第25話「一日だけのシンデレラ」 |
名台詞 |
「ねぇセーラ、私もロッティと同じ年少組に入れてね。だって私、フランス語ダメなの分かっているでしょ? ね、お願い!」
(アーメンガード) |
名台詞度
★ |
この台詞には二つの要素があり、ひとつはアーメンガードが自分のレベルを思い知っているということ、もうひとつはセーラに教わりたくてたまらないという二点である。後者は物語展開上のことだが、前者はアーメンガードの性格を語る上で重要な要素となる。この娘、自分のレベルや立場をわきまえているだけでなく、それをキチンと受け止めて決して背伸びしようとしないタイプの少女なのだ。確かに背伸びしないと届かない物を掴むことは出来ないが、偉ぶったり威張ったりする必要はないし、他人とぶつかる事も少ない人となる。いじめられやすい性格ではあるが、その状況を受け止めることも出来るので自殺など悲劇的な結末に行かないが、問題が表面化されにくいという厄介なタイプの人間である。
アーメンガードの未来はこの性格によりかなり想像できる、彼女はミンチン学院を去った後は人並みの生活を好み、「大学教授の娘」という看板を嫌がったことだろう(アーメンガードの父嫌いはここにあると思う)。そして平凡な人と結婚し、人並みの人生だが良い友に囲まれる事だろう。
いずれにしろ、この台詞はアーミィたんファンが萌え〜な台詞なのは間違いない。
この台詞の後、セーラ、アーメンガード、ベッキーの3人が顔を合わせて笑いあうシーンも良いな。
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(次点)「なによ、私だってこのごろ大きくなったんだもん、セーラママに着られるかも知れないわ。」(ロッティ)
…セーラがロッティの服を着たら…。 |
名場面 |
アメリアがセーラに服を貸してくれと生徒に言うシーン。 |
名場面度
★★ |
アメリアが教室に入りセーラを1日だけ生徒にする旨を説明して、セーラに服を貸してやって欲しいと生徒達に頼む。ところが、前話であれほど人望のあったセーラのはずなのに、誰もセーラに服を貸そうとはしない。やはり当時の階級社会の上ではメイドはメイドであって、彼女たちと同じ人間扱いはされていないのだ。
だからこそ最初に声を上げるのが幼いロッティであるという点はかなりリアリティに溢れていると思う。さすがにロッティが動けばアーメンガードが腰を上げざるを得ない…というかアーメンガードは「服を貸す」と言いたかったはずだが、当時の階級社会を考えるとメイドに服を貸すなんて例えそれが親友同士でもあり得ない話、自ら言い出せば世間知らずだと後日になって先生や親に言われるはずだ。だからアーメンガードは何かきっかけを待っていたはずで、物語はロッティがきっかけとなったが、他にアメリアやミンチンがアーメンガードに強要するなど、きっかけはいくらでも考えられる。
なにはともあれ、セーラはアーメンガードから服を借りることが出来た。ガートルードじゃないが若干ゆるかったというところまでリアルに描かれている。あのセーラが着ていた服をアーメンガードが着ているところを見てみたかった。
このシーン中、アメリアはラビニアを「ラビニアさん」と敬称付きで呼ぶのに、セーラも「セーラさん」と呼ぶのに、アーメンガードは呼び捨てなんだな…アメリアはこの娘を見下している、絶対に。それにアメリアがまずラビニアに服を貸してくれと頼んだ点は無神経と言わざるを得ない。ラビニアが服を貸すなんてあり得ず、セーラもラビニアも気分を悪くするだけ。
アーメンガードがセーラに服を貸すことが決まった直後の照れくさそうな笑顔、萌え〜(爆)。
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(次点)ミンチンがセーラに年少組の先生を命じるシーン。
…「セーラを年少組の先生にするのは私の思いやりによる」とうそぶくミンチン、それにセーラは感謝の言葉を言わないと言うことは、実際のことに感づいたのとミンチンが大嫌いだからなんだろうな。 |
今回の
アーメンガード |
自分の服がセーラの役に立ったと喜ぶ彼女、ここの照れを含んだ笑顔も抜群だ。そしてセーラが年少組の先生になると聞かされて驚きの表情の彼女、彼女はのんびり屋なのであまり驚きの表情は出さないので貴重なシーンだ。とにかく、この回の彼女は他の回と比較すると突出して可愛さが目立ち、本放送当時に前半を見逃したのが非常に悔しい。「アーメンガー度」は彼女登場場面全部を統合しての評価で、今回の彼女絡みのシーンや台詞は物語の展開的にはさして重要度はないが、彼女の魅力という点で見ればいちばん優れた1話かも知れない。
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アーメンガー度
★★★★★ |
感想 |
「小公女セーラ番外・デュファルジュ編」第一話(笑)。ここから3話はあってもなくても物語の流れにはあまり関係ないし、セーラや周囲キャラの心境に変化がないと思うから私は勝手にそう呼んでいる。せめて前々話までにデュファルジュが通りすがりでも良いからたびたび出ていればそうは思わなかったのに。
実はこの話、本放送時は前半見逃した。この日、私は家族でつくばの科学万博を見物しに行っており(詳しくはこちら・証拠画像)、NHK大河ドラマが見たい父の気持ちだけで何とか20時前に帰宅したという日だった。途中から見たらセーラがきれいな服を着て教室で授業を受けているから驚いたのなんのって…。最近になって見直すまで、セーラのきれいな服がどこから出てきたのかとか、なぜセーラが授業に出ているのかという理由を知らなかった。ただ、セーラの年少組に入れてくれとせがむアーメンガードの笑顔は覚えていた。
この話はデュファルジュとセーラの関係ばかりに目が行ってしまうが、やはりアーメンガードやロッティという原作では良いところ無しの二人が大いに活躍している回である。それはすべて上で説明した、本放送時にリアルタイムで全編見ていればまた違う感想があっただろう。 |
研究 |
・市長夫人
この話は完全にアニメオリジナルエピソードである。小説版では市長婦人からの手紙を受け取ったミンチンがデュファルジュに相談するシーンのみが詳細に書かれ、他は数行で出来事を紹介にするにとどまっている。だから上で紹介したようなこの話の奥深さには全く触れることが出来ない。
このシーンでは市長夫人と市の教育関係者が見学に来ている。日本の市町村に置き換えれば教育委員長とお偉方が来るようなもんだろう。しかしミンチン学院に来た長は「市長夫人」という立場の人間である。市長の夫人に何処まで教育関係の力があるのだろうか? さらに言うと私立の学院院長に教師の運用法をとやかくいう権利はあるのだろうか? 生徒を年少組の教師にするなんて出来るのだろうか?
それを調べるべく検索サイトでいろいろなキーワードを入れて検索してみたが、どうも当時のロンドン市長夫人の権力がどんなもんだったのか分からない。いや、ロンドン市長の夫人について書かれている日本語サイトが皆無と言っていいくらい無いのだ。「見つけた!」と思うと「小公女セーラ」関連のサイトだったりして笑うしかないのである。
つまり当時のロンドン市長夫人って、状況証拠だけで言えば権力なんてほとんど無かったと思われるのである。ただ市長の夫人ならばお金持ちなのは間違いないだろう。当時なら市長になる位の人はそれなりの地位のはずだから、ひょっとすると夫人は教育に熱心なのを知っていて、ミンチンは市からの援助でなく市長個人の財布の中身を狙っているのではなかろうか?
この市長夫人もアニメオリジナルで原作には出てこない。 |