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第41話 「インジャン・ジョーの行方」
名台詞 「僕もハックと同じで、昼間はともかく夜はインジャン・ジョーの影に怯えていた。暗闇は昼間の英雄を臆病者に変える。」
(トム)
名台詞度
★★
 マフ・ポッターの裁判が「マフ無罪」で終わって数日、ハックはインジャンに仕返しされる恐怖に怯えていた。夜は用を足しに外に出られず、夢の中では家がある木の下にインジャンが立っているという。トムはハックのことは証言しなかったから大丈夫とするが、ハックはトムと仲が良く深夜に一緒に墓場にいる者と言えば誰もが自分しかいないと考えるとし、恐怖に怯える。そんなハックの前では気丈に恐怖を隠していたトムだが、夜になるとやはりトムもインジャンによる復讐の恐怖に怯えるシーンが描かれる。その夜のシーンの入り口でトムがナレーションするのが、この台詞だ。
 マフ・ポッターの裁判でトムは英雄になった。ロビンソン医師殺害事件の真相を暴き、村のならず者であるインジャンが犯人であることを示したことで、マフは濡れ衣を着せられていただけと判明して無罪となったのだ。この一件でトムはまた村人達から一目置かれる存在になり、一緒に暮らす事実上の姉であるメアリーまでもが「英雄」と認めている。そして英雄になったトムは、ハックの前だけでなく村人達の前ではインジャンの復讐の恐怖を隠す。それは昼間だから明るいこともあるが、人々がトムを勇気があるとか英雄だの持ち上げるからこそそう振る舞うしかないという現実問題もあるだろう。そのような英雄が持つ苦悩は置いておいても、昼間ならばその恐怖を隠すことは難しいことではないのは確かなのだ。
 ところが夜は違う。暗く見通しがきかず、何処に誰が隠れているか解らないという物理的な恐怖もある。だがそれよりもっと怖いのは「基本的に一人になる」ことだろう。日が暮れても家族と夕食を取っている間は良い、ところが寝室に入ればまだ年端のいかない弟のシッドと二人きりの世界に変わる。そのシッドも寝てしまえば、隣で弟が寝ているとは言え本当にトムは一人きりになってしまう。「家」に守られているとは言うのはトムにとっては無駄だ、何せトム自身が深夜に家の自室からコッソリ出て行ったり忍び込んで帰ってくるという行動を頻繁に取っている。インジャンが同じように忍び込んでくる可能性はゼロにできず、むしろ高いとトムは考えるのだ。そのように忍び込んでこられれば、トムはポリーおばさんやメアリーやシッドが目を覚まさないことは自分自身が体験している。だからトムは夜の恐怖は「普通の子供」より倍増されているはずだ。
 そこの論理をこの台詞は上手く伝えている。「昼間の英雄を臆病者に変える」とは本当に良いフレーズだと、私は思う。
 そしてこの台詞をきっかけに、トムが恐怖に震えるシーンの始まりだ。まずは尿意を感じるが、なんとかシッドを起こして一緒に行こうとするが失敗、結局限界まで我慢して手洗いへ駆け込むことに。続いてトムが普段やっているように、インジャンが屋根伝いに1階の屋根に上って窓から子供部屋に忍び込もうとしている夢を見る。このトムの恐怖はかなりのものだ、この恐怖との戦いをベッキーが見たら同情してくれると思うぞ。
名場面 トムの幸せ 名場面度
★★★
 ベッキーが夏休みを利用してセントルイスへ一人旅をすることになり、しばらくはトムと会えないことになってしまう。これはベッキーにとっても悲しいことで、ベッキーはこの日の別れ際に「勇敢な人が一番好き」との言葉を添えて別れのキスをする。そしてとろけた表情で帰宅したトムにもたらされた話は、アーカンソーの親戚のところへ使いへ行って欲しいというものであった。しかも出発日はベッキーの一人旅と同じ日、アーカンソーならセントルイスより先だからベッキーと旅行ができる! この話をポリーおばさんとメアリーから聞かされたトムは、喜びを爆発させて家の外へ走り出す。向かう先はもちろんベッキーの家で、この吉報をすぐにも伝えたかったのだ。ベッキーの家に着くと窓から顔を出したベッキーに、「僕も行くよ!」と言ってその内容を伝え「君と一緒に船の旅かができるんだ!」と語る。「すばらしいわ! まるで夢みたい!」と笑顔が返すベッキーだったが、トムの足下にはあのシーザーがゆっくりと近付いていた。トムが「夢みたいだ!」と返したところで、シーザーがトムの尻に噛み付く。その痛みにトムは「やっぱり夢じゃなかったよ!」と叫ぶ。そして逃げるトムと追うシーザー、ベッキーは「いけません!」とシーザーを制止しつつも、その光景を楽しそうに見ては投げキッスをトムに送る。そしてそのまま家へ向かって走る幸せそうなトムの後ろ姿で、本話が終わる。
 いいなぁ、好きな女の子と一緒に船旅なんて…と思った人は多いことだろう。トムは偶然にもその港運をつかみ取ったのだ、ベッキーがセントルイスの親戚の元へ一人旅をするのと同じ日に、トムもセントルイスのさらに先のアーカンソーの親戚の元へ一人で旅行することになったのだ。ベッキーへの旅行が決まって「しばしのお別れムード」だったトムの心境は、その「しばしのお別れ」と引き替えに得たベッキーのキスで決着がつくと思わせておきながら、一転してベッキーの旅に同行できるという展開になってムードはひっくり返るのだ。そのムードがひっくり返ったことで喜びを爆発させるトムの様子と、同じくトムの話を聞いてムードがひっくり返ったベッキーの様子をキチンと流すところまで今話はやってくれた。とかも本話のオチとしてシーザーに追いかけられるという「おやくそく」シーンとしてだ。だが今回はトムもベッキーもシーザーに対して反応が違う、トムはシーザーに追いかけられつつもなんか嬉しそうなのはベッキーとの二人旅が実現することとイコールで「こいつとしばらく離れられる」「こいつ抜きでベッキーとの時間が楽しめる」という思いがあるからで、画面にそれをしっかり演出しているのだ。ベッキーはトムがこの「苦手な犬」がいて噛まれたり追い回されたりするのが解っていながら自分のところに嬉しい知らせを持ってきてくれたのが嬉しいのだ。だからシーザーを止めるのは口先だけで、あとはトムが追われるのを楽しんで見ている…ベッキーは「トムには申し訳ない」と思いつつ、トムとこんな時間を過ごすのが大好きなんだと思わせてくれるシーンで、なによりもトムに投げる投げキッスがそれを上手く表現していると思う。
 こういう幸せなシーンがラストに描かれ、そして次話ではトムとベッキーの二人旅がどんなものになるのか期待しないわけに行かなくなるだろう。よい子の「世界名作劇場」だからあんなことやこんなことにはならないだろうが、甘い時間をたっぷりと過ごしてくれよ、とトムにエールを送りたくなった。
今話の
冒険
 今回の冒険は、あの頼りない探偵が行うと言って良いだろう。インジャンの行方を捜すために保安官が雇った探偵だが、何処かでネジが抜けているようで頼りない。彼はインジャンの自宅を探れば階段から落ちて腰を痛め、酒場でインジャンに関する情報収集をすれば自分が泥酔して倒れるというとんでもない探偵である。その探偵が思いついたアイデアは、インジャンは裁判でのトムの証言で殺人したことがバレたのだから、いつかトムに仕返しをする…だから常にトムを尾行すればいつかインジャンに会えるというものだ。この考えに従ってトムを尾行する探偵、トムがベッキーとデートしていようがお構いなしだ。探偵が尾行しているのが分かっているのにトムにキスをするベッキーもどうかと思うが、さすがにその間は目を伏せていた。トムがベッキーのキスをもらった喜びで走って帰宅すれば、必死になって何とか追いかけ家まで尾行に成功…と思ったらも、またトムがなんか嬉しい顔で出てくるではないか。喜んで走るトムはとても足が速く、もう探偵は追いつくことができず「ヤッホーだなんて…」と叫びながら倒れる。もちろん、インジャンに遭うことは叶わないままだ。 ミッション達成度
感想  今話はぶっちゃけて言うと、前回までの「おそろしい出来事」のエピソードと、次の「白馬」のエピソードをつなぐ話だ。でも「トムソーヤーの冒険」らしく、ただつなぐのでは面白くないからとここに面白いゲストキャラを挟んでくる。それが「今回の冒険」欄で出てきた探偵で、何処かネジが抜けていて頼りないあの男だ。この探偵は今話でやたら場を盛り上げつつ登場するからこのあとの主要キャラにでもなるのかと思ったら、次はトムが旅行に出るという展開になって有耶無耶になっちゃうキャラだった記憶が。だがこのおっさんが「前のエピソードと次のエピソードをつなぐだけの話」をやたら盛り上げてくれたのは確かだ。
 でも今話の本題は、やはり後半のトムとベッキーの二人旅が決まる過程のはずだ。トムとベッキーは川原でデート、そのときにベッキーがセントルイスへ一人旅に出る事を知らされ、二人は揃って「一緒に船旅ができたら…」という妄想に浸る。もちろんこの妄想シーンは名場面欄に書いた本話のラストシーンへの伏線である。二人とも「一緒に船旅ができたら…」と考えているからこそ、ラストで二人とも嬉しさを爆発させて印象的に仕上げることができたのだ。
 そのデート中に、空気を読まずに首を突っ込んでくる探偵という構図も、実は本話を盛り上げる要素だ。あのデートシーンは誰かが首を突っ込まないと止まらないところまで暴走しかかっていた、誰かが止めねばならないところであの探偵を上手く使ったと感心している。あの探偵がいなかったらマシで話が進まなかったと思う。
 デートの帰りはもれなく探偵がついてきたが、二人の間の甘い空気にはそんなのは関係ない。「勇敢な人が一番好き」とベッキーからキスをもらったトムを見ていると、これが「世界名作劇場」であることを忘れそうだ。いいよなー、あんなガールフレンド欲しいよなー…ベッキーは私の好みとは違うけど、うらやましいよなーと思わせてくれる。
 そして後は名場面欄シーンだ。名場面欄シーンではベッキーについて「苦手な犬がいると解っているのに来てくれた」と考えていると語ったが、このシーンのトムはベッキーの家に着くまではあまりの嬉しさでシーザーのことは忘れていたと思う。恐らく、探偵に尾行されていることも頭から消えたと思うし、インジャンによる復讐の恐怖もこの時ばかりは忘れただろう。好きな女の子との二人の旅行、こんな楽しいことは男子にとって他には考えられない。まさにトムは幸せの絶頂だったんだろうなぁ。

第42話 「楽しい船の旅」
名台詞 「とんでもない、セントルイスだなんて。いけないわ、田舎と違って都会で子供が一人で生きてゆくのは大変なことよ。きっと悪いことをし始めるわ。盗みだとかひったくりだとか、そうでもしなくては生きていけないの。」
(ベッキー)
名台詞度
★★★
 トムとベッキーの二人の船旅、この甘い時間を引き裂いたのは密航を企んでこの船に忍び込んだハックだった。ベッキーが救命ボートに隠れているハックの存在に気付き、トムが何度も見つかりそうになりながらハックをベッキーの船室へ連れて行く。ここでハックをどうするか相談するが、トムが「明日になれば船員に見つかる」とすれば「その時は川へ飛び込む」とハックは答えるが、これにベッキーが「ダメ、危ないわ。それに無事に岸に泳ぎ着いたとしても、全然知らない土地で一体どうするつもりなの?」と反論する。これにハックが「俺はただ親父と一緒に暮らしたくないから逃げ出しただけだ、先のこと何も考えてない。でもまぁ、何とかなるさ。セントルイスでちょっとの間暮らすのも悪くないな」と答えると、その反論としてベッキーが語る台詞がこれだ。
 父親に捨てられて独りになったハックが、悪さもせずに何とか最低限の生活ができているのは「セント・ピーターズバーグ」という土地柄に理由があることを、視聴者はもう気付いているはずだ。ミシシッピー川を行き来する船の中継点であり、それによって人が集まっているとは言え人口も少なく緑が多い田舎だ。こういう土地柄だからこそハックは村人達に嫌われていてもそこで生活ができる、食料は自然から手に入れることもできるし、村では残飯などを分けてもらうこともできる、恐らく農家からも農作物を分けてもらっているに違いない。田舎だからこそ人々に助けてもらえるのは、ハックの他に浮浪児がいないという現実によるものだろう。人間は一人の誰なのか正体が分かっている人間を放っておけないようにできている、その人が自分が食べ物を与えなかったせいで飢えて死ぬことを気味悪く感じるようにできているから冷酷になれない。だから浮浪児が一人や二人なら、その浮浪児はやっていけるのだ。
 だが都会は違う、人口に比例して浮浪児も多いはずだ。すると浮浪児というのは「名前も顔も分かっている特定の誰か」ではなく「沢山いる厄介者」に変化する。沢山いるうちの誰かならば人々は「自分が食べ物を与えなくても…」と考えてしまう、もし浮浪児の一人が自分が食べ物を与えなかったことで飢えて死んでも、自分の前には別の浮浪児がやってくるのだから下手すると浮浪児が死んだことすら気付かない。こうして浮浪児が沢山いることで、人々は浮浪児に対して冷酷になれる…これが都会の現実だ。
 だから都会では浮浪児同士の競争があるはずだ、生活の糧とするための食べ物を得るため、衣類を得るため、それを獲得するための金を得るため、浮浪児達は他の浮浪児に先を越されないように競争することを強いられる。それが数少ない仕事や商売を争っているうちは良いが、それで金が得られなくなれば犯罪に手を染めたり、犯罪組織に荷担することになる。そうなればもう「普通の人」として社会復帰するのは困難になろう。
 ベッキーはセントルイスからセント・ピーターズバーグに越してきたという設定だ、だから彼女はセントルイスでそんな浮浪児達の現実を目の当たりにしてきたはずなのだ。街角で商売している浮浪児だけでなく、犯罪に手を染めて警察やならず者達に追いかけられている浮浪児を何度も見てきたのだろう。だから都会の浮浪児は悪いことをしていることも知っている。ベッキーはハックを友人として、そして好きな男の子の親友として、そんな生活をして欲しくないと心から願っている、だからこの言葉がハックの胸に突き刺さるようにちょっと厳しい口調で語っている。そういうところまで見えてくる台詞だと感じた。
 この台詞を聞いたハックはベッキーが言うことはもっともだと感じたようで「独り暮らしはセント・ピーターズバーグがいいな」と返答し、この返答に安心したようにベッキーはハックの分の運賃を出すことを申し出る。こうしてハックはトムと共に、アーカンソーへ向かうことが決まるのだ。
名場面 セントルイス港 名場面度
★★★
 船は順調にミシシッピー川を下り、出発日翌日の夕方にセントルイスに到着する。ここでベッキーが下船して、トムとハックに別れの挨拶をすると大おば様と再会の抱擁をしてセントルイスの街の中へ消えようとしている。この光景を見ながらハックが「せっかく二人で旅をしていたのに、邪魔して悪かったな」と語ると、これまで淋しそうな表情でベッキーを見ていたトムが突然笑顔になり、「このっ、何言ってんだ!」と言いながらハックの帽子を取って投げてしまう。黄昏の空に飛ぶハックの帽子、これを追いかけながらはしゃぐ二人。「これから二日、ハックとの船の旅も楽しい物になるぞ」とトムのナレーションが流れる間に、いつしかトムの帽子まで飛んでいて二人で追いかけている。そして帽子を追いかける二人が甲板から落ちたように見えるシーンのストップモーションで、本話が終わる。
 これは本話のオチだ。ハックはトムとベッキーに対し、助けてくれたことや船賃を出してくれたことに感謝しているのはもちろんだが、それ以上に申し訳なく思っているのはトムの親友としてトムが大好きな女の子と二人きりの旅に割り込んでしまった事実についてだ。ハックはこの船にトムとベッキーが乗ることを知っていたはずだが、この二人を頼るために密航にこの船便を選んだのではない。父親が自分を探しに村に戻ってきたという緊急事態に対処するため、やむなく「最も早く出る船」に潜り込まざるを得なかっただけのことだ。もしハックが最初からトムやベッキーを頼るつもりだったなら、ハックはいつまでも救命ボートに隠れているのではなくトムかベッキーの船室を探す隠密行動をとっていたはずだ。それをしなかったことが、ハックの心の中に「トムとベッキーの邪魔をしてはいけない」と考えていたからであろう。
 一方のトムは、やはりベッキーとの二人旅を存分に楽しみたかったのは事実だ。これはこのシーンの直前でトムが解説している。だがトムとしては困っている親友を放っておけなかった、ベッキーと二人の時間が割かれるのは辛いことだが、それと同じくらいにハックを放っておけないのである。だからトムはハックを積極的に助けたのだし、自分と一緒にアーカンソーへ行くことまで提案したのだ。もしここで現れたのがハック以外の友人だったら…トムは少しだけ機嫌を悪くしたに違いない。
 そしてトムにはハックの「申し訳ない」という気持ちが十分に受け取っている。こういう時に他人の気持ちを見抜けるハックだからこそ、トムは親友でいられるのだ。だからトムは気持ちを切り替えて「ハックと精一杯楽しむ」ことができる。
 さらに言えば、ベッキーもこんな時にハックを放っておけないトムだから好きなのだ。ベッキーは見つけた密航者がハックだと分かった時に、トムがこれを助けることを見抜いていたはずだ。ベッキーとしても好きな男の子と二人きりの時間を割かれるのは辛かったはずだが、同時にトムがそういう男の子だから好きなのであっていまここで一緒にいるということも分かっている。だからベッキーもお菓子の提供や船賃の支払いというハックへの協力を惜しまなかったのだ。ハックに協力することは、好きな男の子であるトムを助けることだから。
 このシーンではベッキーの台詞はないが、こういう本話での3人の思いがキチンと見えてきて、オチとしてうまく締まっていると思う。こうして3人の船旅は、視聴者が見てうらやましいほど楽しい旅として完成したのだ。
今話の
冒険
 今話の冒険はもちろんハック。父親が村へやってきてまた自分を探していることを知ると、これから逃れるためにミシシッピ川の定期船で密航を企てる。救命ボートに上手く隠れたのは良いが、夜の遅い時間になるとさすがに空腹に耐えられなくなり、救命ボートを抜け出して食べ物を探しに行こうとしたのだろう。救命ボートから出ようともがいていたところを、最初はベッキーが気付き、続いてトムも気付き、トムがそれがハックだと気付いたことで声を掛けられる。ベッキーは「クッキーを持っている」として全室に一足先に戻り、ハックはトムに連れられてベッキーの船室まで隠密行動だ。途中で船員に見つかりそうになり、他の船客の部屋に飛び込んだりと色々あったが、なんとかベッキーの部屋へたどり着いて「今後どうするか」について検討してもらえるところにたどりついた。もちろん空腹のハックは、ベッキーが出したクッキーをすぐに平らげてしまった。 ミッション達成度
★★★★
感想  楽しそうな船旅だ、前話の流れからてっきりトムとベッキーの二人旅になるのかと思ったら…でもよく考えてみると、「トムソーヤーの冒険」的にはそれでは全く面白くないのも確かだ。だからハックにとって緊急事態となる「ハックの父親再登場」の設定を入れ、そのために本話の前半は丸々「旅行開始前」の話で引っ張る。これでハックが「とにかく急いで村から逃げねばならない」という展開になったことで、トムとベッキーが乗る船便での密航を企てたことに説得力が生まれる。その説得力さえつけば、トムがハックを庇いながらベッキーの船室を目指す「冒険」や、3人の船旅という楽しい展開も無理なく描けたのだ。
 劇中のセント・ピーターズバーグがモデルとなったミズーリ州ハンニバルと同じ場所だと仮定すれば、セントルイスまで川に沿えばだいたい180キロくらいだ。蒸気船はセント・ピーターズバーグを午後に出発し、セントルイスに翌日夕方に到着している。これらの時刻をどう取るかはいろいろ解釈はあるが、劇中のシーンをよく見るとセント・ピーターズバーグ出港を14時、セントルイス到着を18時と考えて良かろう。つまり所要時間は28時間、平均速度は 6.4km/h、船の速度単位で示せば 3.5ノット…ってこれはいくら何でも遅すぎる。時代設定を考慮しても船には 10ノット位で巡航してもらって、10時間前後でセントルイスに着いて欲しいものだが…。
 だがこれには「途中に寄港地があった」と解釈すれば良い。つまりこの船便は、ミシシッピ川流域の町ごとに寄港してゆくいわば「各駅停車」なのだ。ハンニバルとセントルイスの間にもいくつかの町があるのは地図を見れば明らかで、そのうち5つの町には港があることも読み取れる。1つの港に寄港すれば2〜2時間半程度の時間をロスするはずだ。それだけの時間をロスするのは、入出港に要する時間だけでなく、人や貨物の乗降があるからだ。人だけなら時間は掛からないが、貨物の積載などは時間が掛かるはずで1つの寄港地に2時間程度は停泊したい。すると途中の5つの町全てに寄港すれば、船の巡航速度が10ノットでも時間的な計算は合致する。
 その先のアーカンソー州までは 450キロほどある。ここに2日掛かるということは、1日 225キロほど進む計算になる。セントルイスまでの速度との違いは、寄港する町の頻度が下がれば辻褄は合う。いずれにしてもトムが「使いに出された」距離は、片道700キロ程度の道のりと言うことになる。調べてみると意外に遠いな、東京から青森に行くような距離だから。「船賃はたいしたことない」ってトムは言っているけど…実は凄い費用がかかるのではないか?

第43話 「白い馬を見た」
名台詞 「いや、乗ってみせる。ああ、こうなったら後には引けないよ。」
(トム)
名台詞度
★★
 トムとハックはフェルプス農場に到着、ポリーおばさんの親類であるサリーおばさんに重要な書類を渡すという「要件」を済ませるが、この農場にしばらく滞在することになる。なおハックはシッドと言うことにして、この家に潜り込んだかたちとなる。
 そしてその日のうちに、早速トムは「馬に乗せて欲しい」とサリーおばさんの娘であるベニーに頼むと、早速ベニーはトムとハックを厩に案内する。「ここにいる馬ならどれでも(乗って)いいわ」とベニーが言うと、トムは「この中には人を乗せない暴れ馬なんかもいるの?」と聞く。ベニーは「大丈夫よ、ちゃんと調教済みの馬だけだから、安心して」と笑いなら返し、「思い切って馬を駈けさせても大丈夫だね。さぁ早く乗ってみなよ、さっき見たインディアンみたいにかっこよく」とハックはトムの背を押す。ここでトムはちょっと気乗りではない顔をするが、ベニーは「私が引き出してあげるわ」と言って馬を選びに行ってしまう。ハックはトムの表情の変化に気付いて「いまのうちに乗れないって白状したら?」と耳打ちするが、これにトムはまた勇んだ表情に戻ってこう返すのだ。
 トムは素直に「馬に乗りたいから乗り方を教えてくれ」と頼めばよかったのに、何故かかっこつけて馬に乗れるように語ってしまった。だからベニーは「トムが馬に乗れる」ことが前提でトムを厩に案内し、馬もそれに見合った者を引っ張り出してくるだろう。ハッキリ言ってもうトムが馬に乗るだけの段取りが完成しているが、やっぱりトムは馬に乗ったことがなくここで一度は怖じ気づくのである。ハックはそんなトムが心配だが、トムはその心配するハックの姿に火を付けられたかたちだ。そんな風にして火がつき、意地になったトムの心境が見えてくる台詞だ。
 そしてこの台詞があるからこそ、次のシーンが面白くなる。次のシーンではトムが農場内で馬に乗ったものの、馬を御しきれずに馬が暴れてしまって悲惨なことになっている。これがトムが「意地を張った結果」であり、その「意地」を見たハックはもちろん、ベニーもそれを見抜いていたからこそ大笑いしているのだ。もちろんここは視聴者も一緒に大笑いするべき箇所である。そしてこの「意地」が今話で起きる大事件に繋がり、フェルプス農場での「白馬」を中心とした物語へと流れてゆくのだ。
名場面 牛乳 名場面度
 フェルプス農場に到着して用件が済むと、最初に行われたことは「搾りたての牛乳を飲む」ことであった。ベニーが牛舎へ行って牛の乳を搾り、それがトムとハック(=農場にはシッドだということにしてある)に出される。トムが一気に牛乳を飲み干し、ベニーに味をきかれると素直に「美味しいです」と答える。ベニーが「まだあるわよ!」と勝手に「おかわり」を入れると「お腹いっぱいになっちゃった」と言いつつまた一気飲み。
 たったこれだけのシーンなのだが、このシーンはトムが飲んでいる牛乳が何故かとても美味しそうなのだ。やっぱりトムの「飲みっぷり」が良いからだと思う。また牛乳というのは飲むだけでお腹がいっぱいになりやすいという特徴もキチンと示していることも、その要因に挙げられるだろう。
 なんか牛乳飲みたくなってきた。
今話の
冒険
 今回の冒険は、トムが乗っていた馬が暴れ出して駈けだしてしまったことから始まる。馬は猛スピードで走り続け、インディアンの馬の列をも追い越し、アーカンソーの大地をあてもなく一目散に走り続ける。やがて日が傾いた頃に小川があるところで馬は停止し、水を飲みその辺りの草を食べ始める。さらに日が暮れてからトムは何とか馬に乗ることができ、馬に農場へ帰るよう必死に頼むが…しばらくは農場へ向かって歩いていたかに見えた馬だったが、他の馬の声を聞いてまた違う方向へ走り出す。すると目の前に白い馬が現れて、トムが乗っている馬となんかじゃれ合っている様子だ。トムが乗っている馬は走り去る白馬を追いかけようとするが、トムが手綱を引くと我に返ったようでおとなしくなる。すぐに二人の男が現れた、この男がフェルプス農場の主人とその息子で、トムは無事に農場へ帰ることができた。 ミッション達成度
★★★
感想  トムとハックの珍道中第1話…前回は「トムとハックの珍道中」とは言えず、どちらかというとやっぱりトムとベッキーの旅だ。今話ではトムはハックをシッドだということにしてフェルプス農場へ連れて行き、ここでの夏休みの生活を共に楽しもうと企てたのだ。しかしトムが兄でハックが弟って、無理があるぞ…。
 冒頭では前話の続きで楽しい船の旅が描かれるが、その船の旅もハックがインジャンの名前を出したことですっかり盛り下がってしまう。心配事があっても旅の道中なら忘れられるのに…盆休みの旅行中に、突然会社からの急用で携帯電話が鳴ったあの瞬間を思い出したぞ。ホント、あれは盛り下がった。
 だけど旅の舞台が船から馬車に代わり、そして目的地に着いてしまえばやっぱりそんなことは忘れられることもキチンと描いている。「世界名作劇場」シリーズは「旅」を描くのが本当に上手いんだよな、「母を訪ねて三千里」のような物語全編に及ぶような大旅行にしろ、今話のように夏休みの旅行にしろ、その旅行ごとにどう盛り上げどころと盛り下げどころがキチンと分かっているのだ。
 そしてフェルプス農場に着けば、クララのおばあさんが演じるサリーおばさんが出迎えるが、よそ行きの服を着ているハックの方を抱きしめるのは「おやくそく」と言った感じだろう。さしてサリーおばさんには娘がいて、その娘ベニーがマルコが演じているのは大人になってから視聴で気付いて驚いたよ。たぶんベニーはメアリーと同じくらいの歳だと考えられる。だがキャラクターデザインはメアリーより少し幼い感じにしたのは、「第二子」ということを考慮したんだろう。今話のラストでサリーおばさんの息子で、ベニーの兄が出てくる。
 ハックがシッドに仕立てられたことで、視聴者が楽しみにするのはハックがシッドになりきれないヘマをすることだろう。当然ハックは突然とむの弟を演じることなんかできるはずがなく、ベニーの前で何度もトムを呼び捨てで呼んでしまっているし、夜のシーンではトムを「あいつ」呼ばわりしたことをサリーおばさんに指摘されている。これはハックがシッドなどでないことがバレるのは時間の問題で、バレた時にどういう話になるかも視聴者の楽しみのひとつになっただろう。
 ラストではこの珍道中の根幹となる白馬が出てきて、この白馬を巡るストーリーになることが上手く示唆されたと思う。トムはあの白馬に再会できるのか? あの白馬を捕獲することに成功するのか? 次回が楽しみだゾ!

第44話 「稲妻をつかまえろ」
名台詞 「なぁに、始めっから正直にお前が友達のハックだって言っちまえば良かったのさ。あんな良い人たちだもん、弟のシッドと変わらないくらい歓迎してくれたよ。きっと。でも、俺も初めてでどういう人なのか知らなかったから、あんなウソを考えついたんだ。」
(トム)
名台詞度
★★★
 フェルプス農場の2日目、トムとハックはベニーから馬の乗り方をキチンと教わる。そして夕方には二人だけで馬で周囲を走り回れるようになっていた。二人は町から帰ってきたサリーおばさんを発見し、その馬車に追いついて挨拶をする。するとサリーおばさんはポリーおばさん宛の手紙に「トムとシッドが無事に着いた」と書いたというのだ。驚いた二人は適当なことを言ってサリーおばさんの馬車から離れ、ハックが手紙が届けばポリーおばさんが驚くと心配する。「おばさんには驚いてもらうよ、仕方が無い」と軽く返事するトムに、ハックは「帰ってからお前、怒られるだろう?」とセント・ピーターズバーグに帰ってからの心配をする。「まぁな」とやはり軽く返事をするトムに対し、「悪かったな、俺が着いてこなければ」とハックはトムへの詫びと後悔を語る。これに対するトムの返事がこれだ。
 トムが「誤算」を認めたのだ。ハックを弟だということにせずに、正直に事情を説明すれば良かったのは確かだ。そうすればトムもハックもハックの正体を隠すために苦労することはなかったし、何よりもハックの心苦しさが緩和されるのは確かだったはずだ。
 だがこれは「結果論」である。フェルプス農場に到着してみたら、農場の人たちはみんな親切な人だったという「結果」があるからこその意見である。では1話前に戻って、フェルプス農場に到着する前のサリーおばさんやベニーが登場する前だったらどうだった判断したか…やはり実際にトムがやったように、ハックを弟ということにして潜り込ませるのが最善と考えたはずだ。この台詞でトム自身がトム自身が語っているが、親戚とはいえ会ったことはないのだからどんな人かは分からないし、第三者には冷たい人である可能性も捨てきれない以上は、ハックを親戚の一人として潜り込ませる以外に手はなかったはずだ。
 ここのトムの判断と、結果を見て「その判断は正しくなかった」という後悔が、この台詞には上手く込められている。そしてその判断を誤ったことで最も苦労しているのがハックであることも、トムには分かっているはずだ。だからキチンと「判断ミス」を認めた上で、ウソを言う必要が何故あったのかを説明したわけだ。
 この台詞を受け、ハックはトムのそんな心境を受け取った上で「正直に白状する」と言う。だがトムは「その必要は無いさ、こうなったらこのままウソを押し通そうよ」と決意する。そりゃそうだ、今頃になって「実は弟ではありません」ではフェルプス農場の人々がどんなに優しい人たちでも簡単には納得できないのが目に見えている。だからもうこのまま押し通すしか手段がなくなっているのだ。ただもうひとつ判断の誤りがあったとすれば、名場面欄シーンでベニーが追求した時点でベニーニだけは白状しておくべきだったと思う。そうすればここでハックの正体をバラすことは可能になったと考えられるのだ。
名場面 ベニーの追求 名場面度
★★★
 フェルプス農場2日目、台所で朝食の片付けをしているベニーのところにトムとハックがやってくる。ベニーがサリーおばさんが所用で町へ出かけたことや、この辺りは馬がないと何処へも遊びに行けないことを語る。これにトムは「ハ…シッドは馬に乗れないから」と返すと、ベニーは腹を抱えて笑い出す。ハックが「俺が馬に乗れないのがそんなにおかしいかい?」と問うと、「違うわよ。トムがシッドって言う時、いつもハ…シッドって言うんですもの、それどういう意味?」と笑いながら返す。トムが「僕はシッドのことをいつもシッドって言ってるけど。な、ハ…シッド」と返すと、ベニーが「ほうら!」と切り返す。慌てて口を押さえるトムに、ベニーは「ねぇあんたたち、あんたたち本当に兄弟なの?」と突き付ける。二人は一瞬驚くが、トムが作り笑顔で「どうして?」と答える。ベニーに「だって顔なんてちっとも似てないし…」と言われて顔を見合わせる二人、「ホラ、全然違うわ…変ね、なんか事情があるんじゃないの?」とベニーは突き付ける。「別に、俺乗馬の稽古やろうかな」「俺も…」とあくまでも白を切ろうとする二人。「あ、そうだ解ったわ? あんたたち父さんが違うのね。そうでしょう?」とベニーが思いつけば、二人はその思いつきにすがるように乗る。「そうなんだベニー、よく分かったな」とトムが返せばハックに「シッドの父さんはどんな父さんだったの?」とベニーが問う。これにハックがしどろもどろになりつつも「行方不明になった」という結論を語る。続いてベニーがトムに父親について問うと、その人となりを正直に語りつつも「シッドが生まれてしばらくして死んだ」と口を滑らせてしまう。ベニーは二人の話に矛盾があることに気付き、「トムの父さんはシッドが生まれてきてしばらくして亡くなったって言ったわね? トムの父さんはシッドの父さんでもあるわけでしょ? さっきは別々の父さんだと言ったわ」と指摘。トムが慌てて言い訳して、「トムの父親はトムを産んだらすぐに母親と別れ、母親はトムを連れてシッドのお父さんと結婚し、それでシッドが生まれたらシッドのお父さんはいなくなった」ことになった。この説明を怪しいものを見つめる目で聞くベニー、そしてその説明の間にハックは逃亡してその場からいなくなっている。これを追いかけて出て行くトムの後ろ姿を見ながら、ベニーは「でも…なんか変」と呟く。
 面白い、このシーンはとても面白い会話だった。嘘に嘘を重ねた結果、どんどんボロを出してゆくトムとハック。そのボロを見逃さずにとことん追求するベニー…ハッキリ言ってこれはただハックの正体がバレるだけよりも余程面白い。そしてここでは「バレた」という結論を出さず、これを敢えて先に引っ張るからもどかしい。だが先に引っ張ったことで、トムとハックが必死になってハックをシッドに仕向ける苦労が描かれることになるからこれはこれでまた面白い。
 恐らく、ベニーはもう目の前にいる「シッド」がトムの弟などではないことにうすうす感づいている。だが二人はなかなか口を割らずにその場を取り繕い、丸め込もうとしていることで結論が出ないもどかしさを上手く演じている。ベニーはトムとの血縁の遠さから言って、トムの両親の事情の詳細は知らないと思うので明確に「違う」といえる立場でないからこういう微妙なシーンを演じることが可能なのだ。これがもっと近い親戚であればこういう会話にはならなかったはずだ。
 そしてここは、名台詞欄で語ったとおりハックの正体について絶好の「バラし時」だったのは言うまでもない。ここでベニーにだけは真実を話し、他の人には内緒にするようお願いすれば全ては丸く収まったはずだ。その「バラし時」を逸してしまったこともうまく示され、視聴者は今後の展開に不安と期待を持つところだ。
今話の
冒険
 今回の冒険は、フェルプス農場の男たちによる「稲妻をつかまえる」というものだ。前話で出てきた白馬に「稲妻」という名が付けられ、捕獲作戦は本格化していた。フェルプス農場3日目にトムとハックはこれに同行、前話でトムが乗っていた馬をおとりにして白馬をおびき寄せるという作戦だ。午前中におとりの馬を森の中に繋ぎ、白馬が現れるのをひたすら待つ。その間、ベニーの兄による投げ縄の実演があったり、退屈のために昼寝したりなどかなり時間が経ってしまった模様だ。そして夕方、いよいよ「稲妻」が現れる。おとりに使った馬とじゃれている時に主人が近付くと…白馬は逃げ始める。そこを主人とベニーの兄の二人が投げ縄によって捕獲、「稲妻」はフェルプス農場に持ち帰られることになった。 ミッション達成度
★★★★★
感想 …ダ、ダメだ。フェルプス農場の長男でベニーの兄の声を聞いたら、ぶりぶりざえもんの顔が頭に浮かんでしまって笑うシーンじゃないのに笑ってしまった。まさかと思ってエンディングでスタッフロール見たら、やっぱり演じていたのは塩沢兼人さんだった。当時はマ・クベの直後だから本当は壺をならすシーンとモビルスーツ「ギャン」を思い出さねばならないところだが、塩沢さんのぶりぶりざえもんのインパクトは凄いからなぁ。詳しくはこちらもどうぞ。
 いずれにしてもフェルプス農場2日目。ハックは案の定、寝室から抜け出して藁の山で寝ている始末…こんなところを農場の人に見られたら大変なことになるぞ。そして名場面欄シーンで、ハックの正体がバレる瀬戸際と、「バラし時」を逸してしまったことが同時に描かれ、物語はさらに混迷の度を深め…まさに「トムとハックの珍道中」というのに相応しい展開だと思う。
 そしてトムとハックが本格的に乗馬を習うが、トムが落馬して気絶したシーンではよくベニーはハックの正体に気付かなかったな…って、私はあそこで確信したと解釈している。我に返ったトムはハックの顔を見て「ハックルベリー・フィンだ」といえば、「ハ…シッド」と繋がると思うんだ。あそこでは敢えてそれに気付いていないふりをしていたと、私は解釈している。ベニーがそこまで頭が回らない女だったら、名場面欄シーンが幻になる…。
 名台詞欄シーンは、起こるべきことが起きたと言うことだろう。そりゃそうだ、サリーおばさんとしては子供達二人の到着をポリーおばさんに報せるのは当然だから、これは避けられないのだ。だがハックの正体については後回しにして、今回のラストは「稲妻」捕獲作戦に絞ったのは好感が持てる。実は「稲妻」が本作で何をしたかと言えば何もしていないのだが、「稲妻」の存在で物語に緩急がつくのは確かだ。でも「稲妻」があっさりと捕まったのは予想外だ、まぁ残り話数を数えるところまで来ているからそろそろ話をキチンと進めて欲しいところでもあって、旅行している場合じゃないのだけど。

第45話 「さらば白馬よ」
名台詞 「ねえ、シッド。あんた一体誰?」
(ベニー)
名台詞度
★★★★
 「稲妻」捕獲によってインディアンの襲撃があるかも知れない…トムとハックは家の中に閉じ込められて退屈していた。夕方になって二人の部屋にベニーが現れる。「もうごはんできたの?」と無邪気に問うハックに「そんなにお腹が空いているの、シッドは?」とベニーが返す。「外へ出られないから、退屈して考えることは食べ物のことばかりさ」とハックが答えると、「シッドってずいぶん意地汚いのね、その点トムは…」はベニーはトムに話を振る。そのトムが「僕だってお腹ペコペコだ」と返すと、「兄弟ってやっぱり似ちゃうのね」とベニーが笑顔を作る。これに釣られてトムとハックも笑うが…そのときに笑顔だったベニーが急に表情を変え、ハックに向けて突き付けた台詞がこれだ。
 いよいよハックの正体がバレる時が来た。前話の名台詞欄シーンでトムが「このままウソを押し通そう」と決意した時に、この瞬間が来ることは視聴者はよく解っていたはずだ。だから来るべき台詞が来たってことだが、そこへ至る会話の台詞選びがとても良いと思う。兄弟の共通思考があると受け取ったと思わせておいて…この台詞でどんでん返しだ。
 夕方に突然ベニーが二人の部屋を訪れたことがわざわざ語られることで、多くの人はここがバレる瞬間だと感じたはずだ。だがその結果はトムやハックがつい口を滑らすなどのヘマをやったわけではなく、何らかの理由でベニーが「あの子はシッドではない」と確信を持ってこれを突き付けたことだ。その確信に絶対の自信があるからこそ、厳しい視線でハックを見つめて、厳しい口調でこれを突き付けたのだ。この絶対の確信と「騙された」という思い、この台詞にその感情が上手く込められている。さすが「世界名作劇場」で様々な名演技を見せてきた松尾佳子さんだと感心させられる台詞でもある。
 この台詞はCM直前、本話前半のラストに流されたのも印象的だ。視聴者はこの台詞に対するトムとハックの反応や、なぜベニーが「この子はシッドではない」と確信したのか、これらを知りたいのにCMに入って数分焦らされるのだ。DVD等による視聴やNHKでの再放送だとCMがないからこの点に気付かないが、民放での再放送でここでCMが入って待たされる。CMが明けたら別シーンとかでなくて本当に良かったよ…。
 この台詞を聞いたトムの反応は「どうしたの? これは弟のシッドだよ」で、ベニーはこれに「ウソおっしゃい、この子はシッドであるわけがないわ」と返す。ベニーはやはり確信していたのは確かで、このあとベニーは「この子(ハック)とトムは同じくらい(の歳)」だとして「トムとシッドは3歳違いのはず」と確信した理由を語り、さらに二人の様子が気になって以前にメアリーから来た手紙を読み返してトムとシッドの年齢差を思い出したと語る。トムは「ごめん、騙して悪かったけどこれには色々と訳があって」と謝罪し、ここにいるのはハックという友人であることと、ハックを連れてきた理由を語る。そしてベニーはこの事実をサリーおばさんやおじさんには黙っている条件として、ある計画の実行を二人に頼むことで話が回るのだ。
名場面 帰りの船旅 名場面度
★★★★
 トムとハックがフェルプス農場で過ごした日々が終わり、セント・ピーターズバーグへの帰途につく。往路の逆ルートで駅馬車から船に乗り換え、3日目の朝にセントルイスに寄港。ここで偶然にもセントルイスの親類の元で過ごし帰途につくベッキーが乗り込んできた。ベッキーの乗船シーンに合わせ「なんという偶然だろう、打ち合わせたわけでもないのに、ベッキーが僕らの船に乗ってきたのだ」とトムの解説が流れる。ベッキーはトムと再開の抱擁の後抱き上げられ、続いてハックにも再開の抱擁をする。そして出航後、手を繋いで甲板を走るトムとベッキー。二人はその後ろをのんびり歩いて追うハックから隠れるため、荷物に挟まれた狭い空間に飛び込む。ハックが気付かずに通り過ぎると二人は笑顔を交わしたと思うと、トムがベッキーの頬にキスをする。一瞬驚いた表情をした後、うっとりとするベッキー。そして走り去る船の後ろ姿にシーンが変わり、「帰りは往きにも増して楽しい船旅だった」とトムが締めくくる。
 いや、もうこれはトムの解説なんかなくても「楽しかった」ことが十分に伝わってくる。トムとベッキーがハックを置き去りにして走り、見つからないように隠れただけで「二人はハックとは別に楽しい時間を過ごしていた」ことが伝わってくる。
…これだけで十分だが、それで終わるならここを名台詞欄シーンとしてわざわざ取り上げない。トムとベッキーが荷物に挟まれた狭い空間に逃げ込んだことで、そこに若干の「怪しさ」が生じるわけだ。この状況を見た視聴者が「何も起きないはずはない」「大人同士ならあんなことやこんなことになるな」と思う頃合いを見計らって、トムがベッキーに口づけするタイミングがとても上手く決まったと思うのだ。
 正直言って、これまでの「世界名作劇場」ならば「怪しい空間ができただけ」だけで終わる話なのに、ちゃんとその先に何が起きたかを再現してしまう。相思相愛の大好き同士の男の子と女の子が、あんな狭い空間に押し込められたらああなるしかなく、そこまでキチンと再現したのは「世界名作劇場」ではあまりなかったと思う。例えばフィオリーナの頬にマルコが口付けても(逆も含めて)おかしくない状況はあったのは事実だ。もちろんトムとベッキーの年齢と劇中の時代背景を考えれば、あれで充分であって「その先」なんかあるはずがない。二人が十代半ばなら話は別だが、まだ日本で言えば小学生だ。
 それはともかく、この口づけが加わったことでトムの帰路の船旅が楽しいことはよーく伝わってくるし、そこに怪しい空間があったことも上手く示唆してくれた。その怪しい空間をベッキーが嫌がっていないことで、怪しさが余計に倍増したのもこれまだ事実だ。
今話の
冒険
 今回の冒険は、トムとハックとベニーによる。ベニーはトムが連れてきた「シッド」が実は別人だったことを見破るが、これを表沙汰にしないことと引き替えにトムとハックにある計画への協力を要請する。それは前日に捕獲した白馬である「稲妻」を逃がすことであった。夕食後、農場の主人がインディアンの襲撃に備えて武装している雇い人達の様子を見に出かけた時が決行のタイミングだ。ベニーが「稲妻」がいる小屋の警護に当たっている雇い人に「厩の方向でインディアン発見」という偽の報せをして、「稲妻」から彼らを引き離す。こうして「稲妻」が無監視状態になったところで、トムとハックが「稲妻」がいる小屋に忍び込み、その扉を開いて「稲妻」を逃がすという寸法だ。この作戦は途中まで上手くいくが、「稲妻」が小屋から逃げ出しても馬場の柵を越えることができない。このままでは「稲妻」が逃げられないばかりか、「稲妻」を逃がそうと必死になっている二人も見つかってしまう…と思ったら「稲妻」は柵を跳び越えて、農場の敷地外へとまんまと逃亡を図ることに成功。こうしてハックはこの農場では「シッド」として、あの3日を無事に過ごすことができた。 ミッション達成度
★★★★★
感想  トムとハックの珍道中最終話、「稲妻」を巡ってインディアンがフェルプス農場を襲撃するなんて話になった時はどうなるかと思ったが、そこでの緊張感と盛り上がりが冷め始めた頃合いを狙って名台詞欄シーンとなってベニーにハックの正体がバレるというのはうまいと思う。そしてその「正体がバレた」を上手く使って、「稲妻」の方にも決着を付けるのだから非常にテンポが良くて見ていて楽しい1話だったのは間違いない。
 ベニーはトムが「シッド」として連れてきた子が「シッドでない」と「見破った」かたちになったが、その理由も無理がなくて良い。恐らくベニーは前話名場面欄シーンーで二人がおかしいことに気付き、その時点で潜在的には見破っていたのだろう。だから過去にメアリーから来たトムとシッドの情報を調べるという行為に至ったはずで、その結果「おかしい」ことが「違う」という確信に繋がったのは確かだ。だから名台詞欄の台詞を、ベニーには絶対の自信を持って言ってもらわないと困る。この台詞回しや役者の演技に少しでも「迷い」があったら、あのシーンは盛り上がらなかったと思う。これは制作者側ももの凄く注意したところだと私は思う。
 「稲妻」を逃がすことについては、発案はベニーであってもやっといることはいつものトムとハックだ。だが馬場の柵を持ち上げるところでは、今までのパターンなら二人の馬鹿力で何とかしちゃうそうなところを堪えて、「稲妻」が自力で解決しちゃったのは意外性があって良かった。同時に「稲妻」という馬が恐れ多いものだという説得力が生じ、この馬を逃がしたことが正しいと視聴者が自然に感じるように作ってある。だから捕獲したことで農場の所有物になった馬を逃がした罪悪感を誰も感じない、また劇中の主人も馬を再捕獲することをやめる説得力にもなるだろう。
 最後のセント・ピーターズバーグへの帰路は言いたいことはたったひとつ。私も大好きな女の子と一緒に怪しい船旅を楽しみたい!

第46話 「化け物屋敷で」
名台詞 「なんだ、お前も相当びくついているってことが分かって、安心したよ。」
(ハック)
名台詞度
★★
 ハックの家に使えるか調査すべく「化け物屋敷」の入り口に立った二人だが、ハックはその雰囲気に恐怖を感じ震えているが、トムは気丈に振る舞う。「お前、先に入れよ」のハックの一声でトムが先に中に入り、中の様子を見回すが…突然トムが叫び声を上げる。ハックが「おい、トム! どうした?」と叫び返すと、トムは体中に蜘蛛の巣が巻き付いたの払っている様子だ。「なんだ、蜘蛛の巣じゃないか」とハックが声を上げると「あー、ビックリした」と返すトムに、ハックが屋敷の中へと歩を進めながら安心した口調で語る台詞がこれだ。
 ハックは「化け物」なんか信じていないことは、彼の森での生活やこれまでの台詞や言動を振り返れば分かることだ。だが彼はこの「化け物屋敷」は怖い、恐らくハックは自然の中では怖いものがないのだが、「化け物屋敷」のように「人が作ったのもの」が寂れて誰も寄りつかなくなっている事実が怖いのである。ハックが感じている恐怖はここ化け物が現れることなんかではなく、人間がそれによって作られたもので自分たちが傷つくことを恐れているのだ。例えば中に入ったらこの屋敷が倒壊して自分たちが巻き込まれるとか、この後に現実に起きることになる悪人のような人たちがやってくること等だ。
 だからハックはトムが気丈に振る舞うのは「無警戒に中に入ってゆく」ように見えたのだろう、ハックとしてはそれも恐怖の一員だ。どう見ても安全とは思えない屋敷の中へ勇んで入ってゆくトムが信じられなくなり、ハックは「実はトムの罠にはめられるのではないか」という恐怖も感じ始めていたのである。目の前にいる少年はトムに見えるが、実は別人ではないかという恐怖である。
 そのハックの恐怖のひとつが、トムが何かに恐れて恐怖の叫び声を上げたことで吹き飛んだのである。トムが叫び声を上げた瞬間に、ハックはトムもやはりこの屋敷に何らかの恐怖を感じていることが分かり、「間違いなく自分の仲間」であると思い知った。この気持ちを乗せてトムに訴えたのがこの台詞と言うことだ。
 もしトムが蜘蛛の巣に驚いて恐怖の叫び声を出していなければ、ハックはこの屋敷に入れないままだったに違いない。ともに恐怖を感じている「仲間」がいるからこそ、ハックはこの屋敷に「何らかの決意」をょするまでもなくすんなりと入れたのだ。
 このハックの台詞に対してトムは「俺は昔から蜘蛛の巣が嫌いなんだ」と言い訳するが、これに対しハックは余裕満々の表情で「へぇ〜」と返す。このハックの余裕こそが、この台詞の裏にある「ハックの変化」だ。
名場面 インジャンが迫る! 名場面度
★★★★★
 「化け物屋敷」にハックが住めるかどうかを調査に来たトムとハックだったが、2階の部屋でコウモリの大群と出会ったことで屋敷の調査はやめて変えることを決する。だが外から人の話し声が聞こえてきて屋敷から飛び出すのを辞めて隠れる、その人々が屋敷に入って来て誰なのか解るとトムとハックはこれまでとは違う恐怖に震える…入ってきたのは「ギル」という手下を従えたインジャン・ジョーだった。
 インジャンはこの屋敷の暖炉に隠してあった隠し金を確認し、これを屋敷内の別の場所に隠そうと玄関脇の床が抜けた場所を屋敷の中にあったツルハシを使って掘り出す。そこで大量の金貨を発見、予想外の発見にさすがのインジャンも目を潤ませて喜ぶ。ところがインジャンはここであることに気付く、なぜ屋敷の中に都合良くツルハシがあったのかということだ。「俺がこの前ここに来た時にはなかった」と気付いたインジャンは、ギルとの会話で「ここに誰か来た」という結論に達する。インジャンはさらに進んで「今現在、この屋敷の中に誰かいるからここにツルハシがある」という考えに至ったのだろう、立ち上がって階段の上の方を見つめ「今、2階の方にいるのかな…」と呟く…そのとき、トムとハックは階段から上がってすぐのところでインジャンとギルの様子を見ていたのだ。「何ならあっしが見てきましょうか?」と告げるギルを黙らせ、インジャンかは静かに階段を上る。トムとハックは震えて這うように逃げる。インジャンが階段を上ると、階段は悲鳴を上げて不気味に歪む。階段を上るインジャンの鋭い目は「2階に誰かいる」ことを確信しているし、トムとハックはそれを知ってか知らずか涙目で泳ぐように這って2階の廊下を逃げる。トムとハックは、なんとか先ほどコウモリの大群に襲われた部屋の入り口にたどり着く。インジャンが上る階段が歪む音が近付く、トムとハックが部屋に入ろうとした時、ハックが部屋の内側に立てかけてあった扉に身体を引っかけてしまい、扉が倒れる…扉が音を立てて倒れて万事休す!と同時に、インジャンが階段を踏み抜いて1階に落下してしまったのだ。「大丈夫ですか? アニキ」と走ってきたギルに「畜生、痛ぇ」と返すインジャン、彼は2階には誰もいないと判断して自分の金と発見した大量の金貨を隠す方を優先させることにしたので、トムとハックは助かったのだ。
 「手に汗握る名場面」とはこのシーンのことを言うのだと思う。主人公によって痛い目に遭わされた悪党が、ツルハシという武器を持って主人公に迫る。悪党は立派な体格の大人で、主人公は子供が二人…出くわせば勝負が目に見えているのは確かだろう。その悪党を恐れていた主人公から、手を伸ばせば届くほどの距離までその悪党が迫っていたのである。それも隠れるところはいくらでもある廃屋の中で主人公の勝ち目があったはずなのに、ハックが扉を倒してしまい大きな音が確実に出てしまう状況にまで追い込まれる。トムとハックの絶体絶命のピンチとして盛り上がるところだ。
 同時に視聴者の見どころは、トムとハックがどうやってこの危機を乗り越えるかでもあろう。ここでトムとハックがインジャンに見つかって捕まるとは思えない。トムとハックはロビンソン医師殺害事件は無関係に、ここでインジャンの隠し金の在処と発見した大量の金貨を見てしまった上、他に誰も人がいない廃屋だ、それこそ生命が危ないだろう。だからトムとハックがインジャンに捕まるはずはないということは視聴者は理解できている。ここでハックの失敗とインジャンの失敗が同時に起きるという処理は上手くやったと思う。何処かに秘密のぬけ穴があるようなご都合主義的展開ではなく、インジャンが「2階には誰もいない」と判断するだけの材料を与えたのである。あそこで階段を踏み抜いたインジャンは、「2階に人が上がろうとすれば階段を踏みぬいたはず」と判断するからだ。そこにいるのが子供だとは思っていないだろう。
 こうして本作で一・二を争う緊迫的シーンが出来上がった。このシーンは本話のサブタイトルを見れば瞬時に思い出すほどの強烈なシーンだが、これは同時にトムとインジャンの最終決戦の幕開けを告げるものに過ぎない。最終盤展開の幕開けシーンとして強く印象に残るシーンだ。
今話の
冒険
 夏休みも終わりに近付き、問題になったのはハックの木の上の家が劣化してこれから寒くなったら間違いなく住めなくなることであった。そこでトムはハックに「化け物屋敷」に住むことを提案し、嫌がるハックを無理矢理説得して「化け物屋敷」を調査することにしたのが今回の冒険だ。トムは気丈に振る舞うが、ハックは名台詞欄シーンまでは恐怖に震える。だがトムの恐怖を見たことでハックの恐怖心は薄まり、やがて二人は家の中を色々と見て回る。2階に上がり部屋にあった戸棚を開くと、中からコウモリの大群が出てくる。これに驚いたトムとハックはこの日の調査はやめにして屋敷から出ることにするが…ここで外から人の話し声が聞こえてきて出るに出られなくなってしまう。その人がインジャンとその手下だったことで、冒険は名場面欄に書いたように予想外の方向へ進んでしまった。 ミッション達成度
★★★
感想  いよいよ残り4話、本作も最終盤へと突入してゆく。もちろん本作で最後に残された話は「トムとインジャンの最終決戦」で、その最終決戦と結果を描く3話と、物語全体のオチである最終回を残すのみとなった。本放送時は今話から次回予告が次作品の「ふしぎな島のフローネ」の予告に変わっていたはずだ。本放送時はこの展開は12月、それでも劇中ではまだ夏休みが続いていたから季節感が合わなくて困惑した視聴者も多かったことだろうって、これは仕方がないことだが。
 そしてこの「トムとインジャンの最終決戦」の幕開けを告げる本話は、「インジャン再登場」の緊迫感を盛り上げるために登場人物は最小限に絞られている。トム・ハック・ポリーおばさん・保安官・インジャン・ギル(インジャンの手下)の6人だけで物語を進めるのだ。このうちポリーおばさんは冒頭で僅かに出てくるだけで本筋には直接絡んでいない。そして本話がどれだけ盛り上がるかは、インジャンが再登場した瞬間よりも名場面欄シーンに掛かっていたことは説明するまでもなく理解している人は多いだろう。あそこで主人公と悪党の接近劇を、しかも主人公の絶体絶命のピンチとして描くから、本話が「トムとインジャンの最終決戦」序幕としてもとても盛り上がったのだ。ここが盛り上がったからこそ、インジャンとあの金貨がどこへ行ったのかが気になるように上手く仕上がったのだ。
 だがこれまで盛り上げておいて、次の話はインジャンとは一件無関係そうな村の子供達のピクニックを主筋に進むという意外性が潜んでいる。これが年末の放送でなかったら、恐らく次へ向けて盛り上げる要素として次回予告を上手く使ったと思う。インジャンとは無関係そうな楽しいピクニックを背景に流しておいて、トムの解説はインジャンとの勝負に絞られているとか、その逆とか…。
 今話は「化け物屋敷」探検がインジャンに繋がることは、残り話数やら前話での次回予告で想像するのは簡単だったはずだが、ここで大量の金貨が発掘されるのは予想外だったろう。インジャンとギルは過去の悪党のものだとしたが、これこそがマフが語っていた「海賊の宝」であって、トムとハックが探していたものであるのは間違いないと私は解釈している。もしトムらが「海賊の宝」の展開のところでこの屋敷を探索する展開を取っていたら…「海賊の宝」は簡単に見つかってしまい話は盛り上がらなかったわけだ。この廃墟が「化け物屋敷」として人を寄せ付けなくなったのは、この「宝」を埋めた当時にはもう人は住んでいなかったからだと考えられる。その宝を埋めた当人が「あの廃墟には化け物が出る」という噂を流し、人を寄せ付けないようにしたのだろう。この「人が寄りつかない」に目を付けたインジャンが、この屋敷を隠し金の置き場として絶好の場所だと判断したのだろうな。田舎の村だから悪人はインジャン程度しかいないから、他の悪党と競合することもなくインジャンは屋敷に色々と隠していたに違いない。

第47話 「マクドゥガルの洞窟」
名台詞 「僕も探してるんだ。僕も泉のところへ戻ろうとしているんだけど、その道が分からなくなったんだ。大丈夫ベッキー、必ず道を見つけ出すよ…あ、こっちへ行けばさっきのところへ出られるよ、きっと。」
(トム)
名台詞度
★★★
 トムとベッキーの洞窟探検は、洞内の泉があったところでコウモリの襲撃を受けたことで様相が一変する。何とかコウモリから逃げた二人だったが、今度は洞内をただ歩き回るだけになってしまう。「ねぇ、こっちから出られるの?」とベッキーが不安げに聞けば、「出られると思う」とトムは無表情で答える。「違う道を通って迷ってしまうと困るから、さっきの泉が会った場所に戻りましょうよ。私、コウモリがいても我慢するわ」とベッキーが続けるが、これにトムからの返答はない。そしてまだぶち当たる洞内の分岐、どちらへ向かうかの判断をしているトムに「ねぇ、さっきの泉のところへ…」とベッキーが言いかけたところで、トムが急に不安な表情になってベッキーに告げる台詞がこれだ。
 これはトムによるベッキーへの「遭難宣告」と言っても良いだろう。コウモリ襲撃をきっかけに逃げ回ってことで現在地を見失っていたが、これまではベッキーを心配させまいとその事実を語らずにいた。これはトムに「コウモリの襲撃された泉のところまで戻れる」という自信があったからだ。泉のところまで戻れれば出口までは1本道であることは劇中でも示唆されている。ところが何処をどう歩いても、その泉が見えてこないことでトムは強烈な不安に襲われると共に、手を繋いで僅かに震える女の子を守り通す重圧がのしかかっていたはずだ。だからベッキーの「泉のところへ戻ろう」という提案に答えができなかった、そんなことはトムも解りきっていてそれを実行しているからだ。
 だが新たな分岐点でトムの自信は瞬時に吹っ飛んでしまう、それはトムにとって「また同じような場所に出てしまった」のか「初めて見る場所に出てしまったのか」は解らないが、とにかくトムはこの分岐点で「帰れる自信」を失ったのだ。同時にベッキーを守るという重圧がさらに重く肩にのしかかって来た時、トムはまず正直に道に迷ったことを認める。だがトムらしいのは、震えてしがみつくベッキーに対してあくまでも気丈に振る舞うことだ。道は自分が見つけ出すという言葉を付け加え、根拠がないのに「こっちへ行けば出られる」と語って探索行為を続ける。一度は道に迷ったことを認めても、ここで強がってみせるトムのキャラクターが上手く出ている。
 またこのシーンではベッキーの心境も上手く現れている。洞窟に入る準備なんかしていなかったベッキーにとって、まずトムが命綱であることは説明するまでもなく明確だ。ベッキーはトムに絶対の信頼を置いていたが、「泉のところへ戻ろう」と言い出した時はその信頼が揺らぎ始めたのだ。そしてトムのこの台詞の前半部分を聞いて、ベッキーは震えてべそをかく。ベッキーにとってまさに命綱が切れたような思いだっただろう。だがベッキーとしてはトムに頼るしかなく、「トムから離れてはならない」という気持ちが強くなったところである。これはベッキーにとって「トムが好きな男の子だから」ではなく、「生きて帰るため」に変化している…そんなことはトムも解っている、ここはトムが男として試されるところで、だから強がってベッキーを何とか安心させようとするのだし、この台詞の後半部分で自分を鼓舞しているのだ。
名場面 インジャンとの鉢合わせ 名場面度
★★★★
 トムとベッキーは洞窟からの出口を探して歩き回るが、どうしても出口は見つからない。そしてベッキーはついに立ち止まって「もう帰れない」と泣き出してしまう。トムが何とかベッキーをなだめるが、ベッキーが「もう歩けない」としたために座って休憩することにした。しばらく休憩すると、ベッキーが「遠くで呼んでいるような気がしたの」と主張する。これによってトムはその辺りを見に行くとするが、ベッキーは独りになるのが怖くてこれに反対。トムはたこ糸を出してこれをベッキーの手に結びつけ、「糸が伸びる範囲を動き回る」とする。また暗くなるのも怖いベッキーのために、新しい長いロウソクはその場において火が消えそうな短いロウソクを持ってトムは歩き出した…とここまでが、該当シーンの前提部分だ。
 トムが持っていたロウソクが短すぎるために、すぐに熱くて持っていられなくなる。熱さに耐えきれずロウソクの火を消すと、辺りは完全な暗闇だ。この暗闇で心細くなったのか、トムはついにその場で涙を流して泣き始める。だが体育座りで顔を伏せて泣くトムの横顔に、何故か光が差し込んでくる。これに気付いたトムは泣くのをやめて光の方向を見る、ロウソクを持った誰かが歩いてくるようで足音も聞こえる。トムの表情が明るくなり、感涙の涙も見せる。「助かった…」小声で呟いたトムは涙を拭いてその光の方向へ走る、手を挙げて叫ぼうとしたところでトムは突然フリーズする。そのロウソクを持ってこちらへ近付く誰かが、あのインジャン・ジョーだと解ったからだ。再起動したトムは震えてとりあえず岩陰に身を潜める、「僕の呼吸は止まりそうになった、こんなところでインジャン・ジョーに出会うなんて」とトムの震える声のナレーションが入って今話が終わる。
 今話はまさにこのラストシーンのための1話と言って良いだろう、前話でインジャン・ジョーの再登場を印象的に描いておきながら、今話は夏休み最後のイベントである楽しい楽しいピクニックへトムが参加する話になって視聴者の多くは気が抜けたところだろう。そしてトムがベッキーを連れて洞窟に入り、その中で道に迷うという展開になってますますインジャン・ジョーから話が遠ざかったに見えたところでの対面劇だ。
 だが物語は二元中継で、セント・ピーターズバーグで留守番のハックがギルの遺体を発見し、インジャンが「穴に隠れる」という謎の言葉を残して立ち去っていた事実を保安官に告げているのだ。その「穴」がこの洞窟であると繋がるシーンがまさにここだが、勘の良い人はその前にこうなることに感付いていたかも知れない(子供の頃の私は勘が悪かったので解らなかったが)。いずれにしても「遭難」と「インジャン・ジョーとの対面」という二つの要素で、この物語の結末…いや、トムとインジャンの決着へと否応なしに話が盛り上がる。
 同時に前提部分の説明をした合間にピクニックの方ではトムとベッキーの行方不明が発覚し、ベンがトムの話として洞窟へ行ったらしいと報告したことで、ピクニック引率者による洞窟の探索や、救助隊の派遣なども既に示唆されている。だからインジャンの姿がハッキリするまで、このロウソクの灯りの主は救助隊かも知れないという可能性も演出していたこともあって「残り時間的にもこれで二人が助かってめでたしめでたし」と感じた人もあると思う。だからこのシーンはインジャンの姿が出てきたところで、トムと一緒に恐怖を味わえる秀逸なシーンとして出来上がっている。
 このシーンを受けてのトムとインジャンの最終決戦は次回に持ち込まれ、次回予告がないことから視聴者は1週間焦らされることでさらに盛り上がるところだろう。いよいよ次話、トムとインジャンの対決だけでなく、その結果どうなるかが示されて物語の結論が出る…そういう緊張感もこのシーンに含んであったという意味でも、とても印象的なシーンだ。
今話の
冒険
 今話の冒険は、ピクニックで行った先の近くにある洞窟探検だ。トムはベッキーと共に洞窟に入り、洞内の滝のところで「さらに奥が見たい」と訴えるベッキーの声に従って洞窟の奥へと侵入。洞内の泉までは一本道なので当初はここで帰る計画だったのだろうが、ここでコウモリの襲撃を受けたことで出口と逆方向へと走って逃げたことから二人は道に迷う。名台詞欄シーン、名場面欄シーンを経てトムは逃げ場のないところでインジャンと対面。続きは次話となる。 ミッション達成度
★★
感想  タイトルを見ただけで「洞窟探検」の展開となることは目に見えていて、物語が始まるとトムが子供達のピクニックに参加する話になっていて「前話であれだけ盛り上げたインジャンのことはどうなったんだ!」と叫びたくなる心境を押さえて物語を見るしかなくなる。ピクニック会場で遊んだり、ベンが早弁をしたり、トムとベッキーが楽しくダンスをしたり…と楽しそうなピクニックが描かれ、インジャンとの対決があるのを忘れそうになった頃に話が突然二元中継となるところから徐々に空気が変わってくる。
 トム達がピクニックに出発したところでハックがこれに参加できないことをわざわざ示唆していたが、これは二元中継となるもう一つの話こそが重要だからだ。ピクニックに参加できないハックは独りで行動中に、川原で他殺体を見つけてしまうのである。しかも死んでいたのは前話でインジャンの手下として登場したギルという男だ。これでとりあえずハックの側ではインジャンに繋がり、トムとインジャンの最終決戦への道のりの一端が開かれる。しかしこのギルって男は、出てきたと思ったらすぐ殺されちゃって可哀想な奴だ。まあインジャンの隠し金の在処を知ってしまったことで消される運命にあったんだろうけど、その上でインジャンの金貨発見まで目撃しちゃったのが行けなかったな。仲間割れをしたのではなく、インジャンは自分の秘密を知ってしまったこの男を最初から消すつもりだったんだと解釈している。
 そしてトムとベッキーが洞窟に入ったところで、東京ディズニーランドで「トムソーヤーの冒険」の作品世界を体験した方が先の人々は「いよいよ来たか」と思うのだろうな。しかしこの洞窟、丘の中腹にある入り口から下っていって滝があり、さこからさらに下っていって洞内の渓谷があるのは理解できる。だがそれよりさらに下って泉があるというのは…たぶん泉は支流で渓谷が流れている本流ではないのだろう。滝から流れ落ちた渓谷は人が入れない穴に流れていってやがてミシシッピ川に注いでいるのだろう。その本流が人が入れない穴に流れ落ちるところで支流が分岐していて、それを遡ると泉があると解釈すべきだ。だが泉の先も洞窟が続いているのは…これは本流の旧河道なのだろう。それが洞内で複雑に分岐や合流を繰り返して迷路のような洞窟が出来上がり、またその過程で本流が別の穴を浸食して広げて滝の方へ流れるようになってしまったため、こちらには現在は水が流れていないと解釈すれば良い。なんか悠久の時の流れを想像できる雄大な洞窟だな、川口浩に探検して欲しいと昔は思ったものだ。
 トムとインジャンの対面については名場面欄に書いたとおりだ。逃げようのないトンネルの中で、こっちにいるトムと向こうから歩いてくるインジャンが対面するなんて、最高に盛り上がるシチュエーションだと思う。もちろん、トムがこの洞窟からは逃げ切れないと思うので、この洞窟内で最終決戦が描かれるのは簡単に想像できるだろう。本話の劇中内でトムらを探す救助隊の出動や、保安官もインジャンを追って洞窟へ向かう設定は出来上がっている。トムとインジャンの対決中に二人の前に現れるのはこのどちらか? それともトムが自力でインジャンを倒してしまうのか、そして物語の決着は…次回が楽しみだ。

第48話 「インジャン・ジョーの最後」
名台詞 「俺が君を殺すって? どうして? 俺が君を殺さなくちゃいけないんだ? フハハハハハハッ。まさか本気でそんなこと言ってるんじゃないんだろうな? 君みたいな罪のない子供を、俺がどうしてまた、ハハハハハッ……では、そろそろ退散するか。トム、しっかり看病してやれ。あばよ、もう二度と会うことはないだろう、俺は遠くへ行っちまうのさ。」
(インジャン)
名台詞度
★★★★
 洞窟内でトムとベッキーを探す保安官の声が、二人がいるところにだんだん近付いてきた。そして闇の向こうに灯りが見え始め、「ホラ、灯りが見えたわ」とベッキーが弾んだ声を上げて指さす。ベッキーは声を上げながら、トムはロウソクを振ってその灯りに応える。灯りが近付いてきてその人影が見えると再びトムは怯えた表情に変わるが、ベッキーはこれに気付かず灯りを持つ人影に「助けに来ていただいて、ありがとうございます」と感謝の言葉を投げる。ここでトムは「インジャンだ…」と呟く、この声にベッキーが灯りを持った人影を見るとインジャンであることが解り悲鳴が上がる。トムはベッキーの肩を抱き「大丈夫だよベッキー、泣かないで、大丈夫だよ」と笑顔を見せる。「これはこれはトム君、君とは是非一度会いたいと思っていたが、まさかこんなところで会うとはな…君のおかげで俺は随分と苦労させられたからな」と冷たい声で言いながら、インジャンはトムに迫ってくる。震えていたベッキーは再度悲鳴を上げると、気を失って倒れてしまう。「おやおや、君のガールフレンドは気を失ったようだな」と語るインジャンに、トムは「僕を殺すつもりなのか?」と問う。このインジャンの返答がこれだ。
 いよいよやってきたトムとインジャンの最終決戦、そしてその結果はこの台詞だけであっけなく終わってしまう。トムが恐れていたのは、インジャンの悪事を暴いたことでインジャンに逃亡生活を強いたことによる仕返しであった。インジャンはトムの証言によって悪人にされたのだから、それで苦しんだのなら仕返しをするはずという単純な根拠と、なによりも様々な悪い噂が流れているインジャンが怖いからそう思ったということもあっただろう。またトムはインジャンが人殺しをしたのを目の当たりにしている、だからこそ自分も同じ目に遭うのではないかと考えていたのだ。
 だが「インジャンがトムやハックに仕返しをする」というのは、よくよく考えてみるとトムやハックの側から一方的に出てきたものに過ぎない。インジャンが「トムに仕返しをする」と宣言したわけでも、インジャンが誰かにそう語ったわけでもない。よく考えると「インジャンがトムをどう思っていて、どう扱うつもりなのか」はここまでの劇中で一切示されてこなかったのだ。
 この台詞はその「インジャンがトムをどう思っていてどう扱うつもりなのか」を明確にしたと言っていい。要は「恨み言のひとつふたつは言うが、それだけに過ぎない」ってことだ。つまりインジャンから見てもトムは何も間違ったことをしていない、ロビンソン医師殺害現場で何が起きていたかを偶然目撃し、これを正しく証言しただけだ。あの場を誰かが見ていると考えもしなかった自分の不手際で自分の罪をマフになすりつけることに失敗したのであって、トムのせいなどではないと考えていたのだ。自分がロビンソン医師を殺害したのは事実で、それは変わりないことなのだ。
 だからインジャンは「君のおかげで随分と苦しめられた」と恨み言をひとつ言っただけでおしまい、あとは別れの挨拶をする程度のことだ。
 この台詞に対するトムの反応を見る暇もないまま保安官が現れて、保安官とインジャンの最終決戦へと場面が変わってしまう。この決戦では保安官に追い詰められたインジャンが、洞窟内の谷に転落して敗北する。保安官はインジャンが死んだと判断するが…私はそうは思っていない。厳密に言えばインジャンはその日くらいは生きていたと推測する、どっちにしろ誰も助けに行かなかったのだから、転落時の怪我が悪化するか食べ物がなくて餓えるかのどちらかの理由で死んだ結論になるけど。
名場面 金貨発見 名場面度
★★★★★
 トムとベッキーが洞窟から助け出された翌日、ハックは洞窟の中にインジャンが金貨を隠したままだという推論を立てる。これをトムに語ると、トムはインジャンが「二番の穴の十字架の下に埋める」と言っていたことを思い出し、二人はシャベルとスコップと麻袋を持って洞窟へ向かう。トムはピクニックの日の記憶を頼りに洞窟の奥深くへ入る、滝、渓谷、泉…ここでコウモリの襲撃を受けたのもあの日と同じだ。だがなかなかベッキーと彷徨った場所にたどり着けない…挫折しそうになりつつも、やっとの思いでトムはベッキーが歩けないと腰掛けた場所を見つける。そこからしばらく進むんだところで、洞窟内でインジャンと最初に出会った場所に着く。インジャンが現れるのではないか恐怖に苛まれながらも、二人は洞窟の壁面に十字架が描かれているのを見つける。さらに足下に一度掘り返された跡があることに気付き…二人はそこを掘り始める、しばらく掘るとハックがツルハシに「何か」が当たったことに気付き…二人が出て掘り進めると箱が出てきた。「あったぞ!」と叫びながらさらに手で掘り進め、箱を開く。中には以前に「化け物屋敷」で見た時と同様に、輝く金貨が大量に入っていた。神々しいBGMと、キラキラ輝く効果を画面加工がこれに彩りを添える。「光ってますね」「きれいですね」「本物の金貨だぜ」「金貨だ、俺たちのもんだぞ」…そして二人は躍りあがって喜びを表現する。「お前はでっかい家を作るんだ」とトムがハックに語り、「お前はでっかい蒸気船が買えるぞ」とハックがトムに返す。
 これが「トムソーヤーの冒険」という物語の結論である。様々な冒険を繰り広げた結果、最後にトムとハックは「宝物」を見つけたのである。それも子供向けのアニメで良く言われるような抽象的な「宝」でなければ、子供が大好きなおもちゃなどを指す「宝」でもない。「大量の金貨」という本物の「宝」である。こうして「トムソーヤーの冒険」という「子供達の非日常」を探求する物語は、本当の非日常である「宝」を見つけた物語として決着がついたのである。
 そしてその決着シーンはとても印象的に描かれている。特に宝箱を開いた時の神々しいBGMは、「美しいもの」を見ているという感動を上手く込めているだろう。本当は光るはずのない金貨を敢えてキラキラ煌めかせ、さらにその光でトムやハックの顔が若干金色に反射している点は、その金貨の価値の高さをうまく表現していると思う。さらに箱を開いた二人の表情を敢えてピンボケ気味に描いた点は、二人がまるで夢のような世界にいることをキチンと示している。
 こうして物語に結論が出たところで、「トムソーヤーの冒険」の本筋はこのシーンで全て終わった。次話の最終回は、丸々1話を「オチ」で消費するとても贅沢なつくりだ。
今話の
冒険
(名場面欄参照) ミッション達成度
★★★★★
感想  この回のサブタイトルを見る度に思う、何でタイトルか「インジャン・ジョーの最後」なのか?と。ここは「インジャン・ジョーの最期」とすべきだったんじゃないかと…そりゃともかく。
 最終回のひとつ前と言うのは、「世界名作劇場」シリーズでは物語の決着がついて本筋が終わる展開となることが多いが、この「トムソーヤーの冒険」もそのセオリーを守っている。名場面欄に書いたように、トムとハックが洞窟の中に眠っていた「宝」(大量の金貨)にたどり着いたところで、本作も物語に決着がついたと言えよう。
 まずは前話の続き、洞窟でのトムとインジャンの最終決戦だ。決着は名台詞欄シーンに書いたとおりだが、そこに至るまでの展開がテンポが良くて好きだ。トムがインジャンが何かを掘り出そうとしているのを見てしまうことや、インジャンがトムや保安官の声に気付くこと。何よりも保安官がインジャンを見つけたシーンがとても良い、保安官がトムに「止まっていろ」と命じ、トムは「動いてない」と返すのに動くロウソクの灯り。ここで保安官が拳銃を構えるところは最終決戦へ向けて盛り上がるところだ。また保安官の声が近付いてきた時のトムとベッキーへの会話も好きだな、ベッキーは相手がトムだからこそ「泣きそうだった」と指摘できる。トムがそれを認めないことは解っているし、ベッキーもそれを誰にも言う気はなく、ベッキーが「自分だけが知っているトムの素顔が見られた」と喜んでからかっているのだから。その平和的シーンは、インジャンの冷たい声で遮られるのだけど。
 そして後半、シッドの台詞でトムもこの洞窟での出来事によって精神的に疲弊していたことが解る。トムは「ベッキーを守る」という重圧とインジャンの恐怖の双方と戦っていたはずだ。もちろんトムが「一晩中うなされていた」というシッドの証言は、詳しく見るとトムはインジャンの恐怖だけでなく「大丈夫だよ、ベッキー」なんていううわごとも言ってたんだろうな。実はここのハックとシッドの会話も好き、私がシッドだったらやっぱり同じ反応をしたと思う。
 こうして物語は再度洞窟へと戻り、金貨を発見する。この展開もとても好きだ。この中でトムが「インジャンが死んだと聞いて喜べなかった」というのは、たぶんトムとハックでないと分からない思いだと思う。二人はトムとインジャンの最終決戦を通じて、インジャンも正しいことを正しいと認識している一人の人間だと知ったからである。彼は自分がやってきた悪事を正しいとは思ってないから、トムに仕返しなど考えていなかった。これが分かったことでトムやハックは、自分たちも含めて村人達みんながインジャンを誤解していることに気付いたのだろう。悪事を働いているというだけで毛嫌いされ、ますます悪事を働くことしかできなくなってしまったインジャンの背中を見て何かを感じると共に、「絶対にああはならない」と心の中に誓ったんだろうなぁ。

第49話 「格好の悪い終り方」
名台詞 「うん、わかる、わかる。でもなハック、子供はどうしてだか学校に入れられる運命にあるんだ。ほら、この俺でさえ学校へ行ってるんだもんな。」
(トム)
名台詞度
★★★★★
 ハックがダグラス夫人に引き取られて以降、トムはハックに会えないままだった。ハックが裕福な生活になじめないことを知っているトムは、深夜にダグラス夫人の屋敷の庭に忍び込んでハックに会うことにした。これまで通り猫の鳴き真似を合図にしてみると、ハックが窓から外に出てきた。ハックがまず語ったのは「金持ちにならなきゃ良かった」という後悔で、ダグラス夫人は優しくて召使いも親切だがこういう生活にはなじめないとハッキリ語る。器使用時間が決まっていること、朝起きたら洗顔させられること、髪に櫛を通すこと、服にはブラシが掛けられネクタイを締め、ボタンのかけ忘れを注意されるという生活の全てに耐えられないというのだ。トムはこれに「子供はみんなそういう拷問に耐えてるんだぞ」と返すが、ハックの愚痴はさらに続く。本を読まされ字の勉強をさせられると言えばトムは「字は覚えておいた方が良いけどな」と返し、ハエを手で捕まえたりできないしベルの合図で食事やベッドで息が詰まりそうと言えば、トムは「そういやお前、少し痩せたかな?」と返す。ハックは金貨の半分の権利を辞退すれば元の生活に戻れると力説するが、トムは「そいつはできない」「もう少し我慢してみろ、慣れてくると今の暮らしも悪くないと思えるようになるよ」と返す。「そんなこと一生あり得ないよ」と消沈するハックは、続いて「それにどうしよう…」と苦悩の声を上げる。「どうしたんだ?」と心配そうに問うトムに、ハックは泣きながら「俺、学校に入れられるぞ」と訴える。「そうだ、明日から学校が始まるんだったな」と返すトムに、ハックは「俺、学校だけは行きたくねぇよ」と涙ながらに訴える。このハックの涙ながらの訴えにトムが返した台詞がこれだ。
 「学校が何故存在し、学校へ何故行かねばならないのか?」という問題を、子供の視線で見るとこういう答えになるという見事な台詞だ。学校は子供達に社会で必要な知識を学ばせることで、子供達が大人になった時に困らないために存在し、子供達は「義務教育」というかたちで学校へ行くのが事実だが、これはあくまでも大人の論理だ。子供の論理ではそんなことは考えない、例えば小学生になったばかりの子供に「何故学校へ行くのか?」と聞けば「勉強するため」と答えられ、さらに「何故勉強するのか?」を問えば答えに詰まると思う。結局は子供は勉強しなければいけないという根拠のない答えしか出てこなくなり、これをトムは「学校へ行かされる運命」としたのはまさに「子供の論理」だ…特にトムのような勉強が得意でない子供達は、こういう論理で学校へ行っていることだろう。
 だからトムはハックの「学校へ行きたくない」という気持ちには同意するものの、その事実を受け入れるしかないとこの台詞で突き付けるのだ。そして最大限の説得力のあることとして、勉強や学校が大嫌い自分ですら学校へ行っているという事実を付け加える。
 この台詞にハックがどんな反応をしたかは劇中には描かれていない。だが私はこの台詞でハックは「学校へ行かざるを得ない」と感じたのは確かだろうと思っている。それは「勉強をする」という決意ではなく、「トムでさえ学校へ行くことを拒否出来ないのだから、自分も逃げられない」という諦めのような心境だろう。
 いずれにしても本作の最後の最後で「学校が何故存在し、何故行かねばならないのか」という事実を、子供の目線で突き付けてきたのは子供の頃に見た時にとても印象に残っていたものだ。この台詞があるから、小中学生時代の私は学校で楽しいことはあまりなく、特に中学校では嫌なことばかりだったけどそれを「運命」と受け入れてやり過ごすことができたのだと思っている。学校が嫌なのは自分だけではない、そんなエールを子供達に送っているようにこの台詞は聞こえる。
名場面 格好の悪い終わり方 名場面度
★★★★★
 9月に入り、夏休みが終わって学校は新学期が始まる。トムがいたクラスはドビンズ先生に代わってナタリー・ローズ先生が教壇に立ち、遅刻したトムは先生が代わった事を知らずに「教室を間違えました」とする始末だ。ダグラス夫人の馬車でハックも登校し、トムの後ろの席に座ることになる。最初の授業は算数、ナタリー先生は黒板に掛け算の問題を書いてこれを問うように子供達に指示する。ところがトムは「先生は新学期のはじめの日からテストをするんですか?」と質問する。「皆さんの算数の力を知るために、ここにある計算を解いてもらおうと思って」と先生が答えると、ハックがやる気のない顔で「俺、算数全然ダメだ」と声を上げる。「どうしてもみんなにやってもらいます。さあ、用意をしてください」と先生が続けると、相変わらずのやる気のない顔でハックが「学校っていつもこんなか?」とトムに問う。これを受けてトムは「だけど今日はとても算数をやる気分になれないよ」と先生に訴え、ハックは「とってもやっていけないよ、俺帰るわ」と荷物を出して席を立つ始末。これを見た先生はトムとハックの二人に対し名指しで「立ってこちらに来なさい」と命ずる。「なんだ?」とハックが口に出すと、「鞭打ちだよどうせ、算数やるよりましだろ? 来いよ」とトムはハックに一緒に来るよう促して席を立つ。「さあ二人とも後ろを向いて、鞭打ち10回ずつです。終わったら教室の後ろで立ってなさい」と強い調子で言う先生に、トムは軽く返事をして鞭打ちされる時の手を後ろに組むポーズを取り、ハックもこれに倣う。そして先生が二人を交互に鞭打ちすると、この都度二人の叫び声が軌用室に響く。クラスメイト達から声が上がり、ベッキーが心配そうにトムを見つめる。その光景を背景として「僕たちの物語をこんな格好の悪いところで終わりたくなかったけど、やっぱり学校だとこういうことになっちゃうんだ。今度また機会があったら、ハックからすばらしい冒険物語を聞くといいよ。じゃ、さよなら」とトムのナレーションが入る。そして物語がそのまま終わるかに見せかけておいて、最後にトムがひときわ大きな声で「あいたーっ!」と悲鳴を上げて、画面が静かに暗くなって本作は幕を閉じる。
 うまくオチた。「世界名作劇場」は多くの作品でラストシーンはきれいに決まっているが、これはまた別格だと私は思う。感動させるのでなく学校シーンでさんざん描かれ、トムが痛い思いをしてきた鞭打ちシーンで終わるというのは本当によく考えたと思う。このラストシーンを見て多くの視聴者が「これぞトムソーヤーの冒険」と感じたことだろう。
 本話では物語の結論である「トムとハックが宝を手にした」結果を描くが、その結果だけを描いても本作のオチとして不十分なのは目に見えている。「ハックが金持ちに引き取られました、おしまい」では感動も何もない。その顛末はハックが望んだものではないのだし、主人公が幸せを掴んだわけでもない。だからラストシーンをどうするかはこのアニメの制作者達は悩みに悩んだことだろう。その結果、物語で感動させることは一切考えず、どうやって「トムソーヤーの冒険」らしく視聴者が笑って終われるかという点に絞って物語を作りこのようなラストシーンに落ち着いたのだろう。
 さらにこのラストシーンに行くに当たって、先生をわざわざ代えたのも効果的だったと思う。ドビンズ先生の再登場はなく、後任の先生は優しい女性の先生としたことで多くの視聴者の頭から「鞭打ち」という文字は消えていただろう。ナタリー先生が優しそうに描かれたからという理由もあるが、本作では鞭打ちはドビンズ先生の専売特許みたいな扱われ方をされていたし、何よりもドビンズ先生がいなくなった驚きも「鞭打ち」を視聴者の頭から消す方向に作用する。だからここで先生を代えたのは効果的なのだ。
 トムの最後のナレーションで「今度はハックから冒険物語を聞くといい」としていることで、「世界名作劇場」シリーズとして「ハックルベリー・フィンの冒険」の制作があるのかと思って待っていたが…それは残念ながら実現しないままシリーズそのものが終わってしまった。2007年以降のシリーズ復活の時にも「ハックルベリー・フィンの冒険」の制作を期待したんだけどなぁ、やはりBSのみの放送ではシリーズ復活の知名度が低くてダメだったようだ。
今話の
冒険
 最終回、実はトムもハックもその仲間達も冒険らしい冒険はしていない。だが冒険をした人物は一人だけいる、それはダグラス夫人だ。村の浮浪児が大金を手にしたことで後見人が必要となり、サッチャー判事や保安官などの要請があったとは言え、ダグラス夫人はハックを引き取ることを決意する。ろくな教育もされてなくて、自由気ままに自給自足の生活をしていた子供との生活は、ダグラス夫人にとって人生史上最大の冒険であったはずだ。 ミッション達成度
★★★
感想  この最終回は、子供の頃に見たのをハッキリと覚えている。名台詞はとても印象に残ったし、ラストシーンも笑顔で見ていたのをキチンと覚えている。この最終回は「世界名作劇場」他作のような派手さはないし感動もしないが、とてもよくできている。
 本話の始まりこそはトムとハックが発見した金貨を持ち帰るところから始まる。大量の金貨を見て失神するポリーおばさんが面白すぎ、金貨を一枚拾って見つめているそのままの姿勢で倒れているのは非現実的だけど面白い描写だ。
 問題は今回トムとハックが手にした12,152ドルという金額だ。劇中世界ではキャンディが2本で1セント、釣り針や釣り糸を買うのに5セント必要らしい。キャンディも色々あるが、トムらが舐めていたキャンディの大きさや形状からすると、現在の日本の貨幣価値で50円くらいのキャンディとみて良いだろう。つまり、1セント=100円が劇中世界と現代日本の貨幣価値の変換レートということだ。トムの小遣いが20セント=2000円、シッドが小遣いを貯めて32セント=3200円、子供向けの芝居が15セント=1500円という計算はあながち間違っていないと思う。
 すると1ドルは100円の100倍だから1万円。その12152倍だから…121,520,000円、いちおくえんですよ、いちおくえん。二人の取り分は50:50だろうから、トムとハックはだいたい6000万円くらいの大金を手にしたことになる。いーなー、うらやましーなー、私の家のローンを全額払ってもまだ余る。これだけの額だからポリーおばさんが失神するのももっともだし、ハックにしっかりとした後見人が必要となるのも頷ける話だ。
 それで始まるハックの苦悩というのをしっかりと描き込んだのも本作らしい、セーラの例を出すまでもなく浮浪児同然の生活をしている子供があんな大金持ちに引き取られたら普通はハッピーエンドなのだが、本作ではそれがバッドエンドになってしまうのだから面白い。名台詞欄で紹介した深夜のトムとハックの会話もとてもよく、この中に出てくる「子供はみんなそういう拷問に耐えてるんだぞ」は本作でも有名な名台詞だが、私が考察すると名台詞欄シーンに上がらない。どうしてもその後の名台詞欄の台詞の方が印象に残ったというのが事実なのだ。
 こうして本作はオチも決まって印象的に幕を閉じたが、やはり残念なのは続編として「ハックルベリー・フィンの冒険」が「世界名作劇場」シリーズとしてアニメ化されなかったことだ。子供の頃の視聴では再放送を見た時は、原作には「ハックルベリー・フィンの冒険」という続編が存在することを知っていて「いつかはやる」と信じていたんだけどなぁ。
 いずれにしても「トムソーヤーの冒険」全話視聴完了だ。続いて総評へ続くのだが、数話簡潔の繰り返しのこの物語は総評をまとめるのが大変そう…。

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