさ代くらいは出る事だろう。

第29話「池のほとりの小屋」
名台詞 「それはきっと、私がフランソワーズおばあさんの孫だからよ。」
(ロザリー)
名台詞度
★★★
 ロザリーが仕事中に怪我をして、工場長へ報告に行くがそこでタルエルに辛辣な言葉を浴びせられたロザリーと付き添いのペリーヌ。だがそんな二人の前にビルフランが現れ、ビルフランの計らいでロザリーは帰宅の上自宅で医師の診察が受けられるようになり、ロザリーの帰宅にはペリーヌの付き添いが許される。それを受けてロザリーの家へ向かいながら、ペリーヌが「ビルフラン様はあなたにはとても優しいのね」と言うと、ロザリーはこのように返答する。
 この台詞にはロザリーの一家とビルフランの関係の深さが詰め込まれていると思う。ビルフランから見ればロザリーの祖母、フランソワーズは息子の乳母でもあったことで信頼出来る数少ない人物の一人だ。このビルフランとフランソワーズの信頼関係によって、今回も含めて一家が助けられたことは数多いのだろう。この時のロザリーの口調が感謝に満ちあふれている点は見逃すことの出来ないポイントだ。
 同時に工場内であっても、ロザリーがフランソワーズの孫という事で特別扱いされていることもこの台詞から見てとれる。私が勝手に想像にするのは、ロザリーもペリーヌと同じ給料(つまり一般より多い)をもらっているのではないかということだ。だからこそペリーヌが前話で給与アップを言い渡されても動じなかったと解釈することは、この台詞と重ね合わせれば可能だ。それはともかく、今回もその「特別扱い」でもって「仕事中の怪我は自前」というタルエルの方針から回避することも出来たし、医師の診察も受けられるようになって助かった事は確かだ。そんな面もこの台詞にはちゃんと詰め込まれている。
 そしてこの一件は、厳しそうなビルフランも身内には甘いという事を示唆している。この面は視聴者にとって、ペリーヌの「今後」に希望を持つ要素の1つだろう。
名場面 「池のほとりの小屋」との出会い 名場面度
★★
 マロクールに来て2日目の夜、ペリーヌが散歩に出た先の池のほとりでそのまま寝てしまった事は前話で描かれた。今話はなんとそのまま朝になってしまう。散歩したままの状態で目を覚ましたペリーヌは、その池の朝の風景に見とれてしまう。
 そして池に沿ってその「小屋」を見つける。吸い込まれるように小屋へ向かって歩くペリーヌだが、小屋は離れ小島にあって渡ることが出来ない。最初は飛び越そうと思ったが、無理と解ってバロンが見つけた板きれで橋を架ける。そして小屋の中に入り「素敵な小屋だわ!」と感激し、窓を開けて外を眺めては「素敵だわ」と言って踊り出す。そして寝転んでは「下宿の硬いベッドより良い」と喜び、バロンにここは使ってないようだから一緒に住もうと声を掛けたと思うと、また寝てしまう。
 マロクール編前半のペリーヌの生活の場である「小屋」がとても印象的に描かれたと思う。その周囲の景色の美しさは、ペリーヌの大袈裟な感動に対して説得力を持つよう美しく描かれた。特に朝靄が出ているという設定を上手く使って神秘的に描いたのは、どういう展開であろうと見ている人は気持ちがよい。
 前話で出てきた「下宿」も印象的ではあったが、この「小屋」の印象度合いとは趣が全く逆であろう。「下宿」の方は視聴者や主人公に「とてもこんなところに住めない」という描き方をした、楽しそうな点を描き出すことはなく、バロンも繋がれてしまうなどマイナス面を強調し、こういうのに強いはずのペリーヌですら顔をしかめるというシーンとして描き「生活の場」として定着することはないという事を視聴者にさりげなく示唆していた。だがこの「小屋」は景色の美しさ、ペリーヌの口から語られる「下宿」と比較した心地よさというプラス面を強調している。これは大成功で、多くの視聴者がペリーヌがここで一人暮らしするという展開を瞬時に理解するだろう。そういう意味でとてもうまく出来ているシーンだと思った。
  
今回の
迷犬
バロン
 
 ペリーヌが仕事から「小屋」に戻ると、バロンの姿はなかった。「まさか池に落ちて…」とペリーヌが心配すると、後から「わ!」と脅かす声が。「きゃー」と振り返ると、バロンを抱いたポールが。一日遊んでもらうとはちゃっかりした奴だ。この「わ!」も「きゃー」も棒yom(ry
気まぐれ度
★★★
感想  ペリーヌのマロクールでの生活第2話、前話では生活基盤の確立としてペリーヌがこの街で生きていくのに必要な「仕事」「住居」というものが確立された。と思ったら突然「住居」についてひっくり返るという凄い展開だ。ペリーヌは設備は悪いが何だかんだのアシストがある下宿の生活より、何もかも自力でやらなきゃならない小屋での野宿生活を選んだことになる。そのペリーヌの小屋での苦闘は次回以降に回されたが、今話はペリーヌが早速生活の場を帰る展開として重要だ。
 同時にロザリーが怪我をする展開も重要である。ロザリーには悪いがビルフランの「身内に対する態度」を描くためには、どうしてもロザリーには怪我をしてもらわねばならないところだ。このビルフランの「身内に対する優しさ」を描くことで、今後ペリーヌがビルフランに接近する段において、ペリーヌもマリもその「身内」には含まれていない事をペリーヌに思い知らせるための重要な伏線だからだ。ロザリーはビルフランと血が繋がっているわけではないのに「身内」として厚遇を受け、ペリーヌは血が繋がっているのにその厚遇を受けられない。この現実はここでは軽いが、どんどん重くなっていくのがここから先の重要なポイントでもある。
 しかし、ポールっていうキャラクターは、物語前半のマルセルと同じ役回りとして設定されたんだろうなぁ。犬を飼いたいという欲求からバロンに近付き、バロンの相手として設定されたのだろう。だが1つの物語に同じ役割のキャラは二人も要らない、ポールにマルセルの代わりをするのは不可能なのは今話だけを見ても明白だ。制作陣もそれに気付いたのか、今はロザリーと同等に出番があるポールはこれからどんどん登場回数を減らし、20話先ではロザリー一家が揃うシーンでも描き忘れられる運命にある。ポールにマルセルの代わりが出来ない理由はキャラとして弱く、一芸に秀でていないこと。マルセルには「サーカス少年」という設定が合ったおかげでキャラとして強く、バロンを調教するだけで画になったという特徴があったことだろう。ポールにはそれほどのキャラを際だたせる特徴がない、単に「主人公の親友の弟」というだけでバロンにとっても一遊び相手で終わってしまうのである。本当はもっと先で語るべきポールの悲劇について今話の感想で語ったのは、今話でポールの印象付けに失敗していると感じたからだ。前話も今話も彼の性格的な特徴を引き出したわけでもなく、単に画面に出てきて遊んでいるだけだった、これでは視聴者にも制作陣にも印象に残らないのは当然だ。

ペリーヌは今話もトロッコを押し続ける…
研究 ・ 
 

第30話「自分の力で」
名台詞 「へぇ〜っ。器用ねぇ、あんたって…。」
(ロザリー)
名台詞度
★★
 ほぼ徹夜で靴を作り上げた翌朝、ペリーヌは新しい靴を履いて出社し仕事をする。そして仕事が終わると、怪我をして休業中のロザリーを見舞うのだ。もちろん新しい靴を履いて。
 ペリーヌがロザリーの部屋に入ると、ロザリーはペリーヌの新しい靴にすぐに気が付き「随分可愛い靴を履いているのね」と声を掛ける。ペリーヌが「本当にそう思う?」と問えば「もちろんよ、随分高かったでしょう?」と聞き返すロザリー。ペリーヌが「これ、自分で作ったのよ」と明かすと、ロザリーは「本当?」と疑問を挟んだ後に感心した様子でこう語る。
 今話のペリーヌの行動を見た視聴者が思っていたことを、ロザリーが代弁してくれた台詞だ。自分で材料を揃えて靴を作る、しかもただの靴ではなく少女らしくリボンで飾りまで付けてある。しかもその靴を作る過程が劇中で余すところなく再現されていて、材料の分量や配分なども無駄なく考えられていることを多くの視聴者が理解していた。そんな視聴者がペリーヌに対して感じた感想は「器用なやっちゃな…」ってところだろう。それを視聴者に成り代わって、ロザリーがペリーヌに言ってくれたのだ。
 もちろん、そういう感想を持つのはロザリーも含めて「自分で靴など作ったことがない」人であるのは確かだが、私も含めて靴を作ったことがない人はロザリーと同じ事を言いたかったはずだ。まさに視聴者の喉まで出掛かった言葉をロザリーが語ってくれたと言うことで、今話で最も印象深い台詞であった。
名場面 発端 名場面度
★★★
 ペリーヌは今日もトロッコを押す。もう一人のトロッコ係の工員とも仲良くなり、「慣れて来たね」と声を掛けられ、今日も快調にトロッコを押す。しかし快調にトロッコを押していたペリーヌは「ああっ」と叫んで急によろける。何とか転ばずには済んだが、足に目をやると靴先が避けて口を開けているのだ。「困ったわ…」と呟くペリーヌに、上司のオヌーの声が飛んでくる。
 今話の発端はまさにここであろう。今話は「ペリーヌの靴が壊れました、それを自力で直しました」というストーリーを通じて、ペリーヌの慢性的な資金不足状態を描き出して「問題は自分で解決しなければならない」という現実を浮き彫りにする。そこで選ばれたのが「靴」という訳だ。
 確かにペリーヌの靴はいきなり壊れたわけではない、ここまで長い旅をしてきた靴だからかなり疲弊していたのは確かだろう。だからこそその直前までその「予兆」を何も描かなくても説得力があり、まさにここまでの物語が持つ「無言の説得力」を上手く使った形だった。
 そして何よりも、ここではオヌーがペリーヌに同情することはなく、「サボるな」と叱りつけるのがポイントだ。この要素はペリーヌに「大きな壁」が立ちはだかったことを上手く示唆している。仕事を休むわけにも行かないが、靴を直さないとその仕事をすることが出来ない。待ったなしの状況で遊んでいる場合ではない、と言うことがオヌーの声に込められている。
 こうして今話は、ペリーヌが目の前に立ちはだかった困難を自力で、しかも低予算で解決するといういまどきの子供にしっかりと見せたい物語が演じられるのだ。
 

 
今回の
迷犬バロン
 
 朝、目を覚ましたバロンは、小屋の中に小便をしようと足を上げたその瞬間「やめなさい、バロン!」とペリーヌの声が飛んでくる。「ここは私たちの大事なおうちよ、うちの中でおしっこをする人がありますか?」とペリーヌに叱られる。叱られた時のバロンの表情は「てーか俺、犬だけど」と言いたそうで面白い。
気まぐれ度
感想  今話は是非とも、様々なモノで溢れかえっている「いまどきの子供」に見てもらいたい物語である。必要なモノが壊れたら買えば解決と思っている今の子供が、この物語からどんなメッセージを受け取るかは大変興味がある。BSでの再放送でうちの娘がこの物語を見たが、少し何かを感じたようで遊びの中にも「何かを作る」「無い物を用意出来る物でなんとか工夫する」という要素が加わっていたのは確かだ。
 名場面欄で記した出来事の発端シーン、これを見れば多くの初見の子供達が「靴を買う」とか「誰かに靴をもらう」という物語を想像するだろう。というかそういう物語しか思い付かないはずで、小学生時代にこの話を見た私もそうだった。ペリーヌがどうやって新しい靴を手に入れるのか…自力で作り始めた時は画面の中のポールと同じく「無茶だ」と思ったものだ。そしてペリーヌがロザリーを見舞った時に何らかの解決があると期待していたものだ。
 だが、物語はその期待とは別方向に向かう。ペリーヌが様々な工夫と努力を始めるのだ。それでも多くの子供達は「ペリーヌが靴を完成させる」というストーリーについては懐疑的だったはずだ。ペリーヌが手芸店で立派な材料を買いそろえても、まだまだ靴が完成するとは思わない。
 そしてロウソクの明かりを頼りにペリーヌがほぼ徹夜で頑張り始めると、懐疑的だった子供達もいつの間にかにペリーヌを応援していたことだろう(昔の私がそうだった)。そして靴が出来上がり、最初に出来上がった靴が画面に出てきた時は驚いたもんだ。
 そしてロザリーへの見舞いシーン(名台詞欄)でペリーヌが池のほとりに住み着いていることを打ち明け、さらに初任給を受け取るシーンを挟むと、今度は下着を作ろうと張り切るシーンになる。これは視聴者としては「ペリーヌならやってくれるだろう」と思って見る事になる。しかしそれらの思いも、ラストシーンでペリーヌがヌードになればさらに印象が強くなるってもんだ(男の子限定)。ペリーヌが胸を露わにしていたのは、BSでの再放送で初めて知った。どういう胸だったか気になる皆さんには、はDVDを買うなり借りるなりして見て頂こう。
  
今話でもペリーヌはトロッコを押し続ける…
研究 ・ 
 

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