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第31話 「数を数えろ」
名台詞 「おばさんは、本当は親切な人なのさ。」
(トム)
名台詞度
★★★★
 トムはメアリーやシッドやジムの協力の下、ポリーおばさんをうまく騙して燭台を持ち出すことに成功する。早速その燭台をハックへ届けると、受け取ったハックはその豪華さに驚く。燭台を眺めながら「これは銀でできているのか? おばさん、俺なんかによく貸してくれたな」と語ったハックに、トムが返した言葉がこれだ。
 これはハッキリ言ってウソである。トムがハックにウソを言ったのである。本当はトムはポリーおばさんを上手く騙し、無断でコッソリと持ち出したのだ。ハックを毛嫌いしているポリーおばさんが、いくらそれを「天国の母親のために祈るため」に使うのであっても、貸す相手がハックなら貸してはくれない。トムがただ無断で持ち出せばポリーおばさんが燭台の数を数えて足りないことに気付けば、トムが疑われるのも間違いない。だからポリーおばさんに燭台の数を数えさせないようにする必要に迫られており、そのためにポリーおばさんを騙して持ち出したのである。
 なのにトムはあくまでもハックに対しては「ポリーおばさんが貸してくれた」ことにしたのだ。もちろんハックは本当の話を聞いても「トムらしい」と思うだけで、それでトムを悪く言ったりはしないだろう。だが「燭台を勝手に持ち出した」=「ハックには貸してくれそうにないから」では、ハックがポリーおばさんに対してどんな感情を持つだろう…それは決して良い感情ではない。トムとしてはポリーおばさんがハックが嫌いなのは仕方が無いが、ハックはポリーおばさんを嫌いにならないで欲しいと考えているに違いないのだ。
 またトムはこの件で育ての親であるポリーおばさんを騙した罪悪感もあり、ポリーおばさんを悪く言うと自分がそれ以上に悪い人間に感じてしまう心境でもあったはずだ。
 だからトムは嘘をついた。本来、嘘をつくことは良いことではない。だが「自分の育ての親が悪い人だと思われないように」と守るための嘘もついてはいけないのだろうか? 全てを丸く収め、平和に物事を終わらせるためのウソもついてはいけないのだろうか…これらの問いに「それでも嘘はダメ」という人は少数派であろう。世の中には「必要な嘘」というのも存在していて、この台詞はその典型だと私は思う。
 この台詞に対し、ハックは素直に「ポリーおばさんが貸してくれた」と判断する。そしてトムは理由を言わずに「俺とメアリー姉さんとシッド、それからジムのためにも祈ってほしい」とハックに頼む。ハックはこれだけは解ったはずだ、トムがこの燭台を「貸してもらう」ためにその3人の協力があったことを。こうして話は全て丸く収まるのだ。
名場面 メアリーとシッド 名場面度
★★
 トムがハックに貸す燭台を持ち出すためにポリーおばさんを騙すことになったが、メアリーもシッドもジムもハックに燭台を貸す理由が「天国の母に祈るため」と聞いて快く協力した。そしてまんまとポリーおばさんが騙されてトムが燭台を持ち出すことに成功すると、台所にメアリーとシッドが残されるかたちとなった。メアリーはテーブルに並べられた食器類を片付けながら「私のこと悪い娘だと思う?」とシッドに問う。これに対してシッドは「僕のこと悪い子だと思う?」と問い返す。「二人とも見事にトムにそそのかされちゃったね」「お兄ちゃんはこういうことに掛けては天才だからね」と二人が笑い合う。
 この会話好きだ、二人とも「親(育ての親)を騙してしまった」という罪悪感があるのだが、その罪悪感よりもポリーおばさんを騙す作業が楽しかったことの方が上なのだ。だからこそ「私は悪い娘?」「僕は悪い子?」と笑顔で聞き合うことをしたのである。トムは自覚があるかどうかは解らないが、こういういたずらをするときの人間の心理状況というのが解っているのだろう。だから彼は協力を求めた3人に、「何のために燭台を持ち出すのか」を嘘偽り無く話をしたと考えられる。こうなれば「例え親を騙すことになっても、正しいことのため」と人は考えるから、話に乗ってくれるのだ。そしてその内容が面白くなければ、いくら協力者が「いいこと」をしたといっても罪悪感が上になってしまい、結果的に失敗することを知っているのだ。こういう意味まで含めてシッドは兄を「天才」としているのだと私は思う。
今話の
冒険
 「母の命日に祈りたい」というハックの思いを受け、トムはポリーおばさんが大事にしている燭台を持ち出そうとする。だがポリーおばさんが燭台の数を数えるようではすぐにバレてしまうので、メアリーとシッドとジムにも協力を仰いで数を数えないように仕向けることにした。トムはポリーおばさんが食器の数を確認しているところへひょっこり現れ、隙を見ては食器を隠して数え直すように促し「数が合わない」と騒動になった処でこっそり食器を元に戻す。この繰り返しだが、その途中でシッドが「宝物のクルミの数が合わない」と騒ぎ、メアリーは「シーツの数が合わない」と騒いでは、二人ともしばらく間を置いて「数え直したらあった」とする。これを繰り返す間にポリーおばさんはすっかり混乱してしまう。そこへジムが「ニワトリの数が合わない、数え直して欲しい」と顔を出し、ポリーおばさんが庭に出るが…歩き回っているニワトリの数を数えるのが上手くいかずさらに混乱して疲弊する。その隙に何とか燭台を持ち出し、ハックに貸すことに成功した。 ミッション達成度
★★★★★
感想  今話は前話の「ハックの父親」の件を引きずった話から入る。「父親は村を去った」という情報を得てハックが家に戻ると、そこには何故かマフが住み着いていたという予想外の展開でスタート。ハックはマフから父親について「いずれまた来る」という情報を得る。翌日にこれについてトムと話をしていると、会話がハックの父親の話から母親の話へと上手く転がり、今回の手展開である「ハックのために燭台を借りる」話へと回ってゆく。
 ちなみにこのおばさんが数を数える話は、「トムソーヤーの冒険」ではなく「ハックルベリー・フィンの冒険」にあるエピソードだという。確かに毎週放映で1年間分のストーリーを「トムソーヤーの冒険」原作だけからまかなうのは困難だろう。世界名作劇場シリーズでは同じ原作者による他作エピソードを差し込んだり、全くのオリジナルストーリーを差し込んだりと、あの手この手で1年間分のストーリーを確保している。「愛の若草物語」みたいにオリジナルストーリーがぶっ飛んでいるのもあるし、「牧場の少女カトリ」のようにアニメの全ストーリーの半分以上がオリジナルストーリーという例もある。「ふしぎな島のフローネ」なんか原作の影の形もないし、原作の忠実度が最も高いとされる「赤毛のアン」でも「エミリー」から転用した話を差し込んでいるほどだ。
 それはともかく、ポリーおばさんが数を何度も数えて疲弊してゆくところは確かに面白い。いつもは大声で怒鳴るポリーおばさんも、トムのいたずらに掛かればタジタジってところだ。だが「育ての親を騙したトム」に対するフォローをどうするのかと思って見ていたら、あの名台詞だ。これは本当に上手く処理して、さらに丸く収めたと感心している。
 そしてオチは、夜の就寝時間だ。シッドは敬虔にもキチンとお祈りしているが、トムはそんなの何処吹く風…と思ったら突然の兄弟喧嘩。その同じ時間にハックは、トムが借りてきてくれた燭台を使ってちゃんとお祈りをしている。あんな木の上の家でも、灯りが漏れると本当に「家」って感じだなぁ。

第32話 「黄金を見つけた!」
名台詞 「へぇ、みんななんて欲張りなんでしょう。」
(ポリーおばさん)
名台詞度
 夏のある日、ポリーおばさんは熱を出して寝込んでしまう。そこへ往診に来たミッチェル先生から、村の小川で菌が見つかったことを聞かされる。そして「みんな大騒ぎで、みんなシャベルとナベを持って川へ向かっている」と村の様子を知らされると、ポリーおばさんが呆れた口調で返す返事がこれだ。
 今話は人の欲望というものを浮き彫りにしているのは、雑貨屋でのベンの父親とトムのシーンから見れば説明するまでもなく理解できるはずだ。一攫千金の可能性が突然目の前に表れたときの人々の反応というのを見事に描き出しているのだが、その多くが「いてもたってもいられず、誰よりも早く金を見つけに行く」というものであった。このシーンでポリーおばさんを診察しているミッチェル先生だって、金を探しに出かけようとしたところをメアリーに制止されて渋々往診に来たのだ。
 だがここのポリーおばさんだけは違う反応をした。金を探しに先を争うように川へ向かった人々を「欲張り」と批判し、自分だけは平静を保とうとしたのである。これはポリーおばさんが熱を出して寝込んでいるからということもあるが、この距離を置いて平静を保たざるを得ない状況で騒ぎを聞いたときに彼女は完全な「第三者」になれたのだ。そして先を争って川へ向かった人たちに対し、公正な評価を下したのである。
 だがこの台詞は、本話を最後まで見ると滑稽に感じる。それは名場面欄シーンで…。
名場面 夕食の食卓で 名場面度
★★
 金発見騒動の夜、トムの家ではポリーおばさんが高熱で寝込んでいるため、メアリーとトムとシッドの3人で夕食の食卓を囲んでいた。トムは自分で見つけた金を見つめ「どうして金のことになると、みんなあんな夢中になるんだろう?」と問いかけ、これに「金はお金と同じですもの、金を沢山持っていればどんな贅沢だってできるのよ」とメアリーが返す。「でもあの川には金はないよ、僕はそう思う」とトムが力説する。そしてここで夜の金探しのシーンを挟んで時間の経過を示すと、次はメアリーが皿洗いをしている背後でトムが欠伸をして「もう寝ようかな」と呟いているシーンになる。そこへ扉が突然開いて、高熱で寝込んでいるはずのポリーおばさんが大きな荷物を背負い息を切らせながら入ってくる。「あれ? おばさん、寝てた方がいいんじゃないの?」とトムが言うと、ポリーおばさんは枯れた声で「トム、連れて行ってちょうだい」と言う。「何処へ?」「金の出る川よ」…ポリーおばさんの返事に、トムもメアリーも大驚きだ。「みんなが金をどんどん採っているのに、ベッドでじっと寝ているなんてとても耐えられないのよ」とポリーおばさんの声は必死だ。「おばさん、落ち着いて。金なんて出てないんですよ」とトムとメアリーがポリーおばさんを制止するが、「だってミッチェル先生が…」と必死の抵抗。「みんな出るかも知れないと思っているだけです。でも出ませんよ」「寝てなきゃダメよ」とトムとメアリーは何とか二人がかりでポリーおばさんを制止する。うつろな目つきで立っているポリーおばさんの額に手を当てたメアリーが、冷たい水が必要だとしてトムに井戸へ行くように命じ、「お母さん、ベッドへ戻って」と強い調子で言う。
 このシーンはなんてことが無いシーンかも知れない。だけど名台詞欄シーンでポリーおばさんがああ言ったからこそ印象に残るシーンだ。もう金を見つけた張本人の家では、本人の説明もあって「金は出てこない」という結論で固まっている。物語的にはこのまま「村人達が金を探した結果、何も出てきませんでした」と話を終わらせても支障は無いのだが、このまま終わったら話に緩急がつかず面白くないのは明白だろう。だから今回、このようなオチはポリーおばさんに演じさせたのだ。ずっと寝込んでいて物語の表面に出ず、せいぜい名台詞欄の台詞を吐いて「この人は現実的」と視聴者に思わせた程度だ。その「現実的」と思っていた人が、最後の最後でその本話でのキャラクター性をひっくり返す。こうして物語に適度な起伏が着くだけでなく、ポリーおばさん本人が「欲張り」の一員になったというオチで本話を滑稽に終わらせることができたのだ。
今話の
冒険
 今話の冒険は村人全員の冒険だ。トムが川で僅かな金がついた石を見つけ、この話が雑貨屋のロジャースのところに持ち込まれる。ロジャースはトムとハックに誰にも言わないように釘を刺したが、話が持ち込まれたときにたまたま雑貨屋に婦人が盗み聞きしていた。この婦人もコッソリと金を取りに行くはずだったが、その途中でインジャン・ジョーに襲われて必要な道具を奪われる。婦人はその腹いせに金発見の情報を村中にバラすという報復をしたために、村の大人達が先を争うように川へ向かい、金探しを始めた。3日間に渡って村中の人々が川を浚ったが、出てきた金は僅か15グラム…金に換算して10ドルほど。こうして人々はこの川には金はないことを思い知り、熱が冷めていったのだ。 ミッション達成度
★★
感想  トムが金がついた石を発見したことで、村にゴールドラッシュが訪れるこの話も子供の頃に見たのをよく覚えていた。村の人々が先を争って川へ向かうシーンや、必死に川を浚っているシーンはよく覚えてる。ああ、金ってああやって採るんだなということをこのアニメに教わったのだ。
 一口に言えば「大人達の欲望」の話だ。一攫千金を夢見て先を争うのは子供がやることではなく、大人だという現実をこの話はまじまじと見せつける。もちろん本作ではトムやハックも「海賊の宝探し」など一攫千金を夢見る行動はしていたし、最終的に二人が大金を手にすることもこのアニメを知らない人も原作を知っていれば理解できるはずだ。本作のトムとハックのこれらの行動と、今回の大人達の騒動は実は大差は無い。だが今回の方が滑稽に見えるのだから不思議である。理由を一つ挙げるとすれば、トムとハックは基本的には金そのものよりも「自分たちの楽しみ」としてやっている面が強い。またトムは「海賊の宝探し」をしている理由として、ベッキーと結婚するためにどうしてもお金が必要としい「理由」も挙げていた。だが今回の大人達は、もう完全に「金」に釣られて動いているだけだから滑稽なのだ。
 もちろん、一攫千金を期待して川へ走った大人達にもそれぞれ事情はあろう。その大きな理由は決して暮らしが楽ではなく、その日を生きてゆくのに精一杯だから少しは余裕が欲しいというものだろう。中には手に入れたい物がある人もいるだろうが、多くの人は「生活苦」を理由にしていると考えられるのだ。だから今回のゴールドラッシュで川へ走ったのは大人達ばかりで、単独で行った子供は誰もいない。メアリーも子供達から見れば「大人」の年齢だが、恐らく17〜18歳くらいで自分で働いて生計を立てているわけではなく母親の庇護の元で暮らしているから「生活苦」など感じないのであろう。ポリーおばさんは自分と娘だけでなく、甥を二人育てていることからやはり生活は楽でないのだろう。ポリーおばさんの収入源について明確にはされていないが、旦那さんが亡くなっていることを考えると農場を貸すなどして生計を立てていると考えられる。それで収入=生活費か、収入<生活費の状態になっていて、旦那さんが遺していった貯金を食いつぶしているのかも知れない。だから一攫千金の話があれば、飛びつきたいのだ。
 しかし本話では、トムの「金発見」の情報が村中に広まる過程というのが上手く考えられている。トムが大人に言えば、その大人は誰もがその情報は自分だけのものにして金を独り占めしようと考えるだろう。そこでインジャン・ジョーを上手く使ったと思う、今回彼が明確に悪人として行動したことで村中に話が広まるというのは面白い設定だと思った。インジャン・ジョーがあの婦人とその夫を襲ってシャベルとナベを奪ったかと思うと、これはこれで面白いシーンが想像できる。

第33話 「自由へ向かって逃げろ」
名台詞 「トム坊ちゃん、ひとつお願いがあるんですがね。筏を一つ作りませんか? この葬式には出る必要はありませんよ。トム坊ちゃん、その代わり筏を作ってください。」
(ジム)
名台詞度
★★★★
 深夜にトムの家へ逃げてきた黒人奴隷モーリス、その存在を知っているのは第一発見者のトムと、黒人の友人であるジムだけだ。ところが翌朝、ジムはそんな事件など無かったかのような顔をしている。そして「教会で見知らぬ黒人奴隷が銃殺されていた」として葬式をするのだ。その葬式に無理矢理着いていったトムは、「誰が死んだのか?」とジムにしつこく問うが、ジムは「わかりません」としらを切る。そして「これは黒人だけの葬式だ」とトムに強調すると、トムは「モーリスが死んだのでは?」と深夜に逃げ込んできた黒人奴隷の名を出す。それでも「モーリスって誰のことです?」ととぼけるジムに、トムは「僕には本当のことを言ってくれよ」とジムにすがりついて訴える。そのジムの返答がこれだ。
 恐らくジムは、トムにはモーリスの一件を忘れてもらうつもりだったのだろう。事件が深夜に発生したこともあり、「あれは夢だ」ととぼけ続ければ切り抜けられると思ったのかも知れない。その理由はジムが後の方で語る、トムを始めとするこの家の家族に迷惑は掛けられないからだ。
 同時にジムは、トムはいたずら坊主ではあるが正直で優しく正義感にあふれる少年であって、今回の一件について秘密を守ってくれると信じているし、学校の成績は悪くても頭は良いからうっかり口を滑らす可能性も低いことは理解している。トムにならば真実を語っても良い、そう思っていたはずだ。
 だからこそトムが「本当のことを言って欲しい」と懇願したとき、それが仲間のためとはいえトムを裏切ることもできなくなったのだ。だからこの一件について、トムならばできる仕事を思いついてこれを任せることにした。これがこの筏づくりだ。
 この台詞を受け取ったトムの側も、いきなり「筏を作りませんか?」と言われて一度は困惑する。ただ「葬式には出る必要は無い」と聞いたことで、「何のために筏が必要なのか」を理解したはずだ。そしてジムがやっぱり自分を信用していて、自分の役割を用意していたと受け取ったはずだ。トムはこの台詞を受け取ると、葬式の様子を一度じっくり見た後に「ああ、わかった。すぐやるよ」と言い残して走り出す。
 恐らくジムは、モーリスの逃亡に川を使うことは決めていたはずだ。その手段は、この川では誰の物ともつかないボートがあちらこちらに放置されている。このボートを失敬すれば…と考えていたと思う。だがボートが必ず発見できるとは限らないのがこの作戦の最大の問題だ、それをトムならば解決できると瞬間的に判断したのだろう。
 こうしてトムは、ハックやベンを巻き込んでの筏づくりを始める。そしてモーリスを逃亡させる方法が、視聴者にも明らかになったのだ。
名場面 出発 名場面度
★★
 黒人奴隷の葬式があり、トムが仲間達と筏を作ったその夜、トムとジム、それに村の黒人達が川原のトムが作った筏のもとにに集まっていた。いよいよ逃亡してきたモーリスの船出の時なのだ。渡し船の最終便が出て行ったのを見送ると、ジムが「気をつけて行けよ、蒸気船にぶつかったら、せっかくのトム坊ちゃんの好意が無駄になるんだからな」とモーリスに告げる。モーリスは「トム、あなたのことは一生忘れません」とトムに握手を求め、「うまくケアロの町に着くことを祈っているよ」とトムは握手に応じる。そしてジムとモーリスの抱擁、「さあ、もう行け」とジムが語るとモーリスは筏に乗る。トムが食料が入った袋を渡すと、モーリスは「さよなら」と最後の挨拶を残して筏を出す。「また会おうな、モーリス」「ああ、きっとな」…遠ざかる筏、手を振った見送るトムとジム。筏を見送りながらトムは「ジムもやっぱりケアロの町へ行きたいのかい?」とジムに問う、そこでこの問いが良くなかったことに気付いて「ごめん、僕バカなことを聞いちゃった」と下を向くトム。ジムはこれに「いいえ」とだけ答えるとトムは「人間は誰だって自由な方がいいもんね」と呟く、「モーリスはきっと自由になれるでしょう」とジムが返す。
 本話のモーリスの物語の決着だ。彼はトムとジムだけでなく、村の黒人達の協力の甲斐もあって無事に追っ手の追跡を振り切り、この村から脱出して黒人奴隷が解放されるというケアロの町を目指す。そのシーンはもちろん夜のシーンとして描かれ、モーリスはこの村で唯一自分に協力した白人であるトムに大きな感謝を示す。
 そしてこの別れのシーンの後の会話で、今話の「自由へ向かって逃げろ」というタイトルの内容に話を落とし込んでゆく。当時の白人社会において「モノ」同然に扱われた黒人たちの不自由を浮き彫りにした上で、「自由」の持つ尊さをキチンと物語に編み込んでゆくのだ。
 その「自由」というテーマに落とし込んでいった中で一つ思い出すのが、今回モーリスが自由を求めて船出していった川は、13話でトムらが日常のしがらみのない自由を求めて無人島へ向かって船出した川でもある点だ。この物語ではこの「川」というのをひとつの「境界」として描いているのかも知れない、子供達が日常と非日常を分断する境界であり、モーリスにとっては奴隷と自由の境界であったのだ。このシーンを見てそんな感想を持ったのは、大人になっての視聴であって、改めて「深い物語だな」と感じた。
今話の
冒険
 今回の冒険は、トム発案で「また筏を作って海賊ごっこをやろう」というものであった。まずベンが誘われ、ハックなどのトムの友人達が作業に加わる…ハックだけはトムが突然こんなことを言い出した点について、納得のいかない表情だったが。ベンなどは「無人島での大冒険」の再演を夢見て積極的に作業し、ついに筏は完成する。だがトムの報告によると、翌朝までに筏は流されてしまい海賊ごっこはお流れに。トムとベンは筏をロープで固定したのはハックだとして、ハックに文句を言おうと怒りながら歩いて行く…もちろん筏を何のために作ったのか、そして夜のうちにどうなったのかは、ドムだけが知っている話だ。 ミッション達成度
★★★
感想  この話も子供の時に見たのをしっかりと覚えている。冒頭のトムがモーリスにつかまったところは怖くて、続いてモーリスがジムに助けられたシーンでは手に汗握り、翌朝のジムがモーリスについてしらばっくれているところでは「?」を頭の周りに沢山飛ばし、筏づくりの話が出てきたところから「なるほど」と思って見ていた。そしてこの作品は、アメリカでの黒人差別の話を知るきっかけとなり、非常に思い話であったことは子供時代に再放送で再び見たときに知る。本放送で見たときには奴隷とか差別とか言う知識は無くて、モーリスについてはただ単に「仕事場から逃げてきた」程度にしか感じてなかった。
 そしてその「テーマの重さ」は大人になっても感じていることだ。黒人に対する差別と真っ向から向き合うため、脱走した黒人を描いた話は「愛の若草物語」第3〜4話でも描かれている。こんな重いテーマを扱うアニメって、今はないんじゃないかな。いずれにしろ子供の頃の私は、この物語でアメリカにかつてあった黒人への差別を知り、それが現在も尾を引いていることを知ったのである。
 そして逃亡してきた黒人奴隷を助けるため、ジムが協力を求めたのは自分が世話になっている一家ではなく、村の黒人コミュニティだったことは当時は「?」の一つだったが、今見るとよく分かる話だ。差別されている人間は差別されている人間同士で助け合い庇い合うもので、これは差別する側からみればわかりにくいところだろう。この村がいくら黒人への差別感情が小さいとは言え、差別はゼロではない。もちろん差別感情が強い白人も少数派かも知れないがいるわけで、ここにバレるわけには絶対に行かなかった。だからジムは自分を優しく扱う主人であってもこのことは言えなかった、たぶん第一発見者がトムでなかったら、トムはこの事件を知らないままであっただろう。
 名場面欄シーンによってトムの筏づくりが始まるが、この過程でモーリスを追ってきた追っ手がやってきたのは、手に汗握る展開になってとても良い。結果的にジムの目論見通りに進むのだが、この二人が簡単には引き下がらない上でのことだから物語に緩急がつくのだ。またトムらが筏を作っているところへ二人がわざわざ現れるのも、緊張感が生まれてまた良い。しかし、トムは本当に誰にもモーリスのことを語らなかったんだな、突然の筏づくりを怪しむハックにすらいい加減な返答しかしていない。たぶんハックには事実を語ったことだろう、だがそれはこの事件が全て解決してから何日も経ってからだろう。
 そしてモーリスの船出は名場面欄の通り。最後にオチとして、筏が消えたのはハックのせいだとしてトムとベンが不満を爆発させて終わるのは、本作らしい結末だと思った。本当は名場面欄で終わりで良いのだが、やっぱりこういう「オチ」をつけるのが「トムソーヤーの冒険」なのだ。

第34話 「天から降って来た男」
名台詞 「正直なところ、この化け物が…いやぁ、これは村の連中が言ってたことだが。この化け物がカーディフの丘に墜ちたらしいと聞いたときに、保安官を辞めたくなったよ。」
(コリンズ保安官)
名台詞度
★★★
 村はずれの「カーディフの丘」に気球が墜落、トムとハックはその場に居合わせて乗っていたアーサー・オコーナーという青年を助ける。そしてアーサーはトムとハックにまず村の保安官に会いたい旨を訴えるが、保安官の方が「気球墜落」の通報によって多くの村人達と共に現れる。最初はトムとハックを誘拐しようとしていると勘違いしてアーサーに銃を向ける保安官だったが、トムとハックが事情を説明すると保安官は静かにアーサーの元に近付く、アーサーが自己紹介して「あなたの冷静な判断に感謝します」と握手しながら語ると、保安官がこう返したのである。
 当時、空を飛ぶ人工の飛行物体などそうあるわけではなく、村人達が大騒ぎになっていたことは劇中でもキチンと描かれている。鳥ではない大きな飛行物体が突然空に現れ、そして村はずれの丘に墜落したという事実は、村人達から冷静さを失わせたのは確かだろう。そして保安官も冷静さを失った一人であったのだ。だが保安官という立場上、取り乱すわけにも行かず、冷静になって自分が先頭を切ってこの墜落した物体の正体を明かしに行かねばならない。保安官も知識として「気球」を知っていたかも知れないが、それに何者が乗っているかまでは知らないだろう。その未知の物に先頭を切って対処せねばならない恐怖、自分が冷静になれるように感情をコントロールする困難さ、そして村人達が自分を頼っている緊張感…これらを保安官は重圧として感じていて、これをうまくこの台詞で表現したのだ。
 恐らく、気球を化け物や妖怪などと思っているのは村人だけで、この保安官は違うはずだ。だが「乗っている者」が誰なのか解らないという恐怖はあったはずだ。例えば何処かの極悪人が悪さをした上に気球を盗んで逃げてきたのかも知れないし、何処かの戦争と関係があって乗っていた者はこちらに銃口を向けるかも知れない。はたまた乗っている人間が飼い慣らしている化け物とかに襲われるかも知れない…このような最悪側の想定が彼の頭にあったはずなのだ。
 同時にここまで書いたことと別の意味もこの台詞には含まれている。空から人工物と人間が墜ちてくるなんて、当時はやっぱり考えられない話なのだ。そのような「想定外」の出来事が起きたことも、この台詞を通じて伝わってくる。いずれにしろ村の治安を守る最前線にいる保安官が、本音を語ったことでとても印象的な台詞だ。
名場面 気球を追う 名場面度
★★★
 トムとハックがハックの家で語り合っていると、外に異変が起きる。それはミシシッピ川の方から赤くて丸く大きな物体が飛んできたのだ。トムはこれが「気球」だとすぐ思い当たり、「誰かが乗っているはずだ」として追いかけるとハックに告げる。怖がるハックだがトムはそれに構わず先に走り出し、ハックも必死にこれについて行く。森を抜けて「カーディフの丘」に出ると二人は気球を見失うが、「どっか行っちゃったぞ」とハックの声にトムは「おっかしいな、飛んでいったのなら見えるはずだが」と返す。「丘の向こう側に墜ちたのかな」とハックが口に出すと、トムは「行ってみよう」と一方的に走り出す。丘の斜面を登っていると丘の向こうから気球が姿を現して、しかもトムとハックの方向へ倒れてくる。一度は気球の下敷きになりつつも、今度は二人とも必死になって気球から逃げる。気球に男が乗っていて「おーい、君たち!」と必死に逃げるトムとハックに声を掛けている。「おい、何か言ってるぞ」「わかってる!」とやり合う二人にロープが投げられ、男は「その紐を引っ張ってくれ」と叫び続けている。ロープが絡まって転倒した二人だが、トムが意を決してロープにしがみつく。引きずられるトムをハックが必死に押さえようとする。「紐を離せ」とハックが怒鳴り、気球の男は「紐を離すな」と怒鳴るが、トムはとにかくロープにしがみつく。そして気球がまた上昇すると、ロープにしがみつくトムとハックの身体が宙に浮く…「今は離すなよ」とハックが必死に叫ぶ。トムとハックが宙に浮いたまま気球の紐を引き、気球が少しずつ降下する。ところが今度は気球が急降下し、気球はトムとハックを踏みつぶすと、また上昇を始めて近くの木に激突、気球は木に引っかかり停止し、乗っていた男は気球から墜ちる。「あれ人間だろうな?」「当たり前さ」と会話しながら、トムとハックは倒れている男の元に駆け寄る。
 解説が長くなったが、これはまさしく「未知との遭遇」だ。トムは知識としては「気球」を知っていても、それを初めて見たのだから好奇心が湧くのは当然だろう。ハックにとっては意味不明の物体でまさしく「UFO」だったはずだ。カーディフの丘に出てから気球が倒れるまでの間は、BGMが止まって丘を吹く風音だけになり、緊張感を盛り上げる。ここで映画「未知との遭遇」のワンシーンを思い出した人も多いのではないだろうか? だが「トムソーヤーの冒険」では音楽を奏で合う訳ではなく、トムと気球の肉弾戦が描かれるのだ。トムが気球から逃げたところで、乗っていた男の姿が初めて出てくるのはタイミングとしてはとても良い。人が乗っていれば今度はこの気球をどうしなきゃならないのかということが解るし、トムはその方針に従って動きことになる。しかしハックが最後まで気球を化け物かなんかだと思っているのは面白い。
 こうして19世紀中頃のアメリカにおける「未知との遭遇」が、実に「トムソーヤーの冒険」らしく描かれて面白かったシーンだ。
今話の
冒険
(名場面欄参照) ミッション達成度
★★★★★
感想  今話は前後半で物語が二つに分かれている。前半はメアリーがミッチェル先生のところで働くようになる物語が描かれ、後半が本題の「空から降って来た男」登場の物語だ。
 前半は後半があんな緊張的なストーリーになることを全く感じさせない。トムが散髪を嫌がり、それでもメアリーが強引に散髪するシーンは見ていてとても面白い。そのシーンの狭間でミッチェル先生がポリーおばさんの元を訪れ、メアリーがこの医師の元で働くことが決まるが…ミッチェル先生のところには患者が全く来ないというオチだ。あまりにも患者が来ないので、病院に立ち寄ったポリーおばさんを無理矢理病人にしようとしているシーンには笑った。
 そして後半、トムがハックのところへ遊びに行ったところからが今話の本題だ。ハックが食べているトウモロコシがこれまた旨そうに描かれていて、私までトウモロコシを食べたくなったぞって話ではなく、そのトウモロコシを食べながらハックの家で語り合うところからが本題だ。
 まずトムがハックの家で気球を発見、これが村の方向へ飛んでいって村の騒ぎぶりが詳細に描かれる。だがここでひとつ残念なのは、この村の騒ぎのシーンでトムのクラスメイトが誰一人出てこないことだ。なのにベンの父親のロジャースだけは出てくるんだから不思議だ。確かに「トムソーヤーの冒険」で描かれているのは19世紀中頃、1840年代の話とされている。日本だったら天保年間で、「天保の改革」が行われていた時代。ペリーが黒船に乗ってやってくる10年程度前のことで、「幕末」に入る少し前の時代と言えば良いか。ライト兄弟が飛行機を発明するまでまだ60年もあり、人が乗れる気球が発明されてからだいたい60年位の時を経ていたとはいえ、まだまだ人が空を飛ぶなんて考えていない人が多い時代だったはずだ。
 そんな時代に気球が突然飛んでくるのだから、これは現代で言えばUFOが飛んできたような騒ぎだろう。未知の飛行物体を追う航空機などは当然無いわけで、保安官が馬で駆けつけるのが精一杯、こんなのどかな時代だから人が空から来たというだけで大騒ぎなのだ。
 そして、今回初登場の「天から降って来た男」アーサー・オコーナーは、本作の脇役では一番の当たり役なのは間違いない。ただしそれは最終回で初めて解る…んだったよね? 実はメアリーがミッチェル先生のところで働くようになったのが今話からと言うのは、その伏線としてどうしても必要だったのだ。しかし子供の頃の記憶って曖昧な物で、私はメアリーは最初からずっとミッチェル先生のところで働いていたと勘違いしていた。途中からだったのね。

第35話 「空を飛びたい」
名台詞 「お願いです、気球をもう一度上げてください。そして、僕を乗せて欲しいんです。お願いします、オコーナーさん。」
(トム)
名台詞度
★★★
 トムと仲間達は、アーサーの指示で気球を地面に係留する作業を終わらせた。アーサーーはメアリーから自宅への招待を受けていたため、トムと一緒に家へ向かう。この帰り道にトムは気球をどうするのかを問う、「引き取りに来るまであのままにしておくの?」と付け加えると「そのつもりだけど」と返される。「そう…」と呟いて下を向いたトムに、「君はどうしたいと思っているんだ?」と今度はアーサーが問うと「僕もあの気球で空を飛びたいんです」とトムは自分の本音を正直に語る。「それは無理だ、あの気球の空気は冷えすぎている」とアーサーは現状を包み隠さず答えるが、「もう一度暖めることはできないんですか?」とトムも応戦の構えだ。「うーん、できないことはないが、難しいな」とアーサーが返すと、トムはアーサーの前に立って真剣な顔で訴えたのがこの台詞だ。
 「空を飛ぶ」…これは1840年代の少年であるトムにとって、果たせぬと思っていた夢であったはずだ。もちろん彼のその思いはもっと潜在的なもので、せいぜい鳥が空を飛んでいるのを見て自分も飛びたいとか、太陽や月などの天体を見て自分もあそこまで行ってみたいとか、そう感じた程度のことであって具体的な思いではなかったはずだ。
 だがその潜在的な夢が実現可能となるチャンスが、目の前にポンと突然現れたのである。「気球」という人間が空を飛ぶ道具があることをトムは知っていたが、その道具とそれを操る人間がいま目の前にいるのである。この事実によってトムの「潜在的な夢」が「好奇心」に変わり、「空を飛びたい」と痛烈に感じるとともに「このチャンスを逃すわけに行かない」と感じたのだ。
 トムの「空を飛んでみたい」という思いが具体的ではなく、潜在的でしかなかったのは「その方法がない」からである。もちろんトムも知識として気球の存在は知っていても、それがどこへ行けば手に入るのかなんて知らなかったはずだ。しかし「その方法」が突然目の前に現れたことでトムが持つ「世界観」が変わったのは確かだ。これまでトムは自分の行動範囲を「地面」と「水面」だけだと思っていたのだが、そこに「空」が加わったのである。このトムの世界観の変化は、今話冒頭にキチンと示されている。アーサーが怪我をしたのを「空を飛んだ罰が当たった、空は神の領土だからだ」とした婦人に対し、「海だって川だって人間は自由に走ることが出来るから、空だって自由に飛ぶことが出来るはず」だとしたのだ。これは自分が行動できる範囲に「空」が加わったという世界観がなければ、絶対に出てこない台詞だ。
 いずれにしろここでトムがアーサーにキチンと「空を飛びたい」と伝えたことで、いよいよこの「天から降って来た男」4部作は本題へと突き進んでゆく。その本題の結論は、もちろん「トムが空を飛ぶ」ことである。
名場面 出会い 名場面度
★★★★
 前話で保安官と対面したアーサーは、保安官に連れられて保安官事務所に出頭する。恐らくそこで保安官から簡単な聴取を受けたのだろう、そしてシカゴの陸軍基地に手紙を書き、これを保安官の助手に届けるよう依頼する。助手が出て行くと保安官はアーサーに傷の手当てをするよう勧め、ミッチェル先生の医院を教えられるのだ。保安官の言葉に従いミッチェル先生の医院に着いたアーサーが扉を開く、同時に中から出てきた若い女性…メアリーと鉢合わせになってぶつかりそうになる。「ああ、失礼」「いいえ、こちらこそ失礼しました」と挨拶をするが、そのあとは見つめ合うだけで言葉が続かない。やっとアーサーが「先生はご在宅ですか?」と問い、メアリーはアーサーの額の傷を見つけて驚く。アーサーが自分の怪我の状況を語ると、相手が気球の主であることを知ったメアリーが中へ案内する。
 これが「運命の出会い」であったことは本作を最後まで見ないと解らないので、ここを名場面だと思う人は一度この作品を見たからだろう。だがこのシーンにはキチンと初めて出会った男女が惹かれ合ったことはキチンと描かれている。アーサーとしては「自分のタイプのすてきな女性」が突然医院の中から出てきたのに驚いたはずだし、メアリーとしては扉を開いたらそこに「自分のタイプのすてきな男性」が立っていた驚いたはずだ。そしてその二人が演じる無言の時間が、まさにここに書いた事実が現実に起きたことをうまく描いている。メアリーとしてはあまりにも突然のことで患者であろうこの男性を診察室に案内するという仕事を忘れるし、アーサーとしては自分がなんでこの医院に来たかを忘れてしまっている。その狭間に発生したもどかしさ、これこそがこのテの物語における「男女の運命的な出会い」だ。
 本作ではこの「運命的な男女の出会い」が描かれたのは三度目だ。トムとベッキー、ハックとリゼット、そしてメアリーとアーサー…この中で出会った瞬間から「両想い」なのはこのメアリーとアーサーだけだ。トムとベッキーの時はトムが一方的に一目ぼれしているだけだし、ハックとリゼットの時は「出会った瞬間にどちらかが惹かれた」というものではない。この男女の出会いを三者三様で描いているという点は「トムソーヤーの冒険」の特徴的な点であり、話を盛り上げている要素だと思うのだ。
今話の
冒険
 今回からはトムが「空を飛ぶ」という大冒険に挑む。目の前に突如現れた気球とそれを操る男の登場は、トムが「空を飛ぶ」という一世一代の大冒険ができる数少ないチャンスだ。今回、トムはアーサーに「気球に乗せてくれ」と懇願するだけだが、ここが「トムが空を飛ぶ」という大冒険の入り口であることは確かだ。トムは夢の中では気球で空を飛び、雲の上を歩き、そして墜落するが…まだその大冒険へ向けての道のりが始まったばかりだ。 ミッション達成度
感想  前話で描かれた「気球の墜落」をきっかけに、今話は物語がどのような方向へ向かうかを明確にする。その方向とはもちろん「トムが空を飛ぶ」ことである。前述しているが1840年代に少年時代を過ごしているトムにとって、「空を飛ぶ」なんてことは夢のまた夢のはずだ。だがその夢を実現できるチャンスがすぐそこにある、それをどのように実行するかがここから足かけ3話も掛けて描かれるのだ。
 そしてその間に挟まる話が、名場面欄に描いたメアリーとアーサーの物語だ。名場面欄では二人同時に一目ぼれしたことが示唆され、病院での診察シーンを挟むともう二人は仲良く村を歩いている。これは本作でここまでに描かれた3つの恋愛シーンに於いて、これまでなかった「足の速さ」だ。メアリーなんか夜家に招待しちゃっているし、しかも母親であるポリーおばさんには事後承諾とは…この娘もなかなかやるな。メアリーとアーサーが並んで歩いているのを見た保安官は「早速我が村一番の美人と知り合いになりましたな」と冷やかしているし、この保安官の言葉を聞いて照れるメアリーは可愛くて良いし、アーサーも「メアリーと何処で知り合ったんですか?」と保安官に聞かれて照れているのが面白い。
 そして気球の係留作業、名台詞欄シーンを経たらアーサーを囲んでの夕食シーンだ。ここでトムが気球について色々聞き出そうと興味津々で質問をぶつけてくるのがいい。シッドも気球には興味があってやっぱり色々と聞き出そうとするのだが、シッドは気球に乗るのが怖いらしい。空を飛んだら墜落することしか考えないから、「乗りたい」って意欲が湧かないのだけど…兄弟でここまで違うのは面白い。
 そして深夜、トムは夢の中で空を飛ぶ。もちろんこの夢の中でトムは墜落し、同時にベッドから墜ちるのは「おやくそく」だ。シッドの寝相の悪さも面白い、ちゃんとトムがベッドから墜ちるよう計算されている。
 さていよいよ次は気球が再飛行に挑むための準備が始まる、トムは空を飛べるのか、期待して次を待とう。

第36話 「気球を直そう」
名台詞 「たとえ一分前に会ったとしても、好きになるときには好きになるのさ。」
(ミッチェル先生)
名台詞度
★★★★
 ミッチェル先生の医院で仕事中、メアリーは窓の外を見てため息をつく。これを見たミッチェル先生は「これで五回目だな」とメアリーに告げるが、メアリーの返事は「何が五回目なんです?」だった。「本人は気付いてないのかね…あんたはさっきから五回も大きなため息をついたよ」と突き付ける、「まさか?」と返すメアリーに悩みがあるのかとミッチェル先生は問うが、「いいえ、悩みなんて」と否定するメアリーを見たミッチェル先生は何かひらめいたようで「するとそのため息は…そうか!」と続ける。「何がそうかなんです?」と問い返すメアリーに「あんたはあの青年が好きになったんと違うか? あの気球に乗ってやってきた男だよ」と突き付ける。これに対し「先生、変なこといわないでください。確かにアーサーはとても感じの良い人だけど、昨日会ったばかりなんですよ」と必死に否定するメアリーに、ミッチェル先生がさらに突き付けた台詞がこれだ。
 うーん、「一目ぼれ」の経験が無い私にも説得力があるのは、やはりこの物語が「一目ぼれ」というのをキチンと描いてきたからだろう。出会った瞬間に「この人だ」と思う一瞬、それを感じた人の想いというのをトムやメアリーやアーサーを通じてキチンと描いている…子供向けのアニメだからと妥協することなく。
 メアリーがアーサーと出会った時、その瞬間を経験したことは自覚できないのでなく認めようとしないのだ。もうアーサーの方はこの前のシーンでメアリーに告白済みだというのにである。そしてメアリーはこのことを上司でもあるミッチェル先生に突き付けられたとき、無意識にこれを認めない言い訳を考えたはずだ。その言い訳は「出会ったばかりだから」というものだが、本作を見てきた人はミッチェル先生にいわれるまでもなく「異性が好きになった」ことを「出会ったばかり」で否定できるはずがないことをもう知っている。だから劇中のメアリーにこれを突っ込みたい気持ちだが、これをミッチェル先生が見事に代弁したのがこ台詞なのだ。
 そしてメアリーはアーサーへの想いを「出会ったばかり」だからという理由で否定しながらも、「感じが良い人」と認めている。恐らくメアリーも自分が恋をしていることは解っているのだ。ならば否定する必要は無いはずなのだが、やはりこれを認めることが恥ずかしいのである。恐らく恋愛らしい恋愛はまだ経験していないであろう娘だ、出会ったばかりだろうがそうでなかろうがそんな自分がふしだらに思えて恥ずかしいのだ。ここのメアリーとミッチェル先生のやりとりでは、そこが上手く表現されていると私は思う。
名場面 保安官事務所 名場面度
★★★
 夕方、アーサーが保安官に呼び出される。保安官事務所へ行くとアーサーを見る村人達の視線がおかしいことに、アーサー自身も気付く。そしてアーサーが保安官事務所に入ると、保安官は単刀直入に気球を再度飛ばすことを辞めて欲しいとアーサーに告げる。「どうしてですか? どうしてあれを飛ばしては…?」と問うアーサーに、「実はこの村の一部の者が、あなたのことを悪魔じゃないかって言ってるんです」と返す。「何をバカな…」と立ち上がるアーサーに、「確かにばかげています、でもこの村は大変遅れているんです。現に私だって気球なんて見たことも聞いたこともなかった」と保安官は説明を続ける。アーサーは「私を見れば悪魔か悪魔じゃないかわかるでしょう?」と反論するが、「本物の悪魔だとしたら簡単には見破られないでしょう」「子供をさらってゆくんじゃないかと心配している者もいます」と保安官の返答は冷徹だ。「まさかハメルンの笛吹きじゃあるまいし…」とアーサーが言うと「あなたは笛は吹くんですか?」と保安官が問い返し「僕は子供をさらおうだなんて気は全然ありません」とアーサーが強く返すが、「でもあなたは子供達に気球に乗せてやると言ったでしょう」と保安官に突き付けられる。「でもそれは…」説明しかけたアーサーを遮るように「また何処かへ吹き飛ばされたらどうなります?」と保安官が突き付けると、「もうそんなことは二度とありません」とアーサーは返すが「でもみんなはそうは思わんでしょう。あなたは現にシカゴからここまで吹き飛ばされてきた人なんですから」と保安官は冷徹だ。「本当にシカゴの陸軍研究所から飛ばされてきたのかどうかは、軍隊が迎えに来るまでは解らんけど」と保安官はアーサーを疑い、続けて強い調子で「とにかく気球をあなた一人で飛ばしては困ります。それから子供達を乗せるなどとはとんでもない考えですよ」と言いながら、アーサーをひと睨みする。
 保安官のアーサーに対する態度が豹変する。それはそうだ、事情がよく分かっていない村人から見れば、これまでの平和的な展開が一転してアーサーが怪しく動き始めているのだから。そして都会とは違う情報格差…当時だからこと都会と田舎で「情報」による知識量には大きな隔たりがあり、これも保安官は「この村は大変遅れている」という言葉で説明している。その格差により気球の存在はもちろん、軍隊が空を飛ぶ研究をしていることを知らないだろうし、それよりも神話や伝説が実話として有効で悪魔の実在も信じられていた世界のはずだ。そんな世界に空からやってきた男が、子供達を集めてまた空へ帰るような行動を取り始めれば…「遅れている」村人達にはアーサーが悪魔に見えて当然だろう。アーサーの言葉にもあるように、まさに怪しい笛の音で子供達を自由自在に操って誘拐した「ハメルンの笛吹き」の世界だ。
 保安官は悪魔など存在しないことは解っているし、アーサーが陸軍の関係者であることもキチンと理解しているはずだ。だが彼の仕事はアーサー(陸軍)を全面支援することではない、村の治安と秩序を守ることだ。アーサーが来ただけならともかく、子供達を使って気球の復旧を始めたことで村の秩序が乱れ始めたのだ。だから保安官は心を鬼にしてアーサーに厳しく対処に、疑っていないのに疑う言葉を掛けざるを得なかった。そこまでやらないとこの青年には「何が問題か」が伝わらないと判断したはずだ。
 もちろん、最大の問題は「子供達を気球に乗せること」である。保安官も指摘しているとおり、アーサーが気球で迷走飛行の末にこの地にたどり着いている以上、同じ失敗が繰り返される可能性を誰にも否定できない。これはアーサーの側に対策があって二度と風に流されないことが事実であっても、村人達はそれで納得しないのは保安官は百も承知なのだ。
 アーサーの動きを保安官に通報したのは誰か、恐らくアーサーを「悪魔」とする通報には保安官は取り合っていないだろう。気球を直す手伝いをしている子供達の誰かの保護者が通報したに違いないと私は睨んでいる。その通報内容も「子供が悪魔にさらわれそうだ」ではなく、「気球に乗せられそうだ」というものだろう。もちろん通報者は気球がこの村に来た経緯から、「また風に流される事故が起きたら…」としたに違いない。つまり村の中でも「遅れている」人ではなく、気球等についてそれなりの知識がある者だ。こういう者が通報してくれば、保安官は動かないわけに行かない。
 それは誰の保護者か、この村でトムのクラスメイトで最近になってセントルイスという都会から転入してきた者が2名いる。そう、ベッキーとアルフレッドだ。このうちのどちらかの親によってトムの「気球で空を飛ぶ」という夢が潰されたのだ。アルフレッドは気球を直す手伝いに参加していないから…犯人はベッキーの親か。
今話の
冒険
 トムが「空を飛ぶ」という目標を持って行動する第二幕。トムの「気球に乗って空を飛びたい」という思いは、ポリーおばさんメアリーも反対だ。だがトムはそれでも積極的にアーサーに気球の修理を手伝い、アーサーの指示通りにてきぱきと動く。そして翌日には飛行の目処が立ったところで、名場面欄のようにアーサーは気球の再飛行を保安官によって禁じられてしまい、子供達が続けていた気球の修理作業は全て中止になってしまう。トムは夢の実現が絶たれ、深夜皆が眠った後に寝室の窓辺で独り涙する。 ミッション達成度
感想  いよいよトムが「空を飛ぶ」という夢の実現に向け本格始動だ。トムやハックだけでなく、気球が珍しくて集まっていた子供達の協力もあって気球は何とか飛べそうなところまで一気に話が進む。だが「天から降って来た男」の話がこのまま素直にトムが空を飛んで終わっても面白くない、だから今回はこの活動が中止される何らかの事件が起きることは明白だというのは、大人になって解ったことだ。この気球を飛ばす活動が中止になるために、ポリーおばさんやメアリーが「子供達が気球に乗ることは反対」という態度を明確にさせておいたのは成功だ。あれで多くの大人達が「子供達が気球に乗るのは反対」と考えているように見え、名場面欄シーンへ行く事に唐突感がなくなる。名場面欄でも語ったが、気球の修理に参加していた誰かの親で、しかも気球などに知識がある者が保安官に訴えたのは間違いないだろう。
 そしてこれと併行して、特に前半でメアリーとアーサーの物語がキチンと描かれる。アーサーは「この村に流されてきたのは幸運だった、もし他の村に流されていたらメアリーに会えなかったじゃないか」という台詞でもう告白までしている。この台詞に反応して頬を赤らめるメアリーの表情はこれまでにないもの、ここまでのメアリーは大人の落ち着いた印象で書いてきたが、恋に落ちると年相応の反応をキチンとするのは面白い。一度こうなってしまうともうその線で走るしかできなくなってしまい、たとえは名台詞欄シーンのミッチェル先生への反応はこれまでのメアリーだが、そこへ至る言動がいつもメアリーじゃないからミッチェル先生にそこを突かれて「いつものメアリー」でいられなくなってしまう。そしてアーサーが傷の診察に来たとき、ミッチェル先生から「一緒に気球を見にいけ」と言われると遠慮するのでなく、喜んでついて行ってしまう年相応の行動は、やはりこれまでのメアリーと違う。
 だがトムのことになるとやっぱりこれまでのメアリーだ。彼女は冷静にトムの気球での飛行に反対し、これを終始一貫で貫くだけでなく、アーサーにも空を飛ぶのをやめて欲しいと考えているのだ。これはメアリーの「遅れている」部分ではあるかも知れないが、メアリーはメアリーで気球が墜落して怪我をしたアーサーの実態を見ている。そういうことを心配するのは至極当然であり、大人の考え方だと思うのだ。
 メアリーとアーサーの物語について、ミッチェル先生のが言いたいことはもう一つある。それは「アーサーはすぐいなくなってしまう」ことだ。つまりこの二人の恋物語の終点はもう見えていて、そこまでにある程度の決着を付けねばならないという物語が持つ決意というものを感じさせる。これまでチョイ役だったミッチェル先生が今話ではけっこう重要な役どころにいて、改めて本話を見直すと驚くことだろう。それもこれもミッチェル先生がメアリーを雇ったことで、「主人公の家族の上司」という重要な役どころを握ったからだ。

第37話 「空からの眺め」
名台詞 「まぁ、上がっちゃったわ。上がっちゃった……素敵ね。」
(ベッキー)
名台詞度
★★★
 トムとハックは深夜にアーサーの気球を飛ばす準備に掛かり、夜明けが迫った頃に飛行の準備が完了する。そこへ「気球が飛ぶのを見たい」と言っていたベッキーが現れ、ベッキーも協力して気球を固定していた最後の綱を解く。そこへアーサーが現れ、トムとハックは飛行を制止されるものと思って準備を急ぐ。綱が解けると気球は一度浮くがすぐに着地してしまう。トムとハックはウエイトとして積んだ石のことを思い出し、その石を捨てると気球は今度こそ浮き上がる。そこへやっと気球の元にたどり着いたアーサーがしがみつき、見ていたベッキーが「危ない」と叫ぶ。そしてアーサーがしがみついたままの状態で、気球は夜明けの空へと舞い上がってゆく。その気球を見ながらベッキーが呟いた台詞がこれだ。
 実はこの村の気球騒動において、気球が空へ飛び上がる瞬間を見た者はいない。村人は全員、気球がどこからともなく飛んできたのを見たのであって、実はトムやハックにしても同じことなのだ。だから気球は「人の手で飛ばしている」と言っても「遅れている」人々は理解できず、悪魔などの迷信にすがろうとするのだ。だからベッキーはこの村で最初に「気球が人の手で飛んでゆく」のを最初に見た人と言うことになる。トムやハックは飛んでゆく気球を見たのではなく(=目撃者ではない)、それを飛ばした当事者なのだから。
 そのベッキーが見た「人間が自分の手で空を飛んだ」瞬間に口にしたことは、とにかくただ単に目の前で起きた出来事を反芻しただけの言葉で始まる。人間が作った「空を飛ぶ道具」が、人間の手で「上がっちゃった」のである。だがベッキーの思いはすぐにその行為をした者であり、それに乗っている者であり、それが自分が好きな男の子であるという三点だっただろう。トムがやった行為と気球が空へ舞い上がったという事実の双方が純粋に「凄い」と感じたからこそ、「素敵」なのである。
 トムはこの頃は一般的ではなくどちらかというと恐怖の対象であった「人が空を飛ぶ」という夢の実現に向けて猛進する、もちろん迷信的な面を省いたとしてもこれは危険なことであり勇気の要る行為だ。同時にどうやって操作すれば気球は飛ぶのか、どんな原理で気球が飛ぶことができるのか、キチンと理解している賢さをキチンと持っている。この勇気と賢さを兼ね備えているから空を飛ぶことが許された「勇者」であることをベッキーも理解し、トムを改めて尊敬したからこそ「素敵」と思えるのだ。
名場面 別れ 名場面度
★★★★
 トムとハックが無理矢理気球を飛ばして「空を飛ぶ」という夢を実現させた直後、いよいよ村に陸軍が気球の回収に現れる。そしてミシシッピ川対岸のイリノイまでもう一度気球を飛ばすことになったようで、アーサーはこれに乗って村から出て行くかたちとなる。この話を聞きつけたメアリーが気球がある「カーディフの丘」へ向けて走る。気球が再度宙に上がると、アーサーはトムとハックや村の人々に別れの挨拶をしながら気球を上昇させる。そこへ走ってきたメアリーが到着する、メアリーは既に気球が空中にあるのを見てガックリと座り込んでしまう。そのとき、一度は上昇したと思った気球が急降下、見送っている人々は皆驚く。アーサーが丘の中腹に座り込むメアリーの姿を見つけ、そこへ向かったのだ。「アーサー!」立ち上がりながらメアリーが叫ぶ、二人の別れの挨拶の後、「また必ず会いに来るからね」とメアリーに叫ぶ。大きく頷いてこれに応えたメアリーは、大きく手を振る。気球がまた上昇し、アーサー視線で見るメアリーの姿がだんだん小さくなる。
 このアーサー退場のシーンは上手く決まったと私は思う。現実的に話を進めれば、陸軍が迎えに来たところで気球は解体されて馬車に乗せられて運ばれるというところだが、それでは話として上手く落ちない。上手く落とすためには「天から降って来た男」がまた「天へ戻る」必要があるのは誰もが思うところだろう。だが物語は適当に言い訳を付けて、アーサーが「気球に乗ってこの村を去る」という展開にしたのだ。なぜアーサーが気球をミシシッピ川の対岸まで飛行させることになったのか、これは視聴者各位が想像して解釈を見つければ良い。ちなみに私は「気球は解体しても大きすぎるから渡し船に乗せられない」「陸軍大佐や博士の前で気球が健全で飛行できることを証明する必要があった」の二点だったと解釈している。
 そしてその中で、メアリーとアーサーの別れと「再会の約束」をキチンと演じる必要もあった。正直言ってアーサーのキャラクター性を考えると、二人が地面の上で握手したり抱擁したりしながら別れても全く面白くない。だからここでは地面のメアリーと空の上のアーサーという別れシーンを描いた。これは地面と空という待対比でもって「元々違う世界にいた二人」がほの短期間だけ同じ場所にいたが、また元通り違う世界へ戻ってゆくということを示唆していると考えられる。だから地面と空を挟んでの二人の別れは、とても印象的になったのだ。こうして「天から降って来た男」4部作は幕を閉じ、同時にアーサーというキャラが本作品で最も目立つゲストキャラで、しかも主人公の事実上の姉(しかも美人)をゲットするという「当たり役」として定着するのだ。
今話の
冒険
 トムが「空を飛ぶ」という目標に向かう第三幕。アーサーが保安官に気球の飛行禁止を命じられたことで、トムがこれら乗せてもらって空を飛ぶ夢は潰えたに見えた。だがトムは諦めない、ハックと相談して次の日の未明に自分たちの手だけで気球を飛ばそうと決意するのだ。これに「気球が飛び上がるところを見たい」というベッキーも加わる。幸い気球は「状況保存」を理由に解体されず係留されたままだ、夜間のうちに焚き火をして気球の中の空気を暖めれば飛べるとトムは判断したのだ。トムは深夜にコッソリと家を抜け出してハックと合流、焚き火をして気球の中の空気を暖めながら交代で眠り、夜明け直前に「散歩」を理由に家を抜け出した来たベッキーの手伝いと、トムが家を抜け出したことを知ってやってきたアーサーの協力も得てついに気球を飛ばすことに成功する(名台詞欄参照)。トムとハックは空からの眺めのすばらしさに感動、見送ったベッキーは「私も思いきって乗れば良かった」と後悔することに。 ミッション達成度
★★★★★
感想  いよいよ「天から降って来た男」4部作のクライマックスだ。サブタイトルから言ってトムが気球に乗って飛行するのは「実現」の前提で見る視聴者の方が多いことだろう。だが本作は「トムソーヤーの冒険」である、アーサーが隠れて気球を飛ばしてこれにトムを乗せるような甘い展開では面白くならない。ここはやっぱり子供達の手だけで気球を飛ばすからこそ、「トムソーヤーの冒険」らしいし面白くなると思うのだ。
 そして物語はその通りに進む、保安官から気球の飛行禁止を命じられたアーサーはこれに従い、子供達を気球に乗せるという約束を反故にする。もちろんトムがこれで納得するわけがないのは、ここまで物語を追ってきた者は説明されるまでもなく理解できることだろう。こうしてトムとハック、これにベッキーも加えた3人の冒険物語として本話が進んでゆく。
 そしてその合間を縫って「メアリーとアーサーの物語」を演じるのも忘れない。ミッチェル先生の医院はメアリーを雇ってから大繁盛、これまで患者なんてほとんど来なかったのが若い男性を中心に一気に増えたというのだが、ミッチェル先生はこれが気に入らないというのは何となく理解できる。でもメアリーがいるからミッチェル先生を選んだ男性諸氏の気持ちもよく分かるぞ。男とはこう、常にスケベなものだから。そのメアリーがアーサーに夢中でも関係ないのだ。
 メアリーもメアリーで、アーサーの頭に包帯を巻くのにたっぷり時間を掛けてミッチェル先生に叱られているし。でも別れが近い男女なんだ、許してやってくれよ。
 それとメアリーとアーサーの仲が、ポリーおばさんも公認だというのは驚いたな。アーサーは再びトムの家に宿泊するのだが、そのアーサーが「月を見ながら夜の散歩をしたい」と言えばメアリーが「一緒に行く」と言ってもこれを制止しないだけで驚きなのに、シッドが「僕も行く」と言えばこちらは制止する。そのシッドを制止した理由も「どうしても」だから面白い。それで納得いかないシッドに「明日ならば行っても良い」とし、シッドがその理由の説明を求めるとやっぱり「どうしても」だ。ポリーおばさんはアーサーに夢中になる娘を見て、自分が若かった頃を思い出したのかも知れない。既に天国へ行ってしまった自分の旦那と、若い日に描いた恋愛物語を思い出していたんだろうな。でも子供はそんなことを知らなくても良いから、理由は「どうしても」でいいのだ。
 そして名台詞欄シーンでいよいよトムが空を飛び、空から見る風景に感動するのは予想通りだけど良いシーンだ。しかしアーサーが乗ってなかったらあの気球はどうなっていたんだろう、それを考えるとゾッとする。

第38話 「恐ろしい出来事」
名台詞 「あの調子なら、自分がやったと本気で思い込んでるな。」
(インジャン)
名台詞度
★★★
 真夜中の墓地にロビンソン医師がインジャン・ジョーとマフ・ポッターを連れてやってくる。そこで色々とあり、気絶していたマフが気がつくと刺殺されたロビンソン医師の死体が自分に覆い被さっており、自分の手にはナイフが握られていた。インジャンの説明によると、マフとロビンソン医師が殴り合いの喧嘩となり、ロビンソンが墓標でマフを殴るとマフはそこに倒れる。倒れたと思ったマフがフラフラと立ち上がり、ナイフを出してロビンソン医師を刺したのだという。マフは殺意がなかったことや、ナイフを人に向けたことがないことなどをインジャンに訴え、インジャンに「このことは黙っていてくれ」と懇願する。インジャンは「お前を裏切るようなことはしない」とすると、「俺たちが一緒にいたのを盛られるとまずいからここをずらかれ」とマフに自分が行く方向とは反対方向へ逃亡するように勧める。その言葉の通りにマフが逃亡して一人になったインジャンが呟く独り言がこれだ。
 この話は子供身の頃に見たのをハッキリ覚えている。ロビンソン医師が殺害された直後にCMを挟んでいて、物語の空気が一度リセットされたところで気絶したマフが気がついて以降のシーンを流したため、子供の頃の私はすっかり騙された…「マフがロビンソン医師を殺した」と。このインジャンが気がついたマフに「お前がロビンソン先生を殺した」と説明するシーンは、台詞選びとインジャンの演出がとてもよいので私のように騙された子供は多いと思う。恐らくCMを挟んで空気を入れ換えてなければ私は騙されなかったと思うけど。
 その騙されていた私が「そういえばそうだった」と思い出したのがこの台詞だったのだ。そう、ロビンソン医師を殺したのはインジャンであってマフはその間ずっと気絶していたのだった。だからCM以降のインジャンが発した言葉はマフに罪をかぶせるためのものであって事実ではなかったのだ。だがここでのインジャンが真に迫ったいたこととだけでなく、子供時代の純粋な気持ちがインジャンのような悪党が付け入る隙になって私も騙されたということに気付かされたのが、この台詞だったのだ。
 もちろん、大人になってからの再視聴ではインジャンに騙されることはなく、このシーンのインジャンの言動は劇中での演技ということも解っている。それはやはり悪党という人は「人を騙したり罪をなすりつけたりして、自分の罪から逃げるものだ」という警戒心があったからだろう。これが良いのか悪いのか私には解らない。
 ちなみに、今話からインジャン・ジョーを演じるのは、則巻センベエ博士などでおなじみの内海賢二さんになったが…正直言って「インジャンはこの声じゃなくちゃ!」と思う。私にとって、インジャンの声は内海さんの声で記憶に残っていたからだ。
名場面 誓いの儀式中に… 名場面度
★★★
 インジャンがロビンソン医師を殺害し、これをマフの仕業に見えるよう工作したのを目撃してしまったトムとハックは、深夜の森を一目散に逃げる。そして森を抜けた先の「なめし革工場の跡」の建物に逃げ込む。ここで二人は今目の前で起きた出来事について語り合い、このままではマフが縛り首になるする。だからトムは保安官に今夜見たことを話すべきだとするが、それでインジャンが絞首刑を宣告されても結局は逃げ出し…そして自分たちを殺すのではないかという結論に達するのだ。そして今夜見たことを誰にも話さないと決め、二人は血判を押して誓いを立てることにする。「ハック・フィンとトム・ソーヤーは、今夜のことを口外しないと誓います。しゃべったら直ちに死んでも構いません」とトムが板きれに書き、まずトムが血判を押したところで外で野良犬が吠え始める。トムは「俺たちがここにいることに気付いただけだ」としてハックにも血判を押すよう促したが、この段階で外にはインジャンの姿があったのだ。建物に向かって吠える野良犬に気付いたインジャンは、建物に誰かいるのではないかと疑い近付いていたのだ。血判を押し終えたハックがそとの様子を見て震える、彼はインジャンがすぐそこまで来ているのに気付いたのだ。震えながらトムにインジャンの来訪を伝えると、トムも一緒になって震える。静かに近付くインジャンと、どうすれば良いか解らず震えるだけの二人が交互に映され、ついらはインジャンが建物の扉を開く。だがインジャン視線で見るその建物の中には、壊れた屋根から月明かりが差すだけで人の姿など見当たらない。インジャンは建物に一歩だけ入り「誰かいるのか?」と声を出す。「マフ、お前か?」とインジャンが続けたところで、初めて物陰に隠れて震える二人の姿が映し出される。「こんなところにいるはずはねぇな」と呟いたインジャンは回れ右をして、扉も閉めずに建物から立ち去る。しばらくして二人は物陰から出てインジャンの姿がないことを確認、トムが冷や汗を拭いて安堵すると違いの儀式が再開する。
 緊張感のあるシーンだ。こういう緊張感が物語に緩急を付け、盛り上げるのは言うまでも無い。恐らくここでインジャンが出てこなくて、二人が誓いを立てただけならば後半の展開はあまり印象に残らなかったことだろう。特サブタイトルになっている「恐ろしい出来事」は前半のうちに終わってしまっている、だからここでもう人盛り上がりしないと本当に物語が平坦になってしまう。だからインジャンが唐突に再登場することで「恐ろしい出来事」とは違うヤマ場を作ったのだ。
 いや、ここでトムやハックがインジャンに見つかるという展開も「あり」なのだ。だがその展開を採るにはもう残り時間が足りないのも事実だが、視聴者はこれに気付かないほど盛り上がっているはずだ。二人がインジャンに見つかってまた逃亡劇が始まるのか、それとも見つからずにやり過ごすのか、どっちに転んでもここのヤマ場は「恐ろしい出来事」本体よりも盛り上がったのは確かだ。結局後者の展開を採るわけだが、これによってトムやハックの「この事件について誰にも言わない」という決意が確定し、次回で発覚するであろうこの事件について二人は知らぬ存ぜぬで通すという方向性が決まるのである。
 もちろんトムのような性格の少年が、これを知らぬ存ぜぬで通せるはずがない。その辺りの揺れ動く気持ちが、次話で描かれるんだろうなぁ…。
今話の
冒険
 今回は昼間にトムとベッキーが馬車でデート、その時に村の墓地の近くにある「化け物屋敷」を訪れる。トムは独りで化け物屋敷に入っても怖くないとベッキーに主張したため、夜中に化け物屋敷に独りで入ってその内部について報告することを、ベッキーと約束させられる。トムはハックの元を訪れて、あくまでも遠回しに「一緒に行って欲しい」と告げて、早速この日の夜に「夜中の化け物屋敷探検」という冒険が行われる事になったが…「化け物屋敷」へ向かう途中でインジャンがロビンソン医師を殺害する光景を目撃してしまい、その探検はうやむやのまま中止。 ミッション達成度
感想  この話も子供の頃に見たのをハッキリ覚えている。冒頭はトムとベッキーが「化け物屋敷」という廃墟の入り口まで来て入るの入らないので語り合い、結果トムが夜中に「化け物屋敷」へ入る約束をさせられるシーンになったことで、「恐ろしい出来事」は「化け物屋敷探検」のことだと期待していた。「化け物屋敷」で本当に幽霊などを見るとか、そういう話を期待していたのに…トムが見たものはもっと怖い光景だったもんなぁ。殺人なんて目の前で起きたら、本当に怖いと思う、経験は無いけど。
 そして名台詞欄シーンでも書いたように、子供の頃の私はインジャンに「ロビンソン医師殺害はマフの仕業」だと騙された。後半冒頭シーンを見た子供の頃の私は、本当にマフがロビンソン医師を殺したと信じちゃったからインジャンは凄い悪者なのだ…ってやっぱり子供の頃の私が頭が悪かっただけかな?
 そして逃亡して「なめし革工場の跡」だという建物に逃げ込むが、この逃亡シーンも手に汗握るものでとても印象的なのだ。あのインジャンがすぐにでも追いつくんじゃないかという危機感を、子供の頃の視聴では勝手に感じていたのだ。その後の誓いのシーンでは、トムが板きれに誓いの文章を書いたのを見てハックがわざわざ「お前は文章が上手だ」と言った時、今も昔も「今ここでそれを言うか?」とツッコみたいのを堪えるしかなかった。
 しかし、今話は登場人物が少ないなー。出てきたのはトム、ベッキー、ハック、インジャン、マフ、ロビンソン医師の6名だけ。一応ジムも出ているが、台詞もなくあれじゃいないのと変わらない。ポリーおばさんも出てこないし、シッドは寝室で寝ているだけ、後は昼間の墓場での葬式シーンの参列者だがこれは「その他大勢」でやっぱり台詞もない。根本的に「トムソーヤーの冒険」は登場人物が多く、大勢で物語を進めている印象が強いので今話のようにたった6人で物語を作ってしまうと違和感を少しだけ感じる。でもこれはこれで印象的な物語だ。

第39話 「良心の痛み」
名台詞 「メアリー姉さん、ミッチェル先生が殺されたんじゃなくて良かったね。ロビンソン先生が死んじゃったから、ミッチェル先生のところこれから患者が増えるね、メアリー姉さんも忙しくなる。」
(シッド)
名台詞度
★★
 ロビンソン医師殺害事件が発覚した日の夕刻、トムの家もいつも通りの時間に夕食になったが、トムはもちろん、ポリーおばさんもメアリーも食欲がない様子だ。「どうしたんだろうねぇ、私はちっとも食べたくない」とポリーおばさんが口に出す。「お母さんも?」と返すメアリーに「きっとあの恐ろしい事件のことが頭にこびりついて離れないからだね。この村にあんな恐ろしいことが起きるなんて信じられないわ」とポリーおばさんが訴え、メアリーがこれに「マフが人を殺すなんて…」と呟くように返した後、今度はシッドが続けた台詞がこれだ。
 本話ではトムとハック以外の「子供達」の出番はほぼ皆無だ。「ほぼ」としたのは冒頭やここのシーンで僅かにシッドの出番があるからだ。ここでシッドは家族が昼間の事件で衝撃を受けて食欲が湧かないのに、その空気を読めずにひとりで夕食をパクパクと食べている。まずこのシッドの行動そのものが、幼いシッドに「事態の重要性」というのが全く理解できていないことを上手く描いている。よその土地からの情報が少なく、また人の出入りなどほとんど無い当時の田舎の村にあって「殺人事件発生」というのはもの凄くショッキングな出来事のはずだ。それもただ殺人事件が起きるだけならともかく、その犯人が村人の一人とあれば他の村人は様々なショックを受ける。悪い人はいないと思っていたこの村に、また良い人と信じていた村人の一人が人を殺したとあっては誰を信用して良いのか解らない。ミッチェル先生がマフのことを「人の良い酔っ払い」と思っていたとするが、それは村人みんながそうであってそんな一人が殺人をしてしまった重要性というのをシッドはまだ理解できていないのである。
 そしてジッドのこの台詞の内容は、恐らくはその重大性を認識しない村の子供達の平均的な意見だろう。子供に限らず村人にとってのこの事件の重大性を無視した場合、ロビンソン医師の死去は村に小さな村に二つもある診療所の力関係に興味が湧くことだろう。もちろんこれまで行われていた「競争」はなくなり、村の病人をミッチェル先生が独占することになるという結論は簡単に導き出せるので、これは子供にも理解可能なことだ。そんな子供にも理解可能な「事件の影響」をシッドは純粋に口にしただけだ。
 やはり本作は視聴者層が子供であること、そしてこの物語が「劇中の子供達が作る物語」という側面があることで、今回の事件をキチンと子供の目で見て子供の理解で示してきたのである。この台詞に対してメアリーはシッドを「あんたにはデリカシーってものがまるっきり無い」と叱るが、このメアリーの反応はシッドが語った「純粋な子供の分析」に対する普通の大人の反応に過ぎない。シッドは自分が何で叱られたのか理解できていない様子だったが、たぶんこの作品を見た子供達の中にも「シッドが何故メアリーに叱られたのか」を理解できなかった子供はいると思う。同時にこれが今話の「大人の物語」に子供が入って行ける部分でもあり、本話を見た子供達は劇中にちゃんと自分と同じ子供がいることに安堵するのだ。
名場面 保安官事務所 名場面度
★★
 ロビンソン医師が殺害されているのが発覚し、現場にマフのナイフが落ちていたことからマフが逮捕されて保安官事務所に連行される。そしてマフは取り調べにおいてインジャンに話を聞くように訴えたため、インジャン・ジョーが保安官事務所への出頭を命じられて事情聴取された。
 このシーンはそのインジャンから聴取した内容を保安官の助手が書き取って調書を作り、保安官がその調書にサインを求めたところから始まる。「私の言ったとおりに書いたのでしたら結構ですよ」と紳士的に答えたインジャンは調書にサインをするが、その光景をマフが絶望的な眼差しで見つめた後、ガックリと頭を垂れる。「裁判では証人になってもらうから、黙って余所へ行くな」との保安官の命令に「わかりました」と答えてインジャンへの事情聴取が終わり、保安官はマフを牢に入れるように助手に命ずる。助手によって牢へ連れて行かれるマフに「気の毒だな、お前さえ捕まらなければ黙っててやろうと思ったのにな。勘弁してくれ」とインジャンが声を掛けると、「いや、こうなっちゃ仕方ねぇよ。でもなぁ、俺は未だに自分がロビンソン先生を殺ったような気がしねぇんだ」とマフは力なく語る。それを遮るようにインジャンは「お前は酒をたらふく呑んでいたから覚えてねぇのは当たり前だ。裁判の時はそのことをちゃんと言ってやるぜ。悪いのはお前じゃねぇ、酒のやつだってな」と告げる。この言葉に反応できないままのマフは、助手によって牢に入れられる。するとマフはガックリと腰を落とし、泣き出すのだ。
 マフと思いとインジャンの思惑、それに保安官の思索までもが見えてくるシーンだ。もちろんその3点の中で上手くいっているのはインジャンの思惑だけであり、マフの思いはインジャンに否定されるばかりだし、保安官の思索は証拠がないので表に出すこともできない。
 インジャンの思惑は、当然のことながらマフをこの事件の犯人に仕立て上げることだ。インジャンはこういう事態に発展することを予期していて、事件の前にマフに酒をたらふく酒を呑ませたのはインジャンとみて間違いないだろう。結果マフは酔ったままロビンソン医師の仕事に参加するが、色々あっての殴り合いで気絶していただけというのが真相だ。だがこれがインジャンにとってプラスに作用する、酒で記憶が曖昧なマフに罪をなすりつける格好の条件が揃ったのだ。インジャンは過去にもロビンソン医師の仕事をしたと考えられ、またインジャンが他の人は誰も知らないはずの傷害事件の犯人であることも掴んでいる。つまりインジャンにとってロビンソン医師を殺害する「理由」は出来上がっている。それが表沙汰になる前に、マフに罪をかぶせられる条件が揃ったのだからこれを使わない手はない。
 マフの思いは、「自分か殺ったわけではない」というものだ。だがそこに確固たる証拠がなく、ロビンソン医師の殺害には自分のナイフが使われたという物的証拠がある「自分がやったもの」と思い込むしかないのだ。だけどどうしても腑に落ちない、いくら酔っていても「自分が人を殺す」ということはこれまでになかった。酔って喧嘩はしたけどナイフには手を掛けなかった自信が彼にはあるはずなのだ。だから「自分が殺った気がしない」のである。
 そして保安官の思索は、インジャンが怪しんでいるということだ。保安官はインジャンの証言に僅かな「内容のズレ」みたいなものを見つけていたのかも知れないし、また自分が手を掛けていないに自信を持ちすぎているのを怪しんだのかも知れない。その小さな「おかしい」が、殺人事件の目撃者に過ぎないのに犯人に対しての態度の大きさが不自然なのを見て大きくなったのは間違いない。だがこれも証拠がなく言い出せない。
 この三者の思いと思惑と思索がキッチリと描かれ、なんか推理ドラマのワンシーンを見ているような「大人向け」のシーンとして出来上がっていて、とても印象的なところだ。そしてこの三者の状況は、トムが知っている真実を持ってひっくり返ることを視聴者は先回りして知っている。だからもどかしい思いをして見守るしかない、辛いシーンであることも印象的だ。
今話の
冒険
 今回の冒険は、殺人者の犯人に仕立てられてしまったマフに差し入れをすることだ。まずハックがタバコを持って、続いてトムが美味しいハムを持って、それぞれ別々に保安官事務所へ向かいその裏で偶然に会う。保安官事務所の牢には外に繋がる鉄格子窓があり、ここから二人がのぞき込むとマフは眠っていた。声を掛けるとマフは気づき、二人が持ってきた差し入れを見てこれまでにない嬉しそうな表情をする。だがその帰り道、二人はインジャンとばったり出会って「こんな時間まで外をうろついているとろくな大人にならない」と笑われるが、その間ずっと震えることに。 ミッション達成度
★★★
感想  今話では事件の発覚とその後の展開を軸に、トムの精神的疲弊というものもキチンと描かれる。ロビンソン医師殺害が発覚したことで村人達が全員事件を知ることになるとともに、事件現場の遺留品を根拠にマフが犯人として逮捕されて牢に入れられてしまうのだ。この過程で事件を目撃してしまっているトムは、それを誰にも話せないことで恐怖を自分で処理するしかなく、精神的に疲弊してゆく。だが勘違いしてはならないことは、今話の最後の方までトムの心を支配しているものは「事件を見てしまった」恐怖を誰にも話せないことが主で、「真実を知っている」苦悩まだ従だ。今話のラストで牢に入れられたマフを見舞ったことで、この主の恐怖と従の苦悩が逆転し掛かるところで話を切っている。トムの心境的には中途半端だが、ここで完全に主と従を逆転させてしまうと、最後のオチ…トムがインジャンに襲われる夢を見てうなされ、シッドが眠れない夜を過ごすとことが描けなくなってしまう。かといって「オチなし」で次話に進む手を使えば、ここまで本作がずっと続けてきたパターンを破ることになってしまうだろう。
 名場面欄シーンについて、私は「実は保安官がインジャンについておかしいと気付いている」という解釈を取っているが、これには「そうでない」と思う方もあるかも知れない。だがインジャンがマフに声を掛けている時の保安官の様子を見ていると、そうとしか思えないのは確かだ。やはり嘘の証言というのをすれば、何処かに必ず綻びが生じてそこから嘘がバレてゆくものであり、保安官はその綻びを見つけているのだと思う。同時にマフが「何も覚えていない」と証言しているのに、保安官は引っかかっているはずだ。だがこの事件の場合、問題は「殺害に使用されたのがマフのナイフ」ということで物的証拠が挙がっているので、インジャンの証言をひっくり返すのは困難だ。保安官としてはこの村の治安を揺るがすインジャンを何とかしたいのは事実だろう、そして過去にもインジャンの言動が怪しい事件はいくつかあったがやはり証拠面でどうにもならなかったことを繰り返したのだろう。保安官は一度インジャンを事件の犯人として確保して取り調べれば、きっといくつもの余罪が出てくると解っているのだと思う。
 しかしトムの恐怖心は本当に大きいな、食事中に殺人事件の光景がフラッシュバックしたり、眠れば必ず夢でうなされるという状況だ。これは現代流に言えばやっぱり「PTSD(心的外傷後ストレス障害)」ってところなのかな? 実は私も過去に一度罹ったことがあるけど、本当にフラッシュバックしたり、それによって全く意味不明な行動をしたりしちゃうことがあって、その行動が制御できない時もある。私の場合は夢は見なかったから寝ている時は問題なかったと思うけど…それで精神科の医師の世話になったのは15年位前だったか…。

第40話 「マフ・ポッターの裁判」
名台詞 「今晩色々と考えてみる。もし失敗してもハック、お前がインジャン・ジョーに狙われないようにするつもりだから。」
(トム)
名台詞度
★★★★
 マフ・ポッターの裁判が近付いたある夜、トムとハックはマフに差し入れを届けに行った。そしてそこで自分が人を殺してしまったことを悔いた上で、「誰も慰めてくれないのにトムとハックだけは慰めてくれた」と泣きながら二人の手を握るマフの姿を見てしまった。このマフの姿に、トムもハックも「黙っているわけにはいかない」と強く感じるようになる。深夜の船着き場で「やっぱり黙っているわけにはいかないよ」「そうだな」「どうしたらいいんだろう」「そうだな」と会話が進んだ時、トムが続けた台詞がこれだ。
 トムがその方法はともかく「真実を語る」と決意したのだが、どうやるか方針が決まっていないので「考える」としか言えないのがもどかしいことがよく伝わってくる。だがトムとしては、それ以上に「ハックだけでもインジャンから守ろう」という強い意志が芽生えているのも見逃せない。言うまでもなくハックを親友として認め、その親友に手を出させないとするトムの気持ちが最も強いだろう。同時に「深夜の墓地で殺人現場を目撃する」きっかけとなる冒険にハックを半ば強引に誘った責任感も感じているはずで、「もともと自分が言い出したことでハックを事件に巻き込んだ」という責任感もこの台詞の裏にはある。
 そしてトムのこの台詞にある「ハックがインジャンに狙われないようにする」ということは、ハックが同時に目撃したことは黙っているということだ。この決意はある効果をもたらすことになる、それはインジャンに対する「圧力」だ。トムが真実を証言する際「もうひとり見た者がいる」としつつそれは誰なのかは言わない、これはインジャンに対し「真実を知っている者が他にもいる」という圧力として有効だ。つまりインジャンは逃げも隠れもできなくなにってしまうのだ。これは裁判中に真実が明らかになった際、インジャンが逃亡を図る(=自分がやったと認める)理由として成立する、大きな伏線になっている。
 この3点目の「インジャンに対する圧力」を考えたのはトムではなく、このシーンの後でトムが相談に駆け込むことになったマフの弁護士だろう。マフの弁護士はトムからハックのことを聞いているに違いない、だが敢えて証言台に立たせないどころかそれが誰なのかも明確にせず「トムと一緒にいた者がいる」とだけしたのは、もう一人の証言者が浮浪児であることや、目撃者が二人揃って子供であることを問題視したのだと思う。だから「誰か解らないもう一人の目撃者」としてインジャンに突き付けるのに有効となったのだ。こういうところにさりげなく伏線を忍ばせ、後々の展開の不自然さに先手を打っておくのは「世界名作劇場」の常道だ。
名場面 裁判の決着 名場面度
★★★★★
 マフ・ポッターの裁判は大詰めを迎えていた。検察側から事件現場にいたインジャン・ジョーの他、マフのナイフについて証言した男や、マフが事件翌朝に川で身体を洗っていたのを目撃した男などが証言し、これにの証言に弁護側が反対尋問を行わなかったためにマフの有罪が確定しそうな雰囲気になりつつあった。そこで判事が弁護士に対し、弁護人としての義務を放棄しているのではないかと忠告すると、弁護士が立ち上がって「新たな証人を呼ぶ」ことを判事に求め、これが認められたのでトムを証言席へ呼び出す。そしてトムがインジャンの恐怖におびえながら自分が見たことの全てを語ると、インジャンが突然暴れ出して逃亡を図る。
 名場面として挙げるのはここからだ。インジャン逃亡の騒ぎの中、マフは目に涙を浮かべながら黙って座っている。そして静かに立ち上がってトムの前へフラフラと歩いて行く。トムは自分の前に立ったマフに「ごめんねマフ、もっと早く言えば良かったんだ。そうすればマフだってこんなに苦しまずに済んだんだ。でも怖くて言えなかったんだ…ごめんね」と静かに語るが、こうトムが語っている間にマフの瞳に溜まった涙がどんどん増えて行き嗚咽が漏れる。そしてついに涙を流してトムに抱きつき「ありがとうトム、ありがとう…」と泣き出す。トムはそれを声も出せないまま、静かに受け止める。
 正直言って、「トムソーヤーの冒険」全49話の中で最も「泣ける」シーンだ…というのは大人になってからの感想。子供の頃の視聴ではここをどんな気持ちで見ていてのか記憶が無い。
 裁判で真実を証言したことで真犯人であるインジャンが逃亡し、これによってマフの罪が濡れ衣であることが認められた。マフはもう少しで濡れ衣によって絞首刑にされる危機から救われただけでなく、自分の身の潔白を証明することができたのだ。その感謝は口では言い表すことができないはずで、このシーンではマフの台詞が本当に必要最小限ににされて、マフの感情を表情や動きだけで再現したのがとてもリアルだ。ここでマフが何か流暢にしゃべり出したら絶対に白けたと思う。
 そしてトムの側は、マフに謝らねばならない事が沢山ある。だからトムは自分の後悔をキチンとマフに告げて謝るのに、ちょっと長い台詞を語るのはこれまた不思議ではない。この二人の思いから来るリアルなシーンに出来上がり、このシーンは大人が見れば「泣ける」感動的なシーンに仕上がったのは間違いない。
 マフとしてはあの事件以降、「自分が殺った気がしない」という思いを一貫して持っていたはずだ。肝心な時の記憶が無いのはもちろん、前話でも語ったとおり自分がどんなに酔った時も、喧嘩したことはあっても人を殺すような思いまでは持ったことはない絶対の自信があったはずだ。その自信は自分の生き様であり、これがトムの証言でやっと認められた。
 そしてマフは、インジャンの「恐ろしさ」をトム以上に知っているはずだ。酒場でインジャンと付き合いがあり、インジャンと裏の仕事を一緒にするうちに、インジャンから色々と裏での話を聞いていることだろう。たぶんマフはインジャンの「裏」をある程度知ってしまったことで、自分がいつかインジャンによって消されることも覚悟していたかも知れない…それが今話の前半で獄中のマフが、トムとハックに語った「諦めた」の本意だと私は思っている。インジャンの「裏」を知ってしまい、裏の世界から抜け出せなくなってしまった自分を助けてくれただけでなく、そのための証言をするのがどれだけ勇気の要ったことかマフは解っている。
 これらの思いが、マフの中に一気に噴出したのだ。それをリアルに描いたからこそ、感動的で「泣ける」シーンとして仕上がり、本作で最も印象的なシーンの一つとして私の中に残ったのだ。
今話の
冒険
 今話前半でも、トムとハックは保安官事務所の牢にいるマフに差し入れに行く。恐らく二人の差し入れはマフから見れば「定期便」になっていたことだろう。ここで二人の手を握り泣くマフの姿を見て、「このまま黙っているわけにはいかない」とトムは決心する。トムはマフの弁護士に相談に行き、その結果裁判の際に証言台に座って見たことを正直に語ることにした。これによってインジャンが暴れた上に逃亡を図り、マフの罪は濡れ衣であったことも村社会が認めるようになる。後は名場面欄シーンの通りで、マフは救われたのだ。 ミッション達成度
★★★★★
感想  名場面欄でも書いたが、「トムソーヤーの冒険」全49話の中で最も「泣ける」話だ。涙腺崩壊回とでも言おうか、この話は涙腺が脆い大人達を泣かすことに注力したとしか思えない。前半に描かれた獄中のマフ、後半の名場面欄シーンのマフ、これが本当に泣かしてくれるんだわ。マフというキャラクターだが、初登場の時にはここまで人を泣かせるキャラクターになるとは思えなかったんだけどなぁ。
 最初の方では子供達が「裁判ごっこ」をやる光景が描かれるが、これはひとつの殺人事件が村にどれだけの影響を与えたかを伝えるのに必要だ。大した娯楽もない時代に本当の殺人事件が起きて、犯人が捕まり、これが裁判に掛けられるというのはいろんな意味で村人達の興味をさらっただろうし、また裁判というのは一部の正義感が強い人たちの「弱きを助け、悪をくじく」という欲望を満たすことにもなる。村人達は殺人事件に給付するのと同様に、悪いことをしたマフにはそれなりの刑罰を与えられるのを楽しみにしているのだ。現在の日本では人々のそのような欲求を満たすために刑事物のテレビドラマがあり、「水戸黄門」を筆頭とする時代劇があり、子供向けにはウルトラマンなどの「正義のヒーロー」や「名探偵コナン」があるのは言うまでもない。またこのような人々の欲望が、大事件が起きるとその犯人を執拗に叩く世論になることも頻繁に起きている。
 また今話では本筋の裏で、「シッドが見た真実」というのも少しだけ演じられるのが面白い。前話でシッドは兄が夢でうなされているのを目撃していて、その時の寝言から「兄は殺人事件の犯行現場を見てしまった」と結論づけるのは子供でも簡単だ。だから夜の就寝シーンではトムに「マフがロビンソン先生を殺した時のことを教えて」と言うし、マフの裁判が行われている裏ではポリーおばさんに自分が見たことを正直に語り、ポリーおばさんの同情と疑問(なんでトムは真夜中に墓場にいたのか?)を誘う展開を演じている。ただしこちらにはオチはつかない。
 そしてトムとハックが深夜の牢に差し入れするシーンが描かれ、ここでマフがトムとハックの手を握って泣いているシーンを見ると、視聴者だってもらい泣きしながらトムとハックに「このままじゃダメだ」と告げたくなる感情が湧くだろう。物語はそれが二人に聞こえたかのように進む、トムとハックの心の中の主従関係…「事件を見てしまった」恐怖と「真実を知っている」苦悩の主従関係が入れ替わる。つまり「真実を知っている」苦悩の方がトムとハックの心の中の大部分を占めるようになったのだ。それでも「事件を見てしまった」恐怖は完全に払拭されていないから、なかなか結論は出ないし最後までインジャンに対する恐怖に震えることになる。いずれにしてもこのような二人の心の中の変化はうまく描いていて、トムが弁護士に相談して裁判へと上手く話が転がる。後は名場面欄に書いたとおりだ。
 裁判のインジャンが証言するシーンを見ていると、前話で保安官がインジャンの証言の何処に引っかかったか見えてくると思う。それはマフがロビンソン医師を殺害した時、「止める間もないほど素早く動いた」としたことだろう。マフはいつも酔っ払っていつもフラフラしている上に、記憶が飛ぶほど酒を呑んでいたのならそんなに素早く動けるはずがない…たぶんここは保安官が見抜いていたと思う。ただ保安官は裁判で口を挟む権利はなく、法廷の警備と被告の護送のためにその場にいたのだからそれを証言することはできないだろう。恐らくトムの証言でスッキリしたのはマフだけでなく、保安官も同様だったはずだ。
 トムが証言台でインジャンがロビンソン医師を殺したと訴えた時、インジャンが裁判官に「こんな子供の証言を信じろというのか」等と意見すれば良かったのではないかいうのは、子供の頃の視聴で誰か(兄だったのか学校の友人だったのか定かでない)が言ってた話。だがこれも名台詞欄の要素を考えてみれば的外れだ。この目撃証言には「トムの他のもう一名」が同様の目撃をしていることが含まれており、インジャンにとってはこれが圧力になったはずなのだ。ただし、インジャンが慌てずに「そのもう一人の目撃者を出せ」とでも言えば、また裁判は変わったかも知れない。結局インジャンによる殺害を目撃したのは子供だけという話になり、その証言の信頼性を問われるのだから…結局はインジャンが、全てがバレた事実に対して慌ててしまい自分で自分の首を絞めてしまったのだ。

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