第49話 「格好の悪い終り方」 |
名台詞 |
「うん、わかる、わかる。でもなハック、子供はどうしてだか学校に入れられる運命にあるんだ。ほら、この俺でさえ学校へ行ってるんだもんな。」
(トム) |
名台詞度
★★★★★ |
ハックがダグラス夫人に引き取られて以降、トムはハックに会えないままだった。ハックが裕福な生活になじめないことを知っているトムは、深夜にダグラス夫人の屋敷の庭に忍び込んでハックに会うことにした。これまで通り猫の鳴き真似を合図にしてみると、ハックが窓から外に出てきた。ハックがまず語ったのは「金持ちにならなきゃ良かった」という後悔で、ダグラス夫人は優しくて召使いも親切だがこういう生活にはなじめないとハッキリ語る。器使用時間が決まっていること、朝起きたら洗顔させられること、髪に櫛を通すこと、服にはブラシが掛けられネクタイを締め、ボタンのかけ忘れを注意されるという生活の全てに耐えられないというのだ。トムはこれに「子供はみんなそういう拷問に耐えてるんだぞ」と返すが、ハックの愚痴はさらに続く。本を読まされ字の勉強をさせられると言えばトムは「字は覚えておいた方が良いけどな」と返し、ハエを手で捕まえたりできないしベルの合図で食事やベッドで息が詰まりそうと言えば、トムは「そういやお前、少し痩せたかな?」と返す。ハックは金貨の半分の権利を辞退すれば元の生活に戻れると力説するが、トムは「そいつはできない」「もう少し我慢してみろ、慣れてくると今の暮らしも悪くないと思えるようになるよ」と返す。「そんなこと一生あり得ないよ」と消沈するハックは、続いて「それにどうしよう…」と苦悩の声を上げる。「どうしたんだ?」と心配そうに問うトムに、ハックは泣きながら「俺、学校に入れられるぞ」と訴える。「そうだ、明日から学校が始まるんだったな」と返すトムに、ハックは「俺、学校だけは行きたくねぇよ」と涙ながらに訴える。このハックの涙ながらの訴えにトムが返した台詞がこれだ。
「学校が何故存在し、学校へ何故行かねばならないのか?」という問題を、子供の視線で見るとこういう答えになるという見事な台詞だ。学校は子供達に社会で必要な知識を学ばせることで、子供達が大人になった時に困らないために存在し、子供達は「義務教育」というかたちで学校へ行くのが事実だが、これはあくまでも大人の論理だ。子供の論理ではそんなことは考えない、例えば小学生になったばかりの子供に「何故学校へ行くのか?」と聞けば「勉強するため」と答えられ、さらに「何故勉強するのか?」を問えば答えに詰まると思う。結局は子供は勉強しなければいけないという根拠のない答えしか出てこなくなり、これをトムは「学校へ行かされる運命」としたのはまさに「子供の論理」だ…特にトムのような勉強が得意でない子供達は、こういう論理で学校へ行っていることだろう。
だからトムはハックの「学校へ行きたくない」という気持ちには同意するものの、その事実を受け入れるしかないとこの台詞で突き付けるのだ。そして最大限の説得力のあることとして、勉強や学校が大嫌い自分ですら学校へ行っているという事実を付け加える。
この台詞にハックがどんな反応をしたかは劇中には描かれていない。だが私はこの台詞でハックは「学校へ行かざるを得ない」と感じたのは確かだろうと思っている。それは「勉強をする」という決意ではなく、「トムでさえ学校へ行くことを拒否出来ないのだから、自分も逃げられない」という諦めのような心境だろう。
いずれにしても本作の最後の最後で「学校が何故存在し、何故行かねばならないのか」という事実を、子供の目線で突き付けてきたのは子供の頃に見た時にとても印象に残っていたものだ。この台詞があるから、小中学生時代の私は学校で楽しいことはあまりなく、特に中学校では嫌なことばかりだったけどそれを「運命」と受け入れてやり過ごすことができたのだと思っている。学校が嫌なのは自分だけではない、そんなエールを子供達に送っているようにこの台詞は聞こえる。 |
名場面 |
格好の悪い終わり方 |
名場面度
★★★★★ |
9月に入り、夏休みが終わって学校は新学期が始まる。トムがいたクラスはドビンズ先生に代わってナタリー・ローズ先生が教壇に立ち、遅刻したトムは先生が代わった事を知らずに「教室を間違えました」とする始末だ。ダグラス夫人の馬車でハックも登校し、トムの後ろの席に座ることになる。最初の授業は算数、ナタリー先生は黒板に掛け算の問題を書いてこれを問うように子供達に指示する。ところがトムは「先生は新学期のはじめの日からテストをするんですか?」と質問する。「皆さんの算数の力を知るために、ここにある計算を解いてもらおうと思って」と先生が答えると、ハックがやる気のない顔で「俺、算数全然ダメだ」と声を上げる。「どうしてもみんなにやってもらいます。さあ、用意をしてください」と先生が続けると、相変わらずのやる気のない顔でハックが「学校っていつもこんなか?」とトムに問う。これを受けてトムは「だけど今日はとても算数をやる気分になれないよ」と先生に訴え、ハックは「とってもやっていけないよ、俺帰るわ」と荷物を出して席を立つ始末。これを見た先生はトムとハックの二人に対し名指しで「立ってこちらに来なさい」と命ずる。「なんだ?」とハックが口に出すと、「鞭打ちだよどうせ、算数やるよりましだろ? 来いよ」とトムはハックに一緒に来るよう促して席を立つ。「さあ二人とも後ろを向いて、鞭打ち10回ずつです。終わったら教室の後ろで立ってなさい」と強い調子で言う先生に、トムは軽く返事をして鞭打ちされる時の手を後ろに組むポーズを取り、ハックもこれに倣う。そして先生が二人を交互に鞭打ちすると、この都度二人の叫び声が軌用室に響く。クラスメイト達から声が上がり、ベッキーが心配そうにトムを見つめる。その光景を背景として「僕たちの物語をこんな格好の悪いところで終わりたくなかったけど、やっぱり学校だとこういうことになっちゃうんだ。今度また機会があったら、ハックからすばらしい冒険物語を聞くといいよ。じゃ、さよなら」とトムのナレーションが入る。そして物語がそのまま終わるかに見せかけておいて、最後にトムがひときわ大きな声で「あいたーっ!」と悲鳴を上げて、画面が静かに暗くなって本作は幕を閉じる。
うまくオチた。「世界名作劇場」は多くの作品でラストシーンはきれいに決まっているが、これはまた別格だと私は思う。感動させるのでなく学校シーンでさんざん描かれ、トムが痛い思いをしてきた鞭打ちシーンで終わるというのは本当によく考えたと思う。このラストシーンを見て多くの視聴者が「これぞトムソーヤーの冒険」と感じたことだろう。
本話では物語の結論である「トムとハックが宝を手にした」結果を描くが、その結果だけを描いても本作のオチとして不十分なのは目に見えている。「ハックが金持ちに引き取られました、おしまい」では感動も何もない。その顛末はハックが望んだものではないのだし、主人公が幸せを掴んだわけでもない。だからラストシーンをどうするかはこのアニメの制作者達は悩みに悩んだことだろう。その結果、物語で感動させることは一切考えず、どうやって「トムソーヤーの冒険」らしく視聴者が笑って終われるかという点に絞って物語を作りこのようなラストシーンに落ち着いたのだろう。
さらにこのラストシーンに行くに当たって、先生をわざわざ代えたのも効果的だったと思う。ドビンズ先生の再登場はなく、後任の先生は優しい女性の先生としたことで多くの視聴者の頭から「鞭打ち」という文字は消えていただろう。ナタリー先生が優しそうに描かれたからという理由もあるが、本作では鞭打ちはドビンズ先生の専売特許みたいな扱われ方をされていたし、何よりもドビンズ先生がいなくなった驚きも「鞭打ち」を視聴者の頭から消す方向に作用する。だからここで先生を代えたのは効果的なのだ。
トムの最後のナレーションで「今度はハックから冒険物語を聞くといい」としていることで、「世界名作劇場」シリーズとして「ハックルベリー・フィンの冒険」の制作があるのかと思って待っていたが…それは残念ながら実現しないままシリーズそのものが終わってしまった。2007年以降のシリーズ復活の時にも「ハックルベリー・フィンの冒険」の制作を期待したんだけどなぁ、やはりBSのみの放送ではシリーズ復活の知名度が低くてダメだったようだ。 |
今話の
冒険 |
最終回、実はトムもハックもその仲間達も冒険らしい冒険はしていない。だが冒険をした人物は一人だけいる、それはダグラス夫人だ。村の浮浪児が大金を手にしたことで後見人が必要となり、サッチャー判事や保安官などの要請があったとは言え、ダグラス夫人はハックを引き取ることを決意する。ろくな教育もされてなくて、自由気ままに自給自足の生活をしていた子供との生活は、ダグラス夫人にとって人生史上最大の冒険であったはずだ。 |
ミッション達成度
★★★ |
感想 |
この最終回は、子供の頃に見たのをハッキリと覚えている。名台詞はとても印象に残ったし、ラストシーンも笑顔で見ていたのをキチンと覚えている。この最終回は「世界名作劇場」他作のような派手さはないし感動もしないが、とてもよくできている。
本話の始まりこそはトムとハックが発見した金貨を持ち帰るところから始まる。大量の金貨を見て失神するポリーおばさんが面白すぎ、金貨を一枚拾って見つめているそのままの姿勢で倒れているのは非現実的だけど面白い描写だ。
問題は今回トムとハックが手にした12,152ドルという金額だ。劇中世界ではキャンディが2本で1セント、釣り針や釣り糸を買うのに5セント必要らしい。キャンディも色々あるが、トムらが舐めていたキャンディの大きさや形状からすると、現在の日本の貨幣価値で50円くらいのキャンディとみて良いだろう。つまり、1セント=100円が劇中世界と現代日本の貨幣価値の変換レートということだ。トムの小遣いが20セント=2000円、シッドが小遣いを貯めて32セント=3200円、子供向けの芝居が15セント=1500円という計算はあながち間違っていないと思う。
すると1ドルは100円の100倍だから1万円。その12152倍だから…121,520,000円、いちおくえんですよ、いちおくえん。二人の取り分は50:50だろうから、トムとハックはだいたい6000万円くらいの大金を手にしたことになる。いーなー、うらやましーなー、私の家のローンを全額払ってもまだ余る。これだけの額だからポリーおばさんが失神するのももっともだし、ハックにしっかりとした後見人が必要となるのも頷ける話だ。
それで始まるハックの苦悩というのをしっかりと描き込んだのも本作らしい、セーラの例を出すまでもなく浮浪児同然の生活をしている子供があんな大金持ちに引き取られたら普通はハッピーエンドなのだが、本作ではそれがバッドエンドになってしまうのだから面白い。名台詞欄で紹介した深夜のトムとハックの会話もとてもよく、この中に出てくる「子供はみんなそういう拷問に耐えてるんだぞ」は本作でも有名な名台詞だが、私が考察すると名台詞欄シーンに上がらない。どうしてもその後の名台詞欄の台詞の方が印象に残ったというのが事実なのだ。
こうして本作はオチも決まって印象的に幕を閉じたが、やはり残念なのは続編として「ハックルベリー・フィンの冒険」が「世界名作劇場」シリーズとしてアニメ化されなかったことだ。子供の頃の視聴では再放送を見た時は、原作には「ハックルベリー・フィンの冒険」という続編が存在することを知っていて「いつかはやる」と信じていたんだけどなぁ。
いずれにしても「トムソーヤーの冒険」全話視聴完了だ。続いて総評へ続くのだが、数話簡潔の繰り返しのこの物語は総評をまとめるのが大変そう…。 |