第53話「春の訪れ」 |
名台詞 |
「おとーさーん…………、おかーさーん…………、私、幸せよー…………、安心してくださーい…………。」
(ペリーヌ) |
名台詞度
★★★★ |
名台詞欄の中で、ペリーヌが大声で天国の両親の今の自分について報告する。その声はエコーとなって響き渡る。
「53話も続いた物語の最後」をとても強く印象付ける主人公の叫び声、その叫びは苦しみの叫びでなく幸せに包まれていることを告げる叫びであった。物語における主人公ペリーヌの到達点であり、1話からずっと物語を追ってきた人はこの台詞で持って「物語の終わり」を強く感じたに違いない。
それにしても凄いのは、名場面欄シーンの直前、マルセルとの会話でも感じた事だけど、自分の現状を「幸せになったの」と自信を持って言えるって凄いことだと思う。何をして「幸せ」と言うかは人によって違うが、ペリーヌの場合は肉親と1つの目標に向かって歩き続けることができるという事実かも知れない。両親を「旅」の途中で喪ったペリーヌだからこそ、こんなところに幸せを感じるのだろう。
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(次点)「長い苦しい道が続きましたが、ペリーヌはとうとう幸せになったのです。そして、この長い物語もこれで終わります。皆さんも自分の幸せだけではなく、人の幸せをも同時に考えることができる人になって下さいね。」(ナレーター)
…物語の最後、ナレーターが視聴者にメッセージを残す。物語の終わりを告げた後、視聴者に「自分の幸せだけでなく他人の幸せをも考えよう」と訴えるこのメッセージの裏側には、物語でさんざん訴えてきた「人に愛されるにはまず自分が人を愛さねばならない」というメッセージとほぼイコールだ。「自分が幸せになるには、周囲にいる人をしなければならない」ということで、まさにこれはペリーヌが劇中で演じてきたことだ。その物語の主題を明確にして、「ペリーヌ物語」き53話もの長い物語に終止符が打たれるのだ。 |
名場面 |
春の丘の上で |
名場面度
★★★★ |
物語の最後、ペリーヌとビルフランはマロクールを見下ろす丘の上に立つ。そしてビルフランは「パンダボアヌ工場をフランス一の工場にしてみせる」と決意した過去を思い出し、同時に「このマロクールをフランスで一番豊かで住みよいところにする」という新たな決意を孫に語る。「頑張りましょう、おじい様」と立ち上がるペリーヌに、ビルフランも「頑張ろう」と決意を新たにする。そして名台詞欄の台詞があり、「お父さんとお母さんにこんな報告ができるなんて…」とペリーヌが感慨に耽ったと思うと、「おじい様はダンスはお好きですか?」と突然声を掛ける。笑いながら「もう遠い昔の事で忘れてしまった」と答えるビルフランに、「では私が思い出させて差し上げます」と言って一方的にビルフランの手を取ってダンスを始めるペリーヌ。ペリーヌは両親はダンスが好きでいつも踊っていたことを告げると、「お前もなかなかだ」と褒めた後「お前の母親はいい母親だったんだな」と語るビルフランの台詞と、それに答えるペリーヌの笑い声が本物語最後の台詞となる。そしてダンスを遠巻きに見ていたバロンとパリカールがダンスに加わると、名台詞欄次点の解説が入る。そしてペリーヌとビルフランが楽しく踊り、それをバロンとパリカールが楽しそうに追いかけ、最後はこの2人と1匹と1頭がマロクールの街を背景にしたシーンがズームアウトして、物語は幕を閉じる。
このシーンに内容は全くない。そう言いきっても良いだろう。あるとすれば名台詞欄と次点欄で語った事だけだ。ここで印象付けるのはこのような形に到達したペリーヌとビルフランの喜びと幸せだろう。そこに物語を最初から彩ってきたバロンと、ペリーヌの旅に無くてはならない存在だったパリカールが彩りを添え、二人が楽しそうにしているシーンで幕を閉じる。
これはテレビアニメの最終回だからこそだろう。二人の幸せを日常生活から描く方法はいくらでもあるが、それはもう前話や今話前半までに使い切ってしまっている。そらにこのラストシーンではその要素を視聴者に強烈に印象付けて終止符を打たねばならないので、このような強烈なシーンになった。こういうシーンを作ると多くの物語で「語りすぎ」「語り不足」が生じて白けてしまうことが多いが、「ペリーヌ物語」の感動シーン共通だがこのバランスが上手くて白けさせないのだ。白けたのはパリカール売却後のあのシーンだけだ。
また、前話までに物語に全て決着が着き、その上でどんな形で物語を終わらせるかというのは重要な点だ。主人公が目的を果たすだけでなく、みんなが幸せになる大団円を描き、特にこのような物語ではビルフランの幸せをキチンと表現して「ペリーヌがここへ来て良かった」という点を上手く描いて印象付ける必要もある。こういう点でもこの物語の終わりは優れていて、とても印象に残るラストシーンとなった。名場面・名台詞・名台詞次点が全部このシーンに集中していることからも、それはご理解頂けるだろう。ホント、どっかの某長い旅に見習って欲しいラストシーンだ。
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今回の
迷犬バロン |
バリカール再会シーン、バロンは飼い主より先にその事実を知り、飼い主より先にそれを堪能していたが、当のペリーヌは気にしていない様子。しかし、このシーンのバロンのハイジャンプは凄いなぁ、マルセルが仕込んだ芸よりも凄いぞ。 |
気まぐれ度
★★★ |
感想 |
最終話、なんと1話分丸々「オチ」に使いやがった。と言っても「世界名作劇場」ではこういうスタイルはとても多い、「母をたずねて三千里」も、「赤毛のアン」も、「ふしぎな島のフローネ」も、「わたしのアンネット」も、「小公女セーラ」も、「こんにちはアン」も、みんな最後の1話は丸々「オチ」で大団円を描くためだけに存在する最終回だ。「愛の若草物語」に至っては「オチ」を2話にわたって演じるからなー。
タルエルのペリーヌに対する猫なで声は気持ち悪いが、テオドールがペリーヌに対して「恨み」とも言える感情を持っているのはこれまた良いと思った。確かに突然「従兄弟の娘」が現れた事で工場を継ぐ可能性が小さくなり、その上タルエルが社長代理として任命されればそう感じても仕方が無い。でもタルエルにも「救い」があって、仕事上で信頼されていなくてもちゃんと「ビルフランの身内」として迎えられることで一応の決着は果たす。結局彼が求めていたのはそこで、それが叶ったことが解ると突然態度が変わるのはテオドールというダメ人間として描かれたキャラだからこそ許せるのだ。
また、久々にマルセル登場点は良かったけど、あんまりにも久しぶりで担当声優は完全に演じ方を忘れていたとしか思えない。声だけでなくキャラクターそのものが別人みたいで、違和感ありありだった。
後半は完全に「そしてこうなりました」という報告だけだ、保育園が無事完成し、他の福利厚生施設の建設が進むことで、ペリーヌによって生まれた「ビルフランの新たな野望」が着々と実現に向かっていることが示される、そして満を持してのラストシーンは名場面欄・名台詞欄に書いた通りだ。しっかりと「物語の結論」に対する結果を描き、かといって物語を完全に終わりにさせずちょっとの語り漏らしや、僅かに次に踏み出して終わるという「世界名作劇場」の終わり方のセオリーを確立したのはまさにこの「ペリーヌ物語」の最終回だろう。こうして物語が締まるだけでなく、多くの視聴者に「今後の想像の余地」が残されているのはとても面白い。本当にどっかの某長い旅は見習って欲しいなぁ。
最後にどうしても気になることをひとつ。ロザリーが小さい子供(2〜3歳?)をあやしながら出てくるシーンで、ビルフランが「ロザリーを最後に見たのは、ロザリーがその(幼児の)歳位の時だった」と語るシーンがあるが、どう考えても計算が合わないと思うのだが…。 |
研究 |
・保育園 最終回では、ペリーヌに感化されたビルフランが新たな野望として続々と工場の福利厚生施設の建設に着手したことが語られている。その中でトップを切って完成したのが保育園で、早速営業までこぎ着けていた。
この中で気になるのは、やはりロザリーが保育園で働いていた事だろう。ロザリーだけではない、フランソワーズが園内で働いているシーンも描かれている。ロザリーは工場で機械担当だったし、フランソワーズは特に働いていたわけでは無かったはずだ。なのにどうして?と考えてしまう。
その答えは前話にひとつある。前話のビルフランの屋敷のシーンで、ビルフランが福利厚生施設の建設や運営についての責任者に命じるシーンがある。この中でビルフランは「工場内からも適した人間を使って良い」というお墨付きをもらっている。つまりこの福利厚生施設の運営について、ファブリが人事権を握った上で工員を選ぶことができるのだ。
ただファブリのことだ、その人選はビルフランの許可を得た上で「志願制度」を取ったと思う。保育園にしろ病院にしろアパートにしろ、そにかく福利厚生施設で働きたい人を募集し、面接の上で人選をしたと考えられる。恐らくロザリーはこの流れの中で「保育園」への転籍を希望し、ファブリと面接した上で採用されたのだろう。ファブリがいくら仲の良い少女だからと言って、このような場で贔屓をするような人間とは思えず、ロザリーは小さい弟がいることもあって子供の面倒を見る点については素質があったのかも知れない。
次にフランソワーズだが、この保育園が「当時最新の設備と体制」であることは劇中で語られている。つまり現役を引退した人の中で志がある人がボランティアで保育園運営に携われるようなシステムもあるのだろう。このシステムはファブリが他の保育園を視察して採用したと考えられる。そしてこういうシステムを立ち上げればビルフランがフランソワーズをファブリに進めるだろうし、フランソワーズもエドモンの乳母だった位だから子供好きでこういう仕事を無償でしたいと考えるだろう。だからフランソワーズはボランティアで働いていると考えられる。
この保育園を始め、様々な福利厚生施設の建設については製造部門のタルエルはともかく、総務部門のテオドールの担当でもないのは明らかだ。つまりこれらはビルフランが直接担当する技術部門が担当しているはずだ。ファブリが福利厚生施設の責任者になっただけでなく、福利厚生施設の人事権を一手に握ったことで技術部門から福利厚生部門が分離・独立したと考えて良いだろう。その長はファブリであり、彼はあの若さでタルエルやテオドールとほぼ同等の職位まで上り詰めたと言うことだろう。 |