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・「ポルフィの長い旅」エンディング
「君へと続く道」 作詞・榊原広子 作曲・榊原政敏 編曲・京田誠一 歌・ダ・カーポ
 第1話視聴時に、物語が終わっていきなりダ・カーポの曲が流れてきてびびったなぁ。「裸の大将」じゃないんだから…そういうポルフィも山下清も共通点は「長い旅」だ、ダ・カーポの起用がそんな理由だったら笑うぞ。制作側が旅モノとして「裸の大将」みたいなエンディングを望んでいたとかだったら…。
 その真相はともかく、確かに雰囲気は「裸の大将」のエンディングになってしまったが詩の内容をみればかなり違うことは分かるだろう。その部分がそのまま「裸の大将」と「ポルフィの長い旅」のそういと捉えても良いかもしれない。どちらも主人公の生き様を詩にしたわけだが、「裸の大将」エンディングでは物語に出てくる山下清の純粋さや素直さを歌いきっているのに対し、「ポルフィの長い旅」では旅の中でポルフィが見た風景や信じるものという部分を歌っている。前者では山下清がその純粋な心でもって目の前にある難事件を解決して人々の心を結ぶというストーリーが展開され、最後に印籠のように山下画伯の絵が出てくるという物語が多く、後者ではポルフィの真っ直ぐな気持ちに心を惹かれる人々という展開が多く見られる差であろう。
 曲そのものはなんか二昔前の「ニューミュージック」っていうのを聞いているような雰囲気になる。この古くささがこれまた物語にピッタリはまっていて良いと思う。「ポルフィの長い旅」にダ・カーポのエンディングという組み合わせは大成功ではないかと私は思うのだ。
 エンディングテーマ時の画像は…まぁ手を抜いたと言われても仕方ないな。ポルフィ通過地点の写真を並べているだけだもんな。だけど30話代でポルフィの現在位置が分からなくなった後、それを告げてくれる決定的な情報をくれたのはこの写真なんだよな〜。
 こちらも曲がすごく気に入ったので、CDを買ってしまった…。

・総評
・物語
 物語は大きく4部に分けられると見て良いだろう。
 最初はシミトラ村で家族との生活を描き、大地震が起きてポルフィの両親が死ぬまでの1〜14話の題して「シミトラ編」。ここでは後の大災害→旅行という悲惨なシーンを盛り上げるべく明るくて楽しい生活と、優しい両親の存在が前面に出された部分だ。何の不安もなく日々を過ごすポルフィとミーナの日常をしっかりと視聴者に植え付ける役割は立派に果たしたと思う。ここではポルフィとミーナの夢にはじまり、母の生い立ちやアレッシアの存在など様々な伏線が提示される。1年間かけて放映する物語としてよくあるパターンの物語を展開するが、このシミトラ編で提示された伏線の多くが最終回までに回収されていないままで終わったことについてはかなりがっかりした点だ。
 続いて兄妹が生き別れてから旅行の前半まで、15〜28話という展開でひとくくり出来るだろう。レオンやデイジー、イラーリアやレベッカ、シチリア島の人たちという印象深いキャラクターが多く登場し、また多くのメカニック(旅行に使う乗り物)等も多く出てきて、さらに実在の地名が出てくるので地図上でポルフィの動きを追うことも可能で、個人的には目の離せなくて一番楽しい展開でもあった。このサイトの考察を見てもこの部分で一番内容が濃いのが分かるだろう。物語全体の役割を見るとこの部分にはポルフィの旅の明るい思い出深いシーンを描く役割があっただろう。それと30話以降の流れとを対比される役割を持たされていたと思う。
 29話の1話完結総集編を挟んで、30〜44話の旅後半の展開。ここではポルフィとミーナが序盤から大事に持っていたものをひとつひとつ失いながら、互いの旅がだんだん悲惨な展開に行くと言う内容だ。さらにここでは34話や36話のような独特の物語や、35話や37話のように深い内容の物語もある。ただローマ以降はポルフィの足取りをたどることは困難となり、本文で考察したとおりポルフィの居場所についての設定も話数によって統一されておらず、ポルフィの足取りをたどろうとすると一部の設定を無視しなければならないのが残念だ。「旅」が主体になっている物語だから、ポルフィの目的だけでなくいま何処にいて何処へ向かっているのかという視点も視ている側が楽しむために不可欠なものであるため、旅行ものの物語としてのレベルが落ちるのはここだ。「母をたずねて三千里」も地図でマルコの動きが追えるから面白い部分もあるので、ここについてはもうちょっと考えて欲しかった。また物語の多くが一話完結の形を取り、展開に統一性が無くなって行くのも残念なところである。一話一話を単独で見れば面白い話が多いだけに、この辺りの展開をうまく繋げなかったのも少しがっかりである。「旅」とは連続するものなのだ(ポルフィの旅が日帰り旅行であるならこの発言は取り消すが、んな訳ない)。
 最後が45〜52話のいわゆる「パリ編」だ。ポルフィとローズというコンビが物語を展開して多少強引ではあるがミーナとの再会へと話を一気に畳み込む。正直言ってこの展開は失敗だと視聴者の一人として思う。まずはローズがポルフィに対しマジになるという展開は何とかならなかったものか? 「銀河鉄道999」の鉄郎とメーテルのようにこのコンビでなきゃならない理由が何処にも無いのだ。出来ればローズの年齢をアレッシアと同じ位にするとか、ここではローズなんて新キャラをわざわざ出さずアレッシアと二人でという展開もありだったと思う。またポルフィがシミトラを出発してから、パリに着くまでの季節の変化などに見られる時系列的な考察をした場合、パリ編の展開は時間的に無理があることも多くの視聴者が気付いたことだろう。シミトラが地震に遭ったのは間違いなく夏休み時期(ポルフィ達が学校へ行っていない上に暑い季節でシミトラ編が描かれている)、ポルフィがシミトラでのキャンプ生活の後、パトラの街で金を稼いでから旅に出たのは夏でも晩夏という雰囲気が漂っている(フェリーのチケットの日付は無視しよう)。そこからローマに着くまでは晩夏から初秋という描写が続き、ローマを過ぎると明らかに秋の描写に変わり、さらにこれが徐々に深まる描写もされている。そしてフランス密入国の頃には朝晩の冷え込みが描かれ、パリ到着は初冬の雰囲気が漂っていた。これは本文で考察した旅程から考えてもおかしくない時間がかかっていることになる。パリに着いたのは雪が降ったこととそこまでの旅程(特にローマからの徒歩)を考えれば早く見積もっても11月下旬だろう。なのに最終回はクリスマス、この長く見積もっても1ヶ月という短い期間に映画の撮影を丸々一本やって上映にまでこぎ着けるなんてあり得ない話だと思うのだ。
 物語全体を最後に見直してみると、一話一話の単一のエピソードはものすごく良い物があると思うのだが、これを横に繋いだ時に統一性というかつながりが悪くなってしまっている感がある。前述した序盤の伏線の多くが回収されないまま終わってしまった点などはその最たる物だ。日常生活系の物語であるならばある程度横のつながりは無視して単発エピソードに力を入れても良いと思うが、「旅」という起承転結がしっかりしている「川の流れのような」物語にはなれなかったと思う。だがこれは悪い方に取るべきではなく、単発のエピソードは良好という事実をとらえて次回作品に期待したい。
 また、この物語では中間総集話である29話以外では一切「回想シーン」がなかったのも特筆される点だ。ポルフィが死んだ両親を思い出すシーンや、ミーナを思い出すシーンでも安易に回想シーンを流さず、ポルフィの脳内にあるイメージ映像や夢を新規に作って流したり(思い出す該当人物に台詞無し)、言葉を思い出した時はポルフィ自身に言わせるなどしているのだ。最近のアニメでは安易に回想シーンを使い、あからさまな時間稼ぎにしか見えない作りになっていて萎えることも多いのでこの点については評価すべきところである。回想シーンが無くても、その人物やその台詞を思い出させるように上手に作られており、その細かさに感動したものだ。
 最後に、私が最も気に入った1話は第22話「線路はつづくよ」である。鉄道ネタだからという理由だけでなく、やはりその中に自分が体験してきた事が描かれていたこと、それによるポルフィの気持ちや言動がまさに同情できる点であったことだろう。また物語そのものもかなり楽しいものであったが、純粋に楽しかった1話となると第10話「夏の一日」を挙げる。この第10話は何度見ても飽きない楽しさや見ているこっちも童心に帰れそうな面白さが詰まっている。考えさせられた1話は第36話「仮面の素顔」だったりする。

・原作との比較
 概要に記したとおりこのアニメは驚くほど原作のエピソードを踏襲していない。原作から引っ張ってきた話は、8話のポルフィが街道に釘をバラ蒔く事件、13話の大地震発生シーン、15話の救護所脱走、40話のフランス密入国と41話に出てくる家族とのエピソード(設定は大きく違う)、パリ編で出てくる「クサロプーロス亭」の存在程度である。
 釘バラ蒔き事件は原作では物語の始まりを告げるシーンである。釘を回収に行ったポルフィが車に轢かれて大怪我をし、その賠償金でパタゴス大ステーションにガソリンタンクが出来るという原作の展開とはかなり異なるが、これはそのままアニメに出来るはずがないのでああ再現するしかなかっただろう。ただ釘を買うためにポルフィがミーナから金を借りたりする部分は原作そのものだ。
 地震のシーンでは、まず大地震の前にポルフィが何度も聞いた「幻聴」はアニメでは謎の老人ダモンの台詞として描き直された。確かにこの方が現実的で良いだろう。大地震の前にガソリンタンクを収めるプールに亀裂が入り、ポルフィがセメント職人を呼びに行って地震時は留守だったこともアニメと原作で一致している点である。ただ救護所の様子は全く違い、子供達は兵舎に男女別に分けられて寝るという形であり、ポルフィはここでザイミスと知り合ったとある(ちなみに原作ザイミスは地震で両親を失い、姉と祖父は助かったという設定である)。原作のポルフィは地震で潰れた自宅を見てからこの救護所まで徒歩で移動しており、助け出されたミーナは顔が見えなくなるほど包帯を巻かれていたとある。
 救護所の脱走では、アニメでは兄妹が別々の里親に引き取られることになると知り、ポルフィとミーナは示し合わせた上で個別に脱走を図る。そしてふとしたきっかけから二人は二度と再会できないままになってしまい、そのままポルフィがミーナ探しの旅に出るきっかけとなる。原作では二人が脱走を企てるに至る理由は同じ、そしてミーナと示し合わせて脱走を図るが、アニメ同様に待ち合わせ地点でいくら待ってもミーナがやってこない。実は脱走直前にミーナが倒れてしまったので脱走に失敗したという展開となっている。だがポルフィが妹を連れて脱走しようとした事を知った大人達は、兄妹まとめて引き取ってくれる里親が現れるまで待つことにしたのでこの脱走騒動は所期の目的は達成したわけだ(原作では本気で逃げ出すつもりではなかったようで、大人達を困らせて考え直してもらおうという意図で脱走をしたようだ)。
 その他の原作との相違については考察が原作を読んだ後だったので本文の方で考察している。ただ重ねて言うがクサロプーロス亭がポルフィにとって単なる仕事場で終わってしまっているのが残念な点である。
 原作の設定がバッサリと捨てられている点も多い。まずは家族構成、アニメではポルフィとミーナは二人兄妹として描かれているが、原作のポルフィは次男である。原作ではポルフィにコンスタンティノスという兄がいて3人兄妹、このコンスタンティノスは大地震で両親と運命を共にする。
 続いてオランダにいるポルフィとミーナの里親である。大地震で孤児となった兄妹は、オランダのヴァン・ホーレンという一家に引き取られる。ポルフィはすぐにここの子供と仲良くなって上手くやっていたのだが、ミーナはこの家に馴染めずにある日家を飛び出してしまい、ボートで冬の海にこぎ出してしまうという無茶をやって行方不明になる。ヴァン・ホーレン宅での出来事はアニメで全面的にカットされ、特にポルフィのトラクター暴走事件がカットされた点については、この原作の一番楽しくてハラハラドキドキの「アニメ向き」な展開なだけに残念だ。
 原作でのフランス密入国や、パリでのことについては本文で考察したとおり。クサロプーロス亭を辞めて(クビになったのではない)パリの街を出て行く決心をしたポルフィは、またトラックの荷台に忍び込む。そのトラックが事故を起こすことでポルフィの運命は変わるのだ。事故でポルフィが荷台に忍び込んでいたトラックは炎上するが、その騒ぎの中でも誰もポルフィの存在に気付かないのだ。ポルフィは事故現場の真ん前にある「エンペラー補給所」という長距離トラック相手の喫茶店やガソリンスタンドがある店に助けられ、ここの経営者であるバルビドゥー夫妻に引き取られ、念願のガソリンスタンド店員になる。そこでヴァン・ホーレンからミーナの所在が分かったという手紙が届き、ポルフィは港までミーナを迎えに行き、再会となるのだ。
 そして原作のラストシーンは、立派なガソリンスタンド店員になって客の車にガソリンを入れるポルフィの姿と、それを見て微笑むミーナという構図である。原作のこのシーンを知っているとやはりアニメのラストシーンは物足りないと感じてしまう。原作では兄妹の落ち着き先という二人が安心に幸せに暮らすための絶対に必要な要素が提示され、さらに序盤からさんざん描かれたポルフィのガソリンスタンド店員になるという夢を実現させて終わっているのである(原作ミーナは歌手や女優になりたいという夢は持っていない)。
 アニメでは全52話中、18〜44話(ポルフィがパトラを出発してからパリに着くまで)の27話分が「旅」であり半分強は旅ということになる。原作では全289ページ中、「旅」と呼べるのは93〜227ページ(ポルフィがギリシャを出発してからバルビドゥー夫妻に拾われるきっかけとなる事故が起きるまで)の133ページ分であり、「旅」は半分弱である。

・ポルフィの旅程
 アニメにおけるポルフィの旅程は以下の通りである。本文にも出してきたものではあるが、ここに再度挙げておきたい。
第18〜19話(パトラ→ブリンディシ)
第20話(ブリンディシ →マテーラ)
第22話(マテーラ→カウロニア)
第26話(カウロニア→シチリア)
・第28話(シチリア→ローマ)※地図の用意なし
第29〜42話(ローマ→アヌシー)
第42〜44話(アヌシー→パリ)

シミトラ村→パトラ 徒歩 15話 20km(推定)
パトラ→ブリンディシ フェリー 18話 570km
ブリンディシ→マテーラ 鉄道 20話 190km
マテーラ→カウロニア 鉄道 22話 380km
カウロニア→メッシーナ 鉄道
(鉄道連絡船)
26話 140km
シチリア島〜ローマ 航空機 28話 570km
ローマ〜アヌシー 徒歩・トラック 29〜42話 870km
アヌシー〜パリ 徒歩・トラック 42〜44話 520km
合計     3260km

・登場人物
 登場人物については、まず目につくのは出てくる人数の多さだろう。これは多くの物語が1〜2話(カウロニア編は4話、シチリア編は3話)で完結する形態を取っているせいもあるだろう。ポルフィが一カ所に長く留まらない旅のスタイルを維持した結果なのだが、実は原作でのポルフィの旅は一カ所に長期滞在してそこで色々な物語を繰り広げる形態を取っていて登場人物の数が非常に少ないのが特徴なのだ(その間の移動についてはほぼ取り上げられていない)。本文でも考察したとおり、原作とアニメの両方に出てくるキャラは、ポルフィ・ミーナ・クリストフォール・アネーク・ザイミス・クサロプーロス・アルキスの7人だけである。第41話のサミュエルやその家族に該当する人物も原作には出ているが、名前や年齢設定と家族構成まで違うので同一人物とは扱えないであろう。アニメに出てくるシミトラのセメント職人は、原作ではその存在が語られるだけで出てこない。
 原作との比較で一番役割が大きくされたのはなんと言ってもザイミスだろう、アニメではポルフィやミーナの幼なじみとして描かれ、落ち着いた性格でポルフィと同年齢とは思えないように描かれて序盤と終盤で物語を彩ったザイミスだが、実は原作ではチョイ役でしかない。アニメのザイミスとは対照的に、原作のザイミスは泣き虫のイメージがある。地震で両親を失いショックで泣いてばかりのザイミスとポルフィは救護所で知り合った設定となっており、この泣いてばかりのザイミスをポルフィが慰めるというシーンを展開する。そして原作ポルフィはギリシャを離れてもザイミスのことが忘れられず、オランダ・パリ・南フランスと移動した先からザイミスと文通するという役回りだが、原作ザイミスはこれ以上の存在ではない。
 ポルフィとミーナは原作の性格を上手く引き継いでいると思う。ポルフィの強がりな性格の点や、何もなければ明るくて夢見がちの少女ミーナ。ただ原作のミーナはアニメのように女優や歌手に憧れている様子はない。特に地震発生後のミーナの壊れ具合は原作とアニメでほぼ同じと言っても良いだろう、ただし原作のミーナは行方不明になった後に事故で記憶を失ったという相違点はあるが。
 ポルフィの両親についてはほぼオリジナルといっても良いだろう。原作でのこの二人は性格が分かるような会話はしていないのだ。二人とも良い意味でも悪い意味でも「世界名作劇場」的な両親として描かれ、時には優しく時には厳しくポルフィに対処する。そして子供達が我が儘をいえば最終的にはこれをかなえようと努力する姿勢は見せるのだ。ただしポルフィの母、アネークについては序盤でその生い立ちが断片的に語られ、昔の友人なんてものまで出てくる。これが物語後半で意味を持つ伏線なのか…と思ったらそのまま放ったらかしにされてしまっている。ポルフィの旅で「アネークの(金持ちの)実家」が何かしら絡むのかと匂わすだけ匂わせた「食べ残し」の伏線の一つでもあろう。
 その他多すぎるゲストキャラの考察はここでは控えるが、私の印象に残ったキャラクターはデイジーだったりする。別に少女萌え〜という目線で見たわけではなく、純粋に忘れられないキャラクターとして印象に残ったのだ。理由としては22話での彼女の存在感であろう、列車での旅でひとときを一緒に過ごした少女との切ない想い出というシーンを展開してくれた彼女の圧倒的な存在感は、私の若き日の旅の記憶と重なる部分も「あ〜、あるある」とポルフィの気持ちに感情移入させるには十分すぎる存在であった。あっけなく再登場してもその存在感は絶妙で、ポルフィを好きになりつつも適度に彼と距離を置こうとする気の強さや「本当は恥ずかしがり屋」の性格を絶妙に描いていると感心した。
 もう一人、アレッシアの名を挙げておこう。オープニングに毎回登場、物語では6話で初登場してからずっと「いつ再登場するんだ?」と期待させられていたもんなぁ。「満を持して再登場」というには完全に時期を逸した終盤で再登場はしたものの(←声優さんも役柄を忘れていたんじゃないか?と思える程最初と違うし…)、印象的なキスシーン一発だけですぐ退場となった悲運な少女として記憶に残る。オープニングにもザイミスと同じ扱いで出てくるのだから再登場後はそれなりに出番があるかと期待しつつ外されたのだ。
 では当サイト恒例、名台詞の数をまとめよう。ゲストキャラについてはその都度紹介を入れる。

名台詞登場頻度
順位 名前 回数 コメント
ポルフィ 11 全52話中51話に登場しているだけに名台詞も多い(32話のみ未登場)。彼の台詞の中で最も印象に残っているのは14話の名台詞欄、両親を失いそれを弔いつつも自分がどう生きるべきかが分からなくて困っているあの台詞には涙が出た。
ミーナ 1〜16・29〜32・38・43・45〜52話で登場。彼女の台詞で印象的なのは4話の名台詞欄、ごく普通の何でもないことを「幸せ」と感じる台詞として印象的だ。ミーナは大地震の後、ほとんどしゃべらなくなってしまうがそれでも登場回数との割合で見たら名台詞に恵まれている方だろう。
アネーク 1〜12話に登場したポルフィとミーナの母。彼女の台詞で印象深いのは1話の名台詞、私もかつて母に言われたことがある台詞で私をこの物語に強烈に引き込んだ。12話でのポルフィとの最後の別れのシーンも強く印象に残っている。
イザベラ 16〜46話間のミーナ登場回と同じ回に登場。ミーナの旅行中に母親代わりであったイザベラと、実母のアネークが並ぶ結果に。印象的なのは46話のミーナとの別れの台詞だ。彼女はどんな花を咲かせることが出来たのだろう?
バーンズ 1〜15話と29話に登場。ポルフィの父クリストフォールとはまた違う父性を見せてくれた格好良くも自分の弱さをさらけ出せる男。13話ではポルフィに両親の死を知らせるという重要な役を担い、その時の名台詞も私の心の中に強く残った。
アレッシア 6話と44話に登場。キャラとして印象に残っている理由は前述の通り。この娘の台詞で印象深いのはやっぱ6話のあれ、コリーナに一矢報いる台詞を吐くが、そのコリーナも数話後には…。
ザイミス 1〜15話と50〜52話で登場、ポルフィの兄貴のような頼りがいのある性格で視聴者の印象に残ったことだろう。11話の名台詞では彼の大人の一面がかいま見える、そしてその心の広さにポルフィは友を失わずに済むのだ。
レオン 19〜20話に登場。ポルフィの行きべき道を示す人物としてまた印象深いキャラクターの一人だろう。どちらの話でも強烈に印象に残る台詞を吐いている。困ったら自分を助けろとはよく言ったもんだと思う。
デイジー 22話と24〜25話に登場。ポルフィに最も似合う女の子だと思うが如何だろう? 強印象の台詞は22話の名台詞。旅先で出会った娘にあんな台詞を言ってもらえるなんてポルフィはサイコーだと思うぞ。
ローズ 45〜52話に登場。パリ編でポルフィと凹凸コンビを結成する。制作者は鉄郎とメーテルを意識したのか…? 48話の名台詞は本当に良いこと言ってると思う。辛いことからは逃げるんじゃなくて、正面から受け止めて克服しなければならないと。
11 トム 9〜10話に登場するバーンズの同僚の息子。知らない土地で上手く生きるコツを9話の名台詞欄で訴える。ポルフィに野球を教え、アメリカの文化を教えるのも彼の役目だったと思う。
ジョン 9〜10話に登場する上記トムの弟。アメリカ人兄弟だからトムとジョンって凄く安易な名前なんだけど…何処へ行っても故郷が一番好きと訴える彼は、この物語の今後の展開を予暗示する役割も持っていたことだろう。
ダモン 12〜14話に登場。地震前は物語に不吉な予感を漂わせる役割を、地震後はポルフィが最初にとるべき道を示す役を持った。名台詞欄に上がった12話の台詞は、原作ではポルフィが聞いた幻聴と言うことになっている。
港の老婆 16〜17話に登場。ポルフィと視聴者にこれからポルフィが旅に出るという運命が待っていることを告げ、さらに人生を旅に例えて「気持ち」というものを訴える。このキャラクターには名前がないようで、スタッフロールでも「老婆」となっていた。
次回予告 1〜51話において次回のナレーションをしてきた(登場回数はポルフィと同じだ!)。なんといっても22話の予告ナレーションは「鉄道の旅」の魅力を伝えるには十分すぎるだろう。他にも多くの名ナレーションをしているのも見逃せず、まさに物語を彩った存在であろう。
レベッカ 23〜25話に登場。最初はキツイ性格だったがイラーリアと仲直りしてからはあれよあれよと明るい性格に。24話の名台詞では彼女の強気な性格と素直な性格が両方見えて良いと思う。
バルバッツァ 26〜28話に登場。ヤクザとは思えない優しさと、ヤクザらしい怖さを持つ性格に描かれている。26話名台詞欄では「故郷」について力説、あの怖い顔からは想像できないシーンだった。
ジャック 26〜28話に登場。元モビルスーツ爆撃機パイロットで旅客機を操る彼は、モニカにありったけの思いを叫ぶ台詞は最強だと思う。しかしこのアニメ、絶対にガンダムネタとダブらせてあの声優さんで遊んでいたと思うな。
アンドレ 26〜28話に登場。最初は強がるだけの情けない役として登場したが、ファミリー同士の和解の後は一気に男らしくて頼りがいのある男に。どっちがこの男の本性なのか分からないままだ。28話の名台詞ではポルフィを全力で助けることを宣言しているのが、物語展開上良いと思う。
カルロス イザベラと同じ回で登場したイザベラの夫。30話の名台詞ではイザベラに現実を語るが、考えてみればその通りになったわけだ。「世界名作劇場」シリーズではこの手の男が救われる展開が多かったが、児童虐待シーンを演じ真の悪役になってしまった…。
ジョルジュ 33話に登場するローマ近郊の村に集う悪ガキの一人。最初はポルフィに冷たい態度を取るが、最後まで見ているとそれがポルフィを助けるためだったとわかる。彼の名台詞では「裏切り」というものについて単刀直入に語る。これも印象深い。
ジュリアー二 35話に登場。赤く塗られていて通常の三倍の速度で走るサイドカー付きのバイクで走り回るというという凄い神父だ。彼の名台詞では、どんなに人々が不平等でも、どんなに辛いところにいようと「自然は人々に等しく接する」という理論を通じて先が開けてくることを訴える。
名のない神父 37話に登場、スタッフロールでは「神父」となっていた。37話は台詞の少ない回だったから名台詞欄に出てきたようなもんだ。だがポルフィにつきまとう犬の真実を見抜き、それを口に出したものとしては印象深い。
セシル 41話に登場した貧しい一家の母親代わりとなる長女。名台詞では夢は捨てないと宣言したが…あの一家がどうなってしまったのか今でも気になって仕方がない。
マリアンヌ 42話に登場。ポルフィと共に行動しつつも、最後の最後にポルフィを助けるために裏切る彼女の姿にアネークとは違う母性を見た。名台詞欄はまさにそれを体現しているだろう。
アルキス 45〜48話に登場。本文に書いたとおり原作のアルキスは良い意味でも悪い意味でも普通の人だったが、アニメではとても良い奴に書き換えられた。その良い奴に書き換えられたアルキスを象徴するのが47話の名台詞だろう。

・追加考察
 「ポルフィの長い旅」完結版について
 2011年に製作された「ポルフィの長い旅」の総集編。

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